※この記事内のインデックスです
(1) 20世紀型心理学が小保方晴子さんを育てた
―発達障害概念の普及の遅れとカウンセリング自体にひそむ限界―
(2) どうすれば良かったのか?
(3) 障害の受容のむずかしさ
―ASDの人特有のプライド
『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第4弾です。
前回の記事では、このブログ独自に小保方晴子さんのプロファイリングを行わせていただきました。
社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html
この記事の末尾部分で、「発達障害」ということに注目しました。
小保方さんは、おそらくこだわりの強いASD(自閉症スペクトラム障害)とミスの多いADHD(注意欠陥多動性障害)のハイブリッドなのであろう。
また、ASDの中でもIQの高いアスペルガー症候群、中でもとりわけ言語能力の高いタイプの人なのだろう。言語能力と実行能力に極端なギャップのある人なのだろう。
このことが小保方晴子さんという人の研究不正、捏造、コピペ、見えすいたウソや言い訳、そしてほかの人を極端に理想化したり悪しざまに言ったり、という、普通の社会人からみると不可解な行動の源になっているだろう。
そして最後にこう投げかけて終わりました。
1.では、小保方さんがこういうASD−ADHDの資質をもった人だとして、なぜ子どもの頃気づかれなかったんでしょうか?今まで矯正されなかったんでしょうか?
2.そして、こういう人がもし職場にいたらどういう指導をしてあげるのがいいんでしょうか?理研では何故できなかったんでしょうか?
というわけで、今回の記事ではこの疑問点の1.にお答えすることになります。
しかし正直言って気が重いです・・・
というのは、残念ながら「お子さんのころの親御さんの責任」ということにも、触れざるをえないからです。うまれつきの形質だけで今のようになったわけではない、育て方の問題も入っていると考えられるからです。
ただ本人さんもう32歳の方ですので、りっぱな大人です。そんな歳になったお子さんの子育てについて、蒸し返されるのは親御さんその他の方々にとってお気の毒なことではあるんですが。
(1)20世紀型心理学が小保方晴子さんを育てた
発達障害概念の普及の遅れとカウンセリング自体にひそむ限界
小保方さんは子どもの頃なぜ気づかれなかったか。矯正されなかったか。
これは、シンプルに言うと「20世紀の心理学が小保方さんの人格を育てた」ということなのではないかな、というのがわたしの推測です。
小保方さんのご家庭。個人的なことをほじくるのは…といいながら、やはり家族構成とご家族のご職業をみると「なるほど、これは」と思います。
小保方さんは3人姉妹の末っ子。そして、お母さんとお姉さんのうちの1人が、なんと心理学者なのです。それぞれ、現在も東京都内の大学の教授、准教授を務めていらっしゃいます。
お子さんがしょっちゅううそをついたり言い訳をしたり、日常生活でミスが多いお子さんだったら、心理学者たるもの「この子はちょっと普通ではないんではないか。発達障害なのではないか」と気づくのではないでしょうか?と思われるでしょう。
それがそうではないのです。むしろ、逆に働いてしまった可能性があるのです。
小保方さんのお家で起こったことを推測する材料はここにはありませんので、あくまで一般論として、「発達障害」をめぐる精神医学・心理学の「世代間断絶」というお話をしたいと思います。
このブログではかねてから、「少し上の世代の心理学者、精神科医は、発達障害のことを知らない」ということをご指摘しています。
精神医学が体系づけられたのは19世紀末、精神科医のエミール・クレペリンという人の功績です。この人の書いた精神医学の教科書の第6版が1899年に発刊され、精神病を大きく13の疾患に分類しました。これが現代の『精神疾患の診断と統計マニュアル(DSM)』のもとになっています。その後は20世紀初めにフロイトの精神分析学が現れ、一世を風靡しました。
今流行りのアドラー心理学の教祖、アドラーの没年は1937年です。
いっぽうで発達障害が精神疾患として認知された歴史は比較的浅いのです。精神障害の診断・統計マニュアルであるDSMには、1987年改訂のDSM-III-Rに初めて「発達障害」という語が登場。それ以前にトレーニングを受けた精神科医・心理学者らは、基本的に発達障害の概念を使いません。
このブログでは今年に入ってからだけでも、『ほめると子どもはダメになる』や『嫌われる勇気』の著者らに対して、「発達障害の概念をスルーした議論をしている」と、異議申し立てをしております。
本当は、発達障害はASD(自閉症スペクトラム障害)とADHD(注意欠陥・多動性症候群)を合わせると、子供世代の約1割、10人に1人のペースで出現する障害ですから、この障害を「ない」ことにして無視し続けるのはおかしなことなのです。「何か変だな」と思ったらまっさきにこの障害を疑うのが正解と思います。しかし、上記の心理学者・自称哲学者らは、「発達障害」の存在をオミットしているため、まったく見当はずれの議論をしてしまっています。それは専門家として非常にこまったことなのです。
それにプラスして、カウンセリングという手法そのものにひそむ限界。
