このところまた見聞きする、どうも「『傾聴』こそが経営者マネジャーの最も学ぶべきものだ」という流れというかプロモーションがあるらしいです。

 わたしが行く先々にいる、奇妙な「傾聴」をする人びと、はその産物なのだろうか、と思います。

 奇妙な「傾聴」というのは、例えば、聴くのはやたら時間をとって聴くけれど何も行動しない人。「あの会話はなんだったの!?」と口あんぐりになる。「傾聴」と「行動」がまったくリンクしていない、傾聴だけしたら自分はいい人だ、と思っているらしい人たち。

(決してみんながみんなそんな人ばっかりではなくて、先日ご紹介していただいた先では本当に真剣に聴いていただいた。ご紹介者の方が真剣に紹介してくださった、と思う)

 
 あるいは、傾聴するが目的がブレている、理念なき傾聴。具体的にはトラブルの仲裁者を買って出た人がいたんですが、加害者側に聞き取りをすると結局加害者の言い分に共感するばかりで何も「被害回復」や「再発防止」に役立たない。共感すべきはそっちちゃないでしょ、ちゃんと警察官をやってくれよ、という。いいとこの大学を出た社会的地位のある人でもそんなんです。


 歴史上、「傾聴」みたいなものが「救国の思想」になったことはないんですがねえ…、それはさておき。

 
 断っておくと、正田は以前は「傾聴」を連続セミナーの最初に置いていました。経験の浅いころ。その結果そのことの限界も見てきました。

 また、「12年1位」を成し遂げこの分野では特異な成果を挙げてきて、そこに働いた効果発現メカニズムもかなり丁寧に観察してきた人間であります。人一倍実地のPDCAを回してきたのです。


 決して傾聴全然ダメと言っているわけではないのです。現在も「承認マネジメント」の長いバージョンのシリーズ研修では、2回目に傾聴研修をやり、そこでは「地獄の傾聴8本ノック」という、世間に例のないどぎつい反復練習の傾聴研修をやります。(是非根性のある方は志願者できていただきたいです)


 長いバージョンの2回目にはやるけれど、それはあくまで1回目の「承認」の実現に資するもの、という位置づけでおこないます。「次の段階の話」であり「承認の手段」です。どうも、世間で「傾聴こそが大事」というのは、「『承認』の代用品」として言っているようにわたしには思えます。「聴いてもらいたい」の本当の中身は、「認めてもらいたい」。


要は、「完全にどちらかだけで」というのではなく、その先いろんなものを載せていく上でプラットフォームとしてどちらが優秀か、という話なのですけど。

 
 「傾聴研修」をどこかで受けて、その研修がすごく良かった良かったと思っている方にはたのしくないかもしれないですが、以下に「傾聴こそが一番大事」と言うことはなぜダメなのか、「12年1位」の先生としてご指摘をしたいと思います。もともと、心理学セミナーを受けて良かった良かったと思うのは、多くはそこに性欲に似た高揚感、陶酔感、恍惚感、それにナルシスティックな全能感が入っているからであり、それは実務の中では有害になることが多いです。思わぬセクハラ行為をしちゃうかもしれません。



■なぜ、「傾聴教」でなく「承認教」が有効なのか

1. 肯定する姿勢があるか

基本的な他者肯定、リスペクトのない傾聴は「拷問」ですらある。「暗黙の前提の不在」というタイプの詭弁。
経営者管理者の、攻撃性競争心高ナルシシズム高という基本人格を考えると、彼らに「他者肯定こそ最も大事」と意識づけるのは、手段でなくそれ自体目的としてなされなければならない。
偶発的要素や自己にとっての限定的な真実を排し、学生(経営者管理者)の現実を虚心にみなければならない。
カウンセラーさんであれば、単なるテクニックとしての「傾聴」以外にクライエントへの「畏敬と尊重」をみっちり学ぶ時間がある。そしてもともと他人を援助したいという人が多い。そして傾聴したあとその内容を何かに反映する義務は、カウンセラーさんにはない。純粋にコミュニケーションとしての傾聴をする。それを機械的に真似すると、見事にしゃべってばっかり、聴いてばっかりの行動しない人ができる。


2. 時間がなくても始められる「承認」
「忙しくても声かけぐらいできるから」(2011年兵庫工業会での正田講演)
「承認」は最初の一歩のハードルが低い。一歩を踏み出しやすい。


3.「承認」は「みる」「きく」両方にまたがる
そして、著書にも書いたように働く人にとっては、「みてもらいたい」「ああ、みてくれるんだ」というのは、最も根源的な欲求です。


4.「行動する責任感」をつくれるのは心理学ではない、「行動承認」だけ
これは長い読者の方ならおなじみの考え方ですね。そしてすごく大事なところです。
「言い訳が減った」という現象は最近でもありましたが、過去の宿題でも出ています。恐らく報告された以外にも多数例があるでしょう。
傾聴教なら、くどくどした言い訳に延々と耳を貸すところ、承認教では仕事の中で出会いがしらに「○×をやったな」と短く言ってあげればいいだけです。詳しくいうと、結局行動理論で「言い訳してるより行動したほうが、いいことがあるんだな、おもしろいんだな」と思うので、行動のほうが増える。そんなので言い訳が減って有能な人になるのだから、これほど効率のいいやり方はないではないですか。

