正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ:学びに感謝 > 中嶋嶺雄先生・国際教養大学(AIU)

 今日も「マッサン」で男の人が女の人に謝っていた。


 今日のばあい、せっかく謝った男の人が「言い方が悪い!!」と女の人にどつかれていた。


 嫌なドラマだなあ。


****


 また昔の恩師の話に戻ってしまうけれど、

 恩師の故・中嶋嶺雄氏は、時間管理の達人でもあった。


 たぶんそれに関連した思い出を語られるかたは多いだろう、

 わたしの場合は、2011年春に大学(AIU)を訪れたときに「承認大賞」への推薦文を依頼したところ、先生は夕食をご一緒した席で趣旨文などをじっくり読まれ、「わかりました」と言われ、翌日には「推薦文」を書いてくださったとか、

(先生は、渡された資料を「その場でみる」人だった。まぢかでみた食い入るような先生の眼のいろをはっきりおぼえている)

(だから、このところ会う、渡された資料を碌にみもせず重ねて置いたままで「2週間後にお返事します」なんていう「先生方」には、尊敬の念を持てない、上から目線だから悠長なんだな、と思う)


 2012年10月AIU祭のときにもう一度お邪魔してインタビューさせていただき、原稿をお送りした。先生は欧州出張されていたのでしばらくタイムラグがあったけれど、秘書の方が丁寧に対応いただき、欧州から帰国された翌日には校正原稿をくださった。PDFで秘書の方から送っていただいた手書きの校正は見事に的確で、すみずみまで目を通してくださっていた。


 2つ前の記事にある先生の年譜を考えると、一見華やかな経歴でいそうで実は信じられないほど長い間、辛抱強く「待った」人だったのだ。

 
 そして、プロパーの学者であった先生がどこでどうやってビジネスパーソンのような時間管理の要諦を学んだのかはわからない。とにかく、「待たさない」人だった。たぶん学者さんに多い「待たす」ことの時間的精神的ロスを嫌というほど経験していただろう。



(それを言うと先生はその世代の男性に似ず「褒める」達人でもありこのことも多くの方が証言されているが、先生がどこでそれを学んだのかわからない。また弟子の手柄をとるような人でもなかった。わたしはゼミで「政治文化論」という物差しを初めて入れて、先生はそれを非常に気に入ってくれてその後ご自身でも「政治文化論」に言及するようになったが、わたしを賞賛するのも忘れなかった)


(またプロパーの学者であるにもかかわらず、先生は自ら果敢に売り込みをする人でもあった。AIU設立準備期間にご自身で全国各地の高校に電話をかけまくり、AIUの意義を説いて受験生を集めた。そのことは広告業界では語り草になっているそうだ。それは余談)


 AIUは、秘書の方ほか職員さん方も優秀でこれまで3回訪問して「待たされた」記憶がない。研究者さんがたのことはあまり存じ上げないが元日経新聞で図書館長(365日24時間開館のあの図書館である)の勝又美智雄教授などはやはりレスポンスの速い方だった、タイミング的にはイベントを準備中だったときでも。


 それは学長自らそういう、大学としては特異な企業文化を意識して作り上げたかもしれない。


 先生ご自身の年譜を考えて胸が痛み、そして畏敬の念を抱く。



 今、ゼミの先輩方が先生の著作集を編纂されていて、大変な労力でそこに何もできないのだけど小さなわたしから垣間見えた先生の横顔をまたひとつ。

 


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 きのうの記事の中で1つ「誤報」がありまして、
「一般財団法人承認マネジメント協会」の設立時理事・評議員・監事7名の内訳が

 「武術経験者2名」⇒「3名」に今は直っています。(注:その後また「2名」に修正)


 記事を書いてから急に不安になり、神戸大学の坂井先生にメールでお問い合わせしました。

「ひょっとして。とお訊ねしますが
武術経験者でいらしたりしないでしょうか?」


 するとなんと、

「実は武道家です。柔道3段です(小学校から大学1年までやってました。卒業後もたま〜に)。」

と坂井先生からご返信。

 えええ〜、でしたね。(^o^) ああ訊いてみて良かった。





 坂井先生はわたしのなんこか下のかたですがすっごい細身で中背で、いかつい武道家体格ではありません。目つきがするどいわけでもなく身のこなしもいかにもそれっぽい感じは全然出されてないんですが、

 ただ微妙に、「端然と」というのか、表現がむずかしいんですが身体の動きや眼の動きがむだがない感じとか座ったときの姿勢が収まりのいい感じがありました。

 お話される内容とか口調に「マウンティング」は微塵もなく。


 合気道とかが「あり」かな、と思ったんですけどね。

 というわけで男性4名のうち3名が武術経験者、ということになります。偏った団体だ。募集条件がおかしいんだと思います。


 Nさんが「すごい筋肉質の組織だ」と言われていましたがあたし以外の人は確かにそうですね。


****
 

 今日は久しぶりに神戸ベンチャー研究会の第169回例会に行ってみました。

 これはもう1人の理事、松本茂樹先生のもう10年以上主宰されている会です。


****


 また、恩師のことを考えました。

 わたしが中嶋嶺雄先生に師事したのは1986-88年、先生の49-51歳のときにあたります。

 その後先生は59歳で東京外大の学長になられ、65歳で退官。

 わたしが師事していた当時から、「大学改革」の急先鋒の論客でした。「二学部制にせよ。(語学の学部だけでなく)国際関係学部をつくれ」というのが先生の主張。また大学の府中への移転も。


 大学移転は先生の学長任期終盤に実現し(2000年)、学部新設(外国語学部を「言語文化学部」と「国際社会学部」に改組)はそのはるか後の2012年にやっと実現。



 それを経て、先生は2004年、秋田に「理想の人材育成」をするため国際教養大学を新設されトップダウン体制を実現します。先生の67歳のときでした。


 
 また思います。学内政治などに疎く興味もなかった学生時代のわたしでしたが、先生は師事していた当時、たぶん四面楚歌とまではいかなくても、学内の半数以上は敵だったのだろうと。


 そのなかでゼミは学内一ハードだと言われるのにもめげず学生たちが集まってきて、夏には先生のふるさと松本に合宿に行き、2年に1回は欧州旅行に行き、OBたちも含め代々続く学生たちとの密な交流がありました。


 ゼミはシンポジウムなどの雑用も多く、そして発表は先生の厳しいツッコミにおびえ(とりわけ同じ中国専攻のわたしはおびえていた。しかし2年間でいちどもツッコまれなかった。このブログにはよく厳しい上司風の人が出てきますが先生がそうだったわけではなくわたしの頭が作り出したフレディみたいな幻想です)



 うーんなんか考えがまとまらないなあ。





 2年前、先生の訃報を受けてOBが東京で急遽集まったとき、ある女性の先輩が言われたのが、

「先生は私の永遠の恋人でした(正確にこういう表現だったのかどうか、おぼえていない。大体こういう感じの言葉)」

 そうだなあ、わたしも今もこうして訃報がトラウマであり続けているしこのブログでも、「ご期待に応えられず申し訳ありませんでした」と泣きながら手紙を書いたこと、学長室から出版のお祝いのお電話をいただいたこと、離れて生きていてもものすごく感情を揺り動かすエピソードとして残っている。



****

 
 ピケティ。
 素人には論証のプロセスを知るよしもない。
 でも結論部分は「当たり前じゃん、これ」って思う(こらこら)似たものをみたことがある。

 
 そして結局「わたしのできることをやり続けるしかない」と思う。

 あるべき姿を実現するのに、お金の措置を除いたら「これ」が一番近道なのではないか。だれかがそれを担いつづけるしかない。

 それはこの仕事に入ってから繰り返し問い直し同じところに落ち着く。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 11月1日、秋田の国際教養大学(AIU)開学10周年式典へ。

 
 AIU開学10周年1


AIU開学10周年2



 県知事はもちろん国内の公立大学学長や海外大学の代表者らも出席する盛大な式になりました。

 建学の祖、故中嶋嶺雄前学長は「名誉学長」の称号を与えられました。


 国産杉材をふんだんに使ったコロシアム風の図書館―「365日24時間開館」で有名となりデザイン関係の賞も総なめにした―は、「中嶋ライブラリー」と命名されました。

 音楽だけでなく建築にも独特の才のあるかたでした。


 そして、図書館内には国公立大学では前例のない、創立者中嶋氏の胸像が置かれその除幕式もありました。


中嶋先生胸像


 これは公金をつかったのではなく、大学のOB会や保護者の会の寄付でできたものです。創立時に入学した学生らでつくるOB会の中嶋先生への思いは深く、「絶対胸像を」と譲らなかったそうです。

 ・・・えと、わたしも除幕の瞬間胸像をみて改めて「うわーっ」となってしまったほうです・・・


 中嶋先生の奥様は既に先生が終章に登場される『行動承認』の本を購入されておりご献本するには及びませんでした。

「中嶋をあんな風に登場させてくれてありがとう」

と言われたので、


「福沢諭吉や大隈重信、新島譲に匹敵するようなかたが同時代にいらした、ということをわたしたち教え子が言い続けなければなりませんから」

と申しあげました。

 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 もうすぐ、秋田の国際教養大学(AIU)開学10周年の記念式典が行われます。

 
 新著『行動承認』の中にもAIU創設者である恩師・故中嶋嶺雄先生の思い出を思い切り書いてしまいました。記念式典では、先生の奥様やお嬢様も来られますので、感謝とともに献本をさせていただこうと思います。


 以前このブログにも「内では慈父、外では闘う父」と題した追悼文を載せました

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51852662.html


 この記事に書いていたとおりわたしがゼミ生だったのは先生がちょうど今のわたしぐらい、50歳前後の時期でしたので、「闘う父」の顔もけっこうみていたように思います。講義では「Discipline(ディシプリン)とは何か―ここでは、専門の学問の基礎トレーニングのような意―」と厳しく学生に問いかけ、日本の外交政策にも、のち学長となられた自大学の運営にも舌鋒鋭く意見されましたが、一方で自分を慕ってくる学生には本当にやさしく、面倒みのいい先生でした。

 ゼミ生は誰でも、「自分は先生に可愛がってもらった」と感じていたのではないでしょうか。


 不遜ではありますが先生もわたしと同じ、「親密性」のもちぬしでいらしたんではないかな、と想像します。


 ひょっとしたら「責任感―使命感に通じるもの―」も、あったかもしれません。
 単なるオピニオンの人ではありませんでした。

 もうひとつ先生の生前に機会あって書かせていただいた書評がありました

 行動する教育者の実体ある教養論―書評『日本人の教養』

 http://c-c-a.blog.jp/archives/51793514.html


 そういう先生に育てていただいた、のです。


****


 新著の「見本」(贈呈用の完成品)がパブラボさんから届き、ここ数日は登場人物さんやお世話になった方々への献本の発送に明け暮れています。


 2冊目の本ではありますが、この本は前著にまして一層の愛着があります。よりたくさんの人の手を煩わせ、そしてたっぷりの愛情を注がれて生まれてきた子。


 「企業小説」を意識して書いただけに、登場人物さん1人の1人の思いや情景をわがこととしてとらえ描写することも、一層深く入り込んだ意識で書かせていただきました。


 なんて、でもこちらでどんなに思い入れしても読者様方に愛してもらえなければ仕方がないのですけれども。
 行った先でも可愛がってもらえるといいなあ。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 物事には「それ以上裏読みしてもしょうがないこと」がある、のだと思います。

 たとえば某研究機関が某女性研究者を懲戒処分にしたとしても、それはむしろ研究機関の常識的な良心の行為だとしか言えません。「トカゲの尻尾きり」などと言うむきもありますが、もし女性研究者を庇ったら、それはたとえていえば「マルハニチロ」が毒物混入犯を庇うようなもので、「組織全体が反社会組織なのか」ということになります。たとえ組織の側にも管理責任があったにしても。

 昔の「A新聞」の「KY記者」も懲戒解雇で社長も引責辞任でしたが、たぶんそれに準じたような結論になるだろうと思います。
(このへんわかる世代の人だけわかってくださいね)


 「それ以上裏読みしてもしょうがないこと」といえば、昔わたしが担当させていただいた島根医科大学第二外科による国内初の生体肝移植という「事件」もそうでした。


 永末直文・第二外科助教授(当時、47)が執刀したこの手術は、当初驚愕をもって迎えられ、そのあと「売名行為だ」とめちゃくちゃ叩かれました。

 2年生記者だったわたしは発生2週間後に赴任地の広島から大学のある出雲に入り、その後2週間置きに出雲入りするようになります。そのうち永末助教授と妙にうまが合ってしまい、本を執筆してもらうことになります。


 当時TVに顔が出まくっていた永末助教授をいつも間近にみていたわけですが、TVのスクリーンを通すとどうしてこんなに誤解されるのか、不思議でなりませんでした。ちかくでみる永末氏は裏表のない単純明快な人物でした。そして医局員からは名外科医として、また論文の名指導者として慕われていました。
(このひとも今のわたしより歳下なんだなぁ。。やれやれ)


 「日本初、世界でも3例目」の手術に至る経緯は、当時誤解されていたような、血気にはやる医師が患者を説き伏せるか言いくるめるかした、というのとは違い、患者家族側が地元岩国の主治医の古い友人である永末氏に強い決意で頼み込んだ、という公式説明以上の事情はないのでした。永末氏は長年にわたって肝移植実験を繰り返していたとはいえ、功名心が高じた医師が患者に襲いかかった、という構図ではないのでした。あくまで患者のほうからやってきたのでした。というか押しかけてきたのでした。そして永末氏の「患者を救いたい」という気持ちが動いたのでした。

 というのを、患者からも元の主治医からもそして永末氏本人とその周辺からも、どんなに取材しても事実はひとつで動かない、という結論になったのでした。現場にいる記者はみなそういう感触であったろうと思います。しかし現場にいなかった記者はいくらでも妄想めいた推測をするもので、(記者って意外と妄想的だと思います。事実にstickするタイプの人って実はそんなに多くないですよ)出雲から広島に帰ってそちらの記者と話すたびに「ン?」となるのでした。出雲から一歩離れると永末氏はおどろおどろしい功名心の塊として人物像が独り歩きしていました。

 先にも言ったようにTVスクリーンを通すと極悪人に見え、生でまじかでみると裏も表もない人にみえる。(若くて綺麗な女性じゃないのが災いしたんですかネ。逆に今起きている現象をみると、若い人=善、おじいさん=悪、というバイアスが働いていそうです)なるべく生で会うのがいいですね、やっぱり。


 現在はこの手術についてそうした「裏読み」は跡形もなく、公式説明通りに歴史が落ち着いていると思います。
 裏読みが生まれるというのは関心の高さゆえかもしれません。しかしわたしのささやかな人生経験では、そんなに裏読みする余地のないことが世の中いっぱいあるのです。


 わたしたちの教育が挙げる成果についても、あまりにも「異常値」と呼べるような業績向上を起こしますから、裏読みするひとはいるのだろうと思います。いわく成果を報告するマネージャーたちはみんな正田とねんごろな関係で、みたいな。ああ書いていて気持ちわるくなる。でもそれ、ありませんから。妄想ネタにしないでください。


 でそうした裏読みというか下衆の勘繰りというかをできるだけ寄せ付けないために、わたしがやっていることは永末氏から学んだことだと思います。徹底した情報公開であります。

 島根医大第二外科というのは、あとにも先にも唯一、医局室に記者立ち入りOKのところでありました。記者クラブになった大会議室は別にあるのですが、わたしたちは医局室に入れ替わり立ち替わり行ってどかっとソファに座り、若い医局員としゃべったり室内の張り紙を見まわしたりしていました。ときにはブタの肝臓移植実験をみせてもらったりもしました。そうしたオープンさは、確実に現地にいる記者の医師団に対する好感情の形成に役立っていたと思います。


 そこで正田自身はおせじにも外向的な性格とは言い難いですが、このブログを通じて、また一時期毎年のように行っていた事例セミナーを通じて、他の研修機関にはないくらい情報公開はしてきたと思います。

このブログは実験ノートとまでは言えませんが、わたしのものを見、考えた軌跡です。



****


 ふとしたことで恩師の故・中嶋嶺雄氏(前国際教養大学学長、元東京外国語大学学長)の思い出になりました。

 正田は中嶋先生の秘蔵っ子だった、というひともいます。学生思いの中嶋先生でしたから歴代の学生はだれでも可愛がられていたんじゃないかと思いますが。昨年、ゼミの一年下の人に会ったところその代のひとたちに中嶋先生はわたしの話ばかりしていたという。それは知らなかったです。


 そういう中嶋先生はまた細やかに面倒みのいい人で、今だからいうけれどゼミの中で「いじめ」がありまして、中国帰りで中国語ペラペラだったわたしを「中国人」と呼んでからかい、雑用を全部押しつけてきた男の子というのがいました。たまりかねて教授に相談するとゼミの役職を外して負担を減らしてくださいました。そういうことの察しはやたらいい方でした。



 何本か前の記事でわたしは広島県警担当だったときの、他社に抜かれまくり「なんじゃこりゃ〜!」の状態になった話をかきましたが、そのときなんで頑張ったんだろう?と記事をかいてから考えました。
 「20対1」なのだから、いいではないか抜かれまくったって。どこでもうちの通信社の記者はそうしているではないか。

 でも、「20対1」でも希望を捨てず頑張ろう、と思えたのは、他ならぬ中嶋先生のためだったろう、と思うのでした。先生に恥ずかしい生き方をしたくない、諦めきって自分を甘やかした生き方をしたくない。どんな状況でも自分のベストを尽くすこと、それが先生の恩に報いることだ。そういう感覚。わかります?


