正田佐与の 愛するこの世界

神戸の1位マネジャー育成の研修講師・正田佐与が、「承認と職場」、「よのなかカフェ」などの日常を通じて日本人と仕事の幸福な関係を語ります。現役リーダーたちが「このブログを読んでいればマネジメントがわかる」と絶賛。 現在、心ならずも「アドラー心理学批判」と「『「学力」の経済学』批判」でアクセス急増中。コメントは承認制です

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現代アドラー心理学(上)画像
現代アドラー心理学(下)画像

 『現代アドラー心理学』(上)(下)(ガイ・J・マナスター、レーモンド・J・コルシーニ、春秋社、1995年)を読みました。

 ここでは、下巻の「教育」のところを主に読みました。アドラー思想の継承者として1に挙げられるのがドライカース、そしてそのさらに弟子の世代のコルシーニが個人心理学教育を確立し、個人教育学校を設立しました。

 「ほめない叱らない(No Reward No Punishment)」方針を徹底したその教育とは――。

 詳細ははぶきますが子どもたちは自分で自分の学びたい教科を選び、その選んだクラスに出席するもしないも自由である。テストは子どもが要求したときに行う。という徹底した自己責任を求められる。

 子どもが自分のクラスで騒いだら、先生は叱らない。叱るかわりに黙ってドアを指差す。すると子どもは教室から出ていかなければならない。もし指差されても出て行かなかったり、すぐに出て行かなかったりすればルール違反であり、ルール違反の回数がたまると退学になる。

 「叱らない」を標榜する学校の「叱る」に代替するものは、「排除」なのではないか?との疑問がわきます。

 それ以外には「共同体感覚」を増すようなグループワーク等の取り組みが行われ、共感できるところも多々あります。子どもたちはこうした学校に通うのが好きであるし、教師たちもこうした学校で教えることを楽しいと感じるといいます。

 ――うん、合わない子をどんどんドロップアウトさせれば、均質になって「楽しい」かもしれないですね。

 以前から、アドラー式子育てや教育には、「ドロップアウトを出すこと必至」の印象がありました。特定の資質をもった人や子どもさん――おおむね、知的レベルが高く言語能力の高い穏やかな気質の人――だけが対象になりやすい。そういう人たちだけを集めたら、たしかにエリート教育はできます。


 Wikiなどによるとこうした徹底したアドラー式の「個人教育学校」は1972年にハワイのワヒオワで設立されたのを皮切りに、最盛期の1980〜90年代には世界で12校ほどあったようです。その後閉校が相次ぎ、現在ではワヒオワ校をはじめ数校になっています。

 非常に高い教育の理想を掲げた、モンテッソーリやシュタイナーと同様のオルタナティブ教育のひとつなのではないかと思います。もし自分の子どもがそこに適合するような資質があり、かつ自分に資力があれば、子どもに与えてやれる可能なかぎり理想的な教育でしょう。


 この本の上巻では、アドラー派の学生たちが、「ほめ育て」の祖ともいうべき行動主義者のB・スキナーのベストセラーとなった著作を茶化して、「支配者と被支配者の論理」と揶揄してごっこ遊びをするようなくだりが出てきます(pp.50-51)

 この著作とは『ウォールデン・ツー』(邦訳『心理学的ユートピア』)というもので、小説家志望でもあったスキナーが行動主義を使った理想的なコミュニティを描いたもの。実際には単独の独裁者ではなく、数名のプラトン型哲人が集団指導式に社会をデザインしたらしいのだが、アドラー派の学生からみるとこれは独裁者による「支配―被支配」の世界に映ったようです。

 『嫌われる勇気』の続編、『幸せになる勇気』で、岸見一郎氏扮する「哲人」が「ほめ育ては独裁者の武器」という珍妙な論理を振り回していますが、これのルーツはここにあったのか、と納得がいきました。


 そして苦笑しました。アドラー派はアドラーの死後弟子たちもあらかたナチスに捕らわれて亡くなってしまい、一時期滅亡の危機に瀕しました。ブラジルに難を逃れたドライカースがアメリカに移住し必死で建て直しました。ドライカースは非常に戦闘的な人だったようですが、その建て直しの過程で、「アンチ・フロイト」「アンチ行動主義」がDNAとして深く刻み込まれたようなのです。

 いわば「ほめ育て」の悪口を言うのは、アドラー派の伝統に深く根差したもの。彼らのアイデンティティの一部なので、仕方のないことなのです。


 ちゃんとしたエビデンスがあれば、他流派のわるくちなど言わなくて済むんじゃないでしょうかねえ。

 「ほめない叱らない」と言いながら、アドラー派の教育にも「教師によるフィードバック」はちゃんとあるし、学生の長所を指摘するようなこともします。"No Punishment"と言うわりに、「問答無用で教室から出ろ」というのはけっこうキツい「罰」です。だから定義の仕方が変なのです。


 その他アドラー派の心理療法について、専門家のかたは学べるところがあるかもしれないが、わたしは個人的には「パス」です。現在「神経症」という病名そのものがどれだけ有効かも不明になっています。発達障害概念が生まれ、いまや人格障害も摂食障害も食べ物の好き嫌いも発達障害に関連して理解されるようになるなど、疾患名や病因の理解もドラスティックに変わってきています。アドラー派の人に言わせればそうした「病因」とか「基礎疾患」という発想も「原因論的だ」と一蹴されかねないので、話しても不毛であるように思います。(以前野田俊作氏に振ってみたが、発達障害と知的障害を混同していたようだった)

 わたし個人的にはアドラーの原著に人間的に共感するところは多々あるし、当時として革命的なことをした偉大な人だとは思いますが、今の時点であえて採用する意義はないように思います。

 
 ともあれ、アドラー派の人はフロイトの悪口を言いたいし行動主義およびほめ育ての悪口を言いたい。また、『嫌われる勇気』で「承認欲求を否定せよ」と言ったのと同様、アドラー派の人のブログやFacebookをみると「承認欲求」のことも貶す”風習”があるようで、これはわが国独自の「承認欲求バッシング」の尻馬に乗っているだけなようなのだが、とにかく何かの悪口を言っていないと気がすまない伝統のようです。


 というわけで、このブログでアドラー派のことを調べて書くのもそろそろ終わりにしたいと思います。いつかはこの時ならぬブームも自然消滅するでしょう。
 


 精神科医で、家族機能研究所所長の斎藤学氏から、『嫌われる勇気』についてのコメントをいただいた。斎藤氏は日本のトラウマ治療者としては草分け的な存在で、NPO法人日本トラウマサバイバーズユニオン理事長を兼任するなど、トラウマをもつ人の支援も行ってきた。

 フロイディアンである同氏からは、「フロイトをよく知らないでフロイトを批判している」「アドラー1人が屹立して他はダメだというのはどうか」と厳しい言葉があった。


 斎藤氏はコメントを引き受けられたあと『嫌われる勇気』を取り寄せて読まれたうえで、非常にきっちりとしたコメントをくださった。
 他の多くの先生方もそうだが、斎藤氏のコメントを引き受ける姿勢、コメントする姿勢には、とりわけ「これぞ知識人」と感銘を受けるものがあった。

 ご了承をいただき、謹んでブログに掲載させていただきます。


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 いい本だと思います。読みやすいし。しかしアドラーの心理学ではないな。
 著者がプラトンを研究している人ということなのでそちら側に引き寄せているのかも。アドラーの中の著者たちにわかりやすいところを抜き出している印象。

 しきりにフロイト的因果論を否定しているが、そもそもフロイト的因果論などというものはない。フロイトと言っても、初期、中期、晩期で言ってることはまったく違うんですよ。例えばフロイトは1886年に『ヒステリーの源流』で大人の子どもに対する誘惑(性的児童虐待)が後年子どもの神経症を作ると言った。その後彼自身が、この仮説を引っくり返してしまう。「フロイトの撤退」と呼ばれている事態で、その代わりに登場したのが「子どもは親たちからの被害を空想するものだ」というファンタジー説。そのファンタジーの中身が「エディプス・コンプレックス」です。

 ところが今の精神医学では彼が引っくり返す以前の説のほうが正解ということになっていて、児童期のインセスト・アビューズ(近親姦虐待)の成人になってからの障害(例:境界性パーソナリティ障害)をどう治すかということが課題になっています。1970年代以降、フロイトの空想説によって消えかかったシャルコーからジャネを経てフロイトにつながる外傷体験説が復活して今のPTSD論の一部を構成しています。脳図像学の発達によって心的外傷による海馬体の萎縮などが明らかになっているので、単なる「論」や「仮説」を越えた実体として治療対象になっているのです。

 確かに「子どものころ親に虐待されました。」で終わっては治療にならない。例えば私は外傷性記憶の曝露療法というものをやっています。外傷体験を言語化するのは苦しい。しかし過去を明らかにすれば治るなんて誰も考えてないので、目の前に居る患者の人格障害や解離性フラッシュバックという、「今、ここ」の苦痛の解消が私たち治療者の仕事です。他者に向けて外傷体験を曝露するという作業はあまりに痛いので、過去の外傷そのものは大した痛みでなくなり、過去のとらわれから解放されるのです。 

 以上がひとつの例で、この本には誤解(あるいは省略)が多すぎる。とは言っても私はこの本全体を否定するつもりはないのです。正しいこと、常識的なことも多いのですが、その多くは既にフロイトやその後輩たちによって吸収されてしまっています。例えばサリヴァンなどを読むと、アドラーとの類似に驚くでしょう。アドラー1人が屹立していて他はダメだといい、フロイトを否定して敵を作って叩いて売っているというのは商法ですよね。フロイトをよく知らないでフロイトを否定している。読む方はそんなことどうでもいいでしょうけれど。

――教育心理学の分野などでも常識の逆張りを狙って明らかに間違いということがベストセラー本に書かれ、学識経験者はあまりにもバカバカしいからと黙殺しているとそれが一人歩きするということがよくあります。

 変だよね、ということはいっぱいある。
 「承認欲求を否定せよ」などは、単なるレトリックですよね。あとの方で自己受容はいい、と言っているじゃないですか。受容は承認されることで生まれますから。何も根本的な違いはない。
 「トラウマは存在しない」という言い方は派手ですが、上に述べたように誤りです。アドラーは「トラウマは無い」と言っているのではなく、「トラウマを含む過去にとらわれてはいけない」と言っているのです。

 アドラーの代表的仮説である劣等コンプレックスや器官劣等性の概念は外傷体験というものを前提にした因果論そのものじゃないですか。これらはアドラーの代表的著作「Adler, A: Der Aggressionstrieb in Leben und in der Neurose.〔『日常生活と神経症における攻撃欲動』〕」(1908)に収められていますが、記述の仕方そのものが精神分析です。アドラーの著作は彼が望んだか否かは別として、精神分析を補完するものです。

 アドラーの評価を語るに当たっては、エレンベルガ―の書いた『無意識の発見』(第8章,邦訳,弘文堂)が参考になります。そこではアドラーに100頁ほどが当てられています。その前の第7章はフロイトに当てられていて、こちらは約200頁。公平な評価で、アドラーがフロイトに比肩される心理臨床家であることには間違いありません。その点、この本(『嫌われる勇気』)はアドラーを誤解させますね。

 アドラーは1902年から1911年まで精神医学会の4人の理事の1人でした。
 アドラーは、フロイトのエディプスコンプレックス仮説を受け入れられなかった。リビドーとは無関係に発生する攻撃性や権力意志が存在すると説いたのです。そしてそれは後期のフロイトによってもタナトス(エロスと対立して自己破壊に向う衝動)という言葉で説明されています。それと、アドラーはトロツキーの友人でもある社会主義者でした。フロイトは同じくユダヤ人の医者ですが、金持ちばかりを診ていたし、本来「大学の人」でウイーン大学の客員講師(後に客員教授)でした。アドラーにはこうしたことへの反発もあって、フロイトたちから離れたのではないでしょうか。

 1911年以降のアドラーは大衆への説教者になっていきます。説教をして、社会共同体の向上をはかる。これが何につながるかというと、自己啓発ですね。デル・カーネギーや『7つの習慣』などの。専門家でもなくて。扇動者とまで言わないが、大衆を集めて真理を説く人の元祖になりました。

 1920-30年のアドラーは社会状勢の読みがよかった。早々とアメリカに移ったので。フロイトのようにナチの迫害にも遭わなかった。恵まれない人たちの人間共同体にどう関心を向けるのかに力を注いだ。啓発者としてのアドラーですよね。その件に関してアドラーは偉大です。

 この本(『嫌われる勇気』)について憂慮するのは、この本を鵜呑みにする「無智な大衆」の中に大かたの精神科医も入ってしまうことです。実は医学生の訓練課程ではフロイトの「フ」の字も習いません。精神科医になってからも同じことです。未だに精神分析は学びたい者だけが時間とお金をかけて、苦労して身につけるものなのです。

 今や患者さんのほうが精神療法をよく知っています。自分が困っていますから真剣に勉強します。しかしその中には、ネットの解説だけでわかった気になってしまう人たちも出てくる。この本は150万部も売れているそうだから、わかった気になった患者がわかっているつもりの精神科医と出会うことも多々あるでしょう。

 そんな人の中で「トラウマはない」とか「過去は要らない」みたいなことが常識になれば、そういう親たちに育てられた子どもたちの問題が深刻なことになるでしょう。

 『嫌われる勇気』のオールオアナッシングの断定口調ぶりを、数字で検証してみた。

 とりあえず先日『暴力の人類学』(下)で学んだ、「統合的複雑性(integrated complexity)」の初歩のところを調べてみることにした。


 『嫌われる勇気』の文章の中の断定的な単語を抜き出し数える。「すべての」とか「あらゆる」とか「何もない」「誰も…しない」「いつも」「必ず」「絶対に」「無条件の」など。

 数えてみると、著者らのあとがきを除いた本文で349個。本文283ページ、1ページあたり1.23回断言口調があったということになる。ちなみに「すべての人の悩みは…」のように多用された「すべて」という語は55回登場した。一方「非断定的」な単語も数えてみた。「ほとんど」とか「基本的に」「多くの場合」など。こちらはわずか29個で、1ページあたり0.10個だった。

 これだけでは多いのか少ないのかよくわからないかもしれない。そこで、比較対象に先日読んだ『認められたい』(ヴィレッジブックス)をもってきてみた。熊代亨氏、怒るかな。

 『認められたい』に比較的よく出てきた「断定語」は、「〜だけ・〜ばかり・〜しか」などの語の後ろにつけて限定するもので、これが35回で最多だった。その次が「まったく(ちっとも)〜しない」で16回。全体では185ページに158回登場して、1ページ当たり0.85回。「非断定語」は133回で、0.72回/ページ。



 どちらの本もページあたりの文字数は同じようなものだが、念のためちゃんと字数を調べることにした。といってもおおざっぱに各ページの行数と1行当たり字数を数え、それにページ数を掛けて400字で割る。すると『嫌われる勇気』は505.155枚だった。『認められたい』は330.225枚。

 こうして分母をそろえたところで比較してみると下記のようになった(数字はいずれも400字詰め1枚あたりの出現回数)

『嫌われる勇気』
断定語   0.69
非断定語 0.0057

『認められたい』
断定語   0.48
非断定語 0.40

 やはり、『嫌われる勇気』の断定語が多いのがわかる。『認められたい』の1.5倍。アドラー自身は、「親相手に断定口調でものを言ってはいけない」と言った人なのだが。

 『嫌われる勇気』では非断定語が極端に少ないが、これは断定語を使いすぎて非断定語を使う余地がなかったのだろうか。あるいは非断定語を使うと自信がないように見えてしまうからだろうか。
 断定語の「すべて」を多用したり、「〜ばかり」「ちっとも〜しない」といったフレーズを読まされていると、それらの言葉の背後にある刺激の強い言葉で注目を集めたい幼稚な自己顕示欲か、あるいは他人への拒絶の姿勢、他人の行動に向ける強い嫌悪の視線のようなものを感じて、わたしなどは気分が悪くなってくる。だからこの本を最初読み通せなかったのだ。
 しかし自己啓発本の読者はこういう言葉が好きなのだろう。最近も筋トレを自己啓発に応用して「あらゆる悩みは筋トレで解決する」というフレーズをみた。断定語はマッチョでもあるようだ。

 またおもしろいのは、『嫌われる勇気』では「断定語」を「青年」も「哲人」も「地の文」も、それこそ「みんなが」言っている。三者とも「断定語」の使い手なのだ。こういうオールオアナッシング思考や過度な一般化の思考は、認知行動療法では「認知の歪み」と呼び、鬱になりやすい思考だからカウンセラーは修正を図ろうとするものだ。しかし『嫌われる勇気』の世界では、青年だけが「断定語」の使い手なのではなく、「哲人」も果ては「地の文」さえも「断定語」を使うのだから、始末におえない。狂気の世界に巻き込まれそうだ(途中、「哲人」がとってつけたように「神経症の人は『すべて』と言いやすい」云々と言うくだりもあるが、その「哲人」自身が「すべての」「あらゆる」を連発している)




 いっぽう『認められたい』は、極端から極端ではなく、もっと狭い振れ幅のなかでロジックが動く。
「○○な人も、××な人もいるでしょう」
「そうかと思うと、△△な人もいます」
等。
 文章が「キラキラ」でないから、わたしなどは安心して読める。一方、「キラキラ」文章ばかり読んで中毒になっている人だと、何が書いてあるかマイルドすぎてよくわからないかもしれない。
『認められたい』では、「〜だけ」「〜ばかり」が登場するのは、おおむね行動傾向が偏っていて特定の行動ばかりとりがちな人に向けられている。戒める文脈である。


 なお、こうして「統合的複雑性」を調べてみたが、
 1月にUPした『暴力の人類史』(下)の読書日記で、

 「統合的複雑性があまり高くない言語を用いる人々は、フラストレーションに対して暴力で反応したり、戦争ゲームに参戦したりする確率が高い。」

というフレーズがあることにも注意したい。それからしても『嫌われる勇気』を好んで読んでそれと同じ言語を使う人々がほかの人と平和的に共存できるとはとても思えない。





 ついでに便乗して、わたしの拙著『行動承認』の紙版も同じ尺度で測ってみた。

『行動承認』
断定語  0.26
非断定語 0.25

 断定語も非断定語も3冊の中で圧倒的に少なかった。3年前の本。

 これにはわけがあって、「統合的複雑性」の概念は執筆当時知らなかったが、この本のミッションというのはそもそも、読んだマネジャーに気持ちよく実践したいと思ってもらうこと。そのために、

,笋譴个垢瓦だ果の出るものだとわかってもらう
△靴し、反感を買ってはいけない。

 著者のわたしの語り口に少しでも強引なところがあったら、良識的なマネジャーは「引いて」しまう。「すごい成果が出ることは言っているけど優しい語り口でいっさい強引さのないロジック」という難しいかじ取りが必要だった。
 そのために断定語を極力省いた。非断定語も、恐らく使うとあいまいな印象を持たれてしまうのを危惧して省いた。数字で言えるところはできるだけ数字で言った。

 そういう工夫が読んだ人の「やりたい」と前のめりになる気持ちに直結しているかどうか――。

 でも自分が工夫したことが数字で証明できたのでちょっと満足している。


 わたしはわたしの文章を読んだマネジャーたちがわたしのように思考してもらいたいと思っている。緻密に細やかに、愛情をもって。幸い類は友をよぶのか、過去にわたしのもとに集まってくれた人たちは似たような言葉づかいをしていた。

 ちょっと最後は手前味噌がすぎたかもしれない。


 参考リンク・断定口調で話す専門家の予測は当たらないという研究

●断言する人は信用しないのが一番―『専門家の予測はサルにも劣る』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51819125.html

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 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
発行日 2017.2.27                 
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 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
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 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
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【1】 フェイクニュース全盛の時代の「信頼」とは?
     信頼できる先生とは、ネットがウソつきをつくるって本当?
     信頼できない人のしぐさとは
     ――読書日記『信頼が裏切られるとき』から

【2】 アドラー心理学批判 続報・
     わかりあえないもどかしさ・『嫌われる勇気』共著者・編集者、
     精神科医・小児科医、そしてメルマガ読者より

【3】 「誕生学」続報・
      ついに「PTAに誕生学会講師をよばないで」のよびかけ出る
     「2分の1成人」参観日に揺れる友人

【4】 連載「ユリーの星に願いを」
      第13回「上手に忘れる」

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【1】 フェイクニュース全盛の時代の「信頼」とは?
     信頼できる先生とは、信頼が揺らぐときとは
     読書日記『信頼が裏切られるとき』から

 「フェイクニュース」去年から有名なことばになりました。
 主にネットで、誰もがうっかり「そうかも?」と思ってしまうような、本当
のようなウソが拡散されます。場合によっては米大統領選も左右します。
 いったいなぜ人間はこんなにウソつきになったのでしょう?
 『信頼はなぜ裏切られるのか』(』(デイヴィッド・デステノ、寺町朋子訳、
白揚社、2015年12月1日、原題'The Truth About Trust')は、この問題にこう答
えます。わたしたちは、置かれた状況次第で正直者にもウソつきにもなれるの
だ。
 とりわけネット時代には、ネットそのものの性質がわたしたちのウソつきの
性質を増幅させることもあるようです。
 ビジネスパーソンには最も気になるところ、「信頼できない人を見抜くコツ
はあるか?」最新心理学の知見から、「見抜くポイントは1つではない、4つ
だ」と言っています。
 読書日記は前後編になりました。とくに後編の知見は興味深いです。ご興味
のある方は、ご覧ください:

●『信頼はなぜ裏切られるのか』をよむ?――よい教師には誠実さも能力もど
ちらも大事
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952755.html

●『信頼はなぜ裏切られるのか』をよむ?――お金のせいでウソをつく、ネッ
トのせいでウソをつく、信頼を損なう4つのしぐさ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952837.html


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【2】 アドラー心理学批判 続報・
     わかりあえないもどかしさ:『嫌われる勇気』共著者・編集者、
     小児科医・精神科医、そしてメルマガ読者より

 この分野で引き続き“独走状態”の拙ブログです。

『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)を岸見一郎氏とともに著した共著者の古
賀史健氏と、編集者の柿内芳文氏からメールでご質問への回答がきました。
「初めて耳にするようなお話も多く、幾分困惑しております。」としながら、
「われわれとしましては、両書を『人は誰でも幸せになることができる』『勇
気をもって一歩を踏み出そう』という希望的なメッセージを届ける本としたつ
もりです。」とコメント。

●古賀史健氏と日本アドラー心理学会から回答来る(来ただけ)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953163.html 

●本を読まない層、読む層――『嫌われる勇気』編集者 柿内芳文氏からの回答
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953245.html

 一方、同書の中の「トラウマは存在しない」というフレーズはやはり大きな
問題をはらんでいます。
 虐待やいじめ被害者の心的外傷(トラウマ)を脳画像で可視化した福井大学
子ども発達支援センター教授・友田明美氏、女性や子どものトラウマ治療に当
たり東日本大震災後の岩手県でもケアに当たった精神科医の白川美也子氏がそ
れぞれ文書で貴重なコメントをくださいました。

●「心的外傷体験は子どもの心と脳の発達において長期的な悪影響を及ぼしま
す」――福井大学・友田明美教授の
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953192.html

●祝来訪者40万人・精神科医白川美也子氏よりコメントをいただきました〜や
はりあった”実害“
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953352.html

 上記のあとのほうの記事で「やはりあった“実害”」というのは、白川氏の
ブログ記事についたコメントの中に現役カウンセラーの方から、「患者さんで
『トラウマは存在しないなら私が苦しんでいるのは何?』と混乱していた人が
いました」というものがあったこと。
 こうしたことは、当事者がもともと声を上げないタイプの人たちと推定され
るので、あえて掘り起こすことは意義があるでしょう。「みえない」からとい
って「いない」わけではないのです。そして当事者の方にとっては痛みをとも
なうことなのです。

 そして、このメルマガとブログの読者の方から温かい投書をいただきました。

●アドラー心理学批判 「誰もが」が意味するもの:欠けている多様性、寛容
さ、中庸――NYさんからのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953260.html

 そんなこんなをしているうちにささやかな拙ブログは通算来訪者40万人の大
台に乗りました。
 皆様の温かい励ましに心から感謝申し上げます。

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【3】「誕生学」続報・
   ついに「PTAに誕生学会講師をよばないで」のよびかけ出る
   「2分の1成人」参観日に揺れる友人

 このメルマガの1月30日発行号でお伝えした「誕生学」についての続報です。
「誕生学」とは、「誕生学協会」派遣の「誕生学アドバイザー」が学校で出張
授業をしてくれ、赤ちゃんが生まれる様子を子どもたちに見せたり出産・子育
ての素晴らしさを話してきかせ、「命のたいせつさ」を伝える、というもの。
 それだけきくと実に素晴らしい、何の問題があるの?という風にもみえるの
ですが――、
 「子どもには色んな家庭環境や育ち方の子がいる。キラキラ演出で『命のた
いせつさ』を語られても素直に楽しめない子もいる。そうした子どもへの配慮
に欠けるのではないか」
という指摘が出、現在多数の精神科医、カウンセラーから「誕生学」に異論が
出ています。
 そしてついにネットで「誕生学アドバイザーをPTA主催の講演会によばない
で」という呼びかけが出る事態に。

●【呼びかけ】PTA主催の講演会で誕生学アドバイザーを呼ぶのはやめよう
>>http://miraimemory.hatenablog.jp/entry/2017/02/04/112649 

 わたしの周囲では最近、フェイスブックで「子どもの参観日で2分の1成人
式をみてきた!感動!」と書き込んだ人に、「色んな環境の子どもがいるから、
考えてあげて」とコメントした友人がいました。
 最初の書き込みの人はもちろん幸せなご家庭の方で、子どもたちが自分の名
前の由来を発表し、クラスのみんなに褒められて嬉しかった、という素直な気
持ちを書き込んだとのこと。一方コメントした友人は仕事柄大変な状況のご家
庭を多数みている人。「分かり合えないのかしらねえ」とがっくり。
 この問題は今からどうなるのでしょうか……。
 【2】の「アドラー心理学」もそうですが、わたしにはどちらも共通して、
「●●●の不足」という問題にみえます。
 さあ、「●●●」には、何が入るでしょう。

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【4】連載:「ユリーの星に願いを」
    第13回「上手に忘れる」
By ユリー
 ユリー:マーケティングコンサルタント。人と組織のメカニズムに高い関心
を持つ仏教学習者。40代女性。

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 こんにちは、ユリーです。寒暖差の激しい気候が続き、体調を崩しがちな季
節ですが、読者の皆さまはお変わりございませんか?

