「3・11」後初めてのよのなかカフェ。
「大震災 神戸の私たちにできることは」として7日、アロアロにて開催しました。
冒頭、震災翌日には現地にボランティアを派遣した神戸の被災地支援団体、被災地NGO協働センターの村井雅清代表からお話。
新燃岳で被災した宮崎から東北に野菜を送る支援のほか、「阪神・淡路」で生まれた知恵として「足湯隊」「がんばるゾウ」などユニークな支援をされています。
その行動力、アイデア、決断スピードの速さは、すべての企業も行政機関ももちろん私たちも見習いたい。
村井氏のお話で印象的だったこと:
・資産を失った事業主に対する支援が大事だが、融資しかない。利子がいくらか免除されるが、元金の一部が返さなくていいような支援の仕組みがない。日本の法律では個人の資産を支援することは禁止されている。おそらく自殺者も出てくるだろう。
・案としては民間で大きなファンドを作り、日本中の大きな企業さんに投資をしてもらう。配当は出ない。被災者が笑顔になってもらうことが配当。海外では普通にやられている。
・きょうの新聞に「復興支援国民連帯税」のようなものを作れば2年間で10兆円作れると出ていた。またODAを少し減らしてこちらに回そうという案もあった。これだけの国内の災害であれば、まっとうな発想。
・遠野まごころネットというものを現地NPOと共同でつくった。この組織図をみるとボランティアコーディネーターが空席になっている。常識的にはボランティアコーディネーターが一番カギを握り、強大な権力をもって組織を動かすが、ここではそれがいない分みんなが知恵を出し合ってやっているし、日に日によくなっている。民主的でどんどん動く。こんなふうに今までの常識で思い込んでいることをどんどん見直している。
・阪神淡路の時現地に来た100万人のボランティアのうち70万人は素人だったが、初心者のボランティアが大量に行ったら現場が混乱するという方程式ができ、マスコミが煽った。実際はそんなことない。
・足湯ボランティアには東京の日本財団で研修を施す。足を洗ってもらうだけで被災者と会話が生まれ、個人的なことも話す。「頑張ってくださいね」と言わないというようなことは確認。
・こういう災害で日常が非日常になる。その非日常の中に大切なことがある。それを日常に戻るときにつなげないといけない。
このあと、参加者15名に村井さんも加わりワールドカフェ方式でディスカッション。
「阪神・淡路のときはまだ12歳でした」「堺に住んでいました。ぐらっとゆれて、怖かったなあ、という印象」
と、いうところから、皆さん話し始めます。
「会社に勤めていてボランティアに行きたくても行けない。もどかしい」
「会社にはボランティア休暇のような仕組みがない」
「情報支援のようなことはできる。現地に正確な情報を送るサイトを立ち上げたりとか」
「仙台の友達に電話したら、『物資は足りている。お金がない。働き口がない』と言われた。自分にできることがないのが悔しかった」
「阪神淡路のあと、地下鉄サリン事件(3月)が起き、すぐ情報がとんでしまった。悲しかった」(3人がリツイート)
「後方支援が大事。バイク仲間が現地に行っているので支援しています」
「小さなことでも継続することが大事ですね」
「未経験で(ボランティアに)行っても受け入れてもらえる仕組みがあるのがすごい。もっと情報として皆さんに知らせたい」
「大阪市の人が現地に行って帰ってきて、『化粧品は喜ばれますよ。美容クリームなんかいいですよ』と言われた。クリーム送って支援になるんかなあと思うが…」
これには神戸地域在住の人からリプライがあり、
「阪神淡路の時、『鏡を見るのが怖い』という女性がいた。化粧品の出番ですよ!」
最後に村井代表から「1985年のメキシコ地震の時活躍したボランティアの人が来日して言われたのが、『忘却は最大の敵』」。
そう、阪神・淡路の時も、私たちは
「便利なものを使いすぎ、電気や水を使いすぎていた」
「もっとご近所と支え合わなければ」
と言っていたのだ。
「継続する仕組み」については、日本赤十字のHPでクレジットから募金を自動引き落としになる仕組みもあると紹介してくれた参加者さんがいらした。
正田は、「毎月募金と毎日募金」を、メールニュースでアナウンスしています。
翌日からまた遠野に入るというとき「よのなかカフェ」に足を運んでくださった村井代表、そして真剣に議論された皆さん、ありがとうございました!
