前回の記事で、『あの日』に関して批判的解読をするのは、できればおさぼりしたかった、という意味のことを書きました。教育分野の「ダメなベストセラー」の批判の作業だけで手いっぱいだった。『あの日』に関しては批判的なレビューを書いている方も多数おられるので、その方々の良識に任せたい。

 ・・・と思っていたのに、なぜ結局ブログで15回もの連載をやり、Kindle本まで書くことになったか?


 それは、たぶん、「この問題で科学者・科学ジャーナリストの言葉に残念ながら説得力がない」と感じたからです。

 ウソだ、とは言わないです。彼ら・彼女らは正しいんだけど、一般の人の心に届く言葉が言えていない。


 ひとつの例として、今月19日に出たばかりの『研究不正―科学者の捏造、改竄、盗用』(黒木登志夫、中公新書)という本を読んでいます。

 著者は1936年生まれ、元東大医科学研究所教授。
 STAP細胞事件がこの本の出版の動機だ、と著者自身述べているように、全部で42の研究不正の例を集めていますが、中でもSTAP事件は事例21として大きな紙幅を割いています。これ自体は、大変な労作です。わたしのKindle本なんか比較にならない。資料的価値のある本といえるでしょう。

 その中のSTAP事件に関する記述をみてみましょう:


STAP細胞は、ねつ造、改ざん、盗用の重大研究不正をすべて目いっぱい詰め込んだ細胞であった。はなばなしい発表からわずか11か月で、そのような細胞が存在しなかったことが明らかになり、わが国の名誉を傷つけた末に、消えていった。(p.ii)


 HOは、STAP細胞発表から2年後の2016年1月、『あの日』という本を出版した。自らを正当化し、若山照彦にすべてを押しつけようとする作為的な内容である。彼女は、ES細胞の混入を「仕掛けられた罠」として否定している。(p.124)



 いかがでしょうか。
 これが、科学界の標準的な小保方さんに対する見方です。きついでしょう?

 それは、一般には知られていないそう信じるべき根拠があるから、そうなのです。つまり、わたしの本にも書きましたが、理研の再現実験報告書であったり調査報告書であったり、昨年9月ネイチャーに載った「世界で133回追試して再現されなかった」という報告であったり。

 ところが、それら通常なら「決まり。ここで議論打ち切り」になるような資料があまり存在も知られず参照されず、中には「陰謀だ」とまで言われる困った状況が、STAP騒動にはあります。

 とりわけ今年になってからの状況では、真偽不明の小保方さん側が出す情報だけがネットでセンセーショナルに取り上げられ、リツイートされ、マジョリティになってしまう。


 科学者の言葉が通じにくくなった。少なくともこの問題に関しては。
 

 もうひとつ例を挙げると、こちら

「STAP騒動『あの日』担当編集者に物申す」(2016年2月27日)

>>http://bylines.news.yahoo.co.jp/takumamasako/20160227-00053974/


 STAP騒動について初期から発言してこられた、科学ライター詫間雅子氏の記事。

 これも、正しいことを言っている記事です。なのだけれども、実は『あの日』という本でやっている多数の欺瞞を指摘していると、とくに記事1本ぶんの短い文章では、「怒り炸裂」のトーンになってしまうことを免れない。

 そして「怒り炸裂」トーンになると、読者がついてきてくれなくなってしまう。
 本当に初期から小保方晴子さんの一連の言動の異常さがわかっていて、今も記憶に残っている読者なら、この記事に共感できるでしょう。
 でもそうではない、2年前の研究不正報道、出るもの出るものウソだらけだったという衝撃がすでに記憶のかなたになり、今は小保方さん側の出す情報の妙な「感情的説得力」に感化され、ひょっとしたらこちらが正しいのかな?と思い始めている普通の社会人は、共感できるかどうか疑問です。
 せっかく、正しいことを言っていても。


 どんなに正しくても、この件は、「伝え方をえらぶ」と思いました。相当、考えた伝え方をしないといけない。


 そこでわたしが選択したのは、

「読者のあなた」

をつねに主語に置く、ということでした。

 あなたのことなんですよ。あなたの身近にもこういう人いるでしょう。今仕事を頑張っているあなたなら、同情しなくていいんですよ。

 これは例の、「内側前頭前皮質」というやつです。ご興味のある方はこのブログの検索窓にこの言葉を入れてみてください。


 いや、成功しているかどうかわかりませんよ。Amazonレビューでは、「科学者にきかなくては意味がない!」と書かれましたね。・・・最近うんざりして、みていません・・・

 しかし、科学者・サイエンスライターの方が書いたとしても、説得力をもてるかどうかは疑問なのです。この件に関しては。
 書く人と書き方をかなりえらぶ、というしかないですね。



 
 上述の『研究不正』という本からの引用の続きです。



 (STAP事件の)何よりも深刻な影響は、人々が科学と科学者を信頼しなくなり、わが国の科学が世界からの信用を失ったことである。自らの研究に誇りをもち、一生懸命研究を行っていた研究者にとって、これほどひどい仕打ちはない。(p.125)


研究不正の基本にあるのは、周囲からの様々な圧力、ストレスに加えて、競争心、野心、功名心、出世欲、傲慢さ、こだわり、思い上がり、ずさんさなど、われわれ自身が内包しているような性(さが)である。そのような背景は、社会的な不正と共通している。(pp.287-288)


 わが国は、いつの間にか、研究不正大国になってしまった。…そして、わが国の研究不正は、2014年にピークを迎えた。
 しかし、2014年の不幸な事件は無駄ではなかった。…STAP細胞事件の影は、今でも、われわれ研究者の心に、重くのしかかっている。しかし、われわれは、2014年の不幸な事件を共有し、不正のもつ重大な意味を再認識し、立ち上がろうとしている。その意味で、STAP細胞事件の主役HOは反面教師として偉大な存在であった。(p.289)




「余話」を結局シリーズ化しました

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの(本記事)

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939444.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html