『見て見ぬふりをする社会』(マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社、2011年12月。原題’Willful Blindness!)という本を読みました。

 表紙には、「見ざる言わざる聞かざる」のイラスト。巨大組織の中で、忙しさや疲れのために、また拝金主義のために「本来見えるものを見ようとしない」人々の行動に焦点を当てています。
 以前伊丹敬之氏の講演に出て来た「偏界曾て蔵さず(真理は現れているものだ、ただ目が曇って見えないだけだ。道元の言葉)」という言葉にも通じそうですね。

 久々の「判断を歪めるものとの闘い」の更新になります。著者のマーガレット・ヘファーナンは作家。ハフィントン・ポストのブログの寄稿者でもありTEDでの「意図的な無視」や「生産性を上げるのにスター選手はいらない」に関する講演をネットでみることができます(ので、この人の存在を知り、検索してこの邦訳書があるのを知りました)

 「見て見ぬふり」に関する非常に多数の事例と人物の登場する400ページに及ぶ分厚い本なので、読書日記も長文になることをお許しください。登場する主な事例にはBP社の製油所爆発事故、エンロン、サブプライムローン、イラクのアプグレイブ刑務所での米軍による虐待事件などがあります。

 長文に備えて、本書の章立てを先に出しておきます。大枠でどういうことを主張している本なのか把握していただくために―。

日本語版刊行に寄せて
第1章 似た者同士の危険
第2章 愛はすべてを隠す
第3章 頑固な信念
第4章 過労と脳の限界
第5章 現実を直視しない
第6章 無批判な服従のメカニズム
第7章 カルト化と裸の王様
第8章 傍観者効果
第9章 現場との距離
第10章  倫理観の崩壊
第11章  告発者
第12章  見て見ぬふりに陥らないために
謝辞

それでは恒例の抜き書きです。なお、それぞれの抜き書きは厳密な引用ではなく本書の文章の要約です。引用をされたい場合には本書をお買い求めくださいね。


●大規模な事故や災害の前には、後悔してもしきれないパターンがあることが多い。早い時期に何度も警告(シグナル)が発せられていたのに無視されていたとか基本的な想定に誰も疑問を持たずにいたなどの状態がある。福島原発は見て見ぬふりの典型的な事例だ。早い段階で危険を知らせる兆候がいくつもあったが、複数の人や組織がそれを深刻に取り上げようとしなかった。

●彼らがそうしないのは、知りたくないからだという場合が多い。疲れすぎているとか、他に注意をそらされている。同時に複数のことをしなければならず、それぞれのシグナルを関連づけて考えるだけの時間も認知の容量もない場合もある。もっとも重要なのは、彼らが悪いニュースは絶対に歓迎されないと考えていることだ。

●法学者キャス・サンスタインは、同じような考えを持った人々を数人集めると、反論が出ないだけでなく、互いに影響しあってみな持論が極端になることを発見し、「集団極性化」と名づけた。サンスタインのグループを使った調査では、広範囲に及ぶデータと反論を提示されても、人々は現在の自説の根拠となるような情報にだけ集中して読み、自説と対立するものにはあまり注意を払わなかった。全体として、人々は自説に有利な情報を探すのに、反論を検討する際の二倍のエネルギーを注ぐ。

―人は自分の好むオピニオンを好む、ということですね。

●インターネットの大きな強みは類似点の多い人々のグループを作り、さらにそのグループ同士をつなげる力にある。我々は新聞と同じように、ブログを読む際にも自分が同意できるものを読む。

―ネットが無限の情報にアクセスできる装置なのかというと、やはり好みによって偏った情報をとりこんでしまうようです。Amazonもこれまでの購買履歴からお勧めしてきますしね、やはり時々リアル書店に行って全体ではどんな本が売られているのかみたほうがよいですね。

●バートン(神経科医)は偏見によって我々が何かを固く信じてしまうメカニズムを理解し、それを防ぐ方法を模索している。「脳は過去に認識したことがあるものを好む。なじみがあるものが好きなのだ。だから見慣れているものはすぐに見える。なじみがないものを見るには時間がかかる。あるいは意識の上では存在を認知せずに終わるかもしれない。それを見たくなかったからだ」

●偏見のできるプロセスは川床ができるプロセスに例えられる。一か所に長く住んだり、ある経験や友人や考え方に慣れたりすると、水は速く、容易に流れるようになる。抵抗がどんどん減っていく。抵抗がないことによって我々は居心地の良さや、安心感や確信を得る。しかし同時に、川の両岸の壁はどんどん高くなっていく。こうして見て見ぬふりがはじまる。意識して積極的に見て見ぬふりをするのではなく、一連の選択の結果、ゆっくりと、しかし確実に視界が狭まっていくのだ。そしてこの経過でもっとも恐ろしいのは、視野がどんどん狭くなっていくと、さらに居心地よさと自信を感じるようになることだ。

