このブログでは過去、『報酬主義をこえて』という本を徹底批判しました。今読んでも、行動理論という当時すでに確立された理論について面白くないとかみついた、それに大層な理屈をまぶしつけた、不愉快な本でした。

 「確立されたものだから、面白くない」
というゆがんだ情熱に動機づけられた本は、独特の邪悪な匂いをはなつのです。
 去年STAP細胞の記者発表をした(のちに亡くなった)学者さんも、iPS細胞への対抗意識をむきだしにしていましたねぇ。またそれに近いものは、ここ2−3年流行っているべつの「心理学」―これもわたしからみると、心理学というより極論のオピニオンに近いのだが―にも感じます。

 余談になりますが大学教育でまた「教養」を否定する流れがあるとき、「実学」もいいのですがこういう、
「変なものに騙されない能力」としての「教養」は継承され得るのか、と心配になります。


 そしてそれに続き、巷にある「大人の学び」なるものを批判しなければならないところに来ているのかどうか―。
 批判ということは、するのは「大人げない」のですが、言語化することでほかの方の頭の中にもあるモヤモヤしたものを具現化することができるようだ、というのも思います。だれかがどこかで言語化しないといけない。


 この件に関してまだあまり固まっていないのですが、今の私の中に出来上がりつつある見方は、


 「『大人の』も『学び』も本来、使うに値しない。いうなれば『意識高い人(痛)のための参加型情報番組』という呼び方がふさわしいのではないか」

ということです。

 主宰者の大学の先生の、「大人の学びはあくまで個人の学びの入り口」という言葉がほんとうであるなら、所謂「大人の学び」という楽しいイベントのその先には自発的に求める克己的求道的な厳しい学びの世界があるはずであり、それこそがほんとうは「大人の学び」とよぶに値するはずでしょう。英語でもなんでも何かを「習得した」といえるレベルになるには相応の時間数が必要で、自分の従来のキャパを打ち破ろうとするような克己心や集中力も必要です。

 何の負荷もかからない、TVの情報番組のように早いテンポでぱっぱと移り変わり仕事の息抜きにはいい、所謂「大人の学び」のところにいつまでもとどまっていたら、

「まだそんなことやってるの!?ガキじゃないの」

とバカにされるのが正しい、のではないでしょうか。


「いや、つかれてるから本当は何も学びたくないんだ、ただ新しい情報がぱっぱと入れ替わるのをみると息抜きになるんだ」
という需要に心優しく応えるのを「大人の」というならべつですが―。


 ただ所謂「大人の学び」は、異業種交流というお土産もあるから、「夕活」ブームの中で一定の地位を占めるでしょう。

 しかし「学び」というものの中には、一方の対極にわたしがやっているような「修練」「習得」に重きを置いたような学びもある。こちらはむしろ本当に種もしかけもない。しかし、それを「学ぼう」と決意した人、というのはある意味、その時点で大いに「大人」なのです。

 「真摯さ」を嘲笑のタネにしたい、という歪んだ心理も世の中にあるのは承知していますが―、
 往々にしてそうした心理は、「邪悪」のレベルまでいってしまいます。そちらを肯定してしまうと極端な話、「いじめ」にまでいってしまいます。
 これも「功罪の比はどれくらいか」という話になるのですが、「真摯さ」がわるさをする確率は「あるにせよごくまれで小さい、多くの場合は良い方向に作用する、わるい兆候がみえた場合には待ったをかけることも必要だが兆候がみえない場合には肯定しておいてよい」です。医薬品の副作用のようなものです。
 「真摯さがわるさをすることがある」ということを論じる場合には、「そういう功罪比である」ということが読み取れるように語らないといけません。

 そして仕事の現場は「真摯さ」のかたまりです。


 「大人の学び」という、大人げない名称を変えてくれるならいいのではないでしょうか。

(「大人」を自称する時点で「大人」ではない、という見方もできるかもしれませんね…)


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 こうした問題を考えるとき、わたしはどうしても「ラインマネジャーとスタッフ部門の人の人格の違い」ということにも思いを馳せます。

 たとえば、「情熱」はどちらかというとラインマネジャーのほうに多い。スタッフ部門の人には、生得的に少ないのではないかと思える人が多い。それは加藤清正と石田三成の違い、をイメージしていただければわかるでしょうか。

 自分が生得的に持ち合わせていないもの、というのは、不気味にみえたりするものです。

 だから、スタッフ部門の人に「受ける」話をしようと思えば、ラインマネジャーの「情熱」を笑いのめすというネタもあり得る。

 しかし現場的にはそれは間違いだったりする。


 この業界に入ってから10何年、こんなことばかりです。


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 ・・・あと、こういうことを言うと関係者のかたを傷つけてしまうかもしれないんだけれど、

 際限なく新しいことを言ってあるいは自己矛盾するようなことをわざと言って混乱させ、ひっぱりまわし、受講生にいっさい「達成感」を与えない、というやりかたは、「自己啓発セミナーの教祖」もおなじことをするんですよねえ。永遠に自分が優位に立てるんです。あくまで似ている、というだけです。ついていく人は、際限なくついていきます。