元日本アドラー心理学会会長で現アドラー・ギルド代表の野田俊作氏とメールのやりとりをさせていただいた。

 野田氏のご了承をいただき、そのやりとりを公開させていただこうと思う。

 かなり長いやりとりなので、中身は「続き」で…。

※2月3日正田側メールを一部修正

正田→野田氏
アドラー・ギルド
野田 俊作先生


初めてお便りいたします。
わたくしは神戸で管理職向けの研修業をしております、正田佐与と申します。
先日、先生のブログ「野田俊作の補正項」を拝見しました。
また北米アドラー心理学会のリチャード・ワッツ氏に
『嫌われる勇気』についてのお問い合わせをしたところ、親切にご回答いただきました。

http://c-c-a.blog.jp/archives/51951614.html

一度、この問題につきまして野田先生のお考えをお聞かせいただければ幸いに存じます。
先生のご都合のよいお日にち、時間をご指定いただければ、
滋賀まで馳せ参じさせていただきます。

お忙しい先生にご無理を申しまして誠に恐縮ですが、
何卒どうぞよろしくお願いいたします。


正田佐与




野田氏→正田
正田様

はじめまして。岸見一郎氏の『嫌われる勇気』については、さまざまの問題を感
じますが、すべて学問上のことであると思っておりますので、学問的な場(たと
えば学会)などで話あうべきことであると考えております。岸見氏ご自身に対し
て、そのように働きかけております。したがって、学問を離れた場でコメントす
ることには乗り気ではありません。正田さまのご企画は学問的な範疇に入るもの
ではなさそうなので、申しわけありませんが面会はお断り申し上げます。

野田俊作



正田→野田氏
野田先生

大変、勇気づけになるお返事をありがとうございます。
ではこのようなお返事をいただきましたことを紹介させていただきます。
岸見氏が対応しなければそれを理由に永遠に何も手を打たないおつもりでしょうか。
それは社会的には許されないことです。
野田先生を尊敬している方も存じ上げていましたが、残念です。

「社会的に許されない」のところを補足しますと、
岸見氏が日本アドラー学会の理事(注:間違い。本当は顧問だった)である以上、
岸見氏の書くことは学会の公式見解と受け取られても仕方ないのですよ。
学会として、不良品を出してしまったのです。
私たちは優れた日本の工業品を享受しますが、
それが車のリコールを出したり食品偽装があったりしたら、
厳しく糾弾します。
学会も糾弾されても仕方ないのです。
相互批判をしなかったこと、説明責任を尽くさないできたこと。

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正田 佐与




野田氏→正田
正田さま

学者の世界には学者の世界のしきたりがありますので、それに従って対応するし
かないと思っております。私の基本的な立場は、「アドラー心理学は個人の所有
物でも学会の所有物でもない」ということで、かなり広い範囲の解釈を許容すべ
きだと思っております。著書『嫌われる勇気』については許容範囲ギリギリかな
と思っておりましたが(あんなに売れると思っておりませんでしたしね)、ドラ
マ『嫌われる勇気』は完全に許容範囲外だと判断しましたので、アドラー心理学
学習者同士の私的な話し合いという形で、岸見氏と直接の交渉を始めました。

正田さまも、岸見氏に直接インタビューを申し込まれてはいかがですか。それが
いちばん手っ取り早いかも知れないと思います。

野田俊作



正田→野田氏
野田先生

学者であることは、決して一般社会と対話しないということにはなりませんよ。
またアドラーもきっと同意してくれると思いますが、学者と一般社会人の間に何ら貴賤はありません。
今、わたしのブログはGoogle、Yahoo!から高く評価してもらっています。フェイクニュースに厳しくなった昨今、内容の信頼性を評価していただいていると思います。
そもそも岸見氏の著作も学問というレベルのものではありません。

わたしは岸見氏には、以前講演会で質問をぶつけました。
「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記
http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html
残念ながらはかばかしい答えは得られませんでした。
信者の方々の子供さんがほめられも叱られもしなくなるという事態に本気で涙しました。
これほどまでに社会に影響の大きいことがなぜ学問の場だけで議論されるのかわかりません。
岸見氏にはいずれまた出版社を通じて公開質問状など出すでしょうが、回答は恐らくないでしょうね。
それとも岸見氏の個人的な連絡先を教えていただけますか?