―ある主張で徒党を組んでいる人たちの視野が極端に狭いことがあるのを経験したことのある人は多いと思います。それは政党でも宗教でもどこかの有名大学のゼミでも。素人でも思いつくような反論を彼ら自身では思いつくことができない。わたしは去年から今年にかけて、「仲間」というものの居心地の良さと脆弱さを感じる経験をしました。「承認」という、外形的にはカルトにみえなくもないものを標榜する人々が集団をつくると、よほど気をつけないと視野狭窄になってしまうでしょう。


●人間は自分を好きになれ、安心できるような人間関係を探して守ろうとする強い傾向を持っている。だから似た者同士で結婚し、自分に似た人ばかりが住む地域に住み、自分に似た人たちと仕事をする。こうしたものを鏡にして自分の価値を確認している。

―私はつい「承認」というあまりにも正しいことが自明のものを、受け入れられる人そうでない人について考えてしまうのですが、「群れ」で思考するタイプの人は受け入れたがらないようですね。その人の属している「群れ」が、自明のことを正しいと受け取ることを阻んでいると感じます。


●愛は幻想に基づいているほうが長続きする。心理学の専門家グループが交際中のカップルを調査し、相手をどう見ているかを分析した。すると相手を理想化して見ている方が付き合いは長続きする可能性が高いことがわかった。本人がそう思っていない美点があると恋人が考えている場合、その恋人たちの関係に対する満足度が高い。

●ロンドン大学のチームは脳のどの領域が愛に反応して活性化するか調べた。その結果、あまり意外ではないが、愛によって活性化するのは報酬をつかさどる領域であることがわかった。食物や飲み物やコカインを得たときに反応する細胞が愛にも反応している。さらに愛情は死の恐怖さえ減少させることがあると示唆する証拠もあるようだ。

●愛によって活性が止まる領域。愛する対象のことを考えているとき、脳の二つの領域は使用されない。一つは注意や記憶や否定的な感情をつかさどる領域だ。そしてもう一つは否定的な感情と社会的な判断と他者の感情や意図の判別に使われる領域だ。つまり、愛によって脳に化学反応が引き起こされ、愛する人について批判的に考えられなくなる。

●愛が重大な悪行に目をつむらせた1つの例は、カトリック教会での児童虐待スキャンダル。教会への畏怖、両親への愛情、伝統を重んじる気持ち、このすべてのせいでコミュニティ全体が、間違いなくわかっていたはずの事実に目をつぶっていた。

●ナチスでの例。1942年以降ドイツ第三帝国でナンバー2の権力を持っていた建築家のアルベルト・シュペーアの見て見ぬふりは、ヒトラーへの愛情が大きな動機になっているという。シュペーアは若い頃ヒトラーに夢中になっていたので、ナチの残虐行為についての話を耳にしても何が起こっているかわかっていなかった。1944年1月、シュペーアはヒトラーの側近の間の権力争いで力を失い、そしてヒトラーの悪行の証拠をあらゆるところで見るようになった。シュペーアはひそかに命令を無視し、指示を無効にして、ヒトラーの焦土作戦を妨害した。10週間ぶりにヒトラーに会い握手したとき、シュペーアは考えた。「ああ、こんなに醜いと、いままでどうして気づかなかったんだろう?」


●エモリー大学のウェステンは熱心な民主党員と熱心な共和党員を15人ずつ集め、政治的な資料を読んでいる際の脳の状態をfMRIで調べた。実験の結果、熱心な党員である被験者は反対陣営の候補者の矛盾にはるかに厳しい反応をすることがわかった。「被験者たちはライバル党の候補者の矛盾を発見するのにはまったく問題を感じなかった。しかし自分が支持する候補者に関する問題がありそうな政治的情報を読んだときには、苦痛を作り出すニューロンのネットワークが活性化した。脳は誤った論法で苦痛を押さえ込む。しかも非常にすばやく。感情の統制をつかさどる神経回路は信念を利用して苦痛と葛藤を取り除いたようだ」

●ウェステンの実験で脳が用いている報酬回路というのは、麻薬中毒患者が一服したときに活性化するのと同じ部分である。つまり、自分と同意見の考えを見つけたとき、あるいは不愉快になるような考えを排除できたときに、人はお気に入りの麻薬を一服やったときの中毒患者と同じ陶酔と安心感を味わっている。

