『承認と包摂へ―労働と生活の保障』(大沢真理編、岩波書店ジェンダー社会科学の可能性第2巻、2011年8月、以下「本書」)を読みました。

「骨折りや苦心が適度に分担され、同僚や他者に認められ、順当に報われること、また労働の場を確保するか、生活の糧を確保すること、これらが本巻の副題にかかげる「労働と生活の保障」の課題であり、それを「承認と包摂」という概念で把握している。」
と、「はじめに」(大沢真理)にあります。この一文の前半は、すべてのはたらく人、その中には女性労働者もその他のマイノリティの人も、また無償のケア労働を担う専業主婦の人も、すべての人がうなずくところ、共通の願いでしょう。
 
 先日の読者「NYさん」との対話の中でもお約束しました、障害者、高齢者、幼児ほか弱者への眼差しを強化していきたいと。
 それはコミュニケーションとしての「承認」ではなく、「承認」を法制度等に反映させる取り組みということになるかもしれません。
 それは本来わたしの手には余る、別の種類の力の必要なことですが。
 で「承認」とインクルージョン、法制度を扱っている本書はそのやりとり以前から積ん読してあったものですが、後学のためにも丁寧に読み込みたいと思います。ちゃんと、こういう学問的アプローチが日本でなされてたんですね。

(全然余談なのですが暮れにこのブログで批判的に取り上げた『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』について、先日日経新聞で識者の方が書評していらっしゃいましたが、一目で「あ、これちゃんと読んでないな」という表面的なものでした。Amazonの1つ星レビューのほうがよっぽど当てになります。)
(またまた余談で、わたしの本も以前新聞の書評で取り上げていただいたことがあるけど、あの時の書評子さんはどこまでちゃんと読んでたのかな…謎…)
 
 ちょうど、本書で触れている「ペイ・エクイティ(同一労働同一賃金)」は、今朝のNHKニュースの特集で取り上げていました。本書出版後5年を経過、旬な話題になってきていると言えそうです。

 本書は8人の著者による8本の論文、全8章からなります。どの章にも記録しておきたい知見や提言があり、今回は読書日記を前後編2部として、前編で第I部1〜4章、後編で第II部5〜8章をとりあげます。
 まずは全体の章構成をご紹介してから、第I部の読書日記に入りたいと思います。

序論 経験知から学の射程の広がり(大沢真理)
I ジェンダー分析の学的インパクト:社会的排除/包摂を見据える
第1章 経済学・社会政策の再構築―生活保障システム論」(大沢真理)
第2章 労働法の再検討―女性中心アプローチ(浅倉むつ子)
第3章 「価値の承認」・「資源の配分」の実証研究―ペイ・エクイティ研究の意義(森ます美)
第4章 承認と連帯へ―ジェンダー社会科学と福祉国家(武川正吾)
II 課題と可能性:再編成と共生
第5章 貧困と社会的排除―ジェンダーの視点からみた実態(阿部彩)
第6章 雇用の非正規化と労働市場規制(遠藤公嗣)
第7章 社会的経済が示す未来―イタリアの協同組合の事例から(田中夏子)
第8章 レジーム転換の福祉政治―包摂と承認の政治学(宮本太郎)
 
 それでは、前置きが長くなりましたが前編・第I部のご紹介をはじめます:

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第1章 経済学・社会政策の再構築―生活保障システム論(大沢真理)

 本書ではリーマン・ショックと東日本大震災直後の時代を背景に、
「社会・経済の再構築=復興は日本にとってまさに焦眉の急の課題であり、社会科学の再構築も欠かせない。そうした再構築において、ジェンダーの視点が基軸となる」(p.22)
といいます。
 そして、
「従来、工業化がる程度進んだ諸国での生活保障は『福祉国家』ないし『福祉レジーム』という枠組みで比較分析されてきた。それにたいして本章では、生活保障システムと言うアプローチを打ち出す」(同)
としています。
 なぜなら、
「20世紀第3四半期に整備された福祉国家は、実際には、『男性稼ぎ主』にたいする所得移転を中心としていた。その際の想定は、世帯のおもな稼ぎ手である男性が安定的に雇用され、稀なはずの失業の場合や老齢退職後に現金給付をおこなえば、家族の生活も保障される、というものだった(大沢2007)。逆にいえば、壮年男性が稼得力を一時的(失業、傷病)または恒久的(老齢退職)に喪失することが、主要な社会的ニーズと想定された。」(同)
 しかしその構図は1990年代には崩れた、といいます。新しい社会的ニーズが顕在化し、福祉国家の機能不全が覆いがたくなった。
「それに伴い、後述するようにヨーロッパでは『社会的排除/包摂』という課題が浮上した」(p.23)

 「潜在能力」「ニーズ」という用語が出てきます。経済学者アマルティア・センの提唱した用語。のちに言うように新古典派経済学の「効用」アプローチへの批判を含む概念となります。

「私(大沢)は、人として生活が成り立ち社会に参加できるという「潜在能力」を考え、その潜在能力の欠損を「ニーズ(必要)」と定義している。「ニーズ」は「需要(ディマンド)」と区別されなければならない」(同)
 ニーズは本来、個別的で多様なもの。そして、
「これまで、その社会で優勢な立場をもつ人、たとえば中以上の教育や稼得力をもつ健常な壮年の男性で、優勢なエスニック・グループや宗派に属する人が、「並」とされがちだった。ジェンダー・バイアスをはじめさまざまなバイアスがあるため、「並」でない人の追加的な財・サービスや機会へのニーズは、ニーズというより「甘え」や「贅沢」とみなされてしまう。」(p.24)

