※この項目は書きかけ項目です


 1つ前の記事「ブログ読者の皆様にお年玉 あなたがたはなぜこんなに聡明なのか 」に関連して新たに2つの話題。

 「OSとアプリ」、それから「無罪判決と寛容、ダイバーシティーの思考力」について。

 きのう友人から示唆していただいた。
 「行動承認」とそれ以外の多数の研修コンテンツは、「OS」と「アプリ」の関係なのだ、と。

 たまたま、友人は企業の人の「マネジャーが部下に仕事を任せられない」というお悩みを持ってこられていた。私からは、
「それは行動承認というOSをその人の中に作ることができればすぐ解決できるでしょう。OSさえあればすぐ載せられます。人に任せられるようになります。経験的にはそうです。ただ企業の人にはそこの因果関係はなかなかわかっていただきにくい」
ということをお話しした。それに対して友人が言ってくださったのが、これ。

「行動承認とそれ以外の多数のコンテンツは、OSとアプリの関係ですよね。そういう関係だということが理解できない方が多いですが」。


 こういうことは無数にある。今ここで数え上げられないぐらい。「行動承認」というOSに載せられるアプリを挙げ出したら巻紙のような長い長いリストになるだろう。企業の方に、「あなたの抱えておられる課題にもちゃんとお役に立てますよ」ということを言うのにも、長いリストの中から探していただくことになる。「ダイバーシティー」「ワークライフバランス」「パワハラ」「メンタルヘルス」「安全衛生」などもその中に入る。

 企業の方は往々にして(私の存じ上げている少数の聡明な方々はべつとして)課題にピンポイントで効き目があると謳う商品を選ぶ。宣伝上、また研修を受けているさなかにもそれは有効そうにみえる。でも「OS不在」では、現場に帰って実際には動かないものだ。(あるいは、強すぎるトーンで研修をやり薬が効きすぎてまるでそのアプリがOSのように見えてしまうので、「全然叱れないマネジャー」ひいては「規律規範のない職場」ができてしまったりする)

 こちらからみると、「いや、それよりOSをじっくり作ってあげたほうがいいんですよ」というのが見えてしまい何とももどかしいのだが、それは非常に伝わりにくい。



 似たようなお話は過去のブログにも何度も出てきていると思う。10数年間そのもどかしさを抱えてきた。

昨年はかつてなく「働き方」に注目が集まった年だった。だがそこでも、「過労死に対する時短」がOSになりうるのかどうか、また「パワハラ対策」がOSになりうるのかどうか、立ち止まって考えてみたいものだ。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 もう1つの話題は、表題にある「無罪判決とマネジャーの寛容、ダイバーシティーの思考力」について。


 1つ前の記事では、「行動承認」に大いに関わっていそうな脳の部位に「側頭頭頂接合部」があり、この部位は次の3つの役割を担っている、ということを書いた。

1. 自分の体位と他人の行動を察知する能力
2. 他人の気持ちをわかる「メンタライジング能力」
3. 他人の問題行動の動機が故意かそれとも不測の事故なのかに照らして、有罪か無罪かを決める判断力

 このうち3.について少し展開して考えてみた。

 「有罪か無罪かを決める」というと大仰な表現だが、これはこの知見を導き出した実験で被験者に裁判官になってもらい「この犯人は有罪か無罪か?」を判定してもらうことをしたからだ。だが裁判官になってみるまでもなく、わたしたちは日常的に「有罪か無罪か?」という思考はしている。そしてその相手を「責める」かどうか決めている。

 例えば、職場や学校で障害のある人がその障害のために、ほかの人と同様の条件下で同様の作業ができなかった。
 いつも機転が利きサクサク仕事をしてくれるA子さんが今日は効率が悪く、ミスが多い。よくきくとA子さんは風邪で熱があった(あるいは、家族の介護に追われ仕事に集中できなかった)
 職場にきた外国人のB君があることで職場の慣行を守らなかった。よくきくとB君の母国にはそのような慣行はないとのことだった。
 C子さんとD子さんはワーキングマザーで同じぐらいの歳の小さな子供さんがいるが、C子さんのほうが子供さんの病気が理由での急な休みや早退が多い。よくきくとC子さんは実家が遠く、またお子さんが病弱だそうだ。
 ・・・

 障害のある人が健常者とまったく同じ条件で同じ仕事ができないのは、その人に責任のあることではない。好きで障害をもって生まれてきたわけではないのだから。だからその人は「無罪」である。だからできるだけその人に必要なサポートをし、できるだけ適材適所で、その人のできることをやってもらう。
 

 マネジャーは日常的に上記のような情報を集め、機械ならぬ人間の適材適所を図ったり好不調の波を理解している。
  普通のマネジャーはどうか知らないが「行動承認」の世界のマネジャーたちは、そうである。

 おおむね、「行動承認」のマネジャーたちはダイバーシティー(人の多様性)を苦もなく理解し、実践する。彼(女)らは性差別も障害者差別も外国人差別もしない。

 このブログでしつこく取り上げている「発達障害」の知識も持ち、そうした障害をもった人びとの行動特性も理解しているので、「行動承認」のマネジャーたちは普通の企業では問題になるかもしれない発達障害をもった働き手についても、不思議なくらいうまく落としどころをみつけて働いてもらっている。そうした働き手が必要とするちょっとしたサポートを面倒がらずに行い、周囲への啓発もする。

 
 恐らく彼(女)らは日常的に「無罪判決」をその脳の中で下しているのだ。
 
 それは、外形的には世間でいう「寛容」というものにみえる。(いや、過去から現在にいたるまで、「寛容」というのはそうした脳の働きによるのかもしれない)

 あるいは、「ダイバーシティーの思考法」とでも呼べるものが、「行動承認」のOSとともにインストールされるのかもしれない。
 経験的にはこれまで起きてきたことはそうだったし、今手元にある知見から仮説として言えるのも、そうだ。


 こうしたことがいつか科学的に実証されるといいのだが。