信頼はなぜ裏切られるのか 表紙画像

 『信頼はなぜ裏切られるのか』(デイヴィッド・デステノ、寺町朋子訳、白揚社、2015年12月1日、原題'The Truth About Trust')を読みました。

 あまり期待しないで読み始めた(失礼)が意外におもしろかった(それも失礼)、いや、素直におもしろかったです。

 「信頼と教育」というところで「教育屋・正田」が素直に腑に落ちたところがありました。
 簡単にいうと「小学校以上の子どもは物知りの人に教えてもらうのが好き」ということです。


 またアドラー先生のお好きな「協力」「貢献」「共同体感覚」に近いお話も出るので、最近ブログ読者に多いアドラー・ファンの方々も必見ですヨ!!

 今回も長い日記になるので2回に分けます。全体の目次をご紹介してからこの記事では前半部分、1−4章をご紹介します。

第1章 信頼とは何か?
第2章 無意識が支配する
第3章 赤ちゃんは見ている
第4章 恋愛と結婚の核心
第5章 権力と金
第6章 信頼のシグナル
第7章 操作される信頼
第8章 あなたは自分を信頼できる?
第9章 信頼するか、欺くか

(第5章以降は次の記事(未投稿)で。)

 以下、抜き書きです。


●そもそもなぜ人間は信頼するのか?人を信頼することはまさに賭けであり、当然リスクがある。一言で答えれば、そうするしかないからだ。他者を信頼することで得られそうな恩恵が、被りそうな損失より平均するとかなり上回るのだ。

●宇宙船の打ち上げのような共同事業を成功させるためには、みなが各自の役目を果たして任務を完遂すると、全員が信頼しあわなくてはならない。

●日常のほとんどの事柄でも私たちは他者の協力を当てにしなくてはならない(例、子どもを人に預けて働くなど)

●アクシデントにあう場合もあるが、統計的に言えば、他者を信頼しないよりも信頼したほうが、一般に長期的な利益は大きくなる。

●問題点その1.人の行動すべてを確認できない。

●問題点その2.行動のやり取りのあいだに時間のずれが起こりうる。

●囚人のジレンマ――『暴力の人類学』で既出。「寛大なしっぺ返し戦略」が長期的にみて最終的な勝者になる。

●評判は「間接的互恵性」という、他者の経験から恩恵を得るメカニズム。評判は、他者を信頼すべきかどうかの判断の手がかりになるほか、みなが誠実にふるまう可能性も高めてくれる。

●しかし、評判は個人の不変的な特性を表しているわけではない。科学的データからは、人間の道徳性が非常に変わりやすいことがはっきりと示されている。同情や利他主義、寛大さや公平さ、浮気や嫉妬、偽善や賭博のどれを取り上げても、人の道徳的な行為の揺れ幅は予想以上に大きいことが実験的なデータから繰り返し示されている。(このことは多くの人は信じられないと思うようだ)

●客観的な状況が変わったり、水面下の心の計算が変化してはじき出す報酬が変わったりすると、行動も変わる。もちろん、どれくらいの量の報酬で誠実な態度が翻されるかは、人によって違うかもしれない。だが、人の信頼度のレベルが固定されていないというのは事実だ。だから自覚のあるなしはともかく、誰でも報酬如何でころっと変わってしまう。私たちの心は、つねにコストと利益を計算しているのだ。誠実さはどんな状況でも、競合する心的なメカニズム同士の目下のバランスによって決まると提唱した。

――こういうのは、わたしもよく経験した。慣れっこになったとまではいかない、いまだにうっかり信頼して裏切られ、裏切られるとその都度傷ついている。ただ以前に比べると裏切られることへの耐性ができていると思う

●「ギブ・サム・ゲーム」で、参加者がサクラに感謝する理由のない群では、参加者は相手に平均で2枚のメダルを渡すことを選択した。サクラに対して(事前のイベントにより)感謝の気持ちを抱いている参加者はより協力的で、対照群よりも多くのメダルを相手に与えた。この結果は、参加者が初対面の相手とゲームをしたときも同じだった。これは感情の状態の一時的な揺れによって信頼度の評価が変わることを示している。

