小保方晴子さんの「ウソつき」がまた新たにわかりました。

 きのう友人が和光にある理研本部に問い合わせていたことの回答がきて、
 簡単にいうと、小保方さんが自身の「STAP HOPE PAGE」に掲載していた「理研の再現実験でSTAP現象は再現されていた!」という主張を証拠だてる写真とグラフは理研には存在せず、捏造だったことがわかりました。

 この件はいずれ友人から正式に広報されると思いますが、フェイスブックページで「速報」として出しておられたのでここでは簡単にご紹介するのにとどめます。

 ようするに「STAP細胞」も「STAP現象」も、ひとりの妄想的な元科学者の頭の中にあるものだったにすぎない、ということです。
 科学者の方によれば世界の同分野の科学者で「小保方さん」「STAP細胞」のことを(不正のアイコンとして)知らない人はいないぐらいだそうですが、世界の田舎の日本も、そろそろこの人をアイドル的に持ち上げるのはやめたい。
 過去のものとして前に進みましょう。


 えっ、『行動承認』のタイトルの記事なのに、なぜ小保方さんが出てくるのかって?

 わたしも、いやなんですけどね。

 でも、この2つは不思議な因縁で結ばれているんです。
 早い話が、『行動承認』の置かれている状況は2014年から2年間、ほぼ止まったままですが、それは小保方さんが大きくかかわっているのです。


 今日は、その話をいたしましょう。





 『行動承認』には、たくさんの実在のマネジャーが登場する実話エピソードがふんだんに入っています。
 実話だからこそ、たぶんリアルのマネジャーの読者の心を打つことができます。

 それはとくに、出版の前年の2013年に計8例の素晴らしい事例に出会えたことが大きいのです。ざっと並べると、工場リーダーによる社内優秀賞、猛暑の中での統計調査0.2ポイントアップ、NPOメンバー営業マネジャーのの社内表彰(2回連続)、介護職での離職防止、某商工会のランキング1位、有光毬子さんのラジオ体操での奇跡、上海工場の躍進…。

 それまでの10数年、年に1例ぐらいのペースで「業績1位マネジャー」が出た、それに値するような価値ある事例がその年は年間8例も固めて出てしまいました。それは、それまで以上に「行動承認」にはっきりとかじを切り、記憶に残るような伝え方、研修プロジェクトの組み方を工夫したことが大きいのです。

 有り難く、1人1人の当事者に了承をいただいてエピソードとして盛り込ませていただきました。

 だから、この本には前半と後半、固めてどんどんどん、とエピソードが出てきます。
 中盤にちょっと理論的な話が入って、もうちょっとエピソードを読みたいなと思うと終盤にまた何例も追加で出てきます。たぶんそれらを読んでいると楽しい気持ちになって体があたたまってくると思います。

 こうして優れたエピソードが1冊の本にふんだんに使えたのは有り難いことなのですが…。


 
 本の企画が立ち上がる前の2014年初め、わたしはこれらの素晴らしいエピソードを抱えて、途方に暮れていました。

 なぜなら、自分が企業研修でつくることのできる幸せの大きさと、世間の認知度の低さのギャップがあまりにも大きくなってしまったからです。当時はNPO代表でしたが、一人の研修機関の女性代表が企業を営業して回って「主張」できるレベルを超えていました。

 こういう効果が出るものなんです。だから大切にしてください。いい加減な短時間の1回こっきりの研修ではやらないで。何年も続けてやってください。社内にもそういうものとして告知してください。

 優れたものである以上、そういう売り方をしないといけません。間違って短時間の研修で雑にやられてしまったら、
「結局できなかったよ」
「承認なんてきれいごとだ」
ということになってしまい、自分で自分の首を絞めてしまいます。せっかく本当に効果のあるものなのに短命に終わってしまいます。

 だから、なんとかこの手法が本当にすごい効果があるということを、周知してもらわないといけない。


 そこでまっさきに思いつくのが報道に対するプレスリリースですが、残念ながら地元紙・神戸新聞(この際名前出しちゃいます)との関係は当時既に悪化していました。

 前年の13年、経済団体の会合で神戸新聞の社長をつかまえ、「これは大切なことなんです!どうか報道してください!」とやりました。社長には少し響いたようで、秘書を通じて経済部の部長を呼びました。

 経済部の部長(当時)はわたしのそばに来ましたが、へらへらした人間でした。わたしの説明する、一つの教育プログラムの奇跡のような効果の話にはさほど興味を持たず、すぐ別の話題に変えて水を向けました。それで意気阻喪しましたが、とにかくその1か月後に当協会のイベント「承認大賞」の告知をするから、どうか書いてほしいと頼みました。
 
 ふたを開けると、「承認大賞」のプレスリリースをしても神戸新聞は書きませんでした。報道各社はそれに倣いました。神戸新聞の経済部長は「現場の記者は取材したが、なぜかデスク預かりになって紙面に載らなかった」と言い訳しました。「ふざけないでください。何のためにあなたとああいう話をして念を押したんですか。このことが沢山の人の幸せにつながるのがわからないんですか」。

