某デザイナーと東京五輪のエンブレムその他のデザイン盗用問題がこのところ話題でありまして、

 すごくこの問題に興味があるわけではありませんが自分の分野に照らして考えれば、「出典明記主義」を改めて確認するのは大事なことかと思います。

 このブログで何度もお話したとおり、当協会というか正田は「出典明記」にこだわるほうです。こういう人は業界でも珍しいと思います。他社様の研修で資料をもらうと、「おやおや、出典が書いてないのだなあ」と思うことはよくあります。心理学の知見でもなんでも、だれがどういう実験デザインでやった、とわからない書き方をしています。
 
(実は心理学の実験にはかなりいい加減なものもある、追試してみたところ3分の2は再現できなかったという記事がありまして

 http://www.afpbb.com/articles/-/3058654?act=all 

これも1つ前の記事でいう「業績至上主義」のもたらす弊害といえそうですね。信頼できる重要なものを選別できる目を持ちましょう)


 出典明記のお話に戻ると、これも何度も書きますように、人様に教えている自分は所詮先人の知識や思考の蓄積の「器」であります。オリジナルの部分などそんなに多いわけではありません。それを自覚したうえで、自分オリジナルの考えについてはそうと断ったうえで述べます。

 それは決してアカデミズムの世界に入りたいからとかの下心ではなく、自分的にほかのかたの仕事をリスペクトする形で文を書きたいからそうなりました。自分がそういうスタイルで文を書くので、書物を読んでいてもそういうスタイルで書かれている方の文章が好きであります。フェアプレイで誠実な仕事だと感じます。

 ちなみに「行動承認」を重視するのは一応オリジナルの考えであります。「例の表」を使用しだしたのは記憶に残っている範囲では2006年ごろから。当時から既に「行動承認」は「存在承認」に次ぐ位置にありました。それ以前から、学校や大学と違って会社組織という共通の目的のもとに集まった人々について最適化した承認とは何か、ということを延々と考えてきました。ただひょっとしたらわたしの知らないだけで先行の類似のものがどこかにあったかもしれません。

 ひとつ懺悔をしないといけないのは、目下「月刊人事マネジメント」誌に連載中の「行動承認マネジメント読本」では、あまり出典明記とか引用の形で書けていません。これは編集部様からの「あまり理屈っぽくなく、話しかける文体で書いてください」というリクエストに従った形で、そうなりました。(人のせいにしていますネ)本当は忸怩たるおもいです。これに限らず、引用とか出典明記にこだわると、文章の読みやすさをそこなう、という問題はたしかにあります。


 なおこういう盗用剽窃花盛りで、「やったもん勝ち」みたいな時代ですと、当協会コンテンツが盗用される側になる危険性は大いにあります。とりわけ「内製化論」に煽られた人事担当者の皆様は…、やめとこう。そしてわたしが「女性」であることは盗用リスクを増します。ワトソンとクリックはDNA螺旋構造に関する研究を…これもやめとこう。


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 「研修カクテル」という現象について、過去に何度か触れました。

 「研修カクテル」がもたらす副作用―傲慢、ナルシシズム、全能感、打たれ弱さ

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51819638.html

 当協会方式の研修に触れてせっかく素晴らしくよい状態になった個人や企業様が、矢継ぎ早に類似の研修に触れることによって、急速にダメになってしまわれることがあります。

 事実なので、こうした指摘をするわたしのことを傲慢だと思わないでください。


 どういう現象なのだろうか、わたしの考えた今のところの答えは、

 昔の人だったら素直に一生の指針にするような思想にせっかく触れても、今の時代はどんどん他の類似品にアクセスできる。色々と見比べて天秤にかけて、そこで「消費者気分」が出てくる。
 さらに、自分が色んな思想群を俯瞰できる立場だ、という傲慢な感覚が出てくる。実はまだ何も自分は習得していないのであっても。
 最初の研修で味わった、自分の枠が大きく拡がったという感覚、自分の側の「修練」が問われるという感覚、それを「維持」するにも自分の努力が要る、という感覚、それがどこかへ行ってしまう。クルマの免許が取れてもいないのに大型バイクの免許もあるよねー、二種の免許もあるよねー、と屁理屈こねているようなものです。


 そうして伸びきったゴムのような感性の、とんでもなく傲慢なナルシシストができあがる。企業の人事とか研修担当者にそんな人は多いです。先日わたしが会った、「承認」について社内講師をやったという研修担当者も、「承認」にどういうカテゴリがあるか、かなり上のほうの代表的なカテゴリについても忘れていました。


 わたしが「例の表」にこだわるのはなぜかというと、あれは「承認」という難しいものをいつも脳のワーキングメモリに置いていただくためのいわば「圧縮フォルダ」なんです。

 最近の研究で、人のワーキングメモリは思われているほどキャパが大きくない、一度に4つぐらいのものしか処理できない、という知見が出てきまして

 http://karapaia.livedoor.biz/archives/52199837.html

 
 ―お友達(それもあまり近い縁ではない)の投稿でこういう知見に出会えるからフェイスブックも捨てがたいのですが―

 拙著『行動承認』に書いた、

「『承認』『傾聴』『質問』その他で構成される『コーチング』ですら、マネジャーがワーキングメモリの上に置いておくには『メモリ過多』です。
 しかし、『承認』だけでいいですよ、と言われれば置いておけるのです」

 これも決してどこかからの盗用剽窃ではなくてわたしのオリジナルの考えであり言葉なんですが、

 こうした「ワーキングメモリの限界」の知見をみるにつけ、やはりそれで正しいのだ、と思います。


 「『承認』だけでいいんですよ」

 こういうフレーズは、一見「甘やかし」のようにも見えてバッシングを浴びてきましたが、著書をきちんと読んだり研修をきちんと受けた方なら、その世界にはきっちり「叱責」もあり、バランスを欠いたものではないことがお分かりになると思います。

 そして実際に強烈な成果に結びついています。

 不遜な言い方ですが、わたしは職場という「乱戦状態」のただなかにあるマネジャーの脳内活動にきちんと想像力をめぐらしたからこそこういう教育プログラムを作ることができた、と思います。


 ・・・そして、極限までシンプルにしたいわけですが、しかし「承認」が「ほめる」に矮小化されたり、「感謝」だけに偏ったり、という、困ったところまでメモリサイズがダウンしてしまうのは避けたい、のです。

 だから「あの表」があります。これだけのメモリサイズのものですよ、これをワーキングメモリに置いておいてくださいね、と繰り返し念押しするために。


 だから、過去記事の繰り返しになりますが、当協会方式と他社方式をまぜないでください。まぜるな危険。まぜたら、今あなたの手にしている成果は失われます。すみません一見エクストリームなことを言っていて。でも過去のさまざまな事実に照らして本当です。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与