正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

カテゴリ:学びに感謝 > 姫路師友会・切琢書院(儒教・東洋思想史)


 14日、姫路の田中昭夫先生の「切琢書院」で孔子伝の勉強会。


 中国で作られた「孔子伝」DVDの視聴、『孔子の一生』(三戸岡道夫)などを読み解きながら。


 春秋戦国時代のもともとの国「周」は、諸侯の上にふわりと載っている少し大きな国というイメージで、もともとあまり統率力はなかった。その建国のころの君主で武王と成王を補佐した周公旦という人を、孔子は生涯敬愛した。孔子の600年ほど前の人、

「周公旦はすぐれた哲学者であり、すぐれた軍人、政治家であったが、よく兄の武王を援け、武王が死んだ後は若い成王を補佐して、周王朝の基礎を固めた。殷の神政を脱却して、礼を社会の基調としたのは、この周公旦によってなされたとされている」(『孔子の一生』)


 礼。
 このところ「遺伝子陰謀説」(笑)のようなものを唱えている正田はまた考える。

 日本人をはじめアジア人には「共感ホルモン」「信頼ホルモン」とよばれるオキシトシンの分泌が少ない遺伝子タイプをもっている人が多いといわれる。

 一番オキシトシンの分泌が少ないタイプをもつ人は、自閉症リスクが高いとも。

 こうした人々がつくる社会というのは、放っておくと人と人が共感しあわない、信頼しあわない、ギスギスした社会になるはずである。容易に争いも起こるだろう。

 またこうした人々の初期設定の感情は「見下し」だろう、と思う。基本、自分の個体を超えて他人をたいせつに思ったりはしない。どちらかというと自分の個体を守るためには相手を「下」にみたほうが楽だ、と考える(それが合理的かどうかはさておき)。


「礼」を最初に唱えた人というのは、この「初期設定:見下し」の人たちが上手くかみ合って暮らすためには、教育によってリスペクトの感情を教えなければならない、と考えたのではないだろうか。


 そこで、「承認」と「仁」との関係にもつながる。

 「仁」は"Compassion"(思いやり)と訳される。

 ただ、「思いやり」だけでは、見下しと同居しているかもしれない。相手を自分より弱い存在とみなすことに立脚して思いやっているかもしれないのである。

 だから、「思いやり」に「敬(リスペクト)」をプラスしてやる必要がある。それで初めて「対等」になれる。

「敬」は決して相手の方が自分より「上」だということだけを意味するわけではなく、相手は自分と同じように尊厳をもった存在だ、と考えることにもつかえるのである。

 「初期設定:見下し」なのだから、「敬」を意識的にもって初めて人と人とは対等になれる。


 これも安岡正篤先生のどこかの文章の受け売りだが、昔の日本人は「敬」を表す言葉を今よりもっと頻繁につかっていたのだという。語尾につける「さぶらふ」とか。


 それを行うことで初めて対等な良好な人間関係を保てる、と昔の日本人は知っていたのではなかろうか。


 しょもないことを考えてしまった。すきま時間に。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 
 

 当協会も依拠している関学元学長・理事長で現名誉教授の武田建(たけだ・けん)氏の1980年代の著作、『コーチング―人を育てる心理学』が増刷されていました。2048円。


 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E2%80%95%E4%BA%BA%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E6%AD%A6%E7%94%B0-%E5%BB%BA/dp/4414403189/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1363140336&sr=8-1



 体罰や長時間練習によらないスポーツ指導法が強く勧められる中、すべての指導者に手にとってほしい本です。


 武田建氏は、今更ご紹介するまでもないと思いますがかつての関学アメフト部の常勝監督で、かつ心理学それも行動理論の大家。関学アメフト部、また附属高校のアメフト部は武田監督のもとでそれぞれ「7連覇」「5連覇」の偉業をなしとげました。


 1980〜90年代には「武田建のコーチング」としてビジネスパーソン向けに多くの本が出版されましたが、その中でも集大成的なものがこれ。


 その後も2007年には『武田建のコーチングの心理学』という新たに集大成的な本が出ていますが、私個人は武田氏が現役監督として渦中にあった時代の上記の本のほうが好みです。


