正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ: 正田よもやま話

「出版社の社長」に「レターパックプラス」で「本」の絶版契約書2通を発送した。返信用の「レターパックライト」の封筒を同封した。

レターパックプラスの追跡番号:1277-5534-0064
レターパックライトの追跡番号:2263-9544-0320

こんなこともブログに上げておかないといけない時代なのだ。
何かの理由で会社にあまり長居できず、郵便物も山積みなのだときいた。

読者のみなさま、この人物が1日も早く正しい行動をとれるよう声援を送ってあげてください。


一応「絶版」「版権放棄」についてはFBメッセージにきっちり言質がある。

あ、言わなかった?正田は司法記者経験あるしうちのお兄ちゃん判事だし。これまでのブログの文章見ていて気がつかなかったかな。嫌なヤツだなあ。



決してこの人のことだとは言わないけれど、
意味のない悪意で凝り固まった人のことは「性悪説」でみないといけない。



ーまあ、悪意の源泉が何かもちょっと察しがついている。簡単に言うと、この会社にとって「自社の営業努力」以外のところでこんなに賞賛された本もなかった、想定外の事態だったのだ。かつ、この会社でマーケティングを一手に担当している社長自身が編集作業をした本ではなかった。編集者5人ほどの会社と言うが。社長は11-12月、自分がとりわけ思い入れのある若い女性向けの自己啓発本(正田からみてロジックめちゃくちゃ)の編集と販促にかまけ、その結果何が起こったかというと…

この手の本を読んで若いミニスカ女子に何が起きてしまうんだろう。私の娘ぐらいの歳だ。
細かい批判・反論は後日に譲るとして、例えばの話表紙の裸体のモデルさんにインスパイアされて40の出版社の独身イケメン社長と一夜の間違いを犯してしまっても、「全部原因は自分にある」と思ってガマンするしかない、泣き寝入りのすすめ。著者と社長が結託してそういう構造になっているようにもみえる。この著者やり手ババアやなw 毒牙にかかる良家の女子がいないことを願う(ま、それは冗談だけど見方によっては「蟹工船のすすめ」「女工哀史のすすめ」にもなるだろうね)

そしてわたし自身は出版社の社長とか編集者の立場になったことはないから想像するほかないが、どんなに外部の賞賛を集め社会を幸せにする力のある本であっても、自分が仕掛けていわば自分の手柄にならない本というのは「可愛くな」くて、塩漬けにしてざまあみろと思うということがあり得るかもしれない、普通だったら、これだけ賞賛されてる本に「選択と集中」すると思うけど、それが理性的な判断だと思うけど、特に性格体質的にドーパミン(承認欲求とかナルシシズム、嫉妬に関わる神経化学物質だ。あと性欲も)の多い人物にはー

 親しい人たちとのやりとり。

 「親密性」のわたしには何よりの栄養。


 11月頃から諸々体調を崩してしまい、12月のある週には1週間で牡蠣600gを料理して食べ(同時にジェネリック医薬品5種類を2クールのんでいた)それでも風邪がぐずぐずと治らなかった、ということが起きた。インフル予防接種はしていた。


 そういう経緯をフェイスブックにはちょこちょこUPして、お友達の皆様から心優しい言葉をかけていただいていた。


 (なお、フェイスブックのタイムラインはお友達だけが見れる設定です。新規のフェイスブックお友達承認は、ご職業ご経歴または周囲の方とのやりとりがわかる方に限らせていただいています)


 あるお友達からの最近の嬉しかった言葉。

「まだまだ教えて欲しいこと多くあるし、恩返しも出来てないし、だからまだまだ生きていてください。」

 過去に受講してくださった優秀なマネジャーさん。『行動承認』にも1か所実名で登場されている。


 嬉しかったけど、なんとお答えしていいかわからなかった。

 心には、まだ意志は「ある」。でも体がこれまでと違う。


****


 『行動承認』は、読まれた方には言うまでもないのだけれど、わたしという人間の価値観の世界だった。

 中には、「女性」「外国人(中国人)」「障碍者」「高齢者」「鬱の人」「がん告知を受けた人」などのモチーフを配している。

 それぞれ変な誤解を生まないよう、論理にも表現にも細心の注意を払って「ともに生きていく」ことを提起したつもり。


 どんなに、それこそテン(、)ひとつ打つのにも腐心したかわからない。

 わたしにとって最後の著作になるかもしれないとおぼろげに感じていたから。


 一瞬だがともに美しい夢をみた、でも瞬間風速だった。

 この苦しみを早く終わらせて、とひたすら願う。


※ また蛇足ですが、「承認」「行動承認」の論理形成のプロセスについては前著『認めるミドルが会社を変える』に、もう少し詳しく書かれています。中古で安く手にはいると思います


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 このブログでは去年の暮れに「某魔性の女性研究者」についての見解をいちどまとめておいた。その直後に年末の回顧番組やコーナーが花盛りで「あれはなんだったのか」とまた嬉しそうに彼女の容姿をなめるように映した映像が出て。は〜。

 このブログでの辛辣な記事をこころよく思わなかった読者のかたもいらっしゃったようで、そのせいで嫌われたカナという対応にも出会う。
 でも、人材コンサルタントの端くれ(笑)としては、やはりああいう見解をきっちりまとめて発表もしておいたほうがいいように思う。


 「女性活用」―近年は「女性活躍推進」とよりウソくさい言葉に言い換えられている―をまじめに考えれば考えるほど、「魔性の女タイプ」って現実にいるよね、という話になり、恐らく何十人に1人かで出現するそういうタイプの女性を職場でどう扱えばいいのか、という話になる。
過去に「何が何でも女性活用」をした先に何が起こるのか、みたいなことを書いたときイメージしたのはこういうことだったかもしれません。公正な基準がなかった場合には「実力より愛嬌」ってことにすぐなると思う。


 ―ちなみに先日化粧品売り場に行ったら「魔性の盛りまつげ」という商品があって笑いました―


 で具体的な研修企画の段階になると、必ず「女性パワーアップ研修」をしよう、という話が出る。女性たちは同性で寄り集まるとすごい勢いで話してフラストレーションを発散させるので、そういう企画をするとああいいことした、モチベーションアップした、みたいな気分になる。「無難な企画」というか。


 しかし、とわたしは思う。
 ―このブログでは去年秋、「女性意識改革研修」のオファーをお断りしてしまったお話も書いた―

 仮に「うちの隣の島の研究機関」で「女性パワーアップ研修」と称して女同士でおしゃべりする研修を企画したら、どんなことが起きただろう。
 「魔性の彼女」に対してそれ以外の女性研究者は非常に厳しい視線を向けていたという話だけれど。
 女性同士で、相互学習機能を発揮しただろうか。どう思いますか。


 わたしが予測するのは、

1)「彼女」がほかの女性からつるし上げられる(でも正義はほかの女性にあると思う)

2)「彼女」が1)の事態を予測して欠席し、ほかの女性同士でぶつくさぶつくさいう。「大体男たちがだらしないわよね」と。こちらのほうがありそうだな。


 どちらにしても、あまり建設的な図ではないと思う。

まあ「魔性の女性」がいなかったとしてもですね、これまで2回ぐらい女性コミュニティの講師をしてますが(少ないでしょ)思ったのは、今ひとつ「女子会」とのけじめがつかないということです。「ああおしゃべりするって楽しいわねえ」というレベルの満足で終わっちゃう、だったら講師あたしじゃなくてもいいじゃん、というのも正直思いました。
あたしはやっぱりごついおっさん集団に研修してるのが面白い。(変な趣味だ)

 ではどうしたらいいのか、というお話だけれど、

「結局、『一言居士』と言われてもそこは『承認』なんです」

とわたしは言う。

 著書の中でもいくつかのエピソードに女性活用の場面が出てきて、それぞれ業績向上にも大きく寄与する。


 「上司(多くの場合男性)が『行動承認』中心の『承認』をおこなうことによって、女性たちも『けれんみなく頑張る』ようになるんです。『けれんみなく』というところが大事です。

 魔性の女性研究者、あのひとがなんであんなモンスターになってしまったのか。わたしは上司の責任だと思います。芽が小さいうちに摘むべきだった」



 「承認」しか知らんのか、と石を投げられるかもしれないが、結果としては現実にそうなっている。「承認」を実践した上司のもとで、ややひねくれていた女性が変わった、素直に頑張るようになった。すごいパワーを出し業績を出した。

 それは人の働きを日々、「行動」という最小単位に還元して観察し隔てなく評価する上司の姿勢から、そうなる。


 「この教育」不在のところでは、上司がやっぱり微妙なスケベ心で女性たちを見、たぶん肌の白さとか小首を傾げて話す表情とかに見とれるのだろう。それは上司の心の隙でもあるし、「視線」を体育会的に鍛えるトレーニングを受けてないからでもある。


 「魔性の女性」の存在を許しておくと、やはり社内の気風、とりわけ女性たちのモチベーションには真剣に影響する。なのでこのブログでは「人材のプロ」として態度表明することを許していただきたい。



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 これはいまだ答えがない話ですが、

 大人向けの研修やセミナー、ワークショップで「責任感」をつくるのはほとんど無理、なのではないか、とわたしは思っています。


 よくある心理学系のセミナーで「表現力」は伸びます。人前で臆せず話し、高らかに謳いあげるように語ったり上手に話の辻褄を合わせたりします。


 それをもって、「セミナーで自己実現した」と思うむきもあるようです。
 しかし、ちょっと考えればわかるように、「表現力」とか「話す技術」は、「実行/行動」という、仕事の能力として最優先で大事なものとはまったく関係がありません。
 一見「自己実現」にみえても、それは「表現力」に偏った、つまりわたし流にいうと「キリギリス能力」だけに偏った成長/能力向上なのです。


 たとえば、何かのトラブルを目にしたとき

「今自分が行動しなければ何が起こってしまうか」
「お客様に、ひいては会社や同僚にひどいダメージを与えてしまうことになるのではないか」
「じゃあ、(疲れてるけど、めんどくさいけど)自分が行動しよう」

 そのように思う思考回路というのは、セミナーでつくれるわけではないのです。「苦痛だけど、でもやる」という思考回路。


 何がその原動力になるのでしょうね・・・、「愛」ともいえるし「体にズキンとくる感覚」ともいえるでしょうか、それはちょっと自分の感覚に頼りすぎてるかもしれないですが。


 また、

「自分が言ったことはやりとげる」

 それを、見栄つまりナルシシズムで動かされるのではなくそのとき言った相手への、あるいは自分自身への誠実さを原動力に行うか。


 あるいはまた、

「行為責任」

 ―これをやったのはあるいはやらなかったのは私だ、という感覚。

 まれな例として、アサーション/アサーティブネスのセミナーでは、「NOを言う技術」を教えるときに

「あのとき引き受けてしまったのは私の責任でもあるのですが」

ということに言及しなさいね、ということも言います。心理学のセミナーではほんとにまれに「責任」ということに言及します。
(ただ、実習の中で注意点としては与えますがそれほど重きを置いているともいえない)


 私見では心理学というのは、大筋こころを病んだ人を治す/癒すことを目的に発展してきた学問なので、「責任」というのはそこではそんなに重要ではなくて、むしろ「肩から責任を下ろして『らく』になりなさい」という文脈のほうが強いのではないかなあとわたしは思います。


 「責任」を教えるのは教育や倫理学の分野です。また、生まれつきの個体差もかなりあるようです。


 わたしの場合はなんだったのだろうか、目立ちたがりではなかったですが学級委員には、よくなりました。あとは高校までは、「社会人としての先生の立ち位置」というのはそんなに意識してなかったけれど、大学後半で師事した恩師は当時50前後でまだあっちこっちとよく「闘う」人でした。


 子供には、犬の散歩を輪番制でやらせて女の子2人は当然のようにやっていたが、男の子は比較的逃げ回ることが多かった。


 このブログでその過程をかなり詳しく書いていたのですが、男の子に関しては小学校5,6年のときの男の担任の先生が大変見込んでくださり彼に可能な範囲の仕事をどんどん与えてくださり、その当時は親からみてもかなり「責任感」が育っていた。ところが中学で心無い先生に遭い二度と責任ある役割を引き受けなくなってしまった―簡単に言うと「過剰期待」で潰された、ということです―


 たぶん男の子の思春期には先生との出会いがかなり大きくものを言うのではないかと思います。いいにつけ悪いにつけ。


 そのときの5−6年の担任の先生にはその後「教育者インタビュー」でも登場していただいていますが、その先生のノウハウというのは子供たちに仕事を与え、達成したら褒め、というのをこまめにされているのでした。「責任感」というのは、そういうふうにして子供時代を通じて育つもののようです。


 子供のころそういうプロセスを経ないで大人になった人に、とりわけ男子に、「責任感」を教えることはできるのだろうか―。

 少なくともセミナーでは無理だとわたしは思います。

 じゃあ「先生」の役割を果たせるのはだれなのかというと…。




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 気持ちとしては社員10人ぐらいの規模の会社に期待したいのだけれど―、

 そういう会社の1つで起こった話。


 自社主催で「目標設定」「未来の夢」に関するセミナーを開催した。
 数か月後。


 この会社は仕事量が増えすぎ、恐ろしく仕事が「雑」になり、既存顧客との約束が果たされず顧客からクレームが次々上がった。投資してもそれについて十分な施策をとらなかったため投資をドブに捨てる形になった。


 何が起こったのかというと、恐らくこうなのだ。

 「目標設定」ということに生まれつきワクワクしやすいドーパミン過剰なポジティブな体質の人がいる。また下手に体力があり長時間労働ができる体質の人がいる。
 そういう人がこの手のセミナーで「洗脳」というかそういう脳の配線を「強化」されると、例えば壮大な目標を掲げて、そのために昼夜をわかたず突っ走り、仕事量を増やし、その分「質」がおろそかになる、ということが起きてしまう。
 会社としては異常な状態である。


 過去にも、某心理学系のセミナー(目標設定プログラムを含む)で「洗脳」されたご同業の方が当団体の営業資料を「盗用」する、ということが起きた。
 「目的のために手段を選ばない」ということすら、起きてしまうのだ。目的のほうに目が釘付けになってしまい手段のもつ倫理的側面まで目を向けない、というか。



 そういうわけで「目標設定」を扱うのは当協会ではかなり慎重なやり方をしている。「質問研修」の一環だけど。もちろん第一段階で「承認」をみっちりやり込んで、周囲の人との人間関係をしっかり作ってもらう。

 手順も、多分受講された方はご存知と思うのだがあまり飛躍のない「目標」に落ち着くような手順で行う―それでも受講された方の「個体差」によってはやたら高い目標を掲げてしまう人もいるのだが講師のわたしがそういうのに気がつく限り「潰す」。


 「人生のビジョン」とかの壮大なものは、そこではあんまり扱えないのだが、いいのだ。
 わたしもビジョンを扱うセミナーを随分受けてきたが本当の自分のビジョンはそういうところでは出なかった。日常生活の中でフワッと「感じる」とか「見える」ときがあるのだ。自分の歴史とか大きな歴史観社会観とか、これまでの人間関係とかを総合したものだ。

 ―まあわたしの場合はその結果、「ビジョン」「夢」のような上向きのワクワクしたものより、「志―なにかをやり続ける―」とか「早くお墓に入りたいな」とかのくらい未来観になってしまうのだが。


 
 上記の目標設定セミナーの場合、詳しいやり方はきいてないのだがどうもプロを呼んだのでなく自前でファシリテーションをしたみたいである。どうぞご自由に。どのみちプロを呼んでも結果は一緒だったかもしれない。


※あとで思ったけれどひょっとしたら「目標や夢をみんなの前で宣言する」ようなやり方だったかもしれない。「ええかっこしい」の傾向のある人だとそういうとき見栄で大きな目標を言い、しかもそれに続く現実生活でも引っ込みがつかずそれに拘束されるかもしれない。


※あっ、宣伝臭いかもしれませんが当協会方式の目標設定・達成研修は、慎重な割にはめちゃくちゃ「効き」ます。質問にも「型」を教え徹底した反復練習を行い、質問される側も正しい手順で質問されるので、(なにせ「この通りやれば世界一のコーチングができますよ」という1枚ものの紙を渡してしまうので)非常に質の高い決断ができ、日常生活での決断スピードが速くなります



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 わたしはよくこのブログで「アリとキリギリス」の比喩を使う。


 たとえば、こちらの記事


◇「認めて欲しい」から「認め合う」へ アリとキリギリス 「『絆』社会の幸福と焦燥」に寄せて

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51827102.html


 イソップ童話のアリがせっせと働いているときにキリギリスは楽器を弾いている。

 人間にも「働く」ほうの人と「表現」の世界に生きる人がいる。

 遺伝形質としては、何対何ぐらいなのだろう―。

 キリギリスはパフォーマンスでお金をもらうけれど、それはアリが働いて余剰な富を稼いで払ってくれるからである。

 ぐらいのことは、わたしのようにお金に異様に疎い人間でもわかる。

 
 大学の先生、コンサルタント、ジャーナリスト、アーチスト等は「アリかキリギリスか」で言えば概ねキリギリスであり、とりわけ「アリの仕事の世界のロジック」について皮膚感覚でわからない。往々にしてすごく変なことを言う、「モチベーション」に関しても。


 上記の記事は、劇作家の方の書かれた「ロマンチックな」新聞コラムにわたしがかみついて反論したもので、我ながら嫌な人間だなあと思う。


 でもそういうキリギリスタイプの人ばかりが人目につくところで発言していたので、普通の素朴な人の仕事のロジックが日の目をみなかったのだ。


****


 口では「未来」についての言葉を口にするが身体が動かなくなってきている。何かが変わってしまった。

 Nさんのインタビューだけでも完成させないと。



 
  


 読者のみなさま、改めまして明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


 昨2014年は、当協会にとり暮れにも書いたように困難な年でした。

 
 03年から14年までの間に「12年、1位マネジャー輩出」。さらに13~14年にかけて「年間業績向上事例8例」を達成、「承認研修」の動かしがたい再現性が明らかになっても、世間のみる目は変わりません。結果が明らかなときに「世間のみる目」をどう変えるか、ということに苦しみ続けました。


 そして、「短時間」「単回」の研修のご依頼が増え、研修に対して妥当な謝金を払おうとしない、妥当な投資をしないお客様の態度、というものも目立ちました。


 それでも辛うじて成果としては『行動承認』を出版できたことが救いでした。


 また、ほぼ史上初めて、「正田の研修講師としての特質」を証言してくれる人が出たことが救いでした。これは正田自身の努力では言い得ないことなのでほんとうに得難かったことでした。


 『行動承認』出版後には、本を読んでから研修に参加したとみられる受講生様も現れ、その方々は過去にない極めて高いパフォーマンスを上げてくださいました。「業績1位」等の指標が実現するのが、どんどん短縮されています。研修後10日、1か月、ではっきりと成果が出るようになっています。恐らく、人が人に対しておこなう「承認研修」の精度を最高に高めた結果がそれなのでした。


 わたしの今の時点の希望は、どこか第三者機関が客観的に「承認研修」の効果を計測してくださることです。実証実験してくださることです。これまで独自に統計調査したものはありますが、第三者機関ではありませんでしたから今一つ信頼に欠けました。業績、業務品質、業務能力の変動のほか、当事者の人びとの脳発達、遺伝子発現、神経化学物質の変動など、評価する価値のあるポイントはいくらでもあることでしょう。

 わたしの知る限り「この手法」に並ぶ力のあるものは人類史上かつてなかったのです。
 そのことが正しい手続きを経て実証され、そういうものとして周知され、お客様が一度導入したら変えない、そのようにして初めて末永いお客様の繁栄と人びとの幸せにつながるでしょう。


 今年、そういう展開に一歩を踏み出すことはできるでしょうか。


 人類の発展のため、取りあえず日本人の幸福のため、そうした決断に踏み切るところが出てくることを願うものです。


 過去に事例セミナーを通算7回。わたし個人は長年の疲労が積み重なり、もうあまり訴える気力がなくなってきているのも事実です。あとは時間との闘いになることでしょう。
 わたし以外の人が「この手法」を維持発展させよう、そのために知恵を絞ろうと思ってくださるでしょうか。だれかそれだけの大局観をもつ人がいるでしょうか。



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 友達のすくないわたしですがフェイスブックのお友達と新年のあいさつを交わしました。ブログは今日になってしまいました。ごめんなさい。

 読者のみなさま、あけましておめでとうございます。よい3が日をお過ごしですか。


 このブログと「本」とを通じてわたしの心の友でいていただけることに改めて感謝を申し上げます。


 あなたと共有できるものが多くありますように。
 たとえば―。


 人はひとりひとり違うと感じることのできる人は、だれもが属性にかかわらず応分に認められ尊重される社会をつくることをともに願ってもらえるだろう。その人たちにとってそれは本来当然のことだから。


 親密性のある人は、身近な人や土地を大切に思う気持ちを共有できるだろう。


 学ぶことが好きな人は、世界と人に向けるあくなき好奇のまなざしを共有できるだろう。


 世界のすべての要素がつながっていることを感じることができる人は、一部の人でなく全体が幸福になることをともに願うことができるだろう。


 責任を人一倍強く感じる人とは、使命感に殉じて障害を乗り越えてでも正しいことの担い手となる姿勢を共有できるだろう。また質の高い仕事を実現する方策を喜ばしく感じたり、またあなたの求めるレベルの仕事が「承認」だけでは実現できないことにフラストレーションを感じたりするだろう。
 ―お互いマッサージのお世話になりますね―


 未来を考えることに喜びを感じる人には、ともに未来予想図を楽しんでもらえるだろう。
 ―出現率の低い資質らしいのであまり多くの人と共有できない。わたしは以前これが高かったのだが今相対的に低いのはあまりにも反応してくれる人が少ないからのようで、最近は控えめな出し方になっている―


 戦略性のある人には、秘められた戦略を読み取って「にやり」としてもらえるだろう。膨大な情報群を正確に見極めながら隘路を見出し前に進む精神を共有できるだろう。


 慎重な人は、「お客様の幸福のために副作用を徹底して排除する」という考え方に共感してもらえるだろう。


 新しいアイデアが好きな人は、―これもわたしもかつてはそうだったのだけれど近年は相対的に下がっている、たぶんやり方を確立してしまい動かせなくなったから― 新しいやり方でないことにやや不満をおぼえるかもしれない、でも「効果」と「持続可能性」のバランスを絶妙にとったのだ、ということにワクワクしてもらえるだろうか。また細かいところでの「改善」を楽しんでもらえるだろうか。


 人が成長するのが嬉しい人には、若い人や子供さんの成長する力を全開させることに喜びを感じてもらえるだろう。


 歴史を考えることが好きな人は、歴史上のどこかの時点との共通点を読み取って嬉しくなってもらえるだろう。


 分析する力のある人には、―わたしは残念ながら数字を扱う力は低い―数字の上がるやり方を選ぶのが得策だ、という考えに賛同してもらえるだろう。


 共感能力の高い人とは、弱い立場の人、しいたげられた人への共感を共有できるだろう。


 人に命令する資質のある人は―「クロージング」に関わる資質だがわたしはこれは非常に低い―わたしに代わって「これをやれ」と命令することができるかもしれない。


 人と表面的に和することにあまり価値を置かない人は、論敵を論破するのに仮借ないかもしれない。―わたしも実はそうで、「本」や「研修」ではあまり出さないがブログでは全開だ―


****


 その他ここで言及しなかった資質がもっとも上位近いところにある人は、すくなくともわたしの世界に入るときは、それらを尖らせることは危険かもしれない。それらは、「承認」との掛け合わせで変な暴走をするかもしれない。それらがあるゆえに自分は正田より優れた人間なのだ、と考えないほうがいいかもしれない。


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 今年一年、あなたにも、あなたのご家族にも幸ありますように。
 またともに幸せな社会の実現を願いましょう。




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 天皇陛下は、今年の最も印象的な出来事として

「青色発光ダイオードのノーベル物理学賞受賞」

を挙げられた。
「照明器具として消費電力が少なく、発光による熱し方も少ないことから、社会の様々な分野で利用されていくことと思います」
と。


 青色LEDは、貧困国の子供たちの就学にも役立つだろうとみられている。現在では。

 超有名人、有名技術になってからチヤホヤするのは簡単だ。あんな用途こんな用途もある、と期待をこめて言うことも簡単だ。
 開発途上には、研究者たちはどれほど嘲りを浴びたろうか、「これは夢の技術ですよ」と言って狂人扱いされたことだろうか。


 それは著書にも書いたわたしの恩師・故中嶋嶺雄氏が新大学を設立して成功するまで味わったであろう思いとも重なる。


****


 これもあくまで自分自身の備忘録として書いておこうと思う。

 今年前半、わたしのためにあえて発言してくれた人が地元にいた。
 3月末、地元の”ある機関”に自ら出かけ、

「正田さんをもっと取り上げてやってくれ」

と言ってくれた。


 ”ある機関”(あえて名を秘す)のほうでは「わかりました」と言ったが、そのあとすぐ迷走した。その機関から当方に電話がかかってきたが、それはわたしの専門のリーダー教育ではなく、「マーケティング」のセミナー講師をしませんか、というオファーだった。その機関の事業部で月1回「マーケティングセミナー」をやるのでその枠を割り振ってあげよう、ということだった。「正田さんを取り上げる」ってそういうことじゃないと思うけどね。先方は、研修講師などはどれも十把一絡げなので、リーダー教育の人がマーケティングと銘打ってセミナーをやることも可能だと思っていたらしい。組織の中枢にはいたが、なにごとも真摯に考えているふしがないのだ。


 わたしは一応の感謝を述べながらも「お役に立てるかどうかわかりません」と慎重な返事をした。それはわたしの頭が固いわけではなく、「マーケティング」に関してはそれ専門の先生の100分の1も恐らく知らないだろうし、そんなで人様の役に立てる話ができるはずないからだ。かつ、リーダー教育で社会の幸福に資する仕事を本来できるはずのわたしが、専門外のことでしゃべって無様な失敗をしたら「後がなくなる」からだ。そして案の定、その機関の事業部の方も筋違いだと断ってきた。

