2つ前の記事で取り上げた『研究不正』(黒木登志夫、中公新書、2016年4月)をもうちょっと読んでみます。

 こうして「研究不正」という現象を横断的にみることも、いま起きている社会現象としての「小保方晴子さん・STAP細胞」現象をみるうえで助けになります。

 たぶん、この本の著者もそういう読み方をされることを願っていることでしょう。


 まずは、

「小保方晴子さんは、『研究不正』をした人だ」

 この点は、大前提として押さえていただいてよろしいでしょうか。


 単純なミスをしたわけではない、研究不正という、その世界では許されないことをした人だと。どの会社でも重大な就業規則違反をした人は解雇されるように、小保方さんも懲戒解雇相当になっていますが、それは仕方がないのだと。

 4人も有能な弁護士をつけていてもその処分を防げなかったのです。

 それを「ない」ことにはできません。また、他の多数の研究不正事件と比較しても、処分が特別に重いとはいえません。

 問題は、その研究不正の主役である小保方晴子さんが今も奇妙な「国民的人気」があり、本を出すと26万部というそこそこのベストセラーになってしまい(ありがたいことに、26万部から先の増刷はないそうですが。講談社企画出版部にききました)
「W山こそがすべての首謀者だ!小保方さんはハメられた!」
という陰謀論が蔓延している。

※これについては、争点は「ES細胞混入は小保方さんだったのか、それともほかの人か」というところに絞って理解したほうがいいと思います。先日兵庫県警の捜査が終結し、「ES盗難は小保方さんとは特定できない」という結論になったところです。

 しかし、ES細胞混入以外のところで、小保方さんは少なくとも2件のはっきりした「捏造」を認定しヒアリングで本人も認めています。このことは『あの日』には書かれていないだけです。他にも「オリジナルデータの提出がない」だけで不正と認定しきれなかったグレーの箇所が10数か所もあるわけです。

 『あの日』だけを読んでこうしたほかの重要な資料を読んでいない人だと、小保方さんのしたことの「重さ」は、想像がつかないと思います。普通の社会人の規範の世界からしてもどれほどかけ離れたことをしてしまった人か、ということが。

 たとえば、銀行の美人営業ウーマンがとってきた融資案件の大半が捏造で架空の顧客だったとか、美人編集者が、著者が遅筆なので勝手に自分がどんどん書いちゃったとか美人記者がとってきた特ダネが大半は捏造だったとか、美人看護師が患者のバイタルを見ていたが記録は大半が捏造だったとか美人教師の担任するクラスは学年トップの成績だったが生徒の成績の大半は捏造だったとか。あとどんな例えがあるでしょうねえ。。。


 さらに追加で「STAP細胞はある!」等の情報をどんどん出してくる。数日たってガセとわかるがその都度騒然とし、「やっぱり日本のマスコミや科学者はウソをついている!」的な「空気」ができてしまう。


 そういう「研究不正」をした人が「アイドル」になっているという現象が、わたしたちの社会に何をもたらすでしょうか。

 職場では、規律規範はどうなるのでしょうか。

 たとえばわたしと同世代くらいの部長級の人が、小保方さんのことをうっかり「可愛い。きっと無実だ」と思っていたとき、その部下の中の可愛い容姿の女性が何かのミスや改ざんをして、ちょうど小保方さんと同じような言い訳を部長に言ったとします。
 つい、クラクラッとならないでしょうか。直属の上司の課長や係長に
「君、厳しすぎるんじゃないか。A子さんに何か含みでもあるのか。A子さんはだれかにハメられたんじゃないかあ?」
と茶々を入れたりしないでしょうか。

 わたしと同世代の男性って、やりそうなんだよなあ、そういうこと。

 それはしかし、もう「乱倫職場」って言われても仕方ないんですけどね。周りの従業員のモチベーションは下がりまくりますね。A子さんが仮にお追従上手の男性でも同じです。


 「行動承認」は「論功行賞」「信賞必罰」や「理非曲直」など、昔から日本のマネジメントにあった四字熟語の体現だ。

 というようなことを、これはまだ本には書いていなかったですが、講演などでは時々言います。

 それでいえば、「小保方さんは不正をした人」だ、ときっちりいうのは、「理非曲直」の側面を出すということです。

 それはもう、研究の世界では「判決」が出ていることなので、小保方さんもそれに異議申し立てをしていないので、仕方ないのです。「一方の意見だ」というレベルの話ではありません。

 沢山ある研究不正事件のひとつとして、教訓を学びとり、過去のものとして前に進むのが正しいのです。


 これも少し余談になりますが、
 「罰」は、存在しないといけない。「罰」の存在しない世界はやりたい放題になり、結果的に人が離れていく。

 そういう「罰」の効用を言ったのが、わたしのよく参照する本『経済は競争では繁栄しない―神経化学物質オキシトシンの効用』です。本全体でいう「共感」「信頼」の効用とは真逆のことを言っている箇所ですが、「罰」はやはり、社会の維持のためにスパイスとしてないといけないのです。

