アドラーの「子供」に関する原著をまた2冊読みました。『子どものライフスタイル』(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2013年。原題'The Pattern of Life'1930年)と『子どもの教育』(著者訳者出版社同上、2014年、原題'The Education of Children'1930年)

 どうしても「承認欲求を否定せよ」と「ほめない叱らない」に関連する語を探し出したいという、しょもない執念からであります。この「アドラー心理学批判シリーズ」としては、1つ前の記事に「まとめ」として中間報告のようなものがあります。「捏造語録」の「正誤表」のようなものも載せていますので、お時間のない方はそちらをご参照ください。


●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

(本記事での発見に伴い上記の記事の「一覧表」を一部修正しております)


 今日の記事は上の記事の補足のようなものです。


 『子どもの教育』のほうから行きましょう。

 ここには、相変わらず優越コンプレックス、劣等コンプレックスなどの極端な性格の例が出、やはりアドラーはカウンセリング畑の世界の人だなと思わせます。

 そして「第十三章 教育の誤り」「第十四章 親教育」これらの章に、「ほめない叱らない(捏造と認定)」に当たるフレーズはあるか?やはり残念ながら、ありませんでした。あるとしたらこの本のこのあたりの章にあるだろう、と目星をつけておいたのですが。

 あるのは、「絶えずがみがみ言って息子を破滅に追い込んだ教育者」といった、極端な例です。また殴るとか鞭打ちとかの体罰への批判です。(p.191)

 「ほめない」に関わりそうな言葉はようやく、みつかりました。

「子どもをあまりにほめるのは賢明ではない。あまりに多くのことが自分に期待されていると思うようになるからである。」(付録II 五つの症例と症例のコメント p.228)
「いつもほめ、知能指数が高いということで認めるというようなことをしてはならない」(同、p.229)

というふうに「過剰」を戒めています。「行動承認」論者からは、とくに異論はありません。「行動承認」に徹しておけばいいんじゃないの?というだけです。

 これも、じゃあ「ほめてはいけない」「ほめない叱らない」に即結びつけていいわけではなく、むしろ現代からみてもごく常識的な、「過剰の害」を戒めたにすぎません。よって、上記に挙げたまとめ記事の結論は変わりません。

 後世のアドラー心理学信者の方々が、「アドラーは賞罰主義を否定した」と言いますが、それにあたると思われるフレーズはありません。

 


 それから、「承認欲求を否定せよ(捏造語録に認定)」に関係ありそうなフレーズ。
 実は、180度真逆のことをアドラー自身は言っていることがわかりました。

 
 「第十二章 思春期と性教育」。ここでは、以前にご紹介した『人生の意味の心理学』で使ったと同じと思われる少女のエピソードがまた出てきます。

 いわく、病気の兄や父、小さい妹がいて自分に注目を向けられずに育った少女がいた。少女は人に世話をされ認められることを熱烈に希求するようになった。中学では成績が良かったが高校では成績が振るわず、先生に認められなくなった。すると家出して知り合った男性と2週間過ごしたが、男性に飽きられてしまった。すると家族に手紙を送り自殺を予告した。しかし実際には自殺せず、母親が家に連れ帰った。(pp.170-171)

 このエピソードを紹介したうえで、アドラーはなんと言っているか。

「われわれが知っているように、もしも少女が、人生のすべては認められたいという努力によって支配されていることを知っていれば、これらすべてのことは起こらなかっただろう。」(p.171)

 おわかりになりますか。
 アドラーのこの言葉は、ニーチェ的なニヒリズムよりもむしろヘーゲルの「承認をめぐる生死を賭けた闘争」という言葉を彷彿とさせます。つまり、「認められたい」一心でばかげたことをしてしまう少女の例を紹介しつつも、それにたいするアドラーの処方箋は「承認欲求を否定せよ」ではないのです。むしろ180度真逆の、ヘーゲル的な現実認識を示したうえで、少女自身にもそれを教えてやり、欲求を自覚させ、そのうえで欲求に振り回されない対処法をおぼえよう、ということを言っているのです。
 常識的ですよね。
 現代の「承認欲求バッシング」の書籍の著者らにも言ってやりたいぐらいです。

「また、もしも高校の教師が、少女がいつも学業優秀で、彼女が必要としていたのは、いくらかでも認められるということであったということを知っていれば、悲劇は起こらなかっただろう。状況の連鎖のどの点においてでもいいが、少女をしかるべく扱えば、少女を破滅から救うことができただろう。」(同)


