Facebookのお友達の1人が、最近「正田さんのお蔭ですよ。」と言ってくださった。

 何のことかと思ったら、お友達は以前から自身が役員を務める同業者団体の中のある”造反”のことで悩んでいた。最近、その同業者団体の総会があった。”造反分子”の不規則発言が予測された。

 お友達は執行部に策を授け、

「相手が何を言ってきても『承認』しなさい」。

 執行部はその通りした。果たして、”造反分子”は総会で執行部への不満を言ってきたのだけれど、執行部がそれを全部「承認」してあげると――具体的に何と言って「承認」したのかは知らない――発言者は肩透かしをくったのか、それ以上の追及をしなかった。結果、総会は事なきを得たのだそうだ。


 「いやあ、正田さんのお蔭ですよ」

 お友達は繰り返してくれるが、はっきり言ってこのケース、お友達のほうが偉い。だって執行部に自分の意見を通すだけの説得力があり、危機一髪のときに「承認」を使わせたのだから。

 わたしの受講生さんがこれまでやってきたことはそうだった。わたし自身は何の力もないただの女性なのだが、受講生さんたちがやることは本当に凄い。彼らは40-50代になってその世界できちんと地歩を固め、信用を築き、それに「承認」が付随するととてつもなく大きなことをやる。法螺を吹いているわけではなく、そうなのだ。この世代の人達は。

 だから、『行動承認』がエピソード中心の本になった理由もおわかりいただけるだろうか。「承認」の理論などくどくど説明している暇も惜しい。一見小さなものが、ふさわしい担い手と出会うととんでもなく大きなものになるのだ。その現実世界を動かす凄さといったら。

 おもしろいことにこのお友達は『行動承認』をまだ読んでいなかった。研修の受講生さんでもない。それでも、Facebook上のお付き合いを通じて、自然と「承認」を理解してくださっていた。


 また、こういう(これもほんの一例である)奇跡があちこちで起きるから、私は「承認」を「ほめる」とは言い換えたくない。「ほめる」と言っていてはできない、とんでもない大きなことが、「承認/認める」ではできるから。

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 「アドラー心理学批判」では、ある有名人の精神科医の先生のインタビューが延期になった。「『嫌われる勇気』をまだ読み終わっていないから」というのが理由だった。「数日中には読み終わり、インタビューを再セッティングする」とのこと。

 わたしなどは『嫌われる勇気』を最初Kindle本で買って少し読んだ後放り投げてしまって、最後まで読み通したのはごく最近のことだ。

 この有名人の先生がインタビューを引き受けると言った時、「その本をまだ読んでいないから、読む。自分で取り寄せる」と言われた。もう1か月前のこと。
 しかし、「本を読んでからインタビューを受ける」「最後まで読む」という姿勢は、潔い。