 
 そういうことが13年の間にあって、14年になっているわけです。

 一層たくさんの素晴らしいエピソードを抱えて、でも知名度は上がらないまま。


 思い余って、旧知のとある財界の長老に相談しました。「なんとか神戸新聞の社長に話してください。この教育プログラムがいかに優れた効果のあるものかを。どれほど大きな働く人の幸せを作れるかを」

 長老氏は10年来のおつきあいで、わたしのやっていること全般よくわかってくださっている方でした。ご自身の実体験はなくとも、「これは現場にものすごい効果のある正しいものだろう」とわかってくださっていました(ただ、その方の会社とはおつきあいはありません。)

 もう財界の要職からも離れ、なまぐさいことには首を突っ込まない主義にしていましたが、このときはさすがに動いてくれました。神戸新聞社に足を運び、社長と話をしてくれました。「今日行って、話してきたよ」とわたしに電話をくれました。その会社の株主総会の2日後、4月2日のことでした。

 神戸新聞の社長は、「わかりました。いい話ですね。取材させましょう」と、その場で言ったそうです。
 ところが。それでも取材も報道もされなかったのです。

 社長と長老との話で同席し、この件を委嘱された新聞社の業務部長なる人物が、迷走しました。まず、「取材部署は動かない」と言いました。そして私にオファーしてきたのが、「弊社がマーケティングの月1回の講演会をやっているので、そこで講演してくれないか」というものでした。

 この話はお断りしました。というのは、よく話をきいてみるとマーケティングの講演会というのは、新聞広告を出してくださるクライアント企業のためにやっているもので、各企業の広告部門の担当者クラスの人が来ます。例えば教育研修について決定権のある人かというとそうではありません。そこで話をすることにわたしの仕事上のメリットが何もないのです。加えてわたしはマーケティングの専門家ではなく、無理にこじつけて話をしてもそうした層の人におもしろい話をすることは難しい。下手に「おもろないスピーカー」とレッテルを貼られてしまうとかえって損することになる。もちろんお客さんにとっても退屈な時間になります。いかにも、「取材部署が動かないから代わりにこちらで」と、頭だけで考えた「AがだめならB」の話でした。

 そういう、当たり前の判断をわたしはしたのですが、先方はおかんむりで、「せっかく便宜を図ってやったのに」と言うのでした。
 そうやって話がこじれてしまったときに、4月9日、小保方さんの釈明会見がありました。1日中、朝からあの顔がTVで流れ、午後からは会見の画像と声が流れました。


 もともとそれ以前も小保方さんの研究発表とそれがどんどん捏造とわかるプロセスは、わたしの仕事にもずっと(悪い意味で)通奏音のように響いていました。

「女性が」
「すごい成果と主張」
「しかし捏造」
「実はすごいナルシシストで誇大妄想狂」

 本当は、小保方さんとわたし、「女性」という以外何も共通点はないのですけれども、とりわけ女性がわるいことで話題になった場合には、その共通点がみる人にとってはものすごく大きな意味をもつのです。

 
 そして迎えた4月9日の釈明会見は、すべてをお釈迦にしました。心臓に爆弾を抱えた財界の長老が神戸新聞社に足を運んだことは無駄足になりました。

 こういう運命に翻弄されるとは思ってもみませんでした。
 震災でほかのニュースがとんでしまうというのはまだわかるのですが、このくだらない1人の女性にマスコミはじめ日本中がいいように振り回され、もっとはるかに丁寧に丁寧に積み上げてきた仕事の価値もとんでしまうとは。

 会見の翌日、神戸新聞の紙面は小保方晴子さんの写真と記事で各面、埋め尽くされました。記事のトーンは小保方さんに同情的で、当時同情論の論客だったやくみつるのコメントなども入っていました。


 そして、まっとうな教育手法がいかに労働の現場を幸せにするか、という記事など入るすきがなくなりました。


 それが2014年4月の段階の話。


 メディアに取り上げてもらう道が閉じた、それでも「恐ろしく高い効果」と「認知度の低さ」のギャップは依然と横たわったままです。日々の営業活動にも困っています。


 そして「出版」という、過去に一度捨てた道筋をもう一度検討することになりました。それが『行動承認』につながります。


 ……ところが、この年は春先に『嫌われる勇気』が出版された年でもあり。

 わたしの担当になった編集者は、どうみても『嫌われる勇気』に頭が毒されていました。「承認」に対して、妙に見下していました。こういう人は、自分が何から影響を受けているかなど意識していないのです。単に過去に読んだ『嫌われる勇気』の中に「承認欲求」を繰り返し否定するフレーズがある、それが頭の片隅に残っていて、「承認」「承認欲求」という言葉をみたときに、無意識に小馬鹿にする感情が出てきてしまうのです。

