正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ: 映画も好き

マイ・インターン


 お友達が「レディースデーに行ったらコメディーなのに周囲の女子が泣いていた」と推薦していた「マイ・インターン」(原題’The Intern’、ナンシー・マイヤーズ監督、2015年)。

 ご存知、ロバート・デニーロ扮する70歳の老インターン、ベンがネット通販企業に入社し、問題解決していくお話。男性女性問わず、見終わると元気になる映画です。

 これが、何となくハートフルな映画なのか、それとも深遠な思想があるのか。どちらなのだと思いますか?

 本日はこの映画を勝手に思い切り「承認」で読み解いてみたいと思います。
 かなり「ネタバレ」を含みますので未見の方は読まれないほうがいいかも―。


 この映画の舞台は、1年半前に創業しあっという間に従業員220人の規模になったアパレルのネット通販企業。

 ここには、IT企業によくある「祝祭感覚」がもともと存在します。
「インスタグラムでいいね!を2500獲得しました」ワーッとみんなで拍手。社員一人一人のお誕生日を祝う。

 活気があるが、混乱している。温かみはあるものの微妙な「承認欠如」が漂っている状態から始まります。

 主人公はアン・ハサウェイ扮する女社長のジュールズ。美人で頭の回転が速く、配慮に満ちて魅力的な人柄ですが予定はいつもパンパン。スタッフが次々とジュールズに話しかけますが、どの案件に対してもジュールズ自身の時間が足りません。物語は、このジュールズを中心に放射状に作られる人間関係に、それぞれベンがからむことで変化がもたらされます。

●ジュールズ―ベン
 70歳のベンがインターンで入社し、社長付になったことに、ジュールズは当初不満顔。高齢の男性に良いイメージを持っていないようです。ベンが普通以上に目ざとい人物なのをみると、ベンを配置転換させようとしたほど。しかしベンが献身的で有能で出しゃばり過ぎず、良い人柄なのを知り、徐々にベンに信頼を寄せます。自分の家族関係をオープンにし、さらに重大な秘密と心の迷いまで打ち明けるようになります。

「自分の代わりになるCEOを」ジュールズは気の進まないまま、CEO候補と面接を繰り返します。浮かない顔で面接に出かけるジュールズに、ベンが声を掛けます。
「1年半前創業し、220人の会社に育て上げたのは誰の偉業?」
 君は君の偉業を思い出せ、というメッセージ。きれいに「行動承認」になっています。

●ジュールズ―ベッキー(秘書)
 ジュールズと同様ベッキーも働き過ぎ。そして「認めてくれない」が不満の種です。
「1日14時間も働いてるのにジュールズは理解してくれないの!私、ペンシルベニア大経営学部を出てるのに!」と泣きじゃくります。
 ベンはベッキーの仕事の片づけを手伝い、ジュールズに対して顧客動向の分析をプレゼンする際、「ベッキーのお蔭だ」「ベッキーは経営学部卒だから」を連発、ベッキーの貢献をアピールします。「忘れてたわ。褒めてあげなくちゃ」と応じるジュールズ。最も頼りにしている右腕の貢献は、酷使していても忘れがちになるのは洋の東西を問わないものでしょうか。
 劇中後半、余裕が生まれたベッキーはフェミニンな花柄の服を着ています。ベンにも「顔色が悪いわ」と労わる余裕を見せるように。

●ジュールズ―マット
 夫のマットは専業主夫となり、一人娘のペイジを育てています。妻の辣腕ぶりに自ら家庭に入ったマット、しかし内心は鬱屈しています。実はCEO探しも「夫婦の時間を取り戻したい」というマットの希望。ベンはマットに、「ジュールズには幸せになってほしい。物凄く頑張ってきた人だ」。
 マットにとっての「承認欠如」はある残念な行動を生みます。そこからの夫婦の再生は可能なのか?脚本も担当したナンシー・マイヤーズ監督は実生活ではパートナーと別れているそうなのですが…。

●ジュールズ―ママ友
 多忙で夫を専業主夫にしてしまっているジュールズに、ママ友の目は厳しい。ある朝、ママ友からジュールズに「ワカモレを18人分お願い。忙しいだろうから市販のでいいのよ」。「あら、作るわよ。大丈夫」とジュールズ。ベンの待つ社用車に乗り込んでジュールズはドッと疲れた表情。(ちなみにワカモレとはメキシコ料理でアボガドをベースにしたディップのようなものです)
 ペイジの親友、マディのお誕生会にはマットの病気でベンがペイジを送ってきました。ママ友たちに「ジュールズの部下です」と自己紹介した年上男性部下のベンに、ママ友は「あら、ジュールズってキツイ(タフ)ってきいたわ」。ベンはにっこりし、「確かにタフだ。だから彼女は成功した。あなた方も誇りに思うべきだ、友人がネット業界の風雲児だということを!」。
 ここでは、「公正な評価」と「嫉妬の克服、理性による祝福」という、感情に流されるとむずかしい舵取りを「承認ルール」で乗り切ろうよ、というメッセージがあります。

●ジュールズ―CEO候補たち
 劇中では3人のCEO候補と面談します。1人目は、ジュールズの言葉を借りると「女性差別主義者で、イケ好かないヤツ」。2人目は、「アパレルを『ギャル商売』と呼んだ」。3人目は、「礼儀正しくて、考え深い人」。女性社長のジュールズとその業種をリスペクトするかどうかが、大きな評価基準でした。

●ベン―若手男子たち
 ベンも入社後、自分の周りに磁場をつくります。IT企業の若手男子たちにとってベンは格好のメンター。彼女とメッセージでこじれた男子には、「リアルで話せ」。セレブの家に宅配に行くことになった男子には「襟のあるシャツを着ろ。シャツの裾はズボンに入れて」。下宿探しが暗礁に乗り上げた男子は、ベンが自宅にしばらく泊めてやります。