 この言葉は、処方箋の第2としてアドラーは、教師や親はじめ周囲が「認めてやる」ことが解決策だ、と考えていたことがわかります。

 アドラー先生、すごく正しいではないですか。

 だから、もうやめましょう。「承認欲求を否定せよ」なんていう現実離れしたことを言うのは。



 次の本『子どものライフスタイル』は、問題のある子どもの症例報告とアドラー自身によるカウンセリングからなっています。

 これをご紹介するのは、ちょっと言ってはわるいですがアドラーの「誤診集」のようなおもむきがあります。やはり、20世紀初頭のカウンセラーであったアドラーの時代的制約だろうなと思います。

 てんかん発作がある少女。男兄弟の間で育ち、男と闘わなければならないと思って男の子らしいスポーツを好んできた。同じ男性と8年つきあい婚約して3年。婚約して以来発作が頻繁になった。

 アドラー:トラブルのすべては、あなたが十分勇気がないからです。あなたが自分自身の行動の全責任を負う決心をすることを提案しましょう。私はあなたがこの一歩を踏み出せば、そのことは大いにあなたのためになると確信しています。
 フローラ:私が勇気を持てば、発作を治せるという意味ですか?
 アドラー:そうです。
 フローラ:どんなことでもやってみます。
(カウンセリングおわり)


 うーん。。。今ならてんかん治療に別のアプローチがあるだろうし、「行動療法」からは脱感作療法のような提案があるだろうし、。。。
 一事が万事、アドラーは「勇気を持つ」を提案するのですが、わたしがみてこれに同意するクライエントは、多少カウンセラーに迎合しているようにもみえます。軽症だから素直に受け入れるのだろうともいえます。

 勇気がない人に対して勇気をもってもらうためにはどうするか。

 「行動承認」では、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンを同時に分泌してもらうことだ、そのうえで、小さな行動を1つずつ着実にとってもらい、行動をとるたびに認めてあげることだ、というでしょうね。その繰り返しが勇気と自信を生みます。決して、「勇気を持ちなさい」とお説教すればほんものの勇気が出るわけではありません。


 そんなわけで、アドラー良心的な人だとはいえ、今の尺度からは賛成できないところがいっぱいあります。




 ところで、この記事のタイトルの後半のほうのお話。

 「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?」というところです。

 これはわたしも詳しくないのですが、わが国ではアドラー心理学の組織は「東」と「西」に分裂しているんだそうです。

 参考URL:http://onigumo.sapolog.com/e427281.html

 これによると、「西」はアドラー心理学会。「東」はヒューマン・ギルドといい、操作主義OKの教義。

 上記の記事では操作主義はわるいことだと言っているようなのですが、記事の筆者は『嫌われる勇気』の愛読者なのでこれも注意が必要です。だって、アドラー自身は操作主義はよいとも悪いとも言っていないのですから。

 「操作主義」といわれるものは後世の「行動理論―行動分析学」の「ほめ育て」を外部の人が揶揄していったもので、アドラーの時代にはそもそもありませんでした。

 たぶん、行動理論的な「ほめ育て」に対して「内発的動機付け至上主義」の人から批判が起こったとき、アドラー心理学の内部の人もそれに同調する人、いやほめ育てしたってええじゃないかという人、議論が分かれたのでしょうね。・・・というあくまでわたしの推測です。

 で、岸見一郎氏はその「操作主義反対」のほうの流派で、「西」のアドラー心理学会の理事をしています。ただその中でも最右翼のようです。

(※上記の記事からさらにリンクをたどって論文を読むと、たとえば「ヒューマン・ギルド」の操作主義のわるい例として、小さいお子さんが熱いコーヒーカップに触りたがったとき、ヒューマン・ギルドの講師が「触りたいの?ほら、熱いよ」と言って実際に触らせ、お子さんが熱いと泣いた例を挙げています。わたしなどには何がわるいのかわかりません。親の管理下であれ自然の環境であれ、子供は負の経験からも学ぶのです。アドラーがこの例をわるいと言うとも思えないのですが、この例ではどう働きかけるのが正解なのでしょうか)


 素直にアドラーの著作を読むと、過剰な場合を除いて普通にほめること叱ることについてはいいとも悪いとも言っていない、むしろ前提としていたように読めます。

 分派すると、過激なことを言い出すってよくありますよね。

 「行動承認」も気をつけなくっちゃね。


 

<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

●アドラー心理学批判 まとめの補足:正確な言葉は「人生のすべては認められたいという努力によって支配されている」、「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941508.html