「見逃してはならないのは、潜在能力アプローチが、主流経済学の「効用」アプローチにたいする根底的な批判を含むことである。「効用」は、現在なお主流である新古典派経済学の最も基本的な概念の1つである。効用は「幸福」や「福祉」といいかえられることもあるが、主観的満足と理解してよい。新古典派経済学では、個人(実際には家計)は、あらゆる財・サービスについて明確な一貫した効用(感じる満足度)の順位づけをもっていることが前提され、本人が認知しないニーズなど存在しないことになる。また、異なる個人のあいだで効用を比較することはできず、他人の効用が本人の効用に影響することもないという。
 これにたいしてセンは、不利な状況にある人は自分の手が届きそうなものしか欲さず、第三者から見てきわめて不十分な分配にも「満足」を表明する場合が少なくないと指摘する。…とくに「階級、ジェンダー、カースト、コミュニティーに基づく持続的な差別がある場合」に、効用アプローチは「誤った方向に導く」と批判した」(p.25)

 次に、「福祉国家」「福祉レジーム」の定義とその限界のお話になります。
 エスピン⁼アンデルセンの福祉国家三類型。
「自由主義的」(アングロサクソン)、「保守主義的」(大陸西欧)、「社会民主主義的」(スカンジナヴィア)
 「アンデルセンによれば、社会民主主義体制の理想は、女性の経済的自立を含めて、個人が家族に依存せずに独立できる諸能力を最大化することにあり、その意味で「自由主義と社会主義の独特の融合」である。」(p.26)類型分けの指標となったのは、「脱商品化(decommodification)」。社会保険制度のカバレッジや給付水準をおもな要素とする。(p.26)

 これにたいしてフェミニストから、福祉国家類型論はジェンダー中立的な用語で記述や分析をおこないながら、分析概念や分析単位が男性を起点にすることが少なくないという批判が起こった。
 これをうけてアンデルセン自身が、ジェンダー視点も取り入れて自説を「福祉レジーム」の三類型へと進化させる。
 ジェンダー視点はそこで、「脱家族主義化(de-familialization)」という新たな概念として導入されている。脱家族主義化は、メンバーの福祉やケアにかんする家族の責任が、福祉国家からの給付ないしは市場からの供給によって緩和される度合い、あるいは社会政策(または市場)が女性にたいして自律性を与える度合いを示す。(pp.26-27)

 アンデルセンの類型論の限界。
1)「社会的経済(social economy)ないし「サードセクター」が位置づけられていないという批判がある。
2)現金給付中心の福祉国家の機能不全が露わになった。たとえば「ポスト工業化」に伴って顕在化してきた「新しい社会的リスク(new social risks)」に対処しがたい。
 新しい社会的リスクの例:仕事と家族生活が調和しないリスク、ひとり親になるリスク、近親者が高齢や障害により要介護になるリスク、低いスキルしかもたないか、身につけたスキルが時代遅れになるリスク、そして「非典型的」なキャリア・パターンのためにshs会保障から部分的にせよ排除されるリスク(ボノリによる)(pp.27-28)

 福祉国家論も福祉レジーム論も、国家福祉の比重が急速に高まり、際立っていた20世紀第3四半期の先進国の分析には有効だった。しかし、それ以外の時代や社会を分析したり説明するうえでの有効性は限られている。日本は諸類型の“ハイブリッド型”や“例外”として片付けられがちだったが、それは福祉国家論ないし福祉レジーム論の限界の現れともいえよう。(pp.28-29)
⇒そこで生活保障システム論

 生活保障システム論で設定する3類型(1980年前後の実態を念頭に)
「男性稼ぎ主」型、「両立支援(ワーク・ライフ・バランス)型」、「市場志向」型
・「男性稼ぎ主」型:男性の稼得力喪失というリスクに対応して社会保険が備えられ、妻子は世帯主に付随して保障される。大陸ヨーロッパ諸国と日本など。
・「両立支援」型:北欧諸国。ジェンダー平等。雇用平等のための規制、児童手当、乳幼児期からの保育サービス、高齢者介護サービスや育児休業などの家族支援制度。税・社会保険料を負担する単位は世帯でなく個人。税の家族配慮は控えめ、遺族給付は廃止。社会サービスは政府部門から提供される割合が高く、非営利セクターが活発なのは、市民の自己啓発や権利擁護の分野。
・「市場志向」型:アングロサクソン諸国。家族の形成を支援する公共政策は薄く、労働市場の規制は最小限。賃金は成果にみあうものとされ、生活保障を意図しないが、企業にとって価値があるとみなされる労働者には、相当に厚い企業福祉が提供される場合がある。非営利セクターが経済に占める比重は中位のレベル。なお米国はそのなかでも全国民をカバーする公的医療保険制度が存在しないという特異性をもつ。(pp.29-30)

「1人の稼得者と主婦という家族は、制度というより歴史上の例外だったように見える。それはつかの間の、20世紀半ばの幕間劇だったのだ(エスピン=アンデルセン)(p.31)

 生活保障システム論は、労働や経済にかんするジェンダー分析をふまえつつ、「福祉」を公的な所得移転や財・サービスの給付に限定せず、以下のようにあらゆる財・サービスの生産・分配やそれに伴う購買力の流れを視野に収めようとする。
4つの生産関係:
1. 賃金労働による商品の生産
2. 賃金労働による非商品の生産
3. 非賃金労働による商品の生産
4. 非賃金労働による非商品の生産(pp.31-33)

 ここで、生活保障システムの機能ないし機能不全について、「社会的排除/包摂」論を取り入れてそれをシステムの「成果(outcome)」を表す概念とする。
社会的排除:低所得や所得格差はもちろん、雇用機会の不足、言語や情報(教育)の格差、健康の不平等、市民権の壁などのために、社会のいろいろな場面に参加できないこと。1997年のアムステルダム条約では、社会的排除にたいする闘いが欧州連合(EU)の主要目標の1つに位置づけられた。
対理宇西欧諸国では社会的排除がとくに構造的な失業として現れたが、途上国では労働市場の内部にいても排除されている場合を軽視できない。…それはパートタイム労働者をはじめ一時的雇用、劣悪な条件の就労、社会保障へのアクセスから部分的あるいは全面的に排除された者などである。(p.33-34)