●ベン―フィオナ
 社内マッサージ師のフィオナとは恋愛関係を育みます。
 ジュールズとベンは上司部下として急速に信頼関係を作り接近しますが、それが男女の関係になるとは限らないのです。というメッセージは監督インタビューによると、実際に込められていたらしいです。

●最後の判断
 最後は、「承認」が判断基準になります。だれに対する「承認」?何が最優先すべき「承認」?それがカギでした。
 大団円はご都合主義に見えるかもしれない、しかしプレーヤーの全員が自己理解を徹底し、共通ルールを理解しているとこういう解決もあり得るかも。



 と、メカニズムをわかっている人がみるとこの映画聞かせどころのセリフは全部「承認」あるいは「承認ルール」じゃん、と手の内がわかるのですが、それでも感動できるし爽やかな感覚が残ります。イーストウッド監督の「インビクタス」と並んで「承認映画」として推したいゆえんです。

 ナンシー・マイヤーズ監督は1949年生まれの団塊世代、アクセル・ホネットと同い年ですが何か関係あるのでしょうか。ネット上の監督インタビューでは残念ながら承認’Recognition’との関連はわかりませんでした。成功した女性の男性との悩ましい関係、女性同士の悩ましい関係、リアリティがあります。「上手く解決してほしい」という祈りがこめられているかもしれません。

 ベンチャーに詳しい人がみると映画冒頭の会社の様子はスタートアップ時のベンチャーの典型的なもの、ジュールズの異常な働きぶりもベンチャー起業家ならよくあるもの、です。で支援のプロからみるとどこかの時点でそこにコーチングまたは「承認ルール」を導入すべきだというのは火をみるより明らかなのですが当事者には中々みえないものです。そして、往々にして外部からの介入を拒みます。

 そこでベンのような魅力的な高齢者が入社して出過ぎずにさりげなく介入してくれれば。健康な頭脳をもった高齢者の働き方の理想をみせてくれるのでした。


 

正田佐与

 12月と1月、受講してくださった農業経営者さんに様子うかがいのお電話をする。

 ご自身も元ビジネスマンでIターンかUターンで農業経営をはじめた方、多分仕事の出来る人だったろう、目の鋭い人である。

 もう1人の「反応の薄い」若手社員さんを扱いあぐねていたが、セミナー当初の宿題では「反応が薄いながら行動してくれる」「言い訳が減った」と、まずまずの結果を得られていた。「行動承認」一本槍で関わられたようだった。「いいチョイスだと思いますよ」わたしは賞賛していた。


 2ヵ月経った時点で再度伺うと、引き続き「反応は薄いながら行動している」「言い訳は過去より減った」。そして、「厳しいことも言っているがちゃんと受けとめ取り入れてくれている」という。
 よかった。この子は一段階逞しくなった、と思っていいのだろうか。


 この農業経営者さんはブログを見ていてくれた派だったので、セミナー中はもう1人ご同類の方とにやにや頷き合い、わたしの言葉の裏の裏を読んでいてくれた。

 3時間やそこらのセミナーで伝えられることなど本当に少ない。今どきのビジネスパーソン、マネジャーならこのブログぐらいの情報量を得てちょうどいいぐらいなのだ。

 できれば、単なる「承認」だけでなく、探究する心、まじめに悩む姿勢、それに問題解決のために闘う姿勢などを受け取ってほしいと思う。


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 Iターンなどで就農する若者、ということも思う。

 サンプルがまだ少ないけれど、都会の職場で何かなじめず、あるいは傷つけられてきた可能性は大いにある。

 そういう子たちでも、私見では農業というものはクラフツマンシップを獲得していかなければならないだろう、主に上司からのOJTによって。


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 新温泉町でのセミナーを終了。

 最終22名の方が参加された。LPガス、旅館業の方多数。

 真摯な方はとても真摯。事前の情報量の違いにみえた。そして真摯な人に向けてお話しする。

 今から地方ではこうした手法に真摯に取り組むかどうかが生死を分ける。

 真摯な人にしっかり残っていることを期待。


 ともあれ前日のお宿の手配までお手数をお掛けしました、新温泉町商工会温泉支所長の安田様、ほかの皆様に感謝です。


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 イーストウッド監督の「アメリカン・スナイパー」を観る。

 何を観たのか全部はまだわからない…。

 イーストウッド監督の切り取る世界はその分野の専門家も追いつかないほどの真実だ、何故か。
 同じ人を礼賛していると思考停止しているみたいで悔しいけれど本当だもの。近作「ジャージー・ボーイズ」も感動してプログラムまで買ってしまった
 
(何度も言いますが「インビクタス/負けざる者たち」は「承認リーダーシップ」のサブテキストにしたいような映画です。低音の名優モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラ元大統領の「承認」のかっこよさ、最近「承認教」に親しまれた方は是非みてください)


 イスラム教徒への憎悪をあおる、という批判があるようだが最近の出来事を考えると、既に現実化していることだ。憎しみ、「邪悪」とみなすこと、罰を与えること、報復すること…。


 愛や結婚や出産子育てと対極の世界がある、世界各地に。どちらも真実なのだ。



100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会



 淡路島に行ってきました。


 いいお天気に恵まれ、黒岩灘水仙郷では満開の水仙がお出迎え。


水仙1



水仙2



水仙3



水仙4



明石海峡大橋




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 映画「ANNIE/アニー」に行ってきました。

 
 格差社会の映画です。州政府の窓口のおばちゃんのとげとげしくて相手によって180°変わる対応などリアルにこうなのかな、と思わせます。そして露骨に結婚に物欲しげな女性たちは、やはり自立して生きられないいらただしさでしょうか。


 フェイスブックでやたら有名人と2ショットを上げたがる人々は、「ゴーン・ガール」―これもグロテスクなナルシシズム・ホラーと呼べる映画でした―にも出てきました。それが選挙活動も邪魔してしまいます。
 だからセミナー妨害みたいな行為が出るのも当たり前なのかな。



