シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 ろくたび『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

 お待たせしました、”中室提言”に対する「正田の回答編」です。

 1つ前の記事では、「中室本」の第4章・第5章を丁寧にみたうえで、”中室提言”のまとめとして、

1.少人数学級に「しない」。40人学級を維持(一部貧困地域では35人学級でもよい)
2.子供に未来のおカネの話をしておカネのご褒美を出すと学力が上がる。ほめない
3.質の高い先生とは学力を上げる先生である
4.先生の質を高めるには、「おカネ返して方式」の「負の成果主義」と「教員免許制度の撤廃」
 

と、いうことでした。

 これに対してわたくし正田の回答は、いくつかの項目がありますので、最初にまとめておきましょう。


【1】再掲・正田試論:
(1) 少人数学級―目的は、「普通の先生」でも「スーパー先生」に近いことができるようになること
(2) 承認+個人面談その他きめ細かい指導
(3) 先生方の経験交流

【補足】少人数学級の財源問題を考える

【2】最も経済効果が高いのはどんな教育か?
一人勝ちは経済効果が低い!
おカネで子供を釣る<精神的報酬を与える+人間関係を良くする+人格教育をする+自己効力感を与える
【補足】”中室提言”3.の質の高い先生とは本当に2.おカネで釣る、ほめないをやっている先生なのか?

【3】先生方は「経済人」ではない!
「おカネ返して」の成果主義で釣る<先生方に精神的報酬を与える

【4】アメリカ方式直輸入でダメになった日本企業の轍を踏んではならない
導入にはブリッジング試験が必要

【5】ランダム化試験そのものに潜む限界:本当に有効な手法はむしろ測れない
「つぎはぎ提言」は正しくない!多剤併用試験が必要



 それでははじめたいと思います―

【1】再掲・正田試論:
(1) 少人数学級―目的は、「普通の先生」でも「スーパー先生」に近いことができるようになること
(2) 承認+個人面談その他きめ細かい指導
(3) 先生方の経験交流

 詳細は、今月3日の記事(優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論 )に書かせていただきました。
1つ前の記事を見て「じゃああんたは教育あるべき姿はどういうものだというんだ?」というリアクションをされる方もいらっしゃいましたが、ここの記事で言いつくされています。

 個々に向き合うきめの細かい指導とセットにした「少人数学級」は、大きな効果を上げます。企業では、「承認+個人面談」は、学齢期の子供たちと共通の問題をもち指導しにくい今の若い人たちにも非常に有効だということがわかっています。もちろん極端に人数の大きな部署というのはその場合あり得ません。
 そして、今も10人に1人ぐらいはいる「スーパー先生」から他の先生が学べるよう、経験交流の時間を頻繁にとります。ここでも「承認」をベースにした対話が大きな効果を上げます。マネジメント層の方々は、ぜひそこで経験交流のためのファシリテーターの役割を果たしてください。
 「少人数学級」以外のことは、大きな予算措置を必要としません。

【補足】少人数学級の財源問題を考える
 でも「少人数学級」財源をどうするかって?
 35人学級を40人学級にすると86億円が浮くとのことでしたが、これは単純に、学級定員を5人減らすごとに86億円支出が増えるということだと思っていいんでしょうか。2015年度文教及び科学振興費全体は5兆3,600億円余で全体の5.6%でした(医療福祉費は31兆円)。もし30人学級にしたら86億円、25人学級にしたら172億円増えるんですね。それぐらい何とかなりませんか。国民1人当たり172円の増ですよね。

 わたしが思うのは、産業界によびかけて、法人税に上乗せした目的税にできないのか、ということです。未来の産業人を作るための重要な投資です、15年後には確実にリターンがあります、と言って。逆に今これをしなければひょろひょろのもやしっこしか入ってきませんよ、求人難倒産かメンタルヘルス倒産になりますよと言って。先生方は夜中までプリントつけして家庭生活も削ってるんです、普通の生活ができるように、企業で分担し合って先生を余分に雇うつもりになりませんか、と言って。公的教育が充実すれば、社員さんがたも子弟を私学まで行かさなくても地域の公立学校でいい教育を受けさせられますよ、と言って。だめでしょうか。 

 そういう、「今40人だから5人減らして35人にしてよ」「それには予算が―」みたいな、ちまちました議論ではなくて、「まずあるべき姿から」の議論をしてもいいと思うんです。企業の側は、むしろエビデンスなどなくても、部署編成をフラット化の30人40人ではまずいと思ったらすぐ昔同様の10人7人の規模に戻しているわけです。そういう判断が学校には随時出来なくて、身動きとれないというところが気の毒なんです。

