正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ:学びに感謝 > セミナー・講演参加日記

 ラグビー日本代表メンタルコーチ・荒木香織氏(兵庫県立大学環境人間学部健康・スポーツ心理学研究室准教授)。
 といっても「ぴん」とくる方はまだ少数かもしれません。恥ずかしながらわたしも講演を聴くまでは存じませんでした。

 あの「五郎丸ポーズ」を考案した人、というと、「へ〜」となられるでしょうか。
(ちなみに「五郎丸ポーズ」は荒木氏によると、マスコミの勝手な造語で、本来は「プレ・パフォーマンス・ルーティーン」というそうです。五郎丸選手だけでなく、他の選手も色々独自のものを作って活用しているそうです。本記事の末尾に「五郎丸ポーズ」の解説のお話も入れさせていただきました)

 で荒木香織氏は下のお名前が女性みたいですが本当は男性だった…というのがよくあるオチですが実際は子育て中の細身のれっきとした女性です。
 昨年日本中を沸かせた南ア戦のあと、惜しくも敗れたスコットランド戦には荒木氏はお子さんを連れてきた都合で帰国してしまっており随行できなかったことが残念、というようなエピソードも語られました。

 昨日行われた兵庫県経営者協会主催の荒木氏の講演会のお話を、ご紹介させていただきましょう。
 れっきとした最新スポーツコーチングの、ある”負け癖チーム”を「勝利」に導くまでのお話です。


 お話は2012年、エディー・ジョーンズ氏が日本代表ヘッドコーチに就任するところから始まります。

 それまでエディー氏はW杯代表チームのヘッドコーチとして13勝1敗。日本代表チームは1勝21敗。
 「勝ち」を知らないチームにどうやって勝利を経験させるか、がポイントになりました。

 「選手のパフォーマンスは、個人の特徴と環境の掛け合わせで決まる」と、荒木氏は言います。

 (=体格、集中力など)×環境(コーチ、チームメイトの言動)=行動(パフォーマンス)

―言わずもがなですがこのあたりビジネスでも一緒ですね。いい素材の社員を採っても環境が悪ければ伸びません。ダメかと思われる社員も環境が良ければ伸びる可能性があります。だから環境づくりは大事。そして環境の多くは管理職で決まります。

 このあともポイントかと思いますが、今はW杯優勝の常連であるあのニュージーランド代表の「オールブラックス」も一時期低迷期があった。そこから躍進した時に改革したのが、「リーダーシップグループ」をつくることだったそうです。
 すなわち、
・コーチングスタッフのリーダーシップ
・選手自身のリーダーシップ

―ポイントかなー、というのは、わたしは基本、管理職教育で企業様に関わるわけですが、管理職教育がある程度すすんだ段階で本当はサブリーダークラスに対しても教育を施すのが理想だからです。ほんとうは職場の「環境」ということを考えると、サブリーダーぐらいまでが「環境」の大きな要素といえるでしょう。昨今の研修費の削減や年単位で新しい業者、新しい考え方を取り入れてしまう研修採用の仕方を考えると、なかなか管理職〜サブリーダークラスまで一貫した教育というのはできません。はい、ぼやきです


 ここで「変革型リーダーシップ」という概念が出てきます。

 「リーダーの役割は、フォロワーが組織のため私利・私欲を超越することにより持ち合わせた能力を最大限に引き出すことができるよう、情緒的な訴求を通じフォロワーを鼓舞させること」

と、荒木氏は言います。

 これをもう少しかみくだいた「4つの要素」というのがあります。

1.理想的な影響力
 ロールモデルとなる行動をもって、信用、信頼ができ誠実であることをチームメイトに表明する。
 有言実行、道徳、規律、倫理的、基準が高い
2.鼓舞するモチベーション
 リーダーの行動がチームの自信や楽観性につながる。
 チームに対し到達点を明確に表明する。
 チームが高い基準に達するよう励ます
 情熱、モチベーション
3.思考力への刺激
 リーダーがチームに対して「あたりまえ」に疑問を持つよう促すことにより、自分自身について省みる。
 また意志決定に貢献するように仕向ける。
4.個々への配慮
 個々のチームメイトへの関心を示し、ニーズと能力を理解する
 共感や同情を表明し、個人の達成や発展のためのメンターとして振る舞う


 また、リーダーに不可欠な感情知性というのがあり、それは
  自分理解力
  自己制御力
  モチベーション 
  共感力
  社会的スキル
 だそうです。

 「リーダーシップはスキルとして習得できる。五郎丸選手などは当初、弟キャラで、到底リーダーという器ではなかった」と荒木氏。

 そこで、JAPANのリーダーシップは2012-2015の間にどう変遷していったか?というお話。
 この「経年変化」の部分がわたしには大変興味深かったです。

 「勝ちの文化をつくる」 2012&2013

 ここでの柱は、
 ・国歌斉唱(君が代を他国代表の国歌のようにきちんと歌う。意味をレクチャーする)
 ・前向きな言葉をかける、ほめる(それまでネガティブな言葉が多かったため)
 このほか、
 ・Buddy System 
  (2人組で練習前のミーティングからキーポイントを確認する、練習後のフィードバックをクラウドで行う)
 そのフィードバックの中でも、「私たちは反省しすぎだね」ということに気がつき、
 「今日うまくいったことは何か」
 「明日取り組むことは何か」
 に焦点を当てることにしました。
 達成できないことは、いつまでも達成しようと思わないで変える。できるものに変える。

 そうしている中、2013年にはウェールズに勝つという快挙となりました。

 次の段階。
 「憧れの存在になる。歴史を変える」 2014

 このころ、徐々にかつてなかったような勝利を積み重ねますがマスコミにはまったく取り上げられなかった。選手は「チヤホヤされたい」ということを言いました。しかし「チヤホヤ」は一過性のモチベーション。考えた末、
「憧れられるような存在になろう。満員のスタンドの中でプレーし、影響力のある存在になろう」という目標になりました。

 そして昨2015年。
 「主体性」 2015
 主体性とは、エディーさんのためじゃない、自分たちのために、ということ。
 具体的には、
 ・強度100%でやる。10本ダッシュなら最初のは少し手を抜いて最後の1本を全力でやる、というのではダメ。最初から全力でやる。
 ・選手間のサポート
 ・決められた範囲内での改善点をあげていく

―わたしの言葉で勝手にいいかえると、「ケアの段階」「自己顕示欲、誇りの段階」「主体性の段階」と、4年間にステップが存在したようにみえます。
 そうなんだよなー。「主体性」かっこいいけれど、そこへ行きつくまでにステップがある。かっこいいからと「主体性」に最初から飛びついてしまいたがる研修プログラム、多いですね。本当は、小さい頃からしみついた非主体性を卒業するには、これぐらいのステップを踏まないとダメですね、と正田はおもいます。
 だから、企業人でも入り口は「承認」そこは、絶対に避けて通れないとおもいます。

―しかしJAPANに関しては、「主体性」の年にエディーさん解任、なんだか皮肉だなあ、という感想もいだきます…。

 
 もうひとつおもしろかったのは、2015W杯において、南ア戦勝利をはじめ歴史的な勝利をいくつも挙げたのですが、そこに対する心の準備は全然していなかった、というお話です。

「『勝ったらどうしよう』というメンタルトレーニングは全くしていなかった。よく、まちのメンタルトレーニングで『勝ったら何をしよう』とイメージトレーニングする、と言われますが、ああいうのは全く効果ありません」
と荒木氏。


 講演の冒頭には、
「自己啓発本あまたありますが、科学的でないものがほとんどです。ちゃんと科学的根拠のあることをやってください」
とクギをさす場面もあり、
これも、当方は大学人ではありませんが、我が意を得たりでした。

 昨今の風潮でいうと、ある論者を信頼できるかどうかは、私見ですがこれは大学人か、そうでないかの区別とはあまり関係ないように思います。
 かつ、「エビデンスを使ってものを言う」というのも、最近はあやしい。恣意的に都合のいいエビデンスを使っている場合もあれば、統計そのものにウソが含まれていたり統計特有の限界があったりもするからです。

 最後は、エビデンスを使いながらもそれで「成功体験」をもっている人を信頼するしかないのでしょうか…。
 正田も大学人ではないけれどそこでギリギリセーフ、ということにしていただけますでしょうか。甘い?


 
おまけ:
 多くの方がご興味があるであろう「五郎丸ポーズ」の成り立ちについて。
 冒頭にも書いたように「五郎丸ポーズ」はマスコミの造語で、本当は「プレ・パフォーマンス・ルーティーン」といいます。
 荒木氏によると、五郎丸選手の課題はキックの成功率を上げることだった。
 五郎丸選手の性格は、メディア上ではまじめそうですが、本当はものすごくおしゃべりで、お茶目。ただまじめなのは本当で、サボり癖もない。
 ストレスがすごく高く、ストレスマネジメントが必要。完全主義的傾向がある。

 あの「プレ・パフォーマンス・ルーティーン」は、3年間かかって作ってきたもので、意図していることは:
1.外的・内的に妨げとなるものを取り除く。
 内的:入らなかったらどうしようという迷い
 外的:視覚・聴覚
2.キックへの身体の準備
3.ストレス軽減
4.修正(重心の移動)


 素晴らしいご講演内容を、荒木先生ありがとうございました!
 またこのブログへの掲載を快くお許しくださったこともありがとうございました。


受講生様方はご存じのように、正田は以前、関学アメフトの常勝監督にして心理学者・行動理論家の武田建氏の門弟でもありましたので、この手の単純明快なスポーツコーチングの世界は大好きであります。有効な手法はちゃんと結果が出ます。

 最後に正田の心の声:
 あたしも4年ぐらいのスパンで1つのチーム(企業様)に関わりたいなあ〜

正田佐与




 


 

 阪神淡路大震災から21年目の1月17日、正田は和歌山に参りました。

 アドラー心理学の一昨年のベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会に参加するためです。

 アドラー心理学については、昨12月初めにシリーズで批判記事を掲載しました。

褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会

「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ

増殖中!インフルエンザより怖い「妄想症・ナルシ症」リスク対策は

 でフェイスブックで一度書いた話題ですが、結論からいうと、この講演会で質疑の時間に正田は「爆発」してしまい・・・。
 会場からマイクを握って「吠えて」しまいました。

 何を言ったかというと、

「会場の皆さんこんなこと信じちゃダメですよ!子どもさんは大いにほめてください、そして叱ってください。子どもはほめられたり叱られたりして規範を覚えていくんです。子どもと大人は対等ではない。子どもは無力で、そして依存しているんです」

「承認欲求を今否定されましたが、承認欲求は食欲と同様、人間の基本的欲求です。あまりにも承認欲求を満たされなかったらわれわれは鬱になってしまうんです。承認欲求を否定して、この会場にいる人の周りにうつが出たら岸見先生は責任を取れるんですか!」

「岸見先生の息子さんの話がなんども出てきますが、親の養育より遺伝形質が子どもさんに決定的影響を及ぼす、これは遺伝学者の共通見解です。岸見先生の息子さんは、IQの高い、言語能力の高い人だったのだと思います。おっしゃっていることはあくまで息子さんという個体に対して上手くいったということに過ぎない。個体差の問題なのです」

 ここで、会場から「質問は1つでしょう」と遮られて終わり。
 私としては人道的理由であえてルール破りをしたけれど致し方ない。
  本当はもう1つ、

「発達障害についてまったく『ない』ものであるかのように語っているがおかしいのではないか」

というのも言いたかったが果たせませんでした。

 講演の最初から、岸見氏が一言言うたびに

「それは、エピソードに登場する人物が発達障害なのではないか?」
「岸見氏のいうそのやり方でうまくいくのは、定型発達のIQの高い子だけではないか?」

といった疑問がわたしの頭の中をぐるぐる回っていたのでした。
 
 岸見氏と先日このブログで取り上げた『ほめると子どもはダメになる』の榎本博明氏は同じ1956年生まれですが、どうもこのへんの世代の心理学の人は「発達障害」がわかっていない。あるいは、知っていても意図的に隠している。

 「発達障害」という概念を避けながら人間関係の悩みについて説明すると、「理解不能な人」は永遠に「理解不能な不条理な人」だし、「こうすればうまくいくよ」という言い様が、すべて世界は定型発達の人だけでできている、という前提に立ったものだったりする。
 結果、一般人はいつまでも迷宮の中をさまよい、心理学者は永遠に優位に立ち続ける。

 本当は、「発達障害」の視点で問題をとらえてみるというのは、決してレッテル貼りではなく、有効な問題解決の方策であり、実は「悩みがストップ」する道筋かもしれないのです。
 でも、そのほうが親切なやり方だとは、かれら心理学者は考えない。底意地悪く、実際の問題解決に役立たないやり方を勧めるばかりです。

 
 さて、しかし冒頭のようなことを言ったわたしに会場からの目は冷たく。

 わたしの次に発言した年配の男性は、岸見氏に

「他人をけなすという人がいますが、どういうものですかな?」

と質問し、あたかも直前のわたしがした行為は「けなす」ということだった、と言わんばかりでした。実際、この人が「けなす」という言葉を発音したとき、会場の多くの人が私のほうを責める目つきで振り返りました。

―これは宗教の集会だ―

 ある程度は覚悟していましたが、ここまで「空気を読む」人々の集団だとは思いませんでした。

 もともと心理学の世界の辞書に「批判する」という言葉はないのです。「肯定しない」は、イコール「否定する」ということであり、「悪」なのです。
 哲学倫理の世界にはちゃんと「批判する」という行為は建設的な行為としてあり、また哲学のほうが心理学よりはるかに古い学問なのですが。

 
 また、わたしが思うに、そもそも「叱らない、ほめない」が好きな人たちというのは、ストレングスファインダーでいう「〇〇〇」、もしくは「受動型ASD」の人が多いのではないかと思います。波風を立てることがとにかく嫌い。葛藤が嫌い。岸見氏自身もその気があります。ひたすら穏やか。(ついでにいうと「子育ての成功例」として度々言及される岸見氏の息子さんも穏やかで知能も高い子どもさんだったのではないかと思います)

 彼(女)らは、たとえば「悪いものは悪い」とガンという、ということがそもそも苦手なのです。極端に不安感が高く、人に強いことを言うことができない。本人さんがアサーション的な問題を抱えています。また自分以外の他人が大声でだれかを叱っているのをきくのも嫌い。身が縮みます。

 「アドラー心理学が好き」という人は、その波風立たない穏やかな空気が好きなんです。

 だから、彼(女)らにとっては、強い口調でアゲンストな質問をするわたしのような女は、波風を立てるというそれだけで「悪人」なのです。


 この講演会では、れいによって「ほめてはいけない」の話が出て、たとえば岸見氏によれば、お母さんが3歳の女の子に
「よく静かにしていたね、えらかったね」
というのもいけないんだそうです。理由は、相手が大人だったらそんなことは言わないはずだからだそうです。そして「静かにしていてくれてありがとう」と言わなければならないのだそうです。

 質疑の時間では英語塾の先生が、子供たちに「来てくれてありがとう」「片付けてくれてありがとう」と言うが、「できてなかったことをできるようになった時、Good Jobと決まり文句があるが、ほかには言い方はないのか」という質問も出ました。
 Good Jobもダメな世界なんです。異常なの、おわかりになりますか?


 その後フェイスブックのお友達とのやりとりの中でわかってきたのですが、わたしも元々、「道場破り」をやりたくて講演会に行きたかったわけではない。本来は、話だけきいて大人しく帰ろうと思っていたのですが、

 会場で生身の人々をみていると、たまらなかったのです。本気で「泣けた」のです。
 
 ほめられも叱られもせずに貴重な子供時代を送る子供さんがいるということに。それが、ここにいる一見良心的そうな人々の子供さんだということに。

 また、「承認欲求」をまるで悪いもののようにくさされて、自分の承認欲求を他人に気取られるのをびくびく怖れながら生きていく人ができてしまう、ということに。


 でもその気持ちは会場の人々には恐らく伝わらなかったので、少し気落ちして帰って、そしてフェイスブックのお友達の皆様に慰めていただいたのでした。

 ある学校の校長先生は、

「子どもは褒めて、叱らないと育ちません。(^^)」

と書かれました。

またあるお友達は、

「私自身も職場によっては評価をされない職場がありました。その時の自分を振り返ると、人間はこうも脆いものなんだと思うほど、自信を喪失してしまったことを思い出します。ですので、承認は重要だと思っています」

と書かれました。

 そういう「当たり前」の感覚が今、すごく通りにくくなっています。

 そして本来幸せになれるはずの人たちが幸せになれないのです。
 この焦燥感、どうしたらいいのでしょう…。



正田佐与


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html 

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 8日、関西大学で開催された社会思想史学会第40回大会に一般参加者で伺いました。

 同学会の幹事のお一人である一橋大学の藤野寛教授のご教示によるもの。


 このブログではおなじみの名前になりつつある、フランクフルト学派のホネットやハーバーマスについてのセッションもあり、藤野先生が司会を務めておられました。

 午後には、第40回を記念したシンポジウム「<市民社会>を問い直す」。

 
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 齋藤純一氏(早稲田大学教授、政治理論・政治思想史)と上野千鶴子氏(東大名誉教授、立命館大学教授、社会学)が登壇されました。

社会思想史学会 上野氏の官、共、私

上野氏スライド 市民社会の4つの領域 「官、共、家庭、市場」

社会思想史学会3 ケアの配分と出生率

同「労働とケアの配分と出生率」


 おおっ、という「今日的」な質問、発言があり…。

「リプロダクション(再生産、生殖)をどの程度市民社会に位置づけるべきですか?」


 これは会場から、また上野千鶴子氏からも齋藤純一氏に発せられました。
 齋藤氏、かなり答えにつまる。
 リプロダクション、育児と介護すなわちケアはハードワークであり、誰がそれを担うか?という問題が出てくる。
 上記の上野氏のスライドでは、日本は先進国でも例外的な(C)、すなわち「移民労働力」を排除しているため女性が全面的にケアを担ってきた。

 このことを上野氏は、

「日本ではジェンダーと言う変数が諸外国のエスニシティという変数の機能的等価物の役割を果たしている」

と海外研究者に説明すると、割合わかってもらえるそうです。

 そして上野氏の厳しいフレーズ。

「ジェンダーは市民社会論の中で故意に忘却された変数だと思っている。多元社会論が要請されている」。




「家族は市民社会の外部なのか?」

 これも齋藤氏へ。
 齋藤氏の答え

「外部とは思っていない。私と公を媒介する位置にある。
市民間の関係を律するような契約関係、法関係は家族内に入らない。
子供も市民としてtreatされるべきである、だが現実にはそうなっていない。
子供も市民として尊重されるような法体系に変えていくべき」。

 これは、児童虐待や高齢者虐待、DVなどが頻発する今、重要な問いであり答えでしょう。
 このブログではホネットの愛と家族に関する藤野寛論文で触れていたところですね。




 厳しい議論の続く中で(このお2人の議論ぶりもわたしにはとても興味ぶかかった)
 齋藤氏、上野氏が一致した興味ぶかいフレーズ。

「私たちは依存関係がデフォルトであり、それを前提としてAutonomy(自律)を獲得しようとする」

―だから、ケアは市民社会を論じるうえで欠かせない要素なのだ、と続くのですが。

 これは、従来このブログでも経営学、心理学、経営教育学などの「内発と自律論」をモグラ叩きしてきたわたしには、快哉を叫びたくなるフレーズでした。

 「自律」は「である」ではないのです。「そうありたい」ものなのです、「依存」を初期設定とするわたしたちにとって。

 ああ、来た甲斐があった。また、叩いてきた甲斐があった。藤野先生ありがとうございます。

 読者の皆様、今後まだ「内発と自律論」をデシとか引用して言う人がいたら、「周回遅れ。ダサイ」と言ってあげてくださいね。あ、「承認欲求バッシング」の人もその系列かな。




 
 藤野先生が「社会思想史学会は左翼思想家のたまり場ですよ」とおっしゃるので、一般参加した正田はここでは自己紹介するとき
「修正資本主義をやらしていただいております。よろしくお願いいたします」
と挨拶しておりました。

 このブログの「ヘーゲル・ホネット承認論」の初期に登場した『承認と自由』の著者、札幌大学の高田純教授にもお会いし、ご挨拶することができました。
 1994年のこの本は、わが国のヘーゲル研究がそれまで弁証法とかマルクス思想へのかけ橋の思想としてばかり研究されてきたのが、「承認研究」に転換した初期の良書と思います。今でもこの分野のスタンダードと言えるのではないかと思います。(文章も大変読みやすいです)

 
 藤野寛教授には、この日の午前、関大前のガストにて「フランクフルト学派と承認」についての素人質問を思い切りぶつけ、語っていただきました。
 そのお話はわたくしのような素人学習者には、有益なガイダンスになると思います。
 いずれご了解をいただいたうえで藤野先生インタビューもブログに掲載させていただきたく思います。


社会思想史学会1


 セッションでの発表者に厳しいコメントをする藤野教授(左)

 フランクフルト学派は「批判理論」であり「承認」とか言いながら一方では厳しい批判をするのだ。正田も「隠れフランクフルト学派」を名乗ろう…


正田佐与

 21日、兵庫県猪名川町の「INAGAWAスマホサミット2015」へ。

 
 昨年1月、初めてこの同じ猪名川町スマホサミットへお邪魔し、同町が青少年のスマホ問題で全国最先端の取り組みをしていることを知ったのでした。その中心が太田はるよさんと高校生のグループ「SWING-BY」のみなさんであることも。


 今年、2回目のサミットでは昨年行動宣言した通り、いやそれ以上の具体的行動の数々が盛り込まれていました。

 昨年3月にはSWING-BYのメンバーが町長、教育長と座談会をし、
 ‐学生に高校生がスマホの使用法を授業したい
 ▲好泪朸飢塀颪鮑遒蠶の全小中学生3000人に配りたい(要事業費)
 等を申し入れ、実現した。


 6月、高校生が質問項目を作成した「スマホアンケート」。町内の小中高児童生徒3,928人が回答。
 中学生の半数、高校生の9割がスマホ所持。
 夜12時以降就寝はスマホ派に多い。
 「勉強に自信が少しはある」と回答した率は不所持>ガラケー>スマホと、スマホ派の自信の無さが鮮明。
 「1日3時間以上操作」と答えるのもスマホ派多い。
 見ている内容は男子がパズドラ等ゲーム、女子はLINEで友達とのやりとり。Youtubeで動画をみているのも。
 あとのパネルディスカッションでも「動画をみていると平気で朝3時とか7時になる」との声。


 ―ここは私的な感慨で、ネット動画視聴が多くなると、それは製作者にPCとか働かない世界だから、性的バイアスは強まるのではないかと思う。女性=AKBみたいなかわい子ちゃんとそれ以外とか。


 また、面識のない人とLINE等ネットで会って実際に会ったことがあるか?との問いにスマホ派小学生の2割、同中学生の5割以上が「会ったことがある」。


 コーディネーターの竹内和雄氏(兵庫県立大学准教授)によると、

 今の小1−3年は「ケータイネイティブ2世」」。お父さんお母さんがスマホを持ち家に固定電話がない、子育ても「鬼から電話」アプリなど使ってスマホでやっている。

 
 このあと、高校生による小中学生への公開模擬授業や高校生をパネリストにしたパネルディスカッション、教科書の手交式、大人たちの行動宣言などがありました。


 なんとも、言いっぱなしでなく行動する猪名川町の高校生たち、またそれにつれて動く大人たちです。

 大人の教育をする立場としても大いに触発されるイベントでございました。

 しかしまた、この分野のことは猪名川町だけでなく全国的にも動きが早いのだけれど、激動する子供の世界を何とかフォローしようと試みているのだけれど、

 この高校生たちとすぐ隣の世代、若手社会人についてどんな手当てがされているのだろう。
 ほとんど手つかずだ。スマホの実態も統計がなく、高校生たちの数字から類推するしかない。
 小中学生にとっての高校生に当たる存在は、若手社会人には。



 公開授業の生徒になった小中学生に、最後高校生たちが「大縄跳びをしよう」と外に連れ出しました。
 現実に身体を動かして遊ぶ楽しみを教えたい、ということだそうです。

 「スマホの害を教えて終わり、ではない。それに代わる遊びを教えるところまでやらなければ」。


 さあ、「それに代わる遊び」とは若手社会人にとっては、何を意味するでしょう…。



 とまれ、素晴らしい実践をみせていただいたスマホサミット関係者のみなさま、ありがとうございました!




