1つ前の記事に取り上げた本『21世紀の脳科学―人生を豊かにする3つの「脳力」』はわたしの仕事的に非常に示唆に富んでおりました。

 モチベーションに関しては従来心理学分野で言われ、そこでは割と「言ったもん勝ち」と言いますか、恣意的にいろんなことが言われておりました。「内発と自律論」もそうですが承認教のご本尊の1つともいえるマズロー五段階欲求説なども、広く流布してはおりますがどこまでの妥当性があるのかの議論は「保留」という感じでした。

 アメリカは1990年代を「脳の10年」と呼びその後も脳科学が発展し続けました。fMRIについては一部でその限界も言われておりますが、本書でほとんどすべての実験にfMRIによる検証が行われているのは、心強く感じることであります。そういうものが「ない」状態で恣意的なことが言われてきた時代に比べれば。

 また遺伝子学や認知科学、それに神経経済学もそれぞれ発展し、心理学で言われてきたこともさまざまな自然科学分野の手法でメスが入れられるようになりました。実験デザインもそれぞれに工夫され、「ミラーニューロン」の知見についても「発見―批判―再発見―再批判」が繰り返されて「ここまでのことは言える」と精度が上がっているのはすばらしいことです。

 さて、本書に触発されて、
1.「マズロー五段階欲求説」のわたし流の解体、
2.新たな「自己感」とそれに基づく「内発と自律論」の再検討、
3.「承認」と「規範」の関係
―を書きたいと思います。よろしくお付き合いくださいませ。


1.「マズロー五段階欲求説」の解体

 本書には
「生理的欲求の中に『愛されたい欲求』が含まれる。マズローのピラミッドの最下段にこの欲求が来ないといけない。愛され世話されないと人間の乳児は即死んでしまう。そのため『愛されたい欲求』を人間は生涯持ち続ける」
という指摘があります。
 大いにうなずけるもので、「愛される欲求」は従来マズローのピラミッドの下から3番目、「社会的欲求/所属と愛の欲求」に入れられていましたが、実はもっと根源的なものであろうと思います。
 たぶん人間は老人になっても生涯「愛されたい(ついでにリスぺクトされたい)」と願うものです。たとえ愛される愛されないが自分の生死に関わる問題でなくても。

 欲求には階層がある、と最初に言ったのはヘーゲルだったんじゃないですかね。『法の哲学』の中にそういうのが出てきましたね。もっと前の人も言ってたでしょうか。ヘーゲルはあんまり細かい区分は言ってなかったと思いますけど、「承認」という言葉を再生させたマズローはヘーゲルの影響は受けたんでしょうか。

 ちなみにマズローの欲求5段階説をWikiに載っていた図を拝借すると、こうなります

欲求5段階説


 でわたし流の欲求の再区分は、ざくっと「生理的欲求」と「社会的思考の欲求/承認欲求」「非社会的思考の欲求」の3つに区切ってしまいます。すごいアバウト。血液型O型ですかって?いえA型ですけどね。

 でもオリジナルで(まあ、『21世紀の脳科学』に触発されてるんですが)「非社会的思考の欲求」というのをつくって、これは「社会的思考の欲求」の領域の中に食い込んでいます。よくみると従来「自己実現欲求」に分類されていたイチロー的なものがそこに入っているかも…。
 
 議論が分かれると思いますけどね。とりあえず暫定的に作ってみましたね。盗用剽窃しないでくださいね。

欲求段階説正田バージョン201510


欲求段階説正田バージョン2015年10月。禁無断転載



 図形の形がゆがんでいるとか色遣いがヘタクソだ、といった批判は受け付けません。

 えーと、「社会的思考の欲求/承認欲求」として、従来「承認欲求」「所属と愛の欲求」とされていたものを、ここにひとまとめにしてあります。
 よく言葉の乱れとしてあったのは、従来の区分で「所属欲求」としたほうがよいと思われるものを「承認欲求」の中に入れていたことです。スマホで友だちとつながりたい欲求を「承認欲求」とよぶとか、いじめの共犯者や傍観者の形で加担することを「承認欲求」とよぶとか、ですね。
 で今回の区分では、所属欲求も「承認欲求」の下位概念ととらえ、包摂してしまいます。何でも食ってしまうブラックホールみたいな奴だ。たぶん脳科学的にもきれいに「切れない」んではないかと思いますのでね。そのぶん「承認欲求」がわるさもすることにはなりますけどね。
 あっ、犯罪心理学でおなじみの「自己顕示欲」もやっぱり「承認欲求」に入れちゃいました。わるさをすることにつながりそうな要素を「承認欲求」の最下段にまとめましたね。
 また、「内発と自律論」について以前「含む、含まれるの関係でございます」なんて書きましたが、「自律欲求」を、やはり「承認欲求」の少し高次な1ジャンルとして加えてあります。「私、自律的に仕事ができるんだからアゴで使わないで任せてください」っていうのも「承認欲求」の一形態です。今どきの在宅勤務なんかもこれで解決できるんではないかと思います。

 
2.新たな「自己感」とそれに基づく「内発と自律論」の再検討

 1つ前の記事でもかなりコメントを書きましたけれど、欧米的な「独立した個人としての自己」という自己感がだいぶ怪しくなってきました。
 当ブログでは、2009年の秋に大井玄という人の『環境世界と自己の系譜』という本の読書日記を延々とUPして、欧米の「アトム型自己」と東洋の「つながりの自己」との対比を取り上げました。
 参照されたい方はこちらが筆頭の記事になります
 日本人の自己観と幸福観(1) −『環境世界と自己の系譜』より

