先日の「株式会社牧」様に続き、9月から3回の公開セミナーを行う加東市商工会様でも、拙著『行動承認』を事前にお配りいただいたうえでセミナーをすることになりました。

 このセミナーでコンビを組ませていただく松本茂樹先生(関西国際大学准教授、経営学科長)によると、こういう「あらかじめ予習をしてから授業に臨む」やりかたを「反転学習」といい、今大学でも取り入れるところが増えているそうです。

 うれしいことに、今回のセミナーに社員さんを参加させることを決めたある企業の社長さんが、商工会の会長さん(別の企業の社長さん)に拙著『行動承認』を渡して「読め!」と言われたのですって。でもともとの発信元である商工会の会長さんが、本を貰って帰ってきたのですって。


 ところで、『行動承認』を読まれたあとで著者のわたしに会われたかたは、こういう印象をもたれるのだそうです:

「あれ、本を読んだ印象ではすごくエネルギッシュな強い人のように思えたのに、実物はむしろ弱弱しく大人しくて無口な、『おどおど』しているとすら言える感じの人なんだな」

 これも、今後お出会いする方々にも起こる可能性のあることなので…。


 自分なりにどうしてこういうあり方になっているのだろう、と改めて考えてみた結果、出てきた結論は大きく次の2点でした。
 これまでも形を変えてこのブログに繰り返し出て来たことと重なるかもしれませんが…、

1.「管理職に教える」という仕事の要請上、過剰に「情熱的」なあり方ではなくニュートラルでなければならない

2.元々の正田の生物としての能力の凸凹。とりわけ「動作スピードは平均よりやや遅い」ということがわかっているので、それが印象の大半を決めている可能性がある


 1.は、繰り返し出ていることです。
 管理職の抱える現場は多種多様です。そして管理職自身の人格も多様です。これまでの成功体験がどんなにあろうとも、虚心に新しい受講生さんに向き合わないといけないとつねに自分に言い聞かせるわたしです。むしろこれまでの成功体験がなまじあればあるほど、その態度は必要なのだと思います。

 かつ、「管理職の人格」は独特で、若手や中堅よりも「疑心暗鬼」が強いことが多い。それはその人の人生のそれまでの「裏切られ体験」にもよるのだろうと思いますが、
 研修講師という人種に厚顔無恥、臆面のない人格の持ち主が結構いて、本来断言することのできないことを自信たっぷりに断言する人がいて、うっかり研修講師の言うことなど信じるととんでもない下手をうつ。
 
 変にテンションの高い人格など見せようものなら逆に「ひく」のが普通の管理職です。

 だから、正田は淡々とニュートラルなあり方をたもちます。それが「自信のなさ」と受け取られるリスクがあっても。
 ―実際に「自信」など今でも「ない」ですが―

 これまでの蓄積がいくらあっても、それが目の前の受講生さんのもとで再現される保証はない。
 わたしがそのスタンスを保っているから、受講生さんは逆に成果を出される。


 また、これまでの膨大な管理職たちの実践経験をアーカイブとして引っ張りだしたり、神経化学物質や遺伝子学、脳科学の知識まで援用しながら伝える、ということもします。
 そして膨大な情報を取捨選択したすえに「この教育」「この方式」の妥当性がゆるがない、というわたしの確信を伝えていきます。
 「個人のオピニオンのレベルの話ではない」
という確信が持てれば、普通に聡明な管理職の方だと納得して取り組んでいただけます。

 それもこれも、目の前の受講生さんの先に人びとの大きな幸せの可能性が開けているのだと思えばこそ、わたしは自分個人の魅力や自己実現より大切な、慎重かつニュートラルなありかたを選びます。



 2.の「生物としての凸凹」の問題は、さまざまな人材育成分野のツールに加えて、最近WAIS-IIIという知能検査の詳しいのも受けました。
 こういうお話も、「ひく」人は少なからずいるのでしょうけれど。
 その結果わかったのは、おおむね高いレベルの中でところどころ「抜け」があるのがわたしの知能で、
 今回は

「動作スピードが平均よりやや遅い」
「視覚的情報をとっさに判断する力が平均なみ」(こちらは平均をやや上回る程度だがほかの指標に比べると大きく落ち込んでいる)

ということがわかりました。


 たぶん、「動作スピードの遅さ」は、仕事内容によっては有能・無能の決定的な分かれ目になるところかもしれないし、「視覚的情報―」うんぬんは、多分初めていく場所や初対面の人をやや苦手とする、これもこどものころから傾向としてありましたが、そういう特性につながっているでしょう。
 初めてあう人に対しては、自分のあまりよく働かない神経細胞をフル稼働させるために「まじまじとみる」傾向もあるかもしれません。それが「おどおどしている」という印象につながるかもしれません。