●社会的ストレスは、誠実な振る舞いを劇的に増やす。社会的な不安のある人たちは、そうでない人に比べて相手に協力する割合が約50%多かった。

●何を身に着けるかという単純なことで、その人の誠実さが変わる。偽ブランド品だといわれた眼鏡をかけた参加者は、数学テストの得点を自己申告するとき参加者の71%が自分の得点を水増しした。本物のブランド品をかけていた参加者で得点をごまかしたのは30%にとどまった。偽ブランド品の眼鏡をかけているだけで、偽という観念を生み出し、嘘をつく傾向を大幅に増加させたのだ。

――ウソの下手なわたしは今度偽ブランド品を身に着けてみようかな

●したがって、誰かを信頼する際、あの人は信頼できるかと問うべきではない。正しくはこうだ。あの人は、現時点で信頼できるか?

人の道徳性はほぼすべて、短期的な利益と長期的な利益の兼ね合いとして理解できる。信頼は異時点間の選択のジレンマとして概念化できる。成功とはたいてい長期的な観点で決まる。成功する戦略を擬人化すれば、それは何百、何千もの交流を重ねて、結果的に多くの資源を蓄積する人と言える。

●だとすれば、誠実さの核をなす特徴の一つは自己制御能力と言うことになる。言い換えれば、長期的な利益につながる願望を優先し、目先の願望に抗う能力だ。

●他者の信頼度についての評判があてにならないとすれば、信頼度を直感で見抜くことができるだろうか?

●非言語的な手がかりや生理的な指標を利用して感情や動機を見極める方法についての科学的な理解は、急速に見直されている。それら従来の手法は、ほぼ使い物にならないことが示されてきた。

●信頼度のシグナルがまだ特定されていない理由。
1.信頼度のシグナルは微弱で、すぐ読み取れるものであってはならない。
2.これまでのシグナルの探索がまったく間違っていたこと。信頼にかんしては、視線をそらすことや作り笑いのような決定的な手がかりなどない

●信頼のためには誠実さだけではダメ。能力も誠実さと同じくらい重要。そして信頼にかんする心の計算のほとんどは、意識外でおこなわれる。

私たちの心は、能力のシグナルに関連する手がかりをすばやく処理する。すなわち、地位や力、リーダーとしての資質を評価したがる。そうした手がかりによって、それらを示した人が周囲から信頼される度合いははっきりと変わる。

●信頼にかかわる生理機能が進化によって形作られてきた様子は、突然変異の結果を時間の経過で比較すればわかる。こうした取り組みのなかで有名なモデルが、ポージェスの提唱する「ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)」だ。

●哺乳類の迷走神経は2つの部分からなる。1つは、髄鞘に覆われていない古い部分で、もう1つは、髄鞘に覆われた進化的に新しい部分だ。迷走神経の古い部分と新しい部分、それに交感神経系の特徴によって、脊椎動物の神経系の発達段階がはっきりと3つに分けられる。

●1つめは、髄鞘に覆われていない迷走神経からなる古いシステムで、動きを止める反応に関係がある。そのシステムが活性化すると、硬直や死んだふりが起こる。動物が極度の恐怖にさらされたとき(捕食者に追い詰められたときなど)に実行できるきわめて単純で効果的な戦略の1つが、死んだふりなのだ。

●第2のシステムは、交感神経系が活性化したときの脅威に対する第2レベルの反応、すなわち「闘争・逃走反応」を生む。つまり、生物に行動を起こす準備をさせるのだ。そのシステムが活性化すると、心拍数や呼吸数が上がり、血液が四肢の筋肉に送り込まれ、アドレナリンなどのストレスホルモンが分泌される。これらは、不安や心配、どうしようもない恐怖を感じたときに起こる。

●第3のシステムは、髄鞘で覆われた迷走神経系だ。このシステムは哺乳類にしかなく、人間を含む霊長類などの高度な社会的動物と関連が深い。信頼にかんして重要なのは、それが心臓やストレス応答と結びついていることだ。
 心臓については、迷走神経の活動が高まると、心を落ち着かせる効果がある。言い換えれば、心臓にとってブレーキの役目を果たし、鼓動や呼吸を緩やかにする。ストレスについては、迷走神経が高まると、視床下部―下垂体軸の活動が低下してストレスホルモンの分泌が減少する。