 そしてまた、それでも「中嶋先生」は、自分が頑張るためのシンボルとかアイコンのようなもので、よくみるとそこには、信州の伯父さん伯母さんとか、何人かの小中高時代の理解ある先生方だったり、が同居していたりするのだろう。

 わたしを育ててくれた人たち。


 自分には確かにそんな感覚があるので、逆に研修講師として受講生さんと向き合ったとき、それはマネジャー・リーダーですから社会人の中でもある程度の達成をしてきた人が多いのですけれども、

「このひとには、『このひとのために頑張りたい』と思えるひととの出会いがこれまでにあったのではないか」

と、思うのでした。

 荒れていた中学のあのときの先生。道を踏み外しそうになった自分を強い力で引き戻してくれた先生。あるいは平凡だけど揺るぎない背中をみせてくれた親御さん。


 
 今日の記事はオチなしです。


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 「10周年感謝のつどい」では、NPO代表の正田からもご挨拶をさせていただきました。

 こちらにその全文をご紹介します。


「<謝辞>
 ご参加の皆様に改めて感謝いたします 皆さんとともにいられることは限りない幸せです

<どんな10周年か>
 今年はNPOの前身の任意団体設立10周年 企業内コーチというコンセプトを提唱して10周年 事例セミナーを初めて開催して10周年 1位マネージャー輩出が始まって10周年 いわば私どものこんにちの教育がぼんやりと輪郭ができてきたのが10年前なのです
 この10年は平坦な道のりではない 悪質な妨害、差別、無視を受けてきました
現在も決して財政的に良い状態ではありません
 ご存知のように私どもは10年来極めて高い業績向上の成果を挙げてきました もちろん業績向上は そこに働く従業員さんの物心両面の幸せということも含んでいます この10年間どれほど受講生様方からご報告いただく成果に力づけられてきたことでしょう

 しかしどんなにやっても企業の教育研修の門戸は開きませんでした たまに開いてもたちの悪い妨害を受けることも続いています この場では実感しにくいかもしれませんが、一歩出るとそこは血も涙も道義心もない戦いの場です

 私自身としてはすべての日本人をこの手法で幸せにしたいという気持ちにかられます ちょっと移動のために電車に乗ってもバスに乗っても 周りの人の顔をみて「この人は会社で幸せかな」「この人はどうかな 鬱屈した気持ちでいないかな」と考えます そしてすべての人を幸せにすることが叶わないだけに しょっちゅうこの仕事を投げ出したい気持ちにかられます

 私は自分だったらこんな教育を受けたいと思うものをご提供してきたと思います そして残念ながら、今流通している教育のほとんどは私からみて物足りないのです
 私を狭量だと責める人もいますが また決して最初からこんな不遜な人間だったわけではないですが
皆さんが挙げる成果は従来のものを否定し反面教師にすることによりつくられた品質がもたらしていることも 忘れないでいただきたいです

 「100年後に誇れる人材育成をしよう」今、署名などあらゆるところに使っています これは2012年の年頭から言いだしたスローガンです
 これまでに得た成果に鑑みて、この手法、承認中心コーチングは歴史に残る重要な手法だと思っています 歴史的には、さまざまな要因で日本人の質が劣化してきた、その歴史を巻き戻し日本人のもっともよいところを発揮させるようにする、そこまでの力をもつ教育はわたしどものこの教育しかないと思っています
 しかし公的な助成金などは出ません 助成金審査の場でも大学教授たちの陰湿な差別を思い知らされてきました


<教育の負担について>
 受益者負担 教育もまた経済行為であり 相応のお金を出して買っていただくことが必要です でないと私個人の生活も立ち行きません ブログ執筆もいつまでも続けられません 性差別の1つとして「そんなにいい教育なら無料で教育を提供すればいいじゃないか」というのがあります
 皆さんの会社を含め、どの事業体も経費はかけたくない できればゼロにしたいのは当然のことと思います しかし良い教育には相応の投資をしていただきたい 教育投資をどんどん絞った結果、もちろん皆さんのことではないが質の悪い上司と質の悪い部下、質の悪い組織になっていっている こういうことを叫ぶのは決して私ども本来の仕事ではない 本筋の教育のほうをやっていきたいのです


<現役マネージャーを受講生にもつことの制約>
 この10年、後継者をつくれないできました 今も「何人でやっていますか」という問いに「実質ひとりでやっています」と答えるしかありません
 私自身も現役マネージャーである皆さんが仕事や家庭を放りだして私と行動をともにすることなど望んでいません 
 ただもし後継者になりたいという人が現れたら、私とともに承認中心コーチングを教えるしごとをしたいという人が現れたら、その人には非常に厳しくあたると思います 元々「スパナで人の頭を殴る性格」と自分で言っていますから お客様のため品質を何よりも大事に考えているのでそれは当たり前のことだと思ってください

 本日の準備に関しては 10周年ということで あえて心を鬼にしました イクメンの柏原さんを準備段階から巻き込みました これまでの私だったら 仕事も家庭も立派にやっている人だから、大変だからと会員にも理事にも一切仕事らしいことをさせないできました こういう場の事前準備も司会進行もこういうスピーチもすべて1人でやってきました でもいつまでもそれではいけません このNPOと教育とそして仲間を大事に思っている人が汗をかくことが必要です 柏原さんが男気で初めて身を持ってそれを示してくださったと思っています ほかの方も 是非これからも何かのときにはお力をお貸しください


<恩師の遺したもの>
 少し個人的な話をお許しください 今年は2月に恩師を亡くし またその後肉親を亡くしたりもし、精神的にはつらい年でした 恩師中嶋嶺雄を亡くして改めてどれほど大きな存在であったか知りました 先月のある雑誌記事に恩師の設立した秋田国際教養大学が特集され その中で学長だった恩師自身が 就活難航中の学生の親御さんに電話をし、「われわれ大学も全力でサポートしますから最後まであきらめないでください」と言ったというエピソードが紹介されました そこで改めて涙が出ました そこまで丁寧に1人ひとりを思いやる先生だった、私もそうして見守られてきた、と
 また恩師が、教え子であるゼミの先輩たちの各界での活躍を誇りにし自慢していたことも思い出しました 私は学生時代「また先生の自慢話が始まったよ」と内心笑っていましたが、ふりかえると先生のそうした自慢話は、確かに私自身にも励みになっていたことを思います 「自分もいい仕事をしなければならない、先生や先輩方に恥じないように」と だから、皆さんも私が皆さんを誇りに思うことを許してください 皆さんを自慢することを許してください


<日本人であることの痛みと喜び>
 このところマネージャー教育の仕事にからめて 「日本人とは」について発言することが多くなりました 今年はおこがましくも「武士道」について言及しました 私自身女性であり、若い頃から日本社会で厳しい差別を受けてきました それは日本人特有の不安感の高さが関連していると思います この場の皆さんが今後とも決して女性差別を含むあらゆる差別に手を貸さない、コミットしないことを切に願います 私たちの語る「承認」は、反差別、公正という意味合いも含んでいること それは代表の私自身の50年間の痛切な体験がこもっていることを忘れないでいただきたいです 
 一方で皆さんの活躍ぶりをみていると、また皆さんのもとで働く人たちの笑顔をみていると、本当に心底日本人てすばらしいな、と思う瞬間がよくあります そんな風に思わせてくださる皆さんに改めてありがとうと申し上げたいです
 皆さんはわが国の文化の変わり目のところにいます 世界的にも大きな変化が起き、今から若い人たちにどう働いてもらうか、共通の課題です 変えるべきを変え、変えてはならないものを守る、その見極めをしっかりとしていってください 皆さんはひとりではありません 皆さんの勇気の源がわたしたちの教育とこの場の仲間にあるならば大きな幸せです

<再び謝辞>
 この場におられない沢山の方々に感謝したい 経理の山口さん デザイナー、イラストレーターの村岡正司さん・幹子さんご夫妻、WEBをお願いしている株式会社ウエストデータプロの方々、またご寄付をいただいている方々、その他多数の有形無形のお力を貸してくださった方々、皆さんのお蔭で10年間、やってこられました。本当にありがとうございました」




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp



・・・さて、ある人から「夢みる少女」とよばれたことについて本人の感想はというと、
この素晴らしい壮年期の人たちがたかが「夢みる少女」のために奮闘するなどあり得るだろうか。それは彼ら彼女らに失礼だ。彼らの現実にやっていることの凄さに対しても。
以前にも書いたが私にあるのは「やり続けるのみ」という「暗い意志」である。
望みがあろうとなかろうと。
そして邪魔するものはともにいない、排除する狭量な人間だ。

どうしていちいち「女」という字が入っている言葉を使いたがるかなぁ〜。
10年以上、認められなくても何かをやり続ける人を、
「鉄の意志の人」と呼んでなぜいけないんだろう。
私自身は自分のことをそう呼ぼう。
私が味わってきた屈辱や苦痛も引き受ける言葉として。


****


「頑張ってるね」のおじさんの後日談があった。
その次に会ったところ、
「正田さん、いつも気を遣って参加してくれてありがとう」
ときた。
何だろう、その舌をかみそうな日本語は。
「いえ、別に気を遣ってません。
いつもいい勉強をさせていただいてます」
と無愛想に答えた。
喧嘩上等。ちがうか。

 2日、恩師・中嶋嶺雄先生の「お別れの会」がホテルオークラ東京「平安の間」で行われ、ゼミ生の1人として出席。


 大きな先生の遺影に向かい、沢山の人にまじって白いカーネーションを献花した。

 先生の遺影は、国際教養大学(AIU)で撮影した、力強い笑顔のもの。(AIUに行かれてからの先生は、写真にうつるときのポーズが1つ1つ決まっていて、「起業家的になられたなあ」と思ったのだ)

 先生を思う沢山の人とともに別れを惜しむ、こういう儀式もありなんだなと、生まれて初めての義理でないこうした大きなお別れの会で思う。


 そして後のパーティーでは多くの先輩・後輩方と会った。ゼミの1年後輩の人が不思議と憶えていてくれ声をかけてくださり嬉しかった。

-----------------------------------


 中嶋先生について繰り返し思い出すことがある。

 それは私が嫌な思いをしたときに限って思い出すエピソード。

 先生は多くの場合学生にはこよなく優しい人だったが、不寛容さをみせたこともあった。

 もう名前も忘れてしまったが、私の近い学年に同じ中国語科で、中嶋ゼミにごく一時期だけ在籍し、去った男の子がいた。

 その彼は、北京に1年留学して戻ってきて中嶋ゼミに入った、というと広東への留学後にゼミ入りした私と似ていなくもないが、彼の違ったところはとても「親北京」だったのだ。そしてその系統の中国学の先生を信奉していた。東京外大ではない先生だ。

 そうした彼の思想的スタンスはゼミ入り後1月で徐々に明らかになり、

 ある日、中嶋先生の研究室でその彼と中嶋先生とが2人で話しているのをみることになった。

 激しい口調という感じではなかった。中嶋先生の独特の低いゆっくりした声音が主に聞こえ、話は「まとめ」に入っていた。

 「彼」が研究室を辞したあと、中嶋先生は「彼はやめざるを得ないね。僕とは考え方が違う」と私に言ったのだった。


 何が「ともにいられない」決定的要因だったのか。重視する情報源の違いかものを考える方式の違いか。少なくとも、「同じ中国学なんだからいいじゃん、ともにいれば」と余人が考えがちな、そういう問題ではなかったのだ。


(想像だが、拠りどころとする思想が違うときには同じ情報をみても評価の仕方がまるで違う、ようなことが起こるのではないかという気がする)



 そして私は今考える。いくつかの「他流派」について、過去に私は「ともにいられない」と判断し、距離を置いた。それは何も食わず嫌いしているわけではなくその「他流派」にも安からぬお金を払って行ってみて、かつ「他流派」の人が当協会やその前身の団体に来たときのビヘイビアをみたりして判断しているのだが、

 ある流派を主宰する立場の人は、他流派について「ともにいられない」と判断する権利があるのだ。たぶん。


 例えば柔道の道場を主宰する人が、弟子が空手の技をかけることを許すだろうか、合気道の技をかけることを許すだろうか。ひょっとしてそれらが柔道の技のバリエーションを豊かにすることに役立つなら許すのかもしれないけど(いやあり得ない気もするが)、

 あるいは当協会の場合、「マネジャー」が日常的に頭のすみに置いておいていざというときすぐ使えるか?ということを常に重視するので、「入口のこの技だけをまずは覚えてください」ということを繰り返し言う、
 その入口の技が崩れてしまったらどうするか。


 さらに例えばの話、その空手合気道に当たる「他流派」で学んできた人がこの道場に来たとき、非常にお行儀が悪い、人を嫌な気持ちにさせることを言ったり目的のためには手段を選ばないような行動をとる、ことが経験的にわかっていたらどうだろうか?柔道の道場をリスペクトしないような行動をとることが往々にしてあったら。

 そしてそのお行儀の悪い行動の源は、恐らく「この流派の外の人をもリスペクトせよ」という強い教えがその他流派にはなかったから、と解釈できたとしたら。

「どうぞお引き取りください」と言うだろう、普通。


 薬の場合だったら、100人のうち5人に副作用が出たらそれは悪い薬だ。

 教育研修の場合、たとえば自己啓発セミナーへ行ってやたらとエネルギーレベルの高くなった人が周囲の普通の人を傷つけるようなことがひきもきらない、でもそうしたセミナーはなくならない。


(そういえばアサーション/アサーティブネスはその発祥の思想からいっても比較的好感をもってみている分野だけれど、それらを受講した人の中にもおかしな振る舞いが出ることがある、というのもこのブログで繰り返し警告している)


----------------------------------


 もう1つ、去年の秋以来耳から離れない言葉。


 インタビューの中で中嶋先生が言われた、

「時代に飲まれないような形で同時代史と対決する、ということが必要じゃないかという気がします。」


 この言葉はこちらの記事の中にあります

中嶋嶺雄氏インタビュー(6)「戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833126.html


 全7回にわたるインタビューの中でもこのくだりは、中嶋先生の全人生を賭けた言葉のようにきこえ、「先生の遺言のようなインタビュー」と言われるゆえんとなっています。

(ほんとうは忙しい先生が何度も席を立とうとされるのをおしとどめて食い下がって、引き出した言葉であります)


 時代に飲まれず、同時代史と対決する。

 もし私がゼミの多くの諸先輩方のようにアカデミズムに行っていたら、あるいはジャーナリズムに残っていたら、この言葉はそれほど必要でなかったかもしれない。

 今この教育事業をしている私だからこそ、必要。

 だからこそ先生が私だけに言ってくれたのだ、とうぬぼれることにしよう。私1人だけの宝物にしよう。

(こういうことは、大事すぎるから追悼文集には書けなかったのだ)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 引き続き、先月亡くなられた恩師・中嶋嶺雄・前国際教養大学(AIU)前理事長・学長をしのぶ資料をご紹介します。


 今回は、諸先輩方の追悼文を差し置いてこのブログの主正田がゼミの追悼文集に寄稿した文章をお送りします。


****

「内では慈父、外では闘う父」     
正田佐与(旧姓畠山)
 
 
 私は1986年から88年まで東京外大の学部生として国際関係論研究室の中嶋ゼミに在籍し、現在は人材育成の仕事をしています。

 多くの諸先輩方、同期生方の共通の思い出の中にあるように、中嶋先生は多忙な中で学生をよく褒め、1人ひとりと丁寧に向き合い、研究や進路の相談に乗り、学生自身が決断したことには心からのエールを贈られました。卒論テーマにしても進路にしても、学生の意に反することを押しつけたことは、私の知る限り一度もありませんでした。そして、学生・卒業生の成功を心から喜んでくださいました。

 それは、中嶋先生をよく知らない人の目から見たら驚くべき「優しき父」の顔だったでしょう。その当時の東京外大中国語学科の正統的な陣営、すなわち親中国的な語学文学系の人たちから見ると、1980年代の中嶋先生というのは右派の論客であり、外務省の弱腰外交を叱咤し、日本の国益本位に論陣を張る中国研究の異端児でした。先生ご自身も、やや対決姿勢の論調でものを書かれていました。

 そしてまた、研究においては海外の一流研究者との交流を密にし、教育分野においては在米経験などに照らして日本の大学教育のあるべき姿を提言する存在でもありました。その姿は現状容認、前例踏襲的な日本の風土の中では、当時は、やはり「異端」であり、「闘士」とも呼べるものでした。

 内において「慈父」であった中嶋先生はそうして、外には対照的な「闘う父」の背中を私たちに見せておられました。現状に甘んじるものを嫌い、徹底して糾弾する人だということは、嫌というほど学生たちも植えつけられていました。それらは車の両輪として、常に高みを目指すよう促す要因になっていました。

 今、行動心理学の観点からみると、これは説明がつくのです。良い行動を褒めて伸ばす「オペラント条件づけ」と、指導者のあり方そのものから学ばせる「モデリング」。このどちらかだけに偏っては人材育成はうまくいかないものですが、中嶋先生はこれらをどこからも教わることなく自然体で行っておられた方でした。結果として、学生の高いレベルの研究や卒業生の活躍につながっていたように思います。

 研究において、新大学設立において、自らの「闘う場」を持っておられた中嶋先生は、学生・卒業生1人ひとりのフィールドでの「闘い」にも温かい理解を寄せる方でした。

 私は東北大震災直後の2011年春、主宰するNPOの人材育成分野のイベント「承認大賞2011プロジェクト」に中嶋先生の推薦文を書いていただくご依頼に秋田の国際教養大学(AIU)まで伺いました。宿舎の「クリプトンプラザ」で、畑違いを承知ながら差し出した私の資料を、中嶋先生は独特の食い入るような大きな厳しい目でご覧になりました。そして、「はい。わかりました。明日までに推薦文を書きましょう」と、資料を持って自室に戻られました。

 これは私の想像ですが、幼少時から「スズキ・メソード」に親しまれ、同メソード会長も務められた中嶋先生であれば、「佐与さんが何か新しいメソッドを創ったらしい。耳慣れないが、多分価値のあるものなのだろう」といった感覚でいらしたのではないでしょうか。

 ただ、結果的に推薦文を頂くことができたとはいえ、ご自身が天然の「褒め名人」であり、人を認める、心からの称賛をする、期待の言葉を掛ける、励ます、力づけるなど、日本人男性としては珍しいくらい人を育てる言葉掛けや関わり方のできる方だった中嶋先生にとっては、何故これらの行為をわざわざ教育したり、普及しなければならないのか、現代日本の社会にどれほど欠けていてかつ必要なものかは、恐らく理解していただくのは難しかったのではないかと思うのです。

(しょうだ・さよ 1988年中国語学科卒 NPO法人企業内コーチ育成協会代表理事)




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 引き続き、先月亡くなった恩師、中嶋嶺雄・国際教養大学(AIU)前理事長・学長をしのぶ資料をご紹介します。

 今回は、去る17日に行われたAIU大学葬において遺族挨拶として読まれた中嶋洋子夫人の言葉です。

 大学葬は学生自身が企画しリハーサル等も学生主導で行われたユニークなものだったそうです。


*****


 このような独創性に溢れ、ユニークな、そして豊かな葬儀、大学葬を、私は今まで見たことも経験したこともありません。大学の教職員の皆様、加えて企画・運営に若者らしい発想を取り入れてくださった卒業生、在校生の皆様に心から感謝申し上げます。

