よく晴れた4月14日、大阪市立南港光小学校さんで行われた菊池省三先生の公開授業と講演を聴かせていただきました。

 午後から、4年生と6年生それぞれ45分ずつの授業と講演。

1063-2



 最初に「やる気の姿勢」と板書。白板の左側のスペースが「価値語」を提示するスペースです。
 「これ読める人!」「1文字でも読める人!」
 そして
 「ああ、君は全部は読めないけれど一部は読めたから発表したんだ。偉いね」
 「後ろの人に教えてもらったの?さっそくともだちと助け合ったんだ。すごい」

 小さなことに目をとめ話題に取り上げて、ほめます。
 そして

 「はい、二人に大きな拍手」
 「彼女が笑顔になるように拍手してあげてください」
 ともだち同士がお互いをほめるように仕向けることも繰り返します。



 菊池先生は、大きな多目的室を動き回りながら1人ひとりにかかわります。

1065-2




 4年生では、「さかなやのおっちゃん」という大阪弁の詩を教材にしました。
 白板に詩を1行1行書き、最初の節を書き終えたところでペンを止めてその先の予想を質問する菊池先生。
 「ほめ育て」だけでなくこうした授業の工夫も飽きさせません。

1071-2



1073-2


 みんなで立って詩を朗読しました。
 このあとも何度も立って歩き回り、ともだちと話し合うよう仕向ける場面がいっぱいあります。


 「はい、まわりの人と相談した人、手を挙げましょう」
 「君たちすごいな、切りかえスピード」

 みんなが大多数のほうに手を挙げるなかで違う意見に手を挙げる子に
 「君、偉いね。1人が美しい」。
 多数に流されない、自分の意見をもつことを奨励します。



 左側の「価値語」のスペースには、こうして授業の展開とともに
 「やる気の姿勢」
 「切りかえスピード」
 「1人をつくらない」
 「1人が美しい」
 こうあってほしい、という「価値語」が次々書き加えられます。

 こうした「価値語」は、最初は先生の側から提示し、やがて子どもたちのほうからも新たな「価値語」が口をついて出るようになります。「それ、いいね」と新たな価値語が書き加えられます。
 菊池先生が2016年度から通われている高知県いの町では、日めくりの「価値語カレンダー」というものが作られ、この日南港光小学校でも教室の前に掲示されました。

(参考)いの町長、町教育長と菊池先生の鼎談
http://www.town.ino.kochi.jp/pdf/topic1610_1.pdf


 「次先生が何をきくかわかる人?」
 という質問。
 「読め、先生の考えを」

 それは何かというと、
 「どうしてそう思うか」
 1つ前の選択肢「Aと思うか、Bと思うか」について、こんどはその理由をきく質問でした。
 この同じ場面は6年生の授業でもありました。


 45分授業の最初の数分で、子どもたちは力いっぱい拍手することを学びます。また、まっすぐに手を挙げることを学びます。
 このことに異論もあるでしょうが、わたしの目にはこれは「他人とかかわる」ということ、それから「自分の意見を表明する」ということを「型」で教えた、というようにとれます。武術で往々にしてそうであるように、「型」を学ぶことで心があとからついてくる、というのは真実です。

 菊池先生の
 「このクラスはすごい。もうこんなことができている」
 「君えらいね、○○したんだよね」
 こうした言葉がけの中で、子どもたちはみるみる「型」を学んでいきます。

 そのほめ言葉の教育力のすごいこと。
 それは、かりに「まっすぐ手を挙げてないじゃないか。」「ほら、拍手に気合が入っていないぞ」といった言葉がけをしていたら、どうか、を考えればわかります。


 
 6年生の授業。
 ここでは、「夢」という言葉を取り上げました。
 この題材は直前に菊池先生が「光小学校の記録」という分厚い冊子をみて、その中の子どもさんの文章から取り出したようです。

1079-2


 「『夢』という字が書ける人?」

 1人の女の子が前に出て、大きく板書しました。横から菊池先生が、「こんな大勢の前で、先生方や保護者の方や学生さんがみている前で、よく書いてるね」と茶々を入れます。
 ぶじ書き終わった女の子に、
 「先生は書いている間じゅう、横から煽りました。ああやって煽られたら、心の弱い人だったらあそこでこちょこちょっと小さく書いて、逃げてしまうかもしれません。でも彼女は最後までしっかり書きました。彼女は心の強い人です。はい、彼女が笑顔になるように拍手!」


 この授業でも、
 「あなたたち相談するときの表情がいいね。口角が上がっている」
 折に触れほめます。

 
 ここでは、みんなが立って動き回るときに新しいリクエストがありました。

 「相談しあうとき男の子同士、女の子同士、なかよし同士でつい話してしまうよね。そうではなく、同じ人でかたまるのではなく、男の子は女の子と、あるいはなかよしでない人と、話してみましょう。新しい出会いで新しい考えが生まれる」
 
 このことを図解しながら話し、立って相談する時間に。
 子どもたちの動き方はまだぎこちなかったですが、男の子が「女の子、女の子」と探してまわる姿もみられました。

 「夢」の意味とは、,佑討い襪箸に見るもの。ではそれとは違う△琉嫐は?

