正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ: 『行動承認』出版関連

 下り坂でおかしなことばかり起こる時代だが、ちょっといいこともありました。
 このところ別件でお世話になっている山口大学医学部講師の林田直樹先生とフェイスブックメッセージでやりとりさせていただきました。

 林田先生は、先ごろ拙著『行動承認』を読んでくださり、非常に好意的に受け取ってくださった方です。


 どんなやりとりだったかというと…。

私:「手前味噌ですが行動承認をやり始めた人は細胞レベルで変わる感じなんです。脳発達も起きていそうです。いつか、理系の研究者さんがこの現象に興味を持って研究してくださらないかなと思ってるんです。」


林田先生:「『行動承認をやり始めた人は細胞レベルで変わる感じ。脳発達も起きていそう』とのことですが、僕はそれは十分あると思います。すごくざっくり言うと前頭葉で起きる変化がメインだと思いますが、シナプスが新しくできる、組み変わる、ということは間違いなく起きていると思います。

脳の活性化部位を調べる機器は、安くても1億円くらいするので、やはり先生の著書が改めて売れてくれれば、興味を持つ人はいるんじゃないかと思います。

 細胞における遺伝子発現も変化が起きていると思いますが、ヒトが対象だとサンプルが取れないのでそれが残念ですけど (^^;、血中を流れる多くの因子の中で、数個は優位に変動しているのではないかな、と想像します。」


 このあと、林田先生は医療系の研究室におけるマネジメント(主に教授の資質による)についても話してくださいましたが、ここでは省略。正義感高く教育者気質で、かつ科学者でもある林田先生に、『行動承認』は思いのほかヒットしていただけたようです。

 林田先生は分子生物学・アンチエイジングの専門家です。
 もちろんまだちゃんと実験してエビデンスをとって、という段階の話ではありませんけれども、専門家の方からこういうコメントをいただけた、というのは、わたしには大きかったのでした。

 年来、理系の研究機関に共同研究のお願いをして、断られてきました。今年初めも、実はある研究機関にちょっと期待をもって真剣にお願いして、ある程度の段階まで検討していただいたらしいのですが、断られました。そのときは結構落ち込みました。

 理系の研究機関に何を調べてほしかったのかというと、「行動承認」で受け手の側、すなわち上司部下で言えば部下側、親子関係で言えば子供さんの側が伸びるというのは、もうわかっているのです。火をみるより明らかなのです。

 そうではなくて、行為者の側、すなわち上司や親御さんの側が、
・頭が良くなって思考能力が高まり、
・幸福感が高まり、
・また若返りとか、細胞レベルの変化が起きているのではないか?
というのが、わたしが年来感じていることです。そちらを検証してほしかったのです。

 なぜそちらを検証してほしいかというと、そちらは「研修を受けて、行為者になる」側です。従来は行為者のメリットではなく、部下側のメリットが語られてきました。

「こうしてあげると、部下は喜びますよね」
「部下は伸びますよね」

「…すると、業績が伸びてあなたの評価も高くなりますね」

 「あなた」にメリットが返ってくるのが随分先の話です。
 その時までは、通常の仕事だけでシンドイのに「承認」という、新たなタスクが課せられてよけい忙しくなるだけです。

 まあ、そこまで損得勘定一本やりでものを考える人ばかりでもないだろうと思うけれども。当面のメリットが少ないかのようだったのです。

 実は、そうではない。上司にもとても大きなご利益があるのだ。

 それが、自身の幸福感であったり、脳発達であったり、アンチエイジングであったりします。

 これらは、勝手な妄想で言っているわけではなくて、数年前から

「承認の世界の上司たちは非常に『あたまがいい』。現実的に物事を考え、さっと整理し、決断する。それはもともとそういう人だから承認を習得するのか、それとも承認の習得と実践であたまのはたらきが良くなるのか」という意味のことをブログに書いてきております。

 どうもこの人たちにはあまりパーソナルコーチングをやってあげる必要もなくなる。だからわたしは儲からないけれど、彼らがどんどん決断して問題解決をしていくのを折にふれきかせてもらうのは喜ばしいことでした。


 「あたまがいい」のは、脳発達の関連として、脳の白質の体積(特に林田先生のおっしゃるように前頭葉付近)が前後でどうなったかをみることもできるでしょう。他人の自分にはない強みを認めるということは、その強みを追体験するということでもあります。自然と、自分に本来なかった強みを不完全ながらも取り込むようになっている可能性があり、脳の可動域がそれだけ広がります。

(これは世間でいう「度量の広い人」になる、と言い換えられるかもしれません。しかしだからと言って、小保方氏の不正行為を許すわけではありませんヨ)

 また、海馬や扁桃体の変化もあるかもしれないです。海馬は、細胞の増加が起こることがわかっている領域でワーキングメモリに関連しますが、「行動承認」を日常的に行うことは、その人のワーキングメモリを鍛える働きがあるだろうと推測されます。そのことがその人の決断の速さにもつながっている可能性があります。

 扁桃体は恐れに関連する領域ですが、過去に瞑想に関する報告で、瞑想を一定期間行った人は扁桃体の密度が減っている、すなわち恐れが減っているというのをみたことがあります。わたしは、承認の世界の人にもそのような、むだな不安感の軽減が起きているのではないかと思っていて、それもまた決断スピードの速さにつながっているように思えます。


(「瞑想」についてはひところ流行りで盛んに研究ネタにされ、エビデンスが出ましたが、そういう「ノリ」というのが研究の世界にもあるらしいんですよね。私は瞑想のエビデンスをみるたびに「これと同じことが承認でも起きているのではないか?しかも承認のほうがドロップアウトが少ないし部下も伸びるというメリットがいっぱいある」と思っていました)

 
 「幸福感」については、このブログでおなじみの「オキシトシン」の値を「行動承認」前後で測ればわりあい簡単にできるでしょう。


 もし、林田先生が言われるように「細胞における遺伝子発現」というものがみられるとしたら、大変におもしろいのですが、ヒトではとることが不可能なんでしょうか…。残念。


*********************************************


 きのう批判した「アドラー心理学」とのからみで言いますと、

 「アドラー心理学」で、「人に認められなくてもいい」とか「期待に応える必要はない」と言ってもらった人は、「心がらくになる」んだそうです。それがご利益なんだそうです。

 で、どういう現象かなあ?と思っていたのですが、そういう人はもともと強迫観念傾向のようなものがあって、

「認められなければならない」
「期待に応えなければならない」

という観念でがんじがらめになっていた。
 それがうまいこと解消された。
 ということではないかと思います。

 TVに映ったサンプルの人たちをみると、「自我」「最上思考」らしい人たちです。

 しかし、そういう人がそんなに多いんでしょうか?

 
 なんどもいうようにアドラーの生没年は1870〜1937。フロイトと同世代。

 この当時の精神分析とか心理学というのは、病的な人をいかに治すか、というのがテーマでした。

 
 だから、ゴールがすごく低いところにあるんです。
 「悩みがあった→悩みがなくなった(プラマイゼロの地点に戻った)」
というのがゴールなんです。

 「行動承認」のように、

「部下がすごい勢いで成長し、有能・優秀な人になり、
自分も部下も幸福感が高く、
問題解決能力が高くなり、
部門全体の業績もがんと上がる」

というようなことは、想定していません。

(あるいは最悪、「同業者はバタバタ倒産しているが、わが社だけは生き残りご同業の分を取り込んでいる」とかね)


 わるくいうと、「志が低い」といいますか。

 やれることのレベルが全然違うんです。たぶん、脳発達などは全然起こらないと思います。


「人に認められなくてもいい」

 これは、上司いわば強者の側が努力しないことがわかっている場合の、部下いわば弱者の側の「あきらめの思想」のようにもきこえます。
 そういう立場の人にとっては、アドラー心理学の源流であるニーチェ思想の「ニヒリズム」が耳に快く響くんです。



 そこでまた余談ですが、

 わたしは、上司側が変わらない限り、というか努力しない限り状況はよい方にはいかないことが分かっているので、「上司を教育する」ことが何よりも大事と考え、それだけをやってきました。

 そのぶん、お仕事をさせていただける機会は少なかったといえます。

 教育研修市場というのは、部下すなわち弱者の側を教育するほうの商品で溢れ、そちらの売り買いがメインです。

 わたしも、営業して回っているとよくきかれます。「若手のほうの教育はされないんですか?」と。

「いえ、しません。上司のかたの教育をしたほうが、効果がはるかに長持ちし、御社にとってメリットが大きいですから」

 質問者をがっかりさせることは承知で、わたしはそう言います。



 「アドラー心理学」のように、諦めてる部下を対象に本を売ったり教育したりしていれば、どんなにか楽でしょうね。儲けやすいでしょうね。

 でもそれは、事態を悪化させるだけなのです。
 「気が楽になった」は、単なる気休めです。過食になっている人に「食べなくても死なないんだよ」と言っているようなものです。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 今日は、わたしの中で長年モヤモヤとしていることについて書いてみます。ただあまり纏まっていないかもしれません。下書きレベルの記事になるかもしれません。

 『行動承認』は、2015年1月に絶版となったあと、何度か大手出版社での再出版を検討していただいたことがありました。
 中には、『聞く力』や『女性の品格』と同様の人生論の本として位置づけて大きく売り出すことができないか、という形で働きかけてくださった方もいました。有り難いことです。
 しかしいずれも沈没。

 出版社側の返事は、

「既に一度出版され市場からの評価も定まったものについての再出版は難しい」

 それから、

「読者対象が狭い」

でした。

 前者はともかく、(わたしの方は、前者にも相当言いたいことがあるのだが)

 後者は、メディアの考える「読者対象」とは、なんなのだろう?と改めて考えるきっかけになりました。


 『行動承認』は、ある教育の効果を最大化するために、「この教育を受けたらこうなった」という事例(もちろんすべて実話)を集めた本ですが、

 逆にこういうドラスティックに人びとが前後で変化してしまう話というのは、メディアが考える「読者」とは、結びつかないのかもしれないなあ、と。

 彼らの考える読者は、「静的(スタティック)」であります。成長とか変化とかは似合いません。TVの前で日がな一日、ポテチ食べながらワイドショーをみてあーだ、こーだ言っているのが似合います。

 その人たちの発する言葉は、「けしからん!」「いやーねー」それに「それおもしろそう!」「それ美味しそう!」

 その人たちの期待に応えて、その人たちの想像の範囲内のことでちょっと奇をてらったことを提供して、みてもらう、アクセスしてもらう、というのが今のメディアの仕事になっています。

 
 「想像の範囲内のことで」というのが、上手く言えないのですが、納豆ダイエットとかバナナダイエットみたいなことだと、むしろOKなんです。でも行動承認はダメ。どこにOKラインがあるのかはよくみえません。

 ともあれ、メディアが想像する「お客様」は、怠惰なんです。そして被害者的なんです。何かを実際にやるということはあまり想定しなくていい。『行動承認』のように、

「実際にやってやり続けた人はこんなに素晴らしくなりました」

などという物語は、お客様にとってはかえってウザいのです。メリットよりは、「ウザい」という感覚が先に立ってしまうのです。

 なので、市井にあふれる「人生論」の本は、怠惰で何も努力しない人向けの「とかくこの世は生きづらい」「その中でどうやってしのぐか」というたぐいの話であふれます。たぶん最大の読者層は定年後の脳の萎縮がはじまっている人たちだと思います。
 『聞く力』はどうかというと、あれも読むだけで、やらなくていいのです。だって、職業的インタビュアーの話ですから、自分ごととして読みませんから。

 たしかに「怠惰で何も努力しない人」のためにわたしが本を書けるかというと、難しい。延々と人間関係で悩む話を最後まで書き続けられるかというと。『行動承認』でいうと、「はじめに」のところに、現代の上手くいっていない典型的な職場の事例を4話載せていますが、あれも書いていてものすごく苦痛だったんです。すぐにでも問題のあるマネジャーに飛びかかって改造したい、わたしだったら。

 『行動承認』は、本でも研修でもあえて省略している部分が本当はあって、「被害者になるな。行為者であれ」というメッセージが、暗に入っているんです。
 でもそれをわざわざ言わなくても成立する。なぜなら「行動承認」をするということ自体とてもシンプルなので、あの一連のエピソードを読んだ人だと「やってみたい」「やれそう」と思えますし、実際やれてしまうからです。

 ただ、根っから怠惰で行動することがキライな人にとっては、そういうベクトルをもった本というのは迷惑なんだと思います。
 日本人の大半がそこまで怠惰だとは、わたしは思いたくないのですが――。

 
 というわけで、メディアが怠惰で成長のないワイドショー視聴者の人びとをお客様に想定している限り、わたしは「行動承認」のお話をどこか大手で書いてメインストリームにするということはあり得ないです。

 本当は、心のどこかで

「マネジャーという狭い範囲の人びとを対象にしてはいるが、この本がもつ推進力はマネジャーの周辺にいる人びと、中堅から部下世代の人(男性女性含め)、奥さんやお母さんまでも取り込めるはずだ」