 あと収穫はこのセリフ


「NOと言うのは、YESと言うのが怖いからよ」

 うんうん。

 このブログには「二重否定」の人たちが出てきますが。「怖い」という自分の気持ちに気づいたほうがいいですね。それが正しい認識を妨げてます。


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 あすいよいよ「新財団」の認証にこぎつけることになりました。予定より2日遅れました。

 気持ちよく爽やかに連絡し合う社風がいつまでも続きますように。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
⇒一般財団法人承認マネジメント協会認証申請中

 発達障害をもつ大人の会代表・広野ゆいさんのインタビューの録音起こしを少しずつしています。


 非常におもしろい内容でした。

 個々には、

「自分のできることがあると、それにすがってしまう」

 例えば高学歴のアスペルガー症候群の人だったら、色々職業上の能力に問題があっても「学歴」にすがる、とか。いますよね。

 ひょっとしたら容姿端麗な人だったら「容姿」にすがって、以前哲学者の河野哲也氏の話に出てきた女優さんみたいな人ができるのかもしれない。


奇妙に攻撃的で威丈高な人をみたとき、その人が何に「すがって」いるのか、すけて見えることがあります。


 あるいは近日出版の本『行動承認』の「はじめに」に出てくるとある攻撃的な女性リーダーなんかも、そうかもしれない。


 いや、こういうこと書いてるとかならず「正田自分はどうなん?」っていうのも出てきますけれどね。


 また、「絶対に自分の非を認めたがらない」「自分の能力の欠陥を人に知られることを死ぬほど怖れる」というくだり。たぶん人に知られないで済ますためには他人を陥れることもいとわないでしょう。

 「自覚」することが一番大事、というのは広野さん自身がADHDとAS混じっているそうですが「自覚」ができたことにより非常に話しやすい人であることからもうなずけます。

 
 早く録音起こしの段階を終えたいけれど遅遅として進まない、少し聴いたら手を止めて考え込んでしまう内容です。

 みなさまにご覧いただけるよう早くUPしたいのはやまやまです。ごめんなさい。


 私は、よくわからないけれど20世紀の精神医学・心理学のうち一部は淘汰され、行動理論と発達障害に関する知見は残るだろう、またマネジメント理論に組み込まれるだろう、と思っています。発達障害の研究は既存の精神医学のカテゴリをひっくり返すインパクトがあります。



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 それと並行して最近よく覗いているブログ

「意味不明な人々―発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む

http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/

 沖縄県で発達障害治療に取り組む精神科医のブログです。


 この中のこちらの記事

「理解と配慮」

http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20131124/1

に、最近妙にうんうんとうなずいてしまっている私です。


 広野さんのインタビューの中で出てきましたが、「環境調整」をしてやれば上手くやれる人がいる、という話。

 しかし、そういう「配慮」をした結果「依存」を招くのではないか。「してもらって当然」という気持ち(依存)が発達障害当事者の側に生まれ、「配慮」をしてくれる周囲の人にとってそれがどれだけ大変なことか、わからなくなってしまうのではないか。

 それは、「環境調整」という「配慮」をした場合の次の段階の話です。

 でも現実に、既に相当の「配慮」をしてもらっていて、そのことに感謝もなくふてぶてしく生きている当事者の方は多いだろうと思います。当事者の方、「感謝」の学習を忘れないように。


 このブログのコメント欄も豊富なのですが随所に当事者の方から

「発達障害当事者もなるべく子供のころから痛い目をして苦労して学んだほうがいい」

的なコメントがあり、発達障害だからといって決して甘やかして育てていいわけではないことがわかります。
(現実には根負けして甘やかしてしまう親は多いだろうと思う)


 あ、ちなみに承認屋の実感として発達障害の当事者の方は「承認」の習得が困難です。定型発達の人にとっては大してむずかしいことではないんですが。ワーキングメモリの不足からか、相手が何々をやった、とか何々をやってきた、とかの「相手の文脈」を理解することができません。見た目のきれいさをほめることはできます。

 そして、自分が「習得できない人」なのを知られるのを怖れるあまり、「研修妨害」もこの人たちはよくやります。


 「ジャイアン」と「受動型AS」はいいコンビとなり、「受動型AS」は結構社会適応がいい、という話(たぶん権力者にとって都合のいい「長い物に巻かれろ」主義なのだろう)とか、

 ジャイアン親は学歴にこだわる、とか、その他の記事の中の話も「あるある」という感じです。

 やっぱり「知る」ことで痛みが癒されることはあります。

 「ADHDの養育」に関する記事を読むと、「質問型コーチング」はADHDの人の養育にもっとも適切なのではないだろうか?と思えてきます。
 日本の普通の職場では、「人に教えられたことから学ばない」人だとかなり効率がわるいです。


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 映画「蜩ノ記」と「イフ・アイ・ステイ」を続けてみました。

 後者は、「もし家族を一度に失ったら人生は生きるに値するか?」というテーマに惹かれて観ましたが、残念それよりは青春恋愛映画だった。若い…。

 でも多分、思い切り泣くことが必要なのだ、わたしは。



 明日から関西も本格的に大雨とか。
 読者のみなさまもくれぐれもお気をつけください。



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 中央で話題だった映画「ハンナ・アーレント」を観てきました。シネ・リーブル神戸は、3分の1ほどの席が埋まっていました。

 ユダヤ人女哲学者アーレントが、ナチス戦犯のアイヒマンの裁判を傍聴して「彼は凶悪犯ではない。ただの役人」と喝破。かつ、「収容所内のユダヤ人指導者もナチスの手先となった」と、ユダヤ人の感情を逆なですることを述べたことで、大バッシングを受けたが信念を曲げなかった、簡単にいうとそういうお話です。