 私ども家族は、突然の中嶋との別れにただ、最初は呆然といたしました。

 しかし、中嶋は自分の理想を次々に現実のものとし、世間の人々に褒めていただき、励ましていただき、助けていただき、いわば彼のもっとも華やかなこの時に自分の生を閉じたということは美しいこと、と思うことにいたしました。そう思うことで私たち家族は悲しみから心を開放することができたように思います。

 しかし、これは家族だけの感傷でありまして、今現在もっと重要なことは他にあり、そのことについては後程お話とお願いをさせていただきます。

 入院・治療中のことに少し触れさせていただきます。

 中嶋に対し懸命にご努力くださいました病院の先生がた、及びスタッフの皆様に心から御礼を申しあげます。

 初め検査入院をしていた頃には、病室で取材を受け国際教養大学のことを熱っぽく語っていました。

 その後、手術をしたのですが、意識が回復し、初めは筆談で、その後自らの言葉で4人の子供たちに語ったことは、大部分が国際教養大学のことでした。大学の未来の構想を次々と展開していました。学生たちの力で世界一の大学にしたいとも申しておりました。この数日間こそが私たちにとって幸せな充実した最後の別れの時となりました。

 話は変わりますが、このおよそ一か月間、私は雪の秋田で病院と宿舎を行き来する生活をしました。その毎日の中で秋田の方々のものの感じ方、考え方などその生活ぶりをほんの少し見させていただきました。

 雪と対峙する生活がどんなに厳しく大変か、を深く実感しました。秋田の皆様は猛烈な忍耐力をもっていらっしゃる、と思いました。また、吹雪の中の車の運転には、細心の注意が必要でしょうし、周りの車のことも人ごとではなく、お互いに助け合い寛容の精神を持ち合わせてこそ安全が保障されるのですね。各ご家族もまた、屋根の雪おろし、お子様たちの学校への送り迎え、買い物など心を一つにして生活していらっしゃることもわかりました。現在の日本の危機の一つは家庭崩壊にあるといわれている中で、秋田の方々の家庭は本当にすばらしい、家庭教育が自然にしっかりと機能をはたしていると思いました。そんな秋田県が私の心の中に大きな存在感をもたらしました。

 私が敬意の念をもつ秋田県の皆様がた、そこでお願いがあります。国際教養大学の将来の発展のために、どうぞ力をお貸しください。最初に、現在もっと重要なことがあると申しましたのは、まさに国際教養大学の将来の発展のために何ができるか、しなければならないかを考えることです。

 ここにお集まりのすべての皆様がた、国際教養大学の将来のために知恵をお貸しくださりご協力ください。

 (後略)


*****


 去る28日、私はやっと東京都板橋区の中嶋先生のご自宅に伺いこの奥様にお悔やみを申し上げることができました。


 奥様は私の長女がAIUに在籍していることをお話しすると大変喜ばれ、

「中嶋の死によってAIUが駄目になったと世間から思われては絶対にいけませんね。今の学生さん方にもマイナスになってしまいますね」

と、きっぱりした口調で言われました。

 その一環として「次期学長人事」も非常に大事にお考えになっているようでした。中嶋先生が生前、遺言という形まではいかないが自分の万一の後、あるいは引退後にはこの人に託したい、大学についての考え方が非常に一致する方だから、と名指しで言われた方がおられ、その方に打診してよい感触をもっているとのことでした。


「奥様、なぜそこまで…、一番おつらいのは奥様ではないですか」

 かえって私のほうが涙目になりました。


 私の実家は中嶋家とある部分でよく似た家族構成でした。研究者の父、英語教師の母。父は長野県出身だったこと。ただ父は性格破綻者で企業の研究所に一時期勤めた後はフリーで過ごし、生計は母が立てました。


「うちもそうでしたよ。中嶋の下積みが長くて、今度こそは原稿料が出る、今度こそは原稿料が出る、とかつかつの生活をして、生計は私が立てていました。そのうちやっと『現代中国論』を出して、それからです、やっと生活できるようになったのは」

「ああ、『現代中国論』はそんな中で生まれたものだったんですか」



 それまでの中国礼賛一色の現代中国研究の流れに強烈な一石を投じた中嶋先生30歳のデビュー作がうまれた背景。先生にとっては決死の闘いであったろう、と想像してしまうのでした。



 資料整理など大量にやることがあるが最近スケジュールなどが頭から抜けてしまうことが多くて、と言われる奥様に、

「奥様もですか。私も最近そうなんです。忘れ物や遅刻や道を間違えたりが多くて・・・、きっと中嶋先生からきているのだろう、ここまで悲しめるのはそれだけ素晴らしい方に出会えたからだろう、と思っているのですけど」

そして、

「奥様、素晴らしい先生を支えてきてくださいまして本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げて中嶋家を辞したのでした。





100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 引き続き、亡くなられた恩師・中嶋嶺雄前国際教養大学(AIU)学長・理事長をしのぶ資料をご紹介させていただきます。

 今回は、中嶋先生逝去の報を公表した2月19日、AIU学内で学生・職員に一斉配信された訃報のメールです。

 「通り一遍でない、温かみのある文章で」とのご遺族の希望を受けた文面になりました。

 冒頭の句は、中嶋先生訃報を受けてご遺族の中の俳人・名取眞砂さん(ホトトギス派)が詠まれたものだそうです。


*****


敬はれ
凛と飛翔や
雪の槍



 中嶋嶺雄理事長・学長が、病気療養中のところ、2月14日(水)午後10時26分に、肺炎のため秋田市内の病院にて逝去いたしましたので謹んでお知らせいたします。
 葬儀は2月18日(月)都内にて家族葬が行われました。

 「教育効果、卒業生の活躍がわかる10年後に答えを出します。」
 国際教養大学が開学する1年前の2003年5月10日付けの朝日新聞で中嶋学長は上記のように新設大学設立の意気込みを語っておりました。

 「国際舞台で通用する人材を地方で育てる、現代の松下村塾にしたい」
という学長の強い想いは10年を待たずに現実のものとなり、日本の高等教育に大きな影響力をもつ大学が秋田の地に根付きました。

 最近まで精力的に活動をし、次の新たな構想をたくさん抱えた学長にとっては10年目を迎える前の早すぎる旅立ちであり、創設者という大きな存在を亡くし、残念でなりません。

 しかしながら、残された私たちに託された課題は、学長の理念、熱意、意思、先見性を引き継ぎ、将来に向かって国際教養大学を益々発展させることであり、それこそが、学長に対する最大で最高の弔いになるものと思います。

 なお、大学葬を3月17日(日)13時より本学多目的ホールにて執り行いますのでお知らせいたします。

 また、学長の奥様より次のようなメッセージをいただいております。

 「中嶋の心は、常に、深く、学生の皆様と共にありました。在校生の卒業式ならびに全国から受験して入学してくる新入生の入学式を、毎年どれだけ楽しみにしていたことか!キャンパス近くに闘病しておりましたのも皆様の側にいたい、という想いだったからです。
 次世代のリーダーを育成したい、学生たちの力で世界一の大学にしたい、と家族がびっくりするようなことを申しておりました。
 国際教養大学は中嶋が命がけで育てた大学です。これまでの皆様の御協力に心より感謝いたします。」


理事兼副学長
マーク・ウィリアムズ



*****


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 先月亡くなられた恩師、中嶋嶺雄・国際教養大学前学長・理事長(元東京外国語大学学長)をこのブログでも繰り返し追想させていただくことをお許しください。


 先生が残してくださったものを振り返る作業をすることは、先生に学んだものの使命であると感じます。


 今回は、中嶋ゼミOBで現拓殖大学海外事情研究所教授・国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授の名越健郎氏による追悼文を、ご許可をいただいて引用させていただきます。
 中嶋先生の学者としての業績から趣味、そして新設大学設立にまでつながった人間的迫力を伝える文章です。


*****


 中嶋嶺雄先生の「未完の革命」


拓殖大学海外事情研究所教授
国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授
名越 健郎



「激流に掉さす確かな視点を!」

 34年前、中嶋嶺雄先生の学位論文となった著書『中ソ対立と現代』(中央公論社)にサインを頼むと、この言葉が添えられていた。先生は、学者、教育者の両面で圧倒的な成果を挙げたが、双方に共通していたのは、多数意見や定説、惰性に果敢に挑み、妥協を拒んで闘う姿だった。

 現代中国論、国際関係論の学者としては、ペシミスティックなリアリズムが基調にあった気がする。冷製で現実的、仮説も重視する多角的な分析は、卓越した筆力と相まって論文を量産し、著書は百冊に上る。思想戦が激しかった1960〜1970年代、中国革命の批判的考察を展開し、学界大御所との論争もいとわなかった。

 二十代に修士論文として書いた『現代中国論』(青木書店)は、左翼知識人の共感を呼んでいた毛沢東思想を徹底して批判的に分析した。文革期の論文をまとめた『北京烈々』(筑摩書房)は、文化大革命を「毛沢東政治の極限形態としての党内闘争の大衆運動化」と分析。その後に起きる非毛沢東化と現代化・工業化を予測していた。『中ソ対立と現代』は、スターリンと毛沢東の駆け引きや朝鮮戦争をめぐる角逐など対立顕在化以前の秘められた中ソ関係を最新の資料を基に浮かび上がらせ、将来の中ソ和解も正しく予告した。

 この3冊が代表作と言えるが、アジア各地で中国の影を追ったノンフィクション風の『逆説のアジア』(北洋社)、天安門事件後に緊急出版してベストセラーとなった『中国の悲劇』(講談社)、返還を機に香港の歴史と未来を描いた『香港』(時事通信社)も語り継がれる名著だ。旺盛な執筆意欲と集中力は驚異的だった。論文は正しさだけでなく、謎解きのエンターテインメント性も重視する優れたストーリーテラーだった。

 先生は全体主義や覇権主義に対して厳しい視点を貫き、中ソ両国の一党独裁体制を批判。台湾やチベット、内・外モンゴルなど大国主義に翻弄される地域に同情的だった。根が民主的で小国に優しいのである。

 わが国の浮薄な「日中友好」外交には終始批判的で、対中位負け外交に警鐘を鳴らし続けた。昨年の国交四十周年では、尖閣をめぐる中国の圧力について、「わが国はひたすら中国に跪拝(きはい)し、中国を刺激しないように低姿勢を貫いてきたにもかかわらず、いや、それがゆえに、今日の事態に立ち至ったのである」(『産経新聞』2012年9月28日付)と断じた。

 先生は芸術に造詣が深い粋な文化人だった。バイオリンはプロ級で、絵を描き、山登りも好んだ。「旅の達人」でもあり、私が赴任していたワシントンやモスクワに来られた時は、国連発祥の地の見学やロシアのモダンバレエ鑑賞を所望された。旅や音楽の巧みなエッセーは、『リヴォフのオペラ座』(文芸春秋)などに収録されている。

 先生は教育者として、優れた国際人を育てることに情熱を注ぎ、ここでも「激流に棹す」姿勢が顕著だった。95年から6年間、母校・東京外国語大学の学長を務め、大学改革に心血を注いだが、学内の抵抗が強く、改革は挫折した。先生は「現在の大学には全共闘世代の人材が多く残り、諸機関を支配していることが改革できない理由」(『学歴革命』)と既得権益に安住する国立大学の左翼系教授を糾弾した。

 最後の大仕事となった2004年の国際教養大学(AIU)設立は、秋田市の郊外にグローバル水準の大学を作るという野心的構想だった。先生は「現状では、日本は国際社会で埋没する」との憂国の情から、「現代の松下村塾をつくる」と秋田に乗り込み、教授会を排除したトップダウンのリーダーシップを導入した。英語だけの授業、半数の外国人教員、徹底したリベラルアーツ(教養)教育、1年の外国留学義務化といった新機軸は、大手企業に歓迎され、就職率100%を毎年達成して日本の高等教育に革命的旋風を巻き起こした。

 「万事に消極的な大学教員がのさばれば、日本の大学は旧弊を改められず、時代に取り残される」。先生はAIUをさらに飛躍させ、日本の大学刷新につなげる野望を抱いていたが、2月14日の急逝で「未完の革命」となってしまった。東奔西走、激務に耐えながらの惜しまれる「途上の死」だった。


『外交』Vol.18 所載





*****


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 2日、大阪で行われた「認知症サポーターキャラバン報告会」に行ってきました。


 今年2月現在、全国で約400万人の「認知症サポーター」が存在。認知症について理解をもち、手助けができる人です。そのうち約45万人は10代。小学校高学年〜の子どももサポーターになれます。


 自治体や地域の包括福祉センターが主体になって、学校や企業で講座を開き、サポーターを養成します。


 今時の子どもは小学校で「おとしよりとは何ぞや」「認知症とは何ぞや」「どう接してあげればいいのか」を学ぶのです。そんな授業受けたことがなかった今年50歳の正田にも目からウロコの世界。


 その他認知症の人を見分けケアに役立てる客観式アセスメント「AOS」を紹介する講演もありました。

 
 ご一緒した認知症ケアの専門家の先生がおっしゃるには、

「公務員や大学の先生が突然、盗撮なんかして捕まることがあるでしょう。ああいうのは私たち、若年性認知症だろうと話してるんですよ」

 実際にこの先生の扱った事例にもあったそうだ。


 50代などで発症する若年性認知症は進行が早く、急速に衰弱して死に至ることが多いという。


 先日のよのなかカフェでも話題が出たが、認知症について知っておかなければならないことは多い。


 企業における講座の実際例では、銀行やスーパーなどおとしよりとの接点の多い業種の人にビデオで対応例を見せながら考えさせる研修をしていた。

 そういう時代になっているのである。


****


 認知症と今はもう1つ、「発達障害」についても本を集めたりネットで調べたりしている。

 
 以前私にひどいことをしたあの人この人も発達障害かも思うと納得がいったりする。ナルシシズムだと思ったものも、障害を本人が受容していない発達障害だと考えたほうがいいのかもしれない。受容していないと、自分のある部分での決定的な能力不足に気づかず、文句を言ってくる他人のほうが悪いんだと考えがちである。


 だとしたらあの人たちは邪悪なのではない。向上心がないわけでもない。単に障害なのだ。ただ障害に気づかずその職種に就いていたことが問題なのだ。


 人の世の不条理や無用な傷つけあいに、どれほど「障害の不受容」がかかわっていることだろう。

 ネット情報によると、発達障害の中には「自己正当化型」というものがあり、きわめて他責的で、自分の障害も意地でも認めないタイプがあるようだ。

 日本人に発達障害は多いはずである。共感や信頼のホルモン、オキシトシンの発現がもっとも少ない遺伝子スニップをもっている人の割合が高く、このスニップの持ち主は自閉症リスクが高いことも報告されている。診断名としての自閉症が多いのであれば、それを含む自閉症スペクトラムの人々の割合もさらに高くなるだろう。


****


 急逝された中嶋嶺雄・国際教養大学(AIU)学長を語るゼミのOB会が3日都内で開かれ、参加してきた。

 OBたちの語る中嶋教授像は時に優しく、時にアグレッシブで、時にユーモラスで、時に子どものように無邪気に笑い、時に子どものように勝気になり、そして学生だれにも大きな愛情を注いでいた。

 大学教授になっているあるOBはいみじくも、「中嶋先生は学生の僕たちにもリスペクトの姿勢で対してくれた。今の社会学の言葉で言うと『社会的承認』をくださっていたと思う」。

 べつの人は「中嶋先生がわれわれに授業で残してくださったことはそんなに多くない。先生はその生き方でわれわれに示してくださった」


 ―恐らく、その場のだれの胸にもその思いがあっただろう。



 そしてとてつもなく大きな構想力をもった人物だった。

 東京外大の今の調布キャンパス移転も中嶋氏の学長時代の功績。中嶋氏は一面の林だった調布キャンパス予定地を学生とともに訪ね、現地で立っている木を1本1本、「これをこっちにやって、あれはあっちにやって」とシミュレーションしていたそうだ。ご自分の板橋区の自宅も長野の古民家の再生材で建てた中嶋氏は、建築家的な脳の持ち主でもあったようだ。AIUの図書館建築にもその才能がみえる。



 出席されたご家族の話によると、直前まで執務していた中嶋氏は容態の急変、急変の連続で本当に急死と言ってよかったようだ。ご家族にもどれほどの打撃であったことか。

 しかし、奥様とともにOBの会合に出席されたお嬢さんは、「父の死があと10年遅かったらこんなに多くの皆様が集まってくださらなかったでしょう。また母もこんなにご対応できなかったでしょう」と語られたのだった。


 中嶋氏なきあとの世界を生きていかなければならない。いまだにあまり実感が湧かないのだが。


 (やたらと色々な分野の資料を集めているのは、単に不安感からの反応かもしれない)



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 

 


お世話になっている皆様



 おはようございます。
 企業内コーチ育成協会の正田です。



 寒い寒い週末でしたね。皆様、お変わりありませんか。



※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。ご不要の方は、メール末尾にありますURLより解除いただくか、このメールに直接「不要」とご返信ください。



 本日の話題は:




■「高齢化社会」と「地域社会」希望の光は?
  ―よのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」開催しました―


■介護人材に幸福感と行動変容を
  −兵庫県社協セミナー―



■恩師・中嶋嶺雄氏の思い出
  ―愛情深い教師の一面―


■姫路版・



----------------------------------------------------------------


■「高齢化社会」と「地域社会」希望の光は?
  ―よのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」開催しました―


 急速に進む高齢化社会。かつてない事態に地域は?
 そんな問題意識の下に、第37回よのなかカフェ「姫路版・高齢化社会を探る!」を姫路のコワーキングスペース「ロバスト」で開催しました。


 この問題に直接・間接に関わられている18名の方が集まり発言されました。


 詳細記事はこちらです

 「介護の人手、SOS、健康、仕事、ボランティア―よのなかカフェ『姫路版・高齢化社会を探る!』開催しました」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51847651.html


 ひと口に「高齢化社会」と言っても非常にたくさんの側面をもつもので、それぞれが大事です。ご来場の方々には、既に連携しあっている方がいらしたり、お名刺交換して今後の連携を約したりという場面がありそうしたネットワーキングの場としてもよのなかカフェは役立ったようです。
 
