あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第12弾です。

 本日は、小保方さんの上司/指導教官たちは、何をしていたのか?なぜ彼女の能力不足を見ぬけなかったのか?という話題です。
 いいかえれば小保方さんはなぜ、教育訓練とチェックをすり抜け、実力のないまま研究者として実績を積みNatureに論文が掲載されるまでになってしまったか、というお話の「上司要因バージョン」。こちらも、このシリーズを開始して以来、読者の皆様から何度もご質問いただいたことです。

 本日の骨子です

1. 時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち
2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”
3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

 (後編の内容はこちらです)

4.「無関心」⇒「擁護」⇒「放棄と紆余曲折」:若山氏
5. 闇の紳士たち?:大和氏、バカンティ氏、セルシード社

 それではまいりたいと思います―


1.時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち

 小保方晴子さんは、AO入試で入った早稲田大学理工学部を2006年3月に卒業。そのあといくつかの研究室をステップアップしていき、何人かの指導教官、上司の下につきます。

 問題は、小保方さんになぜ研究者としての十分な教育訓練が施されなかったか。
 また、教育しても身につけられなかった場合、つまり基準に達さなかった場合、どこかで
「あなたは研究者に向いていない」
と、引導を渡す役回りの人がいればよかったのですが、それがいなかった。いわば、「スクリーニング機能」が各段階でうまく果たされなかった。それはなぜなのか、ということです。

 それはどうも、この教授・上司たち1人1人に少しずつ責任があったようです。


 何人かの上司・教授の名前が出てくるので一度、年代順に整理して「スッキリ」しておきましょう:

2004-2006年 早稲田大学理工学部応用化学科にて海洋微生物を研究。常田聡教授に師事(注:2004年当時は助教授、06年教授に昇進)
2006-2008年 早稲田大学大学院 理工学研究科 修士課程。この期間は東京女子医大と早大とが合同で設立した医工融合研究教育拠点である先端生命医科学センター (TWIns) にて外部研修生となる。指導教官は大和雅之・東京女子医科大学教授。大和氏のもとでセルシード社の細胞シート研究を行うとともに、国内外の学会で精力的に発表を行う。
2008年 博士課程。ハーバード大学大学院教授(当時)のチャールズ・バカンティ氏のもとへ短期留学。バカンティ氏のスポアライクセル細胞のアイデアをヒントに現在のSTAP細胞のアイデアを思いつき、実験を開始。直接の指導教官は小島宏司氏。
2010年7月 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸、CDB)でチームリーダーだった若山照彦氏と初めて会う。STAP細胞の証明第2段階までをクリアした論文を雑誌にリジェクトされたため、若山氏にキメラマウス作製を依頼する。
2011年3月 早稲田大学博士号を取得(指導教官:常田聡教授[前出])。
2011年4月 理研CDB若山研究室の客員研究員となる。この当時はポスドクで無給。
2012年12月 理研CDBのユニットリーダーに応募。笹井芳樹・理研CDBグループディレクター(GD、翌年4月より複センター長。故人)に初めて会う。笹井氏の論文指導を受けるようになる。
2013年3月 理研CDBユニットリーダー。独立の研究室を持つ。
2014年1月 STAP論文Nature掲載を発表。

 以上です。

 まとめますと、小保方さんを指導する立場だった人は、常田氏―大和氏―バカンティ氏/小島氏―若山氏―笹井氏。この6人のリレー。
 今回は、この6人の「おじさま」、それぞれについてわかっている人物像や責任の程度についてみていきたいと思います。

 実はわたし正田が個人的にとても残念なことがあります。この人々のうちのほとんどは、わたしと同年代すなわち1960年代初めから半ばまでの生まれなのです。そして、その世代の人々特有の問題を露呈しているように思います。もちろん、理研・大学に限らず、さまざまな企業で共通に起こっている現象ですので、読み解く値打ちはあります。
 Wikipediaでわかっているかれらの生年月日をみると、