という発想が出版社の人にあったなら、そしてそのつもりで気合を入れて広告宣伝を打ってくれたなら…という淡い期待があったのですけれど。

 編集者自身がその世界の人からほど遠く、彼ら自身の世界観が全然別のところに築かれているようなので、しょうがないですね。



 
 この話はしょもないのでこれぐらいにして、

 タイトルに書いた後半部分、「王道」と「パチモン」のお話です。

 実はここでも、「STAP細胞」の話が奇妙に交錯してきます。

 ご存知のようにSTAP細胞は、京大山中伸弥教授らのiPS細胞への対抗馬として論文発表されました。

 iPS細胞は、山中教授のノーベル医学・生理学賞受賞(2011年)の時に大きく経緯を報道されましたが、その後STAP細胞がクローズアップされたときに忘れてしまった人が多いかもしれません。

 iPS細胞は、皮膚などの体細胞にわずかな操作をして培養するといわゆる「万能細胞」になります。つまり、様々な組織や臓器の細胞に分化する能力とほぼ無限に増殖する能力をもつ多能性幹細胞になります。例えばどこかの内臓が病気になりそれを治したいと思ったとき、その内臓になってくれる細胞をその人の体の細胞から作ることができますから、他人の内臓を移植する臓器移植のような拒絶反応の問題が起きません。

 このiPS細胞のマウス由来のものを山中教授らは2006年に、またヒト由来のものを2007年に作製に成功。その作製方法がシンプルなことと再現が容易なことで、今では世界中の研究機関が追随するようになりました。人の病気の治療への臨床応用も始まっています。

 日本生まれ日本育ちの「万能細胞」であることから、国歌や国旗ならぬ「国細胞」というものがあるなら日本の「国細胞」はiPS細胞だ、とまで言われています。

 しかし、このままではiPS細胞に幹細胞研究や、再生医療研究の研究費の大半を持っていかれてしまうかもしれない。そういう危機感が、理研の笹井氏らによるSTAP細胞研究の大々的な発表につながったようです。しかし、なんども言いますようにSTAP細胞は架空の細胞で、論文はほとんどすべてのデータが捏造の塊でした。

 
 そして今、奇妙なことですがわが国では「STAPあるある派」による「iPS憎し」の議論が起こっています。iPS陣営がSTAP研究を潰したというのです。
 これがどの程度世論の支持を得られているのかわかりませんが――、何度も書きますように何も知らない人がうっかりネットを見てしまうと、「STAPあるある派」の言説のほうに触れてしまうようにネット世論が誘導されています。彼らはデマゴーグの訓練をどこかで受けてきたのかと思うぐらい、誘導が上手いです。だから今後も気をつけないと、「あるある派」の言説が「世論」として格上げされてしまわないとも限らないのです。
 ほとんどの日本人は無関心ですが、無関心だから怖い。

 
 この、明らかに「パチモン」であるSTAP細胞が、「本家」「王道」であるはずのiPS細胞を大衆的人気において食ってしまっているという図は、どこかでみたことがあります。

 
 
/翰学の「行動理論―行動科学―行動分析学」への対抗軸としての「内発と自律論」。△△襪い蓮崗鞠論」への対抗軸としての「承認欲求バッシング論」。  
 これらの対抗軸は、とっくに定説となっていいはずの有力な理論への反発心から生まれ、片隅でやっていればいいものが妙に有力になり本家にとって代わる勢いだというところが、「iPSとSTAP」の構図と似ています。

 対抗軸の側はエビデンスなんてないのです。本家のほうがはるかに高い数字を叩きだしています。人類を幸せにする力があります。なのに、本家が偉そうで気に食わない、そして今更本家に取り込まれるのはプライドが許さないという理由であえて対抗軸を立て、本家を汚い言葉で罵る「芸風」で大衆的支持を集め、のし上がってきたわけであります。

 このブログでは,領磴箸靴謄▲襯侫ー・コーンという人の『報酬主義をこえて』という本を2011年12月、ボロクソに批判しました。また△領磴蓮∈鯒来「承認欲求バッシングを批判する」というカテゴリをこのブログに立てて、連続して批判してきたのをご存知の方も多いかと思います。

 本当は、△領れで2014年以来では『嫌われる勇気』などの「岸見アドラー心理学」がとんでもなく勢いをもってしまっているので、このブログでもちょこちょこ批判していますけれども本格的にやらないといけないのですけれども着手が遅れています。

 そんなわけでまたSTAP問題と交錯してしまいました。




 ちなみに今日フェイスブックでご紹介したのですが、台北で発行されている科学雑誌「PanSci(汎科学)」に、わが国の「STAPあるある論」のことが記事になっていました。

 http://pansci.asia/archives/98876
 
 過日Biochemical and Biophysical Research Communications(BBRC)に発表された独ハイデルベルク大学の論文のことを日本のネットニュースが報じ、「STAPあるある」の人びとが騒然となったが、よく読めばこの論文は小保方氏のSTAP研究とはまったく「別物」だった…という意味のことを言っています。

 わが国の「STAPあるある論」は、日本の恥。

 韓国の捏造科学者、黄禹錫氏にもいまだにファンがいるそうですが、「STAPあるある論」がMSNニュースのような変にメジャーなところに間違って上がってくるのは避けたいものです。アングラな一部の人の趣味にしておけばよろしい。


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
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●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
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●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
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●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
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●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
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●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
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●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
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●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 小保方晴子さんの「ウソつき」がまた新たにわかりました。

 きのう友人が和光にある理研本部に問い合わせていたことの回答がきて、
 簡単にいうと、小保方さんが自身の「STAP HOPE PAGE」に掲載していた「理研の再現実験でSTAP現象は再現されていた!」という主張を証拠だてる写真とグラフは理研には存在せず、捏造だったことがわかりました。

 この件はいずれ友人から正式に広報されると思いますが、フェイスブックページで「速報」として出しておられたのでここでは簡単にご紹介するのにとどめます。

 ようするに「STAP細胞」も「STAP現象」も、ひとりの妄想的な元科学者の頭の中にあるものだったにすぎない、ということです。
 科学者の方によれば世界の同分野の科学者で「小保方さん」「STAP細胞」のことを(不正のアイコンとして)知らない人はいないぐらいだそうですが、世界の田舎の日本も、そろそろこの人をアイドル的に持ち上げるのはやめたい。
 過去のものとして前に進みましょう。


 えっ、『行動承認』のタイトルの記事なのに、なぜ小保方さんが出てくるのかって?

 わたしも、いやなんですけどね。

 でも、この2つは不思議な因縁で結ばれているんです。
 早い話が、『行動承認』の置かれている状況は2014年から2年間、ほぼ止まったままですが、それは小保方さんが大きくかかわっているのです。


 今日は、その話をいたしましょう。





 『行動承認』には、たくさんの実在のマネジャーが登場する実話エピソードがふんだんに入っています。
 実話だからこそ、たぶんリアルのマネジャーの読者の心を打つことができます。

 それはとくに、出版の前年の2013年に計8例の素晴らしい事例に出会えたことが大きいのです。ざっと並べると、工場リーダーによる社内優秀賞、猛暑の中での統計調査0.2ポイントアップ、NPOメンバー営業マネジャーのの社内表彰(2回連続)、介護職での離職防止、某商工会のランキング1位、有光毬子さんのラジオ体操での奇跡、上海工場の躍進…。

 それまでの10数年、年に1例ぐらいのペースで「業績1位マネジャー」が出た、それに値するような価値ある事例がその年は年間8例も固めて出てしまいました。それは、それまで以上に「行動承認」にはっきりとかじを切り、記憶に残るような伝え方、研修プロジェクトの組み方を工夫したことが大きいのです。

 有り難く、1人1人の当事者に了承をいただいてエピソードとして盛り込ませていただきました。

 だから、この本には前半と後半、固めてどんどんどん、とエピソードが出てきます。
 中盤にちょっと理論的な話が入って、もうちょっとエピソードを読みたいなと思うと終盤にまた何例も追加で出てきます。たぶんそれらを読んでいると楽しい気持ちになって体があたたまってくると思います。

 こうして優れたエピソードが1冊の本にふんだんに使えたのは有り難いことなのですが…。


 
 本の企画が立ち上がる前の2014年初め、わたしはこれらの素晴らしいエピソードを抱えて、途方に暮れていました。

 なぜなら、自分が企業研修でつくることのできる幸せの大きさと、世間の認知度の低さのギャップがあまりにも大きくなってしまったからです。当時はNPO代表でしたが、一人の研修機関の女性代表が企業を営業して回って「主張」できるレベルを超えていました。

 こういう効果が出るものなんです。だから大切にしてください。いい加減な短時間の1回こっきりの研修ではやらないで。何年も続けてやってください。社内にもそういうものとして告知してください。

 優れたものである以上、そういう売り方をしないといけません。間違って短時間の研修で雑にやられてしまったら、
「結局できなかったよ」
「承認なんてきれいごとだ」
ということになってしまい、自分で自分の首を絞めてしまいます。せっかく本当に効果のあるものなのに短命に終わってしまいます。

 だから、なんとかこの手法が本当にすごい効果があるということを、周知してもらわないといけない。


 そこでまっさきに思いつくのが報道に対するプレスリリースですが、残念ながら地元紙・神戸新聞(この際名前出しちゃいます)との関係は当時既に悪化していました。

 前年の13年、経済団体の会合で神戸新聞の社長をつかまえ、「これは大切なことなんです!どうか報道してください!」とやりました。社長には少し響いたようで、秘書を通じて経済部の部長を呼びました。

 経済部の部長(当時)はわたしのそばに来ましたが、へらへらした人間でした。わたしの説明する、一つの教育プログラムの奇跡のような効果の話にはさほど興味を持たず、すぐ別の話題に変えて水を向けました。それで意気阻喪しましたが、とにかくその1か月後に当協会のイベント「承認大賞」の告知をするから、どうか書いてほしいと頼みました。
 
 ふたを開けると、「承認大賞」のプレスリリースをしても神戸新聞は書きませんでした。報道各社はそれに倣いました。神戸新聞の経済部長は「現場の記者は取材したが、なぜかデスク預かりになって紙面に載らなかった」と言い訳しました。「ふざけないでください。何のためにあなたとああいう話をして念を押したんですか。このことが沢山の人の幸せにつながるのがわからないんですか」。

 
 そういうことが13年の間にあって、14年になっているわけです。

 一層たくさんの素晴らしいエピソードを抱えて、でも知名度は上がらないまま。


 思い余って、旧知のとある財界の長老に相談しました。「なんとか神戸新聞の社長に話してください。この教育プログラムがいかに優れた効果のあるものかを。どれほど大きな働く人の幸せを作れるかを」

 長老氏は10年来のおつきあいで、わたしのやっていること全般よくわかってくださっている方でした。ご自身の実体験はなくとも、「これは現場にものすごい効果のある正しいものだろう」とわかってくださっていました(ただ、その方の会社とはおつきあいはありません。)

 もう財界の要職からも離れ、なまぐさいことには首を突っ込まない主義にしていましたが、このときはさすがに動いてくれました。神戸新聞社に足を運び、社長と話をしてくれました。「今日行って、話してきたよ」とわたしに電話をくれました。その会社の株主総会の2日後、4月2日のことでした。

 神戸新聞の社長は、「わかりました。いい話ですね。取材させましょう」と、その場で言ったそうです。
 ところが。それでも取材も報道もされなかったのです。

 社長と長老との話で同席し、この件を委嘱された新聞社の業務部長なる人物が、迷走しました。まず、「取材部署は動かない」と言いました。そして私にオファーしてきたのが、「弊社がマーケティングの月1回の講演会をやっているので、そこで講演してくれないか」というものでした。

 この話はお断りしました。というのは、よく話をきいてみるとマーケティングの講演会というのは、新聞広告を出してくださるクライアント企業のためにやっているもので、各企業の広告部門の担当者クラスの人が来ます。例えば教育研修について決定権のある人かというとそうではありません。そこで話をすることにわたしの仕事上のメリットが何もないのです。加えてわたしはマーケティングの専門家ではなく、無理にこじつけて話をしてもそうした層の人におもしろい話をすることは難しい。下手に「おもろないスピーカー」とレッテルを貼られてしまうとかえって損することになる。もちろんお客さんにとっても退屈な時間になります。いかにも、「取材部署が動かないから代わりにこちらで」と、頭だけで考えた「AがだめならB」の話でした。

 そういう、当たり前の判断をわたしはしたのですが、先方はおかんむりで、「せっかく便宜を図ってやったのに」と言うのでした。
 そうやって話がこじれてしまったときに、4月9日、小保方さんの釈明会見がありました。1日中、朝からあの顔がTVで流れ、午後からは会見の画像と声が流れました。


 もともとそれ以前も小保方さんの研究発表とそれがどんどん捏造とわかるプロセスは、わたしの仕事にもずっと(悪い意味で)通奏音のように響いていました。

「女性が」
「すごい成果と主張」
「しかし捏造」
「実はすごいナルシシストで誇大妄想狂」

 本当は、小保方さんとわたし、「女性」という以外何も共通点はないのですけれども、とりわけ女性がわるいことで話題になった場合には、その共通点がみる人にとってはものすごく大きな意味をもつのです。