日本では
相対的貧困率:「相対的貧困」とは、世帯所得を世帯員数で調整した「等価」所得の中央値にたいして、その50%未満の低所得をさす。相対的貧困の世帯に属する人口が全人口に占める比率が相対的貧困率であり、中位所得から下方での所得分配(格差)を表す。(p.34)

 日本の貧困率がOECD諸国のワーストクラスにあるという状況にかんして、世帯主が労働年齢(18-64歳)である世帯に属する人口(以下、労働年齢人口)に焦点をあわせると、日本の特徴はつぎの通りである。
1. 貧困層に属する世帯のうち、就業者が2人以上いる世帯の比率が約4割と高い。他国では、労働年齢における貧困層といえば、ほとんど就業者のいない世帯かひとり親世帯であるが、日本では共稼ぎでも貧困から脱しにくいのだ。
2. 日本では貧困率の総体的な高さが、税と社会保障制度という政府による「再分配」に起因する。
2. について。日本の可処分所得レベルの貧困率は12.47%で、OECD諸国のなかで6番目に高い。市場所得レベルの貧困率は13.58%で韓国についで低いものの、可処分所得レベルでごくわずかしか低下しないため、OECDのワーストクラス入りしてしまう。(市場所得から可処分所得への貧困率の変化幅を市場所得レベルの貧困率で割った値を、再分配による貧困削減率と呼ぼう)
日本の特徴は、成人の全員が就業している世帯にとって貧困削減率がマイナスになっている。OECD諸国でこのような国は他に存在しない。日本の社会保障システムがOECD諸国きっての「男性稼ぎ主」型であるため。(pp.35-36)

日本の公的負担=歳入は、この間に低所得者にたいする冷たさを増した。1990年のGDP比歳入規模29.5%をピークに2003年まで低下し、2010年で27.6%となった(1990年代末以降に企業と高所得者・資産家にたいする減税がおこなわれ所得税の累進性は顕著に低下した)。この間に社会保障負担は一貫して上昇して2010年度にはGDP比12.4%となった(逆進性があり負担上昇は低所得者により重くのしかかる)上記のような労働年齢人口に対する貧困削減率がOECD諸国中もっとも低く、成人の全員が就業する世帯にとって貧困削減率がマイナスになる事態は、1990年代初年以来の税制改革および社会保障「構造改革」をつうじてつくり出された(pp.36-37)

米国政府が借金による過剰消費を煽ったのは、社会的セーフティネットが粗放なために、格差の拡大と雇用不安にたいする有権者の不満が昂じやすく、それをてっとり早く解消する必要があったからだ。…1990年代初め以来、景気の拡張が雇用増加を伴いにくくなっており(jobless recovery)、有権者と政治家の雇用情勢への反応はいっそう鋭くなったという。
しかも、米国の過剰消費の筆頭項目は医療費である。…米国の国民医療費は対GDP比で15%を超え、OECD諸国のなかで断然トップである。そうした米国の生活保障システムが、世界経済危機の原因ともなったのである。(pp.38-39)
 
日本:2010年の経済財政報告は、先進10か国について、最近の景気の底から3年間における所得の成長にたいする寄与を、営業余剰と雇用者報酬(ともに名目値)に分けて見ている。日本でのみ雇用者報酬の寄与はマイナスのままで、それを示す図の副題は「所得面での企業から家計への波及が遅れたのは我が国特有」となっている。(ただし、日本ほどではないにせよ、同様のパターンはドイツでも見られる)
 格差の拡大と社会保障の不備ないしその将来不安が、中国や日本での過少消費と過剰貯蓄を招いたとすれば、ここでも生活保障システムのあり方が、世界的危機の一因となったといえるだろう。その生活保障システムの類型と機能では、ジェンダーが基軸となっているのである。(p.39)


第2章 労働法の再検討(浅倉むつ子)

 ここでは、「(現状の)労働法の男性中心主義」と、すべてのマイノリティの引き上げにつながる「女性中心アプローチ」について語られます。

 しかし、労働法が包摂したのは男性労働者であり、女性労働者ではなかった。なぜなら、そもそも労働契約法理や集団的労働法の基礎理論の形成にあたり、労働法が対象とした「労働」とh、あくまでも市場労働としての「ペイド・ワーク(有償労働)」であり、その中心に位置したのは常に男性だったからである。(p.44)

 日本においても、1990年代には、.哀蹇璽丱覯修鉾爾Π豺駭働市場の維持の困難性、国内外の競争の激化、人口構造の変化(高齢化、少子化)、は働力の女性化(フェミナイゼーション)、ハ使の意識変化など、急速な社会変化がみられた。かつての標準的な労働者は減少し、多様なタイプの労働者が増大した。(pp.44-45)

 1995年に日本経営者団体連盟(日経連)が出した「新時代の「日本的経営」」は、非正規労働者の大胆な拡大を方向づけ、その後短期間で、日本の労働者全体の「正規」から「非正規」への転換が、大規模に生じたのである。(同)

 2010年時点で、労働者全体の35%に迫ろうとしている非正規労働者の中心にいるのは、女性労働者である。ただし、女性は正規労働者の中心ではない。実は、資本主義の時代を通じてずっと重要な労働力であり続けていたにもかかわらず、2つの理由によって、女性は常に「二流の労働者」であった。1つは、家族圏で担う「ケア労働(アンペイド・ワーク)」のために、もう1つは、妊娠・出産する身体をもつ存在であるために。
 ケア労働は対価を伴わないアンペイド・ワークとして、労働法の対象外であり、そのケア労働を担う者が女性であるため、女性は常に、労働法においては周縁的で補助的な労働者と位置づけられてきた。女性はまた、常に「労働する身体」と「産む身体」の矛盾の中で生きており、一時的に「労働する身体」として敬意やメンバーシップを獲得し、<承認>されたとしても(たとえば「男性並みの有能さ」を認められた総合職女性)、いったん妊娠・出産というプロセスに至れば、まぎれもない「女の身体」による困難さを経験する。労働法は、このような「女性」を、二流の労働者として「保護の対象」とすることはあっても、労働法の中心的担い手として登場させることはないのである。(同)