オファーをしてきた本人は、
「せっかくこちらで気を回して考えたのに」
と、恩着せがましくおかんむりだった。


 そういうあほらしいやりとりのさなかに間のわるいことに「隣の島の某魔性の女性研究者」の第2回会見というのがあり、「12年、1位輩出」の当社もそれで旗色がわるくなってしまった。わたしまで妄想的な人間とおもわれてしまった。”某機関”はこの女性研究者のことが大好きで上から下までなめるように扱っていたけどね。


 そういうわけで
「これは戦争だ」
「男が男であることを見せなならん」
と言って”某機関”にわざわざ出かけていった人物を討ち死にさせてしまった。
 不幸中の幸いなのは、ご本人が今もまだぴんぴんしていて、この屈辱的な一件のせいで憤死したりはしなかったことだ。

 ―わたしはわたしの側にたつ人に屈辱的な思いをさせてしまう罰当たりな人生を送っているのだろうか―
 

 その過程では色々不愉快な押し問答があり、たしか一度

「これ(承認研修)は”夢の技術”なんですよ。STAP細胞なんかよりはるかに沢山の人を幸せにするんですよ」

とわたしが言い、

「正田さあん、そこまで言うと僕、ちょっと引いちゃいますよ」

と先方の人物が言った。

 なんというか思考がとても表面的なのだ。
 なんというか
「仕方ない、読者とか視聴者はこの程度のレベルなんだから」
とレベル調整する、その調整した先のレベルに自分自身がなり切っている感じだ。
 

 こういうことも記録しておこう。



****


 そんな、「12年1位」「年間業績向上事例8例」という実績と、幸福になる当事者ではない官僚的な人々の無理解のギャップのあまりの大きさに、今年前半は気分的には「どん底」だった。


 それが5月下旬にパブラボ社の菊池社長との出会いがあり、そのあとも紆余曲折あったが何とか『行動承認』の出版にはこぎつけた。あえて割愛するけれどそれまでにも本当に色々あり、よく自分の意志が保てたと思う。ごく一部の理解者が励ましてくれたことに藁にもすがる思いだった。


 
 出版したあとも身内や地元の反応は様々だった。素直に「凄い本だ!」と反応してくれた人もいたが、目立ったのはむしろ既知の人たちの「依存」や「マウンティング」―立派な本を出して有名人におなりになったんだから(注:まだ全然そんなものになってない)これぐらい言ってもいいでしょ、と公開の場で侮辱する、貶しめる。あるいはだらんとだらしなく甘え、社会人としての規範の行動がとれなくなる。こんなことは過去7回事例セミナーをやって初めてのことで、「人の質」全体がそれだけ落ちているのだ。


 そして、圧倒的な良いものと自分が幸運にも出会えて、手にしているんだということへの感謝の念がない。「この教育」のお蔭で表彰されたとか、会社の経営と自分の生計が辛うじて「この教育」で維持できている、という人にしてからが。
 わたしはこれまで自分自身に「ナルシシズム」に陥ることを禁じてきたし、自分に対する感謝や敬意をひとに強制したりすることもなかった。しかし恩恵の程度によっては、「感謝しない」というのはやはりそのひとの生き方としておかしいのではないか、と思うように今年はなった。

 以前にも書いたが、「感謝しない」は「依存」のサインだ。

 そして何に感謝すべきなのかというと、「メールいただきありがとうございます」みたいな些末なことを要求しているのではない。
「この配慮にみちた精巧な教育プログラムを作ってくれてありがとう」
「私に施してくれてありがとう、そこまでの営業プロセスまで含めてご苦労さまです」
「その後もずっと経営努力により維持してくれてありがとう」
「ずっと追加の情報提供をして教育してくれてありがとう」
なのだ。

 教育に対して感謝をすると、追加のコンサル料を請求されるのではないか、請求されるとイヤだから感謝の言葉を述べない、というのも、人として情けない、みみっちい考え方だ。そして人生の恩恵の収支が間違っているのだ。
 わたしはつねにこのブログ上でもだれかに感謝の言葉を述べ、「感謝する」ということについてのモデリングをしているというのに。そこから何も学べないのだ。
 そういう人は今後はもう「この教育」の恩恵を受けないでいい、儲からないでいいとまじめに思う。


****


 わたしの側に立って発言する人が屈辱的な思いをしないで済むのかどうか。

 『行動承認』出版後、この本をフェイスブックで写真やAmazonのリンク入りで紹介してくれる人が、とりわけ現役の経営者やマネジャーで続々現れた。

 都度感謝の言葉を述べながら、今年前半のことがあるから、いつもその人たちの「傷」にならないで済むように、とヒヤヒヤしてしまう。


 そして、無名ではあるけれど優れた動体視力と研修というものや経営現場への洞察と言葉の力により、わたしの研修講師ぶりを証言してくれた人。(彼ひとりで事例セミナーで出来なかったことをやってくれた)
 それに有名ではあるけれど自分の名誉の一部を使って本を紹介してくれた人。


 その人たちに幸ありますように。

 来年はもう少しこころの美しいひとが増えていて良いことがありますように。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 このブログには結構「はしたない」ことをこれまでにも書いていて、わたし自身今後嫁に行く予定はないのでええかと思うのだが、

「某女性(元)研究者」

のこと。


 なんであの女性に今年、日本中がトチ狂った状態になったのだろうか…。


 わたしも実害を受けた側なのであんまり今でも冷静になれないかもしれないのだが、一時期はこの女性のことをちょっとでも悪く書いただけでフェイスブック友達もギャーッとなったのだ。
 多少は沈静化したので、本音を書かせてもらってもいいのではないかと思う。

 世間がなぜコロリと騙されたか。今の時点でわたしが想像する要因は4つほどある。



 1つ目には彼女のビジュアルのもつ説得力というもの。


 とりわけ4月初めの2度目の記者会見のときの、紺色のしゅっとしたラインのワンピースの選択と、そのワンピに見事に合ったプロポーション。会見では上半身が映るが、頭の大きさと首のラインと肩幅のバランスの良さ、それに胸からウエストにかけてのラインの美しさ。


 そしてお顔のほうは、わたしはあんまり美しいと評価していないのだが、あどけなくて一重瞼の目尻の垂れ具合がちょうどいい。唇は小さく、真ん中部分が程よく分厚くてチャーミング。


 そんなふうに見事にポイント、ポイントに「キレイ」と「カワイイ」の要素が入っている。よくまあ神様はこんなのデザインしたものだ。

 単にキレイ、カワイイというだけではない。彼女のプロポーションにはどこか、「これは高度に理知的な人なのではないか」と思わせるものがあった。

 最近ネットに彼女の研究ノートと称するものが出回っていて、それをみると「なんだこれ、JKでもこんな酔っぱらいのたわごとみたいなことは書かない」というものなのだが、しかし知性がそこまで崩れている人については、わたしたちは自動的に、食生活も崩れているのではないか、拒食だったり過食だったりしてプロポーションも崩れているのではないか、と頭の中でつなげてしまうところがあるのではないかと思う。
 30歳でプロポーションを完璧に保っている人物は、とりわけ研究者なんていう体を動かさない不健康な職種の人でそうならば、かなり知的レベルの高い自制的な人なのではないかと思ってしまう。
 でもそういういわばヒューリスティック(自動思考)には当てはまらない人なのだ。


 2つ目には、口頭コミュニケーションの上手さ。しおらしい言葉の選択や、辻褄合わせの上手さ。不合理な点にも顔色ひとつ変えず理由を述べられる。


 3つ目には、以前にもこのブログで触れた、「可愛い」と「可哀想」カードを見事に使いこなしていること。1回目の会見では前者、2回目では後者。

 とりわけ「可哀想」はわが国では最強カードなのだと思う。というのを「保育所にやるのはかわいそう」の話の中で書いた。このキーワードを言えば、誰もが「自分はいい人だ」気分になれる。いわばナルシシズムを満たすことができる。他人ともなんとなく連帯できる。「可哀想」を上手く使えば、日本人に戦争だってさせられるんじゃないかと思う。

 それを30歳にして自己プロデュースで見事に使いこなしているから本当、只者ではない。



 4つ目は本人要因ではなく、直前の2月のソチオリンピックの影響というのを考えてみた。

 やっぱり真剣に頑張るアスリートの姿というのはみているとこちらも鼓舞されるから、わたしもこのブログで「羽生結弦くん」について思い入れたっぷりの文章を書いたこともあるし、とにかく無条件にTVにアップで映るアスリートたちの姿や顔に感情移入していたのだ。ほとんどの日本人はそうだったと思う。

 それと同じことを、「女性研究者(当時)」にも無意識にやっていたのではないかと思う。何の疑いもなく。




 いえ、今書くことに深い意味はないんです。一度書きたかっただけです。
 いいです、「意地悪ババア」って言われても。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 これも今年、奇妙だと思い記憶しておいたこと。
 自分の備忘録のために書いておきたいと思います。


 研修講師をしていると、「本番」が仕事のメインである。研修時間、セミナー時間、イベント時間…。なのでここで使う「本番」はそういう意味だと思ってほしい。


 「本番」の中で、講師のわたしが
「お時間押しています」
「急ぎ目にお願いします」
と、声をかけると、急ぐどころか逆にのろのろしてしまう人がいる。


 今年3回ぐらいの「本番」で経験した。


 今の時点で思うことは、恐らくそれは「固定観念(≒性差別)」のなせるわざなのだ。
 要は、「お母さんとの関係性」を再現しているのだ。


 時間というものは時間管理の先生にきくまでもなく、だれもが等しく持っていて、しかし失ったら永遠に失われる有限の資源である。そして、ある程度地位の高い人なら、「この失った時間は時給換算でいくら」と気にしなければならない。


 ましてや「本番」の時間の中でそれをやるのは…、


 みていると、急かしを入れられて逆に「のろのろ」してしまう人は本当に無意識に、自然な身体反応としてやっている節がある。理性でやっているわけではないのである。


 推測だが、それはその人の幼少時からの「お母さん」との関係であったり、現在の「奥さん」との関係なのである。


「早くしなさい!!」

と、お母さんが毎日何度も急かしてきた。

 男の子がある年齢になると、「ババア」とうるさがりながら、一方ではお母さんの急かしを自分の時間の符牒とし、急かしが入ると面倒臭そうに身体を動かす、ということをしてきた。

 かつ、そこにTAでいう「ゲーム」が入ってくる隙もあるだろう、と思う。
急かしというストロークが欲しい。ついでに相手のイライラした感情も自分にとっての栄養になる。要はねじくれた承認欲求である。

 とりわけADHD傾向のある子供だと、急かされる場面は多いし、急かされることで自分で時間を管理することをますますサボる。そして自分が叱られることでやっと正しく行動できるのであっても、一方で叱られたことを恨む。恨む気持ちから、わざと逆らう行動もみせる。急かされても急かされても動かない、最後は相手(お母さん)が切れてヒステリーを起こすのを待つ。

 ヒステリーを起こすと
「ほらみろ、ヒステリーババア」
と見下す。そこで「怒った相手」の負けだ、自分は勝った、と居丈高になる。


 わたしもそうした思春期の男の子の「依存と見下し」の入り混じったバカバカしい心理を散々経験したので、わたしとの関係性の中でそういう心理に陥る人、というのもみているとわかる。


 急かされたら、言われたとおり急いで動く。スピードアップする。
 だって時間は待ってくれないのだから。それはお母さんがどうこう言うのとは別の話なのだから。
 それがわたしから「ADHD傾向の思春期の男の子」とみなされないための処世術である。


 これも冒頭に書いたとおり自分の備忘録のために書いているので、くれぐれも直近のやりとりのある皆様は自分のことだと思われませんように。



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 体調を崩しているのでやめた方がいいかもと思いながら引き続き「研修副作用」の話を。


 数年前に「NLP(神経言語プログラミング)」というのが、「コーチング」よりもっとディープな心理学として流行りました。

 
 当ブログでは何度かこれの問題点についても話題にしてきました。

 代表的なのはこちら


上から目線を喜ぶ人々―コーチングネガティブキャンペーンへの反論

http://c-c-a.blog.jp/archives/51859011.html


 要は、NLPはエリクソンという不世出のカウンセラーの行った技法を再現し習得可能にしたもの、という触れ込みでしたが、それは

「あなたもイチローになれる!」

というのが嘘くさいのと一緒なんです。

 心理学の基礎訓練を受けてない人に、心理学界のイチロー並みの人のやることを「短期集中講座」で習得できるかのように煽る。

 
 かつ、野球より心理学のほうが「たちが悪い」というのは、それが他人様の心をいじくる方法、とりわけ上司部下関係で使う場合には立場の弱い部下の心をいじくることになるからです。


 NLPもいくつか前のコーチングの某流派と同じで、よりどぎついもの、きわどいものが好き、という価値観の人たちに好まれるところがあります。

 とりわけ、「某流派」と類似しているのは、「恐怖症の治療」という、心理学の専門家にとっても最もディープなことをやらせることです。

 「某流派」が「恐怖症」を扱うやり方は、「エクスポージャー」とか「フラッディング」という手法で、オペラント条件づけも属する行動療法の中の最もディープなものです。当然、熟練したカウンセラーしかやってはいけません。でないとクライエントを傷つけてしまうおそれがあります。

(最近この件でカウンセラーさんとお話する機会があり、これらの手法は時間がかかるわりにあまり治療効果がない、またわたしが実感したとおり情緒不安定になりやすい、ということでした)


 NLPでは、恐怖症を「タイムライン」と呼ばれるやり方で取扱います。

 ある時期NLP流行りのせいであまりにも上から目線の人に出会って鬱陶しかったので、わたしは2008〜09年、不承不承NLPのセミナーに通い一通りのワークを体験しましたが(ので一応マスター・プラクティショナーの資格も持っていますが表示したことはない)、
 正直言って「タイムライン」というやり方で恐怖症が治るとは思えなかった。周りの人が「治った」と言っていたり「個人契約のNLPコーチングを受ける」と言っているのが不思議でした。

 どのみち治るにせよ治らないにせよ、素人が他人様のそこまで深い部分の心をいじくることは「危険」です。

 
 ―現在は「EMDR」という心理学の最新のトラウマ治療の手法は信頼できると思い、人に勧めたりしています。これも選ぶのは自己責任でお願いします。わたし自身は自分がこれの施術者になることはありません―


 ともあれわたしはNLPは素人が行ってはならない領域を犯しているものだ、と当初から認識していたし、一通りの訓練を経験したあとも資格を表示したりはしていません。


 「承認研修」の中では、「行動理論」の説明の中の「レスポンデント条件づけ」のところでこれは恐怖症の治療に使われる、職場のマネジャーさんが使うものではないから説明は割愛する、とお話します。


 2007年、武田建氏の大学院の講座を聴講して同氏がレスポンデント条件付けの「脱感作療法―恐怖症の治療法にもつながるもの―」をやるところにも立ち合いました。1人の院生さんが暗示にかかったようになって倒れてしまいました。


 わたしがセミナーでそこの部分をやらないからと言ってNLPの先生に比べて「劣る」先生だと思わないでくださいね。ああこんなことクギをささなきゃいけないなんて。

NLPが鬱陶しかったのはそれ以外にも、カタカナの心理学用語が頻出し、「ペダンディック」「スノッブ」と形容したくなる「上から」ぶりだったせいもあります。武田建氏の「コーチは選手にわかる言葉を使わなければならない」とは対局にあるものでした。

 
 思うのですが、良識ある研修機関が「それはやってはならないことだ」と、やるのを避けていることを、あえてやることで新規性や奇抜さを売り込もうとする研修業者は、絶えず出るのだろうと思います。

 そして購買側にはそうと見抜くほどの知識は、ないです。(「知識」と言うにとどめておこう。。ほんとは「見識」って言いたい)

 どうしたらいいんでしょね。
 被害者は現場のマネジャーや、部下たちです。




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 「女性活躍推進カフェ」を開催し、ブログアップした今の時点の感慨です。またこれまでの経緯のふりかえりも交えながら―。


★これまでの取り組み〜スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回〜

★参加者への事前の意識づけ

★公正ファシリの努力

★ブログ文体のユニセックス化

★初の正田以外の人の主催の試み


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★これまでの取り組み、 スウェーデンカフェ2回、女性カフェ1回


 よのなかカフェでは、5年・41回にわたる歴史の中で、「女性活用」に関して繰り返し対話を重ねてきました。


「女性に『働いてほしい』(行政)されど事情は。。 女性活用カフェ開催しました!」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51673959.html

「責任と決断の根づく人びとが作る社会 よのなかカフェ『日本はスウェーデンを目指すべきか』開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51733243.html

「議論、透明性、そして信頼―よのなかカフェ「日本はスウェーデンを目指すべきか?福祉編」開催しました 」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51766547.html


 このほか「男性」を問うたものとして、「男のプライド」というタイトルの回もありました。

「リツイート感謝。団塊の世代価値観を問う「男のプライド」よのなかカフェ」

http://c-c-a.blog.jp/archives/51753490.html


 このたび2014年12月4日の「女性活躍推進カフェ」は、それらに比べても出席者の少ない、司会を入れて5名のカフェでした。

 
 わたしの体感値としては、「女性」に対する見方というのは安倍さんをべつとして「冷たく」「悲観的に」また「悪質に」なっているように思えます。

 安倍さんが先走りすぎて「浮いて」いるんでしょうか。現実がまったく追いついていない、むしろ足が止まっているような気がします。わるい前例がどんどん作られているような気がします。


 一過性の瞬間風速的なものでなければよいが、と思います。

 もちろん参加者からも出たように、「この問題は息長く取り組まなければ」というのは大いに同意するところです。人気がないテーマだからやらない、というのは間違いであろうとも。
 何しろ、「人類の半分」に関するテーマなのですから。


****

★参加者への事前の意識づけ


 よのなかカフェでは日頃冒頭に簡単にルール説明をします。

「大いに話し大いに聴こう、90秒ルール、挙手して発言」

 ふだんはこれだけで済んでしまうのですが、今回は開催数日前に参加予定者にもう少し詳しい事前の意識づけをしました。
 それもNPOの会員が多いので「内輪」の口調でかなり厳しく―。

 いわく、一々立って発言しない。立つと時間のロスになる。かつ、立つと1人の人があれもこれもと何項目もしゃべってしまうことにつながる。90秒ルールで1回1項目。自分の発言に他人が反論や質問をできるよう、フェアプレイをすること。
 自分の言葉で話す。事実・感情・行動。
 よそから引っ張った知識情報については情報の信憑性がわかるよう「出典明記主義」。


 とりわけ、「男性、女性」の間で「フェアプレイ」の感覚が崩れやすく、それも男性側から崩しやすい。

 日本の男性の女性に対する「甘え」はかなり根深いものがあり、それについて数か月から数年に1回、かなりきつい形で釘を刺さないと正常化しません。

 その「釘をさす」行為をみて、「正田は人格の悪い女性だ」と思われるなら、それも致し方ない、多少痛みを与える形で言わないといけないしそれでやっと正常化する、とこれまでの経験で思います。


 今回はお客さんでありながら参加前にいきなり冷水を浴びせるようなことを言われましたが、当日はみなさんこれらのルールをよく守り、発言してくださいました。「強い」みなさんでした。


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★公正ファシリの努力


 このたびの「女性活躍推進カフェ」は正田がファシリを務めました。

 
 長いよのなかカフェの歴史でみると、ほかの人にファシリを任せた時期もあります。ところが、任せたその人のファシリに問題があった、とりわけ「男女間の公正」という観点でみて問題があった、というケースは多かったです。結果、また正田がやるように戻しました。


 これまで41回、述べでなく実人数で正田以外にファシリを務めたことのある人は男性4人、女性1人。このうち男性2人は残念ながら「問題あるファシリ」でした。男女に公正に発言機会を与える、ということができていなかったり、あるいはファシリとしては禁じ手の、「この問題について女性はいかがですか?」「○○さん、女性ですけどこれについていかがですか?」という、人ではなく属性で呼ぶということをやってしまいました。

―「女性」を期待して人に発言を求めると、人によっては「女性」イメージから逸脱したとんでもない骨太の考えをもっていることもあるので、ファシリの目論見が見事に外れるときがあります。逆に他人の期待に応えようとするタイプの女性だと、「女性」イメージに合わせようとして自分の言葉でなくなってしまうおそれがあります。―

 こうしたことについて厳しく釘をさしたあと、やめる人はやめてしまい、そこから学習した人はちゃんと問題のないファシリができました。
 こういうのはもうコーチングより「躾」とか「徒弟制」なのだと思います。
 講師業もそうですがファシリテーションもやりながら失敗して学ばないといけない。失敗したとき「自分は失敗した」と痛みを味わう強さのある人でないとやってはいけないのだろうと思います。


 「女性1人」は実はうちの不肖長女19歳(当時)でした。これはまあ心優しい参加者のお蔭でもあるのですが、ちゃんと公正なファシリができていました。

 ―いささかそこは自画自賛ぽいですが、日頃日常生活の中で厳しいおかんの立居振舞をみていると、「公正」とは何かということは自然と学べるのではないかと思うのです。それも含めあまりにも多くの暗黙知を学んでもらわないといけないので、「徒弟制」ということを最近言うようになっています。
 今後は、だれかにファシリを任せた場合はその直後に「反省会」をしよう、嫌なことでも失敗から学ぶ習慣をつけよう、と思ったことでした―

 
 
 今回のカフェで最年長・男性だった一郎さん(仮名)にその後、参加のご感想を伺いました。

「公正ファシリについての感想ですか?ぼくは自分の職場では、やっぱりあんな風に会議をしています。みんなよく積極的に意見を言ってくれてです」
「自分が『男性、最年長』なのに優遇して発言時間とか機会を割り振られなかったことについてどう思うかですか?いや、ぼくはそういうのは別に感じません。むしろ発言しすぎだったんじゃないかなあと帰りの電車の中で反省してましたから」
「これまでのよのなかカフェでは確かに、男性の発言マナーの問題はありましたね。高齢になってくると、話にストップがかからなくなるんです。そうならないように自分はしたい、と思いますけど」
「ぼく自身はどんな状態で臨んだか。リラックスしてました。心地良かったです(たぶん、お世辞で言われてるのではないだろう、というのはいっぱいご発言いただいてましたから^^)」


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★ブログ文体のユニセックス化


 1つ前のよのなかカフェ詳報記事で心がけたのは、「だ、である」と「です、ます」の文体の配置です。

 近著『行動承認』でも書いたように、「だ、である」は男性、「です、ます」は女性、というイメージがあります。もちろん女性も論文や記事では「だ、である」で書いたりしますけれど。

 今回のように男性女性入り混じった会話を再現するとき、ともすれば流れがちなのは、男性が「だ、である」で語り、女性が「です、ます」で語っているように文を作ってしまうことです。

 それをできるだけ排除することにしました。
 
 男性、女性とも丁寧語で「です、ます」を基調に。
 ときおり1人の人でも考え込みモードで話しているようなとき、「・・・と思う」というような「だ、である」文になることがありますが、それを男性に偏らないように気をつけました。男性でもたまに「だ、である」が入るし、女性にもたまに「だ、である」が入る、というように同じ比率で入るようにしました。

 そんなちまちました配慮をしているのですが、お気づきになりましたでしょうか。

 意図としては男性、女性で言葉の重みの印象が違わないようにする、ということです。


****


★初の正田以外の人の主催の試み


 今回は、NPO法人企業内コーチ育成協会としても「よのなかカフェ」としても初めてのことがありました。

 「言いだしっぺ」が正田以外の人であり、その後も内部ではその人が主催者、という形にしたのです。
 外にはお名前を出しませんでしたが、内輪ではその人が開催案内のメールを出していました。議論のたたき台となるデータも準備してくれました。
 それが「恵理さん(仮名)」であります。

 よその団体では当たり前にそういうことがあるかもしれませんが、こんな簡単なことがこれまで出来なかった。
 「女性の正田さん」「コーチング」「承認」
 これらが、「やっぱりやめますー」と責任放棄するための言い訳に使われてしまうのです。
 とりわけ「コーチング」というのが、イコール「あなたはどうしたいですか?」と問いかけることだと理解され、次いで「自分がやりたいことをする。ちょっとでも疲れたりやる気が下がったらやらないでいい。」という誤解につながります。

 そういうことは、結局メンバーが幼児化、退化してしまうことにつながります。あるいは、「憩いの場」「癒しの場」と位置づけ、どんどん場の質が下がってしまいます。


 自分が言いだしたことの責任を最後まで全うする、ということの最初のお手本となっていただいたのが女性の恵理さんだった、というのも興味深いことでした。


****


 これは1つ前の記事をまとめながら湧いた感慨なのですが、
「かわいそう」
という言葉が、錦の御旗なのだなあと。
 子供を預けてはかわいそう。それが女性の再就職を阻んだり、当の女性が家庭にとどまる言い訳になったりします。

 で、なんで「かわいそう」がこんなにパワーのある言葉なのだろうか?と考えてみたとき、
 
 ひとつの切り口として、「かわいそう」は「かわいい」と密接につながっている。

 順序からいうと、「かわいそう」が先に出来て、それが「かわいい」の語源になったらしい。哀れだ、不憫だ、という言葉からかわいいができた。「愛すべき」の意味の「可愛い」という表記になったのはそのあとらしいです。


 ということは、野垂れ死にした子供、飢え死にした子供の哀れな姿、憐れむ心、が先にあって、そこから「かわいいなあ」と今を愛おしむ言葉や概念ができたのでしょうか。


 どこまでもネガティブ日本人。


 そして、想像ですが可愛い赤ちゃんを目にし、その可愛さがいつまでもとどまりますように、という思いがわくとき、わたしたちは同時に「かわいそう」が出てくるのかもしれません。

 「可愛い」⇒「こんな可愛い子を自分で育てないなんて可哀想!」
 
 なんか、他国の人と違って自動的にそうつながっちゃうのかもしれません。
 
 まあこのへんは全部想像なのですけどね。

 そうすると、そのイメージがすぐつながっちゃうのを何とか切断しないといけないのかもしれません。

 保育所で幸せに育っている子供さんのイメージをどんどん宣伝するとか。

 ただ今どきの待機児童解消政策で大急ぎでつくった保育所での保育の不備などが明らかになると、とたんに「かわいそう」に逆戻りしちゃいますよね。


 このあたりは後出しジャンケンの余談でした。


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 よのなかカフェとは関係ないんですが、
 このたび『月刊人事マネジメント』2014年12月号(12月5日発行、1万部)に、近著『行動承認』を取り上げていただきました!

