「トラウマは存在しない」についての進展。

 結論から先に言いましょう、「トラウマはありまーす!」

 精神科医の先生により表現方法が違い、興味深かった。

 そのなかで日本トラウマティックストレス学会会長の岩井圭司氏(兵庫教育大学教授)からのメール。

 引用について正式のお許しがまだ出ていないので、要旨部分だけ抜き出すと、

※※※※

結論を先取りするならば、
> 1.動物でもトラウマに似た現象はあるのではないか
> 2.被災地にトラウマ、PTSDという現象はみられるのではないか
> 3.とくにASDの人ですと扁桃体が大きく、トラウマが残りやすいので、他人からみると些細なことでもトラウマになって動けないということが起きるの
> ではないか
>
すべてイエス、です。

で、敢えてわたくし流の独善的な言い方をするならば、
  PTSDはたしかに存在する。
  一方、トラウマは実在物ではない。ただ、構成概念ないし仮想実体としてのみ存在する。
ということになります。
・・・われながら、禅問答めいてきましたね(笑)

※※※※

と、いうことだった。

 ご自身は「隠れアドレリアン」とのこと。
 

 
 また今朝(2月6日)のNHK「あさイチ!」では、「いじめ後遺症」の特集をやり、そのなかで「トラウマ」に触れた。

>>http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/170206/1.html


※※※※

いじめの認知件数は、22万4,540件と過去最高(文科省調査・2015年度)。そんな中、子どもの頃にいじめを受けた人が大人になってもその後遺症に苦しむ“いじめ後遺症”の実態が、最近明らかになってきました。容姿のいじめをきっかけに何十年も「摂食障害」に苦しむ女性や、いじめから20年後に突然思い出して「対人恐怖症」に陥った女性もいて、多くの精神科医がその深刻さを訴えています。
いじめ被害者のその後を追ったイギリスの調査では、40年たってもうつ病のなりやすさや自殺傾向がいじめられていない人と比べてかなり高くなることが疫学的に明らかになっています。いじめはその人の健康リスクや人生までも脅かすのです。さらに、最新の研究では、いじめなどの幼い頃のストレスが、脳の形や機能に影響を及ぼす可能性も指摘されています。
番組では、知られざる“いじめ後遺症”の実態を明らかにするとともに、いじめの過去を精算する克服法もお伝えし、“いじめ後遺症”について考えました。

※※※※

という問題提起で、実際に”いじめ後遺症”に苦しむ人や精神科医が登場した。

 またこのブログで以前にも登場した、福井大学医学部の友田明美教授の研究により、

 幼少期の虐待で脳の一部の変形や萎縮が起こることが脳画像で示された。




 というわけで、トラウマは「あります」。この番組ではあまりにも「トラウマ」が人口に膾炙しすぎて否定的感情を生むことに配慮したためかあまり使わなかったが、ところどころではやはり「トラウマ」と言っていた。


 番組に登場した「いじめ後遺症」に40代になっても苦しむ女性は、摂食障害を患い、ずっとマスクを着けていた。
「誰かに認めてもらいたいと思うほうが高望みだし自分が我慢したほうが…」
という言葉が印象的だった。

 以前の「アドラー心理学特集」で「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」と大きなテロップで流したうっかりさんのNHK、軌道修正してきたか。


 一方で元アドラー心理学会会長の野田俊作氏(精神科医)とのメールのやりとりは昨5日まで続き、最後は野田氏の「コメント拒否」で完結したのだが、そこへ至るまでのメール公開はお許しいただいた。


 そこは「続き」部分で。

 元日本アドラー心理学会会長の野田俊作氏と引き続きのメールのやりとり。
 
 岸見一郎氏の「トラウマは存在しない」について。


アドラー・ギルド
野田俊作先生

正田です。先日は、長い時間にわたりありがとうございました。


また、もう1点お尋ねです。
岸見氏の「トラウマは存在しない」というフレーズは、
ひょっとして野田先生から伝わったものだということはないですか?

アドラー自身も言っていませんし、
岸見氏が著書の中に書いたフランクルも、原著を当たるとほかの人の発言として
言っているだけで、到底「明確に言っている」とは言えないものでした。孫引きでし
た。

ただ、阪神淡路大震災の被災地でボランティアをされた野田先生が
「トラウマなど実際には存在しないよ。」
と言った場合には、それは非常に説得力がありますし
岸見氏も大いに納得して著書に書いたことが考えられます。
野田先生は、1995-99年の間に岸見氏とこうした問題について
話をされたことがありますか?