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 すごく蛇足なのですがこの素晴らしいイベントで1か所「モヤモヤ」が残った―巧みに残してくれた、と言っていいかもしれない―箇所を挙げておきましょう。


 親に叱ってほしいか、どうか。

 高校生パネリストは、

「勉強しなければと思うのについスマホをやってしまう。時には親にビシッと言ってほしいと思う」

と言いつつ、

 じゃあ、実際に厳しく言われたらどう思うか、「やっぱりイヤ」。


 ここなのだ。当たり前の上司部下関係にもあるジレンマ。


 心のどこかで「厳しいことを言ってくれる存在であってほしい」「自分一人では自分を律しきれない」と思い、しかし現実に厳しいことを言ってくる人には反発する。

 上司にとっては、「じゃあどうしろっていうんだ」という話でしょう。


 これについてその場では解が出ず、イベントの一番最後ごろになって竹内和雄氏が言ったことは、


「先生も生徒からわからないことは教えてもらう。そのうえで『大人社会ではそれは通らないよ』ときにはビシッと言うことも大事。その部分がないと大人も子供から信頼されない」


 それは最適解ではなく最善解なのだろうなあ、しかしそれしかないだろうなあ、と。

 要は「開かれた知性」であること、大人が。子供/若者が独自に持っている情報に興味をもち、真摯に耳を傾け驚いたり学習したりできる。
 そうした姿勢を維持する大人が、次の段階で厳しいことを言うこともできる。

 
 これを、まとめて「要はコミュニケーションが大事なんですよね」みたいな言い方をしてしまうと間違ってしまうと思う。最近思うのが「コミュニケーション」という言葉は何も生まない、なんでもありになるだけで。思考停止を招いてしまうだけ。
 「没コミュニケーション」が当たり前の状況になっているとき、覆す説得力をもつための過渡期の言葉である。


 声掛けする、関心を示す、ときには教えてもらう、驚く、学習する、(「学習する」と「リスペクトする」は、イコールではないかもしれないが非常に近い)と、必要なことを特定していったほうがいいのだ。


 


100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会

 先週末、神戸から片道2時間20分、クルマを飛ばして津山での講演(対談)へ。

 「人口減少社会を見据えた、これからの美作国づくり」


 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)と藻谷浩介氏(日本総合研究所主席研究員)の対談でした。岡山県美作県民局とNPO法人つやまNPO支援センターの共催。14日、津山文化センターにて。


 このブログの読書履歴から言っても「マスト」の対談でしょう。「ウチダ本」はある時期出るそばから読みました。苦しいさなかの指針になったときもありました。そして藻谷氏はいまや地方創生・人口問題等の代表的論客で、先般来日したピケティもいうところの「所得移転」は、わたしたちは藻谷氏の『デフレの正体』(2010年。もう古典だ)によって馴染みのあったものでした。

 
 非常に興味深い取り合わせで、また期待にたがわず迫力あるやり取りになりました。
 
 撮影録音録画は禁止なのでメモを基に再現した聴講記です。あまり正確でないかもしれないことをお詫びします。

※藻谷氏資料はこちらの美作県民局ホームページからみることができます

  http://www.pref.okayama.jp/uploaded/life/405321_2615236_misc.pdf

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 対談は1.マーケティング 2.観光振興、おもてなし 3.地域づくり―について、主に藻谷氏が情報提供し内田氏がコメント・補足するという形ですすみました。


 藻谷氏の得意とする「人口の波」。津山市、岡山+倉敷、東京都、そして中国の比較。


 津山市は今の勢いだと今後130年で人口ゼロに。一方「岡山+倉敷は2000年後も持ちます」と驚くようなご託宣。しかし安泰なのではない、子供や現役世代人口は減っているのであり65歳以上が急増中。山間部から暖かく住みよい地域におとしよりが移動する。


 東京も人口減少の例外ではない、人が減っているのに不動産を建てるから100軒のうち11軒は空家(津山は100軒中13軒空家)。
 そして中国では隠し子も含めた国連のゲリラ予測によれば、まだ人口増加中。17年で日本が1こ増える勢い。しかし急速に65歳以上が増加しており、介護人口不足が見込まれる。


 ここから対談:


内田:統計数字は、分かっていてとんでもない数字が出ますね。社会システム自体が持たなくなる。
 新聞でいうと朝日が年間5万部減らしているところ、去年20万部減だったそうだ。新聞社はあと10年でビジネスモデルが破綻する。
 TVも、若い人は観ない。CMが売上に影響しなくなっている。こちらも近年中に破綻するでしょう。
 あまりに足元が崩れそうな大きな問題についてはだれも書かない。


藻谷:あまりに都合が悪くてだれも言わないですね。


内田:アメリカ主導のグローバリゼーションの下で、あるタイプの国々が今からシュリンクしていく、そして僕らと関係なかったイスラム国のような勢力が伸びて来た。
 世界が劇的な転換期です。今まで使っていたような思考の枠組みが有効でなくなる。
 既成概念を1回クリアしてみて、本当はどうしたらいいのか?を考えないといけない。
 未来を見越した仕事をしている人が日本にはほとんどいない、願望を語っている。


藻谷: こちらがデータで見せてもあなたの思い、あなたのご意見、あなたの主張という言葉が返ってくる。それはその人の主観を言っているんです。

 
内田: 少子化問題担当相というのがいるが、われわれが直面しているのは問題ではなく回答だ。過去数十年やってきたことへの答えだ。


藻谷:アメリカも人口が増えないんです。
 日本では85歳以上人口は、現在400万人、30年後には1000万人。


内田:私たちの頃は子供があまりに多かったので子供が大事にされなかった。出身地の太田区では子供が教室に入りきらないので二部制になり、午前と午後に分けて通学した。


藻谷:今のインドとアラブが全く同じ。子供が多く貧富の差が激しい。


内田:当時は地域社会がしっかりしていた。行政システムがまだ確立していないので、治安、どぶさらい、自治、自分たちでやっていた。今よりも秩序があった。


藻谷:70M先に住んでいる子供について「そんな子供は見たこともきいたこともない」と言う、それが今や田舎でも成立してしまうという現実ですね。
 私は山口県の田舎育ちで、学校に呼び出しの電話があったのを憶えている。
 それがバブルの頃はおやじがゴルフ、子供はスキー、個室にカギをかけている生活が普通になった。その生活習慣のまま今に来ている。

 
内田:85歳以上人口が1000万。これは既存のシステムが対応できないですよね。介護とか根本的に考え直さないとダメですね。最終的には老人が老人を介護しないと。現役世代には働いてもらう。
 先日も60歳の人が除雪作業をして家の中に80歳のおばあちゃんがいるという光景をみた。概念規定を変えていかないと。手足の動く人が現役で、フロントライン。老人は老人で何とか支え合っていく。
 就労人口が足りないと今度は奴隷を輸入しないといけない、と言い出すが。


藻谷:人数が合わないですよね。


内田:移民を入れて成功した国は1つもない。
 アメリカは成功したじゃないかというが、私は「それは現地人を殺したからでしょう」と言う。そもそもが移民国家だから。


藻谷:医療はアメリカは全然うまくいってないですね。
 中国は介護の人手が足りないですが、インドネシア、フィリピンで介護人材が余っていれば向こうは富豪が金に明かして買いあさる。善良な日本には全然来ない可能性がある。
 中国は今のところ意外と優等生なんです。食糧9割自給、エネルギー9割自給、移民受け入れゼロ。


内田:階層の違う人を輸入して使えるだけ使って国へ帰れというのは人を侮ったシステム。そういうのがうまくいくはずがない。
 フランスが50年代から移民受け入れを始めてどれほど大きな社会的コストを抱え込んだか。短期的な経済効率を求めてどこの国も失敗している。
 移民は文化資本に一切アクセスできないような環境に置かれる。郊外のイスラム居住地など、何もない。図書館、美術館、資料館のたぐいはない。学校は荒れに荒れている。
 子供はどんな才能があろうと気づけない。部活などもない。サッカーはプライベートのクラブで、金持ちの子供が家に帰ってママが車で送り迎えしてくれるもの。
 階層社会の一番邪悪なところは、自分には才能があるということに気づかせないことです。才能を知っていれば、怒りをおぼえることもできる。知らなければ怒りようもない。芽をつぶしてしまう。自尊感情を持たせない。
 シャルリを襲撃したのは一部のテロリストだとみるのは間違い。フランス社会全体が生み出している。


藻谷:そうすると日本はこういう状況を自分で何とかしないといけないわけですね。
 私は何とかなると思っているわけですが、是非批評していただきたい。

 島根県邑南(おうなん)町は私の一押しの田舎です。
 ホームレスがいない、イタリアンレストランでイタリア政府一押しのレベルのがある。
 65歳世代がもう戦力になっている。
 大学生の子はいったん出ていくがほぼ戻ってくる。人口は20年後もほぼ横ばい。出生率は2.65。
 都会からIターンしていて、一昨年から引っ越して入ってくる人のほうが出ていく人を上回った。20代―30代前半の人が移入している。昔は大卒の人が戻ってこなかったというが。
 なぜ、うまくいっているのか。
 あまり天気の良くないところで、町長も職員も優秀だが地道にやっている。


内田:定常型の社会構成ができているということですね。
 農業をやりながら子育てしたいという女性が増えている。神戸女学院は、昔はお嬢さん学校だったが今はカントリーガールが多いです。加古川とか丹波からきていて、しっかりしていますよ。


藻谷:過去に「マネー資本主義」をコロンビア大学大学院で学んだ。
 そのころ見たのがマネーゲームをやってる奥さんと理髪店のだんなというカップル。すごい知的な奥さんとガテン系のだんなという組み合わせ。


内田:そのカップルはリスクヘッジからいって正しいですね。
 
 一番大きいのは3・11です。当時、本当にどれくらいリスクがあるのか隠していました。西へ向かう新幹線がお母さんと子供満載で。メディアの人が奥さんに「逃げろ」という。東電も政府も全く状況を把握していない、というとき。あのとき日本のメディアは倫理性を失ったと思う。
 私はそれをブログに書いたら、官邸筋から横槍が入った。先生のような有名人がそんなことを書くと東京における経済活動が停滞すると。経済活動ですよ、人命がかかっているときに。


藻谷:私は東京にいて、とある大新聞の人に子供を移したほうがいいですよ、と言われたんです。福島原発4号機が収拾したのでしなくて済んだ。言われたときは危なかった、偶然助かった。東京壊滅、と菅直人も口をすべらしたとき。


内田:阪神大震災あれは原発事故とは比べられない。自然災害だったので、だれを恨むこともない。市民社会が立ち上がって、助け合って、みんな一斉に家が壊れたからと頭を切り替えて前を向くことができた。


藻谷:今の人災をだれひとり総括しないでいると、潜在意識にどこかに歪みが出ますね。


内田:事故について「自分には非がない」と言い続ける。あれで十分だったということを証明するためにあれと同じ基準でやり続ける。
 改善点があったということは、それまで悪かったということですから、改善点はないと言い続けるしかなかった。

(ですよねー。カイゼンしないということはわるいものを平気で温存するということ、わるいものをわるいと感じる感性を麻痺させてしまうこと。やたらうなずく正田)

藻谷:南相馬市民は忘れてないがほかの日本人と意識が違ってしまう、だから無理やり忘れさせられる。


内田:「フクシマ・イズ・アンダー・コントロール」。みんなウソだとわかっているのに短期的にそれで上手くいってしまうなら、みんなウソつくようになる。国のトップがそれをやるから。
 小学生じゃないんだからというような未熟なことをトップが平気でやる。情緒的な未熟さを平気で出せる。トップに情緒的成熟を期待しなくなった。日本人のモラルが一斉に下がっている。安倍晋三と橋下徹の影響は大きい。


藻谷:株価が2倍になった、だから経済成長しているかというと、よその国なら株価2倍なら給与も2倍になるとか、実感するものがあるんです。でも実質があまりないので。
 今の内部留保について、冬眠を前にしたクマがドングリを食いだめしているのと同じだと言った人がいました。脂肪の薄いほうから死ぬ。それぐらいビジネスマンが今、将来に対して絶望している。
 一方ですでにこの先に行っちゃってる農村がある。平均2.5人の子供がいて美味しいもの食ってる夫婦がいる。こうなると恐竜は死ぬ、哺乳類は生き残る。


内田:グローバル企業が生き延びていく環境ではない。
 私は医療系大学の理事もしていますが、医療とか学校教育に政府がどれだけ圧力をかけているかよくわかる。毎年減っていく。
 なんでこんなに医療を追い込むのか、ときくと、「公共工事に使いたいからじゃないですか」という。
 医療や教育は100年の社会をつくる。それより短期的に土建屋が儲かる道を選ぶ。


藻谷:すごい少ない人件費で年寄りをみろというシステムは無理ですよね。
 教育費は、津山のほうが東京より状況はまし。


内田:出生率の回復は、簡単なんです。フランスがV字回復しましたが、教育費無償化をやればいい。教育費と出生率は負の相関があります。


藻谷:長野県下條村は人口4000人ですが、子育て支援をした結果20年前から子供が減っていません。年よりも増えない。こういうことを真剣に社会的にやったところは子供が増えている。


内田:数千人規模のところがうまくいくことがありますね。
 (岐阜県中津川市)加子母では人口3000人なのに飲食店が27軒もある。1軒に100人客がついていれば何とかなる。「花見酒経済」です。中でぐるぐる回している。
 消費者が一番安いところで買う義務があるという考え方をしているとこうはならない。


藻谷:選択の自由がある。値段より価値。いや盲点でしたね、加子母。


 ―ここで「お金の使い方次第で地域が変わる」というスライド。
  (藻谷氏資料p.54)
 藻谷氏が「これは農協の人に説明するために知恵を絞って作ったんです」という、力の入ったもの。
 この人のスライドは過去に引用させていただいたこともあるが、よくあるコンサルタントさんの「上から目線」のきれいなスライドと違い、「共有したい」という意志に溢れている


・受け取った人が地域内でまた使う
・地域外に出ていってしまう
・地域内のだれかの貯金に回る(内部留保、個人貯蓄など)

 特に3番目が、「日本特有の問題」と藻谷氏は言う。
 そして2番目がアメリカ資本主義、1番目はスイスなどだと。


内田:「一番安いところで買い物しよう」というルールだと必ず地域外に出ますね。
 スイスの偉いところは自分たちの産業を守るために多少高くても買うというコンセンサスがあること。
 日本ではだれもそういうことを言わない、だれかから教えてもらうこともない、市民性が低い。
「賢い消費者であれ」というが、自分たちの社会が10年、100年続くことこそ賢い消費でしょう。


藻谷:節約して浮いたお金を何に使うの?という話ですね。貯金する、死ぬまで使わない。金を使わない貯金するのがいいことだ、豪遊して使う奴は悪い奴だ、と刷り込まれている。


内田:子供のころ、カメラに100円札を入れていたら無くなっていた。お兄ちゃんが「オレが代わりに使ってやった」という。それで学びましたね、金は使うものだと。
 貯めるビジネスマンのところには金は来ない。昔大蔵官僚に教わったのが、金は運動するもの。流すと流量がどんどん増えて横に川ができて、何かのときぱっとすくえる。


藻谷:グラフの右側(高齢者)の人たちが亡くなるころまで金をため込んで相続する頃には相続する相手も65歳になっている。

 では今までの話をまとめて美作の人にアドバイスを。


内田:「なんで周防島にしたの?」「なんとなく」。おいでおいで、と言われる気がして。
 最初に定着する人がどれだけ気分よく定着するかがIターンのカギ。都市部の若者たちはそういう情報を求めている。
 成長ではなく定常的な人口構成の維持。小商い、それ以上のことを求めない。
 それがあれば首都圏3500万人の一極集中は解消していくんじゃないか。


藻谷:一部の人が金を貯め込んでいる現象と人間が大都市にたまっている現象は同じ問題だと今、気づいた。
 美作20万だから関西600万とはちょっと規模が違うけれど、関西から2万人流入するだけでもすごく面白くなる。
 今日はどうもありがとうございました。



****

 
 両先生の愛読者の方なら先刻ご承知、のことがひょっとして多かったかもしれませんがいかがでしょうか。
 一部、メモの不備で発言者がどっちだったか不明の部分がありました。間違っていたらすみません。

藻谷氏の講演は2013年10月に「男女共同参画」のテーマで聴いたことがあります。今回が初めて本領の「地域活性化」について聴く機会でした。その後安倍政権批判で風雲児になった時期もありましたが過去に比べると「戦闘スタイル」が影を潜め、いい意味でスタンダード感を醸し出している気がします。独自の発見と、「共有する意志」は健在です。


 内田氏の「階層社会の邪悪なところは、自分の才能に気づかせないこと」は、実はわが国では「女性」をめぐる状況が今もそうじゃないかな?などと勝手に頭が飛んでいたわたしです。



 この対談の前、愛車ホンダフィットを駆って11時半頃に津山に着き、
 中心街を歩くと見事にシャッター街。


 そんな中ちょっと怪しげなイタリアンレストランが営業していて、土曜日もランチをやっていました。
 ご主人の平本大介さん(年齢きき忘れた、30代かな)は、埼玉県出身で六本木で修業して
「津山には友達がいておいでって言ってくれたから」
というご縁でこちらに店をオープン。
「僕田舎が好きなんですよ、母方の田舎が北海道でそこに入り浸ってましたから。」
と平本さん。
 そういう感覚って確かにこの世代の人にあるんだなあ、とIターンに疎いわたしにもちょっと実感がわきました。

 そして「地元のものでしたらこちらがお勧めです」と、メニュー外のそずり肉(これも聞きなれない名詞だ)とすじ肉のフォッカチアを作ってくださいました。
 美味でございました…。
 夜はジビエ料理もあるんだそうです。




100年後に誇れる教育事業をしよう。
一般財団法人承認マネジメント協会
 
 

 17,18日と「ストレングスファインダーセミナー基礎コース」2日間に東京で参加していました。

 ギャラップ社の強みでは国内NO.1の森川里美コーチが講師を務められました。


 2日間たっぷりと34の強みについて探求し、森川コーチのファシリテーターぶりも堪能し、ご出席の皆さんとの交流も楽しみ…


 十分堪能したあと、正田は自分の中の危険なものが発火しているのを感じました。
 いけないいけない。それはセミナーの責任ではありません。


 ちなみに現在の正田のストレングスファインダー(SF)は

・個別化
・親密性
・運命思考
・学習欲
・責任感

であります。

 個別化親密性はこの10数年ほぼ不動の1,2位できていて自分的にも愛着のある資質です。運命思考はややスピリチュアルな資質ということで、最近ちょっと宗教指導者みたいな立ち位置になってるのはそれと関係しているかもしれません。


 なにごともこうした自己分析のツールを受診したりセミナーを受けたりすると暗示がかかって特定の傾向が強まったりするものです。それはソーシャルスタイルや「4つのタイプ分け」といえどもそれを免れないんですが、

 このたびは、自分の中の「個別化」が発火しているのを感じました。


「個別化」は人の多様な個性を理解したり、あるいは共感性のように他人の気持ちがわかったり、ということにかかわる資質です。


 あくまでわたしの場合、20年以上前に離職したのも恐らく「個別化」が関係していたと思います。

 総合職女性2期目で採用され、素直にまじめにはたらくもやれ女は泊まり勤務がさせられないだ宿直室がないだ地方勤務はさせられないだという制度の不備や上司の無理解とたたかい(たぶん「たたかう」ことの動機づけは後進に対する責任感からきていたと思う)、

 地方に行って表彰だの社内報でのおほめの言葉が続くと今度は「女で私仕事できるんですなんてのは生意気だ、気の強い人格の悪い女だ」と言われる。「女だからこれぐらいしかできないだろう」と言われると「それ私じゃない」と怒り「人格が悪い」と言われるとやっぱり「それ私じゃない」と傷つく、恐らく人格の良さを自分なりに大事にしていたという自覚があったんでしょう。


 その「それ私じゃない」という激しい怒りにつながるもの、は「個別化」であるようです。個別化の人は他人を決めつけるのもきらいですが自分が決めつけられるのもきらい。という話を、セミナーをご一緒に受講した個別化のある方としていました。

 ところで余談ですが「決めつけがきらい」という私の性分は、どうも当協会の研修受講生さんが女性活用じょうずになられるのとも不可分につながっていそうです。

「女性だからこうだろうとか思うな。おきれいですねとかそのお洋服すてきですねとかしょもないことでほめるな。男性と同様に行動承認せよ」

 相手がだれであろうと行動承認せよ、というメッセージは個別化の「多様な個性の違いを楽しむ」というのと一見真逆なようですが、これは実は個別化の人の行動パターンをなぞっているのです。個別化の人は共感能力で人を知るのではなく、相手から徹底的に情報収集し、ちょっとしたしぐさの違いから今日の体調がわかったりします。

 要は、「行動承認しましょうね」というプログラムは、「皆さん個別化のわたしと同じことをやりましょうね」と言っているようなのです。なーんだ、ですね。

(ちなみに個別化は名マネージャーの資質なんだそうです。あたしは違いますが^^)


 えと、閑話休題です。


 決めつけられるのがきらい。でも世の中は決めつけで満ち満ちている。

 たとえば正田は専業主婦―3人の出産育児―翻訳者 を経てコーチになり、そしてその経歴に似ぬ「マネージャー育成コーチ」になり2003年以来毎年のように「1位マネージャー」を産み、早くからノウハウは確立してしまいましたが、

 そうした実績を積んだあとでも、長いことついて回ったのは「だってあなた主婦でしょ」という目線でした。

 世の中の多くの既成観念の中の人、これは男性でも女性でも、

「主婦」が業績1位マネージャーをつくる、なんてことは常識外でありえないことで、だから「ない」ことにしちゃっていいことなのでした。そこで人々が幸福になるなんてことは、常識外だからどうでもいいのでした。


 その目線に出会うたびにどれほど半端なく傷ついたことか。

 
 それでもめげずに12年間やってきたのは、持ち前の「闘志」からであろう、と思います。

 その闘志がどこからくるのかというと、恐らく個別化―運命思考―責任感あたりではないかと思います。
 個別化からくる激しい怒りと、現在の受講生さんやその部下さんやそのご家族さん方や、あるいは未来に出会うかもしれない(あっ「未来志向」も以前高かったんです)、あたしが幸福にできるはずの受講生さんやその部下さんやそのご家族さん方への責任感。

 おそろしいですネ^^


 
 えー、セミナー自体には全然責任のない個人的感想をだらだらと書きましたが

 森川さん、ご一緒の皆様、ストレングスコーチの皆様ありがとうございました!


 
 せっかく学んできたことはこっちに帰ってきてもだれかに還元したいなあ^^




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

「超多様化/超個性化(ダイバーシティ)時代のリーダー登用と育成の実践」と題した、日経ヒューマンキャピタル2014のステアリングコミッティ 公開ディスカッションを聴きました。日経BP社主催、東京国際フォーラムにて。


冒頭、びっくりする残念な数字を提示。

「多国籍な人材と協働できる能力が重要だと考えるビジネスパーソンの割合は、調査対象国32か国中、日本が最低」(アクセンチュア社調べ)だったのです。

 ちなみにその数字とは日本が23%で、フィリピンは65%だったそうです。


 多分ですけどね、この設問の「多国籍な人材」というところを「女性」と置き換えても同じような結果が出るんじゃないかと思います。神戸の大企業でも「うちはまだあまり女性自体少ないですから・・・」という情けない応答をする企業がようさんあります。


 このほかおもしろかったのが、

 同じくアクセンチュア社が米国・ドイツ・中国インド・日本の4地域を対象に、数年前ミドルマネジメントサーベイ(調査)を行ったところ、

「日本人ミドルは上司に対する満足度が低い」ことがわかりました。

・日本のミドルは他国に比べて上司からサポートを受けるレベルが低い
・日本のミドルの直属上司の会社・仕事へのコミットメントは低い

 ということで、概して日本のミドルマネージャーは上司が仕事も部下もマネジメントしてないと感じるようです。

 役員・部長さんは何してるんでしょうね…ゴルフでしょうかね…


 
 そして、リーダーシップスタイルが日本と海外では違うことにも言及がありました。

 アクセンチュアでは、「グローバルでやっているリーダー育成と日本のリーダー育成は違う」と言い、同社では「和魂偉才」といって、道場形式で、日本人が弱いアントレプレナーシップや多様性を重点的に学ばせる。


 キリンの常務取締役さんも、「日頃欧米のリーダーシップを学ぶことが多いが日本と世界のリーダーシップは違うのではないか」と述べました。

 では日本のリーダーシップを学ぶにはどうするか。この方によれば「リベラルアーツ的なもの、哲学・思想」「歴史小説。勝海舟や渋沢栄一」とのことでした。


 日本オラクルの女性執行役員の方は

「アメリカ的マネジメントの限界は皆さんお感じになっていると思う」と述べたうえで、
「日本的マネジメントも大事、グローバル対応できる社員の育成も大事。仕事が日本からインド、中国に移っているのは大きな流れとしてあるが、今いる日本人メンバーがなすべきことは力をつけて、独自の強みを活かすこと。日本の良さはお客様に対するサポートの品質が他国にまねできないほど高いこと。そこで差別化する」
と言いました。


 さて、日本的リーダーシップ。

 このブログの読者の皆様は、どうお思いになるでしょう^^

 えっ、正田がどう思うかって?ないしょ。


****

 
 ちょうど、外資にお勤めの知人からその社内でのコーチング研修のもようをきかせてもらいました。社長、役員以下管理職150人が、4.5時間×2回の研修をホテルの大広間で受けたそうな。

 それは完全に「質問中心コーチング」で、部下に質問することによって部署の課題を解決しよう!というトレーニングだったそうです。「承認」は影もかたちもなかったそうです。

 外資のばあい、正社員にはMBAホルダーなどが多くいて彼らは米国の大学の質問中心の授業に慣れているかもしれない。一方、現地雇用の非正規社員もようさんいて、この人たちに「質問一本槍」が通じるのか?は、知人によれば未知数です。


「現実には忙しい中で質問だけで課題解決ができるのか、まだるっこしくてこちらが答えを出してしまいたくなるんじゃないか」
と愚痴る知人。まあどんな研修やっても文句言う人は言いますけどね。

 えーとむずかしいところですね、理想論を言えば個別面談で十分に時間をとってオープンクエスチョンをして考えて答えを出してもらうのがいいのでしょうけど、それはたとえちゃんと考えるタイプの人が相手だったとしても、かなりスローテンポな会話ではじめて可能です。

 現代の大半のアップテンポな職場でそれは可能なのかというと・・・正田もかなり「とろい」人間なのでよそさまの職場にお電話して「いかん、テンポ合わせなきゃ」と反省することが多々あるんですが、

 普通の職場のテンポを前提とすると、質問で課題解決というのはかなり難しく、承認とか声かけであれば可能、と言う感じなのではないかと思います。


 なのでこのところ「コーチング研修」といいながら短時間なので「承認」だけをお伝えするプログラムが多くなっていますが、そのことにクレーム言わないでくださいね。現実的なんですから。あっわが社も「質問研修」お時間とっていただけたらしますよー、「型で教える」「イヤでも身に着く」質問研修やりますよー。


 とはいえ通常「コーチング研修」という名称のものに皆さんがどういうイメージをもつのか、ということを知るうえで知人の情報は大変有意義でした。
 要は、役に立たないもの、と思われている気がします。


 外資がそれやってるうちはわが国は大丈夫だ。こらこら。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 このところ延々と取り上げている「発達障害」の話に 大きな進展がありました。


 19日、神戸で開かれた障害者雇用促進セミナー(主催:兵庫労働局、神戸市)は、2つの講演とも発達障害のお話でした。

 その1つ、東京海上ビジネスサポート株式会社(特例子会社、TMBSと略)の採用能力開発部部長・内藤哲氏のお話。


 障害者の法定雇用率は昨年4月から民間企業で2.0%へ引き上げ。そしてTMBS社では身体の障害者が高齢化しているのに鑑み、今から障害者雇用の中心は発達障害者だ、との認識にたち、2010年の設立時より発達障害者を雇用しました。東京海上グループ全体の障害者雇用率は2.06%。
 障害のある社員の従事する業務は、アンケート入力等のデータ入力・加工、保険事故受付通知の発送、DMの封入・発送 等です。


 発達障害の社員を採用するうえでのチェックポイントは

・働く意欲はあるか(やらされ感はないか)
・体力があるか(毎日、定時に通勤できるか)
・上司(指導員)の指示を素直に聞くことが出来るか
・向上する意欲があるか
・周囲との関係が穏やかに保てるか
・最小限必要な「チームワーク」、協力体制が形作れるか
・楽しみ、趣味があるか(気分転換ができるか)
・休日を有効に過ごせているか
 (休日に翌日に備えて働く準備が出来ているか)

 
 続いて、株式会社ニチイ学館神戸ポートアイランドセンター センター長の岡順子氏からのお話。

 ここではユニバーサルオフィスとして、特例子会社ではなく普通雇用で障害者・高齢者を雇用しています。13年2月現在、障害者12名を雇用。12名のうち5名が発達障害、ただ身体の障害の人も発達障害をあわせもっている人がいます。
 
 障害者の業務はユニフォームセンターで、ピッキング・サイズ確認・ネームラベル熱着・たたみ・袋詰め・結束・梱包 など。また事務センターでアンケート入力、ファイリング、シュレッダー・スキャナー操作など。

 障害者の面接ポイントは5つあり、1つ欠けても採用はしない。

・自覚:自分の障害について伝えることができる
・素直さ:自分のできないことを伝えることができる
・コミュニケーション:フォローは何が必要か伝えることができる
・連携:支援機関をもっているか
・姿勢:会社のことを調べてきているか

 
 仕事の「ミス」についての対処。

 ミスの認識のある人に対しては、・目標入力件数を大幅削減。・ミス削減件数を中心に目標設定、・1件でも減れば努力を認める、誉める・件数よりも正確に入力することの認識 というアプローチをします。

 ミスの認識がない、もしくは指導を受け入れない人に対しては。
 ・入力ミスフィードバックの根気良い継続、・個人面談実施、・ミスの内容=現物=具体的に示す ・第三者機関との連携(相談)・・・とここまでくると「業務との相性の見極め」という話になります。

 指導者の側は、

「福祉雇用ではない、通常雇用なので」という言葉が印象的。会社の状況などはすべて伝える。伝える側がいかにスキルを上げられるかが課題。また(問題が)障害か、性格によるものか判断し、「注意していいものかどうか迷うが、性格によるものは厳しく叱るべき」とのことでした。

 というふうに、非常に具体的な職場での指導方法の話が出ました。イメージの障害のある人相手には、指導者は「グッ」と軸をもって構えなければなりません。


 さて、要約すると、発達障害の人は非常に構造化した環境で特性に配慮して働いてもらうと力を発揮してくれる。構造化しているというのが、「ガチッとルールで固めた」とでもいおうか。学校とは違い、障害ゆえの甘えは許されません。そこが「自由」「生命尊重」の精神とだいぶ違う。いや生命は尊重してもらいたいですけど。自由ってもともとわたしクエスチョンなんですよね。上記両社とも、もちろん障害者手帳保有が前提になっています。


 質疑の時間、正田は図々しくも、きょうのお話になかったことについてのご質問をしました。

「一般企業には、障害の自覚のない、障害識のない発達障害者の方が多数おられ、現場で苦慮しておられます。そういう人には何がしてあげられるのでしょうか」

 先日の河野哲也氏インタビューでも繰り返し出た、終始ぐるぐる回って結論の出なかった話題。このセミナーの趣旨にはそぐわないようでもありましたが、しかし現実に普遍的に「ある」問題について。

 これには内藤氏が回答され、「非常に難しい質問です。われわれの世代でも発達障害らしき子はクラスに1人や2人はいた。しかし問題になっていなかった。何か強みがあればサラリーマンとしてやっていけるのだろう。われわれでは手帳を持ち、いわば障害者として就労する覚悟のある人を採用します

 切実感を感じ取っていただけたのか、慰めにはなっていませんでしたが非常に真摯に回答していただきました。


 上記両社とも、「見学歓迎」とのことでしたのでまたお邪魔してみよう、とおもいました。


 
 素晴らしい内容のセミナーを企画してくださいました神戸市保健福祉局障害福祉課さんに感謝。おふたりのスピーカーさんのプレゼンも素晴らしかったです。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 25日、篠山の「いのしし祭り」に行ってまいりました。


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 猪からあげ、猪ぶたまん、猪汁・・・イノシシづくしの屋台たち。


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 なんかうまく写真を配置できませんが
 左上は、この祭りの食べ物のメイン、限定1000個の「丹波―ガー(猪バーガー)」。分厚い猪肉のパティが入っています。

 右下は猪入りちゃんこ鍋と猪肉フランク。

 会場のパワーに押されて色々いただきました。猪肉は上質のポークという感じでどれも美味でした。

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 お待ちかね「ドドドいのしし猛レース」。今年はうりんこ3頭が走りました。チャーミングな猪パワー爆発!