常田聡氏 1965年10月 (50歳)
大和雅之氏 1964年?月 (52歳)
チャールズ・バカンティ氏 生年月日不詳
小島宏司氏 生年月日不詳 1990年研修医(1967年前後生まれ?)
若山照彦氏 1967年4月1日(48歳)
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 そして、この人たちの問題というのは、大まかに

「ええかっこしい(ザル)系」(常田氏、笹井氏)
「無関心放置プレイ系」(若山氏)
「欲得・不正系」(大和氏、バカンティ氏)

と分類できると思います。

 年代順でいうと、

ええかっこしい系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 無関心放置プレイ系 ⇒ ええかっこしい系

 という順に、「おじさま」の傘下に入ったわけであります。
 このことも、小保方晴子さんの「教育訓練・スクリーニングすり抜けマジック」に寄与していたと思われます。

 このうち今回の記事では、問題の性質が似ている(と思われる)常田氏と笹井氏を取り上げてみたいと思います。


2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”

【早稲田・常田研時代】
 常田聡氏 1965年10月 (50歳)。

 常田聡教授が小保方晴子さんを「叱った」という逸話が日経ビジネスオンラインで紹介されています。

「彼女は分野が違って特別だから」(シリーズ検証 STAP細胞、失墜の連鎖)
>>http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140805/269676/?rt=nocnt
 
 「先輩の研究とどこが違うの? 自分の研究部分を明らかにしないと。意味ないよ!」。2006年2月、早稲田大学理工学部(当時)の研究棟の廊下に、怒気を含んだ声が響いた。
 声の主は応用化学科教授の常田聡。「環境微生物の分離培養」と題した学士卒業論文の内容を説明した4年生の女子学生に、書き直しを命じた。先輩学生との共同実験のデータを明示せずに盛り込んだ点を指摘したのだ。

 女子学生は口を真一文字に結び、表情をこわばらせた。だが、大学院への進学を決める際に、彼女はあっけらかんと常田にこう訴えた。「微生物では自分の力を発揮できないと思います。細胞の研究をやりたいんです」。


 おおー。小保方さん、全然叱られないで育ってきたわけではないんですね。お見それしました。
(このエピソードの存在は、Amazonレビュアーの「ほのぴよさん」から教えていただきました)
 ただし。このエピソードにも突っ込んでしまうわたしです。

 2006年2月。それは、学部の卒論の提出期限後の時期ではなかろうか?
 …というのは、私学より進行の遅いわたしの出身大学ではたしか、卒論の提出期限は1月20日だったというのをおぼえているので…。
 常田教授、データが先輩の丸写し、というのをもっと前に見抜けなかったのだろうか?それまでの年度を通じた卒論指導では何をやっていたのだろうか?

 また、このあとに小保方さんは修士への進学を希望した、それも専攻を変えて、ということでしたが、先輩のデータを使い回すような「研究不正」の兆候のある人を修士に進学させて良かったのだろうか?資格をクリアしていたろうか?
 
 ・・・と、意地のわるい突っ込みがどんどん湧いてしまうわたしです。
 ご覧になっている読者の皆様は、いかがでしょうか。

 もちろん、この時点の常田教授は、小保方晴子さんがその後「STAP細胞事件」という、「世界3大研究不正の1つ」とまで言われる騒動の主人公になるとは夢にも思わなかったわけで。

 記事のこのあとのくだりで、常田教授は「教えない教育」ということを言います。

「常田のモットーは「教えない教育」。学生の自主性を重んじ、自由に研究をさせた。」(上記の記事)

 「教えない教育」。「自主性」「自由」。
 かっこいいですが、このブログ「正田佐与の愛するこの世界」では「教えない教育」のことも長年、批判してきました。教える側の責任放棄だ、と。

