ブログ更新がまた時間が空いてしまいました。
長い読者の方はご存知と思いますが、昨年末ぐらいからこのブログで「ベストセラー本の批判的解読」という作業を立て続けにしました。
時系列に並べると
『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(昨12月、4回連載)
『「学力」の経済学』(1月、7回連載)
『ほめると子どもはダメになる』(1月、1回)
それと本ではないですが、『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会で異議申し立てをした(1月16日)というのも記憶に新しいです。
本当は『嫌われる勇気』もまた、上記の本と同様に「逐文的」に批判読みをしないといけないのですが、おさぼりしています。それはあまりにもわたしからみて「パッと読んでダメ」な部類の本だったからです。それがこんなに影響力をもってしまうとは。
そんなことをやっている分「良書」を読むことがこのところ後回しになりがちで、こころの栄養が足りないと思っていました。
そんな風に、教育分野のものだけでもダメなベストセラーが量産されていて、それらを批判する作業だけで忙しすぎたので、『あの日』については、サボろうと思っていました。わたしがやることではない、と思っていました。
なんでこう、ダメなベストセラーばかり出るのだろう。
答えはわかっています。出版不況だからです。人々が本を読まないからです。
「紙の出版物、15年の販売額5.3%減 減少率は過去最大 」(2016年1月25日日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ25II6_V20C16A1TI1000/?n_cid=SPTMG002
出版社別にみると、例えば『あの日』の出版元で業界2位の講談社は、2012年売上高が前年度比マイナス3.3%となっています。(数字がちょっと古いですが、大きな趨勢としてはこうなのでしょうネ)
そして前にも書いたかと思いますが、こういう本離れの時代にどうやって買わせようとするかというと、「逆張り」がよくやるテクニックです。なかでも教育分野では、「ほめる否定」を使うのがこのところ顕著です。
子供をもつ親御さんというのはどの時代も不安なのだと思いますが、その心理につけこんで「逆張り」をやり、「ほめてはいけない」という、もっとも不安を煽ることをやる。「えっ、自分のやっていたことは間違いだったのだろうか」と思わせる。上記の『「学力」の経済学』『ほめると子どもはダメになる』『嫌われる勇気』いずれもそうです。
ちょっと丁寧に読めばそれは意図的な論理のスリカエを行っていたり
(例えば『ほめるとー』では、「ほめる教育」と「叱らない教育」をわざと混同している)、
でたらめなデータの並べ方をやっていたり
(『学力の――』では、データをいくつか並べるがそれと結論がどうみてもつながっていなかった)
するのです。そんなやり方で親御さんの不安を煽ってどうするんだ。
そして、行動理論−行動分析学のほうの、「ほめて伸ばす」で明らかにパフォーマンスが上がるほうのデータは、意図的に見せません。ずるいですねえ。
※ここからちょっと寄り道で、
まあ「ほめる」にはゆきすぎ現象も確かにあるので、わたしは極力「ほめる」という語を使わないできたのですが。ゆきすぎれば問題があるということと、最初から全否定することは当然違います。
また、否定ばかりして育てた結果、強い個体は生き延びるし雑草のように根性がすわって育つかもしれませんが、それはやはり「歩留まりのわるい」やり方といわなければなりません。ごく一部の強い個体を除いて死滅してしまい、収穫高はわるくなります。本性に逆らう育て方をしたら。人は、ごく一部を除いては肯定されて育つほうが育ちやすいんです。そして、「否定して育てる」を推奨した場合にパワハラや虐待を防止できるのか?クエスチョンです。普通は、「否定する」を推奨した場合はエスカレートしやすいんです。
最近ドラマなどで「日陰において育てると強くなる」とか、ちょっと「鍛える」的な言い回しをききますが、それは一人歩きすると指導者側の傲慢にすぐつながると思いますね。相手がそこまでして育ちたいと思っているかどうかですね。子供さんだったらグレさせてしまってからでは遅いですね。
そう、「否定して育てる」は、反発心のいたずらに強い、ひねくれた嫌な人格を作ってしまうリスクもあります。育てられた当人も他人を否定ばかりするようになります。
逆に肯定して育てるといろんな意味で素直な性格に育つので、教えたこともよく受け取って学習します。効率がいいのです。
わたしが「承認」と言っているときはおおむねGOとSTOPを適切な比で与えよ、GOのほうを多く、STOPをたまに効果的に、それが一番いい結果につながるから、ということを言ってるんです。もちろん相手の個体差も丁寧にみます。否定メッセージを比較的好む個体というのもあるにはあります。それも程度問題で、否定ばかりで育てていい個体などありません。