 おひとりおひとり価値あるお仕事をされている方々でした。本当にどうもありがとうございました。
 

----------------------------------------------------------------

■介護人材に幸福感と行動変容を
  −兵庫県社協セミナー―



 さて、上記のよのなかカフェの中でもお話の出た「介護」の現場。急速な需要増の中で、現場には常に厳しい「人」の問題に直面しています。


 解決策は決して1つではありませんが、きれいごとではなく何をするにも基盤であってほしいもの、それは「承認」。


 そうした認識のもとに兵庫県社会福祉施設経営者協議会・青年協議会様でお話をさせていただきました。

 4時間半かけて、とにかく「承認」をしっかり身に着けていただこう、というセミナー。宿題もお出ししました。兵庫県内各地から高齢者福祉・保育・障害者福祉の分野を含む52名の施設長・管理者の方が来場されました。


 その中で介護福祉職の方々ならでは、の感動的なひとコマがありました。


 こちらにその模様を掲載しています


 「福祉の皆様の幸福感のために わたしたちのできること―兵庫県社協・青年協様研究会―」 

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51848294.html


----------------------------------------------------------------


■恩師・中嶋嶺雄氏の思い出
  ―愛情深い教師の一面―



 今月17日に他界された恩師・中嶋嶺雄氏(国際教養大学学長・理事長)について前号で訃報をお知らせしました。

 優れた中国学者・国際政治学者でありかつ新設大学の学長として経営者であった一方、並々ならぬ愛情を教え子に注ぐ学生思いの人だった中嶋氏のご自宅は今も弔問客が絶えないといいます。


 わたくしは中嶋氏の東京外国語大学時代のゼミに属していたというだけの一介の学生ですが、それでも師の恩を深く感じてきたひとりでした。


 中嶋氏の思い出を過去に何度かブログに記しています:

 
 「恩師への送り状」(2010年3月)

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51568279.html


 「恩師からの電話」(同)

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51583786.html


 「例会「今、なぜ『承認大賞』か」(2)正田のルーツ、教育の特徴、1位マネージャーになるのはどんな人た

ちか」(2011年5月)

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51737299.html


 「「行動する教育者の実体ある教養論―書評・『日本人の教養』」」(2012年3月)

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51793514.html


 「秋田の英語入学式」(2012年4月)

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51798125.html 


 そして今思うのは、恩師が亡くなられたのは大学のある秋田市内の病院だった、ということです。

 中嶋氏は長野県松本市の人でした。そのルーツも大事にしておられ、大学のゼミの合宿先も松本市であり松本城や安曇野を案内していただいた記憶があります。

 しかし東京外大の学長を退官後、複数の自治体から地方大学の学長へ請われたとき、教育県であり伝統文化を残した地方都市の良さのある秋田を、寒さをものともせず第2の職場に選んだのでした。国際教養大設立後は、「地域の伝統文化は日本人の重要なアイデンティティ」と、竿灯まつりに積極的に参加したり学生に研究させたりもしていました。

 
 いわば「客死」でした。しかし、地域をリスペクトした中嶋氏らしい最期だったかもしれません。



----------------------------------------------------------------


■姫路で第14期「企業内コーチ育成講座 基礎コースA」(4月23・24日)


 「承認」を学びたい方、お待たせしました。

 当協会方式による「承認」プログラムを含む、コーチングの主要スキルを2日間で学ぶ「企業内コーチ育成講座基礎コースA」を4月、姫路で開催します。

 一般的な「コーチング」ではなく、マネジャー育成に重点を置いているため、職場の規律・規範、個別の部下指導といった、職場の管理監督者に必要な要素を盛り込んだプログラムです。前々号でお伝えした、統計的に有意差の出た製造マネジャーによる職場のモチベーション向上事例もこの講座から生まれました。

 会場は姫路駅前・じばさんビル会議室。12名限定です。詳細とお申し込みはこちらから

 http://c-c-a.jp/info2/index.php?nw2=0


----------------------------------------------------------------


★あと1-2席限定。前々号メールニュース「強い日本人は小学生から」の記事でご紹介した千葉の公立小学校の教諭、城ケ崎滋雄先生が来阪されるため、3月17日15時よりインタビュー&懇談会を大阪・心斎橋で行います。NPO会員限定で募集していましたがまだわずかにお席の余裕がありますため、ご興味のあるかたは本メールへのご返信info@c-c-a.jpにて、お申込みください。参加費はケーキセット代1000円前後です。満席となりましたらご容赦ください。




※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


※このメールは転送歓迎です。
もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 皆様にとって素晴らしい1週間でありますよう。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
代表理事 正田 佐与
----------------------------------------
Email:info@c-c-a.jp
TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

愛する日本を、人が元気になる国にしませんか。
「承認大賞2011プロジェクト」
http://.shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*


お世話になっている皆様



 こんにちは。
 企業内コーチ育成協会の正田です。



 本日は急ですが、訃報のお知らせです。

 わたくしの大学時代の恩師で、秋田にある公立大学法人国際教養大学(AIU)の創設者にして学長・理事長である中嶋嶺雄氏が去る14日、肺炎のため亡くなられました。76歳でした。


 中嶋氏は東京外国語大学学長を経て、2004年にAIUを開学。オール英語の授業、留学と寮住まいの義務付け、教養教育の重視など最先端の大学教育を実現し、卒業生はグローバル人材として企業から高く評価され、就職率日本一を誇ります。


 そのAIUが開学8年目の昨年、2位東大を大きく引き離して日経新聞の注目大学1位を獲得、NYタイムズ等海外一流メディアにも大きく取り上げられるなどひときわ注目された矢先の訃報でした。



 わたくし正田は昨秋、中嶋氏にインタビューさせていただき、その内容を7回にわたりブログに掲載させていただきました。

 今見返しても歴史に残したい印象的な言葉が満載です。どうか、お時間のあるかたはご覧ください:


(あえて見所を挙げるなら(6)の記事がこれまでになかった思いを表出されていて、お勧めです)


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(1)「尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833116.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(2)「3カ国語習得で自分の中に世界ができる」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833119.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(3)「AIUに世界のメディアも注目」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833119.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(4)「エクストリームからストリームへ〜『教養』が再びスタンダードに」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833122.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(5)「重要な『ローポリシー』〜きめ細かい制度設計」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833125.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(6)「戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833126.html


◆中嶋嶺雄氏インタビュー(7)「成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833127.html
 


◆中嶋嶺雄氏インタビューを終えて

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51833163.html



 超ご多忙の中、無理を承知でこのインタビューをお願いしたことの是非を今思います。

 秋のオープンキャンパスの日の夕方、シンポジウムを終えて学長室に戻ってこられた中嶋氏の少し疲れのみえる面影と、少しゆっくりになられた足どりがよみがえります。


 中嶋氏はその直後欧州に出張され、帰国されたときに秘書のかたの求めに応じてすぐにこの長文のインタビュー原稿にも手を入れてくださいました。それも見事に的確に。

 無名のNPOからのご依頼にも決して手を抜いたり待たせたりされない方でした。




 また、中嶋氏の築いた国際教養大学という大学はどんなところなのか。

 2年前の2011年春、紹介記事を書きました。現在でも高いアクセス数を集めています。


 「勉強することの美しさをみた 秋田・国際教養大学をご訪問しました」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51727822.html 


 もっと長くお元気で活躍していただきたかった、日本のために発信していただきたかった。またAIU卒業生たちの社会に出てからの活躍をみていただきたかった。

 今はひたすらご冥福をお祈りいたします。


 


※このメールは、NPO法人企業内コーチ育成協会のスタッフ及び代表理事・正田が、過去にお名刺を交換させていただいた方・当協会のイベントやセミナーにご来場いただいた方にお送りしています。

今後ご不要の方は、
空メールをご返信いただくか、こちらのページ

http://www.webcordial.com/bn/tk.html

より解除していただければ、
購読リストから外し、次回から送信されないようにいたします。


※このメールは転送歓迎です。
もしこのメールを新たに購読ご希望のかたがいらっしゃいましたら、
info@c-c-a.jp まで、「メールニュース希望と書いて
お申込みください。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

皆様良い日々をお過ごしくださいますよう。



*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*
100年後に誇れる人材育成をしよう。
特定非営利活動法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
代表理事 正田 佐与
----------------------------------------
Email:info@c-c-a.jp
TEL: 078-857-7055 FAX: 078-857-6875
Post:〒658-0032 神戸市東灘区向洋町中1-4-124-205

ツイッターアカウント: @sayoshoda

フェイスブックページ: http://www.facebook.com/sayo.shoda

ブログ「コーチ・正田の 愛するこの世界」
http://blog.livedoor.jp/officesherpa/

愛する日本を、人が元気になる国にしませんか。
「承認大賞2011プロジェクト」
http://.shounintaishou.jp

「企業内コーチ育成のすすめ」
(株)帝国データバンク社『帝国ニュース兵庫県版』
2008年〜2012年 長期連載このほど完結
http://blog.livedoor.jp/officesherpa-column/
*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*



 このインタビューは、冒頭にも書きましたように10月7日、AIU祭のさなか、学内シンポジウムの直後に行われました。


 インタビューを終え学長室を出ると、そこには遠方からきた卒業生の可愛らしいお嬢さん方が2人。学長に会いに来られたのでした。


「どうもお待たせしました」
「いえいえ、鈴木さん(秘書)とおしゃべりしてましたから」


 彼女たちはにこやかに言って、入れ替わりに学長室へ入って行きました。


 なんとも温かい空気がそこに流れたのでした。



 自分個人を振り返ると、社会人時代にも色々苦しいことがありながら、踏みこたえる原動力になったのは、褒め上手の中嶋教授のもとにいたことではなかったろうか、と思うのでした。


「畠山さん(旧姓)は北京語も広東語もできる。どこに行っても大丈夫。会社で初めての女性特派員にきっとなれる」


 語学を少々できただけなのに、とこそばゆく感じながら、その言葉を受け取っていたのでした。

 
 ゼミからマスコミ、研究機関、外務省に優秀なOBを送り出した(私は例外)中嶋教授は、学生に大量の読書を課しゼミの発表では厳しく踏み込んだコメントをする人でしたが、また大変な褒め名人でもありました。


 私が在籍した86-88年のころというのは、中嶋教授はまだ東京外大の学長に就任される前。外国語学部しかなかった同大に「国際関係学部を」と新学部創設を働きかけるなど、当時もあるべき大学教育の姿に一家言ある人ではありましたが、一学部生の私にはそれはやや縁遠い部分でした。

 学者としての中嶋教授は、当時も豊富な海外人脈を活かしてチャルマーズ・ジョンソンなど海外有名教授を招いたシンポジウムを開催するなど、やはりアクティブな人で、ゼミ生はそうしたイベントに駆り出され学業以外でも結構忙しいゼミでした。


 また教育者としては、「現地をみよ」とゼミのヨーロッパ旅行を主催し、私も87年、大学3年の春休みに参加しました。1997年には、香港返還のそのときに香港への旅行を組織したといいます。


 
 さて、その後私は残念ながら「女性特派員」になることはとうとうなく、そして今の仕事に入ってしばらくしてしたことは、涙を流しながら


「ご期待に沿えず申し訳ありませんでした」


と、恩師に手紙を書いたのでした。


 ・・・あまりにも個人的なお話になってしまいました・・・


 読者の皆様に1つクイズです。中嶋学長のこのたびのお話の中で、ききての正田にもっとも「ひびいた」箇所はどこだったでしょう。


 そのご多忙さを間近にみるにつけ本当によくインタビューに応じていただけたものだ、また当方もよくお願いする勇気があったものだと思うのですが、貴重なお話をいただき、またインタビュー原稿も校正してくださいました中嶋学長、本当にありがとうございました。


 そして本来無理なお願いをこころよく叶えてくださった秘書の鈴木和代さんにも心よりお礼申し上げます。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 

※なおインタビュー文中、「中嶋先生の世代の人だからやれた」的な発言がありましたが決して80歳で新党を立ち上げようとする某前都知事を肯定したい意図はなく・・・、時節柄補足いたします。

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2



(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて

■不安で変化を嫌う日本人の人材育成には何が必要か
■今回の凋落はいい教訓にすべき


中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。



■不安で変化を嫌う日本人の人材育成には何が必要か


正田
:えへへ…、これは私が最近やっている反逆なんです。先生にご参考になるかどうか(日本人とアメリカ人のセロトニントランスポーター遺伝子タイプの比較を出す)


中嶋:なんですか。ちょっと説明してください。


7038



正田:はい。不安感という感情は脳科学的には説明のしやすい感情なんだそうです。というのはセロトニンという物質の関与が非常に大きいので。血中セロトニン量によってかなり決まるらしいので。色んな感情の中でも、これだけ1つの物質の影響力が大きい感情というのはそんなにないんだそうです。かつ不安感というのは行動量を増やしたり減らしたりするものなので、不安感の高い人は行動抑制的になる、あまり行動ができないんです、怖いので。ところが日本人というのは不安感が非常に高い民族だというのがわかっています。このセロトニントランスポーター遺伝子というものが血中セロトニン量を調整するからなんですね。不安遺伝子とか恐怖遺伝子といわれるものです。またこれが日本人の集団主義というものをかなり規定すると言われています。

 この知見は1998年に出たものです。遺伝子学の世界の発見というのは一度「こうだ!」と言われたものが覆るということが結構あるんですが、この知見に関しては覆っていないんです。この結果日本人は不安感の強い民族だということがわかっているし、不安だからこそ集団志向になりやすいということも。


中嶋:ほんとに日本は集団主義ですよね。個人というものが、個性というものが見えてこない。


正田:そうですね。一方でいい面に働く場合は、繊細なものづくり、繊細さですとか、もちろん「わび、さび」とか「もののあはれ」といった美意識もこの不安感が関与しているんだろうと思います。不安ですから微妙なものごとの変化に敏感になる。

 そして世界でも集団主義の最右翼に位置するのが日本人なんだそうです。


中嶋:この理論を講演なんかで使ってるわけ。


正田:そうです。これは大人に対する人材育成で、こういうことを前提にしないと日本で人材育成というのはできないはずなのにアメリカ由来の人材育成のツールを使ってしまっているということに非常に問題があるということを言っております。遺伝子学の世界ではこれはもう定説で、行動経済学などにも応用されています。これを人材育成に応用するのに何の問題もないはずなんですが私以外の人はまだ言っておりません。


中嶋:脳科学といえば茂木健一郎さんが4-5日前にここに来ましたよ。学生と随分意気投合して帰って行きました。


正田:ああ、そうですか。非常に興味深いですね。AIUの教育が脳科学的にどういう影響をもたらすのか。人の脳の発達というのは行動量に応じて発達するというのはわかっているそうです。質の高い行動ですね、やみくもな行動ではなくて。


中嶋:僕は初めてこういうの(遺伝子学の知見)をききましたが、是非それを普及したらいいじゃない。


正田:(苦笑)私のやっている「承認論」に基づく人材育成というのはこれが基になっていまして。というか、この教育をやり始めたら非常に効果が出てしまって、それを裏付けるものは何だろう何だろうと探しているうちにこういうものに行きついたというわけです。


中嶋:アメリカ人と随分違いますね。


正田:アメリカ人は遺伝子的にももっとも勇敢といいますか、新奇性なものを求める気性が強いですね。


中嶋:あまり集団主義って目立たないですものね、アメリカでは。


正田:個人主義の最右翼に位置しますね。ヨーロッパはアメリカよりもう少しマイルドです、こういう遺伝子的なデータからみても。アジアでいうと中国、韓国はわれわれより個人主義にみえるんですが、遺伝子でみる集団志向性は比較的われわれに近いんだそうです。アメリカやヨーロッパなどに比べても。

 ただ日本にもこの層(比較的不安感の低い)の人達がいます。果敢に前に踏み出す層の人達が。その層の人達が受け皿を求めていると思うんですね。

 また、変化を嫌う気質というのもこれでかなり説明がつくんですよね。


中嶋:なるほどね。現状維持とか既得権を維持するとか、なんか新しいことに出て行くのに不安なんですね。


正田:前例踏襲になりやすいですね。
 それを打破するというのはほんとに大変なことで、中嶋先生は大変なことをおやりになったと思います。


中嶋:ありがとうございます。


■今回の凋落はいい教訓にすべき


正田
:先生冒頭の問いに戻るんですが、今歴史上になぞらえると、日本はどの国のどの時代に近いんでしょう。
 例えば江戸時代も元禄とか文化文政とか、文化の爛熟期があって、そのあとの経済停滞というのがありましたね。なんどかそういうのを繰り返していると思うんですが、また飢饉の時代に二宮尊徳のような人が出てきたり。


中嶋:あんまりそういう比較は僕自身はしたことはないんですけれど、このまま行くと日本は、もっと落ち込んじゃうんじゃないかと、そちらの方は良く見えるんですよ。

7028-2



正田:見えますか。


中嶋:だけど一方ではね、日本は非常に成熟した社会、いい社会ですよね。日本の成熟度というものをものさしに、尺度にすると、日本は世界でもトップクラスだと思う。今の中国は経済的にも軍事的にも強いけれど果たして中国社会が成熟してるかっていうと、必ずしもそうじゃないよね。今日も大学祭で学生代表と一緒にシンポジウムをしたけれど、あんなシンポジウムが自由にできるという雰囲気ではないし。そこはやはり、アメリカをみんな勉強するけれど、アメリカのコミュニティ全体が知的に先進的になってるかというとそうではないですよね。そういう意味では日本は、平準化してるというかもしれないけれど全体の水準が知的には高いですから、そういう成熟国家としての日本のありかたを今後、模索していけば、若干経済的には少しデクライン(低下)してもそれを克服できるんじゃないかという気がしますけどね。

 日本はさっきの「傲慢」という言葉が出てきたけど、バブルの時にあんまり、いい気になりすぎたと思うんですね。それが今になって逆に日本の足を引っ張ってきたと思うんで、ある意味では今回の日本の凋落、それはいい教訓にならなきゃいけないしいい教訓になるべきだと思いますよね。


7036-2

正田:はい。



中嶋:それに震災が加わったわけですから、震災のことと併せて、今までの日本がずーっとあのまま一気に伸びていくというのは一種の神話であったわけでね。それが自覚できる日本人。それは今度の震災をみてもわかるように、道義的にも、モラルの上でもかなり高い集団ですからね、日本は。そこに期待したいと思いますね。


正田:いい時代を経験した人達の意識の変革がなかなか進まないというのを感じます。先生も「失われた20年」という言葉を使われていますけれども、この20年を経験してなお意識が変わらない、これはちょっと高齢化社会の悪い面なんじゃないかと思ったりするんですが(笑)

長くなってしまいました。先生今日はお忙しい中、どうもありがとうございました。(了)