 そしてその2つを印象として強くインプットする人は、わたしのことを「能力が低い人」と評価するでしょう。

 いいんですけれどね、別に。

 
 優れた成果を出した受講生さんは、もともと優れた能力の持ち主だったのです、わたしなどより、はるかに。


 遺伝と「相対優位」の関係を扱った議論は、『遺伝子の不都合な真実』という本の中に出てきます。
 こちらの読書日記などをご参照ください

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51822753.html

 この記事の、かなり後半のほうですけれど、「相対優位」を使った「利他的互恵関係」という言葉。
 なんかいい言葉でしょ?
 だからイチローは野球をし、球場のお掃除の人は掃除をして、それぞれ社会に貢献するのです。

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 「信念」や「情熱」をもつことの功罪。

 それらがわるさをする場合もあります。
 ただし、「信念」も「情熱」も本来リーダーには不可欠のものです。
 これまで成果を出されたリーダーには、必ず「このままではいけない」「こうでなければならない」という、やむにやまれぬもの
 ―ひとことで言えば「信念」「情熱」―
がありました。

 それらが科学的で正しいものであるとき、「承認」はその人にとってきわめて大きな武器となります、というお話を過日しました。
 
 世の中まれには「邪悪な信念」や「はきちがえた情熱」というものもあるでしょう。刑事事件に発展しそうなそれもあるでしょう。わるい目的のために「承認」を使うことまでは想定していません。それはお医者さんが医療用医薬品や医療用具をわるい目的に使うことまでは想定できないのと同じです。


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 そして「教えられること」に反発することの功罪。

 コンサル業界には数年前の一時期「OJE(On the Job Experience)」という言葉が流行ったことがありました。これは「OJT(On the Job Training、昔ながらの「技能伝承」に近い、上司部下、先輩後輩間の「教える―教えられる」の関係)などもう古い、上司先輩の持っている知識は陳腐化し現代には通用しなくなった、これからは人から教わるのではなく経験から学ぶことだ」という考えからきていました。最近は幸いあまりきかなくなりました。

 極端から極端に振れる議論というのはあるもので、時代がどんなに移り変わっても上司先輩から部下後輩に「教える」部分はなくなりません。そしてその「教える」作業を信念をもって行えなくなった上司先輩が増えたことを見聞きすると、こうした「OJTよりOJE」といった議論は、罪深いことをしたなあ、と思います。ああそういうのにくみしないで良かった、とも。

 往々にして今どきの若手は上司先輩に質問せずにネットのQAサイトなどで質問し全然よその人から回答をもらう、しかしそれがその企業・組織の方法論とは合致せず困った事態を引き起こすというのをききます。
 また最近のNHK「クローズアップ現代」では、登山ブームの中で経験豊富なリーダーの言うことをきかなかったりそもそも経験のある人をパーティに入れないで出発して遭難する人が後を絶たない、という話を取り上げていました。「自分の経験にこだわる」態度は、「他人の経験をリスペクトしない」態度をも生みます。
 これも「承認の不在」というカテゴリに分類できるのかもしれないですが。

 一般的には「教えられる」ことへの反発(リアクタンスといいます)が強く働きやすいのはナルシシストがそうなりやすいです。また認知特性としては…、このブログでよく出てくる「ある認知特性」の人たちも反発が強く働きやすいです。「自分の経験」に固執しやすいです。―


 誤解されかねないのでわたしのスタンスはどうなのかというと、上司や先輩からの伝承と自分の独自の経験とどちらも大切で学ぶ価値のあるもの、どちらかに偏重するといいことはない、というものです。そして「教える」というのは今の時代、結構な信念と勇気を要することなのでその営みを否定すべきではない、とも。


 もしわたしが「上司や先輩の言うことを盲目的に信じるのではなく、経験からも学べ」という趣旨のことをどこかで論じるとしても、もっと「功罪」にきちんと触れながら語るでしょう。
 また、上司先輩の側が自分の信念に妥当性がないのに押しつけてくる、という場合には、その人はセルフモニタリング能力に難がある可能性がありますね。往々にして「自己理解の欠如―すなわち、自分独自の特性がその経験につながっているという要素をみないで他人が同じことをできるように思う―」がそれにつながりやすいので「承認研修」のなかではしつこいぐらい「自己理解、他者理解」をとりあげます。


 ちなみに「傾聴研修」の中では、「話を聴けないのはどんなときか」のくだりで、「先入観の罪」の話をします。「学びの場も『聴かない態度』をつくってしまうことがあります。こういう研修で教わったことがすべてだ、と思って現実に起きていることを軽視するようなことはしないでください。わたしもじゅうじゅう気をつけて慎重にお伝えするようにしていますが、みなさんももしこの研修でお伝えしたことと現実が一致しないことがありましたら、とりあえず現実のほうを信じるようにしてください」というお話をかならずします。
 
 まあ、どれだけ良心的につくりこんでも、「わかる人にはわかる」でしかないのですが…、


 ああ、こまかく論争するとつかれる。


(一財)承認マネジメント協会
正田佐与