―フェイスブックも基本有名人のタイムラインは「そうだそうだー」の大合唱になりますね…


●不愉快な異論を、それがどんなに正しくても認めようとしない一例。医師アリス・スチュワートは1956年、妊娠中の母親に対するレントゲン検査が子供がガンにかかる確率を劇的に増加させることをデータで示した。しかし医師たちはその後25年間、妊娠中の母親たちにレントゲン検査を実施し続けた。1980年になってようやく、アメリカの主要な医療組織が実施をやめるよう強く推奨した。なぜそこまで時間がかかったか。アリスが離婚歴のある二人の子持ちの女性という型にはまらない科学者であることも不利な要因だった。当時の大病院は最新鋭の放射線機器をそろえていた。またアリスの発見は当時の科学界の主流となっていた重大な説を覆すものだった。当時、放射線を大量に被曝すれば危険だが、これ以下の値ならば絶対に安全だという閾値が必ずあるという閾値説が支持されていた。しかしアリス・スチュワートはこの場合、胎児にとって放射線はどんなに少量でも有害であると主張した。アリスの主張は科学者たちに認知の不一致を呼び起こした。アリスの説は間違っていなければならない。でなければ、他のあまりに多くの仮説を検証し直さなければならなくなる。

―人の命に関わる重要な発見が25年も黙殺された、というお話です。アリスの説が広く採用されるまでに数百万人の妊婦がレントゲン検査を受けたといいます。正田は10何年になりますがまだ未熟だなぁ。「女性」という要素が関わっているふしもあり少し長く引用してしまいました


●認知の不調和説。相いれない二つの考えが生む不調和は、耐えがたいほど激しい苦悩をもたらす。その苦悩、つまり不調和を減らすもっとも簡単な方法は、どちらか一つの考えを排除し、不調和をなくすことだ。科学者たちにとっては自説を捨てないことの方が簡単だった。

●認知の不調和説を提唱したフェスティンガーによれば、人はみな首尾一貫し、安定していて、有能で、善人であるという自己像を必死で保とうとしている。その人が一番大切にしている信念は、本人や友人や同僚から見たその人自身の人となりの核となる大切な部分だ。自己意識を脅かし、痛みを感じさせるものは、飢えや渇きと同様に危険や不快さを感じさせる。大事にしている考えを揺るがされることは、命にかかわるように感じる。だから我々はその痛みを減らすために、自分が間違っているという証拠を無視し、あるいは自分の都合のいいように解釈して、必死で抵抗するのだ。アリス・スチュワートの説がもし正しいと認めるとしたら、医師や科学者たちは、自分たちが患者に危害を加えていたという事実を認めることになる。


●経済モデルでも、こうしたイデオロギーと同じようなことが起こる。そのモデルに合う情報は取り入れ、組み込むが、当てはめられない情報は排除する。

●我々は自分の経済モデルや個人的な持論を大事にする。それはどういう人生を送り、誰と親しくなり、なにを支持すべきかという決断を容易にするからだ。我々の内面の奥深くにある自分自身というものは、我々の人生のすべての側面にとても深く関わっている。あまりにすべてに関わっているので、我々はなにを見、記憶し、吸収するかを選択するのにどれだけ深く関わっているかを忘れているかもしれない。

●元FRB議長のグリーンスパンは、ロシアからの移民で作家兼経済自由主義者のアイン・ランドの熱心な助手だった時期に世界観の重要な部分をつくられた。グリーンスパンは、政府による規制や制限から解放されれば、人はもっとずっと自由と想像力と富を得ることができるという彼女の信念を、まるである種の宗教のように熱く信じていた。ランドの世界観では、成功した者はすべての抑制から解き放たれ、自分の才能をフルに表現でき、喜びと達成感を味わえる。それを目標としない者は寄生者であり、脱落し、消えていくだろう。

―見事に「自己実現者礼賛」の人間観、世界観ですね。こうした目標志向最上志向自我の方々の自画自賛につきあった挙句現在の世界の格差社会ができあがったのだろうかと暗澹たる気分になります。

●グリーンスパンは規制緩和で金融商品に祝福を与えた。証券取引所を経ない店頭取引の金融商品には何の規制もかけられなかった。必要な資本がなくても、市場操作や詐欺に対する規制もないまま、取引を続けられることになったのだ。そして2001年、エンロンが破綻し、複雑に入り組んだ不正行為の中には自社の株価を頼りにしたデリバティブがあり、これが致命傷になって、出資者たちにはなにも残らなかった。グリーンスパンの信念のためにアメリカ経済は犠牲になった。


●第4章では疲労と脳の限界について解説する。BP社のテキサスシティの製油所の2005年の爆発事故では、従業員たちが過度のコスト削減策で37連勤という過酷な勤務実態で、疲れ切っていたため、事故の予兆を見逃していた。「疲れ切っている人間は思考が硬直化し、環境の変化や異常に反応するのが難しくなる。そして論理的に思考するのに時間がかかるようになる」。あることに意識を集中すると他のすべてが目に入らなくなるというのが疲れが行動に与える典型的な影響だ。これは認知の固着とか認知のトンネル視と呼ばれている。