国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2



(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決


■大きかった60年安保と文化大革命の経験
■時代に飲まれず、同時代史と対決する


中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。



■大きかった60年安保と文化大革命の経験


正田:
そうした非常に思い切った改革を、先生の場合は新しい大学を創ってしまわれましたけれど、そういうことをおやりになって初めてほかの人がついてくるじゃないですか。私は記者時代にそういうイノベーター的な人をみたことがあるんですが、先鞭をつけるということは大変な苦労をされる。風当たりが強いですよね。
 そして「今までにない大学を」と。今までにないものをというのは普通は若い人が言うんですが、先生の場合は本学を開学されたとき68歳でいらした。先生の世代の方がおやりになるということも、今の日本を象徴しているのかなという気がします。


7038



中嶋:あっそう。


正田:というのが今年出された『学歴革命』というこのご本ですね。今日くる前に再読してきたんですが、先生は前半生を今までになく丁寧に振り返ってらして、教科書の墨塗りを経験されたこととか戦後民主主義の洗礼を受けたこととか。その世代のかたがこういうことをおやりになる。逆にもっと下の世代の方にはできなかったのではないか、ということを感じたりいたします。

中嶋:つまり言ってみれば僕らの世代というのは戦後日本が成長・復興した時代を生きてきたわけですよね。僕の個人的な体験からすれば、60年安保というのは大きかったんですよ。学生運動のリーダーで、実を言うと安保反対なんて言ってたけど、あのときはやっぱり岸(信介)さん(首相=当時)は偉かったと思う、今から考えると。


正田:今はそうですね。


中嶋:そういう時代を経て、それから大学紛争があったでしょう。これもまた大きな試練でした。そして僕個人からすると中国の文化大革命に直面したりして。やっぱり同時代史を生きる中で色々経験をして、それに対してどういう決断をするかということをやっぱり自分の体験から学んだと思うんですね。特に文化大革命の時は自分は専門は中国政治でしたから、みんなが文革礼賛、毛沢東万歳だったんだけど、やっぱり自分としては現場の中国を見て、これはひどいなと思った。いわば―、

 さっきマックス・ウェーバーのことが出ましたが、マックス・ウェーバーの言葉で「霊感」というのがありますね。第一印象というか、そこで感じたこと、できるだけそれに忠実であろうとしてきました。みんなが文化大革命は人間革命で毛沢東思想万歳って言ってるんだけど、自分はどうしても同調できなかった。そこを揺るがなかったというのは、自分にとっても良かったし結果的にはそのことが1つの人生の経験にもなったし。あるいは教育的にはね、1つの問題を提起することができたかもしれませんね。


■時代に飲まれず、同時代史と対決する


中嶋:
そこでうち(AIU)ではね、クリティカル・シンキング(批判思考)を学生に説いています。自分で考えて、自分の考えをきちんと説得できるように打ち出すことなんですけど、とかくみんながこういう方向に行こうとすると、それに対する異論を唱えることは勇気も要るし孤立することもありますよね。そこを克服するようなことを若者にやってほしいと思います。それがいわば個性だと思うんです。そういう風なことを考えてきた、という気がしますね。僕らの時代には比較的そういう、ある意味では挫折したり、安保闘争なんてのはまさしく敗北したと思うんですけれど、そういうことが次の、まあ李登輝さん(元台湾総統)に言わせるとトーマス・カーライルの「衣装哲学」がそうなんですけど、自己否定みたいなものが必要になって、それが次の光を見出していくという。そういう自分の歩み方をしてこれたような気がします。


正田:自己否定的な。


中嶋:そうですね、一旦それを乗り越える必要があると思うんだよね。単なる自己否定をすると自分が埋没しちゃうわけですから。時代に飲まれないような形で同時代史と対決する、ということが必要じゃないかという気がします。

7028-2


7036-2

正田:この『学歴革命』はいいご本ですね。


中嶋:そうですか。学生が色々一緒に作っているので。


正田:この御本の中に「傲慢」という言葉が何回か出てくるんです。


中嶋:ああ、バブル期のことですね。
 


((7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて につづく)


国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2



(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計

■グローバル化対応の単位互換、成績評価基準、受験システム
■AIUに追随する大学も増えてきた


中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。




■グローバル化対応の単位互換、成績評価基準、受験システム


7024


中嶋
:従来の日本の大学とまったく違ったものを目指して。そして同時にグローバル化とかね、グローバル人材の養成。今度も新しく文科省のプロジェクトで、公立大学ではうちだけ採択されたんですけれども「グローバル人材育成プロジェクト」です。

 だけどそういう大上段に振りかざすようなところも大事だけれども、もうちょっとローポリティクスっていうか、ローポリシーっていうか、いわばきめの細かいところの詰めが大事なんですよ。例えばうちは留学生がきたときに全寮制ですよね。寮に入れるとか、それから留学生にとってはうちに来る前に1年間秋田に来ればどういうカリキュラムでどういう勉強ができるかわかるようになっている。それは授業にインターナショナル・コードがついてるからです。それから取得した単位を母校で互換できる、クレディット・トランスファーというんですけど、単位互換のシステムができている。あるいはGPAという評定平均値ですね、グレード・ポイント・アベレージ(Grade Point Average)、これが国際的な共通性をもつ、12段階になっている。ところが今12段階になっている大学というのはほとんど日本にないんですよね。相変わらずABCDの名残り、優良可不可の名残り。そうするとどういう学生が来るのかもなかなかわからない。そこにも問題があります。

 それからうちの場合は、留学生に関して言うと、ここまで来ないでも留学生を選別してますよね。それから大学院なんかの場合も、書類審査だけで合否判定をやってるんだけど、日本の多くの大学院は日本に来て受験させるじゃない。しかも大体において日本語で質問して日本語で試験を受けさせるでしょ。これでは本当に日本語をやる人は別にすれば、あとのフィールドの人は非常に狭まっちゃう。ある意味では留学生にとっては負担が大きいんですよね。そういうことをなくすことも大事です。

 そういう非常にきめの細かいポリティクス、ローレベルのローポリシーが他はなかなかできてないと思うんです。それから授業を英語でやると言っても、じゃあ授業を英語でできる先生がどれだけいるかとか、それらのことを含めて、日本の大学はまだまだグローバル化に対応できていない。


■AIUに追随する大学も増えてきた


中嶋
:そこでようやく最近、AIUが1つのモデルみたいになって、何とかAIUと同じような方法を導入しようという大学が増えてきているのはいいことだと思います。きのうも九州で大学の学長会議で僕は基調講演を頼まれたんですけど、九州全域と山口の大学も、山口大学の学長も来ていて、「何とかしたいんだけどなかなかそれができないから、大学全体としてのグローバル化は無理でも、新しい学部を創ってそこで(グローバル化を)やろうとかね、東大なんかも今同じようなことを言い始めてる。岡山大学がやっぱりそうですね。そういうところが増えてくることはいいことだと思ってるんです。

 最近はグローバル4(国際教養大学、国際基督教大学、立命館アジア太平洋大学、早稲田大学国際教養学部)に上智大学を加えてグローバル5になりましたけれど。

上智も初めは、自分のところは大きな大学だし、と入らなかったんだけど、今度は向こうから是非入れてほしいと。かなり色々な交流もこれからもっと進めますけど、現に大分のAPU(立命館アジア太平洋大学)の学生がうちに来てるとか、うちの留学生が大分に行って半年過ごすとか、そういうことができるようになってるんです。



((6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決 につづく)


国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)隣国との付き合いはまず異文化理解から―尖閣
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2



(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに


■ジョブズも考えた「リベラル・アーツとテクノロジーの交差点」
■時代にあえて逆行した糧は


中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。




■ジョブズも考えた「リベラル・アーツとテクノロジーの交差点」

中嶋:
スティーブ・ジョブズのコピーもあげたかな。


正田:「フロム・マックス・ウェーバー・トゥ・スティーブ・ジョブズ」の章文ですか。


中嶋:そうそう。そこにも書いてあるように、スティーブ・ジョブズがね、僕と同じようなことを考えて、亡くなっていったんですね。なぜアップルがso successfulか。自分たちはいつも、リベラル・アーツとテクノロジーの交差点ということを考えていた。本当にAIUと同じような考え方を彼は持っていたんですね。


7042



正田:そうなんですね。


中嶋:アップル社は本当に大成功なんだけど、そのアップルがあれほどテクノロジーでは成功した、そのときにリベラル・アーツを考えていた、まさに国際教養と同じことを考えてくれてたんですね。

 まあそういう意味でも教養教育が非常に大事なのは、逆に言うと日本では91年、ちょうどグローバル化が始まった年に、ソ連の崩壊とか、さっき言ったように。そのときに大学設置基準が改訂されて、僕は改悪だったと思うんだけど、教養教育が消えちゃったんですよ。大学を設置するのがすごく楽になって、大学の数がどんどん増えた、にもかかわらず教養教育が消えてしまった。だから教養部とか、教養学部が無くなっていったでしょ。なんといってもアンダーグラジュエイト、つまり学部は教養教育と外国語教育だと思うんですよ。だからうちはインターナショナル・リベラル・アーツ(国際教養)ということを考えたんだけど、それが日本の大学から消えちゃったというのは、グローバル化に反する動きになってしまったということですよね。

 それからもう1つは大学院重点化がそのころ行われて、国公立大学では大学の先生方が大学院に籍を移しちゃって、そのために学部が空洞化しちゃったわけですよ。そこにも大きな問題があった。だからちょうどそれと相反するというか、反対方向を国際教養大学は目指していったわけで、それが今の成功というか、注目されるようになった大きな理由だと思いますね。


■時代にあえて逆行した糧は


正田:先生そこを是非お伺いしたいんです。先生がおっしゃっていたことは、本学の開学当時にはまだエクストリーム(極端)に響いていたわけです。ところが今はもうどこも教養教養と。


中嶋:それがストリーム(潮流)になってきたんだよね(笑)


正田:ええ。教養がもうスタンダードになろうとしているんですよね。そのときに先生を動かしたものはなんだったんですか。


中嶋:ひとつにはアメリカの大学で教鞭をとった経験がすごく大きかったですね。カリフォルニア大学サンディエゴ校で1年間、大学院でしたけれども、毎週3時間英語で講義をするというのは大変つらいことで、もうへとへとになって。終わってからまた次の週の準備をするというのは。そういう時間を過ごしましたからね。非常に自分にとっても、つらいけれども良かったと思うし、それからまた同時に、アメリカの学生というのはこんなによく勉強するのかということを痛感したんです。日本に帰ってきて、外大の中嶋ゼミはよく勉強してくれたと思うけれど、一般的には学位をとるのはすごく安易でしょ。アメリカの場合は、学位そのものよりもプロセスがすごく重要でね、宿題も多いし、学生も必死になって勉強するし、これでは日本の大学はだめだなあという気がしましたね。

 それが1つと、もう1つ東京外国語大学の教授会は大学自治が名目で、大学自治自身が問われているにもかかわらず、教授会は自分の既得権とエゴに走っちゃって、なかなか改革ができないんですよね。だから外語(東京外大)でも僕は英語教育を改革するために何回会議をやったか知らないけれど、いつも徒労に終わって、夜10時11時ごろまで、あるいは12時ごろまで、会議ばっかりやっても、結局何1つ進まなかったんですよね。相変わらず、英語の先生が反対するし、コミュニケーション中心ではなくて、従来のオーソドックスな英語の授業ですから。それでいて外語の卒業生が必ず英語で十分コミュニケーションができるかっていうと、そうではないんですよね。


正田:えへへ…。はい。


中嶋:そこはやっぱり直していかないと。これからのグローバル化の時代に、少なくともリーダーになる人は少なくとも英語ができる人になってほしいと思って。それが1つの教訓ですね。

 ですから、秋田に大学を創るというときに、普通の大学がもう1つ増えても意味がないし、もう必要ない。もう大学は多すぎるし、まったく従来の大学と違った大学を創るならばお手伝いしましょうと。その2つのモティベーションだったと思います。


((5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計 につづく)


国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)隣国との付き合いはまず異文化理解から―尖閣
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2




中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。



(3)AIUに世界のメディアも注目

■日経新聞、NYタイムズに大きく取り上げられた1年

中嶋
:AIUはそういう活動のためにこのところかなり対外的な評価が高くて、私が最近嬉しかったことは、今年の7月16日に日本経済新聞が一面で大きく取り上げてくれていたことです(「人材育成企業が注目の大学 国際教養大首位に」)。

 あの記事は、ぼくも知らなかったんだよ。電車に乗って松本まで行く用があって、そしたら親戚の者から電話がかかってきて。「きょうの日経にAIUは東大の3倍の人気で(人材育成トップ注目度の)トップになった」と。読んだ?


ハルカ:いやー、読みませんでした。


中嶋:あそこ(玄関入口)に記事が張ってあります。それからニューヨーク・タイムズが、7月の29日かな、AIUのことを大きく取り上げてくれて。これもアメリカから電話がかかってきてね、「おたくの大学はこんなにすごい大学なのか」と。そのタイトルが、”Japanese Universities Go Global But Slowly” (日本の大学がグローバル化、ただしゆっくりと)。なかなかグローバル化ができない、AIUは例外的にグローバル化をやってるという記事です。翌日、今度はインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙が、同じ記事をまた写真入りで出してくれてね。恐らくこんな大学はほかにないと思うんだけど。それはもうひとえに、学生諸君、あるいは卒業生が頑張ってるからです。これがその記事。


正田:ありがとうございます。まあ大きな記事ですね。


中嶋:そう。(ハルカに)まあ、そういう大学に入れたんだから、頑張って。


ハルカ:ありがとうございます。


7017


(AIU祭のもよう)


中嶋:今日のオープンキャンパスにも沖縄からも何人か来てましたね。それから愛媛県とか山口県とか、そういう遠い所から来てましたね。


正田:今こういう日本の状態ですので、危機感を持っている若者も多いと思うんです。「強くならなければ生きていけない」というかつてない危機感を持っているなかで、その子たちの受け皿に国内では辛うじてAIUがなっているんじゃないかなと思います。


中嶋:うん。まあもうちょっと規模が大きいといいんですけどね。将来的には200名ぐらいの定員にしたいと思っています。


正田:あ、そういうお考えがあるんですか。


中嶋:うん。でもそれ以上大きくなると、今度は水で薄めたことのようにならないようにするためには、ちょうど1000名ぐらいの規模のコミュニティがここにできれば、と思っています。ユニバーシティ・タウンですよね、まさに。他に何もないけれど、大学町っていうか、大学が1つのセンターになって、それはもうグローバル化の時代ですから、世界にしょっちゅう通じてますよね。留学先にも、まさにグローバル化というのは時差もないし、国境も低くなってる。それがグローバル化の時代ですから。

 グローバル化自体は始まってまだ20年ちょっとでしょ。ソ連の崩壊、東西冷戦体制がなくなって、そしてボーダーレスになって。そしてIT革命が進んだという2つの歴史的な条件があったのです。



((4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに へつづく)


国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

国際教養大学(AIU)・中嶋嶺雄学長にきく

「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


presidentnakajima-2



(2)3言語習得で自分の中に世界ができる

■第2外国語まで徹底習得すると何が起きるか
■日本人のアイデンティティに必読文献の『武士道』
■中国文化に圧倒されてしまう日本人


中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。



■第2外国語まで徹底習得すると何が起きるか



7051



中嶋:(カメラマン担当の長女ハルカに)中国語かなんか取ってる?


ハルカ:次のセメスター(学期)から取ろうかなと。フランス語をやりたいです。


中嶋:あっそう。もう1つの言語をやるっていうことはね、もう1つの世界が自分の中にできることだから、ぜひそれを頑張ってやってください。

 入学式の時にも話したと思うけれど、うちは複言語主義、プルリリンガリズム(plurilingualism)をとっています。具体的には3言語主義を奨励してますよね。母語と英語ともう1つの立場を習得するということ。なかなか習得がむずかしいんですけれど、普通の大学では。第2外国語まではなかなかものにならないんだけど、それがものになるようなカリキュラムを作ってますから。だから今度フランス語なら、フランス語Iを60時間やりますよ。60時間1セメスターでやるということは、かなりのことですね。それから春セメでフランス語Iをやったとすると、秋セメでフランス語IIをやる。それでできれば冬学期があれば冬学期にフランス語IIIをやる。そこまでフランス語をやると、フランスの大学に留学したいっていうことになるんですよね。中国の場合には中国とか、まあ台湾が人気があるんだけれど。

 韓国語なんかもまさにそうなんですけど、延世大学とか高麗大学とかへ留学していますね。2-3日前もね、韓国語の邊(ビョン)先生のところに学生からメールが来て、邊先生喜んでそれを見せてくれたけど、その学生が言うのに、AIUで韓国語IIIまでやった、韓国語IIIは特に厳しい学習をやっていただいたんだけど、自分は延世大学に来ても全然困らなかった。留学生もたくさんいたけど、英語以外に韓国語ができる留学生はほとんどいないんだって。自分は非常にそこでも良かったって。そういう風に、かなりのレベルの第2外国語ができるようになります。

 同じような例でうちの第一期生で高麗大学に留学した女子学生がいました。彼女は隠岐の島、島根県からわざわざ秋田に来て学んで、高麗大学に留学する前に韓国語をやってね、そして向こうでは単位を取るのは英語で取ってくるんだけど、まあ朝から晩まで韓国社会にいるわけだから、イマージョン教育で帰る時には韓国語が英語以上に上手になっていました。そして韓国にいる間に自分は韓国の食文化に非常に関心を持つようになったということで、キッコーマンに就職しましてね、総合職で。キッコーマンのCEOの茂木友三郎さんという有名なトップの方がわざわざやってきて、「こんな素晴らしい学生をよく養成してくれた。よくうちに入れてくれた」と。第一期生でした。(留学したら)そういうことができるようになっています。

 そういうもう1つの世界をやるにはやっぱり言葉をまずやることが大事です。言葉をやると自分の心の中にいくつか世界ができますよね。あなたの場合日本語の世界、英語の世界、それからフランス語の世界ができる。非常にいいことだから。是非あなたもフランス語をものにしてください。そして必ずそれを使うことです。僕も来週から海外出張でパリにも行くんですが、行ってもなかなか自分が習った言語を使えない場合があるんですが行ったら必ずそれを使う。相手が英語でしゃべった方が通じる人だったら英語で言いかえすんだけど、そこでもこっちは必ずフランス語で言いかえすようにしてるんです。その図々しさ。それが言ってみれば、語学を、コミュニケーション能力をつくる大きな要因になりますから。お母さんは確か広東語もかなりできたというんで。