 (昔ひどいめにあったくせにね)


 主催された篠山市商工会職員、部会の皆様お疲れ様でございました。楽しかったです。


原田局長と波部課長


 会場でであった商工会の原田事務局長(右)と波部課長(左)



****

 
 その前日24日は地元の神戸ファッション美術館に「ウール・トーク」を聴きにいきました。

 「ウールの衣服展」に合わせて哲学者の河野哲也氏、ウールの専門家大内輝雄氏、ファッションディレクター眞田岳彦氏というメンバーで講演会―座談会をされました。

 
 なぜこの場に河野氏が、といういきさつは同美術館のこちらのブログに載っています

 http://fashionmuseum-blog.com/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%80%81%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF


 河野先生にとってはややアウェー感のある主題のようでありながら、それでも

「なぜ服を着るか」を・実用性・社会的役割・ファッション と規定し、

「完成可能性(ルソー) 自然において自分に欠けているものを代補し、自然以上に高められる」

「私たちは必ず服を着る、だから身体と身体以外のものの境界が曖昧(脱着可能な身体)」

「生物が作る殻、叢、巣、穴は延長された身体である」

「裸の身体は強すぎる個性、服はそれを隠す 裸のもっている生々しさを弱め、減じ、関係性を創っている」

「イヌは鏡をみるとしばらく見るがやがて興味を失う 顔は他人にみられるための身体 私たち人間は他人の眼で自分をみるという回路を身体の中にもっているのだろうと思う」 


 ・・・という風に、華麗に「1つ上」の論点を展開してくださいます。

 会場は、ウール業者のかたやファッション、美術を専攻する人などが大勢だったようですがそれでも河野先生の華麗な「哲学トーク」は注目を集め質疑を集めました。

 この先生、売れるかも。

「なぜ服を着るか」

なんていうシンプルな問いと思考をききたがってるかも、私たちは。


 以前にも書いたように河野先生との初めての出会いは友人のやっている「鎌倉哲学カフェ」で先生の鮮やかなファシリテーションに触れ、

「すげー頭いーこの人。大学の先生にしとくのはもったいない(爆)」

と舌を巻いたのでした。

 しかしお話をうかがってみたいな、と思ったのは、華麗なトーク華麗なファシリテーションだから、というよりも、
 
 河野先生が年末にフェイスブックのタイムラインで「人工知能学会学会誌に描かれた掃除する女性型ヒューマノイド」をとりあげて、
「この学会の犯した罪を息長く追及していく所存です」
なんてことを、書かれたからなのでした。



 結構、「この人おもしろそう」と思うのはそんなことからなのでした。

  
 来るインタビューでは

「人はなぜ平等でなければならないのか」

のようなことを、おききしてみたいと思います。
 諸外国に比べわが国で遅れに遅れている女性活用、障碍者雇用は、既得権益者の権益の委譲、という問題をともないますから、「多数決」ではできません。それを支える「思想」とは何か知りたいなと思います。



 その前の段階でわたしは「アフォーダンス」という概念に苦しんでいるのですが・・・、

 正月以来もう何冊も本を買っていますがいまだにわかりません。河野先生は「行動主義がわかっていればその枠組みで理解しやすいと思いますよ。(アフォーダンスの提唱者の)ギブソンも行動主義者だったと思いますよ」てなことをおっしゃいます。

 なんか新しい理論的支柱になりそうでもありならなそうでもあり。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

 18日午後、猪名川町文化体育館(イナホール)に、「第2回青少年フォーラム INAGAWAスマホサミット」を聴きに行きました。

 同町町長、町議会議長はもとより、県議数名、それに総務省近畿総合通信局電気通信事業課課長、兵庫県警本部サイバー犯罪対策課、同少年育成課などから来賓が来られ物々しい雰囲気です。
 
 たまたまフェイスブックでイベント告知を見つけて神戸から車を飛ばして参加したのですが、なぜ猪名川町なのだろう、同種のものをまだ見たことはないのは何故だろう。と疑問をいだきながら。

 
 開会時の主催者あいさつで、同町青少年健全育成推進会議会長の太田はるよ氏が、子どもたちがネットいじめに遭ったり、大きな課金、FBやLINEで傷つけられたりするという現状に触れながら、

「こういった環境を作り出したのは私たち大人の責任。子供には罪はない。猪名川町をスタートとして、どこの市でもこういうことができるんだよという見本として見てもらいたい」

と述べたのが、その疑問への答えの部分であったかもしれません。猪名川町の人びとの勇気ある現状認識と問題提起の産物であったかもしれません。こうした主催者あいさつで話すのが女の人であっても、ゆめゆめ侮ってはいけない時代です。


 午後1時から4時までのフォーラムは、中高生によるパネルディスカッションでの子どもたちの生の声、また中高生によるグループワーク〜プレゼン〜INAGAWAスマホサミット宣言の採択、と子どもたちが主役になってすすみました。

 総務省でスマホ問題の座長などもされているという竹内和雄・兵庫県立大准教授がコーディネーターとなってすすみました。

 そこでは、猪名川町の全中高生1358名が回答したスマホアンケートの紹介もありました。かなり驚くような数字が出ていますのでご紹介しましょう。

 竹内和雄研究室などが集計した結果によると、中高生のうちガラケーを持っているのは中学生で22.1%、高校生で7.9%。一方スマホはそれぞれ36.3%と82.4%というように、高校へ行くにつれ圧倒的にスマホが多くなっています。

 高校になると各クラスにLINEのグループがあり、着信をみるのに一々再読み込みをしなければならないガラケーでは到底追いつかないのだそうな。これは大学生も状況は同じだそうです。

 また使用時間では、1日3時間以上の使用がガラケーで15.4%、スマホで53.5%(スマホでは29.4%が4時間以上)と、スマホ派が圧倒的に使用時間が長い。これはスマホのほうがゲーム、動画をみるのに便利だからだそう。何をしているのかとの問いに女子はLINE、男子はパズドラ等のゲームと答えます。

 また「個人情報を公開したことがある」との回答は、ガラケーで12.6%、スマホで46.4%とやはりスマホで多い。
(「実際にはもっと多いだろう」との発言あり)

 
 そして「会ったことがない人とメールやLINEをした」との回答がガラケーで29.3%、スマホで58.6%。「ネットで知り合った人と実際に会った」はそれぞれ3%、29.5%となっています。前者の設問には、女子の場合それぞれ61.1%と66.4%という高率となっています。

 
 これらの数字は、大阪府警が同様のアンケートでまとめた数字と比べても高率で、「猪名川町の中高生が特別倫理的に悪いわけではなく、正直に答えてくれた結果ではないか」と竹内氏。
 いい悪いを超えて、これが現状のようなのです。

 
 グループワークでは、3グループに分かれてスマホの良い点・悪い点を討議させてプレゼン、次いで「対策」について討議させプレゼンさせました。

 
 ステージの下の観客席前部のスペースに子どもたちのグループワークの席をつくり、そこから壇上にのぼってプレゼン、という構図はこうしたフォーラムでは斬新なものだったことでしょう。


「子どもは大人の言葉ではなく、仲間の言葉によって説得されるんです」と竹内氏。

 
 グループのプレゼンは審査され、「リアルを充実させる」と力強く宣言したグループが優勝しました。

 
 途中、兵庫県立大学の竹内研究室の学生が「猪名川町のみなさま方へ」と題してプレゼン。内容は昨年1
年間の中高生〜大学生によるネットを介した事件でした。広島のLINE殺人・死体遺棄事件、そしてTwitterにバイト先の写真を載せて炎上し休業・閉店・損害賠償になった事件。ステーキ店の冷蔵庫から顔を出して「バイトなう」とつぶやいたケースでは、休業・閉店そしてバイトへの損害賠償請求は他の従業員への休業補償なども入れ、5000万円になったとか。

 そして採択された「INAGAWAスマホ宣言」では、各グループの対策プレゼンを総括したもので、

「私たち、猪名川の中高生は

ー分たち自身でルールを作ります
   夜○時まで 個人情報を書かない 心を広く(既読スルーを気にしない等)

▲螢▲襪離灰潺絅縫院璽轡腑鵑鯊臉擇砲靴泙

書いていいのか、ダウンロードしていいのか 立ち止まって考えます」

と、いう形になりました。

 
 竹内和雄准教授の講演はしめくくりの短時間になりましたが、

「ネット依存はリアルでしんどいからネットに逃げる。だから解決はネットにはない、リアルにある」

「リアルでうまくいかない人がうまくいく人を引っ張りおとそうとする」

「日本のフィルタリング技術は各国で絶賛されているが、現在はフィルタリングするとLINEが見れなくなるため、フィルタリング率は下がっている。機械で制限するのは限界がある。子どもたち自身に考えてもらわないと」

「今日の中高生たちは今日思ったことをチラシを作りたい、そして猪名川の子どもたちに配りたい、スマホの生徒手帳を自分たちで配りたい、小学生にもスマホの使い方を教えに行きたい、と言っている。私たち大人側の問題として彼らにどう向き合ってあげるか」

「ヨーロッパに視察に行くとドイツ、スイスの人からはOur Children (私たちの子ども)という言葉が頻繁に出る。ところが日本に帰ると教員たちの世界でもLINEが悪い、保護者が悪い、社会が悪いの大合唱。本当は私たちどの大人にも少しずつ責任がある」

「親として声かけしたいのは、

 屬个譴襪勝廖 憤稻.瀬Ε鵐蹇璽匹覆匹砲弔い董

◆屬┐蕕い海箸砲覆襪勝廖文朕余霾鵑慮開や不審なサイト閲覧などについて)

「相談しいや」」


「まず私たち大人が相談される大人になる。『あなたのことが心配やから』心が通いあうような大人にならなきゃいけない」



 閉会式の中では、県警サイバー犯罪対策課の人が

「私たち大人がリアルに手をつないでこの闇に向かっていきたい」

と、述べました。


****


 さて、わたしはもう子育ても卒業し、子どもの教育の専門家でもない立場で傍聴しておりました。

 すがすがしい気持ちになる部分と、もやもやが残る部分がありました。画期的なこころみであると拍手を送りたい部分は大いにあるのだけれど。どこか対話が「切れて」いる。

 子どもたちのグループワーク〜プレゼンのプロセスをみながら、

「この世代の子たちはもう、こういうふうにしてしか指導できないのかなあ」

という感慨と。

 しかしまた、彼らの着地点は大人の産業界の側からしたらまだ「あまい」のではないか、というもどかしさと。

 途中会場からの発言を募る場面もあったのですが、わたしのこの「大人目線」をどうしても言葉でまとめきれずにいて、発言しそこないました。他にもそういう種類の発言は出なかったので、「大人目線」というか「産業界目線」不在のままでフォーラムは終わりました。

 
 いくつか、わたしが今の時点で言葉にできている部分はというと、

1.思春期の脳の使い方として「スマホに1日3時間」は、ほんとうに適切なのか。2つ前の記事にあるように、思春期〜青年期の脳はまだアンバランスで、刺激に強く反応する反面、自制心は未熟だという。そうした時期に、スマホを通じて同世代のグループの人間関係に埋没してしまったとき、上の世代から自制のたいせつさを含めた人としてのありかたを学ぶ機会はますます減るのではないのか。そうした視点は、彼ら自身だけでは持ちようがないのではないか。

2.全体がスマホで「内向き」になったとき、一部の何か突出した才能をもった子であればそれを磨くために「目標を持つ」―例えば全国大会出場を目指すとか―ことも可能だろうが、そうでない平凡な才能の子はますます「目標」を持ちづらくなり、「内向き」の「同質化圧力」がはたらきやすくなり、それは「やすきに流れる」ほうへ向かわないだろうか。平凡ななりに少しでも自分を磨いて高みを目指す、ということができにくくならないだろうか。


3.「集中力」「生産性」の問題。フォーラムでも「既読スルーを気にしない」という言葉が頻繁に出たが、LINEで絶えずともだちとやりとりし、その中で自分がどう思われるか気にしていたら、その合間を縫って生産的なことができるのだろうか?長時間にわたって集中力を維持してはじめて可能なような、大きなものを作ったり大きなことを考えたり、できるのだろうか?ひょっとしてLINE世代の子どもたちは、LINE登場前の世代の大人たちよりもはるかに生産性の低い青春時代を送っていないだろうか?そうした、自分たちが過去の世代と比べてどの程度のレベルなのか、という比較の目をもつことはできるだろうか?産業界の側からの危惧はおもにここにある。


4.わたしの得意分野である「考える」ことについて。携帯メールがはやった時にも危惧されたことだが、短文だけでは伝えられない種類の思考がある、ということ。
たとえばわたしの考えることは、もう何年も、ブログの世界でもあまり例のないような長文で伝えることをしてきた。狙ってそうしているわけではなく、それこそ「チェスの何手か先を考える」ような思考は、人に伝えようと思ったらそうならざるを得ないのだ。
しかしそれが無用の長物なのかというと、そうした長文を伝えたり受け取ったりしてきた結果、10年にわたり「1位マネージャー」を産んできた。いわばマネジメントの思考とは「長文」なのだ。
それを受け取る知性が育たなかったら、すぐれたマネジメントの後継者も育たない、ということである。
短文だけをやりとりして育まれるのは、その場かぎりの刹那的な思考、あるいは先日NHK「クローズアップ現代」がとりあげたような、「ポエム語」を叫びあって思考をはたらかさずに分かり合うような、搾取される側から抜け出せない世界、ではないのだろうか。


5.「内向き」であるということは「内集団バイアス」がはたらきやすい、ということであり、それは1つ前の記事にみるような、外集団に対する共感が乏しく、「官僚的な硬直した思考」に容易になるということである。ちょっと頭をはたらかせれば「できる」ことでも、お客様のほうをまっすぐ向かず仲間のほうばかり気にしているから「できない」と言ってしまう。見た目若者でも、それは老人のように硬直化した思考・行動であり、無能な人材である。

・・・

 フォーラムから一夜明けた今日の時点で言葉にできているのはこのぐらいなのですけれども。

 あくまでわたしの狭い思考で考えたことですから、間違っていると思われたかたはどうぞご意見ください。

 1〜5まで、書いてみて、絶望的な気分になります。彼ら自身の言葉で思考してそこそこのところまでは宣言しても、それは産業界からの要請からはなんとかけ離れていることだろうと。

 産業界からの要請も、あまりばかにしてはいけません。ともすれば、学者や教育者は、「クリエイティブでさえあればプレゼン上手でさえあれば勤勉でなくてもいい」という極端な発想をしがちです。それは誤りであることは2つ前の記事をみればわかります。そして勤勉さをみるには行動のフォローが要ります。



 
 今の時点では、結局わたしは、当協会の受講生であるすぐれたマネージャーたち、若い働き手を日々目の前でみる人たちに、言葉をもってほしい、若者たちに届く言葉を、と願っているのだろう、と思いました。働くということの尊さを語ってほしい。ともだちなどを忘れて死に物狂いで仕事やお客様に向き合うことのたいせつさを語ってほしい。

 それは「承認教育」とダイレクトに結びつくのかというと、そのかなり高度な応用編であろう、と思います。漫然といろんな研修のひとつとして「承認」を学ぶのではなく、武道武術を学ぶようにそれに専心した人たちは、はじめて次の段階で、スマホ世代の若者たちに届く言葉を語ることができるだろうと。

 そしてそれはスマホに限らず、ウェアラブル端末でもなんでも、新しい先進技術すべてに言えることであろう、と思います。

 

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 表題は故ホイットニー・ヒューストンの初期の曲です。今もよくBGMで流れています。
 最近久しぶりにCDを聴きました。まだ20歳そこそこだったはずなのに迫力ある歌声でした。
 わたしはホイットニーのコンサートに1990年ごろ広島で1回だけ行きました(被爆地の広島は意外と海外の有名アーチストがくるのでした)そのときはCDよりももっと装飾音が多く音程のわかりにくいうたいかたでした。
 

 19日、篠山市商工会様(原田豊彦事務局長)での管理職研修。

 10月あたまから始めて駆け足でもう4回目。間に1回個別面談もはさみました。


篠山市商工会研修



 第4回「説明力」の回でG毎に「説明対抗戦」のブラッシュアップをする受講生様方・・・

 全職員様16名のうちの管理職の方々6名です。

 とても家族的な雰囲気ですすみ、皆様、大変意気高く受講していただきました。

 売上のようにわかりやすい形で成果の出るお仕事ではないのですが、
 皆様からご報告いただいた日々の変化を図々しく手柄自慢のように並べますと、



・振興部(支所)の中での上司部下の会話を工夫した。部下もベテランだが、
 WEBで共有している各振興部の「振り返りシート(日報)」を
 部下と一緒にみながら、業務について部下の考えを尋ね、自分の考えも言い
 摺り合わせをしている。お互いの考え方の理解が進んだ。

―コンサル的な、割合独立性の高いお仕事の内容ですが、こうして摺り合わせをするようになった、というのは素晴らしいですね。ちなみに男性上司と女性部下2人きりの職場です。それまでは「あれやっといて」みたいな無味乾燥な会話をしていたそうです。
 

・共済の勧誘のノルマを早々に達成した人を心から賞賛した。

・同上のノルマ達成が速かった。声掛けの頻度が増えたためとみられる。

・会員からの電話問い合わせに対しこちらから訪問し、会員への専門家派遣につなげた。「会員が1本の電話をかけるのに勇気をふるって掛けてきているのがわかった」。

・部会に対して少々きつい提言を商工会(職員)のほうからした。



 ・・・と、最後のは「それ承認なん?」と思われるかもしれませんが、「承認中心コーチング」を学んでくださり少し時間がたち経験を重ねた方には割合みられる行動です。ちょっと厳しいことも、相手のためと思えば言えるようになるのです。もちろん、言い方には「承認」を盛り込んだり大変に工夫してはりました。

 
 わずか3ヵ月の間に貪欲に学び、目覚ましい成長を遂げてくださった管理職の皆様にお礼申し上げます。
 皆様のお顔を見にいくことは楽しみでした。


 最終回は年明け、「全職員対話」の回となります。全4回の承認コーチング研修を受講された上司の皆様がファシリテータとなられます。



 「承認から対話へ」
 これが当協会の理想とする組織再建・組織開発の流れでございます。



 追記:なお研修導入の旗振り役である原田局長からは「『イノシシの町』というのは違和感がある。われわれは『デカンショの町』だと思っている」とのご指摘をいただきました。
 えへへ、だって、冬には町のあちこちにイノシシの剥製が立ち、橋の欄干にもイノシシが立っているしわたしの頭もつねに「イノシシ」に行くし・・・、
 秋だと、栗とか黒豆枝豆とかもっとシンボルに事欠かないんですけどね。
 そうか、商工会の職員様方はもう来年の「デカンショ祭り」に頭が向いてるんですね。


****


 その前日、18日には神戸で「パワーハラスメント対策取組支援セミナー」に行きました。21世紀職業財団主催。

 神戸市産業振興センターの大会議室が一杯になる盛況ぶりでした。

 兵庫労働局の人の冒頭あいさつによると、労働相談の内容では兵庫県内でついに「いじめ・嫌がらせ」が「解雇」を抜き最多となりました。

 パワハラセミナーは何度目かですが、2012年に厚労省の調査がまとまり全体像が一層明らかになったせいか、セミナーの内容も詳しくなりました。パワハラが認められた判例など紹介されますと、狂っている(上司の言動が)と、身震いしたくなります。

 いくつか前の記事の「問題社員に対する普通解雇」との関連はじゃあ、どうなのか、と言われますと、

 今話題の「ブラック企業」の手口では、使えないと判断した若手社員を暴言や無視などのパワハラによって自主退職に追い込むのです。これは本人の精神を破壊し再起不能にするかもしれない、反社会的な手口です。

 そうではなく、能力が低く教育しても効果が出ないと判断した場合、能力の低さを理由に普通解雇することを可能にしたほうが、「パワハラ退職」を減らせることになるのです。ということを、以前NHK「ニュース深読み」に出演したブラック企業の専門家が言われていました。
 上記の「いじめ・嫌がらせの相談件数が最多に」という現象についても、「解雇される前の段階での暴言や無視が頻発し、その段階で相談しているという現象と考えられる」と講師の深海慶子先生は言われました。



 ・・・まあ、なんとわたしの見ている世界は天国と地獄ほどの開きがあることでしょう。

 そして、「法的問題」になるような話のセミナーはなんと盛況なことでしょう。

 残念ながらわたしがお役にたてるのは、「トップ」が決める組織に対してです。


 表題の曲はわたしの場合やっぱりマライア・キャリーです。




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 9日、姫路で「問題社員への対応・メンタルヘルス対応に関する最近の動向と留意点」と題するセミナーに行きました。姫路経営者協会主催。


 講師からは68pに及ぶ大量の判例を載せた資料の提供があり、主に問題社員に対する普通解雇の可否や紛争に備えた就業規則の作り方に重点が置かれました。


 このあたりわが国は雇用の流動性がないと言われ、問題行動や業務能力の低さを理由にした普通解雇がしにくいと言われてきましたが、近年は普通解雇の適用範囲を広げる方向に法曹界の関心が集まっているよう。


 一言ではくくれない話なので詳細は資料参照、と申し上げるほかはありません。

 日頃「心理・コミュニケーションアプローチ」を推奨する当協会もマネジャー保護の観点から最後の盾としての法的アプローチの重要性も認識しております。ああこういう話題になると漢字が多くなるなあ。だれを保護するのかが一般社会とわが社はちがうの。もちろん法的アプローチを頭に入れたうえで極力心理・コミュニケーションアプローチをとってほしいのは言うまでもありません。

 1つ前の記事で「ネット・スマホ依存の場合の普通解雇」についてのやりとりは、このセミナーの質疑の時間のものです。弁護士の講師の先生は「特にそれに関した判例はない」としたうえで、外形的な問題行動によっては普通解雇の事由となるので適用すればいいのでは、という考えを示されたのでした。


****


 「女子会」と銘打ちましたが実際には女性の友達と2人でのお食事。

 多数でお食事会などすると絶対に自分の話をしないタイプの人であります。1対1でお話しすると初めてプライベートも含め色んな話ができました。

 このブログに関して大変身に余るおほめの言葉もいただきましたが・・・
 そんなの書くとナルシみたいかな。でもまあ書いちゃえ、ほかに誰も言ってくれないんだから。

 いただいたおほめの言葉とそれに対する不肖わたしのお返事とは次のようなものです:

●本読むの速いですね
 ―ひと月に1冊は「これ絶対要おさえ」という本があります。そういうのに関しては速いです。あとは積ん読も多いです。月に30冊くらいは読んでると思います(でも世間にはもっと沢山読んでる人がいます)

●文献に対する評価・解釈が的確ですね
 ―えっ、「わからないヤツはみんな死ね」みたいなののことですか?(笑)
 ―あとになって思い出すと昔「アルフィー・コーン論争」みたいなのもあったな〜(2011年暮れ)。そういうのまでさかのぼって言ってくださったんでしょうか。あのとき持ち上げてた評論家氏はどこへ行ったんだろ。あれで頭に血が上ったせいで「100年後に誇れる人材育成をしよう」みたいなこと言い出したんだわ

●表現がわかりやすくて正確ですね
 ―自分ではよくわからないんですけど、皆さん普通に生きてて微妙な違和感ってあるじゃないですか。でもそれを言葉にできないでいる。私ひまだから、じゃあ私が言葉にしようかって。

●あくまで自分の考えとして、押しつけがましくなく意見を書いてあるから入りやすい
 ―それも自分ではできているかどうか、よくわからないです。多分それを目指していると思いますが果たしてできているか。押しつけがましくなってるんじゃないかと時々思います

以上です。

 すみません、これ以上ほめていただくと天狗になりそうです。
 
 この彼女は若い頃占い師の人に「あなたは絶対媚びないでしょう」といわれたそうで、私からみても「おじさまから女の子キャラを期待されてもやってこなかったタイプの人」にみえるのでした。
 媚びないまま正攻法で努力し、周囲にも恵まれ、今は管理職かつ家庭人として周囲に清らかな磁場をつくっている人でした。

 有名評論家とか大学の先生に評価されるよりも、こういう人に評価されるのは幸せなことですね。


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 会員の柏原直樹さんの部下の女性が今月2日、中央区の葺合署の「一日署長」になりました。

