正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ:学びに感謝 > 判断を歪めるもの(ヒューリスティック・バイアス・ステレオタイプ)

あの日



 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第11弾です。

 ちょうど先週、「週刊文春」がTVコメンテーターの「ショーン・K」の学歴詐称・職歴詐称を報じ、ショーン・Kが番組降板をする騒ぎになっていました。今回はそれに少し近い話題です。

 今回の内容です:

1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる
2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ
3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」
 
 それではまいりたいと思います―


1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる


 小保方晴子さんがなぜ、理研のユニットリーダーというような重要なポストに就き、Natureに投稿することまで許されていたか?

 それまでには、何人もの世界的な研究者たちが小保方さんに騙されていたことになります。
 なぜ、彼らは騙されたのだろう。
 そこには、上司・指導者たちの要因と小保方晴子さん自身の類まれなる資質があります。
 今回の記事では、小保方さん側の資質。どういうやり方で彼女がすり抜けていったのかを、みてみたいと思います。
 このシリーズの(6)「私の会社でも」―読者からのお便り でみたように、類似の“事件”は企業社会のあちこちで起こっています。社長、株主、といった人たちが次々と騙されていきます。ですので、「まさか」と思われるかもしれませんが、トラブルの種は身近なところにあると思って、この事件から学べることを最大限学習していきましょう。




 わたしたちは、いくつかの判断材料がそろうと、それを基に「〜だから、〜だろう」と推論をする癖があります。
 そうした類推を「ヒューリスティック(自動思考)」といいます。それはわたしたちが日々、多数の事柄を扱い判断していく必要上生まれたもの。どんな人も毎日どこかでヒューリスティックをしていることを免れません。実務経験豊かな、「自分は判断力がある」「自分は人をみる目がある」と自信のある人ほど、日常的にヒューリスティックを使っていることでしょう。

 ところが、ヒューリスティックがわたしたちを誤らせることもあるのは確かなのです。
 その典型が、「小保方晴子さんの出世物語」であるといえます。
 さて、そこにはどんなヒューリスティックが働いたのでしょう。

※なお、「ヒューリスティック」に俄然ご興味が湧いたという方は、このブログのカテゴリ
「判断を歪めるもの(ヒューリスティック・バイアス・ステレオタイプ)」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50056283.html
を、ご参照ください。良質な参考文献もご紹介しています




2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ



 小保方さんの「売り」は、なんと言ってもそのプレゼン能力。

 是非、過去の学会発表の様子までみてみたいものですが、残念ながらそれらは動画の資料がありません。
 今ウェブ上でみられるのは、
(1)2014年1月28日、STAP論文のNature掲載を記者発表したときのもの
   (5分強の動画)
(2)同年4月9日、小保方さん自身による釈明会見
   (2時間〜2時間30分の動画)

 です。ご興味のある方はご自身でご覧になってみてくださいね。
 簡単に言うとここには「確信あるポーズ」と「青年の主張ポーズ」というテクニックが入っています。

(1) は、われらが小保方晴子さんが一躍、お茶の間の時の人となった記念すべきプレ ゼンです。
これをきいてみると、非常に上手いプレゼンであることがわかります。

「…隠された細胞メカニズムを発見しました」
「…胎盤にも胎児にもなれるという特徴的な分化能を有していることがわかりました」
「…2種類の細胞株を取得することに成功しました」

 「えーと」「あのー」などの「つなぎ」の言葉が一切入らない。それぞれのセンテンスの語尾まで迷いなくきれいに言いきっています。聴衆に向ける笑顔に曇りひとつありません。

 そして最後の決め、
「もしかしたら夢の若返りも目指していけるのではと考えております」
 この言葉は内容的にはすごく飛躍しているのですが、きれいなよく通る発声を維持したまま、確信をもって発音しています。ですのでこの言葉を頼りに、一時の夢をみてしまった高齢者のかたも多いようです。

 これらが、聞き手にとってどのような効果をもたらすか。
「ここまで迷いなく言い切れるのは、何度も実験に成功し、自分の中に確信があるからだろう」
 普通の人は、そう思います。

 それはわたしたち自身が、そうだからなのですね。大勢の人の前で話すということは非常に緊張するものです。そこで確信をもって語尾まできっぱり言い切れる、感情的なブレもなく、というのは、自分が何度も経験した上で確信を持っているからに違いない。わたしたちのうちほとんどの人が、そうでないとそのようなプレゼンは出来ないものです。

 しかし、そうした類推(ヒューリスティック)を裏切るのが、小保方さんのプレゼンです。

 前々回の記事(9)「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻 をお読みになった方なら、小保方さんは、「テラトーマができていない」という致命的な欠陥を隠したまま論文を書き、このプレゼンを行ったことがわかります。

 しかし、そういう「瑕疵」の匂いを一切感じさせない。可愛らしい満面の笑みを浮かべながら、伸びやかな発声でよどみなく、達成してきたことと今後のシナリオまで言い切ります。
 これが、「小保方プレゼン」の凄さです。
 プレゼンだけをきいたら、物凄く優秀な研究者であるように見えます。

 (もっとも、多くの偽健康食品や投資詐欺などの説明会で講師を務める人は、得てしてこういうものなのかもしれません)


(2)4月の釈明会見

 非常に長い動画ですが、ここでの小保方さんは1月のプレゼントはまた別の顔をみせます。
 まず、髪はシンプルなハーフアップ。フィット&フレアーのすっきりしたシルエットの紺のワンピース。
 プレゼンの口調は、1月の時よりはやや甲高くか細く、単調。ごくまれに質問に答えて「あのー」が出る以外はやはりよどみがありません。

 そして顔の表情。この『あの日』出版以後は、この会見の時の顔写真がTVでも頻繁に使われています。少しうつむき加減の、今にも泣きだしそうな表情。唇は小さく形よく結んでいることが多く、お雛様のよう。1月の時より一段階、あどけなく可愛らしい印象になります。

 お顔の表情だけを拝見すると、30歳の人というよりは、女子大生、いや女子中学生、下手をすると小学生のような印象です。

 見ていて胸が痛くなります。こんな幼い弱々しい表情をしているんだから、ちょっと刺激したら泣き出してしまうんじゃないか―。しかし小保方さん、2時間以上にわたって口調は変わりません。涙を流した場面もありましたが、また今にも泣き崩れそうに涙声が混じりかけた場面もありましたが、語尾に震えなどは一切入りません。その状態のまま、きれいに各センテンスを言い切っています。

 あの有名なフレーズ
「STAP細胞は、あります」
 この言葉は目をぱっちり大きく見開いてまじまじと質問を発した記者を見つめ、軽くうなずきを入れながら、児童劇団のセリフのようにはっきり発音されています。

 全体として、これによく似た若い人のプレゼンを見た、と思ったのは、そう、「青年の主張」です。
 小さな、取るに足らない存在の私。無力な私。その私が一生懸命実験をした、一生懸命やった。その中に一部、ミスがあったけれどそれは未熟な私がしたことなんです。全体としては良い意図をもってやっているので許してください。やや甲高い声のトーン、幼さと一生懸命さを印象づける顔の表情、いかにも「青年の主張」という感じです。

 ただ当時30歳という年齢や、修士時代から7年間の華麗な研究者履歴を考え、またNatureという世界の研究者が羨む雑誌への掲載という研究者としての円熟のステージを考えると、本当は幼い表情も「青年の主張」ポーズも、ちょっと無理があるのですが・・・。
 その無理を強引に押し切ってしまうのが小保方さんなのでした。

 このシリーズを執筆し始めてから友人と対話したところでは、友人の中でも聡明な、しかし非常に優しい人が、この時の会見で小保方さんに同情したことがわかりました。
「優しい」人の心をつかむプレゼン術を心得ている、したたかな小保方晴子さんなのでした。

 ここでも同じです。顔の表情や声のトーンをそのように調整し、よどみを作らないことで、小保方晴子さんは「一生懸命な、悪くない私」を演出してしまっています。

 そして、それを聴いているみているわたしたちの側にある「ヒューリスティック」とは。

「こんなに若くて、良家のお嬢さん風のあどけない顔立ちの女性が、一生懸命な面持ちでブレずに話しているのだから、悪いことをするわけがない」

 そういうヒューリスティックがわたしたちの中にあります。なまじ人生経験が豊富だからと、わたしたちの頭の中に刻まれている推論が、わたしたちを正しく考えることを妨げます。

 (1)(2)をまとめますと、(1)は「成果が上がりました!」というときの、経験豊富で確信に満ちた自分を演出するプレゼン。
 (2)は、小さい幼い自分と、一生懸命な良い意図をもった自分を演出するプレゼン。

 これまでの人生で、小保方さんは、この(1)(2)を上手く使い分けてきたことが想像されます。
 例えば、早稲田のAO入試や、「日本学術振興会特別研究員DC1」の取得のための「情に訴える」プレゼンなら幼く一生懸命な(2)を。
 また学会発表や、理研ユニットリーダーへの応募のプレゼンなら確信に満ちた(1)を。
 あるいは場合によって、(1)(2)の混合を。

 『あの日』には、2012年12月、理研ユニットリーダーに応募しプレゼンを行った小保方晴子さんが、そこで故笹井芳樹氏(理研グループディレクター=当時。のち理研CDB副センター長。2014年8月没)と出会ったくだりが書かれています。
 ここでも、笹井氏は小保方さんのプレゼンに「コロッと」騙されてしまったようです。

 多くの人が、「笹井氏ほどの人が何故騙されたのか?」と疑問を投げかけるのですが、小保方さんのプレゼン能力というのはそれほど凄いのだ、というしかないでしょう。恐らく、2007年以来様々な学会に顔を出す中で、経験豊富な研究者の口調や仕草などを物にしていったことでしょう。また上手くいかないところがあっても細部まで辻褄を合わせるテクニックも発達させていたでしょう。
(注:笹井氏側の「騙されやすかった」要因については、次回の記事で取り上げたいと思います)

 しかし、ウソをつき通した末にSTAP論文が大々的に発表になり、世間の注目を集めたことで不正が追及されることになる、というところまでは、小保方さんは想像力が働かなかったのでした。



3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」


「高名な学者たちが、本当は中身のない小保方晴子さんに何故騙されたのか?」

 だれもが抱く疑問です。

 この問いには、小保方晴子さんの7年間の研究者人生の後半の方で出会う学者たちについては、「ハロー効果」で説明できます。これもヒューリスティックの1つです。

 つまり、前任者の上司や指導者たちが「この人は優秀だから」と太鼓判を押してくれていると、それは「ハロー効果」となって小保方晴子さんを全面的に信用する材料になってしまいます。

 2010年、神戸の理研CDBに初めて行った頃の小保方さんは、それ以前の早稲田大学、東京女子医科大学、ハーバード大学時代の評価が積み上がっていました。ハーバードのチャールズ・バカンティ氏、東京女子医大の大和雅之教授、といった高名な学者たちの推薦もかちえていました。博士課程の学生の中でも最も優秀な人だけが貰える「日本学術振興会特別研究員DC1」を取得していることも、ハロー効果の材料になります。

 そうした「後光」の差すような教授たちの推薦という美しいアクセサリを身につけた小保方さん。その彼女に対しては毎日延々と長時間の実験をし、土日も出勤して実験し、成果が上がっているのかどうかはっきり分からなくても、それを疑問視したりはしません。「実験ノートを見せて」などと、初心者に言うような野暮なことも言いません。
(小保方さんの事件以後、この点は多くの研究機関で大分改善されたようですが)


 「ハロー効果」を補強するものとして、小保方さんの英会話能力も挙げられるかもしれません。ハーバード仕込み、非常に流暢に話す人だったようです。想像ですが、日本語でもこれだけ「感情表現」を沢山織り交ぜて話す小保方さんなので、英語でも普通以上に「感情語」を多用したかもしれないですね。その結果、ロジカルな会話しかできない多くの研究者と異なり、会話が弾んだかもしれないですね。英語に弱いとされる若山照彦氏(理研チームリーダー、のち山梨大教授)などにとっては、頭の上がらない存在だったかもしれません。

 これも、ビジネスの世界では「英語ができる」が過大評価されることが往々にしてありますので、気をつけたいところです。小保方晴子さんのように、能力の凸凹が大きいなかで言語能力だけが突出して高い人が、英会話が得意であるというのは珍しいことではありません。やはり「あくまで色々な能力の中の1つ」と考え、実行/責任に関わる能力を常に第一にみたほうがいいでしょう。


 ・・・えっ、「あれ」を忘れているだろうって?
 そうでした。
 第8回 「『キラキラ女子』の栄光と転落、『朝ドラヒロイン』が裁かれる日」でもとりあげましたが、「お顔」「見た目」という要素、やはり大きいですね。

 大きくていい、というつもりはないですよ。容姿などではなく、実力で選ばれるのが理想です。ただ現実には大きいです、残念ながら。
 研修講師のわたしからみて、「えっ?」と思うような、明らかに人格が悪いとか能力が低い人を、お顔がキレイだからと、マネジャーに引き上げようとするトップの方、いらっしゃいますね。

 部下側の人に「上司との関係」をきいていくうち、「人格が悪いけどお顔がキレイな人が、やっぱりマネジャーになりやすい」という声はきかれました。

 というわけで「見た目ヒューリスティック」「美形ヒューリスティック」というもの、やはり存在しそうです。

 ショーンK氏問題に絡めて、May_Roma氏は

「最も効率のよい投資は自分への投資だと言われています。ショーンK氏の件でわかったことは、成功するために最もコスパが高いのは整形だということです」

と、身も蓋もないことを言います。

 




 今回のまとめです。

(1) 自信満々なプレゼン
(2) 幼い、一生懸命な自分を演出するプレゼン
(3) 高名な人からの推薦
(4) 英会話力など外国語能力
(5) きれいな・かっこいい見た目

 ある人がこれらを持っているからと言って、うっかり信用しないようにしましょう。
 もちろん、これらを持っている人が「本物」である場合もあります。しっかりと言葉の裏をとり、細部まで確認しましょう。「事実」と「行動」が最も重要なのです。

 先週発覚した、ショーン・Kの経歴詐称事件は、ウソつきの人が長期間、東京キー局のTVコメンテーターという目立つ場所に起用されていて、誰もその経歴を疑わなかったという現象でもありました。
 人の言葉(表示も)をうっかり信用せず、細かく裏をとる作業、大事ですね。スマホ時代でわたしたちはどうしても認知的負荷をサボりがちになります。気をつけたいところです。


 次回は、騙された側の上司たちには、何が起こっていたのか?正田と同世代の「おじさん」たちの心理を読み解きます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

『見て見ぬふりをする社会』(マーガレット・ヘファーナン、河出書房新社、2011年12月。原題’Willful Blindness!)という本を読みました。

 表紙には、「見ざる言わざる聞かざる」のイラスト。巨大組織の中で、忙しさや疲れのために、また拝金主義のために「本来見えるものを見ようとしない」人々の行動に焦点を当てています。
 以前伊丹敬之氏の講演に出て来た「偏界曾て蔵さず(真理は現れているものだ、ただ目が曇って見えないだけだ。道元の言葉)」という言葉にも通じそうですね。

 久々の「判断を歪めるものとの闘い」の更新になります。著者のマーガレット・ヘファーナンは作家。ハフィントン・ポストのブログの寄稿者でもありTEDでの「意図的な無視」や「生産性を上げるのにスター選手はいらない」に関する講演をネットでみることができます(ので、この人の存在を知り、検索してこの邦訳書があるのを知りました)

 「見て見ぬふり」に関する非常に多数の事例と人物の登場する400ページに及ぶ分厚い本なので、読書日記も長文になることをお許しください。登場する主な事例にはBP社の製油所爆発事故、エンロン、サブプライムローン、イラクのアプグレイブ刑務所での米軍による虐待事件などがあります。

 長文に備えて、本書の章立てを先に出しておきます。大枠でどういうことを主張している本なのか把握していただくために―。

日本語版刊行に寄せて
第1章 似た者同士の危険
第2章 愛はすべてを隠す
第3章 頑固な信念
第4章 過労と脳の限界
第5章 現実を直視しない
第6章 無批判な服従のメカニズム
第7章 カルト化と裸の王様
第8章 傍観者効果
第9章 現場との距離
第10章  倫理観の崩壊
第11章  告発者
第12章  見て見ぬふりに陥らないために
謝辞

それでは恒例の抜き書きです。なお、それぞれの抜き書きは厳密な引用ではなく本書の文章の要約です。引用をされたい場合には本書をお買い求めくださいね。


●大規模な事故や災害の前には、後悔してもしきれないパターンがあることが多い。早い時期に何度も警告(シグナル)が発せられていたのに無視されていたとか基本的な想定に誰も疑問を持たずにいたなどの状態がある。福島原発は見て見ぬふりの典型的な事例だ。早い段階で危険を知らせる兆候がいくつもあったが、複数の人や組織がそれを深刻に取り上げようとしなかった。

●彼らがそうしないのは、知りたくないからだという場合が多い。疲れすぎているとか、他に注意をそらされている。同時に複数のことをしなければならず、それぞれのシグナルを関連づけて考えるだけの時間も認知の容量もない場合もある。もっとも重要なのは、彼らが悪いニュースは絶対に歓迎されないと考えていることだ。

●法学者キャス・サンスタインは、同じような考えを持った人々を数人集めると、反論が出ないだけでなく、互いに影響しあってみな持論が極端になることを発見し、「集団極性化」と名づけた。サンスタインのグループを使った調査では、広範囲に及ぶデータと反論を提示されても、人々は現在の自説の根拠となるような情報にだけ集中して読み、自説と対立するものにはあまり注意を払わなかった。全体として、人々は自説に有利な情報を探すのに、反論を検討する際の二倍のエネルギーを注ぐ。

―人は自分の好むオピニオンを好む、ということですね。

●インターネットの大きな強みは類似点の多い人々のグループを作り、さらにそのグループ同士をつなげる力にある。我々は新聞と同じように、ブログを読む際にも自分が同意できるものを読む。

―ネットが無限の情報にアクセスできる装置なのかというと、やはり好みによって偏った情報をとりこんでしまうようです。Amazonもこれまでの購買履歴からお勧めしてきますしね、やはり時々リアル書店に行って全体ではどんな本が売られているのかみたほうがよいですね。

●バートン(神経科医)は偏見によって我々が何かを固く信じてしまうメカニズムを理解し、それを防ぐ方法を模索している。「脳は過去に認識したことがあるものを好む。なじみがあるものが好きなのだ。だから見慣れているものはすぐに見える。なじみがないものを見るには時間がかかる。あるいは意識の上では存在を認知せずに終わるかもしれない。それを見たくなかったからだ」

●偏見のできるプロセスは川床ができるプロセスに例えられる。一か所に長く住んだり、ある経験や友人や考え方に慣れたりすると、水は速く、容易に流れるようになる。抵抗がどんどん減っていく。抵抗がないことによって我々は居心地の良さや、安心感や確信を得る。しかし同時に、川の両岸の壁はどんどん高くなっていく。こうして見て見ぬふりがはじまる。意識して積極的に見て見ぬふりをするのではなく、一連の選択の結果、ゆっくりと、しかし確実に視界が狭まっていくのだ。そしてこの経過でもっとも恐ろしいのは、視野がどんどん狭くなっていくと、さらに居心地よさと自信を感じるようになることだ。

―ある主張で徒党を組んでいる人たちの視野が極端に狭いことがあるのを経験したことのある人は多いと思います。それは政党でも宗教でもどこかの有名大学のゼミでも。素人でも思いつくような反論を彼ら自身では思いつくことができない。わたしは去年から今年にかけて、「仲間」というものの居心地の良さと脆弱さを感じる経験をしました。「承認」という、外形的にはカルトにみえなくもないものを標榜する人々が集団をつくると、よほど気をつけないと視野狭窄になってしまうでしょう。


●人間は自分を好きになれ、安心できるような人間関係を探して守ろうとする強い傾向を持っている。だから似た者同士で結婚し、自分に似た人ばかりが住む地域に住み、自分に似た人たちと仕事をする。こうしたものを鏡にして自分の価値を確認している。

―私はつい「承認」というあまりにも正しいことが自明のものを、受け入れられる人そうでない人について考えてしまうのですが、「群れ」で思考するタイプの人は受け入れたがらないようですね。その人の属している「群れ」が、自明のことを正しいと受け取ることを阻んでいると感じます。