日本人の場合例の遺伝子的な特性で、肯定的な感情を初期設定ではあまり持っていないのです。で指導者になる人も、人を肯定するということを訓練なしにはできないのです。一方で育つ側というのは肯定されたほうが育つ、これは日本人の場合であっても真理なので、指導者側の訓練が要るんですね。やっぱりほめるタイプの先生のほうが成績は伸ばしますよ。
はい、最近あまり「承認」のことをブログに書いていなかったので、久しぶりに基本のことを書かないといけませんね。
閑話休題です。
そうして「ほめてはいけない」のメッセージを与えられた今の時代の親御さんたちがどうなっていくのか、というのは空恐ろしいです。いや本なんかみんな読んでないから大丈夫だよ、という考えもあるでしょうが、例えば上記の『「学力」の―』の著者は安倍首相の教育再生会議の委員です。新自由主義を教育に持ち込み教育をその支配下に置きたい、という主義主張の方です。この本の影響ですでに大阪市教委は先生方の給与体系に成果主義を大幅導入することを決めました。『ほめると―』はちょっとわかりませんが、『嫌われる勇気』の津々浦々までの浸透ぶりはすごいですねえ。講演会にはごく普通の善男善女という感じの方々が来られていました。そこでは英語教室で「Good job」も言ってはいけないんだそうです。
だから、本が売れない時代のベストセラーというのは、手段を選ばず人間性を破壊するようなとんでもないことを書きます。それをなめてかかっていると案外な影響力を及ぼし、とても変な世の中をつくっていきます。
『あの日』もその中の1つです。
『あの日』を読んでその変なロジックに巻き込まれ被害者表現もすべて真に受けてしまった人というのは―(略)
こういう時代に対して変に責任感をもつわたしはどこかおかしいのでしょうか――。
『あの日』に関わるのは本来は3月いっぱいまでのつもりでした。連載の第14回を「最終回」として書き上げ、年度も変わりさあ次へ進もう、というつもりでした。
ところが、同じ3月31日の数時間後に例の「STAP HOPE PAGE」というのが公開され、それでまた一時期騒然となり、この問題が収まりそうにありません。
そこで翌4月1日、仕方なく落としたエンジンをまた回転させたようなつもりで、「エイプリルフール企画・社会人のための小保方情報」解読講座」というのを追加で書きました。
やっぱり、ネット上には小保方さんに一方的に有利な情報ばかりあふれている。それをうのみにしてしまうと、今度は普通に良心的にやっている科学者研究者の方々が非難されたり不信の目でみられてしまうことになる。ひいては、普通の仕事の現場の規律規範までガタガタになってしまう。そのあたりはちょっと、やむにやまれぬ気持でした。アホだ、と自分でも思いますが。
そうして「毒食わば皿」で、Kindle本をつくってしまおう、ということになりました。
というのも、ブログ読者の方々はご存知かどうかわかりませんが、既に「STAP細胞・小保方晴子さん」関連のKindle本というのはうじゃうじゃ出ているのです。
内容は
「小保方さんは若山照彦にハメられた!」
「STAP細胞はある!」
という怪しげなもの。それも紙の本で20−40ページ程度の内容のものが500円とか700円という価格で出ています。
それだったら既に新書本1冊分くらいの分量のあるもので、科学的にも「情報の読み方」的にも正しいところを伝える本を1冊Kindleから出したほうがいいじゃないか。
そんな思いでKindle本『社会人のための「あの日」の読み方』を出すことになったのですが、まあそのあともゴタゴタ長引いています。まだこの件から手を引けそうにありません。
本当は、今月からはもともとの教育分野に戻って『「学力」の経済学』批判や岸見アドラー心理学批判をしたかったな。
それに前著の『行動承認』のKindle化もしたかったな。
『行動承認』は、たぶん100年後に残る本です。
地味で、ベストセラーになる種類の本ではありません。
しかし私は書きながら読者を定めたのです。
頭でっかちの学者さんやコンサルタントさんにわかってもらわなくてもいい。
頭に思い描いていたのは、研修でお出会いする、高卒の工場リーダーやサービス業のリーダーたちでした。現場で育ち仕事脳を発達させてきた、彼・彼女らにわかってもらえればいい。「自分たちのことだ」と思ってもらえればいい。
そう、例えば大手商社やメーカーのホワイトカラーの旧帝大出の人たちも眼中にありませんでした。人事・研修担当者も、極端にいえば対象外でした。
現場のリーダー層の人たちにわかってもらえれば。
そんな思いが通じてか、去年は、お陰で2か所で研修テキストとして採用していただきました。受講生様方の手元に「あの本」がありました。