 「教えない教育」は1990年代末の「ゆとり教育」の学習指導要領改訂のころから流行ったフレーズです。生徒の自発性を促すことは本来は悪いことではありません。しかし、それが教師の責任放棄となり、質の低下を招いていることを大村はま氏が早くも2003年には批判しています。

※詳しくはこちらの記事などを参照
「教える覚悟」への真摯な思考に耳を傾けよう―『教えることの復権』を読む
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51879635.html  

 「教える」ことは教えられる側の学生からときに反発を招きます。「教えない教育」は、軋轢を生むことを好まない性格の、「ええかっこしい」の指導者の方々に好んで使われるフレーズでした。ストレングスファインダーでいうと、「ポジティブ―自我」の持ち主のかたが好んで使いそうなフレーズと言えます。しかし、ある時期「教えない教育」は確かに一部の教育者の「錦の御旗」ではあったのでした。

 「ええかっこしい」の常田聡氏の研究室では、博士論文不正の調査で小保方晴子さん以外にも6人のコピペが明るみに出ました。
 残念ながら、「教えない教育」とは、この場合、「規範のないゆるゆるの教育」と同義であったようです。よほど気をつけないと容易にそうなってしまうのです。

 先ほどの小保方晴子さんの卒論指導に戻ると、他の人はどうあれ、小保方さんの個性、すなわちADHD傾向でぼーっとしやすく、時間管理が下手な傾向を考えると、かなり「ガチガチ」に指導してやらなければダメだった可能性があります。
 卒論という「成果物」ができてくるのを待って指導するのではなく、各月、各週のペースで、細かくチェックして進捗を管理し、「次の一手」をアドバイスしてやる必要がありました。実際に職場でのADHDの人のマネジメントというのは面倒でもそうする必要があるのです。
 小保方さんという人を管理するには極めて不適任な指導者であり、しかし小保方さんのほうでも、そうした「ゆるさ」を狙って常田氏の指導下に入っていた可能性があるのでした。


 このあと小保方さんは早稲田と東京女子医大が合同で設立した先端生命医科学センター(TWIns) で外部研修生となりました。そこでは東京女子医大の大和雅之教授の指導下に。
 どうも、大和氏の恩師だった、林利彦氏が東大を退職後に奉職した先の大学が、小保方さんのお母さんが学科長を務める大学だった、という因縁が、ここにはあるようです。(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.19)
 そういうご縁があるとすると、「初対面から『明日からおいで〜』と明るく言ってくださった。」(『あの日』p.14)というノリも、雰囲気的にわかりますね。

 この経緯をみると、常田氏のもとでいったん研究者の適性としては「?」マークがついた小保方さんが、お母さんのご縁でTWInsの大和氏に拾われ、それで常田氏も「ダメだ」とは言えず、「行ってらっしゃい」と送り出した、という風にみえます。「スクリーニング機能」が発揮されなかった第一の段階ですね。

 「欲得不正系」に分類させていただいた大和氏については次回の記事、(13)上司編・後編で解説したいと思います。


3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

【理研・2012年〜】
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 さて、年代は6年ほど飛んで、2012年末に小保方さんが出会った故・笹井芳樹氏(理研CDBグループディレクター=当時、のち同副センター長)です。若山照彦氏の研究室にいたポスドクの小保方さんが、理研のユニットリーダーに採用されるタイミングで出会い、STAP論文の執筆を担当してくれることになります。

 この方が、いわば「小保方さんおじさまリレー」のアンカー。そして自殺という悲劇的な最期を遂げた人でもあります。

 STAP論文の不正については、ファースト・オーサーである小保方晴子さんが第一責任者ですが、管理責任を問うのであればこの笹井氏の責任が大きいのです。
 では、この方がなぜ論文のデータや画像の捏造を見抜けなかったのか。
 亡くなられた方なので、指摘するのは死者に鞭打つことになり、非常に気が重いところです。
 ですがこの方も言うなれば、「ええかっこしい上司」のカテゴリに括れると思います。

