本業(のお勉強)に戻ります。


 このところ思うのは、

「承認欲求―承認―ナルシシズム」の関係は、「食欲―食事/栄養―肥満」に限りなく似ています。

 適切に与えている限り、いいもの。不足すれば栄養失調になってしまいます。
 まれに食欲のコントロールができない人がいて、むやみに摂取して肥満や成人病になってしまうこともあります。

 でもそういう個体の人がいるからといって、食事/栄養が大事なものだということを否定できるわけではない。それは極論です。不足することのデメリットのほうがはるかに大きい。


 そんなことを考えるのは、このところ「承認研修」でも新しい試みとして、宿題を出すときに「部下の行動変化までみてください」ということを言っていて、
 するとわずか1週間の期限の中でも

「よりすすんで他の人のフォローをしてくれるようになった」
「仕事の問題点について意見を言ってくれるようになった」

などの部下のプラスの「行動変化」を観察して、報告してくださるのです、受講生さんが。

 なので、「ご飯を食べたりサプリを飲んだらより健康的になって活動的になった」というぐらいか、それ以上のはっきりした変化が短時間でうまれている。ご報告がウソじゃないとすると。


 そうすると、なんでこんなにはっきり有効なものが今まで発見されなかったか?という話になりますが、

 やっぱり「モチベーション」を学問とか理論として語る、学者さんやコンサルタントさんと、組織の末端の人たちの人格や立場の違い、ということを思います。


 「人格の違い」ということでいうと、学者さんやコンサルタントさんでそこそこ有名になった人たちは、「自らを恃む」気質が強い。いわば「外発、内発」の分け方でいうと、「内発的動機づけ」の力が強く、「自分の功名心」とか「克己心」のためにがんばる。相対的に、他者との人間関係で一喜一憂する傾向は弱い。「ない」のではなく「相対的に弱い」だけなのですが。

 ほんとうはこの人たちも、親ごさんに喜んでもらったり尊敬する師匠に「OK」をもらったり、と嬉しい「承認」の場面はあるにはあるのですが、この人たちのプライドが、「自分の原動力はそれなのだ」と思うことをゆるさない。

 また立場の違いでいうと、そこそこ有名になった学者さんやコンサルさん、という立場ですと、「〇×先生」と人から呼ばれ、すでに「社会的地位からくる承認」を受けているのです。 

 「承認」は決して「ほめる」といった、「狭義の承認」だけを意味していない。会社勤めの人なら、朝来て「おはよう」と言ってもらったりちょっと話しかけてもらうだけでも広義の「薄い」承認は受けています。また地位役職からくる「名誉欲」を刺激するタイプの「承認」もあります。

 学者さんは、「自分はほめられなくてもいい」と思っているかもしれないけれど、実は「先生」と呼ばれたり相応の扱いを受けることにはものすごくご執心だったりする。うちの近所の大学にも、学内で他の人がイベントをするのに招待されないと、あるいは開会あいさつの役割を振られないと、すごくふくれる「めんどくさい」ので有名な先生がいます。それも要は「承認欲求」なんです。そうした大人げない振る舞いをみる限り、むしろその人たちにとって「根源的」なことだ、と思います。


 ともあれ、感情認識能力の弱い学者さんコンサルタントさんがどう思うかに関わりなく、「承認欲求」は根源的なものです。
 適切なやり方で満たしてあげる限りいいもので、元気になれます。また、有能になります。(当協会で「行動承認」という言い方をこのところよくするのは、その「適切に満たす」ということを意図しているからです) 逆に不足するとこころを病んでしまったりもします。
 また性格的に「過剰摂取」になりやすい一部の人については―、確かに「めんどくさい」です。ただそれは全体のメリットからいうと副次的な問題です。

 そして、一般に組織の末端のほうにいる人たち、何の地位もない若い人や、またわが国においては「承認されない」傾向の強い女性たちにとって、「承認」が供給されることはどれほどの恵みの雨か、こころの栄養になるか、は社会的地位の高い人たちにとっては想像を超えているでしょう。


 「承認中心コーチング」(近年では「承認マネジメント」ということが多い)が過去10数年にわたってコンスタントに成果を挙げ続け、今も宿題ではっきりした「行動変化」を作り続けるのは、要はそういうことだと思います。


 そして、これほどに本来「根源的」であるものが、一般にはまだそうと位置づけられないし適切に供給されないということが、わたしの心には繰り返し悲しみのもととなります。


 今も「ほめない子育て」「ほめない教えない部下育て」のような文言が大手新聞社のメルマガで入って来て、ほめるはあくまで狭義の承認だけど「承認欲求」自体をを否定すると弱い立場の人が可哀想だ、とそれをみてわたしなどはおもっています。ほめるはダメで勇気づけだけはいい、ということの根拠が全然わからない。(勇気づけもご存知のように「承認」の一形態です。わるいものではないがそればかり単独で使うとちょっと危ない)こういう「食事/栄養」のような大事な問題であれもこれも言って振り回すのは正直やめればいいのに、と思う。

 栄養学みたいに、はっきりとスタンダードなところがあるのが、こういう問題は正しいのではないか、それと「バナナダイエット」「納豆ダイエット」みたいなことは切り分けたほうがよいのではないか、と思います。


 さて、この記事は久しぶりに「ヘーゲル承認論」を書こうと思ってそれの前振りのつもりで書いていたのですが、ここまでで既に長くなってしまいました。


 現代ドイツの教育学で「承認論」を使ったアプローチが隆盛のようです。次回はそれの読書日記を書こうと思います。



(一財)承認マネジメント協会
正田佐与