実は「言い訳たれ」のケース以外に、「ウソつき」が相手の場合、というのも大真面目にあります。健常な範囲と病的なウソつきの場合があります。スマホ時代には「妄想的」な人が冗談抜きで増えるかもしれません。その場合も、相手の言うことと事実を虚心に照合するということをするので、「承認教」の事実認識のトレーニングは役にたちます。逆に下手に「共感的傾聴」をすると間違った解決になるでしょう。


5. 正義と法の精神、トラブル解決の思想
「承認」は単純明快な倫理のルールである一方で、意外かもしれないが、現代日本の法体系すべての基本精神です。就業規則のようなものにも適用される。そしてこのところ「仁義なき戦いの時代」のため、正田は「法」を利用してトラブル解決する場面もあります、読者の方はご存知のように。その場合も「承認」のちょっとした応用でやれてしまいます。
正田でなくても、法学や倫理学の素養のない人でも「承認」はすべてに適用できる基本原理。だれかがだれかを暴言で傷つけた、といった職場トラブルも「これ1本」で解決がついてしまいます。
逆に、素養のない人は冒頭にも述べたように「傾聴」だけ単独で与えても「何が実現すべき正義なのか、何のための傾聴なのか」でつまづくようです。結構な社会的地位のある人でさえも。


6. リーダーとしての「介入力」を育てる
「承認マネジメントの全体像」でいう
「アドバイス」
「教示」
「フィードバック/叱責」
「理念の提示」
を発信する力、受け取る力が「承認」実践につれて上司部下双方に育ちます。
これも仮説で言っているのではなく、リーダーたちの実践を通じてみられてきたことです。



7. 部下は「上司から絡んでほしい」と思っている
これも、もう何年も前から若手社員に詳しい人から指摘されていることです。部下は年上の上司に自分から話しかけてなんかこない。一方上司は「どう話しかけたらいいかわからない」と思っている。
だから、「存在承認」の「声かけ」大事です。また以前承認大賞に輝いた「わからないことを訊いてくれたね」(行動承認)も、大事です。
承認しないで傾聴だけしたって、部下はしゃべらないですよ。


 以上です。


「承認は勇気をもらえるんです。すごく大事なことですね」

と、「承認教」のある友人は言います。

 自分たちで「承認教」「承認カルト」と揶揄してはいますが、これは「12年1位」の自信の裏返しだと思ってください。
「傾聴」は、セミナーではいいかもしれない。あるいは実務でも、場面限定でいいかもしれない。しかし、企業の現場ではほとんどの場合「傾聴」 などしてられない、しかし「承認」はできるのです、普通の指揮命令系統の中で。そして有効、なのです。


 冒頭に書いたことの繰り返しになりますがわたしも「傾聴」をもっとも大事、とみなした時期はあります。それは駆け出しに近い頃、10数年にわたるPDCAプロセスのごく初期の頃の話です。

 その後効果発現メカニズムを吟味することを繰り返す中で、「傾聴」が単独で効果を発揮したと思えたことは他の因子も関与した偶発的な現象である、ということにも気がつきました。まあ、要は先生の正田がもともと「承認的」な人格なので、その人格に曝露した因子が「傾聴」そのものよりも強く働いた、ということなんですけどね。色々考えた結果、現場の忙しいリーダーにとって最優先で、「これ1つだけ心がけておけばいいですよ」と言って手渡すのに最もふさわしいものは「承認」である、という考えに行き着いています。もともと「例の表」の中によくみると傾聴も質問も含めてありますしね。


 その考え方になったあとで2011年から始まる「効果再続出」、そして統計を入れた後の13-14年の「効果爆発」になっているのです。結果は正直なのです。
現場の人がノドから手が出るほど求めているのは「承認」なんです。


 「傾聴教」が強いと、例えばある企業で「傾聴」を導入して、一向にいい結果につながらないなあ、というとき、次に「承認教」を導入しても、受講する側には既に悪い形で免疫ができていて、「また似たようなのがきたよ」と、もう受け付けない。そういう伸びきったゴムのような感性のところに研修をするのはおそろしく不毛です。だから、不毛な遠回りはしない方がいい、効かない薬を好奇心で入れるより効くとはっきりわかってる薬を最初からつかったほうがいい。

 またさらに、「傾聴教」がダメだとなると、こんどはこの手の心理学―コミュニケーション系の研修の類は全部ダメだ、と短絡的な思考に陥る可能性もあります。効く薬あるのに。

 だから、こういう分野って、「効かない薬」をのさばらせておくことは恐ろしい非効率なんです。


 そして最近出会った、なにか背景説明を隠したまま「承認だけが正しいわけじゃない」と、「12年1位」の実績を前にしても強弁する人たちは…、

 正直に言ってください。あなた、傾聴研修を受けて「うっとり恍惚」になったのでしょう。理性でなく本能を刺激されたでしょう。そのときの感覚を過去のものにしたくないのでしょう。それは思い切りあなたの主観ですよね。そして、あなた全然人格のいい人にも強い人にも責任感のある人にもなってないですよね。
 あなた自身が「傾聴教」にかぶれているという主観の問題を、「正田さんの想い」「正田さんの意見」なんていう、主観の言葉で実績豊富なわたしをよごすことに使ってすりかえないでくださいね。


 事実に即して言うなら、「正田さんの実績」そして「傾聴こそがもっとも大事だという一部の人の思いとか意見」こういう言い方をしたほうが妥当だと思います。正田、目の前に地元にいる素朴な女の人ですけど金メダル級の仕事をしてるんですよ。金メダリストは金メダリストとして扱いましょう。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
http://abma.or.jp