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正田 佐与



野田氏→正田
正田さま

私は象牙の塔に閉じこもっているタイプの学者ではないのですが、岸見氏との関
係は学者仲間であると認識しているので、学者のルールで討論しようとしていま
す。彼に学者としての矜持があれば相手をしてくれるでしょう。それはちょうど、
サッカー選手はサッカーのルールで、将棋指しは将棋のルールで対決するような
ことです。

ご指摘のように『嫌われる勇気』等の岸見氏の著書は一般向けのものであって学
術書ではないので、正田さまが別のルールで岸見氏と対決されるのは、それはそ
れで「あり」だと思っております。

岸見氏とは現在メールでやりとりをしていますが、ある程度の結論が出た時点で、
ご参考になりそうなことがあればお知らせするかもしれません。

申し遅れておりましたが、『野田俊作の補正項』を読んでいただいてありがとう
ございます。今後ともよろしくお願い申上げます。

野田俊作



正田→野田氏
野田先生

「岸見氏の著作はギリギリセーフ」ということでしたが
こちらの「捏造語録」についてはいかがでしょうか。
1つ1つ単独ならともかく、これだけ多数の(本当はもっとある)
アドラー発言の捏造をしていて、ネット上に既に多数
まことしやかに拡散されています。

「誤解を生む表現」とも言いえない、
著書で断定口調で言ってしまっていますから。

これらについてはどうお考えになりますか。

正田 拝

野田先生

すみません、先ほどは行き違いになってしまいました。
岸見氏とのメールのやりとりの結論をお教えいただけるとのことで、
楽しみにお待ちしております。
別途「だめもと」で出版社経由の質問も考えてみます。
先程の「語録」について、もし可能であれば簡単にコメントいただけますでしょうか。
(正誤についても、「いや、アドラーはちゃんと言っている」ということであれば
お知らせいただけると嬉しく思います。)

お忙しい中ご対応いただき、ありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

正田 拝



野田氏→正田
正田さま

今日はたまたま暇ですので、ご質問にお答えしておきます。

「承認欲求を否定せよ」というのは、「承認欲求」という考え方自体が原因論的
で非アドラー心理学的ですので、肯定するも否定するも、アドラーあるいは彼の
弟子が話題にするとは思えません。アドラー心理学的には、アドラー以来一貫し
て、「所属をめざして行動する」というのが定説です(「所属欲求」ではありま
せん)。所属の中には他者からの承認も当然含まれていると思います。

ただ、「他者から承認されることを目的に、すべきでないこと(=共同体に対し
て破壊的なこと)をしてはいけない」とか、「すべきこと(=共同体に対して貢
献的なこと)をするために、他者から承認されないかもしれない行動を敢えてす
ることも必要である場合もある」と私は考えていますし、この考えには多くのア
ドラー心理学研究者は賛同してくれると思います。

アドラー心理学は、新カント派哲学の拡張系で、「存在」(したい/したくな
い)と「当為」(すべき/すべきでない)を独立のものと考え、「したくてもす
べきでないことはしない。したくなくてもすべきことをする」ことを「勇気」と
いう言葉で呼んでいるのだと考えています。そういう点で、岸見氏が言う「嫌わ
れる勇気」というのは、「勇気」という術語を正確に使っていないと思います。

「トラウマは存在しない」については、

http://jalsha.cside8.com/diary/2017/01/25.html

『野田俊作の補正項』本年1月25日をご参照ください。アレクサンドラ・アド
ラーの論文は、大学などの文献検索システムを使えば、容易にみつけることがで
きるでしょう。Journal of Individual Psychology の1940年代の号です。

「心の中に『トラウマ』という実体があって、それが人間を動かす」というのが、
極端に単純化した言い方ですが、フロイトなどの学説です。アドラー心理学はこ
れに反論して、「実体としてのトラウマは存在しない」と言っています。だから
といって、トラウマ症状の存在を否定しているわけではありません。

「ほめない叱らない」は、ルドルフ・ドライカース以来のアドラー心理学育児の
一貫した伝統です。出典としてはドライカースの『勇気づけて躾ける』あたりに
たくさんの文章がありますし、私もその方向でトレーニングしています。これは、
たとえば「スパルタ育児」や「ほめる育児」などに較べると、理論的にも技術的
にも難しい方法ですが、習熟するととても快適に子育てができます。

『嫌われる勇気』が出版されたとき、読んでみて、そんなに売れるとは思ってい
なかったのです。それが、あれよあれよという間にベストセラーになって、いま
やテレビドラマ化されて社会問題になっています。私は私のやり方で対策を立て
ますし、日本アドラー心理学会は日本アドラー心理学会のやり方で対策を立てる
でしょうが、いずれにしても「欠席裁判」も「糾弾集会」もやりたくないわけで、
冷静な話し合いを通じてよい結末に到達できないかなと模索中です。岸見氏に土
俵に上がってもらうのが、なにはともあれ現在の課題です。