 『あの日』での笹井氏の登場シーンは印象的です。
 2012年12月21日、小保方さんは理研ユニットリーダーに応募し、面接を受けました。高名な理研のグループディレクター(GD)たちを前にプレゼン。「分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について話し、GDたちからてんで勝手なコメントをされたとのことです。

「それにしても疲れた。ぐったりして、若山研の自分のデスクに座っていると、人事部の人から電話がかかってきて、『もう一度面接室に戻ってきてください』と連絡を受けた。緊張感が舞い戻った。足早に面接会場に向かい、深呼吸をした後、重いドアを開けると、逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた。
『はじめまして、笹井です。あなたの希望の研究をするために、とにかく今の論文を終わらせましょう』といわれた。『はい、よろしくお願いいたします』と反射的に答えた。これが笹井芳樹先生との最初の会話だった」(『あの日』p.110)

 どうでしょう、この登場の仕方。「逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた」だって。スタイリッシュな絵が浮かびますね。映画かドラマのシナリオみたいです。
 
 そして、論文を通すことに定評があり、
「ネイチャー誌には何度も論文が通った経験があって、論文を投稿してリジェクトになったことはここ数年まったくない」(同p.112)
「ネイチャーとかに論文が通ってもね、カバー(雑誌の表紙写真)を取れないとちょっと悔しい」(同)
・・・と、笹井氏のかっこいい台詞が続きます。
 それまで若山氏のもとで、ネイチャー、セル等に論文を投稿してリジェクトされ続けてきた小保方晴子さんにとっては白馬の騎士現る。

 このあと笹井氏は「STAP細胞」という細胞名を決め、2013年、いよいよ笹井氏の論文執筆がはじまります。

「アーティクルは謡うように読み手に訴えかけるように、レターは詩のように切れ味よく文章を書くという笹井先生の論文執筆は、経験の浅い私にさえ『ずば抜けた違い』を感じさせるものだった。途切れなくつむぎだされる言葉の選択が優美で的確で、かつリズミカル。まるで間違えずに音楽を演奏しているかのように言葉が繰り出されていった。」(同p.115)

 と、笹井氏の挙措はどこまでも「かっこよく」。
 そう、これが笹井氏の人物像でもあったようです。かっこいい美学。のちにSTAP論文の不正疑惑が起こると、笹井氏は「ぼくはケビン・コスナーになる」(注:映画『ボディガード』の主演俳優。小保方さんを守る役回りをするの意)と周囲に言っていたようです。

 あの2014年1月28日のNature掲載の発表では、笹井氏は自らSTAP細胞のiPS細胞と比較した優秀性を示す1枚物のペーパーを作成し、配りました。わかりやすく両者を比較したイラストが使われ、STAP細胞側には小保方晴子さんをイメージしたのか、魔女が杖を振るイラストが付せられました。この配布資料は、iPS細胞の作製方法が既に大幅に改善されていることに触れていなかったことから、のちにiPS研究の山中伸弥氏から抗議を受け、大慌てで回収されることになります。


 『あの日』には書かれなかった、笹井氏が「前のめり」になり、小保方さんの真贋を見極められなかった要因は、なんでしょうか。

 有名な話ですが笹井氏はiPS細胞の第一人者、山中伸弥氏(現京大iPS細胞研究所所長・教授)が出てくるまでは日本の再生医療のトップランナーでした。ES細胞研究を推進して1998年、史上最年少の36歳で京大再生医科学研究所教授に。同い年の山中氏が京大同研究所教授になったのは2004年ですから、二人の出世レースはある時期まで圧倒的に笹井氏が「上」だったのです。
 ところが、iPS細胞研究の論文が2006年セル誌に掲載され、作製技術も確立されて2012年にはノーベル医学賞も獲得。一方ES細胞研究は、人間の受精卵を使用するため倫理的な問題が指摘され、形勢不利に。ES細胞は研究費の獲得が難しくなりつつあり、笹井氏はES細胞やiPS細胞にも代わる“第3の万能細胞”をノドから手が出るほど求めていただろうことが推測されます。
 そこへいいタイミングで小保方晴子さんのSTAP細胞研究が向こうからやってきました。C・バカンティ氏や大和雅之氏、常田聡氏の折り紙つきで。
 そういう笹井氏にとってのベストタイミング、があったのでした。