 
5月刊人事マネジメント


5月刊人事マネジメント (2)


 「あとがきのあとがき」という、著者自身が書くコラムのようなところです。

 11月の初め、まったく前触れなく編集部から「こういうコラムを執筆しませんか」というオファーのメールをいただきました。「企業の人事の人に語りかけるように」というオーダーでした。
 大変光栄なことでした。


 記事全文は、1か月ほど後にこのブログにも掲載可となるそうです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

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 「研修副作用」について書き始めてしまったので、もう一方の対極にいる「正しくないし、めんどくさい人たち」のことも書いておこうと思う。


 これはここ数日のうちに会った人たちとは何の関係もないことだけれど―、


 当協会のやっている「よのなかカフェ」では、何度となく「高齢者男性が正しくない発言をする」という現象があった。

 そのうちの1つの例は、去年の夏、「承認」をテーマにした回のもの。


 わたしが直前の製造業での「承認研修」前後の統計数字などをとりあげ一通り説明したあと、参加者には感銘の声もあれば、文脈に関係なくワークライフバランスについて語る人もいれば、反発して「お嬢ちゃんには現場に入れないよ(入りましたけど、直前の研修でも)」という声もあれば、


 そして終了まぎわ、ある70歳代の男性参加者が言ったこと。

「承認が作ったおかしな人格、その典型的な例が元首相のHYですよ」

 妙に確信をもって決めぜりふ風に。

 おやおや。
 HY氏は確かに変な人格だと思うが、わたしからみるとそれは「承認」とは別に関係がない。宇宙人のようなキャラと原色の変な色調の服、あれも「当事者の会」の人がみたらどうコメントするかなあと思うが…、
 たぶんに先天的なものだとわたしは思う。多少は甘やかされて強化されたところがあるかもしれない。そのことも、わたしたちの基準では「承認」とは言わない。


 でも、この根拠薄弱な変な発言が出たとき、その日の司会(これも70歳前後、男性)は「承認の権威、エキスパート」であるわたしにコメントを求めず、時間切れとしてよのなかカフェを終了してしまったのだ。

 結果的に、「HYのおかしな人格は承認が作った」という根拠薄弱発言が、その場全体の決めぜりふのように印象づけられてしまった。わたしからみると50歳女性のわたしの出すエビデンスに対する悔し紛れの捨てぜりふに過ぎないゴミ発言が。


 高齢者男性は往々にして間違ったことを言うし、言ってしまったら引っ込みがつかない。そのめんどくさいプライドを尊重すると、場全体が間違ってしまう可能性があるのだ。

 この回のよのなかカフェは「疲れた」ので、とうとう詳報を上げなかった。


 これはあくまで一例で、よのなかカフェはそれまでにも、団塊世代の男性の発言内容や発言マナーがあまりにひどいので、一時期「60歳以上お断り」にしてしまったことがある。

 ―彼らはバブル期の営業方法を身につけているので、権限をもった立場の人に媚びを売って楽しい会話をするのはやたらと上手いかもしれない―

 現在は「人を見て」門戸を開けている。



 さきほどの根拠薄弱発言の人は論語などを教えるその地域の「先生」だったが、それである程度見識のある人かと思って参加を許可したのだが、それでも「50歳女性の正しさ」の前には、そういう態度をとった。

 彼らは、正しいか正しくないかより、自分の優位を示したい一心で正しいことを言う人と違うことをあえて言うことがある。同意すべきものに同意せず、向こうを張る、大上段に。要はマウンティングが目的の発言、ナルシシズム発言なのだ。


 
 もちろん高齢者男性みんながそんな人間なわけではない。女性差別と高齢者差別、どちらも良くないことだ。
 ただし、世間にまかり通っている常識というか迷信というのは、「高齢者のほうが正しく、50歳女性の正田はそれに比べて正しくない」というものだ。


 わたしはこれまでの経験上思うけれど、「高齢者男性」と正田、もし意見対立が起こったら正しいのはおおむね正田のほうだろうと思う。正田はそもそも自分のよく知らないことについては「聴く」「学ぶ」「教えてください」というスタンスをとるので、対立自体が起こらない。

 逆に、正田が確信をもって「それは違います」と言ったら、かなりの確率で正しいのは正田のほうだ、自分の専門分野については誰よりも緻密に正確にみている人間だから。だからこそ「12年1位マネジャー」を作っているのだから。


 だから、恥をかかないでおこうと思ったら、高齢者男性も正田の専門分野に関しては素直に頭を垂れて学んだほうがいいと思う。自分の知らないこともあるのだ、と知ったほうがいいと思う。

 くれぐれも、正田のブログで読んだ知識を使って、当の正田先生に説教しよう、なんていう混乱した行動をとらないように。



****


 「真摯な人」は瞳孔(黒目)が大きくなる。

 カラコンなどでごまかせそうだが、1人の人の経時的変化をみる、というお話。
 
 難しい計算問題をしているときの人の瞳孔の面積は、ふだんの時より50%大きくなるという。

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51849252.html

 わたしがある人を「真摯だ」と判断しているとき、やはり黒目の大きさ(1人の人の中の変化)を無意識に参考にしていると思う。

 たとえば直前にわたしのやっている分野に関する面白おかしい新聞記事を読んだり話題にした人は、黒目の大きさがそれまで見慣れた大きさより小さくなる。それは、「知ってるつもり」になって、「ふん、この人のもってくる話題に関してはこの程度しか考えなくていいな」と、「認知的負荷」を無意識にケチるからだ。

 そして会話の質は低くなる。よく考えずに「反応的」に出て来た言葉が多くなる。話題への集中度合いが低くなる。


 申し訳ないがやはり貴重な時間を有効に使いたいので、目の前の人の「真摯さ」を、会話の推移と黒目の大きさを基準に判定したいと思う。


 なぜこの問題が致命的になりやすいかというと、正田のやってることというのが、恐ろしく大きな波及効果があり、それを意図して恐ろしく緻密な仕事のやりかたをし、要は認知能力をフル稼働しなければ行うことも理解することもできないことをしているからである。認知的負荷をケチった状態で理解できることではない、TV番組の「ネタ」レベルの話ではないのだ。




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 キヤノンの御手洗冨士夫・現名誉会長の有名な言葉で、「公正と平等」というのがある。

 同氏によれば、「アメリカは公正を重んじ、日本は平等を重んじる」。


 公正というのは、よりよいもの、大きいもの、優れたものが高く評価されること。オリンピックでより速い者、優れた演技をした者が表彰されるのと同じ理屈だ。
 それに対して平等というのは、中身に関わらず同じ扱いをすること。


****


 「研修の副作用」という言葉は、今よりも2008年ごろにこのブログでよく書いていて、いささか「はしたない」話題なのでできればあまり取り上げたくない。でも、繰り返しクギを刺さないと身内でも間違いが出るし、ましてその他の人は恐ろしくこの問題に無頓着だ。


 以前1−2回話題にしたことがあると思うエピソード。

 コーチングのある流派で、質問者が相手の「感情」をぐりぐりいじる、というのがある。「あなたはそれについてどう感じていますか?」「どんな気持ちですか?」という問いをたたみかけて繰り返して、さいご相手を泣かしてしまうところまでやる。泣くと多少カタルシスになり、今どきの研究によるとストレスホルモンを体外に出してすっきりした気分になる。

 そういうのは了解を得たうえで個人契約のコーチングでだけやるものと思っていたら、職場の上司部下間でそれをやれ、と勧めるその流派出身の講師がいらっしゃる。


 わたしは一番最初、旧CLS(任意団体コーチングリーダーズスクエア、現NPOの前身)に出入りしていた女性管理職からそれをきいた。彼女はラインマネジャーで、わたしをその会社の研修担当(女性、独身)に売り込んでくれたのだが担当者のお気に召さず、結局その会社の研修として採用されたのはその「泣かすコーチング」の講師だった。


「わたしたち、研修以外に個人コーチングを受けて泣かされるの、その人に」
 女性管理職は涙をためて言った。
「ああ、また、と思うんだけど、手の内はわかっているけど毎回泣かされてしまうの」


 うーんなんでそんなヨロメキ調のものをそもそも「コーチング」っていうかなあ。わが社は禿頭の武田建のおっさんの方式だから。


 そして、「当社方式」のもとで凛としたかっこいい女性だった彼女はわたしからみて情緒不安定になり、さいごは問題行動を起こして団体を去っていった。


 心理学的にディープなものであればあるほど良いと思う感性というのがあるようだ。ストレングスファインダーでいうと「○○○○」の一部の人かな。先日「ニンフォマニアック」という映画も観たけれど、人の個性オタクのわたしはこの映画も「○○○○」の人の物語として観てしまった。よりきつい刺激、きわどい刺激を求めてしまう感性。わたし、それはないんです。あ、あとこのタイプの人に「SM趣味」もよくあります。
 残念ながら研修の購買を決める立場の人と新聞記者にそのタイプの感性の人が多い。


 「承認」はドラスティックな効果が出る割には、心理学的にはごく「浅い」ことをやっている。だから心理学の基礎訓練を受けていない大方のマネジャーが実践しても害がほとんどない。



 その次にきいたのは、某公的機関が主催した介護職向けコーチングセミナーにその同じ系統のコーチングの別の講師が起用され、あれれ、と思った。ただわたしがどうこう言うことではないので静観していた。

 すると2年ほど後、ある介護職の人からきいたのが、その講師がそのセミナーをきっかけにある施設―わたしのすぐ近所のところだ―の施設長に気に入られどっぷりその施設に研修とコンサルティングで入り、例の「泣かすコーチング」をやりそこの管理職にも部下に対してそれをやるよう勧め、どうなったかというと離職者続出だというのだ。

 わるいことにご近所なので利用者側からも話を聴くことがある。やはり人の入れ替わりが激しく、若くて頼りない職員ばかりだという。


 そういう結果になるのはみる人がみれば火をみるより明らかなんだけど。素人には判別がつかない。そして公的機関の人にも。
 そこで働いていた人にとってはなんと晴天の霹靂の、研修副作用による被害だろう。自分の職場で感情のプライバシーが守られず泣かされ、離職せざるを得ないというのはなんと罪深いことをしているのだろう。


 そういう状況に憤りを感じるのはわたしが怒りっぽい性格だからだろうか。
 いや、わたしはこういうことに腹を立てる自分がそんなに嫌いじゃない。


 わたしは腹を立てたり「危機だ」と思うと、むしろ感情が無くなって、「対策」を考える癖がある。そういうとき人からみると結構凄味のある顔をしているのかもしれない。


 自分のできることでいえば、このところ「コーチング」という言葉を表向き言わなくなってきているし、こんどは団体名から「コーチ」という言葉を外すことも考えている。



 なまじ医薬翻訳者出身なので「副作用」「有害事象」「長期毒性(慢性毒性)」ということに神経をとがらすほうである。前にも書いたように当協会方式で「12年1位マネジャー」が出るのは、効果発現メカニズム自体も正しいが一方で慎重に副作用を見極めて潰す作業をしているお蔭もあると思う。「うちの業界」には、不思議とそういう感覚をもっている人が少ない。

 でも、医薬品に限らず「ものづくり」をしていたら普通に存在する思考法なのだ。

 研修業界には「思いつきの言い散らかし」もすごく多い、あとでちょっと考えると辻褄が合わない、というような。顔色ひとつ変えず自分でも信じていないことを断定口調で言えるのが「いい研修講師」の指標のようだ
 ―ただしラインマネジャーはそういう人の匂いはすぐ勘づくし忌避する、知らぬは担当者ばかりなり、である―



 先日このブログに悪口雑言書いていたさなか、東京でお会いしたある真摯なマネジャーさんに言われたこと。

「先生の(すみません、ブログで強要しているものだからこの人もつきあって「先生」と呼んでくれている)書かれていることは、実際にあるんだと思いますよ。だれかが言わないと気づかない。そういう勘違いをしてしまうものなんだと思う。本当のことを書くからかえって信頼されるのではないでしょうか」


 …わたしはちょっと天狗になって自分を甘やかすようになっているのかもしれない…



 ADHD的知性の人だと、ものごとの優劣の区別がつかずすべて同じレベルの情報記号として飛び込んでくる、という記述も一部の本にあるが、はて。

 今年は新聞記者等で「あなたとほかと同じでしょ?どこが違うんですか」という薄ら笑い交じりの言葉に何度も出会った。エビデンスを提示するたびに。どんなにエビデンスを提示しても、女性が提示するものは真実ではないと認識する。いわばわたしを嘘つき、法螺ふきと言っているようなものだ。立派な性差別である。

 行動承認で「あなたはずば抜けたエビデンスを作ってきた。圧倒的に質の高い仕事をする、力量のあるマネジメント教育者だ」と(エビデンスに基づいて)正しく言える人はいないなあ。


****


「アンガーマネジメント」という概念を、問題に対して「いいじゃないかそれぐらいハッハッハ」という形で使う人にも会う。問題を「あえて認識しない」というやり方、要はええかっこしい。たぶん営業では顧客の激怒に、ものづくりでは不良につながるだろう。顧客や製品に直接タッチしない部署ならそれでもいいだろうね、というしかない。そういう副作用があるだろうな。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 せっかくなので引き続き「マウンティング」について考えます。

 なぜ女のリーダー研修講師・正田が担当者のマウンティングで不当なめに遭いやすいのか。

 たぶん、「女」と「リーダー研修」「承認」それに「わかりやすい教え方」4つの要素すべてがそれの原因になりやすいのだと思います。


 まず、「リーダー研修」から。

 自社の経営者・管理職層の頭を改造したい。
 それは、「研修担当者」の立場の人のおよそすべてがもつ、不遜な願いであろうと思います。
 彼らは日頃経営者管理者にアゴで使われている。不当だと思うことも「御意!」って言って従っている。


 その経営者管理者たちを自分の思うように「改造」できたら。恐らくだれでもいちどは妄想するだろうし、とりわけ総務の席にいると社長・役員からアゴで使われたり叱責されたりする頻度は高いだろうと思う。

 かつ、スタッフ部門の人はライン部門の人にコンプレックスを抱きやすい。
 たまに人事がエリートコースだ、という会社もありますが、一番多いのはとりわけ製造業などで、「仕事できない」「モノづくりさせられない」「お客様にも接触させられない」とレッテルを貼られて人事総務等、スタッフ部門にいるケース。

 そういう理由の人事だ、とわかっている場合、会社のことも恨んでいるしライン部門に対してもコンプレックスを抱く。

 その心理がどうして正田に対するマウンティングになるのかというと…、


 「承認研修」でにっくきあいつらを改造して懲らしめることができる、と彼らは勝手に思う。するとテンションが上がってしまいそういう研修を企画担当する自分が一気に偉くなった気分になる。

 講師の正田は懲らしめるなんてつもりは毛頭なく、リスペクトのスタンスで、
「この手法を習得して実践していただいたら、皆さんも部署全体も幸せになりますよ」
と、教育するんですけどね。でもそれは修練を積んだからそういうこころの状態を保てるので、企画担当する方々は修練を積んでないので舞い上がってしまうんです。


 舞い上がると、自分をコントロールできなくなり講師のわたしにさえも見下しが出る。
 それくらい、彼ら彼女らは世間知らず身の程知らずでレベル低いんです。


 それがおおもとの原因で、プラスアルファ、内容が「承認」なものですからにわか勉強でその人たちも「承認」を勉強した時に、「承認欲求」が強くこみあげてくる。
「オレはあたしは偉いんだ、わからないのか!」
という状態になる。

 正田は「承認欲求について勉強するのは承認を与える側になるためですよ」ということを研修で言うけれど、近著にも書いてあるけれど、彼ら彼女らはそこまでわからない。危険な、人に与えもしないうちに自分の承認欲求が高くなる、という状態になる。

 ―以前人材育成会社に勤める知人が言っていたのですけれどそこの会社は仕事柄太田肇氏の「承認論」本がゴロゴロあるのだそうで、そして親会社からつかえないと判断されて出向してきた元々承認欲求の高いおじさんたちが喜んでその本を読んで、そして自分の承認欲求を正当化して手に負えなくなっているのだそうです―


 そして、承認欲求ってある程度高まると攻撃性に変貌するものなんですけれど、その攻撃性は、自分の社内の人に向けて出すとパワハラになったり上司に対する不敬になったりするものなので、どこへ行くかというと弱い立場である外部講師の正田先生に出る。


 で何も悪いことしてない正田が被害に遭う。ということになります。
 ああかわいそ正田先生。


 さらに正田が「女」だというので、担当者が男なら「女のくせに生意気だ!」というロジックがおっかぶさってきます。承認欲求と攻撃性が高まった状態の人に理性はないですからね。えと、あたし御社の皆様が幸せになるために仕事しに来ている人なんですけど。

 また担当者が女なら「あたしなんか組織の中で安泰に生きてるのよ!」というのを誇示するタイプのマウンティングをします。前の記事にも書いたように服装などに如実に表れます。ああ疲れる。


 もうひとつ、これも正田先生特有の問題なんですが、

 なにしろ恐ろしくわかりやすく要点を絞り込んで教えてくれるので、かつ一目でわかる資料作りなども受講生さんの習得のためにしているので、
 「コンテンツ盗用の誘惑」がすごく出やすいんです。
 一応資料に著作権の表示はしていますが、それでも盗みたくなる魅力的なコンテンツだと思いますね。
 なまじ習得しやすいので、習得するとこんどは教える側にまわりたくなります。

 それダメですよ、という意味のことをこのところ何度も書いているのですけれどね。話し方とか、全人格的なものまで習得しないと、教える側には回れません。

 コンテンツ盗用の誘惑にかられると、こんどは正田先生を一刻も早く追っ払いたくなります。
 あなたそれ犯罪ですよ。



 マンガチックですけれど、わたしが「承認教育」である程度の評価を確立した現在でもこうした問題が繰り返し起こります。人類の知恵でこういうの抑制できるんでしょうか。「この教育」を通じてしかつくりえない会社の巨大な幸せの世界があるんですけどね。

 誰か彼ら彼女らを何とかしてください。


****


 ふと思い出しました。
 不肖3人の子育てをしましたが、子育ての中で思いもよらないことを学ぶことがあります。その中の1つ。

 確か長女の小学校の入学式に保護者として行ったとき。16年ぐらい前ですね。
 子供たちが体育館での入学式から晴れて1年生の教室に入り、そして先に解散となり、保護者だけ少し残って担任の先生からお話をききました。

 そこで、
「担任のことは保護者の方々もおうちでも『先生』と呼んでください」
と言われたのです。
 当たり前だと思うか、ああそうか、と思うか。
 保護者は大抵もう30は超えているおっさんおばさんなので、先生が新卒だったりすると自分の会社の後輩みたいにみえてしまいます。すると自然、「さんづけ」で思ったり声に出して言ったりします。子供の前でも。
 すると子供はまねして先生を「さんづけ」で呼びます。アメリカ式に。

 だから、保護者が率先して先生を「先生」と呼ぶことが大人の知恵なんですね。たとえ自分より年下でも。


 これ、会社に当てはめるとどういうことが言えるでしょう。




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「マウンティング」という現象について、まじめに考えました。

 このブログにも少し前出て来た話題ですが、ちょうど今発売中の「週刊文春」の林真理子氏のエッセーにこの現象のことが載っていて食い入るように読んでしまいました。

 林氏の場合は出身地の山梨の同窓の先輩からの講演依頼に、すごく偉そうな口調で「マウンティング」が入っているのでお断りする、というお話でした。


 でわたしが経験したことも一緒だ、と言い立てるのは大人げない気もしますが、ことリーダー研修をしていると、かつ女性講師でやっていると、担当者による「マウンティング」に頻繁に出会ってしまいます。


 こういうことを書くと進行中の研修にアテンドしてくださっているNさんがまたプレッシャー感じてしまわれそうだけれど、彼は柔道有段者とかでガタイのいい人ですがいちどもこの「マウンティング」めいたことを感じたことはありません。いつもすごく講師のわたしを嫌みなく立ててくださいます。
 
 しかし一方には、「マウンティング」を戒めなければならないご担当者さんは残念ながらいっぱいいるのです。


 少し前に「マウンティング」に言及したのは、講師に対する「さんづけ」でしたかね。


 
 去年などは、女性の担当者も「マウンティング」をする、と驚きの目でみたものでした。


 例えば。

1)長期シリーズ研修の直接の担当になった女性(30代独身。なぜかこういう分野の女性担当者は「30代独身」が多い)。直接研修の採用を決めたのは彼女の男性上司(40代半ば、既婚)。
 
 彼女の上司はわたしのことを「正田先生」と呼ぶのに、彼女は上司のいないところでは「正田さん」と呼んできました。社内のリーダー向け研修告知を見せてもらうと、研修タイトルのみ掲載し、講師名、研修機関名はない。
これには「講師名や研修機関名も入れて告知して、興味をもった方がHPにアクセスできるようにするものですよ」と抗議しました(これ、当たり前のことなんですヨ)。
 全体として彼女の講師に対する「不敬」の態度が気になり、こちらから研修前日に注意喚起。「受講生の前では『先生』と呼んでください。また研修冒頭の講師紹介はしっかりやってください」というと、「はいやります」と答えました。
 どうもこの彼女は田舎の人にありがちな、地元の商工会議所でセミナーをやったコーチングの先生が世界で一番偉いコーチングの先生だと思うタイプの人だったようです。
 研修当日、ふたを開けると。自社の経営者・役員・部長層を前に、彼女は講師紹介を読み上げるが、カミカミヨレヨレ。実際に職位の上の人たちを前にして自分がどれほど緊張するか想像できなかったみたいでした。場の空気がだーっと盛り下がったところでわたしはしゃべり始めました。
 
 わたしなどは、と思います。今でも、経営者管理者の受講生たちを目の前にみて、足がすくむ思いがないわけではありません。彼ら彼女らのずば抜けた経験、知識、情報収集力、人への洞察力、批判的思考力、の前に身をさらしている自分。それでも、過去12年にわたる幸せな変化の経験から、今からわたしが話すことによって彼ら彼女らも幸せになると確信できます。多分次回会ったら、みなさん目元が少しずつ優しくなって、幸福のオーラを放っていて、そして業績向上の兆しが現場からみえていることでしょう。それはいわば、経営者管理者の長い人生の歴史との正面対決であります。30代、会社の中だけで過ごしてきた彼女には逆立ちしてもできないことをわたしはやれます。

 それぐらい「できること」のスケールの違う人に対しては、大人しく「先生」と呼ぶべきでしょう。

 この彼女が情けなくも失敗した回は長期シリーズの研修のキックオフで経営層向けの説明会のようなものでした。実際に研修を受けるリーダー層(係長級、30〜50歳)への研修の初日は、彼女の男性上司にバトンタッチして冒頭挨拶、講師紹介をしてもらいました。こちらもかなり緊張はされていましたが真摯なトーンで終始話をしてくれました。

 「自社を変える」ということの重みがわかってない人にはいい仕事ができないのでした。


2)これも去年、女性担当者がらみの例。
 ある経済団体でセミナーをさせていただき、女性会員が参加した。みなさん大変機嫌よく参加されました。
 数か月後、その中のある企業の人事総務の女性のところへ「あいさつ」に行きました。
 すると、その女性担当者が言うのに
「その後社内の女性活用度の統計調査をとりました。『承認』の概念も使わせていただきました。私たちの仮説で、『女性のほうが承認欲求は強い』との仮説に基づいて調査紙を作成しました」

 あ、ばっかだな〜。
 先生のわたしに訊いてくれれば、「承認欲求は男性のほうが強いです」と答えたと思います。まあ、そういう傲慢で無鉄砲な人間にかぎってわたしを「先生」とは呼ばないのですが。
 経験上、承認欲求は男性のほうが強いです。ただ、会社という装置は比較的男性の承認欲求に応えるようにつくられていて、昇任昇格も男性のほうが早かったりします。難しい仕事を与えられるのも男性のほうです。
 女性は承認があってもなくても下働きをこなしますが、あった方がはるかにパフォーマンスが良くなります。「承認」による伸びしろは女性のほうが大きいようです。
 「ベースラインの承認欲求が強いのはどちらか」といえば、強いのは男性のほうです。
 たぶん、彼女らは女性の自分の身に照らして「承認してほしいのに、されない」という実感から、「女性のほうが承認欲求が強い」と判断したのだと思いますが、それは単にセミナーによって「寝た子が起こされた」だけなのかもしれないのです。
 結局百戦錬磨の先生にきいたほうが客観的なところの答えを教えてくれるんですけどね。間違った仮説に基づいた統計調査がその後どうなったかはきいてません。ワケわからない結果になったかもしれません。
 
 そしてこの女性担当者は、いかにも「承認はわたしもう知ってます」と言いたげに、「(承認の)やり方については正田さんにお願いすることもあるかもしれません」と、いけしゃあしゃあと言ったのでした。
 「やり方については」だって。
 自分が数か月前、「承認」だけではない、正田先生の全人格的な、誠実さや温かい人となりや勇気、決断力などからいかに多くを学んだか、心動かされ「やろう」と思ったか、などを忘れ、普遍真理としての「承認」が正田先生の人格と別に存在しているみたいに思っているのです。そしてなまじ先生が超わかりやすく教えてくれたものだから、自分が「承認」をマスターできたのにまるで習得した自分が偉いみたいに思ってるんです。ああこんなことまで言わなくちゃいけないなんて。
 この人たちは、すぐ「コーチングスキル」とかいうバタ臭い言葉も使うのですが、技は精神と切り離してはありえません。それは12年教えて来たわたしの実感です。



 以上のように「女性担当者」で嫌な思いをすることは結構多いです。要は、今どきの「女子カースト」というやつで、流れ者の正田先生なんかより組織の中にいるあたしのほうが偉いのよ、というマウンティングをしたがるのだと思います。こちらからみると笑止で、あんたなんかどうせ組織の中で女子力比較されてびくびく怯えて生きてるでしょ、と思うのだけど。女の子でも、「マウンティング」というけだものじみたバカバカしい言葉が似合うことがあります。打ち合わせの場にやたら胸元の見えるカットソーを着て出てくるのとかもね。