野田俊作



正田→野田氏
野田先生

ご返信、ありがとうございます。
誠実にお答えいただいたこと、対話のテーブルについていただいたことを多としたいと存じます。

●ドライカースは、私は『アドラー心理学の基礎』しか読んでいないのですが、確かにこの本だけ取ってもアドラー自身よりも「ほめない叱らない」の色彩が強いですね。
悪を為す契機として「称賛の欲求」を第一に挙げているので、それだけを見ると「承認欲求」が悪いものに見えます。
しかし承認と称賛はイコールではありません。
私が「承認」という時はヘーゲルーーホネットのドイツ哲学の承認思想を言います。大きな、肯定の概念です。
また私たちは規範を学ぶときに「承認欲求」を活用しています。承認欲求があるからこそ、私たちは日常的に良いことの大半をするのです
http://c-c-a.blog.jp/archives/51951803.html
まれに、それまでの人間関係を振り捨てても自分の思う良いことをしなければならないケースはあります。その場合でも、昔の日本人が「天もご照覧あれ」というように、承認をくれる主体が交代しただけのことが多いのです。

●最近アメリカのアドラー心理学大学院の論文を何本か読みました。
ADHDの子供に対してかなり介入色の強いABA(応用行動分析)の手法を使ったり、様変わりしていますね。その場合は「ほめる」こともむしろ推奨しているようです。
アドラーやドライカースは、行動主義的手法には忌避感が強かったようにお見受けするのですが、その当時は行動主義は動物実験が中心だったので「人間を動物と同じに扱うなんて!」という感覚が強く働いたのではないでしょうか。
この辺りのアメリカでの動きは岸見氏は恐らくまったく見ていないのではないかと思いますので、野田先生にお尋ねしたく思います。

●トラウマについての先生の記事は読ませていただきました。
今、地元神戸の兵庫県こころのケアセンターにも照会中です。阪神淡路大震災を機に、トラウマ・PTSDの専門の医療機関として設立されたところです。現時点の医療で、トラウマとはどういう現象なのかを訊くことにしています。

●私は誰かを蔑んだり否定したりするつもりは本来毛頭ないのですよ。しかし岸見氏の著作やネット上の発言などを見ると、岸見氏が他流派のしてきたことを貶めていて、非常に党派心に駆られて発言している気がします。「ほめ育てで子供は伸びない」と言っていますが、ほめ育てで学力を伸ばしたところ、学級崩壊を建て直したところなど、エビデンスは山のようにあります。真摯に取り組んでいる先生方からしたら由々しきことです。
 ドライカース流の「ほめない勇気づけ」というのは、親も子も相当資質の高い人たちが初めてできるのではないかと思います。逆に「ほめる教育」は底辺校などで威力を発揮しています(注:底辺校でない多くの学校でも効果を発揮している)。お互い敵を作ったりせず仲良く棲み分けしていけばいいのではないですか。

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正田 佐与



野田氏→正田
正田さま

ドライカースの『アドラー心理学の基礎』は古い文献で、まだドライカースらし
くありません。ぜひ『勇気づけて躾ける』をお読みください。もっとも、私は、
ジェーン・ネルセンという人の影響で、ドライカースのオリジナルな方法よりは
ずいぶんマイルドですが。ネルセンの "Positive Discipline" という本はおも
しろいですよ。

このごろのアメリカのアドラー学校では、臨床心理士 Clinical Psychologist
の試験課目の履修を中心にしたために、アドラー心理学をあまり教えていないよ
うです。カリキュラムの中でアドラー心理学がほとんどだったのは、おおむね
1992年ごろまででしょうか。そこから後はきわめて折衷的になっていますので、
アドラー心理学に関する議論をするには、最近の大学院生が書いたものは、いい
材料ではありません。「2007年に世界中の大学からアドラー心理学を冠した講座
が消えた」という論文を読んだことがあります。そうでしょうね。純正のアド
ラー心理学が伝承されているのは ICASSI くらいです。

それはそれとして、古典行動主義者(応用行動分析など)や認知行動主義者とは、
いつも協力して仕事をしています。重なる部分もありますし、違う部分もありま
すが、対立することは滅多にありません。むしろ、一緒に仕事がやりにくいのは、
ロジャース派やユング派の人々で、基本的な人間観がまったく違うので、話が合
いません。まあ、現場では、平和共存しているみたいですが。

私事ですが、神戸の震災の時には、直後には西宮市で内科のボランティア医とし
て働いていましたし、その後夏ごろまで、日本心身医学会のボランティア医とし
て東灘区だったかで診療していましたが、トラウマ症状はほとんど見ませんでし
た。同僚医師たちに尋ねても、ほとんど見ないと言っていました。ただ、当時、
臨床心理士の社会的地位を確立する目的で、大学の心理学科の人々が「トラウマ
探し」をしていて、何でもかんでもトラウマ症状だと言うので、精神科医の側で
は「しょうがないなあ」という目で見ていました。東北震災でも、「心の相談お
断り」の張り紙をする人がいたほど、「トラウマ・ハンター」たちの評判は悪か
ったそうです。トラウマ学説を離れると、トラウマ症状があっても比較的簡単に
治療できるのですが、学説にとらわれるとダメみたいに思います。

