「トラウマは存在しない」というフレーズについて、
 女性や子どものトラウマ治療を多く手がけ、『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』(アスク・ヒューマンケア)などの著者である精神科医、白川美也子氏からコメントをいただいた。白川氏のクリニック「こころとからだ・光の花クリニック」のFBページのブログにて。

 ずしんと持ち重りのするような、最前線の治療者からのコメント。
 ご了解をいただきこちらにも転載させていただきます。

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【院長ブログ:ほんとうに「トラウマなんて存在しない!」のか?】

正田 佐与 (Sayo Shoda)​さんから「嫌われる勇気」という本を契機にしてアドラーの言葉として一人歩きしている「トラウマなんて存在しない」という言葉に関する2つの質問をいただきました。

【正田佐与の愛するこの世界】
http://c-c-a.blog.jp/


とても重要な問題だと感じたため、以下に考えたことをまとめてみました。

1.「トラウマは存在しない」という言葉は、現にトラウマに苦しむ人にとって二次被害になることはありえますか。

→文脈によって十分あり得ると思います。

2.「トラウマは存在しない」という言説に対してどのようなご感想をお持ちになりますか。快、不快でいうとどちらになりますか。

→これも文脈によります。実際「嫌われる勇気」は拝読しておもしろいなと感じ、クリニックの書棚においてあるくらいです。ただ正田さんのブログを拝読し、アドラーは、実際はそんなこと(「トラウマなんて存在しない」)とは言っていない、という詳しい検証を見せていただき、それはまた別の重要な問題だと思います。また、以前ある心理臨床家の論文に「トラウマは存在しない」という文章を見つけて、それは、心理療法全般におけるトラウマ治療の否定だと感じたため不快であり、問題を感じたことがあります(その論文がどうしても見つけられません)。

以下にどうしてそうお答えしたかということの説明を書きます。

よくトラウマ・ケアのトレーニングのときに、使う比喩ですが「俺、失恋してさ、トラウマになっちゃってさ」という男の子が、6ヶ月後には別の女の子と楽しくしていたら、それはトラウマではないという話をします。そのときにそのときのガールフレンドの記憶は既にセピア色のものになっているでしょう。

トラウマ記憶はそんなものではありません。どれだけ時間がたっても生々しく鮮明に甦ります。〔技間性、∩杁に苦痛な情緒を伴う、8斥佞砲覆蠅砲い、という3つの大きな特徴をもちます。ここに私が書く<トラウマ>の定義はPTSDの診断基準Aに該当する重篤なトラウマです(子どもは別ですが話が難しくなるのでまた別の機会にします)。

トラウマ記憶の実体はこれも比喩でしかありませんが、特殊なメモリーネットワークということができます。PTSDや、その他のストレストラウマ性疾患として現れることもあれば、再演なども含め、行動パターンとしてその人の人生そのものに影響を及ぼすこともあります。

そして、その様態は、その人が置かれた状況や体験、回復レベルなどで刻々と変化していきます。最終的には、ある体験が、現在から振り返ると、非常にそこから学べるよい体験だったと結論できることもできます。

ただ問題は、「そのこと」をどう捉えるかは、その時、その人にしか定めることができないものであるということです。すなわちトラウマ問題は、経験したことがない人は理解しにくいということも含めて、一般論では語りにくい問題であることは間違いないと思います。

そして、トラウマをどう捉えるか、ということについての治療論(目的論と原因論)の異なりと、トラウマがあるかないか、ということの混同が、話をより複雑にしています。

密かにファンであるゆうメンタルクリニックの漫画にアドラー心理学の説明として、目的論と原因論についてわかりやすく述べられています(ただし、再度書きますが、正田さんによればアドラーは「トラウマなどない!」とは言っていないそうです)。

http://yuk2.net/man/110.html

原因論と目的論の違いは、.肇薀Ε淆慮海砲茲辰鴇評が出ていることを重用しする(それに気づくこと、そこになんらかの操作を行うことで変化が起きる)、▲肇薀Ε淆慮海砲茲觚絨箴匹鮟纏襪垢襪茲蠅癲¬榲にむかってどういう対処を取るか・どういう考え方をしていくかが重要だと考えるーこの違いだと思いますが、多くのトラウマを診る臨床家はその2つの考えを柔軟に自分の臨床に活かしています。

