久しぶりに「ヘーゲル承認論」です。

 再度『承認と自由―ヘーゲル実践哲学の再構成』(高田純、未来社、1994年)より。

 ヘーゲル研究者の人は、「承認」に注目する人とそうでない人とはっきり分かれるんですね。20世紀初めの有名なヘーゲル研究者コジェーブという人は、文中で重要な語を太字にしてるんですが、「自己意識」という言葉は太字ですが「承認」は太字ではなかったりします。それはコジェーブ先生の趣味のようです。


 で1980年代から「承認」に注目した研究が出てきて、比較的新しい流れです。その中でやはり本書『承認と自由』が読みやすいです。


 若い頃のヘーゲルは「愛」をテーマとし、これがのちの「承認論」につながったようです。それもかなり若く、チュービンゲン神学校に在籍した頃(1788-93年、ヘーゲル18-23歳)。

「当時のヘーゲルは古代ギリシアのポリスを模範として、全体と個人、理性と感性とが調和した民族共同体の実現をめざした。」(前掲書p.31)

 それは当時のシラーら新人文主義の影響もあったようです。

「ヘーゲルは、諸個人を調和的に統合するうえでの愛の役割に注目する。…ヘーゲルは、愛のなかに、『他人における自己直観』という承認の原型構造を見出す」(同)

と、「承認の原型は愛だった」というお話です。これ、あんまり認めたくないですね。しかし現代の神経化学物質の知見から言っても多分ほんとうです。以前どなたかに「正田さんは『理性的な愛』というのをやっているんですね」と言われました。

 
 さらに、ベルン期(1793-96年、同23-26歳)には次の段階の思索。

「ヘーゲルは、いかに愛が少数者のあいだでの私的、閉鎖的なものにとどまることなく、多数者のあいだの公共的、開放的なものへ高まることができるかを問題とする。」

 その気持ちはよくわかりますね。
 やがて、ヘーゲルは「愛の限界」に気づきます。フランクフルト期(1797-1801年、同27-31歳)。

「愛はそれ自身では、社会的に開かれた共同体の原理となることはできないことに気づくようになる。…真の共同体が実現されるのは、多数の人々のあいだに平等、協力、連帯などが存在するときであるが、このような社会的、客観的条件は愛自身によって生み出されるのではない
(中略)
愛の承認は身近な人間の直接的コミュニケーションにもとづくものである。ヘーゲルは当初は、このような相互人格的承認にもとづいて社会的承認を理解しようとした。だがやがて、ヘーゲルは愛による相互人格的承認の限界に気づき、これから区別される社会的承認の独自のあり方への探究に向かっていく。」(
同p.42)


 なんで愛ではダメかというと、愛は自己献身、自己否定を求めるものなので、「闘争において示される自己主張、自己肯定が欠けている」からなのだそうです。

 愛だけだと「毅然」とできない、というお話でしょうか、またこのブログでよく出る「依存」を招いてしまうというお話でしょうか。

 1802年に書かれた『自然法』では、「共同体有機体論」というものが登場します。

「民族共同体は『人倫的有機体』であり、諸個人はその『器官』『分枝』であることが明確にされる。」(同p.47)

 ヘーゲルは全体主義者だと言われることもありますが、基本的に全体あっての個、という立場をとった人です。ヘーゲルの使う「自由」という言葉は本書によれば「自由自在」の「自在」にあたるといいます。普通に言われるところの「自由」が他人から制約を受けないという「消極的自由」だとしたら、ヘーゲルのいう「自由」は他人あっての自分であり他人の中に生きる自由なのだと。個人と他人は協働しあって生きるのが前提なのだと。

 なので、わたしたちがイメージするアメリカ的自由とヘーゲルのいう自由はかなり違います。

 以前大井玄氏の言う「アトム型自己観」と「つながりの自己観」を長々と考察しましたが、あれを一般には欧米と東洋の対比でとらえましたがヘーゲルも相当「つながりの自己観」の人でした。生物学者によると、こちらのほうが東洋西洋いずれでも正解なのだそうです。生物としての人間は他者のまなざしの中に自己を見出すものなのだそうです。


 ただ全体がすべてかというと、近代の共同体にとって個人の自覚や自立(「自己知」「対自存在」)が不可欠であり、個人のあいだの相互承認のいっぽうで個人の自覚によって支えられる、ということもヘーゲルは言っています。

 
 『イエナ精神哲学II』(1805-06年)では、愛の弁証法的構造が出てきて、愛が承認の関係であることが明言されます。

「人間は承認されることを必要とする。この必要性は人間自身の必要性である」

 
 さて、こんなにヘーゲル世界に入っていると、こうして「承認」を「所与」のものとして明言する彼の論法に巻き込まれてしまいそうです。イエナ大学時代、結局ヘーゲルは承認論のご同業フィヒテともシェリングとも同僚だったんです。どんな日々だったのでしょうね―、

 ただここで言っていることは現代のさまざまな知見から言っても決して間違ってません。非常な先見性だったといえます。


 このあとは「承認をめぐる闘争」や「法、国家による承認」にも触れたいと思います。


100年後に誇れる教育事業をしよう。  
一般財団法人承認マネジメント協会
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