正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ:インタビュー・対談 > 教育者インタビュー


 教育者インタビューシリーズ 第三弾は、神戸市立渦が森小学校教頭・吉森 道保(よしもり・みちやす)先生(49)です。


 連休明けの小学校で、お話をうかがいました。


「息子がお世話になりました。吉森先生に2年間教わったことは、彼の大切な財産になっていると思います」


 吉森先生は、わが家の問題児(今でも)末っ子の長男の小学校5・6年当時の担任でした。

 高2の現在でも寝坊による遅刻やら風邪だか昼夜逆転だかによる欠席の多い、ちゃらんぽらん息子。積極的にすごく悪いことをするわけでもないが、吉森先生の担任当時はまだ、人を傷つける言葉を言ってしまうなど、自分を抑えられないところが目立ちました。


 吉森先生はそんなアホ息子に、時にはさとし時には叱り、しながら、やはり良いところを見つけて褒め、仕事を任せてやらせる中で自信をつけてくださいました。(その結果すばらしい人になりました、とはまだ言えないところが悲しい。)吉森先生の担任の2年間の終わりごろには見違えるように自信をつけ、クラスの友達に声をかけてまとめるような面もみせるようになっていました。(その後残念ながら紆余曲折ありそうした面は消失)


 さて、吉森先生のお話です:


「今いる渦が森小学校(神戸市東灘区北部)にはこの4月に赴任してきたばかりですが、教育熱心な地域ですね。歴史がありますので、保護者もここの(小学校の)出身という方がいらっしゃる。地域の自治会がしっかりしていて、地域の力というものがある。

 基本的生活習慣が良くできているなと感じます。言葉づかい、礼儀作法が1年生のうちからできている。職員室から出るときでも、

『お忙しいところ失礼しました』

という言葉が出るんですよ。子どもなのに。

 あとは町中で会ってもあいさつがしっかりできる、とかですね。家庭での教育なのかな。だからここでは、あまり危機感というものは抱かないんです。



 ぼくの教育ですが、ここに登場させてもらうような立派な教育とか理論は持っていないんですよ。

 基本的には1人1人を『個』として尊重する、というのは持ち続けていると思います。頭ごなしに押し付けるんではなく、納得して皆、動いてくれるように。

 人を傷つけるとか、いけないことをした時にはビシッと叱るんですけど。

 そうではないときは、『こうしたらええんちがうかな』と穏やかに話し、自分の口から『こうしよう』という言葉が出せるように。」


「吉森先生というと、うちの息子によく仕事を任せてくださったな、自信をつけてやってくださったなというのが思い出深いんですが」と私。


「はい、1人1人に存在感を持たせてやりたいなと思っています。自分の存在意義、自分がいるからこのクラスは成り立ってるんだ、という感覚。


 問題行動を起こす子は、自分を大切にしてないんですよね。

 そうじゃないんだよ、あなたは必要なんだよ、と伝えてあげる。人のために何かができたということが、満足感になる。

 高学年になると学校内の仕事としてやることは一杯あるんです。音楽会の準備、体育祭の準備。仕事というのは合体して全体の仕事になる。

『ここは任せるね。頼むね』と。

そうしてみてみると、意外と、任せられることはたくさんある。

これはキャリア教育の一環なんです。

ええ、もう小学校教育にもキャリア教育が入ってきて3−4年になります。もう本格導入されています。これは文科省だけでなく内閣から出ている方針なんで。

 
 中学にトライやるウィークがありますが、それの素地を小学校でつくりトライやるにつなげる。さらに高校では職業訓練につなげる。

 働くってどういうことか。人に喜んでもらう、額に汗する。ということを学んでもらう。


 
 以前ある学校の5年生で、非常に手のかかる子がいました。教室の掃除当番などの仕事を、その子は全然やらなかった。

 その子に、音楽会前の準備で、体育館前のガラス板を4枚分、

『これは君の仕事やと胸を張って言えるような仕事をしなさい。』

と言って、任せた。そのあとぼくは体育館の会場設営をみるので忙しく彼のことを見に行けなかったけれど、見に行くと、息をはーっと吐きかけて拭いていた。ガラスがそこにないかのように綺麗になっていた。