正田:いえ昔の話です(笑)


■日本人のアイデンティティに必読文献の『武士道』


中嶋:そうすると、広東人の世界は同じ中国でも、北京や上海と違うんですよ。そういう世界を体験することが国際教養大学の大きな目的でもあるんですね。

 それと同時に日本人としてのアイデンティティを持っていることが必要で、英語ができるからって、口先だけで英語ができる人はたくさんいるけれど、それだけではやっぱりダメなのです。浮草のように国際社会を漂うような人を必ずしもグローバル人材とは言えないわけで、やっぱり自分のアイデンティティをきちんと持つということですね。そのためには新渡戸稲造の『武士道』なんかは必読文献だから、是非英語で読むといい。


ハルカ:はい。


中嶋:今学生たちが図書館で展示をしてますけれど、アンケートを取って、「この大学の図書館で一番よく読まれる本は何か」っていうと『武士道』の英語版が一番でした。それが非常に僕は嬉しくてね。2位が村上春樹で、3位が武士道の岩波文庫の日本語版(矢内原勝訳)だったんです。ですからうちの学生はそれだけよく本を読んでいる。結構むずかしいんですよ。あんな時代に新渡戸稲造はまず英語で書いてるわけね。新渡戸稲造も岡倉天心も内村鑑三もみんな当時の東京外語の英語科に入ったんですよ。その当時の人に比べると今の人は英語環境はすごくある。だからそこもしっかり、本学の言語異文化学習センターで納得のいくまで耳で聴いて。そうするとCNNでもBBCでも、留学に行く前に、聴けるようになりますよね。そしてそれに留学が加わるから。フランス語もちゃんと教材がたくさんあるし。是非がんばって。それがまさに、国際教養大学が目指している異文化理解でもあるんですよね。

 異文化というのは、理解がすすまないと、ものすごい大きな壁になって、自分の前に立ちはだかっちゃうんです。だけど少しでもそれを理解し勉強していると、そんなに大きな壁にはならなくなる。


■中国文化に圧倒されてしまう日本人


中嶋:日本人は中国に行くとね、圧倒的な重量感のある中国の文化に圧倒されちゃうんだよね。それで外交的にも位負けしている。まず天安門広場から入っていくと、大きな天安門があるし、それから次に大きな午門っていうのがあって、それから端門、たくさん門があってそれで太和門という門があって、その次に太和殿っていう、いわば広場の中に入れるんですよね。そこまでいく間に外国の人は、あー凄いな、と圧倒されちゃうわけ。
しかも日本は一元的な美意識がありますから、みんな透けて見えるようになってるけど、中国はそれを見せないんだよ。天安門をくぐってその次に午門があってその向こうに何があるかわからない。それでもって圧倒されちゃってね、そしてようやくたどり着いて大きな広場があるもんだから、そこに中国のいわば皇帝が君臨してたわけでしょ。そういう、日本と中国が同文同種なんていわれるけれど、そんなに大きな違いが、日本と中国の間にはありますよね。

 日本というのはいわば海洋国家でもあるし、島国でもあるんだけど、中国は大陸国家ですから、そういう大きな攻防の中で暮らしてきた中国の人達の今度の尖閣の問題をみてたって、実にしたたかだねえ。そういう異文化を、中国についても勉強することがまず、グローバル化にとって必要なんですね。

 だからグローバル化というのは一方で、まさに世界に出ていくのは必要なんだけど、それだけではなくて、自分が主体的になって、どういうふうに世界を自分の中で理解し取り込んでいくかということが必要だと思います。


 
((3)AIUに世界のマスメディアも注目 につづく)


国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて


100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 去る10月7日、秋田・国際教養大学(AIU)の学園祭「AIU祭」の日に、同大学学長・中嶋嶺雄氏に正田がインタビューさせていただきました。


presidentnakajima



 中嶋学長は大変な多忙のさなか、この日も学祭・オープンキャンパスのシンポジウムのあと入学志望者の保護者に質問ぜめに遭われた直後のインタビュー。

 今年、日経新聞で「人材育成注目度トップ」に選ばれるなど、秋田の山の中に8年前、忽然と誕生した新興大学のAIUは驚くべき成功を収めています。その中心にあるのは、授業すべて英語という徹底した英語教育と1年間の留学義務付けといった「グローバル化教育」、それに「教養教育」です。

 
 中嶋氏の東京外国語大学時代のゼミ生だった正田。現在はAIUに入った学生の親という立場でもあり親子2代にわたっての師事であります。

 お話は中嶋氏の専門の「現代中国政治」から、AIUの行う「複言語主義」の教育、日本で強烈に新しい教育を創り上げた中嶋氏自身のアイデンティティ、そして日本の今後、と多岐にわたりました。

 全7回で掲載させていただきます。ごゆっくりご覧ください・・・。




(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から

■領有主張は海洋資源の調査から―尖閣列島
■「国交優先」で態度表明しなかった日本
■異文化理解の大切さ



中嶋 嶺雄氏略歴:

国際教養大学理事長・学長、国際社会学者。
1936年長野県松本市生まれ。東京外国語大学中国語学科卒業。社会学博士(東京大学1980年)。東京外国語大学教授、東京外国語大学学長を経て2004年、国際教養大学を創設。国立大学協会副会長、アジア太平洋大学交流機構(UMAP)初代国際事務総長、財団法人大学セミナー・ハウス理事長、オーストラリア国立大学、パリ政治学院、カリフォルニア大学サンディエゴ校大学院客員教授を歴任。



■領有主張は海洋資源の調査から―尖閣列島


中嶋学長(以下敬称略):今日は何からお話したらいいですか。


正田:時期的には中国がああいう状態ですので、中国情勢からおききしたいところなんですが。今日の本来のテーマは、日本が歴史的にどういう時期にあってその中でAIUがされているような教育というのはどう位置付けるのがいいのかということです。でも先生のお気持ちは今どちらに向かれているんでしょうか。


7081



中嶋:今日学内で(オープンキャンパスの)シンポジウムがあって、対談会があったんですけれども。


正田:それをおききしたほうが良かったのかもしれないですね。


中嶋:そう、学生たちの質問が非常に良かった。日本が今置かれている状況について、異文化を理解することが非常に大事だということも。それをどういう風に実現していくか、そんな話が色々出てましたね。
まあとりあえず尖閣の話からしましょうか。


正田:そうですね、是非お願いします。


中嶋:尖閣問題はね、最近僕も2,3論文を書いたり、産経新聞の「正論」にも書いたんですけど、とにかく中国が尖閣の領有を主張し始めたのは1968年に国連のECAFE(アジア極東委員会)調査団が海洋資源の調査をして尖閣付近に豊富だということがわかり、それ以来なんですよ。僕はそのころ香港にいまして、1969年から71年まで香港総領事館の特別研究員でしたから。68年に国連の調査団があって、そして69年にそのことが発表されたんですね。そして70年になってから、中国はそのこと(尖閣の領有)を主張し始めて71年の12月30日かな、中国外交部が声明を出して、「尖閣は中国の領土だ」ということを言い始めたんです。
 ですから明らかに、中国が言い始めたのは海洋資源があるということで言い始めたのです。それまでは尖閣なんてまったく日中間でも問題になってなかったわけで。我々も知らない、そんな島がどこにあるか。そんな存在だったと思うんです。
 その時に中国側が外交部声明を出したのに、日本はまったくそれに対して反応しなかったんです。

 
正田:国交正常化前でしたね。




■「国交優先」で態度表明しなかった日本



中嶋:そう。そのころ日本は国交正常化にわーっと雪崩を打ったように、バスに乗り遅れるなという状況でしたから、尖閣の問題については中国が外交部声明ではっきりものを言ってるのに日本は何も言ってないんですよね。それがまず第一回目の状況です。

 そのころ香港にはね、あなたも香港に行ってたからわかると思うけれど、職業的な反日集団があるんですよね。それは日本が香港占領のときに軍票(軍の紙幣)を発行したのですが、その軍票を償還してほしい、今のお金に替えてほしいという、そういう要求をするグループがあって、香港索償協会という名前でした。補償を求める協会ですね。それらの人達がやがて(台湾の尖閣諸島領有を主張する)「中華保釣協会」のようなところに、今のところにつながってると思うんですけど。そして総領事館にデモをかけてきたりしました。その頃を僕はおぼえてるんです。

 ですからそれまでは、尖閣というのはまったく問題にならなかったわけですね。だから明らかに、中国は海洋資源があるということで言い始めて、領有を主張し始めた。

 ところが日本は、72年の国交正常化前のことで、もうまったくそういう問題で中国に抗議しようなんて雰囲気はなかった。恐らく外務省も、中国外交部の声明を十分検討してなかったと思うんです。

 そんなことがまずあって、その次が今度は1979年1月に小平さん(中国副首相=当時)が来たんです。米中国交正常化のあとに。小平さんがアメリカ行きの帰りに日本に寄って、外国人記者クラブで、「尖閣は次の世代かまた次の世代に解決すればいい」ということを言ったものだから、それで日本は安心しちゃったんですよね。

 その小平さんの発言に、さすが小平さんだというようにマスメディアも反応していたと思うし、日本の外務省も政府もそうでしたね。ところが当時、まだ小平氏は全面的に権力を握ってたんじゃなくて、華国鋒(党主席、国務院総理=当時)時代なんです。四人組のあとの華国鋒政権。その華国鋒政権のときに小平氏は、そういうことを言ったんだけど、小平氏がやがて全権を握るようになったのは華国鋒を追放して失脚させてからですからね。とくに今度は90年代に入るんだけど92年は小平氏が「南巡講話」をやって天安門事件のあと、改革・開放を言い始めたのが92年の2月なんですよね。その南巡講話をやった同じ月に全国人民代表大会の常務委員会という、外国のマスメディアも入れないようなところで、尖閣諸島、西沙諸島、南沙諸島を中国の領土であると規定した領海法を制定しています。そのときも日本は何も言わなかった。日本は宮沢内閣の時代で、この年10月に天皇・皇后の訪中を控えてそちらの日中友好のほうが先に立ってしまったから、中国がそんな領海法を制定したにも関わらず、それについても何ら発言してないんです。

 だからそういう状況が今の尖閣問題に表れてきたわけです。ちょうど数日前が日中国交正常化40周年で、正常化が1972年の9月29日でしたね。周恩来さん(国務院総理=当時)が、このときも「今は尖閣の問題は論ずるのはやめましょう」と言って、やっぱり棚上げしてしまった。そういう歴史的経緯をずっとたどってみると、日本外交は相手の国の分析を十分していなかったということにもなるし、あるいは中国というものすごい異文化ですよね、共通のところもあるけれどものすごい異文化で、圧倒的な大陸国家であるし中華思想がある。そういう日本と違った、一番近い所にあるにも関わらず異文化をもつ中国が、どういう風に外交的には出てくるかということを、ほとんど理解できなかったと思うんです。それが今回の事態だと思います。

 それから同時にね、中国というのは外の世界が色々影響力を行使してそれによって影響される国じゃないんだよ。中国の政治が大きく変わるのは、まさに国内政治、権力闘争ですよね。文化大革命もそうでしたし。それが中国政治の特徴なんですけれども、今回も見てるとね、党大会が11月にあるっていうのに、日程が発表されたのが4-5日前でしょう。そして一体どういう状況になるかもほとんど明らかになってない。


正田:本学のウィリー・ラム教授が「習近平は(党総書記に)選ばれないんじゃないか」と予測されたそうですね。



■異文化理解の大切さ

中嶋:そう、ぼくも2-3年前から「習近平だ」とみんなが言うときに「習近平になるかどうかはまだわからない」と言ったり書いたりしてきたんだけど。やっぱり中国側からみると、そういう問題がまだ残ってますよね。だから今度の党大会はどうなるか、見定めなきゃならないんだけど。
 そういう状況の中で、やっぱり中国は国内政治が非常に重要で、もし今の反日デモが反政府デモになると困るから、いわば反体制に行かないようにデモをストップさせましたね、急に。


正田:そうですね、あの手際は見事でしたよね。


中嶋:恐らく今の中国の指導部は、反日デモによって、それが全国的に燃え尽きることによって、中国のいわば党に対する不満や不平、貧富の差とか、汚職とか、たくさんある問題を、そういうことが反日デモによって燃え尽きてくれればいいという期待を持っているように思うんです。

 だからそうした状況なんですけどね、中国という一番日本に近い国を理解する場合にも、やっぱり異文化理解が十分できなかったということがあると思います。

 AIUはグローバルに展開する大学ですから、そのためにはコミュニケーション能力がなきゃいけないというので、英語を一生懸命やるようになってるでしょ。でも英語以外のもう一つの言語も一生懸命やるようにしています。



((2)3カ国語習得で自分の中に世界ができる)につづく



国際教養大学・中嶋嶺雄学長にきく
「グローバル化時代の異文化理解と教養教育のフロンティアを行く
 ―墨塗り・安保・文革を経験した世代の決断」


(1)尖閣問題―隣国との付き合いはまず異文化理解から
(2)3言語習得で自分の中に世界ができる
(3)AIUに世界のマスメディアも注目
(4)エクストリームからストリームへ〜「教養」が再びスタンダードに
(5)重要な「ローポリシー」〜きめ細かい制度設計
(6)戦後世代、安保の挫折、自己否定、同時代史との対決
(7)成熟国家日本に期待〜不安、集団主義、前例踏襲を超えて



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

「ビジョナリー」ということに関して、不肖私が人生で初めて会った、またこれまで最大の「ビジョナリー」はこの人だろうと思う。


 中嶋嶺雄著『学歴革命―秋田発国際教養大学の挑戦』(KKベストセラーズ、2012年3月)を再読する。


 1990年の大学改革で設置基準が緩くなり、「教養教育」が姿を消した。「大学院重視」の流れで「学部教育の空洞化」が起こった。


 その流れにたったひとり反旗を翻したのが、この人だった。東京外国語大学学長時代に教授会の保身装置化に悩み、改革をしたくてもできなかった、その体験をバネに、「国際教養」を掲げた全英語の大学を秋田につくってしまう。

 今、「大学教育に教養を」とこぞって言いだしているのはそれが「就職率100%、超難関大学」ととんでもない成功を収めたからである。


 東大の「秋入学」が話題だが、それも先鞭をつけたのも国際教養大学だった。セメスター制をとり入学式も卒業式も春、秋の2回する。



 中嶋氏の「先見性」は、「ダメになった日本」の現実をいち早く直視し、だれもその必要性に気づかないうちに最も先進的な大学をひとつ作ってしまったところにある。


 「・・・アジア諸国は相当早くからグローバル時代の到来を意識していました。韓国や台湾などはもともと国内需要のボリュームは決して大きくありませんし、中国はその時点ではまだ国内の経済格差がひどくて全体では貧しかったですが、いずれの国もいわば自国だけで賄える経済にはとうに見切りをつけていました。

 しかし、経済大国であった日本は、アメリカに次ぐGDP世界第2位であることに驕っていました。この間に日本は内部的な格闘というか、自己超克的なプロセスを見過ごしてしまったのです。特にこの20年間はまさに失われた20年、それどころか落ち続ける20年だったと言えるでしょう。いまになって、戦後の高度成長期の成功体験にとらわれてきたことへの反省が語られるようになりましたが、遅きに失しました。そのことでもたらされた社会の歪みが現在、いろんな局面で大きく噴出しているのです。」(p.27)


「しかしそれだけの経済破綻を経験しても、それ以降、次の社会に向けて目指すべき政策や事業の目的、目標が立てられなかったのです。来たるべき次の時代に向けての創造的な試みはなく、まさになんの理念も生まれなかった20年でもあったのです。」(p.28)


「ともかく新卒は大学さえ出てればいい、大学で下手に勉強なんぞしてくれていないほうが助かる、というように社会全体がある種、大学での教育を軽んずるような風潮がありました。これは大学に対する企業のアプローチが間違っていたのだと思いますし、やはり驕りだったと思います。そのことによって日本は、知的蓄積へのたいへんな痛手を受けて、今日に至ってしまっています。」(同)


「グローバルな企業間競争の時代に入った今日では、企業の実情は、当時とは正反対になりました。明日をも知れぬビジネス環境の変化に対応するのに必死で、企業に余力がなくなり、新卒の新入社員を一人前に育成することがなかなかできない環境に置かれています。景気の退行が止まらず、多くの企業がむしろ人減らしをするなかで、ようやく新陳代謝のために人を採るというのが雇用の厳しい現実です。そのため、すぐにでも戦力となる人材が必要なのです。」(pp.28-29)


 中嶋氏の過去の中国政治学の本(晦渋をきわめた)にくらべると平易な日本語で書いてありますが、これらは同時代への真摯な反省であり、憤りであり。何より単なる評論ではなく、これらの思考に立脚してひとつの大学、ひとつの教育プログラムをつくりだしてしまったのですから。

 文章のなかに何度か「驕り」という言葉が出てきます。そして「謙虚」「真摯」。これは「驕り」と対極にあるもの、と考えてよいのでしょうか。このところ「真摯」とはどんな脳のはたらきなのだろう、としきりと考えるわたしです。とにかく、もうバブルの夢に酔ってる時期じゃありません。その時代にいい思いをした人も目を覚ましてください。


 そして「リベラルアーツ」の重要性。


 中嶋氏の最近講演したレジュメには、『フロム・マックス・ウェーバー・トゥ・スティーブ・ジョブズ(From Max Wever to Steve Jobs)』とあるそうです。うわ〜、スティーブジョブズ出しますか。


 リベラルアーツこそはインスピレーションの源だ、と述べ、

「情熱はいわゆる『霊感』を生み出す地盤であり、そして『霊感』は学者にとって決定的なものである。」(マックス・ウェーバー「職業としての学問」)

「われわれは科学技術とリベラルアーツ、つねにその交差点にあろうとしたからだ」
「私たちは技術的に最高のものをつくりたい。でもそれは直観的でなければならない」(スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツとの論争より)

と引用します。

 いくつか前の記事での「イノベーションを産む思考法を教えるには」というテーマ、「企画力研修」といった生易しいものではなさそうです。リベラルアーツという何年もかかる深いものが源になる、と言っているのですから。