 
 そして迎えた4月9日の釈明会見は、すべてをお釈迦にしました。心臓に爆弾を抱えた財界の長老が神戸新聞社に足を運んだことは無駄足になりました。

 こういう運命に翻弄されるとは思ってもみませんでした。
 震災でほかのニュースがとんでしまうというのはまだわかるのですが、このくだらない1人の女性にマスコミはじめ日本中がいいように振り回され、もっとはるかに丁寧に丁寧に積み上げてきた仕事の価値もとんでしまうとは。

 会見の翌日、神戸新聞の紙面は小保方晴子さんの写真と記事で各面、埋め尽くされました。記事のトーンは小保方さんに同情的で、当時同情論の論客だったやくみつるのコメントなども入っていました。


 そして、まっとうな教育手法がいかに労働の現場を幸せにするか、という記事など入るすきがなくなりました。


 それが2014年4月の段階の話。


 メディアに取り上げてもらう道が閉じた、それでも「恐ろしく高い効果」と「認知度の低さ」のギャップは依然と横たわったままです。日々の営業活動にも困っています。


 そして「出版」という、過去に一度捨てた道筋をもう一度検討することになりました。それが『行動承認』につながります。


 ……ところが、この年は春先に『嫌われる勇気』が出版された年でもあり。

 わたしの担当になった編集者は、どうみても『嫌われる勇気』に頭が毒されていました。「承認」に対して、妙に見下していました。こういう人は、自分が何から影響を受けているかなど意識していないのです。単に過去に読んだ『嫌われる勇気』の中に「承認欲求」を繰り返し否定するフレーズがある、それが頭の片隅に残っていて、「承認」「承認欲求」という言葉をみたときに、無意識に小馬鹿にする感情が出てきてしまうのです。

 
 わたしは、『行動承認』の校了直後から、カウンセリングを受けるようになりました。執筆中にこの編集者から受けたダメージがあまりにも大きかったからです。

 どうしてそうなってしまうかというと、それは経験した人でないとちょっとわかっていただきにくいかもしれません。

 『行動承認』は以前にもお話ししたように、読み手のマネジャーの心と体を動かすことを徹底して意図して書かれた本です。こういう本を書くには、わたしは書きながら、読み手のこころの状態を自分の中でシミュレーションします。もちろん人の心を100%予測できるわけではありませんけれども、過去に自分が研修講師をしてきて、「こういうタイミングで、こういうふうに呼びかけたら、『はいる』」。これは仕事上の勘のようなものです。わたしにしかわからない種類のものです。

 しかし、そうやって蓄積してきた「仕事上の勘」をフルに使って、渾身の思いである一節を書いて送ったとします。それを受け取った編集者は、何も反応がないのです。心が動いたとかそういう反応はないのです。彼にとって完全に「よそごと」なのです。

 そしてまた、彼が「アレンジ原稿」と称して手を入れて送り返してきた原稿をみると、めちゃくちゃに「改悪」されているのでした。わたしが丁寧にロジックをみてセンテンスを短く切り詰めたところを、2つのセンテンスを1つにつなげてしまい、その結果1センテンスで2つの意味のことを言うようになってかえってわかりにくくなっていたり。句点をやたらと入れて、ハアハア息をしながら読むようなリズムになっていたり。送り返されたファイルを開いてみると頭がクラクラし、「もう一度私が送った状態に戻してください」と突っ返しました。

 結局、彼ははなから「行動承認」の世界の人ではなく、この世界に触れても染まろうとはしない人でした。本が想定した読者とは程遠く、したがって本が意図した読者の反応を彼自身は全然実感としてわからなかったのでした。

 あとで経歴をみると、この人物は40代でしたが編集者歴はごく短く、当初大手出版社に編集者志望で就職したが、編集職にはつかず別の部署でずっと働いていた。でも編集者の夢たちがたく、中小の出版社に転職して編集手伝いのようなことをしていた。そして今の零細出版社に編集者として採用されたそうでした。ご一緒に仕事をしていて、この彼がどうも編集者としての訓練が不足しているようだと感じていましたが、このような経歴の人ですから、若いころから手取り足取りのOJTなどは受けていないのでした。だから、仕事の一部はできるのだけれども別の部分が圧倒的に抜けていたり、恐らく編集者のハートの部分、「自分が著者と一緒に作る本に惚れ込む」みたいなことは教わってこなかったのだろうと思います。


 そういうのは、たぶん今の紙の本の『行動承認』の仕上がりをみても、わかる人にはわかるだろうと思います。

 で、そういう人と一緒に仕事をするのがどんなに苦痛か。
 編集者は、ある意味カウンセラーのようなものだ、とこのとき私は思いました。著者が渾身の心の叫びのようなものを文章にしたら、それに反応しなければならない。まったく意図と違った反応をするような相手だと、著者は自分の力量が低いのだろうか、自分の文章はそんなに「伝わらない」のだろうか、とまで思い、ダメージを受けてしまう。
 ということを経験しました。


 えーと、何を言いたかったんでしょうかね…

 編集者氏の愚痴になってしまいましたが、わたしは今生で編集者さんという人種とおつきあいするつもりはないので、いいのです。わたしと直接の縁のない人がこれをみて、人のふり見てわがふり直してくれればいいのです。


 でも今全般に、編集者という職種の人の質が落ちているのかもしれません。
 また、以前にも書きましたが、『行動承認』のような「徹底して行為者のための本」を書いたときに、自分ごととして受け止めることのできる編集者はほとんどいないのかもしれません。


 とまれ、2014年はそうやって、新聞社に対する絶望、そして出版社に対する絶望、を経験しながら、必死の思いでなんとか『行動承認』という本を世に出すことができました。

 読者からは温かいご反応をいただきました。
 しかしこの出版社のサイトにはついに取り上げられることはなく。

 自己啓発本中心のこの出版社にとって、マネジメントを扱ったこの本は「鬼っ子」だったのでした。


 出版から2か月で、「絶版」の決断になりました。

 社長の「うちは月に7冊出しているんです。出して2か月たった本の販促をやっている暇はないんです」と言った言葉が決め手になりました。



 
 今、再入力していて、本のレイアウト(わたしがワードで原稿を打つときに自分の整理のために使った記号がそのまま使われ、ひどく素人くさい雰囲気)、図表(社内のデザイナーが担当したが、わたしが送った元の図のほうが村岡さんによる優れたデザインだった)、残っていた誤字脱字などもろもろが、「手をかけて育ててもらえなかったわが子」として、いとおしさがこみあげてきます。

 でもこれが21世紀の日本の出版の状況なのです。

 だから今、Kindle。
 
 それは未来のための決断として行ったと思いたいです。


 『行動承認』再出版にあたり文章をいじっていて改めて気づくこと。

 どのエピソードにもかならず何かしら「数字」が入っています。

 「売上1位」とか「目標達成率150%」とか「監査指摘率半減」とか「売上倍々ゲーム」とかですね。


 これは、もう初期から当社(任意団体〜NPO〜財団〜個人事務所)のノウハウでもあり、また受講生様との間でちょっとした緊張関係になるところでもあります。

 「行動承認」のもとでは、必ず何かしら喜ばしいエピソードが生まれ、雰囲気が良くなり、物事がスムーズになったりストレスが減ったりします。

 そうした「定性的」な効果というのは、「何が良かった?」と訊いたときすぐに出てきやすいものです。

 ところが、それを業績の数字に落としてみると、どうか。

 即答できる受講生様はあまりいません。

 単純に考えると、物事がスムーズに動くようになりスピード感が全体的に上がったりしていますから、その分業績にも多少は反映するだろう、と思えますね。


 そして、これは細かい環境条件にも左右されるところですが、リーダーが「この手法は間違いない!」と確信して思い切ってこの方向に舵をきり、徹底してやった場合には、上記のような「ランキング1位」「目標達成率150%」「売上倍々ゲーム」という、とんでもない数字になるわけです。


 このあたりは、他のコンサルティング手法との比較で、いかめしい専門用語満載のコンサル手法に比べてこのようなとっつきやすく、一見女々しく優しい手法のほうがはるかに数字を叩きだす、ということが、勇ましいことが好きな多くの男性諸氏にとって不可解で我慢のならないところだろうと思います。


 そこで、「コスパ」の話になってきます。

 近年の傾向として、「研修費はなんとしてでも切り詰めたい。できればゼロにしたい」という要請があります。

 これは非常に困ったことで、むしろ国策で「研修費はかけろ。教育研修費にこれだけかけたら法人税控除する」というぐらいの研修促進措置をとってほしいぐらいのものですが、残念ながら研修よりは設備投資のことばかり言うわけですが、


 オリンピックをみれば、選手強化費をかけたほうがメダルを獲っている。自明なわけです。

 そういうことは国民の皆様も「もっと強化費をかけろ」とやいやい言われるわけですが、自社の教育投資となると、すぐ1円でも惜しもうとする。すごい矛盾です。


 なんかね、「研修」について意思決定をする部署の人が、現場のミドルリーダーのことなんてよくわかってないんです。彼らはクルクルパーだと思っていて、教育なんかしても学ばないと思ってるんです。

 そうじゃないでしょ。


 「脳は、今あるニューロン結合の強化や弱化、除去、そして新たな結合の形成によって物理的に変化するが、その変化の度合いは実際に行われる学習のタイプによって決まり、長期にわたる学習はより大きな変化を起こす」
(『脳からみた学習―新しい学習科学の誕生』OECD教育研究革新センター、明石書店、2010年)

 
 経験的には、「承認」のような大きなコンテンツを学ぶには、回数が多いほうがいいですね。『行動承認』では、6回ぐらいのシリーズ研修で学んで大きな成果を上げた事例をいくつも載せてますが、宣伝のためばかりでもなく、それぐらい回数をやることで身体にしみこんで学習できるんです。プロジェクト型研修。

 ほら、野球や柔道を1日だけやりましたというのと、6か月やりましたというのでは全然違うでしょ?「1日だけ」というのは「やらなかった」とほとんど同じだったりするでしょ?

 とはいえ行くさきざきでそうしたプロジェクト型研修で採用してくださるわけでもなく、経済団体さんのセミナーでは1日こっきりというのも多いですから、苦肉の策で何をやってるかというと、このブログなんです。

 このブログは「補講」です。
 不幸にも1回こっきりしか学ぶ機会を与えられなかったマネジャーさんがたのために、マネジャーは大体疑い深くて「収集心」で情報収集がすきな人が多いですから、

 ―そこは世間の編集者さんが想像するのをはるかに超えて、マネジャーさんというのは情報収集ずきな人種だと思いますね―

 このブログでは徹底的にかれらの情報収集欲に応えることにしています。
 原典をきっちり書き、できるだけ原文の構造をそのまま載せてどういうロジックでその結論になっているか、わかるように書いています。

 それぐらい提示しているから、こうるさいマネジャーたちもわたしの言うことを信頼してくれるんです。
 こういう配慮、編集者さんにはわからないんだろうなあ。脳が委縮してきたワイドショー視聴者のほうばかり向いてるんじゃないですか?