例えばここに、よくウソを言うお子さんがいるとします。決して、小保方さんがそうだ、というわけじゃないですよ。
しかし、その子の言うことがウソだ、ということを知るには、周囲の人にウラをとらなければなりません。同じ現象をみているほかの人に、「確かにそうだったか」と尋ね、もしそこに矛盾があれば、こんどは子供さんの言うことが本当かほかの人の言うことが本当か、もうひとつ確認をしなければなりません。2人、3人と人の話をきいていかなければなりません。非常にめんどうですね。
ところが。カウンセリングという手法は、基本的にクライエント1人の話しか聴きません。ウラをとるということをしません。
家族療法のような手法も一部にありますけれども、それはむしろ例外。わたしも人生で何度かカウンセリングのお世話になってますけれど、カウンセラーさんは基本的にわたしの話だけをずーっと聴いてくださいました。そして信じてくださいました。お蔭でわたしは何度か心の危機を脱したのですけれど、もしそこでわたしがウソつきだったら、どうしようもないんです。「信じてやる」ということが、癒しにつながるメリットもあるんですが、ウソつきを増長させる可能性もあるんです。
これはカウンセリングだけでなくパーソナルコーチングにも言えることです。個人契約で、基本的にそのクライアントの話だけをずーっと聴き、「すばらしい!」と言ったり、「ぜひそれをおやりになってください!」と言ったりします。
コーチングの場合、「行動」を促進するものなので、カウンセリング以上に、方向性を間違えるとたいへんなことになってしまいます。クライアントさんがウソついてるのに「すばらしい!」「ぜひおやりになってください!」って背中を押したりしていると。
だから、わたしはある時期から基本的にパーソナルコーチングをお引き受けしなくなりました。
そして、状況全体を知っていて周囲の人からもウラをとることができ、かつ業績向上へのモチベーションもある、上司によるコーチング(以前は「企業内コーチング」と言っていた。今は「承認マネジメント」という言い方に変わっています)こそが、もっとも推進すべきものだ、と考えるようになりました。
(2)どうすれば良かったのか?
閑話休題。
小保方さんの子供時代に起こっていた可能性のあること、というお話に戻ります。
小保方さんのお母さんやお姉さんは、立派な大学で教える心理学者さんですし、そうした心理学の手法そのものに限界がある、とは思っておられなかった可能性があります。よく、子育てについて教える心理学者さんカウンセラーさん、同様に企業でメンタルヘルスについて教える心理学者さんカウンセラーさんもそうなのですけど、
「心優しく本人さんの話を聴いてあげる(傾聴)」
このことだけを言われますね。
傾聴のスキルが足りないから問題が起きるんだと。あと一歩がまんして傾聴してやればいいんだと。
そして、実習で傾聴のやり方(スキル)を習ったお母さんお父さん方やマネジャー方は、実習そのものがもたらす高揚感も手伝って、
「こんなやり方で傾聴をすれば良かったんだ。私に足りなかったのはこれなんだ」
と、思い込んでしまいます。
しかーし。
そういう子育て指導、マネジメント指導は、「本人さんがウソをつく人だったらどうするのか?」という視点を欠いています。
ウソをつきやすい言い訳をしやすい人に対してすべきは、「心優しい傾聴」だけではないんです。周囲の人にウラをとり、本人さんに再度当て、
「ウソは通用しないんだよ」
と示すことです。
その手間を、小保方さんの周囲の人は省いてしまった可能性があります。とくに、単なるカウンセラーではなく大学で教えている心理学者さんであり、人に教えるたびごとに自分の手法の正しさを確信する立場であると、自己強化されますから。相手を疑ったり、ウラをとったり、という、手間のかかるしかも心理学の教科書に載ってないような卑しい作業をしたいとは思わないことでしょう。
次の記事で解説いたしますが、発達障害の人を多く雇用する特例子会社さんなどでは、やはりミスのときに言い訳、自己正当化、他責をしやすいので、「現物を呈示する」というやり方をします。要は口先だけで逃げられないようにします。
そしてまた。
これは蛇足ですが、過去の子育てのノウハウでは、「逃げ道をつくってやる」ということが言われていましたね。今でも人生相談のページなどではよくみます。
これ、子供さんが「ウソつき」の場合には、不正解です。
事実はひとつ。量子力学の議論は置いといて(笑)。ウラとりによって子供さんの言ったことがウソだと証明されれば、そこは家族全員で「ウソは通用しないよ」という態度をとったほうがいい。5人家族で、上が優しいお姉さん2人で、(しかも心理学)ということであると、この「家族が一致してウソを許さない」という統一歩調がとれない可能性があるのです。
だれか一人でも心優しくウソをついたお子さんをかばってしまうと、子供さんは機会主義者ですから、すぐ一番優しい人のところに逃げ込んでウソをつき続けます。だから、子供さんにウソつきの形質があるとわかった段階で、家族の間で意思統一をしないといけません。表面的な優しさのためでなく、子供さんの将来のために、全員一致して子供さんを突き放さなければなりません。
そして、子供さんがそうした、ウソをつきやすいお子さんだと判明したときは、どうしたらいいのでしょうねえ。
