※この読書日記はシリーズ化しました。

1.悩ましくも学び多き俯瞰図の第二弾―『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』読書日記編
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51931354.html

2.『ビジネススクールでは学べない―』経営学は”残念な学問”か?考察編(1)「ダイバーシティー経営は損か?」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51931381.html

3.『ビジネススクールでは学べない―』世界の経営学は周回遅れ?考察編(2)リーダーシップ、内発/外発、レトリック
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51931424.html

4.痛みに満ちた進歩の歴史と「こころの退化」と―世界の経営学にNOを言う 考察編(3)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51931465.html



『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』について、考察編の蛇足のような記事です。


※ここまでの流れをお知りになりたい方はこちらをご参照ください

悩ましくも学び多き俯瞰図の第二弾―『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』読書日記編

http://c-c-a.blog.jp/archives/51931354.html

『ビジネススクールでは学べないー』経営学は"残念な学問"か?考察編(1)「ダイバーシティー経営は損か?」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51931381.html

『ビジネススクールでは学べない―』世界の経営学は周回遅れ?考察編(2)リーダーシップ、内発/外発、レトリック

http://c-c-a.blog.jp/archives/51931424.html



 「ダイバーシティー経営」の知見について、なぜあれほど生理的嫌悪感をもったのだろう。

 今日の記事では、全然論理的・客観的でなく、むしろバイアス満載の、感情的・主観的な自分になって語りたいと思います。

 自分個人の体験として。
 わたしはバリバリの均等法世代、同法施行2年目に入社した女子です。入社したとあるマスコミの会社は業界の中でも女性活用が遅く、女性総合職の記者2期目、そして配属された部署では初めての女性記者となりました。
 そして平凡な話だと思いますが、上司は女性の受け入れについてなんら研修など受けておらず、違和感マンマンの表情でわたしを受け入れました。口を開けば「女の子は叱ると泣くんじゃないか」と言われ、一方では「叱られて初めて本物だぞ」と言われ(じゃあ女の子は永遠に本物にならないのかよ)、腫れ物に触るような扱い。
 過去にこのブログにも書いたように、そんな中でも精一杯優等生の1年生社員をやっていたのですが、中にはわたしが周囲のおぼえめでたいのをやっかんで悪質な嫌がらせをしてくる先輩社員あり。また当初は上司がそうした先輩の嫌がらせに盾になってくれていたのですが、前門の虎後門の狼というやつで、今度はその上司が「対価型セクハラ」というやつをやり、わたしはそれを断ったのでいきなり不興を買い、仕事を干されました。哀れ可愛がられっこだった1年生女性社員は、以後毎日ひたすら出社しては何もやることがなく、新聞を読むようになりました。約4か月その状態が続き体重は7kg落ちました。そして問題の上司が他部署への転属を打診しに来たので、組合に駆け込み、組合もさすがに「それは不当人事だ」と会社に掛け合ってくれ、私は希望通り地方に出してもらえることになりました。
 その地方勤務の準備のため警視庁、環境庁(当時)に各2か月詰めたのでした。かなり異例のことでした。
 地方に行ってからはこれも受け入れ先が渋々受け入れたようで、当初「無任所」、決まった担当先がなく仕事が何もないに等しかったのですが、その地方では手つかずだった医療分野を自分で開拓して特ダネを書くようになりました。そしてある時期は社内報に毎回名指しでおほめの言葉が載り、表彰もされるように。東京から地方巡回してきた社長や編集局長には「次の香港特派員はお前だからな」と言われ。
 東京勤務時代に本社に女性の宿泊施設がなく、それでも宿直勤務を希望したので、宿直に入っても男性と違って寝に行くところがなく、勤務が終わってから資料室でつっぶして寝ていたこと、地方勤務もまたその地方では「初物」になり違和感に囲まれながらの仕事でした。そしてそこにも悪意の先輩というのがいました。最近膳場貴子氏がNEWS23の降板を希望したと偽情報をリークされていましたが、わたしも結婚ネタをリークされ退職に追い込まれたようなものでした。
 わたしの10代くらいあとの女性でしょうか、その会社で初めて海外特派員に出たとききました。先輩女性たちの死屍累々のあと、死体の山を踏み越えて、初めて1人の女性特派員が誕生するのです。