―大事な視点ですね。繰り返しこの認識に立ち戻らないといけないので、少し長く引用してしまいました。

―そこで本章の筆者は「女性中心アプローチ」を提唱します。

 女性中心アプローチは、従来の労働法理論にさまざまな修正を迫る。女性労働者は、労働市場において、低賃金で社会的評価の低い労働に従事してきた。女性の労働には、正当な経済的評価が与えられず、十分な物質的対価が付与されてこなかった。(p.46)

―このくだりは、ご想像される読者の方もいらっしゃるかと思いますが、わたし自身が引き受けてきた痛みでもあります。今の研修業について10数年、自分よりはるかに力量の低い男性が高額のコンサルティング料、講師料をとって仕事をするのを、何度目をつぶってみないふりをしてきたことだろう。かれらは何の成果も挙げなくても、企業研修・コンサルティングを実施した件数だけは「実績」としてわたしよりはるかに多い。それは、同じ男性の購買担当者が、男性同士思いやり合って優先的に生活の援助を行っているとしかみえなかった。また女性購買担当者も同様に差別的だった。彼女らは魅力的な異性である男性コンサルタント、男性講師のほうを選んだ。

 最低賃金制度の遵守、同一価値労働同一賃金原則の実現は、誰よりもまず、女性労働者にとって不可欠な要求である。女性は、男性が自分では引き受けたくない無償のケア労働を主として負担しているため、アンペイド・ワークとペイド・ワークをあわせれば、男性よりも長時間、労働に従事してきたことになる。労働時間短縮と休暇取得による私生活の確保は、女性労働者にとって何よりも優先すべき要求である。女性労働者は、妊娠・出産する身体をもつため、男性モデルとは異なり、格別な「生命・健康」の保障を必要とする。にもかかわらず、妊娠・出産・育児・介護により、女性労働者はしばしば就労できなくなったり、労働能力が低下したりすることが多く、これらに関連した不利益取扱いを経験してきた。(同)

 「労働する身体」モデルが「男性の身体」という強靭な体力・能力を前提とするものであるとすれば、そのモデル自体の強制に異議を唱え、障がいのある人、病気の人などを含む「多様な身体」をもつ労働者モデルが提示されるべきであろう。そして、性暴力や偏見をなくし、職場における人権侵害を根絶すること、すべての労働者の人格の尊厳を確保することは、職場の内部に「多様な身体」を受容し、<承認>することであって、これは女性中心アプローチにとっての基本的な要求である。(同)

留意点
(1) 女性中心アプローチは女性だけを特別扱いすることではない。「男女」のあらゆる労働者により広範に適用する。さまざまな雇用差別を禁止する法理、ワーク・ライフ・バランスの保障、妊娠・出産・ケア労働を理由とする不利益取扱いの禁止、同一価値労働同一賃金原則などは、女性のみならず、障がいのある人や非正規労働者にも汎用性の高い理論を提供してきた。セクシュアル・ハラスメントの概念を生み出した研究も、他の多彩なハラスメント概念の定着に貢献してきた。女性中心アプローチは、労働法がこれまで「他者」として排除してきたさまざまな人々の問題に焦点をあてる、それらの人々の<承認>の理論ともいえる。
(2) ここで変更を迫られる「男性労働者モデル」は、決して男性労働者の実像ではない。現実の男性労働者は、…身体的・心理的に脆弱性を有し、かつ、家庭でも職場でも、女性によるケアを支えにかろうじて職務をこなしている人々だといっては言い過ぎだろうか。…女性中心アプローチは、実は「男性規範」にとらわれ苦闘している現実の男性労働者の<承認>の理論でもある。

 今世紀になってからの少子化対策の中心には少子化対策基本法(2003)があり、「生活」への介入に抑制的な労働諸立法を尻目に、「子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかける」と、生活の内容にまで踏み込む前文をもつ。(p.48)

 WLBの内容については、2007年末に策定・公表された「WLB憲章」と「同行動指針」が、その大枠を示している。そこには、すべての労働者を対象とする包括的な「仕事と生活の調和政策」(広義のWLB)と、家族内のケア労働に責任をもつ男女労働者を対象とする「仕事と家庭の両立支援政策」(狭義のWLB)が含まれている。このようにWLB政策の全容が示されている現段階でなすべきことは、WLBを、少子化対策に従属するジェンダー不平等を伴う政策としてではなく、憲法、労働基準法(以下、労基法)などに規範的根拠をおく、ジェンダー平等の基本的要請にかなう政策として位置づけるために、積極的な提案をすることであろう。(p.49)

―このくだりの後半はちょっとわかりにくいですが、少子化対策は、「産む性」である女性に期待するところが大きい。ところが女性に産むことを強要することは女性の経済的損失につながりかねない。損失につながらない十分な保障をともなったうえで「産む選択」をうながすものでなければならない、という言い換えでいいんでしょうか。

―「承認と包摂」のなかにWLBが出てきました。うちの県(兵庫)には、全国でも唯一のWLB推進外郭団体があるんですが、2007年末の「WLB憲章」と「同行動指針」を受けて2009年、設立されたという流れと考えられます。
 それ自体は讃えるべきことですしわたし自身もそこで外部相談員をやらせていただいていますが、「承認概念」とWLBどういう関係性なのか、ということで、今ひとつ同意できないところがあります。
 「承認」は憲法でも保障されている基本的人権のもとになった概念なのです。近代以降の倫理、人格対人格の相互承認、それを法制度化したものが「基本的人権」なのであり、その一環として具体化するのがWLBなのです。わたしたちの社会の成り立ちとしてどちらがおおもとなのか、順序を忘れないでくださいね。なんて、ケンカ売りたいわけじゃないんですけどね。「承認なきWLB」は、「承認なき傾聴」と同様に本末転倒なんです。