 社会人はそれぐらいの知的レベルは持っているんです。


 あ、それは余談なんですけどね。

 
 で、研修担当者との「せめぎあい」が起きるのは「コスパ」の話です。

 はっきり言って、ひとつの店舗、ひとつの支店の売り上げが150%になったら、それだけで何千万何億の話のはずです。

 研修費のもとなんてかるくとれちゃいます。もちろんひとつの店舗、支店だけで起こるのではなく複数のお店で起きます。

 なんだけど、たとえば担当者さんの頭というのは、研修費ン10万出したら何千万のおつりがかえってくるから、社長にほめられる、とは絶対考えない。

 今この費目の「研修費」をどうやってゼロに近くするか、そこだけが大事なんです。


 まあ彼らの頭の構造というのはわたしの想像を超えているところがあるのでちょっと置いておきますが、


 ともかく、「これやったらいくらいくら『儲かる』よ」という話は、絶対に必要です。

 将来について確実なことは言えなくても、過去の例でこうなった、ということは数字を挙げていう必要があります。

 過去に「承認研修やろか」となった、支店長さんや社長さんにしても、必ず、事例セミナーや『行動承認』でご提示した、売上が100何十%になったとかランキングがどうなった、という「数字」の部分は判断材料の大事なところに入っていたはずなんです。

 人情話で、だれそれ君がこんなに積極的になった、という話だけで経営判断として動けるはずはありません。


 なので過去のどの受講生様にも、「数字を出してください」この話はしてきました。受講生様が幸せそうな顔で、「いや〜だれそれ君・さんが、こんな提案を言ってくれるようになってねえ」と言ってるときに、「数字を出してください」と言うのですから、雰囲気ぶち壊しですよね。でもわたしは言ってきました。「社会貢献だと思ってください」と迫りました。

 
 きくと、大体数字は上がってるんです。で出してもらうと、「…はい、2011−13年は倍々ゲームでした」などと渋々、言われます。(注:この「倍々ゲーム」というのは、従業員20人程度の工場が60人規模まで膨れ上げる過程の話なので、飽和状態になった企業様では当てはまらないかもしれません)

 この「渋々」というのは、たぶん、ちょっと駆け引きが入ってると思っています。受講生様を疑うような言い方で申し訳ないですが、「研修費もっと高く謝金払っても良かったんちゃうか」と言われるのを恐れてるんだと思います。

 でも、そこで正確な効果を出さないと、今後の施策としてこの研修をもっと徹底してやったほうがよいのか、あるいは他社さんで検討しておられるところにとっても、導入する値打ちがあるのか、判断材料にならないので、悔しくても「承認研修めっちゃコスパいい」これは、出したほうがいいと思いますね。

 たぶん、男性同士なので男性コンサルタントさんが言う勇ましい手法の方が効果があるように思いたいと思いますけれど、「承認研修」ほどコスパのいい研修はほかにないですね。効果の波及効果がすごいですからね。


 色々思うところがあって、今日は好き放題言ってますが基本的に本当のことです。


 『行動承認』をいよいよKindle本化することにし、それ向けに原稿を打ち直し始めました。
 
 手始めに手持ちの本を1冊、裁断機で切ってページをばらばらにし、クリップで止めました。ワードで入力しやすくするためです。

 入力しているとさまざまなことが去来します。

 この本は、やはり徹頭徹尾、「マネジャーのためのテキスト」として書かれました。
 言い換えると「行為者」のための本。

 たくさんのエピソードがありますが、その中で読者が主人公のマネジャーに没入し、その味わった人間的な痛みも追体験し、そして彼(女)が解決のために何かを行為することも自分の肉体がそれをしたように追体験してもらえるようになっています。いわばバーチャル体験をテキストの中でしてもらいます。

 それは、たとえば1人のマネジャーが研修を受けても、その研修をその場限りのものとせず、その後の一定期間、学びを実地に落とすことで自分が何を体験するかを、あらかじめ体験してもらうことでもあります。

 それだけにエピソードは生き生きしていなければなりません。現場に立ってその場の空気を体感できるようでなければなりません。わたしごときの筆力で実現しているかどうかわかりませんが――。

 その場限りの研修は世にあふれています。ほとんどの研修は、現場を良く知らない人事研修担当者がみて見栄えのいいように、華やかな理論や専門用語、表面的な演出であふれています。

 マネジャーたちは半ばおもしろがりながら半ば冷め、アンケートにはいい感想を書きますが自分が職場でやることとは別だ、と切り離して考えています。

 わたしが非営利の、マネジャーたちが自主的にポケットマネーで集まってくる勉強会を主宰してから、いざ企業内研修の世界にいくと、いわばインディーズからメジャーに行くと、どれほど驚いたことでしょう。その落差に。

 マネジャーたちの冷めた眼差しに。

 彼らは自社の人事・研修担当者が選定してくる研修にうんざりしきっているのでした。

 しかし、その「企業内研修の壁」を乗り越えなくては、ひとつの研修が職場の空気を変え人びとを幸せにすることはできません。

 『行動承認』はその「研修の壁」を乗り越えるために書かれたものでした。


 2014年、前著『認めるミドルが会社を変える』から4年、本を書くことの有効性に倦んでいたわたしがどうしてもあと1冊本を書こうと思ったとき、迷ったすえに結局ベストセラーは志向しませんでした。ただ1つ、「現場のマネジャーの心を動かし、身体を動かす本を書く」それだけを考えました。


 あの頃の自分はそういうことを考えていたな。
 入力で手を動かしながらそんなことを思います。

 最近ちょっと話した神戸在住の元編集者の人は、『行動承認』を評して「凡庸な本。身体を動かすまでの力はない」と言っておられましたが、逆にその人自身が「自分は後進を育てることはできなかった」と言っていましたから、編集者は得てしてそういう人種なのだろうと思います。編集者が求めるような言葉のきらびやかさはない本だろうと思います。でもわたしの勘では、変な言葉の綺麗さというのは、現場の人が身体を動かすためには必要ないのです。
 ……と、編集者さん業界のわるぐちを書いてしまいましたが、商業出版を諦めている状態なので許してください。わたしは読者はそんなにバカだと思っていません。編集者さんが思うよりはるかに、社会人というものは聡明です。その方向に導こうと思えば聡明になるし、バカ扱いすればバカになります。
 それは、わたしの中に抜きがたくある「教育屋気質」が、引き上げたいという衝動がそうさせるのかもしれません。
 でも実際に教育の力で引き上げれば素晴らしい状態が実現するのですし。みんなをワイドショー視聴者のレベルに引き下げていいことなど何もありません。


 結局『行動承認』は初版3000部で終わった本でした。この世に3000部しかありません。(だから、今この本をお持ちの方、希少本なんですヨ。意外とAmazonでもあまり中古本の値が下がってないです。皆さん手放されないみたいですね^^)

 弱小だった出版社は、出版前に約束していた販促策を、前後の会社の体制の変化(縮小)もあり、履行していないことがわかりました。信頼を失い、「絶版契約書」を作り絶版にしてもらい、版権を手元に取り戻しました。


 今は、Kindleで出して必要な人の手には届くようにしようと思います。
 Kindleはまだ裾野が狭く、たとえばローテクの人が多い介護職の人などには届きにくくなりますが、仕方ありません。電子出版の市場全体は膨らんでおり、将来的にはKindleで本を読む習慣も根付いていくことを信じたいです。

 『行動承認』を書店の店頭で手に取られた方がお客様になってくださった、という現象も去年はありました。「承認」関係の本を5,6冊購入された中で『行動承認』がいちばん役立った、と共通で言っていただきました。

 
 今日はあまり心と体に力がないのでぼやき日記です。



 そして…、

 わたしが主婦だからお母さんだから、主婦・お母さん向けの本を書けばこの社会は幸せになるのか?
 違うと思うのです。
 マネジメントの世界を幸せにすることが、一番社会全体を幸せにできる道なのです。
 なんども、それは考えました。
 職場を幸せにすることが社会の隅々までトリクルダウンを生み届けるのだと。そして職場を幸せにするとは、マネジャーの能力を上げてやることなのだと。

 先日、「コミュニケーショントレーニングは『徳』に至る手段c菊池省三先生」ということを書きましたが、

 やはり哲学・倫理の素養のある人もコミュニケーショントレーニングが必要、ということを最近思いました。

 たとえば、

「さえぎらず聴く」
「質問を発したら、待つ」
「話しながら激さない」
「自分ばかり一定時間以上話さない」
「会話の中でいくつもの話題を自分が話すときに入れない」
「相手が何かしている最中にあまり矢継ぎ早に話しかけない(相手の認知的負荷をおもんぱかる)」

など、「行動抑制」に関わること。当たり前だけどやっぱり大事なことです。恐らくトレーニングを受けないとできないことです。

 会社では、上司がこれらをやるだけで部下は疲弊してしまいます。
 そして上司になったらだれも注意してくれる人はいません。

(なお「正田は行動抑制ができてるのか?」というツッコミは、無視します)


 そして「行動承認」の場合は、前提として「みる」トレーニングが入ります。
 部下の仕事ぶり、行動ぶりを一定時間継続して「みる」。そして相手の行動の記憶を蓄積し、それを事実そのとおり言語化する。
 これらも、そういうものだとわかった上でトレーニングしないとできるようになりません。すごく単純なことではあるんですけれど。


****


 「哲学」分野の人でよくいらっしゃるのが、「思考」の強みが優れていて、ものごとをすべて「認知のレベル」で理解しようとします。
 「思考」の強みが優れている人は、「感情」をバカにしやすい。女子供のめめしいもの、と思いやすい。
 こうした人と「承認」について議論しても、しょうがない。役人や記者にもそういう人がよくいます。

 ほんとうは「思考する力」と「感情認識力」は、トレード・オフ関係なのではなく独立した因子で、どちらも優れている人も世の中にはいらっしゃると思います。

 正田は決してそれほど「感情的」な人間ではなく、「論理8:感情2」ぐらいの人間だと自分では思っていますが(ほんとか?)
 それでも、こうした「思考」に偏った知覚感覚の人に対しては、
「あなた、頭だけで物事を理解してもしょうがないよ」
と思います。
 視覚や身体感覚も総動員して理解しないといけないものが、世の中にはあります。「承認」もその中の1つです。

 そして身体感覚は―、残念ながら、子育て経験のある・なしがかなり大きく影響します。「ない」人はかなり努力していただかないといけないかもしれません。

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 拙著『行動承認』は、現場のリーダーにも読んでいただきやすいようできるだけ平易な言葉で書き、かつ論理だけでなく、視覚や身体感覚まで総動員して味わっていただくことを狙って書きました。

 「承認」で幸福な状態になった職場を視覚的、身体的に味わっていただくこと。
 そこに行くまで暗中模索を繰り返しときには自己嫌悪、自己否定にまで陥ったリーダーたちのこころの軌跡も味わっていただくこと。

 残念ながらそれは読解力に依存したりもするんですけどね―、幸い、セミナーテキストとして読んでいただいた現場の方々には、それはリアルな物事として受け取っていただけたようです。

 わたしに対して「行動承認」についてのさまざまな質問を発したい方は、まず拙著を読んで視覚、身体感覚まで総動員してその幸福の世界を体験していただきたい。
 そこまでやって「これはリアルなものなんだ」と実感してから、理論上の色々なことについて質問していただきたい。
 
 そういう要求をするのは、決してわたしが傲慢なのではないと思います。

 あの本で言語による表現を尽くして幸福の状態をリアルに描いたものを、立ち話のような会話で再現できるわけではありません。230ページ分の情報量は、まずは読んでください。

 ひょっとして、「この教育」が実現してきたものは、ヘーゲルもカントも実現しえなかったものかもしれないのです。またしょってる発言。カントも勉強しよう。

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 シルバーウィーク、読者のみなさまはどんな風にお過ごしになりましたか。

 正田は1日和歌山方面に行って観光&友達に会い、
 最終日は、地元神戸・板宿の「井戸書店」さんに行って、寄席を聴いてまいりました。
 店主・森忠延社長の創作落語(桂三枝師匠の)「読書の時間」、お腹がよじれるほど笑いました。



(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

 

 近著『行動承認』に、嬉しいエールをいただきました。

 千葉大学法政経学部教授・広井良典氏(公共政策、科学哲学)より。

 ご了承のうえ、いただいたメールをご紹介させていただきます(また後日のメールのやり取りをもとにご了承のうえ加筆させていただいております):


正田佐与様
 先日は貴重な御著書をお送りいただきありがとうございました。
 質の高い内容が大変わかりやすい形で述べられており、意義の大きい内容と感じるとともに、土台に哲学的な思考が流れていることが伝わってくる内容で、印象深く受け止めました。
 もちろん実際の研修では実践的でわかりやすい内容にすることが求められると思いますが、それがありがちなマニュアル的なものにならないためにも、哲学的な考察のところが意義深いと思います。
 ヘーゲル承認論に関するブログ記事や、どこかで中国哲学に関することも書かれていたと思いますが、そうした哲学や科学への御関心がベースにあることが、単なるノウハウ本や技術論ではない深みにつながっていると思います。またそうしたものへのニーズは現在の日本で大きいと思います。
 御礼とともに、事業の発展に期待しております。     千葉大学 広井良典



 広井教授は近著『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年6月)をはじめ、『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想』(同、2001年)『コミュニティを問いなおす つながり・都市・日本社会の未来』(ちくま新書、2009年)など、「人口減少」「拡大・成長から定常への移行」「コミュニティ」「福祉」について一貫した視座をもって発言してこられた方です。

 ちょうどそれらの著書の中にある、例えば

近年の諸科学において人間の利他性や協調行動が強調されるようになっているのは、そのような方向に行動や価値の力点を変容させていかなければ人間の存続が危ういという状況に、現在の経済状況がなりつつあることの反映とも言えるだろう」(『ポスト資本主義』)

というフレーズに不肖正田が膝をうち、著書をご献本させていただいた、という次第です。


 『ポスト資本主義』をもういちど真剣に読解させていただこう、と思いました。

  
 一回りも幾回りも大きな視点で現代を読み解かれる方より評価いただけたのは幸せなことです。
 わたしだけでなく、信念をもって取り組んでくださるいまだ多数派とは言い難い受講生様方にも勇気をいただけたことでしょう。

 
 広井先生、ありがとうございました!