 ナイスガイ柏原さんが交通安全責任者などで県警の講習に行き、ボランティアなどもしていたご縁で社員さんにお声がかかったというもの。
 よくTVニュースなどにも「一日署長」って出ますが、普通はタカラジェンヌとかタレント、有名スポーツ選手がなるもので、普通の(有名企業ではありますが)会社員女性がなるのは珍しい。

 で、柏原さんの会社では社内報の取材などで大騒ぎだったよう。

 今のところ、こちらの葺合署のページ
 
 http://www.police.pref.hyogo.jp/ps/03fukiai/index.htm


 に、一日署長のもようが載っています。ただ柏原さんの部下は「岸田千佳さん」とのみ紹介され、会社名が入ってないのでちょっとがっかりしている柏原さんでありました。

 
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 表題の歌は、別れの歌なのかというと・・・?いやいやどうなんでしょ。




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 6日、西脇の「エルソル広告相談所」さん主催・「ホームページのお作法セミナー」に行きました。

 エステサロン等小さなお店向けにホームページからの集客の「コツ」を教えていただくセミナー。正田は研修機関なのでやや畑違いですが地域密着の仕事をしているつながりで、学びにでかけました。

 先生は、(有)リウム代表取締役・穂口大悟さん。
 この先生、おススメです。

 大言壮語せず断言せず、でも「今のトレンドとしてはこう。こういうことを言うコンサルの先生は多い。でも実際にはこうですよ」という流れで教えてくださいます。この世界もやっぱり日進月歩ですね。

 で、正田にも沢山学びがあり・・・、

 さっそく、最近大幅更新したホームページですが、またリニューアルしよう、と思いました。

 
 ホームページだけからの集客はもとより諦めてしまっています。対人接触でないとうちみたいなカイシャは営業でけへんな、とも思っています。

(とはいえ対人接触にも色々あって限界を感じ「ひきこもりコーチ」になっていますが)

 
 ただ折角縁あってアクセスしてくださった方をがっかりさせるようなホームページでもいけませんしね。思いやりが感じられるものにしたいですね。

 
 正田はもらいもののリンゴと最近ボランティアで大量にもらった「竹チップ」を参加者さんにお配りしました。

 「竹チップ」土壌改良剤にいいようですが意外に知っている人がいて、トレンドみたいです。

 内橋麻衣子さん主宰のエルソル広告所さんはこの日をさいごにオフィスをお引越し。また新オフィスで面白いセミナーやってください。


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 私は「個別化」という資質をもっていてこれは師匠の森川さんによると「カメレオンの資質」だそうです。相手の個性を見抜いてそれに対応でき、合わせて自分自身のことも変えてしまいます。だからこのブログでよく出る言葉「統合性」ともちょっと異なり、「八方美人体質」ともいえます。学生時代にもそれで悩んだことがあり、昔から多少その気があったようです。

 言い訳するとマネージャーになるには非常にいい資質なんだそうで、また「承認」とも関連が深いようで、「承認王子」の林さんも2度目のストレングスファインダーではこの「個別化」があがってきました。


 この「個別化」に関連して最近気がつくのは、相手によって自分の出す声のトーンが変わることです。

 もともとはアルトなので女性としては声は低いほうです。それが、相手をみて「この人、ドスの利いた声だと怖がりそうだな〜」と思うと割と甲高い声でしゃべっています。正田のことを「甲高い声の女性だ」と思っている人は、たぶん私からそうみられている人でしょう。
 相手がトップかミドルマネジャーか研修担当者か新聞記者か、でも声を使い分けていそうです。職位に対して、ではないですよ。あくまで相手のキャラクターに対して、です。それもなんだかな〜。


 私が比較的低い、本来の声でしゃべっていたら、それは相手を「認めている」ということなのかもしれないです。


 なお研修とか講演の「1対多」のときは「本当の自分」をやらないとどうしようもないので自分の音域の真ん中へんの声でしゃべっていると思いますが、それも多少聴衆全体の空気によって変えていると思います。
 ・・・ここまで書いて気がつきました、そうか、「商談」のときの声と研修講演のときの声が全然違うんだ、多分。

 

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今日の記事とタイトルの関連性はなんなんだろう。ちなみにマライア・キャリーはすきです。はい、ヒトカラ向けです。きらいなワーストは「銀恋」です。
 

 31日、某所にて「メンタルヘルス」の1時間半のセミナーに行きました。

 はい、暇なんです。9-10月が珍しく割合いそがしかったので、「インプット期間」のつもりでもあります。

 メンヘルセミナー受講は何度めかで重複することも多かったですが、今回も得るところは、多少はありました。

 ここにご紹介すると、

●規模の大きい事業所が必ずしも良いメンヘル対策をしているとはいえない。制度、体制はよく整っているが。むしろ小さい規模のところの方が、家庭的な温かい対応をしている。それはトップの理解による。

●仕事にやりがいを持って認められている人では月300時間も平気で残業している人もいる。しかしそういう人でも、知らず知らずのうちに不調になっていることがあり、その境目は月100時間ぐらいである。上司は気がついたらこまめに「たくさん残業しているけど体調は大丈夫?」と声がけすること。

●「下からのパワハラ」がある。新任の、部署を転任してきた課長に係長が細かく口を出し、嫌がらせをし、課長が「もう辞めたい」と口にするなど。

●辞めたあとの人からパワハラの訴えがあったときに、対応しないわけではない。

・・・など。


 学びになった部分とは別に、クレームを言うわけではないですが「自分自身の今後のために」、不満点も挙げておきたいと思います。

 メンヘル対策の1つとして講師の先生(女性・カウンセラー)が「コーチング」に言及されているのですが、他分野に言及するにしては認識があさすぎる。プロがきいたら怒るよ(きいてるけど)。


 この先生は「保健師さんのためのコーチング」という種類の学びをされているらしい。「コーチングは、相手の達成目標や到達点が明らかな場合に有効な手法となる」と言われています。
 近年メタボの人、糖尿病予備軍の人などへの栄養指導で、一方的にアドバイスしたり教えたりすることが効果を産まないことから、保健師さん看護師さんの新しい手法として「コーチング」が注目されています。そこでは、コーチングの中でも
「相手の目標―体重何kgとか健康を取り戻した状態とか―をビジュアライズさせ、現状とのギャップを認識させ、行動アイデアを相手自身から引き出す」
という、いわゆるコーチング・フローとかGROWモデルとかよばれるものを活用します。

 しかし、われわれマネジャーへの総合教育として「コーチング」をやっている者の目からすると、それは「コーチング」のごく一部にしかすぎません。

 「承認中心コーチング」を標榜する当協会の現役マネジャーとの間では、つねづね
「目標達成って、先に『承認』ありきですよねえ。それがすべてのベースで、それなしには『目標』なんて、出てきませんよ」
と、言い合っています。

 承認中心コーチングを受講された方はよくご存知のように、「承認」は挨拶、声かけ、相手の名前をよぶ、相手の健康状態を気にかけるなどのメンヘル上の重要な行動もカバーしていますから、「業績向上」の片手間にメンヘルの向上もやってしまうものなのです。
 それは直近の経験だけでもなく、これまでのすべての「1位マネジャー」のもとで起きてきたことです。

 
 どの分野の人も、自分の分野のカバーする範囲を広くとらえ、他人の分野を狭くとらえようとするものです。にしても、メンヘルの先生はコーチングを少し過小評価しすぎていないだろうか。よく知らないのに言及しちゃってないだろうか。

(これは、コンサルの先生にもよくあるのだ。中小企業診断士の養成講座になまじ「コーチング」がごく短時間で入っているせいか、診断士の資格を持っている人は聞きかじりの知識を口にすることが多い)

 私だったら、もし自分のセミナー中に他分野について言及するとしたら、例えばNLPもアサーション・アサーティブネスも、「コーチのための」といった狭いくくりのでない本式のセミナーを受講してから言及しますね。受講しましたけど。また心理学については、自分の扱っている行動理論が心理学のすべてだ、と思わせるような物言いはしていません。ほかに膨大なコンテンツがあることは知っていますから。

 あとこの先生がセミナー中に何度か会話例を自分で言ってみせて、「ほらこういうのがコーチングなんですよ」って言われるのだが、プロからみると、「すみません、恐らくうまくいきません、その会話は」というものです。そんなに自分の都合のいい方に引っ張っていけるものじゃありません。虫がよすぎです。


 こうしたメンヘルセミナーが盛んであると、メンヘルについての関心の高まりが逆にコーチングについての誤った理解を招く、結果的にコーチングの普及が遅れる、ということにつながりかねません。ということを危惧するので、主催者に抗議まではしないにしてもブログには記録するわけです。

 
 このところ「育てないで部下が育つセミナー」やら「NLPの営業コンサルの先生」やら、あっちこっちの人が「コーチング」について誤解を招くような物言いをし、本当にマジ迷惑している。なんでみんな自分のよく知らないことについて平気で言えるんだろう。よほどコーチングが怖いんだろうか。


 関連で思い出すのは、先日某所で講演をしたあとの懇親会で、メンタルヘルスを専門でやられているという女性の方から、

「コーチングが普及すると、メンタルヘルスは要らなくなってしまいますね」

と話しかけられた。私のスライドの「成果事例」の中で、「鬱休職者全員職場復帰」の事例が入っていたことなどに目をとめられたのだろうと思う。

 私は

「はあ…そうかもしれません」

とお答えするにとどめた。実は内心薄々そう思っているのだが正直に言ってはあまりに相手に失礼だろう、と思われた。しかしこの方は、

「私、本当にそう思います。一刻も早くいいコーチングが普及するといいですね」

と言われたのだった。


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 『パラレルな知性』(鷲田清一、晶文社、2013年10月)を読みました。

 タイトルにつられて買った本ですが新聞雑誌に掲載された時事問題に関する雑文をまとめた本でそんなに読むところは多くないです。

 ただ部分的に、例えばこんなフレーズ、

「要するに、専門家も非専門家もいずれも科学技術全体のあり方を見渡せないというところに、つまりは科学技術の自己制御がうまくきかないというところに、高度化した現代の科学や技術の問題がある。」

「ここに求められているのは、広範な知識をもって社会を、そして時代を、上空から眺める高踏的な『教養』ではなく、むしろ何が人の生の真の目的かをよくよく考えながら、その実現に向けてさまざまな知を配置し、繕い、まとめ上げていく営みとしての『哲学』である。ヨーロッパではこれが社会人としての必須のトレーニングとして位置づけられてきた。それをわたしたちはここで、『教養』と名づけたいと思うのである」

「1つのことしかできないのは、プロフェッショナルでなく、スペシャリストであるにすぎないのである。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロフェッショナルでありうるためには、つねに同時に『教養人』でなければいけないということである。『教養』とは、1つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということである。いいかえると問題を複眼でみること、いくつもの異なる視点から問題を照射できるということである。」


 こういうフレーズを、わかってるつもりだけど改めて読みたかった、のでしょう。

 ちなみに一番好きなフレーズは:

「・・・もっとも重要なことは、わかることよりわからないことを知ること、わからないけれどこれは大事ということを知ること、そしてわからないものにわからないままに的確に対処できるということである。複雑性がますます堆積するなかで、この無呼吸の潜水のような過程をどこまで先に行けるかという、思考の耐性こそが今求められている。それこそ逆説的な物言いではあるが、人が学ぶのは、わからないという事態に耐え抜くことのできるような知性の体力、知性の耐性を身につけるためでないのかと言いたいぐらいである。」


 わからないことに耐える。わからないままに前に進む。


 よのなかカフェもまた、異質の分野の人がぶつかりあいながら「わからないことに耐える」強靭な知性をはぐくむものでありたいと思っている。

 (だから、知らないことを知ったかぶり発言する見栄っぱりの人は来ないでいいのだ)

 
 よのなかカフェいつ再開できるかなあ。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 日本総研主席研究員の藻谷浩介氏の講演をききました。神戸市男女共同参画課主催。


 藻谷氏の名著『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』は、以前よのなかカフェ「人口減少社会 それでも経済成長は必要ですか?」(2010年10月)でタネ本に使ったおぼえがあります。64年生まれ、正田のいっこ下(だからどうなんだ。ついでに「半沢直樹」の池井戸潤氏は63年生まれ同い年です)。


 この日の演題は『神戸経済の活性化と男女共同参画』で、徹頭徹尾公式統計データを使って畳み掛けながら「女性活用」の必要をいやでも納得させる、というものでした。はい、まったく異論はございません。

 欲をいえば正田はその先の「人材育成」をする立場なので、「何が何でも女性活用」をやったその先に起きることは、というところを憂慮する立場ではあります。異論言ってるじゃないか。いえ些末なことです。

 
 女性として藻谷氏の男女共同参画論に快哉を叫びたくなるのは、例えばこんなくだり。

(以下事務局から送っていただいたパワポ資料の丸写しです。スライド1枚分だけなので許してください)

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障害は男の側の「人格形成不全」

・ 男女共同参画の最大の障害は、女性への侮りが染み付いた、一部男性の存在
彼らにして見れば:
・男の方が、より能力のある女性よりも地位を得やすい今までの世の中の仕組みは、ライバルが減って好都合
・「しっかりした個を確立し、集団に頼らない本当の自信を持つ」ことができていないので(人格形成不全)…
 →自分が「男であること」「女ではないこと」という、個性とはいえない、大ざっぱなものに、自分自身の心の支えを頼ってしまっている


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 ほらね、日ごろこのブログに書いてあることとほとんどいっしょでしょ。でもこういうことは、女の私じゃなくて男が自分で言うから、いいんです。

 男尊女卑に意地でもしがみつく日本の男のみっともなさ。

 しかもそれは「高齢男性」だけにとどまらない。結構若い層の男にもおじいさんの尻馬に乗ってか、こういう人間っている。まだまだ再生産されてる。

 
 「しがみつかない男」のほうがはるかに男らしくて、かっこいい。それは理想論として言っているわけではなく、このブログに日ごろ登場する男性たちをみているとわかっていただけるでしょう。


 あと、女性活用がらみではないですが藻谷氏の議論の中で、

「高齢男性たちは、人間はばらばらいくらでも湧いてくると思っている」

というくだりが、実にわかりやすく腑に落ちるものでした。

 つまり、「団塊」「団塊ジュニア」という2つの人口の山を経験してきた彼らは、人間って虫みたいにわんさか湧いてくると思ってるんです。現実は真逆で大変な先細り、あと100年とか150年で絶滅するという勢いで減り続けているというのに。

 そうなんです、彼らが何故、われわれからみて極めて歩留まりの低い、間口の狭いやり方に固執するか。例えば「叱ってプライドを傷つけてくそっと思えば人は伸びる」と、「競争心」の強い人格だけを想定したやり方を正しいと思っているか。
 それは「人間は無駄づかいしていい」「死屍累々の上を生き残ったものたちが踏み越えていけばいい」と思ってるからなんです。とんでもない錯覚です。しかしその錯覚というか幻想をみたままだから、彼らはいくらでも横暴になれるんです、地位と権力を持った側のエゴむきだしで。

 とりわけ、今の時代で「潰される方の若い人」というのは往々にしてその世代の中でもしっかりした子たちで、上司の過剰期待、いわば甘えによって潰されている。そういう優秀な子たちを、この子育てしにくい時代に大事にしっかり育ててきたお父さんお母さんの嘆きはいかばかりか、と思うにつけ、・・・


 今日は藻谷氏の論調に煽られて少しカゲキになっているかもしれない。



 また面白かったのは、藻谷氏の講演の中の随所に現れる「反論封じ」。
「バカみたいな議論いっぱいありますからね」
「だから灘―東大コースの人間は」
とこきおろし揶揄しまくる。

 これあたしが同じことやったら嫌な女って思われるだけだろうなあ、と思いつつ、気持ちはよくわかる。ホント、バカみたいな議論がいっぱいあるしそれを真に受ける、なまじ決定権のある視野の狭い人もいっぱいいる。
 正田はここまでどぎつくやれないが、講演資料の末尾に「よくある質問」として想定される反論とそれに対する回答を書いておく、ぐらいのことはする。

 はい、以前よのなかカフェの中であほらしくて反論しませんでしたが「承認は弱い人間をつくらないか?」という議論についてはちゃんと以前の講演資料の中に回答を書いてあります。それは現役マネジャーたちが否定している、というものです。私も一応高齢男性のことを面と向かってはリスペクトしますから。高齢男性が議論に入ると、だから困る。真実の探求がしにくくなって。

 
「これは私の意見じゃありませんから、事実ですから、統計数字ですから」
という文言も藻谷氏の講演のなかで何度もきいた。
 これもよくわかる。どれだけ「成功事例」や「統計数字」を出してその場では納得したような顔をしても、何日かすると
「正田先生のご意見」
「正田先生のご主張」
などと言ってくるから。さも、「あなたの言っていることには客観性がない」と言いたげに。
 ・・・そしてしばらくすると、何ら成果など挙げてきていない、歌みたいなものを自己陶酔的に歌っている男性の先生が採用されているのだ。

 
 やっぱり今日はちょっと藻谷氏にひきずられてるなあ。研修では、いつものように淡々とお話ししてるんですよ(ほんとカナ?)


 
 同世代の人が「バカな反論」に元気に反駁しながらしゃべりまくってるのを見るのは気持ちがいい、溜飲が下がるものです。『里山資本主義』(2013年7月)も買おうっと。



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 全然関係ない話ですが「ためしてガッテン」で「レビー小体型認知症」というのについてみました。

 私の身内がそうだったかもしれない。それもかなり若い頃、中年期から。

 だからといって私の少女時代、青年時代が何か変わるだろうか。

 しかしこうしたことについてちょっと知識をもっているもっていないで人生の幸福度は確かに変わってくるだろうなあ。

 ・・・河合薫さん、その人は発達障害を疑ったほうがいいと思うよ。何の話だか。

 

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 6日、東大・本郷キャンパス「福武ラーニングセンター」というところでイベント「対話をうみだす”実践知”をトップランナーから学ぶ」に行ってまいりました。

 スピーカーは、北九州の小学校教諭・菊池省三先生と組織開発ファシリテーターの加藤雅則氏。


 
東大セミナー20130706


(写真は東大大学院 学際情報学府 中原淳・准教授。菊池先生の写真がなかった〜話を聴くほうに夢中だったからだ;;)


 菊池先生は「褒め言葉のシャワー」「ディベート」など、小学校教育の中で「コミュニケーション」分野の数々の最先端の取り組みをされ、NHK「プロフェッショナル」などTVにも多数取り上げられています。


 その「プロフェッショナル」の映像を使いこどもたちを登場させながら、ひょうひょうとした口調でこどもたちが取り組みの中でどう変貌していったか、どんな発言をするようになったか、を語ります。


 知らなかった豆知識として今、こどもたちの世界でめちゃくちゃ盛り上がっている遊びがある。それは・・・ジャンケン。でも「さいしょはグー」ではなく「ギョーザ」という。肉、皮、にらを出し合う。出し合った手によって「肉がなーい」とか「にらがなーい」とか「いただきまーす」とか言う。いや〜むずかしいですね〜(汗)会場の大人、いきなりお手上げ。


 印象的だった菊池先生の言葉:

「今の子どもたちは人間関係ずたずたですから、こういうこと(褒め言葉のシャワー)をしないと対話の場に乗らないんです」

「この学年は崩壊学年でした。担任の先生がコロコロ替わる、1年間に学年全体で担任が6回替わりました。文句を言えば担任を替えられると学習してしまったんです。だから何か言われても『ちっ』『なによ?!』みたいな返事しかしない」


 想像がつくでしょうか。「学級崩壊」という言葉は1998年頃、メディアに取り上げられ初めて知られるようになりました。恐らく90年代を通じて静かに進行していたのだと思われます。

 
 「ちっ」「なによ?!」だった子たちも菊池先生の指導の下、規範に従ったり他人を思いやったりするようになるわけですが、そういう指導力のない先生にしか出会えなければ、一生にわたって「公」の感覚、「規範に従う」の感覚を身に着けずに終わる、何か権威めいたものには文句を言って相手を引きずりおろすかこちらが離れればいい、そういう感覚のまま一生を過ごす可能性があるわけです。

 そういう子をひたすら量産しているとしたら。
 うすら寒い思いがします。


 菊池先生は

「どんなに荒れている子でも褒められる、認められるのはすき」
「先生が褒めてあげて、みんな同士褒める認めるように持っていく」

ということも言われます。

 「褒め言葉のシャワー」という、みんな同士の褒め合いが映像になりやすいので、「褒め合いは『下』から」と思われやすいのですが、どっこい某団体のスライドでリーダー起点にピラミッドが作られその下に円ができる図のように、起点は先生が作っているのです。

 例えば学年初めの子どもの作文(1行しか書けない)に、先生が大量に補って書いてあげて、最後に「先生は〇〇さんの作文が好きです」なんて、ひと言付け加える、というように。そんな作文の写真も出てきました。


「マイナスの言葉ばかり使っていたらプラスの対話が生まれるわけはない」

と、菊池先生。

 例えば「あいつ」「こいつ」「お前」「おれ」などというのも、先生によれば「マイナス語」。相手と自分の境目がうまくついておらず、そして相手を落としている。この延長では対話にならない、といいます。

 そして、土台づくりができていない状態で対話をすると傷つけ合いになる可能性があるとも。


 対話ブームといいながら、本来はその土台つくりが必要であり、それは褒め合いのような相互肯定、相互尊重の取り組みが先んじるべき、ということなのでした。

 これは企業でもおなじ、とおもいます。

(なお褒め合いといっても「おきれいですね」みたいな歯の浮くようなやつではなく、基本1人のともだちのその日1日の行動について「〇〇を一生懸命していました」みたいに褒めるので、いわば「行動承認」「根拠のある承認」であり、素直に喜べるもののはずなのでした)



 そのあとの加藤雅則氏は組織開発の現場から対話のファシリテーションについて話されましたが、

 ひねくれ者の正田は、つい

「自分が会社員だとして、周囲がまったく信頼できない、裏表があって他者への見下しに満ちていて悪感情ばかりの職場だったとき、『対話』の場によばれても行きたいだろうか?心のうちを話したいだろうか?

 口実つけて当日休んじゃうんじゃないだろうか?」

と、考えてしまうのでした。


 加藤氏のお話も大変おもしろかったのですがまたどこかでお話しする機会があるでしょう・・・


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 なお蛇足ですが、最終ふりかえりの時間に数人グループで話し合うと、職場の「ほめる」今、かなり情けない状況になっているのがわかりました。

「上司がやたら褒めてくるがいつも同じパターン。『この人本当は私に関心なんかないんだ』とわかってしまった」
「会議のあと『君のあの発言良かったねえ』とほめ殺してくるがもう読めてきて何も感じない」

 「ほめる」も「コーチング」と同様に手あかがついてくるのか・・・、
 それにしても上司のほめ言葉を信頼できないというのはなんと荒涼たる情景。イヤだ、それ。


 受講生様方、「承認研修」を受けられたのはラッキーだったんですよ。



 ともあれ、素晴らしいイベントを企画され抽選に当選させていただきました、東大大学総合教育研究センター 特任研究員・舘野泰一先生、そして中原先生、菊池先生と加藤さん、そしてご一緒に学んでくださった皆様方、ありがとうございました。






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「第3回承認大賞」募集ページはこちら!あなたのエピソードを教えてください

http://www.shounintaishou.jp


「承認大賞ハンドブック2013」ご紹介ページはこちらです

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51861106.html .

 10日午後、日経ビジネスオンラインの人気コラムニスト、河合薫さんのセミナー「『無関心職場』からの脱却〜派遣・アルバイトが”自分で考え、動き出す”職場を作ろう〜」に行ってまいりました。日経BP社主催。


 このブログの少し長い読者の方なら、タイトルを見ただけで「答えは、あれでしょ」となるかもしれません。いえ本当にそうだったのですけどね。でも改めて、あるスポットに焦点を当ててみるのは大事なことです。


 以前参加させていただいた「鎌倉哲学カフェ」―これの紹介記事を書くのをとうとう忘れちゃったこめんなさい 大変いい場でした―で、「リアルとは何か?」を問われて。

 私なりにその場で出した解は、「ある一点を凝視するといくらでもそこから情報が引き出せる、画素数が際限なくこまかくなる、それがバーチャルと比較したリアルというものの凄さ」と、言ったところ、それがかなり主催者さんの用意していた答えに近かったようで、逆に早い段階で正解を出したので残り時間の使い方で困らせてしまったらしい。いえ決して「荒らし」をしようなんて意図はなかったんです、みんなが沈黙してしまったので何か言おうと思っただけなんです。あと「愛はインタラクティブ」っていうのを言ったのも妙に早い段階で言って困らせたらしい。


 いやそんな自慢話はさておき。


 なのでこういうセミナーに行くのもまた新しい学びがあります。

 
 派遣社員、契約社員、パート、アルバイトといった非正規社員はリーマンショック後、増えている。とりわけ大企業の子会社で増えている、という。


 この講演では、「健康社会学」という分野の知見から、「慢性ストレッサーにさらされた人たち=あきらめてる人達」とし、慢性ストレッサーが健康を脅かす要因になることを提起しました。


 その中で2011年発表の労働政策研究所の調査「働き方と職業能力、キャリア形成」の数字も紹介されました。


 要は、非正規社員の人がいかに「あきらめてる」か、ということと、非正規の人でも配偶者の有無で開きがあり、無配偶者の人は収入への不満が高い、有配偶者の人は比較的モチベーションが高い、また「部下や同僚に教える機会をもつ」ことが自分の能力形成にもつながるという認識をもっている、などは興味ぶかいです。


 あとは、結論部分のキーワードを抜き書きしますと、

・上司の裁量
・職場の人間関係
・能力発揮の機会
・部下や同僚への指導的立場
・上司からの期待度
・雇用の安定性
・賃金
・今後のキャリアの見通し
・首尾一貫感覚
・有意味感
・応答の質、報酬
・自己決定
・敬意・理解・意見
・存在意義、存在価値へのメッセージ
・人として尊重してくれていると部下が感じられるメッセージの発信
・傾聴と感情の聞き取り
・ムダを大切に ムダな話、ムダな空間、ムダな時間
・あいさつは自分(上司)から


 え〜、「耳タコだ」とブーイングが起きるのを承知で…。

 同じことでもちょっと角度を変えると急に入りやすくなることもありますからね。
 河合さんもおっしゃったように上記のことは全部、正規の人も非正規社員も一緒なんです。


 で、当協会としてどうするかって?

