『人間形成と承認』(L・ヴィガー+山名淳+藤井佳世編著、北大路書房、2014年7月)の読書日記の後半です。


 ここでは、ある少女「ヤニカ」のインタビューが出てきます。ヤニカは実科学校8年生を落第し、暴力行為のため退学となり、数日間の少年拘禁に処せられたあと生活支援グループホームないしは保護施設へ移される、というタイミングでインタビューに応じました。

 少女が非行に突き進む痛ましい事例の中に「承認欲求」「承認」はどう関わっているでしょうか…。


 「承認欲求」「承認」の問題行為への契機の側面について、当ブログではこれまであまり触れないできました。どちらかというと、世間の「承認欲求本」のほうにそれらの情報はあふれているから、という判断でした。

 しかし、この「ヤニカ」のインタビューは平凡ではあるが痛ましいものであるだけに、あえてご紹介したくなった次第です。

 当協会の教育に触れ、承認を「与える」能力を既にもった大人の方々は、無数の「ヤニカ」をそれと知らずに救っているかもしれない。そしてこれからも救えるかもしれないとの希望のもとに。


 以下、かいつまんで「ヤニカ」の事例をご紹介しますと、
 
 ヤニカは当初「基幹学校」(ドイツの中学生年齢の子が通う職業訓練校のようなもの)に通っていましたが、「通訳になりたい」と希望し、基幹学校には英語のクラスしかなくフランス語やイタリア語も習いたかった、レベルも低いなどの理由で、基幹学校で良い成績をとって実科学校に転学しました。

 ところが、実科学校に行くと、ヤニカの知識不足が明らかになりました。実科学校の教師たちは彼女が遅れを取り戻すことに積極的には手を貸しませんでした。ヤニカは7年生に編入しましたが実科学校5年生6年生の教科書をもらってしばらく独学で頑張りました。しかしその努力は実を結ばず、ヤニカの成績は8年生でさらに下がりました。

「ヤニカは授業への興味を失い、8年生を繰り返すことになった。そのクラスで3人の女子生徒と知り合い、彼女らといっしょに授業をサボり、挑発的な態度をとり、他の女子生徒を殴ったりした。」(p.114)

「実科学校は「それまでの家庭環境を超えた、将来のよりよい人生へのチャンス」を約束してくれる。そのため、抵抗にあってもヤニカは転校を言い出し、実行する。けれども、実科学校での成功とそれにかかわる承認は達成されないままである。基幹学校では優秀な生徒の一人であったが、実科学校では求められる知識や能力の面で遅れを取り戻せないため、その立場に再び立つことができない。彼女は軽蔑的に「天使」や「ガリベン」と呼ぶ他の生徒の成功を知っている。そして、授業の課題や校則にあからさまに背を向け、要求されることに取り組むのではなく、やりたいことだけをするようになる。」(p.115)

「コンフリクトのダイナミクス、すなわち学校での問題やコンフリクトの激化、家庭内の立場をめぐる闘争の激化、そして学校外での暴力の激化は、次のジレンマから生じている。すなわち一方では、職歴や社会的地位に決定的な意味をもつ場所、つまり学校での成功や承認を得るための努力がうまくいかなくなり(または、思い描いていた職業上の目標が結果的に実現できなくなり)、他方でヤニカは(学校や家庭や祖父母のもとで)ますます排除され、根本的な承認の拒否を経験しなければならないにもかかわらず、優越した人物という自己像や成功への要求に固執する、というジレンマである。」(p.116)


 ヤニカは、学校が彼女に与えたダメというレッテルが彼女の自己像と矛盾したため、学校そのものを否定しました。
 ヤニカは、判決後に送られた施設でも若者グループ内でイニシアチブをとり続け、インタビューの中でさえもインタビュアーとの間で優位性をかちとろうとします。彼女のすべての行為は「優位性を効果的に自己主張し自己描写するという課題」のためになされるのでした。すなわち、ヘーゲルの見出した「承認をめぐる闘争」でした。


 こうした「ヤニカ」の事例について、本書では続いて学校の役割について考察し、その中心的な観点は以下の4つであるとします:

ヽ惺擦砲ける公的、法的な関係の基礎。そこから発生する関係者にとっての権利と義務

学校が備える制裁力。もし生徒が義務を怠る場合、教育的な介入または規制措置を行う権限をもつ。

3惺擦人間形成(ビルドゥングス)ないしは教育という課題をもつ。生徒の個別の条件を考慮しつつ、必要な知識、能力、技術、価値観を伝達しなければならない。

こ惺擦備える選別機能。生徒の成績評価をし、異なる教育の進路に割り振る。

 
 著者の見解では、中核的な矛盾はとぁ△垢覆錣舛垢戮討了劼匹發紡个垢訖祐峽狙ないしは教育という課題と、学校のもつ選別機能との間の矛盾だといいます。


 ヤニカをめぐるここまでのお話、いかがでしょうか?

 わたしなりの理解は―、

 ヤニカは、「承認」を人並み以上に求めるタイプの少女だったかもしれません。彼女にとっての「承認」は、「突出して優れていると認められること、優位に立つこと」を意味しました。それは彼女独自の「価値観」あるいは「ニーズ」の世界であったかもしれません。
 
 こういう性向の人が望むような「承認」を得られるのは、それに見合うような突出した「能力」「才能」を幸いにももちあわせている場合だけです。
 残念ながらその均衡がとれていない場合、極端な場合にはヤニカがそうしたように暴力に頼って周囲を支配し、「承認」を得ようとする、ということが起こり得ます。
 また自分の望むように自分を評価してくれない周囲を完全否定することによって自己評価を守ろうとするかもしれません。

 こういうタイプの人がもし身近にいたら何がしてやれるのだろうか?

 賢明な読者のみなさまのご判断をあおぎたいと思います。



 本書ではこのあと「ドイツの教員養成」についてのお話が続きます。2000年のPISAにおいてドイツは読解(総合能力)で21位、「数学」と「科学」でそれぞれ20位という不名誉な結果となり、それに伴って教員養成の在り方が議論されたのでした。
 
 ここには教育の達成をみる指標として学業成績だけではなく人間形成を、という著者の主張も読み取れますが果たしてそれは可能なのですかどうか。

 とはいえわが国でも、過去にこのブログに登場された何人かの優れた先生方は既に取り組んでおられ不可能ではないのでした。



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正田佐与