 では「女性中心アプローチ」の観点から、WLB政策が備えるべき基本的要請:
第1の基本的要請は、「ワークの規制」と「ライフの自由」である。法は「ワーク」のあり方の枠組みを示し、その権利義務関係等を明確にする役割を担うが、他方、「ライフ」のあり方は、個々人の自由の領域でなければならない。
第2の基本的要請は、生命・健康の確保。それと矛盾する政策は排除されるべきであろう。
第3の基本的要請は、社会的価値が付与された活動の尊重が優先するということ。育児・介護など家族内のケア活動は、社会を支える再生産活動そのものであり、不可欠な社会的価値が付与されている。広義のWLBにおける「ライフ」には、すべての労働者を対象とする、自己啓発や社会貢献活動のための休暇の確保なども含まれるが、休暇日数の確保に上限がある場合や、業務上の必要性から配転すべき労働者の一定数を確保しなければならない場合などにおいては、優先的に配慮されるべき「ライフ」として、まず「家庭内のケア活動」がくることは当然といえよう。

―ここでいう第3の要請、これも以前WLB関係の人の発言に異を唱えた部分でした。妊娠出産子育て介護の要請と、例えば独身者の自己啓発の要請を同列に扱ってよいか、という問題。後者も大事は大事だが、前者の「ケア活動」すなわち社会の維持、種の保存に決定的に関わる活動とは重みが異なるのは当然だろうと思います。その当然が当然とされないのはわたしにはむしろ驚きでした。


―そして妊娠・出産と不利益処遇の問題。

 母性保護に関するILO条約は、「いかなる場合にも、使用者は…給付の費用について個人として責任を負わない」と規定する(4条8項)。しかしその意味は、出産休暇中の金銭・医療給付は、「強制的社会保険または公の基金」によるべきだからである(4条4項)。…すなわち、出産休暇の使用者負担の免除は、休暇の権利性を弱めるものではなく、むしろ、妊娠・出産が、女性労働者にいかなるマイナス効果ももたらしてはならない、というメッセージに他ならない。(p.52)

 ソフトロー・アプローチ(努力義務規定)の問題点。和田肇は、…ソフトローの多用は、法律の樹反論としても、法政策の実現手段としても、疑問であると述べる。両角道代は、ハードロー化を予定した「過渡的努力義務規定」の役割を、スウェーデンでは、労働組合・使用者団体の上部組織が締結する基本協定等が果たしていると紹介しつつ、男女雇用差別の禁止には、協約による逸脱を許さない純粋な強行規定である、と述べる(p.53)

 近年ではむしろ、<承認>の実現を重視する立場から、平等を促進する、より積極的な方策が主張されている。たとえばサンドラ・フレッドマンは、平等の潜在的な「4つの目標(すべての人々の尊厳と価値の尊重、コミュニティ内部への受容・承認、外部グループの人々への不利益のサイクルの分断、社会への完全参加)を達成するための、国家の「積極的義務(positive duty)」の存在を強調している。(同)

―おー。まさに現代、「承認」の立法化という視点で立法を論じる人びとがいるんですね。

間接差別と複合差別。

 【間接差別】ところが、均等法7条は、間接差別を一応禁止するものの、その範囲を厚生労働省令で定めるもののみに限定している。具体的には、(臀検採用時の身長、体重または体力要件、▲魁璽絞霧柩儡浜制度における総合職の募集・採用時の転勤要件、昇進時の転勤経験要件、という3つである(均等則2条)。省令による限定には批判も強く、2006年均等法改正時の附帯決議では、厚生労働省令で規定する以外にも司法判断で間接差別が違法とされる可能性があること、厚生労働省令の見直しを機動的に行うことが確認された。(p.54)
 【複合差別】ある人に対して、重複する2つ以上の差別事由がある場合には、その差別的効果や被害は甚だしくなる。たとえば、人種とジェンダーが交差する差別について、ある論者は、黒人女性と白人女性が経験する差別が類似しているというのは誤った仮説だ、と述べる。人種とジェンダーが一緒になると、2つの差別が加算・総計されたものよりも、さらに悪化した条件がもたらされ、相乗作用が生まれる、という。このような認識に基づき、最近のEU指令やイギリスの立法は、「複合差別(multiple discrimination)」や「結合差別(combined discrimination)」を禁止する条文を設けるに至った。
重要なのは、かかる複合(結合)差別禁止概念を設けることによって、差別の立証が容易になるということである。(pp.54-55)

―たぶん、わたしが受けている差別は「(大学人でない)民間人」と「女性」それに「主婦」「母親」が複合したものなんだろうなー。


―さて、やっと「同一労働同一賃金」が出てきました。

 労働法の学説には、同一価値労働同一賃金原則は、職務給を採用している欧州的な賃金形態を前提として構築されたものであり、日本では適用不可能であるとか、あるいは、かなり日本的にアレンジしたものでないかぎり適用できない、とする否定的な見方がある。たしかに日本と欧米の賃金支払形態は異なる。欧州では、企業横断的に締結される労働協約によって職務給を定めるシステムがとられているが、大半の日本企業が採用している賃金制度の多くは「職能給」である。ILO条約勧告適用専門家委員会も強調するように、同原則を適用するうえで「職務評価システム」は欠くことのできない手段である(p.55)