 心の底から凄いと思い、お世辞でもなんでもなくそれを伝えました。相手の子も満足そうでした。


 それ以来、彼は教室での普段の掃除もちゃんとやるようになりました。仕事を通じての満足感は色々なところに波及します。彼の子ども間のトラブルも減っていきました。


 普通はそういう行事の準備をグループ単位でするわけですが、グループの中で話し合いで仕事を割り振らせたらその子はしなかったと思います。それはぼくがさせた。彼の領分をほかの子がやってしまっても困る、と思ったし。


 その子は黒板担当になった時も、

『あなたはこの黒板消しで、黒板を拭いてぴかぴかにしてな』

と言うと、本当にぴかぴかにする。

『こんな綺麗な黒板に字を書くのはもったいないくらいだよね』

とみんなに言ってやる。

 そんな積み重ねで、だんだんとグループでも仕事をしてくれるようになった。」


 1人の子が仕事を通じて変わっていく、素晴らしいエピソード。

私:「え〜と、うちのアホ息子にもひょっとしてそんなエピソードがありましたでしょうか」


先生:「彼は賢いから、どこまで許されるか、鎌をかけてくるところがあるんですよ。『ダメ』とガンと言うと、引っ込める。一線を超えたのを見逃してると、恐らくおおごとになる。

 大事なのは、ぼくらがブレないということでしょうね。

『あの時ああ言ったのに今度は・・・』となると、どこに基準があるのかなーとなりますから。多分、どの子もそういうのは見てると思うんですが。


 一線を超えたら、もちろんビシッと叱る。

『あかんもんはあかんのや』

 普通はたいていのことは理由づけできますけどね、なぜあかんか。人を傷つけるのは、『あかんもんはあかん』の領域でしょうね。」


 ブレない、あかんもんはあかん。ちょっとした呼吸で、子どもが大きく道をそれるかそうでないかが変わってきてしまうかもしれません。

 
「吉森先生というと、息子からきいた話では

『先生はいじめは大嫌いです。皆さんがいじめをしたら、先生は体を張ってでも怒りますよ』

とおっしゃったとか」


「そう、それは必ず言います。ぼくは学年初めの学級開きのときに言います。

『いじめは許しません』

『先生が怒るときは、こんな時怒りますよ』

これは3つぐらい例を挙げるんですが、いじめた時、傷つけた時、あと『この学年にはたらかそう』と思ったのにさぼった時…。


『いじめに第三者なし』というのも必ず教えます。

 いじめる子、いじめられる子のほかに、知ってるけど傍観してる子もいる。その子らもいじめてるうち。また、いじめがあることを知らない子も、同じクラスでそういうことが起こってることを知らないのが罪。

 
 いじめる子は2、3人とか3,4人。いじめられる子は1人。1人じゃつらいから、先生はこの子の味方をしますよ。」


「・・・そういうやり方、おっしゃり方は、先生独自のものですか」

 れいの、「標準化、共有化してほしい」というやつであります。

 先生は過去のブログ記事もお読みになっていたので、予期したように言われました。


「『いじめに第三者なし』は、神戸市の標準の考え方ですよ。ぼくも先生に教わったし、若い先生にも『こんな方法ありますよ』と紹介したり。

 おっしゃるように、すべての先生が一律にされるようになったら、それは素晴らしいですけどね。

 どれだけ深刻に受け取るかは、教師としての成長かな。言葉の重みをどこまで持たせられるか。どれだけそれを話できるかは、個性の違いや年齢の違い、経験の違い。それなりの年齢になると、指導ができるんだろうし。

 (吉森先生はなぜ話せるのか?と問われて)ぼく自身は、深い意味はないですがなんか嫌なんですよね、こそこそっとしてるのが。」


私:「いじめに関しては、先生のような(いじめられる子は1人ぼっちだからぼくはこの子の味方をする、という)考え方をする先生ばかりとは限らなくて、多数決の考え方を持ってきてしまう場合もありますね。」

先生:「それはどういう?」

私:「えーと具体例で言うと、うちの娘が別室登校になったあと教室に戻れるか、となったとき、特別措置をとってもらう必要があった。具体的には、一番後ろの席にしてもらう必要があったんですが、ほかのお子さん方から『不公平や』という声が上がる。するとうちの娘は永遠に教室には戻れない、という」


先生:「あ、その例でしたら、ぼくのやり方は基本的には不公平やと思います。子どもは1人1人違う。跳び箱で背の低い子が4段跳んだ、意味が違うでしょ?