●愛は幻想に基づいているほうが長続きする。心理学の専門家グループが交際中のカップルを調査し、相手をどう見ているかを分析した。すると相手を理想化して見ている方が付き合いは長続きする可能性が高いことがわかった。本人がそう思っていない美点があると恋人が考えている場合、その恋人たちの関係に対する満足度が高い。

●ロンドン大学のチームは脳のどの領域が愛に反応して活性化するか調べた。その結果、あまり意外ではないが、愛によって活性化するのは報酬をつかさどる領域であることがわかった。食物や飲み物やコカインを得たときに反応する細胞が愛にも反応している。さらに愛情は死の恐怖さえ減少させることがあると示唆する証拠もあるようだ。

●愛によって活性が止まる領域。愛する対象のことを考えているとき、脳の二つの領域は使用されない。一つは注意や記憶や否定的な感情をつかさどる領域だ。そしてもう一つは否定的な感情と社会的な判断と他者の感情や意図の判別に使われる領域だ。つまり、愛によって脳に化学反応が引き起こされ、愛する人について批判的に考えられなくなる。

●愛が重大な悪行に目をつむらせた1つの例は、カトリック教会での児童虐待スキャンダル。教会への畏怖、両親への愛情、伝統を重んじる気持ち、このすべてのせいでコミュニティ全体が、間違いなくわかっていたはずの事実に目をつぶっていた。

●ナチスでの例。1942年以降ドイツ第三帝国でナンバー2の権力を持っていた建築家のアルベルト・シュペーアの見て見ぬふりは、ヒトラーへの愛情が大きな動機になっているという。シュペーアは若い頃ヒトラーに夢中になっていたので、ナチの残虐行為についての話を耳にしても何が起こっているかわかっていなかった。1944年1月、シュペーアはヒトラーの側近の間の権力争いで力を失い、そしてヒトラーの悪行の証拠をあらゆるところで見るようになった。シュペーアはひそかに命令を無視し、指示を無効にして、ヒトラーの焦土作戦を妨害した。10週間ぶりにヒトラーに会い握手したとき、シュペーアは考えた。「ああ、こんなに醜いと、いままでどうして気づかなかったんだろう?」


●エモリー大学のウェステンは熱心な民主党員と熱心な共和党員を15人ずつ集め、政治的な資料を読んでいる際の脳の状態をfMRIで調べた。実験の結果、熱心な党員である被験者は反対陣営の候補者の矛盾にはるかに厳しい反応をすることがわかった。「被験者たちはライバル党の候補者の矛盾を発見するのにはまったく問題を感じなかった。しかし自分が支持する候補者に関する問題がありそうな政治的情報を読んだときには、苦痛を作り出すニューロンのネットワークが活性化した。脳は誤った論法で苦痛を押さえ込む。しかも非常にすばやく。感情の統制をつかさどる神経回路は信念を利用して苦痛と葛藤を取り除いたようだ」

●ウェステンの実験で脳が用いている報酬回路というのは、麻薬中毒患者が一服したときに活性化するのと同じ部分である。つまり、自分と同意見の考えを見つけたとき、あるいは不愉快になるような考えを排除できたときに、人はお気に入りの麻薬を一服やったときの中毒患者と同じ陶酔と安心感を味わっている。

―フェイスブックも基本有名人のタイムラインは「そうだそうだー」の大合唱になりますね…


●不愉快な異論を、それがどんなに正しくても認めようとしない一例。医師アリス・スチュワートは1956年、妊娠中の母親に対するレントゲン検査が子供がガンにかかる確率を劇的に増加させることをデータで示した。しかし医師たちはその後25年間、妊娠中の母親たちにレントゲン検査を実施し続けた。1980年になってようやく、アメリカの主要な医療組織が実施をやめるよう強く推奨した。なぜそこまで時間がかかったか。アリスが離婚歴のある二人の子持ちの女性という型にはまらない科学者であることも不利な要因だった。当時の大病院は最新鋭の放射線機器をそろえていた。またアリスの発見は当時の科学界の主流となっていた重大な説を覆すものだった。当時、放射線を大量に被曝すれば危険だが、これ以下の値ならば絶対に安全だという閾値が必ずあるという閾値説が支持されていた。しかしアリス・スチュワートはこの場合、胎児にとって放射線はどんなに少量でも有害であると主張した。アリスの主張は科学者たちに認知の不一致を呼び起こした。アリスの説は間違っていなければならない。でなければ、他のあまりに多くの仮説を検証し直さなければならなくなる。

―人の命に関わる重要な発見が25年も黙殺された、というお話です。アリスの説が広く採用されるまでに数百万人の妊婦がレントゲン検査を受けたといいます。正田は10何年になりますがまだ未熟だなぁ。「女性」という要素が関わっているふしもあり少し長く引用してしまいました


●認知の不調和説。相いれない二つの考えが生む不調和は、耐えがたいほど激しい苦悩をもたらす。その苦悩、つまり不調和を減らすもっとも簡単な方法は、どちらか一つの考えを排除し、不調和をなくすことだ。科学者たちにとっては自説を捨てないことの方が簡単だった。

●認知の不調和説を提唱したフェスティンガーによれば、人はみな首尾一貫し、安定していて、有能で、善人であるという自己像を必死で保とうとしている。その人が一番大切にしている信念は、本人や友人や同僚から見たその人自身の人となりの核となる大切な部分だ。自己意識を脅かし、痛みを感じさせるものは、飢えや渇きと同様に危険や不快さを感じさせる。大事にしている考えを揺るがされることは、命にかかわるように感じる。だから我々はその痛みを減らすために、自分が間違っているという証拠を無視し、あるいは自分の都合のいいように解釈して、必死で抵抗するのだ。アリス・スチュワートの説がもし正しいと認めるとしたら、医師や科学者たちは、自分たちが患者に危害を加えていたという事実を認めることになる。


●経済モデルでも、こうしたイデオロギーと同じようなことが起こる。そのモデルに合う情報は取り入れ、組み込むが、当てはめられない情報は排除する。

●我々は自分の経済モデルや個人的な持論を大事にする。それはどういう人生を送り、誰と親しくなり、なにを支持すべきかという決断を容易にするからだ。我々の内面の奥深くにある自分自身というものは、我々の人生のすべての側面にとても深く関わっている。あまりにすべてに関わっているので、我々はなにを見、記憶し、吸収するかを選択するのにどれだけ深く関わっているかを忘れているかもしれない。

●元FRB議長のグリーンスパンは、ロシアからの移民で作家兼経済自由主義者のアイン・ランドの熱心な助手だった時期に世界観の重要な部分をつくられた。グリーンスパンは、政府による規制や制限から解放されれば、人はもっとずっと自由と想像力と富を得ることができるという彼女の信念を、まるである種の宗教のように熱く信じていた。ランドの世界観では、成功した者はすべての抑制から解き放たれ、自分の才能をフルに表現でき、喜びと達成感を味わえる。それを目標としない者は寄生者であり、脱落し、消えていくだろう。

―見事に「自己実現者礼賛」の人間観、世界観ですね。こうした目標志向最上志向自我の方々の自画自賛につきあった挙句現在の世界の格差社会ができあがったのだろうかと暗澹たる気分になります。

●グリーンスパンは規制緩和で金融商品に祝福を与えた。証券取引所を経ない店頭取引の金融商品には何の規制もかけられなかった。必要な資本がなくても、市場操作や詐欺に対する規制もないまま、取引を続けられることになったのだ。そして2001年、エンロンが破綻し、複雑に入り組んだ不正行為の中には自社の株価を頼りにしたデリバティブがあり、これが致命傷になって、出資者たちにはなにも残らなかった。グリーンスパンの信念のためにアメリカ経済は犠牲になった。


●第4章では疲労と脳の限界について解説する。BP社のテキサスシティの製油所の2005年の爆発事故では、従業員たちが過度のコスト削減策で37連勤という過酷な勤務実態で、疲れ切っていたため、事故の予兆を見逃していた。「疲れ切っている人間は思考が硬直化し、環境の変化や異常に反応するのが難しくなる。そして論理的に思考するのに時間がかかるようになる」。あることに意識を集中すると他のすべてが目に入らなくなるというのが疲れが行動に与える典型的な影響だ。これは認知の固着とか認知のトンネル視と呼ばれている。

●イギリス健康安全局(HSE)は連日の朝早いシフト(午前6時前後からの勤務)のせいで疲労のレベルが上がることを発見した。早朝シフト3日目では、初日に比べて30%疲労が増し、早朝シフト連続5日目では60%、そして7日目では75%疲労が増したという。

●一晩眠れなかっただけで脳の機能には多大な影響が出る。ブルックヘヴン国立研究所のダルド・トマシらは健康な非喫煙者で右利きの男性14人を集め、そのうちの半分に徹夜をさせた。翌朝、眠ったグループと眠らなかったグループの被験者に一連のテストをしてもらい、テストを終えた被験者をfMRIにかけて脳を撮影した。予想通り、眠い方の被験者はテストでの正確さが低かった。さらに、眠らなかった被験者たちは眠った被験者たちより脳の重要な二つの領域、頭頂葉と後頭葉が不活発になっていることがわかった。頭頂葉は脳の中でも感覚からやってきた情報を統合する部分であり、数字や物体の操作に関する知識をつかさどる部分でもある。後頭葉は視覚の処理をつかさどる。要するにこの二つの領域は視覚情報と数字の処理に深くかかわっているのだ。製油所のモニター画面を見ている技術者、コンピューターゲームのエンジニアがいつも仕事で扱っているのは?視覚情報と数字だ。つまり、どちらの仕事にも必要な脳の高レベルの活動が最初にだめになるのだ。

●疲れていなくても、我々が見ることのできるものは限られる。「インビジブル・ゴリラ」。バスケをする選手とゴリラの映像。
「我々は目にしたもののうち、自分たちが思っている以上に少ないものしか知覚していません。我々は指示されたことや探していることやすでに知っていることにしか注意をむけていない。特に脳が指示した事柄は大きな役割を果たす」(ダニエル・シモンズ)

―これは「行動承認」をマネジャーに訓練してもらうためのひとつの証左となりそう。これまでは「錯視」を使ったりしていましたが。


●シモンズらは10年にわたって単独でも共同研究でも実験をしてきた結果、人は予想しているものを見て、予想していないものは見えないという結論に達した。そして一定の時間内に取り込める情報量には絶対に超えることのできない限界がある。「人間の脳にとって注意力はゼロサムゲームだ。ある場所やものや出来事により注意を払うと、必ず他の場所への注意がおろそかになる」

―少し話が飛ぶけれど、わたしがなんで「承認」の話をしたいときに「主婦」と呼ばれるのを嫌がるかというと、記事の読者にとって「承認」というこの壮大な広がりのあるものを理解するだけでもそうとうな認知的負荷を伴うのに、それより先に「この女は主婦だ」という情報が先に出てきてしまうと、そこの違和感にばかり注意が引きつけられて、そのあと「承認」のスケールの大きさを理解しよう、などと思わなくなるのがイヤなのだ。よっぽど大きな記事にしてもらえるなら別だけれど―

●人は疲れきっていたり、なにかに注意を引きつけられているなどの、心理学でいう資源消耗の状態にあると、残りのエネルギーを節約して使おうと省エネルギーモードになりはじめる。高次の思考にはそれだけエネルギーが必要だ。疑念を持つことや、議論することなどもそうだ。「資源消耗の状態では、特に認知的に複雑な思考ができなくなる」ハーバード大学の社会心理学者ダニエル・ギルバートは書いている。疑うより信じる方が脳のエネルギーを使わないですむので、疲れていたり、なにかに気を取られていると、人はだまされやすくなる。

●人間の脳は過負荷の状態で睡眠不足になると、倫理的な問題を看過するようになるのを伝道者や洗脳者は熟知していて利用するが、管理職や企業のトップはあえて忘れてしまう。これはアブグレイブ刑務所での出来事の原因の一つだ。

●日焼けサロンは皮膚がんリスクを増大させることに、日焼けサロン愛好家は決して耳を傾けない。「本当は悪いと心の奥ではわかっているものを続けるために、人々が思いつく反論には驚くべきものがあります」ホーク教授は語る。

●スターンビジネススクールの二人の教授、モリソンとミリケンが「雇用者の沈黙」に関する画期的な研究をした。これは雇用者が自分の身の回りの問題について詳しく述べることや、議論することを望まないという現象だ。様々な部署の管理職たちに面接調査を行ったところ、85%が上司に問題提起をしたり、懸念を伝えることができないと感じたことがあった。

●無批判な服従のメカニズムの代表、ミルグラム実験。被験者は権威からの指示に従い実験対象者役に電気ショックを与え続ける。
「権威の下で行動している人は、良心の基準に違反した行動を実行するが、その人が道徳感覚を喪失すると言っては誤りになる。むしろ、道徳感覚の焦点がまるっきり違ってくるというべきだ。自分の行動について道徳的感情で反応しなくなる。むしろ道徳的な配慮は、権威が自分に対して抱いている期待にどれだけ上手に応えるか、という配慮のほうに移行してしまう。」指示にあまりに集中してしまうため、他のすべてが見えなくなるのだ。

●看護師を対象にミルグラム実験と似た実験をし、看護師は医師の指示があきらかに患者の命を危険にさらす場合でも服従するかを調べた。看護師は尋ねられると、患者の事を一番に考えているとかなりはっきりと答える。しかし実験では、22人中21人が医師の指示に従い未認可の薬の投与のための準備をした。

●服従と同化。服従は正規の権威の指示に従うことを伴うが、同化は「その人物に行動を指示する権限を特に持たない仲間の、習慣や日常や言語に適応する」ことだ。社会心理学者ソロモン・アッシュ(ミルグラムの師)の実験では、3人の学生のうち2人が間違った答えをすると、残る1人も40%以上の確率で同じように答える。同化の顕著な特徴は、潜在的なものでありながら、自らの意思で行動したように感じられることだ。我々は自分に似た人々と過ごすことを好むのと同じように、周囲に合わせることも好む。別の実験では、女性より男性のほうが同化しやすいという結果が出た。

●競争的な雰囲気を持つ企業では容易に、時には故意に、社員の同化を引き起こす。トレーディングを扱う組織にはよくあることで、冗談のタネや嘲笑の対象にされたり、社内の勢力争いの中で屈辱を感じたりする。しかし穏やかな組織でも同じような行動が起こることはある。特に医療関係のような、上下関係がはっきりしている組織で起こりやすい。

●ブリストル王立診療所では手術後の死亡率が突出して高く、英国全体の平均の2倍だった。ウィシャートという外科医の執刀例で死亡が多く、死亡した子供は30〜35人に上ったとみられる。これを内部告発したボルシンという医師は村八分となり、オーストラリアに移住した。

―わが国でも今年初めに発覚しましたね、関東のほうの大学附属病院で…。

●人は疎外されると現実に痛みを感じる。社会的に排除されて不快な気持ちを感じると、脳の同じ領域から身体的な痛みが発生する。そして身体的な痛みを調節するのと同じ神経化学物質が社会的な喪失からくる心理的なつらさをコントロールする。我々は社会的な人間関係を形成したり承認されたりすると、それに刺激され、自分をすばらしいと思うようにする物質であるオピオイドが作られる(同様に人間関係が解消されると、オピオイドは作られず、我々はひどい気分になる)。精神薬理学のパイオニア、ジャアク・バンクセップはこういっている。「社会的な影響と社会的な絆は基礎的な神経化学的な意味でオピオイド依存だといえる」つまり、我々が他社との社会的なつながりを求めるのは、社会的な報酬だけでなく、化学的な報酬も原因だ。

―オピオイド説は知らなかったなあ。検索してみよう。
この「同化」は「承認」の正負両方の側面として位置づけられそうだ。朱に交われば赤くなる。いいものにもわるいものにも染まり得る。わるい方にも操作できるからといって、良い方向に組織と人を同化させたいと意図する営みを否定することはできない。

●仲間外れにされたプレイヤーがクンツェンドルフの無意味度診断テストを受けると、自分の人生に意味などないと思いやすくなり、新たな意味を見いだそうという意欲も失っていた。仲間はずれを経験すると、人は希望もやる気も失ってしまう。

―経験しましたね、そういう気分も。

●アッシュの同化のテストをより難しくしたバーンズらの実験では、人々は同化する際、前頭葉は活性化しなかった。つまり意識的な選択が行われていないということだ。活性化は認知をつかさどる領域で起こっていた。つまり他の人びとが見たものを知ることで、被験者が見たものが変わった。また他の人びとが選んだ答えを知ると、被験者の精神的な負担が減っていた。つまり他者の考えを知ると、自分で考えることが減るのだ。同化による決断は、それと知覚されず、感覚もなく、完全に気づかぬまま行われる。

●さらに、被験者がグループの決断に反抗して、独自の決断をした場合は、別の事態が起こる。感情をつかさどる領域である小脳扁桃が高度に活性化するのだ。苦痛と同等のなにかが起こっている。独立はかなりの犠牲を必要とするもののようだ。

●心理学者アーヴィング・ジャニスによると、集団の中では、意見の一致を維持していこうという圧力のせいで、考えることが減る。一人一人が情報を検討して、それを正しいかどうかを確認することがなくなるのだ。「政策決定をする内集団が素直で団結心が強いと、独立した批判的な思考が集団思考に置き換えられてしまうという危険がそれだけ大きくなる。その結果、外集団に対する理不尽で人間性を奪うような行動につながりやすい」

―今年戦後70年でしたが、あらゆる「戦争」はこうした集団思考の危険を最大化したもの、とみることはできるでしょう。


●集団思考をしている集団は、自分たちはなににも傷つけられないと考えがちだ。彼らはもっともらしい理屈をつけて警告を無視し、自分たちの集団が倫理的に優れていると熱く信じている。敵対する者や部外者を悪者と考えがちで、反対者には同化するよう強い圧力をかける。ほとんどの組織では、チームに従い、面倒な質問をいない者がチームの一員として望ましいという暗黙の了解がある。

―ここだな〜。「承認教育」は単体でもきわめて有効なものですが、フォローアップとして必要なことがあるとすれば、「承認」が過度の同質化圧力にならず、内部で何の角も立たないなめらかな文化をつくることを自己目的化せず、異論を歓迎する程よくゴツゴツした文化というところを着地点にするように支援することではないかと思います。簡単なようで結構むずかしいです。

●心理学者ダーリーとラタネの提唱した「傍観者効果」。アンケートに記入している間に部屋に煙がたまってくる。通報したり何らかの対応をする被験者は、一人きりのときは100%、しかし二人でいたときは10人に1人、3人でいたときは24人に1人の率になった。

―これは「承認研修」の受講生人数の設定にも関わるお話です。従来から、宿題提出率や定着率について、「10人なら10人、20人でも10人、30人でも10人」つまり受講者数が多ければ多いほど歩留まりはわるくなる、ということを言っているのですけれど。ドラスティックな変化を起こす研修だけに、人数が多いと「傍観者効果」が起こりやすくなる、という説明ができるかと思います。

●もうひとつ傍観者効果の実験。被験者を小さく区切った部屋に隔離し、癲癇の発作を起こしている人の声が聞こえたと信じさせる。そして、被験者がそれを知っているのは自分だけだと考えている場合は、85%が報告している。しかし、他の場所にいる被験者も発作のことを知っていると考えている場合は、なにか対応した者は3分の1にとどまった。この実験が示すのは、危機的状況を目撃した人数が多ければ多いほど、なにか行動を起こす人が減るということだ。一人ならばちゃんと認識できる出来事が、集団になると見えなくなるということだ。

●「見て見ぬふり」はイノベーションの黙殺についても当てはまる。新たな技術などがアイデアの欠如ではなく、勇気がないせいで導入されないことはあまりに人間的であまりによくあることだ。経営のトップはいつも革新を望んでいるというが、誰かが別のところでリスクを冒してくれるのを待っているので、凍りついたようになにもできなくなっている。

―うん、でしょ?わたしは日本人は独創性のない民族だとは思っていません、単に勇気がないだけです。かつ勇気をもたらすのは、アイデアを提起する本人さんに期待するより、アイデアを奨励する組織の空気づくりをしたほうが現実的に有効なのです。
「イノベーティブな人材づくり研修」にあんまり乗れないのはそういう理由です

●「傍観者効果」はいつ学習するのだろうか。かなり早く、学校でのいじめを目にすることによっても学ぶ。
 ホロコーストの生き残りであるエルヴィン・ストーブはすべての集団暴力には傍観者がいないと成立せず、傍観者によって激化するという観察からいじめに興味を抱いた。
「集団暴力について私が一番強くいいたいのは、我々は早く行動しなければならないということだ。早いうちの方が、信念や地位が固まり、強固になる前の方が行動を起こしやすい。…事態が進んでしまうと、誰かにいわれてやめると、面子が潰れるような状況になる。」