 アーレントは、ハイデガーの弟子で『全体主義の起源』を主著とする政治哲学者。(同書は中嶋ゼミで重要文献として読まされましたが、今はまったく記憶に残っていませんトホホ;;)ナチの在仏強制キャンプを逃れアメリカに亡命し、同書を著して名声を博したあとにこの裁判傍聴と迫害のエピソードが起こります。


 ヒトラーの指示を受けて大量のユダヤ人を強制収容所送りにしたアイヒマンとはいかなる人物か。ユダヤへの憎悪に燃えたメフィストのような悪の権化、が大方のイメージでした。

 ところがアーレントは、被告席に座ったアイヒマンの使う役所的な言葉や「私は一切自発的に考えなかった。ヒトラーの命令は絶対だった」などのコメントなどから、

「彼は凶悪犯ではない。ただの役人。彼は思考不能だった」

と、雑誌「ニューヨーカー」に寄稿します。

 かつ、「収容所内のユダヤ人指導者もナチスに協力し手先となった」と、ユダヤ人の感情を逆なですることを述べたことで、雑誌社には抗議の電話と手紙が殺到し、アーレントのもとにもひどい中傷の手紙が届き、旧友たちすらも彼女から顔をそむけます。

「あなたはアイヒマンをかばった。ハンナ・アイヒマン」
「あなたは傲慢だ。われわれユダヤを侮辱した、ナチスがしたのと同様に」―。

 それでも彼女は信念を曲げず、大学当局から職を追われる通知を受けても、学生たちの招きにより教壇に立ち、スピーチします。バッシングに疲れた表情のアーレントですが、ここは力強いスピーチです。


「アイヒマンを擁護はしない。彼は『悪の凡庸』と呼ぶべき人物。思考不能だったことが彼の犯した罪」

「思考すること(Thinking)は、私たちを強くする。危機のさなかにあっても、私たちを破滅から救いだしてくれる」


 こういうエピソードだったのか。

 彼女から去っていく友人たちのエピソードが悲しい。ヒステリックなバッシングの中に巻き込まれて、まるで自分自身が侮辱されたように感じてしまった人びと。

 結局バッシングがどういう風に終わったのかはわからないままでした。

「アーレントはその後の人生でも『悪』の問題と闘い続けた」

と、テロップが出ました。


 さて、このブログを続けて読んでくださっている方だと、このブログでごく最近起きた事件とこのストーリーを重ねあわせてお考えになることでしょう。

 「役人」というキーワード。

 法廷で判事が、

「1人の個人としては難しくても、市民としての勇気があれば、阻止できたのではありませんか?」

アイヒマンは「組織のヒエラルキーの中ではできませんでした」。

 かれは法廷に呼ばれた収容所の生き残りの証人たちが涙に声をつまらせながら5人家族の残り全員を失ったと話し、苦しみに床をのたうち回る姿にも表情を動かしません。しかし自分の痛みは感じるようで、
「じりじり焼かれるステーキ肉のようだ」と法廷に立つ自分の心境を述べます。

 「アイヒマンは極悪人でもなんでもない、彼がやったのはただ指示に従って囚人たちを移送しただけ。その先囚人たちが命を落とすことなど彼はまったくイメージしていなかった」

と、傍聴した印象をもとに話すアーレントに、

「信じられない。絶対にユダヤ人に対する憎悪に満ちていたはずだわ」

と納得しない友人たち。


 このブログでも、思考能力に限界があるがゆえに、「グローバル」と「女性」がべつのものだと思い込んでしまったり、上の省庁から言われた「グローバル」「エネルギー」という単語にばかり頭がいって、それらの裏にはすべて「人を動かす」という要素が入ってくるのであり、それがなければ進出先で暴動が起きたり、高価な設備投資をどぶに捨てることになるのだ、ということがまったくイメージできない人物が登場しました。

 彼のイメージの貧困のその先には、パワハラやメンヘルで健康を害したり職を失う人びと、会社が潰れ家族ともども路頭に迷う人びと、などが生み出されるのですが。

 だから、私はそのイメージの貧困さや思考範囲の狭さに「悪」を感じていらいらしてしまったのです。もちろん彼のほうには悪意はありません。単に知性に限界があるだけです。

「悪」と呼ぶべきは傾聴能力や思考能力の恐ろしく低い人物を責任ある地位に据えたり、来客対応をさせた意思決定のほうにあるのかもしれませんが…、


 
 映画「ハンナ・アーレント」は、役人的知性を文学的に「悪の凡庸」とは呼びますが、その知性と障害とを結び付けて考えてはいません。私はこのところの興味で障害との関連にも興味をもつので―、

 今も非常にアクセス数の多い記事「発達障害者は注意するのが好き?」によると、発達障害の出生数は増えている可能性があるという。それも低体重出生児や高齢の父親といった、今日的理由によって。

 だとすると、「健常者の中の障害に近い知性」も含めれば、この「悪の凡庸」を犯してしまう人はどんどん人口比で増えるのではあるまいか。

 さらにいえば、発達障害は別名「超男性脳」ともいい、胎児のあいだに大量のテストステロンに曝露された人がなるという。かれらは女性に対して差別的という特徴があるのだが、この発達障害者が人口比で増えるということは、女性に対してフェアにふるまえない人が増える、ひいては女性にとってますます生きづらい世の中になるということではあるまいか。


 

 また、もう1つのこの映画の主題は、「自分の目で見耳で聴いたことを信じる」というアーレントの確固たる信念でした。

 恩師・中嶋嶺雄が彼女の著書を勧めたのは、香港滞在中の文革期に中国批判へたった1人で舵をきったそのときの、「日本中を敵に回しても自分が目で見、耳で聴き、感じたことを信じる」ということに通じたからではないだろうか、とそんなことを思いました。


 私もまた今の仕事に通じる、「定説と違っても自分の目の前でみたものを信じる、そして発信する」ということは、恩師からつちかわれたものでもあるし、社会人になる直前に遭遇した、チベット暴動の経験で骨の髄まで叩き込まれたものでもありました。