 とくになにもしません。


 わが社は、「その先」の「トレーニング」と「定着」のほうに軸足を置きます。背景説明もしますが、背景説明をするのは自動車教習に例えると学科教習の部分なのであって、それをきいただけでは「できる」ようにはなりません。「できる」ためには実技教習が絶対に必要です。単純な行動を反復するようなトレーニングや、ときには教官にがーん、とブレーキを踏まれるような体験もしたほうがいいかもしれません。いえほんとはそこまで怖くありませんけど。

 学科の部分だけきいて自分はもうできる、みたいに言っている人をみると、教官の目からみると全然できていないので、笑止千万、というかうすら怖いです。こんなで突っ走るつもりなのか、と。


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 これもフェイスブックの方には書いた話題ですが、私は仕事柄たくさんの学びをします。このブログに再三出る話題、「短期間にたくさんの学びをして変になる人々」は私自身のことではないのか?とお叱りを受けそうですが、まあ実際そうなのかもしれません。

 私的に心がけていることは、極力学んだことを「シェア」すること。

(それは学んだことを即教えられるようになることを意味するわけではありません。何かの入門編だけ学んでわかったような気になるのは、決してその学問の奥深さをわかっていることにはなりません)


 もともと学ぶことはすきなので学ぶことは心浮き立つことではありますが、さりとて何かを学んだからといってそれで私が偉くなったわけではないのです。単に今の私には子育て中より、また現役管理職であるうちの会員様方より時間があって、学びに行こうと思えば行ける、それだけです。

 学んだらシェアする。変にシークレットブーツみたいに隠さない、あるいはご印籠みたいに「どうだ!」という形で提示しない。それにより天狗になろうとする私の心を中和する、解毒する、そういうことを心がけているように思います。

 文章化することは自分の頭の中を整理し、浮き立った自分の心を鎮めることにも役立ちます。


 以前には、「家族」もまた私にとっての解毒剤でした


 こちらの記事などは、その代表例です:
 

日本人の自己観と幸福感(3) −心理学が強化した「アトム的自己」観?
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51515163.html


 これに限らず、心理学系のさまざまな学びの中には、家族、とりわけ子どもの発達をみている眼には変なところが一杯あり、そうした現実を参照すればするほど、それらの学びに批判的な気持ちがわくのでした。コーチングはじめ心理学のかなり主だったところを学んでいる期間にちょうど家族と同居していたのは幸いでした。

 まただから、私がセミナーを提供する側になったときには、大人であるマネジャーたちに「現実を参照」する時間を確保してあげたい、という気持ちがどうしても湧くのです。一方的にこちらのペースでどこかへ持っていきたくはないのです。


 
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 9日夜、立教大学で行われた「哲学コンサルテーション/哲学カウンセリング」のワークショップに行ってまいりました。

 講師は、オランダから招聘したピーター・ハーテロー氏(オランダ哲学実践研究会会長)。通訳つき。

ハーテロー氏2 



 哲学は欧米ではここ数十年、一般の人のために

「それは何の役に立つのか?」
「どういう実践があるのか?」

を問い大学の外に出て対話するものになっている、とハーテロー氏。

 1981年、ドイツのゴールド・アヒェンバッハ(Gold Achenbach)という人が哲学者として初めて哲学コンサルテーションを始めたのが、近年のその潮流の起源だそうです。

 またそれはソクラテスの例をひくまでもなく、古代哲学の姿がそうだったのでありそこに回帰しているのだと。

 古代には、哲学は人にアドバイスする手法だった。

 セネカは暴君ネロの家庭教師だったが、セネカが最後どういうふうに死んだか知っているか?

 答えは、「ネロに自殺せよと迫られ自死した」。

 「だから、皇帝の哲学コンサルテーションをやるのは命がけなのです」と笑うハーテロー氏。


 暴君ネロと刺し違えて死ぬのはちょっと悪くないな、と一瞬思いましたが、Wikipediaをみるとそういう死に方ではなかったようです。だれか謀反をたくらんだグループがあって、その人に関与を讒言されて(真偽は不明)ネロに捕えられた。自殺せよと言われて毒をのんだが死にきれず、風呂場で神経を切ったという。

 そういうことが起きるということはそれまではネロに重用されてたのではないのかな?という疑問も湧きます。

 重用しながら煙ったく思っていたのかもしれませんが。

 暴君ネロは奴隷をコロセウムでライオンに食わせたのだっけ…焚書坑儒をした中国の皇帝もいたなぁ…高い地位の人がなぜそんなことをしたのだろう…大体ネロはこどものころから偉い学者について学んだのになぜ残忍な性格になったのだろう…ひょっとしたら自分がどう頑張っても敵わない「教養」というものに対して敵意をもったのかもしれない…高い地位にある人が教養を疎んじたら、それは極悪人として歴史に名を残すことになるかもしれない…こら、余計なこと考えるな。


 このあと「哲学コンサルテーション/哲学カウンセリング」の各流派の考え方の紹介とともにそれぞれの実践ビデオを見せてもらいました。

 ハーテロー氏が「これはアグレッシブ」という、「ソクラテス対話」スタイル(フランスの哲学者がやっていた)というのは、当協会で一番禁じているような、クライエント(コンサルティー)を質問ぜめにするやり方で、クライエントも思い切り防衛・抵抗しているし、みていてちょっとげんなりしました。

 でも初期のコーチングのデモンストレーションで、こういう強引なのあったよなあ、うんうん。みるからに「やらせ」っぽいやつ。「そんなんでうまくいくわけないでしょー」ってツッコミたくなるやつ。e-ラーニングとかで、ビデオ等でコーチングをならった人などは要注意です。現実にはありえないコーチングを商品化したやつって溢れてますから。そういうのをみて「自分もあれならできる」なんて、思い込んではいけません。



 このほかInterpretative/ therapeutic tradition (解釈的/治療的流派)という米国式スタイルは、心理学的な共感もあり、普通のカウンセリングやコーチングに近い。

 最後にHeuristic / hermeneutic tradition (問題解決的・解釈的流派)というのがドイツ式で、これは動画がありませんでした。


 哲学コンサルテーション/カウンセリングをするときに押さえておきたい哲学の大きな流派としては、
1.Ethics(倫理)
2.Extential(実存主義)
3.Language Philosophy (言語哲学)

このほか心理学的アプローチとして
4.Behavioral (行動療法)

があるそうです。

 これら全部ひととおり知っておかないと、「哲学コンサルタント」になるのは難しそうです。
(ハーテロー氏は、「最初は1つだけ知っておけばいいですよ」なんて言ってますが絶対無理。初期のコーチングもそういう調子のいいことを言ったんだわ)

 
 正田的には、コーチングというものに倫理的視点が必要だ、とこれはもう何年も前から口に出して言っている問題意識で、今回もそういう興味で参加してみたのですが、哲学コンサルテーション/哲学カウンセリングに、それほど画期的な解があるわけでもないかなあ、という感じです。

 企業に導入するとしたら、たとえば「残業減らし」という課題があったときにそれをどのような思想を援用してやるか?みたいな使い方をしたら面白いかもしれません。ただ、抽象的にものを考えることを純粋に面白がって参加する人がどれくらいいるかな?とも思います。


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 翌10日午前は、お茶の水を歩きました。

 聖橋を渡って「湯島聖堂」に来ました。


湯島聖堂2



孔子像2


 
 3Mはありそうな孔子像。

 「私にできることは、学んだことを忘れないこと、学び続けること、そしてそれを人に教えること」

と語っています。


 今から考えると不思議な気がするのですが、もう30年以上前、高校時代の私は週に1回、ここに中国語を学びに来ていました。

 ネットなどない時代。小学校高学年に漢籍にのめりこんだのが高じて中学時代にTV講座で中国語を勉強していた(これも今から考えるとかなり変な女の子だ)、その延長でもう1度習ってみたい、と人に言ったとき「こういうところがあるよ」と教えてもらった、たったそれだけの縁で通いはじめました。

 ちゃんとした大学の先生(台湾系)がきて教えてくれていましたが一緒に習っている人の年齢層が高く、学習意欲は低く、一生懸命やるとすぐ浮いてしまう雰囲気の中でやっていたので大してものになりませんでしたが・・・、

 
 その当時は知りませんでしたが、この場所は江戸時代の日本の儒学のメッカのようなところであり(昌平坂学問所(昌平黌))、西郷隆盛ら維新の志士たちが私淑した幕末のリーダーシップ思想家、佐藤一斎もここで教鞭をとったのです。去年はそのゆかりの地岐阜県岩村町にも行きました。



湯島聖堂2-2






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 また補足すると孔子は生涯、コンサルタントとしては仕官できなかった人でした。終生、教団を連れて放浪していました。諸国の王に謁見したことはあったが王は孔子と問答はしたものの、採用には至らなかった。また役人層の無理解で仕官できなかったこともあった。
 正田もあまり長生きはしないだろう、と理解しております。ただそれは真剣に取り組んだ受講生さん方に非常に気の毒なことになるのですが。


 ・・・「藤堂高虎」もすきなんだよな・・・
 

3日、先生のためのとっておきセミナー「愛と勇気のチカラ」(天満橋・エルおおさか)に行ってまいりました。


 「学校の先生研究」は昨年らいのマイブーム。コーチング業界の主流では、「学校の先生みたい」というのは褒めているのではなく貶し言葉として使われることが多いです。しかしどうしてどうして、優れた学校の先生のあり方というのはリーダーシップの範となり得るものであり、それらの先生方の振る舞いは多くのマネジャーたちにとって良いロールモデル、メタファーとなり得ます。


 今回の1日セミナーでは、多賀一郎先生・堀川真理先生・赤坂真二先生と豪華な3人の講師の先生が登壇されました。

(先生方のプロフィールなどはこちらの記事をご参照ください
http://www.taga169.com/archives/3677



多賀先生


多賀先生



堀川先生


堀川先生




赤坂先生


赤坂先生



 「学級経営」「道徳教育」「命の教育」と、「心」にかかわるテーマを重さをものともせず、正面から伝えたセミナーでした。


 アドラー心理学の赤坂先生は学級経営をリーダーシップとチームビルディングなどの観点から、また実践経験も踏まえつつ読み解かれましたがおもしろいことに正田がふだん言っていることと結論部分はほとんど同じ。会員様方は、講演資料などを読まれれば共通点を読み取っていただけるでしょう。


 道徳教育の堀川先生は、ご自身の実体験をクラスで語った顛末を語られました。

 私的に印象的だったその結論部分だけご紹介しましょう―

「女の体は、あかちゃんを妊娠したり出産したり授乳するようにつくられているのです。なんだかんだ言ってそういう機能があるのです。
 男の体にはそういう機能はありません。その代り男にはたくましい筋肉があります。それは女を守るためにあるのです。

 だから、女子は自分の身体を大事に。
 男子は女子を守ること。」


 なんともシンプル、でもこれは堀川先生個人の体験を超えて自然の摂理、ではないでしょうか。

 (もちろん、その大きなテーゼが伝わりやすいのは実体験を先に語られているからなのですが)

 種の保存のために私たちは基本的にどうつくられているのか。


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ここからはセミナー自体の学びというより当ブログの感慨です―


 実は当ブログで2月から先月初めに掲載した「城ヶ崎滋雄先生」に関する一連の記事について、反省を込めて触れておかなければなりません。

 城ヶ崎先生の実践は、極めて優れた「より強く、より大きく、より速く」子どもたちを伸ばす教育でした。
 グローバル化の現代、「強くなければ生きていけない」のもまた真理であり、そういう教育が求められており、そのニーズに極めてよくマッチした教育であります。

 しかし、「より強く大きく速く」があまりにも効果的で強力だけに、それは別の課題を産みます。
 
 それは「優勝劣敗思想」というものではないのか?

 たとえば堀川先生の結論部分にみる、

「筋肉をもつ性は産む性を守ること」

とは、優勝劣敗を超えた一段階高次な思想です。しかしそれが種の保存のために絶対必要なことであるのは、ご理解いただけるでしょう。


 短期的な勝ち負けではなく社会の持続可能性、ということまで考えたとき、「優勝劣敗」を超えた高次の思想が要るのです。

(これはぜひ、「運動会で手をつないで順位をつけないでゴールする」といった悪平等思想とも混同しないでいただきたいものです)

 今回この記事掲載に当たり、本件について城ヶ崎先生ご本人に質したところとうとうご回答はなかったのは残念です。


「優勝劣敗を超えた一段階高次な思想」は、堀川先生の例をまつまでもなく、その人個人の実体験から生まれることが多いです。歴史上では、吉田松陰が聾唖の弟をもっていたことから転じて弱者全般にやさしく、獄中で出会った女性とへだてなく話し合ったことも知られます。


 そうした実体験をもたないことは、教師にせよリーダーにせよ、決定的な能力の限界を示すことになるかもしれません。―真摯に努力すれば想像力で補うことはできるかもしれません―


 「より強く、より大きく、より速く」の方向にプッシュすることは、それが効果的強力であればあるほど、育った子どもたちの次なる世界観人間観をどう構築するか、という課題を産みます。それはないものねだりにみえるかもしれないが、車の両輪であるといえるでしょう。それがなかったら「強いことはいいことだ」という信念の権化のような人をつくってしまいます。ひいては強烈な格差社会や、男尊女卑社会をつくってしまうかもしれないのです。

―これは決して急に考えたことではなく、一部の非常に能力向上にすぐれた幼児教育を受けた人が、結局「競争心を煽る」という手法をとっているため、勝つためには手段をえらばないような、非常に人格のわるい、鼻もちならない人に成長することがあることなどをみた実体験などにもとづいています―


 男女共同参画とのからみでいうと、
 私は「女性=弱者」とは必ずしも考えませんが、現代ビジネス社会の「強く、大きく、速く」の中では妊娠出産育児はハンデになるのは確かです。(これも付記すると、女性が「とろい」わけではなく、特に育児を終えて職場復帰した女性は時間管理が上手く非常に生産性が高いというデータもあります)

 一方で伝統社会の中では男女とも働き盛りの間は働くのが正しかったのであり、女性を子育てに延々と閉じ込めるのは現代日本の特異な現象であります。いわば日本の男性たちの、カネにならないしんどい労力の要る子育てという行為からにげてる卑怯さがそうさせている、ともいえるのです。自分たちは妊娠出産しないでいいという「優勝劣敗思想」をとことんつきつめてしまったのです。

 フェイスブックの方には一度書いた話題ですが、日本の男性たちは、「産む性である女性を守れ」という当たり前の教えを長いこと教えられてきませんでした。日本のエリート教育の中にそういうものはありませんでした。欧米の騎士道精神の中にはありますし、アフリカのマリドマ・ソメ「ぼくのイニシエーション体験」の中にも女性との関係構築のプログラムが入っています。本来は日本にも必要なのです。


 過去の武士道精神や海軍エリートの教育よりさらに高度なリーダーシップ教育をしなければなりません。
 それがなかったがゆえの今の非常にいびつな状態です。


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 さて、セミナーの方のお話に戻って、このたびの講師の1人である多賀一郎先生とはその後、フェイスブックでかなり長いやりとりをさせていただきました。

 話題は「教師に対するコーチング教育の功罪」のようなものでした。これも重い話題に正面から向き合ってくださった多賀先生に感謝。

 お許しをいただいてその内容をブログに転載させていただきます(敬称略):


正田:(フィードへの記事として):教師セミナー午後は生命の教育、道徳教育、いじめへの対応とディープな話になった。「教師の覚悟」「教師の断固たる決意」という言葉が何度も出た。いずれも「にげない」先生方だった。こうした先生方があえてロール・モデルの役割を担って若い先生方の前で話をされることに安堵を覚えた。
私の親としてのいじめへのスタンスはこの記事に集約されている。
「さらば女性不在の議論―いじめ問題、わるいのはだれか」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51815730.html
懇親会は失礼させていただいた、あまりにも語りたいことが多すぎ少々酒飲んで語れる量ではなかったから。
しかし、我が子に対する躾が逆に我が子をいじめ被害者の立場に追いやっていなかったかと自責の念もある。いわばきっちり躾をされた子は無法集団の中ではババを引くことになるのではないか?そんなこともあって私はいじめを家庭教育の責任に帰すことに反対なのだ
補足すると、つらい思いをしている人に「つらいのはあなただけじゃないから」とか言っちゃう人は私見では恐らく「共感性」が低いか「調和性」「公平性」あたりの高い人だと思う。私自身はこのあたりの資質を意図的に下げている。お蔭で人とぶつかることも多いけれど


 
多賀:改めて、そのことについて書かれたブログを全部読みました。躾がいじめの原因になるとは、言い切れません。今の子どもたちの感覚の中で、きれいごとでなく、真剣にみんなが考え合わないといけないだけなのです。僕はそう思っています。最近、正田さん「コーチングを若い人にすすめない」という考え方に、感じるものがあって、考えています。昨日話した三人には、「調和」とか「公平」等という概念はありません。堀川さんは言いました。「なんで協調していく必要があるの。私は私が信じることをするだけ。」彼女は、ただの根性教師ではなく、心理学を真剣に学んで、その上で自分の等身大をさらけ出してきます。あんな人間には勝てません。とんでもない人ですが、尊敬しています。正田さん、また、ゆっくりとお話させてくださいね。

正田:Yes, someday in the future...Maybe the next month? (←照れている)コーチングを若い人に教えられないというのは私はもうこの稼業に入って以来ずっと持ち続けている問題意識です。業界全体としては、若い人をマーケットにすることが多いですがそれに懐疑的なので業界と距離を置いてきました。かなりおかしなことになっていると思います。心理学と倫理道徳の正しい棲み分け、ということにも通じると思います。心理学やそれ的なもの(コーチングをはじめとした)は一般社会の秩序の常識を覆すカウンターパワーのような力をもつので、若い人はそれにはまってしまい、逆に社会常識のほうがないがしろになってしまうことが多いです。うちの娘の中学の時の学級崩壊のときの先生は、どうもその傾向がありましたね…どこかでコーチング的なものを学んだ気配がありました…もともとそういうひ弱な資質をコーチング的なものの学習が助長する役割を果たしたと思います…だから学ぶ人の資質を選ばないといけない、と思っています。そのへんは研修でお世話になるお客様にも相当うるさく言っています。


多賀:ちょっと違うかも知れないが、若い人の感性は、ずるずると引き込まれていくようなところがあると思っています。僕は、若手をアジらないようにしているけれど。ときどき、DVで親から話された子どもたちの施設に講演に行くのですが、若い職員さんたちは、子どもの感情に引きずられていくので、僕から、子どもとの距離について話してほしいと言われます。若い人には、教えるということが大切だと伝えたいのですが、どうも、考えさせるとか自主的だとか言う言葉に引きずられて、違う形になっているように思っています。正田さんの言っておられることとは違うかも知れませんね。来月は、そういう時間ができるでしょうね。


正田:おはようございます。また寝てしまいました。いえ、仰っていることは違っていないと思います。私のコーチングの師匠の1人武田建氏は丁度似たようなことを言われていました。大学生のキャンプリーダーにカウンセリングを教えられない、リーダーとして駄目になってしまう、というようなこと。私の記事では
「何度目かの選択理論と行動理論、「外的コントロール悪玉論」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51855767.html
選択理論と行動理論―承認論の話などが少し近いです。これはコーチングの方式の違いを言っています。今教委などに入っている教育コーチングの研修というのがこの選択理論寄りの考え方ですね。またNLP的な、目標達成に強くフォーカスした要素も入っているのを感じます。そうじゃないんだけどな、それ以前に承認であり、かつ教えることを含めた従来的なさまざまな介入であり、その1つとして質問法とか目標達成なんだけどな、と思っています。


多賀:お早うございます。選択理論と行動理論そのものについては、僕は勉強不足です。正直、よく分からないですが、行動理論は、演繹的だということですか。ユングに長年傾倒して、その後、答を求めてアドラーを学びました。だから、中途半端な人間なんですね。僕のように発達の段階を見つめながら現場に携わってきた者としては、段階と個性によって違ったコーチングの仕方があるのかなあと思うのです。学校教育の場合は、リーダーシップという目標だけではないので、NLPが有効な場合もあれば、カウンセリングの有効な場合もあります。でも、幼稚園や小学校の若手の現状は、NLPやカウンセリングの広範囲の応用で、結局何もしていないという状態を作り出しています。「人をたたいてはだめだ」と教えることができずに、たたく子どもの気持ちも大切にしたいというバカな論理で行動している若手の多いこと。それが、いじめの種を作り出していることに気付かないのです。そのことを指摘する親を「モンスターペアランツ」と断罪して自己擁護します。


正田:そうですか。どうも、私もアドラー心理学を勉強しないといけないかもしれませんね…赤坂先生のお話の結論部分は私がさまざまな場面でオリジナルで伝えてきたことと一緒だったのでびっくりしました。私は企業のマネジャーを常に念頭に置いてやってきましたから、彼らにとってワンフローでやって効果の出るもの、使い勝手のいいものを提供することに腐心してきました。だからこれからも「承認コーチング」一本槍でいくことに変わりはないと思います。私は娘の中学高校の先生と相当ハードな交渉をしましたし息子の高校の先生に関しては県教委に怒鳴り込んだこともあり(なんであの場面で叱ってくれないんですか!っていう)モンスターペアレントと思われているのは間違いないです。仰る通りそういう現象と思います。いじめ防止のテクニカルな面でこういう議論をしないといけない節目になっているかもしれないですね。
以前にご紹介した「ストレングスファインダー(強み)」なんかも、リーダーや先生であれば自己理解―自己規制のツールとして使ってほしいんです。しかし、多くのコーチングは商業教育だから、そういう辛口のことは言わない。「あなたの強みを伸ばして活かして」と、「快」を与えるほうにばかり行っちゃう。いちどそういう教育を受けるとイデオロギー的に信じ込むので、その信念を崩すのに大変な時間と手間がかかる。教育が有害になることがある。コーチングや類似の心理学的手法にその弊害は大いにあります。


多賀:正田さんのしておられることをよく知らないで、いろいろ言って申しわけないですが、僕は、大いに進めていただきたいことだなあと思います。僕は、正田さんのめざすリーダー像と全く正反対の方にちくちくとやられてきましたから、ほんとに気持ちよくブログを読ませて頂いています。「承認コーチング」ということが、ますます鋭敏なものとして磨かれていかないと、その値打ちもはっきりしてきません。アドラーは、原因を探るよりも行動を変えていくものです。そこに人間関係というものが関わってきます。問題は、教育現場のリーダーにこういう発想を持たない人がかなりいるということです。僕は、中高の管理職の半分を女性にするだけで、大きく教育は変わっていくと本当に思っています。
それは、学校教育でも、全く同じことが言えます。塩味の効かないぜんざいは、あまくても美味しくないのです。「褒める」と「認める」の違いさえ、分からないで教育をしている先生がたくさんいます。


正田:ちょうどきのう英会話教室に中学の若い女の英語の先生が来ていて、同じことを言われていたんです。多くの先生が生徒や親に迎合し、叱っていない、あるべき指導をしていないと…その中学は兵庫県内のマンモス校で先生の多くが30歳前後、というので「ちょうどきのうこういうセミナーに行ってきました。こういう先生方がロールモデルになられていました。良かったですよ」と話したところだったんです。なんだかシンクロしますねえ…。


多賀:きちんとした叱り方のできないリーダーには、人生はあずけられません。そういうことだと、僕は思います。


(引用ここまで)

 …と、いうようなやりとりでございました。
 大変ジェントルマンの多賀先生、このかたが神戸の方でいらっしゃることはちょっと誇りでございます。


 また付記すると、ここでは「叱る」という行為を主にとりあげていますが、あくまで「承認」の次の段階としての「叱る」であり、これを読んだからといって読者の皆様がやたらめったら「叱る」人にならないよう、お願いいたします。経験上往々にして、「叱る」を話題にしたあとはそういう現象が起こります。


最後になりますが、この素晴らしいセミナーのとりまとめをしてくださった事務局の國野大樹先生、日々の教務のお忙しい中大変なご労力だったことと思います。改めてお礼申し上げます。


 読者の皆様、もしこの長文のブログを読まれましたら、是非ご感想をお寄せください。
 メールでもブログのコメントでもフェイスブックのコメントでも結構です。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

 日程が前後しますが2月8日、姫路の異業種交流会「金曜会」というところでお話をさせていただきました。


 お題は先週と同じ、「日本の企業をつながり力で動かす!」。

 ネタバレになるのを避けてこのブログでのご報告が遅れましたが・・・、


 「金曜会」はもう30年以上月例で続いているという、姫路でも由緒ある異業種交流会です。

 これまで講師を務めた先生が「いい会だなあ」と自分も入会してしまうことがあるというだけあって、司会者からの挨拶・会長挨拶・講師紹介と、大変格式高く進行し、約30名の地域の経営者さんが素晴らしくいい雰囲気で聴いてくださいました。


 事務局を務められた濱口商店会長・濱口浩平さんには、資料印刷(なんと49枚のスライドを1p1枚で印刷してくださいました。半日ぐらいかかったそうです。その他講座のチラシの印刷なども甘えてしまいました)、記録作成・写真撮影など大変お世話になりました。
 

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 正田はしょっちゅう「早く死にたい」と口走る女ですが、いい方々とのいい記憶はしっかりとどめておきたいものです。


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 そしてきょう17日(日)は、また姫路に行って帰ってきたところです。

 
祈り



じばさんビルで上映された映画「祈り〜サムシンググレートとの対話」を鑑賞してまいりました。


 祈るという行為が健康状態やこころの状態に影響を与えるということ。ダイアナ妃が交通事故で亡くなったときには、世界中の人々の強い感情が地磁気にまで影響を与えたということ。


「外国人はいずれも、日本人のような広い視野を持っていない」

 とアメリカの女性科学ジャーナリスト。

「天災のときに協力し合う、助け合う、それができるのが日本人だ。欧米人は個人主義で自己の利益だけを考える」


「21世紀は日本の出番だ」

 この映画のメインの登場人物である村上和雄・筑波大名誉教授は語りました。

「『もったいない』『おかげさま』『ありがとう』

 いずれも外国語に翻訳できない言葉。自然への感謝を伝える言葉。

 日本を尊敬される国にする、そういう国家目標を立てて努力すればいい。そうすることが私の天命だと思う」


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 「祈り」は、例えば野暮ですが今、アファメーションという考え方があります。その中にも色々と考え方があるようですが、

 当協会の今年の方針

「日本人のためのリーダーシップ教育、アンチ自己愛、優秀さと幸福感、女性活用―2013年も願うこと」

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51842418.html 

では、「する」という決意の言葉ではなく、「願う」「念願する」という言葉を使って言っています。

 無意識ですが、アファメーション的なものを意図していたと思います。


 なお正田は宗教的にはかなりごちゃごちゃな多神教人間で、若いころの一時期はチベット仏教にもご縁がありましたし(ご興味のある方は「なぜオフィスシェルパなのか」の記事をご参照ください)、結婚式は神戸のプロテスタントの教会で挙げ、そのために礼拝にも通いましたし子どもたちも一時期日曜学校に行っていました。また昔から神社仏閣は大好きでしたし今は姫路師友会等で儒教のお勉強をする一方、趣味のコーラスではバッハなど宗教曲ばかり歌うグループに入りラテン語の祈りの言葉をのべつ歌い、カソリックの栄光教会でチャペルコンサートをする、というしだいです。

 なので基本的に宗教ずきな体質なのですが八方美人です。うちのNPOのやってる「承認教」もみる人がみると結構宗教くさいと思います。

 上記の村上和雄氏は、高血圧をもたらす物質を発見するという科学史上目覚ましい業績を挙げた人であります。一方Wikipediaによれば某宗教の信者であり、「サムシング・グレート」というのもその宗教のある概念について言っているそうです。