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与

2014 12JMあとがき1-Copy



 「月刊人事マネジメント」2014年12月号の巻末コラム「あとがきのあとがき〜著者から人事担当者へのメッセージ」に掲載された、『行動承認』の紹介記事。


 同誌編集部のご厚意により、転載させていただきます:


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主な内容
●職場を愛せますか
●「業績向上」と「優しき人の強さ」
●行動承認を学ぼう!ライブ講義
●インパクト―行動承認の効果
●ここに気をつけて!行動承認の落とし穴
●なぜ「褒める」より「承認」が大事か
●子育ても高齢者も親の看取りも


 「行動承認のマネジメント」を通じて、意外なほど簡単に職場を幸せな場所に変革できる!?本著者は、現場から管理職まで使えて、業績が好転する新手法を分かりやすく伝える。



意識の変革と業績の向上


 「『自社を良くしたい』と、制度やシステムの改革に取り組んだ人であればあるほど、実感を込めて言われること―。

 それは、どんなに制度をいじっても、最後は『人の意識』、とりわけ『管理職の意識』がカギを握るということです。

 本書は、これまで不可能とさえ思えた『管理職の意識変革』を、『行動承認』の1点に絞って伝えることで成し遂げてきたマネジメント教育について紹介しています。その方法はとてもシンプルなので、現実の管理職にとって職場に落とし込みやすく、続けやすく、その結果、売上、サービス、品質など各種指標で『社内1位』や『全国1位』を獲るマネジャーを12年間にわたり輩出し続けるという、ずば抜けた成果を収めています。

 管理職にとっても、また組織の最先端で働く一般職の人々にとっても、極めて満足度が高く成果の挙がる方法が『行動承認』なのです」



課題が次々解決する


「メンタルヘルス、女性活用、高齢者継続雇用、障がい者雇用、イノベーション、グローバル進出先でのマネジメント等々、現代の職場にはかつてないほどの課題が山積しています。ところが、『行動承認』のもとでは、それらの今日的課題が極めて早いスピードで解決していきます。

 その結果をみる限り、これらの課題は結局は管理職層1人ひとりの力量に左右されるものであり、またその管理職たちに確固たる有効な手法を学習してもらい、その担い手になってもらうことが何よりの処方箋なのだ、と言わざるをえません」



企業小説として読める


「硬いお話が続きましたが、本書はすべて実話で構成する一方で、『読みやすさ』に心を砕きました。『行動承認』のもとで起こった成果のエピソードを『企業小説』として読めるよう、改めて関係者に取材を行い、臨場感や感情の動きをいきいきと再現。現実のマネジメントのなかで、怒り、傷つき、意気阻喪し、やがて光明を見出していく等身大の管理職像を描きました。

 読まれた方からは、『我が事として感情移入して読みました!』『自分も幸せな職場を作りたくなりました!』と、嬉しいご感想が寄せられています。
 
 あなたの会社の管理職に『こういう人であってほしい』という願いが、もし本書に登場する人物たちと重なり合いますなら、とても嬉しく思います」

(了)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 本日(2014年12月21日)付毎日新聞朝刊の書評欄で、日本総研主席研究員の藻谷浩介氏が小著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』を「2014年この3冊」の1冊として、取り上げてくださいました!


 21毎日1(2)



12.21毎日2(2)



 藻谷浩介氏の名著『デフレの正体』は、以前よのなかカフェのネタ本としても取り上げさせていただいたことがありますし、同氏の昨年10月の神戸での講演を「ブログ中継」したこともあります。
 今年は先月福岡で不肖正田が行った「女性活躍推進」についての講演で、同氏の了解をいただいて講演資料からの引用をさせていただいたことがあります。
 「地方創生」「人口問題」「女性活躍推進」で発言されている同世代の代表的なオピニオンリーダーであります。

(余談: ほら、最低限こういう風に言わないとぱっときいてどう位置づけたらいいかわからないでしょ。だから「講師紹介」って大事なんですよ)
 

 以下、「毎日新聞」での短いながら嬉しい同氏のコメントを引用させていただきます:


「上から下まで満たされぬ承認欲求を抱えて窒息する日本社会への、酸素となる一冊。よくある宣伝本やノウハウ本ではなく、誰でも実践でき奥は深い。見かけを褒めるのではなく行動を認めることで、ナルシストを減らし前に進む人を増やそう。」


 実によく言い得ているなあ、と思ったのは、今年、これまでのどの年にもまして歪んだ形の「承認欲求」の表出(マウンティング)にたびたび出会い、『行動承認』を出版していなかったら窒息しそうだ、とわたし自身が思っていたからです。

 『行動承認』出版後にすら、著者のわたしを貶めることで自分の優位を示そうとするおぞましい人や行為に出会いましたもの。


 そのなかで逆に一貫してわたしを信頼し励ましてくれた人の存在が奇跡のように思えました。その人たちに対して『行動承認』はわたしからせめても形あるものとしてプレゼント出来たものでありますし、このたび藻谷氏からの評価はもう一つ、彼ら彼女らの判断力に太鼓判を押すものになったことでしょう。



 かつ、この短いコメントの中で「よくある宣伝本やノウハウ本ではない」と言ってくれているのも、実は形式としてはビジネス書であり、そういう「よくある…」ものだと一刀両断しようとすればできない本ではないだけに、「そうではない」と退路を断つように言葉を補ってあるのは嬉しい配慮だ、と言うべきでしょう。
 よく言えば、それは「真実であり、これまで発見されていなかったが普遍的真理と呼べるものだ」ということなのです。


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 これもフェイスブックで一度出した話題ですが

 我が家の美人犬リンちゃんが、年内最後のシャンプーでカワイクしてもらいました(首元参照)


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 御影にある不動産屋さん兼ペットシャンプーの「セジュール」の横田ちかさんで、「クリスマスだからこれつけましょうねえ」と。

 セジュールさんを紹介してくださったのはペットシッターアビーの土井紀子さん。


 それに長年HPやチラシ制作、イラスト画でお世話になっている(有)ファブリーの村岡正司さん・みきこさんご夫妻の顔も思い浮かべました。

 そうだ、最新の手法で身体や心のケアをしてくれている専門家の方々も。


 こんな小さな団体、ちいさなわたしとリンちゃんのためにまごころこめて変わらずお仕事してくれる方たち。

 
 感謝できることにもういちど感謝したい。



―わたしのお蔭で儲かったくせにわたしに感謝の言葉ひとつ言えない、
   人のこころの醜さもみた年に―




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 奈良県中小企業団体中央会様での「承認研修」は、受講生21名中ご提出17名となりました。

 たくさんの企業にまたがっているのに、立派な数字であります。


 ふとしたことから、受講生派遣+宿題督促の窓口になっている企業の総務の方と中央会の担当Nさんとの間のメールのやりとりをみる機会がありました。

 Nさんから、実にこまやかな丁寧な表現で「講師の先生は必ずコメントして返してくれますよ」と督促し、企業の方もそれに礼節正しく応答されているのでした。


 そして、無理強いされて負担なのでは、という心配をよそに、提出された宿題は大変レベルの高いものでした。

 初期のご提出分もみごとでしたが、やや遅れて提出された分は、あとの「行動観察」がよく入っていました。


 全従業員にスケジュール記入に感謝の言葉をかけ、それに応えてスケジュール記入をしてくれるようになった、というもの。

 その他、「認めた結果次の行動をとってくれた」というもの。

 一番詳しい結果観察としては、

「上記3項目を伝えた結果、お客様からの信頼度が、UPされて来ている 特に現場からの状況や問題点など、細目に連絡が入るようになって来ているので、取引先や当方にとっても 情報が生かされ スピ-ディに判断が出来る」

というのがありました。研修から10日後のきのうご提出のものだったので、「承認」実践後に1週間から10日かけて経過観察されたと思われます。


 これ、経営的にすごく大きなことですよね〜。

 また
「研修って、効果ないものでしょう」
「効果が出たとしてもすごく時間がかかるんでしょう(3年とか)」
という従来の見方を完全に覆しています。


 中には、近著『行動承認』を読んで実践していただいたんじゃないかな〜という、レベルが高いというか、趣旨を正確に理解しておやりになった感じの実践もありました。


こうして、「できるようになる(受講生様が)」ことのために4時間という研修時間があった、と考えれば、「4時間」は決して長くない。むしろ、2時間ぐらいでやろうとするほうが狂気の沙汰だ、と思えます。
今回の4時間もフルに目一杯使って、・やっていただきたいこと・そのために気をつけてほしいこと の両方をお伝えしていますからね。


 やっぱりこういうことって担当者さんの「確信」がすごく大きく影響していると思います。
 Nさんが担当だから、ここまでになった。


 こうして、「まずは、レベルの高い宿題を提出していただく」というゴールも、多くの担当者さんはご理解いただけないところがあります。ので、そのためにどんな告知をし、講師紹介をし、場づくりをしたほうがいいのか、ご説明しても「ピン」とこないし、「うるさいヤツ」と思われてしまったりします。

 Nさんは、これまでご一緒したどの担当者さんよりも、この「ゴール」をよくイメージされていらっしゃいました。

 こういうのはわたしから強制できることではないので、本当にそのかたのもっているセンスとか、未来に対する想像力とか、みんなが幸せな状態ではたらくことを心底願う気持ちだと思います。


****


 先日の国際教養大学(AIU)開学10周年式典でお会いした、宮崎公立大学学長の林弘子先生(弁護士、労働法)より、嬉しいご著書『労働法〔第2版〕』(法律文化社、2012年)のご献本とお便りをいただきました。


 たまたまパーティーでお話して、ご専門が労働法であることを知り近い分野とあって色々とご質問させていただき、また拙著もご献本させていただいたお返事です。


 添えられていたお手紙には、変革途上の公立大学の学長として多くのご努力をされていること、その中で拙著を読まれ大変共感できたと書かれていました。
 

 しっかり読み込んでいただいたご感想に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 そうなのです、心正しいリーダーの「企業変革」の武器であってほしいのです。
 たぶん、しっかり読まれたかたにはそういうものとして理解していただけると思うのです。


 
 また、以前にも神戸弁護士会のセミナーに行ってコメントを求められそうになりましたが、これも不遜な言い方ですが当協会方式の「承認」は、たぶん企業実務に関わるどの分野のかたからみても風通しの良い、矛盾を生じない方法です。

 たとえば所謂「コーチング」の中には、「それ労基法に定める『労働者性』の概念からしてどうなん?」というものもあり、賛同できず距離を置いています。

 
 ひとりのマネジャーがパワハラもコンプラもメンヘルも、ありとあらゆる研修を受けますから(ただ大半は表面的なものですが)、他分野と矛盾せず、安心して使い続けられるものをご提供することが大事です。残念ながらそういうものは他にほとんどありません。



 だから、ほかならぬ「この教育」を普及することが大事。ということを、きちんとわかり、頭でわかっているだけでなく行動レベルでできる人と今からはご一緒したいなと思います。


 「自分の自慢ができればいい」とか「部下の自慢ができればいい」とかいうのは「向こう三軒両隣しかみえない視野の狭いおばちゃん」同然(それもおばちゃんに失礼な言い方ですが)なのです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 新著―というよりもう「近刊」と言ったほうがいいのでしょうか―『行動承認』―で強烈な活躍をみせるのは多くは男性マネジャーです。


 研修を通じての女性管理職とのお出会いは、現実のその階層の女性の数の少なさを反映してか、多くはありませんでした。たぶん通算で「男性9、女性1」くらいでしょう。今後も、特別「女性育成用の講師」になることなく、現実の男女比を反映した形での管理職研修の講師をやっていきたいと思っています。


 ただ、女性の活躍場面が少ないとはいえ、ある点で「女性読者が読まれてもイヤな気分にはならないだろう」と胸を張って言えることがあります。

 それは、「表現のユニセックス化」―すなわち、女性といえども「可愛いお嬢ちゃん」扱いした表現はしないとか、女性だからこういう一段下げた表現をするのだろう、男性だったらもっと勇壮な表現になるだろう、というような、「微妙に男女の扱いを変えた表現」はしない、という原則で執筆したことです。


 「切り込み隊長」
「成熟度の高い人格の人」
「成績優秀で表彰もされたという『勉強の虫』」
「誠実で緻密で責任感高く、正しいことが好き」


と、登場する女性を形容する言葉は、その人の人柄を反映しかつ男性でも女性でも当てはまるであろう言葉を選んで使いました。またやはり「行動承認」によって記述的にその人の行動を描写し、「価値ある行動をとっている人」と読者から評価されるよう心がけました。


 それこそが「行動承認の世界」なのです。

 この社会に優秀な女性は沢山います。そして彼女らは決して傲慢でもクレージーでも権力者に媚びているわけでもありません。普通にこつこつ、良い行動を積み重ねて実績も出してきているのです。


 メディアの世界では、これはマスコミの住人独特の感覚があるのかもしれませんが、奇妙に「女性性」のレッテルを貼った言葉遣いが今もはびこっています。

 当ブログでは今年5月、「女性を形容する言葉にはびこるステレオタイプ化」を話題にしました。


 あなたはいえますか「先見性のある女性」
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51889142.html


 男女をへだてなく見る当協会だから、また言葉に人一倍厳しいわたしだから、こうした視点は絶えずもっていたいと思います。


 一方でご存知のように極端な人格の女性、というのも(男性と同様)職場にはいらっしゃるもので、中にはそういう人も登場させましたしそれはえこひいきなしで「現実にいるよね、こういう人」ということで登場させました。


 また、良い評価を伴って登場させた女性にしても、一部「お母さん役」「姉のような」と、「女性役割」を連想させる言葉を使ってしまった箇所もありましたが、これもその人のキャラクターで、中には非常に家族的な包容力のあるキャラクターで職場に良い影響を与える女性もいる、ということであえて使っています。みんながみんなそうではありませんしすべての女性にそういう役割を期待していいわけではありません。