 そのためにやっぱりエビデンスが全然無いのもまずいので、どこかモデル校で始めてほしいなあ、とせつに思います。「少人数学級が単独でどうか」ではなくて、「少人数学級+承認、きめ細かい指導」のセットで、2剤併用の形で。

 ただし、「ランダム化比較試験」にこだわる必要もないのではないか、とも思います。そのことは【5】で。



【2】最も経済効果が高いのはどんな教育か?
一人勝ちは経済効果が低い!
おカネで子供を釣る<精神的報酬を与える+人間関係を良くする+人格教育をする+自己効力感を与える
【補足】”中室提言”3.の学力を上げる質の高い先生とは本当に2.お金で釣ってほめないをやっている先生なのか?

 「おカネで釣る」。「中室本」には、ことのほか頻繁に出てきます。第2章で「お金でご褒美を上げても『よい』」。第4章で「将来のお金の話をすると、学力が上がる」。

 このくだりをみて、ひょっとしたらこのブログ読者の方は、いや〜な気持ちになった方もいらしたのではないでしょうか。わたしなどは、3人の子供をお金で釣ったことはほぼゼロ回に近いです。それでも子供たちは自分のお弁当をつくり、おせち料理をつくり、その年頃の子の中ではダントツで家事をする子たちでした。「子どもをお金で釣ることは、よくわからないけれどしてはいけないことだ」というタブー意識がわたしの中にはありました。読者の中にもそういう方はいらっしゃいますでしょうか。それは意味のないむだなタブー意識で、打破したほうがいいものなのでしょうか。
 いや、その勘は正しいと思います。

 『経済は競争では繁栄しない―信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と信頼の神経経済学』(ポール・ザック、ダイヤモンド社、2013年8月)では、「お金の話をすると人は道徳性が低下する」という話が出てきます。
(詳しい読書日記はこちら わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?神経化学物質オキシトシンの知見『経済は「競争」では繁栄しない』
「プライミング」(暗示)の実験で、お金を一瞬見せられお金について考えるよう仕向けられたグループは、他人を助けたり、他人に助けを求めたりする度合いが低く、一人で物事をこなす可能性が高まった。また、面接のために椅子を並べるように頼まれたとき、お金について考えるようにプライミングされたグループは、他人とのあいだに物理的に大きな距離を置いた。


 つまり、子供たちをお金のために頑張るよう仕向けると、人と助け合うより自分一人が勝って儲かればよいという「1人勝ち大好き」の人になってしまう可能性があるのです。このやり方で学力が上がったしても、そこで作った「学力」は、「人を蹴落とせ」という競争心を土台とした学力である可能性があるのです。
 人の個体差について考えるのがすきなわたしが考えるに、子供たちの中には、確かに生得的に「お金」がすきな子がいます。お金の価値観をもっている、という子。そういう子には、確かに「お金」をイメージさせて訴えるのが、勉強させるにも有効かもしれません。
 しかし、それはその子たちの個別指導で使えばよろしい。お金がとくに好きではない子まで、お金をインセンティブに使う必要はありません。従来通り、学ぶことそのものの楽しさを先生の言葉で伝えていただければいいと思います。
 「中室本」では、「学力を上げる先生が質の高い先生だ」と言います。子供たちの学力を上げた先生が、20年後も子供たちの収入を高めていたと。
 しかし、個人として「収入の高い」人を作ることが経済効果と言えるかどうか。
 わたしたちは、早期教育が作ったのか何が作ったのか、個人として優秀だがきわめて競争心の高い人物をビジネスの中でみることがあります。自分の周りのちょっと優秀な人を目障りだからと平気で潰してしまい、その人の半径10mぐらいにはペンペン草も生えない。そういう人は、自分自身は稼いでいても、周囲の人の年収を下げているはずです。したがってその人を育てたことの経済効果は、その人が潰した周囲の人まで込みでみた場合、非常に低くなるはずです。
 そうした「長期毒性」は、「中室本」の「お金で釣って勉強させる」方式について、まだ全然明らかになっていません。
 
 一方で、「正田試論」の記事の中に出て来た「スーパー先生」は、そのような優秀だが競争心が極端に高い人物を作っていたのではありませんでした。人格教育をし、1人ひとりの良いところを見出させ、優秀な子にはその優秀さをいかんなく発揮させながら、同時に周囲の子に思いやりを持つように仕向けていました。
 こういう子は、将来収入の高い人になった場合でも周囲の人の収入をも高めることができるのです。そういう人を作ってこその経済効果ではないでしょうか。
 競争ということも生まれつきの価値観で好き嫌いがあり、わが国では競争があまり好きではない人が多いようです。それに比べアメリカ人は比較的競争を好むところがあります。
 わが国で従来、優秀な人を作ってきたやり方をだいじにした方がよいのではないでしょうか。


【補足】”中室提言”3.の学力を上げる質の高い先生とは本当に2.お金で釣ってほめないをやっている先生なのか?