 こういうグレーゾーンなものが多くなった。そういうことを押さえたうえでものを書かないと。でも全然書かないのもどっか違うような。


 あと宗教ずき体質ではあっても、エビデンスのないものは基本的に信じない性格です。それは、恣意的に受講生さんを引っ張り回すのはしたくない、と思う気持ちが強いからで。


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 また時間が前後しますが14日(木)は大阪商工会議所の「インバスケット研修」に行っていました。

 多くの大企業が管理職登用試験に使っているというもの。

 きょう自己採点(甘めに)してみたところ、65点でした。1時間にわたり、大体1分に1個強の判断をしていたことになります。(手書き回答という制約がなければもう少し多かったのではないかと思います。言い訳)あと優先順位上位3つの案件は、3つの中の順位はちがったものの内容は模範解答と一緒でした。

 さあ、管理職に登用してもらえるかしらん。

 この成績が良いのか悪いのかはべつにして、一般に女性とくに主婦経験者のほうがこういうこまごました決断は得意なのではないかと思います。やっぱり家事・育児で雑多なことを同時並行でやりますからね。

 問題は大きな戦略のところの決断です。やっぱり、「戦略ずき」は男性に共通にみられる傾向みたいです。


 でも「人・組織」を見落とすと戦略どころではないんだよー、ふっふっふ。


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 先日このブログでご紹介した、城ヶ崎滋雄先生とのステキな企画が進行中です。でもないしょ。



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 1日、千葉県内の公立小学校で、3年生の城ヶ崎滋雄先生のクラスを見学させていただきました。

 フェイスブックのお友達のMさん(後述)の授業レポートがご縁で先生に連絡をとらせていただき、見学が実現したもの。


 朝練習から4時間目まで。自分が全部で何を見たのか、今ひとつ確信を持てないでいます。しかし記録しないわけにはいかないでしょう。中には正確でない記録もあるかもしれません、ご容赦ください。


1)リレー練習

 朝、8時過ぎに校庭に行くと、そこには縄跳び、ボール遊び、鉄棒、と思い思いに元気に遊ぶ児童たちの姿。その中にジャージ姿の先生が1人。私を見つけて気さくに声をかけてくださった、それが城ヶ崎先生でした。


 先生のクラスは縄跳びをしていました。子どもたちの間を歩き回り、声をかけ、時にはだれかの腕に手を添えてフォームを直していた城ヶ崎先生は、やがて子どもたちを呼び集めました。恒例のリレー練習の時間です。


 子どもたちは班に分かれ、バトンを持って走り始めます。中には足の遅い子もいて、「あーあ、びりだ」とささやきあう子も。その子からバトンを受け取った子が猛ダッシュで走り始めます。


 このリレー練習は運動会の前だけでなく通年でやっているそう。「練習というより、遊びですから」と城ヶ崎先生。そして班ごとに記録を教室に掲示しています。

 見ている私に、1人の女の子が「どこから来たんですか」ときいてきます。

「神戸から」
「えーっ、私のうちも前神戸に住んでたんです」
「あらそう。遠くから来たんだねえ」

 嬉しそうに小さくぴょんぴょんその場ではねる女の子。子どもたちの方からコンタクトをとりに来てくれて私も嬉しくなりました。


 リレー練習が終わると、教室に戻る時間。城ヶ崎先生に引率されて子どもたちは校門の前へ。

 校門前にいる「緑のおじさん、おばさん」こと「スクールガード」の方々に、子どもたちははっきりした声で「ありがとうございます」と頭を下げます。

「ちゃんと立ち止まって言おうな」と城ヶ崎先生。


2)朝の会

 この日は月初めだったので、朝の時間、保健の先生から「手洗い、咳エチケット」などについての校内放送がありました。

「・・・しっかり手洗いしてください」

 そういう放送の先生の声に、「はい」とお返事する児童がぽつぽつ。今どきのお子さんもこうして放送の向こうの姿のみえない先生を人としてとらえて反応してるんだ。こういうのって普通なのかな。


 放送のあとはいくつかゲーム的なものがありました。「論語カルタ」なのかな?論語のフレーズを書いたカードを朗読に合わせてとり合うゲーム。子どもたちの近況を伝える短いフレーズの好きなものを読み上げ、それを書いた子どもの名前を入れて「〇〇うけとりー」と返事するゲーム。いずれも早さを競い集中力を要します。

 「うけとり」が一番多かった子どもさん2人が、その近況をみんなの前で話します。どこかに行って模試を受けたこと。友達の家と一緒にファミレスに行って美味しかったこと。それに対して質問は?と、みんなが競って手を挙げます。1人の話に対して2人から質問をもらい答えてもらったあと、話した子どもに「今のうち一番訊いてほしかった質問はどれだった?」と尋ねます。

「どっちでもない」
「では、一番訊いてほしかった質問は?」
「うーんと、『どの問題が一番難しかったですか』です」

 あー、やっぱりね、とうなずきあう子どもたち。これも集中力、聴く力、問いを考える力を育てることでしょう。

 最後に健康確認。出席番号1番の子から、名前を呼ばれ、
「はい元気です!」
と答え、次の番号の子の名前を呼んで座ります。その「はい元気です!」を1人1人について聴いて先生は、
「よし!」
「素晴らしい!」
などと声をかけます。最後の1人までが座ると、先生は
「今、素晴らしいって言われた人!」
一部の子どもたちの手が上がります。
「じゃあ、素晴らしいかよしかどっちか言われた人!」
大多数の手が上がります。

 そんなふうに子どもたちが常に先生の話を聴くよう、そして反応し手を挙げるよう働きかけているわけですが、これらが非常に速いテンポで、ぱっぱっと場面転換して朝の会のあいだに行われます。

 最後にみんなで「今月の歌」を歌ってくれました。普通の公立小学校3年生のクラスでは信じられないほど、力強いしっかりした発声で、高音部の伸びもよく、児童合唱団のような清らかな歌声でした。慌てて録音しましたがその圧倒的な歌声をこの文章で再現するのはちょっと難しいでしょう。とにかく何事もまっすぐに事の本質をつかんだように努力する子どもたちなのでした。


3)1時間目:国語の時間

 
 冒頭、プリントの論語のフレーズを全部暗誦できるお友達がいるということで、その子に暗誦してもらいました。みんなで拍手。

 
 この時間のテーマは「野口雨情」。先生が音楽を流しました。

「からす なぜなくの からすはやまに・・・」

 有名なからすの歌、(題は当初伏せられていましたが「七つの子」です)

 ここに出てくる「七つの子」。この「七つ」とは、年齢の七つかそれとも子どもの数か?子どもたちに討論させます。

 子どもの数派、やや優勢。なかなか意見を決められない子には、
「最初に自分の結論をエイヤッて決めちゃうんだよ。理由はあとから考えるんだよ」
と先生。

 「挿絵で、カラスの赤ちゃんが七羽、巣の中にいるのをみました」
とある女の子。

 「そう、でもその挿絵を描いた人は、野口雨情さんじゃないんです。だから野口さんの気持ちその通りではない可能性があるんだ」と先生。

 しばしの討論のあと先生からネタばらし。カラスの習性からすると、年齢、子どもの数、どちらも正しくない。ここは比喩なのだ。「七つの子」とはかわいい人間の子のことなのだ。


 続いて「しゃぼん玉」でも「これは楽しい歌か悲しい歌か?」と討論させ・・・、

 最後に先生から、「これもたとえ。どちらの曲も、人間の子についての比喩」。

 最後の答えは先生から出るわけですが、子どもたちは失敗を恐れずはいはいと手を挙げ、発言し、クラス全体が動いています。

 このとき私と一緒に見ていた教育同人社のYさん曰く、

「発言して詰まった子をみんなが見つめ、言葉を補ってあげようとしたりしますね。友達をみんなが応援しようとする雰囲気がある」



4)2時間目:英語―褒め褒めタイム


 前半は教室を移動して「ミーツザワールド」の教室に行きました。そこでネイティブのフィリピン人の女の先生が、ほぼオール英語で話しかけ、教え、指示します。

 ここでも元気に物おじせず声を出す子どもたち。


 やや変則で教室に戻り、今日のクライマックス。2時間目の後半はふだん「帰りの会」でする「褒め褒めタイム」になりました。

 きょうの日直、「そらくん」と「ミヨちゃん」に、みんなで褒め言葉のシャワーをかけます。

「そらくんは、足が速くて字もきれいで見習いたいなあと思いました」
「そらくんは、時々騒いで先生におこられるときもあるけど、ぼくに勉強を教えてくれるときもあるすばらしい人です」
「ミヨちゃんは、前期より後期のほうが『はい元気です』の声が大きくなりました」
「ミヨちゃんは、前期より後期のほうが給食を残さず早く食べられるようになりました」

 褒められる日直の子は、褒めてくれる友達の前に自分から行って立ち、友達の言葉をききます。その顔のなんと輝いていること。信頼にみちていること。

 
 私がこの見学をお願いするきっかけになったフェイスブックの友達で教師向けメルマガを発行する「Mさん」のレポートにこれがありました。Mさんの筆力の10分の1程度しかこの場に流れる空気をご紹介できないのがもどかしいですが・・・、


 今話題になっている「体罰」「いじめ」などの問題解決の一番根源的なところは、ここなのでしょう。「人をリスペクトする」ということ。能力の高い子でもそれほどでもない子でもその子の努力の跡、向上の跡をみる。それが人としての高貴さであるということ。能力の優劣があるのはかけっこをしても一目瞭然なのです。しかしひたむきな努力こそが貴いのだ、という価値観を植えつけられた子たちはその後の人生でもたゆまず努力を続けます。

 いや、こんな文章でも結局何故それが大事なことなのかを言い尽くせないのでした。

 
 城ヶ崎先生に今回の見学をお願いするに当たり、私は事前に

「日本人の資質的弱さがグローバル化時代に対応できないことを日頃憂えている。解決策としては褒めることを含めた承認による人格強化だと思っている。大人になってからでは遅い、子どものうちからそういう教育をすべきだ。先生のおやりになっていることは日本の将来がかかっているのではないかと思う」

 と生意気なことをメッセージに書いて送りました。城ヶ崎先生は

「日本の将来なんて、ただの普通のクラスです」

と謙遜されていましたが・・・、どうして間違いなく「人格強化」になっている、と感じるとともに、「褒める」ことを取り入れてはいても、一方で先生はあの手この手と高い負荷を子どもたちにかけておられ、それらが車の両輪として作用していることもかいまみさせていただいたように思います。


 友達に褒めてもらうのが終わり、褒められた日直さん2人が感想を述べました。

「給食を食べるのが早くなったと言ってもらったけど、自分ではそんなに早くないと思っていたけれど、そう見てもらえてうれしかった」

と、ミヨちゃん。

「自分ではわからないいいところが人には良くみえているということがあるよね。ミヨちゃんは連絡帳によく給食のことを書いているけれど、どうやったら早く食べられるかいつも考えているんだよね」(城ヶ崎先生)


「はい」ミヨちゃん、またにっこり。


5)3時間目:体育の時間


 3時間目は体育館で、縄跳びとボールの種目。

 子どもたちが用具室からペットボトルをゴムひもでつないだものを持ってきて、それを床に置くと小さなネットのようです。それを思い思いの場所に置いたことで小さなコートの出来上がりです。

「子どもたちが自分でコートの大きさを決めるんですよ。今体罰が問題になっていますけれど、小学校の体育はぼくは遊びでいいと思っていますから。自分で考えてコートがどれくらいの大きさがいいか決めればいいんです」

「指導に笛を使わないでしょう?ぼくが言葉で言っただけでみんなさっと動くでしょう?ゲーム終了のときだけは笛を使いますけれど、みんな熱中して気がつかないから。笛を使うのは、調教のようでぼくはいやなんです」


 元・体育の先生で陸上が専門だったという城ヶ崎先生は言われます。


 体育が終わり、みんなが教室に引き上げたあと、先ほど「褒め褒めタイム」で褒められていた日直の「そらくん」が、何か不具合があったのか1人残って座り込んで縄跳びを結んでいました。結び終わると、そらくんは重い体育館の引き戸を力を込めて閉め、見ていた私に「ついてきてください」と声をかけると、ぴょんぴょんした足取りで教室に戻っていきました。末恐ろし3年生。


 
6)4時間目:算数


 算数の時間は、クラスの半数がほかの教室へ移動し、残った半数を城ヶ崎先生が教えていました。今日のテーマは「少数」。

 モニターに映したPCソフトが次々問題を映し出します。子どもたちがPCの前に列を作り、1人1人PC操作して新しい問題を映し、数字を出すと正解が表示されます。「やったあ」と子どもたちは次々席に戻ります。

 また教科書の問題を解きおわると、1人1人席を立って先生のところに行ってチェックしてもらいます。

 非常に子どもたちが席を立ったり歩いたりが多い進行。これは発達障害などで長く座っていられないお子さんでも集中力がとぎれないための工夫のようです。ということを、泥縄ですが城ヶ崎先生の著書『クラスがみるみる落ち着く 教師のすごい指導法!』(学陽書房、2012年7月)で読みました。


 ・・・


 新幹線の都合で4時間目までで見学を終わりました。このあと給食の時間、帰りの会とまだまだ見どころは満載だったんだろうな。


 非常に沢山の手法が入り、子どもたちが飽きないようにワンパターンにならない、絶えず新しい手法を模索してきておられるだろう城ヶ崎先生の授業風景。

 しかし「褒める」「聴く」「問いかける」などコミュニケーション重視の姿勢は随所にみられました。

 子どもたちの発言をすくいとり、小さな変化に目を留めて褒め・・・、これを毎日1日中続けるのは大変な体力の要ることだろうなあ。城ヶ崎先生、毎日ジムで泳いでいらっしゃるようです。

 
 こうしてあの手この手で子どもたちの頑張る姿勢をつくる城ヶ崎先生。残念ながら、以前にもご紹介した先生方の「相互に学ばない気風」のため、周囲の先生方が必ずしも追随してくれるとはいえず、こうした指導法のもとで育った子どもたちが次の学年ではまったく違う、そこまでの研鑽を積んでいない先生に持たれることは大いにあり得ます。ただ良い先生に一度持ってもらった経験というのは生涯にわたり何らかの形で生きる、と信じたいですが。

 
 城ヶ崎先生、貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました!またご縁のきっかけをつくってくださったMさんにも感謝です。

 
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 このブログの少し長い読者の方は、この記事を憶えていらっしゃるでしょうか。

 「『リーダーの自己鍛錬は教育者を目指すこと』―伊丹敬之氏講演』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51792856.html 


 教育者から学ぶというのは、単に部下の育て方、人材育成という観点だけからではない。教室の40人をつねに動かし続ける、すなわち「人を動かす」という経営の根源の営みにおいて教育者はモデルになり得るのだ、ということを昨年3月、伊丹氏は言いました。

 良い先生のあり方は、そのまま良いリーダーを目指す人のモデルになります。

 とりわけ今この時期、「スポ根」「精神主義」「体罰」「しごき」などの手法からすみやかに脱却していかなければならないとき、それに代わって強力に目的に向かって動く人を育てる、何事もベストを尽くして頑張る人格をつくる作業には、新しい良いモデルが欠かせない。


 昨年は上記の伊丹氏講演をきっかけに、当ブログでも「教育者インタビュー」のシリーズや5月のよのなかカフェ「子どもたちが危ない!」で、兵庫県内の優れた先生方に登場していただきました。



http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51802360.htmlhttp://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51802377.html 
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51803263.html
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51804206.html


 その大半、4人のうち3人は小学校の先生であり、残りは塾の先生でありました。前述のMさんによると、小学校の先生方は教職課程でも非常にたくさんの学問分野を履修して先生になられるのに、中学・高校の教諭は例えば理科の先生なら理科の専攻にプラス毛の生えたような教養をつけただけで先生になれるのだそうで、レベルが全然違うのだそうな。そういえば私の個人的感触でも立派な先生は小学校で出会った頻度が高く、一方高校はともかく中学の先生は(例外はあったものの)なんだかレベルが下がり、小学校の優れた先生が子どもの良いところを伸ばしてくださったのに中学に行って潰されたこともある、などはどうやらちゃんと理由があるらしいのです。

 だから、「教育者から学べ」というとき、お手本にする良い教育者は小学校の先生から探すのが正しいのかもしれないのです。


 城ヶ崎先生には、是非また「教育者インタビュー」でも登場していただきましょう。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

17日、大阪商工会議所にてHONDA(本田技研工業株式会社)前社長で現取締役相談役の福井威夫氏の講演「夢を追い、世界で競う」を聴きました。


 今年は3月に経営学者・伊丹敬之氏による本田宗一郎に関する講演を聴き、その後評伝を読むなどわりと宗一郎づいています。


 既にきいた話読んだ話との重複も多かったですがいくつか印象的なお話がありましたのでご紹介します。


・ASIMO(アシモ)は最初から二足歩行にこだわった。2000年?の紅白に出場したときは直前に声がかかり、SMAPと共演した。SMAPが踊ったりするとステージが揺れる、そういう環境では開発していなかったのでステージにはりつき、当日ソフトを手直しした。倒れそうになったらフリーズさせることも考えたが幸い倒れずほっとした。


・ASIMOは家庭ロボットを目指す。1台あれば家事、介護、防犯、子守、をやってくれる。自動車以上の産業になると我々は見込んでいる。(そういうこと言っちゃうんだ) 
(HONDAは自動車会社ではない、Mobilityの会社だ、とも)


・本田宗一郎は創業期から世界を目指した。しかしベースは日本文化にあった。創業期、奥さんと京都にきたら2時間も仏像をみて動かなかった。そのあとで出来たデザインは堅牢で”神社仏閣”とわれわれは呼んだ。


・われわれとトヨタさんとの大きな違いは二輪車をもっていること。海外進出するときは最初に二輪車で事業展開する。自動車よりリスクが小さい。イスラム社会など、文化や制度のわからないところを二輪車で勉強し、かつブランドイメージを浸透させたあと自動車で出ていく。他に二輪車をもっている自動車メーカーにはBMWがあり、構造が似ているとして注目している。


・研究開発には宗一郎の考え方が色濃く残っている。
「99%失敗して当たり前」
「世の中の定説や学者の理論はあてにするな」
政府への反発があり、「政府の世話には一切なるな」


・宗一郎は66歳で引退、最高顧問になった。会長にはならなかった。以後HONDAでは会長をつくったときもあるしつくらなかったときもあるが、つねに社長がトップ、会長はいつもその下。意思決定がシンプル。歴代の経営者にお伺いを立てるということはない。


・MM精神。”Man Maximun, Mecha Minimum” 「技術が先行しちゃいかん、機械より人間尊重」


・失敗続き。研究所には20年、30年、40年成功しないまま研究を続けている人がゴロゴロいる。エアバッグは16年間失敗続き。カーナビは14年間失敗の連続。航空事業は40年間うだつが上がらなかった。ロボットは26年間基礎研究をやっていた。1960年に研究所と本社を分離したのは、研究所と本社の価値観の違いが大きい。本社はお客様に直接接するから、失敗の許されない世界。



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 うん、やっぱり面白かったのだ、この講演。

 宗一郎はある種のリーダーの典型だと思う。

 『採用基準』(伊賀泰代、ダイヤモンド社、2012年11月)に日本人の「リーダー」に対する態度についておもしろい指摘があった。


 
多くの日本人は、坂本龍馬や織田信長、『坂の上の雲』の秋山兄弟など歴史上のリーダーや、外国のリーダーであるオバマ大統領やスティーブ・ジョブズ氏が大好きです。すでにかなり高齢の場合、もしくはすでに歴史となった人であれば、日本人の名経営者に関しても多くの称賛の声を聞くことができます。しかし現在進行形で存在する強いリーダーに関しては、「独裁者」、「ワンマン」など否定的に評価する声が絶えません。

 伝記では偉業が称えられるリーダーでも、その人の身近で働いた人にとっては、「極めて独善的な人だった」という場合もよくあります。だからこそ、時代的・空間的に自分から離れた場所にいるリーダーは尊敬も称賛もできるけれど、自分と同じ場所・時代に生きているリーダーは必ずしも好ましい存在ではない、という現象が起こるのです。(pp.107-108)



 強力なリーダーは、一緒に働いて必ずしも楽しい存在ではない。

 うんうん。真理だ。



 いや、リーダーの当事者の方々は、だからといって独善で居直っちゃいけませんよ。

 あと「昔のリーダーずき」「歴史小説ずき」で、とくに龍馬をやたら理想化して、かつ今の政治家等に対してはやたら辛辣な、メディアをふくめたおじさん連中の態度。

 当協会の承認でいう「目の前の人へのリスペクト」は、当事者への揚げ足取り的批判に対する「じゃあお前出来んのかよ」という反駁もふくんでいる。


 おじさんではないが田中真紀子が「自爆テロ解散」とか「周囲の話もあまり聴かず…」とか言っていたのは、笑止だった。

 私は個人的に野田さんいつか復活しないかなあと思うほうです。「決められない政治」は、かれの責任ではなかったはずです。


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 「学者の理論をあてにするな」

 この言葉と出会ったタイミングを考える。当NPOの歩みを考えると、学者を当てにした時期もあったし、そうでない時期もあった。

 昨年の今頃だと、教育分野のある文献の評価をめぐって私はカンカンに怒ってブログに書きまくっていた。

 「行動主義」(注:「行動主義」と、当協会でつかっている「行動理論」は微妙に違うものなので気をつけてください)「外的動機づけ」を批判したその文献の中にあるひとつの表現、


 「人間を動物と一緒にするのは、人間に失礼ではないか」

を軽はずみにも真似したべつの学者のことも、返す刀で怒りまくった。


 人間は動物の一種である。人間の脳の活動を今も多くの研究者が動物実験を通じて明らかにしようとしている。かつなによりも、製薬企業の中の無数の研究者が今も動物実験を通じて新薬を創造したり有効性や副作用を検証しているのであり、われわれも当然そうした努力の恩恵を受けて生きているのだ。


 でもそれぐらい、学者というのは自分の専門分野を一歩外れるとおかしなことを言ってしまう生き物だ。


 最近のトピックでいうと、遺伝子学というのは基本的に、妊婦さんや若いお父さんお母さん、その予備軍の方々を脅かしてご商売をする学問だ、というのがわかった。


 たとえ科学的事実であっても、たとえば特定の状況での異常の発現頻度のようなデータを伝えるのは当事者の方々への手厚い配慮をもってするべきであろう。

 私も3回も妊婦をやった人間だから、当事者のほとんどは真面目で、こうした情報のひとつひとつを必要以上に深刻に受け取ることがあるのを知っているつもりである。



 当協会は、もともとそうした仕事をすることを理念にしているわけではないので、最近の遺伝子学者へのインタビューは掲載をとりやめることにしました。楽しみにしていてくださった皆さん、ごめんなさい。

 インタビュー中に断片的に得られた情報は、とりわけ「日本人とはどういう人種なのか」に関する比較的罪のない情報は、当方で独自に検証したうえで使っていくことになるでしょう。


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 例えば組織をストレスフリー(完全に、というのはあり得ないが)にする取り組みとして、私たちは
「リーダー層を皮切りに、最終的には一般職も巻き込んだ、他者をリスペクトするコミュニケーショントレーニング」
を提唱する。きっちりやれば、それは極めて効果的である。
 ―もちろんストレスレベルを低下させるなどはむしろ些末な副次的効果で、主目的は優秀な人々をつくり、生産性の高い組織をつくることである―


 片や、遺伝子学者や寄生虫学者や精神医学者は近年、DHAや食物繊維といった、食べ物による改善を主張する。それは彼らが論文化しやすいのがそういうものだからだ。実験計画が立てやすいからだ。会社組織に対して教育研修計画をもちかけ同意してもらい実験するなど、かれらの手には余るのだ。
(恐らく動物実験をモデルにするということもできない種類の実験だ)


 「人は、独りで生きている存在ではない」
 これも当たり前すぎるほど当たり前なのだが、社会人の中では特殊な仕事の仕方をする、というかあまり社会人の端くれとは呼べない学者たちが見過ごしやすいことを、声を大にして言いたい。


 私たちのしていることはフロンティアだ。そのことに必要以上に不安を感じるべきではない。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 7月31日、兵庫工業会・池田辰雄会長の講演を聴きました。


 同会長について、恥ずかしながら「神鋼出身の人」という認識しかなかったわたしですが、日本高周波鋼業株式会社の社長も務められ、関学で経営学の教鞭をとられているという知識の厚みとともに、社長経験者ならではの大きな決断の軌跡もしのばれました。


 その非常に興味ぶかいご講演内容を駆け足で―。


 「企業の多面性」として、
 ゝ蚕冓儡溝
 ⊂霾鹵濱兮
 資金結合体
 づ治体
 セ餮伺枴体
 κ配機構体

 と定義します。

 
 また「実物経済と金融経済」の関係では、

 現在から今後(2013年〜2033年?)は、「第III段階」であるとします。サブプライムローン問題がはじけ、金融バブルの後始末に奔走していた第II段階から、こんどは「実物経済が拡大して、金融と実物のバランス回復」する段階なのだと。

 すると第2次産業、今からですね。


 日本企業の強みとしては、「インテグラル型(すりあわせ型)」すなわち、自動車のサスペンションやボディやエンジンをが、それぞれ走行安定性や乗り心地、燃費と複雑にかかわるように、自動車メーカーと部品メーカーが綿密にすり合わせをしながら作る。部品メーカーと鋼材メーカーもそう。こうした仕組みがブラックボックスのように自分の技術を防護するのであり、日本が大事にしたいもの。韓国はここが下手で、「モジュラー型(独立性の高いものを組み合わせる)」が得意。


 そして、「見えない競争力」という概念をつかいます。

 目に見える競争とは、差異化、セグメンテーション。これに市場がついてくる。株主はここをみる。

 しかし目に見えない競争とは、マネジメント・パワーであり、マン・パワー。組織能力(ケイパビリティ)を問われる。いい組織をつくろうと思ったらここを強化しないといけない。

 経営革新のターゲットとは、この部分である。

 事象・実情・真情。目に見える事象(結果)は氷山の一角で、その奥に巨大なプロセス系=業務系がある。そこには、見方・考え方(思考性、態度、行動パターン、リーダーシップ・スタイル、意思決定の仕方など)がある。一番奥にある「真情」とは、人のこころの問題。


 そして、提言として

「自走する前線」をもちなさいと。

 「前線をもっと使ってほしい。提案を経営に反映する。前線に対してよく説明する」

 「日本の場合は、経営者が一番ダメ、訓練を受けていない」(池田会長)


「日本人の得意」はだいぶ変化した、と池田会長。

 「現場力」(職場のチームワーク、提案力、協調性)は以前より低下。

 「高品質志向」は、依然強い。

 「都市インフラの信頼性」これも以前より低下。

 「食の安全性」と「クールジャパン」は健在。


一方、「日本人の不得意」とは。

 「戦略性」

 「概念構成力」(ものをつっこんで考えない、すぐハウツーに走っちゃう)

 「豊かなビジネス発想」

 「異端に対する包容力」

 「リスクをとる逞しさ」


そして、「グローバル人になるためには、何が必要か」。

○ 「得意」の維持向上

○異なる価値観の吸収(海外体験)

○グローバルな家庭教育やグローバル情報の獲得

○敗者復活の価値観強化(敗者や異質を叩く風土を排除)