 「武田コーチング」は、とにかくわかりやすい。実践しやすい。ご許可をいただいて二次使用させていただいている私のビジネスパーソンの受講生さんのもとでも高い成果を挙げています。

 関学アメフトでは100数十人の選手に10数人のコーチ陣がいた、そのコーチたちが皆同じように足並みをそろえてコーチングができる必要があった。なのでいくつかのシンプルな原則、そしてカタカナや専門用語を極力排した平易な言葉から成っています。

 「コーチは選手にわかる言葉を使わなければならない」というのも武田コーチングを特徴づけている言葉のひとつです。


 体罰指導にかわるものとして「コーチング」が改めて巷で提唱されるようになりました。海外のスポーツ指導者のコーチング本を手にとられた方もいらっしゃるでしょうが、「潜在意識」などという怪しげな言葉を使うより、私は武田コーチングを推奨したく思います。


****


 12日は、姫路師友会会長・田中昭夫先生のご自宅こと「切琢書院」にて、「孔子伝勉強会」に参加しました。

切琢書院






 「孔子伝勉強会」は、現代中国でつくられた孔子の一生を描いたDVDをみながら当時の風俗や孔子を取り巻く環境を学びます。12日は第4話と第5話で、孔子が弓矢や礼の師と出会うくだりや、結婚、生まれた子に鯉と名づけたくだりなどを描いていました。


 
  現役経営者でもある田中先生は安岡正篤師の直弟子で、切琢書院には安岡師の揮毫された大きな額があります。ここで毎月経営のかたわら沢山の勉強会を主宰されています。


「この額が私にいつもモチベーションを与えてくれます」

 と、田中先生は安岡師の直筆額を見上げながらいわれます。

 ご自宅には膨大な書籍とともに座禅の合図をする鐘や孔子像、また論語の当時と同様の木簡に刻したもの(写真)などがありました。


****


 ある席で「介護職の人のクレーム対応について話をした」ことを話すと、とたんにアレルギー反応のような声が上がりました。


「いや〜、だって認知症の人の妄想みたいなクレームが多いんでしょ?!」

 その場には介護職の人もおられ、

「介護職に対する過剰な『甘え』があります。介護の限界でそこまでできない、と説明してもわかってくれないんです」


 さて。

 このブログでよく出てきた「ヒューリスティック」というもの。「〇×が増えている」ということは、決して「〇×が圧倒的多数だ」ということとイコールではありません。こういうのを何ヒューリスティックというんでしたっけ。・・・まあ、簡単にいうと「錯覚」なんですけど。


 現実には、やはり正当な理由のあるクレームに対して適正に対応できないということは、その施設、事務所にとって大きなリスクです。そしてそちらの方が多数です。


 セミナーでは、そちらの方に立脚して現役の介護職の人にとっては理想論と思われても仕方のないことをお話しし、実習してもらい、3時間の最終的には非常に満足して帰っていただいたわけですが、そうした「一見理想論だけど受け取ってもらえる」教育を大人相手にすることは非常に疲れることなのです。それは途中の実習のデザインの仕方、時間の使い方、あるいは説明の際に全身全霊でのリスペクトと愛をこめてお話しすること、それらが組み合わさって可能になるのですが、そんな自慢たらしいことをその場をみていない人に話しても仕方がないのであまり反論もせずに黙りましたが。


 わたしがセミナーのあと何故疲れて倒れているのか、ときどきだれかに理解してほしくなります。理解されないとますます疲れます。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp



 

 24日、姫路師友会例会で福崎民話かたりべ研究会代表・鎌谷泉先生の講義「黒田官兵衛」をききました。


 来年の大河ドラマにもなる黒田官兵衛。去年清盛をやったばかりで兵庫が続きますが、黒田官兵衛のほうが姫路の人々の心をつかんで離さないヒーローのようです。


 以下は、鎌谷先生のご講義の受け売りで・・・。


 黒田官兵衛の隠居号「如水」とは「心は水の如く清し」の意だともいいますが一説にはモーゼの後継ジョシュアをもじったものだともいいます。
 また洗礼名の「シメオン」はイエスキリストの最初の弟子となった聖ペテロの本名で、「聴く」とか「耳を傾ける」という意味を持つ言葉だそうです。なんだかコーチングとも関連ぶかいです。

