このところ、「学者さんが立派な肩書を使って全然正しくないことを言う」という現象が続いています。(もちろん、わたしの信頼する少数の学者さんはそうではありません)
 北朝鮮もミサイル発射する物騒な世相、そんな中では人びとの頭の混乱が加速し、それに便乗してご商売する学者さんや出版社さんも増えるいっぽうかもしれません。

 去年もアカデミズムに疑義を呈する記事を何本かアップしております。代表的なのはこちらの3本:
●試論・学者さんはなぜ間違うのか
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51921811.html
●正田がアカデミズムに行かなかったわけ、「知性の失敗」、でもフランクフルト学派に興味津々
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51925522.html
●科学の限界性、認識の限界性―アカデミズムも盲信してはいけない?千葉大学・広井良典教授との対話
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51931204.html 

 で、「学者はなぜ正しくないことを言うのか」。
 しつこいようですが信頼する学者さんがたにはご迷惑を掛けてしまうようなタイトルですが、そのことを説明する本があったのでご紹介します。
 「女装の東大教授」安冨歩氏の著書『「学歴エリート」は暴走する―「東大話法」が蝕む』(安冨歩、講談社+A新書、2013年)。安冨氏は東日本大震災直後に『原発危機と東大話法』を著し、以来この「東大話法」シリーズを何冊か出しています。本書は同シリーズ4冊目ぐらいの著作。

 本書によると、

東大話法規則
ルール ー分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
ルール◆ー分の立場のよいように相手の話を解釈する
ルール 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする
ルールぁ‥垤腓里茲い海箸ない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す
ルールァ,匹鵑覆砲いげ淡困任弔犬弔泙旅腓錣覆い海箸任蘯信満々で話す
ルールΑー分の問題を隠すために、同様の問題を持つ人を、力いっぱい批判する
ルールА,修両譴納分が立派な人だと思われることを言う
ルール─ー分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説をする
ルール 「誤解を恐れずに言えば」と言って、ウソをつく
ルール➉ スケープゴートを侮辱することで、読者や聞き手を恫喝し、迎合的な態度をとらせる
ルール 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念をもちだす
ルール 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
ルール 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める
ルール 羊頭狗肉
ルール わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する
ルール亜,錣韻里錣らない理屈を使って相手をケムにまき、自分の主張を正当化する
ルール院,△△任發覆ぁ△海Δ任發覆ぁ△伴分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる
ルール押,△△任發覆ぁ△海Δ任發覆ぁ△醗っ張っておいて、自分の言いたいところへ突然おとす
ルール魁〜澗里離丱薀鵐垢鮃佑┐独言する
ルール粥 屬發掘察察擦任△襪箸靴燭蕁△詫びします」と言って、謝罪をしたフリで切り抜ける

 いかがでしょう。
 まあ東大に限らず、近年ではハーバードコロンビアといった海外有名大学がえりの人々も皆さんご同様に、もっともらしくエビデンスをつけて結論は全然間違ってることを平気でおっしゃいますね。
 このブログで年頭以来批判した『「学力」の経済学』など、もろにこれですね。ルールキ➉悪鵜欧△燭蠅当てはまっています。

(ルールきイ覆鵑は、学者ではないですが某国の首相とか官房長官もやっていそうですね)
(ルール瓦痢崋佞辰織侫蠅鬚垢襦廚箸いΔ里蓮△錣燭靴浪甬遒北鮨輿反イ任茲みました。「もしご気分を害されたようでしたら、お詫びします」「もし誤解を招いてしまったようなら、お詫びします」これ、本当は謝ってないんです。自分が悪いなんてつゆほども思ってないんです。「気分を害したあんたが悪い」「誤解したあんたが悪い」っていう本音が見え隠れします。確かに役人の中でも高学歴のプライドの高い人には多かったと思います)


 で、こういうウソつき学者にダマされる人も、世間には驚くほどたくさんいらっしゃいます。前述の『「学力」の経済学』も、よくみればみるほど笑っちゃうようなずさんな本なのに、昨年のベストセラーでした。
 最近の話題としては、先月の29日に某元女性研究者の手記が出版され、もちろん購入しませんがAmazonのレビュー欄は興味ぶかくて読んでいるわたしです。
 このレビュー欄もまあ典型的な「荒れた」レビュー欄で、335件のレビューがありますが★1つか5つのどっちか。極端な礼賛か批判かのどちらかです。
 礼賛派は、元女性研究者の側に全面的にたち、元女性研究者を悲劇のヒロインに仕立て上げ、理研や他の研究者がよってたかって彼女を潰した、とみます。
 一方自分は理系だ、研究者だと称する人々はおおむね批判派で、★1つ。彼(女)らの論旨はほぼ同じで、「元女性研究者は実験で、またデータで立証すべきだった。その機会があったのに怠った。必要なものを提出しなかった」という。
 常識的には後者のほうがはるかに妥当な見解と思うのですが、ただその論旨一本槍でずっとやっていると、「それしか知らんのか」と侮られるおそれはある。わたしが「承認研修の有効性」をずっと言っていると侮られるように。