 そういう、男性だけだった会社や職場に初めて1人の女性が入ることがどれほど大変なことか。軋轢の多いことか。志を貫こうと思えば、人としてどれほどの苦痛を味わい続けることか。経営学者たちにはわからないでしょう。
 こんにち、それなりの規模の会社にはどこでも女性がそこそこの人数いるのは、その蔭に多数の痛みに満ちた女性たちの人生があるのです。女性が存在できるようになったのは、闘争のすえに勝ち取られた「進歩」なのです。

 で、後輩や自分の娘のような世代の人たちにはなるべくもっとスムーズに働き、経済的不利益も味わわないで済んでほしいと思っているのだけれど、昨今のミソジニー(女性嫌い)の風潮はそんな思いをあざ笑うかのようです。
 だから、わたしは女性たちに不利益をもたらす言説にはNOを言います。

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 もう1つ、また「生理的嫌悪感」にまつわる話を。
 たとえば「白人、男性、同年代だけで固めた職場なら、ツーツ―で仕事がはかどって楽だなあ」こういうメンタリティに対して、わたしは不快感なのです。それは堕落したこころの状態だ、という気がするのです。
 読者の方は、いかがでしょうか。
 
 またひとつの実体験です。「女の園は苦手だ」と言いましたが、地元の商工会議所の人に頼まれて、「女性経営者の会」に2年ほど入っていた時期がありました。40歳前後のこと。
 その「女性経営者の会」は、主力は60歳代の女性社長たち。お父さんが亡くなったから、ご主人が亡くなったから、と受身なきっかけで経営者になった人が大半で、自力で起業した人は少数でした。そして、ホテルのレストランで毎月ランチをご一緒するのですが、まあ円卓に一緒に座っていても共通の話題がない。60代女性の共通の趣味で、踊り(日本舞踊)に行ったとかシャンソンに行ったとか歌舞伎に行ったとか、同年代同士ベチャクチャと話しておられる。こちらからは口を挟むとっかかりがない。
 そこで如才なくあれこれ話しかけられればいいのでしょうが、わたしと同様、「入っていけない…」と感じる若手女性経営者は少なくなかったようで、2年間のあいだにわたしと同年代の人が入っては辞めていきました。2年もったのは辛抱強かったほうでした。
 そのうち、その会の「外」で、やはりその会から脱落したという50歳前後の女性経営者と出会い、「もっと若い者同士の女性経営者の会をしましょうよ」と声をかけられましたが、行ってみるとそこもまた、今度は50代の人の集いの場でありまして。
 
 どうも、「女同士だから気安く話しやすい」場として設けられたところでは、メンバーは気安さを求め、女性同士というだけではなく、同年代同士というさらなる気安さを求めてしまうのです。こういうのは煩悩のようなもので、せっかく気安いのだからもっともっと気安く、と追い求めてしまうのです。
 たぶんそれはサークルのようなところだけでなく、カイシャでも同様で、女同士だからサクサク話が通じるかといえば、その中で年代ごとの壁をつくり、あるいは既婚者・未婚者の壁をつくり、いたちごっことなるでしょう。同質性を際限なく求めるでしょう。
 そういう、「べたっ」と同質な世界というのは、わたしは堕落だ、と感じてしまうのです。こころのどこかが麻痺しているように感じてしまうのです。
 たぶん仮にそういう中にいて居心地がよいと感じるとしたら、その場にはいない異質の人に対してはものすごく不寛容になりそうです。ヘイトスピーチなどもしてしまいそうです。男だったら、配偶者にDVなどもしてしまうかもしれません。また、女でも自分の子供が仕事の同僚のようにサクサク動いてくれないことに腹を立てるかもしれません。
 異質の人が周りにいるというのは、いいことなのです。こころの訓練になっているのです。同質の人だけと一緒に過ごしたいなどというのは、「退化」なのです。
 経営学が「こころの退化」を勧めるのなら、やはりNOを言いたい。


正田佐与