(正田心の声:官兵衛役をやるのは先日「天地明察」で魅力的な安井算哲を演じてくれた岡田准一であります。嬉しいな〜)


 主君思いだった官兵衛ですが小寺氏、豊臣秀吉そして関ヶ原後は徳川家康と、3人の君主に仕えました。秀吉の毛利攻めの中で三木城や鳥取城に対する兵糧攻め、また備中高松城に対する水攻めなどは軍師・官兵衛の真骨頂だったといいます。

(正田心の声:以前年末か正月の長時間ドラマで「竹中半兵衛」を主人公にしたものがあり、官兵衛が三木城攻めの最中に荒木村重にとらえられて信長に変心を疑われ人質の息子を殺されそうになったとき、盟友半兵衛が息子をかくまって「殺した」とうその報告をしたくだりをやったとき当時高校生の娘の1人が感動して落涙していました。めったにドラマ類で泣かないたちの娘でしたが。何が琴線に触れたんだろうか)


 しかし信長が本能寺の変に遭いその知らせが備中高松城攻め中の秀吉に届いたとき、「ようやく運が開けてきましたな。大逆人光秀をお討ちなされば、天下が回ってきましょうぞ」と官兵衛がささやき、それが「中国大返し」につながった。秀吉の天下取りにつながったこの一言が一方では、秀吉の官兵衛に対する猜疑心にもつながりました。

 官兵衛はその猜疑心を感じ取ると、早々に隠居してしまうのでした。土牢入りがたたったか59歳の若さで亡くなりました。

 見事な引き際の一端を表すエピソード。

 「晩年は病床に伏せりがちになった官兵衛。苛立つことも多くなり、つまらぬ事で怒りだす始末。困惑する家臣たちを慮って(長子)長政が意見すると、声をひそめ、こういったという。

 『わしが死んだ時、家臣たちがほっとすれば自然にお前に従うようになるだろう。死後、家中がわしを懐かしみ、お前に不満を抱かぬようわざと怒っているのだ』

 最後の最後まで徹底した配慮の人だった」(鎌谷先生レジュメより)

 このあたりで出席された経営者さん方の間では、

「あんたの会長としての振る舞いに参考になるヨ」

 ・・・どうか、悪役を演じるのは演技だけにしてくださいね。


 そして軍師にとどまらず総合力としての官兵衛像は:

「・軍師としての力量にとどまらず、大将として全体のトップに立てる力量を備えていた。
・「切れ者」目前に次々と展開される難題を一瞬にして解いてしまう。
・鋭い先見性を持った政治家に近い人。
・外交手腕といい、実践立案と指揮能力の高さといい、官兵衛の能力は秀吉をうならせた。
・孫子の兵法を熟知して策略で戦いに臨んだ。」(同)


ということで、優れた軍師だったので策略家のイメージがありますがどうももっと一回り大きな人物だったようです。それだけの力量のある人だったからこそ、疎まれたりもしたのでしょう。

 官兵衛は天下を獲りたいと思っていたのか、どうか。私利私欲のない人であったらしいことは窺えますが、一方でその徳をもって天下を治めてくれたなら、とも夢想せずにはいられません。本人もその自覚がひょっとしたらあったかもしれません。


 以下は、ちょうど何かの参考になりそうなくだりなのでまたレジュメを丸写しさせていただきます:


 
その行動に配慮を欠かさなかった官兵衛が、家臣に離反されることはなかった。家臣団の育成、組織化、統率に心を砕いた理念。つまり大将たる心得を、長政にこう伝えている。

「大将たる者は、威厳がなくては万人を制することはできない。とはいえ、心違いをして無理に威厳のあるよう振る舞うのも、かえって大きな害がある」

 また、

「高慢で人を蔑ろにすると、臣下万民は主君を疎むので、必ず家を失い、滅んでしまう。よく心得るべきである。真の威厳とは、まず己自身の行儀を正しくし、理非や賞罰を明確にすれば、強いて人を叱り、あるいは喝することをせずとも、臣下万民は敬い畏れて、上を侮り、法を軽んじる者はいなくなって、自ずと威厳は備わるものなのだ。」 

