佐賀県唐津市の研修業・Training Office代表、宮崎照行さんから、「行動承認マネジメントを学びたい」と嬉しいメールをいただきました。

 ご興味をもっていただいたきっかけは、宮崎さんの仕事上の実体験だったということです。以下、ご了解をいただいて宮崎さんのメールからの引用です。:


〈行動承認マネジメントに興味を持つようになった経験〉
現在、業務の一つとして高校生に対象にビジネスマナーの研修を担当しております。
私が依頼をいただく高校様の多くは、一般的に教育困難校といわれている高校様でございます。ほとんどの生徒は、いわゆるヤンキー(死語?)といわれる生徒さんです。
以前の研修スタイルは、「目標を持つことの大事さ」「価値観を大切しよう」という内容でしたが、彼ら(彼女ら)にとっては、「それがどうした?」と意に介せず研修に参加しようとする意識が非常に低い状態でした。
このままではいけないと感じ、彼ら(彼女ら)の行動に対する承認、例えば「皆さんが話しを聞いてくれるので、こちらは話しやすいよ」「面倒くさいと思っていたお辞儀、すごく綺麗で格好良かったと、やればできるやん。もっと格好よくしていこうか」
など私が感じた事実をフィードバックすることで、真剣に練習に取り組むようになりました。(感受性豊かな生徒さんたちに対し、おべっかを使うと見透かされてしまいます)

上記のような強い経験をしましたが、何分、我流のため体系的に学習方法を確立できておりません。
よって、もっと行動承認マネジメントを深く学びたいと思った所存でございます。



私見ですが、「承認」の難しさは「テクニック」レベルで捉えようとすると効果が薄くなると思います。例えば、「こちらの話を聞いてもらうために、承認のスキルを使って振り向いてもらおう」や「こちらが意図する行動をとってもらうために、承認のスキルを使えば意図するように行動してもらえるのではないか」など利己的な観点から「承認」を捉えようとすると、うまくいかない気がします。一方で、昨今の研修素材はどちらかというと「テクニック偏重」「即効性偏重」が受けるようです。だから、そのような枠組みからいくと一般的なものではないのかもしれません。しかし、「人」はそう単純なものなのでしょうか?だからこそ、「承認」を使用する側は「スキル」を超越したものを構成していく必要があると考えています。




 嬉しかったですね。
 わたし自身は学校の生徒さん相手の実体験がありません。マネジャーさん方のご報告から、新卒の方にも著効があるようなので、もっと若い学生さん方にも上手く行くだろうな、とは思っていました。

 やっぱり実体験のある方は、言葉の力が違いますね。

 正田からのお返事です:


宮崎さんの教育困難校でのご経験を大変興味深く読ませていただきました。
貴重な体験をされましたね。
教育分野での「行動承認」の応用経験は、まだ私にはありません。
ただマネジャーたちの実践から、新卒の方にも非常に有効なことから
学生さんにも有効なのではないかな、と類推するばかりです。
大学では、関西国際大学での松本茂樹先生の実践があります。

お問い合わせいただいた、行動承認を体系的に学習していただくということですが
オープンセミナーは、力不足のため現在開講していないのです。
もし、書籍でもよろしければ
拙著の『行動承認』(パブラボ社、2014年)は、ご参考になるのではないかと思います。
スキルとしてはごく簡単なものですので、宮崎さんでしたらすぐ習得していただけると思います。

こうしてご理解者の輪が広がることは幸せなことですね。
世間一般では、「承認」は決して一般的ではありません。
心無い中傷をされることも多いです。
でも宮崎さんが体験された、学生さん方の目覚ましい変容は多分本物です。
どうぞ確信をもって進んでいかれてください。
若い方々に本当に必要なものを、宮崎さんは提供されたのだと思います。
今後の学生さん方の人生に大きな影響を与えていただけることでしょう。

私は力不足のため、財団を今月21日には解散し、個人事務所に戻ります。
それでもこうして、
確信をもって実践される方が育っていかれることは心強いです。
この手法はこの国を建て直す力のあるものだと信じています。
どうか宮崎さんも、担い手になられてください。


 
 こういうときに、「書籍でよければどうぞ『行動承認』で…」と書けるように、『行動承認』の本は作られていますから、つまり真摯な学習者・実践者の方のためのテキストとしては手前味噌ですが良く出来ていますから、まあ悔いのない作り方をして良かったナと思います。

 
 そして、今はわたしはリビングの片隅にホネットハーバーマスヘーゲルの本を60cmほど積み上げて満足もといさあ読まなくちゃナと思っているところですが、
 それはそれとしてやっぱりこういう実践の現場の手触りを忘れたくない。
 理論は理論として、一方で生身の「人」が何を求めているのかを。
 それは、ドイツ観念論フランクフルト学派で物足りなければ科学哲学も援用すると思う、とにかく現場の「人」のことを一番たいせつに考えていたい、と思うのでした。そこから逆算して発想したい、と。
(けっして今の時点で理論に不満があるわけではないですよ。)



 宮崎さんへのわたしのメールにも書きましたが、

「この手法はこの国を建て直す力のあるものだと信じています」

これはわたしが嘘いつわりなく日々思っていることです。
 
 そして宮崎さんが気づいてくださっていたように、「行動承認」は極めてシンプルなもので、表面的に学ぶことはたやすくできます。むしろそのあまりのシンプルさゆえに、軽んじられ「いろんなその他の手法と同等かそれ以下」のように見なされるきらいがありました。
 ところがそれは実は巨大なコンテンツで、講師あるいはマネジャーの人としての「ありかた」もまた問われますし、加えてわたしが無意識に「認識論」や「討議倫理」や「正義の判断基準」にまで手を広げていたように、日常のあらゆる場面をカバーし得るものです。そして学び手もその巨大さを感じながら学んでいただきたいものです。

 
 しかし心身ともに衰弱している52歳。(ほんとは、52歳になるのは来月ですが)

 生きているうちにこれの全容を教育プログラムとして完成し、商品化できるのかどうかは謎です。



正田佐与