 で、これはもちろん男性担当者にも大いにあることで、女性のことを先に言ったのは「女性だから女性とはうまくやれるでしょ」という思い違いがよくあって仕事の支障になるからであります。男性でも女性でも結局今時はマウンティングが多いのです。「自分は講師の先生より偉い」という勘違い人間が多い時代なのです。だから林真理子氏のコラムにも出てくるのです。

 
 大マウンティング時代。人前で話をするという因果な商売をしてしまったお蔭で(前著『認めるミドルが会社を変える』を読まれた方はおわかりのように、正田は決して好きでしゃべりの仕事をしているわけではないのですが)この「担当者のマウンティング」という現象をほんとにうんざりするほどよく見てきました。最近の事例セミナーでのパネリストのおかしな発言もその類で、「魔が差す」とはこういうことか恐ろしいものだなあ、という目で見ていました。「しゃべり」という作業が人を発狂させるのでしょうか。普通に考えて、たった15分のプレゼンもちゃんとできない人に講師をナメる資格はありません。

先に「柔道有段者」の話が出ましたが、マウンティングをするのは得てして、とても視野が狭く世間知らずで、他人の力量がどれぐらいかを推し量ることができず自分の力量がそれに比べてどれだけ低いかが見えていない、恐ろしくレベルの低い人種だったりします。


 正田はまた、打ち合わせの段階では別にオーラプンプンなんて出さない人間で、当協会理念のように謙虚に、他人をリスペクトする姿勢で打ち合わせに臨みますから、すごく「普通の人」っぽくみえていると思います。ただいざ受講生さんを前にしたら、腹をくくり腹式呼吸で発声します。温かく、リスペクトの雰囲気を失わないまま。


 今後も、偉そうにしたいつもりは毛頭ないですが、「マウンティング」の行動を警告するような文書をつくることは必要だな、とは思っています。それぐらい時代のレベルが下がってるんです。

 今年は「先生」と呼んでいただくことに注力するなど、「正田は偉そうだ、勘違いしている」と思われるかもしれませんが、逆に「さんづけ」をマーカーとした、担当者のマウンティング現象がいかにばかばかしくみっともないか、かつ研修プロジェクト失敗を招くものか、おわかりいただけますでしょうか。

 圧倒的な力で経営者管理者とガチ対決する講師なのにね。



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 奈良県中小企業団体中央会様での「承認研修」は、受講生21名中ご提出17名となりました。

 たくさんの企業にまたがっているのに、立派な数字であります。


 ふとしたことから、受講生派遣+宿題督促の窓口になっている企業の総務の方と中央会の担当Nさんとの間のメールのやりとりをみる機会がありました。

 Nさんから、実にこまやかな丁寧な表現で「講師の先生は必ずコメントして返してくれますよ」と督促し、企業の方もそれに礼節正しく応答されているのでした。


 そして、無理強いされて負担なのでは、という心配をよそに、提出された宿題は大変レベルの高いものでした。

 初期のご提出分もみごとでしたが、やや遅れて提出された分は、あとの「行動観察」がよく入っていました。


 全従業員にスケジュール記入に感謝の言葉をかけ、それに応えてスケジュール記入をしてくれるようになった、というもの。

 その他、「認めた結果次の行動をとってくれた」というもの。

 一番詳しい結果観察としては、

「上記3項目を伝えた結果、お客様からの信頼度が、UPされて来ている 特に現場からの状況や問題点など、細目に連絡が入るようになって来ているので、取引先や当方にとっても 情報が生かされ スピ-ディに判断が出来る」

というのがありました。研修から10日後のきのうご提出のものだったので、「承認」実践後に1週間から10日かけて経過観察されたと思われます。


 これ、経営的にすごく大きなことですよね〜。

 また
「研修って、効果ないものでしょう」
「効果が出たとしてもすごく時間がかかるんでしょう(3年とか)」
という従来の見方を完全に覆しています。


 中には、近著『行動承認』を読んで実践していただいたんじゃないかな〜という、レベルが高いというか、趣旨を正確に理解しておやりになった感じの実践もありました。


こうして、「できるようになる(受講生様が)」ことのために4時間という研修時間があった、と考えれば、「4時間」は決して長くない。むしろ、2時間ぐらいでやろうとするほうが狂気の沙汰だ、と思えます。
今回の4時間もフルに目一杯使って、・やっていただきたいこと・そのために気をつけてほしいこと の両方をお伝えしていますからね。


 やっぱりこういうことって担当者さんの「確信」がすごく大きく影響していると思います。
 Nさんが担当だから、ここまでになった。


 こうして、「まずは、レベルの高い宿題を提出していただく」というゴールも、多くの担当者さんはご理解いただけないところがあります。ので、そのためにどんな告知をし、講師紹介をし、場づくりをしたほうがいいのか、ご説明しても「ピン」とこないし、「うるさいヤツ」と思われてしまったりします。

 Nさんは、これまでご一緒したどの担当者さんよりも、この「ゴール」をよくイメージされていらっしゃいました。

 こういうのはわたしから強制できることではないので、本当にそのかたのもっているセンスとか、未来に対する想像力とか、みんなが幸せな状態ではたらくことを心底願う気持ちだと思います。


****


 先日の国際教養大学(AIU)開学10周年式典でお会いした、宮崎公立大学学長の林弘子先生(弁護士、労働法)より、嬉しいご著書『労働法〔第2版〕』(法律文化社、2012年)のご献本とお便りをいただきました。


 たまたまパーティーでお話して、ご専門が労働法であることを知り近い分野とあって色々とご質問させていただき、また拙著もご献本させていただいたお返事です。


 添えられていたお手紙には、変革途上の公立大学の学長として多くのご努力をされていること、その中で拙著を読まれ大変共感できたと書かれていました。
 

 しっかり読み込んでいただいたご感想に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 そうなのです、心正しいリーダーの「企業変革」の武器であってほしいのです。
 たぶん、しっかり読まれたかたにはそういうものとして理解していただけると思うのです。


 
 また、以前にも神戸弁護士会のセミナーに行ってコメントを求められそうになりましたが、これも不遜な言い方ですが当協会方式の「承認」は、たぶん企業実務に関わるどの分野のかたからみても風通しの良い、矛盾を生じない方法です。

 たとえば所謂「コーチング」の中には、「それ労基法に定める『労働者性』の概念からしてどうなん?」というものもあり、賛同できず距離を置いています。

 
 ひとりのマネジャーがパワハラもコンプラもメンヘルも、ありとあらゆる研修を受けますから(ただ大半は表面的なものですが)、他分野と矛盾せず、安心して使い続けられるものをご提供することが大事です。残念ながらそういうものは他にほとんどありません。



 だから、ほかならぬ「この教育」を普及することが大事。ということを、きちんとわかり、頭でわかっているだけでなく行動レベルでできる人と今からはご一緒したいなと思います。


 「自分の自慢ができればいい」とか「部下の自慢ができればいい」とかいうのは「向こう三軒両隣しかみえない視野の狭いおばちゃん」同然(それもおばちゃんに失礼な言い方ですが)なのです。



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 きょうとても嬉しかったこと。

 きのうアップした発達障害者の当事者の会の代表、広野ゆいさんへのインタビュー記事を、フェイスブックのお友達がシェアしてくださり、そのまたお友達が再シェアしてくださっていた。

 最初のお友達からはわたしの「発達系」に関するここ1−2年の地道な取り組みが内容の濃いインタビューにつながったと、とても嬉しい賛辞をいただいた。(わたしも、実はこのインタビュー記事は内心「会心の出来」だったので嬉しかった)


 もうひとりのお友達で出版社の女性社長さんが、ご自身のタイムラインで「よい本を読みましたので紹介します」と、『行動承認』の本を取り上げてくださった。他社からの出版物なのに。

 自分他人を乗り越えて率直にいいものをいいと言ってくださる、それは単なる「承認」だけではなくナルシシズムを乗り越える高次の作業であろうと思います。ひときわ偉大な「承認」をいただいたなあ、と思います。


****


 人前で話すことは麻薬だ。

 このブログでは過去に何度かそういう話を取り上げたと思う。人びとの視線がマイクを持った自分に集中することが、いつか肉体的快感になりやめられなくなる。


 この話は初めて書くと思うが、過去、それで痛い目に遭った。

 ある女性コーチの方と一緒に研修をした。販売業の業界団体さんからわたしに来たご依頼で、管理職と一般職とりまぜた講習会なので、販売業出身でわたしよりもう少し販売スキルに詳しい人とペアで研修するとよりわかりやすいのではないか、と思ったのだ。2時間の研修のうち前半90分は彼女で販売の仕事に密着した話、おわりの30分はわたしから管理職向けに「承認」の話、という取り決めだった。


 ふたをあけてみると、彼女が予定以上にあれもこれもと話してしまい、90分をはるかにオーバー。わたしの残り時間はわずか10分になり、仕方なくごくあっさりと「承認」の定義のような話をして終わった。


 そして彼女は首尾よく自分を魅力的な先生と印象づけ、講習会の終了後その業界団体の重鎮の経営者さんをウルウルとうるんだ目で見上げ、首尾よくその会社の研修をゲットした。


 そうしたときの彼女の顔の色ツヤや目の輝きをみると、人前で話すときというのは、快楽物質ドーパミンがバンバン出ている、というのがわかる。性欲に溺れるのと同じ状態である。


 わたしは長話をして自分ひとりが時間をとって友人を裏切る人にはなりたくないなあ。いいです、ツヤツヤしたお肌をしてなくても。冷静で思いやり深く、謙虚で思慮深い人でありたいと思います。クールなもんで。


 研修講師の仕事をしていて「人前で話すこと」の麻薬的魅力に抗い続けるのはむずかしい。もしわたしがそのことに成功しているとしたら、それはつねに「承認する主体」であり続けることで、外界を好奇心旺盛に観察し続け、自分以外の他人の素晴らしさを感じ続けることで成り立っているだろう、と思います。


 
 「人々の視線が自分に集中すること」に夢中になりはじめると、気がつくのは、「相手に伝える」ということがなおざりになる。

 よく「表現と伝達は違う。マネジャーの仕事も研修講師の仕事も、表現することではなく伝達すること」だということも言う。その2つはどう違うのかというと、「表現」は相手に伝わっても伝わらなくてもいいのだ。ワーッと訳わからない雄たけびを上げたり、よくワークショップ参加者がやるように「花火!」と言ってぴょんと飛んだり、表現したいようにすればいいのである。それは「送り手中心」の表現、ともいえる。

 「伝達」はそうではない、受け手の受け取り方に絶えず注意力を向け、いかに効果的に伝えるか工夫を凝らす。戦略的な伝達、という言い方もできる。長い話より短い話、要点を先に言ったり、強調したいところで声を大きくメリハリのある発音をしたりして、受け手の記憶に残るようにする。


 人々の視線が自分に集中することを「楽しい」と感じはじめると、とにかく自分の話す時間を長引かせる。相手にとってどうでもいいことを話す、ねっとり情感豊かに、スピードがどんどんゆっくりになり、しかし受け手が疲れきっているのもおかまいなしに感情の押し売りをする、平坦でポイントのわからない話し方になり重要性にお構いなくあれもこれも付け加えるという話し方になる。


 「人前で話すこと」の快感に溺れてしまうようだったら、話し手としてまだ未熟だなあ。でもマネジャーの仕事ってしょっちゅう人前で話すはずなんやけど。


 だから、「社内講師をするようになるとマネジャーとしての力が落ちるかもしれないよ」ということをちょこちょこ書くんです。
 最近しばらくこの話題を書かなかったけれど周期的に必要ですね。



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 来週から始まる奈良県中小企業団体中央会様での研修(正式名称は「若手従業員育成セミナー」)は、お蔭様で定員20名のところ21名で「満員御礼」となりました。会員企業様で全国に営業所をもつところで「社内に統一して意識を浸透させたい」と大人数でお申込みされたところがあったそうでした。


 やっぱり事務局様としては、本当は大人数のほうが「事業をやった」という満足感があることでしょう。
 ワガママ講師の正田であります。


 なんで少人数でないといけないか、というのをきょう担当者Nさんにご説明し、ひょっとしたらこれまでブログに書いてなかったかもしれないので記事にも書いておきたいと思います。

 「承認研修」は宿題が込みであること。ごくまれに宿題無しでもすごく高いレベルまで習得する人もいるのですが、一般には宿題を提出し、そこに講師がコメントをして返すことで、受講生さん自身が「承認される嬉しさ」を味わい、次の実践へのモチベーションにしていただけます。

 かつ、あくまでわたしのこだわりですが、「宿題には即レス」を心がけています。できるだけその日の午前なら午前、午後なら午後のうちに返す。これも、「部下もきっと報連相に対して即レスしてもらうのがこんなに嬉しいんだなあ」と感じてもらうためです。

 宿題へのレスは、よほど手抜きの宿題でない限り基本PCでないとできないので、締切日にはPCの前に座りづめになります。

 かつ、どうもこの「承認の宿題へのコメント(読解のプロセスを含む)」というのは、これは以前書いたかどうかわかりませんが「特殊技能」に類するものらしいです。
 「また不遜発言」とお思いになるかもしれませんが、こういうこともやっぱり言わないと評価されないみたいなので―。

 それぞれの宿題の事例について、おおむね次のようなことを読み取りコメントします:

・上司の性格
・部下の(推測される)性格
・上司がどんな技法を使ったか
・それは上司にとってどの程度のチャレンジであったか
・部下の行動や性格に対して適切か
・仕事の会話として適切か
・部下の反応はどんなことを意味するか、本物の嬉しさかそれとも苦笑いか
・その人(上司)の得た気づきの質

等々

 「即レス」の原則と両立しなければならないので、さっと見て読み取ってコメントしなければならず、決して全部が全部完璧にはできていないと思いますが―、

 とにかくそんなことばかり何年もやってきていますので、こうした「事例」に出会ったときの読み込みには普通の人よりはるかに習熟してしまった、というのは過去に「承認大賞」の審査に当たったときに思いました。
 ある「事例」―「承認研修」の宿題をもう少し詳しくしたようなもの―をみたとき、あまりにもほかの人と意見が合わず、「えっ、着眼点としてはこういうポイントこういうポイントもあるよ。なんで皆さんそれがわからないの」てなことになり、グループの中で1人でギャーギャーいい、そしてあとでその事例の当事者に直接きいたところわたしの見立てで正解だったのでした。
 ―以来、「承認大賞」の二次審査は実質わたし1人でやることになりました。「合議」にすることにあまり意味がないということになりました―

 
 えとなんでそんなお話を長々としましたかというと、宿題に「即レス」をしているものの、そこでやっていることはかなり頭がつかれるような高度なことをやっているんだ、と主張したいのです。それで、受講生数を制限したいのです。


 えっ、ばかばかしいことを仕事だと称してやっているなあって?でもこれが「12年1位マネジャー輩出」の仕事なんですから、しょうがないですもん。実際に業績が上がっちゃうんですもん。

 ・・・というようなことまでは今日のお電話でご説明できなかったですね。でもわかってくださってありがとうNさん。



 さて、「承認」を習得するのにそうした「宿題」のやりとりが絶対必須なのか、わたしにはわかりません。
 ただ、あまり経験不足の人が講師をすることは望ましくないとはやっぱり思います。
 講師養成のプログラムを作る段階にきているのかもしれませんが、どうなんでしょうねえ。。
こんなことを書いているうちにだれかがぴょーん、とわたしを飛び越えて行くかもしれないですけどね。

 講師になりたい人は、正田が苦労人であるように自分も相当期間の苦労に耐えよう、という人であって欲しいです。



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新著『行動承認』は、Amazonでは既に購入可能な状態となり、来週初めから神戸周辺の書店にも並ぶそうです。

 出版元のパブラボ社さんでは色々とプロモーションの仕掛けを考えてくださっているよう。

 そこでまだ書いてなかった、この本の「誕生秘話」をちょろっとお書きしたいと思います。


 そもそもパブラボ社さんとのお出会いは別の企画話からでした。


 そのとき正田が書こうと思っていたのは、「ナルシシズム」のお話。某女性研究者の騒ぎ(今は一夜の夢のようですネ)などもあった時期でそのほかにもどうも最近見聞きしたことで事例もたまったので、このテーマで書いてみたいなと。

 自分にとって本筋の主題、「承認」は、当面封印しておこうと思いました。4年前に出した『認めるミドルが会社を変える』が悲しくなるくらい売れなかったので、当面これは時流に合わないんだろう、いつかそのテーマで書けるときのために、今は「売れる本づくり」の勉強をするためにほかのテーマで書こう、と思っていました。


 今年5月25日、NPO総会+よのなかカフェのあと、三宮で初めてパブラボ社の菊池社長とお会いしました。フリーライター山口裕史さんのご紹介でした。


 「ナルシシズム」の企画書をみた菊池社長は「面白い」と言われました。

 実は、正田は自分では結構面白いと思っていたんですが、それまで接触した出版業界のかたが「???」な反応ばかりだったので、腐っていました。いつもの伝で口のわるい正田は「えっ、あなたナルシシストで苦労したことないの?ひょっとしてあなた自身がナルシシストなので、気づかないんではないの」てなことを内心思っていました。まあ出版にかぎらず、マスコミ業界のかたってはっきり言ってナルシさん多いですよね。


 菊池社長のばあいは、直近で「どうみてもナルシ」という人をみたことがあったそうで(大丈夫かなこんなこと言っても)、「あるある、困りますよねこういう人」と、見事なくらいストンと同じところに「落ち」ました。


 それが菊池社長との接触1回目。

 2度目は、同じ三宮の「にしむら珈琲店」でお会いしました。そのときはまた、「ナルシシズム」についてのもう少し突っ込んだやりとりを当初していました。ただ企画書に書いた目次にも、終わりごろの1章に「承認」に触れたくだりを入れていたので、

「なんですかこの『承認』というのは」

とツッコまれて、

「えへへ私の本来のテーマは『承認』なんでーす。でも前に出した本が売れなかったから、『私まともすぎるのかなあ』とか思って、当面ほかのテーマで本を書いて勉強しようと思ってるんでーす」

と白状。

 しかも用意のいいことに前著を持っていて、「これ差し上げまーす」。


 てなことを書くとすっごい計算高い女のようですが、なんか前回の面談で、菊池社長に対して

「どうもうちのNPOの会員のマネジャーさんがたと同様、近いノリで話ができる人なんちゃうか」

という印象を持っていたようです。


 あとは、何やかんやお話した中に『行動承認』の「おわりに」に書かせていただいた、自分の母親のエピソードなどもお話したとき、菊池社長の目がキラッと輝きました。


 別れ際に菊池社長の顔が紅潮していたのを覚えています。


「時々あるんですよ。地方の著者さんがすごい掘り出し物のテーマを持ってるってことが」

 そしてつい2時間ほど前に神戸に来たはずの菊池社長はもう今から東京に戻る、と言われます。

「えっ、たったこれだけのために来られたんですか」

「ええ、よくあるんですよそういうこと」

 にしむら珈琲店を出た菊池社長はそそくさと立ち去っていかれました…



 翌日、菊池社長からFBメッセージをいただきました:


「正田さんの本、帰りの新幹線の中で読みました。ふつうに面白かったです。

(注:この方の「ふつうに」はどういう意味なんだろう謎。。)

マネージメントだけでなく人間関係全般に通じることですね。こちらのほうを本にしたほうがいいと思いますがいかがですかね?」



 ・・・というのが、基本的に『行動承認』の企画のはじまりです。

 急に企画が変わっちゃったけれど、それは全然私的にはOKのことで、とりわけ2013~14年に「承認研修」でバッタバッタと成果を出していましたから、これを一度何かの形でまとめないと歴史に残せない、しかし地元メディアにはずっと白眼視されていて取り上げてもらえない、という状況でした。なのでパブラボさんからのオファーは「渡りに船」だったのです。


 そのあとも多少二転三転あって、「承認」をつかった「女性活用の本」にしようとか、「叱り方の本」にしようとか、いわばいろいろある「承認」の効能書きの一部を切り取って売れ筋の本にしよう、という案が出ては消えました。それは、「売りやすい本をつくる」という出版社さんの要請からしたら当然のことかと思います。


 でも最後は本筋の「承認」の全体像を「まとも」に取り上げた本にしよう、ということになりました。マネジメント全体について女性著者が「まとも」に問いかけた本は、わが国では少なくとも前例がありません。売れるという保証もありません。


(「僕、『承認』に惚れ込んでるんです」と菊池社長は言われました)


 そしてタイトルづけに関しては、マーケティングセンスのない私は大人しくパブラボさんにゲタを預けることにしましたが、ふたを開けてみるとご存知のとおり『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』という、超「まともな」タイトルになりました。なんでも菊池社長と担当編集者の白岩さん、それに営業担当者のかたと3人で侃侃諤諤の議論をして決まったタイトルなんだそうです。



 さあ、「まとも」の二乗になったこの本はどう受け入れられるでしょうか・・・


****


 もう1つ、「まとも」が通じた例がありました。


 来月、奈良県中小企業団体中央会様で3回シリーズの「承認中心コーチング」のセミナーをさせていただきます。

 担当のNさんはまったく面識のない状態で当協会のHPをみて依頼をしてこられ、奈良からうちの事務所をご訪問くださったり当協会主催セミナーにも足を運んでくださいました。

 同会では実質今週から会員企業向けに本格的案内を始めたそうですが、3回シリーズ各4時間のセミナーというのにあっという間にお申し込みが17名となり、満員御礼まぢかの状況です。

 一体どんな案内をしたらそんなにリアクションが良くなるんでしょう。と思いませんか。


 今日、Nさんにお願いして案内パンフのデータを送ってもらったところ、これがごくごく「まとも」な内容。

 というか、各回の内容の説明はわたしが同会向けにご提出した提案書の文面そのままでした。

 
 ごく普通の言葉づかいで、会員様向けに誠心誠意考えた言葉が、会員さんにもちゃんと届いたということなんです。

 Nさんはそこに一切手を加えなかったんです。Nさん自身非常に表現力の高い方で、自分オリジナルの言葉にしようと思えばできたのに。


 Nさんへ私からのメール:

「しみじみ有難いことだなあ、
というのは、ブログでお読みになられたかもしれませんが
今年、ご提案内容をひっくり返されるということも続けて起こり、
「私が女性だから提案を信じてもらえないんだ…」
と落胆することが続いたからです。
今こうしてみると実際にそれは性差別だったのだろうし、
逆にNさんはそれをしない方だったんだ、と思うのです。
ごめんなさい気分の暗くなるようなことを言いまして。」


 Nさんからのご返信:

「今回のチラシのデザインは、あえてものすごくシンプルにしております。

インパクトを出し過ぎて、その響きに呼応して、ミーハーな気持ちで来ることを抑制することが狙いです。

内容を見て、3回連続の研修でも参加したいという方に来ていただきたいとの思いです。

単に面白そうと思ってくる人より、何かを変えたい、これなら変えられるかもという希望を持ってきてほしいなと考えて、
あえて、いつもの全く逆の仮説を立て、変に飾り立てせず勝負しようと思っておりました。

下手すれば、見逃しそうな地味なチラシを見てきていただける方は、いい人かもという仮説も立てました。

(中略)

尚、ご応募いただいた企業様には、お電話で、「行動承認」をテーマとした、3回連続シリーズの実践型研修になっております
と、当たり前ですが、念押しで確認をしてから事前アンケートを送付しております。

それをきいて、えー、というような半端な方はいまのところおりませんでした。

本当にありがたいことだと思っております。

残席わずかで、いっぱい来たらどうしようと、本気でドキドキしております。

チラシ送付2.3日での結果ですので、隠しても、隠しきれないすごさを感じております。」


 
 読者のみなさま、ここまで読まれてどんなことをお感じになりましたか?


 正田はしみじみ嬉しくて、頭が止まっちゃったようになったのですが、

 好漢のNさんはその後お電話もくださいまして、

「本も出されましたし、先生、これまでのようなことはもう今からはないですよ」。

「有難うございます。こんなに『まとも』な形で出してくださいまして、光栄です。本当に感謝の言葉もありません」


 実はそのお電話をいただいたとき整体さんに行ってたのですが、人前でほとんど涙ぐみそうになったのでした。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 久しぶりに晴天の土日。

 日曜、「丹波焼陶器まつり」に行ってきました。

丹波陶器まつり1-2



丹波陶器まつり3-2



 えとえと、このブログの読者の方は「丹波焼」って丹波市でやってるのだと思う方多くありません?