●イギリス健康安全局(HSE)は連日の朝早いシフト(午前6時前後からの勤務)のせいで疲労のレベルが上がることを発見した。早朝シフト3日目では、初日に比べて30%疲労が増し、早朝シフト連続5日目では60%、そして7日目では75%疲労が増したという。

●一晩眠れなかっただけで脳の機能には多大な影響が出る。ブルックヘヴン国立研究所のダルド・トマシらは健康な非喫煙者で右利きの男性14人を集め、そのうちの半分に徹夜をさせた。翌朝、眠ったグループと眠らなかったグループの被験者に一連のテストをしてもらい、テストを終えた被験者をfMRIにかけて脳を撮影した。予想通り、眠い方の被験者はテストでの正確さが低かった。さらに、眠らなかった被験者たちは眠った被験者たちより脳の重要な二つの領域、頭頂葉と後頭葉が不活発になっていることがわかった。頭頂葉は脳の中でも感覚からやってきた情報を統合する部分であり、数字や物体の操作に関する知識をつかさどる部分でもある。後頭葉は視覚の処理をつかさどる。要するにこの二つの領域は視覚情報と数字の処理に深くかかわっているのだ。製油所のモニター画面を見ている技術者、コンピューターゲームのエンジニアがいつも仕事で扱っているのは?視覚情報と数字だ。つまり、どちらの仕事にも必要な脳の高レベルの活動が最初にだめになるのだ。

●疲れていなくても、我々が見ることのできるものは限られる。「インビジブル・ゴリラ」。バスケをする選手とゴリラの映像。
「我々は目にしたもののうち、自分たちが思っている以上に少ないものしか知覚していません。我々は指示されたことや探していることやすでに知っていることにしか注意をむけていない。特に脳が指示した事柄は大きな役割を果たす」(ダニエル・シモンズ)

―これは「行動承認」をマネジャーに訓練してもらうためのひとつの証左となりそう。これまでは「錯視」を使ったりしていましたが。


●シモンズらは10年にわたって単独でも共同研究でも実験をしてきた結果、人は予想しているものを見て、予想していないものは見えないという結論に達した。そして一定の時間内に取り込める情報量には絶対に超えることのできない限界がある。「人間の脳にとって注意力はゼロサムゲームだ。ある場所やものや出来事により注意を払うと、必ず他の場所への注意がおろそかになる」

―少し話が飛ぶけれど、わたしがなんで「承認」の話をしたいときに「主婦」と呼ばれるのを嫌がるかというと、記事の読者にとって「承認」というこの壮大な広がりのあるものを理解するだけでもそうとうな認知的負荷を伴うのに、それより先に「この女は主婦だ」という情報が先に出てきてしまうと、そこの違和感にばかり注意が引きつけられて、そのあと「承認」のスケールの大きさを理解しよう、などと思わなくなるのがイヤなのだ。よっぽど大きな記事にしてもらえるなら別だけれど―

●人は疲れきっていたり、なにかに注意を引きつけられているなどの、心理学でいう資源消耗の状態にあると、残りのエネルギーを節約して使おうと省エネルギーモードになりはじめる。高次の思考にはそれだけエネルギーが必要だ。疑念を持つことや、議論することなどもそうだ。「資源消耗の状態では、特に認知的に複雑な思考ができなくなる」ハーバード大学の社会心理学者ダニエル・ギルバートは書いている。疑うより信じる方が脳のエネルギーを使わないですむので、疲れていたり、なにかに気を取られていると、人はだまされやすくなる。

●人間の脳は過負荷の状態で睡眠不足になると、倫理的な問題を看過するようになるのを伝道者や洗脳者は熟知していて利用するが、管理職や企業のトップはあえて忘れてしまう。これはアブグレイブ刑務所での出来事の原因の一つだ。

●日焼けサロンは皮膚がんリスクを増大させることに、日焼けサロン愛好家は決して耳を傾けない。「本当は悪いと心の奥ではわかっているものを続けるために、人々が思いつく反論には驚くべきものがあります」ホーク教授は語る。

●スターンビジネススクールの二人の教授、モリソンとミリケンが「雇用者の沈黙」に関する画期的な研究をした。これは雇用者が自分の身の回りの問題について詳しく述べることや、議論することを望まないという現象だ。様々な部署の管理職たちに面接調査を行ったところ、85%が上司に問題提起をしたり、懸念を伝えることができないと感じたことがあった。