たとえば、私であれば、通常の診察では感情に焦点をあてながら未来志向・解決思考的なソリューションフォーカストの話法を中心に問題解決を行ないつつ、リソースを形成し、対処スキルを増し、それでも課題がある場合、長めの時間をとってトラウマ=特殊な記憶ネットワークの処理を特殊技法で行う、というように、治療上の文脈に応じて様々な介入をしていきます。そうやっていろいろやっても治療が難しいのがトラウマサバイバーの治療なのです。

多くのトラウマに焦点をあてる治療を行ったことがなく、かつトラウマ治療を批判するセラピストは、トラウマ治療というのは、「過去にこだわる治療」だと考えているのだと推測します。

「赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア」に書いたようにトラウマの処理とは、患者の過去を癒すのではなく(実際にどうやっても過去に起きたこと自体は変えることができない:過去そのものを癒すことはできない)、そのような体験をしたことによってトラウマ記憶が生じ、それが患者の「今ここ」に影響を及ぼしていることに変化を及ぼして行くわけです。

多くのトラウマを重視しないと述べる治療者が、重度のトラウマを経験した方の治療経験を欠き、トラウマ治療の実際を知らないという現実が、さらに問題を大きくしています。

実際のトラウマ記憶に苦しむ患者を診たことのある治療者は、その生物学的なレベルで残る後遺症が、どれほど患者が「今ここで」を幸せに生活して行くかを阻害するかを知っています。

人の苦悩に対してどういうアプローチをするのか、<原因論を取るのか、目的論を取るのか>ということと、<トラウマがあるのか、ないのか>という考えを混同しないでほしいと思います。

自分の治療的な立場が目的論<のみ>で(実際にそれでいけるということは、素晴らしいセラピストであるか、重篤なトラウマサバイバーの治療を行なったことがないか、あるいは壮絶な被害を体験した直後の方にも出会ったことがないか、のどれかであると思われます)あったとしても、もし、その治療法のみでうまくいっていたとしても、一般的に「トラウマという現象がない」というような安易な机上の論考をしないでほしいと切に願います。


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 非常に「熟考」してくださった白川氏。丁寧に完成度の高い文章として、コメントを執筆してくださった。この記事は既に10数件「シェア」されている。
深く感謝します。
 
 実は、心底「この件でコメントをいただいて良かった」と思ったことが、白川氏のこのご投稿の直後にあった。投稿についた読者コメントの中に、こういうものがあったのだ。

「患者さんがアドラー関連書を読み、トラウマがないなら今の私は何に苦しんでいるんだと混乱されていました。
正しい知識が広まることをねがうばかりです。」

 やはり、あるのだ。


 このところの見聞で、『嫌われる勇気』のコアな読者層は自己啓発本のヘビーユーザーの読者層なのであろう、その層にだけ通じる言語で書かれているのであろうと思っているのだが、

 それがすでに155万部の「国民的」ベストセラーとなり、一人歩きしている。書かれている文言も一人歩きする。

 そうなった今、”実害”も既に出てきているのだ。

 もはや、「若者世代の軽口」と見過ごしていい段階ではなくなった。


 というわけでこの問題の追及はまだまだ続きます。。


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 そんななか、正確には今月22日、当ブログは通算来訪者40万人の大台に乗った。ブログ開始から40年、じゃなかった12年。

 ベストセラーと比べ一けた少ない(泣笑)けれど、ここまで支えてくださった読者の皆様に感謝。