8日、関西大学で開催された社会思想史学会第40回大会に一般参加者で伺いました。

 同学会の幹事のお一人である一橋大学の藤野寛教授のご教示によるもの。


 このブログではおなじみの名前になりつつある、フランクフルト学派のホネットやハーバーマスについてのセッションもあり、藤野先生が司会を務めておられました。

 午後には、第40回を記念したシンポジウム「<市民社会>を問い直す」。

 
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 齋藤純一氏(早稲田大学教授、政治理論・政治思想史)と上野千鶴子氏(東大名誉教授、立命館大学教授、社会学)が登壇されました。

社会思想史学会 上野氏の官、共、私

上野氏スライド 市民社会の4つの領域 「官、共、家庭、市場」

社会思想史学会3 ケアの配分と出生率

同「労働とケアの配分と出生率」


 おおっ、という「今日的」な質問、発言があり…。

「リプロダクション(再生産、生殖)をどの程度市民社会に位置づけるべきですか?」


 これは会場から、また上野千鶴子氏からも齋藤純一氏に発せられました。
 齋藤氏、かなり答えにつまる。
 リプロダクション、育児と介護すなわちケアはハードワークであり、誰がそれを担うか?という問題が出てくる。
 上記の上野氏のスライドでは、日本は先進国でも例外的な(C)、すなわち「移民労働力」を排除しているため女性が全面的にケアを担ってきた。

 このことを上野氏は、

「日本ではジェンダーと言う変数が諸外国のエスニシティという変数の機能的等価物の役割を果たしている」

と海外研究者に説明すると、割合わかってもらえるそうです。

 そして上野氏の厳しいフレーズ。

「ジェンダーは市民社会論の中で故意に忘却された変数だと思っている。多元社会論が要請されている」。




「家族は市民社会の外部なのか?」

 これも齋藤氏へ。
 齋藤氏の答え

「外部とは思っていない。私と公を媒介する位置にある。
市民間の関係を律するような契約関係、法関係は家族内に入らない。
子供も市民としてtreatされるべきである、だが現実にはそうなっていない。
子供も市民として尊重されるような法体系に変えていくべき」。

 これは、児童虐待や高齢者虐待、DVなどが頻発する今、重要な問いであり答えでしょう。
 このブログではホネットの愛と家族に関する藤野寛論文で触れていたところですね。




 厳しい議論の続く中で(このお2人の議論ぶりもわたしにはとても興味ぶかかった)
 齋藤氏、上野氏が一致した興味ぶかいフレーズ。

「私たちは依存関係がデフォルトであり、それを前提としてAutonomy(自律)を獲得しようとする」

―だから、ケアは市民社会を論じるうえで欠かせない要素なのだ、と続くのですが。

 これは、従来このブログでも経営学、心理学、経営教育学などの「内発と自律論」をモグラ叩きしてきたわたしには、快哉を叫びたくなるフレーズでした。

 「自律」は「である」ではないのです。「そうありたい」ものなのです、「依存」を初期設定とするわたしたちにとって。

 ああ、来た甲斐があった。また、叩いてきた甲斐があった。藤野先生ありがとうございます。

 読者の皆様、今後まだ「内発と自律論」をデシとか引用して言う人がいたら、「周回遅れ。ダサイ」と言ってあげてくださいね。あ、「承認欲求バッシング」の人もその系列かな。




 
 藤野先生が「社会思想史学会は左翼思想家のたまり場ですよ」とおっしゃるので、一般参加した正田はここでは自己紹介するとき
「修正資本主義をやらしていただいております。よろしくお願いいたします」
と挨拶しておりました。

 このブログの「ヘーゲル・ホネット承認論」の初期に登場した『承認と自由』の著者、札幌大学の高田純教授にもお会いし、ご挨拶することができました。
 1994年のこの本は、わが国のヘーゲル研究がそれまで弁証法とかマルクス思想へのかけ橋の思想としてばかり研究されてきたのが、「承認研究」に転換した初期の良書と思います。今でもこの分野のスタンダードと言えるのではないかと思います。(文章も大変読みやすいです)

 
 藤野寛教授には、この日の午前、関大前のガストにて「フランクフルト学派と承認」についての素人質問を思い切りぶつけ、語っていただきました。
 そのお話はわたくしのような素人学習者には、有益なガイダンスになると思います。
 いずれご了解をいただいたうえで藤野先生インタビューもブログに掲載させていただきたく思います。


社会思想史学会1


 セッションでの発表者に厳しいコメントをする藤野教授(左)

 フランクフルト学派は「批判理論」であり「承認」とか言いながら一方では厳しい批判をするのだ。正田も「隠れフランクフルト学派」を名乗ろう…


正田佐与