「好物は何ですか?」と聞かれたら「お鮨です」と即答する私。かつては一人
でもお寿司屋さんに行くほどの鮨好きで、いろいろなタイプのお店に足を運び
ました。そんな私が最近たまたま入ったお店でとても感激したことがありまし
た。それはお鮨そのものの話ではなく(もちろん、お鮨も美味しくいただいた
のですが、)お店のご主人のお話にありました。
 そのお店は住宅街にあり、交通の便も良いとは言えない場所。2年ほど前に
リフォームたという店内は清潔で、カウンターの他に座敷1つと個室にもなる
テーブル席が2つほどあるお店でした。
 スタッフは、60代とおぼしき店主とその奥様、そしてその息子で30代半
ばと思われる2代目とその奥様の4人。つまり家族経営のお店でした。家族経
営ならではご苦労もあるのだろうなと心のうちに感じながら、一緒に行った友
人たちと美味しくお料理をいただいていました。
 そのうちに、隣席の友人が自分の悩みをふともらしました。そもそもその日

友人と会う目的は、その友人の家族間に起きたちょっとしたトラブルの相談で
した。その話を聞きながら、目の前でお鮨を握っている店主と偶然に目が合っ
たのをきかっけに「ご主人のお店はご家族でやっていらっしゃるのですね。ご
家族で同じ仕事をやっていくときに、うまくやっていくコツはありますか?」
と尋ねてみました。その友人も家族と始めた仕事のことが発端のトラブルだっ
たので、友人の参考になるかと思ったのです。
そこで店主はこう話してくれました。
「コツですか、そうですね、上手に忘れることですよ。」
清潔感にみちた店主の柔和な表情と穏やかな声は、その外見からも優しい方な
のだとわかる方でしたが、「上手に忘れる」という話にはその人柄の良さだけ
でなく、時間をかけて自らの中に培った哲学、本物の智恵を見た気がしました。
齢を重ねた人の姿にはその人の心のありようがはっきり映るものなのだという
ことも思った瞬間でした。
 他店での厳しい修行時代を経て念願の自分の店をもち、息子を後継者に育て、
さらに小学生のお孫さんも将来はお店をやりたいといっていると、嬉しそうに
語る店主とそれを見守る奥さんの姿は清々しく印象的でした。
その夜、自宅に帰ってから自分は上手に忘れることができているだろうかと、
自問自答してみましたが、当然ながらあの店主の足元にも及ばない私です。
 「上手に忘れる」とは、家族経営に限らず人間関係をともなう組織運営には
通底する大事なコツだと感じます。どうすれば人は「上手に忘れる」ことがで
きるのか?その技術をさらに教えてもらうためにも、またお鮨を食べに行くつ
もりです。

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 ┃今日の一筆箋  
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 記事中にも書きましたように、ブログへの通算来訪者数が40万人になりまし
た。タレントさんの人気ブログには到底及ばないですが、マネジメント関係の
「堅い」内容のブログとしては、健闘してきたほうではないかと思います。

※このメルマガへのあなたのご意見、ご感想をお知らせください!
 誌上でのご紹介は匿名にいたします。このメールへのご返信で結構です。
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 ブログ読者の40歳女性、NYさんからメールをいただいた。
 ちょっと疲れ?が出ているわたしには涙が出るほどありがたかった。

 ご了解をいただき2回のメールをご紹介させていただきます。

*******************************************

岸見氏の講演参加、また質問状のやりとりお疲れ様でした。
講演中、嫌なストレスをお感じになりませんでしたか?
ご体調に悪影響かないか少々心配しております。
くれぐれもご無理はなさらないでください。

正田先生が火中の栗を拾うかのように、
アドラー批判をはじめ正しく現実的な情報を発信してくださっているのに、
なかなか有益なお手伝いが出来ず、申し訳ありません。

個人的には野田俊作氏がおっしゃる、理論と技術の違いとう部分を納得しました。
身近に医者しかも外科医がいるからかもしれませんが、
理論がわかっても技術が追いつかないと、手術はできません。
手技が下手な外科医は、いくら理論を知っていても、患者の命を危険にさらします。

そういう意味で、岸見氏は理論家(それも正田先生の分析によれば、それもあやしいですが)なのかもしれませんが、
その理論は手技を伴わないものだということ。
そう考えると、あの本の位置づけわかった気がしました。

「嫌われる勇気」は空想の話=フィクションで、現実世界に適用できるものではない。
だが、なぜか読者のほうが現実世界に適用できると勘違いして、
(あるいは勘違い生むように岸見氏他の関係者は振る舞っている?)
その勘違いを誰も訂正しないまま、今に至っている。

アドラーのような自己啓発とも重なる分野の話は、
その性質上、理論と実践の整合性をチェックすることが難しいのだと思います。
そんな中、正田先生が反証や検証をしてくださっていることは
本当にありがたいことだと思います。

嫌われる勇気のような本が売れる背景を思うとき、
現代社会の問題の深刻さを考えてしまいます。
中庸を忘れ、多様性や寛容さといった人間の知性やあるいは思いやりを軽んじるような風潮が人の心を浸食している気がします。
嫌な世の中ですが、そういう現実を変えて行くのもやっぱり一人一人の心と実践なので、
行動承認の実践は、善い変革のもとになる1つの大きな実践と思います。
「まずは、ささやかでもできることから」を、自分も心がけたいと思います。


*******************************************


正田先生

お世話になります。

メールのブログへの掲載、どうぞお使いください。
お返事がおくれてすみません。

ブログやメルマガの読者の多くの方が、
私と同じような想いを感じていらっしゃると思います。

その後の、著者、編集者の皆様のお返事をよませていただくと、
正田先生の質問に正面から回答することはさけていらっしゃるようなので、
たぶん、彼らの視界には、先生が指摘されている深刻なトラウマを抱えた少年だったり、
あるいは褒め育てて成果をあげている教師や組織のマネージャー層というのは
全く入っていないのだと思います。

また幸福や自由、あるいは勇気についても、
例えば貧困や虐待、あるいは戦争、人種や宗教による差別、
などの理由によってそれらを享受することが不可能な人々にとっての幸福や自由、
あるいは勇気については考えが及んでいないのだと思います。

なので、「誰もが」の意味するところが、先方とこちらでは乖離していて、
議論の前提が噛み合ないのではないでしょうか。

私は、やはり「誰もが」の中には、
やはり貧困や虐待、あるいは戦争や差別に苦しむ人が含まれているべきだと思いますし、
もしそういう人々が対象者に含まれないならば、
誰もがという表現を使うことは不適切にも感じてしまいます。

そういう部分にそれほど過敏になる問題ではないと言う意見が大半なのかもしれませんが、
正田先生のおっしゃるように例えば公教育だったり、社会的に影響力の大きい組織や団体が、
弱者に対する眼差しを欠いた思想を積極的に採用することは危険だと思います。
そういう意味では、やっぱり今の状況はかなりおかしい、危ない状況にも思えます。

私はアドラー心理学も、教育も門外漢なので、的外れなことを考えているのかもしれませんが、
私のように感じるものの先生の読者の中にはいるということをお伝えすることが
少しでも先生のパワーにつながるといいのですが。


*******************************************


 NYさん、ありがとうございます。しっかりパワーになっていますよ。

 気がつくと「独走状態」なのである。「アドラー心理学批判」では。
 今月初めからGoogle1-4位独占、Yahoo!1-6位独占になり、その状態が続いている。

 新聞はじめ大手メディアは2月10日に日本アドラー心理学会のフジテレビへの抗議文掲載を報じたあと、また「だんまり」になっている。
 出版界、広告料への気兼ねだろうか。

 だから「独走」していてもしょっちゅう考える。本当に正しいことをやっているのだろうか?わたしの独りよがりではないのか?

 そういっているうちに豊中市の国有地の学校法人「森友学園」にたいする売却価格の問題と、同学園の認可が下りない可能性が報じられた。

 結びつけるのは強引すぎるかもしれないが、「おかしい」と感じたことはおかしいと言わないと。今、そのセンサーが「いいね!」や「ほめない叱らない」「怒らない」のはんらんでで皆さん弱っているのかもしれない。


 
 いろんな形でお友達が支援してくれる。NYさんのようにご感想を寄せてくれる人、アドラー関係の催しに「潜入ミッション」をするわたしにイベントの案内をしてくれる人、そしてFacebookで「いいね!」をつけたりコメントしてくれる人。


 そしてここまで、当ブログに貴重なコメントをくださったトラウマ支援者の方、精神科医、小児科医の皆様、ありがとうございます。









 表題の通り、『嫌われる勇気』の編集者、(株)コルク 柿内芳文氏より当方の質問へのご回答をいただいた。
 心の準備をされていたのか、若干丁寧な文面だった。

*******************************************

正田佐与様

先日は不在で電話に出れず、たいへん失礼いたしました。
『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』の編集を担当した、コルクの柿内芳文と申します。
このたびはご質問をいただき、まことにありがとうございました。

わたしは編集者として、「自由」や「幸福」、また「勇気」をテーマに、わたしたちが幸せに生きるための提案のひとつとして、両書を出版したつもりです。
また、現在たくさんの読者の方々からご支持いただいている理由も、わたしたちの真意が届いた結果ではないかと受け止めております。
ご意見、ご批判は真摯に受け止めたいと思いますが、そうしたわたしたちの制作意図をお酌みとりいただけますと幸いです。
なにとぞ、よろしくお願いします。 柿内拝


*******************************************


 「自由」や「幸福」、また「勇気」をテーマに。

 かっこいい言葉だ。クリエイターなら誰しも一度は言ってみたいであろう。

 ともあれ、二人の著者・編集者計3氏の回答はこれで出揃った。




 柿内氏の回答内容とは別に、このところモヤモヤしていること。

 質問リストに書いたように、社会の分断は本の作り方、いやクリエイティブな仕事全般に現れているのだろう。

 本が読まれない。だから今の出版界でメガヒットを作ればそれは間違いなく出版社の功労者で、
 「ヒットを作ればいいんだろ」という「勝てば官軍」の姿勢にもなる。

 またヒットが出ると、
「これ本当は問題はらんでるよ。ほどほどのところで撤収しようよ」
というような「慎重論」は出てこず、韓国へ台湾へ中国へ「アドラー女子」へTVドラマへ、ガンガン売りまくる。

 そして怖いのは、本というメディアが今読む人・読まない人にくっきり分かれているために、
 「本を読まない層については何を書いてもいいんだ!」
という姿勢になるかもしれないこと。たとえば「トラウマは…」のように(本当にそうなのかどうかわからないが)

 それは当然、差別の固定化・激化にもなるだろう。

 「今までにない、新しい切り口」
ともてはやされるものが、実は単に自分と異なる層への想像不足なだけで、見る人が見ればとんでもないものかもしれない。単に良識的なクリエイターがそこまでやらなかった、というだけの。

 こんなことを考えるのがわたしだけなのだろうか、出版界のことだけに相互批判が生まれにくいのだろうと思うが、ちょっと怖い。


 来ないかと思っていたら古賀史健氏(『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』共著者)から、本日ご返信が来た。

 内容的にはほぼ、先日の岸見一郎氏と同様の文面。

ダイヤモンドオンラインのこちらの記事などによれば、古賀氏が岸見氏に『嫌われる勇気』の企画を持ちかけ、10数年越しで実現したのだという。

 古賀氏の回答内容から紹介させていただこう。


正田様

先日はお問い合わせありがとうございました。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』共著者の古賀です。
ご質問の中、初めて耳にするようなお話も多く、幾分困惑しております。ただ、さまざまなご意見に対するわれわれの思いは、『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』両書の中で述べられており、特にこれ以上申し上げるべきことはないように思われます。われわれとしましては、両書を「人は誰でも幸せになることができる」「勇気をもって一歩を踏み出そう」という希望的なメッセージを届ける本としたつもりです。
正田様のご著書が有益な一冊となりますことを祈念しております。

古賀史健



 ちなみにわたしからの質問状は9問で、先日の岸見氏に宛てたものより少し詳しくなっている:

株式会社バトンズ
代表取締役社長 古賀史健 様

はじめまして。先ほどはお電話で大変失礼いたしました。わたくしは正田と申します。神戸に住む研修講師兼ブロガーです。『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』とそれらが生み出した社会現象について調べ、書籍にまとめさせていただこうとしております。
共著者である古賀様に、お忙しいことと存じますが、ご質問をさせていただきたいと存じます。以下のご質問にお答えいただければ幸いです。
(すべてが難しくても、答えやすいご質問にだけでもお答えください。)

1.『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(以下「両書」と略)の中で「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」など、読む人の置かれた状況によっては非常に残酷な言葉が使われています。このことについてどうお考えですか。

2.「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」は、既にネットやメンタルクリニックのキャッチフレーズ、常識のウソ本などで二次使用、三次使用されています。このことについてどんなご感想をお持ちになりますか。

3.両書に出てくるフレーズで、上記の2つを含め、アドラーが実際には言っていない言葉や、実際に言ったのとはほど遠い言葉が多数あります。本を作るにあたってアドラーの原著を参照して確かめるということはなさらなかったのですか。

4.「承認欲求を否定せよ」は、まともにその通りやると抑うつ的になるだろうという精神科医からの指摘があります。また「トラウマは存在しない」というフレーズは、現にトラウマに苦しんでいる患者さんが二次被害に遭ってしまう可能性があり、いずれも深刻な事態を招くおそれがあります。こうした本を作りアジア各国で400万部も売ったことについての社会的責任についてはどのようにお考えですか。

5.岸見一郎氏の『アドラー心理学入門』『アドラー心理学シンプルな幸福論』(いずれもベスト新書)では、まだ「承認欲求を否定せよ」という言葉は入ってきていません。この語を『嫌われる勇気』に入れるよう進言されたのは古賀様ですか。またそれはなぜですか。

6.『幸せになる勇気』では「ほめ育て」について、独裁者の武器であるかのように言っている箇所があります。全国にはほめる教育で成果を上げ、ひたむきに従事している多数の先生方がおられますが、その先生方の心を傷つけることはご想像されませんでしたか。

7.『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』がともに、深刻な状態の弱者を視野に入れておらず、「社会の分断化の象徴」という見方をされることについてはどんなご感想をお持ちになりますか。

8.韓国での熱狂的な歓迎にみられるように、「経済的に深刻な状態の国の抑圧された若者にとって絶望を固定化させる書物だ」と見られていることについてはどんなご感想をお持ちになりますか。

9.最終的に、両書はどんな読者にどんなメッセージを届けたいというコンセプトでしたか。

以上
ご質問は以上です。何卒よろしくお願いいたします。


 質問状を送ったのは13日だったので、1週間後に回答がきた。

 

 ちょうどこれと前後して、日本アドラー心理学会からもご回答がきていた。

正田佐与様

ご返信がおそくなり、申し訳ありません。
当方の状況についてご配慮いただき、感謝申し上げます。

さて、ご依頼の件について、理事会にて検討させていただきました。
結論としては、取材はお断り申し上げます。
理由は、当学会はテレビドラマ『嫌われる勇気』について株式会社フジテレビジ
ョンに抗議をいたしましたが、岸見一郎氏の学説そのものについては、現段階で
は態度を保留しております。したがって、これについては公的な立場でコメント
できることはありません。また、テレビドラマ『嫌われる勇気』に対する抗議内
容は抗議文に書いた通りで、それ以上コメントすることはございません。従いま
して、取材していただいても、お答えできる内容がございません。

ご期待に添えず、申し訳ありません。


日本アドラー心理学会会長
中井亜由美


*******************************************
日本アドラー心理学会
〒532‒0011 大阪市淀川区西中島3‒8‒14‒502
TEL:06‒6306‒4699 FAX:06‒6306‒0160
Mail:lem02115@nifty.com
*******************************************



 というわけで、取材へのガードは固い。
 でも理事会にもかけていただいたということだし、当方の真摯さは理解してくれたようだ。


 ”宿題”は少しずつやっている。

 きのうは急に下血してしまった。お友達に「もう免疫つきましたから〜」などと言っていたが、ちょっとストレスだったかな。





 




※先ほど、誤ってタイトルをデフォルトにしたままメルマガを送信してしまい
ました。読者の皆様には、ご不審に思われたのではないかと思います。改めて
タイトルを変更したものを送信させていただきます。メール受信件数を余分に
増やしてしまい誠に申し訳ありませんでした。

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【1】 アドラー心理学特集:
     Yahoo!トップ6、Googleトップ4達成。
     これが最先端の「アドラー心理学批判」だ!
     岸見一郎氏、野田俊作氏とのやりとりも収録。

 アドラー心理学をベースにした人生論の書『嫌われる勇気』とその続編、
『幸せになる勇気』。今月初め時点で、2冊合わせて日本・韓国・台湾・中国
で計400万部を超えるメガヒットになっています。メルマガ読者の皆様も手に
とられた方が多いでしょう。
 しかし、その内容に「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」など、
アドラーが言ってもいない「捏造語録」や、アドラー心理学としても一般的で
ない、かつ人の心身にとって有害なことが多数含まれている…ということは、
まだあまり広く知られていません。
 今月10日には、同書を原案とした関西テレビ系ドラマ「嫌われる勇気」が、
「アドラー心理学に対する誤解を招くおそれがある」と、日本アドラー心理学
会からの抗議を受けています。
 わたくし正田は昨日、兵庫県教委播磨東教育事務所・加古川市教委・加古川
市PTA連合会の共催による岸見一郎氏の「アドラー心理学講演」に約1年ぶり
に行ってまいりました。
 そこでは、同氏が相変わらず「ほめない叱らない」という、非科学的な子育
てのお話をしていました。
 大新聞やTVはアドラー心理学と『嫌われる勇気』を礼賛するばかり。一方、
拙ブログ「正田佐与の愛するこの世界」での「アドラー心理学批判」のシリー
ズ記事は検索エンジンから高く評価されており、本日現在、Yahoo!でトップ6、
Googleでトップ4にランキングされます(いずれもPC版)。
 昨日未明は、下記のように岸見一郎氏本人から、不完全なものですが質問へ
の回答を受け取りました。「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」
など、有害なフレーズを含む本をなぜ上梓したのか、読者の置かれた状況によ
ってはこうしたフレーズで深刻な影響を受ける人が出ることをなぜ想定しなか
ったのか、についての回答です。
 今号のメルマガは、「アドラー心理学批判特集」として、一連のシリーズ記
事の主なものをご紹介いたします。
 わたしは、お出会いするすべての方々が正しい情報を知り、その方々と共有
しながらお話をできることを願っています。
 なぜか、ここでしか読めない本当の話。お仕事のかたわら、どうぞご覧くだ
さい:

●「人は誰でも幸せになれる」「私たちの思いはすべて両書の中に」『嫌われ
る勇気』著者岸見一郎氏への質問とその回答(2017年2月19日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953105.html

●重い傷を負った少年たちとともに「トラウマ」と向き合う――土井ホーム・
土井高徳氏の話(同2月17日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51953044.html

●三たび野田俊作氏が口を開く 岸見氏の問題は「手術じゃなくて解剖」(同
2月14日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952959.html 

●精神科医・熊代亨先生より「トラウマは本当に『ある』?/目的論・原因論
どちらを重視?/承認欲求を否定したらどうなる?(同2月10日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952757.html 

●トラウマの存在と野田氏との最後のやりとり(同2月4日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952515.html 

●野田俊作氏との対話。トラウマ、米国でのアドラー心理学、承認欲求、その
他。(同2月2日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952455.html 

●岸見氏の「脳内混線」の起源を探る――『アドラー心理学入門』をよむ(同
2月1日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952397.html 

●アドラー心理学批判 再度のまとめ:オールオアナッシングと「明確に否定」、
バグだらけのプログラム…『嫌われる勇気』は発達障害者の自己正当化だ!懸
念される「アドラー心理学鬱」(同1月14日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51951658.html 

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
(2016年5月29日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html 

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在し
ない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪(同5月30日)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

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 ┃今日の一筆箋  
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 梅の季節となりました。わたしの住む六甲アイランドにも梅林があり、紅白
の花が清らかな香りを運んでくれます。

※今号の「ユリーの星に願いを」は、お休みです。

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 『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の主著者、岸見一郎氏にメールで質問をした。
 1週間後のきょう未明、メールでご回答があった。
 質問と回答を原文のまま掲載。

 なお共著者の古賀史健氏、編集者の柿内芳文氏にもメールで同様の質問を出してみたが本日まで回答はない。
 岸見氏の回答文中の「私たち」とは、古賀氏や柿内氏まで含むものと解してよいのだろう。


*******************************************


岸見 一郎先生

初めてお便りいたします。
わたくしは神戸で管理職教育の研修講師・ブロガーをしております、正田佐与と申します。
現在、「アドラー心理学の真実」について、本にまとめようとしています。

『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』その他講演でのご発言について、岸見先生にご質問したいことがございます。
ご質問内容は以下の通りです。


1.『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』のほ中で「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」など、読む人の置かれた状況によっては非常に残酷な言葉が使われています。このような配慮に欠ける本をなぜ作ったのですか。

2.上記のフレーズをはじめとして、アドラーが実際には言っていない言葉や、実際に言ったのとはほど遠い言葉、真逆の言葉が多数あります。アドラー心理学が社会から誤解を招くリスクはお考えになりませんでしたか。

3.「承認欲求を否定せよ」は、まともにその通りやると抑うつ的になるだろうという精神科医からの指摘があります。また「トラウマは存在しない」というフレーズは、現にトラウマに苦しんでいる患者さんが二次被害に遭ってしまう可能性があり、いずれも深刻な事態を招くおそれがあります。こうした本を作り400万部も売ったことについての社会的責任についてはいかがお考えですか。

4.『嫌われる勇気』また『幸せになる勇気』の文章は、いずれもフロイト学派やほめ育ての手法、承認論などへの強烈な対抗意識を含んでいます(本来のアドラーの思想はここまで露骨に他の手法を貶したりはしていません)。それらの人々のこれまでの実践を侮辱し、それらの人々の感情を傷つけるということは事前にお考えになりませんでしたか。

5.本日、フジテレビ系ドラマ『嫌われる勇気』の内容について、日本アドラー心理学会が抗議したことが報じられました。同学会はこれまでにも岸見先生にコンタクトを試み、ドラマの内容がアドラー心理学への誤解を招いていることについて善処を要望していたときいております。岸見先生はドラマの内容についてどの程度の指導等をされたのでしょうか。


ご質問は以上です。できれば、これらのご質問について、お電話か面談でお答えいただけたらと存じますが、お忙しければメールでも結構です。
本日より1週間以内、2月19日までにご回答もしくはお電話または面談によるご回答の日程設定をお願いできればと存じます。


※尚、野田俊作先生は、厳しいご質問にも真摯にお答えいただき、対話から逃げるようなことはされませんでした。
真実のアドレリアンはそうしたものだと思っております。

何卒どうぞよろしくお願いいたします。



‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥…━━…‥‥

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   正田 佐与(しょうだ さよ)
正田佐与承認マネジメント事務所

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正田様

ご連絡いただきどうもありがとうございます。
私たちとしましては、『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』によって特定の方々を傷つける意図はなく、アドラーの思想をベースに「人は誰もが幸せになれる」という大きなメッセージを投げかけたつもりでいます。ご批判は真摯に受け止めたく思いますが、私たちの思いはすべて両書の中に込めてありますので、それ以上のご返答は差し控えさせていただきます。
どうもありがとうございました。

岸見 一郎(ichiro kishimi)



*******************************************


 さて、上記の回答の中で岸見氏は「『人は誰もが幸せになれる』という大きなメッセージ」と言う。確かに『嫌われる勇気』も『幸せになる勇気』も最終的に同様のフレーズを謳っているが、しかし承認欲求を否定した人が幸せになることはそもそも不可能である。できるとしたらそれは認知能力の重篤な障害のある人が主観的にそう思っている、という世界だろう。そしてトラウマを負っているのにトラウマを否定される人も…。

 「人は誰もが幸せになれる」という言葉を言えば、ほかのことすべての免罪符になるんだろうか?

 ともあれ、岸見氏古賀氏柿内氏への質問というのは非常に気の重いフェーズだったので、少し肩の荷を下ろした気分だ。

 今日はいい天気。

 『嫌われる勇気』について調べるなかで、引き続き様々な関係者にご意見を伺っている。
 Facebookでご縁をいただいた、土井ホーム運営・土井高徳氏のコメントを、ご了解をいただいてブログにUPさせていただく。

 子どもたちの中でももっとも重い傷を負った、被虐待経験や少年犯罪、非行の経験をもつ少年たちを受け入れ、日々目の前にみて向き合い、励まし、時には真剣に叱りもする土井氏の目には、「トラウマは存在しない」が一人歩きする現状はどう映っているだろうか。


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 こうした、「トラウマは存在しない」が一人歩きしている現状について、「トラウマ」を抱える当事者と現在形で向き合っている支援者はどうみているだろうか。
 福岡県北九州市で、深刻な発達上の課題を持つ少年を多く受け入れている里親型ホームを運営する土井高徳氏にお話を伺った。

 土井氏は1970年代から不登校や引きこもり、ネグレクトの少年たちの支援を行ってきた。今世紀に入ってからの支援は、親から虐待された過去を持つ少年を多数受け入れるようになり、治療的専門里親として少年の生活全般を建て直す方針になっている。
 土井ホームで受け入れた少年たちは、家庭や児童養護施設で激しい虐待を受け、虐待の影響によって解離症状などの深刻な精神医学的症状を見せる少年、深刻な少年犯罪や非行、逸脱行動を表出する少年、不眠や抑うつ症状、自傷行為を見せる少年など、深刻な状態の少年ばかり。このような虐待と発達障害の重複という子どもも多い。少年同士の激しい対立が起こり、警察を呼ぶことすらあった。

「トラウマは存在しない」というフレーズが独り歩きしていることについて、土井氏はこう語る。

「トラウマ概念は紀元前8世紀のホメロスのイリアス、紀元前5世紀のヘロドトスの著作物にトラウマ類似の事例が記載され、戦争神経症、鉄道脊椎症候群などと時代時代で報告されてきました。こうした驚愕反応や侵入症状などの中核症状は、フロイト、フィレンツ、ジャネによって次第に明確化され、戦争体験者、大規模災害やユダヤ人収容所の生存者、性被害者などに広く認められる症状として、1980年にアメリカ精神医学会によって提唱され、引き続き1992年にWHOの診断基準に掲載されたという歴史があります。トラウマの存在を前提とした診断と適切な治療や援助は、臨床医学や臨床心理学、保健学や看護学などの分野ですでに確立されたものであることは論を待ちません。」

 児童養護施設で同室の子どもの体の50か所以上にやけどを負わせ、年下の男の子に性的いたずらをするなどして土井ホームに入所してきたA少年のケース。
 入所後も、少年の暴力と規則に従わない行動、それに解離症状は折に触れ噴出した。A少年も大事だがホームの他の少年も守らなければならない。このため土井氏はA少年に対して4点の指導方針を決めた。
1.「再演」としての逸脱行動に対する「強い枠付け(禁止)」
2.自分自身の行った行為に対する事実とそれに対する感情の徹底的な言語化
3.逸脱行動の背後にあるこれまでの心的外傷の語り
4.加害少年と被害少年との修復的司法の取り組み

 土井氏はA少年の被害にあった少年2人から聞き取りを行い、A少年による暴力行為の内容を確認。続いてA少年と面接を行った。
 A少年は身体的暴力だけでなくペットボトルの小便を飲ませるなど、性的暴力も行っていた。土井氏はA少年に、
「ひとが苦痛を覚えることを力で強要するのは最大の暴力だ。やってきたことはおまえ自身が施設でされてきたことではないか」
と施設での体験を話すように促した。するとA少年は激しい葛藤の表情を見せ、話すことへの強い躊躇を示した。
 土井氏がさらに
「つらく傷つくような体験をいっぱいしてきたと思う」「そうした体験をじっと心に隠しているといつまでもそのことに囚われてこころが晴れない」「言葉にすることで自由になれる」と促すと、A少年はようやく以下のような体験を語り始めた。

A少年:「養護施設では、小学生の間はまだ良かったが、中学生になったころからいじめが酷くなり、態度が悪い、言葉遣いが悪いと殴られたり蹴られたりした。子どもたちが囲んだ中で年長児とのたいまんを強要され、ボコボコにされた」「首を絞められ喉から血が出た」
土井氏:「施設の卒業生によれば、風呂場が一番苦痛だったとT教授から聞いたが」
A少年:「熱湯や洗面器に入れた小便をかけられた」「気を失うまでお湯に体を沈められ、浴槽のお湯を飲め、飲まないと殴るぞと強要された」
 その後A少年は施設で年長児3人から性的暴行を受けていたこと、自分も下級生に性的暴行をする側になったことなども語った。
 土井氏は「そうか、辛かったな。施設での出来事をよく勇気をもって話してくれたな」
とA少年を評価した。そして、ホームの多くの少年が家族愛に恵まれない中でA少年には母親や姉がいること、また土井氏の夫人がA少年を受容的に処遇したいと言っていることなどを語ってきかせた。A少年は号泣した。

 「明日からがんばるな」と土井氏とA少年は握手。「ただし再発した場合は即座に断固とした処置をとる」と告げた。面接終了は夜中の11時15分だった。
 「トラウマ記憶の言語化」については、90年代アメリカで「記憶の捏造」が訴訟問題にまで発展し、そのために今でもトラウマの存在に懐疑的な精神科医もいる。土井氏は大学の先生や出身施設など少年の周囲から情報を得ることでその問題をクリアしている。

 翌日、A少年は被害を受けた少年2人に謝罪。被害少年たちも謝罪を受け入れた。
 A少年はこの後、トラブルを起こすことはなかった。暴力の再発はなく、周囲からも「A少年は変わった」「以前は暴力で解決しようとしていたが、今は言葉で解決しようとするようになった」という評価の声が上がった。やがてコンビニエンスストアで高校の放課後アルバイトをするようになり、地場の企業に合格し、会社の社員寮に入ってホームから巣立っていった。

 土井ホームでのこのエピソードを紹介したのは、ほかでもない。
 「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」に代表される、まったくの「頭でつくった言葉」がベストセラーに載り、一人歩きしている状況にNOを言いたかったのだ。
 切実にトラウマに苦しみ、自分が苦しむのみならず周囲にまで苦しみをもたらしてしまう当事者がいる。そしてその当事者と「本気」で向き合う支援者がこの地続きの世界に、いる。

 土井氏に、「目的論か、原因論か」について問いかけるのもいささか「野暮」のような気がする。氏の手法は、発達障害児への支援技法(構造化など)を加味しているが、基本的にオーソドックスな行動療法。そして上記のA少年に対しては、「トラウマを言語化する」という、認知行動療法の手法も使っている。大いに「原因論的」といえる。
(実は、筆者も自分の子がいじめによって不登校になり、鬱が治り元気になりはじめた頃家族にたいして荒れた。このときに「いじめっ子にされたことを言語化する」ことを勧めたことがある)

 あえて土井氏に伺ってみた。
Q.土井ホームで受け入れているような深刻なトラウマを抱えた少年について、この例のように原因にさかのぼって言語化してもらうことは多いですか?全体の何割ぐらいのお子さんにこういうアプローチをしますか?