「ほめない叱らない」育児は、たとえば知的障害児の親たちも学んでいますが、
効果はいいように思います。また底辺校でアドラー心理学を実践している先生も
おられますが、それも効果はいいように聞いています。ただ、親や教師の知的レ
ベルは必要でしょうね。かなり面倒な理論と技法ですから。アドラー心理学も日
本に入って30年になって、アドラー心理学育児で育った子どもたちがお父さんや
お母さんになりつつあります。彼らはアドラー心理学育児を自分たちの子どもに
使っていますので、気に入ってくれているようです。

私は、アドラー心理学が唯一正しい心理学理論だとは思っていなくて、たくさん
のオプションのうちのひとつだと思っています。経歴的には、学生時代にフロイ
トをすこし、その後、古典行動療法と家族療法と催眠療法を学んでから、アド
ラー心理学にたどりつきました。治療者としての私にとってはいちばん居心地が
いいのでアドラー心理学をやっています。他の流派と折衷すると話がややこしく
なるので、純正アドラー心理学でやっていますが、それは他派がダメだというこ
とではなくて、混ぜ込んではいけないということです。カレーもおいしいし、ぜ
んざいもおいしいけれど、混ぜてはいけないようなことです。

私の師匠のバーナード・シャルマンは洋服屋のせがれでした。彼のお父さんの夢
は、デパートの前でテーラーの店を開くことだったんだそうです。シャルマン先
生は、「私もそんなものだ。フロイトだの行動療法だのというデパートの前で小
さな店を開いている。デパートの品物が気に入らなくて、ちょっと目先の変わっ
た品物がほしい人が、うちの店に来てくれれば、それでもう手一杯だ」とおっし
ゃっていました。私もまったく同じ感じで暮らしています。真面目に学んでくだ
さる人々のお世話で手一杯で、とても岸見氏の面倒まで見ておれないのですよ。

野田俊作



正田→野田氏
野田先生

ドライカースの『勇気づけて躾ける』を読んでみます。ご紹介ありがとうございます。

私自身は、本当は「ほめる論者」ではないのですよ。
管理職向けに「行動承認」というプログラムを提供しています。
そこでは「行動承認(相手の良い行動を記述的に言う。ほめるわけではない)プラスIメッセージ」というやり方を推奨しています。
大人の部下相手なので、大人のプライドや「上から言われたくない気持ち」に配慮したものです。
「ほめる」は排除はしませんが、あまり高くは位置づけません。職場で最も頼りになる、責任感の高い働きものの人々はほめられたいわけではなく、しかしねぎらわれたいとは思っているものです。偶発的にほめ言葉が口をついて出るなら、あるいは明らかに賞賛にふさわしいような大きな達成があれば、それはほめてもいいと言っています。
お蔭様でマネジメントの世界では非常に成果を上げさせていただいています。
本来の意味の勇気づけともそれほど矛盾しないだろうと思っています。

思うに、何かをするとき、「○○はいいが××はダメ」というルールがあまり多いと、ハードルが高くなりドロップアウトが増えてしまうと思いますね.


トラウマについては、EMDRも過去に取材しました。発達障害、特にASDの人々は定型発達の人よりトラウマが残りやすいようです。その人たちがはたからみて些細なことを理由に動けなくなってしまうのは致し方ないのかなと思います。
被災地かどうかと言うよりその人の特性の方が大きいかもしれませんね。
日本人兵がPTSDになったかどうかについては、友人から教えていただいたこういう記事がありました。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/ptsd-ww2?utm_term=.xqqkWWAkR#.jpvlVVjlJ
やはり、その人の耐えられないようなストレスを与えられて傷を負い、苦しむ人がいる現実があるとき、「トラウマは存在しない」という言葉は、私は残酷なように思います。
この点では先生と一致できないかもしれませんね。

アメリカのアドラー心理学の現状は大変参考になりました。ありがとうございます。


★☆★☆★☆
正田 佐与


正田さま

どちらでもいいことですが、日本兵の記事については、精神科医の間では「それ
だけしかいなかったんだ」ということをむしろ驚いています。

野田俊作





―おおむね以上―



  
 「公開OK」と言っていただいたとき、ここまで全部出すとは思っておられなかったかもしれない…
 でも大変エキサイティングな経験だった。わたしにとっては。先方は、「ああ虫を追い払った」ぐらいに思っているだろうか。
 「ほめる教育」を「底辺校」と結びつけるかのように言ってしまったのは、実際に取り組んでいる底辺校でない学校の方々には不本意だったかもしれない。お詫びします。