『藻谷浩介対談集 しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社、2014年)を読みました。

「現智の人」7人との対話。それぞれ話題と人を挙げておくと、

「商店街」新兼史(社会学者)
「限界集落」山下祐介(社会学者)
「観光地」山田桂一郎(地域経営プランナー)
「農業」神門善久(農業経済学者)
「医療」村上智彦(医師)
「鉄道」宇都宮浄人(経済学者)
「ユーカリが丘」嶋田哲夫(不動産会社社長)

 「まちづくり」「地域」を考えるうえでカバーしておきたい視点。

それぞれの論者の一人語りだけでなく藻谷氏のエネルギッシュな「かえし」があることで話が立体的に飛び込んできます。

 だけでなく、
 「この国の同時代とは、何か」
 これは「戦争」に向かって突き進んでいるかにみえる政治面、あるいは個別の社会面の事件に目を奪われ見えにくくなりそうですけれども、平成26年2014年という時代に日本はどうだったか、を後から読み取る場合には押さえておきたい1冊になるでしょう。

 本書に繰り返し出るように、島国日本は、本来は生き残りやすい有利な条件にある(たぶん軍事上も)。ただしそれを上手くハンドリングできてない、局所には悲惨な状況を作ってしまっている現状には、メディアを含む意志決定層の妄想と不作為や誤った仮説による施策(正田がいう「知的怠惰」とか「ものに驚かない感性」と似たもの)が関わっていることが、個々の対話から浮かび上がります。「脳化」(バーチャル化?)という言葉が繰り返し出てきます。

 年齢的には、年齢を気にするとお叱りを受けそうだけれど新氏が41歳、山下氏46歳、山田氏50歳、神門氏53歳、村上氏54歳、宇都宮氏55歳、嶋田氏80歳。とよくみると年齢の若い順に並んでいた。同世代の「闘士」の方がいらして結構うれしかった。たぶん、「某高齢者世代」以降にできた社会秩序システムに対して、「これの延長線上ではだめだ」「自分の世代で立て直さないとだめだ」と感じる人たちが、バブル世代前後にいらっしゃるのだ。そして場数を踏んで発言するようになっているのだ。と、自分に都合のよいように解釈します。

 わたしは信頼した人を割合長く信頼するところがある、のは自分でも認めます。
 藻谷氏に関しては、最初に触れた著作『デフレの正体』(2010年)では、基となったデータをすべて辿れるわけではない(もちろん手間を惜しまなければ辿れる)ものの「この論証プロセスは正しい」と直感して、開催予定だった「人口減少社会」のよのなかカフェの課題図書にしましょう、共通の土台にしましょう、と呼びかけたのが始まり。
 その次のベストセラー『里山資本主義』ではこれも知らなかった話が多くて自分では検証不可能だったけれど、地域社会の思想「手間返し」「感謝」という概念が出てきたときに、それは「承認教」なかでも「行動承認」と同じことをほかの言葉で言い換えているように思え、「この著者わかってるな」と思わされたのでした。つまり、共同体が上手くいく基本原理を上手く言い当てている、それほどこの分野に関して沢山のPDCAをしてきたとも思えないのに、と。ウチダ語でいえば「先験的に知っている・わかっている」というか。
 逆にこうした経済学、社会学の人たちが「マネジメント」や「コミュニケーション」「人材育成」の分野に踏み込んで発言したとき、どんなに不用意な間違いをしやすいことか、を考えると。
 
 でどういう知的作業をふだんしている人なのか、というと本書の序文によると
「テレビをまったく見ない、ネットも確認せず、本もほとんど読まない」(うわ〜、そこまで言えないなあわたしには)、
そして情報入手手段として
「対話」

「『現場』の『現実』を目の当たりにしての『自問自答』」
の2つを挙げます。
 後者に関しては、
「全国や世界各地に無数の定点観測点を設置し、そこで出会うあらゆる事象を前に、『うわぁ、こんなことになっているのか』『なぜここがこうで、あそこはこうではないのか』と自問自答を繰り返す」。

 本書でも藻谷氏はその独特の地誌学的見聞を大いに発揮します。地理が苦手科目だったわたしなどには驚くべき知性であります。
 自分には「ない」種類の知性なので想像するほかないのですが、多分極めて優れた映像記憶をもち、行く先々で目に飛びこんでくる膨大な情報群をフィルターをかけずにそのまま蓄積し格納し、土地間の比較や同じ土地の経時的な比較が即座にできるようになっているのだろう。比較のうえ「違い」「変化」に敏感に目をとめ、その都度それが思考材料になる、ということなのだろう。
 そうした「生の情報」に触れ続けることは、これもわたしにはない「体力」という要素も入る。身体の体力と知的体力と。
 知的体力のほうは、「新規の情報をとりこむ」と「脳内の情報を書き換える」ことの手間を惜しまない、ということなのかなぁ。。よくわからない。。
 