正田 拝


正田さま


「トラウマは(実体としては)存在しない」というのは、アドラー心理学の通説
であると思います。そのあたりの講義はハロルド・モザク Harold Mosak 先生か
ら聴きましたが、先生も「トラウマは(フロイト派が言うような意味では)存在
しない」とおっしゃっていました。だからもちろん私も生徒さんにそう言います。

ただ、それには文脈があって、「目的論的精神病理学に立つかぎり、フロイトが
提唱したような原因論的トラウマ理論は承認できない。だから、たとえば災害や
犯罪等でショックを受けても、それが原因で将来神経症的障害が起こるというこ
とは言えない。そうではなくて、ある時点での所属の失敗によって神経症が発症
するのだが、その時点で、神経症の原因を過去の災害等によるトラウマ事態に帰
属させて想起するということがあるにすぎない」という意味です。ちなみに、
「帰属 attribution」というのはアドラー心理学理論ではありませんが、臨床心
理学一般に受け入れられている考え方だと思っています。

ですから、治療論的には、トラウマ事態についての話し合いには乗らず、これか
ら先の生活設計について話をします。それで実際に効果があります。ただ、患者
さんがフロイト派風のトラウマ理論にこだわって、「トラウマがあるから、これ
から先のことは考えられません」と言うなら、治療は難しくなります。そういう
場合には、「アドラー心理学の治療はこのようにするので、それに賛成していた
だけるなら続けて治療しますし、賛成できないなら他の治療者に行かれるのがい
いでしょう」と、患者さんに選択していただくことにしています。

トラウマ理論を私が問題視するのは、たとえば阪神大震災の直後に、有名なフロ
イト派の精神科医が、テレビで、「子どもたちには心の傷が残っているはずだか
ら、今は元気でも、高い確率で将来神経症を発症するだろう」と述べたようなこ
とです。そういうことを、親なり教師なり子ども自身なりが本気にすれば、ほん
とうに神経症の発症確率はあがるでしょう。そういう意味で、「予見的
prospective」にトラウマ理論を使ってはいけませんし、また「事後的
retrospective」にも、トラウマ理論を採用しなくても治療は可能です。統計の
好きな認知行動主義者たちも、トラウマ事態の想起を使った治療と使わない治療
の効果比較をして、使わない方が好ましいという結論を出しているように思いま
す。いくつかの論文を読んだことがあります。いずれにせよ、臨床心理学という
のは、要は治療の技術論ですから、患者さんを治療する上でもっとも便利な理論
を組み立てればいいのだと考えています。トラウマ理論は、そういう意味で、い
い理論ではないと思います。

ともあれ、「トラウマは(実体的には)存在しない」ということは、ボランティ
アの時代の話や、ベトナム帰還兵の PTSD の話をたとえ話にして、普通に講義の
中でしましたから、岸見氏も聞いたでしょうね。


野田俊作




野田俊作先生

引き続き、ありがとうございます。

しかし、またいささか不躾な感想を述べます。
わたしなどは発達障害の人を見慣れてしまったせいか、
その人々(とくにASD)特有の、思考が固着しやすい傾向(と、権威に弱い傾向)
により起こる混乱のように思えるのですけれど。
またフロイト派の医師の中に極論を述べる人がいて、それに反発するアドレリアンがいて、
フロイト派とアドレリアンいずれも反発しあって極論から極論へ流れているような気がします。
そのことと心的外傷という現象があるのかないのかは関係ないのではないかという気がしますね。。
ネットではトラウマを負った人の脳画像はあちこちで見ることができます。
文字通り「脳の傷」です。
「ある」というと治りたがらない人がいるというのは別の問題です。

トラウマを訴える群とASDの人の群が重なりやすいのはわかるんですが。

★☆★☆★☆
正田 佐与

野田先生

もう一つ、気になったことを述べます。
たとえば虐待による愛着障害で乱暴にふるまったり、感情鈍麻を起こしたりする子どもさんがいますね。
その子たちは自分の言葉で「トラウマだ」などと訴えられません。
養育者が連れてきて、脳イメージングなどで最終的にトラウマがあると診断がつきます。
そういうお子さんの養育者にも、「トラウマなど存在しない」と言えるでしょうか。
「この子はトラウマがあるから、精神的に不安定だから、こういう風に接してあげましょう」
という話をするのではないでしょうか?
乱暴にふるまう子などは、この子は養育者に構われたいからこうなんだ、などと
「目的論」で説明できるかもしれませんが、
感情を表すことができず喜びも感じられないお子さんもいます。
そういう子も「目的論」で説明がつきますか?

