表題の通り、『嫌われる勇気』の編集者、(株)コルク 柿内芳文氏より当方の質問へのご回答をいただいた。
心の準備をされていたのか、若干丁寧な文面だった。
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正田佐与様
先日は不在で電話に出れず、たいへん失礼いたしました。
『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』の編集を担当した、コルクの柿内芳文と申します。
このたびはご質問をいただき、まことにありがとうございました。
わたしは編集者として、「自由」や「幸福」、また「勇気」をテーマに、わたしたちが幸せに生きるための提案のひとつとして、両書を出版したつもりです。
また、現在たくさんの読者の方々からご支持いただいている理由も、わたしたちの真意が届いた結果ではないかと受け止めております。
ご意見、ご批判は真摯に受け止めたいと思いますが、そうしたわたしたちの制作意図をお酌みとりいただけますと幸いです。
なにとぞ、よろしくお願いします。 柿内拝
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「自由」や「幸福」、また「勇気」をテーマに。
かっこいい言葉だ。クリエイターなら誰しも一度は言ってみたいであろう。
ともあれ、二人の著者・編集者計3氏の回答はこれで出揃った。
柿内氏の回答内容とは別に、このところモヤモヤしていること。
質問リストに書いたように、社会の分断は本の作り方、いやクリエイティブな仕事全般に現れているのだろう。
本が読まれない。だから今の出版界でメガヒットを作ればそれは間違いなく出版社の功労者で、
「ヒットを作ればいいんだろ」という「勝てば官軍」の姿勢にもなる。
またヒットが出ると、
「これ本当は問題はらんでるよ。ほどほどのところで撤収しようよ」
というような「慎重論」は出てこず、韓国へ台湾へ中国へ「アドラー女子」へTVドラマへ、ガンガン売りまくる。
そして怖いのは、本というメディアが今読む人・読まない人にくっきり分かれているために、
「本を読まない層については何を書いてもいいんだ!」
という姿勢になるかもしれないこと。たとえば「トラウマは…」のように(本当にそうなのかどうかわからないが)
それは当然、差別の固定化・激化にもなるだろう。
「今までにない、新しい切り口」
ともてはやされるものが、実は単に自分と異なる層への想像不足なだけで、見る人が見ればとんでもないものかもしれない。単に良識的なクリエイターがそこまでやらなかった、というだけの。
こんなことを考えるのがわたしだけなのだろうか、出版界のことだけに相互批判が生まれにくいのだろうと思うが、ちょっと怖い。
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