●集団暴力は徐々に進行していく。誰かを疎外したり、職場の環境を差別に都合よく変えていくようなことは、いつも少しずつ段階を踏んで進んでいく。

●「現場との距離」。テキサスシティの製油所で爆発事故を起こしたBP社の本社はロンドンでもっとも優雅な区域、セント・ジェームズ・スクエアにある。役員のマンゾーニ氏は事故前にテキサスシティ製油所を視察しているが、何も見なかった。誰も彼に何も告げなかった。本社役員と現場の距離は、物理的にも心理的にも遠かった。

●「直接見る」ことの意義。ミルグラムの服従実験の新しいバージョンでは、ショックを与える対象者と被験者の距離が、最大のショックを与える率に影響した。同じ部屋にいてわずか数メートルのところに座っていると、その率は65%から40%に減った。また対象者の手に触れ、電気ショックを与えるプレートにその手を導かせるようにすると、接触したことが影響し、最後までスイッチを押しつづけた被験者は30%だけになった。対象者が同じ部屋に座っていて、目を合わせ、身体的な接触まですると、すべてが変わる。

―どこかのファストフードチェーンのCEOも、「ワンオペ」をする学生アルバイトがトイレに行く暇もなく徹夜勤務をするようすをまぢかでみていたら違ったかもしれませんね…

●権力は持つ者と持たざる者の間の距離を広げる。権力を持つ者はこの問題を認識していないことが非常に多いが、どんなに努力をしても、距離はなくならない。

●ステレオタイプ思考と権力の関係。支配欲を持つ者はそうでない者より性急に判断し、既存の知識に従う傾向が強い。

―はは〜、だからだな。先日わたしが取材を受けたのは割合功成り名遂げた資産家の層が読む雑誌なのだが、取材者が「専業主婦」という語を連発して話がかみあわなかった。この人たちにとってほとんど無意識なのだろう、ステレオタイプ思考は。しかも、それを指摘しようとするとむっとしそうな空気があった。こだわるなぁこの話題に。

●ミリケンの研究では、危機的状況に置かれると、裕福で権力を持つ者は、さらに良い結果を期待する傾向がある。彼らがこれほど楽天的である理由の少なくとも一つは、ほとんどどんな逆境でも乗り切れるだけの力があるから、あるいはあると思っているからだ。これは彼らが他の者たちと違って、現実的に考えられないことを意味している。権力と楽観主義と抽象的思考の組み合わせのせいで、権力者はさらに自信を持つ。

―今もいますね、一線を退いた有名経営者で「イケイケドンドン」の持論を展開する人は。

●分業と見てみぬふりの関係。自動車を製造している人と、修理や点検に当たる人とは違う。これは自社の車の構造に問題があったとしても特に知ろうとしなかったら見えてこないということだ。アメリカ食品医薬品局(FDA)では、医薬品の認可を行う部署は規模も予算も大きく、市販後の医薬品の安全性を調査する部署は反対に規模も予算も小さい。そこで、一旦認可された薬の問題点を、局内の影響力の小さい部署から大きい部署へ考え直してくれと指摘するということになり、否定され抵抗されるのは目に見えている。だから、小規模な治験によって承認された薬品は、何百万人もの患者たちに使用されるようになると、事実上は監視されておらず、FDAは自らが下した判断の結果に実質的には目をつぶっていた。

―おもしろい指摘。ドラッグギャップというものがよく問題になりますが、アメリカで認可された薬をはいそうですかとそのまま使用してしまうと問題が多いかもしれないのです

●スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故。部品のOリングは非常な低温下では裂けやすいが、天気予報によると発射予定日の気温は低すぎた。部品メーカーはこれを心配しNASAに伝えようとしたが相手は顧客であり、下請け業者なので発言力も強くなかった。「外注業者」であることがコミュニケーションを困難にした。

●「倫理観の崩壊」。金銭が提示されると人は倫理的な判断ができなくなり、金銭だけを判断材料にするという一連の実験結果。

●金について考えるようきっかけを与えられた被験者は、選択の自由を与えられると、一人で作業をするか、一人で趣味の活動をすることを望む傾向があった。以前より意欲的になったものの、社会性が減り、他人との絆が薄れた。より孤立し、他人に対する親切心が減り、同情心も薄れた。
業績変動給は、従業員がもっとよく働き、忍耐強くなるように考えられたものだが、実際には人間関係に複雑な影響を及ぼす。

―成果主義を取り入れた営業組織では、営業マンたちが仕事上の情報を教え合わなくなり足の引っ張り合いも起こり、非効率になった、という話を以前にもご紹介しましたね。

●社会的な動機と経済的な動機のバランス、それにその2つが相反するように働くことは、科学的には証明されてはいないが直感的に理解されている。人は金を稼げば稼ぐほど、国全体の福祉には関心を持たなくなるという暗黙の理解のせいだ。

―重要な指摘。実は現代ドイツではヘーゲル的な承認と再分配ではなく、逆に富めるものを益々富ませ、かれらからの善意の寄付を福祉に充てるべきだ、という主張が新右翼?から出ていて、エスタブリッシュメントの一定の支持を得ているという。だが常識的に考えて、富を「自らの才覚によって」独占する人々がそれを社会に再分配する方向に自主的に考えるとはとても思えないのだ。

●経済的な優遇を受けると人は、他人への配慮を以前よりしなくなるとわかったのだから、この手段は非常に慎重に扱わなければならない。経済的な優遇策に重きを置きすぎると、大事なのは金であり、それ以外は問題ではないというメッセージを送ることになってしまう。しかし慎重に配慮している企業はほとんどない。

●模倣学習で有名な心理学者、「アル」ことアルバート・バンデュラ。彼は生涯を通じて、人が犯罪行為や非人間的に行動をする際に起こる道徳心からの離脱のメカニズムを解明しようと研究している。避妊と衛生教育がいかに良い影響を及ぼしたかについて語った若いアフリカ人女性に、裕福な欧米人がブーイングした。彼らは欧米の出生率では将来高齢者の年金をまかなえなくなると認識していた(だから産児制限は彼らにとって「悪」なのだ)

●バンデュラは主張する。金は我々に道徳心から離れ、自分の決断が社会におよぼす影響を考えずにいられるようにする。すべてを経済的な観点からのみ考えている限り、自分たちの決断の社会的、倫理的な結果を直視せずにすむのだ。

●内部告発者を、本書は「カサンドラ」と呼ぶ。カサンドラは古代ギリシア神話に登場する預言者で、王家の血を引く娘。アポロンが美貌のカサンドラを見初め、預言の力を与えた。しかし彼女に振られると、アポロンは腹いせに自分が与えた力にその預言を誰も信じないという運命をつけたした。だからカサンドラがトロイ人たちにギリシア人が置いていった大きな木馬を町に入れないようにと警告しても、誰も信じなかった。カサンドラはアガメムノンとともにクリュムネーストラーに殺される。カサンドラの運命が残酷で皮肉なのは、彼女の預言の話を読んでいる我々には、それが本当なのがわかっていても、他の登場人物の誰もが真実を知らないことだ。

●内部告発者は冷笑的でなく、みな前向きな人物で、一般社会への反逆者ではなく、真実を信じているだけだ。彼らの特徴はふてくされたり、落胆したりしないことだ。生まれつき反抗的なわけではなく、彼らが愛する組織や人々が間違った方向に向かっているのを見て、声を上げずにはいられなくなったのだ。

●カサンドラの多くはアウトサイダーだ。生まれ合わせや、送ってきた人生や、事実を知った衝撃などのせいで、周囲との隔たりは埋めようもないほど大きくなっている。

●カサンドラはみな真実を知るために権威に挑戦する。その結果、みな困惑し、いらいらし、頑固になる。こうした性質は彼らの信用を落とそうとしたり、孤立させたりするために利用されることも多いが、この性質こそ彼らが忍耐強くやり通せるエネルギーの源なのだ。

―なんだか共感するフレーズが続くなあ^^

●解決編。カサンドラ、悪魔の代弁者、反体制の人間、トラブルメーカー、道化、コーチ…名前はなんであろうと、トップの人間がはっきりとものを見る力を失わないために、外部の人間が必要だ。(しかし外部の人間もいずれ同化していく)

●だから我々は外部の人間に頼るばかりでなく、自分たちでも2つの重要な習慣を確立しなければならない。それは批判的思考と勇気を持つことだ。

●スタンフォード監獄実験を指揮した心理学者フィリップ・ジンバルドは、その後自分が置かれた状況の影響力に抵抗する教育プログラムを考えた。自分たちがどれだけイージーで、他人の期待に合わせているのかを認識するように促すエクササイズをする。

●集団暴力を研究したエルヴィン・ストーブは、いじめへの対応を子供に教えるためのプログラムを考えた。

●英雄的な経営スタイルを持つトップのいる会社や、一人の人間の権力と影響力に注目が集まっている企業では、役員たちが人の顔色をうかがうようになり、自分たちが知っていることが本当かどうかを考え直したり、分析したりすることができなくなる。…トップの性格やエゴほど、議論や反対意見を押しつぶすものはない。最近の企業や組織の不祥事の多くは強い経営者のいる組織で起きていることを考えると、高級誌の表紙に載ったり、なにかの権威としてあがめられることは、はたして誰かの役に立つのだろうかと思わずにはいられない。

―以前こういう社風の有名企業に関わったが、かなり重症度が高かったが1年関わるとかなりましになった、すなわち人々が率直に話し合う空気ができた。しかし単年度で研修が終わるとすぐどどーんと元の暗いシニシズム文化に戻った。思いつきレベルの単年度の介入では土台むりな話なのだ

―最近のアメリカではこういう傾向はちょっとましになったようで、グーグルの新CEOはインド人の謙虚な人格の人だという。まあグーグルは元々集団指導で、スター経営者はつくらなかったみたいだが

●しめくくりは、歴史から学ぶことの価値。ビジネスの思考や教育の大半にはこの歴史的視点が驚くほど欠けている。商業的な世界は新しいもの、革新的なもの、革命的なものと非常に相性がよいせいで、長期的な傾向やパターンが見えなくなりやすい。…歴史的な感覚を得ることの利点の一つに、長期的な傾向をつかみやすくなり、かすかな兆候にも敏感になることがある。

―ですよね〜。


今回の記事は移動中にワードに打ってからUPしましたが、ワードで15pにもなってしまいました。長文をお詫びします。重要な知見をたくさん含んでいるので(他の本との重複も多いようですが)うかつに省略できませんでした。大変示唆に富んだ読書であったと思います。


(一財)承認マネジメント協会
正田佐与



 大晦日の今日はまじめに労働をしている日なのだけれど、合間に思いついた、「判断を歪めるものとの闘い」
シリーズに付け加えたい1章を、メモ書き的に書きたいと思います。

 これはわたしがこの10年間独自に見聞きした「ナルシシズム」が組織中の人びとのものごとの認識を歪める現象について。ですのでタネ本はありません。オリジナルコンテンツです。

ナルシシズムは、別名自己愛性人格障害、そこまでいかなくても高い自己愛、高すぎる承認欲求、傲慢、ストレングス・ファインダーの⚪⚪、などと言い換えられます。

 これまで「ヒューリスティック」「認知科学」「無意識」とシリーズでみてきましたが、それらのより根底に「ナルシシズム」(これとは別に発達障害も)があるのではないかと思いました。ナルシシズムが視野を曇らせ捻じ曲げる強力なバイアスになるのです。

 全部でどんなナルシシズムがあるかというと―。

 過去の「ヒューリスティック本」が「〇〇ヒューリスティック」と名前をつけて分類していた例にならって命名していきたいと思います。


■高い地位ナルシシズム(役員ナルシシズム)。

 社長、役員、部長、なんでもいいのですが偉い肩書がつくと人は尊大になる。経営者に近づけば近づくほど「共感能力」が低下するという現象がみられるそうです。
 とりわけ、私がみてきた範囲では「役員になると人は変になる」という現象は顕著にみられました。
 
 うちのNPOの前任者の経理の女性が、実は地域でも錚々たる大企業の社長の奥さんだったのですが(そのことは採用したあとでわかった。採用面接のときには「うちの主人も管理職です」なんていっていた。お金には困っていないがNPOではたらいて社会貢献したかったのだそうだ。偉いでしょうちのNPOの人たちって)

 彼女のご主人が「役員って変な人間が多いなあ」と言ったので、彼女が「あなたもそうでしょ」と言い返した、という話があります。

 たぶん、変な人間が役員になったんじゃなく役員になったから変になったのだと思います。というわけで当協会の受講生様、会員様で「役員」の肩書がついている人はくれぐれも気をつけてくださいね。


■権限ナルシシズム

 権限にも色々ありますが、「自分は決定権をもっているのだ」と思うと、人は他人に意地悪になり、頼まれたことをやろうとしない。他人が望んでいることをわざと遅延させるなど不快な行為を無意識にするのは、心理学で「ゲーム」という名前がついています。うちの親もよくこれをやったんだ。

 これも言いつくされたことで、「ゲーム」を行うのは承認欲求の高い人物、承認欲求の表れが「ゲーム」なのです。じゃあ、ほめてやればいいのか、というと、そうでもない。この人物の望みは自分の優位をみせつけることにありますから、ほめてやる/承認してやる、というのはほめる側の人格的な高さをみせつける行為ですから、かえってコンプレックスを感じてねじくれる場合もある。
 とにかく望みはあなたの時間を浪費し、あなたを消耗させ、自分が優位だと確認することにあります。要は「めんどくさい人」です。スルーできるならスルーしましょう。

 決定権は、大事なことを決断するためにあるんで、人に意地悪するためにあるわけじゃありません。


■大企業ナルシシズム

 これもわかりきったことで、たまに大企業の人とお話ししてきちんとお話をしてくださる人に会うと「偉いなあ、よく躾が行き届いてるなあ」と思いますが、決して多くの場合そうではない。「野武士」を自認するタイプの大企業にも傲慢な人は多い。(私の接した経験のある範囲では、消滅した「S電機」の人なんかはそうでした)

 このブログに頻出する「大企業から中小企業とかに天下った人」にも高い確率でこれがみられます。わたしがみてきた中ではそうした役員がパワハラの担い手にも高頻度でなっていました。
 
 また、女性で大企業勤務の人の言葉の端々に現れる傲慢さ、というのも、男性より感じる頻度が高いかもしれないです。やはり「女の敵は女」なのでしょうか。


■国家公務員ナルシシズム

 これも上のと同じようなものですが、ちょっとわけときたいと思います。国家公務員のナルシシズムと「省庁の壁」、省庁エゴのようなものも組み合わさっていてめんどくさい人たちです。


■採用担当ナルシシズム

 私の出会った範囲では圧迫面接のように睨みつけて「まっすぐ見返し続けた人間を採用した」と言った人がいます。私は「何?この人気持ち悪い」と思ってすぐ目をそらしましたけど。

 まっすぐ見返すのは、事前にそういう予備知識をもっていてトレーニングしたか、あるいは「凝視傾向のある」テストステロン値の高さの現れです。「頭の中筋肉」の人にもそういう人がいますし、当然発達障害にもそういう人がいます。


■研修担当ナルシシズム

 もう1種類「人事」の人に関連するナルシシズム。色々な種類の研修に大量に曝露し、今どきの研修は受講者のナルシシズムを煽る、講師も絵に描いたようなナルシスト、というものが多いのですが、それに完全に感染してしまっていて、自分も社内講師としてやれる、あるいは独立して研修講師をやれる、と大いなる勘違いをしているものです。
 下手をするとこの人たちは、大手コンサル会社に再就職を夢みているかもしれませんから注意が必要です。私の知っている範囲では地方の一大企業の研修担当で、中央の大手コンサル会社の理事をつとめている例がありました。それでなくても結構中小〜中堅企業なのに大手コンサル会社とおつきあいする例も多いのですが、それはこの担当者の方々の「大手とおつきあいしている」というナルシシズムを満足させるためです。

 基本この人たちは、「当社の研修は業績が向上し、パワハラもメンヘルも女性活用もそのたもろもろの問題が治ります」なんていう能力の高い研修機関は採用しません。だって、そんなものが存在するということを認めた時点で、自分の今までの選択は間違いだった、ということになりますもの。問題が解決しないほうがかれらは嬉しいんです。


■ひらひら服ナルシシズム

 以前にこのブログで取り上げたことがあります(同時多発的に日本で起こっていた現象のようで、同時期に日経新聞でもだれかがコラムに書いていました)

 節電の夏、熱がこもらないようにとファッション誌が胸元のあいた服を推奨し、それを主に大企業の内勤の女性たちが着る。ひょっとしたら公務員の世界にも以前からあった現象かもしれないけど。

 私などは「内勤の女性」ではないので、そういう服は着れないし訪問先で来客対応にそういう女性が出てくるとイラッとしたほうですが。男性に話をきくと、「いや、やっぱり目のやり場に困るよ(嬉しいけど)」とのことでした。


■お勉強ナルシシズム

 立派なお勉強をしているからってあなた自身が偉い人なわけではない。自戒を込めていいます。

 とりわけ多く観察する現象は、高額な心理学セミナーを受講した人が傲慢になり、当協会の中でルールを破ったりおかしな振る舞いをすることでした。「現実から学べ!!」と正田はこのブログで絶叫したことがあります。
 その人たちがイヤガラセ的に当協会の講座に入ってきて、実習の指示などに従わず指示してないことをやっちゃったりそれを平然とほかの人の前でしゃべったりする、で講座運営ができなくなる現象というのもあり、そういうのを防止するためにもただ同然だった受講料を見直し値上げせざるを得ませんでした。私の優しさからすると、安くしたいのに。

 ビジネススクールで学んだとか、有名大学卒、というのもナルシシズムのもとになりますね。

 これは儒教とか武士道のお勉強でも一緒です。いくら先人の立派な言葉を頭の中に詰め込んでいても、それがために目の前の現実を謙虚にみる姿勢を忘れてはいけません(実はよくあるんです)


◼専門用語ナルシシズム

一つ上のナルシシズムの亜種のようなものです。難しい言葉を習ったりどこかで知ったりすると、ことさらそればかり使ってさも高級なことを話しているように装います。

セミナーから帰って来た人がそのセミナーで習った言葉をやたら使うようになり、理解しない周囲の人にいら立つという現象もあります。

カタカナ過剰の上滑りな言葉遣いとか漢字過剰のかちんかちんの言葉遣いもよくあります。お役所語とも似ています。

当協会ではテキスト、教材、このブログとも、極力使用する専門用語を厳選しています。とりわけカタカナ語を徹底して減らしているのですがお気づきになったでしょうか。


■過去の栄光ナルシシズム

 過去に社長を歴任していたとか華やかな経歴があるために、今うまくいってないことを虚心にみれない現象。


■団塊ナルシシズム

 このブログでは何度となく槍玉にあげてきた。こどものころから激しい競争にさらされ勝ち抜いてきた、日本史上まれにみる悪い人格の人びと。もちろんその世代でも例外の人もいるから、すべてがそうなわけではないが。

 下手に日本がかつてなく好景気だった時代を知っていて、イケイケドンドンで世界に物を売り込んだので、自負がすごい。今の時代にそのノウハウは通用しないよ、ということにいつまでも気がつかない。

 しかしまたこの世代の人はコンサルになる人も多く、いつまでも過去の価値観を企業に吹き込むのだ。通用しないっちゅうのに。ちなみに今年の夏、私のもとに脅迫状を送りつけ「研修中断」のもとになった人物も団塊です。


■大学の先生ナルシシズム

 私は仲良くしている大学の先生もいるしその方々が気をわるくされないことを願うが、「大学の先生」の肩書とか活動もナルシシズムのもとになります。
 客観性のないぼやきレベルの言葉も、「大学の先生」がいうと事件事故のとき新聞をにぎわせたりする。自分の言葉の影響力を過信してしまうことになる。「ははあ、そうですか」とか、新聞記者がかしこまってきいてくれる。
 (でもよく見るとつっこみどころ満載だったりするのだ)

 私が近年迷惑しているのは、現・元「大学の先生」が、よく私を「女子大生」と間違えているふしがあることです。光栄ですがそういう人びととは距離を置いています。

 言ってはわるいですが大学生さんに教えるというのは、企業でマネジャーさん方を指導するよりははるかに簡単な作業だと思います。たまに若い人に教えるしごとをすると、正直「赤子の手をひねるようだ」と思うもの。


■新聞記者ナルシシズム

 まあ、新聞にかぎらずマスコミ全般にあると思います。名刺をみせると、こちらがどんなぺーぺーでも海千山千の社長さんがチヤホヤしてくれる、こんな職業はほかにないのだから。


■男ナルシシズム

 少し前、10月だったか、藻谷浩介氏の講演をとりあげましたが藻谷氏も同様のことを述べています。「自分は男だ」という貧弱なアイデンティティを当てにしている日本の男性たちが女性の社会進出の壁になっている。もちろん、当協会の会員さん方はそうではありません。
 これが「人事ナルシシズム」と結びつくと、「彼は『男』だ」というすごい曖昧な根拠で、採用したり昇進を決めたりしてしまう。いいけど、その人発達障害だけど、っていう。
(だから、根本の「悪」をなしているのはこの人たちかもしれないのだ)

 日本の男性は子育てから逃げる人が国際比較でも多いのだが、そういう人はよくこの「男ナルシシズム」カードを出す。「男がおむつ替えなんかできるか!」って。(若い人ではだいぶ減ったらしいのだが)

 いや、できないのはあなたの能力が低いだけだから。



 本当はまだまだあったと思いますがこのへんで手仕事のほうに戻ります。あとで気がついたら補足します。

 かなりバカバカしくて笑えましたが、これが平成日本の現実ですからね。
 こういうことも「100年後」のために記録しておきましょう。
 いつもの伝で会員様、クライアント様、受講生様、こんな人にならないでください。当協会理念で「謙虚」という言葉もうたっていますが、ものごとを正しくみるために「謙虚」であることは欠かせないのです。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 
 
 

 『しらずしらず―あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』(レナード・ムロディナウ、ダイヤモンド社、2013年12月)を読みました。


 「無意識/潜在意識」(サブリミナル)という言葉は、心理学系の研修機関によっては好んで使われ、「錦の御旗」のようにもなっています。

 当協会では、あまりスピリチュアルの匂いのするもの、恣意的に読者・受講生様を惑わすおそれのあるものは極力避ける主義なのですが、本書は無意識を「科学する」として、最新のfMRIなど神経科学の知見をこれでもかと畳み掛けながら展開します。

 当ブログで「ヒューリスティック」として紹介してきた認知科学と同系統の、秩序だった思考法の本としてご紹介したいと思います。


 いつもの伝で印象に残ったところを抜書きしますと―。

****

●人間の行動は、意識と無意識両方のレベルで途切れることなく連なる、知覚、感情、思考の産物であり、私たちは自分の大半の行動の原因に気づいていない。「無意識」の研究はフロイトに始まったが、その後の心理学では超自然的なものとして避けられてきた。現代心理学の見方によれば、無意識の精神プロセスは、防御機構や病的な症状ではなく、脳の構造のせいで意識ではうかがい知ることのできない心の部分が存在するからであり正常なことである。

●無意識がなぜ存在するか。自然は、わたしたちが物理世界と社会的世界の両方で滞りなく行動できるよう、知覚、記憶、注意、学習、判断のプロセスの多くを、意識的な認識の外側にある脳の構造に肩代わりさせているのだ。

●スミスさんはスミスさんと結婚する。アメリカ南東部の3つの州でどういう名前の人がどういう名前の人と結婚したかを調べたところ、スミスさんの結婚相手は、ジョンソンさん、ウィリアムさん、ジョーンズさん、ブラウンさんよりも、スミスさんのほうが3から5倍多い。人は自分自身に満足したいという基本的欲求を持っており、そのため、たとえ名字のような無意味そうな特性であっても、自分に似た特性を無意識に好む傾向があるということだ。さらにその好みを仲立ちしているのは「背側線条体」という脳の一領域である。

●ポップコーンを食べる量により大きな影響を与えるのは、ポップコーンの味とサイズのどちらだろうか。実験の結果は、味と同程度に容器の大きさに基づいて「決めた」ようだ。

●レストランのメニューに「しゃきしゃきのキュウリ」「滑らかなマッシュポテト」といった華やかな修飾語がついていると、その料理を注文しようという気が起こる。またその料理を、一般的な説明しかくわえられていないまったく同じ料理よりもおいしいと評価するようになる。

●フォントの読みやすさが好感度を左右する(流暢さ効果)。料理のレシピを書体を変えて渡すと、読みにくい書体で書かれたレシピを渡されたほうが、つくるのが難しいと評価し、つくりたいと答える割合も低かった。

●人は無関係な要素から強い影響を受け、それらの要素は、従来の経済学者が無視している無意識の欲求や動機に訴えかける。青と黄色の箱に入っている洗剤のほうを無地の箱の洗剤より高く評価し、好きな匂いのするシルクのストッキングの品質を高く評価する。被験者に意思決定の理由を聞いてみると、それらの要素が自分に影響を与えたことにはまったく気づいていなかった。

●ペプシパラドックス。ブラインドテストではつねにペプシが勝つが、何を飲んでいるかわかっている場合にはコカ・コーラのほうが好まれる。脳スキャンにより、「腹内側前頭葉皮質(VMPC)」と呼ばれる脳の一領域が、なじみのブランドの商品をじっと見たときに経験する、漠然とした好意的な感情の場であるとわかった。

(あとでも出てきますがこのVMPCという部位は性的偏見にも関係する部位のようです)


●流暢さ効果の続き。投資の世界でも、投資家は確かに、複雑な名前や略称の企業よりも、名前や銘柄の略称を発音しやすい企業の新規公開株のほうに投資しやすいことが明らかとなった。

●天気がチップに影響を与える。客は、外が天気のときには明らかに気前がよかった。

●天気と株式市場。統計によれば、年間を通じて快晴だと仮定すると、ニューヨーク証券取引所の市価利益は平均24.8%となり、完全な曇天だと仮定すると平均わずか8.7%となる。


●無意識の研究のはしり。イギリス人生理学者で心理学者のウィリアム・カーペンターは1874年の著書『精神生理学の諸原理』で書いている。「精神活動においては、一つは意識的、もう一つは無意識的という二本の別々の列車が同時に走っている」

●意識と無意識の二層のシステムのなかでより基本的なのは無意識の層のほうであることが、十分に明らかになっている。それは進化の早い時点で発達したもので、基本的に必要な機能や生存に関係しており、外界を関知して安全に反応する。無意識の層はすべての脊椎動物の脳が持つ標準的な基本構造だが、それに対して意識は、必ずしも不可欠ではない特徴とみなすことができる。人間以外のほとんどの動物種は、意識による象徴的な思考の能力を、ほとんど、あるいはまったく持っていなくても生き延びることができるし、実際に生き延びているが、それに対して無意識を持たない動物は存在しえない。

●人間生理学の教科書によれば、人間の感覚系は脳に毎秒およそ1100万ビットの情報を伝えているという。しかし人間が扱うことのできる実際の情報量は、毎秒16から50ビットと見積もられている。したがって、入ってくる情報をすべて意識的な心に処理させようとしたら、あなたの脳はフリーズしてしまうだろう。

●「盲視」。盲目になった人に怒った顔と喜んだ顔をみせてどちらか言い当ててもらうと3回中2回近い割合で言い当てた。また同じ人に障害物のある廊下を歩いてもらったところ障害物をよけながらジグザグに転ばずに歩いた。

●視覚の無意識。盲点、サッカード、弱い周辺視力。視覚の欠陥を補うために、目は1秒当たり何回かごくわずかに向きを変えている。その小刻みな運動を「マイクロサッカード」という。

●聴覚も聴こえなかった音を補う。「音素修復」という。

●記憶の歪曲。犯罪被害者や目撃者は面通しの場で、ともかく犯罪の記憶にもっともよく合致する人物を選ぶ。ウォーターゲート事件ではニクソンの法律顧問ディーンが記憶を歪曲した。

●人間の記憶は再構成されてゆがめられやすい。ミュンスターバーグによると、第一に、人間は出来事の一般的な要点はよく記憶できるが、詳細はうまく記憶できない。第二に、正確に話そうと誠実に対応する善意的な人間でさえ、憶えていない細部を問い詰められると、うっかりでっち上げて記憶の欠落を埋め合わせてしまう。そして第三に、人間は自分がでっち上げた記憶を信じてしまう。

●記憶をふるい分けられない人物は、ロシアのソロモン・シェレシェヴスキー。完璧な記憶をもつ一方細かな事柄が理解の妨げとなった。顔を総合して覚えることができなかった。また話しかけると正確に復唱することはできたが、要点を理解するのは容易でなかった。

●言語学者によれば、言語構造には「表層構造」と「深層構造」の2種類がある。表層構造は、考えたことを表現する具体的な方法、たとえば使う単語やその順序などを指し、深層構造は、考えた事柄の要点を指す。ほとんどの人は、入り乱れる言葉に翻弄されるという問題を避けるために、要点は保持したまま、細部は進んで破棄する。その結果、深層構造、つまり言われたことの意味は長期間保持できるが、表層構造、つまり発せられた単語は、わずか8から10秒のあいだしか正確には記憶できない。

●記憶は失われていくとともに、同時に付け加えられていく。もともと効かされた物語が薄れていくとともに、新たな記憶のデータがでっち上げられ、その「でっち上げ」はある一般原理に従って進められていく。全体的な枠組みは維持されるが、細部は脱落したり変化したりする。そして、物語は短く単純なものに変わっていく。いわば「なめらかになる」。

●「変化盲」。キャンパスの地図を持った調査員が通行人に近くの建物への生き方を尋ねる。10-15秒会話したところで、別の2人の男が大きな扉のそれぞれ端をかつぎながら彼らのあいだを横切る。扉が横切る1秒の間にまったく同じ地図をもった新たな調査員が入ってきて道を尋ねる会話を続ける。最初の調査員は扉に隠れたまま立ち去る。通行人にとっては会話の相手が突如として別の人物に変身してしまったことになるが、ほとんどの通行人は気づかず、すり替わったことを聞かされると驚く。

●過誤記憶。起こっていない出来事の記憶を植えつけることができる。はるか昔に起こったとする出来事の記憶は、とくに簡単に植えつけられる。子どもの頃、熱気球に乗ることを夢見ていた人には、何の代償も払わずに、また実際に経験させることもなしに、実際にその記憶を植えつけられる。ディズニーランドに行ったことがある被験者にバッグス・バニーに関する偽広告を読ませると、それを体験したと思い込んだ。

●常日頃から子どもをたくさん抱きしめてキスをしても、そうした場面のほとんどが子どもの心に残らない。子どもは忘れてしまうものだ。しかし私に抱きしめられてキスされた記憶は、跡形もなく消えてしまうわけではない。優しい気持ちや感情的な絆として、少なくとも一体となって残るのだ。

(これは、上司から承認されてもその記憶が残らない部下、ということにも当てはまりますね)

●電気ショックで苦痛を与えると予告された人は、不安のために63%がほかの人と一緒に待ちたがった。くすぐったいピリピリする刺激を予告された人でそうしたのはわずか33%だった。

●心の痛みを鎮痛剤が抑制する。強力なタイレノール(アセトアミノフェン)を服用した被験者は、チームメートに無視されている最中に脳をスキャンすると、社会的疎外に関連した脳の領域の活性が抑えられていた。

●社会的ネットワーク指数は、親密な社会的交流を定期的に持っていると高い値になる。9年間にわたり、指数が低かった人たちの死亡率は、ほかの要因に関しては同様だが社会的ネットワーク指数が高かった人たちの2倍にもなった。

●人間をほかの動物と分け隔てている一番の特性は「社会的なIQ」―すなわち、「心の理論」(Theory of Mind)。この能力は、他人の過去の行動を理解し、現在または未来の状況に基づいてその人が今後どのような行動を取るかを予測するという、驚くべき力を与えている。


(正田注:当協会方式の「行動承認」は、いわば「心の理論」の能力を極限まで高めるトレーニングであるかもしれない)


●人間の子どもはほぼすべて、4歳までに、他人の精神状態を見極める能力を獲得するが、自閉症などでToMが損なわれると、社会のなかでうまく役割を果たせなくなる。

●人間以外のほとんどの哺乳類に関してもっとも興味深い点の1つが「脳が小さい」ということだ。人間では意識的思考を担っている脳の部位が、人間以外の哺乳類では、無意識のプロセスに関わる脳の部位に比べて相対的に小さい。

●「作り笑い」はバレる。たとえ笑顔を分析する訓練を受けていない人でも、同じ人がつくる本当の笑顔と偽の笑顔を区別できるような、優れた直感を持っている。

●霊長類における上位の個体は、胸を打ち鳴らしたり声などのシグナルを使ったりして、自分が高い階級にあることを示す。

●人間社会でも、視線方向と凝視は優越性を示す重要なシグナルである。

●ステレオタイプ(固定観念)(これは過去のヒューリスティックの記事によく出てくる)

●「潜在的連合テスト(IAT)」。指示した二通りの分類方法における反応速度の違いを調べることで、その人がある社会的カテゴリーとさまざまな特性をどの程度強く関連付けているかを探ることができる。ほとんどの人は、女性と芸術、男性と科学を強く関連づける。また黒人でさえ多くの人が、このIATテストで、無意識に白をよいものとみなす傾向を示した。

●他人に対して下す評価は「腹内側前頭葉皮質(VMPC)」のなかで進められる一種の感情統制プロセスに大きく左右されている。ここが損傷を受けると、性差に関する無意識の固定観念が失われることがわかっている。

(1つ前の記事の「出向組氏」などは、この部位が普通より大きいタイプの人なのかもしれない。一方で承認トレーニングをきちんとやった人だと性差に関する固定観念はかなり薄まるのだが、この部位自体はどうなっているのだろうか)

(気持ちとしては、すべての管理職にこのIATテストを受けて、その反応速度の違いを数値で表し、自分の性的偏見を自覚してもらいたい。自覚してない人だと話していてもほんと迷惑)

●分類自体はわるいものではなく、そのおかげでわたしたちは、バスの運転手と乗客、店員と買い物客、受付係と医者、給仕長とウエイターなど初対面の人をすべて区別することができる。重要なのは、分類という行為をどうやってやめるかではなく、分類をすることで一人ひとりの本当の姿をとらえられなくなっていることにいかに気づけるかだ。

●意識的な目的を持つことで、他人を分類しがちな傾向を抑えられることが証明されている。そのため誰であれ、自分のなかの無意識の偏見と闘うことができる。自分の偏見に気づき、それを克服しようという気があれば、実際に克服できるのだ。

(へー、克服していただきたいですねぇ。わたしの住む兵庫は全国でも指折りの性差別県、また神戸は政令指定都市で最も専業主婦の多い、女性がはたらかないまちです。自分では気づかないがどぎついステレオタイプを持っているのです)

●無意識の偏見を克服したいなら努力が必要だ。判断しようとしている相手についてより詳しく知ることだ。あるカテゴリーに属している具体的な人物の個人的な事柄を知れば、カテゴリーによる偏見を簡単に克服できる。だがさらに重要なこととして、その相手と時間をかけて何度も接すれば、社会がそのカテゴリーの人たちに当てはめている否定的な特性を打ち消すための手段になる。

(差別をやめようと思えば差別している相手と頻繁に接触することですね。でも差別されるこちら側としては、自分を差別する相手はストレスフルなので接触したくないですね)


●内集団と外集団。人間は自分が属しているグループのメンバーと、属していないグループのメンバーを違うふうに考え、しかもグループに基づいて差別しようと意識的に思っているかどうかにかかわらず、機械的にそのような行動を取ってしまう。


●集団規範。ひとたび自分があるグループに属していると考えると、そのグループに属する他の人のものの見方が自分の考え方にも染み込んで、世のなかに対する認識のしかたに影響を与える。

●わたしたちのサブリミナルな自己には、内集団のメンバーのほうをより好きになる傾向がある。多くの職業の被験者は、自分と違う職業の人を好感度50前後の平均値で評価したのに対し、自分と同じ職業の人は70前後ときわめて高く評価した。

●自分がどの内集団に属すると考えるかは、自分自身に対する感じ方、自分の振る舞い方、そして自分の能力にさえも影響を与える。女性に数学のテストをしたとき、自分のことをアジア系アメリカ人として考えるよう仕向けられた女性は、対照群よりも成績がよく、逆に自分が女性という内集団に属していることを気づかされた女性は、対照群よりも成績が悪かった。

●対立する2グループがあるとき、両グループに共通の目的を与え、グループどうしで協力して行動しなければならない状況になると、グループ間の衝突が突如として減る。人種、民族、階級、性別、宗教といった昔ながらの内集団に関して、それぞれ異なる人たちでも、一緒に取り組めば好都合であることに気づきさえすれば、互いの差別は減る。

●ウィリアム・ジェームズは感情の生理学的根拠を提唱した。人間は怒るから身震いしたり悲しいから泣いたりするのではなく、身震いするから怒っていることに気づき、泣くから悲しいと感じる。

●わたしたちのサブリミナルな脳は、自分の身体的状態に関する情報と、社会的および感情的状況に基づくそれ以外のデータを組み合わせることで、自分が何を感じているかを判断する。薬で脈拍を上げた被験者は一緒にいる人の感情を経験し、幸福だと感じたり怒りを感じた。


●決断の理由はいつも後づけ。パーティーで素敵なひとときを過ごしたあなたは、何がよかったのですかと問われ、「居合わせた人たちがよかった」と答える。しかし本当のところ、あなたのその至福の気分は、ある女性との楽しい会話から出てきたものではないのか?あるいはもっと微妙な、ハープの素晴らしい演奏、部屋に漂う薔薇の匂い、高価なシャンパンだったのではないか?自分の感情や行動に対する説明を考え出すとき、脳は心のなかにある文化的規範を収めたデータベースを検索してもっともらしいものを選ぶ。

(このくだりは私もよく思い当たる。どんなに自分として最善を尽くしたセミナーの類をしても、良かったと感想を述べる人は「参加者が良かった」という(苦笑))


●人の採用の判断の根拠は何か。ひょっとしたらあなたはその人を選り好みし、無意識の心が後づけで社会的規範を使い説明を加えたのかもしれない。

(まあ、ふつうの人材育成担当者は女性でリーダー教育をする人を選ばないですね残念ながら)


●人は、自分自身に対して抱くよい感情が脅かされればされるほど、歪んだレンズを通して現実を見る傾向が強くなる。犯罪者が自分を「社会に貢献する者」だと語り、アル・カポネは「私は不当な扱いを受けている」と語った。


●人の自我は自分の面目を保つために激しく戦っている。自分はキリストだと信じている3人の患者を一緒に生活させたところ、1人は信念を捨て、2人目はほかの2人は精神を病んでいるが自分はそうではないと考え、3人目は問題を完全にはぐらかした。つまり3人中2人は、現実と矛盾する自己像に何とかしがみついた。

(なんか身につまされるなあ。やだやだ)


●自己像を描くやり方には2つある。科学者の方法と弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し、観察結果を説明できる理論をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論からスタートし、それを裏付ける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けようとする。これら2つの方法論が競い合うことによって、わたしたちの世界観は形づくられているのだ。

●結局のところ脳は、科学者としてはそこそこだが、弁護士としてはとてつもなく秀でている。

●科学の分野でも人々は信じたいものを信じる。ビッグバン理論をどうしても受け入れない科学者たちがいた。アメリカでは半数以上の人が、地球温暖化の科学にはいまだ結論が出ていないと思い込んでいる。偽の研究報告書をみた学生たちは、自分の事前の意見を裏付けるデータのほうを、方法論的に理にかなっていて提示のしかたも明快であると評価した。

●多くの医師は企業からもてなしや贈り物を受けると、明らかに患者の治療方針にサブリミナルな影響がある。製薬業界と金銭的なつながりのある医学研究者は、利害関係のない検査官に比べ、スポンサーの医薬品に有利となる知見を報告し、不利となる知見を報告しない傾向がある。

●人間の無意識がもっとも本領を発揮するのは、自己に対する前向きで好ましい感覚、つまり、権力がはびこる世界のなかで、自分はただの人間よりもはるかに大きな能力と統制力を持っているのだという感覚を抱かせてくれたときだ。

(ポジティブ心理学でいう「ポジティビティ」でしょうか・・・、わたしを取り巻く状況にかんがみても、好きなフレーズであります。わたしは極力まっとうであり続けます、受講生様方や支援者の方とともに。)