 このときのチベット経験は2005年10月にこのブログ上に全8回の続き物でつづっています。

 日頃のこのブログのほのぼのしたテイスト(どこが?)や正田のおしとやかなキャラクター(どこが?)とは違った、24歳の血気盛んな正田が登場するジャーナリスティックな回でございます。
 年末年始、よっぽど「ひまだ!」という方は、どうぞご覧ください。


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 1日図書館にこもって資料作りだったので、夜はご褒美に映画「かぐや姫の物語」に出かけました。


(以下ネタバレ)

 美しい画面。あかちゃん、子ども、少女の弾むような動き。おじいさんとおばあさん、それぞれに違う形の「愛」。

 今どきの偽装表示にもちょっと通じるネタがあり・・・、

 姫の「私は本物ではありません」(だったカナ?)のセリフには、どきっとします。

 自分はどこまで誠実に生きているだろうか、ということを、突きつけられた気がします。(偽装表示も・・・してないつもりでもどっかでしてないだろうか・・・危ない危ない・・・)


 しかし、そうした「自分にわかるモノ」だけで捉えるとこの作品に失礼な気がして、

 きっともう1回以上観にいくでしょう。画面、デッサン、音楽、効果音、すべてすべて、細部までが主題に奉仕するために、入念に心をこめてつくられているはずなのです。


****

 さて、「絶世の美女」にあんまり感情移入すると、自分の人生間違ってしまいそうなので、切りかえ切りかえ。


 知人の経営者で、前にも登場した人だけど社長を一度クビになった人がいました。

 30代の意気軒昂なときに自分の立案したイノベーションで会社に大損を与え、役員会の議決で解任されてしまった。専務、常務と降格し、それでも会社には残りました。

 そしてさらに何度かの社長交代劇(クーデター)を経て50代になって社長に返り咲きました。

 常務まで落とされたときは、出社するのが憂鬱だった、奥さんも「恥ずかしいから引っ越しましょうよ」と言ったとか。

 社長解任劇からご本人が学んだことは、「人の話を聴け」ということだった、といい、今も高齢ながら大変明晰な頭脳の持ち主です。

 一度苦渋をなめたことで経営者として一回り大きく成長されたのでしょう。


 現代は二代目三代目経営者全盛で、一度社長になってから首をちょん切る、なんていう過酷な育成システムはありません。入社以降は失敗のないように大事に大事に育てられるので、私がふだん接触する(高貴なうまれでない)ミドルマネージャーたちとも肌あいが違います。

 あとはおなじような二代目経営者コミュニティに加入するのですが、それらのコミュニティに対する私の感想は、まあ…。

 こういうこと言ってるから儲からないんですよね。

 
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 「42〜世界を変えた男」を観てきました。

 109シネマズHAT神戸の「シアター2」は、このシネコンで一番小さいシアター。しかし土曜の夜とはいえ20人ほどの観客が入り、この映画館としては意外な関心の高さをみせていました。


 ・・・泣いたなあ。
 ストーリーは、米メジャーリーグ初の黒人選手となったジャッキー・ロビンソンの入団と初年度を中心に描きます。ジャッキーは俊足巧打の内野手で、見事なプレーを見せましたがメジャーは10年ほどで引退。しかし彼の背番号「42」はその後メジャー全球団で永久欠番となり、彼のメジャーデビュー記念日の4月15日には、イチローも含め全球団の選手が「42」のユニフォームを身に着けるのです。いわば黒人はじめ有色人種にメジャー活躍の道を開いた偉人であります。


(以下ネタバレ注意であります)

 ジャッキーの入団を決めたブルックリン・ドジャースのGM、リッキーを演じるのはハリソン・フォード。この人がすごい。
 「お前にはありとあらゆる侮辱や嫌がらせが降りかかる。『やり返さない勇気』はあるか」
とジャッキーに問いかけ、
 本人に自制を要求するだけでなく、ジャッキーの上司である3Aの監督やメジャー球団の監督に次々電話して「ジャッキーを公正に扱わなかったら君はクビ」と申し渡し、

(そして監督らはジャッキーの名プレーを「ほめる」ように。賞賛は公正さを実現する手段でもあるのだ)

 いよいよメジャー入団に当たっては同僚の選手が抗議文書に署名すると、それをも「規約違反だ」と黙らせる。そういう、やや強権的なスタンスで周囲の人間を平等主義に仕向けるのです。

 いいなぁ。(何が!?)
 
 それでもジャッキーへの差別や嫌がらせには強烈なものがあります。コミッショナーからの(ジャッキーを平等に扱おうとする)監督への出場停止処分やらホテルの球団宿泊拒否やら試合中の汚い野次やら…。

 老リッキーはそうした行為に苦虫を噛み潰しながらも毅然と立ち向かっていきます。

 これは、「改革を志したリーダー」すべてにお手本になるなあ、と正田は感じました。
 
 起こり得るあらゆる障害を事前予測し、手当をしておくこと。予想外のことが起きても動じずありとあらゆる手段を講じてやり通すこと。


 とにかく「変革」には抵抗がつきもの、アメリカでもそのようですが日本はもっとすごいです。「ニガー!ニガー!」と連呼して周囲の嫌悪を招くのならまだいいほう、もっとずっと陰湿なやり方をしますから・・・

(何が言いたいんだ正田)


 そして作品後半、

「あなたはなぜオレを入団させたのですか?」

と問い詰めるジャッキーに、老リッキーが答えるくだり―。

 実は背景に個人的なエピソードがあった。高邁な「われわれはナチスに勝った、今は差別主義にも勝たなければならない」といった思想だけではない(もちろんそれも1つの真実なのでしょうが)、個人的な支えになる、繰り返し駆り立てられるエピソードというのは、何かあるのです。


