薄気味の悪いこと。
 このブログで今秋以来3回ほど登場した某「自己啓発本」。用語用法のいい加減さ、論理の雑さが目に余り、各分野の専門の人が見たら失笑するレベル。この本のAmazonページのレビュー欄が紛糾している。
 低評価レビューが、コメント欄で執拗な攻撃に遭っている。Dgというハンドルネームの人物から、繰り返し「ああ言えばこう言う」式の揚げ足取りのコメントが入る。

 ―どのぐらい「ああ言えばこう言う」なのか、ご興味のある方は、たとえばこちらのAmazonページをご覧ください

 http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4906790208/ref=cm_cr_pr_btm_link_1?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending&pageNumber=1

 ある低評価レビュー(私が書いたのではないが、非常に妥当な常識的なレビュー)には総数41件ものコメントがついた。あるときひと晩に、Dg氏より3回もの揚げ足取りコメントが入っている。レビュワーも猛烈に応酬している。

 別の★1つのレビュー(これも、私が書いたのではないが「知ったかぶりはやめてほしい」というごく常識的な内容のレビュー)は、Dg氏からの執拗なコメント攻撃に根負けしてレビューを取り下げてしまった。★1つのレビューが1つ消えると、レビュー平均点としてはかなり向上したことであろう。

 私の書いたレビュー(友人が代理投稿)にも同じDg氏からの攻撃が来たので、こう反駁しておいた。

著者様ですか、ご苦労様です。この誤謬、破綻だらけの本をそこまでマジに擁護できるのは本人しかいないでしょうね。
私は他に関心事が沢山あるので正直言ってその後本書を読み返しておりません。いずれにしても、「組織論」と大見得を切った割には、言いたいことは(というか、知っていることは)「最適サイズ=150人」ということだけなわけでしょ?そういうのは組織論と呼べません。「組織論のごくわずかな一部」なのであって、普通の含羞を持った人は、そこまで部分的なものは組織論というチャンクの大きな言葉で代替できないとわかるものです。本書をリコールして、「組織論」の単語をすべて「組織論のごく一部」と変換したものと交換すべきでしょう。一般社会人はそういう厳密さで仕事をするんです。あなたのような言葉の使い方を若手社会人がしたら、上司に即叱りとばされますよ。あなたも社会人の基本からやり直したらどうですか。


 ―ちょっとおもしろかったでしょうか。どれぐらいレベルの低い議論をしていたか、わかります?

 
 おもしろいことにこの本についている全15件のレビューは大半が内容をよく読んだとも思えない礼賛一色のものなのだが、それに対する「参考になった」の評がきわめて低く、ある★5つのレビューには、「5人中1人が「参考になった」と投票しています」とある。つまり5人中4人はこのレビューに「参考にならなかった」に票を投じているのである。


 この著者のAmazonレビューのからくりはそういうことなのだ。低評価をつけると執拗にコメントで攻撃し、取り下げさせる。結果、著者本人か編集者あたりが書いた嘘くさい5つ星か4つ星のレビューであふれかえる。本自体の本来の価値とはかけ離れたバブル評価になる。

(もし、この状況に義憤を感じた方がいらっしゃったら、低評価レビューを書くと延々と絡まれて職業生活にも影響をきたしかねないので、高評価レビューに「参考にならなかった」票を投じて意思表示されるのがいいと思う。それらがハリボテですよ、と示すために。言論の自由からいうとおかしなことだが、そうなのだ)

 
 昨年、「哲人」が延々と説教するスタイルの「自己啓発本」がベストセラーになり、私などはその内容をみて目が点になったものだが、二匹目のドジョウを狙ってか、この手の「自己啓発本」は多い。誰も知らないような哲学者心理学者の名前や用語を出して大風呂敷を広げ、けむに巻き、著者自身も信じていないような屁理屈をこねる。ちょっと社会を知った大人がみると噴飯ものだ。そんなもので社会は回ってない、とすぐ断じることができるのだが、社会に出る前の若者にはそれはわからない。知名度の高い著者のほうが正しいことを言っているとやすやすと信じ込む。

 昔から若者は情報に振り回されやすい、と言われてきたが、今どきのスマホ育ちで実体験の極めて少ない若者はそういうものに過去以上に免疫がないだろう。また、このブログでは2つ前の記事に出て来た話題だが、現実世界で「生きづらさ」を抱え実体験が少ないことでは人後に落ちないASDの若者がそういうものに曝露したら―。
 (私は以前から、「自己啓発本」の中心読者はASDかそれ気味の人ではないか、と疑っているのだ。この人たちはもっと年を取ってからでも人を信じやすく、詐欺に遭いやすい)

 そうした若者が社会人になるとどうなるか。

 上司の言うことを話半分にきく若者になる。上司の話は、しみじみした人生訓になるか鬱陶しいお説教になるか、上司自身の力量にもよるし受け取る側の状況や心の構えにもよる。しかしちゃんとした力量のある、人格的にも正しい上司の言うことでも、自己啓発本にかぶれた若者にとっては耳に入らない、「鬱陶しいおじさんの説教」になる。本人の学習に結びつかない。本当は、本人を目の前でみてフィードバックしてくれる人の言うことをきちんと聴いたほうがとりわけ若い人には大事な学習になるのだが。

 著名人にかぶれるということは、こわい。これもストレングスファインダーで〇〇〇〇を持っている人にはありがちなのだが、「カリスマ好き」。この人たちにとっては、カリスマの言うことには信じられないほどの重みがあり、その裏をとるとか妥当性を検証するなど思いもよらない。一切のフィルターなしに無批判に頭の芯へ入っていく。一方で平凡なサラリーマンの上司の言うことにはまったく価値がない。要はこの人たちは「偉い人バイアス」が強いのだ。

 こういう傾向はこれまでは、思春期に強くみられその後だんだん直って正常化していくものだが、今どきの風潮だと、いつまでも直らない。ネットで、SNSでなまじ偉い人と直接コンタクトでき、フォロワーになったりお友達になれるからだ。偉い人が一言何か言うとワーッと「そうだそうだ」のコメントがつく。無批判に偉い人の取り巻き、金魚のフンをやってそれが楽しいのだ。そういう状態の人の耳には、周囲の普通のまともな人の言葉は入らない。

 嘆かわしいことだが、今どきの不況にあえぐ出版界では、「著名人著者」におんぶにだっこである。上記の「自己啓発本」の著者が典型だが、ハイペースで粗製乱造の本を書く。到底、書きながら自分で中身を丁寧に検証したと言えないような、誇大妄想をそのまま文章にしたような。
(しかし、それらの本のAmazonレビューは上記のような事情で、★5つだらけである。)


 この構造はいつになったら直るのだろう。
 わたしは、管理者の側に関わる立場なので、こうした著名人著者やいかがわしい自己啓発本にかぶれたとみられる若者に振り回される側の相談をよく受ける。

 イタチごっこだが、やはり上司教育の方からきちんとやり、若者が上司の指導を通じておかしな本を読まないでも人生を切り開く力をつけていくよう持っていくのが王道だと思う。
 このブログによく出てくる漢字2文字の単語は、若者の脳の「内側前頭前皮質」に働きかけ、外部の規範を取り込ませるには有効である。若者本人を目の前でみている上司はその点アドバンテージがある、「漢字2文字の単語」のなかでももっとも正しいやつをできるわけだから。
 自己啓発本にもまともな本といかがわしい本とあるのだが、いかがわしい系の自己啓発本が売れなくなるのが、幸せな社会の姿だといえるだろう。


正田佐与