●動機づけられた推論のおかげで、わたしたちの心は不幸から自分の身を守ることができ、それとともに、本来なら圧倒されかねない、人生で直面するいくつもの障害を克服する力を手にする。研究によれば、きわめて正確な自己像をもっている人は、軽度の鬱に陥っているか、自己評価の低さに悩んでいるか、またはその両方であることが多い。それに対して、過度に前向きな自己評価をしている人は、正常で健康であるという。

(やれやれ、ある程度「ナルシ」なほうが健康ということですね。このところ悩んでいるのが、リーダー教育という仕事の性質上、ある程度ナルシにならざるを得ないのだろうか、ということです。謙虚で正確な自己像をもっていたいとは思いますが、いっぽうで仕事では情熱の塊のようになる場面もあり。そういうときは、非常にみずから「しょって」いるときでもあります。普通の仕事をしている人からみたらクレージーだろうと思います)


****

 本書の著者は「800編以上の学術研究論文」を読んだとのことで、内容はこれまでの「ヒューリスティック」本との重複も多いですがこれまでで一番網羅的な本といえるでしょう。

 サブリミナルという語はわたしの世代だと映画「エクソシスト」の途中で悪魔の映像を挟んでホラー効果を狙ったとかジュースだかポップコーンの映像を挟んだら休憩時間にそれを買いたくなったとか、割とマーケティングの操作のような分野で馴染んだのでした。

 その分、いかがわしいというか悪意の匂いがするというか、あまり好きになれなかった分野ですがこれだけこれでもかと研究の歴史から最新の知見を詰め込んでくれると、ちゃんと科学として認めてあげたくなります。

 
 今、この記事執筆と並行して研修効果をみるアンケートを回収しています。

 おおむね上司は効果あったと評価し部下は一部を除きなかったと評価しています。

 これをどうとらえるか、ですが、私はこういう場合上司の言い分のほうを信じるほうです。

 というのは、「承認」をちゃんと気持ちだけでなく行動ベースで行っている、という前提のもとでは、部下は「無意識に」モチベーションが上がり、それは仕事のスピード感のような形で反映されるのですが本人は気づきにくいからです。本書でも自分の決定の本当の理由がわからなかった、という話がありますが、「承認」は決して怪しげなものではないですがこれを行うと相手の行動が増える。行動が増えた側はなぜ増えたかわからない、上司が行った承認との関連がわからない、ということは大いにあり得ます。

 部下の行動変化は上司の観察によるほうがあてになる。これは一応10年教えてきたわたしの確信です。これが本書でいう「信じたいものを信じる」でないことを信じたいものです。

 ミドルたち自身の言葉としては、以前(2011年4月)当協会元会員の永井博之さん(柏原さんの元上司)が、事例セミナーの質疑応答の中で、
「部長の私から見て明らかに育成上手の課長のもとで成長したと思える営業マンも、本人は『仕事が私を作った』と答える」
と述べていました。

 かつ、今回できなかったいつもの「統計調査」ですが、あれでやると承認をした上司のもとでは部下の指数がちゃんと上がります。(しなかった上司のもとでは上がりません)それは恐らく部下自身には自覚のないものであっても、自然と「前回と比べてスピードが上がった」「ミスが減った」などの設問につける丸の位置が、ポイントアップのほうに動いていて、こういうのは記述式のアンケートではみられない無意識の変動です。
 (だから、研修効果をちゃんと測りたいときにはやっぱり統計調査が一番ですネ)

 わたしはこういうアンケートに答える側の部下の立場になったことはないのですが、「上司が承認してくれたから自分が仕事でよい行動をするようになったとか成長した」と意識レベルで認めるのは、自分の自尊心にかかわることだろうな、とおもいます。

 まあ、それはこちらの話題です。


 1つ前の記事もサブリミナルが話題でした。

 やっぱり今回の読書日記にもあるように、自分は区別をしているということを自覚し、かつ個々の人について男か女か、みたいな大枠の区分ではなくより良く知ろうと努力することによって差別を減らすことが、やはりこれからの大人のたしなみでしょう。グローバル経営でも結局一緒のことで、だからどっちが大事だなんて言うだけあほらしいのです。

 ・・・ていうか、この記事の主題と全然関係ないけどあたし東京外大の出身だし恩師は国際教養大の創始者だし、「グローバル」っていうのそういえばDNAレベルで持ってた。ごめん。だから威張られてもぴんとこないの、「グローバル」とかって。バカなおじさんって、すぐ下らないことで威張るから、いや。正田が中国語ペラッペラだってことも、しらないでしょ。

 こういうことも書いておかないと今後もよそで不毛な会話が繰り返されるからな。


 「判断をゆがめるものとの闘い」シリーズを読んでくださっている会員様、受講生様は、ぜひ自分の脳を誤らせるものの知識に親しみ、ブレの少ない正しい判断をする人になってくださいね。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 

 阪急阪神ホテルズの社長が辞任しました。

 これだけ「謝罪」ということがエンタメの世界でも大流行りのときに、間のわるい。

 前日のTVドキュメンタリーでも、出入り業者の「誤表示なんかじゃない、偽装ですよ」という声を拾っていました。
 「偽装」と認めるかどうかは、社長辞任までの問題かどうか、という社内人事にまつわる問題だったかもしれません。

 そんなとき「企業倫理」に関する本をよみました。『倫理の死角―なぜ人と企業は判断を誤るのか』(マックス・H・ベイザーマン、アン・E・テンブランセル、NTT出版、2013年9月)。

 
 例によって個人的におもしろいと感じた箇所をご紹介しましょう:


●倫理学者の行動はちっとも道徳的でない。アメリカとイギリスの31の有力大学図書館の蔵書の紛失率を調べたところ、倫理学の蔵書の紛失率のほうが他の分野の哲学関連の本より高かった。さらに、教員や上級レベルの学生しか借り出さないような文献に限定して調べると、倫理学の蔵書の紛失率はほかの哲学分野の1.5〜2倍に達していた。


●人間の認識は「限定された倫理性」の制約下にある。認識の視野が限定されてしまい、自分の意思決定が道徳上の意味合いをもつことに気づかない場合があるのだ。


●外的な要因によって意思決定の倫理的側面が見えなくなる場合もある。目標、報酬、指揮命令システム、目に見えないプレッシャーなどにより、問題の倫理的側面が薄らぐ―すなわち、倫理の後退が起きるのだ。倫理の後退が起きると、自分がおこなおうとしている意思決定を倫理上のものではなく、たとえば「ビジネス上の意思決定」と位置づけてしまう。

(正田注:今回の有名ホテルの偽装表示はこれかなー)


●よい意図の持ち主がよい決定をする場合もあれば、悪い決定をする場合もあるし、悪い意図の持ち主が悪い決定をする場合もあれば、よい決定をする場合もある。悪い意図なしに倫理に反する行動を取るケースを無視している既存の倫理学は、非倫理的意思決定のかなりの部分に光を当てられない。

(正田注:私は時々既存の研修機関を批判するが、それはおおむねこういうケースだと思う。担い手の人々は多くの場合善意の人々だ、しかし自分の言っていることの負の側面に気がつかない)


●速い思考と遅い思考(システム1とシステム2、このブログでは去年「ファスト&スロー」の読書日記でとりあげました。ほら、このブログをずっと読んでいると役に立つでしょ)。人は倫理上の問題を前にしたとき、感情的なシステム1の思考モードで反応することが多い。重要な意思決定をおこなうときでも、人はこの落とし穴にはまりかねない。あわただしい現代社会では、システム2が好ましいときにシステム1に頼ってしまうことがしばしばある。ある実験によれば、頭を忙しくはたらかせている人はそうでない人に比べて、課題を処理する際に「ズル」をする確率が高いという。またある研究によれば、倫理上の選択がさまざまな外的要因にどのくらい影響を受けるかは、意思決定にどれだけ時間を費やすかに左右されるという。

(正田注:だからだ、私はあんまり早口の人を信用しないのだ。すくなくとも「早口じまん」とか「忙しいじまん」の人はどこかに大きな見落としがある)

●人は概して、自分の倫理上の判断がバイアスの影響を受けていても気がつかない。しかも、そういうバイアスの存在を指摘されても、選択の質はおそらく改善しない。多くの人は、ほかの人がバイアスの落とし穴にはまる場合があることには納得しても、自分だけは大丈夫だと思い込んでいるからだ。


●「内集団びいき」の現象。母校や宗教、人種、性別が同じ人を優遇する傾向が人間にはある。自分と共通点のある人たちを優遇すれば、結果としてそれ以外の人たちを差別することになる。自分と同じ人種を優遇するのは、異人種に不利益を与えることにほかならない。

●自己中心主義による自分の貢献度の過大評価。カップルに「あなたはどの程度家事をしていますか?」と尋ねると、両方が50%以上と答える。

●自己中心主義は、資源に対する権利を過大に主張する姿勢も生む。その典型が種の絶滅や気候変動などの環境危機だ。

●意思決定の事前予測の誤り。採用面接でセクハラ的な質問をされたらどうするかとの問いに、女子学生の62%は質問の意図を問いただすか、その質問は不適切だと指摘すると答え、68%は回答を拒否すると答えた。しかし実際の面接で同様のセクハラ的質問をしたところ、回答を拒んだ女子学生女子学生は1人もいなかった。なぜそんなことを聞くのかと尋ねた学生は半数にも満たなかった。人は多くの場合、自分の将来の行動を正確に予測できない。

●実際に意思決定をおこなうとき、人々の頭の中は、どのように行動したいかという思いに支配される。どのように行動するべきかという考えは、どこかに消し飛んでしまう。オンラインDVDレンタル会社からレンタルされたDVDが返却されるまでの期間は、見るべき映画より、見たい映画のほうが格段に短かった。つまり利用者は、見たい映画のほうを早く返却するのだ。見るべき映画のDVDはどこかに置きっぱなしにされて、いつまでも見られないままなのだろう。

●将来の行動を予測する時点と実際に行動する時点とでは、その選択についてどう考えるかがまったく異なる。そのくいちがいは、二つの時点でいだく動機の違いと倫理の後退(意思決定で倫理が意識されなくなる現象)によって生み出される。

●自己イメージを守るために、責任転嫁がなされる場合も多い。成功の要因を自分の知性と直感と人柄のおかげだと思いたがり、失敗の責任を自分以外に押しつけたがるのは、人間の性だ。

●「みんながやっている」というのも定番の言い訳だ。「脱税なんて、誰だってやっているじゃないか?」という発想である。この「みんながやっている」という認識そのものがバイアスの産物という場合もある。著者の研究によると、非倫理的行動を取りたいという誘惑が強いほど、人はその行為が広くまかり通っていると考える傾向が強い。

●いったん倫理基準を変えると、その人の道徳的理念は力を失い、越えてはならない一線はなくなってしまう。このプロセスは段階を追ってゆっくり進むので、本人も自分の変化に気づきにくい。

(正田注:このくだりは、目下の有名ホテルの偽装表示問題にも大いに当てはまると思うのだが、個人的には企業研修のときの事務局や主催者の講師に対する「失礼行為」がいったん始まってしまうと、後々エスカレートしてしまうことも想起してしまった。ああ恐ろし。社長挨拶にも、「講師を貶す挨拶」という種類のものがあるのだ)

●宣誓文やコンプライアンス制度がむしろ非倫理的行動を助長する場合もある。この種の制度はたいてい、倫理的行動にご褒美を与え、非倫理的行動に制裁を科す仕組みを盛り込んでいるが、そういうご褒美と制裁のシステムに対して人間が一般にどういう反応を示すかという点がしばしば見落とされているからだ。

●正式な倫理プログラムは、その組織の倫理の基盤のごく一部を構成しているにすぎない。企業などの組織では、正式なシステムとは別に目に見えない規範や圧力が作用しており、そうした暗黙の要素がメンバーの行動に及ぼす影響のほうがはるかに大きい。

●人は1つの目標を強く意識すると、ほかの側面で倫理をおろそかにしやすい。1990年代前半、小売り大手のシアーズは自動車整備サービス部門の整備工たちに、1時間当たり147ドルという売上目標を言い渡した。すると、整備工たちはノルマを達成しようとして、顧客に過剰請求をしたり、不要な修理を売り込んだりするようになった。


●文法上の誤りと事実関係の誤りを入れた文章を大学生たちに校正させた。一部の学生にはただ「最善を尽くせ」とだけ言い、別の一部の学生には、文法ミスを洗い出すように最善を尽くせと指示する。すると、単に「最善を尽くせ」とだけ言われた学生のほうが文法ミスと事実関係のミスの両方を多く見つけた。文法ミスを洗い出すという限定的な目標を言い渡された学生は、簡単な事実関係のミスを見落とすケースが多かった。


●ある研究によると、四半期ごとに財務成績を公表している企業はもっと間隔を置いて公表している企業に比べて、株式アナリストの業績予測を上回る成績を残せている場合が多い。しかしそういう企業は、研究開発(R&D)という、さしあたりの恩恵が少なく、脚光も浴びにくい目標につぎ込む資源が比較的少ないことがわかっている。四半期ごとの目標やウォール街の業績予測を達成するためにデータを操作する企業も珍しくない。

●報酬システムがしばしば悪い結果を招く原因は、一つの目標だけを強調することにある。その目標を達成するために社員がどういう行動を取る可能性が高いかを考えていないから、想定外の好ましくない行動を引き出したり、ご褒美をもらえない行動をないがしろにさせたりしてしまうのだ。


●罰則が好ましくない行動を助長してしまうことがある。ある保育園では、子どものお迎えの時間に遅れる親が多いことに頭を悩ませた結果、お迎えの遅れに罰金を科すことにした。しかしむしろ、お迎え時間に遅れる親が増えた。罰金制度が導入されたことで、親たちの意識のなかで問題の倫理的側面が取り除かれてしまった。罰金という形の料金を払って「時間延長サービス」を利用するかどうかという選択の問題として位置づけられたのだ。

●道徳上の埋め合わせ行為、もしくは道徳的な釣りあいの維持とでも呼ぶべき現象により、倫理を推進するはずの取り組みが非倫理的行動を助長してしまうケースがあることは、行動倫理学の研究によって裏付けられている。人は自分の道徳上の「収支」を一定に保とうとする性質があり、そのためにささやかな道徳的行動や非道徳的行動を取って微調整をおこなっている。

(正田注:浮気しただんなさんが奥さんに花とかプレゼントを買ってくる、みたいなものだろうか。これの前には、世界をよくするために真剣に努力する非営利組織がデータ操作などで世間を欺く行動をとることがある、とも書かれていて耳が痛かった。いえ、データ操作はしていません・・・)

●p.185には「組織における倫理の障害と解決策」と題した表があって要注目です。(1)報酬システム、(2)制裁システム、(3)道徳上の埋め合わせ、(4)非公式な文化 を4つの障害としています。

●人はバイアスの影響によって以下の4つの落とし穴にはまり込む。(1)楽観的な幻想を抱き、気候変動のような遠い未来の問題を切実に考えない。(2)自己中心主義的な発想に陥り、自分以外の誰かが対策を講じるべきだと考える。(3)現状維持にかまけて、いかなるコストも拒否しようとする。(4)気候変動のように、自分で直接経験したり、現実感のあるデータの形で見たりする機会の乏しい問題を回避するためには、投資しようとしない。

●行動する前にじっくり分析的に考える習慣を身につければ、理想の自己イメージどおりに倫理的に行動できる可能性が高まる。具体的には、倫理上のジレンマと向き合う「事前」と「最中」と「事後」に自分がいだく心理を予測しておくとよい。

(正田注:本書の「キモ」のところだと思うが、言うほどそれは簡単ではない。例えばあるプロジェクトがスタートしたら、自分があるプロジェクト関係者に対する嫉妬心に悩まされ、制御できなくなるなんてことが事前に想像できるだろうか)

●「したい」の自己の猛威に備える方法の一つは、意思決定の際に自分がどのような動機の影響を受けそうかを予測するというものだ。先のセクハラ質問に答える女子学生の例では、あるグループには自分がどのような動機の影響を受けそうか考えさせた(おそらく、「採用されたい」という動機をいだくはずだ)このグループは、自分が毅然とした態度を取るとする人の割合が少なかった、すなわり自分の行動を正確に予測できた。

●倫理上のジレンマに直面したときも、抽象的価値観を意識することで「すべき」の自己の影響力を強められる。非倫理的行動で得られる当座の恩恵より、意思決定の基準となるべき理念や原則のことを考えれば、「すべき」の自己に勝機を与えられるかもしれない。抽象的な価値観を強く意識するためには、自分の死亡記事にどのように書かれたいかを考えるのも有効な方法だ。死後、どういう理念に従って生きた人だったと言われたいかを考えてみるのだ。

(正田注:結局理念経営は大事だ、ということですね。この「死亡記事」のワークは有効そうだが、イマジネーションの障害のある人には多分無理だ・・・ときどき、本当に「未来」について考えることが不得手なのだろうか、と思える人がいる)

●意思決定者に複数の選択肢を同時に検討する機会を与えると、「すべき」の自己が優勢になるケースが多い。



 以上です。

 さあ、某有名ホテルグループさんには参考になるでしょうか・・・


 ところで正田と当協会は大丈夫か、ということですが、

 従来「出典明記主義」で、文献名などを必ず出すことは心がけています。それは駆け出しのころから受講生様に評価されてきました。「ここの講座で教わったことは第3者にも堂々と話せる」と。
 
 とはいえ1人でやっていること、気のつかないことは多々あると思いますので、気がつかれた方はご指摘いただければ幸いです。

 この秋は、ちょっと「チョンボ」が多かった私です。関係者の皆様、大変申し訳ありませんでした。


 気になっているのは、先日の「発達障害者は注意するのが好き?」の読書日記の記事に今アクセスが集中し、今日は1500を超えています。誰かがツイッターで拡散したみたい。

 注目されることは、思わぬことで足を引っ張られる可能性が増えるということでもあり。
 何か悪い事が起こらなければいいのですが。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 1つ前の記事に比べるとはるかに気の滅入る話。


 ある意志決定が悲惨な結果をもたらした。その意思決定をした男性が自分の判断の悲惨な結果を意地でも認めようとせず見えていないはずのもの(ポジティブな事象)を見る、妄想や幻覚のような現象をみた。

 その前段階で、その男性がある聡明な女性(私ではない)への憎悪で凝り固まって彼女に逆らう判断に流れていったのもみた。ネットを見て自分に都合のよい証拠だけを集めまくった。そのすえの悲惨な結果。高学歴の男性。


 いわば「ヒューリスティック(思い違い)」の連鎖のようなもの。

 このブログでは「判断を歪めるものとの闘い」と題して何度か「ヒューリスティック」を取り上げているが、はて、今回のはそのどれに該当するのだろう。
 アメリカにもやっぱりあるんだろうか、あるんだろうな、「聡明な女性に意地でも逆らいたい」という種類のヒューリスティックは。

横で傍観者としてみていると手に取るようにみえるのだ、その反抗期の子供のような間違った情熱は。

 もちろん、それらの判断ミスには、「承認ワールドの人」なら絶対にやらないような他人の仕事ぶりについての評価ミスも含まれている。こうした判断ミスの迷路にはまり込んでいく人は、他人の良い仕事を平気でふいにする人でもあるのである。


 うちの受講生さん、会員さん方は、仕事や人生の大きな選択を誤りませんように。「正確な事実認識」はすべての意志決定の基礎です。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 『ファスト&スロー(上)』(ダニエル・カーネマン、早川書房、2012年11月)を読みました。


 題名の「ファスト&スロー」は、本文のことばで言い換えると「システム1」「システム2」となります。


 わたしたちの脳の中の、高速で考える「システム1」と時間をかけて丁寧に考える「システム2」。この2つのシステムを組み合わせてわたしたちは考えています。多くの場合は「システム1」に頼ります。本書では、2つのシステムをそれぞれに個性や能力や欠点を備えた脳の中の行動主体として考えるよう提案しています。


 要は、このブログでも何度か登場している「ヒューリスティック」(経験知に基づく思考法)のお話。それにプラス、今流行りの「意志力」の要素も入ってる感じです。旬な分野ということですね。


 帯の文句は「人間の『意思決定』の『不合理』な真実を解き明かす!よりよい『決断』のための必読書」とうたっており、何が「良い決断」なのかに関心のある方にはお勧めです。


 認知的錯覚は克服できるのだろうか、という問いに著者は、「あまり期待はできない」と答える。「システム1は自動運転していてスイッチを切ることはできないため、直感的思考のエラーを防ぐのは難しいからだ」