A.子ども支援はマラソンです。まず安全感のある環境を保障し、内面で言語化の用意が十分に整ったことを見極めてから取り組みます。準備のできないうちに言語化を急ぐと回復の基礎が崩壊するからです。
 基本、虐待などの被害体験がどの子にもあり、その被害が加害へと転化した深刻なケースを長期にわたって取り組むことも少なくありません。「安全」、「相互性」、「回復・自立」という段階をゆっくりと穏やかに円環的に進めていきます。このようなアプローチはどの子に対しても同様です。子どもの傷の深さによって、「安全」の段階で回復する子も「相互性」の取り組みによって回復する子などそれぞれです。現場と子どもは実に個別的で、ケースバイケースす。
それと同時に、最近ではこうした「リスク管理モデル」から「長所基盤モデル」へとスライドし、子どものストレングスやレジリエンシー重視という方向へと向かっています。その際に、私たちと子どもにとどまらず、子ども同士の相互性を生かした言語化という取り組みを行っています。」

*******************************************

 ちょうど奥様がインフルエンザで発熱、ホームレスの少女が来訪するなど大変な取り込み中のさなか、いただいたコメントだった。
 重い。でもこちらが確実に真実だ。

 ウソや軽い言葉より真実を尊ぶ私たちでありたい。

 この場を借りて土井高徳氏に深く感謝します。

 精神科医・ブロガーである、Dr.シロクマこと熊代亨先生の新着記事を、こちらにも全文転載させていただきます。

※元の記事
>>http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20170209/1486634304


 熊代先生は従来より精神科領域から「承認欲求を否定することは危ない」と発言。
 2014年にはブログ「シロクマの屑籠」「承認欲求四部作(リンクは第一記事)」をまとめられ、当ブログでも引用させていただいたりしました。
 (当ブログの引用記事はこちら


 このシロクマ先生に最近、わたしから3つのご質問を投げましたところ、それへのお答えをこんな風にブログ記事にまとめてくださいました。

 大変熟考されたうえ、記事としては手際よくまとめてくださっています。わたし自身にも大変参考になりました。

「承認欲求を否定したら、どうなりますか?」普通の精神科医なら「考えたこともない」と答えるであろうご質問にシロクマ先生は、「抑うつ的になるでしょうね」。明確に言い切られました(←某ベストセラー的表現)

 読者の皆様も、よろしければご覧ください:


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「 トラウマは本当に「ある」?/目的論・原因論どちらを重視?/承認欲求を否定したらどうなる?


先日、ある方から3つの質問をいただいた。これについて、自分なりに整理してみたかったので、ブログ上で清書をしてみます。
 
 お題は、以下の3本です。
 
 1.「トラウマ」の有無について複数の精神科医に訊いて回ったが、回答がまちまちだった。結局、トラウマは「ある」のか「ない」のか。
 
 2.トラウマの有無はともかく、現場では「原因論」と「目的論」どちらの考え方を重視するのか。
 
 3.「承認欲求を否定せよ」というフレーズがあるが、本当に否定したらどうなるか。
 
 


 
 【1.トラウマは「ある」のか「ない」のか】 
 

 どちらかといえば、私は「ない」派かもしれません。

 私は、フロイト直系の精神分析でいう(古典的な意味の)トラウマについて、あまり考えません。
 
 ちょっと古めの精神医学事典によれば、
 


 心的外傷 psychic trauma
 
 個人に、自我が対応できないほど強い刺激的あるいは打撃的な体験が与えられることをいう。
 (中略)
 フロイトS.Freudの神経症に関する初期の研究の中で提唱されたもので、恐怖、不安、恥、あるいは身体的苦痛などの情動反応を示す刺激として論じられた。これらの刺激は意識的世界では受け入れがたいので抑圧されてコンプレックスを形成することになる。すなわち、心的外傷体験は新しい外傷に対する自我の傷つきやすさを増大する。


 とあります。
 
 問題は、「新しい外傷に対する自我の傷つきやすさを増大するようなトラウマ体験」が一体どういう体験か、です。私の記憶が間違っていなければですが、古典的な意味でのトラウマとは、特別にひどいエピソード一回で生じてしまうものだったはず。
 
 対して、私が愛好する自己心理学*1では、トラウマに相当するものは、特別な一回や二回の外傷体験によってできあがるものではなく、もっと長期間の、持続的な共感不全や不遇によって生じるもの、とみなされていました。逆に言うと、一回のひどい体験があっても、その体験と当人を周りの人達が適切に受け取って対処できていれば、トラウマへと発展しない、という考えかたです。
 
 私は、世間で騒がれるところの「幼少期のトラウマ」の大半は、こちらの考え方で捉えたほうが妥当だと思っています。
 
 ただし、PTSDを念頭に置いたトラウマに関しては、ある程度「ある」と想定しています。
 
 PTSDという精神疾患は、もともと第一次〜第二次世界大戦に砲弾ショックや塹壕神経症と呼ばれていた軍関係の領域で発展してきたものですから、主に、長期間にわたって極限状態に曝される人々を対象として発展してきた疾患概念でした*2。それが、20世紀末になって戦場帰りではない人々にも適用されるようになり、90年代〜00年代にかけて、たくさんの人々この言葉を好んで用いました。こういった経緯には十分な留意が必要だと私は思っていますが、それでも、重度の災害等でPTSDの診断基準に見合った患者さんを発見したら、そのように診断するよう心がけています。そんなに多く出遭うものではありませんが。
 
 また、PTSDの研究領域では、海馬の縮小や扁桃体の変化といった器質的な変化や、交感神経系の異常な反応などが報告されています。これらも、PTSD領域にトラウマという語彙にふさわしい変化が存在する傍証になるのでは、と思っています。
 
 まとめると、私は
 
 ・精神分析のトラウマに相当するものは、古典的な一発ノックアウト説には懐疑的だが、長期的には発生し得ると考える
 ・PTSD領域のトラウマは、日常臨床ではそれほど多くは出遭わないにせよ、「ある」と考える
 
 という立場を取っています。
 
 
 【2.現場で「原因論」と「目的論」どちらの見方を重視するのか。】

 
 「目的論」と「原因論」については、私自身は、アドラー風の目的論的思考にあまり重点は置いていません。
 
 ですが、患者さんとお話をする時には、「原因論」にもとづいた原因探し、いわゆる“悪者探し”を滅多にやりません。
 
 古典的な神経症の患者さんに出会った時も含め、一般に、過去の出来事や心的外傷を振り返って得をする場面はあまり無いと私は思っています。PTSD系の論説のなかには、過去をほじくり返すとかえって侵襲が増すという話もありますし、また、過去を振り返るよう勧めすぎると「トラウマのねつ造」のようなアクシデントが起こることもあります。その片棒を担ぐようなことはしたくありません。
 
 また、“悪者探し”は家族関係や周囲の援助関係に悪影響を与えやすく、これが、アンコントローラブルな事態をもたらす可能性があります。かりに、99%親が「トラウマの源泉」だったとして、患者さんに「親が悪いんですよ、あなたは悪くないんですよ」と囁く行為が、どこまで患者さんのためになるのでしょうか。
 
 のみならず、患者さんに「親が悪い」と囁くことによって、治療者自身の問題や病理を反映しているってこともあるように思います。これも一種の「転移」ですよね。そういう転移混じりの状況では、治療者は思い切ったことを言いたくなるものですが、それが患者さんにとっての最適解なのか、治療者自身にとっての最適解なのか、よく振り返ったほうが良いことがあるように思います*3。
 
 なにより、過去の原因をどれだけ探したところで、過去は訂正できません。それより未来の社会適応を考えたほうが建設的なので、臨床場面では目的論的な話し合いをする機会のほうが多いと私自身は感じています。
 
 他方で、個人としての私は「原因論」、というよりも「因縁論」者です。私は大乗仏教を広く薄く信奉しており、思考のベースには縁起の考え方があります。
 
 私が見聞している範囲で「因果」と「縁起」の違いを述べてみると、因果とは、科学にみられるような原因-結果を一対一の対応とみなすのに対し、縁起とは、ものごとが起こる種子(要因)は単一ではなく無限にたくさんの要因が寄り集まって結果を生じるもので、その結果が、更に次のたくさんの出来事の種子となっていく、といったものです*4。科学という枠組みで取り扱いやすい物理現象や化学反応のたぐいはともかく、娑婆の出来事を考える際には、こちらのほうが実地に即していると私は感じています。
 
 また、なんだかんだ言っても私は精神分析っぽい考え方が好きなので、患者さんの縁って立つ背景についてはできるだけ情報を集めますし、ネガティブファクターたり得る要因の洗い出しは不可欠とも考えます。ただし、集めた情報とその分析結果をどこまで患者さんに伝えるべきかはケースバイケースで、伝えるとしても、細心の注意が必要です。
 
 なので私は、頭のなかではだいたい「原因論>目的論」ですが、実地に人と喋っている時には「目的論>原因論」という構えをとることが多いです。
 
 
【3.承認欲求を否定したらどうなる?】
 

 マズローの欲求段階説をベースに、「承認欲求を否定したらどうなるか」について私なりの考えを書いてみます。
 
 現代日本には個人主義的な自意識とイデオロギーが浸透しているので、承認欲求は、関係性の欲求として最も重要とみなしても良いのだと思います。ですから、その承認欲求が断たれてしまえば抑うつ状態に陥りやすいでしょう。あるいは酒やギャンブルといった嗜癖に溺れやすくなるか。このあたりは、実地の観察とも矛盾しません。
 
 ただし、昭和時代の日本人、途上国の町村部といった個人主義的な自意識やイデオロギーがそれほど広まっていない地域では、承認欲求よりも所属欲求のほうが関係性の欲求として重要度が高いので*5、承認欲求を否定されても、現代人ほどにはメンタルヘルスに打撃を受けないんじゃないか、と思っています。
 
 自分自身が承認の焦点になっていなくても、自分が所属している集団を誇りに思えたり、仲間意識や一体感が感じられれば、所属欲求が充たされてまあまあ幸せになれたのではないでしょうか。そのような現代以前の社会*6では、承認欲求を否定されるよりも所属欲求を否定されるほうが“堪えた”のではないかとも思います。これは、現代の大都市圏でスタンドアロンに働く人には、信じられない世界の話と聞こえるかもしれませんが。
 

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

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 このあたりは、リースマンやエリクソンやマズローといった昔の社会心理学っぽい書籍だけでなく、『昨日までの世界』のような最近の書籍を読んでいても、さほど間違っていないんじゃないかと感じます。また、私自身の親世代〜祖父母世代を見ていても、20代〜30代に比べて所属欲求への親和性は高いように見受けられます。
 
 ですから「承認欲求を否定したらどうなる?」の答えは「現代日本ではヤバいことになる。しかし人類史全体で考えるならそうとも限らない」が正解だと思っています。特に、内戦中の国のような境遇では、承認欲求/所属欲求どころではなく、マズローの三角形でいえば下のほうの、生理的欲求や安全欲求が脅かされるので、まず、それらを充たすことこそが焦眉になることでしょう。そのような状況下では、承認欲求が充たせるかどうかは、もっと後回しの問題になっているのではないでしょうか。あくまで相対的に、ということですが。
 
 

 
 ここに挙がっている3つの問題は、どれも、つきつめてYesかNoかで考えると割と考えが狭くなりやすいものだと私は思うので、ガチガチに肯定したり否定したりせず、コンテキストに即した柔軟な捉え方をしていくのがいいのかな、と私は思います。少なくとも実地で応用する際にはそうでしょう。そろそろ時間切れなので、今日はここまでにいたします。
 


*1:H.コフートが創始した自己愛についての精神分析学派。自己愛パーソナリティの研究で名を馳せた

*2:全米ベトナム戦争退役軍人再適応研究NVVRSによると、戦争に従事した後の30%の人がPTSDの診断基準をみたし、22.5%が診断基準の一部をみたすそうです。

*3:こういう、治療者自身の病理の取り扱いって、現在の精神科研修医はきちんと教わるものなんでしょうか。教えて偉い人。

*4:ちなみに宗教的には、そういった多岐にわたる縁起の連なりを全て把握できるのは人間には不可能とされています。それができるのは如来。

*5:「所属欲求よりも承認欲求が上」というあのピラミッドの書き方は、現代日本の個人にはあまり当てはまらないものだとは思いますが、西洋史観にもとづいて文明発達を考えるなら、順序として当てはまっているように私にはみえます

*6:ああ、これも西洋史観的なモノ言いですね、その点には留意しましょう


(太字一部正田)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 いかがでしょうか。

 熊代先生は、「承認欲求」の定義としてはマズロー説にしたがっていらっしゃるので、当ブログの通常のつかいかたとしての「承認欲求」と少しずれるのですが、その点もメールで少しお話ししたうえで、ここでは熊代先生の定義のほうを採用させていただいています。

 熊代/マズロー説による「承認欲求」でも、否定すれば抑うつ的になってしまう、ということですね。

 当ブログの定義による、「赤ちゃんのころから」の「承認欲求」だと、どうなってしまうでしょう…


 とまれ、素人のわたしのご質問に真剣に悩んで答えてくださいましたシロクマ先生、どうもありがとうございました!


 
「トラウマは存在しない」についての進展。

 結論から先に言いましょう、「トラウマはありまーす!」

 精神科医の先生により表現方法が違い、興味深かった。

 そのなかで日本トラウマティックストレス学会会長の岩井圭司氏(兵庫教育大学教授)からのメール。

 引用について正式のお許しがまだ出ていないので、要旨部分だけ抜き出すと、

※※※※

結論を先取りするならば、
> 1.動物でもトラウマに似た現象はあるのではないか
> 2.被災地にトラウマ、PTSDという現象はみられるのではないか
> 3.とくにASDの人ですと扁桃体が大きく、トラウマが残りやすいので、他人からみると些細なことでもトラウマになって動けないということが起きるの
> ではないか
>
すべてイエス、です。

で、敢えてわたくし流の独善的な言い方をするならば、
  PTSDはたしかに存在する。
  一方、トラウマは実在物ではない。ただ、構成概念ないし仮想実体としてのみ存在する。
ということになります。
・・・われながら、禅問答めいてきましたね(笑)

※※※※

と、いうことだった。

 ご自身は「隠れアドレリアン」とのこと。
 

 
 また今朝(2月6日)のNHK「あさイチ!」では、「いじめ後遺症」の特集をやり、そのなかで「トラウマ」に触れた。

>>http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/170206/1.html


※※※※

いじめの認知件数は、22万4,540件と過去最高(文科省調査・2015年度)。そんな中、子どもの頃にいじめを受けた人が大人になってもその後遺症に苦しむ“いじめ後遺症”の実態が、最近明らかになってきました。容姿のいじめをきっかけに何十年も「摂食障害」に苦しむ女性や、いじめから20年後に突然思い出して「対人恐怖症」に陥った女性もいて、多くの精神科医がその深刻さを訴えています。
いじめ被害者のその後を追ったイギリスの調査では、40年たってもうつ病のなりやすさや自殺傾向がいじめられていない人と比べてかなり高くなることが疫学的に明らかになっています。いじめはその人の健康リスクや人生までも脅かすのです。さらに、最新の研究では、いじめなどの幼い頃のストレスが、脳の形や機能に影響を及ぼす可能性も指摘されています。
番組では、知られざる“いじめ後遺症”の実態を明らかにするとともに、いじめの過去を精算する克服法もお伝えし、“いじめ後遺症”について考えました。

※※※※

という問題提起で、実際に”いじめ後遺症”に苦しむ人や精神科医が登場した。

 またこのブログで以前にも登場した、福井大学医学部の友田明美教授の研究により、

 幼少期の虐待で脳の一部の変形や萎縮が起こることが脳画像で示された。




 というわけで、トラウマは「あります」。この番組ではあまりにも「トラウマ」が人口に膾炙しすぎて否定的感情を生むことに配慮したためかあまり使わなかったが、ところどころではやはり「トラウマ」と言っていた。


 番組に登場した「いじめ後遺症」に40代になっても苦しむ女性は、摂食障害を患い、ずっとマスクを着けていた。
「誰かに認めてもらいたいと思うほうが高望みだし自分が我慢したほうが…」
という言葉が印象的だった。

 以前の「アドラー心理学特集」で「トラウマは存在しない」「承認欲求を否定せよ」と大きなテロップで流したうっかりさんのNHK、軌道修正してきたか。


 一方で元アドラー心理学会会長の野田俊作氏(精神科医)とのメールのやりとりは昨5日まで続き、最後は野田氏の「コメント拒否」で完結したのだが、そこへ至るまでのメール公開はお許しいただいた。


 そこは「続き」部分で。続きを読む

アドラー心理学入門表紙画像


※2017年2月1日現在「アドラー心理学 批判」のキーワードで、Googleのトップから4本、当ブログ記事がランキングされるようになっていました。ありがとうございます。


 『アドラー心理学入門』(岸見一郎、ベスト新書、1999年9月15日)。

 『嫌われる勇気』の系統の「アドラー心理学」をわたしが看過できない理由は、ひとつにはそれが若い人たちに及ぼす影響の深刻さを考えるからだ。周囲の人に心を閉ざし人との交わりから学んだり視野を広げたりすることができない。頼るのはもっぱらネット情報。そのもとからある傾向に「承認欲求を否定せよ」「人の期待に応えるために生きているわけではない」が拍車をかける。

 2つ目は、なんども書いていることだが「トラウマは存在しない」といったフレーズの傲慢さ。医療でいえば(精神医学も医療だが)ある特定の疾患について「存在しない」と言い切ってしまうことがどれほどその患者さんたちにとって残酷だろうか。

 3つ目は、笑われるかもしれないがアジア各国に我が国発でおかしな不良品を垂れ流しているということが我慢ならないのだ。それは過去に「トヨタやソニーの国」と尊敬された時代をなまじ知っているからかもしれない。


 そんなわけで異常な執念のようではあるが岸見思想の源流を探るため『アドラー心理学入門』を手に取る。1956年生まれの著者の43歳当時の著作ということになる。

 
「アドラーは人間の悩みはすべて対人関係の悩みである、といっています」(『個人心理学講義』26頁)(p.44)

 「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」。このフレーズも以前から不思議だった。せっかく出典が付してあったので手元にある『個人心理学講義』の該当のページを調べてみたが、そんなフレーズはない。版が違うからだろうかと、その周辺のページをくまなくみたが、やはりない。

 かろうじて近いと思われるのは、

「個人の人生を統一のとれたものと見なすことに加えて、人生を社会的な関係の文脈と関連づけて考察しなければならない」

という書き出しで、劣等コンプレックスにつながる話をするくだり。個人・個体として見るだけではなく周囲の人間関係も見なさいよ、と言っている。治療者としての視点で書かれており、「人間の悩みは」などという哲学者めいた主語のセンテンスはない。
※2017年2月現在、このフレーズは出典を付さないまま他の捏造語録と同様、「アドラー心理学ではこう言います」「アドラーはこう断言しています」とネット上に流布している。捏造語のリストはすなわち巨大なフェイク・ニュースの塊なのだ。

※※その後『人生の意味の心理学』を探すと、やや近いと思われるフレーズがあった。それでも言っている中身は「人間の悩みは…」とは180度真逆である。冗長になってはいけないので、この記事の末尾に追加したい。


 やれやれ、この時期から既に奇妙なフィルターをつけて「アドラー心理学」を名乗っていたのだ。

ちなみに昨年5月にまとめた「捏造語リスト」はこちら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html">http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html


 このあとは、岸見一郎氏の「息子さん」とその周囲の人にまつわる記述がある。「息子さん」についていろいろと感じることはあるがここでは触れない。

 このあとp.48-69あたりは、「目的論」の題目のもと、アドラーのみた問題行動をとる子どもに関する記述が続くが、たしかにこれらは子どもが「注目を引きたい(=承認欲求の一部。自己顕示欲)」あまりに問題行動をとるケースのようである。これらの症例に目が釘付けになっていると、いかにも承認欲求はわるいもののように見えるだろう。

(ちなみにこの本にはまだ「承認欲求を否定せよ」のフレーズは出てこない。やはり、出版界の「承認欲求バッシング」の尻馬に乗った捏造と考えていいのだろう。「承認欲求バッシング」は2008−11年ごろ流行った出版界の潮流である)

 ただし、アドラーはカウンセラーとして問題のある子どもを診てはいたが、自分の子どものことはよく見ていなかったということにも注意しておきたい。普通の子どもの中にも自然に「注目されたい」という承認欲求はあるし、親はそれを適当に満たしたり、無視したりしている。その中の病的な領域の子どもがアドラーの元を訪れるわけである。病的でない普通の子どもの日常生活をアドラーがどこまで見ていただろうか。

 また、「目的論」の正当性がもっぱらこれらの「注目を引きたい子ども」の症例によってサポートされているなら、だからといって「原因論」を完全否定することはできないだろう、という結論にもなる。注目を引きたいだけの子どももいれば、ひどいいじめに遭って外に出たくなくなり、今も人の目が怖いと思っている子どももいる。



 「課題の分離」と「責任・責任範囲」というふたつの概念についても色々と思うところがある。
 アドラー(と岸見氏)が「課題の分離の例」として挙げる例のうち、かなりの部分が、「責任感の高い人だったらその課題までを自分の責任範囲とみなすだろう」というもの。課題の分離と責任範囲と2つの物差しを見比べてどちらを使うのがふさわしいか決めないといけない。また、特に企業のマネジメントでは部下の一挙手一投足にマネジャーが責任を負うので(その感覚が肥大しすぎると問題があるが)「課題の分離」は、使えない場面のほうが多い。

もちろん、今のお受験目的で「勉強しなさい」といい続けて親子関係にひびが入っている例だとその限りではない。アドラー心理学が子育てに効くというのは、その「勉強しなさい」という言葉の多用を戒めるところではないだろうか。



 修学旅行中の電車の中での先生と生徒の会話。

●「『いいか、先生の降りる駅はA駅だ。君らが降りる駅は次の次のB駅だ。降り間違ってはいけないぞ』
 私がこの会話を聞いて感じたことは、先生が生徒を対等の関係の存在と見なしていない、ということです。
」(p.84)

 本当はこの前段もあるのであまりいい例とはいえないが、この先生の立場にも大いに同情してしまう。修学旅行である。失敗が許される場面とはいえない。もしそこで迷子が出たら、あるいは生徒たちが自分の正しい目的地で降り損なったためにコースの大半を辿れなくなったら、途中まで引率していた先生が責任を問われてしまう。電車の中という制約もあり、先生は短い指示語で言っただろう。それを責めるのもどうかと思うのだが。

 
 
●「アドラーはいっさいの罰に反対しました」(p.87)

 これも眉唾。さきの『個人心理学講義』や『人生の意味の心理学』などを読むかぎり、体罰や厳しすぎる態度に反対していたという風にしかとれない。ただアドラーの生きた時代には体罰は今よりはるかに一般的で、普通のご家庭でも子どもを鞭で打っていたので、それに反対したのは先見性があったのは確か。


「アドラー心理学では、縦の人間関係は精神的な健康を損なうもっとも大きな要因である、と考え、横の対人関係を築くことを提唱します。」(p.89)

 これには反論が3通りほど考えられる。
 まず、そもそもアドラーはそのようなことを言ったのか?ということ。ここでは出典自体述べられておらず、どこで言っているのかわからない。(もしこのブログの読者にアドラー心理学に詳しいかたがおられたら、ご教示いただきたい)
 2つめは、ネットでもよく見られる反論。「そうは言っても現実世界は縦関係で動いているではないか。親子関係も縦関係ではないか」というもの。
 縦関係を否定し、横関係を称揚するのは、学者やコンサルタントにはよくみられる。メディア関係者にもよくみられる。個人主義的で独立心高く、個として業績を挙げ、「上」からの管理を嫌う、その自分たちの性質を正当化するために、この人たちはよく「縦ではなく横関係」のほうを礼賛する。しかし多くの組織には当てはまらない。私はよくいうのが、「組織を否定するなら、電車が動いている恩恵にもあずかれない」。
 3つめは、「ケアと依存」のモデルだ。人は赤ちゃんのころ全面的に周囲の人に依存し、大人はそれをケアする。子どもはいずれ独立して巣立つが、やがて老人になり、またケアされる側になる。病気のときも然りだ。「私たちは依存がデフォルトなのだ」と上野千鶴子氏はいう。
 もちろんケア関係でも子ども・利用者の尊厳をとうとび、関係をより対等に近づける試みはなされる。それでも、「依存」という現実はなくならない。完全な横ではなく、斜め横ぐらいになるだけだ。依存することを弱者に許さなければ、生存すること自体できない。

 このあとにアドラー心理学の継承者であるリディア・ジッハーのロマンチックな言葉の引用が出てくるが(pp.90-91) この本全体で、アドラー以外の人名、たとえばソクラテスやプラトン、が出てくるときは要注意で、論理の筋が通っていないのを視点を変えて誤魔化しているようにしかみえないのだ。読者が反論するタイミングを逸するように仕向けているとでもいうか。


ほめてはいけないという話を聞いたある人が、その場にいあわせた小さな子どもに「おりこうさんやね」と声をかけました。ほら、そういうのがほめるということなのですよ(だからいけないんですよ)(p.95)

 これがまさに、上記の3つめの反論にあたる話である。わたしたちは体感的に、就学前ぐらいの子どもだと大人への依存度が非常に高いことを知っている。だから「上から」であろうと、ほめられたら嬉しいということを知っていて、学のない人でも自然と声をかけるものだ。とりわけ、親以外のよその人からほめられるとさらに嬉しいものだ。
 なのだが岸見氏は独自理論でこれを否定する。自然な近所の人同士の心のつながりを断ち切ってしまっている。


 さて、この本で「トラウマは存在しない」という言葉の起源らしいところを見つけた。それも意外な「出所」だった。

 V.E.フランクル『宿命を超えて、自己を超えて』(春秋社)の中の言葉として。

「フランクルがこの著書の中で非常に明確に、「反」決定論に立っていることは興味深く思います。『後まで残る心的外傷という考えは、根拠薄弱である」とフランクルは明言していますが、しきりにトラウマ(精神的外傷)が問題にされる今日、アドラーの見解は改めて考察するに値します」(p.138)

 つまり、「トラウマはない(んじゃないのか)」と言ったのは、アドラーではなくてフランクルである。岸見氏の頭の中で後年そこがごっちゃになってしまったのではないかと思われる。
 この文の末尾に「アドラーの見解は改めて考察するに値します」とあるので、アドラーがトラウマの有無について何か言った箇所が前段にあるのだろうかと探したが、見当たらなかった。岸見氏は他の論文か何かと混同したのだろうか。アドラーが言ったとすれば、これまでにみたように、「トラウマに新しい意味づけをして乗り越えよう」という意味の言葉である。
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.htmlなど参照。

 それと、フランクルのこの著作をまだ見てないのだが、フランクル自身はご存知のようにアウシュビッツの過酷な経験を生き延びた人だった。そのあとに精力的な学術発表を続けたから、「トラウマなど存在しない」と言う資格は、この人にはあるかもしれない、と思う。ただそれをほかの人に押しつけることまでできるかどうかはわからない。

 2月4日注:フランクルの『宿命を超えて、自己を超えて』を入手したところ、上記の「後まで残るトラウマは…」という言葉は、これもフランクル自身の言葉ではなく著書に登場する他の人の言葉の引用だった。伝聞として言っているのである。したがって「フランクルは明言した」は成り立たない。岸見氏の本の読み方や引用の仕方全体がおかしい、としか言いようがない。


 岸見氏が1999年のこの著作の中でトラウマ(精神的外傷)に言及した背景にはどんなものがあったろうか、とも思う。4年前の1995年に阪神大震災とオウム・サリン事件があった。97年には神戸で酒鬼薔薇の小学生連続殺傷事件があった。大事件事故災害のたびに「トラウマ」「PTSD」が話題になり、その治療技術をもつ臨床心理士が現地に派遣された。一般人の間でも「トラウマ」は日常語として、「俺、あの失敗がトラウマだよ」などと使われるようになった。

 「真性のトラウマ」もあるが「なんちゃってトラウマ」もある、そうした状況に苛立ち、「トラウマ」を標的にするようになった。そして著名人の言葉に「トラウマ否定」のフレーズがあることに救いを見出した、ということはないだろうか。

 
 『嫌われる勇気』の中の捏造フレーズ「トラウマは存在しない」は、昨年5月、NHK「おはよう日本」のなかでも大きなテロップで流れた。識者の懐疑的なコメントなどつけず、あくまで肯定的に。また最近書店で手に取った「常識のウソ」の本には、冒頭付近に「トラウマは存在しない」とある。理由は、「トラウマはフロイトが提唱したものであり、フロイトは原因論者で誤っているから」と、『嫌われる勇気』の論法そのままである。ライター自身が『嫌われる勇気』の信者で恐らく身内にトラウマに悩む人などいなかったのだろうし、編集部にもチェック能力が働かなかったということである。


 だから、ある程度大人の友人は「ウソなんか放っておけばいいよ」と言うが、わたしにはそうは思えない。本気で真に受けている人びとがいるからだ。とんでもなくいびつな人間理解がはびこり、どこかでそのために苦しんでいる人がいる。そしてアジア各国にも広まってしまっている。
 日本の片隅で、だれかが「それはおかしい」と言わなければならないと思うのだ。
 
 

※※「人間の悩みのすべては対人関係の悩みだ」に該当すると思われる『人生の意味の心理学』の中のフレーズ。

「われわれのまわりには他者がいる。そしてわれわれは他者と結びついて生きている。人間は、個人としては弱く限界があるので、一人では自分の目標を達成することができない。…そこで、人は、弱さ、欠点、限界のために、いつも他者と結びついているのである。…それゆえ、人生の問題へのすべての答えはこの結びつきを考慮に入れなければならない。」(p.11-12)

 ごく常識的な言葉である。しかしこれが「人間の悩みのすべては対人関係の悩みだ」というフレーズとして一人歩きしているため、TVドラマ「嫌われる勇気」の初回でヒロイン・庵堂蘭子の恩師は、この言葉のあとさらに「つまり他人さえいなければ私たちの悩みは消えるんです」と180度反対のことを言っているのである。
 

 再度のアドラー心理学批判のまとめ記事である。今日は少し物騒なタイトルをつけてみた。

 『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(いずれも岸見一郎+古賀史健、ダイヤモンド社)はそれぞれ2017年1月現在で累計150万部と44万部のベストセラーだ(同社調べ)。

 だがその論法を少し丁寧にみれば、この本の著者と想定読者層の独特の「認知的な偏り」をみてとることができる。既に日本の全人口の1,5%前後の方が購入した本であるが、その多くの方はこの本の内容をご自身の生き方やお子さんの子育てに応用する必要はない。できれば早めに内容を忘れたほうがいい、そういう本である。

 「この特性がなぜ発達障害?」と首を傾げる読者の方もいらっしゃるかもしれない。その場合は、発達障害の人の特性について比較的詳しいこちらのリンク先

●発達障害者は注意するのが好き?『大人の発達障害ってそういうことだったのか』を読む」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51873335.html

も、参照しながらこの記事を読み進めていただくとありがたい。

 また過去のアドラー心理学批判のまとめとしては、下記2本の記事がGoogleトップにランキングされているので、ご興味のある方はこちらも参照されたい:

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html
●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html


 さて、今日の記事の目次は以下の通り。今回も長い記事になるので本文は「続き」部分に。

1.オールオアナッシング、論理の飛躍
 ――フロイトが原因論ならアドラーは目的論だ!

2.「…してはいけない」「トラウマは存在しない」極論の否定形連発
 ――「構造化」が好きな発達障害者向けのパフォーマンス

3.体内感覚との乖離
 ――承認欲求への嫌悪、しかし本来は「共同体感覚」「協力」「貢献」と不可分のもの。

4.尻切れとんぼのプログラム、 「実行」への想像力不足
 ――ほめるを否定し勇気づけを肯定、承認欲求を否定して貢献・協力を肯定

5.現場的努力への不敬/「ほめる」「承認」が定着した職場や学校への異常な妄想

6.「すべての悩みは人間関係からくる」は出家遁世のすすめ

7.結局「何もしない」で、嫌悪の感情が残るだけ!!

8.「アドラー心理学離婚」も発生?「アドラー心理学鬱」は?

9.アドラーは科学哲学者ポパーの反面教師だった!

10.「行動承認プログラム」は、「能動態の承認」



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 アドラー心理学最新情報。アメリカの権威からみた「岸見アドラー心理学」とは。

 北米アドラー心理学会元会長のリチャード・ワッツ氏からメールをいただいた。昨日昼に思い立ってお問い合わせのメールを書いたところ、夜中にご返信があった。

 その内容をご紹介させていただきましょう:

著者はアドラーの教えについてアドラーとはかけ離れた解釈をしているようですね。

まず、他人の注目を集めることだけを考えて生きるのは不健全なことです。しかし、他者の承認を求めるのは正常なことです。私たちは所属とつながりの感覚を切望する存在なのですから。ヒトは社会的存在であり、よい関係性のためには協力は不可欠なものです。

第二に、上と同様、他人の期待だけに基づいて意思決定をするのは不健全なことです。しかしながら、周囲の人との協力という概念、また共同体感覚/社会的利益(ゲマインシャフト、共同社会)という概念は、関係性の中のギブアンドテイクを含むのです。それはすなわち、われわれは関係性の世界の中で自分の意思決定が他人に及ぼす影響を考慮しなければならないということです。自己の利益にだけ動機づけられているというのは正しくありません。

第三に、「他人の問題に介入しない」という概念は、主に問題を抱えたお子さんをもつ親御さんに向けて言ったものです。「絶対にしない(never)」という言い方は、アドラーもドライカース(注:アドラーの弟子の1人。アドラーの死後、アメリカでシカゴを拠点として活発なグループを設立し、個人心理学国際ニュースレターを発行した)もしていません。彼らは、「子どもにはできる限り自分の問題を自分で解決する機会を与えよう」と言ったのです。これは大人にも当てはまると私は思います。子どもが自分で解決できなかった場合、まただれかが攻撃的になった場合には、親や監督者が介入します。要は、私たちはほかの人たちに、自分で問題解決する機会をできるだけ多く与えるべきだ(そして私たち自身の問題解決にベストを尽くすべきだ)、介入したり助けを求めるのはそのあとだ、ということです。「絶対に介入しない」「絶対に助けを求めない」という言い方はアドラー心理学の常識を超えています。

このメールが助けになればと思います。

最高の勇気の表現の1つは、不完全であることの勇気だ。―アルフレッド・アドラー


リチャード・E・ワッツ、Ph.D.LPC-S, Distinguished Professor of Counseling
テキサス州立大学System Regents' 教授
サムヒューストン州立大学カウンセラー教育学科(テキサス州ハンツビル)

米カウンセリング協会フェロー
アドラー心理学会資格保持者
元北米アドラー心理学会会長(Past-President)

Hello, Sayo Sodo.

It appears the author takes some of Adler’s ideas far beyond what Adler meant.

First, to base one’s view of self solely on how much attention one receives from others is not healthy. However, it is normal to seek recognition from others in the sense that we all desire to have a sense of belonging and connection. Humans are social beings and cooperation is a crucial value for successful relationships.

Second, and similar to the first, to base all our decisions merely on the expectations of others is not healthy. Nevertheless, the notion of cooperation, as well as community feeling/social interest (gemeinschaftsgefuhl), with our fellow human beings includes relational give and take; that is, we should consider the impact of our decisions for others in our relational world and not be solely motivated by self-interest.

Third, the notion of not intervening in problems is typically addressed to parents when siblings are having difficulties. To use “never” is not what Adler or Dreikurs stated. What they said is that we should give children every opportunity to work out problems for themselves. I believe this applies to adults as well. Leaders should give those they supervise every opportunity to work our problems. If the cannot work them out, or if one of the persons becomes aggressive, then a parent or a supervisor should intervene. In summary, we should give others the space to work out problems as often as possible (and we should do our best to work out our own problems) before intervening or seeking help from others. To say we should “never” intervene or “never” receive assistance goes well beyond the common sense of Adlerian psychology.

I hope this is helpful. rew

One of the highest expressions of courage is the courage to be imperfect. - Alfred Adler
Richard E. Watts, Ph.D., LPC-S, Distinguished Professor of Counseling
Texas State University System Regents’ Professor
Department of Counselor Education
Sam Houston State University
SHSU, Box 2119
Huntsville, TX 77341-2119
Phone: 936/294-4658
Fax: 936/294-4277
Email: rew003@shsu.edu
SHSU’s CACREP Accredited Ph.D. Program: http://www.shsu.edu/programs/doctorate-of-philosophy-in-counselor-education/

Fellow of the American Counseling Association
Diplomate in Adlerian Psychology, NASAP
Past-President, North American Society for Adlerian Psychology (NASAP)
ResearchGate Webpage: https://www.researchgate.net/profile/Richard_Watts8
My Website: http://sites.google.com/site/richardwattswebsite/Home
Twitter: @Richard_E_Watts
Article on Reflecting As If in Counseling Today: http://ct.counseling.org/2013/04/reflecting-as-if/
ACA Podcast on Reflecting As If: http://www.counseling.org/knowledge-center/podcasts/docs/aca-podcasts/ht026-reflecting-as-if-(rai)-adler-and-constructivists-unite





 このブログの少し長い読者の方には、もうワカッテイルお話だとは思うが、こうして米アドラー心理学界の重鎮の方が言ってくださると重みがある。

 できれば、日本のアドレリアンの方々もきちんと発言していただきたいものだ。



※ちなみにワッツ氏から上記のメールをいただいた元の私からのお問合せメールはこういうものです:


こんにちは、私は日本の研修講師兼ブロガーです。
日本のアドラー心理学のトレンドについて先生のご意見を伺いたいと思い、メール差し上げました。
近年、アドラー心理学に関する『嫌われる勇気』という本が日本とアジアでミリオンセラーになっています。
私はこの本を読んだらとても変に感じ、アドラーの原著を読んでみたところ大きなギャップがあることがわかりました。『嫌われる勇気』は個人心理学について誤解を招いてしまうのではないかと思います。「他者からの承認を求めるな」「他人の期待に応えるな」「他人の問題に介入するな、自分の問題に他人を介入させるな」などと、アドラーの思想であるかのように言っているのです。私はそれは変だと思いましたしアドラーがそんなことを言うわけないと思いました。

先生がこの状況をどうお考えになっているかぜひお伺いしたいです。私の友人たちはこのままだと、アドラーの教えは若い人に有害な教えだと思われてしまうかもしれないと不安がっています。私たちに正しいお導きをください。

Mr.Richard Watts,

Hello. I’m a Japanese business instructor and blogger.
I’d like to ask you about your opinion on Japanese Adlerian trend, if you don’t mind.
These years, a Japanese book on Individual psychology, ‘Kirawareru Yuuki’ (means ‘Courage to be Hated’) has become million seller in Japan and other Asian nations.
I read the book and felt very odd, so I read Adler’s original works and found many large gaps between the books.
I felt the book, ‘Kirawareru Yuuki’, induces a lot of misunderstandings about the individual psychology. It says "do not seek recognition from others," or "there is no need to fulfill others' expect," or "never intervene to others' problems and never let others intervene to your problems" as if they are Adler’s thought. So I felt it odd and thought that Adler should not say such a matter.

Please tell me how you think about this situation. My friends are anxious that if it were in this way, Adler’s teaching would be taken as a harmful to young people. Please give us a collect guidance.

Thank you,

Best Regards

Sayo Shoda
Koyocho-naka 1-4-124-205, Higashinada-Ward, Kobe-City, Hyogo-Prefecture, Japan



 今日はとりわけ当ブログの「アドラー心理学批判」の記事にアクセスが多いです。
 たぶん、ドラマのせいです。

 「嫌われる勇気」フジテレビ系、木曜22時〜
 http://www.fujitv.co.jp/kira-yu/

 アドラー心理学をベースにした刑事もの。
 毒食わば皿まで、この国で起こっている思想的狂騒を見ておこうとわたしとしては珍しくTVをつけました。

 香里奈が、冷え冷えとしたなんの潤いもない心のヒロイン「アンドウランコ」を好演しています。

 岸見アドラー心理学本の文体をまねしてか、「明確に否定します」というセリフをやたら乱発。少女が泣きわめくのを尻目に満足顔でショートケーキを食べる冒頭シーンなどは異常性格にしか見えません。

 (あとのほうになると、「皆さんは先生がいいというものをすべていいというのですか?」なんていう、正論めいたことも言います)

 椎名桔平扮するヒロインの恩師役によれば、アンドウランコは教育を受けてそうなったわけではなく生まれながらのアドラー、ナチュラルボーンアドラーなのだそうで、これなどは岸見アドラー心理学はもともと適性のある人を吸い寄せる性質のものなので、違和感はありません。そのマイペースでやれる人はやればいい、ただそれをやる人達はなまじアドラー心理学というテキストを手に入れたので教条主義的になってすごく鬱陶しくなる、ということだと思います。自己正当化しまくってはいますが香里奈の表情はお世辞にも幸せそうとは言えません(このあたり、上手い演技なのでしょうか)

 で、アンドウランコ的生き方が成立するのは、「上司も同僚もあたしよりバカばっかり」という状況であるということも指摘しないといけません。現実にも遭遇する「信者」の方の周囲へのリスペクトの無さも想起します。普通はここまで極端な職場環境はあり得ず、上司先輩周囲の人々に教えてもらって仕事するのですから、「つながり感」はもっと重要なのです。アドラー心理学信者には世界はこのようにみえている、ということでしょうか。


 さて、「この国で起こっている思想的狂騒」という言い方をしましたが…、


 国際的にみても、やはり日本のアドラー心理学の現状はかなり奇妙なことになっているようだ、という証左をみつけました。

 元日本アドラー心理学会会長・野田俊作氏の昨年3月31日のエントリ。

 http://jalsha.cside8.com/diary/2016/03/31.html


 この記事では野田氏は、米国のアドラー心理学会関係者の問い合わせに答えてこんな苦渋に満ちた回答をしています。

残念なことに私は彼の本を好意的に評価することができません。彼の意見はさまざまの事項について「標準的な」アドラー心理学から偏っています。たとえば彼はある状況下では協力を拒否することが重要であると述べ、「他者からの承認を求めない」とか「他者の期待を満たす必要はない」とか「他者の問題に介入してはいけないし、自分の問題に他者を介入させてはいけない」というようなことを書いています。多くの日本のアドレリアンたちは当惑していて、彼の本を無視していますが、けれども彼の本は爆発的に売れています。たくさんの人たちが彼の本を読んでそれが与えた先入観をもって私たちの講座にやってきます。私たちアドラー心理学の教師たちは彼らの間違いを修正することでとても忙しいです。経済的には幸福ですが、学問的には不幸です。私たちは「アドラー・ブーム」に圧倒されていて、ただ台風が過ぎ去るのを待っています。これが私たちの状況です。



 いかがでしょうか。
 以前にこのブログに「日本のアドラー心理学関係者や研究者は、岸見氏の暴走を批判しないのでしょうか」というようなことを書きましたが、ここでは野田氏は「台風が過ぎ去るのを待っています」と述べています。批判を封じられており奥ゆかしいので、公に批判したりはしないようです。


 しかし、以前にも書きましたように「岸見アドラー心理学」はアドラーの原著から恐ろしくかけ離れたことを言っていて、ほとんど虚構に近く、しかも人間性に対して有害な要素がいっぱい入っているのです。下手にかぶれた人が気の毒なのですが。

 そんないわば”不良品”をここまで大きくしてしまったのは、早いうちに誰も適切な批判をしなかったせいなのでありアドラー心理学関係者らの罪は大きいと、わたしは思っているのでした。

(だから、畑違いのわたしが今やっているのです)
 

 アドラーの「子供」に関する原著をまた2冊読みました。『子どものライフスタイル』(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2013年。原題'The Pattern of Life'1930年)と『子どもの教育』(著者訳者出版社同上、2014年、原題'The Education of Children'1930年)

 どうしても「承認欲求を否定せよ」と「ほめない叱らない」に関連する語を探し出したいという、しょもない執念からであります。この「アドラー心理学批判シリーズ」としては、1つ前の記事に「まとめ」として中間報告のようなものがあります。「捏造語録」の「正誤表」のようなものも載せていますので、お時間のない方はそちらをご参照ください。


●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

(本記事での発見に伴い上記の記事の「一覧表」を一部修正しております)


 今日の記事は上の記事の補足のようなものです。


 『子どもの教育』のほうから行きましょう。

 ここには、相変わらず優越コンプレックス、劣等コンプレックスなどの極端な性格の例が出、やはりアドラーはカウンセリング畑の世界の人だなと思わせます。

 そして「第十三章 教育の誤り」「第十四章 親教育」これらの章に、「ほめない叱らない(捏造と認定)」に当たるフレーズはあるか?やはり残念ながら、ありませんでした。あるとしたらこの本のこのあたりの章にあるだろう、と目星をつけておいたのですが。

 あるのは、「絶えずがみがみ言って息子を破滅に追い込んだ教育者」といった、極端な例です。また殴るとか鞭打ちとかの体罰への批判です。(p.191)

 「ほめない」に関わりそうな言葉はようやく、みつかりました。

「子どもをあまりにほめるのは賢明ではない。あまりに多くのことが自分に期待されていると思うようになるからである。」(付録II 五つの症例と症例のコメント p.228)
「いつもほめ、知能指数が高いということで認めるというようなことをしてはならない」(同、p.229)

というふうに「過剰」を戒めています。「行動承認」論者からは、とくに異論はありません。「行動承認」に徹しておけばいいんじゃないの?というだけです。

 これも、じゃあ「ほめてはいけない」「ほめない叱らない」に即結びつけていいわけではなく、むしろ現代からみてもごく常識的な、「過剰の害」を戒めたにすぎません。よって、上記に挙げたまとめ記事の結論は変わりません。

 後世のアドラー心理学信者の方々が、「アドラーは賞罰主義を否定した」と言いますが、それにあたると思われるフレーズはありません。

 


 それから、「承認欲求を否定せよ(捏造語録に認定)」に関係ありそうなフレーズ。
 実は、180度真逆のことをアドラー自身は言っていることがわかりました。

 
 「第十二章 思春期と性教育」。ここでは、以前にご紹介した『人生の意味の心理学』で使ったと同じと思われる少女のエピソードがまた出てきます。

 いわく、病気の兄や父、小さい妹がいて自分に注目を向けられずに育った少女がいた。少女は人に世話をされ認められることを熱烈に希求するようになった。中学では成績が良かったが高校では成績が振るわず、先生に認められなくなった。すると家出して知り合った男性と2週間過ごしたが、男性に飽きられてしまった。すると家族に手紙を送り自殺を予告した。しかし実際には自殺せず、母親が家に連れ帰った。(pp.170-171)

 このエピソードを紹介したうえで、アドラーはなんと言っているか。

「われわれが知っているように、もしも少女が、人生のすべては認められたいという努力によって支配されていることを知っていれば、これらすべてのことは起こらなかっただろう。」(p.171)

 おわかりになりますか。
 アドラーのこの言葉は、ニーチェ的なニヒリズムよりもむしろヘーゲルの「承認をめぐる生死を賭けた闘争」という言葉を彷彿とさせます。つまり、「認められたい」一心でばかげたことをしてしまう少女の例を紹介しつつも、それにたいするアドラーの処方箋は「承認欲求を否定せよ」ではないのです。むしろ180度真逆の、ヘーゲル的な現実認識を示したうえで、少女自身にもそれを教えてやり、欲求を自覚させ、そのうえで欲求に振り回されない対処法をおぼえよう、ということを言っているのです。
 常識的ですよね。
 現代の「承認欲求バッシング」の書籍の著者らにも言ってやりたいぐらいです。

「また、もしも高校の教師が、少女がいつも学業優秀で、彼女が必要としていたのは、いくらかでも認められるということであったということを知っていれば、悲劇は起こらなかっただろう。状況の連鎖のどの点においてでもいいが、少女をしかるべく扱えば、少女を破滅から救うことができただろう。」(同)


 この言葉は、処方箋の第2としてアドラーは、教師や親はじめ周囲が「認めてやる」ことが解決策だ、と考えていたことがわかります。

 アドラー先生、すごく正しいではないですか。

 だから、もうやめましょう。「承認欲求を否定せよ」なんていう現実離れしたことを言うのは。



 次の本『子どものライフスタイル』は、問題のある子どもの症例報告とアドラー自身によるカウンセリングからなっています。

 これをご紹介するのは、ちょっと言ってはわるいですがアドラーの「誤診集」のようなおもむきがあります。やはり、20世紀初頭のカウンセラーであったアドラーの時代的制約だろうなと思います。

 てんかん発作がある少女。男兄弟の間で育ち、男と闘わなければならないと思って男の子らしいスポーツを好んできた。同じ男性と8年つきあい婚約して3年。婚約して以来発作が頻繁になった。

 アドラー:トラブルのすべては、あなたが十分勇気がないからです。あなたが自分自身の行動の全責任を負う決心をすることを提案しましょう。私はあなたがこの一歩を踏み出せば、そのことは大いにあなたのためになると確信しています。
 フローラ:私が勇気を持てば、発作を治せるという意味ですか?
 アドラー:そうです。
 フローラ:どんなことでもやってみます。
(カウンセリングおわり)


 うーん。。。今ならてんかん治療に別のアプローチがあるだろうし、「行動療法」からは脱感作療法のような提案があるだろうし、。。。
 一事が万事、アドラーは「勇気を持つ」を提案するのですが、わたしがみてこれに同意するクライエントは、多少カウンセラーに迎合しているようにもみえます。軽症だから素直に受け入れるのだろうともいえます。

 勇気がない人に対して勇気をもってもらうためにはどうするか。

 「行動承認」では、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンを同時に分泌してもらうことだ、そのうえで、小さな行動を1つずつ着実にとってもらい、行動をとるたびに認めてあげることだ、というでしょうね。その繰り返しが勇気と自信を生みます。決して、「勇気を持ちなさい」とお説教すればほんものの勇気が出るわけではありません。


 そんなわけで、アドラー良心的な人だとはいえ、今の尺度からは賛成できないところがいっぱいあります。




 ところで、この記事のタイトルの後半のほうのお話。

 「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?」というところです。

 これはわたしも詳しくないのですが、わが国ではアドラー心理学の組織は「東」と「西」に分裂しているんだそうです。

 参考URL:http://onigumo.sapolog.com/e427281.html

 これによると、「西」はアドラー心理学会。「東」はヒューマン・ギルドといい、操作主義OKの教義。

 上記の記事では操作主義はわるいことだと言っているようなのですが、記事の筆者は『嫌われる勇気』の愛読者なのでこれも注意が必要です。だって、アドラー自身は操作主義はよいとも悪いとも言っていないのですから。

 「操作主義」といわれるものは後世の「行動理論―行動分析学」の「ほめ育て」を外部の人が揶揄していったもので、アドラーの時代にはそもそもありませんでした。

 たぶん、行動理論的な「ほめ育て」に対して「内発的動機付け至上主義」の人から批判が起こったとき、アドラー心理学の内部の人もそれに同調する人、いやほめ育てしたってええじゃないかという人、議論が分かれたのでしょうね。・・・というあくまでわたしの推測です。

 で、岸見一郎氏はその「操作主義反対」のほうの流派で、「西」のアドラー心理学会の理事をしています。ただその中でも最右翼のようです。

(※上記の記事からさらにリンクをたどって論文を読むと、たとえば「ヒューマン・ギルド」の操作主義のわるい例として、小さいお子さんが熱いコーヒーカップに触りたがったとき、ヒューマン・ギルドの講師が「触りたいの?ほら、熱いよ」と言って実際に触らせ、お子さんが熱いと泣いた例を挙げています。わたしなどには何がわるいのかわかりません。親の管理下であれ自然の環境であれ、子供は負の経験からも学ぶのです。アドラーがこの例をわるいと言うとも思えないのですが、この例ではどう働きかけるのが正解なのでしょうか)


 素直にアドラーの著作を読むと、過剰な場合を除いて普通にほめること叱ることについてはいいとも悪いとも言っていない、むしろ前提としていたように読めます。

 分派すると、過激なことを言い出すってよくありますよね。

 「行動承認」も気をつけなくっちゃね。


 

<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

●アドラー心理学批判 まとめの補足:正確な言葉は「人生のすべては認められたいという努力によって支配されている」、「ほめない叱らない」はアドラー信者組織分派の過激派の言説?
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941508.html

 「アドラー心理学」について、友人の40代女性からメールをいただきました。実務経験の長い聡明な方です。
 わたしが書くよりコンパクトでわかりやすいアドラー心理学批判になっているかと思います。 「幼稚―成熟」という切り口も新鮮です。

 ご了承をいただいて、ご紹介させていただきます。


*********************************************


ブログで話題のアドラー心理学、私、お恥ずかしいことに
正田先生の最近の批判記事を読んで、やっと手に取ってみようかと思い始めました。

ベストセラーの『嫌われる勇気』は、文体が好みではなくて食指が動かず、
近寄らなかったのですが
最近になって、読んでみたいと言う家人のリクエストで、
続編の『幸せになる勇気』とあわせて手元にあります。

文体や語彙が好みでない(を通り過ぎてなんだか気持ちが悪い)、
読み進めるのは苦痛なのですが、
せめて大きな論旨とキーワードだけでも拾いたいと、ぱらぱらめくっています。

いくつか気がついたことです。

時代背景や社会状況に依存する事象を、
普遍的な価値として提起していて、
つながりや関係のもつ価値や意味が、
Gemeinschaftを前提にしたものに偏っているのではないかという疑問がわきます。
(この本は設定では、それでいいのかもしれませんが)
Gesellschaftを前提とした一般社会人には当てはまらないと思えます。

子育てに関わる部分は私には経験もないのであくまで第三者的な考えですが、

褒めず叱らずで、子供に規律や倫理や秩序をどうやって教えるのか、
人は永遠にGemeinschaftに留まれるわけではなく、
Gesellschaftのなかで生き抜いていくために必要な知識や知恵としての信賞必罰や他者との関係性は、
どこで学ぶのか?といった疑問がわいてきます。

そして、『嫌われる勇気』という受動表現に端的だと感じたのですが、
周囲に干渉される存在であることが暗黙のうちに前提となっている読者のために書かれた本で、
(正田先生の表現をおかりすればナルシシズムが亢進気味の人)
成熟した内面をもつ大人を対象に書かれた本ではないような印象です。


そして、家人とこんな話をしました

家人「今の若手は(若手と言ってもそれは40代の教授だったりするんですけども)、
何がやりたいのかわかってない人が多い、自分のテーマをもっていないんだよ。
結局、医学部に入って医者になって、海外にも留学して、博士もとって、論文を書いて、
で運良く教授になっても、自分のテーマを持っていないから、結局、ポストだけにこだわって、
学内や学会のポスト漁りに躍起になってみたりするんだよなあ。
そういうところを、彼らの部下はしっかり見ていて、自分の教室は迷走してるって言ってるよ」

私「結局、教授になるまで競争に勝つことだけをやってきて、自分が本当にやりたいことに向き合ってこなかったってことかしら。
大企業にいる高学歴な幹部社員にもそういう人はいて、都度都度の競争に勝つことが目的になってしまってて、それしかできない人もいるよ。
競争ではなくて、ゼロからの創造が必要なシーンになるとそういうタイプは全然機能しないんだけど、
最近は、競争に勝つためにゼロからの創造が必要なこともあるから、その辺りに気づき始めている企業もあるにはあるけども、まだ少ないかなあ」

家人「例えば、●●先生(若手教授)には嫌われる勇気が必要だということなんじゃないかなあ。若いやつを見てるとそういう気もしなくもないよ。」

という意見でした。
私はそこまで短絡的には思えないのですが、
話題になった教授がそうであるように、ナルシシズムが亢進気味で迷路にはまった人には、
嫌われる勇気は響くのかもしれないようです。
ただ、多数の一般社会全体には適用できない話だと思います。


そして、ナルシシズム亢進で思い出しましたが、
小保方氏と瀬戸内寂聴氏の雑誌での対談、たまたま見ました。
小保方さん、かなり「幼稚」な人なのですね。
寂聴さんが、小説としての「あの日」の文章を褒めて、もっと文章をかきなさいとすすめると
その返答に「私に小説の書き方を教えてください。」と言い出す。
んー、たぶん、これまでもそうやって年長者と関わってきたんだろうなと思えるやりとりでした。

しかし、幼い。発言が1つ1つが幼い。
うつ病の治療を続けているそうなので、
そのせいかもしれませんし、もともとそうなのかもしれないですが、
いずれにしても人格の幼稚さが透けて見え、
その点がもしかしたら、彼女を擁護する人々があれだけいる理由かと思ったり。

彼女を擁護する人々の側にある教条主義は、
彼女のもつ独特の幼稚さによって刺激され活性化するように見えます。
その幼稚さの正体が何なのか、そして相手の何を刺激しているのかを分析できれば、
現代の大衆病理を読み解けるのでしょうか。
私がそれがわかったところで、正しい治療法がわかるとは思えないですが、
正田先生のあの日の解説を読ませていただいたことも手伝って、そのような興味が深まっています。


先日、違和感の正体という新潮新書を読んだのですが、
そのなかで、著者(先崎彰容氏)は現代日本社会を「ものさし不在」で「処方箋を焦る」社会と形容していました。
言い得て妙だと思いました。
そういう社会になっている要因には、何かしらの「幼稚さ」が関係するのではないかという気もします。
成熟を拒否しているのかあるいは成熟できないのか、
その精神性や風潮が、我が物顔で世の中を跋扈しているような状況にも思えます。

本来であれば、未成熟なことは恥ずかしいことで、自分を成熟させていく努力をすべきなのに、
幼稚さを純粋さとを同一視してそれを美徳として煽り、
成熟に向かわせようとしない風潮があるような気もします。

未成熟な人材を管理職に登用することで経営者に都合のいい独裁的な体制を強化している企業もあり、
私のいたIT業界でも、新卒を大量に採用し、ある種の洗脳をしていくような経営がもてはやされています。

極端な考えと思いますが、そういう経営者を見ていると、
知識人を追いやり虐殺し、
文字の読めない人や子供を煽動して独裁を進めたポルポト派のことがなぜか思い出されて、
ぞっとします。

正田先生の発信を読ませていただいているうちに、
行動承認に対する態度は、成熟した内面を持つ大人であるかどうかの試金石のように思えてきました。
行動承認の効果やあるいはその大きな意味を、自分ごととしてとらえることの出来る方は、
「幼稚さ」とは縁遠く、内面の成熟に向かわれているような印象です。

内面の成熟とは、自分の努力でしかなし得ないものであり、
挫折に向き合い、葛藤をかかえ、矛盾にさいなまれておきる心境の深まりなのかと思います。
暗くて深い地下トンネルの中で孤独の空気に囲まれて眠るワインのようです。

(注:2通のメールをドッキングさせていただきました)

*********************************************

 いかがでしょうか。

 最後のほうに「行動承認」について、またその世界の人びとについて、過分なお褒めをいただいてしまいましたが、わたしも内心、そう思っています。
 「行動承認」は人を成熟に導きます。また、成熟度の高い人びとに響きます。
 トレーニングの易しさ続けやすさのお陰もあって、「行動承認」の人びとは、一般社会とは段違いの成熟度と思考能力の高さを獲得していきます。

 
 逆に、このところの出版業界のベストセラーの作られ方をみていると、
 
 まず年齢層が、20−30代の独身者層をターゲットにするのですが、その中でも、この友人のメールの中にもあったナルシシズム亢進気味の人をターゲットにします。『嫌われる勇気』などを読むと、社会人の中のいわゆる「中二病」で社会不適応気味の人が、これを読むとかぶれそうだなと思います。

 「中二病」の人は、現実世界で出会う人をリスペクトなどしません。叱られてもききません。そうして浮き気味のときに、ベストセラーで「哲人」が上からお説教をしてくれる『嫌われる勇気』は、ウレシイのです。

 うーん、ストレングスファインダーで言うと何?というと、大体答えは出ているのですけどね。

 今のベストセラーの作られ方をみていると、「中二病」が中二のときだけでなく社会人になっても延々と続くように、ベストセラーが仕向けているような気すらします。

 それは、友人の言うように思考能力の低下にもつながるし、カルト形成にもつながりますね。はたからみるとすごく変な教祖様を尊師とあがめていて、つじつまの合わないおかしな考え方にかぶれている集団。
 
 その集団のコアには戦略的に大衆を騙そうという仕掛け人がいます。そして当初は思考能力の偏りのひどい人、判断力のない若い人が取り込まれ、コア集団を形成し、そして一定の勢力を形成すると、周囲のそれほど偏りのない人も取り込まれていきます。普通の善男善女が入信していきます。

 
 アドラー心理学も小保方擁護派も結局そうです。

 さあ、こうやって社会を幼稚化させるたくらみに対抗するすべはないのでしょうか――


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 アドラーの原著の1つ『個人心理学講義―生きることの科学』(アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ、2012年。原題'The Science of Living'1928年)を手にとりました。

 興味としては、わたしが批判する(岸見)アドラー心理学の非常に問題の多い幾つかのポイント

1.人に認められなくてもいい
2.ほめない、叱らない
3.トラウマはない


などは、どこからくるのか。アドラーの原著ではそれは、どういう文脈で出てくるのか、あるいは根本的に原著にないものか、ということです。


 で、結論から言うと予想どおり、この本にはそれにあたるフレーズは出てきませんでした。


 もちろんこの本1冊で判断するのは早計です。でもこの本の奥付には

「アドラー心理学入門の決定版!
ウィーンからニューヨークへと活動の拠点を移したアドラーが初めて英語で出版した、アドラー心理学全体を俯瞰できる重要著作。

過去と自己への執着から離れ、仲間である他者に貢献することを目指す共同体感覚をいかに育成するべきかを人生の諸像の考察を通じて明らかにする」

とあります。いちおう「アドラー心理学全体を俯瞰できる」とありますので、この本をじっくり読んでみるのもわるくないと思ったわけであります。

 で、ぼんやり思うのはアドラーの考える「共同体感覚」なるものは何か、ということです。どうもここが上記の”変な思想”のすべての起源になっていそうです。


 ただ、最近の読者の方は文字をびっしり書いてあるのを読むのは「たるい」とお感じになると思います。なので、
スライドで図をつくってみました。


スライド1


 おそらく、この本が構想しているのはこういうものであろう、ということです。ひとりひとりが向上し、共同体感覚をもって貢献しあいましょう。
 学校の教室の目標に貼ってありそうです。


 わるいけど、わたしはこの図を作りながら「革命家の青い思想だなあ」と思ってしまいました。ひとりひとりが誰の助けも借りずにここまで立派に向上して、というのは絵空事です。マルクス主義がすごく自立した立派な人が構成する社会を念頭に置いてできていてすぐポシャッたのと同じ。もし組織の成員のだれか1人がこういうことをお勉強してやりはじめたとしても、線香花火で終わるでしょう。

 もちろん、理想は理想として結構です。ただ、これは組織が非常に大きく「リーダー」に依存しているという現実をみていません。泣いても笑ってもそれが現実です。その部分を無理やりスルーして、フォロワー側の努力で良くしようと思っているようですが、それは現実逃避です。

 現に、いまどきの学校ではしょっちゅう学級崩壊が起きるのですが、そこでは生徒をリスペクトしていない、褒めない先生のもとで容易に起きます(学級崩壊の原因をたどると大抵はそういうところにたどりつきます)。そういう先生が「ひとりひとりが向上して貢献しあいましょう」と声をからして言ったところで無意味なのです。


 で、手前味噌で恐縮ですがわたしが数年来研修で使っている「承認モデル」の図というのをお出しします。


スライド2
スライド3
スライド4


 これは法螺を吹いているわけではなく、実際に働きかけをすることでこうなってきました。
 こちらのほうが、学習機会を与えるのはリーダーに対してだけで良いのです。あとはリーダーからフォロワーへ、日々のやりとりの中で自然に良いものが流れていくのです。

 おそらく過去10数年にわたる再現性からみて、こちらのほうが人間社会の真実です。



 この「共同体感覚」というものについて、この本の末尾の訳者・岸見一郎氏の「解説」から引用します。


 
アドラーがこの共同体感覚という考えを友人たちの前で初めて披露したのは、アドラーが軍医として参戦した第一次世界大戦の兵役期間中、休暇で帰ってきた時、なじみのカフェにおいてであった。

 このことで、アドラーは多くの友人を失うことになった。価値観にもとづくような考えは科学ではないというわけである。しかし、アドラーにとって個人心理学は価値の心理学、価値の科学である。(前掲書p.182)


 おいおいー。

 ここは、アドラーにも書いている岸見氏にも両方ツッコミを入れたくなります。「価値の心理学」そして「価値の科学」ってなんだよ!?主観に科学ってつけないでくれよ。

 要は、アドラーさんは自分の価値観を一般論みたいに書いているだけのようです。「貢献することが好き」これは、ソーシャルスタイルのFタイプさん、4つのタイプ分けでいうサポーターさんが当てはまります。みんなが私みたいだったらいいね!ということを言ってるんです。


 「私は貢献することこそ自分をそして全体を幸福にすることだと発見した。」

 別に、間違ってはいないんですが。

 問題はそれに「承認欲求否定」「ほめない叱らない」がどうしてひっつくのか、ということです。この本にはそうした言葉そのものでは出てきません。では、文脈上そう読み取れるところがあるのでしょうか。

 あくまで、この本単体から読み取れることで言いますと――。


 この本をパラパラめくると、「甘やかされた子ども」「憎まれた子ども」という言葉が多数出てきます。父親や母親が過度に罰して虐待したことによってもたらされる、抑圧された感情という言葉が出てきます。それから、「優越コンプレックス」「劣等コンプレックス」という言葉も出てきます。

 それに関連したいくつかの症例も出てきますが――、

 要は、カウンセリングの世界の話なんです。

 以前から言っていることと同じです。アドラーは、心理学者・カウンセラーとして、社会不適応を起こした大人や子供さんをみてきました。その背景に、さまざまな「過剰」の現象をみてきました。すなわち、甘やかしすぎ。叱りすぎ。他者に優りたいという気持ちが強すぎ。劣っているという気持ちが強すぎ。


 そこから、どうも、「過剰」がなければ、「共同体感覚」のある、アドラーの考える「いい人」をつくれると考えたようです。

 引き算の発想ですね。岸見アドラー心理学の「ほめない叱らない」の起源は、どうも、ここにあるようです。

「この主題を扱う時、罰することや、諭すこと、説教することでは何も得ることはできないということは、いくら強調してもしすぎることはない。」(p.20)

 さあ、「叱らない」に通じそうな言葉が出てきました。
 しかし、この言葉はその前段に出てくる問題行動をする子供たちの例との絡みで理解する必要がありそうです。
 いわく、怒りっぽい父親をもった女の子が男性を排除する。厳格な母親によって抑圧された男の子が女性を排除する。あるいは内気ではにかむ、性的に倒錯する。
 こういう子たちを罰しても意味はない、ということを言っているのであって、一般論としていついかなる時も罰することがいけないと言っているわけではありません。


 そして、理想的な状態をどうやってつくるか。


 一番最初から共同体感覚を理解することが必要である。なぜなら、共同体感覚は、われわれの教育や治療の中のもっとも重要な部分だからである。勇気があり、自信があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない。(p.16)



 その理想は大変結構なんですけど。じゃあどうやってそういう人をつくるの?「過剰」さえなければつくれるの?

 これが結局、カウンセリングの側から教育を語ることの限界を物語っているのだろうと思います。「治療」と「教育」は違うものです。「治療」は、「過剰」を是正することが大きな仕事になります。しかし「教育」は、なにかを加算することです。


 「行動承認」の世界にいるわたしは、そこで「訓練」の存在をみます。訓練は、人為的に指導者が負荷をかけたのかもしれないし、人生のあるいは不幸な巡り合わせで困難な課題を与えられ克服する経験を通じてもたらされたのかもしれない。「過剰」を控える以外何もしないでつくれるわけではありません。また、困難な負荷であれば、それを乗り越えたときには「承認」が必要でしょう。




 アドラーも「訓練」の重要性を、実は言っています。
劣等感と社会的な訓練の問題は、したがって、本質的に連関している。劣等感が社会的な不適応から起こるように、社会的な訓練は、それを用いることで、われわれ誰もが劣等感を克服することができる基本的な方法である。(p.31)


 ほかにも、甘やかされて行動しない子どもには訓練が必要だ、というフレーズが出てきます。


 これは後世のアドラー心理学の人が「操作」を罪悪視するのとはちょっと矛盾するのですが。訓練っていわば操作じゃないんですか。 「・・・をしなさい」って言って、できたらほめたりするのを訓練って言わないですか?


 この「操作」が悪玉になった流れというのは、アドラーの時代からずっと下った1990年代ぐらいに、「内発と自律論」がもてはやされました。どうもそのころ行動理論があまりにもメジャーになったので、反発を買った。また、部分的には弊害も出てきた。『報酬主義をこえて』でアルフィー・コーン氏が批判したような、子供をお金で釣って勉強させるような。(2015年日本では某美人学者さんが「お金で子供を釣ってよい」と本に書いているが、コーン氏はそれにはどう言うのだろう…)

 その当時は、「ほめたり叱ったり」というのを、「アメとムチ」と、汚い言葉でくさすのが主流になりました。それとの絡みで、アドラー心理学陣営も、「操作はいけない」ということを言うようになったのではないかと思われます。いかにも、「過剰」には「過剰」に反応するアドラー心理学らしいです。
 
 アドラーが、普通のご家庭の躾としての「ほめたり叱ったり」までを否定していたのかというと、この本でみるかぎりクエスチョンですね。


 
 そういうわけで、この『個人心理学講義』からは、「認められなくてもいい」「ほめない叱らない」「トラウマ否定」は、読み取れませんでした。

 これらのフレーズは、岸見一郎氏の誤読、牽強付会あるいは創作の可能性が高いです。もともと、『嫌われる勇気』をはじめとする岸見氏の一連の著作、ならびに他の著者によるアドラー心理学本は、アドラーに依拠したというより、「二次創作」のようなものが多いのです。コミケで売っている同人誌のようなものが多いのです。





 「承認欲求否定」に関しては、アドラーからとったというより、わが国の出版業界の流行りである「承認欲求バッシング」の尻馬に乗ったのではないか、というのが、わたしの見立てです。

 このブログでかねてから批判していますように、出版業界の流行りで、わが国では2008年ごろから「承認欲求」をやたらに非難する書籍が続々と出てきました。
 その「はしり」のような本が、『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義、ちくま新書、2008年3月)。
 この本についてのブログ記事
●奇妙で不快な論理構築:承認欲求バッシングはこんなに変!―『友だち地獄』『希望難民ご一行様』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927340.html

 その後2011年には『「認められたい」の正体』『人に認められなくてもいい』といったタイトルの新書本が相次いで出、ちょっとした「承認欲求バッシングブーム」の感がありました。

 岸見氏の「承認欲求否定」は、どうも、このバッシングブームの尻馬に乗って言っているだけ、という感があります。前にも書きましたようにアドラー自身は「承認欲求」という言葉を使っていません。

 「甘やかされた子ども」「優越コンプレックス」「劣等コンプレックス」これらは、「承認欲求」が絡んでいないとはいえないですが、どれも異常に暴走して正常範囲から逸脱したものです。


 岸見氏の言う「認められたいと思わないで、貢献しようと思えばいい」このフレーズは、個別のクライエントに対するカウンセラーのアドバイスとしては、「あり」だろう、と思います。
 例えば、「認められたい」がやたら強すぎる人。「自分が人に10やってあげたら、20も30も50も認められたい」と思っている人。
 あるいは昇進し損ねて、同期より昇進が遅れてしまい、それがコンプレックスになって鬱になってしまっている人(実際、男性はそういうきっかけで鬱になることがよくあります)。

 そういう人を目の前にして言う場合には、「認められたいと思わなくていい。貢献しようとだけ考えればいい」これは、「あり」です。わたしでもそういう人に対してはそう言うかもしれない、と思います。
 しかしあくまでそういう個別の人に対してだけ有効なテーゼなのであって、一般化して教育の教義にまで格上げするようなものではありません。




 これはあくまでわたしの想像ですが、岸見氏はこの出版界の流行りである「承認欲求否定」と、アドラーのいう「共同体感覚」「貢献する」を合体させて、これならうまくいく、と思ったのかもしれません。つまり、各自が「共同体感覚」をもち、「貢献さえすればいいんだ」と強く思っていれば、「承認欲求」は必要なくなる(これも幻想なのですが)。

 それプラス、アドラーの「甘やかされた子ども」の概念も使って、つまり親がほめるから子供が甘やかされるんだ、承認欲求をもった人に育つんだ、と。親がほめないで育てれば、承認欲求のない、「人から認められたい」という願望のない人ができるんだ、と。
 
 それはサイボーグづくりのような、ものすごい人間性に反した考え方ですけどねえ。




 
 なんどもいいますように「承認欲求」はたまに逸脱も起こしますが、圧倒的に多くの場合は人びとが規範的に振る舞うことを促します。わたしたちの規範意識はそもそも承認欲求によってつくられていると言ってもいいのです。そして承認欲求は精神における食欲のようなもの、根源的に大事なものです。

 「角を矯めて牛を殺す」という言葉がありますが、一部の問題行動をとる人にばかり注目して原因を過剰に摘み取ろうとするのは、癌細胞は細胞だから細胞が全部わるい、と言っているようなものです。ターゲット以外のものを叩いてしまう副作用の強い薬のようなものです。






 それから、アドラー自身について思うのは、この人はやっぱり発達障害が全然わかっていないですね。時代的に仕方ないですけれどね。『個人心理学講義』の中にも、「その子はADHD」と思うような症状の子が、「甘やかされた子ども」と解釈されている例があります。岸見氏も全然わかっていないです。またLGBTもわかっていないです。性的倒錯を育て方のせいにしている記述がこの本にはあります。

 今からはもう少し、今年2月にNHKが名著として取り上げた『人生の意味の心理学』も、読んでみようと思います。



<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 「メディアの劣化」という話題についていよいよこのブログにカテゴリを立てなければならなくなったかもしれません。
 わたしのいや〜な予感が当たってしまいました。表舞台に出てはいけないものが出てしまいました。


 今朝、NHKの「おはよう日本」(朝7時台のニュース)で「アドラー心理学」を特集していました。

 全然予期していなかったので録画などはしておりません。しかし非常に問題のある内容で、わたしは9時になるのを待ちかねたように「NHKふれあいセンター」(Tel.0570-066-066 )に抗議してしまいました。

 
 

追記: こちらに特集内容がUPされています
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/05/0524.html

途中からみたのかもしれないのでもし違っていたら訂正していただきたいのですが、

 「アドラー心理学で心の安寧を得た(番組ではそういう表現ではなかったが)人」として、2人の人物が登場します。
 1人は、男性のビジネスマン。「承認欲求批判」がモチーフです。
 「認められたいと思っていて苦しかった。アドラー心理学に出会い、『人に認められなくていいんだ』と思えるようになって、楽になった。『人を信頼し、貢献せよ』という教えに従って、貢献しようという気持ちでいると楽になった。今では自分から人に貢献することだけを考えている」

 もう1人は子育て中のお母さん。「期待に応えなくていい」がモチーフ。
 「子供たちをひどく叱ってばかりいた。アドラー心理学で、『他人は自分の期待に応えるためにいるのではない』と習い、気持ちが楽になった。(叱らなくなった?)」

 これを取材してきたディレクターと男女のアナウンサー2人が少し会話して終了。
 
 女性アナウンサーが、「これまでにも普通に言われてきたことではないですか?」と怪訝そうにいうが、それ以上の追及はなし。


 さて、上記のどこに問題があるでしょうか。
 このブログの長い読者の方だと、お分かりいただけるのではないでしょうか。

 簡単に言うと、「人に認められなくていい」「期待に応えなくていい」
 これらが正解なのは、「過剰」な場合だけなんです。 
 多くの場合は、「認められたい」と思うことも「期待に応える」ことも正常なことで、否定するのはおかしいことなんです。否定して鬱を作ったり人間関係の問題を作ることのほうがはるかに怖いんです。


 「人に認められなくていい」
 このフレーズは、ごく限定された場面でだけ正解です。
 すなわち、承認欲求が極端に強いナルシシストの場合。リーダーには、昇進などが原因でナルシシズムが亢進することがあります。TVに映っていた人はこのタイプのようにみえました。
 また往々にして、能力の低い人ほどセルフモニタリング能力が低く、自分の能力には見合わない評価を求めることがあります。
 あるいは、自ら選んだボランティアのような仕事をしていて、時折「誰も認めてくれない…」という無力感にさいなまれるようなケース。その場合は、自分が選んだ道そのものの意義と認められない苦痛と天秤にかけて、どちらをとるか決めないといけません。選んだ道そのものの意義を重視するなら、とりあえず「認められたい」は封印したらいいでしょう。

 人は誰でも認められたいと思っています。だから効果的に認められれば、絶大なる力を発揮します。こちらのほうが、パフォーマンスを上げるには正解です。もちろん精神衛生上も正解です。「行動承認」を導入してくれたマネジャーの下では、何年もにわたって大きな問題が起こらず成長を続けています。
 (ごくたまに、その中で伸びすぎて問題行動を起こす人が出て退社してもらうケースも出るようです。それはむしろ例外的な例です)

 「承認欲求」は食欲と同じで、人間の基本欲求。精神における食欲と同じようなものです。
 もし「承認欲求はわるいものだから、押さえこみなさい」というなら、それは「食欲はわるさをするものだから、抑えなさい」というのと一緒。よほど食欲が亢進しておデブになっている人には必要なことかもしれませんが、必要な食欲まで抑えたら摂食障害になってしまいます。ガリガリにやせて低栄養になってしまいます。

 
 たとえば、「認められたいと思わないで、相手に貢献することだけを考える」という方針で、みんなが仕事をしたらどうなるか?
 これは、独りよがりな仕事の仕方にすぐ、なるでしょうね。相手が喜んでくれようがくれまいがどうでもいい、ということになりますから。会社の中が独りよがりな仕事だらけ不協和音だらけになるでしょうね。

 また、万一マネジャーが「承認欲求は否定してよい」と思っていたらどうなるか?
 自分の承認欲求だけを否定していればよいですが、それだけにはとどまらないでしょう。部下が承認欲求を持って働くことにも否定的な目を向けるでしょう。「認められたい」と思っている人を、自分と違ってレベルの低い人だとみなして見下すでしょう。

 そう、「承認欲求」を見下す人は、最終的には人間性全般を見下すようになりますね。

 いみじくも、TVに映っていたビジネスマン氏は、職場で人と話しているときも相手の目を見ないで会話していました。「相手の目をきちんと見て話す」これも広い意味での承認を与えていることですが、それを重視していないことが仕草に出ているのでした。

 だから、「承認欲求」を否定することで、自分が高級な人になったなどと思ったら大間違いなんです。人間性全般を見下した不遜な人間になってるんです。独りよがりな人間になっているんです。

 

 もう一人の「期待に応えない」を習ったことで子供さんを叱らなくなったお母さん。
 これも、それまで何のためにガーガー怒っていたのかわかりませんが、「ゆきすぎ」のケースであったのかもしれません。例えば、「最上思考」の人が、子供さんにやたら塾習い事の早期教育をさせて、それが思い通りにならないで怒っているケース。あるいは、「活発性」や「指令性」の高い人が、やはりあっち、こっちと自分の思い通りに連れまわして、子供がどこかで引っかかって動かなくなると怒っているケース。

 そのタイプの人が、ガーガー叱っていたのを多少和らげることができたのなら、それは喜ばしいことなのかもしれませんが――、
 一面、怖いことでもあります。
 「人の期待に応えなくていい」
 では、子供に道徳の躾はしなくていいのでしょうか?
 お兄ちゃんが弟の頭をガンと殴りました、それを叱るのも「期待に沿わせる」ことになるのでしょうか?

 この「倫理道徳の躾」というものが、わたしの子育て時代にも既に周囲のお母さんの間ではナアナアになっていて、唖然としました。

 わが家では歳の近い3人きょうだいだったので、きょうだい喧嘩とそれを仲裁する機会には事欠きませんでした。
 そのたびに「どっちが先に悪いことをした」と認定し、バシッと叱り、謝らせました。まず端緒を作ったほうに謝らせ、そして最終的に両方が謝るようにさせました。

 「いじめ」的になる場面も時折あったので、「いじめは許しません」を伝える機会にも事欠きませんでした。
 「ちょっと待って。今の『●×におやつやらない』っていうのは何か?それはいじめやで。いじめは許さへんで」

 しかし、こうして親が子に自分の道徳観を伝える作業も、「他人を自分の期待に応えさせる」ことにはならないでしょうか?
 「他人を自分の期待に応えさせる」ことのすべてを否定すると、倫理道徳の躾というのはすべて不可能になってしまうのではないでしょうか?

 もちろんこれは会社組織にも言えることで、例えば「会社の理念」というのも、ある意味押しつけです。ある行動規範に社員を従わせる作業です。もしも社員が「他人の期待に応える必要はない」と信じていたら、会社の理念にも従う必要はありません。
 それで会社、回りますか?


 実は、この件であるアドラー心理学者(大学の心理学の教授。特に名は秘す)に伺ったところ、
「アドラーの著書に承認欲求(needs for esteem)という言葉はない」
ということがわかりました。

 具体的には、アドラーの主著でバイブル的な'The Individual Psychology of Alfred Adler' (邦題『個人心理学』)には、esteemという語はない。self-esteemという語はある。といいます。

 もともと、承認欲求(needs for esteem)は、五段階欲求説のマズローの造語のようなもので、時代が後になります。だからアドラーが「承認欲求」という語を言うのはおかしいのです。(マズローはアドラーから影響を受けたそうです)

 アドラーは「承認欲求」という語そのものを使っていないとしたら、どういう文脈で言ったのだろうか…。

 アドラー(1870-1937)の時代ですと、ヘーゲル哲学の「承認」は、既にあったものです。またそれのアンチテーゼとしてのニーチェ(1844-1900)は既にあり、アドラーはニーチェからは影響を受けたといいます。

 ニーチェ。。。
 わたしはニーチェ哲学には疎いです。はっきり言ってどうでもいいと思ってるんですが、
 Wikiからニーチェ思想を引用しましょう。

「ニーチェは、神、真理、理性、価値、権力、自我などの既存の概念を逆説とも思える強靭な論理で解釈しなおし、悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たな思想を生みだした。」

 わかります?まあ、ぱっと浮かぶイメージは「ニヒリズム」なんです。隠遁者の夜郎自大の思想、というイメージをわたしは持っています。勝手にやっててください、という感じ。

 たぶんすごく頭のいい人だったのでしょうが、自己完結的な世界で生きる人。強い人だけに可能な、他人に期待しないで生きる生き方。(内心ではぶっちゃけ、「その人アスペだったんじゃないの?」とも思っています)
 
 それから影響を受けたのがアドラーらしいんです。

 だから、そういうアドラー思想を子育てなんかに応用するのは大変におかしなこと。隠遁したひきこもりの人や、すごい実力のある個人事業者の人が信じていればいい思想なんです。だから承認や承認欲求、期待を否定する。


 これを会社に応用して部下育成などに応用するのも、大変におかしなことです。

 (なお、学者さんによればアドラー心理学を子育てに応用したのはアドラー自身ではなく、その弟子の代からだそうです)


 ああもう言っているのもたるくなった。

 NHKふれあいセンターのオペレーターの人には、

「職場に鬱を作ったらどうするんですか?アドラー心理学はブームとはいえカルトのようなものです。それをNHKさんが全国ニュースの特集で流すというのはものすごく影響力が大きいです。過剰なダイエットブームを取り上げるのと一緒で、専門家からの批判的なコメントを入れるのが正しいのです。視聴者に対して何らかの訂正をしてください」

 オペレーターは「よくわかりました、担当者に伝えます」と言いましたが、のれんに腕押しの気配あり。

 これ、どういう落としどころになるんでしょうか…

 オペレーターさん、モンスタークレーマーに怒鳴られても、上司がねぎらってくれると期待しちゃダメですからね…


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

あの日

 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第14弾。いよいよ最終回です。









 今回の内容は以下の通りです:

はじめに:小保方さん残された問題:奨学金・研究費返還問題、博士号訴訟?
1. 女性活躍推進―新たな段階、ピリッとしろ男性上司たち!!
2. 発達凸凹対応―「差別」を卒業し、10人に1人の「個性」を知る
3. 言葉がキレイ、お顔がキレイ、経歴詐称オンパレード
 ―もういちど「行動承認」、痛みを踏まえて振り返れ

 それではまいりたいと思います―



はじめに:小保方さん残された問題:奨学金・研究費返還問題、博士号訴訟?

 前回もお知らせしましたように、STAP細胞問題をめぐり理研OBによる窃盗容疑の告発は、被疑者不詳のまま兵庫県警が捜査書類を検察送致し、一応の捜査終結となりました。(ただし「検察送致」のあと「起訴」になることはまれではありますがあるそうです)

 しかし、小保方晴子さんの“受難”はまだまだ続きそう。

 1つの例に、「奨学金問題」があります。

 小保方さんは、学術振興会の特別研究員制度を利用して毎月20万円の奨学金と、年間60万円の研究費を3年間、受け取っていました。この「DC1」というカテゴリに博士課程1年目から採択されるのは、通常よほど優秀な学生だそうであり、ここにも「裏口」「コネ」の影がちらつきます。ともあれこのDC1で、小保方さんは3年間で総額900万円を受け取っていました。
 ところが、この学術振興会の特別研究員制度の規定では、研究不正を行ったら奨学金、研究費は返還しないといけません。

 参考URL:「遵守事項および諸手続の手引」
>>https://www.jsps.go.jp/j-pd/data/tebiki/h28_tebiki.pdf
(3月31日現在PDFへのアクセス不能)

 これに加え、小保方晴子さんは早稲田の応用化学会給付奨学金も受給しており、
参考URL:
>>http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/kyuuhu-shougakusei-2007.html

 さらにCOE留学費用も受給していたとのことで、これらが時期的に重なっていれば、不正受給になる可能性があります。少なくとも上記の日本学術振興会特別研究員の「遵守事項および諸手続の手引」には抵触します。

 したがって、これらの奨学金・研究費の返還を求められる可能性は大いにあります。

 STAP細胞論文をめぐる問題で、理化学研究所(理研)が不正調査や検証にかけた経費の総額が、8360万円に上ったとのことです。主な経費の内訳は、STAP細胞の有無を調べる検証実験1560万円▽研究室に残った試料の分析1410万円▽二つの調査委員会940万円▽記者会見場費など広報経費770万円など。弁護士経費など2820万円、精神科医の来所など関係者のメンタルケアに200万円です。
  一方で、小保方晴子さんには、論文投稿料の約60万円を返還請求したのみでした。(2015年3月21日、毎日新聞など)。この60万円は同年7月小保方さんから返還されたそうです。

 それ以前には「年間6億円の研究費」といった庶民感覚からするとびっくりするような額が週刊誌を賑わせておりました(「週刊文春」2014年6月19日号)。それらについての返還は求められないそうです。



 一方で今年3月25日、STAP HOME PAGE というサイトが立ち上げられ、この中でHaruko Obokata名の人がSTAP細胞プロトコルを公表しました。また昨年11月、博士号剥奪の決定をした早稲田大学に対して訴訟を検討していることを明らかにしました。
 3月31日現在、このサイトの真偽は不明です。→代理人の三木秀夫弁護士のコメントにより、このページの作者は小保方晴子さん自身だそうです。

 というわけでこの問題はまだまだ続きそうです…。

 さて、現状をこんな風にまとめたうえで、今日の記事の本題です:



1. 女性活躍推進―新たな段階、ピリッとしろ男性上司たち!!

 前回の記事の末尾近くに、米雑誌「ニューヨーカー」に今年2月掲載されたSTAP細胞に関する記事“The Stress Test”と、それを転載した「週刊現代」の記事のご紹介をしました。

>>http://www.newyorker.com/magazine/2016/02/29/the-stem-cell-scandal
>>http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48272 (日本語版)

 しかし、上記の記事をみて、わたしが「ああ、これはやはり『フジヤマ・ゲイシャ』だな」と思った部分があります。
 それは、「日本の女性研究者」に関する部分。

「この仕事(STAP)の背後にいた『革命児』が小保方晴子であった。彼女は男性中心の日本の科学界に女性として一石を投じた。彼女は他の女性に比べて、男たちとの駆け引きの中で生きることに長けていた。」

「それに対して小保方はこう返した。『日本では女性研究者は二流です。たとえ年下の大学生でも、男性が必要としたら、女性は顕微鏡を使うのを諦めないといけません』」(日本語版より)

 これを読むと、日本では女性は二流扱い、その中で小保方晴子さんは突出した才能に恵まれ頑張っていた人、と読めてしまいそうです。
 どうもこれは、アメリカ人の先入観に合わせて小保方さんがまた「盛って」いるのではないか?と私には思えます。

 日本の理系の研究室の女性活用の構図というのは、それほど単純な性差別問題ではありません。もっと複雑な様相を呈しています。

 わたしの正直な感想を言いますと、過去にみた理系の研究機関では、むしろ女性研究者たちは奇妙に幼く(それこそ小保方さんが時には小学生のように幼くみえたように)、年齢にふさわしくない、思考力不足や特定の論点への固執を繰り返していました。男性指導者の考えから抜け出せず頭が切り替わらないという傾向も顕著でした。
 社会人として鍛えられていない。
 そういう人が残りやすいのか、そのように育てられてしまうのか。

 2014年7月1日、理研の高橋政代プロジェクトリーダー(54)が、「理研の倫理観に耐えられない」とツイートし、iPS細胞の臨床応用の中止も考えることを表明しました。(実際には9月にiPS細胞から作った網膜の細胞を、「加齢黄斑変性」の患者に移植する臨床研究の手術を行い、この患者は1年後も良好な経過だったとのこと)

 研究組織に限らず多くの企業・組織共通できく話です。ある世代までの女性は、パイオニア精神をもって男性並みに頑張る。ところがある世代から下は、見た目や態度の可愛らしさで男性上司に気に入られようとする女子が増えてくる。
 小保方晴子さんは、そのあとの方の女性の代表格です。

 ここは、このシリーズの上司編(12)(13)でみたように、バブル世代を中心とした男性上司たちの心の引き締めをお願いしたいところです。

「女の子は可愛いほうがいいなあ」
「僕の言った通りのことを上手に相槌を打ち、合いの手を入れ、素直にやってくれる部下は、可愛いなあ」

 こういう心の隙に忍び寄ってくる部下がいます。男性、女性に限らず。彼・彼女らは、上司の心の弱いところを目ざとく見つけてきます。


 自分の中にそういう「弱さ」がないだろうか。上司特有の孤独に耐えられず、甘い言葉で言い寄ってくる部下に依存するようになっていないだろうか。女性部下との間に疑似恋愛関係のようなものを作りたいという願望がないだろうか。上司は、つねに自己点検をお願いしたいものです。

 「女性活躍推進法」が4月1日から施行され、従業員301人以上の大企業は、女性の活躍推進に向けた行動計画の策定などが新たに義務づけられます。その中には、女性管理職や女性役員の数値目標といった要素が入ってきます。
 是非、その中でも本当に優秀な、だれもが納得する女性人材の選抜を行っていただきたい。「数ありき」の女性管理職づくりなどは論外。もちろん「見た目が可愛い」などという理由も論外です。実力主義を貫く中で、浮かび上がってくる候補を見出すようにしてください。


2. 発達凸凹対応―「差別」を卒業し、10人に1人の「個性」を知る

 このシリーズでは「プロファイリング編」の(3)(4)(5)で、小保方晴子さんに発達障害の可能性があることに触れました。
 犯罪や研究不正といった問題のたびに「発達障害」の要素がクローズアップされると、当事者のかたがお気の毒です。とはいえ、ことさらにこの問題にふたをしておくわけにはいきません。何しろ何度も言いますように10人に1人の障害であり、ほとんどの人にはどこかにそれらしい形質があり、一種の「個性」と捉えてしまってもいいぐらいです。マネジメント指導の中では今や欠かせなくなっています。
 発達障害は、できれば幼少の頃にご家庭で見つけだしてほしい障害です。子供のころから始めるのと大人になってからでは、療育の困難さが全然変わってきますから。大人になってから発見されると、社会適応が難しくなります。
 しかし現実には、仕事に入ってから発見されることが非常に多いのです。

 研究職の場合ですと、エジソンがADHDだったことでもわかるように、発達障害の人は一般社会より多いと思われます。ただわたしの経験でも、「発達障害」という概念が研究機関のマネジメント職の人々に普及しているとはいえません。「研究者は少し変なぐらいの奴がいいんだ」これが常識のため、研究機関には「びっくり人間ショー」のような人々がいます。しかしその「変」の中身を丁寧に見極めようとはしていません。意外に、この「発達障害」「アスペルガー」の話題をタブー視して避ける方々によくお会いしました。

 発達障害の中にもいろいろなタイプがあり、“症状”の出方は十人十色です。部下がそう(発達障害)だと分かるまでには、マネジャーはその独特の個性に振り回され、非常に悩むものです。部下10人の中に1人発達障害の人がいれば、マネジャーの悩みの9割はその人のことだ、というぐらいに。

 一方で、いったんマネジメント研修の中で一通りのご説明をし、その人の場合はこういう特性である可能性がある、と理解してしまうと、マネジャーたちは嘘のように悩みから解放されます。また特性に合わせたマネジメント、というのもちょっとした工夫で難なくできるようになります。ですのでどの職場でも、発達障害の人に対するマネジメント指導の研修というのは入ってほしいものだと思います。

 小保方晴子さんの場合はどうか、というと、恐らく空想に入りやすくぼーっとしやすい、時間管理が下手な人なので、上司が毎週のように進捗確認をしてやり、それに合わせて「次の一手」の行動計画を作ってやること。また、ご本人がそうしたやや厳しい指導に入ることを厭わないこと、が必要になります。

 もしご本人が管理されることをイヤがり、かつ成果を出せなかったらー。残念ながら、そのときは「あなたは研究者に向いていない」と引導を渡すことになりますね。

 こうした、発達障害の人の側が管理されて仕事することを受け入れる必要性というのは、やはり子供の頃からの療育の中で、自分の特性を理解しそのうえで「生きる」とは何か、「働く(収入を得る)」とは何か、を繰り返し問い直し仕事の枠組みの中で生きることを受け入れることが必要になります。

詳しくはこちらの記事参照
「われわれは覚悟のある障碍者を雇用します」
>> http://c-c-a.blog.jp/archives/51884894.html

 残念ながら、小保方晴子さんの場合はどうか、というと、このシリーズの(4)でみたように、研究者のお母さん、優秀なお姉さんたちの家庭に育ち、また「発達障害」という概念のない時代の心理学理論のもとで育ったため、その極端な能力の凸凹を正しく見いだされることなく、身の丈以上のセルフイメージを持って育ってしまった可能性が大です。言語能力が突出して高く、実行能力がそれに伴っていなかったのですが、その実行能力の弱さが見いだされませんでした。結果的に嘘、言い訳、他責の人になってしまいました。

 そして普通の仕事に就けば何かしら行動の遅さとか確実性の低さが見いだされ矯正されたかもしれませんが、理系の研究職では、顕微鏡を覗きながらぼーっとしていても、周囲からその実行能力の低さが見いだされにくい環境です。研究職は普通の仕事より、はるかにチェックが働きにくいのですね。

 研究機関の方はぜひ、若い研究職の方がこういう人なのではないか、と一応のアンテナは立てておいていただきたいものです。それとともに発達障害の様々なタイプについて、そういう人のマネジメント法について、学習していただきたいものです。
 またどの職業においても、発達障害の方にはさまざまな個性があります。10人に1人はいらっしゃるのですから、あまり不安になったり感情的になったりすることなく、その人の個性を理解し、働きやすいように環境整備をしてやっていただきたいものです。


3. 言葉がキレイ、お顔がキレイ、経歴詐称オンパレード
 ―もういちど「行動承認」、痛みを踏まえて振り返れ

 このシリーズ連載中にもTVコメンテーター・自称コンサルタント「ショーン・K」氏の経歴詐称問題が出、しばらく雑誌を賑わしました。
 同氏のコメント力はなかなかのものでしたが、しかしそれは当意即妙に辻褄を合わせる口先の技術だった、ともいえます。そして「整形疑惑」も一緒に明らかになってしまいました。わかりやすい例ですね。
 
 ことほどかようにわたしたちは、「見た目」と「言葉」に翻弄されやすい生き物。
 
 そこで、我田引水とお叱りを受けそうですが、わたしが任意団体、NPO時代を通じて10数年にわたり確立してきたマネジメント手法、「行動承認」が有効であり、重要であることを改めて申し上げるのをお許しください。

 「行動承認」とは、マネジャーが部下の行動をみて、「あなたは、○×(行動)をしたね」「やってくれたね」と、事実そのままに認める、というものです。「すごいね」「偉いね」等の褒める言葉を使う必要はありません。事実の通り認めるのです。
 これを習慣づけて繰り返すと、部下は極めて能動的になり、指示されなかったことも自発的に考えてやってくれるようになります。また信頼関係が高まり、指示したことや教えたことも正確に受け止めてくれます。職場の行動量もコミュニケーション量も飛躍的に上がり、業績が上がります。
 行動承認の下では、過去13年間にわたり「業績1位マネジャー」が生まれています。

 過去の受講生の皆様、行動承認のやり方や意義、効果についてはもう「耳タコ」でいらっしゃると思いますが、もう一度確認していただきたいのです。

 みなさんは、「話を聴く(傾聴)」も学ばれていると思います。
 しかし、よく混同してしまうところですが、「傾聴」はそれ自体が目的なのではない。「行動承認」のためにこそある、と思ってください。
 能弁な人が世の中にはいらっしゃいます。今の時代、スマホ全盛で行動力が軒並み下がっています。子供時代から手を動かして何かをやったことがなく、弁だけが立つ人が過去に比べて増えています。言い訳のうまい人も増えています。
 言葉を聴いても、行動の伴わない言葉に惑わされないでください。本シリーズ(2)でお伝えしましたように、相手が本当にその行動をとったのか、きちっと「裏をとって」ください。そして、本当に行動をとったことに関してはしっかり「承認」してやってください。

 出発点で少々行動力の弱い人でも、それを繰り返していると、自然と「行動すれば承認してもらえるんだ」と刷り込まれ、行動力のある人に育っていきます。

 また、上司のあなたの側も、少々面倒ではあっても「裏をとる」ことを習慣づけていれば、部下が「やっています」と言葉だけで、実際はやっていなかった。などというとんでもない事態で真っ青にならずに済みます。
 過去に比べ、こうしたマネジメント法の必要性はいや増しています。転ばぬ先の杖、行動承認。

 「小保方騒動」を眺めてきた今、それを他山の石としてわたしたちが学ぶべきは、何か。最終的には「行動承認」これのさらなる徹底を、というお話になるのです。

 受講生様方、大丈夫ですね。






 14回にわたり連載させていただいた「社会人のための『小保方手記』解読講座」これにて終了とさせていただきます。(今後も各章にちょこちょこ追記させていただくかもしれません)
 当初は全体の構成も立てずに書いてきたこのシリーズでしたが、途中から「プロファイリング編」「読者編」と徐々に構成らしいものができ、中盤に「STAP細胞はあったのか」について、優れたAmazonレビュアーの皆様のお蔭をもって、独自の見解をご提示することができました。そして「上司編」には、とりわけ多くの上司世代の方々のご反響をいただくことができました。
 この間、意気阻喪するようなこともありましたが、読者の皆様の応援のメッセージに励まされてまいりました。長い間のご愛読、ありがとうございました。
 また、差し支えなければ全体のご感想を、ブログコメント、FBコメントその他の形でいただければ嬉しく思います。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第12弾です。

 本日は、小保方さんの上司/指導教官たちは、何をしていたのか?なぜ彼女の能力不足を見ぬけなかったのか?という話題です。
 いいかえれば小保方さんはなぜ、教育訓練とチェックをすり抜け、実力のないまま研究者として実績を積みNatureに論文が掲載されるまでになってしまったか、というお話の「上司要因バージョン」。こちらも、このシリーズを開始して以来、読者の皆様から何度もご質問いただいたことです。

 本日の骨子です

1. 時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち
2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”
3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

 (後編の内容はこちらです)

4.「無関心」⇒「擁護」⇒「放棄と紆余曲折」:若山氏
5. 闇の紳士たち?:大和氏、バカンティ氏、セルシード社

 それではまいりたいと思います―


1.時系列でみる 小保方さんの「バブル世代おじさま」たち

 小保方晴子さんは、AO入試で入った早稲田大学理工学部を2006年3月に卒業。そのあといくつかの研究室をステップアップしていき、何人かの指導教官、上司の下につきます。

 問題は、小保方さんになぜ研究者としての十分な教育訓練が施されなかったか。
 また、教育しても身につけられなかった場合、つまり基準に達さなかった場合、どこかで
「あなたは研究者に向いていない」
と、引導を渡す役回りの人がいればよかったのですが、それがいなかった。いわば、「スクリーニング機能」が各段階でうまく果たされなかった。それはなぜなのか、ということです。

 それはどうも、この教授・上司たち1人1人に少しずつ責任があったようです。


 何人かの上司・教授の名前が出てくるので一度、年代順に整理して「スッキリ」しておきましょう:

2004-2006年 早稲田大学理工学部応用化学科にて海洋微生物を研究。常田聡教授に師事(注:2004年当時は助教授、06年教授に昇進)
2006-2008年 早稲田大学大学院 理工学研究科 修士課程。この期間は東京女子医大と早大とが合同で設立した医工融合研究教育拠点である先端生命医科学センター (TWIns) にて外部研修生となる。指導教官は大和雅之・東京女子医科大学教授。大和氏のもとでセルシード社の細胞シート研究を行うとともに、国内外の学会で精力的に発表を行う。
2008年 博士課程。ハーバード大学大学院教授(当時)のチャールズ・バカンティ氏のもとへ短期留学。バカンティ氏のスポアライクセル細胞のアイデアをヒントに現在のSTAP細胞のアイデアを思いつき、実験を開始。直接の指導教官は小島宏司氏。
2010年7月 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸、CDB)でチームリーダーだった若山照彦氏と初めて会う。STAP細胞の証明第2段階までをクリアした論文を雑誌にリジェクトされたため、若山氏にキメラマウス作製を依頼する。
2011年3月 早稲田大学博士号を取得(指導教官:常田聡教授[前出])。
2011年4月 理研CDB若山研究室の客員研究員となる。この当時はポスドクで無給。
2012年12月 理研CDBのユニットリーダーに応募。笹井芳樹・理研CDBグループディレクター(GD、翌年4月より複センター長。故人)に初めて会う。笹井氏の論文指導を受けるようになる。
2013年3月 理研CDBユニットリーダー。独立の研究室を持つ。
2014年1月 STAP論文Nature掲載を発表。

 以上です。

 まとめますと、小保方さんを指導する立場だった人は、常田氏―大和氏―バカンティ氏/小島氏―若山氏―笹井氏。この6人のリレー。
 今回は、この6人の「おじさま」、それぞれについてわかっている人物像や責任の程度についてみていきたいと思います。

 実はわたし正田が個人的にとても残念なことがあります。この人々のうちのほとんどは、わたしと同年代すなわち1960年代初めから半ばまでの生まれなのです。そして、その世代の人々特有の問題を露呈しているように思います。もちろん、理研・大学に限らず、さまざまな企業で共通に起こっている現象ですので、読み解く値打ちはあります。
 Wikipediaでわかっているかれらの生年月日をみると、

常田聡氏 1965年10月 (50歳)
大和雅之氏 1964年?月 (52歳)
チャールズ・バカンティ氏 生年月日不詳
小島宏司氏 生年月日不詳 1990年研修医(1967年前後生まれ?)
若山照彦氏 1967年4月1日(48歳)
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 そして、この人たちの問題というのは、大まかに

「ええかっこしい(ザル)系」(常田氏、笹井氏)
「無関心放置プレイ系」(若山氏)
「欲得・不正系」(大和氏、バカンティ氏)

と分類できると思います。

 年代順でいうと、

ええかっこしい系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 欲得・不正系 ⇒ 無関心放置プレイ系 ⇒ ええかっこしい系

 という順に、「おじさま」の傘下に入ったわけであります。
 このことも、小保方晴子さんの「教育訓練・スクリーニングすり抜けマジック」に寄与していたと思われます。

 このうち今回の記事では、問題の性質が似ている(と思われる)常田氏と笹井氏を取り上げてみたいと思います。


2.「ええかっこしい」の系譜(1)常田聡氏の“教えない教育”

【早稲田・常田研時代】
 常田聡氏 1965年10月 (50歳)。

 常田聡教授が小保方晴子さんを「叱った」という逸話が日経ビジネスオンラインで紹介されています。

「彼女は分野が違って特別だから」(シリーズ検証 STAP細胞、失墜の連鎖)
>>http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140805/269676/?rt=nocnt
 
 「先輩の研究とどこが違うの? 自分の研究部分を明らかにしないと。意味ないよ!」。2006年2月、早稲田大学理工学部(当時)の研究棟の廊下に、怒気を含んだ声が響いた。
 声の主は応用化学科教授の常田聡。「環境微生物の分離培養」と題した学士卒業論文の内容を説明した4年生の女子学生に、書き直しを命じた。先輩学生との共同実験のデータを明示せずに盛り込んだ点を指摘したのだ。

 女子学生は口を真一文字に結び、表情をこわばらせた。だが、大学院への進学を決める際に、彼女はあっけらかんと常田にこう訴えた。「微生物では自分の力を発揮できないと思います。細胞の研究をやりたいんです」。


 おおー。小保方さん、全然叱られないで育ってきたわけではないんですね。お見それしました。
(このエピソードの存在は、Amazonレビュアーの「ほのぴよさん」から教えていただきました)
 ただし。このエピソードにも突っ込んでしまうわたしです。

 2006年2月。それは、学部の卒論の提出期限後の時期ではなかろうか?
 …というのは、私学より進行の遅いわたしの出身大学ではたしか、卒論の提出期限は1月20日だったというのをおぼえているので…。
 常田教授、データが先輩の丸写し、というのをもっと前に見抜けなかったのだろうか?それまでの年度を通じた卒論指導では何をやっていたのだろうか?

 また、このあとに小保方さんは修士への進学を希望した、それも専攻を変えて、ということでしたが、先輩のデータを使い回すような「研究不正」の兆候のある人を修士に進学させて良かったのだろうか?資格をクリアしていたろうか?
 