●興味深いのは、第3のシステムは、社会的な交流に関連した体の部分を調節する神経とも脳内で相互に結びついていることだ。たとえば、感情表現に必要な顔の筋肉、人の声と同じ周波数域の音を聞くために内耳の能力を変化させる筋肉、発生に抑揚をつける喉頭の機能をつかさどる筋肉などと結びついているのだ。以上から、髄鞘で覆われた迷走神経には、社会とのかかわりを調整する機能があることがわかる。このシステムは体を穏やかな状態にし、社会的な交流を円滑におこなえるようにする。安心感や落ち着きをもたらし、分かち合いや傾聴、心地よさ、そして信頼を促すのだ。

哺乳類、なかでも人間は、闘争や逃走や死んだふりでは対処できない困難にもぶつかる。私たちは生き延びるために、折に触れて他者と一緒に働き、協力し、他者と信頼する必要がある。…迷走神経の活動が高まると、体はコミュニケーションや共有、社会的なサポートを図りやすい状態になる。


●ポリヴェーガル理論が提唱されたのはわりと最近。支持する研究結果は増え続けている。たとえば、子どもを対象とした研究で長期的に迷走神経の活動が活発な状態だと、否定的な感情や問題行動が少なく、社交性が高いことがわかっている。大人でも同様で、迷走神経の活動が活発だと、社会とのつながりが強く、幸福度が高く、さらには他者の苦しみへの思いやりが深いことが見込まれる。これらはすべて誠実な行動を促す性質だ。私たちは、穏やかな気分のときや他者との絆を感じるときには、他者を助けてあげたことによる長期的な見返りを高く評価する。


――いわゆる「共同体感覚のある人」とは、「迷走神経の活発な人」じゃないでしょうか…

●迷走神経の活動が活発だと、行為の品性だけでなく知覚の精度にも影響があることが示されている。迷走神経による穏やか効果を活用すれば、他者の感情を正しく理解する能力が研ぎ澄まされることも多い。迷走神経がこのように働くのはなぜか?脅威に対する体の反応をなだめれば、心が眼前の社会的な課題に集中できるようになるからだ。社会的な課題への対応では多くの場合、相手の感情を確実に知る能力と、それに基づいて行動する意欲の両方が求められる。

●信頼だけですべてが解決できるわけではない。そのため、3つのシステムは階層構造になっている。私たちの心は、最上位のシステム――髄鞘で覆われた迷走神経――から出発し、そのシステムで問題が解決できなければ下に降りていく。

●迷走神経が緊張するほどよいわけではない。過度に社会的、あるいは過度に楽観的なのは病的と言える。心理学者のジューン・グルーバーによる研究では、迷走神経の活動レベルが極端に高いと、自信過剰や、人とのつながりを求めすぎる衝動に結びつくことがわかった

●そうした無差別的な迷走神経の緊張は、躁病と結びつくようだ。私たちの心はそうした状態を直感的に認識する。そうした人を、緊張がほどほどの人に比べて社会的なパートナーとして信頼できないと即座に見なす。

●私たちは普通、自分の生理反応を支配できず、逆にそのような反応に支配される。信頼の重要性や意義を踏まえれば、心が信頼に関わる計算をより効率的・自動的に達成する方法を生み出したのは当然である。

――ここまでが本書の前フリです。直感的な信頼のメカニズムとは何か、をここから解き明かしていきます

サルや類人猿の多くの種が、人間と同じように、不公平に対して断固とした嫌悪感を示す(ブロスナンの研究)。2頭のサルが同じ課題をして不公平なご褒美と交換するようにすると、チンパンジーやオマキザルは、自分が不当に扱われていることに気づくだけでなく、そのような扱いに対して憤慨する。交換に応じない、気に入らない食物をスタッフに投げ返す、あるいは少なくとも待遇に不満だという態度をありありと示す。