 わたしも威張れませんがぶぶー、実は篠山市の南部、三田市に近いところの今田(こんだ)に窯元さんが60軒くらいかたまってます。


 去年から篠山市さんに行くようになったのでちょっとずつ丹波焼というものに目が慣れ、窯元さんごとの特徴がすこしわかったり、ごひいきの窯元さんもできたところです。


 しかし、魅力的なやきものばかりとはいえ生活に必要な食器は一通り持っているので新しく何かを増やすかというと困ってしまうのですが。


 などと言いながら今回の戦利品

丹波陶器まつり戦利品2



 左は源右衛門窯のワイングラス。右下はチーズ用に買った丹誠窯の小皿。食べ過ぎないようにと小皿にしました…



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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来週から新著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』のプロモーションが本格化します。

 このブログで最近「わるいこと」を連続して書いてるから出版社さんヤキモキされてるだろうな〜と思いつつ、プロモ本番前に「わるいこと」をまとめて書いちゃおうと思います。何かの役に立つかもしれないですからね。



1.担当者が『先生』と呼べない心理と契約違反行為

2.提案ひっくり返すわるい上司と部下のプレゼンにひそむ問題

3.謝罪のわるい文例

4.福祉組織のおねだり体質とその後の友人たちとのやりとり

5.今年の某ベストセラーについての感慨


****


1.担当者が『先生』と呼べない心理と契約違反行為


 これまで、わたしは人様がわたしに対して敬意のある言動をとるかとらないかに比較的無頓着だったほうでした。でも今年起きたいくつかの現象をみて、はっきり今月から態度表明することにしました。


 わたしに「研修・講演」を依頼される場合は、主催者様はトップから担当者まで、わたしのことを「正田先生」と呼んでください。

 でないと「研修失敗」にほぼ100%つながる、という結論になりました。エビデンス出てますから、研修成功したいなら成功させるための行動をとられたほうがいいです。


 「さんづけ」はやっぱり、講師に対する「不敬」なんです。とりわけ、リーダーの行動様式に関する重要な知見を教える仕事をしている人に対しては「先生」のほうが当然だと思います。

 わたしなどは20代のパーソナルトレーニングの先生のことも「E先生」と呼んでるので、わたしより四半世紀も若い担当者の人が、なんでわたしを「さんづけ」で呼べるのか、不思議です。自組織のわたしぐらいの年代の人には、「部長」とか「課長」と呼んでると思います。階級組織で生きてる人にとって、「さんづけ」は一般職の人に対する呼称で、わるくいうと「蔑称」になるだろう、と思います。


 担当者の「不敬」は、研修の場にも明らかなマイナス感情をもたらします。

 ただそれ以前の打ち合わせ段階で、「契約違反行為」に当たるだろう、という現象にもつながる、というのを、これも非常に高い確率、90%ぐらいの確率でみてきました。契約違反というのは要は「受講生数の水増し」です。


 わたしのように「宿題」に丁寧に返信する講師は、はっきり言って受講生数に応じて従量制で謝金も上がるのが正しいのではないか、と思いますが、今年に関しては打ち合わせ段階で「15~6人」と言ってたのが本番では「30人」とかそれ以上に膨れ上がる、という現象が続きました。呆れることに、競争入札で落札価格を確定したあとの某組織ですらそういうことをやり、「これ契約違反じゃないですか」と言うと「あっすみません」と謝っていたが、その担当者もチャラチャラ「さんづけ」で呼んでいました。だから、「さんづけ」ははっきり言って「甘え」であり、「だらしない態度」を招くんです。

 ―「受講生数の水増し」はほんと、冗談で済む問題ではなく、16人なら研修時間内にも1人1人としっかりアイコンタクトして言葉もやりとりして、心の絆をつくったことを実感して帰り、実践してもらい宿題、そしてコメントによってもう一度「承認の嬉しさ」を実感してもらう、といういいサイクルを作れるものが、30人だとそれを作りそこなう。
20人の受講生さんの向こうに200人の従業員さんがいるかもしれないのだけれど、その人たち全員が幸せになりそこなってしまうかもしれない。そして「承認研修は有効ではない」という間違った風評を残すかもしれない。良心の業者にとっては死活問題です。―


 で、「さんづけ」したい心理、というのはなんでかな、と思います。講師の方によって色々考え方があり、コーチングとかファシリテーション分野の人では「さんづけでいいです」という人もいますが、逆に担当者が勝手な思い込みで「さんづけ」で呼んだとき、「先生でお願いします」というのは結構な勇気が要る。だから「初期設定・先生」にしておいて、相手が「いやさんでお願いします」と言ったときに「さんづけ」にする、というのが波風立たないと思うのですが。


 そこであえて「さんづけ」したい心理を読み解くと、担当者としては「自分は購買側だ。恩を売ってやっているんだ。あなたは一介の業者だ」という立ち位置を「さんづけ」で繰り返し確認したい、いわば「マウンティング」をやっているのではないか、と思います。教育してもらう、指導してもらう、なんていう敬虔な気持ちははなからないんです。そんな気分が受講生にも伝染するってわからないのかな。

 
 プロの研修担当者なら、自分が「この人」と選んだ講師のことは「先生」と呼び、「私自身もこの先生からご指導を仰ぎたいと思っています」ということを受講生に態度で示すのが正しい、と思います。


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2.提案ひっくり返すわるい上司と部下のプレゼンにひそむ問題


 今年のパターンとして、「担当がわるい」ケースと、もうひとつ「担当が上司に提案上げてひっくり返される」というのが2例続きました。

 「ひっくり返される」っていうのは、研修の趣旨が変えられちゃうとか(でとうとう「降りた」ってなったとか)、おりこう研修とおバカ研修ふたつ提示したらこちらのお勧めするおりこう研修じゃなしにおバカ研修のほうを選んじゃったとか、研修時間数を値切り講師謝金も値切ってきたとか、そういうやつです。わざわざ時間をかけて打ち合わせたことが反故になり、ぐちゃぐちゃと言い訳の電話をかけてこられたいそうな時間のムダです。


 これは、底流にどういう心理が働いているか推測すると、まず恐らく上司が性差別男。部下を介してきく、女性の専門家の正田の言うことを、本来「日本に1人しかいない宮大工の言うことだからきくしかないよ」っていうような話なのに、天邪鬼の気分が働いて(たぶん毎日同じことを奥さんにやってるのだと思うけど)逆、逆を言いたくなるのです。

 かつ、部下のプレゼンも恐らくマズイのだろう、と思ったのは、その部下の担当者もやっぱりわたしを「正田さん」と馴れ馴れしく「さんづけ」で呼ぶ人間だからです。

 20代の人間が「さんづけ」で呼ぶ女性のことを上司が尊敬するわけがないではないですか。

「正田さんが言うにはこういうことで…」

「なにを生意気な、なんだその正田とかいうのはどこの馬の骨だ」

 大体こういう感じでしょう。
 

「正田先生が言われるにはこういうことで・・・」

 全然響き方が違いますよね。まあそれでも理解しないバカ上司はいると思いますが。


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3.謝罪のわるい文例


 これも、今年担当者とか仕事先の人から随分謝罪のメールをいただいたのです(まったく、何という年だろう)

 ところが、その文面がやっぱりまずい。「これこれ、犯人の書く謝罪文」って典型的な文面でした。

 去年『謝罪の王様』っていう映画をみて笑っていたけど、今年はあんまり笑いごとじゃなくなった。


 どういうのかというと、

「ご気分を害して、申し訳ありませんでした」

という文。これのどこがまずいのか、わかります?

 もともと事の経緯が、その人がある「まずいこと」をやり、それをわたしが指摘し、するとその人がふてくされたりしょもない弁解を延々としてそれをまたツッコまれたりして、その挙句が上記のような文面の謝罪文なのです。


 ここには、「自分がそもそもまずいことをした」という「自分が発端を作った行為責任」に一切言及していない。ただ「あなたが機嫌悪くなったようだから、一応あやまっときます」と言ってるんです。暗に「すぐ機嫌悪くなるあなた」を非難しているようにもとれます。


 仮に行為責任に言及するなら、

「私が軽率にも○○をしてしまい、その結果先生にご迷惑をおかけしました」

というような、前段が入るはずなのですが。最初の文は、責任の所在を相手になすりつけているわけです。


 こういうのは、やっぱり「自分の非を死んでも認めたくない」発達障害の傾向の強い人が書くメールです。そして、相手(この場合はわたし)を一層怒らせます。

 わたしの場合は、この人の人生に責任を負う立場ではないから、怒るというより「なんでこんなレベルの低い人間が仕事先で立ちふさがり、受講生を幸せにする仕事を邪魔するんだろう…」と情けなくなる、んですが。


****


4.福祉組織のおねだり体質とその後の友人たちとのやりとり


 2つ前と4つ前の記事に書いた「福祉組織」の件では、尊敬する友人たちにご心配をお掛けしてしまったようで、何人かの方からメールをいただきました。


 福祉ではない分野で地域振興のお仕事をされている方から。


 「福祉の組織」とは私たちも過去にはもめたことがあります。
「なぜ我々の権利を特別扱いしないんだ」という論法ですね。
私は真っ向から戦います。そして「平等に戦いましょう」と教えてあげたいと思っています。
ま、それは今度。



 えへへ、なあんだ戦っていいんだ(^O^)vこらこら。

 最初すごく好意的にみてあげてたのに、一連の経緯ですうっと気持ちが冷めました。彼ら彼女らは、悩みとか問題解決のために妥当な額の対策費を予算計上するということを、普通の社会人と同様に学ばなければいけない。人のご厚意に甘えるべきではない。


 当協会会員の優秀な介護マネジャーから。


正田先生
介護の承認王子としては、このところのブログ記事、胸が痛いです。
ただ、そういう現実があるのもまた事実であると思います。


 わたしも結構「引きずった」ので、「福祉の人」という言い方で関係ない人の気持ちまで傷つけてしまったことのフォローが十分できていなかった。ごめんなさい。許してね。


 彼は、強い人だから業界のダメなほうの人たちをみて、「他山の石」としてくれる人なんです。


****

5.今年の某ベストセラーについての感慨


 今のうちにこういうのも書いておこう。

 あえてタイトルは出さないけど今年ベストセラーになった、ある心理学本を最近やっとキンドル版で買いました。

 なんで今まで読まなかったかというと、この分野の心理学は去年学校の先生の友人の勧めでちょっと読んだことがあり、そのときの印象で「承認コーチングと似たことを言っていてある程度の役には立つけれど、承認コーチングの方が現場にとってはるかに優秀なツールだ」と思っていたから、それほど食指が動かなかったのです。

 で今になって読んだ感想は…、


 まあどうしても中盤の「承認欲求」を否定しているくだりに目がいくのですが、

 これは、2011年暮れにこのブログでケチョンケチョンにけなした『報酬主義をこえて』と同じ論法ですね。

 「承認欲求」は自立してない人のものだ、という論法は、アメリカ心理学の一部に脈々とあります。ただ、そちら側にはまったくエビデンスがありません。単なる「信仰」のレベルに過ぎない考え方です。その気になれば、大井玄氏の「アトム型自己観」と「つながりの自己観」の考え方とかいくらでも出せるけど。あとアスペルガーの人は自分の体内感覚を言語化できないので、「承認されて嬉しい」という感情が本当はあっても認識したり表現したりできません(本当は何度も書くようにすごく『認められたい』んです)かつ、学者やコンサルタントにアスペルガーは多いですから、彼らの言うモチベーション論はあんまり信じちゃいけません。



 このベストセラー本も、「哲人」という設定の人が延々と説教をしている構成なのですが、

(最初みたとき、「なんだこれツチヤケンジ氏のギャグか」と思いましたが)
 
まったくエビデンスが入ってない、妄想吹いてる域を出ない、というのは一目見るとわかります。下手するとアサハラショーコーの味わいに近いような。この本にはまる人は、ちょっと危ない人なんじゃないですかね。でも今の20代〜40歳ぐらいの人はもうオウムとか知らないんでしょう。

『報酬主義をこえて』もいかにもアスペルガーの人が書いたっぽい高慢で嫌な人格の匂いのする本だったが、こんどの本も(そもそも「哲人」を自称するところが笑)高慢、それに加えて妄想的な本です。これ本人の人格がもともとそうなんだろうかそれともマーケティングの産物だろうか。


 おわり。「報酬主義をこえて」みたいな目にあわなくて、まだ良かったですね。わたしも少し大人になったんです。でも亡くなった恩師は50ぐらいのころまだよく戦ってましたからね。



今年は、某「ほめる研修」とこの某「ベストセラー本」と、二つの「宗教戦争」を戦ってきたのだ。疲れたわけだ。頑張ったぞ、あたし。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 



 


____ 様


ご返信ありがとうございます。
ご理解いただき感謝します。
沢山の研修を手がけてきておられる__さんですので、
信頼しております。
それでは「先生」と「16人」で
よろしくお願いいたします。

(細かいことですがメールの書き出しも
「正田先生」から始めてください。)


呼称の問題については、
ほかの講師の方や研修会社さんで考え方は色々と思います。
ワールドカフェ等、ファシリテーション分野の方は
対等性を尊び、「さんづけ」のほうがよい、と
おっしゃる方もいます。
わたくしどもは
禅や茶道の「賓主歴然」(ひんじゅれきねん、主人と客人は役割が厳然と違うということ)
や、武道武術の「型で教える、型で学ぶ」
という考え方をとります。
わたしの立場は、武道師範のような立場です。
受講生をリスペクトしますが、あくまで「先生」です。
それとともに武道の道場のような、
少し緊張感のある研修の雰囲気にしていただくことが
望ましいです。
その中でわたしは受講生に愛と敬意をもって振る舞い、
受講生に「自分は尊重された」と感じさせるようにします。
それが講師に対して「さんづけ」ですと、
ぐちゃっとだらしない場の雰囲気になります。

そういう、
同じ舞台プロデューサーでも
能や歌舞伎をプロデュースする、という感覚でいらしてください。
わがままを申しますが、よろしくお願いいたします。


‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥

 いつもありがとうございます
  NPO法人企業内コーチ育成協会 
   正田 佐与(しょうだ さよ)
  〒658-0032
  神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205
  TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
  E-mail info@c-c-a.jp  URL: http://c-c-a.jp

‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥

 また、「福祉の人」を叱ってしまった。わたしはもう、「福祉の人性悪説」をとりたくなってきた。ごめん林さんあなたのことじゃないです。

 
 今度は研修本番での、「休憩時間を守らない」という問題。

 イヤなお話を連続して書いて自分でもどうなのかと思いますが、「こういう時代」を正確に描写し歴史に残す、は大げさだけど「あるべき姿」を守るために記録しておこうと思います。




 元々短い研修時間で講師料をケチるくせに、あれもしてくださいこれもしてくださいという「虫のいい」事務局さん。


 わたしは本格的な「承認研修」は封印することにし、「ワールドカフェ」+「承認に関するちょっとした講義と実習」の組み合わせにしました。

 これだけでも2時間半としては贅沢な内容です。


 そのぶんワールドカフェの各ラウンドが15分と短くなり、やや忙しいワールドカフェとなります。

 事務局の人、今度は冒頭挨拶はあったがあれもこれもと詰め込んで、長い。
 事前に約束していたはずの「自己開示」は、結局せず、一般的な説教めいた話。大勢の前で自己開示する勇気がなかったんだな。そして、講師紹介は、なし。「先生のプロフィールは資料の中にあります」というのみ。


 でワールドカフェは喜んでくれたようだけど、締めのラウンドに非常に時間がかかる。まとまらない。まあ時間が短いから気の毒っちゃ気の毒ですが、時間が短いのは事務局が選択したことだからね。

 わたしは何度か、「お時間押しています。どのぐらい押しているかというと10分ほどです」と時間管理に協力を求める。


 そしてワールドカフェから「承認」に移るときの休憩時間。

 「ここで休憩とします。10分差し上げたいところですがうーん、5分休憩でいいですか。あの時計で○分には戻ってきてください。お疲れさまでした」

と私。


 ところが、この休憩時間が「終わらない」んだな。時間になっても席に戻らない人が半数ぐらいいたし、やたらと賑やかなおしゃべりが延々と終わらない。

ワールドカフェって、わるくいえば「おしゃべり会」みたいなものですが、それが終わっても延々と話し続けるとはそんなにあなたらおしゃべりが好きなのか。

 休憩時間に入ったとき、

「先生事前アンケートの質問事項にも回答してください(残り時間の中で)」

と言ってきた事務局の人自身が、時間になっても席に着かずに人とおしゃべりに興じている。会場の状態にまったく目配りしないまま。あんたええ加減にせえよ。


 こういうとき皆様の楽しいおしゃべりを中断して講義を始めてわざわざ嫌われ者になる必要はない、と私は講師席に座ったまま、腕を組んで目を閉じる。

 スクリーンにはパワポ資料の中の「本日のスケジュール」〜2時間半の中の時間進行を書いたもの〜を表示している。「第二部・承認」開始の時間ははるかとうに過ぎ、第二部の持ち時間は本来50分と設定されていたものがあと30分しかない。


 だんだん、それまでのワールドカフェの中でもコミットメントの高かったほうの人たちが口を閉じ、こちらに怯えたような視線を向ける。その人数が少しずつ増えるが、だれかが「おしゃべりをやめよう」と声かけするわけではない。時間がかかったすえやっと全体が静かになる。


 わたしは目を開いて言う。

「なっがい5分でしたねえ」

 それまでとはまったく違う声音。
 でおもむろに立ち上がる。

「本来承認研修のとき厳しいことを言いたくないんですが…、
この研修は(30分後の)4時にはきっちり終わりますから。」

「承認って、よく間違われるんですけど、
甘やかすことではありません。
わるい行動まで承認することではありません。
それはよろしいか」


 静まり返る会場。恐怖の感情。

 この状態で「承認研修」がうまく行くことなど、過去の経験から言ってあり得ない。


 しかし、びっくりするようだが、

 そんな状態ですら、最後の実習では本気で「涙目」になる女性職員さんが現れたのだ。まあそれは「承認」そのものの力です。


 事務局の人が休憩時間に言ってきた、「事前アンケートの質問への回答」は結局ナシになった。それはあなたの自業自得です。



 わたしは少し前に終了した某経営支援機関さんでの研修風景を思い出す。受講生に個別にはよくない態度の人もいたにはいたが、何度かの休憩時間明けには全員言われなくてもきちっと着席し、沈黙して講師のほうを見る。そのことはきれいにできていた。
 

 いや、そこでも事務局の人は休憩時間明けに何も声かけとかしなかったですけどね。少し前までは「軍隊組織」だったという、そのころのよい習慣がまだ残っているのだろうか。事務局の人が受講生を甘やかしたら、その「美風」もすぐ消えるだろう。

 事務局は率先して恨まれ役をやらなければならない。

 
 そして、短い時間であれもこれも、と講師に無理難題ふっかけるのをもうやめていただきたい。資源がないならおねだりするな。


 これもまあ、変にご要望にお応えしようとこちらが努力した結果、「依存」を招いてしまった(依存するほうがより悪いんだけど)例であります。短い研修なのに疲れが抜けません。



 色々あっていずれ「研修事務局マニュアル」みたいなものも作らなならんかな、と思ったりしますが、作るにしても、なぜそういうルールになってるか、背景となる「失敗例」をきちんと記録しておくことも必要かと思います。



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 ええとあと、わたしは日頃から「コミュニケーションこそが大事だ」という言い方はあんまりしてないと思います。
(わたしがそういう言い方をしたの、きかれたことあります?)

 やっぱり「程度問題」で「ゆきすぎ」が出る現象を年の功でよく見てきました。だらだらおしゃべりして、「さっさと仕事に戻れ」と言わなくちゃいけなくなる現象。

 そして、「優しい人」「いい人」と思われたい、という気持ちが強く働く人が、いい人と思われたい一心でおしゃべりがやめられない、という現象も結構みました。優しさを本当に突き詰めたら、だらだらおしゃべりせず仕事の本筋をしっかりやることが優しさの実現につながる、と気づけるはずなのだが。

 「コミュニケーション」より、本当は「行動」が大事なのだ。「わが社」的にはそれで一貫してます。理念にも「行動を尊ぶ」ってうたってます。


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 わたしは「愛のスイッチ」を「オフ」にするという感覚を最近習得した。


 基本原則としてだれに対しても愛と敬意で対し、こりゃダメだ、と思ったときには即オフにする。それは自分の意志でできることで、そして「わたしの心の自由」でもあるのだ。


 オフにするともう一度オンにするまで多少時間と労力を要するようである。それは人間だから仕方ない。


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 少し、「発達障害づかれ」というのがきている気がする。ちょっと自分をいたわろうと思う。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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「権限と責任」という言葉の使われ方について。


 承認とかコーチングを導入するとき、「ええかっこしい」で「ボトムアップでなければならない」と思ってしまうリーダーは多いです。


 そういう方がよく発するのが「権限と責任」という言葉です。

 意味は、要するに「その件は担当に任せてます。私は知りません」ということです(笑)

 トップダウンの判断はしません、ということです。


 
 あまりにもそういう場面でこの言葉が利用(わるくいえば悪用)されるのをみてきて、わたしは「権限と責任」という言葉はべつの解釈をしたほうがいいのではないか?と思うようになりました。


 つまり、担当がこういうことについて判断能力がない、どうこうする権限もない、ということを「判断」するのはその上司またはもっと上層部の責任です。

(本来、「承認」なんかは組織の倫理レベルをどうするか、というトップダウンマターの問題だと思う。その大きな判断に基づいて研修が設計されターゲット階層なども設定されるのが正しい)

(「判断能力がない」ということの中には、例えば担当者が発達障害気味で抽象的な大きなことについての思考能力がない、あるいは現場への想像力がない、ということまで上位者が見極める、ということを含む。ちゃんとしてる一部の担当者さんには申し訳ないけれど現実に非常に多い。思考能力や想像力のなさは「本人が頑張れば何とかなる」と上位者は思っているのだが、それは大間違いなのだ)

 したがって、「権限と責任」ということでいえば、「担当に任せる」という判断自体が、自分の権限と責任を放棄することであり、ドラッカーさんの教えに反することになります。



 ああ変な頭でっかちのドラッカー信者のせいで苦労する。
 (本当は、彼らは多分信者でもなんでもなく、ただ自分の無責任がばれたくないためにええかっこしいで引用しただけなのだ。無責任だがIQと地位だけは高い人間はそういうことを言う)


 この記事はいつもの伝で「ふと考えたこと」の備忘録です。
 今後、わたしに対してこの「権限と責任」を変な使い方で使う人が出てこないように願っています。


 今年起きたこととは関係ありませんので、くれぐれも邪推されませんように。去年なんか今年よりはるかに悲劇的なことが起こったしそこの経営層の人が何人目かの「権限と責任おじさん」だったんだ。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 11月7日に行う「事例セミナー」(ブログ記事上の案内参照)のパネリストの1人、原田豊彦・篠山市商工会事務局長と発表内容の事前打ち合わせ。


 「夢物語みたいなこと、言うてもええんですか」のセミナータイトルの元になった言葉を発した同局長。


 既に発表原稿もつくられて、昨年秋に研修導入をされるまでの経緯、研修中の「どっひゃ〜」となるようなハプニングや研修中〜終了直後に起こった「夢物語みたいなこと、言うてもええんですか」のお話を、時にユーモアあり時に商工会組織としての理想とコダワリあり、と盛りだくさんに語っていただくことになりそうです。


 「『笑い』のないのはスピーチではない!」

が信条の同局長、たぶん、マジメ人間の多いパネリストの中ではもっとも会場を「沸かせる」ことでしょう。。(ご本人も本当はマジメな方なのですが)


 その前日、兵庫県商工会連合会の足立誠常務にお会いし原田局長ら篠山市商工会の面々が冒頭に登場する新著のゲラをお渡ししました。


 「君あれを見たか!あれはきちんと確認したのか!」

と、足立常務は興奮気味に話しかけてこられた、とのことでした。


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 夜7時、新著『行動承認―組織の能力を最大化する『認める力』」は無事「校了」となりました。

 2度目の出版とはいえ今回は緊迫感あふれる最終段階でございました。もともと10日(金)校了の予定でいたところ6日(月)の午後に(株)パブラボの菊池社長からお電話がかかってきて

「正田さん、8日校了にできませんか」

とおっしゃる。広告の都合で10月末には本が書店に並んでいる状態にしたいのだそうです。

 それは本来11月7日の「事例セミナー」を抱える当協会もありがたいことなのですけどね。。。

 以来バッタンバッタンのゲラのやりとりとなり、外出は全部キャンセルできない種類のものでしたが出先からチャチャっと戻りPCの前に座ってひたすら校正を続けました。この間研修が入ってなかったのは幸いでした。


 担当編集者の白岩さんもほぼ『行動承認』にかかりきりで修正のメールやお電話に即対応してくださいました。

「図の矢印の向きがへんだ!」
「表のバージョンが古い!新しいカテゴリが入ってない!」

 ピリピリした状態でこういうことに2,3気づいたのは幸いでしたが本当に必要なことに全部気づくことができたのか、神のみぞ知るです。。

 わたし自身は気に入って読んだ本に誤字脱字があると結構「がっかり」してしまう人間なのです。


 この間1件だけとうとう予定をキャンセルしてしまいました。ごめんなさい。そして研修資料提出を遅らせている先様ごめんなさい。明日からちゃんと作ります(>_<)



 ともあれ前著があまり売れずに終わったため「あと10年は書けないのではないか」と思っていたテーマで書かせていただき、それも「僕、『承認』に惚れ込んでますから」とどストレートタイトルで世に問おうとしてくださる菊池社長、そしてパブラボ社のみなさま、本当にありがとうございます
・°°・(>_<)・°°・。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 
 

 6月と7月に研修をさせていただいた、障碍者支援の社会福祉法人宝塚さざんか福祉会めふプラザ所長の溝田康英さんと久しぶりにお話しました。

 溝田さんは、ご自身が社協青年協さんのセミナーで学ばれ実践して手ごたえを感じた後「承認研修」の法人への導入を決めた人で、ラインマネジャーなので一緒にお仕事はしやすかった(でも先方が忙しくてつかまえるのが大変だったけど)

 ラインマネジャーとはまったく資質の異なる人が研修担当者、という現象に10数年も悩み続けているわたしには今年のオアシス的存在でした。


 新著にさざんか福祉会の受講生さんお2人の宿題を掲載させていただくことや、溝田さんご自身にも実名で登場していただくことのご挨拶を兼ねて、


「その後どうですか?」

「ああ、その後も正田さんのブログは毎日見てますよ。
そうですね、うまくいかないことも色々ありますけど、やっぱり『行動承認』は役に立ってますね。ほめないでいいんで、メールなんかで『この仕事時間かかったよね、ありがとう』みたいに行動を言ってあげると先方も疲れが軽減されるというか」


 とっさの会話でしたがそういうお返事でした。いかにもラインマネジャーらしい、CやAの硬質な感じの人柄の溝田さんであります(←ブログに掲載できないが結構イケメン)

 以前にも書きましたがめふプラザは溝田さんのもと、「ものづくり」に重点を置き活発に新製品開発を行って販路を開拓している、独特の繁栄ぶりをみせる施設です。


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 女性のお友達とお食事。

 話題は色々あったのですが「女性活躍推進」も話題になり、

「正田さんが女性のパワーアップの研修を断っちゃった、っていう話があったでしょ。私『あ、これこれ』って思ったんですよ」

と友人。

 えへへそんなことも読んでくださってたんだなあ。

「女性自身をいくら意識改革しても、周囲の意識によって道が狭められちゃう。選択肢がわずかしかなくなっちゃう。その結果優秀な人が日の目を見ないんですよね。私も組織の中で数少ない女性管理職の一人ですけど、今後は後輩に少しでも伝えなくちゃって思って」