 ・・・と、意地のわるい突っ込みがどんどん湧いてしまうわたしです。
 ご覧になっている読者の皆様は、いかがでしょうか。

 もちろん、この時点の常田教授は、小保方晴子さんがその後「STAP細胞事件」という、「世界3大研究不正の1つ」とまで言われる騒動の主人公になるとは夢にも思わなかったわけで。

 記事のこのあとのくだりで、常田教授は「教えない教育」ということを言います。

「常田のモットーは「教えない教育」。学生の自主性を重んじ、自由に研究をさせた。」(上記の記事)

 「教えない教育」。「自主性」「自由」。
 かっこいいですが、このブログ「正田佐与の愛するこの世界」では「教えない教育」のことも長年、批判してきました。教える側の責任放棄だ、と。

 「教えない教育」は1990年代末の「ゆとり教育」の学習指導要領改訂のころから流行ったフレーズです。生徒の自発性を促すことは本来は悪いことではありません。しかし、それが教師の責任放棄となり、質の低下を招いていることを大村はま氏が早くも2003年には批判しています。

※詳しくはこちらの記事などを参照
「教える覚悟」への真摯な思考に耳を傾けよう―『教えることの復権』を読む
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51879635.html  

 「教える」ことは教えられる側の学生からときに反発を招きます。「教えない教育」は、軋轢を生むことを好まない性格の、「ええかっこしい」の指導者の方々に好んで使われるフレーズでした。ストレングスファインダーでいうと、「ポジティブ―自我」の持ち主のかたが好んで使いそうなフレーズと言えます。しかし、ある時期「教えない教育」は確かに一部の教育者の「錦の御旗」ではあったのでした。

 「ええかっこしい」の常田聡氏の研究室では、博士論文不正の調査で小保方晴子さん以外にも6人のコピペが明るみに出ました。
 残念ながら、「教えない教育」とは、この場合、「規範のないゆるゆるの教育」と同義であったようです。よほど気をつけないと容易にそうなってしまうのです。

 先ほどの小保方晴子さんの卒論指導に戻ると、他の人はどうあれ、小保方さんの個性、すなわちADHD傾向でぼーっとしやすく、時間管理が下手な傾向を考えると、かなり「ガチガチ」に指導してやらなければダメだった可能性があります。
 卒論という「成果物」ができてくるのを待って指導するのではなく、各月、各週のペースで、細かくチェックして進捗を管理し、「次の一手」をアドバイスしてやる必要がありました。実際に職場でのADHDの人のマネジメントというのは面倒でもそうする必要があるのです。
 小保方さんという人を管理するには極めて不適任な指導者であり、しかし小保方さんのほうでも、そうした「ゆるさ」を狙って常田氏の指導下に入っていた可能性があるのでした。


 このあと小保方さんは早稲田と東京女子医大が合同で設立した先端生命医科学センター(TWIns) で外部研修生となりました。そこでは東京女子医大の大和雅之教授の指導下に。
 どうも、大和氏の恩師だった、林利彦氏が東大を退職後に奉職した先の大学が、小保方さんのお母さんが学科長を務める大学だった、という因縁が、ここにはあるようです。(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.19)
 そういうご縁があるとすると、「初対面から『明日からおいで〜』と明るく言ってくださった。」(『あの日』p.14)というノリも、雰囲気的にわかりますね。

 この経緯をみると、常田氏のもとでいったん研究者の適性としては「?」マークがついた小保方さんが、お母さんのご縁でTWInsの大和氏に拾われ、それで常田氏も「ダメだ」とは言えず、「行ってらっしゃい」と送り出した、という風にみえます。「スクリーニング機能」が発揮されなかった第一の段階ですね。

 「欲得不正系」に分類させていただいた大和氏については次回の記事、(13)上司編・後編で解説したいと思います。


3.「ええかっこしい」の系譜(2)笹井芳樹氏の"前のめり"と"イッチョカミ"の悲劇

【理研・2012年〜】
笹井芳樹氏 1962年3月5日(52歳没、生きていれば54歳)

 さて、年代は6年ほど飛んで、2012年末に小保方さんが出会った故・笹井芳樹氏(理研CDBグループディレクター=当時、のち同副センター長)です。若山照彦氏の研究室にいたポスドクの小保方さんが、理研のユニットリーダーに採用されるタイミングで出会い、STAP論文の執筆を担当してくれることになります。

 この方が、いわば「小保方さんおじさまリレー」のアンカー。そして自殺という悲劇的な最期を遂げた人でもあります。

 STAP論文の不正については、ファースト・オーサーである小保方晴子さんが第一責任者ですが、管理責任を問うのであればこの笹井氏の責任が大きいのです。
 では、この方がなぜ論文のデータや画像の捏造を見抜けなかったのか。
 亡くなられた方なので、指摘するのは死者に鞭打つことになり、非常に気が重いところです。
 ですがこの方も言うなれば、「ええかっこしい上司」のカテゴリに括れると思います。

 『あの日』での笹井氏の登場シーンは印象的です。
 2012年12月21日、小保方さんは理研ユニットリーダーに応募し、面接を受けました。高名な理研のグループディレクター(GD)たちを前にプレゼン。「分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について話し、GDたちからてんで勝手なコメントをされたとのことです。

「それにしても疲れた。ぐったりして、若山研の自分のデスクに座っていると、人事部の人から電話がかかってきて、『もう一度面接室に戻ってきてください』と連絡を受けた。緊張感が舞い戻った。足早に面接会場に向かい、深呼吸をした後、重いドアを開けると、逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた。
『はじめまして、笹井です。あなたの希望の研究をするために、とにかく今の論文を終わらせましょう』といわれた。『はい、よろしくお願いいたします』と反射的に答えた。これが笹井芳樹先生との最初の会話だった」(『あの日』p.110)

 どうでしょう、この登場の仕方。「逆光が射す窓際に一人の先生が立っていた」だって。スタイリッシュな絵が浮かびますね。映画かドラマのシナリオみたいです。
 
 そして、論文を通すことに定評があり、
「ネイチャー誌には何度も論文が通った経験があって、論文を投稿してリジェクトになったことはここ数年まったくない」(同p.112)
「ネイチャーとかに論文が通ってもね、カバー(雑誌の表紙写真)を取れないとちょっと悔しい」(同)
・・・と、笹井氏のかっこいい台詞が続きます。
 それまで若山氏のもとで、ネイチャー、セル等に論文を投稿してリジェクトされ続けてきた小保方晴子さんにとっては白馬の騎士現る。

 このあと笹井氏は「STAP細胞」という細胞名を決め、2013年、いよいよ笹井氏の論文執筆がはじまります。

「アーティクルは謡うように読み手に訴えかけるように、レターは詩のように切れ味よく文章を書くという笹井先生の論文執筆は、経験の浅い私にさえ『ずば抜けた違い』を感じさせるものだった。途切れなくつむぎだされる言葉の選択が優美で的確で、かつリズミカル。まるで間違えずに音楽を演奏しているかのように言葉が繰り出されていった。」(同p.115)

 と、笹井氏の挙措はどこまでも「かっこよく」。
 そう、これが笹井氏の人物像でもあったようです。かっこいい美学。のちにSTAP論文の不正疑惑が起こると、笹井氏は「ぼくはケビン・コスナーになる」(注:映画『ボディガード』の主演俳優。小保方さんを守る役回りをするの意)と周囲に言っていたようです。

 あの2014年1月28日のNature掲載の発表では、笹井氏は自らSTAP細胞のiPS細胞と比較した優秀性を示す1枚物のペーパーを作成し、配りました。わかりやすく両者を比較したイラストが使われ、STAP細胞側には小保方晴子さんをイメージしたのか、魔女が杖を振るイラストが付せられました。この配布資料は、iPS細胞の作製方法が既に大幅に改善されていることに触れていなかったことから、のちにiPS研究の山中伸弥氏から抗議を受け、大慌てで回収されることになります。


 『あの日』には書かれなかった、笹井氏が「前のめり」になり、小保方さんの真贋を見極められなかった要因は、なんでしょうか。

 有名な話ですが笹井氏はiPS細胞の第一人者、山中伸弥氏(現京大iPS細胞研究所所長・教授)が出てくるまでは日本の再生医療のトップランナーでした。ES細胞研究を推進して1998年、史上最年少の36歳で京大再生医科学研究所教授に。同い年の山中氏が京大同研究所教授になったのは2004年ですから、二人の出世レースはある時期まで圧倒的に笹井氏が「上」だったのです。
 ところが、iPS細胞研究の論文が2006年セル誌に掲載され、作製技術も確立されて2012年にはノーベル医学賞も獲得。一方ES細胞研究は、人間の受精卵を使用するため倫理的な問題が指摘され、形勢不利に。ES細胞は研究費の獲得が難しくなりつつあり、笹井氏はES細胞やiPS細胞にも代わる“第3の万能細胞”をノドから手が出るほど求めていただろうことが推測されます。
 そこへいいタイミングで小保方晴子さんのSTAP細胞研究が向こうからやってきました。C・バカンティ氏や大和雅之氏、常田聡氏の折り紙つきで。
 そういう笹井氏にとってのベストタイミング、があったのでした。

 そして、笹井氏がではSTAP論文のデータや画像の不正をどうして見抜けなかったか?
 ここは推測でしかありません。
 笹井氏が手がけるプロジェクトはあまりに多岐にわたり、STAP論文はあくまでその1つに過ぎなかった、ということです。笹井氏は研究者でありながら例外的に非常に視野が広く、コーディネーター的資質もある人であり、理研CDBの予算獲得や新施設「融合連携イノベーション推進棟」の実現にも尽力した、とWikipediaにはあります。そうした、“政治的”手腕がある一方で、自分の研究としてアフリカツメガエルの初期胚の研究を行ったり、理研のiPS臨床研究を含むいくつかの文科省再生医療プロジェクトの代表を務め、文科省ライフサイエンス委員会の委員も務めたとあります。体がいくつあっても足りないぐらい多忙だった。
 一方で学会の打ち上げでチェロを演奏したり、国際会議でバーテンダー役を務めたり・・・と趣味人の顔もWikiには載っているのですが。

 STAP論文不正が明るみに出た2014年4月16日、笹井氏は記者会見で自己弁護に終始しました。

「御覧になった方はよく覚えておられよう。笹井は、自らの責任をほとんど認めようとはしない戦略でカメラの放列の前に姿を現したのである。人事は、竹市センター長の責任。実験は若山照彦・山梨大教授の責任。論文執筆は、ファースト・オーサーの小保方晴子とラスト・オーサーのチャールズ・ヴァカンティ。笹井が論文執筆に加わったときには、すでにSTAP論文の概要は出来上がっていて、自らが関与したのは文章をネイチャー誌に掲載可能な水準にブラッシュアップしただけ。しかも自ら希望して参画したのではなく、竹市センター長に請われて、最後の二か月だけ関わったと釈明したのである。したがって、画像の差し替えや切り貼りなど不正行為を見抜くことは土台ムリであるから、STAP論文において、捏造・改竄・盗用の不正行為に手を染められるわけがなかったと弁明したわけである。しかも、小保方は直属の部下ではなく、独立した研究室のリーダーだったので、不躾に実験ノートを見せるように要求することなどできなかった。そして記者会見の最後では、こうぬけぬけと言い放ったのである。
『私の(メインの)仕事として、STAP細胞を考えたことなどない』」(『STAP細胞に群がった悪いヤツら』p.99)


 ・・・と、この時点ではいきなりケビン・コスナーをかなぐり捨て無責任路線になっている笹井氏です。
 先ほど挙げたような笹井氏の抱えていたプロジェクト群を考えると、最後の笹井氏の放り出し発言は、気持ちとしてはわからないではない。しかし、論文の「共著者」「コレスポンデント・オーサー」という立場は、本来は論文のすみずみに目を通し共同責任を負う立場なので、この笹井氏の言葉は「あってはならない」のです。とりわけ理研CDB副センター長でもあり、論文執筆と同時に組織運営上も管理責任のある笹井氏の責任は重大でしょう。

 このあと笹井氏は8月5日、笹井氏は先端医療センターの中で首吊り自殺をしてしまいます。

 自殺の動機は諸説ありますが、小保方晴子さんの不正を見抜けなかった自分の不明を悔いたこと、それに自分の研究室の研究員らの将来に責任を感じたのであろう、とみられています。


 笹井氏から小保方晴子さんに宛てた遺書は、優しさと思いやりにあふれていました。

 『捏造の科学者』によると、

「小保方氏宛ての遺書は一枚。『限界を超えた。精神的に疲れました』と断り、『小保方さんをおいてすべてを投げ出すことを許してください』と謝罪の言葉で始まっていた。更に、小保方氏と共にSTAP研究に費やした期間にも言及し、『こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない』と小保方氏を擁護する記述もあった。末尾には『絶対にSTAP細胞を再現してください』と検証実験への期待を込め、『実験を成功させ、新しい人生を歩んでください』と激励する言葉で締めくくられていたという。」(『捏造の科学者』須田桃子、文藝春秋社、2014年p.347)

 この遺書の言葉をとらえて、小保方さんを擁護する人々は、「笹井氏は小保方氏を最後まで擁護していた」と主張します。
 しかし、今年になって出た、笹井氏の未亡人に対するインタビューでは違う見方が述べられています。

「A子さんは、夫が書いた真意が小保方氏には伝わっていないのではないかという。
『主人の遺書にあった“新しい人生を歩んで下さい”という言葉。あれは、“あなたには研究者の資質がないから辞めなさい”という意味なんです。実際、主人は何度も言っていました。“彼女は研究者には向いてない。辞めたほうがいい”って。これが、彼女を間近で見てきた主人が最後に下した結論だったのです』」
(「故笹井芳樹氏の妻 遺書の真意「小保方氏に伝わっていない」
NEWSポストセブン2月4日(木)16時0分)
>>http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0204/sgk_160204_5082077530.html
 というわけで、いまだ謎に包まれている部分が多いものの、本シリーズとしては「女性に優しい男を自認していた笹井氏が小保方さんを信じすぎて墓穴を掘ってしまった」と推論せざるを得ないのです。
 もちろん、責任は一義的には、ウソ、誤魔化しの積み重ねで上位者のヒューマン・エラーを誘ってきた小保方さんにあります。


 『捏造の科学者』では、笹井氏に同情的な別の見方も述べられています。
 すなわち、笹井氏は基礎研究を愛していた。しかし、再生医療を看板にしないとお金がとってこられない。

「基礎研究を愛し、若手の自由な研究環境を守るために、臨床応用の近いiPS細胞と比べることでSTAP研究の意義を宣伝した―。そう考えると、笹井氏こそ、CDBの抱える矛盾を体現していたように思えてならなかった」(『捏造の科学者』p.353)

 笹井氏は巨額の研究予算をとる権限を持ち、才覚のあった人でした。そのことに使命感を持っていた人でもありました。若手の研究者に対する擁護者を自ら任じてもいたことでしょう。
 そのことが仇となり、小保方晴子さんの不正を見抜く目が甘くなったとしたら、それもまた痛ましいことです。
 −こういうスケールのことを「ええかっこしい」と呼んでしまうのは気の毒なことではあるのですが。でも突き詰めていうとやはりそれになります。

 
 そしてまた、いくつかの謎が残っています。 
 笹井氏は「光る胎盤をみた」とも言います。
 これについて小保方さんが行ったとみられる「手品」についていろいろ推測があり、要は「えっ」と拍子抜けするような子供だましのテクニックでこれらが実現する可能性があるのです。高名な学者が、むしろ「まさか、そこまでバカバカしいことをするとは」と疑わず、ダマされてしまった可能性があるのです。
 そのあたりは(9)で登場したレビュアー「パルサさん」がいずれ、解説してくれる機会があるかもしれません…。
 要は、「ヒューマン・エラー」が積み重なった。笹井氏の予算獲得の野望、iPS細胞への対抗心、そして女性や若い人に対して優しい擁護者を自認していたことがチェックの甘さにつながった。それが悲劇につながったのだろうと、今は推測するほかないのです。


 次回は、残された「おじさん」たち、「放置プレイ系」若山氏と、「欲得・不正系」大和氏・バカンティ氏を取り上げます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html



●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日



 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第11弾です。

 ちょうど先週、「週刊文春」がTVコメンテーターの「ショーン・K」の学歴詐称・職歴詐称を報じ、ショーン・Kが番組降板をする騒ぎになっていました。今回はそれに少し近い話題です。

 今回の内容です:

1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる
2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ
3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」
 
 それではまいりたいと思います―


1.「ヒューリスティック」が私たちを誤らせる


 小保方晴子さんがなぜ、理研のユニットリーダーというような重要なポストに就き、Natureに投稿することまで許されていたか?

 それまでには、何人もの世界的な研究者たちが小保方さんに騙されていたことになります。
 なぜ、彼らは騙されたのだろう。
 そこには、上司・指導者たちの要因と小保方晴子さん自身の類まれなる資質があります。
 今回の記事では、小保方さん側の資質。どういうやり方で彼女がすり抜けていったのかを、みてみたいと思います。
 このシリーズの(6)「私の会社でも」―読者からのお便り でみたように、類似の“事件”は企業社会のあちこちで起こっています。社長、株主、といった人たちが次々と騙されていきます。ですので、「まさか」と思われるかもしれませんが、トラブルの種は身近なところにあると思って、この事件から学べることを最大限学習していきましょう。




 わたしたちは、いくつかの判断材料がそろうと、それを基に「〜だから、〜だろう」と推論をする癖があります。
 そうした類推を「ヒューリスティック(自動思考)」といいます。それはわたしたちが日々、多数の事柄を扱い判断していく必要上生まれたもの。どんな人も毎日どこかでヒューリスティックをしていることを免れません。実務経験豊かな、「自分は判断力がある」「自分は人をみる目がある」と自信のある人ほど、日常的にヒューリスティックを使っていることでしょう。

 ところが、ヒューリスティックがわたしたちを誤らせることもあるのは確かなのです。
 その典型が、「小保方晴子さんの出世物語」であるといえます。
 さて、そこにはどんなヒューリスティックが働いたのでしょう。

※なお、「ヒューリスティック」に俄然ご興味が湧いたという方は、このブログのカテゴリ
「判断を歪めるもの(ヒューリスティック・バイアス・ステレオタイプ)」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50056283.html
を、ご参照ください。良質な参考文献もご紹介しています




2.「小保方プレゼン」にみる、確信と幼い一生懸命さ



 小保方さんの「売り」は、なんと言ってもそのプレゼン能力。

 是非、過去の学会発表の様子までみてみたいものですが、残念ながらそれらは動画の資料がありません。
 今ウェブ上でみられるのは、
(1)2014年1月28日、STAP論文のNature掲載を記者発表したときのもの
   (5分強の動画)
(2)同年4月9日、小保方さん自身による釈明会見
   (2時間〜2時間30分の動画)

 です。ご興味のある方はご自身でご覧になってみてくださいね。
 簡単に言うとここには「確信あるポーズ」と「青年の主張ポーズ」というテクニックが入っています。

(1) は、われらが小保方晴子さんが一躍、お茶の間の時の人となった記念すべきプレ ゼンです。
これをきいてみると、非常に上手いプレゼンであることがわかります。

「…隠された細胞メカニズムを発見しました」
「…胎盤にも胎児にもなれるという特徴的な分化能を有していることがわかりました」
「…2種類の細胞株を取得することに成功しました」

 「えーと」「あのー」などの「つなぎ」の言葉が一切入らない。それぞれのセンテンスの語尾まで迷いなくきれいに言いきっています。聴衆に向ける笑顔に曇りひとつありません。

 そして最後の決め、
「もしかしたら夢の若返りも目指していけるのではと考えております」
 この言葉は内容的にはすごく飛躍しているのですが、きれいなよく通る発声を維持したまま、確信をもって発音しています。ですのでこの言葉を頼りに、一時の夢をみてしまった高齢者のかたも多いようです。

 これらが、聞き手にとってどのような効果をもたらすか。
「ここまで迷いなく言い切れるのは、何度も実験に成功し、自分の中に確信があるからだろう」
 普通の人は、そう思います。

 それはわたしたち自身が、そうだからなのですね。大勢の人の前で話すということは非常に緊張するものです。そこで確信をもって語尾まできっぱり言い切れる、感情的なブレもなく、というのは、自分が何度も経験した上で確信を持っているからに違いない。わたしたちのうちほとんどの人が、そうでないとそのようなプレゼンは出来ないものです。

 しかし、そうした類推(ヒューリスティック)を裏切るのが、小保方さんのプレゼンです。

 前々回の記事(9)「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻 をお読みになった方なら、小保方さんは、「テラトーマができていない」という致命的な欠陥を隠したまま論文を書き、このプレゼンを行ったことがわかります。

 しかし、そういう「瑕疵」の匂いを一切感じさせない。可愛らしい満面の笑みを浮かべながら、伸びやかな発声でよどみなく、達成してきたことと今後のシナリオまで言い切ります。
 これが、「小保方プレゼン」の凄さです。
 プレゼンだけをきいたら、物凄く優秀な研究者であるように見えます。

 (もっとも、多くの偽健康食品や投資詐欺などの説明会で講師を務める人は、得てしてこういうものなのかもしれません)


(2)4月の釈明会見

 非常に長い動画ですが、ここでの小保方さんは1月のプレゼントはまた別の顔をみせます。
 まず、髪はシンプルなハーフアップ。フィット&フレアーのすっきりしたシルエットの紺のワンピース。
 プレゼンの口調は、1月の時よりはやや甲高くか細く、単調。ごくまれに質問に答えて「あのー」が出る以外はやはりよどみがありません。

 そして顔の表情。この『あの日』出版以後は、この会見の時の顔写真がTVでも頻繁に使われています。少しうつむき加減の、今にも泣きだしそうな表情。唇は小さく形よく結んでいることが多く、お雛様のよう。1月の時より一段階、あどけなく可愛らしい印象になります。

 お顔の表情だけを拝見すると、30歳の人というよりは、女子大生、いや女子中学生、下手をすると小学生のような印象です。

 見ていて胸が痛くなります。こんな幼い弱々しい表情をしているんだから、ちょっと刺激したら泣き出してしまうんじゃないか―。しかし小保方さん、2時間以上にわたって口調は変わりません。涙を流した場面もありましたが、また今にも泣き崩れそうに涙声が混じりかけた場面もありましたが、語尾に震えなどは一切入りません。その状態のまま、きれいに各センテンスを言い切っています。

 あの有名なフレーズ
「STAP細胞は、あります」
 この言葉は目をぱっちり大きく見開いてまじまじと質問を発した記者を見つめ、軽くうなずきを入れながら、児童劇団のセリフのようにはっきり発音されています。

 全体として、これによく似た若い人のプレゼンを見た、と思ったのは、そう、「青年の主張」です。
 小さな、取るに足らない存在の私。無力な私。その私が一生懸命実験をした、一生懸命やった。その中に一部、ミスがあったけれどそれは未熟な私がしたことなんです。全体としては良い意図をもってやっているので許してください。やや甲高い声のトーン、幼さと一生懸命さを印象づける顔の表情、いかにも「青年の主張」という感じです。

 ただ当時30歳という年齢や、修士時代から7年間の華麗な研究者履歴を考え、またNatureという世界の研究者が羨む雑誌への掲載という研究者としての円熟のステージを考えると、本当は幼い表情も「青年の主張」ポーズも、ちょっと無理があるのですが・・・。
 その無理を強引に押し切ってしまうのが小保方さんなのでした。

 このシリーズを執筆し始めてから友人と対話したところでは、友人の中でも聡明な、しかし非常に優しい人が、この時の会見で小保方さんに同情したことがわかりました。
「優しい」人の心をつかむプレゼン術を心得ている、したたかな小保方晴子さんなのでした。

 ここでも同じです。顔の表情や声のトーンをそのように調整し、よどみを作らないことで、小保方晴子さんは「一生懸命な、悪くない私」を演出してしまっています。

 そして、それを聴いているみているわたしたちの側にある「ヒューリスティック」とは。

「こんなに若くて、良家のお嬢さん風のあどけない顔立ちの女性が、一生懸命な面持ちでブレずに話しているのだから、悪いことをするわけがない」

 そういうヒューリスティックがわたしたちの中にあります。なまじ人生経験が豊富だからと、わたしたちの頭の中に刻まれている推論が、わたしたちを正しく考えることを妨げます。

 (1)(2)をまとめますと、(1)は「成果が上がりました!」というときの、経験豊富で確信に満ちた自分を演出するプレゼン。
 (2)は、小さい幼い自分と、一生懸命な良い意図をもった自分を演出するプレゼン。

 これまでの人生で、小保方さんは、この(1)(2)を上手く使い分けてきたことが想像されます。
 例えば、早稲田のAO入試や、「日本学術振興会特別研究員DC1」の取得のための「情に訴える」プレゼンなら幼く一生懸命な(2)を。
 また学会発表や、理研ユニットリーダーへの応募のプレゼンなら確信に満ちた(1)を。
 あるいは場合によって、(1)(2)の混合を。

 『あの日』には、2012年12月、理研ユニットリーダーに応募しプレゼンを行った小保方晴子さんが、そこで故笹井芳樹氏(理研グループディレクター=当時。のち理研CDB副センター長。2014年8月没)と出会ったくだりが書かれています。
 ここでも、笹井氏は小保方さんのプレゼンに「コロッと」騙されてしまったようです。

 多くの人が、「笹井氏ほどの人が何故騙されたのか?」と疑問を投げかけるのですが、小保方さんのプレゼン能力というのはそれほど凄いのだ、というしかないでしょう。恐らく、2007年以来様々な学会に顔を出す中で、経験豊富な研究者の口調や仕草などを物にしていったことでしょう。また上手くいかないところがあっても細部まで辻褄を合わせるテクニックも発達させていたでしょう。
(注:笹井氏側の「騙されやすかった」要因については、次回の記事で取り上げたいと思います)

 しかし、ウソをつき通した末にSTAP論文が大々的に発表になり、世間の注目を集めたことで不正が追及されることになる、というところまでは、小保方さんは想像力が働かなかったのでした。



3.ハロー効果:強い後ろ盾と英会話力、そして「美形」


「高名な学者たちが、本当は中身のない小保方晴子さんに何故騙されたのか?」

 だれもが抱く疑問です。

 この問いには、小保方晴子さんの7年間の研究者人生の後半の方で出会う学者たちについては、「ハロー効果」で説明できます。これもヒューリスティックの1つです。

 つまり、前任者の上司や指導者たちが「この人は優秀だから」と太鼓判を押してくれていると、それは「ハロー効果」となって小保方晴子さんを全面的に信用する材料になってしまいます。

 2010年、神戸の理研CDBに初めて行った頃の小保方さんは、それ以前の早稲田大学、東京女子医科大学、ハーバード大学時代の評価が積み上がっていました。ハーバードのチャールズ・バカンティ氏、東京女子医大の大和雅之教授、といった高名な学者たちの推薦もかちえていました。博士課程の学生の中でも最も優秀な人だけが貰える「日本学術振興会特別研究員DC1」を取得していることも、ハロー効果の材料になります。

 そうした「後光」の差すような教授たちの推薦という美しいアクセサリを身につけた小保方さん。その彼女に対しては毎日延々と長時間の実験をし、土日も出勤して実験し、成果が上がっているのかどうかはっきり分からなくても、それを疑問視したりはしません。「実験ノートを見せて」などと、初心者に言うような野暮なことも言いません。
(小保方さんの事件以後、この点は多くの研究機関で大分改善されたようですが)


 「ハロー効果」を補強するものとして、小保方さんの英会話能力も挙げられるかもしれません。ハーバード仕込み、非常に流暢に話す人だったようです。想像ですが、日本語でもこれだけ「感情表現」を沢山織り交ぜて話す小保方さんなので、英語でも普通以上に「感情語」を多用したかもしれないですね。その結果、ロジカルな会話しかできない多くの研究者と異なり、会話が弾んだかもしれないですね。英語に弱いとされる若山照彦氏(理研チームリーダー、のち山梨大教授)などにとっては、頭の上がらない存在だったかもしれません。