★☆★☆★☆
正田 佐与


正田さま

「愛着障害」という概念がないので正しく答えているかどうかわかりませんが、
虐待をしている親の治療をするときに、「トラウマ」というパラメーターを使わ
ないで治療することは可能だと思いますし、実際に自験例もありますし、他の人
の治療のスーパーヴァイズをしたこともあります。アドラー心理学の理論のシス
テムに従うかぎりは、トラウマは「実体的に」存在するものではないし、それで
臨床上不便を感じたことはありません。医者は「治してなんぼ」なので、トラウ
マ概念を使わないで治るならそれでいいではないですか。他の疾患でも思うので
すが、脳画像の変化も、原因なのか結果なのかわかりませんしね。

ちなみに、

> 乱暴にふるまう子などは、この子は養育者に構われたいからこうなんだ

というのは、まったく「岸見風」の説明で、私はそんな風に言ったことはありま
せん。そうではなくて、「所属に失敗している」と言います。だから、どうすれ
ば親と子が相互に所属しあえるかを、親と(場合によっては子も含めて)一緒に
考え、訓練します。事例ごとに目標も違うし方法も違います。アドラー心理学の
治療は完全にオーダーメイドです。時間はかかりますが、子どもの年齢が小学生
程度であれば、そんなに難しい作業ではないように思います。それ以上になると、
それまでのこじれがひどいので、手間取ることもありえますが。


野田俊作



 このあと、正田から追加の質問をいくつか出したが、野田氏はとうとう「NC(ノーコメント)」になった。

 長時間にわたり対話のテーブルに着いていただいたことに感謝しつつ、正田からの質問どういうものだったかもご参考までに載せておきたい。


●「愛着障害」の件、
私がわかるように書いていなかったのですが、
「養育者」とは、例えば施設の人や里親を想定して言っていました。
とくに里親の場合経験がないので、戸惑わられるようですが、
「この子は本来の性格がこんなに乱暴な子なのか?」と。
そうではない、ストレスのせいで感情障害を起こしているんだ、と説明してあげなけ
ればなりません。
でないと子どもが生得的に悪い子だと思われてしまいます。
トラウマという言葉にこだわる必要はないのかもしれませんけれども。

●>> 乱暴にふるまう子などは、この子は養育者に構われたいからこうなんだ

>というのは、まったく「岸見風」の説明で、私はそんな風に言ったことはありま
>せん。

野田先生、この部分も結構だいじなところで、『嫌われる勇気』の冒頭に、
「ひきこもりの人は、外に出たくないからそうしているのだ」
というフレーズが出てきますね。ネットでみると、メンタルクリニックのサイトなど

この言葉が二次使用、三次使用されています。
アドラー自身はこうした見立てをする人だったのですか?
私も身内に引きこもり(数か月で立ち直った)がおりましたし
こうした言葉には敏感になってしまうのですが、
こうした、クライエントに「寄り添わない」言葉を吐くカウンセラーが
なぜ信頼を得られるのか不思議でした。


●ブログに先日書いた話題ですが、『嫌われる勇気』の中の
「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」
この言葉は、アドラーはどこかで言っていますか?
まるで、対人関係療法の言葉のようですが。


●また、純正のアドラー心理学では、発達障害やLGBTをどうとらえていますか?
アドラー心理学大学院では、これらのことも教えているようですが。
私のみたところでは、アドラーの原著でこれらについて今の基準では見立ての誤りが
あるようです。
ASDと思われる人を、「共同体感覚のない人」とみていたり、
ADHDの子どもを、「甘やかされた子ども」とみていたふしがあります。


●アドラー心理学による子育てや教育の効果について、
個々の事例だけでなく統計学的エビデンスはとっていますか?
アドラー心理学では、子育てが「うまくいっている」というのは
どういう状態を指しますか?

●学会に対するフィードバックについて、不本意なお気持ちはよくわかるのですが、
変な例えですが、
STAP細胞の小保方晴子さんの研究不正の疑いが持ち上がったとき、
日本細胞生物学会は約1か月で声明を出し、理研に徹底究明を求めました。
また再生医療学会なども発覚から1年以内に小保方さんを除名処分にしています。
学会と名のつくものに世間が期待するのはそういう役割(この場合は自浄作用)
であるのは致し方ないかもしれない、という気がします。
既に、『嫌われる勇気』が出版されて3年以上たちました。
今の時点で対処されて早すぎるということはないでしょう。
アドラー心理学では「課題の分離」を言う、という特徴がありますし、
心理学全般に「責任」という概念を軽視するきらいがあるのですが、
そこは、心理学ではなく世間一般の常識に従ってほしい、と
わたしなどは思います。
「マネジメントとは責任である」(ドラッカー)




野田氏とのやりとり(最後のほうは一方通行の質問)は以上。

「トラウマ」についての野田氏の態度は、ある世代の精神科医が1990年代にもてはやされた「トラウマ」に対する態度の典型のようなものかもしれない。


重ねて、あえてアゲンストな対話に応じてくださった野田俊作氏に感謝して、終わりにしたい。