 人によって何かが違うんだから、違うのは当然。これは常日頃言ってるかな。

 勉強できる子が100点とるのと、できない子が50点とるのとでは、こっちの方が偉いとかね。

 不満の声が出るときもありますが、出たときに潰している。小さい声が出た時に。『違いがあって当たり前』と。


 3年生の国語の教科書に、『私と小鳥と鈴と』っていう金子みすずの詩があります。『みんな違って、みんないい』と。あれだよね、と言って納得させます。」


 一番印象的だったエピソードは?と問われて、


「ある小学校では『単級』つまり、1学年1クラスで、そのクラスも18人しかいなかったんです。6年になるまでの間に38人までなりましたが。

 何するにもクラス1つ。音楽会も運動会も一生懸命やり、卒業式の予行もピタッと決まった。しかし卒業式の本番、1人が泣き始めたら伝染し、全員泣いていた。仰げば尊しの伴奏がかかってもだれも歌えなかった。

 その子たちは30超えてよく同窓会をやってくれます。結構沢山きてくれて。

 同窓会をやってくれると、良かったなと思いますね。普通に担任してると毎日、闘いのようなものですが。


 大人になった時、『先生こんなこと言ってたな』と、振り返ってくれたら嬉しいですね」




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 


 
 

「今の子は、自分を認めてくれる人が欲しいんですねえ。
そのままの自分、今の自分を認めてくれる場や人が欲しい」


 そう話すのは、神戸市青少年補導センター指導主事の井上顕(あきら)先生(52)。


 井上先生は市内のいくつかの小学校で教頭を経験されたあと現職。街で補導活動をしたり、不登校の生徒をセンターで預かって指導したり、ということをされています。


「今の思春期の子はストレスが多い。それは、小学校にも素地があります。

 今の子は、環境がまず違う。核家族で、親御さんが1人1人連帯感がない。近所の親御さんと関係が薄い。相談できず、孤立している。

 昔だったら三世代同居で、おじいちゃんおばあちゃんも家にいたところ。

 共働きも多く、十分大人と関わってこなかった。


 そして子どもは、インターネットもある便利な時代。体験が少ない。自分でやって、失敗して、試行錯誤する機会が奪われている気がする。
 体験して大人たちとからみあって、人間関係を築いている。


 大人社会の変化、身の回りの便利さ。それにより力不足のまま思春期に入ってきている。どのお子さんも、そう。

 便利、裕福だが、機械に振り回されているような気がする。


 不登校の件数は、神戸市では10年前をピークに横ばい〜減っている。

 2000年前後までは、「登校拒否」といってたんですが。今の時代、だれにでも起こり得る。

 今の子は、目先には自分を認めてくれる場や人が欲しい。
 そのままの自分、今の自分を認められたい。

 中学生になると、将来への不安感がある。今、だれでも先が見えないでしょう。わからないから不安。そのために勉強しておこうか、学力をつけておこうか、となるのだが。
 将来の見通しがちょっとでもみえてきたら、安心。


