今日は、わたしの中で長年モヤモヤとしていることについて書いてみます。ただあまり纏まっていないかもしれません。下書きレベルの記事になるかもしれません。

 『行動承認』は、2015年1月に絶版となったあと、何度か大手出版社での再出版を検討していただいたことがありました。
 中には、『聞く力』や『女性の品格』と同様の人生論の本として位置づけて大きく売り出すことができないか、という形で働きかけてくださった方もいました。有り難いことです。
 しかしいずれも沈没。

 出版社側の返事は、

「既に一度出版され市場からの評価も定まったものについての再出版は難しい」

 それから、

「読者対象が狭い」

でした。

 前者はともかく、(わたしの方は、前者にも相当言いたいことがあるのだが)

 後者は、メディアの考える「読者対象」とは、なんなのだろう?と改めて考えるきっかけになりました。


 『行動承認』は、ある教育の効果を最大化するために、「この教育を受けたらこうなった」という事例(もちろんすべて実話)を集めた本ですが、

 逆にこういうドラスティックに人びとが前後で変化してしまう話というのは、メディアが考える「読者」とは、結びつかないのかもしれないなあ、と。

 彼らの考える読者は、「静的(スタティック)」であります。成長とか変化とかは似合いません。TVの前で日がな一日、ポテチ食べながらワイドショーをみてあーだ、こーだ言っているのが似合います。

 その人たちの発する言葉は、「けしからん!」「いやーねー」それに「それおもしろそう!」「それ美味しそう!」

 その人たちの期待に応えて、その人たちの想像の範囲内のことでちょっと奇をてらったことを提供して、みてもらう、アクセスしてもらう、というのが今のメディアの仕事になっています。

 
 「想像の範囲内のことで」というのが、上手く言えないのですが、納豆ダイエットとかバナナダイエットみたいなことだと、むしろOKなんです。でも行動承認はダメ。どこにOKラインがあるのかはよくみえません。

 ともあれ、メディアが想像する「お客様」は、怠惰なんです。そして被害者的なんです。何かを実際にやるということはあまり想定しなくていい。『行動承認』のように、

「実際にやってやり続けた人はこんなに素晴らしくなりました」

などという物語は、お客様にとってはかえってウザいのです。メリットよりは、「ウザい」という感覚が先に立ってしまうのです。

 なので、市井にあふれる「人生論」の本は、怠惰で何も努力しない人向けの「とかくこの世は生きづらい」「その中でどうやってしのぐか」というたぐいの話であふれます。たぶん最大の読者層は定年後の脳の萎縮がはじまっている人たちだと思います。
 『聞く力』はどうかというと、あれも読むだけで、やらなくていいのです。だって、職業的インタビュアーの話ですから、自分ごととして読みませんから。

 たしかに「怠惰で何も努力しない人」のためにわたしが本を書けるかというと、難しい。延々と人間関係で悩む話を最後まで書き続けられるかというと。『行動承認』でいうと、「はじめに」のところに、現代の上手くいっていない典型的な職場の事例を4話載せていますが、あれも書いていてものすごく苦痛だったんです。すぐにでも問題のあるマネジャーに飛びかかって改造したい、わたしだったら。

 『行動承認』は、本でも研修でもあえて省略している部分が本当はあって、「被害者になるな。行為者であれ」というメッセージが、暗に入っているんです。
 でもそれをわざわざ言わなくても成立する。なぜなら「行動承認」をするということ自体とてもシンプルなので、あの一連のエピソードを読んだ人だと「やってみたい」「やれそう」と思えますし、実際やれてしまうからです。

 ただ、根っから怠惰で行動することがキライな人にとっては、そういうベクトルをもった本というのは迷惑なんだと思います。
 日本人の大半がそこまで怠惰だとは、わたしは思いたくないのですが――。

 
 というわけで、メディアが怠惰で成長のないワイドショー視聴者の人びとをお客様に想定している限り、わたしは「行動承認」のお話をどこか大手で書いてメインストリームにするということはあり得ないです。

 本当は、心のどこかで

「マネジャーという狭い範囲の人びとを対象にしてはいるが、この本がもつ推進力はマネジャーの周辺にいる人びと、中堅から部下世代の人(男性女性含め)、奥さんやお母さんまでも取り込めるはずだ」

という発想が出版社の人にあったなら、そしてそのつもりで気合を入れて広告宣伝を打ってくれたなら…という淡い期待があったのですけれど。

 編集者自身がその世界の人からほど遠く、彼ら自身の世界観が全然別のところに築かれているようなので、しょうがないですね。



 
 この話はしょもないのでこれぐらいにして、

 タイトルに書いた後半部分、「王道」と「パチモン」のお話です。

 実はここでも、「STAP細胞」の話が奇妙に交錯してきます。

 ご存知のようにSTAP細胞は、京大山中伸弥教授らのiPS細胞への対抗馬として論文発表されました。

 iPS細胞は、山中教授のノーベル医学・生理学賞受賞(2011年)の時に大きく経緯を報道されましたが、その後STAP細胞がクローズアップされたときに忘れてしまった人が多いかもしれません。

 iPS細胞は、皮膚などの体細胞にわずかな操作をして培養するといわゆる「万能細胞」になります。つまり、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞になります。例えばどこかの内臓が病気になりそれを治したいと思ったとき、その内臓になってくれる細胞をその人の体の細胞から作ることができますから、他人の内臓を移植する臓器移植のような拒絶反応の問題が起きません。

 このiPS細胞のマウス由来のものを山中教授らは2006年に、またヒト由来のものを2007年に作製に成功。その作製方法がシンプルなことと再現が容易なことで、今では世界中の研究機関が追随するようになりました。人の病気の治療への臨床応用も始まっています。

 日本生まれ日本育ちの「万能細胞」であることから、国歌や国旗ならぬ「国細胞」というものがあるなら日本の「国細胞」はiPS細胞だ、とまで言われています。

 しかし、このままではiPS細胞に幹細胞研究や、再生医療研究の研究費の大半を持っていかれてしまうかもしれない。そういう危機感が、理研の笹井氏らによるSTAP細胞研究の大々的な発表につながったようです。しかし、なんども言いますようにSTAP細胞は架空の細胞で、論文はほとんどすべてのデータが捏造の塊でした。

 
 そして今、奇妙なことですがわが国では「STAPあるある派」による「iPS憎し」の議論が起こっています。iPS陣営がSTAP研究を潰したというのです。
 これがどの程度世論の支持を得られているのかわかりませんが――、何度も書きますように何も知らない人がうっかりネットを見てしまうと、「STAPあるある派」の言説のほうに触れてしまうようにネット世論が誘導されています。彼らはデマゴーグの訓練をどこかで受けてきたのかと思うぐらい、誘導が上手いです。だから今後も気をつけないと、「あるある派」の言説が「世論」として格上げされてしまわないとも限らないのです。
 ほとんどの日本人は無関心ですが、無関心だから怖い。

 
 この、明らかに「パチモン」であるSTAP細胞が、「本家」「王道」であるはずのiPS細胞を大衆的人気において食ってしまっているという図は、どこかでみたことがあります。

 
 
/翰学の「行動理論―行動科学―行動分析学」への対抗軸としての「内発と自律論」。△△襪い蓮崗鞠論」への対抗軸としての「承認欲求バッシング論」。  
 これらの対抗軸は、とっくに定説となっていいはずの有力な理論への反発心から生まれ、片隅でやっていればいいものが妙に有力になり本家にとって代わる勢いだというところが、「iPSとSTAP」の構図と似ています。

 対抗軸の側はエビデンスなんてないのです。本家のほうがはるかに高い数字を叩きだしています。人類を幸せにする力があります。なのに、本家が偉そうで気に食わない、そして今更本家に取り込まれるのはプライドが許さないという理由であえて対抗軸を立て、本家を汚い言葉で罵る「芸風」で大衆的支持を集め、のし上がってきたわけであります。

 このブログでは,領磴箸靴謄▲襯侫ー・コーンという人の『報酬主義をこえて』という本を2011年12月、ボロクソに批判しました。また△領磴蓮∈鯒来「承認欲求バッシングを批判する」というカテゴリをこのブログに立てて、連続して批判してきたのをご存知の方も多いかと思います。

 本当は、△領れで2014年以来では『嫌われる勇気』などの「岸見アドラー心理学」がとんでもなく勢いをもってしまっているので、このブログでもちょこちょこ批判していますけれども本格的にやらないといけないのですけれども着手が遅れています。

 そんなわけでまたSTAP問題と交錯してしまいました。




 ちなみに今日フェイスブックでご紹介したのですが、台北で発行されている科学雑誌「PanSci(汎科学)」に、わが国の「STAPあるある論」のことが記事になっていました。

 http://pansci.asia/archives/98876
 
 過日Biochemical and Biophysical Research Communications(BBRC)に発表された独ハイデルベルク大学の論文のことを日本のネットニュースが報じ、「STAPあるある」の人びとが騒然となったが、よく読めばこの論文は小保方氏のSTAP研究とはまったく「別物」だった…という意味のことを言っています。

 わが国の「STAPあるある論」は、日本の恥。

 韓国の捏造科学者、黄禹錫氏にもいまだにファンがいるそうですが、「STAPあるある論」がMSNニュースのような変にメジャーなところに間違って上がってくるのは避けたいものです。アングラな一部の人の趣味にしておけばよろしい。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html