 それらの批判レビューなかでこれはと思ったのは、「××氏が製薬会社に勤めていたら」と題するレビューです。
 長文なので一部を引用しますが、このレビューでは元女性研究者が実験データを改ざんし、画像を切り貼りし、盗用し、引用でなくコピペをし、という行為を断罪したうえで、
「こんな倫理観の欠除(ママ)した科学者がいることを、人々はもっと自分に結びつけて考えるべきである。
去年だったろうか。
世界的に有名な製薬会社の実験データ改竄が次々と明るみに出た。
幸いにも大した被害は出なかったが、××氏はないものをあると、しかも200回も出来たと言い張るツワモノだ。
人々が実際口に入れる医薬品の実験に彼女が関わっていたら…と考えると背筋が凍る思いがする。
そのとき何人の患者が、××氏を擁護し、可哀想だと叫べるのだろう。
彼女を持ち上げることはつまり、自分たちの命を危険に晒す結果を産んでも仕方ないということだ。
やがて医学の分野で活かされる可能性がある分野では、少しの改竄も捏造も許されないのだ。
それは命を脅かすことにつながるということに気付いてほしい。」

としています。
 そう、元女性研究者に同情論が出て消えないのは、「人の生死に関わることだ」という実感が湧かないから。
 元女性研究者自身にも、そういう実感は薄かったようで、自分の“発見”が人々の生死を左右する技術として使われることを明確に意識していたようにはみえない。あったのは、「おしゃれをして人前に出てチヤホヤされる自分」という強い願望だけだった。その、通常ならてんびんにかけることを許されないこと同士をてんびんにかけてしまっている。
 そしてまた、「彼女の願望」をわがことのように肯定する人々、このブログで何度も言うようにナルシシストに巻き込まれるのは自分自身もナルシシストである人々なのですが、その人々も、「トンデモ技術を臨床応用されて生死に関わる健康被害を受ける人々」のことはてんで意に介さない。あくまで一人のナルシスティックな女性の成功物語を応援するだけです。

 この傾向は去年の『「学力」の経済学』でも同じで、この本とその美人著者が主張するような、「ほめない、カネで釣る」方式で子供さんを育てた時にどういうことが起こってしまうのか、子育ての現場はどうなるか、親子関係はどうなるか、どんな大人に育ってしまうか、そこまでの想像力は、美人著者自身にもそれを礼賛する読者たちにもまったくなかったようにみえる。そんなにIQが高いのだからそこまで想像せえよ、とわたしなどは思いますが。

 「人が死ぬ」こと、ないしは「人の生と死」について、まったく想像力が働かない、それが2015年のアカデミズムと出版の世界。
 そういえば去年の読書日記の1つ、『見て見ぬふりをする社会』にも、「現場から遠いところにいると見て見ぬふりをする」という知見がありましたっけ。

 以前からこのブログでは「教育は間違っても人は死なない…」と、反語的にぶつぶつ言っていますが。はい、「承認」の世界の同志の方々はちゃんと「人が死ぬ」ことに想像力を持ちましょうね。現場の人のための仕事をしましょうね。

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 最近会った管理職のある友人は、もちろんわたしのメルマガやブログの読者でもいてくれる方ですが、
「正田さんのお蔭で、『誠実に仕事をしよう。ずるをするのはやめよう』と思える」
と、言われました。
 この人の仕事も、他人のした仕事を「チェック」することがほとんどです。
「ずるをする」というのは、詳しくいうと、他人の仕事をみて「このぐらいでいいか」と「OK」を出してしまう、ということです。

 「嫌われる勇気」なんて、誰かに説教される必要もなく、とことん疑い、ダメ出しをするのは本来の管理職の仕事です。わたしはだからこそ、彼(女)らの知性を信頼し尊敬してきました。わたしの仕事にたいしても、どうぞ疑って疑い尽くしてください、と言ってきました。

 この社会をちゃんと動かす人々、「マネジャー」の知性にわたしは今も期待をかけます。


正田佐与