●チンパンジーの心には人間ほどではないが推論能力がある。しかし、オマキザルの分析能力ははるかに限られている。それでもオマキザルはチンパンジーのように、だまされると同様の嫌悪感を示した。したがって意識的な分析によって嫌悪感が生じたのではなさそうだ。

●オランウータンは逆に不公平に扱われても腹を立てない。人間以外の霊長類の中でも特に賢くて認知能力が高いのに、だ。理由は、チンパンジーやオマキザルと違いオランウータンは野生では単独で暮らしている。だから、彼らは協力をしないし、ほかの霊長類のように他者の信頼度を気にする必要もない。

●人間を対象とした研究から、心はしばしば状況を把握する前に判断をくだすことが一貫して確認されている。ニューロセプションはすばやく働くシステムで、意識的な思考を必要としない。人間やチンパンジー、オマキザルなどの社会的な種では、不公平な扱いに対する反応の多くは、時間をかけて状況を分析しなくても起こる。不公平な扱いや信頼の裏切りに対する怒りは、私たちのDNAに刻まれている。

●チンパンジーやオマキザルでは、不当に多い報酬を断るふるまいも見られた。長期的に信頼できるパートナーだという信頼を得るためには不公平を断ることも大事。

●チンパンジーにはパートナー候補を見分ける能力が十分にある(アリシア・メリスら)。2党が互いを信頼して協力しないと解決できない課題を出すと、チンパンジーは過去に食物を自分と公平に分け合った個体をパートナーに選んだり、すでに実力を示している個体を選んだ。

●オキシトシンに関する知見。
オキシトシンの鼻腔からの吸入量を増やすと、人がたとえ裏切りに遭っても相手を信頼し続けることを示した。

●オキシトシンの二面性。オキシトシンは確かに信頼や絆を強めるが、一方で不信や嫉妬、差別も煽る可能性がある。どちらになるかは文脈次第で、信頼にかかわる事柄では相手の素性によって決まる。

●オキシトシンの暗黒面。オキシトシンには信頼や協力を増す作用も減らす作用もある(カルステン・ド・ドリュの研究)。決断を左右したおもな要因は、相手の身元。外集団のメンバーにかかわる決断の場合、オキシトシンは温かい気持ちを引き出さず、それどころか差別的な決断を導いた。そのような決断は、よそ者ではなく自分やない集団の利益を優先する偏見の存在をはっきりと示していた。

――「自国ファースト」を叫ぶ大統領やその支持者の姿はあまり気持ちのいいものではないが、あの人たちもひょっとしたらオキシトシンの申し子かもしれない?

●道徳にかかわる出来事にかんしても結果はほぼ同じで、オキシトシンはつねに、外集団より内集団にとって有益な決断をくだす意欲を高めた。生か死かの場面でよそ者より同胞のほうを多く助ける決断を進んでくだした。要するに、オキシトシンが多いと、自民族中心主義や偏見の増大につながるのだ。

●オキシトシンはたいてい信頼感を増すが、その効果は相手に対する好感度によって左右される。たとえば、自分をつねに負かしたり不公平に扱ったりする相手と経済ゲームをした場合、オキシトシンが増えると妬みが助長される。したがって、オキシトシンが多ければ、相手がついに負けたときに、いい気味だという気持ちが強く引き起こされる。

――愛、憎ともに強くなるんでしょうかね。これ、従来男性のほうが競争相手の不幸に非共感的で、女性はその点競争相手にも同情する、という風に言われていたのと逆なような気がするんですが、オキシトシンが多ければ競争相手に同情できる、と思っていましたから。あと「ねたみ」は、よくタイプわけサポーターさんやFタイプの人はもっとも承認欲求が高く承認されないとひがみやすい、という説明をしますが、この人たちは妬みも強いのかもしれない。良くも悪くも感情が濃いというのはそういうことなんですね。

●オキシトシンはいつまでも相手を信頼しているわけではなく、しばらくすれば、あなたは信頼できない人を嫌い始める。特に興味深いのは、血管を駆け巡っているオキシトシンが多ければ多いほど、そのような人々に対する嫌悪や彼らの痛みに対して覚える喜びが増すほか、進んで痛めつけたいという思いさえ強くなることだ。