 官兵衛が求めた”威厳”とは、人を圧するような威圧感でもなければ、自分を大きく見せようとする虚栄心でも決してない。それは、常々自らを律し、道理から外れず、人の尊厳を守っていれば備わるものだった。



 内容のご紹介ははしょり気味で以上ですが、さすがは語り部である鎌谷先生、化粧っ気のないお顔で黒装束、

「ほんとはしわくちゃの婆が語ったほうが味があるんですよ」

と笑わせながら(ご本人は私と同年代ではないかと思う)、場の情景が浮かぶようによどみない語りでイキイキと語ってくださるのでした。

 
 これから「官兵衛」で出番も多くなられることでしょう。姫路近辺の方、ききものですヨ。


****


 昨26日は映画「東京家族」を観にいきました。

 こういう筋だったのか。小津安二郎監督の「東京物語」も観ていないわたしでありました。

 中にはそういう方もいらっしゃると思うので(珍しいと思うけど)ネタバレは控えます・・・

 途中、つい声を上げて泣いている自分に気づきました。

 109HAT神戸の平日初回の館内は観客3人だけだったのであまりご迷惑にならなかったのは幸いです。


****


 一方でここ数年の不調が今は嘘のように良くなりました。

 更年期障害様の症状を起こさせる、よくある要因があるようです。それについての本も読みましたがここに書くのは控えます。

 これで良かったのだ。死による理不尽な別れもあるが。


 最近は朝はスムージー、昼夕も野菜と魚中心の食生活でお酒はめったに飲みません。デスクワークが多いのは仕方ないですが合間に筋トレができるよう、ダンベルやらレッグマジック(的な商品)やらヨガマットを周囲に置いています。




100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 22日、第10回播磨人間フォーラム講演会「今求められる論語のこころ」に参加。

 
 姫路師友会や木鶏クラブほか、姫路の5団体の共催。安岡正篤師のお孫さん(河田尚子先生のいとこ)の安岡貞子先生が東京から来られました。


 冒頭、姫路の「子ども論語」でそらんじてきた幼稚園から中学生のお子さん方10数人が、論語の一節を暗誦。


 お子さん方の甲高い声が「子曰(のたまは)く・・・」と揃って響くと、会場の空気が一気に澄み渡ります。


 そして安岡定子先生の講演。

 論語の中のなじみ深いフレーズについて、「孔子先生」の生き方と人となり、そして弟子に対して語ったその場面についてわかりやすく解説してくださいました。


 大変有意義な講演でした。


 「仁」とは思いやり。人は褒めて認められることで育つ。

 あらためて、その当たり前がいかに「ない」かを思い知らされるのでした。


 わたしが姫路にこのところ足しげく通うのは、「いじめはいじめられる方がわるい」といった、善悪逆転したようなロジックが蔓延していることにへきえきしているかもしれません。



 また「いじめ」の話題になってしまいますが、

 川西市の高校でいじめられ自殺した高2生は、中学のとき「いじめ防止」の標語で表彰されていたことが、今日の新聞で紹介されていました。

 やはり、と思います。

 最近もあるところで言ったことですが、今どきのいじめは理由もなく標的がころころ入れ替わる。そのうち、自分がいじめられたくないばかりに他人をいじめの標的にすり替えることのできない、心優しい子、

「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」が躾としてちゃんと浸透している子は、最終的ないじめのターゲットになってしまう。

 というのは、うちの二女がいじめられるに至った過程を紹介した記事を読まれたかたはご存知と思います。

 
 「いじめは家庭の躾の問題」などと言っていると、しっかり躾けた家庭のお子さんが一番損をする、ということになりかねないのです。

 幸い学校の注意義務がこのところ強化されているようであり、

「いじめられる子のほうが悪い」

といった不適切な論調も、いずれ消えていくことでしょう。ただ私の住む界隈ではいまだに時々きく、ということです。


 講演会の会場で購入した『子や孫に読み聞かせたい論語』(安岡定子、幻冬舎)を読みました。


 字が大きくて読みやすく(たぶんそらんじやすい。でもそらんじるかどうかは謎)、かつ、女性の定子氏の筆致で背景を人間味豊かに書いている。こういう記述の論語の本は、もちろん、過去読んだことがありません。