 「サンデー毎日」2012年9月12号の特集「進路指導教諭が勧める大学」のランキングでは、開学8年のAIUは
「面倒見が良い大学」3位、
「就職に力を入れている大学」7位、
「教育力が高い大学」4位、
「改革力が高い大学」6位、
「入学後に生徒を伸ばしてくれる大学」2位、
「小規模だが評価できる大学」1位、
「偏差値や地理的、親の資力などの制約がない場合、生徒に勧めたい大学」国公立6位。

そして
「国際化教育に力を入れている大学」では堂々の1位。


 全寮制、オール英語教育、大量の宿題、そして留年率も高いという環境は―、

 いささか身もふたもない言い方だけれど、今どきのやれネットだゲームだと寄り道する先の多い若者にとって、これは事実上ITひまつぶしをする時間を取り上げられているようなものである。もちろん、学生たちはPCもケータイも持つのは自由だ。しかし事実上それで遊ぶひまはない。


 現代でこれだけストイックな環境に置かれ、ピュアに努力することを求められるというのは、ある意味幸せなことではないだろうか。


 「浪人してでもAIUに行きたい」などと、合意の上でその環境に身を投じた若者たちは、その20歳前後の若い脳を、知的刺激に、また異質の体験にとフル回転させる。それは日本で他所にないエリート養成の場である。


 それは、この「内向き」で「依存的」で「前例踏襲的」で・・・という日本社会に懐疑の念をもち、自分は強くありたいと志向する一部の若者にとっては格好の受け皿だったはずでもある。


 ・・・などと思いながら、あすその恩師・中嶋嶺雄学長に半年ぶりにお会いすることになりました。

 

100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 今日は妙に言葉が出てきて4度目の更新。


 ひとにご迷惑をかけるわけではないのでお許しください。


 少し古い話題だけれど今週の月曜日(祝)16日の日経新聞の朝刊に「人材育成注目大学ランキングで国際教養大学首位」の記事が載った。


 恩師が創設者だったり家族が学生だったりと、ご縁浅からぬこの大学についてはブログでも何度か取り上げているが、こちらの記事。


「日本人は世界に生き残る民族たり得るか―国際教養大学の成功に思う」

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51709151.html



 この記事の後半で「ある意味クレージーな信念」「狂信性の共有」ということについて書いている。


------------------------------------------------------------------


 教育機関においての「建学の理念」、そして「建学の祖」という存在。例えば早稲田の大隈重信、慶応の福沢諭吉、同志社の新島襄といった。


 なぜ、「建学の祖」が、動かせない存在なのか。

 それは結局、それぞれの混迷する時代背景の中で、ある教育理念やメソッドを提唱した人がいて、それが成功を収めるには相当に強烈な、ある意味クレージーな信念、情熱と継続期間が要り、またそれに高いレベルでコミットした、いわば言葉は悪いが「狂信性を共有」した人々の集団があって、新しい教育ははじめて成り立つし、あとに残るものになる。


 そのとき、あるひとつの「10点レベルの正しさの信念A」を貫くときには、それと似て非なるすべてのもの、7か8程度の正しさをもった他の選択肢を捨てる覚悟が要り、それらを捨てて初めて「信念A」はパワーをもつ。信念Aを実効性とパワーのあるものにするために、周囲の人々も、その「捨てる」作業を受け入れなければならない。


 往々にして、「Aをやる!」と一つの路線を打ち出したときに、「いや正しいのはほんとにそれだけか。BもCもいいじゃん」と、ほかの選択肢に目移りしたくなるのが人間のさがであります。情報量の多い現代ならば一層。しかし反発したり目移りしたくなるのをこらえて、打ち出した1つの路線でまとまってやり続けなければならない。


 教育はとくに、成果を出すまでに「時間」の要る作業であります。その「時間」のあいだ、反発や不満をこらえなければならない。(というか、そもそも反発や不満をおぼえるぐらいならともに行動しない方がいいのでしょう。)


--------------------------------------------------------------


 成功した教育の実践に対して「クレージー」とか「狂信」とか、失礼なことを言ってるものだなあと思う。


 恩師だからというわけではないが、私には想像できる気がする。この偉大な試みの草創期に、どれほど多くの「捨てる」作業があったことか。似て非なるものを選別する作業があったことか。

 ―たとえばの話、中嶋氏と似たポジションの右系評論家とか中国政治学者とか・・・、よく考えたら、「なんでこの人は入らないの?」っていうのはいっぱいあるはず。でも当事者にとっては、その人たちが入らないのは自明の理なのだ。―

 それは、恐らくこの大学の成功が広く知られるようになった現在には必要なくなった作業かもしれません。



 さて、「うちの団体」はもう10年も「草創期」をやり続け知名度もなく、真摯な一部の受講生さんと出会ったほかは、あまりいい思い出がない。積み重ねがあとに残らない仕事だ。

 頑健な恩師と違って私はもう大分体にガタがきているのだけれど、いつになったらトンネルを抜けられるのだろう。このまま抜けられないで終わるのかな。

 これまでの良いお出会いに感謝。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 このほど政策研究フォーラム発行の月刊誌「改革者」3月号に、『日本人の教養』(中嶋嶺雄著、朝日新聞社)の書評を書かせていただきました。同フォーラムよりご許可をいただき、こちらに転載させていただきます:


****************************


 大学人が「教養」を論じた書は多い。その中で本書『日本人の教養』は、「国際教養教育」を提唱し、国内初のオール英語で講義する大学にして、100%の就職率を誇る秋田・国際教養大学を自ら設立した中嶋嶺雄氏の実体験をもとに書かれている点が異色。現実に同大学のカリキュラムを構成するとともに、著者自身の骨太の行動を裏付けてきた実体ある教養論、そしてリーダーシップ論でもある。

 「リーダー」の条件として、ゞ詰椶あること、△修靴銅囲がそれを尊重するような人格があること―を本書は挙げる。また「グローバル化、IT化の時代だからこそ人間性の根源に触れる思考=リベラル・アーツ(教養)を」と説く著者は、日本の大学学部教育から教養科目が消えつつある流れに対抗するかのように2004年、「国際教養」を掲げる同大学を開学した。

 卒業までに必ず1年間の留学を義務付けられる同大学の学生は、就職面接で「話す内容が個性的だ」と企業サイドから評価されるという。ではその「個性」とは何か。何かに属した、あるいは何かを究めたといった、何かに裏打ちされた自己認識(=アイデンティティ)を複数持つことが個性につながっていくのだ、と本書はいう。

 そのような認識の下、本書のいう「国際教養」とは、,気泙兇泙奮慳篳野にまたがる広汎な基礎知識英語教育をはじめとする外国語教育、E計的思考と霊感、と稟重思考、シ歃僉修ら成り、現実にこれらが国際教養大学のカリキュラムとなっている。

 とりわけイ侶歃僂魯罐法璽。著者自身が幼少時から触れていたスズキ・メソードを正式な授業科目とし、世界的なヴァイオリニストが自ら演奏しながら少人数クラスを教える授業もある。

 統計学による「量的論証」ではつかみきれない「本質」があり、それをつかむ知性、すなわちアートをもつための道筋を、著者は「芸術」に見出しているように見える。

 本書の終盤に、「アジア太平洋大学交流機構(UMAP)の国際事務局を1999年までに日本国内に作る」という課題に著者が東京外国語大学学長当時、直面したくだりがある。用地をめぐって国内各大学との交渉が難航する中、著者は国際的な利益、すなわち「公共」を念頭に置き、繰り返し話し合いを持った。そして最終的に東大教養学部に事務局を設置する。著者によれば、何が「公共の利益」かを見出すこともまた「教養」なのだ。

 「リーダー不在」が叫ばれて久しいわが国に教養あるリーダーを送り込む存在となるか。(了)

(「改革者」2012年3月号 所載)



***************************


「教養」は、たしかに、「意思決定の質」に、痛いほどかかわります。

震災の渦中には、「即断即決」こそがリーダーの資質であるかのように錯覚した政治家たちがいたようにみえました。

ところが、その意思決定を多面的に支える「教養」がそこには感じられず、結果として「蛮勇」を振るっていただけ、のように当時も今もみえています。

意思決定のスピードと質、このうち主に「質」を担保するのが「教養」でありますが、まわりまわって「スピード」にもかかわってきます。

「教養」、これは生半可な教育研修では得られません。若いころからの読書をはじめとする学びの集積です。


2000年代のわが国に突如として出現した、学生たちを山の中にカンヅメにして猛勉強を強いる大学。その教育の真価が問われるのは、卒業生たちが「リーダー年齢」に達するころでしょうか・・・



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 7日(水)、次回よのなかカフェのことで山口裕史さんと打ち合わせ。


 次回はひと月とんで5月13日(日)、「子ども」をテーマにすることになっています。

 
 「子どもたちが危ない!」という過激なタイトル。


 切り口として、

・「与夢(あとむ)くん」「光宙(ぴかちゅう)くん」といった、珍奇な「キラキラネーム」をつける親たち。それによる教育現場の混乱。

・先生方は気弱になっている。叱れない。(山口氏によると、少年野球の監督さんが「学校がやらないので自分たちが代わってやらないといけない。怒るべき時はびしっと怒る」と言っていたとか)

・犯罪の低年齢化(?要統計参照)

・学級崩壊、制服で座り込む子、教室で寝っころがる子(昨年、神戸新聞で記事になった)

・子どもを芸能人にしたがる親。昔からある代償行為として、というほかに、就職機会が狭まっている反映?

・学校教育・家庭教育の責任の押し付け合いになりがち。そうはしたくないな

・「けしからん」と論を立てるのをやめたい


・・・と、いったことでした。


そしてゲストやお客様を集めることになりました。


正田は、以前上の子たちがお世話になり著書『認めるミドルが会社を変える』にも登場していただいた、A先生(仮名)の勤務校にお電話してみたところ、異動してはりましたがなんとか異動先をききだし、お電話がつながりました。

A先生は教委勤務になられていましたが、イベントの趣旨をお話しすると大変気持ちよくきいてくださり、事前情報集めのインタビューに応じてくださることになりました。


以前ブログにも書かせていただきましたが、子どもたちをよく褒め、ときに怒鳴りつけ、細かく小テストをして学力を上げる達人のA先生は著書をお送りしたあと半年後にお葉書をくださり、

「大変参考になる本で貼った付箋が20枚を超えました。
もう1冊購入して職員室で回覧しています」

と、嬉しいご感想をくださいました。

現役の心ある先生にとっても違和感のないものだったんだ、と嬉しかったと同時に、
褒め言葉としても、なんと素直に喜べる、具体的で力強い承認の言葉ではありませんか。さすが達人。


そのA先生と久しぶりにお電話でお話しすると、このたびもよく憶えていてくださり、

「ああ、あの校長先生(=これも著書の登場人物)とは私もよくお話しましたよ。よく話を聴いてくださる方でしたねえ」
「そうですか、あいちゃんは2度目の鬱ですか。しかしご本人にとってはいい経験でしたねえ」

と、すぐに共通の話題がよみがえるのでした。



ちなみに今回のカフェは、岡本の喫茶店「珈琲 春秋」で行いました。これまではスタバ的な「カフェ」でやっていたんですが、どうも周囲が開放的すぎると集中力が今いちだ、片側に壁があるとか少し閉鎖感があるほうがいい、と正田が言いだし、場所をかえてみました。そんなふうに、話し合いのロケーションに最近ちょっとこだわっています。


・・・


 医療関係の方が当協会の事務所(自宅兼)に打ち合わせに来られ、


 子どもの受験をいいことにしばらくお客様をお迎えすることをさぼっていたわが家兼事務所の片づけは大仕事でした、というか行き届かないことおびただしいものでした。ああ恥ずかしい。


 さすが研究の世界の方々、うちのリビングの一角(テレビの周辺)にある「本の摩天楼」に目をやっても驚くでもなく・・・、


 面白かったのは、
「このところ企業の方にご説明していることですが」
とPC画面上で「日本の企業をつながり力で変える!」のパワーポイントをお見せしながらご説明すると、

「日本人の特性、不安感」と「日本人の労働生産性」の関連のところで、

「医療でも最近同じようなことが言われています」
とおっしゃったこと。

 つまり、アメリカ式にすべての選択肢を提示し患者さん自身に選択してもらうやり方が、実際にやってみると日本人にはどうも根づかず、ある程度医師や専門家に答えを出してもらいたいのだそう。

 わるくいえば「依存的」なのだろうし、アメリカ人ほど「自己選択する」ということにモチベートされない、むしろ不安感のほうが出てしまう民族性なのだともいえます。

 
 だから、「単位制高校」っていうのも、本当はどうなのかな、と思うんですけどね。アホ息子の行っている高校ではすごい労力をかけて時間をかけて「説明」し、実際にはある程度「コース」を作ってあげて「文系で国公立ならこれ、理系で私学ならこれ」と、選択をシンプルにしてくれています。完全オーダーメード、というのが好きな人は好きなんでしょうけれど恐らく日本人では個体差の問題、というか少数派だということです。アメリカでは、先年も『選択の科学』っていう本が出て「選択することでドーパミンが出る、やる気になる」と盛んに喧伝してましたが。もちろん日本で少数派だとはいえ、「完全オーダーメード」をしたい人の権利は守られる必要があるでしょう。


 …それは余談で、
 もうひとつ有難かったのは、医療関係の方だからなのか来られた先生(と職員さん)のご性格によるのか、
 お話ししたことが「理」にかなっていると思えば「同意」してくださること。

 変なプライドで、「ああ言えばこう言う」というのがありませんでした。

 やっぱり好きだな理系世界。


・・・

 
 突然また電話が鳴ったと思ったら秋田の国際教養大学(AIU)学長・理事長の中嶋嶺雄先生でした。最近、先輩の紹介でさるところに中嶋先生の著書『日本人の教養』の書評を書かせていただいたので、そのお礼のお電話でした。

 競争率20倍にもなる、今年のAIUの受験者は併願先が東大・京大だったそうです。わずか開学8年にして。
 IT以外の分野で、日本でこれほど華々しい「ベンチャー」の事例があるでしょうか。


 AIUが先陣を切って行ってきた「秋入学」も、東大ほかが後追いするようになり、「入学式といえば桜」という日本人の常識をAIUが変えてしまうことになったのでした。


 北川正恭・元三重県知事のほか、村井嘉浩・現宮城県知事のお子さんも今、AIUの学生だそうです。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 NPO法人企業内コーチ育成協会の第11回例会・正田講演「今、なぜ『承認大賞』なのか」シリーズ2回目です。

 後半は、「正田のルーツ」「教育の特徴」「1位マネージャーになるのはどんな人たちか」そして「今、なぜ『承認大賞』なのか」というお話です。


CIMG2195-2



CIMG2268-2



 正田のルーツ。

 父は経済学者で長野県人、議論好き。(正田もいつも頭の中で議論している感じ)ただし父は他者否定が強い人で人格は好きではなかった。英語教師の母、判事の兄。

 大学時代、中国へ留学。「言わないと不利益になる」を体感。中国式男女平等の世界。

 中国から戻ってきて2年間中嶋嶺雄ゼミ。特によい学生ではなかったが、勉強は大量にした。中国学者の中嶋氏は60年代の香港駐在中、文革の内幕情報を知り日本の知識人として初めて文革を否定した人。常識を疑うことを教わる。歴史的検証に耐えるかどうかの吟味をする癖がついたと思う。中嶋式「ほめる教育」。私に限らずよく学生をほめた。

 社会人のスタートは通信社記者。日本の組織の中の独特の女性観(性差別)でストレス。女性だから、紅一点だからと特殊なキャラを求められることが多い。
チベット暴動、臓器移植の取材などで学んだこと。
弱者視点:強者が権力を盾に弱者を侵害する、痛めつけることには耐えられない。
行動する当事者への敬意:記者は取材することや文章を書くこと、評論家になることはできる。でも行動する勇気、当事者として痛みを引き受けることのほうがはるかにリスペクトされるべきもの。
事実認識のトレーニング:常識と違っていても自分の目で見、耳で聞いたことを信じられるか。責任をもって発信できるか。


 結婚して母親経験。人が育つメカニズムと個別性を面白がる。周囲のお母さんからは孤立(群れるお母さん方は、子どもの主体性を奪い草食化させると思っている)

 医薬翻訳者:理系的論証の世界は楽しかった。ロジカルな英語は美しい
(でも人に直接接触しないので不満)

 コーチ:デンマーク式教育への興味からコーチングの道へ。
最初は人の役に立つので純粋に楽しかった
一時期エグゼクティブコーチングで「正田マジック」と異名。
しかしすぐにPコーチングの限界を感じる。
そのうち、「マネージャーこそが組織、社会の要でありマネージャー育成がもっとも重要」と考えるように。ただしこれは「1位マネージャー」が輩出したことにより、「マネージャーへの教育(学習)によってこれだけのよい変化が起こるんだ」と目を開かされたことによる後づけの理屈。そのうちミンツバーグに出会い、得心する。

 自己評価は低い、非営利で一貫性をもって「基本で正しい」ことをやり続ければいつかはそれなりに評価されると思っている
 市場原理で教育商品を売ることには懐疑的。


 なぜ、「正田マジック」になったのか?

 事実重視の傾聴・観察:恐らく、ジャーナリスト経験と関連
 話を聴くとき、中途半端にわかったつもりにならない
(実は、マネジメントの中の「傾聴」でもまったく同じことがいえる)
 自分が観たものに誠実に 定説を疑う

 プラス「承認」: 「個別化」という資質
 表現はシンプル

 受講生さんの成果につながる正田自身のあり方を追求すると、
誠実、素朴、飾らない、上からものを言わない、謙虚 (モデリングだから)。
 研修講師はモデリングの頂点にいる。私が威張る人であれば受講生さんも威張る人になる。それは成果を挙げられないマネージャーになるということ。
 研修担当者からみれば危なっかしくみえると思う。いかにも偉い肩書や押しの強さがあって、受講生さんを「かーん」と説得してくれる講師のほうが頼りがいがある。ところが、偉い人だから言うことをきくというのはそもそもよいマネージャー、よいコーチとはいえない。偉い人だからではなく、相手の言うことに理があるからきく、というのでなければならない。



 「押しの弱い外見」「主婦」「母親」「バリキャリ女性でない」
 しかし男性経営者・マネージャー対象に「高い業績向上効果」
 イメージギャップに苦しみ続けてきた。従来の女性研修講師像ともギャップ。



 当協会のマネージャー教育の特徴。


Pコーチングを(あまり)使わない、正田流マネージャー育成法とは
■講座、勉強会等でコーチングの手法および周辺の話題について情報提供し、学習してもらう。継続的な刺激、複数のモデリング
■「承認」を核としたコーチング
■淡々とした話し方、「間」をとるスタイル
 私なりのフェアプレイの精神、情報の伝え手と受け手の間に優劣はない
 十分に反論、違和感、質問、関連した体験を表出できた受講生はもっともよく学べる
■Pコーチングでなく、雑談
■事実重視の「傾聴」
■相互学習、相互刺激
■正田自身の行動 常に言葉を発し続ける、イベントを企画する、いずれもぶれない軸をもつ◎教育効果として重要と認識
※もちろん中にはPコーチングで成果を挙げた人も
 

「半年先」をめどに考える

その時のセミナーが上手くいった、みんなが喜んだ、アンケートが好評だった

⇒それでいいのか?
  末永く挫折せずに使って成果を挙げてもらえるか?