――可愛さあまって憎さ百倍ということか。これもこわっっ。この本を読むと、ポール・ザック本を読んで得たオキシトシンへの好感がふっとんでしまいそうだ。

●人間には、他者への信頼と自分の誠実さを高める生理的なメカニズムだけでなく、それとは逆に働くメカニズムも備わっている。人間は安心できる他者がいるときには心が落ち着くシステムを持っており、そのようなシステムはコミュニケーションや支援、信頼を促す。一方、人間は霊長類と同じく、これらの反応を修正するシステムも持っており、そのようなシステムは行動や技能に基づいて信頼できる人物を自動的に判断しようとする。そして、目の前の人が何となく信頼できなさそうなときには、相手を避けたり、相手を犠牲にして自分が得をするように振る舞ったりして、その人物の意に反する行動をしようとする。


――ここからはいよいよ「学習と信頼」の話。研修講師にとっても関心の高いところだ。案外シンプルな話なのかもしれないが……、

●何かを知りたいとき、大人ならいくつもの手段を自由に選べる。図書館やデータベースで疑問について調べることもできるし、実験をして自分の考えが正しいかどうか確かめることができる。それができないときは、誰かの話をそのまま信じるという選択肢もある。

●7歳ぐらいまでの子どもは使える調査方法があまりない。推論能力どころか語彙力もないので、Googleやウィキペディアを使いこなすこともできない。自分で実験して何かを学ぶ能力も限られている。

●実験で、子どもは自分の間違いから学べないことがはっきりした。何回間違えても、子どもたちは考えを変えなかった。幼い子どもたちは、重力の働き方についての思い込みに頼り続け、目の前のデータを無視した。子どもは実験や観察だけで学べるわけではない。

●そのような子どもは何から学ぶのか?第3の学習方法は、他者の発言に頼ることだ

●以上から、教室での学習効果を高めるためには、教師は指導の際に社会的な側面を考慮しなければならない。生徒に見せる教師の社会的なイメージづくりを強化すれば、学習効果はさらに高まるだろう。

●子どもの無私の親切心。心理学者フェリックス・ワーネケンの実験では、生後18か月の子どもたちに演技者が困った状況に陥り助けを求めるところを見てもらったところ、大多数の子どもが、演技者が助けを求めているようにみえる状況で、その人をすぐさま助けに行った。人を助けたい、人に協力したいという衝動は、1歳半になるころにはすでに目覚めている。

●3歳の子どもでは、報酬をパートナーと分けるさい相手の働きのほうが良ければ報酬を半々に分け、自分の働きのほうが良ければ相手に少なく与えた。相手の働きのほうが良いとき、誠実な振る舞いを促す心理的メカニズムと、利己的な振る舞いを促す心理的メカニズムとのあいだに根本的な対立が起こっている。

●子どもは8歳になるとこのような報酬の分け方をすると長期的にはトラブルを招きかねないことを学び、大人と同じように不公平に対して、少なくとも人前では強い嫌悪感を示す。この年頃の子どもはパートナー候補がいると、通常は不当に多い報酬を拒絶する。

●以上をまとめると、子どもは、公平かつ立派にふるまう動機がもともと備わっている。信頼や協力を促すメカニズムと、それとは逆に働くメカニズムが幼い子供の心に共存している。ただしだからといって道徳を教える必要がないわけではなく、子どもに約束を守る価値を教えれば、子どもが約束を守る見込みは確実に高まる(特に、子どもがあなたを信頼しているならば)こうした道徳的な価値観を身に着ければ、意識的な心が大いに働くようになるだろう。

●赤ちゃんでも道徳的に信頼できる他人を見分けられる。ブルームとウィンの実験では、「登山者」「協力者」「妨害者」の操り人形の劇を見せたところ、登山者が協力者ではなく妨害者のほうに飛び跳ねていってペアになると(期待違反課題)、赤ちゃんは信じられないという顔でその新しくできたペアに視線が釘付けになった。生後6か月の赤ちゃんは、二体の操り人形のうち、協力者か妨害者のどちらかを抱いてもいいよと言われると、すべての赤ちゃんが協力者に手を伸ばした。人形の色や形は重要ではなかった。