 「女性」と決めつけると失礼なようだけれど、やはり背景説明などをすると女性は上手い。同じことを書いても男性よりはるかにわかりやすい。EU危機やソブリンリスクの背景について各当事者の文脈(要するに「きもち」)を解説した同志社大学教授・浜矩子氏の筆致もそう。
 
 これはデボラ・タネンらの言うように、男性が発話する目的は自分の優秀さを示すことであり、女性が発話する目的は相手にわからせ共有することにあるからだろうか。



100年後に誇れる人材育成をしよう。
NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


 

26日は、姫路師友会で会長の田中昭夫先生による「人物に学ぶ―春日潜庵」のご講義。


春日潜庵(1811-1860)という人は、19世紀の京都の漢学者(陽明学者)。維新の思想に深い影響を与えたとされます。


この日は資料-10として「幕末・維新前夜年表」 B4・5ページにわたるものをつけてくださいました。

江戸期のはじめから国内のうごきが幕府・朝廷・水戸学・勤王諸般 と分かれ、左端には西欧列強のうごきが載っていて、江戸期をつうじてロシアはじめ西欧諸国が日本にチョッカイを出してきた歴史と国内の動向が如実によみとれます。

こういう資料ははじめてみました。大変な労作とおもいます。


途中、春日と10数年手紙のやりとりを続けていた森田節齊という人物が訪れてきて明け方まで飲んだ。節齊は帰り道に千鳥足で帯剣を落として気がつかなかった。それを七言絶句の漢詩に詠み、塾生と戯れている。


と、酒飲んで剣を落としてそれをネタに漢詩を詠む、むかしの人は剛毅で教養があったんだなと思いますが、このくだりを田中先生が得意の朗々たる詩吟で披露してくださいました。


2012年8月、人道地に堕ちた時代にあって、姫路「サラト」社の会議室で30数名ほどが集まり維新前夜の漢学者について学ぶ。

なんだか目の奥に焼き付けたい一瞬でした。


「聖学を修むれば、賢は賢なり、愚は愚なりに人物が出来る。」(「金鶏講堂餘録」)



---------------------------------------------------


「脱原発依存を『過半数の国民が希望』
http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201208280123.html


「討論型世論調査」 というものを今月4,5日に政府としては世界で初めて行った。読売新聞などによると、その結果「脱原発依存」の意見が41%から47%に増えたという。

討論型どんなやり方をしたんだろう。とても興味津々。


上記の記事によると、世論調査は固定電話にかけて行うため、固定電話をほとんど持っていない20代の意見がとりこめていない。20代では、原発現状維持派がわりあい多いのだそうだ。


「うちの息子(現在16歳)」みたいなひとたちなのかなあ。

よのなかカフェにもなかなかこの世代を巻き込めないでいる。何かきっかけがあるといいのだけど。


-----------------------------------------------


読売新聞では、「『叱る』ためらう上司・親」の記事。


早晩そういう話になると思っていた。

「行動理論」や「親学」では、「叱る」ことを上手く位置づけていない。

行動理論では「罰」は反発心を生み良くない、と否定的なのだが、
それを例えばビジネスにまったく応用できるかというとそうではない。

それは教える側教えられる側に截然と距離があり、
生徒が先生に共感できていない、
もっというと、
「なぜ、これをやってはいけないのか」
を、自分ごととして考えられていない場合なのではないかと思う。

ビジネスに入ったら、
たとえばお客さんを失ったらくいっぱぐれになる、
「会社の死」になり、
それがイコール「自分の死」につながるかどうかわからないが、
困る。

いずれにしても、
指導する側にまずは「褒める」を含む「認める」を植えつけ、
その次の段階で「叱る」ことも行動に取り込むよう計らう必要がある。

結局人を指導するということは、トレーニングが要るのだ。
それも短時間のではなく。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp


今日はお客様に謝罪電話や謝罪メールの1日。

 ホームページにも「お詫び」を「新着情報」の中に掲示しました。


 おおむね、たとえば「理事空白期間中」に正田のセミナーを主催してくださったお客様もご了解くださったのだけど、

 ご連絡がつかずメールのみになったお客様も多くいらっしゃいました。


 さて、この恥ずかしい「チョンボ」をやった平成23年の通常総会というのは、何をやっていた時かというと、ブログでみるとそれなりにおもしろい。


 ちょっと懐古趣味のようですが、

 
 会員の皆様も「1年前」をふりかえってみてください。


・例会「今、なぜ『承認大賞』か(1)NPO理念と歴史、日本の組織と教育の現状

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51737286.html 


・例会「今、なぜ『承認大賞』か」(2)正田のルーツ、教育の特徴、1位マネージャーになるのはどんな人たちか

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51737299.html


・例会「今、なぜ『承認大賞』か」(3)ディスカッションより

 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51737303.html

 
意外とおもしろい、というか、今年やってる「日本の企業の『つながり力』で変える!」のプロトタイプみたいなことをやっていますね。

 「承認をしていると、決断スピードが上がる。日々の仕事のスピードが上がる」

なんていう、会員さんの言葉もあります。こういうのは、言ったその人も最近「承認」を学んだ人も、しっかり憶えておいてほしいと思う。


 ちなみに、ここでまた姫路師友会での学びを引き合いに出すと、


「2025年には二宮尊徳翁の考えでいけ」

と、森信三先生がおっしゃったのだそう。


 これは、先日大室一郎先生に確認させていただいたところ、『森信三先生随聞記』という本の中の一節だ、と教えていただいたのでひもといてみると、ありました。


「哲人尊徳翁

 森先生は平成4年(1992年)97歳をもって、一代の「生」を了えられましたが、その前に、21世紀の展望のいったんを予言せられました。

 それは、日本の立ち直るのは、2025年からだろう。そしてそれは、二宮尊徳先生のお教えに準拠せねばならぬでしょう。そして世界が、日本の立ち直りを認め出すのは、2050年だろうと、先見の明を示されました。また『二宮翁夜話』こそは、日本人の論語とすべきものですと。」(
p.50)



 ここには根拠が示されていないのだけれど、大室先生によると「バブルの40年後、ということでしょう」とか。


 考えてみると森先生はバブル崩壊の直後に亡くなられたことになりますね。


 そしてその時点で、「立ち直りは32年後」と言っているのだから、なんと息の長い。


 2012年の今ここでやっている努力もむなしく日本は2025年の「底」に向かっていることになります。

 ちょうど、日本の労働人口減少により2030年には先進国から脱落の恐れも、という経団連の予測が出てきたところです。

 しかしそうかもしれない、と思うのは、あるひとつの正しいことが普及するのが信じられないぐらい遅いからです。情報を入手するのが容易な情報化社会は、またばらけやすく、信念の続かない社会でもあります。


 
 もうひとつ懐古趣味で過去のブログ紹介。


・もしドラ女子高生、OGになる(2010年7月)
 
 http://blog.livedoor.jp/officesherpa/archives/51615804.html

 
 ちょうど2年前の私のこの暗い企業観。ごく最近も的中した。2年でまったく進歩がないのだ。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp

 姫路師友会での新しい学び。


 毎回、コーチングの世界にはない、先人の思索のかずかずとの出会い。そして講師の先生方の力のこもった講義。


 今回は、江戸初期の思想家「熊沢蕃山」について、竹原俊三先生からの講義があった。


 その資料提供の仕方たるや、

 ご想像つくだろうか、


 参加者1人1人にクリアファイルを購入し、そこに様々な文献から拾った資料1−13、各1pから最大6pのものをクリアポケットにセットした形で提供してくださったのである。