 「中室本」では、「学力を上げる先生が質の高い先生」という知見と、「学力を上げるためにはお金の話をしたほうがよい」という知見が無造作に並べられているので、じゃあ学力を上げ、20年後まで本人の収入を高めていた先生がやっていたことはそれだったのか、と錯覚してしまいそうです。しかし、この両者がつながっている保障はありません。
 「学力を上げる先生が質の高い先生」という知見を導き出した「チェティ研究」は、(1)1人の子供の学力の向上(2)その子の20年後の収入を追跡調査したもので、学力を上げた先生が具体的にどんなやり方で学力を上げていたかまではみていません。"中室提言”2.と3.は、まったく別々に出て来た知見です。むしろ、「チェティ研究」に出て来た優秀な先生は、わが国の「スーパー先生」と同様に、良い人間関係、高い道徳性に立脚した学力向上をやっていた可能性が大だと思います。
 「スーパー先生」たちが何をやっていたか。「結果変数」ではなくほとんどの瞬間、「媒介変数」のところを見て、つまり数字で測れない定性的な子供たちの様子を見、またそれらを「小目標」」として念頭に置いて仕事をしていた可能性があります。というお話を、こちら(「学力を上げる先生」はどこを見ていたか)に書かせていただきました。
 わが国でもし「チェティ研究」的なものをやるのであれば、今国内で高い学力向上をもたらしている「スーパー先生」方の生徒さんたちの「その後の収入」プラス「対人的行動様式」を追うといいかもしれませんね。そのうえで、先生方のやっていることを「解剖」するなら、それは意味のある研究になるだろうと思います。


【3】先生方は「経済人」ではない!
「おカネ返して」の成果主義で釣る<先生方に精神的報酬を与える

 1つ前の記事では、先生方の質を向上させるために、成果主義が試みられたがあまり成功しなかった。ところが、成果主義でも「減点法の成果主義」は効果があるという研究がある。というお話でした。
 「ふつうの成果主義」がなぜ上手くいかないか、その理由は経済学者の間でわかっていない、ということでした。
 えーっ、なんでわからないの!?とわたしなどは思います。読者の皆様、そう思いませんか?
 先生になる人というのは、基本的に「人がすき」なんです。そうでない人は、もともとあまり適性がなかった人だと思います。そして「人がすき」な人というのは、お金がすきという価値観をあまり持っていないことが多いです。絶対に両立しないとは言いません。でも多くは、「仕事はお金のためにやっているのではない。生徒やお客様に喜んでもらえるためにやっているのだ」と思っています。そういう人が多く分布している業界だと思ってください。
 経済学者にとっては「想定外」かもしれませんが、「経済人(ホモ・エコノミクス)」ではない人びとがいるのです。お金で釣られても心が動かない人びとがいるのです。
 それなのに「動け!」とばかり、「減点法の成果主義」まで実験してしまうというのは、知らないからとはいえなんと残酷なことでしょうね。「経済学者=バカ」という式がわたしの頭で渦巻きます。
「40人学級を維持した上で、先生方には残酷な負の成果主義を」
"中室提言"が言っているのは、とどのつまり、そういうことなのです。それで学力向上したからといって全然威張れません。わたしには、神をも懼れぬ行為をしているとしか思えません。そのやり方で単年度ぐらい学力向上の効果が上がったとしても、遅かれ早かれ先生の鬱休職や離職が続出するであろうことは火をみるより明らかです。中室先生ちゃんと責任を取っていただけますか。それを決定した役人も責任取れますか。

 逆に、学校の先生のような感情労働の人たちは「承認人」という概念が当てはまります。経営学で「承認論」を提起した太田肇氏の造語ですね。
 先生方に奮起してもらいたかったら、「承認」してあげればよいのです。多くは、「教室の王様」で、逆にだれも自分の仕事を監督してもらえない立場で実は「承認」に飢えています。マネジメントの人たちが細かく授業をみて、先生のちょっとした教材づくり、ちょっとした子供たちとの関わり、ちょっとした判断、を賞賛してあげたらどうでしょう。あるいはその自治体の首長や地元出身の有名人が―たとえばうちの神戸市だったら藤原紀香とか―が、しょっちゅう学校を視察して先生方にねぎらいの言葉をかけたらどうでしょう。
 そういうことをまだランダム化比較試験でやってみたことがないんですよね?たぶん、経済学者さんが興味を持たなそうなところですよね。
 でも経済学者さんが考えるほど、多くの人は「経済人」じゃないんですよ。そろそろ、そういうことを受け入れなくちゃ。

 
【4】アメリカ方式直輸入でダメになった日本企業の轍を踏んではならない
導入にはブリッジング試験が必要

 上記の「成果主義導入」と関連しましたが、実はひところ「アメリカ式」を繰り返し輸入して、どんどんダメになった分野があります。経営学です。
 『企業の錯誤・教育の迷走 人材育成の「失われた10年」』(青島矢一編、東信堂、2008年)という本では、バブル崩壊後に自信を失い、アメリカのビジネススクールで生まれた手法をどんどん輸入した日本企業の迷走ぶりを描いています。
(詳しい読書日記はこちら何を失ったのか、何を回復しなければならないのか―『企業の錯誤・教育の迷走』

 ここでは、「成果主義導入」で日本企業の営業組織・研究組織がそれぞれどうなったか、が出てきます。
 
 
営業職では・・・、
 転勤時の得意先の引き継ぎをしなくなった。引き継いでも、特に親しい顧客には「後任に引き継ぎ後半年たったら自社製品の購入をやめてください」と依頼する。
 随行営業をしなくなった。
 若手営業員の定着が悪化した。それまで離職率が低かったA社でも、2002年に入社した営業部員の3分の1が2005年までに辞めた。
 ・・・と、競争の「負の側面」が大きく出てしまいました。

 研究開発職では…
 創造性のある研究員を業績給でつくることはできなかった。創造性のある研究員が求めているのは金銭的報酬ではなく、インフォーマルなフィードバック。(もろに「承認」ですね)しかし業績給導入の結果、インフォーマルなフィードバックは減少した。
 組織としての創造性を発揮するには、部門間協力が必要だが、業績給で評価基準が明文化されると、協力にかかわる関係構築の作業が捨象されてしまい、部門間協力がわるくなる。(⇒実はこれも「承認」の応用で解消することがわかっている)



 さあ、では学校の先生の世界に「(減点法の)成果主義」を導入したら何が起こるでしょう?
 生徒の成績の改ざんなどは容易に起こりそうですね。また、ノウハウを教えない、承認しあわない、協力し合わない。

 もともと日本人はアメリカ人に比べて不安感が高く、競争心の低い人が多いので、わが国で成果主義を入れたら負の影響がもろに出やすいのです。喜んで競争して頑張る人などほんの少数、大半は他人の足を引っ張るという後ろ向きの頑張り方をします。

 さて、医薬品の世界には「ブリッジング(橋渡し)試験」というものがあります。
 アメリカで一通り開発して臨床試験までクリアした医薬品も、日本人では体質の違いで効果が弱かったり、副作用が強く出たりする可能性があります。日本人での安全を確認するため、数年にわたってもう一度日本で臨床試験をします。

 経営学の分野でも教育学の分野でも、「ブリッジング」は必要です。体質が違うものを試しもせずに入れるべきではありません。ただでさえ日本人とアメリカ人は、「不安遺伝子」の出現率において両極端。その他いくつかの「性格」に相関することが分かっている代表的な遺伝子型の分布もほぼ正反対、それぐらい、民族の「気質」が根本的に違うのです。
 いくらハーバードでいい結果が出たという知見でも、わが国で即政策として取り入れるようなことはないように願います。



【5】ランダム化試験そのものに潜む限界:本当に有効な手法はむしろ測れない
「つぎはぎ提言」は正しくない!多剤併用試験が必要


 ランダム化比較試験にこだわると、現実問題として、4つ前の記事(「少人数学級で学力は上がらない」はウソ!」にみた赤林研究のように、倫理的問題を避けるあまりきちんとした差が得られない結果に終わるという問題がついて回ります。

 医療でも臨床試験で治療群と対照群に分けるときにかならず倫理的問題が多少はあるわけですが、こと子供の教育は、対象が子供さんなので、自己決定に基づき参加する臨床試験より倫理的問題がより大きくなります。