 1人の子が「将来の夢」と答えます。「なるほど、将来の目標、ということね」と先生が返します。
 
 次の子は「将来なりたいもの」と答えます。
 そこで「あなたはえらい。」。前の人が「夢って何?」「将来の夢」というふうに「夢」という言葉を使って言ったけれど、君は「夢」のところを「なりたいもの」と言い換えたんだね。そうやって同じ言葉を使うんじゃなく、言い換えをするというわざを学ぶとレベルアップしていくよね。

 小さなところにほめるための「種」があります。うっかりしているとスルーしてしまうところです。

 最後は、

「しっかりした夢をもってください。その実現のために何をしたらいいか準備する気持ちをもって、この1年間この学校の機関車として走ってください」

 こう締めくくられました。


 この後の講演では、

1081-2


 「きくち先生へ 先生はなぜ授業のときほめてくれるんですか?僕は、授業中ほめられたことがありません」

 しいんとなってしまう過去の授業の子どもさんの感想が披露されました。

 菊池先生はこの感想をみてしばらく悩まれたということですが、後ろでみているとよくわかります。子どもたちはほめられて心底嬉しいのです。もしこのお子さんのように、これまでほめられたことがないという場合には、その嬉しさもひとしおのものがあるでしょう。
 ほめ言葉をシャワーのように浴びながら、子どもさんがたはその動作も心もみるみるシェイピングしていきます(菊池先生が行動理論をどこまで意識して使っておられるか、定かではないのですが)



 その光景を、TVのスクリーンを通さず直にみているとびんびん伝わってきます。
 たとえば巷間いわれる「すごいね」「えらいね」は子どもをバカにしている、などの風説はまったくナンセンスで、子どもたちは、6年生でもほめられることが純粋に素直に嬉しいのだと。その子どもさんがたの嬉しさを否定するような言説は、これからもわたしは出会ったら悲しくなるでしょう。


 菊池先生が教職を務められたのは荒れた学校の多い北九州市。そこで繰り返し「学級崩壊建て直し」を経験されたことは以前の記事で触れました。

●「公」と「不易」に至る「父性」と「母性」のプロセス、適切な厳しさの復権―菊池省三先生『学級崩壊建て直し請負人』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51863372.html


 
 今回の授業の舞台となった大阪市立南港光小学校は、岡田治美校長の決断で菊池先生の公開授業を行うことが決まりました。学年初めの忙しい時期、どれほど時間をやりくりされたことでしょう。しかしこの時期にこうした学びをされたことは、同校の先生方にも子どもさんがたにもどれほどの幸運だったことでしょう。


 詳細ははぶきますが岡田先生は自費で菊池先生の主な著書を、各クラス1冊・15冊ずつそろえて配布されました。わたしはFBでのご縁で岡田先生にお声がけいただき、この日寄せさせていただきました。学校の先生には珍しいほどユニバーサルな岡田先生の人柄で、先生、保護者のほか大阪市内の学校に案内してこられた他校の先生、教職志望の学生さん、地域の人、さまざまな分野の活動をしておられる人、が集まられました。


1222-2


 校門を一歩入ると夢かと思うほどの一面の花、花。これも岡田校長先生になってからだそうです


1219-2





*******************************************


 また、無粋な事後の感想です。

 以前も(2013年)ほめ育てをされるべつの先生の授業を見学させていただき、そのときは学年終わりに近い2月だったので、ほめ育ての完成期の子どもたちの力強いうごきかたを見せていただきました。

●褒めること聞くこと、記録、スピード、歌声・・・城ヶ崎先生クラス訪問記
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51846161.html

(この記事も、もし「ゴールイメージ」をもたれるのに参考になるようでしたら、どうかご覧ください)


 今回は、初めてほめ育てに出会う子どもさんがたの様子をみさせていただく機会になりました。

 「ほめ育て」の実際について、よく知らないで悪口を言う方がいらっしゃいます。
 分断を防ぐのはなにごとも理解することです。
 ぜひ、誤解にもとづいた誹謗中傷はやめ、そこで行われていることを虚心にみていただきたいのです。

 そして、個人的には、そこにある子どもさんがたの幸せに心無い言葉を投げかけないでいただきたいとせつに願います。



もうひとつ無粋な話を追加。

まっすぐに手を挙げ先生の指名を待っている子どもたちの姿をみると、
「承認欲求を否定せよ」
という言葉がいかに酷(むご)いものかもよくわかります。
苦労してつくりあげた、周囲への信頼感にもとづく子どもたちの積極性を、一歩前に出ようとする芽を摘んでしまうことになるからです。
これまで、その手の言説を信じて消極的になっていた若い人がいたとしたら、なんという損失だったことでしょう。