 不登校の子にとっては、高校にいくことがまず目先のこと。高校に行けるだろうか、その先、社会に出てやっていけるんだろうか。

 一番つかんでほしいのは、自信。
 どんな自信かは、子どもたち1人1人違う。

 不登校になる子はいい子たちが多い。まじめ、やさしい、きちょうめん、頑張り屋。

 不登校になる子は、それが過度になりすぎる。まじめすぎる、やさしすぎる、きちょうめんすぎる。
 他の人と折り合いがつかなくて疲れてしまう。

 自信をもってほしい。
 大体、「挫折した、自分はダメな人間なんだ」と思う。
 しかしその子が不登校になった原因自体が長所なんですよ。

 ここ(センター)では、カードゲームや体験活動をしながら、「あなたこんないい面があるねえ」と教えてあげる。
 今の自分で持ってるんですよ。

 体験活動は、市の他の施設と連携してやります。市立博物館ですとか、西区神出教育園で農作業をしたり、田植えをしたり。このセンターの上にも卓球台があります。


 適度、ほどほど、ちゃらんぽらんというのが、人間関係をつくるうえで大切なことです。さじ加減をおぼえる。今の時代はTVゲームや一人遊びで、さじ加減を十分につくれないまま大きくなる子どもが増えている。

 正義感がつよすぎると衝突する。
 一方で器用につかいわけすぎるとあまり気持ちよくない。


 正田さんの著書『認めるミドルが会社を変える』の中に、『公平』という言葉が出てきましたが、大事なことですね。(注:書籍の中では『公正』という言葉) 公平は、ものすごくむずかしい。労力が要る。実は1人1人対応が違う。言い方が違う。

 公平は絶対大事です。1本筋が通っていること。(私、井上がそれができていた、と言われるのは)子どもが正直だからです。おかしかったらおかしい、うれしかったらうれしいと言ってくれる。


 もう教員生活30年になります。若いときは体を動かして走り回ってぶつかって反省して、だんだん考えることが多くなった。落ち着きが出てきたのかなあ」



 井上先生は、実は正田の上記の著書に仮名で登場されています。うちの上の娘達が小学校で担任していただいた、厳しいけれども子どもたちに人気のある、力量のある先生として。


 よく褒め、冗談を言って笑わす一方で、


 「廊下を走ったら危ないやないか!」

 カーン、と叱る技をもった先生でもあります。


 「叱れない風潮」について、井上先生におききしました:


「先生方に関しては、経験を積んでもらうしかないですね。

 親御さんも同じ。子どもが納得するかどうか。納得すれば、自分で考えてくれる。対話が必要。叱る前から。その素地があってこその『叱る』。

 関係というものができていれば。

 半分位は、叱る前の段階でできている。


 若いころは、『こんなふうに叱ったらいいか、あんなふうに叱ったらいいか』と試行錯誤していました。

 六アイ(小)でやっていたのは、クドクドは言わなかった。自分でわるいとわかっていたら、一言二言でわかる。でもわからない子もいる。そのときは『わからへんようやからわかるように話すね』と言う。」


 「ぼく、軽く叱っていただけなんですが」

 という井上先生に、


「いや〜、先生の『軽く』は普通の子にはインパクトがあったようですよ」

 と、笑って差し上げました。



 若い先生にそうした呼吸をどう伝承するかというお話にはなりませんでした。

 なんかそこで、「共有」「標準化」という作業をしてほしい、と思ったのは私のわがままでしょうか。




 久しぶりにお会いする井上先生はあくまで快活な笑顔で、また「公平」という話題でみせた食い入るような真摯さをみるとき、

「このひとは『個別化』という資質のある人かもしれないな」

とふと、思いました。

 1人1人の個性を素早く見抜き、対応を変えてしまう。こういう才能のある人がいう「公平」は、ない人の言う「公平」とは、少し種類の違うものです。

 
 でも結局それで子どもたちには納得感のある「公平」になるのです。



 さて、井上先生は残念ながら、13日の「よのなかカフェ」にはおいでになれないようです。

 代わりに、というか大物登場。

 姫路の「学級崩壊お助けマン」こと、間森誉司(まもり・たかし)先生が、よのなかカフェに出席していただけることになりました!


