阪神淡路大震災から21年目の1月17日、正田は和歌山に参りました。

 アドラー心理学の一昨年のベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会に参加するためです。

 アドラー心理学については、昨12月初めにシリーズで批判記事を掲載しました。

褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会

「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ

増殖中!インフルエンザより怖い「妄想症・ナルシ症」リスク対策は

 でフェイスブックで一度書いた話題ですが、結論からいうと、この講演会で質疑の時間に正田は「爆発」してしまい・・・。
 会場からマイクを握って「吠えて」しまいました。

 何を言ったかというと、

「会場の皆さんこんなこと信じちゃダメですよ!子どもさんは大いにほめてください、そして叱ってください。子どもはほめられたり叱られたりして規範を覚えていくんです。子どもと大人は対等ではない。子どもは無力で、そして依存しているんです」

「承認欲求を今否定されましたが、承認欲求は食欲と同様、人間の基本的欲求です。あまりにも承認欲求を満たされなかったらわれわれは鬱になってしまうんです。承認欲求を否定して、この会場にいる人の周りにうつが出たら岸見先生は責任を取れるんですか!」

「岸見先生の息子さんの話がなんども出てきますが、親の養育より遺伝形質が子どもさんに決定的影響を及ぼす、これは遺伝学者の共通見解です。岸見先生の息子さんは、IQの高い、言語能力の高い人だったのだと思います。おっしゃっていることはあくまで息子さんという個体に対して上手くいったということに過ぎない。個体差の問題なのです」

 ここで、会場から「質問は1つでしょう」と遮られて終わり。
 私としては人道的理由であえてルール破りをしたけれど致し方ない。
  本当はもう1つ、

「発達障害についてまったく『ない』ものであるかのように語っているがおかしいのではないか」

というのも言いたかったが果たせませんでした。

 講演の最初から、岸見氏が一言言うたびに

「それは、エピソードに登場する人物が発達障害なのではないか?」
「岸見氏のいうそのやり方でうまくいくのは、定型発達のIQの高い子だけではないか?」

といった疑問がわたしの頭の中をぐるぐる回っていたのでした。
 
 岸見氏と先日このブログで取り上げた『ほめると子どもはダメになる』の榎本博明氏は同じ1956年生まれですが、どうもこのへんの世代の心理学の人は「発達障害」がわかっていない。あるいは、知っていても意図的に隠している。

 「発達障害」という概念を避けながら人間関係の悩みについて説明すると、「理解不能な人」は永遠に「理解不能な不条理な人」だし、「こうすればうまくいくよ」という言い様が、すべて世界は定型発達の人だけでできている、という前提に立ったものだったりする。
 結果、一般人はいつまでも迷宮の中をさまよい、心理学者は永遠に優位に立ち続ける。

 本当は、「発達障害」の視点で問題をとらえてみるというのは、決してレッテル貼りではなく、有効な問題解決の方策であり、実は「悩みがストップ」する道筋かもしれないのです。
 でも、そのほうが親切なやり方だとは、かれら心理学者は考えない。底意地悪く、実際の問題解決に役立たないやり方を勧めるばかりです。

 
 さて、しかし冒頭のようなことを言ったわたしに会場からの目は冷たく。

 わたしの次に発言した年配の男性は、岸見氏に

「他人をけなすという人がいますが、どういうものですかな?」

と質問し、あたかも直前のわたしがした行為は「けなす」ということだった、と言わんばかりでした。実際、この人が「けなす」という言葉を発音したとき、会場の多くの人が私のほうを責める目つきで振り返りました。

―これは宗教の集会だ―

 ある程度は覚悟していましたが、ここまで「空気を読む」人々の集団だとは思いませんでした。

 もともと心理学の世界の辞書に「批判する」という言葉はないのです。「肯定しない」は、イコール「否定する」ということであり、「悪」なのです。
 哲学倫理の世界にはちゃんと「批判する」という行為は建設的な行為としてあり、また哲学のほうが心理学よりはるかに古い学問なのですが。

 
 また、わたしが思うに、そもそも「叱らない、ほめない」が好きな人たちというのは、ストレングスファインダーでいう「〇〇〇」、もしくは「受動型ASD」の人が多いのではないかと思います。波風を立てることがとにかく嫌い。葛藤が嫌い。岸見氏自身もその気があります。ひたすら穏やか。(ついでにいうと「子育ての成功例」として度々言及される岸見氏の息子さんも穏やかで知能も高い子どもさんだったのではないかと思います)

 彼(女)らは、たとえば「悪いものは悪い」とガンという、ということがそもそも苦手なのです。極端に不安感が高く、人に強いことを言うことができない。本人さんがアサーション的な問題を抱えています。また自分以外の他人が大声でだれかを叱っているのをきくのも嫌い。身が縮みます。

 「アドラー心理学が好き」という人は、その波風立たない穏やかな空気が好きなんです。

 だから、彼(女)らにとっては、強い口調でアゲンストな質問をするわたしのような女は、波風を立てるというそれだけで「悪人」なのです。


 この講演会では、れいによって「ほめてはいけない」の話が出て、たとえば岸見氏によれば、お母さんが3歳の女の子に
「よく静かにしていたね、えらかったね」
というのもいけないんだそうです。理由は、相手が大人だったらそんなことは言わないはずだからだそうです。そして「静かにしていてくれてありがとう」と言わなければならないのだそうです。

 質疑の時間では英語塾の先生が、子供たちに「来てくれてありがとう」「片付けてくれてありがとう」と言うが、「できてなかったことをできるようになった時、Good Jobと決まり文句があるが、ほかには言い方はないのか」という質問も出ました。
 Good Jobもダメな世界なんです。異常なの、おわかりになりますか?


 その後フェイスブックのお友達とのやりとりの中でわかってきたのですが、わたしも元々、「道場破り」をやりたくて講演会に行きたかったわけではない。本来は、話だけきいて大人しく帰ろうと思っていたのですが、

 会場で生身の人々をみていると、たまらなかったのです。本気で「泣けた」のです。
 
 ほめられも叱られもせずに貴重な子供時代を送る子供さんがいるということに。それが、ここにいる一見良心的そうな人々の子供さんだということに。

 また、「承認欲求」をまるで悪いもののようにくさされて、自分の承認欲求を他人に気取られるのをびくびく怖れながら生きていく人ができてしまう、ということに。


 でもその気持ちは会場の人々には恐らく伝わらなかったので、少し気落ちして帰って、そしてフェイスブックのお友達の皆様に慰めていただいたのでした。

 ある学校の校長先生は、

「子どもは褒めて、叱らないと育ちません。(^^)」

と書かれました。

またあるお友達は、

「私自身も職場によっては評価をされない職場がありました。その時の自分を振り返ると、人間はこうも脆いものなんだと思うほど、自信を喪失してしまったことを思い出します。ですので、承認は重要だと思っています」

と書かれました。

 そういう「当たり前」の感覚が今、すごく通りにくくなっています。

 そして本来幸せになれるはずの人たちが幸せになれないのです。
 この焦燥感、どうしたらいいのでしょう…。



正田佐与


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html 

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html