 どれほど時間がかかったことだろう。


 通常は、1回の例会で頂いた資料を姫路師友会全体のクリアファイルの1つのポケットにまとめて入れてしまうから、あとで見ると全部でどういう資料があったかわからない。


 熊沢蕃山については、竹原先生のこのご労力のお蔭で忘れようがないのである。これもイノベーションといえる。


 今回はまた格別だけれど、毎回先生方は負けず劣らず力のこもった資料作りをしてくださり、教育のプロのはずの正田も恥ずかしくなるぐらいなのだ。

 姫路師友会でのこの学びのお蔭で、「業界標準」という縛りから自由になれる。学び手のかたに対してできること、をまごころで考えられる。



 さてその盛りだくさんの学びの内容についてお伝えしたいところですが今回は内証・・・。

 嫌味になるといけないですからね。


と、思いましたが最後のくだり、竹原先生が「私見ですが」と断られた部分を再録させていただこうと思う:


「バブル後に『清貧の思想』という本が出たが、
生活レベルをもう1つ2つ下げてみんなが暮らせる社会にすべきでは。

第二次産業で生きてきた私が言うのもなんですが、
第一次産業中心の社会にすべきでは。

宍粟郡、神河町あたりの田園風景を大事に、
そこでとれる農作物を外国に売れるように。」



 先日のNPOの集まりで

「ご夫婦ともNPO」
「1つのNPO(教育系)の中で出産・子育てラッシュ」

という人達の姿をみたとき、大いに感じるものがあったのだった。

 その感慨と通じるような気がした。


 正田は、前回の河田尚子先生の講義内容を原稿にかいてしまったことについて言い訳めいた挨拶をした。




 
 例会のあと姫路で予定している「よのなかカフェ」について、田中昭夫先生主催で(?)昼食をいただきながら作戦会議。

 
 テーマについて、皆さん早々と構想をめぐらせてくださり、中には資料を既に作ってくださったかたも。(でも、提案者は不在なのだが)


 優れた方々がすぐに”乗って”くださる、姫路は温かい土地だと思う。


 やらなきゃいけませんね。



 
 師友会や「十八史略をよむ会」で冒頭によく朗読する「聞学起請文」の最初の一節がすきです。



 是の如く我れ聞く、或は一国に生まれ、或は一郡に住み、或は一県に処り、或は一村に処り、一樹の下に宿り、一河の流を汲み、一夜の同宿、一日の夫婦、一所の聴聞、暫時の同道、半時の戯笑、一言の会釈、一坐の飲酒、同杯同酒、一時の同車、同畳同坐、同牀一臥、軽重異るあるも、親疎別有るも、皆是れ先世の結縁なり。(説法明眼論)


 

 だれが本当の生徒でだれが偽りの生徒だなど考えるのはけちくさいことだ、と自分を戒めて思う。たとえかりそめの縁でも縁は縁。「なかった」ことにする必要はない。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp
 

 兵庫県中小企業団体中央会の機関誌「O(オー)」に不定期連載中のコラム「誌上コーチングセミナー」。


 新装第2回は、中国・宋の時代を題材にした「改革者」のお話です。同会編集部のご了承をいただき、こちらに転載させていただきます:


――――――――――――――――――――――――


「決める人とそうでない人――聡明なリーダーが陥りやすい『決断依存』のワナ」


 気付かないうちに「人」の問題が起きて、成長の足かせになっている…そんな現象があなたの会社にもありませんか?「人」の問題によく効くクスリ、「コミュニケーション」「リーダーシップ」の観点から解決法をお伝えします。



 司馬光と王安石。11世紀の中国・北宋の時代に、ふたりの優れた政治家がいました。

 何故いま北宋時代?と思われそうですが、現代に当てはめて考えるとなかなか面白いのです。

 王安石は、バリバリの改革者。この時代の宋は、軍事費の増大、無駄な官職の増大(冗官)、貧富の差の拡大により、ドラスティックな改革は待ったなしの情勢でした。

 そこへ登場したのが、下級官僚出身で「新法派」の王安石です。1067年に即位した若き皇帝・神宗の下で皇帝の側近である翰林学士に、また2年後には副宰相となり、実質的な政治実務のトップとして辣腕を振るいます。

 王安石の下では、農業改革として「青苗法」「募役法」「農田水利法」など、商業改革として「均輸法」「市易法」、軍事改革として「保甲法」、「保馬法」その他科挙改革や官僚改革にもさまざまな立法や制度改革を行いました。趣旨としてそれらは大変正しいものでした。