「そうですよね。女性自身の問題にできない。女性は周囲の期待を敏感に感じるし、『可愛い女の子』しか期待されてないって思ったら自然と可愛い女の子しかやれなくなっちゃう」

「そうそう」

 ああ良かった、迷いがなかったわけではないけれどあれで良かったんだろうなあ。


 また、わたしがこれまでも散々経験している、

「非常に資質の低い弱い男性が、自分より下の存在を作ろうとして女性を差別する。その現象は優秀なほうの男性にはぴんと来ない。でも結果的に女性が機会を奪われる状況が作り出される」

ということも、彼女も経験済みらしく同意していただけました。


 優秀なほうの男性たちにはこの現象はわからない。でも女性を50年もやっていると散々そういう現象にさらされる。信じられないほど資質の低い男性たちが、女性を自分より「下」に置こうとする。現在でも。

 そういう現象が「ある」という認識に立たないと、女性活躍推進なんてやっぱり絵に描いたモチなのだ。

「私だったらどうするか。多分その資質の低い人のことはもう相手にしないで、ちゃんとお話の通じるほうの人に誠心誠意お話すると思います。ただ正田さんの場合は、その資質の低い人がお仕事の唯一の窓口、という場合が多いでしょうから、もっと難しいでしょうね」

と友人。


考えようによってはわたしは女に生まれたからこそこうした現象をつぶさに見ることができた。もし優秀な方の、性差別をしない男性に生まれていたとしたらわからなかったこと。
ただけっして前向きに考えられる話ではなく、こうした「非優秀」な人々に差別されたことでわたしが蒙った経済的被害は計り知れない。半ば自分の人生を捨てているからやり続けられること。


 また、このところ考えていることで「PDCA」と「前例踏襲」ということについても。

 
 前例踏襲はダメ、とよく言われるが、前任者のやり方がその人なりのPDCAによって出来上がっていることも多い。それを「自分独自のやり方」に固執して変えると改悪になってしまうことがある。

 このブログにもよく出てくる議論で、「選択理論コーチング」だと
「人は自分で思いついたことをやるのが一番モチベーションが上がる」
と教え、刷り込むので、「自分のアイデア」「自分の独自性」に固執する人を作ってしまいやすい。それはとりわけナルシシズム傾向のある人にとって魅力的な教えのようだ。それは結局、組織内のOJTが存在しない、組織にノウハウが蓄積されない状態を作ってしまうことにつながる。それは要は仕事できない、無駄の多い組織だったりする。
だからイヤなんだよね、
「ああ、コーチングですね」
とか
「コーチングなら前、やつたことありますよ」
とかいうわかってるつもりの人と話すのが。

 彼女の組織でも「前例踏襲はダメ」とよく言われるが決して外で思われているような新しいものを無批判に奨励するような考え方ではない、と彼女。


「そういうわたしも不遜な仕事をしてるんですけどね。自分オリジナルのプログラムなんていうのを作って売って。ただ、必死でPDCAをしていると、例えば武術の『型で教える、型で学ぶ』という昔ながらのことに意味があることがわかってくる。それは自分でPDCAをするから腹落ちする面があって。あ、何言ってるんでしょうね」


 過日某所で質疑に答えて言った、

「PDCAの要諦は何か。『自分は失敗した』と痛みを込めて認めることだと思う」

というのも今でも真実だと思っている。ただ、過ちを認める痛みに耐えられないナルシシストには恐らくそれは馬の耳に念仏だったろう。




 「承認」実践者のマネジャーたちは、自然とそのへんの学者よりも組織論の専門家になるところがある。現象を虚心に観、帰納する能力が発達する。と思う。だから話していて楽しい。共通の土台に立って話ができる。

 だからといってわたし自身が間口が狭かったらいけないんですが。


 聡明な彼女に愚痴をたっぷり聴いてもらってかなり疲れがとれました。

 せっかくのお食事を愚痴オンパレードで、ごめんなさい。



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 新著の出版元パブラボの担当編集者、白岩さんから夜遅くお電話がかかってきて、

「篠山市商工会のエピソードを冒頭に持ってきましょう」

と言われます。

「非常に緊迫感のある筆致で書いてくださり、このエピソードは一番力があります」

えへへほめられちゃった^o^
(あっ、ほかのエピソードもわたし自身はみんな愛着あるんですよ。「手持ちカメラ動画風」を意識して書いたのもありますよどれでしょうさがしてみてね。)

 ドラマでいうと主題歌の前のエピソードというイメージでしょうか。エピソード⇒目次⇒「はじめに」⇒「第一章」という順序になります。さっそく、順序を入れ替えた原稿を送ってきてくださいました。

 
 予感はあったけれど本当になってしまった。「篠山弁炸裂」のエピソードではじまる本になってしまった。


 「今から山場です。頑張りましょう」

と白岩さん。


 本のタイトルまだ決まりません…。


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 古くて新しい問題に悩まされています。

 「承認研修」は本物の変化をつくりだしてしまう研修です。そしてそのタイプの研修がこれまでなかったですから、そういうものを見慣れない人がいます。

 あんなに「12年間1位」って口すっぱく言ってるのにね。ぴんと来ないんです。心の備えがないんです。

 
 わたしの受講生のラインマネジャーは、よい方への変化は歓迎する人たちです。

 あと、「12年1位」というのは、受講生さんとその職場を本気で愛してあげることで成り立つ現象です。でも感謝してもらえないんだよね。

 「これ現場が喜んでますねえ!」
って、喜び合える人と仕事したいなあ。せっかく手間ひまかけたのに。


 11月にロスジェネ君と仕事するのを楽しみにしようっと。



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 コーチの森川里美さんとのセッションで、

「愛することは理性の行為」

という言葉が出ました。


「汝の隣人を愛しなさいという言葉があるけれど、愛するというのは意志で続ける行為。
『愛する』と『好き』は違う。好きは感情であり、コントロールできない。
愛するは理性。好きが消えても理性の力で愛し続ける。

正田さんは『承認』って言いながら、『愛する』という理性の行為について言ってるんですね」


 ふーん。

 森川さんの言葉の出典はわからなかったですが、私の頭の中では「承認」も「愛する」ということも割と一緒くたになっているところがあるので、うなずけました。
 そういえば、「意志はめっちゃ強い」って言われたんでした。脳画像診断の先生に。



 一方で「愛せない」という現象もあります。これも森川さんの考察によると、

「好きになれないものについて理性の力で愛そうとすると、どうしても抵抗が出る。

例えば相手を理解する材料が出てきて、理解できたつもりになって、愛することができたつもりになる。でも何かの弾みで形状記憶合金のようにバーンと元に戻る。

そういうことってありますよね」


 「コミュニケーション」を強みとされる森川さんのあまりにも言い得て妙の比喩になるほど!と思いました。形状記憶合金ね…。
 
 
 また、こうして「承認」と「愛」について考察なんかしていると、もっと高尚なマネジメントや経営の話をしている人たちから「甘ったるい理想論だ」とか、「宗教だ」とかいう声が出そうです。


 しかしまた、くどいようですがこのやり方で「12年間1位」を出してしまっているから仕方がない。

 「愛」という言葉を使うと「宗教だ」「理想論だ」と石を投げられそうになるから、「承認」って言ってるようなものです。…これも物議をかもしそうだなぁ。どちらも多分オキシトシンなんですよね。承認はマネジメント向けに多少形を整えているだけですね。


 わたしの「愛せない」は主に言い訳の多い人に対して出るわけですが、これらはストレングスファインダー的に言うと「実行の強み」が乏しい人に起こるので、どうするかというと行動承認で(できれば子供のときから)実行の強みを育ててあげればいいことになります。


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(以下ネタバレありです)

 映画「LUCY」を観ました。リュック・ベッソン監督のアクション物。

 
「脳は10分の1しか使われていない」

という、今ではトンデモ学説になっている説を堂々と提示して、その脳が20%、50%、100%使われたらどうなるか?というお話を展開します。

(名優モーガン・フリーマンがもっともらしくその学説を語るんだ…あの誠実そうな顔で…)


 スカーレット・ヨハンソンが、最後"I AM EVERYWHERE(私はあらゆるところにいる)" と言って別の物になって消えてしまいます。


 荒唐無稽ではあるんだけれど要所要所で哲学的(?)考察と映像が楽しめました。「細胞の究極の目的は、学んだ知識を次へ受け渡すことである」などというフレーズもありました。


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 24日、稲美町商工会様で「コミュニケーション研修:モチベーションアップで会社が儲かる!キーワードは『承認』」というタイトルでお話をさせていただきました。

 大雨が予報される中、54人もの地域の企業の経営者、管理職、一般職の方が来場されました。

 皆様お仕事後のお疲れの時間だったと思いますが、2時間の最後の実習では皆様のいい笑顔をみることができました。

 このお顔が皆様の職場全体に広がりますように。


 元気いっぱいに動き回り会場設営等ご準備をしてくださいました商工会職員の皆様、ありがとうございました!

 同商工会の黒石局長は、「あなたの研修資料を取り寄せ、私も既に実践を始めています」と不穏な発言をされていました…


 
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 このところ悩まされていることで、これもあくまで「コップの中の嵐」であり「愚痴」なのだけれど、一応書いておきます。

 心理学的手法の研修に「気づきを与える研修」と「習得させ実践させる研修」の2種類があります。

 これも何度かブログに書いている話題ですが。

 両者の違いは、こんな感じです。


A:気づきを与える研修
 みんな〜、きてごらん。心理学にこんな手法あるんだよ〜。ちょっとこのワークやってみようか。おもしろかった?何か気づいた?よかったね。じゃあね〜。

B:習得させ実践させる研修―正田はよく「自動車教習」を比喩に使う―
 みなさん、今解決すべき課題がありますか。みなさんが今から教える手法を習得して実践すればそれは解決できます。では、やり方をお教えしましょう。原理はこういうことです。やり方はこういうことです。では皆さんでこの実習をやってみてください。どうですか、できましたか。では、実際に職場でできるようになるために、宿題を出します。さきほどの実習でやってみたことを、今度は職場でやってみてください。宿題をご返送いただいたら、必ずコメントしてお返しいたします。


 いかがでしょ。
 Bの方が明らかに「重たい」ですよね。

 読者のみなさんは、どちらの先生の方が「好き」ですか。

 また、どちらの先生の方が、「恨みを買う」ことは多そうだと思いますか。

 どちらの先生の方が「偉い人」っぽいですか。


 読者の方はご存知のように、正田は長年、確信犯で「B」をやってきました。その結果が「12年、1位マネジャー続出」です。

 「B」の方が明らかに「損」です。楽しくないし(実際はある程度は楽しい。「A」ほどは楽しくない)、、「A」と比べて「鈍重」な印象を与えるし、習得し損なったひとから恨みを買いやすいし。
 恨みを買ってきたから、正田は12年間満身創痍です。

 「A」のほうの軽やかで楽しげで歌うように話す系統の講師を知っている人は、そちらのほうを「好き」になることが多いです。自分が学ぶか否かは問われないですしね。

 ただし、「A」のやり方では、後々業績を上げたりモチベーションを上げたり、という効果は期待できません。「B」だからこそ、後に残る「研修効果」というものが出るんです。「A」のノリの研修をしてきたから、「コーチングは現実には使えない」って言われてきたんです。


 「B」の先生は、研修効果を出しても出しても尊敬されません。

 100年後ぐらいには、「B」の先生は偉い先生だ、ということになってるんですかね。


「自動車教習」の譬えを使うのは一つには、何かを学び習得するというのは必ずある程度のストレスを伴う、ということです。
そのストレスは、目的意識があれば、また真摯さや集中力があれば必ず乗り越えられるものです。

楽しくて何も習得しないでいい研修を期待してくると習得し損なう。し、講師への恨みが出やすいでしょう。


むだな言い訳をせず習得して実践する人のことは、好きだ。
わたしには愛せない種類の人たちが残念ながらいる。

 

 
 あと研修事務局との交渉の話題に必ずなる話ですが、「B」の方が長い研修時間が必要だ、ということもご理解いただけますかしら。私、時間が短いばっかりに「B」を意図しても結果的に「A」になっちゃうのがすごくイヤなんですよね。

 「A」の人たちがよくある「2時間」っていう研修時間数の基準を作ったんだと思いますけど、なんで、「A」の研修と同じ時間数でいいって考えるんですかね。「A」は単なる遊びで何も残らないんですけど。


 こういうことを書くのはちょっと疲れてるんですね。




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 福祉関係の機関から研修のご依頼をいただき、打ち合わせ。

 やはり「離職」がらみのお悩みが多く、色々お話しているうちに、

「…やっぱりそれは『承認』の問題ですねえ」

「やっぱりそうですか」

 けっして正田がそれしかしらないわけじゃないんですよ。でも結論としては、そうなんです。

 
「で、みなさまにどうやってそれを納得していただくかですよねえ。今この打ち合わせでのお話のような手間ひまを当日かけられるかというと、当日研修時間が2時間半しかないわけでしょう?」

「はい。すみません」

「いえいえ。そうしたら主催者様の方から冒頭あいさつで、『こういう悩みがありますよね。それを解決するためには今日のお話の承認が特効薬なんです』ということを言っていただいたら」

「あ!わかりました、私それ言います」

「ありがとうございます。ぜひよろしくお願いいたします。

あとですね、『こういうお悩みがありますよね』っていうときに、決して『責める』口調じゃなく、『悩みは深いですよねえ』って共感モードで話していただけたら」


「ええ、そう言います。あ、『私の組織では実はこういう悩みがあるんです』っていうことをお話します」

「それは素晴らしい!主催者様がご自分から自己開示をされたら、皆さん『ああ、なるほど』って思ってきかれると思います」


・・・と、とてもテクニカルなお話なのですけれど近年は「研修を依頼する」ということがめったにないイベントになってしまったので、貴重な機会をむだにしないためにもこういうすり合わせは大事であります。

 この主催者さんは女性で、ご自身当事者意識の高いかたなので助かりました。
 
 大仰な表現ですが「研修を依頼する側の覚悟」って、必要なものなんだろうと思います。主催者が傍観者を決め込んじゃったらダメですよね。

 「覚悟」は、もともと責任感の高い人なら自然と持っているけれども、ストレングスファインダーでいう「責任感」が低いところにある人だと、「覚悟」なんて言葉を使ってしまうと引いてしまいます。「覚悟」を要求できる人とそうでない人がいます。女性はおおむね男性の平均値より責任感は高いとおもいます。「産む性」だからね。うむうむ。


 
 この打ち合わせでもうひとつ面白かったのが、

「仕事のやりがい」というのを図の真ん中に丸の中に書いて、それをもたらすものとして横に「利用者さんの感謝、喜んだ顔、向上」というのを描きました。

 もうひとつ「やりがい」をもたらすものとして、ナナメ上に「上司・先輩からの承認」というのを描きました。


 「普通は、福祉のお仕事の方だと使命感が高いので、こちらの『利用者さんの感謝、喜んだ顔、向上』だけで仕事のやりがいは満たされる、というふうに考えられています。

 ところが、本音のところではこちらの『上司・先輩からの承認』をノドから手が出るほど求めています。とりわけ上司・先輩は、専門職の方の専門的スキルの向上ぶりがよくわかるので、その人たちが専門的スキルをほめてくれると、ものすごくうれしいんです。それがあれば満足度が上がって離職しないし、なければ満足度が低下して離職にもつながってしまいます。

 利用者さんは、それに比べると感謝はしてくれるけれどあまり専門的なことはわからない人たちなので、感謝してくれてもアバウト。上司・先輩は利用者さんでは満たしてくれないことを満たしてくれる存在なんです。」


「それはよくわかりますねえ」

と依頼主さん。

「…ただ、みんなは普通はこちらの『利用者さんからのフィードバック』のほうで使命感が満たされる、と思っている。上司からほめられたくて仕事してるんじゃない!って思っていると思います」


「そこなんですよ」

と私。

「高い使命感で仕事している組織の人ほど、心が少し硬くて、『上司からほめられたいわけじゃない』って思っていることが多いです。でも実際は、そういう組織でも上司のかたが『承認』を心がけていただくと、如実に各種指標が上がってしまう。身体が自然と動いてしまうんです。

『承認欲求』って、口に出していうのは恥ずかしいものでみんな表向きは言わないんですけど、潜在的にはだれでもすごい大きな欲求を持っている。『承認論』の太田肇教授は、『承認欲求は人の心の中の巨大なマグマ』と言っています。さあ、このたびの研修でみなさんそこに気づいていただけるといいですねえ」


 言いながら、私はつい別の組織のことも連想してしまっていましたが…ないしょ。


 いつも同じようなやりとりをして同じような研修をして(爆)、芸がない人生ですが、やっぱりこのことに早く気づいていただかないと、組織活性化はおろか組織崩壊が止まらない。若い方や中堅が去り、組織の年齢差はますます開き、組織の継続性が不安になってくる。そして地域に重要な役割を果たしている組織が機能を果たさなくなってしまう。

 ちゃんと根付いていただいたら、やっぱり皆さんとてもいいことになります。幸せは全部そこからです。ので冒頭の打ち合わせ事項に戻ります。


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 昨21日の丹波市ボランティアに行くことについて、決して最初から1人で行きたかったわけではなくて、フェイスブックやうちのNPOのメーリングリストでご一緒に行くお友達を募っておりました。

 結局だれも反応してくれなかったから1人で行った…と思っていたら、NPOの1人の会員さんが「実は・・・」と今朝、メールをくださいました。前日になって予定が決まり、21日急遽お子さん方と3人でボランティアに行かれたそうでした。

 小学生と中学生のお子さんはそれぞれ体力に合った作業をされ、とてもいい体験をされたそうです。

 ああ良かったNPOメンバーに声をかけて(*^_^*) 会えなかったのは、ザンネン


 ほらね、賢くて優しくて仕事できて感じいい人がボランティア行くってホントでしょ(^O^)



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 21日、豪雨による土砂災害に見舞われた丹波市の災害ボランティアに行ってきました。


 朝9時、丹波市役所市島支所にある復興支援ボランティアセンターに到着。

 何組か学校やYMCAの団体のボランティアが来ていましたが、個人のボランティアの数はまばらです。9月に入って急速にボランティアの数が減ったそうです。

 ボランティアセンターには軍手やマスク、ペットボトル飲料が大量に用意され現場に自由に持って行けるようになっていました。昼食だけは自分で用意する必要があります。社協の人たちがとても丁寧な口調でボランティアに説明や割り振りをしてくれます。

 3人1組の班になりマイクロバスで支援先のお宅に連れて行ってもらいました。


 最初に行った先は製材業(と建設業?)の事務所で、裏山の土砂崩れの直撃を受けたところでした。大量の土砂を掘って運搬する作業が丸々残っています。

 そこでいきなり挫折。土砂を運搬するのは女子にはムリ。そもそも土砂を積んだ一輪車のハンドルが持ち上がらない(正田には)ということがわかりました。何のために筋トレやってるんだろうかこの人。


 私たちの班は男子1名女子2名なので、隣の屈強な男子ばかりの班とトレードしてもうちょっと軽作業の現場に替えてもらいました。そこは個人のお宅で、家の中の土砂の撤去は終わり、あとは隣接する田んぼに流された家財道具を掘り出してまだ使えるものと廃棄するものと選り分ける仕事、それに家の中をきれいに拭き掃除する仕事などでした。


 作業は到着時(ほぼ10時)〜正午、昼休憩を1時間とって午後は13時〜15時で終了です。

 田んぼの土砂からごみや家財道具を掘り出す仕事では、自転車やスチールラックなど大物のほか、服や本なども大量に埋まっていました。

 私は家の中の拭き掃除を割り当てられたのですが、拭き掃除とはいえ敷居や柱の角の所に泥がこびりついているので、それをブラシや竹串を使って掻き出す作業がまずあります。粘土質の細かい泥を掻き出すともうもうと土ぼこりが立ち、マスクは必須です。

 こうして手作業というか肉体労働をするとやっぱり日頃そういう仕事をしてないのがもろに出てしまう、周りの人の方がはるかにきびきびしているなあ、と脱帽。いいんです、自分のダメさを知るのも。



 同じ班の人と昼休憩におしゃべりすると、ご一緒の1人は40歳学童保育指導員(女性)、この人はボランティア4回目ということできびきび指示を出してくれます。もうお1人は32歳契約社員(男性)、私と同様初めての参加。

ボランティアで出会う人は、特に個人で来る人は、賢くて優しくて仕事できそうで感じいい人が多いと思う(正田以外は)。ネットではよくダメなボランティアの悪口が書いてありますが、ほとんどの人はそんなことありません。多分初期の頃は人数がずっと多くて1つの現場でスペース的にもそんなにたくさんの人が作業できないようなとき、やることが見つからなくておしゃべりばっかりしてしまうボランティアとかができるんじゃないでしょうか。ちょっと時間を置いてから行くのがコツだよね。こらこら。


 15時には何とか割り当てられた範囲の床の拭き掃除を終わりました。


 途中、このお宅の人から被災当日の写真を見せていただきました。家の中、海になっていました。この一帯は裏山からの土砂崩れと、近くの川の決壊したのがダブルで来たようです。家自体はしっかり残っていますが、リフォームして住めるようになるのはまだ先のようです。
 お宅の人もボランティアのためにお菓子や果物や飲み物をたっぷり用意してくださり恐縮してしまいました。


 神戸から来たというと震災のときはどこに住んでいたかときかれ、東灘区住吉ですと答えたときに、あの時の気持ちがよみがえりました。2.5歳と1歳弱の赤んぼを抱え、自分たちは無傷だったけれど他人のためには何もできず、してもらう一方だったこと。子供が手を離れた今は孤独と引き替えに人様のために何かしようと思えばできるようになったのでした。


 帰りには、高速料金が無料になるというので、丹波市役所で「災害派遣等従事車両証明書」を発行してもらいました。

 あっ、私は今回使いませんでしたが「無料入浴券」ももらえるようです。


 被災地での写真撮影は控えるようにとのことですので写真はありません。


 うーんボランティアの人手まだまだ必要ですね。特に泥出しには男性の力が必要です。お心のある方、ぜひどうぞ。


丹波市復興支援ボランティアセンター 及び有料道路料金の無料措置について

http://www.tambawel.jp/publics/index/88/&anchor_link=page88_326#page88_326

 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
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 昨日が宿題の締切日だったので夕方からお返事タイムになりました。


 「まだ部下がいないので」と、同僚のパートさんと配偶者様に対して素晴らしい実践をされた受講生さんより、とても嬉しいコメントをいただきました:


科学的な方法でありながら、結構簡単に実行できる行動承認はすぼらしいと思った。
全ての人が本方法を習得したなら、円滑に仕事が行えるのではないかと思った。
私は、先生の講義を受講された企業さんが、次々と実績1位を達成していることに、納得しました。
受講できてよかったです。ありがとうございました。



 ああ良かったなあ。こんな風に思っていただけて幸せ。(*^_^*)


 この方をはじめ、日々非常にたくさんの業務をこなし自律性、使命感高く仕事しておられる方々から「宿題」が届くと、もちろんその都度心を込めてご返信するんですけど、


「わたしなんかがこの方々に偉そうにお返事を書いていいのだろうか・・・」

という迷いも起こります。


 その都度また、

「だれかがこの役回りをしなければならないとしたら、恐らくわたしなのだ」

と思うことにしています。


 受講生さん方の実践ぶりと相手の反応を読ませていただくたび、頬のゆるむのを抑えられない…なんてことは内緒にしておきたい。


****


 11月初旬出版予定の本の出版元(株)パブラボ社の菊池社長から、

「電車広告の枠を押さえられました」

と、ご連絡をいただきました。都営新宿線(一部京王線乗り入れ)の全車両に11月の1か月間掲示されるんだそうです。

「じゅうぶん勝負できる内容ですから」

と、仰ってくださいました。

 
 篠山弁とか関西弁満載の本が、東京で勝負できるんかいな。

 掲示されたら上京してみにいこうっと。


 本のタイトルはまだきまりません。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 1つ前の「ロスジェネ君」からのメールにわたしから書いたお返事です。

 多少、その後またロスジェネ君からいただいたメールに照らして編集したところもあります:





いつもながら、
こんなに言っていただいて
ありがたいような申し訳ないような、
こんなに言っていただけるほどのものをご提供したかしら!?
こんなリアクションいただけるなんて夢じゃないかしら?
と自問自答し…、

セミナー企画者「ロスジェネ君」のこれまで見てこられたものは
どんなだったのでしょう。

お蔭様で、
このところ迷いながら決断したことにも
ちょっと背中を押していただいたようです。

「ロジカル」であるということは、
わたしにとって受講生さんへの「愛」なんです。

セミナーで巧みな話術で作った「納得」なんて、
かならず翌日には冷めるんです。
ジャパネットたかたにお電話すればいいっていうものじゃなく
職場という日常の中でやり続けることが問われますから。
おっしゃるように
一歩職場に戻ったら意気阻喪することがいっぱいで
とてもセミナーの時の熱など維持できませんから。


そうじゃなくて、
あのときの熱は冷めても、
迷ったらもう一度このロジックで考えてごらん。
この行動が正しい、って何度でも納得できるから。

大丈夫だよ、
何度でも考えて、何度でも納得したらいいんだよ。


わたし自身が、あとでちょっと考えると破綻しているものが嫌いなんです。
多分普通のマネジャーたちもそうだろうと思うんです。


でもほとんどの人は、
「あのセミナーの後自分は行動できた」
とまでは言えるんですけど、
「あのセミナーで自分は行動できた。
なぜなら、細部までロジカルだからだ。
自分が迷わないで済むように細部まで丁寧に作られていて、
そのロジカルさに先生の愛を感じるからだ」
とは言ってくれません。


「ロスジェネ君」が初めてですね、
ここまで評価してくださったのは。
その感性がすごいと思うし、
感じたことを言語化する力もすごいと思います。


わたしは、「ロスジェネ君」のその言葉の力がなかったら、
平凡な講師として永遠に埋もれてしまったかもしれないと思います。
「1位」も単なる偶然として。
うちのNPOの会員さんたちも、
わたしのことを優れた講師だなんて思ってないですから(苦笑)