 そして、笹井氏がではSTAP論文のデータや画像の不正をどうして見抜けなかったか?
 ここは推測でしかありません。
 笹井氏が手がけるプロジェクトはあまりに多岐にわたり、STAP論文はあくまでその1つに過ぎなかった、ということです。笹井氏は研究者でありながら例外的に非常に視野が広く、コーディネーター的資質もある人であり、理研CDBの予算獲得や新施設「融合連携イノベーション推進棟」の実現にも尽力した、とWikipediaにはあります。そうした、“政治的”手腕がある一方で、自分の研究としてアフリカツメガエルの初期胚の研究を行ったり、理研のiPS臨床研究を含むいくつかの文科省再生医療プロジェクトの代表を務め、文科省ライフサイエンス委員会の委員も務めたとあります。体がいくつあっても足りないぐらい多忙だった。
 一方で学会の打ち上げでチェロを演奏したり、国際会議でバーテンダー役を務めたり・・・と趣味人の顔もWikiには載っているのですが。

 STAP論文不正が明るみに出た2014年4月16日、笹井氏は記者会見で自己弁護に終始しました。

「御覧になった方はよく覚えておられよう。笹井は、自らの責任をほとんど認めようとはしない戦略でカメラの放列の前に姿を現したのである。人事は、竹市センター長の責任。実験は若山照彦・山梨大教授の責任。論文執筆は、ファースト・オーサーの小保方晴子とラスト・オーサーのチャールズ・ヴァカンティ。笹井が論文執筆に加わったときには、すでにSTAP論文の概要は出来上がっていて、自らが関与したのは文章をネイチャー誌に掲載可能な水準にブラッシュアップしただけ。しかも自ら希望して参画したのではなく、竹市センター長に請われて、最後の二か月だけ関わったと釈明したのである。したがって、画像の差し替えや切り貼りなど不正行為を見抜くことは土台ムリであるから、STAP論文において、捏造・改竄・盗用の不正行為に手を染められるわけがなかったと弁明したわけである。しかも、小保方は直属の部下ではなく、独立した研究室のリーダーだったので、不躾に実験ノートを見せるように要求することなどできなかった。そして記者会見の最後では、こうぬけぬけと言い放ったのである。
『私の(メインの)仕事として、STAP細胞を考えたことなどない』」(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.99)


 ・・・と、この時点ではいきなりケビン・コスナーをかなぐり捨て無責任路線になっている笹井氏です。
 先ほど挙げたような笹井氏の抱えていたプロジェクト群を考えると、最後の笹井氏の放り出し発言は、気持ちとしてはわからないではない。しかし、論文の「共著者」「コレスポンデント・オーサー」という立場は、本来は論文のすみずみに目を通し共同責任を負う立場なので、この笹井氏の言葉は「あってはならない」のです。とりわけ理研CDB副センター長でもあり、論文執筆と同時に組織運営上も管理責任のある笹井氏の責任は重大でしょう。

 このあと笹井氏は8月5日、笹井氏は先端医療センターの中で首吊り自殺をしてしまいます。

 自殺の動機は諸説ありますが、小保方晴子さんの不正を見抜けなかった自分の不明を悔いたこと、それに自分の研究室の研究員らの将来に責任を感じたのであろう、とみられています。