とりわけ、「研修前にもう本を読んで自己流で実践を始めています」というある受講生様の言葉には感激でした。
読者対象として想定していなかった層の人にも響いたようでした。
佐賀県のご同業の宮崎照行さんからも、「医大の救命救急センターで組織開発サブテキストとして採用しています」と嬉しいご連絡をいただきました。
(これは本来想定外の読者層でしたが、わたしのつもりでは易しい言葉だけれど医学的にも正しいことを書いているつもりなので、幸甚でした)
またオープンセミナーに参加された、獣医さんにも好評でした。
『行動承認』を自分が教えたい、と思う講師のかたは、このブログの「教授法へのこだわり―人に教えるということ」というカテゴリをぜひ読まれてください。
あのカテゴリに書かれていることが、いわば『行動承認』研修のプロトコルのようなものです。講師がどんな心構えであれば伝わるか、というお話が書かれています。
また「研修副作用関連」のカテゴリも読んでください。
あれは、わたしなりに観察してまとめてきた、「研修の『やってはいけない』」集です。
もし、『行動承認』を読んでいただいてそれから「教授法へのこだわり」カテゴリと、「研修副作用関連」カテゴリを読まれたときに「すっ」と反発心なしに頭に入るようでしたら、その方はきっと『行動承認』の講師の適性がある方だと思いますね。
たぶん『行動承認』は再出版などされることなく、Kindle本で出しなおすことになると思います。「エウダイモニアブックス」というレーベルで。できれば、今の哲学や脳科学の動向を入れた『行動承認 第二章』のようなものも出せないかなと思っています。
そういう、素直に読んでいただければものすごく実際の役に立つもの、というのはもう今の時代、出版社さんが出せなくて、Kindleで出すしかないのかもしれませんね。
わたしがそこまで生きていられれば。
「余話」を結局シリーズ化しました
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html
長い読者の方はご存知と思いますが、昨年末ぐらいからこのブログで「ベストセラー本の批判的解読」という作業を立て続けにしました。
時系列に並べると
『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(昨12月、4回連載)
『「学力」の経済学』(1月、7回連載)
『ほめると子どもはダメになる』(1月、1回)
それと本ではないですが、『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会で異議申し立てをした(1月16日)というのも記憶に新しいです。
本当は『嫌われる勇気』もまた、上記の本と同様に「逐文的」に批判読みをしないといけないのですが、おさぼりしています。それはあまりにもわたしからみて「パッと読んでダメ」な部類の本だったからです。それがこんなに影響力をもってしまうとは。
そんなことをやっている分「良書」を読むことがこのところ後回しになりがちで、こころの栄養が足りないと思っていました。
そんな風に、教育分野のものだけでもダメなベストセラーが量産されていて、それらを批判する作業だけで忙しすぎたので、『あの日』については、サボろうと思っていました。わたしがやることではない、と思っていました。
なんでこう、ダメなベストセラーばかり出るのだろう。
答えはわかっています。出版不況だからです。人々が本を読まないからです。
「紙の出版物、15年の販売額5.3%減 減少率は過去最大 」(2016年1月25日日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ25II6_V20C16A1TI1000/?n_cid=SPTMG002
「出版業界の調査・研究を手がける出版科学研究所(東京・新宿)は25日、2015年の紙の出版物の推定販売額を発表した。14年比5.3%減の1兆5220億円と、減少率は1950年に調査を始めてから過去最大となった。特に稼ぎ頭の雑誌の落ち込みが深刻で、出版市場は底入れの兆しが見えていない。
前年割れとなるのは11年連続。減少率は14年の4.5%を上回り、過去最大だった。書籍は240万部超の大ヒットになった又吉直樹氏の「火花」(文芸春秋)など文芸書が好調で14年比1.7%減の7419億円にとどまったが、雑誌は同8.4%減の7801億円と大きく落ち込んだ。「15年は雑誌市場の衰退が一気に進んだ」(出版科学研究所)」
出版社別にみると、例えば『あの日』の出版元で業界2位の講談社は、2012年売上高が前年度比マイナス3.3%となっています。(数字がちょっと古いですが、大きな趨勢としてはこうなのでしょうネ)
そして前にも書いたかと思いますが、こういう本離れの時代にどうやって買わせようとするかというと、「逆張り」がよくやるテクニックです。なかでも教育分野では、「ほめる否定」を使うのがこのところ顕著です。