ご指摘されている、
他の講師先生のことについては色々感じます。

多くについて、わたしも駆け出しの頃同様の顔から火が出るようなことをやってい
た、というのと、
ただ幸いあとでそれを自分の未熟さだと思うことができた。
今のその先生方もいつまでもその域にとどまらないことを願います。

ともあれ
批判は大事なことですね。
それがないと進歩しません。
研修業界はちゃんとした批判がなさすぎました。



 「ロスジェネ君」のお蔭でわたし自身も
 忘れていた、
 「自分はなぜこういう今のようなやり方を選んでいるか」
 を思い出したところがありました。


 「残念」な宿題のことを2つ前の記事で取り上げてしまいましたが
 一方で「褒めなくてもいいんですよね」とおっしゃった受講生さんからは
 すごく心を打つ、行動に即した承認の実践例が届き、
 相手のかたの反応も良好で、
 ああちゃんと響く人には響いたんだ、とほっとしました。
 有難いことにそちらの方が多数派です。
 

 ・・・まあ、この話はこれくらいにしましょう。

****


 「批判は大事」ということでは、
以前「正田先生にはCriticismがある」ということを賛辞として言ってくださった哲学者の先生もいてましたが


このところ、「ほめる研修」あるいは「承認研修」も関与しているのか、
「ちゃんとした批判の存在しない企業・組織」というのを目にします。


またわかりやすいところでいうと、チラシ作製の話になっちゃうんですが、
数年前(時効と思う)
あるところで研修を依頼され、依頼元の組織がチラシを作ることになりました。

すると、作る人が新卒のまったくそういう作業初体験の人で、
ワードベタ打ちの状態のチラシを添付で講師のわたしに送ってきて「みてください」っていう。
全部明朝体。

レイアウトは無視して文面にだけコメントしたいところですが、
何しろワードの「行づめ」の作業を全然してないので、
盛り込める文字数がすごく少なくて、
そのことが文章の情報量に多大な影響を与えてしまっている。ほとんど情報らしい情報を盛り込めてない。

仕方なく、「行づめ」のやり方をメールで教え、
ついでにフォントの種類や大きさを変えることを教え、
「過去のセミナーのチラシも参考にしてくださいよ」
と言いました。
ついでにその組織の上位者の人に
「こういうことは組織内で教えてください。社外のわたしに教えさせないでください」
と言いました。
「あっすいません人員が少ないもんですから」
と頭をかいてました。
出来上がったチラシはやっぱり「それなり」のちぐはぐなレベルのものになりましたが
社外のわたしにはそれ以上のことは言えず。


案の定そのセミナーに人は集まらず、
組織内で必死で集客してたようでした。


組織内でOJTをやると「パワハラ」って言われたりメンタルで休まれて責任とらされる時代なんでしょうか。
甘くって、レベルの低い仕事になってますね。

社外講師に迷惑かけないでほしいですね。
OJTも代行させるならその分の謝金もください。


あっこれロスジェネ君に言ってるわけじゃないんですよ、
時期的に気になるかもしれませんがたまたまそういう話題になっちゃっただけですよ。

とにかくどんなレベルの仕事をしても判で押したように「すばらしい」って言うのはやめましょう。


「承認研修」は、なるべくそういうはき違えた甘さをつくらないように気をつけてるつもりなんですが、
・・・


****

あっそうそう。
上記の「新人さんのチラシ作製」の話は、
ありがちな「男性上司と女性部下」の構図でもあるんです。

たぶん、
「女の子は下手に指導すると泣いて面倒だから外部の女の先生に指導してもらおう」
と男性上司が思ったんです。
おおいやだ。
最近わたしが「女性意識改革研修」をお断りしちゃったのも、それっぽい嫌な空気を感じたからです。
女性は本来家事も育児もできる、すごい有能で当事者意識の高い人たちです、生まれつき。
それが有能でないとしたら、上司の責任です。


 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 先日セミナーに来ていただいた「ロスジェネ君」から、またあったかいメッセージをいただきました。

 ご本人様の了解をいただいて、転載させていただきます。

 (なお9月6日のセミナーに来られた方はおわかりのように「ロスジェネ君」は決してわたしの捏造ではなく実在の人物です)


------------------------------------


正田先生

おはようございます。

ブログを拝見して改めて、先生のセミナーが、
やはり僕にとってなぜ面白いのかを知りました。

先生の言葉には、よどみがありません。

これがなぜできるのかにすごく興味を持っていたのです。

事実を一つ一つ確認しながら、また、ロジックの飛び抜けもできるだけないように
着実に進められてるということを知り、改めてそこまで考えてお話いただいていることに
感銘を受けました。丁寧な事実確認をしていただいているんですね。

その一手間が、大きな違いを生むんですね。

押しつけではない、奥ゆかしいきめ細やかな心配り、その奥にある努力を
感じれないガサツな不感症の方には、先生の承認教育を受けるのは少し早いのかもしれません。

お互いのリスペクトなしに何かを学ぶことなどできるわけがないのですから。

先生独特の間は、聴きての僕にとっては、一節一節、噛み締めながら、
確認しながら進めていけるところがすごく入ってくるし、楽しいのです。

先生が事実を一つ一つ確認しながら、進めてくれる言葉にリズムを合わせ、
噛み締めながら聴いて、メモを取るとすごく入ってくると思いました。

最初からわかる人はいないのかもしれませんが。
そういうものだと理解できると何倍も面白いですね。

その上、考えて答えがでるまで待っていただけるし、というか、ロジックの正確性が段違いなので、必然的に頭が整理されて、最後には、ちゃんと答えが出てくるという方が正しいかもしれません。あれは、本当にすごいの一言であります。

この勘所といいますか、落とし所を正確にわかっておわれて、進めておられるんだなと思うと、一般人の僕からするとビックリする出来事なのです。

あとは、先生も緊張されるんだなと思うと、表現が難しいですが人間味があって面白いのです。

どんなんやねんと思われるかと思うのですが、僕からすると、正田先生は、超人です笑

だから、ある意味こわいのです。笑

でも、実際にお会いしてお話すると本当に穏やかで優しいですね。

あっ。正田先生の研修を100倍楽しむ方法とか、教えてあげたら、いいかも。

僕もそうなんですけど、ガサツな人はすぐ空気を乱してしまいますので。

穏やかに優しく話してくれるからといって油断してると、やけどしますよ。そこの殿方笑

先生の通信社時代はどんなんだったんでしょうか。想像がつきそうでつきません。

いつか機会があれば、ぜひ教えてください。


(中略)


悲しいのは、なぜ、真摯な講師の先生と真摯な受講者が、引き寄せられないのか。

類は友を呼ばないのでしょうか。

たとえ、呼んでいても、一人の身勝手な振る舞いで台無しな気分になります。

ここまでくれば、あとは完全に意識の問題です。

嫌ならこなければいい。

真摯な姿勢の先生の話には、
お手並み拝見とばかりの重苦しい空気、おどけた態度は不要だと思うのです。

講師の先生も人間だし緊張します。

それによって、いいたいことも言えなくなったら、お互い不幸です。

改めて、外から見ても研修講師という仕事は大変だなと思いました。

肌寒くなってまいりました。
くれぐれも、無理などなさらないよう、御自愛ください。

良い日曜日をお過ごしください。


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ロスジェネ君、勿体ないお言葉ありがとうございます!

あのう、部分部分に「それは過分な賞賛でしょう」というところもあるのですが

目に見えない配慮のところまで読み取ってくださると、本当にああ幸せだなっと思います。



実はきのうこのブログに多分面識のない方から長文のコメントを頂きまして
通販業の方でした。

確かにこういうことがあるんだろうな、と思いました。
ので、「承認」(当ブログは「承認制」なのです)させていただいてしまいました。
ご興味のあるかたはブログ本文右横(かなり下のほう)のコメント欄をご覧ください。


こういうコメントがこのブログにこのタイミングで入るのも
一種のシンクロニシティかな、と思いました。


コメント頂いた元記事にあるように、
わたし及び当協会は「コーチング」という名前で仕事している人の言動すべてに
責任がとれるわけではないんです。
(多分投稿者のかたはそれはわかってらっしゃるんだと思います)

正直、「コーチング」という言葉で
世間に流通するコーチングすべてのイメージを被せられることに
疲れています。


NPOの名称、真剣に変更しようかな〜。
今年春ぐらいから複数の会員さんとの間で話題にしていますが
会員様方、どう思います?



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 最近また気がついたことを備忘録的に書いておこうと思います。


 わたしは「まじめタイプ」(親密性―責任感)なので、研修講師としては基本的にまじめタイプさんの言語でしゃべっていると思います。

 訥々と、あまりジョークは入れず(全然入れないわけではないですが。ロスジェネ君受けてくれてありがとう) 事実を1つ1つ押さえながら、またロジックの飛び抜けもできるだけないように、という。

 プラス聴衆へのリスペクトを込めて。

 いわゆる「話のうまい人」ではありません。それは聴かれたかたはすぐ気がつくと思います。



 一方で、この業界にはもっと話し方の上手い人がいっぱいいて、たっぷりの「笑い」の要素を入れて話ができる人がいます。

 わたしなどには真似のできない芸であり強みだなあと思います。


 
 「コーチング」も、一時期笑いの要素をたっぷり入れた講師の方が主流で、「コーチング=面白おかしいもの」というイメージが1人歩きした時期がありました。
 「質問中心コーチング」のもつ、「自由」で「創造的」な雰囲気を売り込むのにそれは合っていたと思います。笑った瞬間に浮世の思考のたがが1つ外れるような気がします。


 ところが、それはやはり職場で普遍的に使える言語ではありません。


 職場にはお客様という相手がいて、働き手の人も育児や介護や自分の病気や、笑いごとで済まない事情を抱えた人がいっぱいいるとき、そこに必要なのは笑いではなく真摯さや共感だったりします。

 「マネジャーは真摯であれ」というドラッカーの言葉を引用するまでもなく…、


 結局、「まじめタイプさん」の言語でしゃべるのが一番無難な共通言語であろう、と思います。わたし自身がまじめタイプさんに生まれついているという制約もあるわけですが。


 というわけで「まじめタイプさん語」でしゃべっていると、残念ながらソーシャルスタイルで「P」の人にとっては不満の残る研修になるであろう、と思います。

 とりわけ、過去に他流派のコーチング研修やほめる研修を受けたことがあり、そこにある強烈な「笑い」の要素に魅力を感じて同じものを研修に期待されてこられた「P」の方には、不満が残るだろうと思います。


 従来のコーチング研修機関は結構「P」の人格の人を前提に教育プログラムを作っているようなところがあって、
 そのことにわたしは疑義を呈してきたほうなのですけれども。つまり職場的な秩序の世界へのアンチテーゼの意味しかもちえないのではないかという。ごめんなさい「12年、1位マネジャーを作ってきました」の仕事の中にはそういう思索も入っています。



 こんなことを考えるのはときどき「残念」な宿題をいただくこともあるからで、冗談半分にデフォルメした形で「承認」を使っていて部下も「は?」という反応をしている。普通に指示されたとおり、あるいは例示したとおりやっていただければこうはならないだろうに、という。
 折角職場を良くする一番いいツールをお伝えしたのにな〜、たぶんこの人は「P」だろうな〜、と思ったりするから。率としては決して多くないです。


 たとえ「P」でも普通に聴いていてそういう誤解の余地はないはずだと思うのだが、経験的にはよその研修機関や先生への思慕が強くて「正田を負かしたい」という気持ちが働く人だとそうなってしまうと思う。そういうのは宗教戦争みたいなものですね。



 以前は叱りつけるコメントをしたこともあったのですが、50になってさすがに少し血の気が減ってきたのか、最近ではあっさりと「宿題提出ありがとうございました」だけ、お返事しています。本気でない人に本気で相手することはないのです。



 たぶんそうした宿題を提出する人はこのブログは読んでないと思う。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 レディースデーなので映画「イン・ザ・ヒーロー」を観てきました。スーツアクターさんたちを描いた映画です。


 109シネマズHAT神戸では観客数、片手の指で数えるくらい(泣)

 池井戸潤ドラマで主役の社長をやっていた唐沢寿明がんばっています(←同い年)。ラストのアクションは感動ものです。


 わたしたちの世代は「正義感」をヒーロー物で作ってもらったのかなぁ。と思いました。

 お兄ちゃん子だったのでウルトラマンシリーズはよく観ていました。民放が1チャンネルしかない田舎に住んでいた小学2年の時に「帰ってきたウルトラマン」が放映され、厳しかった親もそれは観させてくれたので週に1度の楽しみでした。

 そのうち4年生、5年生になると周囲は「仮面ライダー」の方に行っていたので慌ててそれもみました。


 そして6年になると「背伸びしたがり」で漢籍も読み史記も論語も荘子も読みましたがそれはちょっとええかっこしいで、もっと根源的には「ヒーロー物」に心をつくってもらった気がしています。

 大学生になると「ジャッキー・チェン」にはまり、ほかにもっと普通の話題作もみてるんだけど底流にはその手のものが流れています。


 この世代の感覚ってもっと若い人には伝わるのかなぁ。


****


 商工会連合会様での研修の翌日にさっそく2人の受講生さんから「宿題」をいただいてしまいました。いずれも大変レベルの高い実践でした。

一番乗りで午前10時に2人の同僚の方に対する実践の宿題を送ってくださったかたに、わたしは「当協会史上最速のご提出です」と賛辞を送りました。


 丹波市商工会様からワンツー独占とは、「スピード経営」をされているのカナ!?


 繰り返す水害で会員様も被害に遭われ商工会職員様もボランティアに出られたとか。今年はもう豪雨災害収まってほしいものですね。

 皆様が落ち着いて、益々いいお仕事されることをお祈りいたします!



また追記です。

 正田はこれまで「1位マネジャー」をあちこちで作ってきましたが、
 残念ながらそれを組織全体で追随しよう、横展開しよう、という動きにあんまりなってこなかったんです。

 このたび県商工会連合会様で全体として取り入れてくださったのは、某商工会局長からの強力プッシュもありましたし、商工会様全体の「学習する組織」の雰囲気、それに「承認」の手法自体がやっとメジャーになりつつあるのかな、と思います。

 これまでは「1位」をつくってもつくっても人事の人とかに「まさか」と思われるだけで、普遍的効果のあるものとは思っていただけませんでした。

 大丈夫ですよ、どちらでやっても再現していただけますよ。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 兵庫県商工会連合会様で2回目の管理職研修をさせていただきました。

 このたびも、各商工会の方々及び県連の方で計34名の大所帯の研修となりました。

 7月の時には来られなかった、豊岡、香美町、養父、新温泉町というところからも来られ、「オール兵庫」の色彩になりました。


 男性受講生の方が「承認ということは意識して仕事していないし自分も承認なしで仕事してきた」と勇ましい発言。

 別の受講生の方は「組織の指揮命令系統が上手くいっていない。自分から発信して(上司を経由せず)同僚に仕事をやってもらうことがあるがそういうとき『感謝』をしていると思う」

 女性受講生の方は「自分は部下がいないのでまだ『承認する側』になれないがまずは家族、夫や子供から使っていきたい。部下をもつようになったら『承認』を使いたい」


 ほらほら奥様が「承認」してくれたらいいなって思うでしょ^^


 各地に根差して頑張っておられる使命感の高い受講生様方の真摯な眼に出会えて幸せでした。


 皆様、宿題楽しみにお待ちしておりますよ!!


****


 松本茂樹さんの元部下の方にお会いしました。

 この方も銀行マンながらとても温かいハートで人材育成マインドをもった方で、

「松本さんと一緒の支店の時は楽しかった。みんなが頑張ってくれるから」

「あの支店のメンバーとは今も食事に行く」

とおっしゃいます。


 心正しい人とお話するとすがすがしくなり、疲れがどこかへ行ってしまいます。


****


 「女性意識改革研修」というのを、お引き受けしないことにしました。


 正田は、やっぱり管理職研修の人間です。上司次第で女性が輝きもし損なわれもするのを知っています。

 研修でつくった女性の意識改革は、いとも簡単に上司のもとで潰されます。

 それに手を貸すのは残酷なことだと思います。






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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 昨日、やっと「承認本」第二弾の「はじめに」の部分の初稿を書き終えました。

 ここには、「悪いマネジメント」のもとで苦しみ離職していく人たちの風景が描かれています。

 関係者の皆様、気の重い取材へのご協力本当にありがとうございました。

 いやこんなもんじゃない、もっとひどいところを知ってる、って言われる方がいるかもしれません。私のアプローチできる限界です、ごめんなさい。


 思うのは、

 メディアの人たちって恵まれすぎてるんです。
 自分たちは社会的意義のある誇りを持てる仕事をして、自分の名前を露出できて、一般社会よりはるかに「自由」な気風で。

 (その「自由」が、逆に「面白半分」の低品質の仕事も生んでしまうわけですが)


 自然災害に苦しむ人々にはすごく感情移入できるのですが、「悪いマネジメント」に苦しむ人々のことは透明人間のように、見えません。


(あと…、たまたま「悪いマネジメント」に着眼してとりあげたとしても、悲憤慷慨するふりをするだけで、「その解決策として一番いいのはわたしたちの手法を普及することだよ」って言うと、とたんに「そんな、正田さんを利することはしたくない」って言う、子供みたいに。)


 「はじめに」に登場する人たちは決して人より「甘い」「弱い」人たちではありません。むしろ普通以上に責任感があって、共感能力があって、正義感があって、仕事でも高い評価を受けた人たちです。良いマネジメントのもとでなら、気持ちよく仕事し、もらったお給料を蓄財し、あるいは消費して地域を潤したでしょう。その人たちが職場に残れなくさせるものがあります。



 
 なんどもいうように、「この本」に込められた願いをともにできる人と仕事をしたい。




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 「教育は間違っても人は死なない」

 久しぶりにこのブログに出てきました。

 これはもちろん「反語」です。自分に対しても、会員で「教える」しごとをしている人に対しても、「戒め」のようなものです。


 自分の教えたことが相手のもとでどういう化学変化を起こすか、ということは、なかなかわからない。とりわけ時間を切り売りして仕事する企業研修の講師はそういうところがあります。ましてやリーダー教育というのは…、目の前にいるリーダーたちではなく、その部下のところまで時間差でどういう形で届くか、想像するのはかなり難しい。


 そこまで想像するプロセス抜きでリーダー教育をしてしまう人はいっぱいいます。
 もちろん、成果は出ないです。成果どころか有害なものがあります。


 最近よくある話題で言うと、パワハラ研修の影響でしょうか、


「私は叱ってるんじゃないですよ」と繰り返し言い訳するけどどうみてもあんた叱ってるじゃん、というリーダーとか、

「あなたの人格を否定してるんじゃないですよ」と言い訳しながらどうみても人格否定してるじゃん、というリーダーとか、

 本来の研修でどういう教え方をしたかはわかりませんがそういうおかしなリーダーは多いです。

 だから、リーダー教育って短時間でやらない方がいいと思う。

 でも「短時間教育」が当たり前になってくると、ほんと断片的な知識とかメッセージを切り売りして、それをはき違えてとんでもない言動をとるリーダーが出現しますよね。

 それは少し余談なのだけれど、


 そしてまた想像力不足の講師が多いこと。


 冒頭の「教育は間違っても人は死なない」という言葉は、「間違うと人が死ぬ」業種の人たちへのリスペクトを込めて言っています。


 だめな製品をつくると不良になる。だめなサービスをしたら、あるいはあるアクションをやり忘れたらクレームが出る。そういう業種の人たちに対して恥ずかしくない仕事をしているか?という問いかけです。


 教育もそうだし、わたしの以前いた「マスコミ」もそうです。恐ろしく想像力不足で仕事をして平気な人達がいっぱいいる。一歩とか三歩先を考えて仕事をする習慣をつけないまま社会人をやってきてしまったので、そういう脳が発達していない。傍からみると「あんた面白半分で仕事してるの?」という人たち。


 
 
 マスコミ批判は置いといて、わたしの「12年、1位マネジャーを作ってきました」というのは、色々な要因があるのだけれど、そういう「ちょっとした想像力」にも負うているだろう、と思います。

 人事の人向けに見栄えをきれいにすることはそんなに考えてこなかった。受講生のマネジャーのもとにどう根付き、その人たちの部下のところまでどう届くか、を想像することだけは怠らなかった。わたしの考える「教育の品質」とは、そういうものだ。

 こういうことを口にするのは傲慢なようですけれど、後進に伝えるためにも言わないといけないと思う。

 他業種の人に恥ずかしくない仕事をしようと思ったら、「ちょっとした想像力」をもちましょう。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 執筆中の本の「篠山市商工会」について書かせていただいたくだりで、兵庫県商工会連合会(県連)様のご了承がいただけたと、同商工会の原田事務局長からご連絡をいただきました。ありがとうございます。


 小さなことですが一歩一歩前に進んでいけるのがうれしい。同商工会様には複数名の職員様にもインタビュー・確認にご協力をいただき、この本の中でももっとも「立体的」なエピソードになったところです。(逆に字数の関係で登場できなかったみなさま、ごめんなさい!!)


 こうした本に「実名で登場」していただけるというのは、一人ひとりの方のささやかな、しかし強い願いがこめられています。


 社会が幸福であってほしい。社会を再建したい。


 「この本」の願いをわかってくださる方と一緒に仕事をしたい。

 
 「地方創生」が最重要課題となった夜が明けて。



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 「承認本」第二弾の初稿はほぼ出来上がり、「はじめに」の章を残すだけになっています。

 
 ところがこの章が難産で、取材した登場人物の口の重いこと。

 わたしがふだんこういうこと専門に取材していたらいいのでしょうけどね。


 ある男性の友人は半月に及ぶメールのやりとりで「勘弁してください」と泣きが入りこのほど奈良まで行ってやっと細部を語ってくれました。問い詰めるあたしがパワハラリーダーになった気がしてきた。


 
 今日は女性の友人への取材でしたが、その過程で明るみに出たのは、いまどき的な奇妙なサラリーマンリーダー像。

 自己啓発セミナー入っているようにもみえるし、その前に認知能力少し問題あるんじゃないの?とも見える。「オレは一流だ」が口癖だったり髪をしょっちゅうなでつけたりするところはナルシだし、客先で自分の都合でバーッと話して10分やそこらで帰るというところは少し障害?とも思う。

 でも旧帝大出でIQは高い。そういう人物に限って財務諸表の数字をキレイにするのは上手で、そのために人を踏みつけにすることもいとわない。その人物の下で2年余で何人も辞めたり病気になったりしているという。人生を狂わされている。


 わたしもその人物に一回だけ会ったことがあるが、確かに「自己啓発セミナー?」と思うような、奇妙にエネルギーがぎらぎらした人物だった。「何がそんなに嬉しいの?」というくらいに。


 「エネルギーがぎらぎら」ということでいえば、いくつか前の記事に出てくる「わずか3万円をケチって年間200人を離職させる総務課長」も、妙にエネルギーがぎらぎらした人物だったのだ。顔の皮膚が妙にツヤツヤテカテカして笑顔なのだが、それは他人を踏みつけにすることを喜んでいる笑顔である。


 わたしのまだ知らない、立身出世主義のサラリーマン層がはまるような自己啓発セミナーがあるんだろうか。「うちの教育」では出ませんよ、そんなエネルギーがぎらぎらした人格のわるい人物は。

 そんな付け焼き刃の教育がつくった偽りの有能さを見抜けない上層部や人事も困ったものである。そんなだから日本人全体あたまがわるくなってるんだろうな。


 こういう不愉快なことも記録しておくとあとでどこかでつながってきたりするので書いておこう。


 
 わたしがせめてもできることは、「まっとうな総合的判断力のある人連合」をつくることだ。お勉強秀才じゃなくて。
 

 だからね「ああ自分は幸せなんだなあ」と思わなきゃだめですよ。誰に言っているのか正田。





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 また「泣ける」(いい意味で)ことが続きました。


 もうこのかたも10年を越すおつきあいになるでしょうか、チラシやWEBのデザインをお願いしている、(有)ファブリー代表取締役の村岡正司さん。いつも可愛いイラストを描いてくださる村岡みきこさんのご主人です。


 このたびは、11月7日の「事例セミナー」のチラシを作成していただきました。

 第一稿の直しを経てあがってきた第二稿のデザインは、もう感涙ものでした。

 シックでダイナミックで説得力があって。
 普通以上に大量の文字情報も入れていますから、そこにデザイン性(それも筋をはずしていない、コンセプトがきちんと伝わる)をこめるのは大変なことです。

 わたしは「お祭り騒ぎ」のメールを村岡さんにお送りしました。

 確認のためお送りしたうちのNPOのメンバーさんも、PCの前で「おおっ」とのけぞったそうです。いい意味で。


 えっ、見たいですか。どうしよう…^^ 


****


 23日は、NPOの理事会でした。理事3人プラスオブザーバー1人の4人で行いました。

 えっ、「組織の運営は大変ですねえ」って?うちの場合は「大好きなおともだちに会う会」なんです…

 
 しかし楽しいだけではなく、このたびはかなりシビアな状況のお話をしました。

 「教育研修」に対するお客様の「安、短、省(やらない)」志向。その結果離職をはじめ諸問題がどんどん悪化し、人の質が低下していること。

 県内最大手クラスの福祉法人―「離職」でも悪名高いところ―の悪質な値切りぶりも事例として出しました。1人の総務課長の「わずか3万円」のケチりのために、離職率から概算すると年間200人が、何か月も苦しんだすえに職場を離れているのでした。

 そういう形の「倫理的な悪」がおこなわれているのでした。経常利益10%のところだそうです。


 さまざまな研修が世間にありますが、正田はこのたびはこんな言い方をしました:

「ほかの研修が80点とすると、『承認研修』の価値は1000点。100点を通り越して1000点。比べものにならない。

何故なら恐ろしく広範囲に効果があり、拡張性が高いから。衛星のようにほかのものを周りにひっつけていけるから。例えばアサーション、ファシリテーション、NLP、パワハラ、メンタルヘルス、ワークライフバランス、離職防止、女性活用、障碍者、外国人―。」


 それら「衛星」の部分を個別に取り組んでも大した効果があがらない。しかし「承認」の側から入ると爆発的に効果が出る。そういう、ものごとの「勘所」をつかまなければならない。