●無批判な服従のメカニズムの代表、ミルグラム実験。被験者は権威からの指示に従い実験対象者役に電気ショックを与え続ける。
「権威の下で行動している人は、良心の基準に違反した行動を実行するが、その人が道徳感覚を喪失すると言っては誤りになる。むしろ、道徳感覚の焦点がまるっきり違ってくるというべきだ。自分の行動について道徳的感情で反応しなくなる。むしろ道徳的な配慮は、権威が自分に対して抱いている期待にどれだけ上手に応えるか、という配慮のほうに移行してしまう。」指示にあまりに集中してしまうため、他のすべてが見えなくなるのだ。

●看護師を対象にミルグラム実験と似た実験をし、看護師は医師の指示があきらかに患者の命を危険にさらす場合でも服従するかを調べた。看護師は尋ねられると、患者の事を一番に考えているとかなりはっきりと答える。しかし実験では、22人中21人が医師の指示に従い未認可の薬の投与のための準備をした。

●服従と同化。服従は正規の権威の指示に従うことを伴うが、同化は「その人物に行動を指示する権限を特に持たない仲間の、習慣や日常や言語に適応する」ことだ。社会心理学者ソロモン・アッシュ(ミルグラムの師)の実験では、3人の学生のうち2人が間違った答えをすると、残る1人も40%以上の確率で同じように答える。同化の顕著な特徴は、潜在的なものでありながら、自らの意思で行動したように感じられることだ。我々は自分に似た人々と過ごすことを好むのと同じように、周囲に合わせることも好む。別の実験では、女性より男性のほうが同化しやすいという結果が出た。

●競争的な雰囲気を持つ企業では容易に、時には故意に、社員の同化を引き起こす。トレーディングを扱う組織にはよくあることで、冗談のタネや嘲笑の対象にされたり、社内の勢力争いの中で屈辱を感じたりする。しかし穏やかな組織でも同じような行動が起こることはある。特に医療関係のような、上下関係がはっきりしている組織で起こりやすい。

●ブリストル王立診療所では手術後の死亡率が突出して高く、英国全体の平均の2倍だった。ウィシャートという外科医の執刀例で死亡が多く、死亡した子供は30〜35人に上ったとみられる。これを内部告発したボルシンという医師は村八分となり、オーストラリアに移住した。

―わが国でも今年初めに発覚しましたね、関東のほうの大学附属病院で…。

●人は疎外されると現実に痛みを感じる。社会的に排除されて不快な気持ちを感じると、脳の同じ領域から身体的な痛みが発生する。そして身体的な痛みを調節するのと同じ神経化学物質が社会的な喪失からくる心理的なつらさをコントロールする。我々は社会的な人間関係を形成したり承認されたりすると、それに刺激され、自分をすばらしいと思うようにする物質であるオピオイドが作られる(同様に人間関係が解消されると、オピオイドは作られず、我々はひどい気分になる)。精神薬理学のパイオニア、ジャアク・バンクセップはこういっている。「社会的な影響と社会的な絆は基礎的な神経化学的な意味でオピオイド依存だといえる」つまり、我々が他社との社会的なつながりを求めるのは、社会的な報酬だけでなく、化学的な報酬も原因だ。

―オピオイド説は知らなかったなあ。検索してみよう。
この「同化」は「承認」の正負両方の側面として位置づけられそうだ。朱に交われば赤くなる。いいものにもわるいものにも染まり得る。わるい方にも操作できるからといって、良い方向に組織と人を同化させたいと意図する営みを否定することはできない。

●仲間外れにされたプレイヤーがクンツェンドルフの無意味度診断テストを受けると、自分の人生に意味などないと思いやすくなり、新たな意味を見いだそうという意欲も失っていた。仲間はずれを経験すると、人は希望もやる気も失ってしまう。

―経験しましたね、そういう気分も。

●アッシュの同化のテストをより難しくしたバーンズらの実験では、人々は同化する際、前頭葉は活性化しなかった。つまり意識的な選択が行われていないということだ。活性化は認知をつかさどる領域で起こっていた。つまり他の人びとが見たものを知ることで、被験者が見たものが変わった。また他の人びとが選んだ答えを知ると、被験者の精神的な負担が減っていた。つまり他者の考えを知ると、自分で考えることが減るのだ。同化による決断は、それと知覚されず、感覚もなく、完全に気づかぬまま行われる。

●さらに、被験者がグループの決断に反抗して、独自の決断をした場合は、別の事態が起こる。感情をつかさどる領域である小脳扁桃が高度に活性化するのだ。苦痛と同等のなにかが起こっている。独立はかなりの犠牲を必要とするもののようだ。

●心理学者アーヴィング・ジャニスによると、集団の中では、意見の一致を維持していこうという圧力のせいで、考えることが減る。一人一人が情報を検討して、それを正しいかどうかを確認することがなくなるのだ。「政策決定をする内集団が素直で団結心が強いと、独立した批判的な思考が集団思考に置き換えられてしまうという危険がそれだけ大きくなる。その結果、外集団に対する理不尽で人間性を奪うような行動につながりやすい」