―では日本では実現不可能なのか。筆者らは2010年に「同一価値労働同一賃金原則の実施システム」を提案した。以下はその概要。

 まず、同一価値労働同一賃金原則を、男女間/正規・非正規間に適用される立法において明文化する必要がある。男女間の賃金差別を禁止する条文である労基法4条には、「同一価値労働同一賃金」を定める明文規定はない。…まずは労基法に、明文で男女同一労働・同一価値労働同一賃金原則を盛り込む必要がある。
(中略)
また、正規・非正規労働者間でこの原則を具体化するために、労働契約法、パートタイム労働法を改正し、「使用者は、合理的な理由がある場合を除いて、同一価値労働同一賃金原則を遵守しなければならない」旨を条文化することも必要である(p.56)

より重要なことは、日本にかかる原則を根づかせ、かつ、裁判所や行政機関が同原則にのっとって判断する「具体的なシステム」を構築し、提案することである。
1.「得点要素法」による職務評価システム実施マニュアルの策定。職能給制度しか経験していない企業には、職務の価値評価の可能性を示すメッセージとなる。厚生労働省は、2010年4月に「職務分析・職務評価実施マニュアル」を公表し、パートタイム労働者と通常労働者の職務を比較する提案をした。ただしこれは、比較すべき職務の範囲がきわめて狭い「単純比較法」である。これに対して、私たちの提案は、「知識・技能、負担、責任、労働環境」の4大ファクターを採用する「得点要素法」であり、労使が参加する7つの段階を踏むことを求めている。
2.「賃金差別」に事後的に対処するため、司法の領域において「独立専門家」制度を設けること。
3.賃金の平等をより積極的に推進する政策としての「平等賃金レビュー」の実施という提案。イギリスの政策に倣い、企業が労働組合と一体となって、個別訴訟を待つことなく、事前に積極的に組織内の賃金格差の有無をチェックして、自らの手で可能なかぎり不合理な賃金格差の解消をはかるというものである。(p.57)

―最後に本章は、ハラスメント概念の定着を「女性中心アプローチ」の労働法における貢献として締めくくっています。

 このことは、労働の場では非能率的と評価されやすい病者、弱者、妊娠・出産する女性、障がいのある人や高齢者などを尊重する結果をもたらしている。「労働する身体」をもつ健康な男性のみのホモ・ソーシャルな場であった労働の領域が、「労働する身体」に足りない存在である多様な労働者の存在を可能にするように、変容を迫られているのだ。(p.58)


―次の章では、より具体的に「同一労働同一賃金」を取り上げます

第3章「価値の承認」・「資源の配分」の実証研究
―ペイ・エクイティ研究の意義(森ます美)

 今日に至るも、日本の男女間賃金格差問題はなんら解消されていない。2009年の女性の賃金は男性の69.8%に留まっており(厚労省「賃金構造基本統計調査」、一般労働者の所定内給与額)、OECDの国際比較データで見ても、2007年の日本ののフルタイムでの男女間の賃金格差(男性=100として女性は68)は、韓国(同62)に次いで2番目に大きく、これに続くカナダ(同79)、イギリス(同79)、アメリカ(同80)などアングロサクソン諸国に比べても際立っている。
 女性雇用者の55.1%がワーキング・プア(働く貧困層)である。労働市場のジェンダー・バイアスが、女性の貧困と生活困難を男性以上に深刻化させていることは明らかである。(p.63)

「政権交代」後の2010年、第三次男女共同参画基本計画に「同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約(ILO第100号条約)の実効性確保のため、職務評価手法等の研究開発を進める」ことが明確に位置づけられた。また、同年4月、厚労省が「パートタイム労働法に沿った職務評価手法」である「職務分析・職務評価実施マニュアル」を公表した。(同)

 ペイ・エクイティ(pay equity)は、ILO第100号条約(「同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約」、1951年採択)が規定する同一価値労働同一賃金原則(equal pay for work of equal value)を指す。…この原則では、男女の従事する職務の価値が「同一価値」でない場合でも、職務の価値に比例した賃金の支払いを求める「比例価値労働比例賃金(proportionate pay for work of proportionate value)」がその論理にかなった拡張概念として認められている。(p.65)

 ペイ・エクイティの実施プロセスは、大きくは次の4つの段階から成っている。―性職(女性の職務)とその比較対象となる男性職(男性の職務)の選定と職務分析、⊃μ撹床船轡好謄爐虜定、職務評価の実施(職務/労働の価値の決定)、て碓豌礎/比例価値に応じた女性職(女性)の賃金の是正、である。このプロセスで最も重要な局面は、ジェンダーに中立な職務評価システムの設定と労働の価値に基づく賃金の配分である。(同)

 ジェンダーに中立な職務評価システムの策定とは、ブルーカラーや管理職など男性職に有利な評価基準に立つ伝統的な職務評価制度のジェンダー・バイアスを廃し、従来見落とされ、過小評価されてきた女性職の特性を公正に評価できるシステムを再構築することである。例えば、女性が従事する看護・介護・保育など対人サービス職種に要求される「感情的負担」や「患者や利用者に対する責任」、人事部または顧客サービス課の事務職に求められる従業員や顧客に関する「個人情報の管理に対する責任」などのサブファクターの採用とポイントの適切な配分である。(p.67)

1970-80年代の(欧米諸国の)ペイ・エクイティ運動の固有の意義は、ジェンダーに中立な職務評価システムによって女性職(女性)の労働の価値の公正な承認と、労働の価値に基づく資源(賃金原資)の公平な配分を実現することにあった。男女間の配分の不平等、経済的不公正への異議申し立てである。(同)