 間森先生は62歳、社会科の教育実践で有名な先生でもう定年ですが、今は和歌山大講師のかたわら、姫路市の「臨時教諭」として、学級崩壊に陥ったあちこちの小学校に入って立て直しをされているのだそうです。


 そのノウハウも知りたいし、それを通じて、今の子どもたちが心の奥底で何を求めているか?が、わかってくるのではないかと、正田は超・期待しています。


 連休の次の日曜、13日15-17時、三宮のカフェ「アロアロ」にて。「今」を見据える教育者たちと対話してみませんか。親御さん方のご参加、大歓迎。
 参加費2000円、お茶・ケーキ付です。

 詳細とお申込みは よのなかカフェページ にて。


 

神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

「今の親って、すっごい『不安』なんですよね」


快活な眼をきっ、として話すのは塾経営の「のりこ先生」(50代)。

のりこ先生は西宮市で個人塾を経営。塾では、幼児〜高校生の、あまり進学志向の強くない子どもさんを指導しています。土日は親御さんとの面談で大忙し。社会人となった2人のお子様のママ。

過去に「企業内コーチ育成講座 基礎コースA」および「応用コース」を受講されたことがあり、当協会方式の「コーチング」にもご理解の深いかたです。


「私たちが親だったときも不安は不安でした。でも質が違う気がする。不安にかられて教育している。

不安だから頼りたい、はっきり教えてほしい。教えてもらえると安心する。

例えば、お母さん方に”私学信仰”が強い。自分に核がない。

若いお母さんも不安だし、そろそろ子育て終わりかけてるお母さんも不安。

『先生、何か言い切ってくださいよ』

と、面談で期待されている。

言い切っているところは、商売が上手くいっているでしょうね。うちはそれをやりたくないので・・・、

その『答えが欲しい』という親御さんの姿勢は子どもさんにも伝染ります。今の子どもって答えをもらいたがる。でも子どもに責任がある場合って全くないの。親御さんなの。


親が求めてるものをこちらが与えてあげるのがいいことかというと、求めてるものを供給するのがビジネスでしょ?でもそれをすると、私の思ってる子どもは育たない。


どういう子どもであってほしいかというと、

何のために勉強してるの?―大人になる練習でしょ。

社会に出たら答えはないよ。正解をだれかが出してくれることなんてないよ。


自分で考えるってすごく難しいけど、考える時間が少なすぎる。与えてもらう情報量が多すぎて。

うちの娘は普通高校から通信制にかわって高卒で働いているし、上の子ももう社会人。自分で考えてやってるから、それでいいのかな。

考えられるようになったらOKなんだけど、しかし親はそれをみて別のことを求めたがる。

この2-3日のうちに4人ぐらい面談したんですけど、同じことを言いましたね。

『95点じゃなぜだめなの?』

って。

そのないほうの5点のことを言う前に、95点のほうをほめて受容してやれるでしょ?って。なんで100点とらないといけないの?


でも『くやしいと思ったら、次、100点とれるかもしれないじゃないですか』って言うんです、親御さんは。

うまくいってるときって、考えてもらえないじゃないですか。問題が起きて初めて考えてもらえる。だけどそのときは問題が大きくなって枝分かれしてるので、その枝ごとの対症療法しかできない。ほんとに根源的なところに取り組めない。