おわりに

★経験や固有技術という船 + 時代の風に順応する操舵

★モノづくりは大切だが・・・
 ・製造業⇒サービス業化(モノづくり + 価値創造 + 商社的機能)
 ・得意技術や固有価値が本質(内製には拘らない)

★日本(企業)の優位性は人材(人財)にしかない


 
やや、正田の「人」分野に関わりのあるところに偏って抜き出した講演抜粋となりました。

大きな視野で自分の分野の意味づけを知ることは何度でも必要なことであります。

池田会長、またご講演を主催しお誘いくださった兵庫工業会の皆様、どうもありがとうございました。


神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 続いて3月27日は、(株)ラーンウェル代表取締役で研修講師にして、東大大学院にて企業内教育を研究する関根雅泰(まさひろ)さんが主催された、

『新人教育をアカデミックに語ろう!会〜「組織社会化」の知見と最新の「OJT調査」結果を基に〜』

という勉強会に参加しました。


 目下各企業で新入社員研修を受けているであろう新人さんたち。その人たちが組織に「なじむ/適応する」ことを、アカデミックには「組織社会化」とよぶのだそうです。


 さて、その「組織社会化」、どのような諸相があるのでしょうか。

 関根さんからいただいたご案内のメールから引用させていただくと:


例えば、先行研究では、以下のようなことが明らかになっています。

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●導入研修

・新人が公式な導入研修を「役立つ」ものと受け止めると、
 彼らの組織コミットメントが高まることが明らかになった。
 新人は効果的な研修を受けると、会社が自分たちに投資し、
 自分たちをケアしてくれていると感じる。(Tannenbaum et al. 1991)

・新人が十分な量の研修があると受け止めると、それは研修の有用性に
 つながり、この量と有用性は仕事上の結果(職務満足、コミットメント、
 離職意思、職務パフォーマンス)にも関連していたことが明らかにされている。
 実際の研修時間よりも、新人の主観的な受け止め方(本人にとって
 十分な研修量)の方が重要であった。(Saks 1996)

●配属後

・入社後最初の幻滅経験と仮定された不本意な配属は、その時点では
 幻滅経験となりえても、入社1年半後の適応状態には影響を及ぼさなかった。
 入社1 年半後の適応感には、上司のかかわりが大きく影響を及ぼしていた。
 (大庭・藤原2008)

・入社8 カ月間に人間関係面と職務面において、幻滅を経験した新入社員が多く、
 先輩社員に対するイメージの悪化と、職務上の幻滅に関係があると推察される。
 幻滅への対応としては、上司との間の高い交換関係を成立させること、
 新入社員の期待を下げること、先輩社員にモデルとなってもらうこと、
 があげられる。(佐々木 1993)

●フォロー研修

・9 ヶ月目の新人の心理的苦痛は、オフサイト研修とビジネス旅行が無い場合、
 高まっていた。オフサイト研修やビジネス旅行により、定期的に職場から
 離れさせることは、新人の心理的苦痛を和らげる。(Nelson & Quick 1991)

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こうした「呼び水」の知識だけでも、大いにそそられるではありませんか。


勉強会では、

・組織社会化の定義
・組織側の施策【教育】
・上司の影響力
・先輩の支援
・新人の活動
・新人による影響

を順に取り上げ、さまざまな知見の紹介がありました。

9時半から12時まで、2時間半の間に非常に多くの知識群をめまぐるしく追った勉強会でしたが、つめこみ感がなかったのは、集まった人々が人材育成担当者、研修講師などかなりの予備知識のある人々で、かつ合間合間に感想や知識経験のシェアの時間があり、インプットとアウトプットのバランスがとれていたからでしょうか。


余談。
正田の研修は「技能講習」みたいなものなので、こんなに沢山の知識を一度にご紹介するということはありません、残念ながら。

その代り、言い訳めきますがご興味のある方は過去のブログをざっと読んでいただければ、こういったもろもろの知見を下敷きにこの研修コンテンツはつくられているのだ、と理解していただけることと思います。



閑話休題、
この席上、参加者の注目を集めたのは新人研修の中の「厳しい研修」が組織社会化に有効、というくだり。「T」という食品メーカーの「厳しい研修」が神戸大の先生の研究として紹介された。社長が研修に強くコミットし、全社でそれを見守るムードがあるという。(ネットでみるとかなり「体育会系」で残業の多い会社のようだ。女性も多いが仕事と家庭との両立が難しく定着率は良くないという。大学の先生が研究する題材としていいんだろうか・・・)


このほか心に残ったフレーズが多々あったのでシェアしたいと思います。


・(新人)研修が有効か否かは、そこで何が伝えられるかが重要であり、その一つとして、組織の全体像とともにキャリアパスのあり方を明示するということは、組織社会化の進展に一定の効果があると推測される。

・不況期には、(組織内発達支援の)関係を築こうとする努力を支援しないような状況がしばしば出現する。そのような時期こそ、仕事の保証や将来のキャリアへの不確実性から個人のストレスや不安が増大する。それらを解消する方法を見つけるうえで発達支援的関係は主要な支援源となりうる。その結果、効果的に仕事が続けられるのである。

・組織社会化において学習を進展させるには、やはり内部者との社会的相互作用のあり方が重要であるということが示唆された。
・まず一人前の成員へと成長を促すこと、そのためには個々の特性を尊重しながら有能な内部者によるOJTが、間接的ではあるが有効。


「OJT」がでてきたので私は大いにひっかかり、
というのは決してOJT反対じゃなくむしろ大いに賛成なのだけれど、
このところの
「OJTの時代は終わった、今からはOJE(オンザジョブエクスペリエンス)だ、経験からの学びだ」
という一部に流布する言説(詭弁)のせいでOJTがぞんざいな扱いを受け、どんなに迷惑しているか、ということをシェアの時間に東京の方々のまえで力説してしまったのでした。この日集まったご同席の方々はそんな詭弁を信じない良識ある人達だったので幸いでした。神戸の企業の人はよく東京のコンサル会社にだまされてるよ。


・能力の自己評価に強い影響をもたらしているのが、最初の3年間における「適職感覚経験」である。仕事が自分に向いているといった経験を持つ人は、そうでない人に比べてあらゆる面で能力の自己評価が有意に高くなっている。
・仕事が自分に向いているという経験は、職業能力に対する自己評価を高めると同時に、就業継続を促進し、さらに稼得水準も向上させるという効果をもたらしている。そんな適職感覚経験は、個別に相談する体制が整っている職場に「必死になって」働き続けることを通じて獲得しやすくなっている。


・新人は若手先輩を上司と同レベルに重要な情報源としてとらえているが上司はその有用性を過小評価している。

・新人にとって入手しやすく、役に立った組織社会化支援は「同僚、上司、先輩との交流」であった。
・多くの組織が、社会化支援手段としての同僚、先輩を有効活用できていない。


ある同席の方はシェアの時間に、
「先輩の影響って大きいんですね。『この会社って保守的だからぁ』なんて、先輩が言ったら新人は信じちゃいますよね。私も気をつけなければ、と思いました」。


・<伝統的な一人の上位者によるメンタリングというよりも>組織内の複数の他者から「心理社会的支援」「キャリア支援」を受けている新人は職務満足が高い。

・松尾は「初心⇒見習⇒一人前」に熟達していくプロセスとそれを促す他者の役割に着目する研究として「OJTの実践知」を明らかにする調査を行った。その結果「教え上手なOJT担当者はフィードバックと自律支援」を基本とし「ほめなさすぎ、考えさせ過ぎ、無理させすぎ」が教え下手なOJT担当者の特徴であることを明らかにした。


このあたりで関根さん曰く

「私の考え方で、『OJTとは出会い』。計画者(人事担当者など)はデザインとして考える。しかし人と人、人とコトとの出会いに左右される。デザインだけではだめ、偶然だけでもだめ、両方」

「1対N型のOJT」(チーム指導)の重要性

・関根は(略)指導員が周囲の協力を得ながらOJTを進めることと、新入社員と親しく会話することが、新入社員の「能力向上」につながる効果があることを明らかにした。


・オープンな若手と内にこもる若手。
・オープンな若手は「開く行動」をとっている。積極的に他者に働きかけ、分からないことは遠慮なく訊く。こういう新人は成長感が高い。内にこもる若手は自分のことだけやる。何に困っているかわからない。与えられた役割をこなす。


・「上司」から情報を得られれば得られるほど、新人の職務満足は高まる。
・「上司」と「同僚」がはたす役割の大きさから、新人だけでなく、彼ら内部者に対して研修を行うことも効果的である。新人の社会化を促進できるよう内部者を訓練すると同時に、新人には観察と試行を通じた「社会的学習」の手法を使うよう促すような社会化プログラムの開発が求められる。


・離職を考えたプロセスの中で職場の上司や先輩との人間関係に問題が生じていた。周辺の人々に自分が理解されていない、あるいは周辺の人々が理解できないといった問題から、自らの存在意義を見失って離職を考えていることが多かった。
・組織や職務に対する具体的なイメージを持たない若年労働者に対しては、人間関係を通じたコミュニケーションで言語化された知識体系で理解させなければ、やがて離職行動を誘因するだろう。
[暗黙の理解を期待することはむずかしい。ちゃんと言葉で説明を]


・直属上司との交換関係を軸とした、入社後早い時期(初期3年間)での職務経験の質が、新入社員の管理能力の形成にとって決定的に重要であり、出身大学や本人の潜在能力はさしたる影響力を持たないことを意味する。
・13年目のキャリア結果と高い相関を有する予測変数は「垂直的交換」「昇進可能性」「職務遂行」の3つであった。すなわち、入社3年間の仕事をめぐる上司との対人関係、その間に確立した仕事上の実績が、入社13年目で測られた様々な組織内キャリア発達の結果(昇進、給与、ボーナス)に強く反映されているということである。



…新入社員たちが最初に出会う上司が、その子たちの13年後の昇進、給与、ボーナスを決めてしまうというのです。怖いですねえ。


さて、勉強会の途中で急に「承認」が話題となり、
関根さんから参加者の皆さんへ「承認の専門家、正田さん」として紹介されてしまった私でした。著書のタイトルまで正確に言っていただいて。
しかし人前に出る仕事のわりに本性は内気な私、胸を張るどころかむしろ小さく固まってしまったのでした・・・


「垂直的交換関係」、がんばれ上司の皆さん。



この日の勉強会、もう1つの特筆ものは、「関根ファミリー」、専務の奥様と3人のお子様方が総出で会場で受付、案内係をされ、ホワイトボードにはお子様の可愛らしい絵が描かれていたことでした。

にこやかに「青はここの席ですよ」と案内をしてくださっていたお子様方は、しかし関根パパが「おはようございます!」と気合の入った挨拶をされ、場内にぴりっとした空気が流れるとやがて泣き出してしまったのでした。


「パパのお仕事風景」を見せる目的は達されたのカナ?


手作りで素晴らしい上質の学びの場を提供してくださいました関根ファミリーの皆さん、そして東大大学院での学びを惜しげもなくシェアしてくださった関根さん、ありがとうございました。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 久しぶりにブログの更新を長く中断してしまいました。

 この間の期末期初、2人の娘の出発としばしの別れに関連してあくせくと過ごし、また感情の浮き沈みを経験しました。
 日頃母親として至らなかった贖罪の気持ちもこめて、その事柄が妙に重たく人生の一大事のように思えたものが、ひとしきりとことんその中に浸ってみると、今はさして大ごとではないように思え、あらためて支えてくださったお客様と会員様、スタッフ諸兄姉のありがたさを感じるようになったこの頃です。


 本年度もどうぞよろしくお願いいたします。



 さて、この間は興味深い学びの席に足を運んでいながら、ブログでの報告が遅くなっていました。
 タイミングを逸しいささか気が抜けた感がありますが、それとは関わりなく価値のある学びでした。順不同でご紹介していきたいと思います。
 

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 3月26日(月)、東京で開催された日経BP社セミナー「アジアで勝つグローバル人材マネジメントの秘訣」。


 冒頭に基調講演をされたのは野中郁次郎・一橋大学名誉教授でしたが、従来通り「フロネシス(賢慮)のリーダーシップ」論と知識創造経営のお話。
 お題が「アジアで勝つ」「グローバル人材マネジメント」だからといって、野中先生ブレません。


 野中名誉教授と「フロネシス」については、WEB上で沢山取り上げられていますが、当ブログ記事としてはこちらをご参照ください。

 「ヒューマンキャピタル2008 野中郁次郎氏講演」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51370837.html 


 「『我々の結論は、徒弟制だ』―野中郁次郎氏講演」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51613562.html


 実はその次のダイキン工業の中国法人、大金(中国)投資有限公司の人事総務本部勤務・王賓氏のお話が、私的にこの日一番のききものでありました。


 中国進出後、16年間成長を続けるダイキン。井上礼之会長は昨年の日経ビジネスのインタビューで、
「新興国でも人が基本を貫く」と語りました。ダイキンと心をともにする中国人幹部が多くいて、DNAを共有する幹部、社員が多くいることを大事にしてきた。ダイキン中国の歴史は人づくりの歴史だと。


 王氏はこの日の講演で、「今抱えている人材面の課題」を3つ挙げます。
1)優秀なワーカーをどう確保するか(深刻な労働力不足)
2)「80後」の新人類とどう向き合うか
3)理念を共有する幹部をどう育成するか

まず1)について。
中国も少子高齢化が進行し、深刻な労働力不足に陥っている。今後も長く続く現象である。その少ない若手労働力は、高学歴志向であり技能校生が不足。そして内陸部の発展により、出稼ぎ労働者も減っている。
このことが採用コスト増を招き、メーカーにとっては重大問題である。

ワーカー確保のためにダイキンが取り組んでいることは、技能校との連携。現地トップが自ら技能校を回って校長に依頼する。技能校にダイキンのクラスを作ってもらい、そこで学ぶのはイコール、ダイキンに就職したということ。ほとんど社員として学んでもらう。

また「定着」への取り組みもかかせない。今の人は単なるカネ稼ぎではなく自らの視野を広げたいという欲求があるので、日本へ派遣し大学、短大の資格をとってもらうコースを設ける。技能工へ昇格させ、優秀な人には先生になってもらい後進を指導してもらう。また現場監督者になってもらう。現在、大金では現場監督、課長、すべてが中国人であり、80年代以降生まれの人が主力になっている。


2)「80後」の新人類とどう向き合うか。
「ジェネレーションY」と呼ばれるこの世代の人の特徴として、
・人と同じ道を歩きたくない、我が強い。主語を「われわれ」ではなく「我(私)」という。
・月給3000元で6000元のiPhone4を買う。新し物ずき、消費意欲は旺盛
・生まれた時からネット時代、情報はたくさん手に入る
・他人に認められたい。叱られるとすぐ落ち込む
・お給料より職場の雰囲気が大事
・国有企業、公務員が人気。
・他人の庭の芝生が青い
・社会に対する責任感もある
・発展の空間を求めている。キャリアアップ志向、成長志向。

彼らの描くビジョンは、入社して3年でキーマン、5年で課長、10年で経営に参画したい。そういう自分の夢が実現できないと思ったらさっさと移ってしまう。ドライ。

上司の力量は、まさしくこの「世代間コンフリクト」への対応力が問われている。

どうこれを真摯に受け止め、こたえるか?

これについて王氏は、「発展の空間を与えること」といい、「複雑な人事制度をつくることではない。日々のマネジメントの中で与えるもの」ともいいます。

発展の空間を与えるには、事業を拡大し続けるしかない。

イベントの多い会社。盆踊り、決起大会、社員旅行…。イベントの中で役割を与え、運営の一切合財を社員自ら行わさせることでPDCAを回させ、人との連携の仕方を覚える。イベントによって人材育成をする。

一方で企業価値を浸透させるため、現地トップがことあるごとに言う。


3)理念を共有する幹部をどう育成するか

思い切った抜擢をする。27歳で課長、32歳で部長。高卒の地域総監、副総経理もいる。

集合研修の理念教育もする。大上段にいきなりこれが理念ですというわけではなく、皆さんに実体験を出し合い、ダイキンらしさとは何かを話し合ってもらう。
「挑戦」
「人の和」
「変革」
等々。
そうして、あ、これは上司が理念といわずに言っていたことだ、と腹落ちする。

”対話力”を高めるには、ダイキン流ディスカッション。


最後に王氏は「私の期待、迷いは」と話されました。非常に流暢で冒頭には「野中先生のあとにお話しさせていただくのは・・・」と、巧みな日本語で謙遜してみせた王氏ですが、
どっこい最終的には自分の言葉でしゃべります。

王氏曰く
「中国人を幹部にすると成果は創ってくれる。しかし権限移譲をすすめるには、まだまだ壁がある。部下育成、コンプライアンス、自分の島をつくり壁をつくる、etc.…
なので日本からの出向者が果たす役割が大きい。しかし日本からの出向者は私から見て頼りない。管理職経験のない人も多い。」


「われわれは中国でやってみる、修正する、の繰り返しです」
と語る王氏。

大変に貴重な、恐らく七転び八起きの試行錯誤の連続であったろう、道なき道を歩んできた人の言葉でした。




 このあと最後に「特別講演」で登壇したエーオンヒューイットジャパン(株)グローバルリーダーシップコンサルティングディレクターの塩尻出穂氏も、やはり
「ジェネレーションY」
への対応について話をされました。

アジア全域で「ジェネレーションY」への対応は問題となっている。
ASEAN各国での従業員の離職理由をアセスメントすると、インドネシア・マレーシア・シンガポールで、上の世代にはなかった回答として「上司との関係」が上がってくる。

グローバルリーダーシップといっても英語力のことではなく、

「フェアに人を扱ってるのかどうかを問われるんだろうなと思います」と塩尻氏。


そう、「グローバル」と名づければセミナーに人が来る時代(私自身もつい足を運んでしまう)だけれど、
やっぱり「あれ」が大事、という結論になるんですよねぇ。
何よ、「あれ」って。ほら、「あれ」です。



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 続いて行われた三枝匡(ただし)・ミスミグループCEOの講演もまた、ずしっと容量のある、聴きごたえのあるものでした。

 三枝氏は、ご存知『戦略プロフェッショナル』『V字回復の経営』等、企業改革をテーマとしたビジネス書の著者であり、自らコマツ、ミスミグループでそれを実践する経営者。ミスミでは就任4年で売上高を500億円→1000億円に。またリーマン・ショックで09年には落ち込みを経験しましたが、2年でV字回復をなしとげています。

 同氏講演の結論部分には、

「"Small is Beautiful" ―日本企業の『組織を軽くする』ことへの取り組みは、いま最も重要な『戦略』課題」


という言葉が出てきます。

「それが日本再生の手がかり。自分たちの事業を『手に負える大きさ』に分けること」


もうひとつ、

「エリートとは、自分の所属する組織に責任を感じる集団」


という言葉も心に残りました。この存在がいなくなった。自分の会社がいかにぐちゃぐちゃであろうとそれを変えるのはオレじゃない。個人の痛みにならない。


 ここだけを見てわかったような気になる(私のような)人もいることと思いますが、やはりそこへ行くプロセスにも多くの見どころがありますので、順を追ってご紹介させていただきます。


「日本企業がダメになったわけ」

これを、最近正田は組織・人材育成の側から説明したわけですが、三枝氏は同じことに戦略面から切り込み、大変説得力のあるものでした。また、大いに同感のところがありました。


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 歴史から説き起こすと、「日本企業の組織劣化は、80年代初めに始まる」と三枝氏は言います。戦後成長路線が天井に達し、余ったカネの投資先として多くの新規事業や外部投資を行った。そして多くの失敗や放ったらかしの山ができた。


 新日鐵が遊園地を作った。・・・っていうのは「スペースワールド」でしたっけ。


 そこで日本の「経営パワーの危機」が顕在化した、と三枝氏。

 リスクをいとわない人材。
 失敗経験を積んだ歴戦の人材。
 死の谷を越えておくための戦略能力。
 (「経営リテラシー」を身につけた人材)

 こういうものが当時の経験からは育たなかった。

 そして「バブル」に突入していきます。


 一方、米国では同じころ何が起きたか。実は「米国流七転び八起き」(注:これは正田が命名)がありました、という。このあたり私にも新鮮なお話。


 凋落期。1960年代から30年間、米国は日本企業に頭を叩かれ続けた。初めは「日本人」に負ける屈辱感でいっぱいだった。

 経営セオリーでは常に世界を先導し、70年代は戦略論の時代だった。経験曲線、プロダクト・ポートフォリオ、セグメンテーション、SBU(戦略的事業単位)、差別化戦略、マトリックス思考、など。

 こうして、多くの「フレームワーク」が米国で立ち上がりました。ただ、まだこのころは日本が強い。

 米国コンサルタントたちは強い日本企業を必死で観察します。観察から多くの学びを得ました。

 目の前で起きている事象の「抽象化、理論化、敷衍化」すなわちフレームワーク化をし、さらに経営現場で使える「ツール」に落とし込みました。「ツール」にすることで会社の実践の場に渡していくことができます。


 この当時米国が日本から学んだものは玉石混淆で、コンセンサス経営、稟議書、社訓、社歌、終身雇用、年功序列、企業内組合、などがありました。(「こんなものが強みなのか?」と三枝氏)


 このころマッキンゼーのコンサルタントらが著した『エクセレント・カンパニー』(1982年)という本には、米国企業の反省として1.アクション 2.顧客に密着 3.自律性と起業家精神 4.人を通じての業績向上(人を大切に) 5.明確な価値観の提示 6.余計な事業に手を出さない 7.シンプル組織、小さな本社 8.ルーズさと厳密さの共存―などを記し、これは現代の日本企業こそ同じ反省論を必要とする、と三枝氏は言います。


 80年代、米国はベンチャーが雨後の筍のごとく生まれるものの・インスタント拝金主義・ハイテク勝負で消耗戦・大企業は財務ゲーム―という病に侵され、日本優位が続きました。日本企業は多少効率が悪くてもじっくり取り組んで品質の高いものをつくる、という組織の継続性と、生産技術で圧倒していました。


 そして80年代後半に入ると、日本転落の予兆が出てきます。
 キャッシュ余剰現象から、「くだらないベンチャー」の続出。

 いっぽういまだもがき続ける米国は、
 ・リストラの嵐
 ・日本の経営に学ぶのは無理(よく分からない国)
 ・理論:「現場の仕事の流れに」に近づいていく
  *価値連鎖、顧客満足、タイムベース競争

 そして80年代に「リエンジニアリング」の理解と実践の時代に入っていきます。

 「リエンジニアリング」とは、何あろうトヨタ・カンバン方式のことです。


 米国では、自動車のみならず、電機、物流、PC、フィルム、航空機、医療機器と、日本では考えられないさまざまな分野で、「カンバン方式」が応用されました。

 「日本人は時間の戦略を生きている!」(タイムベース競争)

 という気づきが、日本以上に多くの応用を生んだのです。


 ビジネスプロセスを早く回すことが戦略になる。

 そして90年代、日米逆転の時代となります。

 三枝氏が中国の金型工場で現地の社長と対話していて、耳を疑った言葉がありました:

「ミスター・サエグサ、タイム・イズ・インポータント」

 これは80年代、アメリカ人が色んな業種でカンバン方式の実験をして製造を台湾に委託し、その台湾人が中国に行って6兆円の産業を生み出した。カンバン方式は業種を替えて海を渡った。それに日本人が気が付いていない。

 またマイケル・デルとの会話で

 「あなたは5日後に商品(PC)が大連から着くと言ったけれども、それはトヨタ・カンバン方式ですよね」
 「Yes, We experienced twice stock crisis (そうです、我々は在庫の危機を2回経験した)」


 カンバン方式という宝を国内に持ちながら、それをフレームワーク化し敷衍することを怠った日本人は、6兆円産業、5兆円産業のビジネスチャンスを逃したのでした。


 
 これらを総合して三枝氏は、

「日本の経営は悲惨なほどの『抽象化、理論化、敷衍化』の不足、『フレームワーク』の不足に苦しんでいる」

「日本人は経営手法の知的創造で負けた」

といいます。最後の牙城、ものつくりも危うい、と。


 米国ルールの輸入を続けても勝ち目はない、と。


 そして「人」の力量。

 集団依存の因果応報、エリートの消滅…、ここで冒頭の

「エリートとは、自分の所属する組織に責任を感じる集団」

 という言葉が出てきます。


 まとめとして、

 「日本企業の『組織を軽くする』ことへの取り組みは、いま最も重要な『戦略』課題である―それが日本再生の手がかり。自分たちの事業を『手に負える大きさ』に分けること」

 とします。

 「一人のリーダー」の下で活き活きと動ける組織規模とは?との問い。



 ここまで講演の中の歴史認識と、それを踏まえた提言の部分をご紹介しましたが、

 
 これに対してミスミグループで実際にやっている取り組みがあります。


 三枝氏は、「経営リーダーをつくることこそ、会社を伸ばす道」として、非常に意識的に経営リーダー育成に取り組みます。
 

 経営リーダーの個人の具備要件として、「論理性(戦略性)」と「熱き心」を挙げ、先天的に熱い性格でないとリーダーにはなれない、知識は後天的に習得することができる、とします。


 この具備要件を、経営現場で試し、経験を蓄積する(因果律をとりこむ)、困難・修羅場の経験をすることで、学びは加速化する、といいます。

 志のつよい人は自らリスクに近づく、そのためすばらしい経験のループが起きる、といいます。


 強い経営リーダーとは何か?