「とはいえ自問自答だけでは、学びのスタートは切れても、ゴールにはたどり着けません。そのままでは仮説の山を抱えて立ち往生するだけです。仮説を現実に通じる“智識”にまで昇華させていくのに不可欠なプロセスは別に存在します。それが、現地の人ならぬ“現智の人”との対話です。
 “現智の人”とは、特定の分野の「現場」に身を置いて行動し、掘り下げと俯瞰を繰り返した結果、確固たる『知恵』を確立している人のことです」

 つまり、「生情報」に触れ分析を繰り返すことにも限界があり、さらに「“現智の人”と対話する」と言っているのでした。

 そうした藻谷氏の知的作業プロセスを本書は開示するかのような本になっています。

 一読して思うのは、「よく驚くなあ、この人」ということであります。あっちこっちで「えっ」と言ったり「ああそうか!」「目から鱗でした」とか言っている。
  雑誌連載と単行本化の二度にわたる校正を経て、こうしたやりとりを残してあるのは、あえて意図して提示しているようにみえます。対話集としては、もっと「驚かない」で、予定調和の会話で進むことはできるのだろう。過去に読んだ識者の対話集の類では、ホストはこんなに驚いてない。相手が何を言っても「わかったふり」をしてそれなりに自分の言葉で言い換えて。「驚かない」ほうが「賢そう」で「かっこいい」と思いますね。
 「驚く」だけではなく、「悔悟する」「不明を恥じる」「自分は間違っていたんだろうか、と自問自答する」ということも会話の流れの中でやっている。

 それは対話相手の見聞が自分の予測をはるかに超えたものであるとき、恐らく正しい反応でありましょう。会話の中で自己否定を迫られかねない、大幅な書き換えを迫られかねない、それでも情報に肉薄する。それをやり続けられるのは「知的体力」の問題であったり、相手へのリスペクトの問題であったり、あるいは自分のナルシシズムの克服という問題でもあるかもしれません。そしてそれをしなければ「現智の人」から学ぶことはできないのです。
 とりわけメディアがあらかじめある「絵」に固執してほかのものを報じない現実―本書でも「夕張は実は大都市からアクセスのいい土地なのに、僻地だ、不便だ、住んでいるのはかわいそうな人たちだというイメージに描かれ続ける」という話が出てきます―であると、メディアによってつくられた先入観をリアルな対話の中でこまめに覆す作業が必要になるでしょう。
 自己否定をも辞さず驚き続ける知性はこの不定形な時代にも情報をとりこんで拡大していくことでしょう。ただ、現実にあっちこっち動き回れない身としては結局「信頼できる人」を見極めて情報を入手するしかないのか、ということになるのですけど。



 もうひとつ本書では藻谷氏は自分のルーツ的なものを少しずつ挿入しています。
 母方の祖先が今は廃村となった石川県の「新保」という集落の庄屋であったこと。ディズニーランドの開業直前から10年ほど浦安市民であったこと。…
 それは過去にも「対話集」の中で部分的に試みられたことがあるが、今度のほうがより確信犯的におこなっているようです。優れた観察力の持ち主にして、実は論を立てる前提にみている景色があること、いわば主観の出発点があること。有限の自己、有限の客観性を先に認めることによって手のうちをオープンにし論の普遍性を問うこと、それもまた知的作業として重要なことであろうと思います。主観をいちどくぐり抜けた客観、といいますか。
 
 ―わたしの立ち回り先の「困った人たち」も、何が一番困るかというとその人たちがみてきた、よって立つ風景を開示しないことなのだ。先入観が何から出来上がっているか。それはよくみれば「TVで見たから」みたいな貧困なものかもしれないのだ―

 というわけで本書は現代を停滞させる「知的怠惰」への藻谷氏流のアンチテーゼを提示しているようにわたしには読めてしまったのでした。

 個々の対話の中に付箋をつけた、心に残るフレーズが多数ありましたが全部ご紹介すると長くなりすぎるので諦めます。
 個人的には農業の神門氏、医療の村上氏の章が「行間から血を流している」ようでずしっと重たく、村上氏の章の序文(藻谷氏による)の一文「とりわけ医療と義務教育と地域づくりの現場は、無名の超人たちの墓碑銘で埋め尽くされているように思う」。これは無意識に死に所を探している感のあるわたしにとっても(超人ではないですが)身に迫るものでした。
 「鉄道」の章は「愛」が溢れています。ここは著者が(たぶん本来は強調したかった箇所にもかかわらず)「客観」に徹することを放棄してしまった章なのでしょう。
最終章、千葉県佐倉市のユーカリが丘を作った嶋田哲夫氏の話は「やりようによっては、できるのだ」と希望が持てます。
 わたしにとっては個々の分野へ俯瞰図をもらったような読み応えのある有難い本でした。ご興味のある方はぜひ本書をお買い求めください。



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