 
 

 わたし自身も女性なので絶えずそうしたステレオタイプ化を受ける立場なのですけれども、非常に細かいことでいうと、「熱い思い」「強い想い」みたいな、「おもい」という言葉もイヤなんですね。

 「強い志」「強靭な意志」と、男性的な言葉で言ってほしいのに、と思います。「思い」「想い」という言葉は主観的で感傷的でいかにも世間知らずのバカ、という感じですきじゃないのですね。わたし実証的にやってるけど、と言いたくなります。これは正しい正しくないではなく美学みたいなところですけれども。

(参考「想い」についての違和感
http://c-c-a.blog.jp/archives/51788949.html)

 また「熱く」はない、とも思います。男性は、生物学的に体温が高いので「熱い」が当てはまるのかもしれませんけれどね。このブログの読者の方は、わたしのことを「クールヘッド、ウォームハート」の人だとは思われないんでしょうかね。「クールな人」って言ってほしいなあ。これも以前どこかに書きました。

 あ、わたしの文章を読んだかたが体温が上昇して「熱く」なることはあるだろうと思います。「文を短く、接続詞を減らして」というのは狙いとしては、読んだ方に「かっか」していただくことなんです。「オレもやろう!」って。文が長くて接続詞が多くてくどくどしかったら、「かっか」することはないですよね。


もうひとつ、「純粋」「ピュア」という言葉も、できればご遠慮いただきたい言葉です。
合わないと感じたオファーを悩んだすえにお断りした、というときにそういうことを言われるのですが。やっぱりそのお仕事を無理に引き受けた結果みっともない事態になってしまい、当協会にも「承認」にも傷がつくかもしれない、というようなことまで、代表だから考えますもの。責任ある立場だからそこまで考えるんで、子供みたいな「ピュア」という言葉で言われてしまうと、何だかなあ、という感じです。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 先日兵庫県立美術館の「騙し絵II」に行ってきたので、記念にうちの自宅兼事務所にはエッシャーの「物見の塔」のポスターを飾ってあります。


 さて、2つ前の記事『行動承認』制作秘話<表記編>で、ひとつ、執筆にあたってわたしがこだわった表記に触れるのを忘れてしまいました。


 それは「みる」という動詞。出現箇所によって違うのですが、「承認する」という行為に関わる「みる」という動詞はひらがなで表記してあります。

 大半はひらがなで、ごく一部に「見る」と表記しているところがあると思います。それは「承認」と関係のない「見る」という行為です。


 1人の人の中で「みる」という行為の質が、「承認」の習得と実践によって変わってくるように思います。

 漫然と「見る」―それは「見たいものを見たいように見る」、「恣意的に見る」という、やや質の低い「見る」であります。「承認」学習前の人は大半はそちらをしています。

 それが、「承認」とりわけ「行動承認」の習得後には、人の動作、行為、をライブの動画として認識すること、また成果物から背後にある人の労力を想像すること、と二通りの意味で「みる」が徹底されます。

 「マネジャーは自らの視線からバイアスを抜いて人々の行動をみよ」

 このことを、「承認」の長いバージョンの研修では、「錯視」の例を挙げながら伝えます。

(こういう要素が入れられないから、短いバージョンの研修は困るのであります)


 この訓練を積んだマネジャーたちの「みる」という行為は、もし漢字で書くとすれば「観る」「視る」「看る」など、複数の漢字が当てはまります。同じ「みる」でもそういう高度なことをやっています。


 「観る」という字はよく宗教的な意味合いでつかわれますが、「行動承認」は変哲もない単純なトレーニングを通じて現役のマネジャーたちにそれをやってもらうことができます。


 漢字何文字分もの高度な「みる」という行為を日常の業務の中でやっているマネジャーたちへの敬意をこめての、「みる」というひらがなです。


****


 夜、お電話をいただき、『行動承認』の「おわりに」の章に登場された、母が晩年にお世話になったグループホームの院長先生(女性)からでした。

 贈呈した本が届いたお礼の言葉とともに、院長先生は亡くなった母の思い出を語られました。老人病院に移さざるを得なかったことは悔いが残ったこと。認知症を患ってはいたがしっかりした女性だったこと。

 わたしは、ターミナルケアとしての「行動承認」について院長先生から是非コメントをいただきたいことをお願いしてお電話を切りました。

 院長先生の愛と必死の援助に十分に報いられなかった私たち家族。その後、ホームでは入所者にリビングウィルを書いてもらうことを推進されているそうでした。



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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 新著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』(パブラボ社)は、お蔭様できのうAmazonで正式発売になりました。


 今日Amazonページをみてちょっと嬉しかったこと。「承認」のキーワードで検索したとき、一番左上に『行動承認』のイメージが出て、いわばこのカテゴリの1位になっていました。

 それまでこのカテゴリの1位2位は、「承認欲求」の負の側面を論じた、まるでそれだけ読むと「承認」までわるいものに見えてしまう本でした。


 以前からわたしは、「承認」を行為者の側から論じたほうがはるかに生産的なのに、と思っていました。もちろん今どきのSNS世代の若者の「承認欲求」の暴発に目配りすることもある程度は大事なのですけれども。

 「承認する大人」の存在する社会にする、ということはもちろん労力を要することで、その手の社会変革に関心のない人には「無理だ」と、不可能を前提に考えられがちです。とりわけ、精神科医などで若者を治療する立場の人たちは、「若者の心のほうを治療しよう」と考えます。
 ところが「承認する大人」を教育の力でつくることでどれほど大きな、多方面の幸せがつくれるかを知っている側からみると、若者の承認欲求をひたすら慨嘆口調で語ってみせることは時間のムダのような気がします。


 まあ、それは例によって「コップの中の嵐」のお話です。

 「承認」に関心のある人たちが『行動承認』に関心をもってくださったら、次の段階やることは、本来そういう言葉すら知らなかった人たちに関心をもっていただくことです。


 
 今回は、『行動承認』の本の制作秘話の続き、題して<表記編>を書きたいと思います。


 たぶん、読まれたかたは動詞の「働く」を「はたらく」とひらがなで表記していること、また一人称の「私」を「わたし」と表記していること、に気がつかれると思います。

 まずは、「はたらく」のほうから―。

 よく「はたらく」の語源は「傍(はた)を楽にする」だと言われますが、ネットで探しても本当にそうなのかあんまり判然としません。
 でも「労働そのものを愛する、欧米のように苦役とは考えない」という考え方は日本人にもともとあったようなのです。

 このブログでは読書日記

 「はたらく」ことは苦行ではなかった―『ドラッカーに先駆けた江戸商人の思想』
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51615118.html

で、ご紹介していますね。


 『行動承認』を執筆するにあたって、「働く」と「はたらく」2つの表記を比べてウーンと考えた結果、次のような原則にしました:

1)「承認」によって幸せな変化が起きたあとの職場や人について言う場合は「はたらく」とひらがな表記にする
2)「承認」以前の職場の場合、またはわたしの地の文でないほかの人のセリフや文章の中に出てくる場合は「働く」と普通の漢字表記にする


 まあおおむねこういう原則にしたと思うんですが、もし見逃していてこの原則に当てはまらないところがありましたらごめんなさい


 もう1つのひらがな表記、第一人称の「わたし」。

 一人称は、前著『認めるミドルが会社を変える』では「筆者」としていたのですが、今回それはちょっとよそよそしい感じかな?と思って変えました。

 そしてなぜ漢字表記の「私」にしなかったかというと、これも多少は悩んだのですが、「私」という字は「公」「私」の別の「私」をイメージさせる。プライベートとか、まったく個人の所感とか、そういった語感が出る。
 ここはちょっとおこがましいのですけれども、本書において著者のわたしの立場とは何か。ある教育の世界の中で、極力多数の人の視点を併せもつことで少しでも「完全」に近づこうと努力している人、いわば「公人」なのではないか、すると「私」という字はそうあろうとしていないように見えないか、という感覚が働きました。
 もう1つ、「私」という表記だと、「自」「他」を截然と区切っている感じがするのですね。できれば、受講生さん方やその部下やそのご家族まで身内のように愛しく思う、自分と他人があんまり分かたれていない、境界がすこし曖昧な状態、(それはまた「依存」を生んで自分の首を絞めかねないんですけれども)でいたい、という感覚もありました。
 こういう感覚というのは執筆中は言葉にできなかったので、担当編集者の白岩さんにはご迷惑を掛けたかもしれないと思います。

 出来上がりの本をみると、やっぱり「わたし」が地の文に溶け込んで違和感なく読める気がします。




 それ以外は、表記にそんなに「こだわり」を持っていなかったつもりなんですけれども―。
 数字については、漢数字が必須と思われるもの以外は基本的にアラビア数字にしました。
 
 あとは、「…するとき」の「とき」、「…したこと」の「こと」、「…したところ」の「ところ」などは、漢字表記の「時」「事」「所」などにせずひらがな書きとしました。そのあたりは若い頃勤めた通信社の「記者ハンドブック」に事細かに決められたルールがあったのでそれに準じました。同様に「ある」「ない」なども「有る」「無い」と漢字表記はせずひらがな書きにしました。

 ただこれらの点は、今の中堅以下の世代の人たちの書くメールですと漢字表記も多いようです。「無い」とかはよく出てきますね。ワープロ変換で漢字が自然と出るからかなあとみていますがひょっとしたら新聞的にもルールが変わり、書籍の表記も変わっていくことになるかもしれません。


 
100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
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 新著『行動承認』制作秘話の続きです。
 今度は<文章編>とでも言いましょうか。。

 もともと、内緒の自慢話をしますと、前著『認めるミドルが会社を変える』も、売れませんでしたが、

 「非常に読みやすい」と、実践者であるマネジャーさんがたから評価していただいていました。とりわけ既成のコーチング本、マネジメント本を沢山読み漁った後この本にたどり着いた人ほどそういうご感想を持たれるようです。


 でそれは、正田の「承認研修」の作りとまったくおなじ考え方なのです。要は

「実践するタイプの人の脳の仕組みを前提に考え、そこに入りやすいように言葉を作る」

ということをやっているから、だと思います。一応正田自身はそういうことを意図しております。それが成功しているかどうかは、結局受け手のマネジャーさんがたにきいてみないとわからないことなんですけれども。


 そして今回、出版元パブラボ社さんの「大いなる賭け」に乗っけていただいた新著は、さらに一層文章をアップグレードすることにしました。


 そこでは、以下のようにいくつかの原則を設けましたが、読者の方はお気づきになられたでしょうか―:


1.ワンセンテンスを徹底的に短く。

 とりわけ冒頭の「だ、である」調で書いた「篠山市商工会」のエピソードはそれを徹底しています。例えば最短では「原田も同意した。」の1センテンス7文字。まあこれは極端ですが、極力、ワンセンテンスが1行程度の長さになるよう、余計な修飾語を減らしたり、長いセンテンスはロジックを考えて2つ以上に分けたりしました。


2.接続詞を極力使わない。

 「ですから、」とか「また、」とか「しかし、」とかの接続詞を使うところも極力減らしました。ゼロにはできませんが非常に少ないと思います。
 不思議なもので、接続詞をむしろ使わないほうがロジックの流れが頭に入りやすいんですよね。なまじあるとそれに自分の頭の働きが制約されるような気がして、ロジックが押しつけがましくきこえます。ロジックに自信があるばあいは、むしろ「接続詞なし」のほうが、読み手のかたが自力でロジックを読み取れるんです。(すくなくともわたしが読み手のばあいはそうです)日本語のちょっと独特の特性ですね。


3.読点も少なめに、平均的ビジネスパーソンのブレス位置で

 文中の読点(とうてん、文の途中の「、」のこと)の打ち方にも気を遣いました。
 ひょっとして、本作を「可愛い世間知らずの女の子のデビュー作」と印象づけるのなら、読点をたくさん打って、ほとんど文節の切れ目ごとに打つというやり方も「あり」だったかもしれません。
 わたしは、自分がどう思われるかよりも、忙しいビジネスパーソンにとっての「違和感のなさ」を大事にしようと思いました。今どきの比較的早口のビジネスパーソンがどこからどこまでをブレス無しで一気に読むだろうか、ひとまとまりの意味のかたまりとしてとらえるだろうか、と頭の中で「再生」してみて「このあたりでブレス」というところに読点を打ちました。
 読者様が読んでみて、いかがでしょうか。
 全てにそれを徹底できたかというと疑問が残るんですけれども、おおむね9割方はその原則でやれたかな、と思います。「呼吸するように、読める」のが理想です。