わたしが提言したいのは、要は「行動承認」です。長い読者の皆様、もう耳タコですね。ごめんなさい。
この子は、言葉を操ることはとても上手だ。でも行動力がそれに伴わない、はるかに低い。ちょっと何かをやらせるとミスをしてしまう。またちょっと目を離すとぼーっと妄想に入ってしまい、行動がおるすになってしまう。
そういう子だから、してなかったことをしたと言ったり、ミスしたことを言い訳して人のせいにしたり、なんとか自己正当化の方向に言葉の力を使ってしまう。生物ですから、なんとか生存しようとするんです。そのために自分の持っている能力の高いところを使ってしまうんです。
こういう状況に陥っているお子さんを救うには、なんとか行動力のほうを上げてあげることです。
小さなことでも、「やったんだね」と承認してあげる(でも、やったことがウソじゃダメです)それは身近な、本人さんの行動を目の前でみている一番小さなコミュニティ、家族の中だからできることです。
そして、「本当に行動をとったら、『承認』をもらえるんだ」と、本人さんに理解してもらう。そして、行動をとることを楽しんでもらう。
これの繰り返しで、行動力を上げてあげることができます。非常に辛抱づよい作業になりますが、やはりご家族だからこそできることでしょう。
(3)障害の受容のむずかしさ
―ASDの人特有のプライド
小保方さんは発達障害で診断を受けるべきかどうか。わたしは、受けたほうがいいと思います。
詳しくは、こちらの記事を参照
「広野ゆい氏にきく(2-3)「発達障害者マネジメントの『困った!』問答」」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51911281.html
上記の記事のように、ひょっとしたらADHDの不注意によってミスや不行動が出やすいかもしれないので、診断を受けてADHD治療薬をのむ、というのも正解かもしれないです。薬をのむということに関しては、わたしもちょっと疑問があるのではあるのですが。上記の記事の中で発達障害者の会の代表の方に伺ったところでは、コンサータやストラテラといったADHD薬は、多少ミスの多さを改善させる働きがある。その方は、自分にとって面倒くさい仕事に取り組むときは、やる気を出すために薬をのむ、と言われました。
もうひとつ「診断」について大事なことは、とくにASDの中でも高機能のアスペルガー症候群の方は、プライドが高いので大人になってから障害を受け入れることが非常にむずかしくなる、ということです。場合によっては告知されたことで、鬱になったり、自殺したり、ということもあるそうです。だから子供さんの間に診断を受け障害を受容したほうが、傷が浅くて済む。そして自覚のないまま大人になったアスペルガーさんは、なまじ障害の程度が軽くてIQが高いだけに、仕事上で非常に不都合をきたしてしまうんですね。
したがって、子供さんを愛しているなら、子供さんがASDかもしれないと思ったら、小さいうちに診断を受けたほうがいいということです。
「障害の受容」。
さあ、今の小保方さんにそれが可能でしょうか。つらいところですね。
2つ前の記事の末尾に近いほうで、
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html
「もともと発達障害と人格障害の線引きはすごく曖昧。感情の起伏が激しく他人に対して毀誉褒貶の激しい境界性人格障害も発達障害の一種なのかもしれない。また『自分はすごい』と思いこんでいる自己愛性人格障害も発達障害の一種なのかもしれない。」
ということを言いました。
「発達障害」と人格障害その他の精神疾患の関係性は、ちょうど認知症でいう、「中核症状―行動・心理症状」の関係に似ている、という言い方もできます。
認知症について詳しくは厚労省のこちらのページをご参照ください
>>http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/a02.html
少しここから文章を引用しましょう:
「脳の細胞が壊れることによって直接起こる症状が記憶障害、見当識障害、理解・判断力の低下、実行機能の低下など中核症状と呼ばれるものです。これらの中核症状のため周囲で起こっている現実を正しく認識できなくなります。
本人がもともと持っている性格、環境、人間関係などさまざまな要因がからみ合って、うつ状態や妄想のような精神症状や、日常生活への適応を困難にする行動上の問題が起こってきます。これらを行動・心理症状と呼ぶことがあります。」
つまり、能力の低下が先にあり、それと環境要因が組み合わさって精神症状や問題行動が起きてしまう。鬱の症状などもできてしまう。
認知症のおとしよりが、ひどく疑いぶかくなったり、暴れたり、徘徊したり、というすごく困った行動も、「能力の低下からきているんだ」ということを周囲の人が念頭において、本人さんの不安感をじょうずに受容してあげると、そうした困った行動が収まるようなのです。つまりそうした困った行動が、認知症そのものの症状で不可逆的で仕方がないもの、というわけではなく、治る可能性があるのです。
これは認知症なので、本人さんがもともと持っていた能力が低下した、というお話ですが、この「中核症状―行動・心理症状」の関係性は、発達障害の場合にも大いに当てはまります。