 詳しくはこちらの記事を参照

わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?神経化学物質オキシトシンの知見『経済は「競争」では繁栄しない』
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/51889965.html

 この記事の上から3分の1ぐらいスクロールしたところにこんな一節があります:

 ●「公共財ゲーム」を使った実験では、厳罰主義のクラブBは最終的に大金を稼ぎ、やりたい放題のクラブAの資産はゼロになった。善に報いるだけでなく悪を制裁することによって向社会的行動を奨励する制度が最高の見返りをもたらすことがはっきりした。

 
 ですね。
 わたしも「承認」をいう人なので、どんなことにも「承認」で対応して仏様のように振る舞うべきだと主張している人のようにみられがちなのですが、これはNOです。わるい行動に正しく「罰」を与えることは、承認のコインの裏表のようなもので、必要なことなのです。その部分がなかったら逆に「承認」も言えません。


 
 もうひとつ『研究不正』の本でおもしろかったのが、研究不正をおこなう人の年齢です。
 簡単に言うと、功成り名遂げた教授もやるし、若い研究者、小保方さんぐらいの歳の研究者もやる、ということです。
 42も事例を出してくれて横断してみると、小保方さんが不正と断罪されて処分されたことが、若いからといって決して「トカゲのしっぽ切り」だとはいえない、ということがわかります。若い人は若い人で、ちゃんと不正をしたくなる動機があります。それを正しく処分しないようでは困るのです。


・事例5 論文盗作事件のエリアス・アルサブチは発覚当時、26歳。
・事例6 スペクター事件のマーク・スペクターはコーネル大学の大学院生(博士課程?)
・事例7 ハーバード大学不正事件の主役は33歳の循環器内科医のダーシー。
・事例12 有名な「シェーン事件」のシェーンは31歳。
・・・

 こういう若い人主導の研究不正を、この本では「ボトムアップ型研究不正」と呼んでいます。

 とりわけ、近年ではアメリカ留学中の日本人の大学院生、ポスドクの人がおこなう不正が急増しているようです。「アメリカで認められたい」という気持ちが勝ちすぎるからでしょうか。

 たまたま、日本では研究室を主宰する「おじさん」教授が主体で不正を行ったケースが多かったので、「不正をやる人=おじさん」という固定観念が、わたしたちに刷り込まれているだけなのかもしれないんですね。小保方さんは、『あの日』でその固定観念(=いわばヒューリスティック)をうまく使い、「若山先生が主犯よ!だっておじさんなんだもん!」というイメージを作ることに成功したともいえますね。

 
 この本では、上記の事例6「スペクター事件」事例12「シェーン事件」とSTAP事件の3つを表にまとめ、その共通項を比較したりしています。(ご興味のある方はこの本をお買い求めください)


 さあ、いかがでしょう。

 「小保方さんは若くて可愛いのに、可哀想」
という幻想は、覚めましたか?


 

 最後に、やはり「教育」にどう影響してくるのか、ということも考えたいところです。

 小学校高学年ぐらいから、理科の実験がはじまり、「レポートの書き方」も教えられると思います。
 実験の目的、手順、材料、結果、考察、などを書くよう指導されると思います。

 ところが、それを全然ちゃんとやっていなかったのが小保方さんのあの実験ノートなわけです。

 ハーバードなのに。理研なのに。

 もちろん、もっと上の年代の「科学者教育」に携わる人たちにはさらに頭の痛いところでしょう。緻密に地道に、手順を覚え1つ1つ積み重ねてデータをとっていく…基本の倫理が崩れてしまいます。

 
 だから、「小保方さんOK」にしてしまうと、社会の隅々まで変てこりんなことになってしまうんです。

 前にも書きましたが、うっかり小保方さんに肩入れした人たちは、思考法全般が「変てこりん」になっていきます。事実、情報の評価が歪み、おかしなセンセーショナルな情報に流され、多数の良心的な人々の気持ちを思いやることなく小保方さん中心にものを考えるようになります。
 そんな人が今からも増殖する気配があります。


 わたしは、そこで「社会にたいするむだな責任感」を抑えられるかというと。。。


 

結局シリーズ化したので、インデックスを作ります

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(1)二つの原風景の話

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51938782.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(2)『あの日』に至るまでのわたしの流れは

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939260.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(3)じゃあなんで書きはじめたのか―科学者・科学ライターの「言葉」の限界

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939319.html

◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(4)「研究不正」した人が「アイドル」という現象が社会にもたらすもの(本記事)


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(5)「捏造」と「データ不在」のオンパレード――やっぱり基本情報”判決”を読んでみよう

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939558.html


◆『社会人のための「あの日」の読み方』余話(6)アリストテレス曰く、不正は嫌悪するのが正しい

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51939831.html