4.カタカナ語も徹底して減らす

 これは、前著のときにも同じ原則でやっています。研修に当たってもおおむねそうです。
 もともと、「ビジネスコーチング」の独特のカタカナ多用の世界には自分自身違和感をもっていました。日本人なのに、なんで「キャリブレーション」とか「コーチングマインド」とか「スキル」とか、英語使うんだろう。カタカナ語のつくる独特の高揚感が、かえって本当の「わかる」「わかった」という感覚を阻害していないだろうか。と思っていました。
 大体2005年くらいからそんなことを感じだし、研修の中で使うカタカナを徹底して減らす取り組みをしていました。(そうは言っても「チャンクダウン」などは日本語に置き換えられませんし重要な概念なので、泣く泣くそのままにしていますが)
 そして4年前に出した前著も、「非常に読みやすい」と言ってくださる実践者のビジネスパーソンや学校の先生とよくよくお話してみたときに、その人たちは「ふつうの本はカタカナが多くて内容が頭に入らないんだよね」と考えていることがわかりました。多分これは、英語が得意な人もそうでない人もそう変わりがないだろうと思います。違う言語が混じってくると、それにメモリを食われ、「認知的負荷」がかかってしまうんです。


5.ロジカルな内容を優しく

 上記1.〜4.のどれも意図はおなじ、「ロジカルなものを易しくわかりやすく」ということなのですが、とりわけ『行動承認』の「第三章 インパクト―組織と個人をダイナミックに変える『行動承認』」および「第五章 なぜ『褒める』より『承認』が大事か」の二つの章については、既存の経営学本、マネジメント本、コーチング本、自己啓発本、心理学本等に対して、自分たちのエビデンスやエピソードを使って、あるいは遺伝子学や社会心理学、神経経済学の知見を援用して、異を唱えている非常に理屈っぽい章です。
 えと一応ですね、正田は過去に医薬翻訳者というのをやっていて製薬会社さんの内部資料の臨床試験の論文とか手順書、プロトコルの類を英和訳するしごとをしていたので、文系出身の割には理系の人のロジックというのは「まあまあわかる」人ではあるんです。あんまり入り込んだことはわかりませんけど。
 そして一応、研修でも本でも理系の知見を自分たちのマネジメント論に援用するときは、「これはあくまで仮説です」と断りながらやっておりまして、研修にはこれまで製薬会社の方も何度か来られたんですけど、とくにお叱りは受けることはありませんでした。というかむしろ大いに歓迎してくださったかんじでした。なので、むちゃくちゃなロジックではないようです。
 あと前著に関しては大学の建築学の先生も読まれ、「これまでのコーチング本と違ってロジックに飛躍がないので非常に読みやすい」ということを言っていただきました。
 ・・・とはいえ、「ロジカル」ということは往々にして「冷たく」響くものです。またあっちこっちから根拠を援用することで、むしろ「自分は正しい」と無理やり言い立てているような、不自然な印象を受けることもあるものです。
 そこを考慮し、慎重に論理に次ぐ論理で展開している第三章と第五章については、とにかく言葉を易しく、全体の温かい親しみやすいトーンを損なわないように、ということを心がけました。「論理がうるさい」と感じられないように、気をくばりました。
 わたしが視野に入れているのはあくまで実践者のかたなので、とにかく「わかりやすい!」ことと、「自分にもできる!」こと、それに「ちゃんと根拠があって宗教みたいなものとは違う!」ということ、それらが印象に残っていただければいいと思うのです。
 
 
6.カギカッコを多く

 これは論理よりも「読み易さ」に関わる部分ですけれども、本をパッと開いたとき、そこのページに「地の文」がずーっと続いているのと、カギカッコの人の発言とかやりとりが入っているのと、どちらが読み易いでしょう?
 圧倒的に、あとの方、カギカッコが入っている方ですよね。
 今、『行動承認』をペラペラとめくったときに、ほぼ全ページにわたって最低1か所「カギカッコ」が入っているので、ああ良かったな、立ち読みの人もこれだと読み易いな、と思っているところです。


7.エピソードを動画のように

 冒頭のエピソード「篠山市商工会」と「第一章 12年前からの奇跡〜コダワリ上司とフンワリ上司、それぞれの幸福」あたりを読まれた方は、「企業小説を意識した」というのをご理解いただけるかと思うのですが、もう1つ意図したのは「動画として再生できるように」ということでした。
 いえ、たぶんドラマとか映画にはならないと思いますよ。「まとも」過ぎますもん。でもマネジメント本として読んだ場合には、この「動画のように頭の中で再生できる」というのは、読まれた方にとって嬉しいことなんじゃないかな、と思いました。
 正直言うと松本さん(実名)と小山さん(仮名)のエピソードは、時間が経っていたので少ししんどかったのです。松本さんの場合は、過去に3回も事例セミナーに登場して話をしてくださったかたですから、情報量としては元々いっぱいありました。ところが、いざ「企業小説のように書こう」「動画として再生できるように書こう」とすると、あと一歩足りない。そこで当時支店の次長だったかたが補足取材に応じてくださり、登場するそれぞれの行員の人となりとかを説明してくださいました。その部分があったので、わたしの中ではやっと「企業小説」「動画」として、動き出すことができました。
 小山さんのお話も少し以前のことなのですが、元々ご本人が非常に細かいところまで再現して話してくださる方なので、広瀬さん(仮名)とのいきさつなどもすべて事実です。そこに季節感などを現実の時期に応じて多少盛り込んだうえ、原稿段階で小山さんに久しぶりに連絡をとり、確認させていただきました。(ちなみに小山さんは、今は本庁のちょっとえらい役職になっておられました)
 脇谷さん(実名)のエピソードは当ブログでも昨年ご紹介したばかりで、正田もご本人の後をついて工場を歩き回ったので、「手持ちカメラ動画風」になるよう描写を工夫しました。さらに今回の出版に当たっては、ご本人から過去のドラマチックな「承認」の言葉などを思い出して加えていただきました。ドラマでいえば「回想シーン」のようなところです。その部分があったことでエピソード全体に深みが出ていると思います。
 また「篠山市商工会」はわたし自身なんども職場に足を運ばせていただいて、空気感がしみこんでいたと思います。今も、商工会館二階の事務所に足を踏み入れると「こんにちはー」と職員の皆さんが元気よく言われる、その声から「ああ皆さん元気に屈託なく仕事されてる」と実感されます。
 そして「補助金1位」のエピソードについては、当事者の波部さん(実名)、北島さん(同)のお2人がちょうど所用で神戸に来られたときに取材させていただきました。話を聴きながら既に「このエピソードの文体は『だ、である』だな」と思っていました。お2人が手帳などを細かく確認しながら間違いのない事実として1つ1つのことを話してくださったとき、なんというか生身の人が時々刻々の情報に触れながら決断し行動していく、そのスピード感を表現するには「だ、である」がふさわしい、と思えたのです。かつ、「篠山市商工会」は登場人物が多く、たくさんの人の視点を盛り込んだ文章にしたとき「ですます」体だと煩雑で読みにくそうだ、というのもありました。
「俊英」「直情径行」など、言葉遣いもここでは少し硬い言葉を使っています。もとは「軍隊組織」だった、という独特の組織文化と、城下町の篠山市のもつ武家文化的なたたずまいに敬意を表したつもり、です。
 その後原田事務局長(同)と何度かの原稿のやりとりとなりましたが、同局長からは「商工会組織としてはこういう言葉遣いをした方がいい」と正規の用語に直していただいたり、圓増会長のエピソードなど追加していただいたり、と非常に細やかに文章を色彩豊かにしていただきました。そういう助けもあっての「このエピソードが一番緊迫感のある筆致になっている」(パブラボ社)という評価なのだろうと思います。


 さておおむねこんなことを意図して執筆したものなんですが、いかがでしょう?気づいていただけましたか?

 あまりにも「読み易い」ので、この本に書いてある中味の権威が低いのか、ファンタジーなのか子供のよみものなのかというと、全然そういうことはありませんので、実践者のかたはくれぐれもご心配なさらないよう。

 「読み易さ」は、あくまで敬愛する実践者のかたの忙しさに配慮したものでありまして、書いてある内容はどんな権威づけられた高踏的な本よりも「まとも」です。100年後まで安心してお使いくださって大丈夫です。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

新著『行動承認』は、Amazonでは既に購入可能な状態となり、来週初めから神戸周辺の書店にも並ぶそうです。

 出版元のパブラボ社さんでは色々とプロモーションの仕掛けを考えてくださっているよう。

 そこでまだ書いてなかった、この本の「誕生秘話」をちょろっとお書きしたいと思います。


 そもそもパブラボ社さんとのお出会いは別の企画話からでした。


 そのとき正田が書こうと思っていたのは、「ナルシシズム」のお話。某女性研究者の騒ぎ(今は一夜の夢のようですネ)などもあった時期でそのほかにもどうも最近見聞きしたことで事例もたまったので、このテーマで書いてみたいなと。

 自分にとって本筋の主題、「承認」は、当面封印しておこうと思いました。4年前に出した『認めるミドルが会社を変える』が悲しくなるくらい売れなかったので、当面これは時流に合わないんだろう、いつかそのテーマで書けるときのために、今は「売れる本づくり」の勉強をするためにほかのテーマで書こう、と思っていました。


 今年5月25日、NPO総会+よのなかカフェのあと、三宮で初めてパブラボ社の菊池社長とお会いしました。フリーライター山口裕史さんのご紹介でした。


 「ナルシシズム」の企画書をみた菊池社長は「面白い」と言われました。

 実は、正田は自分では結構面白いと思っていたんですが、それまで接触した出版業界のかたが「???」な反応ばかりだったので、腐っていました。いつもの伝で口のわるい正田は「えっ、あなたナルシシストで苦労したことないの?ひょっとしてあなた自身がナルシシストなので、気づかないんではないの」てなことを内心思っていました。まあ出版にかぎらず、マスコミ業界のかたってはっきり言ってナルシさん多いですよね。


 菊池社長のばあいは、直近で「どうみてもナルシ」という人をみたことがあったそうで(大丈夫かなこんなこと言っても)、「あるある、困りますよねこういう人」と、見事なくらいストンと同じところに「落ち」ました。


 それが菊池社長との接触1回目。

 2度目は、同じ三宮の「にしむら珈琲店」でお会いしました。そのときはまた、「ナルシシズム」についてのもう少し突っ込んだやりとりを当初していました。ただ企画書に書いた目次にも、終わりごろの1章に「承認」に触れたくだりを入れていたので、

「なんですかこの『承認』というのは」

とツッコまれて、

「えへへ私の本来のテーマは『承認』なんでーす。でも前に出した本が売れなかったから、『私まともすぎるのかなあ』とか思って、当面ほかのテーマで本を書いて勉強しようと思ってるんでーす」

と白状。

 しかも用意のいいことに前著を持っていて、「これ差し上げまーす」。


 てなことを書くとすっごい計算高い女のようですが、なんか前回の面談で、菊池社長に対して

「どうもうちのNPOの会員のマネジャーさんがたと同様、近いノリで話ができる人なんちゃうか」

という印象を持っていたようです。


 あとは、何やかんやお話した中に『行動承認』の「おわりに」に書かせていただいた、自分の母親のエピソードなどもお話したとき、菊池社長の目がキラッと輝きました。


 別れ際に菊池社長の顔が紅潮していたのを覚えています。


「時々あるんですよ。地方の著者さんがすごい掘り出し物のテーマを持ってるってことが」

 そしてつい2時間ほど前に神戸に来たはずの菊池社長はもう今から東京に戻る、と言われます。

「えっ、たったこれだけのために来られたんですか」

「ええ、よくあるんですよそういうこと」

 にしむら珈琲店を出た菊池社長はそそくさと立ち去っていかれました…



 翌日、菊池社長からFBメッセージをいただきました:


「正田さんの本、帰りの新幹線の中で読みました。ふつうに面白かったです。

(注:この方の「ふつうに」はどういう意味なんだろう謎。。)

マネージメントだけでなく人間関係全般に通じることですね。こちらのほうを本にしたほうがいいと思いますがいかがですかね?」



 ・・・というのが、基本的に『行動承認』の企画のはじまりです。

 急に企画が変わっちゃったけれど、それは全然私的にはOKのことで、とりわけ2013~14年に「承認研修」でバッタバッタと成果を出していましたから、これを一度何かの形でまとめないと歴史に残せない、しかし地元メディアにはずっと白眼視されていて取り上げてもらえない、という状況でした。なのでパブラボさんからのオファーは「渡りに船」だったのです。


 そのあとも多少二転三転あって、「承認」をつかった「女性活用の本」にしようとか、「叱り方の本」にしようとか、いわばいろいろある「承認」の効能書きの一部を切り取って売れ筋の本にしよう、という案が出ては消えました。それは、「売りやすい本をつくる」という出版社さんの要請からしたら当然のことかと思います。


 でも最後は本筋の「承認」の全体像を「まとも」に取り上げた本にしよう、ということになりました。マネジメント全体について女性著者が「まとも」に問いかけた本は、わが国では少なくとも前例がありません。売れるという保証もありません。


(「僕、『承認』に惚れ込んでるんです」と菊池社長は言われました)


 そしてタイトルづけに関しては、マーケティングセンスのない私は大人しくパブラボさんにゲタを預けることにしましたが、ふたを開けてみるとご存知のとおり『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』という、超「まともな」タイトルになりました。なんでも菊池社長と担当編集者の白岩さん、それに営業担当者のかたと3人で侃侃諤諤の議論をして決まったタイトルなんだそうです。