次回よのなかカフェは「日本はスウェーデンを目指すべきか?」と題して、5月15日(日)15:00〜17:00にアロアロで行います。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
「大震災 神戸の私たちにできることは」として7日、アロアロにて開催しました。
冒頭、震災翌日には現地にボランティアを派遣した神戸の被災地支援団体、被災地NGO協働センターの村井雅清代表からお話。
新燃岳で被災した宮崎から東北に野菜を送る支援のほか、「阪神・淡路」で生まれた知恵として「足湯隊」「がんばるゾウ」などユニークな支援をされています。
その行動力、アイデア、決断スピードの速さは、すべての企業も行政機関ももちろん私たちも見習いたい。
村井氏のお話で印象的だったこと:
・資産を失った事業主に対する支援が大事だが、融資しかない。利子がいくらか免除されるが、元金の一部が返さなくていいような支援の仕組みがない。日本の法律では個人の資産を支援することは禁止されている。おそらく自殺者も出てくるだろう。
・案としては民間で大きなファンドを作り、日本中の大きな企業さんに投資をしてもらう。配当は出ない。被災者が笑顔になってもらうことが配当。海外では普通にやられている。
・きょうの新聞に「復興支援国民連帯税」のようなものを作れば2年間で10兆円作れると出ていた。またODAを少し減らしてこちらに回そうという案もあった。これだけの国内の災害であれば、まっとうな発想。
・遠野まごころネットというものを現地NPOと共同でつくった。この組織図をみるとボランティアコーディネーターが空席になっている。常識的にはボランティアコーディネーターが一番カギを握り、強大な権力をもって組織を動かすが、ここではそれがいない分みんなが知恵を出し合ってやっているし、日に日によくなっている。民主的でどんどん動く。こんなふうに今までの常識で思い込んでいることをどんどん見直している。
・阪神淡路の時現地に来た100万人のボランティアのうち70万人は素人だったが、初心者のボランティアが大量に行ったら現場が混乱するという方程式ができ、マスコミが煽った。実際はそんなことない。
・足湯ボランティアには東京の日本財団で研修を施す。足を洗ってもらうだけで被災者と会話が生まれ、個人的なことも話す。「頑張ってくださいね」と言わないというようなことは確認。
・こういう災害で日常が非日常になる。その非日常の中に大切なことがある。それを日常に戻るときにつなげないといけない。
このあと、参加者15名に村井さんも加わりワールドカフェ方式でディスカッション。
「阪神・淡路のときはまだ12歳でした」「堺に住んでいました。ぐらっとゆれて、怖かったなあ、という印象」
と、いうところから、皆さん話し始めます。
「会社に勤めていてボランティアに行きたくても行けない。もどかしい」
「会社にはボランティア休暇のような仕組みがない」
「情報支援のようなことはできる。現地に正確な情報を送るサイトを立ち上げたりとか」
「仙台の友達に電話したら、『物資は足りている。お金がない。働き口がない』と言われた。自分にできることがないのが悔しかった」
「阪神淡路のあと、地下鉄サリン事件(3月)が起き、すぐ情報がとんでしまった。悲しかった」(3人がリツイート)
「後方支援が大事。バイク仲間が現地に行っているので支援しています」
「小さなことでも継続することが大事ですね」
「未経験で(ボランティアに)行っても受け入れてもらえる仕組みがあるのがすごい。もっと情報として皆さんに知らせたい」
「大阪市の人が現地に行って帰ってきて、『化粧品は喜ばれますよ。美容クリームなんかいいですよ』と言われた。クリーム送って支援になるんかなあと思うが…」
これには神戸地域在住の人からリプライがあり、
「阪神淡路の時、『鏡を見るのが怖い』という女性がいた。化粧品の出番ですよ!」
最後に村井代表から「1985年のメキシコ地震の時活躍したボランティアの人が来日して言われたのが、『忘却は最大の敵』」。
そう、阪神・淡路の時も、私たちは
「便利なものを使いすぎ、電気や水を使いすぎていた」
「もっとご近所と支え合わなければ」
と言っていたのだ。
「継続する仕組み」については、日本赤十字のHPでクレジットから募金を自動引き落としになる仕組みもあると紹介してくれた参加者さんがいらした。
正田は、「毎月募金と毎日募金」を、メールニュースでアナウンスしています。
翌日からまた遠野に入るというとき「よのなかカフェ」に足を運んでくださった村井代表、そして真剣に議論された皆さん、ありがとうございました!
次回よのなかカフェは「日本はスウェーデンを目指すべきか?」と題して、5月15日(日)15:00〜17:00にアロアロで行います。
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp