『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』(和田一郎、バジリコ、2015年2月)を読みました。
百貨店に大卒後就職し42歳で退社するまでのサラリーマン生活で思い残したことを、現在はアンティーク着物のネット販売を営む著者がつづった本。
著者自身のとても「痛い」エピソードが満載で、でも読後感がすごく爽やかな、「大人が書いた」味わいです。
どんなふうに「痛い」かというと、例えば入社式での出来事:
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「……というのに、まだ上着も着ていないやつがいる。社会人として……」
ふと気がつくと、上着を着ていないのは僕ひとりで、あとの同期はいつの間にかすべて上着を着ているではないか。
僕は慌てて上着を着た。
(中略)
この一件は、入社初日から僕の心構えがなっていなかったことを存分に示している。ゲームは既にスタートしていた。
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こうした「うっかりエピソード」程度だとだれもが「あるある」と済まされそうだけれど、
この本では著者がこのあと中堅〜管理職になった時期にいたるまで、仕事以外の夢を追いかけてどこか半身で仕事をしていた自分、仕事に没入するようになってからもどこか方向違いの頑張りをしていた自分、などをさらけ出し、自ら「勘違い」「痛い」と述べています。
「痛い自分」をここまで徹底的にさらけ出せる強さ。凄いですね。
著者は十分に優秀な部類のサラリーマンだった、ということも伝わります。しかし上には上がいた。大組織で役員にまで昇進していく人たちは少々の優秀さではないものを持っている。
この本は著者がアンティーク着物ショップ「ICHIRO-YA」の代表になってから、ブログに連載した文章を書籍化したということで、ブログで自らのサラリーマン時代の悔悟をつづったものが反響を呼んだ、ということです。
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ひるがえって、
わたしはここまで「痛い自分」をさらけ出せるだろうか。
と、このところ内省モードにいるわたしです。
そもそも大した人間でないのに管理職の方々に何かをお教えするということが「おこがましい」の極みです。
その「おこがましい」という感覚についてはこれまでもこのブログの中で何度も触れ、仕事の中でも大事にしてきたつもりでしたが、さて。
拙著『行動承認』で書かせていただいた、奇跡のような業績向上エピソードの数々はいずれも誇大妄想ではなく、事実です。
しかしまた、「承認/行動承認」を導入していただいたときの組織に及ぼせる効果の大きさと、伝えているわたし自身とのギャップがこのところ大きくなりすぎてしまい、そのギャップを扱いかねているわたしがいます。
ところが、そう言っている間にも信頼してくださるお客様がいて、それも非常に優秀な、世間の広い方々から、研修や講演や原稿のご依頼をいただきます。有難いことですね。
「いつもメルマガを見ていますよ。大変なご活躍ですね」
と仰るお客様に、
「ありがとうございます。自慢話ばかり書くメルマガでお目にかけるのがお恥ずかしいです…、
皆様が『そんなに効果があるのなら、やろうか』と思ってくだされば、世の中がより良くなると思いまして」
冷や汗ものでお答えしました。
おこがましさ、痛さ、ギャップ問題は解決しないものの、
このようなもの(承認)をご提供してお客様にお役立ちできる立場にいるというのは、幸せなことです。
しかし内省モードは中途半端になってしまうかもしれません。
100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
http://abma.or.jp
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