子供をもつ親御さんというのはどの時代も不安なのだと思いますが、その心理につけこんで「逆張り」をやり、「ほめてはいけない」という、もっとも不安を煽ることをやる。「えっ、自分のやっていたことは間違いだったのだろうか」と思わせる。上記の『「学力」の経済学』『ほめると子どもはダメになる』『嫌われる勇気』いずれもそうです。
ちょっと丁寧に読めばそれは意図的な論理のスリカエを行っていたり
(例えば『ほめるとー』では、「ほめる教育」と「叱らない教育」をわざと混同している)、
でたらめなデータの並べ方をやっていたり
(『学力の――』では、データをいくつか並べるがそれと結論がどうみてもつながっていなかった)
するのです。そんなやり方で親御さんの不安を煽ってどうするんだ。
そして、行動理論−行動分析学のほうの、「ほめて伸ばす」で明らかにパフォーマンスが上がるほうのデータは、意図的に見せません。ずるいですねえ。
※ここからちょっと寄り道で、
まあ「ほめる」にはゆきすぎ現象も確かにあるので、わたしは極力「ほめる」という語を使わないできたのですが。ゆきすぎれば問題があるということと、最初から全否定することは当然違います。
また、否定ばかりして育てた結果、強い個体は生き延びるし雑草のように根性がすわって育つかもしれませんが、それはやはり「歩留まりのわるい」やり方といわなければなりません。ごく一部の強い個体を除いて死滅してしまい、収穫高はわるくなります。本性に逆らう育て方をしたら。人は、ごく一部を除いては肯定されて育つほうが育ちやすいんです。そして、「否定して育てる」を推奨した場合にパワハラや虐待を防止できるのか?クエスチョンです。普通は、「否定する」を推奨した場合はエスカレートしやすいんです。
最近ドラマなどで「日陰において育てると強くなる」とか、ちょっと「鍛える」的な言い回しをききますが、それは一人歩きすると指導者側の傲慢にすぐつながると思いますね。相手がそこまでして育ちたいと思っているかどうかですね。子供さんだったらグレさせてしまってからでは遅いですね。
そう、「否定して育てる」は、反発心のいたずらに強い、ひねくれた嫌な人格を作ってしまうリスクもあります。育てられた当人も他人を否定ばかりするようになります。
逆に肯定して育てるといろんな意味で素直な性格に育つので、教えたこともよく受け取って学習します。効率がいいのです。
わたしが「承認」と言っているときはおおむねGOとSTOPを適切な比で与えよ、GOのほうを多く、STOPをたまに効果的に、それが一番いい結果につながるから、ということを言ってるんです。もちろん相手の個体差も丁寧にみます。否定メッセージを比較的好む個体というのもあるにはあります。それも程度問題で、否定ばかりで育てていい個体などありません。
日本人の場合例の遺伝子的な特性で、肯定的な感情を初期設定ではあまり持っていないのです。で指導者になる人も、人を肯定するということを訓練なしにはできないのです。一方で育つ側というのは肯定されたほうが育つ、これは日本人の場合であっても真理なので、指導者側の訓練が要るんですね。やっぱりほめるタイプの先生のほうが成績は伸ばしますよ。
はい、最近あまり「承認」のことをブログに書いていなかったので、久しぶりに基本のことを書かないといけませんね。
閑話休題です。
そうして「ほめてはいけない」のメッセージを与えられた今の時代の親御さんたちがどうなっていくのか、というのは空恐ろしいです。いや本なんかみんな読んでないから大丈夫だよ、という考えもあるでしょうが、例えば上記の『「学力」の―』の著者は安倍首相の教育再生会議の委員です。新自由主義を教育に持ち込み教育をその支配下に置きたい、という主義主張の方です。この本の影響ですでに大阪市教委は先生方の給与体系に成果主義を大幅導入することを決めました。『ほめると―』はちょっとわかりませんが、『嫌われる勇気』の津々浦々までの浸透ぶりはすごいですねえ。講演会にはごく普通の善男善女という感じの方々が来られていました。そこでは英語教室で「Good job」も言ってはいけないんだそうです。
だから、本が売れない時代のベストセラーというのは、手段を選ばず人間性を破壊するようなとんでもないことを書きます。それをなめてかかっていると案外な影響力を及ぼし、とても変な世の中をつくっていきます。
『あの日』もその中の1つです。
『あの日』を読んでその変なロジックに巻き込まれ被害者表現もすべて真に受けてしまった人というのは―(略)
こういう時代に対して変に責任感をもつわたしはどこかおかしいのでしょうか――。
『あの日』に関わるのは本来は3月いっぱいまでのつもりでした。連載の第14回を「最終回」として書き上げ、年度も変わりさあ次へ進もう、というつもりでした。