●信頼は誠実さと能力で決まる。子どもに潜在的な知的能力を存分に発揮してほしければ、子どもが最適だと思えるタイプの指導者をあてがわなくてはならない。

●また、子どもが成長するにつれて、子どもが重視する信頼関連の特性が変わることへの注意も必要だ。幼い子どもの心は、母親や父親など、自分と似ていて安心できる相手から学びたがる。だが、初等教育の初めごろにもなると、自分との類似性や気安さへの関心は薄れ、能力や専門知識を重視するようになる。子どもの潜在的な学習能力を最大限に引き出したければ、指導する者は、感じはいいけど重要ではない人物として無視されないように、専門知識を示す必要がある。

――ここですね。わたしは研修業界でも珍しく、仕事上のパートナーの方には「○○先生」と呼んでいただくようにしている。大多数の講師のかたが「さんづけでいいですよ」と仰っているなかでは、それは傲慢に映るかもしれない。しかし、受講生さんがよりよく学んでいただくためには、講師は「専門知識のある人」とみなされたほうがいいのだ。親しみやすく感じのいい人、ではなく。「さんづけ」は主にアメリカの教師生徒の間の民主的関係を重んじる20世紀後半の思潮の影響ではないかと思うのだが、その思潮にあまり妥当性はないと、近年の研究は教えてくれる。

ーーまた、このブログで何度か取り上げた「社内講師」の問題について。以前にも言ったように、管理職の受講生さん方は、圧倒的に豊富な知識スキルを持った「先生」に出会いたいのだ。人事の人などが社内講師を嬉々として買って出るとき、マネジャーのこうした密かな望みは無視されている。



――ここからは恋愛と結婚の話題。

●恋愛や結婚の関係の数十年に及ぶ研究や数百年にわたって培われてきた常識から、二人のコストと利益がだいたい同等な関係が、最も満足できて長続きするらしいとわかっている。二人の関係をうまく維持する秘訣は、ずばり相手が高く評価する分野で利益を与え合うことだ。そして、主観的に見て受け取る利益と支払うコストが同等ならば、その関係は順調に進む。

●このバランスをとる基本的な方法の1つは、誰が誰のために何をしたか、今後何をするつもりかを記録するだけでいい。

――行動承認ですね

●現実問題として、人間の心がいちいち正確に記録することなどできるはずはない。ここで信頼が登場する。信頼は、コストと利益を事細かくたどる必要性を取り除く認知的近道の役割を果たし、長期の関係を築いている人の心で計算の負荷を軽くするのだ。

●恋愛関係に信頼が生まれると、関係の快適さに著しい変化が起きることが多い。それは、その関係が長続きする新たな段階に入りつつあることの表れだ。この変化は「交換的」関係スタイルから「共同的」関係スタイルへの移行と呼ぶ(マーガレット・クラーク)。交換的関係では、互いにコストや利益を遠慮なく記録しようとするが、共同的関係では、交換の監視に費やされていた多くの思考力が解放される。

●互いに信頼感の高いカップルは、対立する話題について話すときそうでないカップルに比べて折り合いや協力の程度がはるかに大きかったのだ。彼らは、相手の望みを聞いてそれを真剣に受け止めることにより前向きだった。また、二人ともが受け入れられる解決策を見出そうとする意識も高かった。信頼は、心が長期的な利益より短期的な利益に注目しがちなのを抑制しようと働く。

●話し合いを始めたカップルがもとから相手に高い信頼を置いていた場合、自分が図ってもらった便宜を過大評価することがよくあった。相手を信頼しているほど、相手の行動を貴い犠牲とみなす。

●信頼は逆の方向にも同様に働く。相手の犠牲を価値あるものと見なすほど、相手に対する信頼がさらに高まる。互いに高い信頼を置いていたカップルは話し合いの後、相手をさらに信頼していた。信頼が信頼を生む好循環。