⇒ミドルマネージャーに「コーチ」となってもらうように教える、型で教える(やや厳しいトレーニング)など、独特のやり方が決まってくる



 当協会で成功する受講生さんの特徴。
「1位マネージャー」はそもそもどんな人たちか?


CIMG0633



CIMG1773



■独自のぶれない哲学をもつ(実は本来のその会社の理念そのもの) 

■人間性尊重、成長を喜ぶなど、コーチングと共通する信念をもつ

■目先の利益のため部下を犠牲にする上層部に対しては反発心

■適切な学習心と選別する賢さ

■適度な競争心、自我、やり続ける粘り強さ

■よき家庭人(育てるマインドや人としてのコモンセンスを磨く場)


※ただし、「承認」も「コーチング」もアプリケーション。アンインストールすると元に戻る



理想とする未来は:

当協会の受講生が周囲の尊敬をかちえている。その数が増え、社会の気風が良くなっている。日本人全体の人格レベルが上がり、成長を歓迎し出る杭を打たない、決断スピードが速い気風が出来上がっている
応用コースを開講し、資格保有者が増えている。次第に、「管理職は免許制」として、当協会の資格を重視する企業が増えている




…そして、今なぜ「承認大賞」なのか?

「被災地支援」もだいじだけれど…
震災で露呈した日本の組織、リーダーシップの弱さ
(決断スピード、報・連・相、情報の遮断・隠蔽、官僚主義・前例主義、組織同士の壁…)

答えは1つではないが、「承認」はこれらすべてに効く

自己責任ある(ただし弱者切り捨てではない)、公正な実力主義、人の心の余計な壁のない(隔てない)、良い方向への変化を恐れない 私たち自身の状態を目指して

あきらめの「否定文化」から主体的に考え行動する「肯定文化」へ もし移行するなら「承認」は唯一の道筋。学者さんは「文化を変えなければならない」というが 具体的にはどうするのか?
音楽やアートを発表したり鑑賞することが文化なのか?
私たち自身の日常生活の行動様式を変えるということが「文化を変える」ということではないか?


皆様、ぜひお早めにご応募を。
早いタイミングのご応募のほうが、「あなたのエピソードがみる人を力づけます」になるよ。


 ご応募先: http://shounintaishou.jp

神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
<a href="http://c-c-a.jp">http://c-c-a.jp


 

 秋田県の公立大学、2004年開学の新設大学にして今や東大、京大とならぶ高偏差値校、そして就職率全国ナンバーワンを誇る国際教養大学(英語名Akita International University, AIU)を、26日見学してまいりました。


 秋田空港からタクシーで約10分。近くには県立公園があるのみの森に囲まれたキャンパスに入ると…、


講義はすべて英語という大学なので、日常会話まで英語ばかりの英語ワールドかと恐れをなしていた私でしたが、管理棟の中で飛び交う言葉は、ほとんど日本語だった。ちょっとホッ。


 しかし、ふっと耳に入る学生たちの日本語が、なんだか普通のキャンパスのそれと違う。
どう違うかというとそう、発声がいい。


 「発声法は知性のバロメーター」と昔、言っていたのは誰だったか・・・。つまり、自分の発した言葉が相手にちゃんと伝わるか、頭のいい人なら気を遣う。腹式呼吸のまっすぐな発声をした方が相手に伝わりやすいと、自然とわかっているのだという。

 
 それは買い被りだったのか、しばらく聞きなれてくると世間一般の大学生のしゃべりかたと大差ないように思えてくるのだけれど。


 大学紹介DVD視聴のあと、秘書チームの佐々木さんがキャンパスを案内してくださる。事前に電話やメールでやりとりした鈴木さんもそうでしたが、ここの事務職員さん方は優秀です。留学して帰ってきたあと就職したり、大学からの留学制度もあるそうで、普通の大学職員をイメージしてはいけません。


 AIUは、入学定員150名(23年度は170名)の小さな小さな大学。学生部などの入っている管理棟(教員棟も兼ねる)と3つの講義棟、カフェテリア―学生寮、図書館、そして学生会館の7つの建物を見学する。


CIMG1853


 学生寮(「こまち寮」)の部屋。1年生の間は寮住まいをする。2人1部屋で、隣の部屋と4人でバス、トイレを共有する。留学生との共同生活を義務づける中で、異文化との出会いとともに葛藤、交渉、問題解決なども体験する。

(ちなみに一番よくある葛藤とは、相方が服をなかなか洗濯しないので臭う。「そろそろ洗ったら」などと思い切って言ってみることだとか。毎日がアサーショントレーニングなのだ)

 この建物に隣接してカフェテリア(食堂)があり、3食出してもらって食費は年間20万円。


 CIMG1855


 キャリア開発室に張り出された内定状況。今年の「おめでとう!」のピークは5月、6月になるそう。志望先に「メーカー」が多く、実際の就職先も半数近い48%が製造業に行っている。


 その理由は、海外留学(全員1年間の留学を義務づけられる)を経験した彼らは、日本のものづくりの素晴らしさに目覚め、発信したいと思うから。
 うん、大変うなずける理由。


 留学先の提携校は、現在全世界120大学にもなる。AIUに支払っている年間の学費53万5800円をそのまま払うだけで、留学先の学費はまかなえる不思議なシステム。これはスタッフがその都度出かけて行って交渉して提携を実現するもので、以前教育評論家の藤原和博氏が「どうやっているのか解らない」と言っていたが、地道に交渉してまわっているようである。


 CIMG1856


CIMG1857



 杉材をふんだんに使った廊下の壁。

CIMG1866 


教室名を書いたサインの板は赤く、廊下といえど温かみのある色彩の空間。


 哲学の授業


 入学当初の英語集中トレーニング(EAP)を修了した学生たちは、オール英語の一般教養授業に入ります。写真は哲学の講義。"Love"という単語がきこえてきました。


 図書館1


  そして、あまりにも有名になった、秋田杉とガラスをふんだんに使った図書館。2008年竣工。


図書館2


 名付けて”コロシアム風図書館”の威容はみるものを圧倒します。まるで映画の一シーンのよう。そしてまだ新しい杉の匂いが…。


 これが365日、24時間開館です。これがどんなに凄いことか。少なくとも国内には、「365日、24時間」は例がありません。(「どこか海外でモデルにしたところはあるのですか」とききましたが、特にないそう。世界で一つかも)しかし、学生たちにはこれは非常に評価が高いそうで、午前0時に館内で勉強している学生を数えると、50人はコンスタントにいるという。学生たちは、オール英語の大量の宿題に、夜遅くまで、場合によっては徹夜でこの図書館で頑張っているのです。同じように頑張っている仲間の姿を図書館でみられるのもモチベーションになるとか。図書館長は元日経新聞記者で現教授の勝又美智雄さん。
 

CIMG1860



 コロシアム風の書架の裏側に設けられた勉強スペース。適度に人目を遮り、集中しやすい。


CIMG1869



 外の自然をみながら勉強する席。ここも学生たちに人気があるそう。


 「勉強する」という行為が、殊のほか美しくみえた。


 人生の20歳前後の数年間、(留年も多いようだが)これだけ集中して大量に勉強をする。

 そのための環境を、人里離れた場所に作ってあげる。


「大学の学部では、外国語も含めた教養教育をしっかり修め、知的土台を築く。大学院ではそれをベースにさらに高い専門性を身につける。それこそ、あるべき高等教育の姿であり、そうやって、日本は世界標準のエリートを育成していくべきです。」

(『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』中嶋嶺雄著、祥伝社黄金文庫、2010年)




 
 この日は、この大学の創設者で現理事長・学長の中島嶺雄教授の英語の講義をきく機会に恵まれました。


CIMG1872
講義する中嶋氏



 "Introduction to Global Studies"と題する講義で、いわば学期の始めのガイダンスのようなもの。これ以降は他の教授陣が講義を担当するそうで、得難い機会。


 "Disciplineとは何か"
"Liberal Arts(教養)とは何か”
 "Culture(文化)とCivilization(文明)の違いとは"

 
 四半世紀前と同じことを言われている。この人は変わらない。


「教養は、たんに知識の量ではなく、人格形成とも深く関わっています。教養と格闘するからこそ個性的な自己発見があり、それが高い専門性の獲得、ひいては世界で通用するエリートの育成へとつながるのです」(同上)


 
 リベラル・アーツの重要性は、今経営学でも野中郁次郎氏などが言われている。意思決定能力、スピードの差にどうもそれがあるのではないか。私はまた「ミドルにとっての『教養』とは」という方に頭がいく。


 
 CIMG1877-2



 そのあと中嶋教授の案内でキャンパスの隣の林を散策。小川には、自生のミズバショウが咲いていた。
 75歳の中嶋教授は、以前にも増して精悍な表情。



 中嶋教授のされていることと今私がやっていることはつながるのだろうか。どこかでつながると信じたい。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp 
 


 このところ私の本棚に増えているカテゴリ「国際教養大学」。


 秋田県に設立6年にして就職率100%、ナンバーワン大学としてこのところ脚光を浴びているこの大学の理事長・学長、中嶋嶺雄氏の本であります。



『「全球(グローバル)」教育論』(西村書店、2010年3月)

『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』(祥伝社黄金文庫、2010年12月)

『世界に通用する子供の育て方』(フォレスト出版、2011年1月)



 

 詳しくない方のために解説させていただくと、国際教養大学は6年前、秋田空港近くの別の大学の跡地をキャンパスとして誕生した新設の公立大学です。

 周囲に遊ぶところ何もない自然豊かな環境、無垢材作りの24時間オープンの図書館など、勉強に集中できる環境に学生たちを入学後1年間は全寮制で住まわせ、キャンパス内は講義も生活も英語だけ。在学中に海外の有名大学に1年間留学させることも義務づけられています。そして実務教育に偏らない、教養学科に力を入れたカリキュラム。



 そうした徹底した「英語教育」「グローバル教育」そして「教養教育」が効を奏し、現在就職率は全国ナンバーワン。全国の有名企業が秋田のキャンパスでわざわざ説明会を行い、この大学の卒業生は学力だけでなく人格的にもしっかりしている、と折り紙つき。



 既に、センター試験の点数の同大学の合格ラインは97%で、京大を超えたとのことです。


 と、きわめて高い成功を収めている大学の教育方針ですが、これは創設者にして理事長・学長の中嶋嶺雄氏(元東京外国語大学学長、国際関係論・中国政治学)の強い信念とリーダーシップの賜物。


 このブログにも過去に何度か触れていますが、わたくし正田は実は外語大学長になる前の中嶋氏のゼミ生(1986~88年に学部生で在籍)だったのです。中嶋氏の教育理念はその当時も今もまったく変わっていません。


「英語教育は大事だ」
「教養は大事だ」
「海外へ行け。現地現物をみよ」
「地域研究は大事だ」
「学際的であれ。マルチディシプリンであれ」
・・・


(ただし、「英語学習」に関しては私は劣等生だったのですが。中国留学歴があるので中国語は当時はよくでき、時々通訳にかりだされていました)


 そして、中嶋氏が東京外大退官後、「秋田へ行く」という決断の前に揺れていた時期の2002年春でしたか、先生の東京都板橋区の自宅に遊びに行って相談を受けたことも思い出の一つです。決して決断に直接かかわったというような会話ではなく、ただ先生が「秋田」ともう一か所、「島根」だったか、2箇所の行政府から新設大学の経営にと招請を受けていて、招請を報じた地元紙の記事を見せながら「どちらがいいかなあ、佐与さん」と尋ねてくれた、というぐらいです。


 
 既存の大学が大胆な改革をできない中、中嶋氏自身も東京外大学長として「教授会」の意思決定の遅さなどに手を焼いた結果、新設大学において「教授会」がほとんど決定権をもたない独特の意思決定メカニズムを作り、学長のリーダーシップを反映させやすくした。その結果が、現代の日本において奇跡のような、地方大学の教育の成功です。



 正田はつらつら考えます。教育機関においての「建学の理念」、そして「建学の祖」という存在。例えば早稲田の大隈重信、慶応の福沢諭吉、同志社の新島襄といった。


 なぜ、「建学の祖」が、動かせない存在なのか。

 それは結局、それぞれの混迷する時代背景の中で、ある教育理念やメソッドを提唱した人がいて、それが成功を収めるには相当に強烈な、ある意味クレージーな信念、情熱と継続期間が要り、またそれに高いレベルでコミットした、いわば言葉は悪いが「狂信性を共有」した人々の集団があって、新しい教育ははじめて成り立つし、あとに残るものになる。


 そのとき、あるひとつの「10点レベルの正しさの信念A」を貫くときには、それと似て非なるすべてのもの、7か8程度の正しさをもった他の選択肢を捨てる覚悟が要り、それらを捨てて初めて「信念A」はパワーをもつ。信念Aを実効性とパワーのあるものにするために、周囲の人々も、その「捨てる」作業を受け入れなければならない。


 往々にして、「Aをやる!」と一つの路線を打ち出したときに、「いや正しいのはほんとにそれだけか。BもCもいいじゃん」と、ほかの選択肢に目移りしたくなるのが人間のさがであります。情報量の多い現代ならば一層。しかし反発したり目移りしたくなるのをこらえて、打ち出した1つの路線でまとまってやり続けなければならない。


 教育はとくに、成果を出すまでに「時間」の要る作業であります。その「時間」のあいだ、反発や不満をこらえなければならない。(というか、そもそも反発や不満をおぼえるぐらいならともに行動しない方がいいのでしょう。)


 おそらくそれがどの世紀にも繰り返されてきた人の世の理で、IT化の時代だからといってそのプロセスが加速されらくになるわけではないのであります。

 むしろIT化のために、青少年のナルシズムという厄介な問題が拡大され、教育のむずかしさは倍加しているし、情報量が多いために目移りもしやすく人がばらけやすく、それをこらえるにはかつてなく意志の力が要ります。



 中嶋氏の古くて新しい教育論の正しさとともに、ひとつの教育を成功させた強靭な人格の力もまた、賞賛されるべきでありましょう。中嶋氏のもとにまとまった人々の群像も、また。



 もうひとつ、このところ私の中でぐるぐる回る問いは、

「『企業内コーチング』や『承認』を標榜してやってきたけれど、目指すところは、というか根底の問いは、中嶋氏と同じところにあるのではないか。すなわち、

『日本人は、世界に生き残れる民族たりえるか』


―私流に言えば、強く、賢く、優しい民族として生き残っていけるか


ということであります。




 昨年来の中嶋先生との約束をやっと果たせることになり、4月18−19日と、国際教養大学を訪問見学させていただくことになりました。


 
 詳細は、またこのブログでご紹介させていただきます。



 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 


 待受け画面に「0188」で始まる見慣れない番号から着信。


 電話をとったら、厚みのある低い声で

「正田さんですか」


 秋田・国際教養大学にいる恩師、中嶋嶺雄先生からでした。

(中嶋先生について詳しくは、数日前のブログ「恩師への送り状」をご参照ください)

http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51568279.html

「立派な本ができましたね」


「いえ拙いものでお恥ずかしいです…でも私の基盤を作ってくださったのは中嶋先生だと思っています」


 ちょっと涙目になりかける正田。



「お蔭様で、ここ2年は卒業生が順調に就職してマスコミにも取り上げてもらってね。競争倍率もすごく高くなったけれど、偏差値大学になってもいけないしね。暖かくなったらぜひ、秋田に遊びにいらっしゃい」


「はい、そうさせていただきます」





 いつの間にか、ネット上にどなたかが書評を上げてくださっている。

 
 有難いなぁ。

 
 
神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 


 ひきつづき過去にお世話になった人に書籍を送っています。


 大学のゼミの恩師で、東京外国語大学の学長を務めたあと今は秋田にある国際教養大学の学長を務めておられる中嶋嶺雄先生。


 新設大学の国際教養大学は、これまで2期卒業生を出し、就職率100%。


 各種雑誌で「不況に強い大学ランキング1位」に選ばれています。


 全寮制、徹底した少人数での英語トレーニング。


 そういう教育を構想し、全国で講演をしてまわって学生集めをし、そしてここ2年は、アウトプットを出し続けている中嶋先生なのです。


 「持続する意志」。最近私をそう評してくださった方がいましたが、いわばそのお手本が中嶋先生。



 送り状に(最近はちょっと賢くなって、本を送るとき送り状を添えるようになったのです)


「就職ランキング1位おめでとうございます。


 先生の長年にわたるご努力のたまものですね。


 さて、ささやかながら初の著作を上梓いたしました。拙いものではありますが、専門家からは高い評価をいただいております。


 思い返せば、この世界でおおむね道を誤らずやってこれたと思われるのも、先生のもとでイデオロギーの愚かさを学び、事実と対峙する姿勢を学んだからではないかと思います。


 先生の益々のご健勝とご活躍をお祈りいたします」



 中嶋嶺雄氏は国際関係論、なかでも中国学の大家です。

 日本のメディアや論壇が文革礼賛一色だったときにいちはやく文革批判に回り、のちもっとも信頼される中国学者となっていきます。



 

 …あ、そういえば「社会構成主義」の中にイデオロギー批判の批判みたいなくだりもあったんですけど。

 その後また少し丁寧によみましたが、タオイズムへの傾倒など、私的には小学校高学年〜中学校時代にやっていたことなので、


「物事にコミットしない年齢とか性格の人はこういうのにかぶれるよね」


という感想でした。すみません。いやな女です。


荘子はすきでした。「胡蝶の夢」はそらんじてました。


「あることを断言したら、それ以外のものは排除される」みたいな考え方は今でも文章を書いたり人前でしゃべるときには意識します。ただ、だからといって言葉を発しないのが正しい、とは思いません。ただ気をつけて言葉を発しようとは思います。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp 

このページのトップヘ