シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 物議をかもしそうなタイトルをあえてつけてしまいましたが、このブログの長い読者の方からみるとむしろ「自然」な結論ではないかと思います。

 わたしもきのうの記事(月刊人事マネジメント連載 部下の凸凹を包んで戦力化する)を入力していて気がつきました。別に悪意でもなんでもありません、「ASD」「発達障害」という言葉も別に差別語ではないですし。

 昨日の記事の中から、「ASD(自閉症スペクトラム障害)」について書いたところを抜き出しますね。

 またASDは、全人口の1〜2%(最新の報告では4%)を占めるとされ、「こだわりが強い、固定観念が強い」「他人の気持ちに想像力が働かない」「変化、変更が苦手」「ごく狭い範囲の仕事にしか関心がない」などがあります。


 中室氏を昨年一気にスターダムに上らせた著書、『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中の記述の1つ1つ、またロジックの1つ1つに、「これだけIQが高くてかつ定型発達の人だったらまずやらない」と思われるような、間違いや雑な(荒っぽい)記述があります。


1.1月1日の記事に取り上げたように、「ほめ育てはしてはいけない」と本の冒頭で言いきっているが、中身をみると論理が破綻している。結論ありきで、データは単に並べてみただけ。こういうのは「エビデンス詐欺」とでも言うレベルで、学者として信頼するに値しません。

2.「老婆の個人的体験」という言葉を統計学の西内正啓氏の引用ではあるが、何の疑いもなく言ってしまっている。「脳科学おばあちゃん」の久保田カヨ子氏のことだと思いますが。「老婆」って普通言わないでしょう、中室氏は40歳でかなり美形の方であるのは認めますが。

3.本当は、エビデンスの中にも「エピソード(のシリーズ)」は含まれるので、現場の個別の情報をないがしろにしていいわけではないのです。(Wikiの「根拠のある医療」の項参照)中室氏はそうしたことは一切言わないし、「老婆」「お母さん/母親」などという言葉で貶めるので、エピソードを語ることは恥ずかしいことだ、という思い込みを読者に作らせていなかったろうか。
(注:「一切言わない」は言い過ぎでした。この本の「補論」のところに、Wikiにもあるようなエビデンスの階層表を載せ、その中に「症例報告」というのも入っています。ただ、多分この人自身、「症例報告」の意味が分かってなかったのではないでしょうか)

このほかにも、

4.親を読者対象にした第2章は全体に記述が雑。1.にみるような、エビデンスと結論のフレーズのつながりが悪い例がほかにもみられ、「親をばかにしているのだろうか、この人は」と思う。逆に他の専門家、政策担当者を読者として想定した章はみたところ慎重かつ丁寧な筆運び。専門家筋からこの本が評価が高いのも頷ける。そうした、人としては不愉快な二面性も、権威にすがることが大好きな一部のASDの人の特徴を想起させる。


5.Amazonレビューのコメント欄に中室氏自身とみられる「カスタマー」名のコメントが頻繁に出てくるのだが、3.と同様、「目の前の子供さんなど現場の個別情報」を軽視し、「統計が出した結論通りに対処するのが正しい」とむきになって言い張っていた。上記のWikiのページにも、「エビデンスがいくらあっても目の前の個々の患者をみなければならない」ということは明記されているのだが。こういう人は学問をする資格も政策提言をする資格もないのではないだろうか。

・・・

 いかがでしょうか。
 このブログの長い読者の方はご存知と思いますが、わたしはもともと女性のことは応援したい方です。せっかく頭角を表した女性学者さんを貶めたいなどは、本来つゆほども思わない人間です。

 しかし、この中室氏の言動はいただけない。
 「ほめる否定」ひとつをとっても、それが現場と子供さん方をどれだけ不幸にするか、想像力が働いていない。

 で、わずかこれらの証拠だけをとっても、この人がASDである可能性は高いだろうと思います。コダワリが強く、固定観念が強いので、「エビデンス=統計データ、≠エピソード」というような記述をしてしまう。また自分が「ほめる」を嫌いなので、それを正当化するためにめちゃくちゃな論理構成をしてしまう。他人の気持ちが想像できない(ただデマゴーグ的な才能は割とあるようだ)。現場情報を軽視するのは、興味の範囲が狭いから。

 統計というのは、その専門の方に失礼な言い方をしてしまいますが、「数字遊び」のようなところがあります。数字が好きな方だったら、飽きずに何時間でも何日でもその世界に浸っていられる。で、ASDの傾向のある人に数学的才能のある人も多いですから、そこにのめり込むことも自然です。
 ただし、統計は価値のあるものですが、あくまで手段でしかないのです。目的ではないのです。目的は、目の前の状況に最適解を出していくことです。


 ASDだということがわるいわけではありません。ASDを含む発達障害の人が普通に就労機会が与えられるように、ということをわたしも願って、このブログで一貫して記事を書いてきました。
 しかしそれとは別に、思考能力の一部に重大な欠損をもったASDの人が、沢山の人の幸せに関わるようなポストにつくことは正しいか?という問題はあります。
 企業なら、マネジャーに昇格させることは正しいか?また中室氏のように、「政策提言」それも教育という、沢山の子供さんの幸せに関わる政策提言をする立場になることは正しいか?

―他社さんの宣伝をするようで恐縮ですが、「インバスケット研修」をすると、上記のような「思考の一部情報への固着傾向、i.e.くっつきやすくはがれにくい傾向」のある人はある程度スクリーニングできます。ただしインバスケット傾向も、「決断過多」のリーダーをつくってしまう危険性はあります。また人によっては、インバスケット研修について膨大な予習をして、高得点をとることができるようです。

彼女がもし社会に対して誠実でありたいなら、診断を受け結果を公表し、

「私はこういう障害を持っていてそのために大事なことをよく見落とすことがある。現実の子供や子育てには興味は全くない」

と、きちっと公表したほうがいいと思います。子育て経験がないことを、「エビデンスのほうが大事だから子育てする必要はない」って正当化しちゃいけません。ASDの知能の高い方は、よくむきになって自己正当化をやりますね。

また、「承認」の講師として実感を込めていいますが、ASDの人は一般に「承認/ほめる」を苦手とします。気の毒なことですが感覚過敏なので、通常よりはるかに大量の「不快感情」を持って生きているからです。
中室氏は、「私自身人をほめることが苦手です。ですからこの件について語れる資格はありません」と、正直に認めたほうがよいのです。そういう謙虚な姿勢があれば、障害を持った学者として認知されても、信頼されて仕事していくことができるでしょう。


 彼女の出世作である本をぱっと読んだだけでも(多くの人は気づかなかったようだが)上記のような見落とし、間違いがあったわけです。
 専門家・政策担当者向けの章については、わたしは正直、ささっとしか読んでいないのですが、ここにも親向けのパートのように、恣意的なエビデンスの選択、並べ方、無理のある結論の出し方、が隠れている危険性はあります。書き方みこそ比較的丁寧でしたが。だからわたしはあんまりまじめには読めませんでした。鵜呑みにするととんでもないことが起こるな、という感じでした。
 そういうのは是非、ほかの教育経済学者さんが出てきてじっくり検証していただきたいと思います。この人以外の教育経済学者さんのご意見が是非ききたいです。

 ひょっとしたら、中室氏は「教育経済学界のオボカタ嬢」のような存在なのではないですかねえ…。


正田佐与

 
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中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 ―シリーズ『「学力」の経済学』批判 

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