ところが、同じ3月31日の数時間後に例の「STAP HOPE PAGE」というのが公開され、それでまた一時期騒然となり、この問題が収まりそうにありません。
そこで翌4月1日、仕方なく落としたエンジンをまた回転させたようなつもりで、「エイプリルフール企画・社会人のための小保方情報」解読講座」というのを追加で書きました。
やっぱり、ネット上には小保方さんに一方的に有利な情報ばかりあふれている。それをうのみにしてしまうと、今度は普通に良心的にやっている科学者研究者の方々が非難されたり不信の目でみられてしまうことになる。ひいては、普通の仕事の現場の規律規範までガタガタになってしまう。そのあたりはちょっと、やむにやまれぬ気持でした。アホだ、と自分でも思いますが。
そうして「毒食わば皿」で、Kindle本をつくってしまおう、ということになりました。
というのも、ブログ読者の方々はご存知かどうかわかりませんが、既に「STAP細胞・小保方晴子さん」関連のKindle本というのはうじゃうじゃ出ているのです。
内容は
「小保方さんは若山照彦にハメられた!」
「STAP細胞はある!」
という怪しげなもの。それも紙の本で20−40ページ程度の内容のものが500円とか700円という価格で出ています。
それだったら既に新書本1冊分くらいの分量のあるもので、科学的にも「情報の読み方」的にも正しいところを伝える本を1冊Kindleから出したほうがいいじゃないか。
そんな思いでKindle本『社会人のための「あの日」の読み方』を出すことになったのですが、まあそのあともゴタゴタ長引いています。まだこの件から手を引けそうにありません。
本当は、今月からはもともとの教育分野に戻って『「学力」の経済学』批判や岸見アドラー心理学批判をしたかったな。
それに前著の『行動承認』のKindle化もしたかったな。
『行動承認』は、たぶん100年後に残る本です。
地味で、ベストセラーになる種類の本ではありません。
しかし私は書きながら読者を定めたのです。
頭でっかちの学者さんやコンサルタントさんにわかってもらわなくてもいい。
頭に思い描いていたのは、研修でお出会いする、高卒の工場リーダーやサービス業のリーダーたちでした。現場で育ち仕事脳を発達させてきた、彼・彼女らにわかってもらえればいい。「自分たちのことだ」と思ってもらえればいい。
そう、例えば大手商社やメーカーのホワイトカラーの旧帝大出の人たちも眼中にありませんでした。人事・研修担当者も、極端にいえば対象外でした。
現場のリーダー層の人たちにわかってもらえれば。
そんな思いが通じてか、去年は、お陰で2か所で研修テキストとして採用していただきました。受講生様方の手元に「あの本」がありました。
とりわけ、「研修前にもう本を読んで自己流で実践を始めています」というある受講生様の言葉には感激でした。
読者対象として想定していなかった層の人にも響いたようでした。
佐賀県のご同業の宮崎照行さんからも、「医大の救命救急センターで組織開発サブテキストとして採用しています」と嬉しいご連絡をいただきました。
(これは本来想定外の読者層でしたが、わたしのつもりでは易しい言葉だけれど医学的にも正しいことを書いているつもりなので、幸甚でした)
またオープンセミナーに参加された、獣医さんにも好評でした。
『行動承認』を自分が教えたい、と思う講師のかたは、このブログの「教授法へのこだわり―人に教えるということ」というカテゴリをぜひ読まれてください。
あのカテゴリに書かれていることが、いわば『行動承認』研修のプロトコルのようなものです。講師がどんな心構えであれば伝わるか、というお話が書かれています。
また「研修副作用関連」のカテゴリも読んでください。
あれは、わたしなりに観察してまとめてきた、「研修の『やってはいけない』」集です。
もし、『行動承認』を読んでいただいてそれから「教授法へのこだわり」カテゴリと、「研修副作用関連」カテゴリを読まれたときに「すっ」と反発心なしに頭に入るようでしたら、その方はきっと『行動承認』の講師の適性がある方だと思いますね。
たぶん『行動承認』は再出版などされることなく、Kindle本で出しなおすことになると思います。「エウダイモニアブックス」というレーベルで。できれば、今の哲学や脳科学の動向を入れた『行動承認 第二章』のようなものも出せないかなと思っています。
そういう、素直に読んでいただければものすごく実際の役に立つもの、というのはもう今の時代、出版社さんが出せなくて、Kindleで出すしかないのかもしれませんね。
わたしがそこまで生きていられれば。
「余話」を結局シリーズ化しました
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html
◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html
コメント