 三枝氏は、経営者の力量は「なぞ解き能力」で決まる、とします。眼前の混沌を「単純化」する。それを解くのはフレームワークの適用である。「この問題は、こういうことなんだよ」説明し、熱く語る。

 フレームワークの引き出し(蓄積)をたくさん持っているリーダーほど、部下に解決の道筋を早く提示できる。組織の解決行動を迅速化できる。

 

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 いかがでしょうか。

 ここからは正田個人の感慨で、


 「フレームワーク」という言葉をいきなり突き付けられると、ふだんは「また、米国ビジネススクールの受け売りか」とぷい、と横を向いてしまう正田ですが、こうして日本企業の凋落の歴史を押さえながら話していただくと、素直に腹落ちしました。読者の皆様は、いかがでしょう。


 また、「承認」「コーチング」という一種のフレームワークを売り物にしている自分の仕事についても内省をいたしました。例えば「承認」で上手くいかない場面、人が往々にしてあるのを感覚を研ぎ澄ませてみていると、そこに「ナルシシズム」という別のフレームワークが必要になってくる、という認識に現在たっているのも、ブログ読者の皆様はご存知のとおりです。


 

 また、「企業改革リーダー」という存在について。

 今、切実にどの企業でもその存在が求められていることでしょう。


 これは三枝氏の言葉ではなかったかもしれませんが、


「自分の会社を自分の力でどうにかしたい、と思う。職位にかかわらず、そう思った人がリーダーなのだ」―

 最近出会った何人かの尊敬する友人の顔を思い浮かべ、反芻する私です。




 さいごに、

「アイデア」というものについて。

 三枝氏のリーダー育成論の中にも、経験の蓄積の重要性について触れていましたが、

 私が以前から愛用する失敗学の畑村洋太郎氏の言葉で、

「アイデアは責任を伴わない。行動は責任を伴う」(残念ながら、どの文献に載っていたか忘れた)

 ―これは、どういうときに私が使うかというと、NPOの役員会とか総会でだれかが新しげなアイデアを出してきたときに私が「却下」するときにつかいます。だって、その人たちは自分がそのアイデアをやろうと思ってないもん。「正田さんがやってくれるだろう」と甘えてるんだもん。
 
 ブレスト法などでアイデアを出すことはできても、「創造的・斬新なアイデア」は、そのままではなんら価値を生みません。その次の段階で、死に物狂いでやり続けることが必要で、

「やり続ける」ことの中には、たんにあちこち訪ね歩くだけではなく、また時間的に長くやり続けることだけでもなく、「人を説得し、腹落ちするまで説明することのむずかしさ」が入っています。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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 6日、DIAMONDハーバードビジネスレビュー創刊35年記念セミナー・「リーダーの役割と使命」に行きました。東京・椿山荘フォーシーズンズホテルにて。


 伊丹敬之(ひろゆき)・東京理科大学教授と三枝匡(ただし)・ミスミグループCEOの講演と対談。


 いずれも「濃い」内容で楽しめました。2回にわたり、その模様をご紹介します。

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 伊丹氏の講演で最も印象的だったことは、

「リーダーの鍛え方」として、

「名経営者はかならず名教育者。教育者を目指すのが、一つの鍛え方」

ということでした。


「経営と教育、二つの作業の本質が似ている。
たんに、人材育成の大切さが共通点の本質ではない

経営の要諦:
(a) 部下たちに仕事全体の方向を指し示す
(b) 部下たちが仕事をしたくなる、やりやすくなる環境を整備する
(c) その後は、彼ら自身が自分で仕事をやるプロセスを刺激する、応援する

教育の要諦:
(a) 学生たちに学習全体の方向を指し示す
(b) 学生たちが学習をしたくなる、やりやすくなる環境を整備する
(c) その後は、彼ら自身が自分で学習するプロセスを刺激する、応援する

(ほら、「学生」を「部下」、「学習」を「仕事」に置き換えても全然問題ないでしょ?と伊丹氏)」

経営も教育も、ともに人を動かすこと。」


と、いうのでした。


このあたりは正田の実感とも大いに符合しました。


私的にまた我田引水すると、コーチング研修の意義とは、単にマネージャーたちに人を育てるノウハウを憶えてもらうことではないのです。

経営者として、人を動かし人を通じて経営をすることを憶えてもらうことでもあるのです。

だからミドルマネージャー研修であると同時に、次期経営者育成コースでもあるのです。

こういうことを経営学の側から言ってくださる伊丹氏はまた、名著『よき経営者の姿』(日経新聞社、2007年)の著者でもあり、この本はエグゼクティブ・コーチングのお客様にプレゼントしたことがあります。

この日冒頭に講演したHBR誌編集長によれば、かつてH・ミンツバーグ(これも私の私淑する人です、はい)にインタビューした時、

「君、日本にはイタミがいる。私はイタミほどスマートな日本の経営学者に会ったことがない」

とミンツバーグは言ったそうであります。



 このほか伊丹氏講演の要旨:


 リーダーシップの鍛え方は、まず自分を鍛えること。また外から学ぶとすれば、学び方には3通りあり、

1)特定のリーダーの言動を深く学ぶ
2) リーダーシップ理論を深く学ぶ―あまりお勧めしない
3)さまざまな事例から学ぶ

 そして1)のよいリーダーの事例として「本田宗一郎」を挙げます。伊丹氏は本田宗一郎の評伝を書いているそうです。  ・・・私自身も「スパナで人を殴る」タイプかも、と思うときがあります。はい、すみません。


理論から学ぶリーダーの条件として、

リーダーに必要とされる三つの資質:
A. エネルギー
   土光敏夫のバイタリティ公式 
    バイタリティー=知力×(意力+体力+速力)
  ※なぜ知力が×になっているのかというと、論理性が大切だから。

B. 決断力
   決断力=判断力+跳躍力
C. 情と理のバランスよきミックス

そして現代に育つ経営改革リーダーにも、三つの要諦があるのだとします。
A. 論理性
B. 原理(理念)の大切さ。経営の具体策=原理(理念)×環境
   ※環境が変わっても原理を変える必要はないことが多い。
     原理まで変えよという「アメリカではの守」の愚かしさ
C. 決断。捨てる決断も大切
  

・・・だんだん、レジュメの丸写しのようになってきたので以下省略しますが、このほか印象的だった言葉言葉をご紹介します。


「本田宗一郎は戦後浜松での『第三の創業』翌年に『世界一になる』とぶちあげた。その志はどこから来たか。大きな志をもつ人のそばにいると、大きな志が生まれやすい。当時水泳の古橋広之進(浜松出身)が、プールを1往復ぶっちぎって優勝し、日本人の心に火をつけた。」

「リーダーの育つ条件として、仕事の場の大きさがある。考えるスケールを変える。現代の不幸は仕事を細かく切り刻み低成長。無理やりにでも仕事の場を大きくしないといけない」

「人は、志の高さに応じて、日ごろの仕事の大きさに応じて、日ごろ考えることの深さに応じて、育つ。小さいことを考えている人は、小さく育つ。大きいことを考えている人は、大きく育つ」

当たり前のことを、多くの人々に(他人に)きちんとしてもらうことのむつかしさが、経営のむつかしさ。戦略を考えるよりも組織構造を考えるよりも大切。」

「仕事の現場には、つねにカネ、情報、感情という三つのものが同時に流れている。この三つをつねに総合して考える、「三眼の発想」が必要。しばしば、カネの流れという見えやすいものに過大な注意が集中する。どうやってカネの流れを軽視してみるかが要諦


「(よき経営者の姿で使った)『リーダーの切断力』という言葉の由来を対談で三枝氏に問われて。決断力のある経営者に話をききながら、『完全に断ち切るにはどうしたら』という言葉があり、それを反芻していたら『切断力』という言葉が出てきた。決断力では弱い、切断力という言葉を使った。ずるずる悪くなっている状況、みんなが見て見ぬふりをしている状況をどこかで「切断」する。それができる人は明らかに性格。切るのはだれかに小さな苦しみを与える。しかしあとで喜びを与える。その足し算、引き算ができる人」


「『偏界曾て蔵さず』。あまねくこの世界のどこにでも、真理は蔵されずにじつはあらわれている。それが見えないとすれば、それは見る側の意識と心の問題。この言葉は道元禅師が、宋の国寧波の寺の典座阿育王からきき、終生この言葉を座右の銘とした」



上記の「偏界曾て蔵さず」の言葉について思うこと。このところまた「脳科学本」にかぶれている正田ですが、「セロトニンの足りない状態(鬱のような状態)の人は、長期的報酬を考えられない。短期的報酬に飛びつく」という知見があるそうです。


「お金が足りないからコーチング研修を受けれない」「時間がないからコーチング研修を受けれない」という人は、研修の数か月後に得られる業績(お金)や効率(時間)という長期的報酬を考える力がないから言っているのかもしれません・・・
(それは、研修参加者が「学ぶ」「実践する」という要素に依存するものではあるものの、「こういう教育」を通じてしか起こり得ない好ましい変化なのです)



講演・対談終了後にはまた図々しくお名刺交換に行き、
「ミドルマネジャーの支援をしております」
というと、
「それはいい。ぜひ支援してください」
というお言葉が返ってきました。


・・・「正田のコーチング」は、このあたりの賢い経営学者の言うことと矛盾が起きないようにつくってあるのです。


ここまで書いて伊丹氏による本田宗一郎の評伝『本田宗一郎―やってみもせんで、何がわかる』(2011年、ミネルヴァ日本評伝選)を注文してしまいました。


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 日経WOMAN Networking フォーラムプレミアム2011 魅力的な女性リーダーになるために!女性リーダーのための学びとネットワークづくりの場(11月19日、東京コンファレンスセンター有明)1日セミナーに参加しました。


 女性ばかり参加者は250人で満席。


 午前中の基調講演に、石黒不二代、林文子、志済聡子の3氏といきなり豪華。午後の分科会では「上司力」、「パフォーマンス・マネジメント」、「エグゼクティブサーチ」等各分野の専門家からお話。


 間にランチ、アフタヌーンティー(おやつ)、ディナーとそれぞれ立食でネットワーキングの場を設けています。
「食」にこだわる女子も大満足。


 正田は、6年来の林文子ファンで、講演を聴くのは3度目。過去には東京BMW社長時代、ダイエー会長時代にそれぞれお話を聴いています。


 今回の林氏は冒頭は「横浜市長」としての話が続き、声も低めでややお疲れ気味をうかがわせました。しかし中盤から得意の「コミュニケーション」の話になると、明るく女らしく人を惹きつける「ハヤシ節」になりました。


「ダイエー会長時代、取引先のメーカーを回りました。先方の会長、社長が出てきますが向こうはほとんど私の顔を見ない。連れていったこちらの専務などの顔を見ながら話す。そのぐらい男性はシャイ、女性の顔を見ない。」


「でも私から20分ぐらいいろいろ話しかけると、ニコニコになって、帰るときには向こうからおっかけてきて『会長さんまたよろしくお願いします』と言ってくださるんです」

(林さんの人間力は長い営業職時代につちかわれたもので、女性だからといってもだれもが同じことができるわけではありません。正田反省)


「女性の持っている感性のアンテナ、人とつながる能力、受容力、母性愛、人の話を聴く能力は素晴らしいもの。男性は話を半分まで聴いたら反論を考えちゃう、戦っちゃう。男性は鎧を着てしまう、これはDNAなんですね。あ、公職なので決めつけるような言い方をすると問題になるんですが(笑)」


「女性マネージャーになる方、何も迷わないでください。あなたのままでいてください」


「ときに感情的になることもあります。『言っちゃった』と引きずらないで。忘れること、そのためには寝ること」

「叱るときはとことん叱る。相手がどう反応しようが上司の責任なんです、叱ることは」



 なんとも、元気が出るお話ではないですか。


 このあとエグゼクティブ・サーチの側から人財問題を語る橘・フクシマ・咲江さんからは、


「男性リーダーと女性リーダーを比較調査すると、知性・思いやり・創造性・正直さなど大半の項目で、女性リーダーの方が(周囲からの)評価が高かった(決断力では男性がやや優れていた)」

という知見なども紹介されました。



 
「ほめ殺しの林」を自認する林文子さんから繰り返し「ほめる」話が出、また午後の分科会の前川孝雄氏も「承認」の重要性に触れられ、この場では「承認大賞」主催者はちょっと鼻が高いのであります。


 
 交流の場で「神戸からきました」というとかなり珍しがられ、たしかに関西圏の女性には協賛会社のパナソニックの方以外、ほかにとうとう出会わなかった。(新潟からはキヤノンの関連会社の女性課長さんがいらしていました)



 やはり「東高西低」あるいは首都圏に偏っているのかもしれない、まだまだこの話題は。


 でも冒頭に日経WOMAN編集長の麓幸子さんが「去年ぐらいから大きく潮目が変わってきたのを感じる」と言われたように、わが兵庫・神戸にもいずれヒタヒタと波が押し寄せてくるかもしれません。


 
 で私は鉄のまち・男のまちの地元でこっそりネチネチと、「コーチング」「承認」の原稿に「女性活用」のテイストを紛れ込ませるのであります。ふっ。

 (帝国ニュース兵庫県版のコラム『企業内コーチ育成のすすめ』過去記事ブログをご参照ください 
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/ )



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 映画監督・澤井信一郎氏の講演を聴きました。


 といってもその世界に疎い私ですが、任侠映画や「トラック野郎」などで助監督を長く務めたあと、松田聖子の「野菊の墓」、薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」、原田知世の「早春物語」など、青春アイドル映画を撮った人です。


 今回の講演では、その「Wの悲劇」「早春物語」撮影現場での、絶頂期の薬師丸・原田両女優との丁々発止のやりとりを、豊富な映像を交えながらきかせていただきました。


 (どうでもいいけどこの当時の女優さんはみんな聖子ちゃんカットっぽく、頭頂部がもっさり分厚い。今の感覚だとちょっとうっとうしい。時代を感じるなあ〜)


 クランクイン時の記者会見では、「ヒロインに共感でき、演じるのが楽しみ」(薬師丸)、「ヒロインの気持ちが理解できない。戸惑っている」(原田)と、対照的なコメントをした2人。



「こういう、クランクイン時の意気込みの差は、尾を引くんです」と、澤井監督。


 案の定、薬師丸ひろ子は比較的スムーズに演技に入ったのに比べ、原田知世はダメだし続き。

 ヒロインの

「お父さん、お母さんの命日はうちにいてくれるよね」

というセリフのところで、「発声からなってない!」と、ダメ出しの連続。「ア、ア、ア」と自ら声を出し、原田にも発声させる。カメラの回ってない楽屋の片隅で「ア、ア、ア」と発声練習まで付き添います。


「17歳のヒロインは、この年齢の子特有の感情で、言うこと言うこと人を傷つける。恋愛しても中年男を振り回す。そういう17歳特有の悪女ぶりを表現したかったんだが、原田には未経験のことばかりで感情移入できなかったようだ。私の言うことにも反発してばかり。こちらの方が出社拒否になりそうだった」(澤井監督)


 …そして、2か月にわたる撮影の中では薬師丸ひろ子に対しても注文が増えていく。撮り直し続きのシーン続出。

 クランクアップの映像(ラストシーン)は、薬師丸の泣きながらの美しい笑顔でポーズを決めて終わるが、これも撮り直し続き。


「この頃にはもう、(薬師丸も)私を恨んでましたよ。今はもちろん仲良しですが」(同)


 
 澤井監督は「カット」(撮り直し)が人一倍多く、当時はフィルム代が高かったので

「私の映画にはプロデューサーもほかの予算を削ってフィルム代を捻出してくれる」

というほど。鬼監督がアイドル女優をいじめまくる、双方の根性物語という講演でありました。


 
 さて、これは正田の提唱する「承認」とは別世界の人材育成の話ではないか?というツッコミが入りそうです。


 えーと…


 告白すると、正田もたとえばサイト構築を業者さんに依頼するときなどは結構な「鬼」になります。いじめるなどという意図はありませんが、ダメ出しはたびたびします。(もちろんWEB業者さんやデザイナーさんのアーティストとしての誇りに傷をつけるような言い方は極力避けます)最終的には「お客様に何が伝わるか、何を伝えたいか」を、ない頭で必死に考え、想像し、「今のままではまずい」と判断したら「承認」をまじえつつダメ出しと修正依頼をします。(正田からその手のメールを受け取った業者さん方、その節は本当にどうもすみませんでした)

 それは、業者さんを「プロ」として信頼しているということと、仕事は最終的には「お客様のため」にやるものなので、そのベクトルが最優先で、業者さんにも私と同様にそれを最優先に考えてほしい、というかそう考えてもらうしかない、というのがあります。


 ただ、そういうのは積極的に自慢することではありません。また最終的にいいサイトを作っていただいたら、対外的に業者さんを最大限讃えます。


 
 何が言いたいのかというと…、


 どうも、このたびもまた、澤井監督のお話を聴きながらこうしたお話のもつ「教育効果」について考えざるを得なくなった私であります。


 たとえば、「部下(社員)をいじめる」「傷つける」「徹底的に落とす」ことを自分の美学にしているような経営者・管理職…に出会うとき。ときどき出会います。


(もちろん、そういう人のもとではモチベーションが低く、離職率も高くなります。せっかくいい人材を採ってもそういう上司の下には居つきません)


 なぜそのような美学・美意識が形成されるのか、かねてから疑問に思っていましたが、


 澤井監督のお話に注釈をつけると、これは講演のあとの質疑応答で出た話ですが、

 なぜアイドル女優たちがこのような「しごき」に耐えられるのか?について。

 澤井監督曰く、「今はどこも子どもに甘いといいますか、子どもが1人スターになると、一族郎党仕事をやめて地方から出てきて、子ども1人が一家を養うようなケースも多い。だから女優は優しい子ほど辞めたくても辞められない、根性がある子なら」


 そう、逃げたくても逃げられない、そこの現場特有の事情があるようであります。


 また、監督に対しても、「あの映画『××』を撮った○○監督だから、信じてついていかなくちゃ」みたいな信頼があるわけで。


 いわばオリンピックで「金」を獲る、と決めたアスリートとキングメーカーのコーチ、の図であります。




 「世界最高」を目指すときの人材育成は、確かに「ダメ出し」の連続にならざるを得ません。人材育成というよりそれは、「完成品」をつくる作業であります。


 こうしたことを言うのが、「言い訳」の文脈と混じらないようにしたいものですが、ほとんどの経営者・管理職が育成する対象は、「2:6:2」の「真ん中の6」の人である、あるいは少なくともトップアスリートではない、ということは、大前提にしておいてほしい、と思うのであります。



 (・・・あと、「映画」や「オリンピック」でのしごきまがいのダメ出しというのは、「期間限定」だから耐えられる、というのもありそうだなあ〜。いつまでで終わりだとわかっている世界。ごく限られたシチュエーションでのみ、可能だということであります。)


 下手をすると、「トップアスリート育成法」を講演などで小耳に挟んだ経営者・マネージャーが、それを自らのナルシズムに重ね合わせて、「いじめ」「しごき」「蹴落とし」「傷つけ」を日常的にやるようになっては、本末転倒なのであります。どうも、一部の人々にはその気配があります。


 それは、勘違いなのであります。


 講演として聴くのは、平凡なお話より面白いお話のほうがいいのであります。



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 理研「脳と道徳」シンポジウムのレポート第二弾です。



 岡ノ谷一夫氏(理研脳科学総合センター 生物言語研究チーム チームリーダー)は、

「道徳は感情と言語の相互作用によって起こる意思決定のプロセスである」と言います。


 そして「ルール」から「行動」を決めるメカニズムとはどんなものかというと、


 ある刺激が海馬、内側前頭前野といった「道徳フィルター」を通って善悪の判断を下され、扁桃体に入り、そして扁桃体がルールを破る行動に対する反応を引き起こす。環境の刺激を検知し、ルールに反する場合回避行動、不安、恐怖、を引き起こす。


 
 さまざまな生物を使った実験では、


 あるげっ歯類では、互いに毛づくろいしたり軽い仲間内の喧嘩をするという、社会的行動をとることで知られています。ところが海馬を損傷すると、この社会的行動は流血の殺し合いになりました。これは行動的な文脈を見失ったと考えられます。


 またあるネズミでは、副内側前頭前野が損傷すると女王ネズミに対するあいさつの回数が崩れることがわかりました。この部位は社会的階層を認識する、認知する役割を果たしていると考えられます。


 キンカ鳥での実験では、オスがメスを惹きつけるために歌を歌います。しかし扁桃体を損傷すると発声回数が減りました。性的行動に変化が起り、歌を歌う⇒あいさつをする⇒毛づくろいをする⇒交尾する の順番だったのが、順序を飛ばしていきなり交尾に入ろうとします。恐怖の感情を失い、相手に拒絶されることを恐れなくなった(から、拒絶されないために必要な手続きをすっとばした)と考えられます。


 
 こうして、moral sense=道徳観を形成するもの、

 どの器官がどのような道徳的フィルターの役割を担い、最終的に道徳的な行動につながるのかがわかってきました。



 
 このほか「不公平提案のゲーム」「囚人のジレンマ」などを使った実験で、人は不公平を嫌悪し、自分が損をしてでも不公平を避ける行動をとること、この拒否は未就学児や霊長類でより強く、拒否とは感情的な反応であること(山岸俊男・北大教授)、などの知見がおもしろかったです。




 質疑では、「道徳観の習得に臨界期はあるか」との質問に対し、

「非常に関心の高い問題。5歳までが重要かもしれない。Attatchment(愛着)が育つ時期。孤児院で育った子は愛着が育ちにくいと言われる。しかし成人後に道徳的見方がかわる例もあり一概に言えない。」(ブルーム教授)


 
 これも大事なポイントかも、としょうだは思ったのでありました。


 起業家教育でも、ビジネスモデル構築やファイナンシングの教育に関心がいきやすいですが、ある人の中の倫理規範がどう育つか、起業家教育の中で育てられるのか、はなかなかむずかしい問題です。


 コーチング教育に対する個々の管理職の反応の良さ、にもつながるかも。最終的には、そのひとがこども時代にどう育てられたかが重要になってくるのかも。


 もちろん、英才教育一辺倒で「他人を押しのけてでも成功せよ」と教えられ成績がわるければ罵倒されるようなご家庭や幼児教室で育っていたら、先行きは暗い、といわなければならないかも。


 発表された知見は、ひょっとして今まで書籍で知っている範囲のことかも?というものもあり(こらこら)こうしたシンポジウムを無料で主催することに理研の置かれている立ち位置などもちょっと感じたりもするのですが(裏読みしすぎ?)しょうだにとってはたいへん有意義でございました。




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 27日、和光市・理化学研究所本所で開催した「脳と道徳(Moral and Brain)」シンポジウムへ。



 「人間のやさしさ、他人への配慮、正義感、芸術についての感情はどこからくるのか?そのような人間らしさはどこから作られ、脳とどのような関係にあるのか?」


 定員150名、〆切日前に満席となりました。



 イエール大学心理学部教授のポール・ブルーム氏は、まず


"we are nice(われわれは生まれながらに他人に優しい)"


と言います。


 優しさ、慈善、寛容性、チップを上げる行動、それらはどこからくるのか。赤ちゃんのときはどうだったのか。


 発達の非常に早い段階で、niceness(やさしさ)はあらわれる、とブルーム教授は言います。



 1−2歳の幼児でさえも、キャビネットの前で両手がふさがって立ち往生している大人をみて、走り寄ってキャビネットの扉を開けることができます。



 アニメーションを使ったさまざまな実験で、赤ちゃんはよいことをしたキャラクターを好み(選好し)、わるいことをしたキャラクターを嫌うことがわかっています。



 よいことへの選好は、それに先立ってあらわれるわるいことへの嫌悪から生まれることもわかりました。わるいことをしたぬいぐるみを罰する(叩く)行動も積極的に行います。



 また、わるいことをした者にごほうびをあげる人と、わるいことをした者に罰を与える人がいた場合、後者のほうを好むこともわかりました。



 ・・・しょうだは著書に「コーチング云々以前に『公正な厳しさ』のほうが大事かもしれない」的なことを書いていますが、実はそれが正しいようです。リーダーの公正さは、根源的に大事なようです。わるいものに対して弱腰のリーダーはきらわれます。



 さて、人は親しい人に対して優しくすることは生得的にできますが、見知らぬ人に対する反応は、恐怖、憎しみ、嫌悪感、さげすむ気持ち、です。


 互いに行き来のない者の間の暴力の歴史。宗教戦争、人種間・民族間対立、同性愛者への差別。・・・


 しかし、18世紀―19世紀―20世紀と、人類間の殺し合いは数的には減っているのだそうです。


 交通や情報技術の発達がそこに寄与しているのでしょうか。



「道徳観は相互関係によって育つ」―取引をすることによってはぐくまれる、とブルーム教授は言います。


 優しさはどこから来るか。


 生得的なものと後天的に会得したものとがあり、


「知らない人に親切にするのは生得的ではなく、私たちが聡明だから」


と、ブルーム教授は結論づけます。



「知る」「理解する」ということは大事ですね。


(つづく)



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 日経BP社の「ヒューマンキャピタル2010」へ。


 お目当ては、初日の野中郁次郎・一橋大名誉教授の講演とパネルディスカッション。


 世界でもっとも影響力あるビジネス思想家トップ20の20位に入っている野中教授の講演を聴くのは、2年ぶりであります。


(ちなみに8位にEQのダニエル・ゴールマン、9位にマネジャー論のミンツバーグ、10位に「7つの習慣」のスティーブン・コヴィー、11位にシステム思考・学習する組織リーダーシップのピーター・センゲが入っています。ミーハーな私;;)


 前回の記事:


「ヒューマンキャピタル2008 野中郁次郎氏講演」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51370837.html


 このときの講演の目玉は「フロネシス(賢慮)のリーダーシップ」というお話でありました。


 
 今回は…、


(今回も「フロネシス」には触れ、「風呂、寝、死す」と同じダジャレで笑いをとってはりましたが)


 講演の最後に近いころに、

「我々の今の時点の結論は『徒弟制』です」


 きっぱりとした口調で言われました。


 
 このほか印象的だった言葉を記録しておきますと:

●持続的なイノベーションをどう維持するか。研究開発費とイノベーションは相関しない。大事なのはプロセスのマネジメントの質だということがわかっている

●知識創造の前提は身体性にある。相互主観性の基盤は間身体性(Intercorporality)つまり、知識創造のコミュニケーションは触れ合うこと(touching)でなければならない。セクハラと言われるようなことではなく、声を聴き、姿を見る。全身で向き合う、受け入れ合う。目を観ることも触れ合いのうち

(なので、正田が最近「椅子にすわる姿勢」にもこだわっているのを、わかっていただけますでしょうか)

●イノベーションはSECIスパイラルである。直接経験を通じて現実に共感し(S=共同化)、気づきの本質をコンセプトに凝縮し(E=表出化)、コンセプトを関係づけて体系化し(C=連結化)、技術、商品、ソフト、サービス、経験に価値化し、知を血肉化する(I=内面化)と同時に、組織・市場・環境の新たな知を触発し、再び共同化につなげる。このSECIの「高速回転化」が創造性と効率性をダイナミックに両立させる知の綜合力(Synthesizing Capability)である。

(このへんのお話は、話だけでは腑におちないかもしれません。この方向に回転しだした人にはわかるお話なのかも)


●実践知のリーダーシップが組織の全レベルで必要 全社員がビジネスモデルのプロデューサー、イノベーションのプロモーター、次世代リーダーのメンターとなる

●生き生きとした知を創発する場づくり 相互主観性intersubjectivity 全人的に他者を受け容れ関わり合う主観的なあり方。思いのマネジメント(MBB, Management by Belief)

●実践知リーダーシップの6能力 
1.「善い」目的をつくる能力 
2.場をタイムリーにつくる能力 
3.ありのままの現実を直観する能力 
4.直観の本質を概念に変換する能力 
5.概念を実現する能力 
6.実践知を組織化する能力


そして最後に
●今の結論は「徒弟制モデル」。リーダーは訓練を通じてしか育たない



…あとは、2年前の講演とかぶる部分もあったのではぶきます。
 

 野中先生のお話をきくと元気になれるのは、最後に心の声で

「先生、それコーチングですよね」。

ツッコミを入れられるところであります。

 誰かこの人を何とかしてください。


 いえ、上記のお話がイコールコーチングなわけではないんですけど、この経営学にたどり着くための有効な道筋は、やっぱりコーチングとかそれ的なものである。


 (私の経験では、ばら売りしたりほかの名前をつけて売るより、コーチングというパッケージで学習してもらったほうが、レベルの高い学習になり高い成果につながるようであります。)



 講演、パネルディスカッションのあと勇気をふるって野中教授にご挨拶しました。

 勝手な感触だけどこの先生は、コーチングに対して見下してないな。


(学者さんの中には、意味もなくコーチングを見下して、自分がなぜ見下してるかわかってない人がいるけど)


 そんなわけで帰り道に野中先生の2冊の本、『流れを経営する』と『思いのマネジメント』を注文してしまいました。先生、本たかいです…;;




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

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