―今年戦後70年でしたが、あらゆる「戦争」はこうした集団思考の危険を最大化したもの、とみることはできるでしょう。


●集団思考をしている集団は、自分たちはなににも傷つけられないと考えがちだ。彼らはもっともらしい理屈をつけて警告を無視し、自分たちの集団が倫理的に優れていると熱く信じている。敵対する者や部外者を悪者と考えがちで、反対者には同化するよう強い圧力をかける。ほとんどの組織では、チームに従い、面倒な質問をいない者がチームの一員として望ましいという暗黙の了解がある。

―ここだな〜。「承認教育」は単体でもきわめて有効なものですが、フォローアップとして必要なことがあるとすれば、「承認」が過度の同質化圧力にならず、内部で何の角も立たないなめらかな文化をつくることを自己目的化せず、異論を歓迎する程よくゴツゴツした文化というところを着地点にするように支援することではないかと思います。簡単なようで結構むずかしいです。

●心理学者ダーリーとラタネの提唱した「傍観者効果」。アンケートに記入している間に部屋に煙がたまってくる。通報したり何らかの対応をする被験者は、一人きりのときは100%、しかし二人でいたときは10人に1人、3人でいたときは24人に1人の率になった。

―これは「承認研修」の受講生人数の設定にも関わるお話です。従来から、宿題提出率や定着率について、「10人なら10人、20人でも10人、30人でも10人」つまり受講者数が多ければ多いほど歩留まりはわるくなる、ということを言っているのですけれど。ドラスティックな変化を起こす研修だけに、人数が多いと「傍観者効果」が起こりやすくなる、という説明ができるかと思います。

●もうひとつ傍観者効果の実験。被験者を小さく区切った部屋に隔離し、癲癇の発作を起こしている人の声が聞こえたと信じさせる。そして、被験者がそれを知っているのは自分だけだと考えている場合は、85%が報告している。しかし、他の場所にいる被験者も発作のことを知っていると考えている場合は、なにか対応した者は3分の1にとどまった。この実験が示すのは、危機的状況を目撃した人数が多ければ多いほど、なにか行動を起こす人が減るということだ。一人ならばちゃんと認識できる出来事が、集団になると見えなくなるということだ。

●「見て見ぬふり」はイノベーションの黙殺についても当てはまる。新たな技術などがアイデアの欠如ではなく、勇気がないせいで導入されないことはあまりに人間的であまりによくあることだ。経営のトップはいつも革新を望んでいるというが、誰かが別のところでリスクを冒してくれるのを待っているので、凍りついたようになにもできなくなっている。

―うん、でしょ?わたしは日本人は独創性のない民族だとは思っていません、単に勇気がないだけです。かつ勇気をもたらすのは、アイデアを提起する本人さんに期待するより、アイデアを奨励する組織の空気づくりをしたほうが現実的に有効なのです。
「イノベーティブな人材づくり研修」にあんまり乗れないのはそういう理由です

●「傍観者効果」はいつ学習するのだろうか。かなり早く、学校でのいじめを目にすることによっても学ぶ。
 ホロコーストの生き残りであるエルヴィン・ストーブはすべての集団暴力には傍観者がいないと成立せず、傍観者によって激化するという観察からいじめに興味を抱いた。
「集団暴力について私が一番強くいいたいのは、我々は早く行動しなければならないということだ。早いうちの方が、信念や地位が固まり、強固になる前の方が行動を起こしやすい。…事態が進んでしまうと、誰かにいわれてやめると、面子が潰れるような状況になる。」

●集団暴力は徐々に進行していく。誰かを疎外したり、職場の環境を差別に都合よく変えていくようなことは、いつも少しずつ段階を踏んで進んでいく。

●「現場との距離」。テキサスシティの製油所で爆発事故を起こしたBP社の本社はロンドンでもっとも優雅な区域、セント・ジェームズ・スクエアにある。役員のマンゾーニ氏は事故前にテキサスシティ製油所を視察しているが、何も見なかった。誰も彼に何も告げなかった。本社役員と現場の距離は、物理的にも心理的にも遠かった。

●「直接見る」ことの意義。ミルグラムの服従実験の新しいバージョンでは、ショックを与える対象者と被験者の距離が、最大のショックを与える率に影響した。同じ部屋にいてわずか数メートルのところに座っていると、その率は65%から40%に減った。また対象者の手に触れ、電気ショックを与えるプレートにその手を導かせるようにすると、接触したことが影響し、最後までスイッチを押しつづけた被験者は30%だけになった。対象者が同じ部屋に座っていて、目を合わせ、身体的な接触まですると、すべてが変わる。