 さあ、「まとも」の二乗になったこの本はどう受け入れられるでしょうか・・・


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 もう1つ、「まとも」が通じた例がありました。


 来月、奈良県中小企業団体中央会様で3回シリーズの「承認中心コーチング」のセミナーをさせていただきます。

 担当のNさんはまったく面識のない状態で当協会のHPをみて依頼をしてこられ、奈良からうちの事務所をご訪問くださったり当協会主催セミナーにも足を運んでくださいました。

 同会では実質今週から会員企業向けに本格的案内を始めたそうですが、3回シリーズ各4時間のセミナーというのにあっという間にお申し込みが17名となり、満員御礼まぢかの状況です。

 一体どんな案内をしたらそんなにリアクションが良くなるんでしょう。と思いませんか。


 今日、Nさんにお願いして案内パンフのデータを送ってもらったところ、これがごくごく「まとも」な内容。

 というか、各回の内容の説明はわたしが同会向けにご提出した提案書の文面そのままでした。

 
 ごく普通の言葉づかいで、会員様向けに誠心誠意考えた言葉が、会員さんにもちゃんと届いたということなんです。

 Nさんはそこに一切手を加えなかったんです。Nさん自身非常に表現力の高い方で、自分オリジナルの言葉にしようと思えばできたのに。


 Nさんへ私からのメール:

「しみじみ有難いことだなあ、
というのは、ブログでお読みになられたかもしれませんが
今年、ご提案内容をひっくり返されるということも続けて起こり、
「私が女性だから提案を信じてもらえないんだ…」
と落胆することが続いたからです。
今こうしてみると実際にそれは性差別だったのだろうし、
逆にNさんはそれをしない方だったんだ、と思うのです。
ごめんなさい気分の暗くなるようなことを言いまして。」


 Nさんからのご返信:

「今回のチラシのデザインは、あえてものすごくシンプルにしております。

インパクトを出し過ぎて、その響きに呼応して、ミーハーな気持ちで来ることを抑制することが狙いです。

内容を見て、3回連続の研修でも参加したいという方に来ていただきたいとの思いです。

単に面白そうと思ってくる人より、何かを変えたい、これなら変えられるかもという希望を持ってきてほしいなと考えて、
あえて、いつもの全く逆の仮説を立て、変に飾り立てせず勝負しようと思っておりました。

下手すれば、見逃しそうな地味なチラシを見てきていただける方は、いい人かもという仮説も立てました。

(中略)

尚、ご応募いただいた企業様には、お電話で、「行動承認」をテーマとした、3回連続シリーズの実践型研修になっております
と、当たり前ですが、念押しで確認をしてから事前アンケートを送付しております。

それをきいて、えー、というような半端な方はいまのところおりませんでした。

本当にありがたいことだと思っております。

残席わずかで、いっぱい来たらどうしようと、本気でドキドキしております。

チラシ送付2.3日での結果ですので、隠しても、隠しきれないすごさを感じております。」


 
 読者のみなさま、ここまで読まれてどんなことをお感じになりましたか?


 正田はしみじみ嬉しくて、頭が止まっちゃったようになったのですが、

 好漢のNさんはその後お電話もくださいまして、

「本も出されましたし、先生、これまでのようなことはもう今からはないですよ」。

「有難うございます。こんなに『まとも』な形で出してくださいまして、光栄です。本当に感謝の言葉もありません」


 実はそのお電話をいただいたとき整体さんに行ってたのですが、人前でほとんど涙ぐみそうになったのでした。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 もうすぐ、秋田の国際教養大学(AIU)開学10周年の記念式典が行われます。

 
 新著『行動承認』の中にもAIU創設者である恩師・故中嶋嶺雄先生の思い出を思い切り書いてしまいました。記念式典では、先生の奥様やお嬢様も来られますので、感謝とともに献本をさせていただこうと思います。


 以前このブログにも「内では慈父、外では闘う父」と題した追悼文を載せました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51852662.html


 この記事に書いていたとおりわたしがゼミ生だったのは先生がちょうど今のわたしぐらい、50歳前後の時期でしたので、「闘う父」の顔もけっこうみていたように思います。講義では「Discipline(ディシプリン)とは何か―ここでは、専門の学問の基礎トレーニングのような意―」と厳しく学生に問いかけ、日本の外交政策にも、のち学長となられた自大学の運営にも舌鋒鋭く意見されましたが、一方で自分を慕ってくる学生には本当にやさしく、面倒みのいい先生でした。

 ゼミ生は誰でも、「自分は先生に可愛がってもらった」と感じていたのではないでしょうか。


 不遜ではありますが先生もわたしと同じ、「親密性」のもちぬしでいらしたんではないかな、と想像します。


 ひょっとしたら「責任感―使命感に通じるもの―」も、あったかもしれません。
 単なるオピニオンの人ではありませんでした。

 もうひとつ先生の生前に機会あって書かせていただいた書評がありました

 行動する教育者の実体ある教養論―書評『日本人の教養』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51793514.html


 そういう先生に育てていただいた、のです。


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 新著の「見本」(贈呈用の完成品)がパブラボさんから届き、ここ数日は登場人物さんやお世話になった方々への献本の発送に明け暮れています。


 2冊目の本ではありますが、この本は前著にまして一層の愛着があります。よりたくさんの人の手を煩わせ、そしてたっぷりの愛情を注がれて生まれてきた子。


 「企業小説」を意識して書いただけに、登場人物さん1人の1人の思いや情景をわがこととしてとらえ描写することも、一層深く入り込んだ意識で書かせていただきました。


 なんて、でもこちらでどんなに思い入れしても読者様方に愛してもらえなければ仕方がないのですけれども。
 行った先でも可愛がってもらえるといいなあ。




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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 新著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』(11月1日)のゲラを読まれた、この本の登場人物の1人の方から嬉しいご感想をいただきました。

 「まだ未成熟な感想ですから」と謙遜してはりましたが、いえいえとっても嬉しいご感想。お言葉に甘えさっそくブログ掲載させていただきます。

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ゲラを拝見しておるのですが僕の話こそ、その話いる?!って思って申し訳ない気持ちです。どうみても、唯一ボヤいてるだけですね笑

しっかりしろよ、俺。

でも、最後はちゃんと先生が、こんなダメ男くんも、行動承認はしっかり救いますよって書いていただいていたので、良かった、助かったなんてやさしいんだと思いました笑

素晴らしい本に、登場させていただいて、本当に光栄です。

正田先生、本当にありがとうございます。

ここまで出し惜しみなく、きめ細かく、注意点まで書いてくれている実用書にたくさん事例まで入ってるって、これ、ありがた過ぎます!

究極の実践書であり、実戦書だと思います。

真のマネジメントを身につけたいすべてのミドルの方々に。

心して読め!と声高に叫びたいと思います。

僕、めちゃくちゃ幸せな会社作りたくなりました笑

この本をみながら、幸せに働いてもらって、ジャンジャン儲けたいなと思いました笑

ジャンジャンは余計でした。猛省。

でも、本当にこの本があれば大丈夫!!

多分、そういう気持ちになれる人がたくさん出てくるとおもいます。
希望が持たせてくれる本だとだと思いました。

これは、お世辞ではありません。

働くことは辛いことという前提をなくして、希望を持って思いっきり仕事ができる。

その永遠の課題とも思えた課題に、いよいよ、全国的に光明が差しますね!

事例セミナーのあの名言通りに。

夢じゃなくなるんですね!
先生の御尽力のお陰で。

その時、歴史が動いた。
決して言い過ぎではないですよね。

こんなのが欲しかったんです。
この本を手にとって、自信を持って前を向いて歩いていっていただきたいですね。

今は、私がいうので説得力がないですが、後々、わかると思います。

出版社の社長様が惚れ込むのも当然だと思いました。


+++++


めちゃくちゃ嬉しくなるようなご感想を、ありがとうございます!(^O^)

じーん。書いて良かったなあと、心の底から思いました。


もうお1人の「歴史を変える1冊です!」と言ってくださった友人も、この方も同様「ロスジェネ世代」であり、
わたしはふっと半沢直樹シリーズの『ロスジェネ世代の逆襲』を想起しました。


この人たちが活躍するために、わたしたちバブル世代は道を切り拓いてあげられるのかもしれない。団塊世代から残る悪弊を断ち切って。




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NPO法人企業内コーチ育成協会
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 11月7日に行う「事例セミナー」(ブログ記事上の案内参照)のパネリストの1人、原田豊彦・篠山市商工会事務局長と発表内容の事前打ち合わせ。


 「夢物語みたいなこと、言うてもええんですか」のセミナータイトルの元になった言葉を発した同局長。


 既に発表原稿もつくられて、昨年秋に研修導入をされるまでの経緯、研修中の「どっひゃ〜」となるようなハプニングや研修中〜終了直後に起こった「夢物語みたいなこと、言うてもええんですか」のお話を、時にユーモアあり時に商工会組織としての理想とコダワリあり、と盛りだくさんに語っていただくことになりそうです。


 「『笑い』のないのはスピーチではない!」

が信条の同局長、たぶん、マジメ人間の多いパネリストの中ではもっとも会場を「沸かせる」ことでしょう。。(ご本人も本当はマジメな方なのですが)


 その前日、兵庫県商工会連合会の足立誠常務にお会いし原田局長ら篠山市商工会の面々が冒頭に登場する新著のゲラをお渡ししました。


 「君あれを見たか!あれはきちんと確認したのか!」

と、足立常務は興奮気味に話しかけてこられた、とのことでした。


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 夜7時、新著『行動承認―組織の能力を最大化する『認める力』」は無事「校了」となりました。

 2度目の出版とはいえ今回は緊迫感あふれる最終段階でございました。もともと10日(金)校了の予定でいたところ6日(月)の午後に(株)パブラボの菊池社長からお電話がかかってきて

「正田さん、8日校了にできませんか」

とおっしゃる。広告の都合で10月末には本が書店に並んでいる状態にしたいのだそうです。

 それは本来11月7日の「事例セミナー」を抱える当協会もありがたいことなのですけどね。。。

 以来バッタンバッタンのゲラのやりとりとなり、外出は全部キャンセルできない種類のものでしたが出先からチャチャっと戻りPCの前に座ってひたすら校正を続けました。この間研修が入ってなかったのは幸いでした。


 担当編集者の白岩さんもほぼ『行動承認』にかかりきりで修正のメールやお電話に即対応してくださいました。

「図の矢印の向きがへんだ!」
「表のバージョンが古い!新しいカテゴリが入ってない!」

 ピリピリした状態でこういうことに2,3気づいたのは幸いでしたが本当に必要なことに全部気づくことができたのか、神のみぞ知るです。。

 わたし自身は気に入って読んだ本に誤字脱字があると結構「がっかり」してしまう人間なのです。


 この間1件だけとうとう予定をキャンセルしてしまいました。ごめんなさい。そして研修資料提出を遅らせている先様ごめんなさい。明日からちゃんと作ります(>_<)



 ともあれ前著があまり売れずに終わったため「あと10年は書けないのではないか」と思っていたテーマで書かせていただき、それも「僕、『承認』に惚れ込んでますから」とどストレートタイトルで世に問おうとしてくださる菊池社長、そしてパブラボ社のみなさま、本当にありがとうございます
・°°・(>_<)・°°・。



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 また夜7時半ごろ、(株)パブラボの白岩さんからお電話がかかってきました。

「今、タイトル案をメールで送りました」

 どれどれと開けてみると・・・、


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正田さま
(CC:菊池社長)

この度は、お世話になります。
大変お待たせしました。
表紙のタイトル案を決めました。

タイトル:行動承認
サブタイトル:組織の能力を最大化する「認める力」
帯:12年間「1位マネジャー」輩出
  現場から管理職まで使えて、業績が好転する新手法

社内で何度となく話し合いを行いましたが、
やはり「行動承認」を凌駕するタイトルは無く、
「行動承認」をもっともっと世に広めなくてはと、
改めて決意した次第です。

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 え〜〜。

 なんですかこれ。何もヒネリないじゃないですか。

 と可愛げのないツッコミを心の中で入れながら嬉しさを抑えられませんでした。

「もっと、『なぜ○○なのか』みたいな案もあったんですがねえ。
やっぱり社内で話し合って、これだろうと。
『行動承認』をわれわれも普及させたい、と。津々浦々まで。
日本で生まれたもので日本人に一番あったものですしね」

と白岩さん。


「ありがとうございます。
会員や受講生たちもきっと喜びます。
『行動承認』に誇りをもって実践してくれてますから」

「はい、ぜひこれからも誇りをもって実践してください」

 
 承認カルト教団、ちょっとカルトじゃなくなったかも(*^_^*)




 全くの新ジャンルを開拓するタイトルを打ち出すのは出版社さん冒険なのだろうと思います。

 そのご期待にお応えせねば といってももう全部書いてるけど。

 というわけで、みなさまタイトルは『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』になりました。まさかの、です。

しばらく放心状態になったあとやっとブログアップできたわたしです(>_<)



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