 ジャッキー・ロビンソンを演じたチャドウィック・ボーズマンは、孤独に耐えながら名プレーを見せ続けるジャッキーを感動的に演じました。

「やり返さない勇気」―正田はまだ足りないなあ、当時のジャッキーよりはるかに歳いってるのに。

 でも私守ってくれる人いないもん。


 作品のエンディングで登場人物たちの「その後」が描かれています。野球殿堂入りしたジャッキーやリッチ―はもとより、差別に加担しなかった人、早くから平等主義に振る舞った人びとはその後活躍したり名誉な地位を与えられています。
 またひどい差別をおこなった人々は解雇されたり、ろくに活躍できなかったりしています。

 お天道様はみているのね。

 差別語を発する白人たちの顔は概して、醜いです。顔の造作がではなく、表情が。差別という行為の醜さというものを視覚的にわからせてくれます。



 なおブルックリン・ドジャースはその後西海岸に移り、現在のロサンゼルス・ドジャースになっています。そう、あの野茂英雄を入団させ、その後の日本人選手活躍のきっかけを作った球団です。そういうDNAがあるのですね。


 こうした映画が今アメリカでつくられた背景も考えました。

 私は詳しくない分野ですが、黒人差別は90年代後半に勢いを取り戻したという。日本で言う「ヘイト・スピーチ」のような現象が、あるのかもしれません。「背番号42」をあえて永久欠番にしたり、4月15日に全員が「42」のユニフォームを着るセレモニーをやる、という背景にも、実はそういうことがあるのかもしれません。どなたか詳しい方、ご教示いただければ幸いです。



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 24日、姫路師友会例会で福崎民話かたりべ研究会代表・鎌谷泉先生の講義「黒田官兵衛」をききました。


 来年の大河ドラマにもなる黒田官兵衛。去年清盛をやったばかりで兵庫が続きますが、黒田官兵衛のほうが姫路の人々の心をつかんで離さないヒーローのようです。


 以下は、鎌谷先生のご講義の受け売りで・・・。


 黒田官兵衛の隠居号「如水」とは「心は水の如く清し」の意だともいいますが一説にはモーゼの後継ジョシュアをもじったものだともいいます。
 また洗礼名の「シメオン」はイエスキリストの最初の弟子となった聖ペテロの本名で、「聴く」とか「耳を傾ける」という意味を持つ言葉だそうです。なんだかコーチングとも関連ぶかいです。

(正田心の声:官兵衛役をやるのは先日「天地明察」で魅力的な安井算哲を演じてくれた岡田准一であります。嬉しいな〜)


 主君思いだった官兵衛ですが小寺氏、豊臣秀吉そして関ヶ原後は徳川家康と、3人の君主に仕えました。秀吉の毛利攻めの中で三木城や鳥取城に対する兵糧攻め、また備中高松城に対する水攻めなどは軍師・官兵衛の真骨頂だったといいます。

(正田心の声:以前年末か正月の長時間ドラマで「竹中半兵衛」を主人公にしたものがあり、官兵衛が三木城攻めの最中に荒木村重にとらえられて信長に変心を疑われ人質の息子を殺されそうになったとき、盟友半兵衛が息子をかくまって「殺した」とうその報告をしたくだりをやったとき当時高校生の娘の1人が感動して落涙していました。めったにドラマ類で泣かないたちの娘でしたが。何が琴線に触れたんだろうか)


 しかし信長が本能寺の変に遭いその知らせが備中高松城攻め中の秀吉に届いたとき、「ようやく運が開けてきましたな。大逆人光秀をお討ちなされば、天下が回ってきましょうぞ」と官兵衛がささやき、それが「中国大返し」につながった。秀吉の天下取りにつながったこの一言が一方では、秀吉の官兵衛に対する猜疑心にもつながりました。

 官兵衛はその猜疑心を感じ取ると、早々に隠居してしまうのでした。土牢入りがたたったか59歳の若さで亡くなりました。

 見事な引き際の一端を表すエピソード。

 「晩年は病床に伏せりがちになった官兵衛。苛立つことも多くなり、つまらぬ事で怒りだす始末。困惑する家臣たちを慮って(長子)長政が意見すると、声をひそめ、こういったという。

 『わしが死んだ時、家臣たちがほっとすれば自然にお前に従うようになるだろう。死後、家中がわしを懐かしみ、お前に不満を抱かぬようわざと怒っているのだ』

 最後の最後まで徹底した配慮の人だった」(鎌谷先生レジュメより)

 このあたりで出席された経営者さん方の間では、

「あんたの会長としての振る舞いに参考になるヨ」

 ・・・どうか、悪役を演じるのは演技だけにしてくださいね。


 そして軍師にとどまらず総合力としての官兵衛像は:

「・軍師としての力量にとどまらず、大将として全体のトップに立てる力量を備えていた。
・「切れ者」目前に次々と展開される難題を一瞬にして解いてしまう。
・鋭い先見性を持った政治家に近い人。
・外交手腕といい、実践立案と指揮能力の高さといい、官兵衛の能力は秀吉をうならせた。
・孫子の兵法を熟知して策略で戦いに臨んだ。」(同)


ということで、優れた軍師だったので策略家のイメージがありますがどうももっと一回り大きな人物だったようです。それだけの力量のある人だったからこそ、疎まれたりもしたのでしょう。

 官兵衛は天下を獲りたいと思っていたのか、どうか。私利私欲のない人であったらしいことは窺えますが、一方でその徳をもって天下を治めてくれたなら、とも夢想せずにはいられません。本人もその自覚がひょっとしたらあったかもしれません。


 以下は、ちょうど何かの参考になりそうなくだりなのでまたレジュメを丸写しさせていただきます:


