母からまた葉書が来た。


 長野の親戚を訪ねて体力的にきつかった話とともに、引き続き小著『認めるミドルが会社を変える』にお褒めの言葉。


 なんと77歳の母は、図書館でコーチングの本を何冊か読んでくれたのだ。


「(他の本は)米国での体験、筆者が複数、図示化、文字のポイントがやや大、表装が複数の色彩…など長所があるのですが、それらとは袂を分かって、筆力、表現、言葉の選択が美しいのです。(わさ氏=父の姉、母の義姉)の感想でもある)」



 もちろん身内の言葉なので身びいき。でも娘時代はこういうふうに褒めてくれる人ではなかったので、素直に嬉しい。


 子どもは幾つになっても母親に褒められたいものなのだなあ。


 このところこのブログに母がよく登場する。

 本を出して嬉しかったことは、色んな人に理解してもらったこと、受講生さんや古い会員さんに喜んでもらったことなど様々あるけれど、


 個人的には何よりも母に理解してもらったことは嬉しい。


 ここ数年、とりわけ本にも書いた娘と夫の鬱のときは本当に不義理をした。


 当時、母は近所に住む兄と

「なんで佐与とはこんなに疎遠に…」

と、愚痴りあっていたのだそうだ。


 今は、「よくわかった。読むと胸が痛む」と言ってくれる。


 
 母と同時に私も最近わかったことがあって、


 それは著書とは関係なく、子育ての国際比較の本を読んでいて気がついたことなのだ。


 母は「働く女性の第一世代」のような人で、色々と当時最新といわれる育児知識をもっていた。

 赤ちゃんだった私が泣いても「抱き癖がつく」と抱かなかった。

 同じ年ごろの子がお母さんに抱っこされているのをみて、「あたしも抱っこして」とねだったのをおぼえている。でも抱っこしてもらえなかった。


 親戚のおばさんは、赤ちゃんの私があおむけに寝て口に哺乳瓶を立てたまま放置されているのをみて、


「赤ちゃんは抱っこしてお乳をのまさなきゃだめよ」

と、呆れて注意したそうである。


 そういう話をなまじきいたために、私は母を恨んだりもしたし、子どもが生まれてからもあまり頻繁に里帰りしなかった。


 ところが、それは20世紀初頭からのアメリカの伝統的な子育て法だったのだ。


 1950年代に「スポック博士の育児書」が登場し、「赤ちゃんの自然な欲求にこたえてやりなさい」と言われるまで、アメリカでは赤ちゃんが泣こうがわめこうが一定時間ほっとかれ、厳密に3時間おきに授乳するやり方が主流だったのだ。


 母はその時代、最善と思われていたやり方をしたにすぎなかった。


 今の常識で裁くことなどできないのだ。



 そう思うと、母を「ゆるす」ことができた。おこがましいいい方だが――、


 
 母が著書を読んで私を理解して思い切り味方になってくれたのと同時に、私は母を「ゆるす」材料をみつけた。


 こういうのもシンクロニシティ、同時性かもしれない。(そういえば最近シンクロニシティってあまり言わないな;;)



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 夕方、著書にも登場した子どもの中学の校長先生からFAX。


 「私事ですが本日限りで退職します」とある。

 「定年退職」と書いていないところが妙に気になる。


 小柄で、背筋が通って凛として、大好きな尊敬する女性だった。


 離任式、行ってみようかな。


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 著書で引用させていただいた元国立環境研究所所長の大井玄氏より、葉書をいただいた。


 引用のお礼をこめ、事後報告を兼ねて著書をお送りしたことへの丁寧な返礼。



 拝復 御高著「認めるミドルが会社を変える」それに素敵なお便りありがとうございました。日本のように、自然資源に乏しく、人間だけが活力の源である国では、一人一人の能力をひき出していくことが国の生き残る手段なのだと思います。今後の御活躍を期待しております。早々



 大井氏は、2007年の前著『痴呆老人は何を見ているのか』(新潮選書)で、自らが進行がんだということを明らかにしておられた。


 『環境世界と自己の系譜』は、日本社会に遺す書というおもむきがあった。と、私は受け取っていた。


 
 値千金の葉書。



神戸のコーチング講座 NPO法人企業内コーチ育成協会
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