 「のべつ自分の直観にけちをつけるのは、うんざりしてやっていられない。そもそもシステム2はのろくて効率が悪いので、システム1が定型的に行っている決定を肩代わりすることはできないのである。私たちにできる最善のことは妥協にすぎない。失敗しやすい状況を見分ける方法を学習し、懸かっているものが大きいときに、せめて重大な失敗を防ぐべく努力することだ」(p.44)

 たとえば「バットとボールは合計1ドル10セントで、バットはボールより1ドル高いです。ではボールはいくらでしょう?」という問題に対して、「10セント」と答えたとしたら、あなたはよく言えば直感的な人すなわちシステム1だけを使う人だ。この問題に有名大学の学生の50%が「直感的な」答えを出したという。

 軽薄なシステム1とマジメなシステム2、というべきか。この本の言い回しでは、

「知的怠惰の罪を犯さない人たちは、より『まじめ』だと言える。」(p.70)


 ドラッカーが「真摯でない者はマネジャーになるべきでない」みたいなことを言っているが、この「真摯」ということを、脳科学的にはどう解釈したらいいのか悩んでいました。ひょっとしたら「システム1」を野放しにせず、「システム2」をこまめに使う、使うことを厭わない人のことを言っているのかもしれません。


 そして過日正田がブログである種の人を「早口病」と揶揄したり、ぱっぱ決断する人が偉いとされるようにデザインされた研修に疑義を呈したりするのは、この「システム1」だけでものを考えると非常に問題があるからです。
(もちろん、何事も時間をかければいいというものではありません。ある程度スピード感をもって仕事をすることは大切です)


 ところでおもしろいことに、本書によれば「システム2」を使っていることは「瞳孔」つまり黒目をみればわかるようなのです。二けたのかけ算をやっているとき、瞳孔がかなり拡がる。もっと難しい問題になると、さらに拡がる。「プラス3問題」という著者らが考案した脳に持続的努力を要求する足し算問題がもっとも難しく、瞳孔はもとの面積より約50%も大きくなり、心拍数は1分間で約7回増えるのだそうです。黒目の大きいひとはまじめで思慮ぶかいんでしょうか。


 その他ヒューリスティックについて、おさらいの内容もありますが面白いものを拾っておきましょう。


●「認知的に忙しい状態では、利己的な選択をしやすく、挑発的な言葉遣いをしやすく、社会的な状況について表面的な判断をしやすいことも確かめられている」(p.62)


●「何かを無理矢理がんばってこなした後で、次の難題が降りかかってきたとき、あなたはセルフコントロールをしたくなくなるか、うまくできなくなる。この現象は、『自我消耗』(ego depletion)と名づけられている」(p.63)


●セルフコントロールを消耗させる状況やタスクとは:

・考えたくないのに無理に考える。
・感動的な映画を観て感情的な反応を抑える。
・相反する一連の選択を行う。
・他人に強い印象を与えようとする。(心の声:正田がセミナーや研修のあと疲れているのはきっとそれだと思う)
・妻(または夫)や恋人の失礼なふるまいに寛容に応じる。(同上:なるほど)
・人種の異なる人と付き合う(差別的偏見を持っている人の場合)。(同上:差別的偏見をもつ人と一定時間以上接触するとこちらも非常に消耗する)

 そして消耗を示す兆候とは:

・ダイエットをやめてしまう。
・衝動買いに走る。
・挑発に過剰反応する。
・力のいる仕事をすぐに投げ出す。
・認知的タスクや論理的な意思決定でお粗末な判断を下す。(pp.63-64)


 消耗は判断力に悪影響をおよぼす。イスラエルの仮釈放判定人の申請書類の審査の仕事ぶりをみると、休憩直後の許可率が最も高く、次の休憩直前にはゼロ近くになった。疲れて空腹になった判定人は、申請を却下するという安易な「初期設定」に回帰しがちだった。

・・・ある人事課長は雨の日は不機嫌であり、何を提案してもネガティブな返事をした。雨音と低気圧で人はそんなにも消耗するものだろうか、もともと小さい彼のキャパシティを低下させていて非常にわかりやすかった。彼の部署は承認どころではなかったろうと思う・・・


●「もしあなたが大統領の政治手法を好ましく思っているとしたら、大統領の容姿や声も好きである可能性が高い。このように、ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向は、ハロー効果(Halo effect)として知られる。後光効果とも言う」(p.122)

 ・・・「あばたもえくぼ」ですかね。去年は正田も自分の人物眼に自信を無くすような出来事が2,3あった。播州ハロー効果とでも言おうか・・・

●見たものがすべて効果。「限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向は、直感思考を理解するうえで非常に重要であり、・・・この傾向は、自分の見たものがすべてだと決めてかかり、見えないものは存在しないとばかり、探そうともしないことに由来する。・・・システム1は、印象や直感のもとになっている情報の質にも量にもひどく無頓着なのである」(p.129)

 ・・・教育も、とりわけ正田がやっているような教育は、膨大な情報群の中から自分の主張に都合のよいものを選んで提示しているようなところがある。しかしせめてもの良心で受講生さんに情報を批判的に吟味する習慣をつけていただきたいので、出典を明示することは必ずやっている。正田は受講生さんにシステム1オンリーの軽薄な人にはなってほしくないのだ…


●システム1の日常モニタリングにより、敵と味方を見分ける能力。脳の中には、顔の形から支配力を評価する回路があるらしい。政治家の顔写真を学生に見せたところ、当選した候補者の70%が「能力が高い」と評価されていた。能力の評価結果のほうが好感度の評価結果よりも、当落予想としてはるかに当てになった。具体的には、「能力が高い」という評価は、がっしりした顎と自信あふれる微笑の組み合わせが「できる男」という雰囲気を醸し出す。このシステム1の自動的な選好にとくに左右されやすい有権者とは、政治に疎くてテレビをよく見る人たちだった。この人たちは政治にくわしくテレビをあまり見ない有権者の3倍も「顔の印象に基づく能力」に影響されやすい。(pp.135-136)


●感情ヒューリスティック(affect heuristic)。好き嫌いによって判断が決まってしまう。感情的な要素がからんでくると、システム2は自己批判をする番人ではなくなる。システム1の感情を批判するよりも、擁護に回る傾向が強まる。(pp.153-154)

 感情は意思決定の質に影響を与える。脳の損傷などが原因で意思決定前にしかるべき感情が湧いてこない人たちは、感情による重みづけができないため、よい決定を下す能力が乏しい。悪い結果を見越して「健全な恐れ」を抱くことができないのは、我が身を危うくする欠陥といえる。(pp.204-205)


 ・・・当協会の講座では、リーダーの意思決定の質に重大な影響を与える因子として、「感情」を感じるトレーニングを行います。感情コントロールという意義と、正しい意思決定のために正しく自分の感情を感じる訓練と両方の側面があります。・・・


●利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)。記憶に残っていて呼び出しやすいことを過大評価する。飛行機事故は大々的に報道されるので、あなたはしばらくの間飛行機の安全性を過小評価しがちになる。

 ・・・これもよくありますね。「凶悪な少年犯罪は近年増えているか?」との問いに大抵の人はYESと答える。しかし統計を参照すると逆に減っていることがわかる。凶悪事件は話題性があり大きく報道されるので、強く印象に残っているのだ。・・・

 個人的に直接経験したことも記憶に残りやすく、利用可能性が高まる。自分自身のバイアスを意識することで、さまざまな共同プロジェクトがうまくいく。チームで仕事をする場合、自分のほうが他のメンバーより頑張っており、他のメンバーの貢献度は自分より小さいと考えがちである。システム1にうかうかと従う人は、システム1を厳しく監視している人よりも、利用可能性バイアスがかかりやすいことがわかっている。(pp.193-200)


 利用可能性ヒューリスティックは、リスクの評価に大きく影響する。たとえば脳卒中による死亡数は事故(あらゆる事故の合計)の死者の2倍に達するにもかかわらず、被験者の80%は事故死のほうが多いと答えた。被験者の判断は報道によってゆがめられている。(p.203)


●利用可能性カスケード。報道などによりバイアスが政策に入り込むメカニズム。ある観念の重要性は思い浮かぶたやすさ(および感情の強さ)によって判断される。利用可能性カスケードは自己増殖的な連鎖で、多くの場合、些細な出来事をメディアが報道することから始まり、一般市民のパニックや大規模な政府介入に発展するという過程をたどる。わたしたちはリスクを完全に無視するかむやみに重大視するかの両極端になり、中間がない。(pp.209-211)


●代表性ヒューリスティック。トム・W問題(これをあまり詳述すると申し訳ないので割愛)確率を問われた質問に類似性で答え、基準率を無視する。「彼女は今度の選挙で当選するだろう。成功する政治家のタイプだ」とか「あんなにタトゥーを入れていたら、彼は学界では出世しないよ」といった発言には代表性ヒューリスティックが絡んでいる。映画『マネー・ボール』では、「彼は成功する。ケツが大きいから』などと言っているスカウトたちを尻目にブラッド・ピット扮するGMが過去の実績データだけに基づいて選手を選び、チームは少ない予算ですばらしい成績を上げた。

 きちんとベイズ推定を行う基本原則は以下の2つ。
 ・結果の確率を見積もるときは、妥当な基準率をアンカーにする。
 ・証拠の診断結果をつねに疑う。


●「もっともらしさ」による錯誤。これも詳述しないが「リンダは銀行員である」より「リンダは銀行員で、フェミニスト運動の活動家でもある」のほうがもっともらしく見える。そのもっともらしさを確率(もっとも起こりやすさ)と混同する。本来はこの2つは「含む、含まれる」の関係であり、前者のほうが確率は高いのだが。2つの事象が同時に起きる連言事象のほうが「もっともらしく」見え、それだけでシステム2はゴーサインを出してしまった。


●平均への回帰(regresshon to the mean)。叱ることが好きな人には注目の項目。失敗を大きな声で叱るとその次回はうまくなる。ただしそれは叱られて学習したからではなく、平均に回帰しただけである。たまたま平均を大きく下回る下手なミスをしたのは偶然であり、その次はもっと平均に近いパフォーマンスをする確率が高い。ゴルフトーナメントでは、初日にいいスコアを出した選手がだいたいは2日目にスコアを悪くする現象が認められた。2つの変数の相関が不完全なときは、必ず平均への回帰が起きる。

 

●後知恵バイアスは以前にも取り上げた。
「私は『2008年の金融危機は避けられないことを事前に知っていた』とのたまう御仁をたくさん知っている。」
 後講釈をする脳は、意味づけをしたがる器官だといえる。予想外の事象が起きると、私たちはただちにそれに合わせて自分の世界観を修正する。
「人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できないことが挙げられる」(p.294)
「過去の自分の意見を忠実に再現できないとなれば、あなたは必然的に、過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる」(p.295)

 ・・・たぶんこのせいなのだろう、「承認研修」を1回ならっただけで自分は人に承認を教える資格があると思ってしまうのは・・・


●結果バイアスが入り込むと、意思決定を適切に評価することがほとんど不可能になってしまう。わたしたちは、決定自体はよかったのに実行がまずかった場合でも、意思決定者を非難しがちである。また、すぐれた決定が後から見れば当たり前のように見える場合には、意思決定者をほとんど賞賛しない。

 ・・・なんど見たことだろう、私から見て尊敬できない人々が「承認研修」を受けた後、(できもしないくせに)「これって、要するに当たり前のことですよね」と言うのは。後日結果を出す人々は決してその手のことを言わない。彼らは承認に近いものを知らなかったわけではないが、しかし承認を新たなものとして「発見」する。・・・


●結果が重大であればあるほど、後知恵バイアスは大きくなる。たとえば9・11同時テロのように悲劇的な事件では、事前に予測できなかった政府高官を、怠慢か、でなければ無能だと決めつけやすい。後知恵バイアスや結果バイアスは、全体としてリスク回避を助長する。


●成功例の分析からリーダーシップや経営手法のクオリティを推定しても、信頼性が高いとはいえない。『ビジョナリー・カンパニー』の卓越起業とぱっとしない企業との収益性と株式リターンの格差は、調査期間後には縮小し、ほとんどゼロに近づいている。(心の声:この本がその後の巻で「凋落」について書いたのは著者らがいかにがっかりしたかということだろう。ちょっと笑えた)企業の成功あるいは失敗の物語が読者の心を捉えて離さないのは、脳が欲しているものを与えてくれるからだ。それは勝利にも敗北にも明らかな原因がありますよ、運だの必然的な平均回帰だのは無視してかまいませんよ、というメッセージである。そして読者の方は、みなそれを信じたがっているのである。

 ・・・日経ビジネスやルソンの壺をみる目がかわりそうだ。結局わたしの仕事としては業績に高い確率で結びつく「モチベーション」を上げる、というところをしっかりやるだけだ・・・


●妥当性の錯覚。本書によれば新人採用やリーダー昇格の資料にするためのちょっとしたゲームやテストの成績などはまったくあてにならない。採用や昇格にあたる人は心したほうがよいようだ。

「人工的に設定された状況で1時間ばかり兵士の行動を観察しただけで、幹部養成訓練や実戦の場で困難に直面したときどんなふるまいをするか、すっかりわかった気になっていたのだ。私たちの予測は平均回帰をまったく見込んでいなかったし、「自分の見たものがすべて」効果だった」(p.308)


●金融業界の「スキルの錯覚」。ある証券会社の個人客1万人が7年間に行った取引16万3000件について、
売った株とその代わりに買った株のリターンを売買時点から1年にわたって追跡調査した。結果は、打った銘柄は買った銘柄より値上がりしていた。大半の個人投資家にとっては、シャワーでも浴びてのんびりしているほうが、へたな思いつきを実行するよりもよい投資方針と言える。

 この研究者らは「投資は富を脅かす」というタイトルの論文にまとめ、平均的には最も活発な投資家が最も損をすること、取引回数の少ない投資家ほど儲けが大きいことを示した。

 また「男は度し難い」と題する論文では、男は無益な考えに取り憑かれる回数が女よりはるかに多く、その結果、女の投資実績は男を上回ることを示した。


 ・・・投資にはうといわたしですがさいごのほうの知見はよくわかる。男はやたら酒飲んで情報交換するが、結局は無益な考えに取り憑かれて失敗しているのをみると、「その情報むだちゃう?」と思うことが多い・・・


●専門家の予測は当たらない、というお話。ミールの「嫌われ者の小さな本」では、訓練を積んだ専門家の主観的な印象に基づく臨床的予測と、ルールに基づく数項目の評価・数値化による統計的予測とを比較し、どちらがすぐれているか分析したところ、専門家の予測はルールに基づくアルゴリズムを下回った。よくて同等だった。

 その後のドーズの研究によれば、アルゴリズムは封筒の裏に走り書きするようなアルゴリズムで十分だ。最適な重みづけをした複雑な計算式に十分対抗できる。新生児の系統的な評価、「アプガー・スコア」はその例。


●この知見を踏まえて、かつ人間の直感をも加味して行ったおもしろい試み。軍の面接では、いくつかの標準化された事実確認質問を用意し面接官に質問させた。意図としては第一印象によるハロー効果を排除した。しかし面接官が自分の直感を遮断して退屈な事実確認質問だけをするのに抗議したので、著者らは譲歩し、「面接は指示通りに確実に実行してください。そして最後に、あなた方の希望通りにしましょう。目を閉じて、兵士になった新兵を想像してください。そして五段階でスコアを付けてください」数か月後、この新しい面接方式が従来の方式よりはるかに正確に兵士の適性を予測していることがわかった。

直感が価値をもたらすこともある。ただしそれは、客観的な情報を厳密な方法で収集し、ルールを守って個別に評価した後に限られる、ということである。(pp.333-335)


 ・・・直感は正しいのか間違っているのか。ようは、裏付けのない直感には意味がなく、必要十分な情報に裏付けされた直感には意味がある。これを高齢者の直感に当てはめていえば、豊富な経験に基づいて意味があるばあいもあるし、そのひとがたまたまある1つの情報に必要以上に釘付けになってしまった場合には間違うこともある。・・・


 
●たとえば、あなたの会社でセールスマンを採用するとしよう。あなたが真剣に最高の人材を採用したいと考えているなら、やるべきことはこうだ。まず、この仕事で必須の適性(技術的な理解力、社交性、信頼性など)をいくつか決める。欲張ってはいけない。6項目がちょうどよい。・・・この準備にかかる時間はせいぜい30分かそこらだろう。このわずかな投資で、採用する人材のクオリティは大幅に向上するはずだ。(pp.335-336)


 ・・・採用を考えている人には非常に重要な示唆だと思うけれど上記のパラグラフは途中を抜いてあります。読みたいかたは本書をお買い求めください。・・・


****

 「よい意思決定」にはなんと多くの因子がかかわっていることでしょう。しかし、意思決定をしごとにする人であれば、こうした知見から逃げてはいけません。重要な業務知識です。

 往々にして高い地位についた人は自分の判断力を過信するようになります。一瞥した印象にもとづいて判断する資格があると思うようになります。私ともども気をつけましょう。「システム2」がさぼらないように、引き続き鍛え続けましょう。


 本書の下巻にはこの著者カーネマンのもっとも重要な発見である「プロスペクト理論」が出てきますが上巻について書いたところで息切れしてしまったので、それはまた日を改めて。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp










 
 
 

『思い違いの法則―じぶんの脳にだまされない20の法則』(レイ・ハーバート著、インターシフト、2012年4月20日)を読みました。


 このブログにもたびたび出てくる「バイアス」というもの、わたしたちの錯覚をもたらすその代表的なものをまとめた本です。

 ここでは、わたしたち自身が日常的におこなっている「ヒューリスティック」という思考法をその「バイアス」をもたらすものとして挙げます。なのでここでは、バイアスの種類を「〇×ヒューリスティック」と呼びます。

 「ヒューリスティック」は、『医者は現場でどう考えるか』という本を紹介したとき出てきました。

 「判断をゆがめるものとの闘い―『医者は現場でどう考えるか』

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51778972.html


 医者だけでなくマネジャーにとっても、「ヒューリスティック」は日々の業務をこなしていくうえで欠かせない思考法、いわば「必要悪」ともいえるもの。とはいえ、それがなす害についても知っておかなければなりません。


 本書には大量の興味深い心理実験が紹介されます(1つ前の記事の『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』と重複しているものも少なからずありました)が、そのうちのとくにわたしにとって興味深かったものをメモ書きでご紹介させていただきます。


●ヒューリスティックは、認知における経験則である。それは頭の中に思考の近道として組み込まれ、直感的ですばやい意思決定や判断をするときに用いられる。・・・ヒューリスティックは、一般的にはとても役立つものだ。私たちは毎日、何百という意思決定をおこなっているが、ひとつひとつを深く考えないですませられるのも、ヒューリスティックのおかげだ。けれどもそれも完璧ではなく、理屈に合わないことも多い。(pp,.12-13)


(大原則ですね。ヒューリスティック、いわば経験則に毎日頼らざるを得ない。でもその落とし穴を知っておいたほうがいい)


●仲間はずれにされた経験をした被験者グループに部屋の室温を予想してもらったところ、常に温度を低く予想し、その経験をしなかったグループとの差は3℃近かった。仲間はずれにされた胸の痛みを思い出すことで、本当に寒く感じた。


●清められた人は嘘をつきやすい。手を洗った被験者のほうがより多く嘘をついた。『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』にもあったエピソード。


●大打者ミッキー・マントルは「ボールがグレープフルーツのように大きく見えた」と言ったが、調子の良い(パットがよく入る)ゴルファーは実際よりカップが大きく見えていた。

●あと知恵バイアス(「僕にはわかっていた」シンドロームともいう)。いったん起こってしまったことについて、それは避けられなかったと考えようとする性向。私たちの過去の記憶は、起きたばかりの、より新しく強烈な記憶にかき消されてしまうらしく、そのため私たちは心理学的に、以前どう考えていたのか、自分に正直になることができない。これがあると、失敗から学ぶことが難しくなり、自分の行動について責任を持たなくなる可能性がある。

(この知見はべつの意味で大変おもしろい。研修をしていても、「私は以前から承認を行っていた」と主張する受講生さんによく出会うが、状況証拠がそれと反するばあいがある。研修で学習したり体験したりした結果、それは初めての経験であるにもかかわらず過去の記憶のほうをそれに一致させて「僕にはわかっていた」となった可能性がある。)


●なじみのあるものの方が価値があると感じる(流暢さヒューリスティック)。同じ1ドルでも見慣れた1ドル札のほうがあまり流通しておらず見慣れない1ドル硬貨より価値がある(沢山のものが買える)と感じる。また読みにくい字体で書かれたものは価値が低いと感じる。