 その欧米の「アトム型自己」がどうも幻想に基づくもののようだ、ということが本書では沢山の脳科学の知見を添えて書かれています。
 わるいのは「人間は利己的だ」と言ったホッブズとヒューム、それに「心身二元論」を言ったデカルトみたいです。
 そういう“美しい誤解”をしていても欧米社会がそれなりに繁栄してきたのは、ひとつには元々オキシトシン受容体遺伝子の高オキシトシンのスニッブを持つ人が多く、ほっておいても他人との信頼関係のつながりを強く感じて生きられる人が人口比で多いから、という解釈ができるんではないかと思います。

 日本人をはじめアジア人種は遺伝子的にはそういうつながり感というのは弱くて、どうやってカバーしてきたかというとひょっとしたら、フェミニズムの人に叩かれるかもしれませんが、お母さんがずーっとおんぶとか抱っこして皮膚接触を絶えずするような子育てをしていたから、という解釈ができるかもしれません。べつに「お母さんが」じゃなくてもいいんですけど。
 なので、保育所の数が整備されてもそこで働く保育士さんの数が十分確保できないうちは、私個人は子供を乳児のうちから預けて働くことにあんまり賛成できないのです。皮膚接触の絶対量が少なくなってしまいますから。

 あ、それは脱線でした。

 で「内発と自律論」です。
 これらは、上記のホッブズヒュームデカルトらの言葉を盲信しちゃった延長線上にあるであろう、「自分は依存的ではない、自律的だ」と思ったほうが自分に誇りが持てるであろう。とともに断言はできませんが、「内発と自律論」は元々アメリカ心理学界で行動主義/行動理論が普及し権威を持ったことへの反発反感から生まれたようなところがあり、デシの「金銭的報酬がやる気を下げる(ことがある)」という実験も、「だから、報酬を与えることは良くない」という結論を導き出すことはできないものでした。そういう風に拡大解釈して乱用した方も一部にいらっしゃいますが。
 そしてリバタリアニズムの、「がしがし働いてアメリカンドリームを実現した人だけが大金持ちになればいい」という、なんというか「夢中華思想」「成功者ナルシシズム」っていうか、そういうのにも合流し利用されたようにもみえます(リバタリアニズム本当にそんな思想なのか!?)
 このへんはあまりちゃんと調べて書いてるわけではないんですけどね…。
 「内発と自律論」はモチベーション業界で周期的に流行るもので、最近のアメリカではジャーナリストのダニエル・ピンクの『モチベーション2.0』がこの流れで有名ですが、ジャーナリストは唯我独尊の小生意気な職業ですからねえ。
 いくら「ものは言いよう」的にジャーナリストやモチベーション業界の人が言っていても、本書で言うように課題をこなしたあとの休憩時間には他人のことや社会のことが頭に浮かぶのが人間の習性であります。逆にそれが「ない」人は…問題発言になるから、やめとこ。
 「内発と自律論」をわたしが毛嫌いする理由はほかにもあって、実はそれは悩める青少年〜中堅を自己啓発本・自己啓発セミナーの永遠の迷路に引きずり込む入口の商材にもなり得るからです。
 「承認研修」がいくら正しくても、頭でっかち系の職種のこの手の自己啓発にかぶれた若手〜中堅のこころには入っていかない。それは、本書で言う(「自立した個人」という)「自己充足的予言」にかぶれているため、こころが頑なになっているからです。
 それは、彼ら彼女らのために惜しい、と思います。彼ら彼女らの学習能力をむしばんでいます。
 あとは、わたしにとって難攻不落のように思えていた「ジョブズスピーチ」の誤りも指摘してくれているので、ジョブズ決して嫌いではないんですが、あれも「自己充足的予言」に結構なりえるので、非常にスッキリしました。


3.「承認」と「規範」の関係

 これも1つ前の記事の後半部分にかなりコメントで書いておりますが、
「承認すると規範意識が上がる」
という、風が吹けば桶屋が儲かる的な現象があります。
 あるリーダーが部下を承認していると、リーダーが会社のルールやコンプライアンス的なことで指示やお説教をした場面でも、部下はリーダーの言うことを素直に受け取ってくれやすい。
 現象としてはこれまで繰り返し見られてきたことで、これまではその理由を、
「自分を承認されて(特に行動承認を含む承認をされて)感じる喜びはリアリティのあるものなので、承認してくれる人の言うことはそれがコンプラ的なことであっても、リアリティをもって聴けるのです」という説明をしてきました。この説明自体も別に間違いではなかったと思います。
 ところが、脳科学的に、「承認されて喜びを感じる領域」と「外部の規範を取り入れる領域」は同じだ、というではありませんか。
 それじゃ、この2つがダイレクトにつながっていても無理ないですよね。
 社員の規範意識を高めたかったら、承認をしましょう。
 逆にたとえば、ベネッセの個人情報流出なんかも犯人は契約社員だったということですけれど、本人の性格や経済状況の問題もありますが「承認されてない」という問題を抜きには語れなかったんではないでしょうか。(だから、やっぱり正社員/非正規社員の区分も、見直しが必要なんですよねー。改正派遣法は改悪なんちゃうの?と思いますが)

 以上で「考察編」は終わりであります。

 まだ未熟な考察ですが、ご意見ご批判がありましたらコメントかメッセージでもいただければ幸いです。