21日、兵庫県猪名川町の「INAGAWAスマホサミット2015」へ。

 
 昨年1月、初めてこの同じ猪名川町スマホサミットへお邪魔し、同町が青少年のスマホ問題で全国最先端の取り組みをしていることを知ったのでした。その中心が太田はるよさんと高校生のグループ「SWING-BY」のみなさんであることも。


 今年、2回目のサミットでは昨年行動宣言した通り、いやそれ以上の具体的行動の数々が盛り込まれていました。

 昨年3月にはSWING-BYのメンバーが町長、教育長と座談会をし、
 ‐学生に高校生がスマホの使用法を授業したい
 ▲好泪朸飢塀颪鮑遒蠶の全小中学生3000人に配りたい(要事業費)
 等を申し入れ、実現した。


 6月、高校生が質問項目を作成した「スマホアンケート」。町内の小中高児童生徒3,928人が回答。
 中学生の半数、高校生の9割がスマホ所持。
 夜12時以降就寝はスマホ派に多い。
 「勉強に自信が少しはある」と回答した率は不所持>ガラケー>スマホと、スマホ派の自信の無さが鮮明。
 「1日3時間以上操作」と答えるのもスマホ派多い。
 見ている内容は男子がパズドラ等ゲーム、女子はLINEで友達とのやりとり。Youtubeで動画をみているのも。
 あとのパネルディスカッションでも「動画をみていると平気で朝3時とか7時になる」との声。


 ―ここは私的な感慨で、ネット動画視聴が多くなると、それは製作者にPCとか働かない世界だから、性的バイアスは強まるのではないかと思う。女性=AKBみたいなかわい子ちゃんとそれ以外とか。


 また、面識のない人とLINE等ネットで会って実際に会ったことがあるか?との問いにスマホ派小学生の2割、同中学生の5割以上が「会ったことがある」。


 コーディネーターの竹内和雄氏(兵庫県立大学准教授)によると、

 今の小1−3年は「ケータイネイティブ2世」」。お父さんお母さんがスマホを持ち家に固定電話がない、子育ても「鬼から電話」アプリなど使ってスマホでやっている。

 
 このあと、高校生による小中学生への公開模擬授業や高校生をパネリストにしたパネルディスカッション、教科書の手交式、大人たちの行動宣言などがありました。


 なんとも、言いっぱなしでなく行動する猪名川町の高校生たち、またそれにつれて動く大人たちです。

 大人の教育をする立場としても大いに触発されるイベントでございました。

 しかしまた、この分野のことは猪名川町だけでなく全国的にも動きが早いのだけれど、激動する子供の世界を何とかフォローしようと試みているのだけれど、

 この高校生たちとすぐ隣の世代、若手社会人についてどんな手当てがされているのだろう。
 ほとんど手つかずだ。スマホの実態も統計がなく、高校生たちの数字から類推するしかない。
 小中学生にとっての高校生に当たる存在は、若手社会人には。



 公開授業の生徒になった小中学生に、最後高校生たちが「大縄跳びをしよう」と外に連れ出しました。
 現実に身体を動かして遊ぶ楽しみを教えたい、ということだそうです。

 「スマホの害を教えて終わり、ではない。それに代わる遊びを教えるところまでやらなければ」。


 さあ、「それに代わる遊び」とは若手社会人にとっては、何を意味するでしょう…。



 とまれ、素晴らしい実践をみせていただいたスマホサミット関係者のみなさま、ありがとうございました!




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 すごく蛇足なのですがこの素晴らしいイベントで1か所「モヤモヤ」が残った―巧みに残してくれた、と言っていいかもしれない―箇所を挙げておきましょう。


 親に叱ってほしいか、どうか。

 高校生パネリストは、

「勉強しなければと思うのについスマホをやってしまう。時には親にビシッと言ってほしいと思う」

と言いつつ、

 じゃあ、実際に厳しく言われたらどう思うか、「やっぱりイヤ」。


 ここなのだ。当たり前の上司部下関係にもあるジレンマ。


 心のどこかで「厳しいことを言ってくれる存在であってほしい」「自分一人では自分を律しきれない」と思い、しかし現実に厳しいことを言ってくる人には反発する。

 上司にとっては、「じゃあどうしろっていうんだ」という話でしょう。


 これについてその場では解が出ず、イベントの一番最後ごろになって竹内和雄氏が言ったことは、


「先生も生徒からわからないことは教えてもらう。そのうえで『大人社会ではそれは通らないよ』ときにはビシッと言うことも大事。その部分がないと大人も子供から信頼されない」


 それは最適解ではなく最善解なのだろうなあ、しかしそれしかないだろうなあ、と。

 要は「開かれた知性」であること、大人が。子供/若者が独自に持っている情報に興味をもち、真摯に耳を傾け驚いたり学習したりできる。
 そうした姿勢を維持する大人が、次の段階で厳しいことを言うこともできる。

 
 これを、まとめて「要はコミュニケーションが大事なんですよね」みたいな言い方をしてしまうと間違ってしまうと思う。最近思うのが「コミュニケーション」という言葉は何も生まない、なんでもありになるだけで。思考停止を招いてしまうだけ。
 「没コミュニケーション」が当たり前の状況になっているとき、覆す説得力をもつための過渡期の言葉である。


 声掛けする、関心を示す、ときには教えてもらう、驚く、学習する、(「学習する」と「リスペクトする」は、イコールではないかもしれないが非常に近い)と、必要なことを特定していったほうがいいのだ。


 


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