 笹井氏から小保方晴子さんに宛てた遺書は、優しさと思いやりにあふれていました。

 『捏造の科学者』によると、

「小保方氏宛ての遺書は一枚。『限界を超えた。精神的に疲れました』と断り、『小保方さんをおいてすべてを投げ出すことを許してください』と謝罪の言葉で始まっていた。更に、小保方氏と共にSTAP研究に費やした期間にも言及し、『こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない』と小保方氏を擁護する記述もあった。末尾には『絶対にSTAP細胞を再現してください』と検証実験への期待を込め、『実験を成功させ、新しい人生を歩んでください』と激励する言葉で締めくくられていたという。」(『捏造の科学者』須田桃子、文藝春秋社、2014年p.347)

 この遺書の言葉をとらえて、小保方さんを擁護する人々は、「笹井氏は小保方氏を最後まで擁護していた」と主張します。
 しかし、今年になって出た、笹井氏の未亡人に対するインタビューでは違う見方が述べられています。

「A子さんは、夫が書いた真意が小保方氏には伝わっていないのではないかという。
『主人の遺書にあった“新しい人生を歩んで下さい”という言葉。あれは、“あなたには研究者の資質がないから辞めなさい”という意味なんです。実際、主人は何度も言っていました。“彼女は研究者には向いてない。辞めたほうがいい”って。これが、彼女を間近で見てきた主人が最後に下した結論だったのです』」
(「故笹井芳樹氏の妻 遺書の真意「小保方氏に伝わっていない」
NEWSポストセブン2月4日(木)16時0分)
>>http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0204/sgk_160204_5082077530.html
 というわけで、いまだ謎に包まれている部分が多いものの、本シリーズとしては「女性に優しい男を自認していた笹井氏が小保方さんを信じすぎて墓穴を掘ってしまった」と推論せざるを得ないのです。
 もちろん、責任は一義的には、ウソ、誤魔化しの積み重ねで上位者のヒューマン・エラーを誘ってきた小保方さんにあります。


 『捏造の科学者』では、笹井氏に同情的な別の見方も述べられています。
 すなわち、笹井氏は基礎研究を愛していた。しかし、再生医療を看板にしないとお金がとってこられない。

「基礎研究を愛し、若手の自由な研究環境を守るために、臨床応用の近いiPS細胞と比べることでSTAP研究の意義を宣伝した―。そう考えると、笹井氏こそ、CDBの抱える矛盾を体現していたように思えてならなかった」(『捏造の科学者』p.353)

 笹井氏は巨額の研究予算をとる権限を持ち、才覚のあった人でした。そのことに使命感を持っていた人でもありました。若手の研究者に対する擁護者を自ら任じてもいたことでしょう。
 そのことが仇となり、小保方晴子さんの不正を見抜く目が甘くなったとしたら、それもまた痛ましいことです。
 −こういうスケールのことを「ええかっこしい」と呼んでしまうのは気の毒なことではあるのですが。でも突き詰めていうとやはりそれになります。

 
 そしてまた、いくつかの謎が残っています。 
 笹井氏は「光る胎盤をみた」とも言います。
 これについて小保方さんが行ったとみられる「手品」についていろいろ推測があり、要は「えっ」と拍子抜けするような子供だましのテクニックでこれらが実現する可能性があるのです。高名な学者が、むしろ「まさか、そこまでバカバカしいことをするとは」と疑わず、ダマされてしまった可能性があるのです。
 そのあたりは(9)で登場したレビュアー「パルサさん」がいずれ、解説してくれる機会があるかもしれません…。
 要は、「ヒューマン・エラー」が積み重なった。笹井氏の予算獲得の野望、iPS細胞への対抗心、そして女性や若い人に対して優しい擁護者を自認していたことがチェックの甘さにつながった。それが悲劇につながったのだろうと、今は推測するほかないのです。


 次回は、残された「おじさん」たち、「放置プレイ系」若山氏と、「欲得・不正系」大和氏・バカンティ氏を取り上げます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html