●ものまね(協調)ヒューリスティック。2人以上で協同作業を行うときにはたらく。

 「被験者たちは1人のときより、誰かと組んだときのほうが一生懸命で、ハンドルを握る力も強かった。しかし意外なのはここからだ。被験者たちは、1人のときより苦労したのはパートナーがいたからだと感じていた。つまり相棒はまったく役に立たなかったと思い込んでいたようなのだ。実験が終わってから、パートナーは助けになったどころかむしろ邪魔だったと、不満を口にする被験者もいた。しかしその感覚は間違っている。実際に時間を記録したところ、どの被験者も1人より2人で作業したときのほうが成績はよかった。もう1人の力が加わるため、物理的な抵抗を感じるのは事実だが、それでも互いの役に立って、結果的に良い成績をおさめているのだ。」(p.87)
  

(非常におもしろい実験。本書の「ものまねヒューリスティック」という解釈はべつにして、私たちは一緒に仕事をする仲間を「邪魔くさい」と感じるようにできている。客観的には仲間のお蔭で自分もより力を発揮できているというのに)


●自制心は刺激されて増大したり、使いすぎて消耗したりする。空腹なウェイターの気持ちになろうとしていた被験者は、認知能力が枯渇してその後のテストの成績はほかの人に比べてよくなかった。しかしウェイターの自制心を見ていただけの被験者のほうが、満腹なウェイターを見ていた被験者よりも成績がよかった。

(この同じエピソードは意志力の本にも載っていたかも。とまれ、意志の強い人をそばで見ていられるのはいいことだ。)


●近接した点でプライミングされた(頭の中で狭苦しさを感じた)被験者のほうが、さまざまな強い刺激に対する拒否感情が強くなる。心に距離的ゆったり感をもったほうがものごとに寛容になれるようだ。両親、兄弟、生まれ育った町との感情的な結びつきに、心理的な隔たりをプライミングされた被験者はあまり執着を示さなかった。隔絶と孤立は自由の裏返しなのだ。


(アメリカでも小さい町に住んでいる人は一般に保守的で道徳的に不寛容だ。また昔、「大きい家に引っ越したほうがダイナミックにものが考えられる」という「水槽理論」なるものがあったがそれに似ている?一方で自由が本当に幸せなのかという問いもある)


●ある作業を心理的に遠く感じると、すぐに取り組まずに、いつかわからない将来に持ち越してしまう。あいまいでばくぜんとした作業は、具体的な作業に比べて先送りしやすい。

(コーチングの「スモール・プロミスを大切に」というのと同じですね)


●「視点取得」は、「説明能力」にかかわるおもしろい知見。私たちは他人も自分と同じ視点で考えると思ってしまう。クイーンの某曲を逆回しすると「マリワナを吸うのは楽しい」と言っているという噂がある。都市伝説のようなもので、実際に逆回ししても普通はそのように聞こえない。大学生に逆再生した曲を聴かせたところ、ドラッグ礼賛メッセージについて事前に聴いていた学生はほぼ全員が「メッセージが聴こえた」と言い、事前に聴かされなかった学生はそのメッセージが聞き取れなかった。
 さらに、このメッセージについて事前に聴いている学生に対し、事前に聴かされなかった学生が曲を聴いてメッセージが聴こえたと答えるかどうか予測させたところ、「事前に聴かされなかった学生」の視点を取得できず、彼らはメッセージが聴こえたと答えるだろうと予測した。

(研修屋からみた、世間の人々の「説明不足」が起こるプロセスをよく説明している。たとえば、プロの研修講師から受けた研修内容を「社内講師」が次の学生に教えようとする。しかし、プロが学生にわからせるために限られた時間内で慎重に配置したエピソードや理論説明が抜け落ちているために、独りよがりの説明になって「伝わらない」ケースも多い。自分がなぜ、どの説明によって「わかった」と思ったのか、自分が「わかっていなかった」状態から「わかった」プロセスをきちんとコピーしないからそうなる。一般に例えば自分が丸1日とか2日かけて初めて「わかった」ものを、他人に説明してわかってもらおうとするとき、1時間や2時間でわかってもらえると思うのは間違い。)


●幸福を「取り消してみる」と、満足度が上がる。カップルに2人が出会っていないと仮定し、お互いの存在なしに人生を歩む状況を思い描いてもらうと、満足度が上がった。


●アルツハイマー病の患者に自然現象の理由を尋ねたところ、世界は何かの目的のためにつくられていると考えていた。雨が降る主な目的は飲み水を提供するためであり、木が存在するのは影をつくるためであり、太陽は人間を暖めるためだけに存在すると考えていた。これは未熟な子どもたちの思考と同じで、人間の脳はものごとは存在目的があると考える衝動に動かされている。

(上司が「部下はオレを喜ばせるためにいる」とか「部下はオレの出世のために存在する」とか考えるようになったら、自分の認知能力を疑ったほうがいいかもしれない?)


●ポジティブな感情の意義とは。何かを好きになるという行為が思考を形づくり、多面的な思考をし、他人にはわからない違いもわかるようになる。”拡張・形成”理論によれば、前向きの感情は、さまざまな新しい経験に対して心を開く。好奇心や喜びを感じた人はより大きな可能性を見出し、視野が遠く、幅広くなり豊かなメンタルマップをもつ。そして時間がたつにつれて、こうした前向きでオープンな経験が積み重なって、心理的、感情的な回復力が生まれる。恐怖や嫌悪のようなネガティブな感情は捕食者から逃げたり毒を避けたりするのに役立つが、前向きな感情は創造性を高め、知的な活動に従事し、自分のことばかり考えなくなる。そのため複雑なこの社会をうまく泳ぎ、生き延びるのに有利になる。


●ステレオタイプは認知のエネルギー節約のためのツールである。これを遣えば限られた脳の力をもっと有益で重要なことに使える。ステレオタイプに頼れば、他のこまごましたことについて学習能力が上がる。

(「決めつけ」をする人は、その事物や相手を重要だと考えておらず、限られたエネルギーをほかのことに使いたいと考えているのかもしれない。でもそもそも体調が悪くてものを考えるのに使えるエネルギーの総量が少ないのかもしれない。次の項目参照)


●朝に生産性が高い朝型人間と夜にピークが来る夜型人間の2種類の人間がいる。頭の働きがピークでないとき、体調が万全でないときのほうが、ステレオタイプ思考に流されやすい。

(裁判員の人などは要注意。あと当然管理職は二日酔い状態でのステレオタイプ思考にも。)


●ステレオタイプを抑えるときには自制心の領域が活性化する。(つまり、筋肉と同じで使いすぎると疲れてしまうということ?)


●老人に対する失礼なステレオタイプを持っていた人は、まさにそのイメージに合った老人になる。老人は無力であると考えていた人はその後の40年の間に何らかの心臓疾患を経験する可能性が高い。


●制服を着ている人のほうが、病気やけがによる欠勤、通院や入院での回数も少なく、慢性病を抱える人も少なかった。これはおそらく制服で仕事をする人は、服を選ぶという、年齢を意識させる行為をせずにすむから。


●汚れは伝染ると感じられる(黴菌ヒューリスティック)。ヒトラーが来たセーターを着るかとの問いに多くの人はノーと答える。不道徳も伝染すると感じている。マザー・テレサが着たセーターなら多くの人が着ると答えるので、よい本質も伝染ると思っている。しかしヒトラーのセーターをマザー・テレサが着たとしても、汚れは帳消しにならない。

(ネガティブな感情とはそれぐらい根源的で強力なものだ。この部分は『あなたはなぜ「嫌悪」するのか』と重なる)


●死について考えた被験者は明るく前向きな連想をする傾向があった。歳をとって死に近づいていくとき、脳はより明るい情報をさがし求める。さまざまな顔の写真を見せたところ、老人の被験者は明らかに楽しげな表情を好み、怒った顔を見るのを避けた。

(年配の人は優れた直観をもつこともあるが、老害があるとしたら過剰にポジティブで、不愉快な情報から目をそむけてしまうこと。もし問題を正しく認識して対処できなくなったら、意思決定の場から退場するしかないだろう)


●ノスタルジアは孤独感をやわらげる作用がある。ダメージから立ち直る力を意味する回復力(レジリエンス)は、侮辱を跳ね返し、非難や攻撃をかわす能力だが、その回復力を備えた人は、困難への対処法としてノスタルジアを使っていると考えられる。


●死を意識した人は、贅沢な消費をこのみ、欲深くなる。彼らは競争相手を負かし、多くの木を切って、お金を稼ごうとする。自らの不安や恐怖があまりにも強く、生態系や他人をかえりみる余裕がなくなる。


●思想上の脅威は死を思いださせる。大量殺人や大量虐殺の裏には、思想上の脅威による死の恐怖がある。ナザレ(キリスト教の聖地)のイスラム化についての記事を読んだキリスト教徒は、だんだんイスラム教徒ばかりでなく、仏教徒、ヒンズー教徒、無神論者についても否定的になった。

(コーチングや類似の心理学、コミュニケーションの研修機関もそれぞれ一種の思想空間なので、時には相手を滅ぼさんばかりの勢いで攻撃を仕掛けることがある。私は他人のテリトリーに入るときは他人を「尊重」するけれど。自分のテリトリーで散々いやな思いをしているから)



●ウディ・アレンの有名な言葉で、仕事の80パーセントは姿を見せることだ、というのがある(既定値思考)。



これらは本書で紹介されている膨大な心理実験のあくまで一例です。
さて、これらを知っていると私たちは少しは判断ミスをしない人になれるでしょうか・・・


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』(レイチェル・ハーツ著、原書房、2012年10月15日)という本を読みました。

 
 「嫌い」という感情は、なぜ起こるのか。

 って、考えたことはありませんか。何かを強烈に「嫌い」「受け付けない」と感じるとき。何が作用しているんでしょう。

「異国の発酵食品、昆虫食」
「死を想起させる現象、病気」
「ホラー映画、スプラッター映画」
「他人が汚した痕跡」

・・・

「嫌悪の感情は、人間の中枢神経システムを支配し、血圧を下げる。そのせいで発汗量が減り、失神、悪心、吐き気などが引き起こされる。外見上、手足や身体が震え、萎縮し、口からは「うぅ・・・」とか、「うわっ」という声が洩れることもある。嫌悪感情からは、やんわりとした反感から抑えきれない憎悪まで、さまざまな精神状態が引き出されるが、これらにはすべて、その嫌悪感情の原因に対して、そこから逃れようとしたり、排除しようとしたり、そして多くの場合、避けようとする衝動が中核にある。」(p.43)


 私が「嫌悪」という感情に興味をもったのは、たとえば2ちゃんねるのような場で何かに対して(対象は犯罪者でも、時の政治家でも、あるいはリアルのより身近な誰かや同じ掲示板に書き込む誰かに対して)むきだしの嫌悪を表出する人がいる、するとそれを見ているだけで嫌悪の感情は自分にも何となく伝染ってくるのがわかる、からです。


 過去にネット上のコミュニティに参加したり運営したりしても「嫌悪(憎悪や反感をふくむ)」の感染しやすさは特筆もので、またネット上に関するかぎり感染すると不治の病のようなもので、それは一度蔓延すると感染者に全員「お引き取りいただく」しか手がありませんでした。ポジティブな感情で浄化しようとしても、非常に時間も手間もかかりました。
 
 
 本書によると、「嫌悪」の感じやすさ敏感さには個人差があるそうで、「嫌悪に対する感度(disgust sensitivity)」を測る質問紙も載っています。これで高得点の人はまあ神経質というか、いろんなことに「嫌い」という感情をもつことが多いといえそうです。(ネットにだれかの悪口をわざわざ書き込むような人はその傾向がある人なのかもしれません。ただ多くの人の目に触れることによりそれは普通の感性のもちぬしにも感染する可能性はあります)

 
 最も原始的な嫌悪感は、身体にまつわる嫌悪感だ、と本書はいいます。食べ物や飲み物、排泄された尿、おう吐物、痰、唾液、汗、血液、膿や便、身体の変形に関するものです。これらは直接的には「病気」を連想するからですが、より深層心理的に究極には、「死」を連想するからだ、とも。

 また道徳的な堕落や獣性にかかわることも嫌悪をよびおこします。本書ではホモセクシュアルや外国人に対する嫌悪にみるアメリカの保守とリベラルの態度の違い(保守はこれらに不寛容でありリベラルは寛容)をとりあげていますが、わたしはつい「アメリカにおけるホモセクシュアル嫌い」を、「わが国における働く女性嫌い」をくらべてしまいました。―「日本人は『女性嫌い』だ」と言ったのは上野千鶴子だったとおもいますがあんまりフェミニズム寄りにならないようにしているのですがこの意見にはちょっと賛同したくなりました―日本ではそれぐらい、「働く女性」というのはまだ「異形の人」「異端」「不道徳な人」です。


 ある種の病的に「嫌悪感」が強い人は、「強迫神経症(OCD」といい、人口の2〜3%がかかる病気です。レオナルド・ディカプリオもその一人。OCDの人は何にでも嫌悪感を抱き、とくに不潔を嫌う人は1日中でも手を洗い続ける不潔恐怖症になります。嫌悪感は脳の「島皮質」という部位がかかわっていますがOCDの患者は、嫌悪を催すもの(たとえば不潔なもの)を見せられたときに健常者と比べて島皮質の活性化が大きいようです。一方、自分は何にでも嫌悪感を抱くわりに他人の抱く嫌悪感には鈍感、という傾向があります(すべてのOCDではなく、重症の人)。
 また病的な犯罪者傾向のある人、いわゆる「サイコパス」は、他人の恐れと嫌悪の表情がうまく見分けられない。さらに、おもしろいことに、というか困ったことに、東アジア人(中国人と日本人)は、嫌悪と恐れを分類する際にヨーロッパ人より間違えることが多いという実験結果もあるそうで、「思いやりの日本人」のはずが実は他人の不快感に対して鈍感かもしれません。

(これに似ているかもしれない調査結果が共感ホルモンの「オキシトシン」についてもあります)

 
 いずれにしても、「嫌悪」は最終的には「死」を連想させるものに対してはたらきます。

 さきほどの嫌悪感受性の調査で、嫌悪感受性の高い人ほど死を恐れているといえます。

 色々な実験が紹介されますが、ある実験では、「死を想起した後では身内びいきになる」傾向が顕著になったのでした。

「・・・そこでわかったのは、白人の学生が、誰もがやがては死ぬ運命であることを考えるように前もっていわれた場合、まず人種による顔の分類をすることで脳の活動が強まり、白人男性の怒った顔に対してはやや恐ろしいと感じる程度が減少した。言い換えると、死を想起した後には、身内であるか(白人)または身内でないのか(黒人)による識別がより顕著になり、身内の一員からの脅威(怒れる白人)はあまり重要視されなかったのである。人間は死の脅威にさらされたら、自分の殻から出ようとせず、同じ仲間に囲まれ、多くの安全を得ようとするのである。」(p.182)


 (正田注:このあたり「社会」や「組織」を考えるうえでおもしろいと思うのは、例えば「倒産の危機」「国家存亡の危機」といった、自分たちの生存が脅かされる局面になったとき、外国人や女性、障害者といった「異形の者」への違和感が拡大し、差別がエスカレートする可能性がある、ということです。

  また、この実験はアメリカですが、不安感の強い日本人のばあい死への恐怖も強いはずなので、差別的によりなりやすいといえるかもしれません)


 「人類は、肉体的にも心理的にも死の問題から我が身を守るために、何かを苦手に思う感情を生み出したのである。そのせいで私たちは、かさぶたに覆われた傷やブタに似た食べ方や自分の生活を脅かす人々を避けようとする。誰かに嫌悪感を催すとその人を蔑んだ態度をとる。こうした人々によって免れられない死を思い起こさせられたり、いつか死ぬという真理を寄せつけずにいてくれる社会構造や幻想が脅かされると、反発心が生じる。嫌悪感は死に対する拒絶反応だといわれてきた。嫌悪感こそが「今、目の前にあるこれを拒絶する」。あるいは「あなたを拒絶する」と訴える。そうすることによって、拒絶された「これ」が象徴的にも実際にも予感させる、破滅の道に向かう可能性から私たちは守られる。拒絶とは、すべての嫌悪感の裏に隠れている原則的な姿勢なのである。」(p,.184)


 この文章のいう、「拒絶される」という現象もよく経験してきました。「嫌女性」と「嫌コーチング」の両方をみてきたわたしであります。

 後者の「嫌コーチング」に関しては、どこか「近づきたいのに近づけない」アンビバレンツな感情を経営者コミュニティなどで感じてきました。
 それは、「やらないと死にますよ」(私自身はそういう言葉を言ってないけれどそういう匂いを発散しているかもしれない)というメッセージが「死」を連想させているのか、それはもちろん不合理きわまる感情なのだけど、あり得ないことはない。それとも「やっていないリーダーは怪しからん」というメッセージ(これも言ってないけど)が会社というより自分個人の「死」を連想させているのか―。
 それにしても「コーチング」はともかく「承認」を嫌いになってしまうというのは、一生ものの気の毒なことです。


 身体的なことに関する「嫌悪感」は政治的に利用されることもあります。ナチスは、ユダヤ人を病原菌のように表現してドイツ国民の嫌悪をあおりました。こうした手法は大量虐殺のときによく見られるようです。


 最後に、「嫌悪感をコントロールしよう」と呼びかける本書は次のようにしめくくります。

 「人間の嫌悪感情体験は一種の贅沢であることが明らかになった。・・・嫌悪感を催せる特権があるのは、恵まれていることを示すサインだ。・・・生と死の分かれ目が眼前にあったら、嫌悪感にひるんで手をこまねいて滅亡を迎えるよりも、生存のチャンスに賭けるだろう」(pp.328-329)



わたしは上記のフレーズ、好きです。「やらなければ死ぬ」と思ったら、なりふり構わず、汚いものでも食べるでしょう(カニバリズムまで行くかどうかは別として)。わたしは1980年代に1年半ほど、まだ途上国だった中国で貧乏留学生として暮らしたことは自分に役に立ったと思っています。お蔭で(阪神大)震災後に水の入ったポリタンクを運ぶ作業もとくに被害者になることなく淡々とやっていました。女性という「異形」にうまれたことも、きっと何かの役に立っているでしょう。


 本書の読後感としては、当然、今年クローズアップされた「いじめ」の問題も想起します。「キモイ」「汚い」「臭い」と、いじめには嫌悪感を煽るようなフレーズが使われます。嫌悪感が共感をよぶ、それは有害なものを食べたり触れたりすることは死につながるから、と生存本能にもとづいたものではありますが、ナチスと同じ手法を子どもたちが無意識に使用するということを思います。


 なお、本書の中にある有名な実験で、「歯ブラシを共有したくない人」の筆頭は、例示された中では「1位郵便配達夫、2位上司」でした。上司は嫌われる。以前「おいでよ動物の森」の例を引いて「上司は特に悪いことをしなくても嫌われる運命にある」というお話をしましたが、気の毒なことです。そのことがストレスで当り散らす人も中にはいるかもしれません。昇進にともなうお給料のアップはそのことの慰謝料かもしれません。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 
 


 
 

「断言する人は信用しないほうがいい」

―たとえそれが名の通った専門家でも。


 と、いうことについての本が『専門家の予測はサルにも劣る』(ダン・ガードナー、飛鳥新社、2012年5月)。


 正田が「歯切れのわるい女」であることへの言い訳として丁度よかったです。


 この本の中核をなすのがカリフォルニア大学の社会科学者、フィリップ・テトロックの実験。

 多くの専門分野にわたる284人の専門家を集め、かれらの予測を集めました。テトロックとそのチームが長年にわたって専門家たちに質問を浴びせ、集めた予測は合計2万7450。


 興味深いその結果とは。


 専門家たちの予測の精度は、あてずっぽうの予測と大して変わりませんでした。ただその予測能力には幅がありました。


 比較的成績のよい専門家は「キツネ型」。謙虚で疑い深い。断言口調でものを言わない。

 結果の悪かった専門家は、いわば「ハリネズミ型」。複雑性や不確実性に不安を感じ、ひとつの仮説をつねに当てはめようとする。おもしろいことにこの人たちのほうが、予測が正確だった人たちよりも自信にあふれているます。テトロックの実験によれば、メディアで有名な専門家の予測ほど「当たらなかった」。


