ブログ読者の40歳女性、NYさんからメールをいただいた。
 ちょっと疲れ?が出ているわたしには涙が出るほどありがたかった。

 ご了解をいただき2回のメールをご紹介させていただきます。

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岸見氏の講演参加、また質問状のやりとりお疲れ様でした。
講演中、嫌なストレスをお感じになりませんでしたか?
ご体調に悪影響かないか少々心配しております。
くれぐれもご無理はなさらないでください。

正田先生が火中の栗を拾うかのように、
アドラー批判をはじめ正しく現実的な情報を発信してくださっているのに、
なかなか有益なお手伝いが出来ず、申し訳ありません。

個人的には野田俊作氏がおっしゃる、理論と技術の違いとう部分を納得しました。
身近に医者しかも外科医がいるからかもしれませんが、
理論がわかっても技術が追いつかないと、手術はできません。
手技が下手な外科医は、いくら理論を知っていても、患者の命を危険にさらします。

そういう意味で、岸見氏は理論家(それも正田先生の分析によれば、それもあやしいですが)なのかもしれませんが、
その理論は手技を伴わないものだということ。
そう考えると、あの本の位置づけわかった気がしました。

「嫌われる勇気」は空想の話=フィクションで、現実世界に適用できるものではない。
だが、なぜか読者のほうが現実世界に適用できると勘違いして、
(あるいは勘違い生むように岸見氏他の関係者は振る舞っている?)
その勘違いを誰も訂正しないまま、今に至っている。

アドラーのような自己啓発とも重なる分野の話は、
その性質上、理論と実践の整合性をチェックすることが難しいのだと思います。
そんな中、正田先生が反証や検証をしてくださっていることは
本当にありがたいことだと思います。

嫌われる勇気のような本が売れる背景を思うとき、
現代社会の問題の深刻さを考えてしまいます。
中庸を忘れ、多様性や寛容さといった人間の知性やあるいは思いやりを軽んじるような風潮が人の心を浸食している気がします。
嫌な世の中ですが、そういう現実を変えて行くのもやっぱり一人一人の心と実践なので、
行動承認の実践は、善い変革のもとになる1つの大きな実践と思います。
「まずは、ささやかでもできることから」を、自分も心がけたいと思います。


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正田先生

お世話になります。

メールのブログへの掲載、どうぞお使いください。
お返事がおくれてすみません。

ブログやメルマガの読者の多くの方が、
私と同じような想いを感じていらっしゃると思います。

その後の、著者、編集者の皆様のお返事をよませていただくと、
正田先生の質問に正面から回答することはさけていらっしゃるようなので、
たぶん、彼らの視界には、先生が指摘されている深刻なトラウマを抱えた少年だったり、
あるいは褒め育てて成果をあげている教師や組織のマネージャー層というのは
全く入っていないのだと思います。

また幸福や自由、あるいは勇気についても、
例えば貧困や虐待、あるいは戦争、人種や宗教による差別、
などの理由によってそれらを享受することが不可能な人々にとっての幸福や自由、
あるいは勇気については考えが及んでいないのだと思います。

なので、「誰もが」の意味するところが、先方とこちらでは乖離していて、
議論の前提が噛み合ないのではないでしょうか。

私は、やはり「誰もが」の中には、
やはり貧困や虐待、あるいは戦争や差別に苦しむ人が含まれているべきだと思いますし、
もしそういう人々が対象者に含まれないならば、
誰もがという表現を使うことは不適切にも感じてしまいます。

そういう部分にそれほど過敏になる問題ではないと言う意見が大半なのかもしれませんが、
正田先生のおっしゃるように例えば公教育だったり、社会的に影響力の大きい組織や団体が、
弱者に対する眼差しを欠いた思想を積極的に採用することは危険だと思います。
そういう意味では、やっぱり今の状況はかなりおかしい、危ない状況にも思えます。

私はアドラー心理学も、教育も門外漢なので、的外れなことを考えているのかもしれませんが、
私のように感じるものの先生の読者の中にはいるということをお伝えすることが
少しでも先生のパワーにつながるといいのですが。


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 NYさん、ありがとうございます。しっかりパワーになっていますよ。

 気がつくと「独走状態」なのである。「アドラー心理学批判」では。
 今月初めからGoogle1-4位独占、Yahoo!1-6位独占になり、その状態が続いている。

 新聞はじめ大手メディアは2月10日に日本アドラー心理学会のフジテレビへの抗議文掲載を報じたあと、また「だんまり」になっている。
 出版界、広告料への気兼ねだろうか。

 だから「独走」していてもしょっちゅう考える。本当に正しいことをやっているのだろうか?わたしの独りよがりではないのか?

 そういっているうちに豊中市の国有地の学校法人「森友学園」にたいする売却価格の問題と、同学園の認可が下りない可能性が報じられた。

 結びつけるのは強引すぎるかもしれないが、「おかしい」と感じたことはおかしいと言わないと。今、そのセンサーが「いいね!」や「ほめない叱らない」「怒らない」のはんらんでで皆さん弱っているのかもしれない。


 
 いろんな形でお友達が支援してくれる。NYさんのようにご感想を寄せてくれる人、アドラー関係の催しに「潜入ミッション」をするわたしにイベントの案内をしてくれる人、そしてFacebookで「いいね!」をつけたりコメントしてくれる人。


 そしてここまで、当ブログに貴重なコメントをくださったトラウマ支援者の方、精神科医、小児科医の皆様、ありがとうございます。