日本での調査事例(商社):
1997年、ペイ・エクイティ研究会が行った「商社の職務に関するアンケート調査」による職務評価の結果。回答者は大手総合商社を含む15の商社の営業職に従事する男性42人と女性77人(男性は全員が総合職、女性は74人が一般職、3人が総合職)。
 指摘される点:
1. 女性の担当職務の価値(95-110点前後に集中)は、男性(105-125点前後に分布)よりも相対的に低く、商社営業職における性別職務分離が推察される。女性従業員にその「価値」に比例した賃金が支払われているかを平均として見ると、職務の価値の男女比100:88に対して賃金額の比は100:70と低く、女性に対して公平な賃金原資の配分が行われていない。
2. 実際に同一価値の労働に従事する男女が混在する職務評価点106-116点の範囲に注目すると、総じて女性の賃金は男性よりもかなり低く、男女間賃金格差が大きい。女性に比べると、男性従業員は同一価値労働に対して過大な承認を受け、高額な配分を受けていることがわかる。
3. 同一価値労働に対する賃金格差は男性間でも非常に大きいことが明らかである。例えば、職務評価点120点前後の同等価値労働に対する賃金格差は最大で50万円(最低賃金額25万円、最高賃金額75万円)にも及んでいる。同様の傾向は他の職務評価点でも指摘できるが、賃金額が40万円以下の営業職男性のほとんどは勤続年数が10年未満の若年層である。
 以上から明らかなように、日本の賃金は、ペイ・エクイティの原則から見ると、性と年齢による差別賃金である。女性と若年男性の職務/労働には、その価値に相応しい賃金原資が配分されておらず、公正な配分から排除されている。換言すれば、その「価値」に見合った承認を受けていないのである。(pp.67-69)

 「男性稼ぎ主」規範にたつ日本の年功賃金制度が性と年齢による差別賃金をもたらす。日本の雇用を特徴づけてきたのは、<終身雇用と年功賃金>制度であり、それを支えてきたのは男女の<性別役割分業(規範)>である。(p.69)

 日本の「男性稼ぎ主」型賃金制度が持続されてきた社会・経済的要因:
1. 男性正規労働者間(女性不在)での「公平観」。
2. 「企業」と「賃金」への依存度が極めて高い日本型生活保障。家計収入構造の比較では、実収入に占める男性世帯主勤め先収入の割合は80.9%(2009年)で突出して高い。日本の低い社会保障・社会福祉を「企業福祉」が代替してきた。
3. 日本の社会では、賃金決定が「企業内在的」に行われている。(組織ベースorganization-based 賃金制度)。日本の企業における賃金原資の労働者間配分の企業内在的な決定という原則は、「男性稼ぎ主」規範と結合して、若年者と女性への低い配分と、成人男性への高い配分を可能としてきた。パイが一定に枠づけられたなかでは、ジェンダーによる差別的配分としての女性の低賃金が男性の高賃金を保証し、両者は競合関係に立っているのである。(pp.72-73)

 正規・パート間賃金格差の根本的な問題は、雇用形態の差異を根拠に、パートと正規労働者の賃金決定基準がまったく異なっていることにある。そこでは職種・職務の同一性・同等価値性は少しも顧みられていない。日本の企業別・正規労働者中心の労働組合組織が、パートタイム労働者への同一価値労働同一賃金原則の適用に力を発揮していないことも、正規・パート間の賃金格差の解消を遅々としたものにしている。(p.73)

―そしてふたつの職種での「ペイ・エクイティの実証」が紹介されます:

【ホームヘルパー】
(結論部分)介護職であるホームヘルパーや施設介護職員には、仕事の価値に比べて過少に、他方、診療放射線技師に対しては、仕事の価値を超えて過分に賃金配分がなされていることになる。年収換算の自給では、ホームヘルパーと診療放射線技師の賃金が仕事の価値から乖離する度合いはさらに拡大し、同等価値労働に対する賃金評価はおよそ2.3倍である。
 仕事の価値から乖離したこの賃金格差は、ホームヘルパーや施設介護職員が公正な配分から排除されていることを示している。4職種の職務評価によって、介護労働者に対する賃金差別が可視化されたのである。ペイ・エクイティの原則に基づいてこれを是正すると、ホームヘルパーの「公平な賃金」は、表1に示したように、月収ベースでは現在よりも369円上昇して1605円に、年収ベースでは742円アップして1985円となる。(p.76)

【スーパーマーケット・パートタイム労働者】
(結論部分)正規従業員、役付パート、一般パートの職務の価値の比「100.0:92.5:77.6」に対して賃金額の比は「100.0:70.2:54.8」である。年収換算の時給で見ると、賞与が支給される正規従業員の賃金は2153円に上昇し、賞与が支給されないパート賃金との格差は「100.0:63.9:47.6」へと拡大する。少数の正規従業員の賃金水準に比較すると、外部労働市場で採用された多数のパートタイム労働者への賃金配分は、仕事の価値の高さにもかかわらず極度に少なく、大きな差別を受けていることがわかる。スーパーマーケットにおいて役付パ―トや一般パートの労働は相応の承認を受けていないのである。こうした公正な配分からの排除がパートタイム労働者の自立を困難にしている。
 ペイ・エクイティの原則によれば、年収ベースでは、役付パートで1991円、一般パートで1671円が仕事の価値に相応する合理的な水準であり、現在の賃金額よりもそれぞれ600円以上引き上げる必要がある。(pp.77-78)



「男性稼ぎ主」賃金(規範)は、グローバル化が進展する現代社会においては、三重の意味で時代不適合に陥っている。
1. 企業にとって。国際的な低価格競争に打ち勝つためには、コスト高の「男性稼ぎ主」賃金とフレキシビリティを欠く長期雇用は、企業にとって時代不適合となった。
2. 雇用者世帯における「男性稼ぎ主」賃金(規範)の時代不適合。1990年代末以降、企業による男性正規労働者の賃金の抑制と絶対額そのものの現象は、家計に深刻な影響を及ぼした。実収入に占める配偶者の勤め先収入の割合は低い分位ほど高くなっており、労働者世帯において「男性稼ぎ主」賃金による家族扶養」が急速に崩れ、夫婦共働きによる家計の維持へと移行している。
3. グローバルなジェンダー平等の地平から見た「男性稼ぎ主」賃金(規範)の時代不適合。欧米諸国に比較して突出して大きい日本のフルタイムでの男女間賃金格差、「家計補助」として市場評価されてきた主婦パートの低賃金、さらにこれを基準とした男女非正規労働者全般の低賃金という不公正の連鎖は、「男性稼ぎ主」賃金(規範)に起因している。(pp.78-79)