 ところが…。善い目的のために制定された法が正しく運用されない、ということが起こってきます。例えば「青苗法」は農民が地主から高利で種を買う金を貸しつけられ、奴隷化していくことを防ぐため政府が低利で融資する法ですが、実際の運用では現場の官僚が制度の趣旨を正しく理解しておらず、「貸せと言われたから貸す」、強制的に貸し付けを行い農民の恨みを買ってしまうのです。

 こうして王安石の新法改革に異を唱えた代表的人物が保守派の司馬光でした。史書『資治通鑑』の編者でもあるかれは、一言で言うと「制度より人事だ」という考え方でした。良い官僚、誠実で有能な官僚を登用せよ。あるとき、神宗皇帝が「干ばつで首都開封に難民が流入している。どうしたらいいか」と司馬光に問いかけたところ、司馬光は「その地域に良い官僚を配置することです」と答えた、といいます。これは「そんな迂遠な」と採用されなかったそうですが、司馬光の考え方をよく表しています。そして人君の「三徳」、すなわち仁・明・武、そして臣下に対する働きかけとしての「御臣(ぎょしん)」、すなわち任官・信賞・必罰、などの政治理念を提唱。

 王安石の失脚後、民衆から大の歓迎を受け政界復帰した司馬光も、王安石の制定した多くの新法を廃止はしたもののその後の改革に着手することなく死去。

 さて、こうした北宋の出来事からは、私たちは何を学べるでしょうか。

 まず、制度改革にかならず伴う運用の問題。現場で「運用」にかかわる人ひとりひとりに、制度のもつ精神が深く「はら落ち」しなければ、ものごとは本当には動きません。善い意図のもとに設計された制度でも、それは然りです。

 あまりに性急な改革をしますと、人はついていけない。このことには、脳のメカニズムも恐らくかかわっているでしょう。諸制度改革の決断をする人の脳では、決断のたびに快楽物質のドーパミンが分泌されます。いわば「楽しい」のです。一方で、他人の決めた改革に従う大多数の人には、その現象は起こりません。その人達にとっては、せっかく自分が習熟し愛着のある現行制度を取り上げられ新しいものに習熟しなければならないのですから、当面はストレスになるばかりです。例え善い意図のものであっても。

 もう1つは、やはり実務を担うフォロワー、臣下たちの「質」の問題。かれらの新しいものに慣れるストレスに配慮したとしても、やはりフォロワーの側も、改革の意図を理解し共感するようなまっとうな倫理観をもたなければなりません。「自分がらくをしたい」「既得権益をむさぼりたい」というような卑しい心をもっていてはダメなのです。王安石はそれを「処罰」によって防ごうとしたのですが、ムチだけでは人の心を善くできないことも明らかです。

 北宋の改革は、結局末代の徽宗皇帝の時代までもつれ込み、金による侵攻を招きます。さて、あなたの会社・組織で、「改革」をやり遂げるには、何が必要なのでしょうか…?


※本稿執筆にあたり姫路師友会、安岡正篤師の孫である河田尚子先生のご講義よりご教示をいただきました。ここに御礼申し上げます。



筆者プロフィール・NPO法人企業内コーチ育成協会代表理事。1963年生まれ。
通信社記者、医薬翻訳者を経て2001年、ビジネスコーチ開始。特に管理職育成を得意とし、非営利のマネージャー教育により全国1位、社内1位といった「トップマネージャー」を輩出。
2008年より現職。よのなかカフェ、承認大賞といった社会人教育のイベントも主催する。
著書に『認めるミドルが会社を変える』(カナリア書房)など。
NPO法人企業内コーチ育成協会
URL:http://c-c-a.jp
電 話:078−857−7055
メールアドレス:info@c-c-a.jp



【月刊中央会「O!(オー)」2012年7月号 所載



人君の「三徳」、すなわち仁・明・武、
そして臣下に対する働きかけとしての「御臣(ぎょしん)」、すなわち任官・信賞・必罰
―。


私はこれら全部を包含するような欲張った考え方として、「承認」をいおうとしてるかもしれない。

なんでもインスタントな現代向きかも。




神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
http://c-c-a.jp



このページのトップヘ