●信頼がバイアスをかける力、つまり相手の話し合いの態度を実際より誠実なものと心に受け止めさせる力は、寛大なしっぺ返し戦略に似た機能を果たす。

●「直感的な信頼」とは、相手の信頼度について意識の外でおこなわれる評価を意味し、「衝動的な信頼」とも呼ばれる。自動的で絶え間のない計算によって更新される相手の信頼度についての感覚ということだ。もう1つは「理屈に基づく信頼」あるいは「思慮に基づく信頼」だ。それは直感的な信頼とは対照的で、慎重な分析に基づいた評価を指す。

●2つのシステムの相互作用。カップルたちが、信頼を揺るがす問題を意識的なレベルと無意識的なレベルの両方でどう乗り切るか。過去20年に及ぶ心理学研究から、意識的な心が直感的な評価を覆す気にならないか覆せない場合には、直感的な反応が行動を誘導するという一般原則が導かれている。思考には時間がかかり、直感的な決断はすみやかで労力を要さない。

●実行制御力。意識的な分析の結果を優先して直感的な反応を抑える力。実行制御力があるほど、気を散らすものや時間の制約があっても分析能力は影響を受けない。つまり、直感的な反応を抑えやすい。

●実行制御力が高く、思考力を十分に使って相手の行動を慎重に分析した人は、カップルのあいだで疑わしい出来事が起こったときも、たいてい思慮に基づく信頼に従って、相手との付き合い方を決めた。また実行制御力の低い人は、直感が実際の反応につながること多かった。

●つまり、直感は相手の信頼度に大きく影響を与える。実行制御力の高い人でも疲れていたりひどく動揺していたり寄っていたりするとき、何かが起きて相手に対する信頼に疑問が生じたら、無意識的な心の判断に従う。

●思慮に基づくプロセスよりも直感的なプロセスから正しい情報が得られる可能性が高い。どちらのメカニズムも完璧ではないが、2つの組み合わせによって最良の判断が得られることが多い。

●嫉妬を理解するための2つの段階。
1.嫉妬がすべてセックスに絡むわけではないと認識すること。
2.三角関係の存在。

●ライバルにパートナーを奪われることへの不安には、それが現実になるのを防いだり、パートナーを取り戻したりする行動を起こさせるという特定の目的がある。

――おっ、「目的論」だ。

●嫉妬に襲われたときは、不安に怒りが混じっていることが多い。

●2つの予測:
1.もし嫉妬が信頼に関係しているのであれば、危機の初期段階で、人は嫉妬によってパートナーにもっと寛容になるように促されるはずだ。
⇒YES.嫉妬を感じていた人々は、相手からもっと頼りにされるような行動をとってからは、相手の熱意を疑う気持ちが少なくなった。
2.嫉妬は恋愛関係や結婚における現在のコストと利益だけでなく、将来的なコストと利益にも敏感に反応するはず、というものだ。言い換えれば、嫉妬は信頼にかかわるすべての現象と同じく、将来の影を敏感に察知して生じるに違いない。
⇒著者自身の研究。
YES,嫉妬は信頼が裏切られるのを防ぐ気にさせる。ライバルが自分やパートナーが高く評価する性質を持っている場合に嫉妬はピークに達する。嫉妬は実際には何か起きていなくても、将来に裏切られる可能性を追跡していた。

●嫉妬は今のパートナーだけでなく、かろうじて知っている間柄の人にも起こる(著者の研究)。数分間一緒に作業して好印象をもったパートナーが他の参加者を選択し裏切られると、「捨てられた」参加者は嫉妬の感情を報告し、機会が与えられるとほぼ例外なく以前のパートナーとライバルを罰した。嫉妬は将来見込まれる関係からくる利益が失われることを防ごうとする。

●怒りの結果として起こる仕返しの特徴:罰。

●「第三者罰」(行動経済学で知られる現象)。自分とは無関係なものに被害を与えた加害者を第三者の立場で罰する傾向を指す。数々の実験から、人は、たとえ自分は被害者でなくても、いかさまをするものをばするために金銭的な負担をすることが繰り返し示されている。

●嫉妬がDVのおもな原因になるのを防ぐのは困難(暴力による罰はよいことではないが)。




 前半部分は以上です。嫉妬のところ、こわかったですねー。
 後半部分は、「権力とカネ」や、お待ちかね「しぐさの心理学」的なお話が出てきます。なるべく早くアップします。乞うご期待。