 すると、全然思い切ったことがやれない。結果的に、現場が考える、実際に成功体験もあるような、本当に効果的な手法というのは、ランダム化比較試験では検証できないことになります。これはもう自己撞着のようなものです。

 だから、現場の感覚からいうと「なんで、そこ!?」というような、どうでもいいような仮説ばかり立てて実験してるじゃないですか。


 なので、いくら米教育省が「エビデンスはランダム化比較試験のことを言う」と明言したからと言っても、米国は米国、追随しないでいいと思います。たぶん多くの先進諸国で20人学級を導入したとき、いちいちランダム化比較試験で決めてはいないだろうと思います。「現場感覚」で決めたと思います。



 そして「つぎはぎ提言」の問題―、
 例えば、
(1)上記の「3.質の高い先生は学力を上げる先生」という知見と「2.学力を上げるためにはお金で釣る、ほめない」という知見をくっつけて提言するのは正しいか?
(2)また「3.質の高い先生は学力を上げる先生」という知見と「4.先生の質を高めるためには減点法の成果主義と教員免許制撤廃」をくっつけて提言するのは正しいか?
 (1)に関しては、チェティ研究に登場する質の高い先生たちが、現場でどんなことをやっていたかをみないといけません。2.お金で釣る、ほめない ではなかった可能性が大です。
 「お金で釣る」でみることができた学力向上はあくまで1学年の短期的な結果です。そのために何年にもわたって努力できるかどうか、は未知数です。一般には、お金によるモチベーション向上効果は短時間しか持続しません。
 また(2)提言3.と提言4.をくっつけることは正しいか?
 それはチェティ研究に出て来た質の高い先生が、「減点法の成果主義」でつくられたわけではない、ということです。「減点法の成果主義」というのは先にも述べたように、ものすごく非人道的な方法なのですが、それをやって先生方が1−2年は頑張れたとしても、数年内に息切れして鬱になっていくかもしれません。だれが責任をとるんですか。学級定員にもからむ問題ですが、先生方が鬱で休職する、離職するという問題も「コスト」としてきちっと扱わないといけません。現実にあることなのですから。

 こういう、現実にはつながっていない「つぎはぎ提言」、入山章栄氏の「複数次元のダイバーシティーを同時に導入しよう」という提言もそうなのですが、それが正しいかどうかは、その「つぎはぎ提言」を「多剤併用試験」として、新たに検証する必要があります。上手くいかない可能性が大ではないかと思います。

「質の高い先生」+「お金で釣る」でしたら、そのやり方で20年後まで収入が高かったか、また周囲の人間を潰すような行為をして複数人の総和でみると低収入になっていないか、そこまでみないといけません。
 わたしなどは、「お金で釣る」方式で育った子供さんが、将来犯罪者になる確率は普通より高いのではないか?ということを、本気で心配するほうです。

 そんなリスクのある教育を、実験できますか?

 経済学者という人種は、教育や実験の倫理的側面にあまり興味をもたないようです。わたしは多分それで、この本を読んだときイヤーな気分になりましたし第4章第5章を読んでも内容がなかなか頭に入らなかったのです。

 そんな極端なことをしなくても、今現場の先生方がおやりになっている優れた実践を「症例報告」として、エビデンスとして扱ったらいかがでしょうか。ランダム化比較試験は必ずしも必要ありません。



 以上がわたしからの「回答」です。

 この記事へのご意見、ご感想を歓迎いたします。是非、FBコメント、メッセージ、ブログコメントなどの形でお寄せください。

 
 きのう、美容院に行ってカットしてもらった25歳の美容師見習いさんは、入店5年目でした。シャンプーと掃除担当からいよいよお客さんのカットをできるように、今テスト準備を頑張っています。

「やめたいと思ったことはないですか?」
「ありますよー。シャンプーで肘の上までかぶれちゃったんです。こんな手でお客さんに触って申し訳ない…と落ち込んでいたら、お客さんが優しくて。
『頑張ってるね』
『手大丈夫?良くなった?』
『気にしないでいいのよ』
そんなふうに言ってもらうと、手治っちゃったんですよ」
「え、そういうので治っちゃうんですか」
「はい。あたしアホなんで、お客さんにほめてもらうと嬉しいんです」

ほめてもらえればうれしい、辞めないでいられる、皮膚も治っちゃう。なんと、いいご性格ですね。
そういうのが「頑張れる人」なんです。また、「周囲の人もハッピーにできる人」なんです。




正田佐与

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

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