 
 わたしは、『行動承認』の校了直後から、カウンセリングを受けるようになりました。執筆中にこの編集者から受けたダメージがあまりにも大きかったからです。

 どうしてそうなってしまうかというと、それは経験した人でないとちょっとわかっていただきにくいかもしれません。

 『行動承認』は以前にもお話ししたように、読み手のマネジャーの心と体を動かすことを徹底して意図して書かれた本です。こういう本を書くには、わたしは書きながら、読み手のこころの状態を自分の中でシミュレーションします。もちろん人の心を100%予測できるわけではありませんけれども、過去に自分が研修講師をしてきて、「こういうタイミングで、こういうふうに呼びかけたら、『はいる』」。これは仕事上の勘のようなものです。わたしにしかわからない種類のものです。

 しかし、そうやって蓄積してきた「仕事上の勘」をフルに使って、渾身の思いである一節を書いて送ったとします。それを受け取った編集者は、何も反応がないのです。心が動いたとかそういう反応はないのです。彼にとって完全に「よそごと」なのです。

 そしてまた、彼が「アレンジ原稿」と称して手を入れて送り返してきた原稿をみると、めちゃくちゃに「改悪」されているのでした。わたしが丁寧にロジックをみてセンテンスを短く切り詰めたところを、2つのセンテンスを1つにつなげてしまい、その結果1センテンスで2つの意味のことを言うようになってかえってわかりにくくなっていたり。句点をやたらと入れて、ハアハア息をしながら読むようなリズムになっていたり。送り返されたファイルを開いてみると頭がクラクラし、「もう一度私が送った状態に戻してください」と突っ返しました。

 結局、彼ははなから「行動承認」の世界の人ではなく、この世界に触れても染まろうとはしない人でした。本が想定した読者とは程遠く、したがって本が意図した読者の反応を彼自身は全然実感としてわからなかったのでした。

 あとで経歴をみると、この人物は40代でしたが編集者歴はごく短く、当初大手出版社に編集者志望で就職したが、編集職にはつかず別の部署でずっと働いていた。でも編集者の夢たちがたく、中小の出版社に転職して編集手伝いのようなことをしていた。そして今の零細出版社に編集者として採用されたそうでした。ご一緒に仕事をしていて、この彼がどうも編集者としての訓練が不足しているようだと感じていましたが、このような経歴の人ですから、若いころから手取り足取りのOJTなどは受けていないのでした。だから、仕事の一部はできるのだけれども別の部分が圧倒的に抜けていたり、恐らく編集者のハートの部分、「自分が著者と一緒に作る本に惚れ込む」みたいなことは教わってこなかったのだろうと思います。


 そういうのは、たぶん今の紙の本の『行動承認』の仕上がりをみても、わかる人にはわかるだろうと思います。

 で、そういう人と一緒に仕事をするのがどんなに苦痛か。
 編集者は、ある意味カウンセラーのようなものだ、とこのとき私は思いました。著者が渾身の心の叫びのようなものを文章にしたら、それに反応しなければならない。まったく意図と違った反応をするような相手だと、著者は自分の力量が低いのだろうか、自分の文章はそんなに「伝わらない」のだろうか、とまで思い、ダメージを受けてしまう。
 ということを経験しました。


 えーと、何を言いたかったんでしょうかね…

 編集者氏の愚痴になってしまいましたが、わたしは今生で編集者さんという人種とおつきあいするつもりはないので、いいのです。わたしと直接の縁のない人がこれをみて、人のふり見てわがふり直してくれればいいのです。


 でも今全般に、編集者という職種の人の質が落ちているのかもしれません。
 また、以前にも書きましたが、『行動承認』のような「徹底して行為者のための本」を書いたときに、自分ごととして受け止めることのできる編集者はほとんどいないのかもしれません。


 とまれ、2014年はそうやって、新聞社に対する絶望、そして出版社に対する絶望、を経験しながら、必死の思いでなんとか『行動承認』という本を世に出すことができました。

 読者からは温かいご反応をいただきました。
 しかしこの出版社のサイトにはついに取り上げられることはなく。

 自己啓発本中心のこの出版社にとって、マネジメントを扱ったこの本は「鬼っ子」だったのでした。


 出版から2か月で、「絶版」の決断になりました。

 社長の「うちは月に7冊出しているんです。出して2か月たった本の販促をやっている暇はないんです」と言った言葉が決め手になりました。



 
 今、再入力していて、本のレイアウト(わたしがワードで原稿を打つときに自分の整理のために使った記号がそのまま使われ、ひどく素人くさい雰囲気)、図表(社内のデザイナーが担当したが、わたしが送った元の図のほうが村岡さんによる優れたデザインだった)、残っていた誤字脱字などもろもろが、「手をかけて育ててもらえなかったわが子」として、いとおしさがこみあげてきます。

 でもこれが21世紀の日本の出版の状況なのです。

 だから今、Kindle。
 
 それは未来のための決断として行ったと思いたいです。