―どこかのファストフードチェーンのCEOも、「ワンオペ」をする学生アルバイトがトイレに行く暇もなく徹夜勤務をするようすをまぢかでみていたら違ったかもしれませんね…

●権力は持つ者と持たざる者の間の距離を広げる。権力を持つ者はこの問題を認識していないことが非常に多いが、どんなに努力をしても、距離はなくならない。

●ステレオタイプ思考と権力の関係。支配欲を持つ者はそうでない者より性急に判断し、既存の知識に従う傾向が強い。

―はは〜、だからだな。先日わたしが取材を受けたのは割合功成り名遂げた資産家の層が読む雑誌なのだが、取材者が「専業主婦」という語を連発して話がかみあわなかった。この人たちにとってほとんど無意識なのだろう、ステレオタイプ思考は。しかも、それを指摘しようとするとむっとしそうな空気があった。こだわるなぁこの話題に。

●ミリケンの研究では、危機的状況に置かれると、裕福で権力を持つ者は、さらに良い結果を期待する傾向がある。彼らがこれほど楽天的である理由の少なくとも一つは、ほとんどどんな逆境でも乗り切れるだけの力があるから、あるいはあると思っているからだ。これは彼らが他の者たちと違って、現実的に考えられないことを意味している。権力と楽観主義と抽象的思考の組み合わせのせいで、権力者はさらに自信を持つ。

―今もいますね、一線を退いた有名経営者で「イケイケドンドン」の持論を展開する人は。

●分業と見てみぬふりの関係。自動車を製造している人と、修理や点検に当たる人とは違う。これは自社の車の構造に問題があったとしても特に知ろうとしなかったら見えてこないということだ。アメリカ食品医薬品局(FDA)では、医薬品の認可を行う部署は規模も予算も大きく、市販後の医薬品の安全性を調査する部署は反対に規模も予算も小さい。そこで、一旦認可された薬の問題点を、局内の影響力の小さい部署から大きい部署へ考え直してくれと指摘するということになり、否定され抵抗されるのは目に見えている。だから、小規模な治験によって承認された薬品は、何百万人もの患者たちに使用されるようになると、事実上は監視されておらず、FDAは自らが下した判断の結果に実質的には目をつぶっていた。

―おもしろい指摘。ドラッグギャップというものがよく問題になりますが、アメリカで認可された薬をはいそうですかとそのまま使用してしまうと問題が多いかもしれないのです

●スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故。部品のOリングは非常な低温下では裂けやすいが、天気予報によると発射予定日の気温は低すぎた。部品メーカーはこれを心配しNASAに伝えようとしたが相手は顧客であり、下請け業者なので発言力も強くなかった。「外注業者」であることがコミュニケーションを困難にした。

●「倫理観の崩壊」。金銭が提示されると人は倫理的な判断ができなくなり、金銭だけを判断材料にするという一連の実験結果。

●金について考えるようきっかけを与えられた被験者は、選択の自由を与えられると、一人で作業をするか、一人で趣味の活動をすることを望む傾向があった。以前より意欲的になったものの、社会性が減り、他人との絆が薄れた。より孤立し、他人に対する親切心が減り、同情心も薄れた。
業績変動給は、従業員がもっとよく働き、忍耐強くなるように考えられたものだが、実際には人間関係に複雑な影響を及ぼす。

―成果主義を取り入れた営業組織では、営業マンたちが仕事上の情報を教え合わなくなり足の引っ張り合いも起こり、非効率になった、という話を以前にもご紹介しましたね。

●社会的な動機と経済的な動機のバランス、それにその2つが相反するように働くことは、科学的には証明されてはいないが直感的に理解されている。人は金を稼げば稼ぐほど、国全体の福祉には関心を持たなくなるという暗黙の理解のせいだ。

―重要な指摘。実は現代ドイツではヘーゲル的な承認と再分配ではなく、逆に富めるものを益々富ませ、かれらからの善意の寄付を福祉に充てるべきだ、という主張が新右翼?から出ていて、エスタブリッシュメントの一定の支持を得ているという。だが常識的に考えて、富を「自らの才覚によって」独占する人々がそれを社会に再分配する方向に自主的に考えるとはとても思えないのだ。

●経済的な優遇を受けると人は、他人への配慮を以前よりしなくなるとわかったのだから、この手段は非常に慎重に扱わなければならない。経済的な優遇策に重きを置きすぎると、大事なのは金であり、それ以外は問題ではないというメッセージを送ることになってしまう。しかし慎重に配慮している企業はほとんどない。

●模倣学習で有名な心理学者、「アル」ことアルバート・バンデュラ。彼は生涯を通じて、人が犯罪行為や非人間的に行動をする際に起こる道徳心からの離脱のメカニズムを解明しようと研究している。避妊と衛生教育がいかに良い影響を及ぼしたかについて語った若いアフリカ人女性に、裕福な欧米人がブーイングした。彼らは欧米の出生率では将来高齢者の年金をまかなえなくなると認識していた(だから産児制限は彼らにとって「悪」なのだ)