 ペイ・エクイティへの抵抗。非正規労働者の賃金上昇を怖れる企業経営者、企業によるその悪用と男性正規労働者の賃金低下を恐れる労働組合、真剣に家族の生活を心配する男性労働者などからの抵抗。(p.80)

 広島電鉄(従業員数1300人)の取り組み。同社と組合は2009年3月に、契約社員150人を全員正社員化し、「正社員2」と呼ばれる150人の社員も含めて賃金制度を「正社員」と一本化することで合意した。この改定で、「契約社員」「正社員2」の賃金が上昇する一方で、300人弱のベテラン「正社員」の賃金が月額5-6万円下がる。会社は、これら正社員の賃金の急減を避け、10年かけてゆるやかに減額し、かつ定年を5年延長したという。
 正社員は、「いつか契約社員と正社員の人数が逆転するのではないか。そうなった時、わしら正社員が契約社員の方に労働条件をあわせなければいけないのではないか」という事態を避けるために労組の説得を受け入れた。また会社は、今回の賃金制度の一本化に際して、総額人件費(パイ)を3億円増やすことを受け入れた。社長(現会長)は、「非正規の社員を犠牲にして企業が成り立つのは好ましいことではない。同じ職種なら公平な賃金の下で勤務をするようにした」と述べる。(同)

 賃金の公平観を経営者・労働者間で共有するにはどうしたらよいか。「分かち合い」の思想が労働者間で共有されることが重要だ。(p.81)

 ペイ・エクイティにより公平な賃金を労働の価値に相応しい適正な水準で確保するためには、1990年代後半以降大幅に削減されてきた総額人件費/雇用者報酬を回復し、賃金原資(パイ)の拡大を図ることが必要である。(同)

 労働市場において賃金の平等を達成するためには、正規・非正規労働市場を横断するペイ・エクイティを法や政策によって社会的に進めることが必要である。それは正規労働者と非正規労働者、男性労働者と女性労働者を同一労働市場に包摂することによって均等待遇の実現を図るものである。(p.82)

 労働規制の緩和を進め、賃金決定を市場の労働力の需要と供給の均衡にゆだねる主流経済学の賃金政策が格差と貧困を増大させてきたことは、1990年代後半以降すでに確認済みである。平等賃金規制が強いEU諸国において、賃金のジェンダー格差が小さいこと、他方、日本でも改正パートタイム労働法によって、全く不十分ながら同一(価値)労働同一賃金規制を部分的に導入せざるを得なくなったことはその証である。(同)

 とはいえ、ペイ・エクイティ政策は、その先進国であるアメリカ合衆国において、1990年代以降、「経済の再構築」を追求する新自由主義の政治経済勢力から労働市場への干渉として激しく攻撃され、後退を余儀なくされてきた。賃金に対する政府の規制は労働市場の硬直化を招き、規制緩和と雇用のフレキシブル化による現代の経営戦略と直接に矛盾すると批判されたのである。(同)

 日本ではまずはペイ・エクイティの実施システムを確立することが喫緊の課題である。
1. ILO第100号条約に基づくペイ・エクイティ理念を社会に浸透させること
2. ペイ・エクイティの実施を担保する日本の法制度の整備
3. ペイ・エクイティの基礎をなす職務評価システムと職務評価の実施プロセスの構築と社会的確立。(pp.82-83)

第3章のまとめ: 「賃金」と「社会保障」のバランスのとれた生活保障へ。
 西欧諸国と比較して日本の社会保障支出が著しく少なく、しかも社会保障は年金と医療保険に特化した、所得保障中心の構造を持つことはよく知られている。夫婦共稼ぎ世帯の主流化は、これまで妻が無償で担っていた家事・育児・介護等を代替する福祉サービスへの需要を高め、生活を維持するための公共的な対人サービスの提供が不可欠となる。(p.83)

 家族扶養にかかわる家計費とケアサービスが、ユニバーサルな家族手当や福祉サービスとして十全に提供されるならば、ペイ・エクイティによる公平な賃金の最低水準は、論理的には労働者自身の再生産費に近づくことができる。この段階になれば、生活を維持するための「賃金」と「社会保障」のバランスは、現在とは大きく変化しているはずである。(同)


第4章 承認と連帯へ

―ここでは、「ネオリベラリズム」とそれに対抗するものとしての「ジェンダー社会科学」の関係に紙幅を割きます。
 だいぶ疲れてきたので、途中の内容は後日改めて加筆させていただくことにして、章末のまとめ部分の文章だけを抜き書きいたしましょう。

 このように考えてくると、福祉国家の制度がその実現をめざしているのは<承認>と
<連帯>だということができる。もっとも社会給付(再分配)は<連帯>の証しであるが、<承認>のために社会給付が必要となることもありうる。また社会規制は<承認>の前提だが、<連帯>のために社会規制が必要となることもありうる。用語法はともかく、このような<承認>が福祉国家をめぐる規範的議論の中心に据えられるようになったということも、ジェンダー社会科学の影響の1つの表れである。
 20世紀の第4四半期以降、ネオリベラリズムが隆盛を極めた。それは生産レジーム、システム統合、交換の正義を重視するものだった。ジェンダー社会科学は、このトリニティを相対化するうえで重要な役割を果たしてきたと思われる。(pp.106-107)

―思い切りアバウトに考えると、東西冷戦の終結以降、資本主義が我が世の春を誇ったわけですが、資本主義の暴走の形態としてのネオリベラリズムを止める、社会主義に代わる対抗勢力としてジェンダー社会科学が台頭した、そんな感じで理解しておいたらいいのでしょうか。

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後編では貧困と社会的排除、雇用の非正規化などの章を引き続き取り上げます。
あたまがつかれる…でも押さえておかないとね。


正田佐与