 
その行動に配慮を欠かさなかった官兵衛が、家臣に離反されることはなかった。家臣団の育成、組織化、統率に心を砕いた理念。つまり大将たる心得を、長政にこう伝えている。

「大将たる者は、威厳がなくては万人を制することはできない。とはいえ、心違いをして無理に威厳のあるよう振る舞うのも、かえって大きな害がある」

 また、

「高慢で人を蔑ろにすると、臣下万民は主君を疎むので、必ず家を失い、滅んでしまう。よく心得るべきである。真の威厳とは、まず己自身の行儀を正しくし、理非や賞罰を明確にすれば、強いて人を叱り、あるいは喝することをせずとも、臣下万民は敬い畏れて、上を侮り、法を軽んじる者はいなくなって、自ずと威厳は備わるものなのだ。」 

 官兵衛が求めた”威厳”とは、人を圧するような威圧感でもなければ、自分を大きく見せようとする虚栄心でも決してない。それは、常々自らを律し、道理から外れず、人の尊厳を守っていれば備わるものだった。



 内容のご紹介ははしょり気味で以上ですが、さすがは語り部である鎌谷先生、化粧っ気のないお顔で黒装束、

「ほんとはしわくちゃの婆が語ったほうが味があるんですよ」

と笑わせながら(ご本人は私と同年代ではないかと思う)、場の情景が浮かぶようによどみない語りでイキイキと語ってくださるのでした。

 
 これから「官兵衛」で出番も多くなられることでしょう。姫路近辺の方、ききものですヨ。


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 昨26日は映画「東京家族」を観にいきました。

 こういう筋だったのか。小津安二郎監督の「東京物語」も観ていないわたしでありました。

 中にはそういう方もいらっしゃると思うので(珍しいと思うけど)ネタバレは控えます・・・

 途中、つい声を上げて泣いている自分に気づきました。

 109HAT神戸の平日初回の館内は観客3人だけだったのであまりご迷惑にならなかったのは幸いです。


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 一方でここ数年の不調が今は嘘のように良くなりました。

 更年期障害様の症状を起こさせる、よくある要因があるようです。それについての本も読みましたがここに書くのは控えます。

 これで良かったのだ。死による理不尽な別れもあるが。


 最近は朝はスムージー、昼夕も野菜と魚中心の食生活でお酒はめったに飲みません。デスクワークが多いのは仕方ないですが合間に筋トレができるよう、ダンベルやらレッグマジック(的な商品)やらヨガマットを周囲に置いています。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 映画「レ・ミゼラブル」を観てきました。


 ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライドと豪華キャスト。ヒュー・ジャックマンはむしろミュージカル俳優だったんですね。力強い歌いぶりです。アクション映画でみてきたかれの大きな瞳が、ここでは絶望、真摯さ、恐れ、ためらい、そして愛と揺れ動きます。ラッセル・クロウの歌も、ストレートプレイ出身の人の骨太の歌声というかんじでした。


 アン・ハサウェイは美しいフォンティーヌ像です。美しさ純粋さゆえに目ざわりだと仕事の場から排除され(これも貧困とハラスメントにみちた職場には起こりがちなことだ)、髪をずたずたに切られ、歯を抜かれ・・・というシーンは分かっていても目をそむけずにはいられないむごさ。(さすがに前歯は抜かなかった)それは、幾つか前の記事(『あなたはなぜ「嫌悪感」をもつのか』)にあるように、肉体の破壊は自分の死を想起させるからですね。


 そのあと娼婦になり身体を売った直後のシーンで歌う「夢やぶれて」。数年前スーザン・ボイルという無名の女性がこの歌を歌って話題になりましたね。ああこのシーンだったのか・・・まっとうに生きてきた人が身体を売ることの悲惨さをこれほど物語るシーンもありません。

 しかし現代日本でこれはむしろ今、わたしたちのすぐ近くに忍び寄っている風景です、というのを、『デフレ化するセックス』(中村淳彦著、宝島社新書、2012年12月)などを読みながらおもいました。日本には信仰がないぶん、悲惨よりも荒廃感が漂います。


 映画のラストシーンは涙なしには見られません。貧困、権力の腐敗、若者への非情、これらは今世界普遍の現象で、恐らく世界中の人が同時に涙したことでしょう。


 さて、数日前(12月27日)の読売新聞に鹿島茂氏が映画評を寄稿していました。少し長くなりますが引用させていただきます:


「・・・では、ユゴーがこの作品で人類に訴えようとしたメッセージとはなんなのか?

 それは、愛はたしかに勝つ。だが、愛というものは貰った分だけしか人に与えられないものである。ゆえに、ファンテーヌやコゼット、それにジャベールのような、愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、ジャン・バルジャンに象徴される<<だれか>>が見返りを要求しない無償の愛を<<最初>>に与えなければならない。かつてその<<だれか>>はイエスであった。だが、イエスへの信仰が衰えた現代にあっては、その<<だれか>>は<<あなた>>でなければならないのだ」ということなのである。

 原作でも映画でも、その「始まりの愛」は、パン1つを盗んだために十九年間も徒刑場で鎖につながれ、憎しみだけで生きるようになったジャン・バルジャンに銀の燭台を与えるミリエル神父から発するように描かれているが、勘所は、この「始まりの愛」を受け取ったジャン・バルジャンがキリスト教の伝道師となるのではなく、福利厚生施設を整えた工場の経営者として更生するところにある。つまり、現代における「愛」は雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され、その前提から「愛」のリレーが始まらなければならないのだ。」(太字正田)




 ・・・そう、「愛」のはじまりを実現することがあるとしたらそれは企業経営のなかにこそ可能性があるのであり、そこからリレーがはじまるのです・・・


 かつ、ここで補うとしたら、この映画の中に、

「経営トップが『愛』の人であっても中間管理職教育をきっちりやらないとリレーは途切れてしまいますよ」

というメッセージもわたしは勝手に読み取ってしまうのでした。NPO会員の皆様、おわかりになりましたか。


 名作映画としては珍しく、客席を若い人、カップルが埋めていました。他人ごとではない貧困の中の愛の貴さを若い人たちも感じているでしょうか。



 今年も、さまざまなお出会いと別れがありました。時節柄人のこころの醜さをみることもありました。私は人生の新たな段階に入りました。数年来支えてくださっている方々のご厚情にあらためて感謝いたします。皆様良いお年をお迎えになりますように。