●バンデュラは主張する。金は我々に道徳心から離れ、自分の決断が社会におよぼす影響を考えずにいられるようにする。すべてを経済的な観点からのみ考えている限り、自分たちの決断の社会的、倫理的な結果を直視せずにすむのだ。

●内部告発者を、本書は「カサンドラ」と呼ぶ。カサンドラは古代ギリシア神話に登場する預言者で、王家の血を引く娘。アポロンが美貌のカサンドラを見初め、預言の力を与えた。しかし彼女に振られると、アポロンは腹いせに自分が与えた力にその預言を誰も信じないという運命をつけたした。だからカサンドラがトロイ人たちにギリシア人が置いていった大きな木馬を町に入れないようにと警告しても、誰も信じなかった。カサンドラはアガメムノンとともにクリュムネーストラーに殺される。カサンドラの運命が残酷で皮肉なのは、彼女の預言の話を読んでいる我々には、それが本当なのがわかっていても、他の登場人物の誰もが真実を知らないことだ。

●内部告発者は冷笑的でなく、みな前向きな人物で、一般社会への反逆者ではなく、真実を信じているだけだ。彼らの特徴はふてくされたり、落胆したりしないことだ。生まれつき反抗的なわけではなく、彼らが愛する組織や人々が間違った方向に向かっているのを見て、声を上げずにはいられなくなったのだ。

●カサンドラの多くはアウトサイダーだ。生まれ合わせや、送ってきた人生や、事実を知った衝撃などのせいで、周囲との隔たりは埋めようもないほど大きくなっている。

●カサンドラはみな真実を知るために権威に挑戦する。その結果、みな困惑し、いらいらし、頑固になる。こうした性質は彼らの信用を落とそうとしたり、孤立させたりするために利用されることも多いが、この性質こそ彼らが忍耐強くやり通せるエネルギーの源なのだ。

―なんだか共感するフレーズが続くなあ^^

●解決編。カサンドラ、悪魔の代弁者、反体制の人間、トラブルメーカー、道化、コーチ…名前はなんであろうと、トップの人間がはっきりとものを見る力を失わないために、外部の人間が必要だ。(しかし外部の人間もいずれ同化していく)

●だから我々は外部の人間に頼るばかりでなく、自分たちでも2つの重要な習慣を確立しなければならない。それは批判的思考と勇気を持つことだ。

●スタンフォード監獄実験を指揮した心理学者フィリップ・ジンバルドは、その後自分が置かれた状況の影響力に抵抗する教育プログラムを考えた。自分たちがどれだけイージーで、他人の期待に合わせているのかを認識するように促すエクササイズをする。

●集団暴力を研究したエルヴィン・ストーブは、いじめへの対応を子供に教えるためのプログラムを考えた。

●英雄的な経営スタイルを持つトップのいる会社や、一人の人間の権力と影響力に注目が集まっている企業では、役員たちが人の顔色をうかがうようになり、自分たちが知っていることが本当かどうかを考え直したり、分析したりすることができなくなる。…トップの性格やエゴほど、議論や反対意見を押しつぶすものはない。最近の企業や組織の不祥事の多くは強い経営者のいる組織で起きていることを考えると、高級誌の表紙に載ったり、なにかの権威としてあがめられることは、はたして誰かの役に立つのだろうかと思わずにはいられない。

―以前こういう社風の有名企業に関わったが、かなり重症度が高かったが1年関わるとかなりましになった、すなわち人々が率直に話し合う空気ができた。しかし単年度で研修が終わるとすぐどどーんと元の暗いシニシズム文化に戻った。思いつきレベルの単年度の介入では土台むりな話なのだ

―最近のアメリカではこういう傾向はちょっとましになったようで、グーグルの新CEOはインド人の謙虚な人格の人だという。まあグーグルは元々集団指導で、スター経営者はつくらなかったみたいだが

●しめくくりは、歴史から学ぶことの価値。ビジネスの思考や教育の大半にはこの歴史的視点が驚くほど欠けている。商業的な世界は新しいもの、革新的なもの、革命的なものと非常に相性がよいせいで、長期的な傾向やパターンが見えなくなりやすい。…歴史的な感覚を得ることの利点の一つに、長期的な傾向をつかみやすくなり、かすかな兆候にも敏感になることがある。

―ですよね〜。


今回の記事は移動中にワードに打ってからUPしましたが、ワードで15pにもなってしまいました。長文をお詫びします。重要な知見をたくさん含んでいるので(他の本との重複も多いようですが)うかつに省略できませんでした。大変示唆に富んだ読書であったと思います。


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正田佐与