 成績のよかった専門家の「思考法」とは、どんなものでしょうか。

「テンプレートを持たずに、いろいろなところから情報やアイデアを収集してまとめあげようとする。常に自己批判をして、自分が信じているものが本当に正しいか問いかけている。もし間違っていたことを示されたら、その間違いを過小評価したり、見て見ないふりをしたりはしない。ただ間違っていたことを受け入れ、自分の考え方を修正しようとする。

 こういう専門家は、世界を複雑で不確実なものとして見ることに違和感を覚えないので、そもそも将来を予測する能力というものに、疑念を抱く傾向がある。結果としてパラドックスが生じる。他の人より正確に将来を予測した専門家は、自分が正しいことに自信が持てない人たちなのである。」(pp.49-50)



 よしよし。こういう自分に都合のよいことはブログに書いておこう。


本書によれば、完璧な予測というものは存在しません。気象予報などは、「あすの天気」ぐらいまではある程度の精度で予測できるが、7−8日後となると際限なく不確定な要素が入ってくる。わずかでも想定外な現象が入ることによって予測不能になることを「カオス理論」とか「バタフライ効果」(ブラジルの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を起こすかもしれない)とよぶ。


 「残念な予測」の例として、トインビーの大部の著作『歴史の研究』や、ピラミッド学、カーターの演説、日本脅威論、などが挙げられます。


 なぜ、こんな「残念な予測」がはびこるのか。そしてメディアを含め一般大衆は、当たりもしないのに「専門家の予測」を求めるのか。
 
 「わたしたちは情報化時代に生きているが、頭の中は石器時代のままである」

と著者。

 ランダムなものをランダムなままに認識しない、パターンを見出そうとする脳の構造(左脳がこうした「物語をつくる」役割を担っているそうだ)

 コントロールできない、予測できないことを恐れる脳のはたらき。一番残酷な拷問とは、いつ拷問がはじまり、どんな内容の拷問をどれぐらいの時間持続させるかまったく予測できないようにランダムに行う、というものだそうだ。
(それでいうと、「上」の人が確固たる方針を示さない、次々新しい決断をして振り回し先の見通しが持てない、というのも一種の拷問なのだ)


 確証バイアス。自分の仮説に合う事実を拾い、合わない事実を捨象する、評価しない。(このあたりは正田もちょっとあやしい)

 ネガティブバイアス。生存にかかわる危険情報は強く印象に刻まれる。だから新聞やTVには悲惨な事件事故のニュースが溢れる。(これは「承認研修」の中でもよく言いますね。)


 ・・・とこういう脳のはたらきがあるから、予測できないことを予測してもらいたがる。



  そして、「肩書の威光」というおもしろい実験があったそうです。


 1970年代に南カリフォルニア大学の心理学者が、「マイロン・L・フォックス博士」という実在しない有名教授をつくりあげました。

 フォックス博士を演じるために、みなが思う有名教授のイメージにあう役者が雇われ、そして、この役者に「医師教育に適した数学的なゲーム理論」という、まったく意味のない1時間の講義をさせました。それにあたり、役者にはテーマの話し方を教え、また質疑応答の時間用に、あいまいな言葉、新しい用語、無関係なことや矛盾することを言って煙に巻く方法を教えた。こうしてユーモアや、テーマに関係ないことをちりばめた講義にしました。

 フォックス博士ははっきりと自信を持って、大家らしく話し、そして精神科医、心理学者、ソーシャル・ワーカーの教育者らを前に講義をしたところ、全員から高い評価を得た。

 高度な知識を持ったはずの人々が、何ら知識のない役者が行う自信満々の講義にだまされてしまった、というお話。


 これは「プレゼン技術」というものについて興味深い示唆をあたえてくれます。とくに、わたしが思うのにこの講義を「すばらしい」と評価した人たちは、高度な知識を持っているが、「現場を知らない」人たちだったのではないかと思う。この自称学者の言うことを現場に当てはめたら何が起こるか、想像力を働かせないまま、プレゼン技術のみに騙されたのではないでしょうか。

 ひょっとしたらこのプレゼンの効用というのは、これら日頃自分自身が「プレゼン技術」で悩んでいて、人からバカにされるんじゃないかとおどおどしている人々の劣等感を刺激し、彼らの欲しいものを与えてあげる役割を果たしたんじゃないか?とすら思います。

 かつ、「プレゼンセミナー」というものが持つナルシスティックな性質、というのも思います。私自身足を運んだそれらのセミナーでは、「自分を全面肯定せよ、自分を疑うな」と教えられるのです。
 このブログ的には、これは危険思想なんです。

 さらに以前の記憶をまさぐると、一緒に仕事をしたある女性コンサルの先生が、質疑の時間に、聴衆からの質問とはまったくかみ合っていない、どうみても求められた内容の答えではないすりかえた答えを、早口でしゃべりまくるのをきいてのけぞった。もちろんその人とはその後一緒に仕事してないけれど。一般的なコンサルの「質疑に答える技術」とはこういうものか、と舌を巻いたのでした。
 

 
 さて、本書が勧める思考スタイルは、上記でいう「キツネ」方式です。

 それによると、

 1つは「集合知」。多種多様な情報を組み合わせた方が、1つの情報を使うより、いい結果が出るということがわかっている。

 しかし、ただ人が集まっただけでは賢明な判断にならない。人が集まると、まわりにあわせた集団思考におちいる傾向がある。


 
賢い決断というものは、大勢の人が、それぞれ独立して考えて判断したものを持ち寄って判断した結果だ。そのような環境だと、ある人の間違いは他の人によって消し去られ、各人の確かな情報が結びつくことになる。その結果、1人の判断よりずっと適切な判断ができあがる。

 さらに言うなら、一般の人たちの判断を集めただけでも、1人の専門家よりいい判断になるというのも、予測市場の基本的な事実である。

 キツネは情報源を問わず、利用できる情報は全て入手し、まとめる。そしてそれにより、1つの大きなことを知っていて、それ以外には興味がないハリネズミより、優れた判断を下す。

 ・・・つまり、最終結論は幅広いデータの産物であり、いうなれば、集団知の産物だ。(p.331)
 


2つ目は「メタ認知」。思考について再考する、自分のバイアスを発見し打破する。

 3つめは「謙虚さ」。断定しない。予測を聞く人がもっと断定的な言葉を聞きたいと思っていても。


 ・・・なんだかふだんからこのブログに書いていることと同じになってきました。


 さて、正田は、メディアを通じてしか社会現象を実感できない人(たとえば、本気で子どもを育てたことないくせに「いじめはいじめられる子のほうが悪い」とか言っちゃう人々)向けに仕事をしているわけではなく、また理論家のための仕事でもなく、現場で日々仕事に明け暮れている人たち、いわば実務家のための仕事をしています。 

 なので「実務家のための思考法」を推奨したい、というとき、やはり上記の「キツネの思考法」を推奨したいと思います。わたし自身それを実践する人でありたいと思います。

 たとえ地元神戸であまり流行らなくても、ですね。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 「道徳」が人と人を隔てることがある。


 『NVC―人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・B・ローゼンバーグ、日本経済新聞出版社)という本によれば、

(ちなみにNVCはNonviolent Communication 非暴力コミュニケーションの略です)

道徳を持ち出す


 心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションにはいろいろあるが、そのひとつが道徳をふりかざして人を裁くというものだ。自分の価値観にそぐわないふるまいをする相手が悪いとか、まちがっているとほのめかすやり方だ。そうした判断は言葉にあらわれる。「あまりにも自分勝手なところが、あなたの問題だ」「彼女は怠惰だ」「彼らは偏見に満ちている」「それは不適切だ」など。非難、侮蔑、こきおろし、烙印を押す、批判、比較、分析はすべて、形を変えた裁きなのだ。
(p.40)


 「評価・判断しない」


 このこと自体をどう判断するか、むずかしいことです。リーダーシップでは、「判断を保留」することが問題を大きくしてしまうことの弊害も無視できず、むしろ「即判断」が求められる場面も多いのです。

 ここで心理学をとるべきか、倫理・道徳的判断をとるべきか。


 わたしは日頃は「倫理道徳は先発ピッチャー、心理学はリリーフピッチャー。心理学は倫理道徳の限界を埋めるもの」という言い方を良くしています。

 しかし、倫理・道徳的判断に限界はおのずとあること、とくにこんにちのように「ゆとり社員」や従来の働き手と違う人種が入ってきて従来の基準が当てはまらないこと、まずは自分のモノサシを捨て「理解」に努めなければならない場合があることを考慮すると、その限界を知ることは以前よりはるかに重要性を増しているかもしれません。

 
 歯切れがわるいですが。


 ひとつの例でいうと、ある活動体で先日出た話。

「あの人(スタッフ)、日本人じゃないみたいね」

 ヒソヒソ話が出ました。

 スタッフの荷物置き場に、彼女は自分の勤務時間を過ぎても荷物を起き、リーダー格の人から「それは困ります。勤務時間を過ぎたら荷物をもって出てください」と言われてもそのまま置いていた。しかも自分の家族にも声をかけてそこへ連れ込み、荷物を置かせていたという。

 そういう規範意識の違いが、「日本人じゃないみたい」というせりふになったのです。

 つまり、「ルール感覚がない。けしからん」とみなすことが適切でない相手、自分たちの常識とは違う種類の規範意識をもった相手らしい、ということ。


 さて、ではこういう異なる規範意識の人にはそのまま荷物を置かせておいていいよ、というべきか、

 ここで思考停止してしまうのだけれど・・・。

 次の一節、

 
 
そして、くれぐれも「価値観にもとづいた判断」と「道徳にもとづいた判断」を混同しないように。わたしたちはみな、大切にしている価値観を基準にしてものごとを判断する。率直さや自由、平和など、何に価値を置くかは人それぞれ。価値観にもとづく判断は、どうすれば人生をすばらしいものにできるかという信念を反映している。だが相手がそれに応じず、こちらの価値観に反するふるまいに出ると、とたんに「道徳にもとづいた判断」を下す。たとえば、「暴力は悪いこと。人を殺す人は邪悪だ」などと。もしも相手を思いやる言葉を使うように育てられていれば、満足できない場面で暗に相手に指摘するのではなく、自分の価値観や自分が必要としていることを明確に述べることを学んでいただろう。
(pp.42-43)


 道徳ではなく自分の価値観で伝える。
例えば先ほどの「スタッフの荷物」の件だったらリーダーはなんといえばいいだろう。

 
「私は、ボランティアスタッフがみんなにとってわかりやすいルールで行動することが、お互い疑ったりいやな気持にならないですむために大切だと思っていて、この場をそういう場にしたいんだ。
それでいうと、あなたが自分の仕事を終わってからもここに荷物を置いたり、ご家族の分も荷物を置いているのは、困るなあと思う」


 うーん、これで確実に通じるだろうか。

 アサーションでは、事実+自分の感情 という順序で伝えるとかならず通じる、というふうに教え、現実にはその通りいかないことが多くてあたふたすることになる。相手には相手の言い分があり、感情(・・・しているつもり)があって、想定外のそういうのが出てくるのだ。


 この場合は、「荷物を置きっぱなしにする」といういわば「微罪」に関することなので、「価値観」をもってきても今ひとつ反応が薄そうだ、ともいえる。なんでそんな大仰な言い方するの?ときょとんとされるかもしれない。

 やっぱり、「いじめは先生は大嫌いです」とか、「お客様のために真剣・誠実に仕事しよう」とか、ちょっと大きな枠組みのことで使ったほうが説得力あるかもしれない。


 とにかくこういう解決方法もある、と憶えておくのはいいことだろう。


 
言葉と暴力の関係については、コロラド大学のO・J・ハーヴィー教授が心理学的な研究をしている。ハーヴィー教授は、世界の多数の国の文学から無作為にサンプルを抽出し、人を裁いたり分類したりする言葉が出てくる頻度を表にした。その結果、そのような言葉の使用と暴力の発生には高い相関関係があることがわかった。人が何を求めているのかを考える文化と、「いい」か「悪い」かというレッテルを貼り、「悪い」人間は罰を受けて当然と考える文化を比べれば、前者のほうが暴力ははるかに少ないのも無理はない、とわたしは考える。
(p.43)


 だそうです。


評価・判断する倫理学と、評価・判断しないのを良しとする心理学。

 人と人、それぞれ個別性があって、摩擦が起きる。自分のものさしを絶対だと思っていると、相手を理解する、ゆるすことがむずかしくなる。そこで、自分のものさしに「倫理・道徳」という錦の御旗をなるべく最後までつけないで、「自分の価値観」に照らして、あるいはできる限り相手を理解しようと努めて、問題解決を図ろう。

 そういう話なんだと思う。


 倫理は万能ではない。正田はほんとは倫理びいきだけれど。

でも判断すべきときは「すきっ」と判断しようね。ああ歯切れがわるい。

最近のわたしは倫理の学びにわりあいすすんで近づいているので、そこで一応こういう歯止めももっておいたほうがいいと思っている。

 このお話はここまでといたします。


 この本に出てくる、「観察」という事柄に関する言葉は美しい。


 
インドの哲学者、J・クリシュナムルティはかつて、評価をまじえずに観察することは人間の知性として最高のかたちであると述べている。
(p.61)




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

引き続き、「感情」について考えさせられる書物。


『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン、石風社、2011年10月)


 この本では、医師の意思決定に「感情」がどれほど影響を与えるかを説いています。



 ヒューリスティクスという思考法があります。「近道の思考法」。これまであまりいい意味で使われているように見えません。先入観のバイアスが入りやすい。精度が低い思考法。


 しかし医療現場では、


 現場(ベッドサイド)の医師は、膨大な量のデータを集めてから、ありうる診断について悠長に仮説を立てるようなことはしない。医師は逆に、患者に会った瞬間から診断のことを考え始める。「こんにちは」と言いながら相手を観察し、顔色が青白いか赤いか、首の傾き、目や口の動き、座り方や立ち方、声の響き、呼吸の深さなどを頭に入れていく。次に、患者の目の中を覗き込み、心音を聴き、肝臓を押し、最初のX線写真を調べるうちに、患者のどこが悪いという最初の印象をさらに発展させる。研究によると、ほとんどの医師は、患者と会った時点で即座に二、三の診断の可能性を思いつき、中には四つや五つの診断を頭の中で巧みに操る器用な者もいる。それらすべての極めて不完全な情報に基づいて仮説を展開させるのだ。そのためには近道をせざるを得ない。



 医療の現場では、ヒューリスティクスは必要悪といいますか、実際的な思考法のようなのです。


 「重要なことは、最善の感情バランスを保ちながら、正しい近道を使うことである。医師は、どのヒューリスティクスを使っているかを認識すると同時に、自分の内面の感情がそれにどう影響するかを認識する必要がある」。(太字正田)



 おやおや、とふと目を上げて思います。


「経営」あるいは「マネジメント」について、こういう言い方にお目にかかったことがあったかな。

 実はこれはかねて私が「マネージャーの思考法」について考えていることと一緒で。


 ビジネススクール目の敵にしているようで申し訳ありませんが、ビジネススクール的なあるいはインバスケット思考的な、情報のそろった「ケース」を、現場のマネージャーが扱えるわけではありません。

 ほとんどの場合彼・彼女は、情報がごく少ない段階で動きだし、仮説を立てながら次の情報を集め、情報が不完全なうちに決断をしなければなりません。


 こういう「マネジメント」の世界についての連想を何とか封じ込めて読み進めると、


 医学教育においても、意思決定に関する研究においても、医師の内面の感情がないがしろにされる傾向がある。「医学的意思決定は客観的かつ理性的なプロセスであり、感情の入り込む隙がない、とほとんどの人が思い込んでいる」とパット・クロスケリー医師が私に言った。しかし現実はその逆である。医師の内面の状態および緊張の度合いが臨床判断と行動に入り込み、強い影響を及ぼすのだ。




 そしてヤークス・ドッドソンの法則という、精神運動能力を測るために心理学者が開発した作業達成能力の法則があります。

 ストレスと不安が最適レベルにあるとき、知力は焦点を正確に合わせ、速やかな反応を引き起こすといいます。

(これは、ストレスがゼロならいいのではありません。ゼロとは、むしろ過度のリラックスの状態です。適正レベルに高いほうが、いい仕事ができる、ということです)




 本題に戻すと、例えば精神疾患の患者に対して医師は否定的な感情を持ちがちで、

心の病だから身体的な症状を真剣に捉える必要はないと医師は考えがちである。心理的障害があるとされている患者は、内科、外科、婦人科などから不親切な扱いを受けるという事実を示す膨大な研究資料が存在する。その結果、身体的な疾病の診断がなされない、あるいは先延ばしされる。医師の否定的な感情が思考を曇らせるのである。

(中略)


 私は医学における間違いはあらかた技術的なものだと長い間信じていた。・・・しかし、今も増え続けている研究結果が示すように、すべての誤診や医療ミスの中で、技術的エラーによるものはほんの僅かである。ほとんどのエラーは認識の誤りによるものだ。しかも、認識エラーの原因の一部は内面の感情によるものだが、その感情の問題を我々は認めようとしない、あるいは気づきもしないのである。(太字正田)



 このあとに出てくる事例では「属性エラー」という典型的なバイアスを乗り越えた医師が登場します。

 ある更年期の女性は自分の更年期をジョークの種にしながら、自分の症状を訴えました。

「そう、更年期の女性がホットフラッシュ(ほてり)を感じるのはわかっている。でも、私の場合は何か別のものだと、更年期以上の何かだと思うの」

 医師は、この女性を型にはめるのはやめよう、たった一分でもいいから患者が大事なこと、有意義なことを語っていると思うことにしよう、と自分に言い聞かせます。そして患者を徹底的に調べたところ、尿検査の結果カテコラミンの数値が異常に高く、CTスキャンで左の腎臓の上に褐色細胞腫がみつかったのでした。

 手術し腫瘍を切除すると、カテコラミンの引き起こす血圧の上下やほてり、偏頭痛のような頭痛、それに不安、絶望、攻撃性などの症状がなくなり、更年期の普通のレベルになったそうです。


 このように患者が医師のもちがちな属性エラーを知っていて、自分が一般に知られているステレオタイプに当てはまることを知っていることを伝えることで、医師が感情にとらわれて判断を誤ることを回避することができます。


 さて、こうした認識エラーの問題は、やはり経営の世界ではあまり論じられていないように思います。正田は女性なので、ビジネス界の多くの人が相手が女性だというだけでいかに多くの判断ミスを犯すかというのをみてきているつもりです。これは女性に生まれたささやかな役得です。


 判断に感情が入ることをどうしたら避けられるか。
 「思考と感情を分けなさい」と、言うだけではそれをできるようにはなりません。

 多くの男性は女性に比べて感情機能の発達がゆっくりで、それは感情がないということではなく、感情認識をするのが下手なのです。

 そこで、まずは感情認識のやり方を学んでもらわなければなりません。


 しかしそのプロセスでは、学びの目的を十分に伝えなければなりません。

「感情認識を学ぶのはあなたに、自分の感情を振り回し感情に振り回される感情的な人になってほしいからではない。最終目標として、感情認識をしたあと感情を制御できるようになってほしい。それで思考に感情が混じるのを避け、論理的に思考できるようになってほしい」


 こうした目的が、男性の場合ちゃんと憶えていられるかどうかはあやぶまれるところです。

 





神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


(追記)

ある企業のマネージャーが私をその企業の他の人達に紹介するとき、「彼女は実績があるんです」という言葉を使ってくれたそうだ。
有難いことだなあ、と思う。
48歳にもなって童顔の女性について「実績がある」という言葉を使うとき、彼はどれほどのリスクをとってくれたことだろう。

逆に、私が心底がっかりする種類の褒め言葉があって、それは「彼女は一生懸命だ」というものである。

なぜ、その言葉にがっかりするか。「一生懸命」という言葉から連想するのは、力量はアマチュアレベル、独りよがりに頑張る、人間的には可愛らしいけれど仕事としては評価できない人だ。私がそういう人だったら、人生経験豊かな、そして他にも沢山の教育研修をみてきているラインマネージャーたちが私の教えることに従おうとするだろうか?

「一生懸命」という言葉を使う人達は、「仕事」を認めたくないのだ。人間的な可愛らしさ、「愛い奴だ」という部分だけを取り出して評価したいのだ。

それは女性の私の場合、仕事に対する過小評価につながる。

私は可愛げで認められたいわけではない。

「あなたの仕事は当社に本当に必要なものだ。冷静な経営判断としてあなたを採用したい」

と、認められたいのだ。それはわがままなことだろうか。

このページのトップヘ