 
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 なでしこジャパン優勝!の同じ日に。フェイスブックのお友達のお勧め映画、『デンデラ』をHAT神戸でみてきました。


デンデラ-2


 姥捨山に捨てられた50人の老婆が生きていて、共同生活をしていた!というお話です。


 浅岡ルリ子、草笛光子、山本陽子など元美人女優がスッピンに近いメークや100歳を演じる特殊メークで登場。その映像そのものも結構衝撃で、、


 だれですか、草笛光子バルボッサみたいとか言ってる人は――

 あと隻眼の倍賞美津子も、ちょっとコスプレっぽくて良いです――


 感情移入できるのかなあ??と半信半疑で観にいったのですが、ほとんど山形ロケという、雄大な自然美
に圧倒されながら、途中からどんどん巻き込まれ。


  最後は「生きる」って何?という問いになったり、

 男女の両性って何のためにあるの?という問いになったりします。


 浅岡ルリ子扮する主人公の「齋藤カユ」の最後の台詞に、女性の共同体を支えるものと崩壊させるものが凝縮されていたような気も。


 私はまた「リーダー」というもののもつ性質、ということについてしばし考え、「メイ」から「カユ」へ、手渡された「リーダー」のバトン、それはあるシーンとシーンの連続性・・・そして一方の「弱きリーダー」「臆病者平和主義者リーダー」の存在なども。


 このあたりは、映画をご覧になった方と語り合いたいものです。




 HAT神戸では22日まで朝9:40の1回のみ上映。ご興味をもたれた方、ぜひお見逃しなく。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 レイトショーで「インビクタス〜負けざる者たち」を観に行ってきました。

 やっぱりイーストウッド映画ははずせません。


 1990年代、白人政権を打倒して生まれた黒人政権、ネルソン・マンデラ大統領のもと、ほとんど白人で構成した同国のラグビー代表チーム「スプリングボックス」がW杯で優勝するお話。


 あっネタバレしてしまいました。もう上映終了になるから許してください。


 名優、モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラ役。「ミリオンダラー・ベビー」のときの彼より少し甲高い発声です。



 ところで、
 コーチングの受講生様方にこっそりお教えします!



「マンデラ語」を正田が解析したところ、ほとんど「承認の種類」(注:基礎Aで配るA4のシートのこと)でできていることがわかりました。


 最初にいきなり


「ブレンダ今日の髪は素敵だね」(存在承認)


それから


「君のリーダーとしての哲学は何だ?」(考えをきく)


・選手全員の名前を憶え、呼ぶ(存在承認)


「(チェスター選手の欠場を)国中が残念に思うだろう」(WEメッセージ)

「わが国は君を誇りに思う」(WEメッセージ)


 きわめつけはクライマックスの決勝試合の前に

大統領が相手チームを激励する場面。


 敵のNZチームの主力選手で、体重120キロの巨漢に


「Nice to meet you. 私は君がちょっと怖いよ」(Iメッセージ)


 やはり、「怖い」という単語を地位ある男性が口に出して言うところが、オトナの余裕を感じさせるのでした。

このあいだ別のところの原稿にもそんなこと書きました。

 男性が「怖い」というのは「かっこいい」です。



 「承認の種類」を暗誦すればあなたもマンデラになれる!?


 …というのはやっぱりウソで、

 途中、マンデラが投獄されていた、身体を伸ばして寝られなかったであろう狭い独房が映し出されると、


そこで20年近く、過ごしたということの凄さがジワジワ感じられます。


 そこで「負けざる魂(インビクタス)」。不屈の精神。



 要所、要所で、反対を押し切って孤立を恐れず「筋を通す」マンデラの強靭な心のルーツが明かされるのです。





 マンデラが、どうして奥さんと仲悪かったのかは、最後まで謎でした。


 やっぱり正論ばっかりでうざいおじさんだったんでしょうか。

 どなたか、正解をご存知の方がいらしたら教えてください。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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話題の映画『アバター』を観ました。109TOHOシネマズHAT神戸にて。


渡された3D用のメガネは、赤い太いゴムの折り畳みできないつるがついていて、


「パチッて」帰るにはちとごつい。


初期投資は大きいものの、紛失のおそれがないつくりにしたのかもしれません。



CGと3Dを駆使した映像はさすがに迫力。


CGの動きが以前と比べ格段に良くなりましたね。



お話は…、進んだ科学技術をもった人間が、異星の鉱物資源を採るため、その星の未開の住人を懐柔しようとするが、


派遣された工作員は星の部族のお姫様と恋に落ちてしまい…、


なんでジャングルで最初に出会うのがその星で一番キレイなお姫様なんだよ!


…そういう「お約束」も含めて、お話の構造は


「ダンス・ウィズ・ウルブス」とか、「ポカホンタス」とか、
昔からのいくつかある物語を連想させます。



文明と非文明。
科学技術と自然。
西洋と東洋。
破壊・強欲と調和。



鉱物資源を採る、というモチーフは、どこかの国の少数民族政策のようだ。



かつてなかったのは、
(ネタバレごめんなさい)
闘いはひとまず非文明の原住民の勝ち。


こてんぱんにやられる地球人をみて、観客のわたしたちは快哉をさけぶようにできているのです。


私たち、何者。
…という自己ツッコミが生まれるところまで狙っているのかどうか、


とりあえず3時間が短く感じて満足だったのでした。



このあとティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」など、3Dの大作が続々。


日本の各家電メーカーも3DTV生産に乗り出すようで…、



はい、異議はありません。
と、非文明になりきれない私。



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