発達障害の場合は、老化に伴ってではなく、もともとある部分の能力がすごく低く、一方ですごく高い部分もあり、その能力の凸凹が社会不適応を引き起こします。ひいてはメンタルヘルスを害し、鬱や統合失調症のような症状が出たり、人格障害のような症状が出る、ということです。
解決のためには本人さんも周囲の人も、ご自分のそうした極端な能力の凸凹を自覚することです。そして正しい自己像をもち、ある部分で分不相応のプライドをもっていたところも見直し、そんな等身大の自分が今から生きる道は何か、を模索することです。
で小保方さんの場合は、今は、受容できない段階だろうと思います。たぶん精神的によくない状態なのだろう。この本、『あの日』を出版してしまうということからしても、受容できなくて徹底的に他責に走ってしまっている。まだ、「不正をして理研を辞めさせられた自分」という事態を受け入れていないようです。
また、なまじ研究者としてはハーバード留学、ネイチャー掲載という、「頂点」にまで昇りつめた人なので、「自分は単なるミスが多くて言い訳が多く、でも身の程知らずに高いところをめざすのがすきな人だっただけだ」ということを認めるのはつらいことです。
なまじ1点でも優れたところがあると、発達障害の受容がむずかしい。
そういう心理を、また発達障害をもつ大人の会代表・広野ゆいさんに語っていただきましょう。
広野ゆい氏にきく(2)―見過ごされる発達障害―メンタルヘルス、自己愛、虐待・過干渉、DV、引きこもり
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51901747.html
広野:そう、自覚がないというより自覚したくないんですよ。認めちゃうと、皆さん感じてるのはものすごい恐怖感なんですね。ダメな人間と思われたくない。やっぱり「認めてもらいたい」んです。
本当は、「ここはできないけど、ここはできるんだね」という認められ方を人間はしてもらいたいと思うんです。「あなたはこういう人なんだね」と、丸ごとみてくれて、その中で「じゃああなたができる仕事はこれだね」という認められ方をしたい。特にその凸凹の大きい人は必要としていると思います。
だけどできる部分だけにしがみついて、できない部分を隠して隠して生きてきた人にとっては、ここは絶対に見せてはいけないというか、認めてはいけないところなんです。ここが崩れると全部が崩れちゃう(と思いこんでいる)からなんです。
いかがでしょうか。
発達障害、とりわけ高機能のASDの人にとっては、発達障害を「認める」ことは、これぐらいものすごい恐怖感をともなうことなんですね。
わたしも、小保方さんほどではないですがそこそこ高い学歴をもって半世紀以上生きてきて、「自分は大した人間じゃない」と認めるのはすごくつらいことです。だから、「認めたくない」という小保方さんの気持ちは痛いほどわかります。
でも。この方、小保方晴子さんは、もう何人もの人(自分の家族を含め)を破滅させ、自殺者まで1人出している人なのです。
だから小保方さんの文脈でばかり物を考えてあげるわけにはいかない。
たぶん、小保方さんのお母さんやお姉さんは今でもつかず離れず、晴子さんを見守っていることでしょう。
ぜひ、その方々が、晴子さんの自己受容を助けてあげてほしい。
わたしはそう思います。
そして今後は、できれば研究というような自由度の高い仕事ではなく、もっときっちり上の人に仕事を監督されるようなお仕事について生計を立てられることをお勧めします。
作家さんがいいのかというと、ご本人さんはそれでいいかもしれませんが、今回のようにノンフィクションの体裁をとりながら実在の人を傷つけるようなことを書いてしまう場合もありますから、お勧めしません。出版社さんも、もうこういうことで儲けるのはやめましょうよ。
次回の記事では、小保方さんのような人が入社してきたら職場ではどうするべきか?また理研のような研究組織ではどうするべきか?というお話をしたいと思います。
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2016年2月29日追記:と予告していましたが、その後もう1回「プロファイリング」の記事を書きました。
小保方さんの生育環境に加え、(5)心理学セミナーの影響の可能性についても書かせていただきました。
これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html
●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html
●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html" target="_blank" title="">http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html
●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html
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