―もちろん、うちのメンバーさんはそれぞれの現場でそうした「勘所」としての「承認」をしっかりおさえている人たちです―

 
 メンバーさんからも嬉しい声が出ました:

「自分は『承認』の広告塔であろう、と思っている。だからしっかりやらなければならない、と思ってやっている。」

「『承認』は現実認識の方法でもある。みんな(社員)が心の中のことをちゃんと話してくれるから、どう思っているか手にとるようにわかる。だから大きな問題が起こらない」


 また、「研修導入」ということと「人びとの責任感」という問題についての発言:

「問題があるのがわかっているとき、しかるべき立場の人が、『自分のところで多少の予算を組んでも止めよう』と思っていない。定年まで大過なく生きていければいいとそれだけを思っている。過去に比べても人びとの責任感が低下していることが問題解決を遅らせている」


 正田がこのたびの本の中に盛り込もうとしている「認知症の人への『行動承認』」については、

「承認王子」の林さんから、「私も現場でやっていて、効果があると実感しています。教科書にはまだどこにも載っていませんが」とのことでした。

 「承認ワールド」の人たちは、「フロンティア」を行くことを辞しません。


 そんなわけで仲間とともに幸せな夜でした。

 また今日からがんばろう。

 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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ほっとしたお話を1つ。

しばらく疎遠になっていた人を執筆中の本のエピソードで取り上げることになりました。
「承認」で大きな成果を出した人ですがその後他研修機関の考え方に流れてしまわれ、疎遠になっていたのです。
(以前はそういうことがよくありました)

その部分の原稿を書いたあと、やや緊張気味にメールを送りました。

-------------------------------

大変お世話になっております。
企業内コーチ育成協会の正田です。
ご無沙汰しております。
お元気でお過ごしですか。

今、二冊目の著書を執筆中です。
遠い昔のことで恐縮ですが、
2006-07年当時のことを添付のようにエピソードとして盛り込ませていただけたらと思います。
ご本人様が特定されないよう、仮名にしておりますので
ご了承いただければ幸いです。
また、もしディテールで補足追加できるところがありましたら
(特に赤字部分等)
お願いいたします。

「承認教育」は現在も強烈な成果を出し続けており、
人類の財産にすべきものと思っています。
何卒ご協力お願いいたします。

------------------------------

緊張している感じがわかりますでしょ?(^^;

思いのほか、その日の夕方に、原稿の細部に少し手を入れたファイルを返送してくれました。
「その節はありがとうございました。添付のように変更を希望します。よろしくお願いいたします」
というメッセージを添えて。

とうとうお返事をいただけないかも、と思っていたのでほっとしました。

この人にとってはあれはどんな記憶だったのだろう。でもそれ以上きくのはやめました。


****


幸せなお出会いややりとりにも恵まれる一方、やはりちょっと疲れています。

「承認」のことは「認めない」くせに自分のことは承認されたい、そういうねじくれたロジックの人からメールをいただくことがたび重なり、どうお返事をしたものか半日から数日も考えてしまうことがあります。

そういうのも暑さでこころが疲れていることによる現象なのでしょうか。

各地で豪雨災害が続き胸が痛みます。
(犠牲者のかたのご冥福をお祈りいたします)

どうも、3年前もそうでしたが災害報道のさなかに関係ない人の間でも、変な残念なコミュニケーションは増えるように思いますし暑さも影響するようです。


****


早期教育についての週刊誌記事で、「デジタルに情報を処理する訓練ばかり幼少期に受けた人は相手の感情を汲み取ることが苦手」というのを読み、ウーンと考えてしまいます。

リーダー教育の中でも「感情」の大事さを言い、「決断とは感情の固まりだ。感情のない人薄い人に良い決断はできない」ということを言います。

わが子については早期教育的なことはしなかったし、「感情の言語化」ということは大事にしてやってきたつもりなんですが―、

大事なことについて「これは大事だ」とズキンとこなかったら、見過ごしてしまいます。「要らない」と思い込んで省いてしまうという、とんでもない失敗を犯すかもしれません。そういう「ズキン」とくるこないも「感情」のはたらきです。


そういうタイプの人が過去12年、わたしの立ち回り先にも多かった。だから苦しんできた。最近はわたしと同じようにズキンときてくれる方々との交流がやっと増えてきた気がします。

できれば今は、わからないタイプの人に出会いたくない、やっぱりわたしも疲れているから。



****


中嶋ゼミの伊藤努先輩が神戸大で集中講義をされ、打ち上げに誘っていただきました。
伊藤先輩はわたしが会社勤めのとき同じ会社のハンブルグ支局特派員で、「ベルリンの壁崩壊」「東西冷戦終結」をカバーされた方です。今は国際情勢、軍事情勢などの編集をされています。

それとは別に非常に細やかに人々のプロフィールを記憶し、言語化し、めんどうをみられる方で、わたしは「オキシトシン受容体遺伝子GG型でしょ」と言ってしまいました。やはりニックネーム「人事部長」だそうです。

こういうかたがあのとき本社勤務でいらしたらなー。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 しばらくブログの更新が空いてしまいました。

 嬉しかったことが続けてあり、忘れないように日記につけたいと思います。

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 稲美町商工会様より「サービス部会講習会」での講師のご依頼をいただき、20日ご挨拶に行ってきました。

 先日兵庫県商工会連合会の事務局長会議(局長会)で配布いただいた当協会の離職防止のA3パンフが担当者Sさんのお手元にありました。黒石局長より「これは会員の中小企業の気持ちをよく考えたコピーだ」とおほめの言葉をいただきました。
 はい、

「あなたの会社が永〜く続くために・・・
儲かって人も辞めなくなる欲ばり研修、あります」

というものです。

 わかってくださる方にはわかっていただけるものなんだなぁ。と感激しました。

 黒石局長は篠山市の原田局長の師匠のような人らしい。加東市商工会の事務局長を定年退職後、自ら希望して局長として初めての異動をし、稲美町にこられたとか。このかたもミッションをまっすぐ高く掲げる、独特の迫力のあるかたです。


 本年は、わたし及び当協会は「承認」に終始していて成長がないかんじがしますが、従来に増して「伝え方」のブラッシュアップに取り組んでおります。



****


 翌21日は、篠山市商工会様の労働環境向上研究会というところで「離職防止」の講演でした。

 県内の経済団体様より「離職防止」のテーマでのご依頼をいただくのは初めてです。

 これは、同商工会の女性職員Tさんのお手柄。労研の総会で上記の当協会パンフを配っていただいたところ、会員が「こういう研修なら受けたい」と反応され、そこで初めて若手の早期離職問題が会員様のところにあることがわかったのでした。Tさんのちょっとした賭けのようなものでした。


 ちょうどその2日前、日経ビジネスオンラインで

 ”かまって新入社員”の育て方
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140818/269987/?rt=nocnt

 という記事が載り、

「尊敬する上司の存在が離職リスクを減らす」、その「尊敬する上司」とは細やかに面倒をみてくれ相談に乗ってくれる上司であり、従来のわたしたちの想像するよりはるかに「育成型上司」のことです。


 これで、「上司への承認教育が離職を減らす」ということが、イメージではなくロジックとしてやっとつながることになりました。

 当協会の会員様は「自分のところ(部署)では離職は起きていない」と言い、しかし一般化していいのか?と迷っていたところでした。


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 その講演の中の実習で「承認」される側だった商工会の女性職員Aさんが感激のあまり泣き出してしまうハプニングがあり・・・、

「こんな風に上司が見ていてくれたら・・・どんなに嬉しいか・・・」

 あらら、商工会管理職の皆様大丈夫ですか^o^

 きっと「承認」する側のかたの観察と描写がすばらしくて、かつ責任感の高いAさんにとっても、その話の内容がシンクロするものだったのだと思います。そういうシンクロが起きるときって、あります。


 でもそのAさんの涙顔をみていると、やっぱり「美しいなあ」と思いました。仕事の場でひたむきになれるって素敵。そうさせることのできる職場も素敵。そして「承認」ってやっぱり凄い力のあるものです。

 あたしもだれかに泣かせてもらいたいなあ。こらこら冒頭に泣かせてもらったじゃないか。


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 こんどは当協会会員様の間で「お子様に『行動承認』を使ったエピソードを教えてください」というメールを回しています。

 さっそく、男性会員の柏原さんと脇谷さんから素敵なエピソードを送っていただきました。パパの「承認力」のエピソードってすばらしいです。「会員同士公開OK」なので、ありがたくまた共有させていただきました。


 台風と豪雨後の神戸はこのところ嫌な暑さ。去年も思いましたが、猛暑の中では人々は意地悪になり、他人が嫌いになり、ちょっとしたことから攻撃的な言動をとります。


 そんななかで「承認」の行動様式がきちんと体に入っている人たちはコンスタントによい言動をとります。そのことは、去年の猛暑の中回収した統計調査でも思いました。


 きっと会員様方はそちら側の人たちであり、また自分たちと違って人を傷つけるコミュニケーションをとる人のことをみて心痛めていることだろう。


 そんなとき会員様同士が送ってくれるエピソードが心を癒してくれることを祈っています。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

 このブログはなるべくいいことを書いてわたし自身「良い人」と思われたいのはやまやまなんですが、

 定期的に「わるいこと」も考えます。

 「わるいこと」をちゃんと見て考えないと「良いこと」もなしえないです。ほんとですよ。


 最近のテーマは「当てこすり、ほのめかし」というコミュニケーション手法について。いえ、手法なんて立派なものではないんです。ないですよね。


 定量的に調べたわけではないですが、どうもこの「当てこすり」の類のコミュニケーションが増加しているような気がします。

 
 「当てこすり」とはたとえば、あなたに「A」という身体的特徴がある、あるいは「A」という前歴がある、というとき、あなたと関係ない第三者が同じ「A」という身体的特徴があるか前歴があり、しかもその人は嘲笑すべき人である、という形で話をすることによっておこなわれます。

 想像つきますでしょうか?
 言われたあなたは、「どうも自分のことを言われている気がする」と気がつき、こころが傷つく、しかしそのことを発言者に問いただすことははばかられる。
 もし問いただしたら、
「気のせいだよ、気のせい。あなた自意識過剰だよ」
と一笑に付され、被害回復をできる見込みはほとんどない。


 だから、当てこすりとは加害者が罪を問われるおそれの少ない、便利な加害行為だ、ということになります。
 
 
 そういうのが、マネジメント上必要な叱責との区別がつかない形でおこなわれたら―、それはめちゃ鬱陶しいだろうな、と思います。たとえ身体的特徴でなく行動面の指摘であっても。

 ただそれが増加傾向であるように思います。

 マネージャーにとっては、部下を叱責したという証拠を残さずに部下をイヤな気持ちにさせ、あわよくば改善させることも狙えるかもしれません。


 しかし、部下はたとえそれが不快で改善したとしても、「指導された」とは絶対思わないことでしょう。恨みの感情だけが長く残るでしょう。一方でマネージャーが「承認」をしていたとしても、絶対喜んでくれたりしないでしょう。当てこすりをするマネージャーに信頼感など持てませんから。


 当協会会員さん方は、絶対やらないでくださいね。




 わたし正田が若い頃経験したたちの悪い「当てこすり」のエピソードは、

 会社員1年目のことでした。当時のわたしは、前にも書いたように女性総合職入社2期目、それに恥じぬようまじめに働いて、1年生の仕事ぶりとしては高い評価を受けていました。もちろん雑用も率先してこなし、文句言われる余地をつくらぬよう細心の注意を払って仕事していたわけです。

 すると、入社して半年した秋、シフト勤務の社員同士の「引継ノート」にある雑誌の記事が貼り付けられました。

 それは某大手新聞社に就職した女性記者が1年目で支局の方針に盾ついて辞めた、という記事でした。本来はその女性記者自身がある月刊誌に自ら手記を発表し途中の経緯を丁寧にたどっていたのですが、ノートに貼られたのは第三者がその手記を引用して週刊誌の見開きの記事に仕立てたものでした。その女性がいかにはねっかえりで傲慢不遜な性格か、というところをイメージさせるように事実関係を羅列し、またその女性の経歴を紹介していました。

「有名大学卒で、中国に留学経験がある」

 ノートに記事を貼り付けた主は、わざわざ記事のその「留学経験」のところに赤い線を引っ張っていました。

 その意図は明らかでした。その部署にいる唯一の女性で、中国に留学経験のあるのはわたしでしたから。


 そしてわたし仕事ははいはいとまじめに働き、周囲のバイトさんとも人間関係が良かったのでその限りにおいては非難される筋合いはなかったのですが、

 悪い材料としては、前にも書いたように女性にも宿直勤務をさせて、宿直室をつくって、ゆくゆくは地方勤務もさせて、そのたぐいの要求を上層部に出すことだけは妥協せずにやっていたからです。

 「良い子」の社員でいるのは、そうした従来の秩序を乱すような要求を出していくための「評判の貯金」のようなものでした。

 しかし他社の、わたしには責任のない女性社員がらみのゴタゴタを引き合いに出されることによって、わたしが丁寧に作ってきたその「良い子」と「悪い子」のバランスは崩れてしまいます。
こうした記事の影響とは本当バカにできないもので、イメージが容易にオーバーラップするんです。最近でも某女性研究者のでたらめな仕事ぶりと勘違い発言ぶりのために全然年齢も分野も違うわたしも多大な迷惑をこうむりましたし、多分全国の女性研究者が迷惑したと思いますがー。


 赤い線を引いて記事を貼った人は簡単に特定でき、それは日ごろから言葉の端々に嫌味の多い10年ほど上の先輩でした。

 でわたしのとった「戦略」というのは、数日間元気のなさそうな顔で出勤したあと、数人の先輩・上司に「あの記事を貼られたことがつらい」とこぼし、同情してもらったうえで、そのうえで記事をノートから剥がしてしまうことでした。

 この話を学生時代の友人と話すと、「バカな職場。ヒマなんじゃないの」とあきれられました。(わたしもそう思います)

 
 
 まあこれに限らずこの歳まで変な当てこすりは随分浴びてきました。世間の当てこすりには色んなパターンがあるのでしょうけれども、わたしが自分の経験から感じるのは、当てこすり犯の心理とは以下のようなものです。


・被害者(対象者)に過剰な関心をもっていて、何かちょっかいを出さずにはいられない。
・多くは理由のはっきりしない悪意をもっている。本人が理由を認めたがらないというか。想像される理由はありますがここに書くのは控えます。
・変な「教育欲」をもっている。相手に何かを改善してほしいと思っている。「大人しくしろ」とか「自分は有能なんですとアピールするのをやめろ。無能な自分で満足しろ」とか「オレにもっとやさしくしろ」。なんだかんだ言って自分の言葉や行為が相手にダメージを与えて効果を上げるのをみるのは嬉しい。
・相手に何かを明確に言うほどの覚悟はない。そもそも誤解とか自分の中のファンタジーに基づいて言っていることも多い。しかし反論されるのは避けたい。
・・・


 たぶんまじめに分析したらこれだけで本が一冊書けるんだろうと思います。
 
 で、繰り返しますが当協会の会員諸兄姉はこんな人にはならないでね、というのと、

 たとえばパワハラ研修やメンヘル研修で「叱ってはダメ」というのが普及すると、マネージャーのこういうコミュニケーション増えるんじゃないの?というのは危惧するところではあります。

「まっすぐ言わない」のがいいことだと思っている。

 少し前も、自治体研修をしながら「気づかせる」というのが独り歩きしていて、その結果複雑怪奇なコミュニケーションをしていて、どう反応していいか困ったことがあります。

 コーチングで適切な「質問」によって何かに気づく。
 というのは、適切な手法でやれば、すばらしい瞬間だと思いますが、それにとらわれると「気づかせる」ということが万能のように思ってしまう。

 「まっすぐ言わない」全盛になり、それは当てこすりほのめかしもOK、ということになってしまう。



 たまに、ありますよ。ごく限定された場面ですが、

 たとえば10日放映の黒田官兵衛だって(どんだけ大河好きやねん)

 おじいさんが孫の黒田長政に「領民との信頼関係は急いだら育たん」という話を、自分の若い頃の話として聞かせます。

 孫はそのときは自分の性急さに気づかず、あとで気づいて悔悟するんですが。

 そういう場合の気づきが幸せな気づきになるのは、おじいさんの愛情を感じたり、おじいさんが自分の失敗談として話すからなんだと思います。

 (まあ、きれいに言えば「メタファー」ですよね)


 愛情もない自分をさらけ出す覚悟もない単なる当てこすりが幸せな気づきになることはまず、ないです。



 で、当てこすられた側がどう対処したらいいか、というところは、むずかしいですね。
 ネット上でもはかばかしい解決策がありません。

 「撤収あるのみ」とかね。関係を切れないならやり過ごすとかね。
 癒し産業の売り上げが増えてしまうことでしょう。

 言われた側にとってどれだけストレスになるかは、言う側は想像しにくいでしょう。

 だから、マネージャー教育としてどこかで触れないとだめなんでしょうね。
 「危険ドラッグ」ではないけれど、1つ1つ俎上に上げて「してはいけないこと」を規定しないといけないのだろうと思います。


 当協会としてマネージャーさんに申し上げたいのは、とにかく相手を承認できるときは「これが何につながる」と思わず、惜しまず承認しておきましょう。
 そして、相手の不足点を改善してほしいときは、まっすぐ伝えましょう。
 くれぐれも当てこすりほのめかしなんて、姑息な手段に頼らないでください。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 広島原爆投下の日。

「髪も眉毛もまつ毛も燃えてなくなり全身大やけどを負った級友が『水をくれ』という。『重傷者に水をやったら死ぬぞ』と周囲の人に言われ、心を鬼にしてやらなかった。死ぬとわかっていたら思い切り水を飲ませてあげたものを」


 ある被爆者のかたが、つい最近になって語られたそうです。

 つらすぎて思い出せない、語りたくないことでも、にどと戦争を招かないために勇気を出して語る。




 事の軽重は多少違うかもしれませんが、

 先週から、当協会で会員様に

「承認のない職場ではどんなことが起こっていますか?あなた自身のご経験は?」

というアンケートをとっています。

 すると、現役マネージャーの会員様からは、かなりつらいご自身の経験や、現在もある同僚の悲しみについて書いてこられました。あるいは「もし承認がなかったら、自分の会社は(他所にもあるように)こんなふうだったろう」と書いてこられました。


 つらいことを思い出させてしまってごめんなさい。

 でも、不思議とそれらをみていると勇気が湧くんです。
 戦争ではないけれど、理不尽な不幸せをなくそう、と決意を新たにできるんです。わたしは。

 ほかの会員のかたも、1人「元気が出ました」と書いてこられました。


 ほかの会員様も、つらすぎないようだったら書いてみてください。無かった場合何が起こるか。自分はどんな経験をしたか。

 正田もときどき会社員時代の恨みつらみを書いてますでしょ。あれは、今あるものがあって良かった、とかみしめるために書くんですよ。
 良いものも、ありがたみがわからなくなればすぐ消えますよ。


参考URL

 「ハラッサーには余罪がある」
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51160421.html#more


 「不快」を語ることの意義 『自分から自由になれるゼロ思考』
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51765274.html


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 4日に機械商社様での2回目の研修が終わり、7−8月初旬の研修ラッシュが一段落しました。

 関係者の皆様、受講生の皆様、改めてありがとうございました。


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 篠山市商工会の原田豊彦事務局長からお電話をいただきました。

 新著にご登場いただくことと、11月7日に予定している当協会の「事例セミナー」にもご登壇いただくことに快諾をいただきました。やったー。


 経営支援機関のかたが事例セミナーに登場されるのは初めてです。もちろん本にも。

 色々お立場があるはずですから、大丈夫カナ〜とひやひやものでご依頼しました。


 このかたも「県商工会職員協議会」の会長というのになられたそうで、まあやっぱり率先して「承認」の担い手になろうと思う方はえらいかたです。ほんとに。


「でも先生、うちもね、『共済加入1位』とか『補助金採択1位』て紹介していただいてますけど、たしかに『承認』でえらい雰囲気は良くなったと思いますけど、それがほんとにそこ(業績向上)につながってるのかどうかわからんのです。えらい飛躍があるなあ、思て」

「そうですよね〜。つながりが今いちイメージできないですよね。でも私、商工会様の事例は昔の松本茂樹さん(元銀行支店長、現関西国際大学准教授、経営学科長。原田局長とも共通の知人。事例セミナーではコメンテーターを務める。妙に説明口調;;)のところの事例と雰囲気よく似てる、と思ってうかがってるんです。そういう雰囲気で皆さん仕事されてたみたいです」

「あっなるほど。じゃ、『夢物語やろ』って一蹴されるようなこと言うてもええんですか」

「はい、多分これまで事例セミナーに出られたリーダーの方皆さん夢物語みたいなことゆうてはったと思います」

「なるほど、確かにうちはみんな(職員)素直ですから、ハハハ」


 とこんなネアカな会話でした。
 うん、「夢物語」いいですねえ。どこかで使いたい。

 というわけで、11月7日ますます楽しみですよ〜。(^O^)


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 黒田官兵衛は中国大返しでもりあがってますが、はいわたしも兵庫県民なので大河みてますが、


 個人的には官兵衛より「藤堂高虎」が好みなんであります。人は石垣人は城、なんちゃって。

 
 いつか優れたリーダーに出会って思い切りその人のためにはたらきたいなあ、という願望は今もすててませんが、

 現代のリーダーはずーっとおめしかかえしてくれるほどの余裕はありません。

 でも少しずつ、支えてくださる優れた方々のまなざしがあって、生かせていただいています。



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 今日は書類の不備の件でNPO理事のおふたりをお騒がせしてしまいました。柏原さん、林さん、ごめんなさい。

 即「じゃ今日夕方でいいですか」って言ってくださってありがとう。

(本当は理事会議事録だけでなく別の書類にも問題があり・・・今日は解決しなかったんです。ダメダメ代表です(-_-))



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 中国のTVが報じたという、上海福喜食品の工場でのやりとり。

女性:「期限切れだけど大丈夫?」

男性:「大丈夫大丈夫」

 言われて女性従業員は青くなった(腐った)肉を生産ラインに放り込む。

 ・・・よくこんなの取材できましたねえ。


 先日の「ストレングスファインダーセミナー」をまだひきずってる私は、この登場人物の強みは何なんだろか、とつい考えます。

(読者の皆様はなんだと思われます?)


 森川コーチは、「私はもう病気だから(笑)、いつもこの人の強みなんだろう、と考えます」っておっしゃってたけどその病気がうつりつつあります。


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 そのセミナーその他で学んでちょっとほっとし、私の精神衛生によかった学びが1つ。

「実行の強みのない人は実行しない」

ということで、森川コーチによれば正田は「責任感」という実行の強みがあるので「さっさとやる」性格なのだそうでした。体力も運動神経もない人のくせにときどき「行動力がある」と言われるのはそれのせいだそうです。


 こういう人からみると自分以外の人は「やらない」んだなあ、とみえてしまうし大概のことは自分がやったほうが楽なのだそうだ。

 やっぱり経理関係のこととか犬の耳薬さしとかはできないんですけどね。

 


 うちのNPOで権限移譲がすすまないのはそれがあるようです。行動を任せられる人に出会うのは大変なことなのだそうです。小さい組織は得てしてそんなもんだ。

 従来のコーチングの限界を強みの学びが補ってくれるところがあって、人は決して可能性に満ちた存在ではなく、この人はこれが「できない」んだなあ、とみてあげたほうがいい場合がある。改めてそこから出発して「できる」ことをみてあげよう、と思えるようです。


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 「介護の承認王子」林義記さんにインタビューしました。

 ここでも「承認の次の段階の問題」が出ていてちょっと残念な途中経過です。それは正直にオープンにしようと思います。変に隠し立てはしたくない。インタビュー原稿の確認をもらえ次第掲載させていただきます。


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 猛暑の夏がきました。

 去年、真摯な目をした受講生さん方をわたしが裏切ったのが同じような猛暑の日々です。受講生さん方のたたき出した統計調査の数字だけが手元に残りました。

 もっとも多くの部下を抱え、年上部下のサボタージュに苦しんでいた優秀なロスジェネリーダー2人がその中でもっとも高い上昇を見せ、全体を引っ張り上げました。


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 そんな中で新しく色々な出会いがあり素敵な方々がこんなわたしを信頼してくださいます。

「僕『承認』に惚れ込んでますから」

と言ってくださる方もおられます。

 信頼されるよろこび。

 ただでさえ親密性×責任感という、「義理人情」の二乗みたいな性格です。

 
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 今週は、「安全」に大きく関わる職種のマネージャーさん方に研修をさせていただきました。

 ストイックなお仕事の日々だと思いますが、研修はすごく「とりにくる」姿勢で楽しんで受講していただきました。4つのクルーに分かれシフト勤務だということで、当日お休みだったクルーのリーダーの方もわざわざ来ていただいたようです。また当初予定以外の方も当日希望して受講に来られるなど、枯れ木も花の賑わい?になりました。


 ここでも、「人の個性/コミュニケーションスタイル」の学びが事故防止に大いに関わるということで、「承認」に重きを置いた研修をさせていただいて良かった、と思いました。


 世代的な変化への対応というところを問題意識に挙げたかたもおられ、わたしも

「ロスジェネ以降の方ははっきり優しいと思います。この世代の方に従来の男性同士の育て方、関わり方をするとかなりつらいと思います」

と、いうことを言いました。
 (また、じゃあどうしたらいいのか、というときにきちっと対案を出さないといけないですよね。)


 終了時に宿題についてのご説明をして、ふだんは「この宿題は強制ではないですよ、やりたい人だけやってくださいね」というところをこのたび言い忘れたのですが、事務局のかたにあとでそれを言ったところ、

「あ、いいんじゃないですか全員強制で」

とあっさり言われました。見ていて皆さんが本気で意義を感じて受講されている、という雰囲気だったかな、と思います。


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 きのうは、天神祭りでにぎわう大阪・天満のフェイスブックのお友達の事務所で近年めずらしくたっぷりビールをご馳走になりました。

 柔らかく包むようなお友達のつくる輪と気のおけない方々との語らい。フェイスブックのご縁に感謝です。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
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