私はビジネスでは捉えられない、お母さん方のニーズに合わせたくない。だから自分が食べていく(収入)だけ。

子どもが家を出て、私何のために仕事してるのかなーって悩みましたけどね。


『挫折』ってキーワードですよね。子どもは挫折するというのはいけないことだと思っている。親は95点じゃダメって話になる。

『挫折してもいいのよ、今挫折しないでいつ挫折するんですか?』って、話すんです。でも理解できないみたいですね。

教育って、社会から独立してないじゃないですか。
私は勝ち組ではないよね、と思います。今の社会の中で勝ち組になりたくない。

親御さん方に不安があるとしたら、勝ち組になりたいのかも、あるいはマジョリティになりたいのかも。


あんまり外国の人って、年齢とか学歴とかこだわらないんでしょうか。

この間、イスラエルの23歳の女性と話しました。日本を旅していて、めっちゃしっかりしている。視野が広い。

私は子育てしてても他の人みたいになりたくないっていうのがありました。

幼稚園でお母さん同士べちゃべちゃしゃべるのが嫌だったから、子どもを保育園に入れちゃった。今はつるまないと不安なんですね。

今のお母さんは、情報源ってまわりだけなんでしょ。自分一人でどっかへ行って情報をとろうとか、本を買って読もうとか、しない気がしますね。

イスラエルの子は、ほんとにそういうの(人とつるみたいなど)が出なかった。
軍隊とかもあるからね、国を守る意識を植えつけられるから。
日本は平和なんかな。


はたらくお母さんが増えると子育てはどうなるでしょう?
いいことなんですけど、みるとこをみなくなるでしょ?
どこかへ預けてお金を払って。

しつけとか、話を聴いてあげるとか、本来しなきゃいけないことを十分にできないでしょうね。

ファミレスで子どもさんが走り回って親御さんが注意しないというのはよくみますね。

社会のルールを教えてない。叱らないといけないんじゃないか。
何割ぐらいの親が「叱る」をできてるだろうか。

私自身は、「人を傷つけない」「迷惑をかけない」といった、一番外枠のところだけを教えたつもり。

例えば自分がジャイアンの母だったら?
勢いの強い子、自分がやられたことがない子だと、相手の痛みがわからない。
やっぱり、相手の痛みをわからせるでしょうね。

それは、人目を気にしちゃうとできない。
自分の子どもの更生と自分の見栄とどっちが大事か、ということだけど、
人目を気にするのが現実ですけどね。
どなるからあかんと思うんですよ。
どこかに連れていってとことん叱るでしょうね。


前、親塾ってしてたんです。
傾聴とか大事ですよね、って話しても、『でもね』って納得してない。
2回目のとき、なんでおこるんですか?ときいたところ、
そこで自分の感情に気づいた。
『私、別のことで怒ったんですよね』と親御さん。EQですよね。


親の話を聴くことをしたいなーと思う。
親塾をやっていると、涙を流される方がいる。
『今から帰って子どもを抱きしめます』という方がいらっしゃる。

いいことやってるねって言われるけど、
宣伝してもなかなか人が集まらない。
うちは大丈夫ってみんな思うから。
つまづいたとき、個別の対応になる。
私、そういうのヘタなんです。広告ヘタ。」





「言い切るのがヘタ、広告するのがヘタ」

というのりこ先生。

「私、勝ち組になりたくはないし」という恬淡としたスタンスだからこそできること。

商業教育にならざるを得ない私塾の中で、こういう姿勢を維持する先生に出会えた親御さんは幸せです。



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旧知の教育関係者の中には、ヤンママを相手のビジネスを広げるなかで、非科学的な「言い切り」の話法を身につけた人もいらっしゃいました。

「子どもって生まれたときはみんな同じなのよ!!お母さん次第なのよ!!って話してやると、若いお母さん方はほ〜ってなるの」


・・・いや同じじゃないから、すべての子どもが個性的な脳、個性的な遺伝子をもって生まれてきてるから。病気とか障害とか発達遅れとか、何か起きたとき「自分の育て方が悪いんじゃないか」とお母さん方を追い詰めるもとです、「同じだ」とか言っちゃうと。


(そんなこと言ってるうちに大阪市の家庭教育支援条例が大変なことになってるようです。
 こちらのブログ記事をご参照ください http://michiaripsy.blogspot.jp/2012/05/blog-post.html?spref=tw 


少し前霊能力者と称する人の言いなりになるタレントの話題がワイドショーをさらい、「判断停止」する有名人、が話題になりました。他人に判断してほしい。「この色の服を着なさい」とか、「あの人と付き合ってはいけない」とか、言われたい。

でもその「判断停止」は多忙を極め、運不運に左右されストレスの高いタレントに限ったことではなく、普通の不安なお母さん方にも(ひょっとしたらお父さんにも)巣食っていて、そのお子さんたちに影響を与えるのです。


そのためにプロの教育者が恫喝とか言い切りの作法で自分を大きくみせようとしたら・・・、いや、ビジネス上手い人はそれをやるんでしょうけど。どのくらい今、蔓延してるんでしょうか。


のりこ先生は5月13日、よのなかカフェ「子どもたちが危ない!」にも出席してくださる予定。

歯に衣着せぬ(本当は品の良い美しい方です)のりこ先生のトークに触れたい方、是非いらしてくださいませ!

よのなかカフェ詳細とお申し込みは
http://c-c-a.jp/cafe/

神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp









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