 これも、ビジネスの世界では「英語ができる」が過大評価されることが往々にしてありますので、気をつけたいところです。小保方晴子さんのように、能力の凸凹が大きいなかで言語能力だけが突出して高い人が、英会話が得意であるというのは珍しいことではありません。やはり「あくまで色々な能力の中の1つ」と考え、実行/責任に関わる能力を常に第一にみたほうがいいでしょう。


 ・・・えっ、「あれ」を忘れているだろうって?
 そうでした。
 第8回 「『キラキラ女子』の栄光と転落、『朝ドラヒロイン』が裁かれる日」でもとりあげましたが、「お顔」「見た目」という要素、やはり大きいですね。

 大きくていい、というつもりはないですよ。容姿などではなく、実力で選ばれるのが理想です。ただ現実には大きいです、残念ながら。
 研修講師のわたしからみて、「えっ?」と思うような、明らかに人格が悪いとか能力が低い人を、お顔がキレイだからと、マネジャーに引き上げようとするトップの方、いらっしゃいますね。

 部下側の人に「上司との関係」をきいていくうち、「人格が悪いけどお顔がキレイな人が、やっぱりマネジャーになりやすい」という声はきかれました。

 というわけで「見た目ヒューリスティック」「美形ヒューリスティック」というもの、やはり存在しそうです。

 ショーンK氏問題に絡めて、May_Roma氏は

「最も効率のよい投資は自分への投資だと言われています。ショーンK氏の件でわかったことは、成功するために最もコスパが高いのは整形だということです」

と、身も蓋もないことを言います。

 




 今回のまとめです。

(1) 自信満々なプレゼン
(2) 幼い、一生懸命な自分を演出するプレゼン
(3) 高名な人からの推薦
(4) 英会話力など外国語能力
(5) きれいな・かっこいい見た目

 ある人がこれらを持っているからと言って、うっかり信用しないようにしましょう。
 もちろん、これらを持っている人が「本物」である場合もあります。しっかりと言葉の裏をとり、細部まで確認しましょう。「事実」と「行動」が最も重要なのです。

 先週発覚した、ショーン・Kの経歴詐称事件は、ウソつきの人が長期間、東京キー局のTVコメンテーターという目立つ場所に起用されていて、誰もその経歴を疑わなかったという現象でもありました。
 人の言葉(表示も)をうっかり信用せず、細かく裏をとる作業、大事ですね。スマホ時代でわたしたちはどうしても認知的負荷をサボりがちになります。気をつけたいところです。


 次回は、騙された側の上司たちには、何が起こっていたのか?正田と同世代の「おじさん」たちの心理を読み解きます。



これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 小保方晴子さんの手記『あの日』(講談社、2016年1月)の読書日記 第9弾です。

 今回は、また別の話題。

「人間的側面はいいから、STAP細胞って本当にあったの?そこが知りたいよ」
というお声も、主に男性諸氏からききました。

 そうした声にお応えして、今回は「STAP細胞はあったのか」そして「研究不正の全体像はなんだったのか」これをテーマにしたいと思います。そのなかで「誰がわるかったのか」の問題にも触れたいと思います。


1)「テラトーマができていない!」
2)マウス系統の謎:若山氏の”陰謀”を推理する!
3)仁さんレビュー(研究不正の全容の仮説とさらなる疑義)
4)STAP細胞とは、結局なんだったのか ⇒ 「多能性細胞」ではなく「自家蛍光細胞」

 それではまいりたいと思います―


1)「テラトーマができていない!」


 「ネイチャー」に掲載された2報のSTAP論文については、理研調査委員会の最終報告書「研究論文に関する調査報告書」(2014年12月25日)が公表されており、下記からみることができます。

>>http://www3.riken.jp/stap/j/c13document5.pdf  この報告書では結論で、
「本調査により、STAP 細胞が多能性を持つというこの論文の主な結論が否定され た問題である。その証拠となるべき STAP 幹細胞、FI 幹細胞、キメラ、テラトーマは、すべ て ES 細胞の混入に由来する、あるいはそれで説明できることが科学的な証拠で明らかにな った。」
と締めくくっています。すなわち、「すべてがES細胞混入によるものだった」いわば、「ES混入説」と呼べるものです。

 しかし、これでは今ひとつ説明しきれない部分があり、様々な陰謀論の種になってきました。「小保方さんはハメられた!」という方々は、例外なくこの理研報告書および「ES混入説」を根拠にしています。
ところが、小保方晴子さん自身の手記『あの日』を読み解くことで真相に迫ろうとした人々が、Amazonレビュアーの中にいらっしゃいました。

 STAP論文の「ネイチャー」投稿後、PubPeerや2ちゃんねるの匿名の投稿者が一斉に「ネット査読」を開始し、画像の不正や使い回しなどを洗い出しました。そこまでの規模とはいきませんが、『あの日』についてもちょっとした「ネット査読」のようなものがあったのです。
これらの作業を行った匿名のレビュアーさん方に敬意を表しつつ、そこで行われた発見をまとめたいと思います。

 (なお、匿名のAmazonレビューの中の議論を引用することが正しいか?というと、知人のある研究者の見解では、「例えばある論文の妥当性を議論するときにPubPeerでの議論を引用することはアカデミズムの世界でもあるので、問題ないのでは」ということでした)

 ここでの重要ポイントは「テラトーマができていない!」
 『あの日』から引用してみますと……。

 2008年、博士課程に進んでハーバード大・バカンティ研に留学することができた小保方さん。
バカンティ教授の提唱する「スポアライクステムセル」仮説を私が証明しよう!と勇んで実験を開始します。
スフェア細胞が、そのスポアライクステムセルだと見当をつけ、それが多能性を持つものだということを段階を踏んで立証しようとします。多能性を証明するためには、3つの条件をクリアしないといけません。

 小保方さん自身の記述によれば、

「現在、細胞の多能性を示すには、3つの方法がある。1つ目は培養系での分化培養実験で、三胚葉系の細胞に分化可能であることを示すこと。2つ目は免疫不全マウスの生体内への移植で、自発的な三胚葉由来すべての組織形成(テラトーマ形成)が観察されること。3つ目はキメラマウスの作製が可能であることを示すこと。この順に、細胞の多能性の証明の厳密さが増すが、同時に技術的な難易度も上がる。」(『あの日』p.54)

 すなわち、
幅広い細胞種に分化できることを証明する
テラトーマ(奇形種)を形成することを示す
キメラマウスの作製が可能であることを示す
ことが条件となります。

 そこで、小保方さんは,良広い細胞種に分化できることを同じバカンティ研の仲間と時間をかけて証明。
 次の段階、▲謄薀函璽泙侶狙に挑戦します。
 ところが……。

「ただ注入するだけではテラトーマを形成することはなかった。しかし、研究室が得意としていた組織工学の技術を使ってテラトーマに似た組織を作ることができた。」(p.55)
と、言っています。
ここはうっかりすると読みとばしますが、重要な記述です。何を言っているかお分かりになりますか。
まず、「ただ注入するだけではテラトーマを形成することはなかった。」テラトーマはできなかったのです。
ところが、
「しかし、研究室が得意としていた組織工学の技術を使ってテラトーマに似た組織を作ることができた。」

 これはどういうことか。つまり、本物のテラトーマができないのでまがい物を作ってお茶を濁した、ということです。この書き方でいうと、ES細胞由来のテラトーマを作ったのではないのだろうと思われます。そうだとしたら「テラトーマに似た組織」という言い方はしませんから。

「研究室が得意としていた組織工学の技術を使って」

 想像ですが恐らく、バカンティマウスを作ったバカンティ研のこと。「金型と軟骨組織で作った人間の耳の形をしたものを背中にくっつけたマウス」のような、科学的にはまったく意味のない肉の盛り上がりを作ったのだろうと思われます。このテラトーマが実際に何でできていたのかは、今となってはわかりません。

 このあと小保方さんはここまでの実験結果を基に「スフェア細胞は多能性を有する」ことを主張する論文を雑誌に投稿したが、あえなくリジェクト。その時の査読意見で、「掲載はキメラマウスを作製することが条件となる」と言われました。

 ということは、その論文では多能性の証明の´△泙任蓮△任たことにしていたと考えられます。「テラトーマに似た組織を作れた(テラトーマはできなかった)」では、多能性を主張する論文としては体をなしていないですね。査読意見も、キメラマウスより「まず、テラトーマを作製してください」ということになったと思われます。

 そして、この論文のリジェクトを契機に、「キメラマウスを作るしかない」とバカンティ研内の意見がまとまりました。しかしバカンティ研にはキメラマウス作製の設備はない。

 そこで、小保方さんは理研の若山研究室の門戸を叩くことになりました。世界で初めてクローンマウスを作製、世界一のキメラマウス作製の腕を持つ若山照彦氏にキメラマウス作製をお願いすることになったのです。このあたりの経緯が『あの日』p.54~62に載っています。

 この流れは、大事です。押さえておいてくださいね。

 小保方晴子さんを擁護する人は、このすぐあとの展開で、「キメラマウス作製するしかないよ、うんうん」と前のめりになっている若山氏の様子(小保方さん描写による)をみて、「若山氏こそがSTAP研究の主導者であり、論文不正の責任も本来若山氏にある」と、うっかり誤解されているようです。

 でも本来の経緯は、小保方晴子さんがSTAP細胞の多能性を証明する 銑の最後の段階を若山氏にお願いしに行った、若山氏はリレーの最後の走者を頼まれてやっただけ、ということです。そしてそのリレー全体の企画発案者は、小保方晴子さんです。ということで、小保方さんが論文の「ファースト・オーサー」になっているのです。

 このあと、「テラトーマ」は『あの日』の記述の中からきれいに消えます。

 これについて小保方さんは、恐らく「テラトーマができていない」ことに向き合いたくなかった。育児放棄したように、ぽーんと頭から抜けてしまったのだろう、という見方があります。

 しかしテラトーマができていない段階で若山氏がキメラマウス作りに応じるだろうか。想像してみてください。若山氏には、「テラトーマは『できています(バカンティ研では)』」とプレゼンした可能性のほうがありそうですね。
のちにこの「テラトーマ」が「STAP論文」のアキレス腱になります。論文に載せたテラトーマの画像は、小保方さんの博士論文、それもまったく関係ないテーマでの博士論文の画像の使い回しだったことがわかりました。これが致命的となり、共著者の若山氏による論文取り下げの呼びかけとなったのです。

 ではそれは、単なるケアレスミスだったのか。そうではない、そもそもテラトーマができたことは一度としてなかった、可能性が大なのです。だから画像が存在しないのです。

 そうしますと、この研究全体の仮説検証のストーリーを描いた責任者はやはり小保方さん。本当はできていないものを「できた」と言い、ほかの人をそのストーリーに沿って動かした立場の人です。



2) マウス系統の謎:若山氏の“陰謀”を推理する!

 実は、Amazonレビューでの“新説”にはもう少し続きがあります。それは、

「若山氏がマウス系統を秘密裏に変更したのではないか?」

というものです。


 これはまったく憶測、推論の域を出ません。しかし、この説を使えば、2014年の若山氏の言説の奇妙な変遷、そして「ES混入説」の不整合をきれいに説明できるのです。

 巷に流布する「若山氏主犯説」と比べても、こちらのほうがはるかに整合性があります。ここでは、あくまで推測の域を出ないのをお断りしたうえで、あえて「Amazonレビュー新説後半・若山氏の“陰謀”」をご紹介したいと思います。


(なお、この”説"については、現在「著作権者」を主張する方がいらっしゃいますが、Amazonレビューで最初に提起される1か月ほど前に別のブログコメントの中で提起した人物がおり、この人は「著作権者」を名乗る人とは別人であるらしいことが分かっています。このため、特定の誰かが「著作権者」と考えることが難しい状況にあります。現在主張されている方とは別の方が「自分こそが著作権者」と名乗り出てくる可能性もあります)



 この説のポイントは、

「若山氏が小保方さんに渡したマウスは、論文に載っていたOct4-GFPマウスではなく、Acr-GFP(アクロシンGFP)マウスだったのではないか。若山氏が秘密裏に変更していたのではないか」

ということです。

 これが、のちに「ES混入説」として誤って流布し理研報告書にも載ってしまった、というのです。
 ではなぜ、若山氏はそのような変更をしていたか?

 ここは本当に机上の想像でしかありません。しかしそれによれば、若山氏はマイクロマニピュレーターによる胚操作実験に倦んでいた。第六講でみますように、マイクロマニピュレーター操作は非常にハードな作業です。それに代わるより簡便な方法を考えた。それがすなわち、培養皿上で卵子に細胞核が自動的に入り、細胞分裂して細胞塊や仔や胎盤を形成するという方法です。そのために必要なのがアクロシン。

 アクロシンは精子の先体に存在するタンパク質分解酵素で、卵子の細胞壁を貫通する能力があります。そこでできたものは疑似精子といえます。

 『あの日』でいうこの部分、

 また、ジャームライントランスミッションを観察する実験の際には、マウスが自然交配するのに要する時間を節約するために、若山先生は幹細胞化した細胞からできたキメラマウスから「光る精子」を顕微鏡下で採取し、顕微授精させる実験を行っていた。(『あの日』p.106)

 この「光る精子」とは、「光る疑似精子」だ、とAmazonレビュー新説では指摘します。

 「Acr-GFPマウス」の体細胞(リンパ球など)をSTAP処理して光らせたもの。それを「CAG-GFPマウス」の卵子に受精させようとしたものだ、と。「時間を節約するため」というのは、小保方さん向けの方便だといいます。次世代シーケンサー使用を禁止していた(同p.128)のも、そのためだと。

 いかがでしょうか。

 若山氏にも、不誠実なところがあった。小保方さんは「テラトーマができていない」という研究の根幹を隠し通していたが、若山氏もマウスの系統変更を隠していたという罪があった。お互い隠し事をした同士の「同床異夢」がSTAP研究の実態だった。これがAmazonレビュー新説です。狐と狸の化かしあい、「囚人のジレンマ」とも呼べます。

 もちろんその場合でも、研究の根幹のアイデアを、必要な証明ができないまま掲げ続けた小保方さんの罪がもっとも重いことに変わりはありません。

 ここまで、推測に次ぐ推測を重ねてきました。当事者の発言がない以上、これ以上この説を確認することはできません。

 それにしても、ネット上に流布している「若山氏主犯説」こちらよりははるかに整合性のある説です。





 ここで、もうお1人のレビュアーさんにご登場いただきます。研究者の「仁」さんです。研究不正に関心があり、STAP事件についても関心を持っておられたそうです。上記のパルサさん説を強く支持したうえで、仁さんの言葉で再度、まとめてくださっています。
 こちらも、ご了承をいただきましたので引用させていただきましょう:



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5つ星のうち 2.0
<改題>情報の「切り貼り」と「切り抜き」から見えてくる真相, 2016/2/22
投稿者 仁

>>http://www.amazon.co.jp/review/R2LY60901P9VNH/ref=cm_cr_rdp_perm(固定リンク)



【旧レビュー】
理研が、問題発覚から一ヶ月以上(2014年3月まで)「STAP細胞論文の結論に揺るぎはない」と表明し、組織に守られ、不正認定を最小限に留めようと温情を示されていたにも関わらず、その事実に言及せず、「高圧的」や「嘲笑」という表現(147ページ)で、理研の調査委員会のせいで不正が結論づけられたかのように読者を誘導しています。なお、理研の予備調査は、2014年2月13日~17日にかけて行われました。小保方氏がこの本で指摘するようなバッシングが加熱する以前で、当時の理研は、小保方氏やSTAP細胞論文を守ろうとしていました。(その結果、理研自身が、批判にさらされることになったのは周知の通りです。)
この本では、そもそも論文の核心部分の説明に用いている図について、なぜSTAPと直接関係のない博士論文から転用したのかについて、一切説明がありません。記者会見の時に強弁したように、本当に実験結果を示す正しい図があるのなら、この本に掲載すれば良いのに…と思いました。
また、早稲田大学に提出した博士論文について、「最終ではないバージョンのものをまちがえて製本所へ持って行ってしまった」(73ページ)と言うのであれば、やはりこの本に、最終稿を掲載すれば良いのに…とも思いました。(もっとも製本して大学図書館と国会図書館に提供する博士論文を草稿と最終稿を取り違え、チェックもせずに提出するというのは考え難いのですが…)実際、昨年11月の博士号取消しの際に代理人を通じて出したコメントでは、「年度内に公表」ということでしたが、結局はそれも果たされていません。
気になったのは、話しの流れと無関係なのに実名を出されている登場人物(セレナ:34ページ、バネッサ:35ページなど)が複数いる一方で、真相に迫る部分で実名を出さない(ある先輩:99ページ、2人のテクニカルスタッフ:131ページ、シーケンス解析専門の研究者:150ページ、情報を教えてくれた共著者の一人:151ページ、理研の理事:213ページなど)実在確認が取れない登場人物が多数いる点に、意図的なものを感じ、違和感を覚えました。
これでは本の内容について、事実認定ができません。

【追補】
事実確認できる情報と合わせて読むことをお勧めします。
小保方氏が行っている事実の「切り貼り」にもまた、重要な意味があると思います。

【再追補:小保方氏による「切り取り」情報と「切り貼り」情報から見るSTAP問題の本質】

STAP細胞研究の根底を揺るがせた「テラトーマ」の架空性について

小保方氏が極力言及を避けている、博士論文から転用したテラトーマ画像こそ、STAP細胞の架空性を物語る物的証拠です。
『あの日』の記述(切り貼り情報)を信じるならば、p.56に「テラトーマを形成することはなかった」、「テラトーマに似た組織を作ることができた」とあり、小保方氏はSTAP細胞(スフェア細胞)からはテラトーマができなかった、ことが告白されています。
ところで、小保方氏が公開していながら、『あの日』では詳細が触れられていない(切り取り)情報は、STAP細胞由来とされるテラトーマに関する実験ノートです。
この実験ノートは、小保方氏の代理人弁護士により公開され、毎日新聞(2014年5月24日:4枚の写真のうち、1枚目と3枚目がテラトーマに関するもの:検索ワード「STAP細胞+小保方氏+実験ノート+公表」)に写しが掲載されています。
この実験ノートよれば、年代は不明ながら、12月27日に、テラトーマ形成を目的としたSTAP細胞の移植が行われたことが確認できます。
『あの日』の記述(切り貼り情報)を信じるならば、p.206に「テラトーマに関しては、私がアメリカ出張の間にできてきたサンプルだった。そして調査の結果それらは、すべてて既存のES細胞由来だったと結論付けられた。」とあり、このアメリカ出張は、p.113に「日本が正月休暇の間、アメリカで実験をしたいと思っていた」とあることから、『あの日』の前後の記述と照合すると、2012年末~2103年始であることがわかります。
これで、小保方氏の代理人弁護士により公開された実験ノートの日付が、2012年12月27日と確定しました。そして、この実験で形成されたテラトーマは、STAP細胞論文不正問題を契機とした調査委員会によって、ES細胞由来であったことが判明しています。
2012年12月は、笹井氏が小保方氏のユニットリーダー採用面接に立ち会うとともに、STAP細胞論文作成に参画したタイミングになります。
テラトーマができていないことがわかってしまうと、STAP細胞の実在性の根幹が揺らいでしまいます。そこで、慌ててテラトーマを作ろうとしたのが、2012年12月27日の移植実験です。しかし、STAP細胞由来のテラトーマは、調査委員会の解析結果からも、存在していないことは明らかで、STAP細胞論文のテラトーマは、実は架空のものであった可能性が高いと思います。
問題は、一体なぜES細胞由来のテラトーマが見つかったのか?

次の3つの可能性がありますが、私には詰め切れません。
1)誰とも知れない第三者が作成した。
2)若山研の誰かが作成した。
3)小保方研の誰かが作成した。

※この時点で☆3つ

【再々追補:切り取り情報に潜む真実】

小保方氏が理研CDBに採用される際に示したであろう論文における疑義-真臨氏への回答-

少なくとも次の3報に、図の使い回しや利益相反の未申告などの問題があります。

1)Tissue Eng Part A. 2011 Mar;17(5-6):607-15. doi: 10.1089/ten.TEA.2010.0385. Epub 2011 Jan 10.
"The potential of stem cells in adult tissues representative of the three germ layers"
<問題点1>Fig.2のFgf5の画像とFig.3のNat1の画像が同じ。
<問題点2、3>Fig.3のKlf4の画像を上下反転させるとFig.3のCriptoの画像が同じ。これらの画像の一部はFig.4のNat1と同じ。
<問題点4>Fig.2のKlf4の画像の一部が、Fig.3のSox2の画像の一部と同じ。
<問題点5>Fig.1は、博士論文のFig.6を上下反転したものと同じ。

2)Tissue Eng Part A. 2011 Jun;17(11-12):1507-15. doi: 10.1089/ten.TEA.2010.0470. Epub 2011 Apr 12.
"Development of osteogenic cell sheets for bone tissue engineering applications"
<問題点>「Disclosure Statement」に「No competing financial interests exist.」とセルシード社との利益相反を申告せず。

3)Nature Protocols 6, 1053?1059 (2011) doi:10.1038/nprot.2011.356 Published online 30 June 2011
"Reproducible subcutaneous transplantation of cell sheets into recipient mice"
<問題点1>Fig.5aのNumber of B cellsとFig.5bのNumber of neutrophilsが同じ。
<問題点2>マウスの株を記載していない。また、免疫不全マウスを使っているのにT細胞がある。
<問題点3>「Competing financial interests」に「The authors declare no competing financial interests.」とセルシード社との利益相反を申告せず。

本著では、これらを含む過去の不正についても、正直に認め、背景や理由を説明していただきたかった…というのが、私の率直な気持ちです。
なぜなら、小保方氏が戻る『あの日』は、大学院に入学する時点だと、私は思うから。良き師にさえ恵まれれば、違った人生を歩めたのかも知れません。
比較的短期間で、一人で一冊書き上げる集中力があることは、十分に理解できました。研究者の素養はあると思います。

小保方氏は、とうとうかつての恩師にも梯子を外されてしまいました。小保方氏の同意を得ることなく、Nature Protocolsの論文が、取り下げられてしまうとは、恩師とは思えない酷い仕打ちです。

真臨氏から、問われたので、小保方氏の過去の論文を精査し、再々追補することになりました。
その結果、意図的な改竄等を指摘せざるを得ないため、☆2つに下げることとします。

小保方氏には、ぜひ『あの日』の続編を執筆され、不正の全貌を明らかにしていただきたいです。博士課程時代・留学時代の不正の実態を、余すことなく告白されたときは、☆5つです。

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●STAP細胞とは、結局なんだったのか ⇒ 「多能性細胞」ではなく「自家蛍光細胞」



もうひとつ仁さんのコメントから、「若山氏の責任」に言及されたところを抜き出します。

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(仁さんコメント 3月12日)

若山氏についてですが、私としては、キメラマウスが一体何によって作成されたのか(若山氏がどんな手品?を使ったのか)は、追求すべきだと思っています。
でもこれは、小保方氏の既に認定された問題とは、別件として区別した方がわかりやすい、と思います。
STAP問題の全体像としては、一プロジェクトに異なる2つの問題があるとすると、小保方氏が『あの日』で訴えたかったことが理解できるように思います。

ちなみに、小保方氏が作ったのは、正確には、多能性(Pluripotency)のあるSTAPではなく、自家蛍光(Autofluorescence)するSTAA(Stimulus-Triggered Acquisition of Autofluorescence)細胞とでもいうべきもので、STAP細胞で作ったテラトーマは存在しません。
だから、テラトーマの画像は、全く別の研究、別の実験の画像を、博士論文から転用せざるを得なかった、と考えるなら、しっくりきます。
つまり、小保方氏は、論文不正(捏造)の背景として、研究不正(できていないことをできたように振る舞った)も行っています。

いずれにせよ、若山氏も悪いし、小保方氏も悪い、ということかとは思います。
で、どっちがより悪いかというと、テラトーマを捏造した方が、より悪いと思います。
なぜなら、そもそも多能性がない細胞ということがわかっていたら、わざわざ、それを使ってキメラマウスを作るまでもないので。

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 ・・・ここまで、いかがでしたか?
 パルサさん、仁さん(どちらもパルサ説の人とみなせる)文体の異なるお二人のレビュー内容は、今の時点ではAmazonレビューにしか出ていないものです。
(今回、初めて引用させていただきましたが)
 大人の皆様が読まれて、納得いただけましたでしょうか?

 理研のES混入説は、STAPの存在が疑われた当初から、ありそうな仮説に当てはめた説であり、細かくみると辻褄の合わないところがあるのです。パルサ説、仁説では、そのあたりがクリアになっているかと思います。

 また「論文不正」ではなく「研究不正」、
 これも、仁さんのこのすぐ上のコメントに出ていますね。
 そのようにこの問題を捉えないといけません。
 うっかりミスで論文に瑕疵をつくったわけではない、そもそもの出発点でできていないものをできたと言い、研究をすすめたことの結果が論文不正なのです。

 だから、小保方晴子さんが今、研究界から追放された状態になっているのも、身から出た錆、仕方のないことなのです。
 
 
 このブログではお二人のご了承を得て本日時点でのレビューを引用させていただくにとどめました。
 また、お二人ご自身でまとめなおして世に出される機会がきっとあると思いますので、その日を楽しみにお待ちしたいと思います。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日


 今日は「国際女性デー」。
 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第8弾です。

 今回は、社会学者千田有紀氏による、Yahoo!ニュース記事
「小保方晴子さんの『罠』 私たちはなぜ彼女に魅了されるのか」(2016年3月4日)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160304-00055024/ 

 この記事にかこつけて、いわば「本歌取り」をして、「小保方さんに惹きつけられる仕事の世界の人々」の心理をさぐってみたいと思います。

今回の骨子です:

●「キラキラ女子」が成り上がる「朝ドラ世界」とIT企業
● 現実化してきたヒロインたちの転落と不信、『嫌われる勇気』
● 女性版「ヒラメ型」は男性よりきつい?


 それではまいりたいと思います―

●「キラキラ女子」が成り上がる「朝ドラ世界」とIT企業


「小保方さんは、会社で働いたことのある若い女性の仕事上でぶつかる困難を投影するアイコンになったのである。そして仕事で成果をあげたようにみえても、失敗したときには一転して、ひとり批判されるのではないかという成功不安を投影する対象でもある。」(上記記事より)

 なるほど〜。
 『あの日』26万部、それを支えているのは20−30代女性なのですと。あと「自分の娘や孫がいじめられている気がする」というおとしより世代なのですと。

 あるTVでの解説によれば、『あの日』の前半は、「朝ドラヒロイン」そのままなのだそうです。良い先生に出会って、温かい言葉をかけてもらって、ちょっとドジな晴子ちゃんがチャンスを貰って次のステージに行く、と。ヒロインの目線でぐんぐん進み、プレゼンするたびに扉が向こうから開いていきます。
 
 また、後半では小保方さんの「論文の瑕疵」が明るみに出、叩かれ、内臓も破れる思いを何度もし(第5回の記事参照)、繰り返し泣く場面が出てきますが、それでも
「私は誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません。一片の邪心もありませんでした」
と、心の正しさを語ります。それは、
「朝ドラヒロインの私が悪いわけがない!」
というメンタリティなのだそうです。
 
 これもまたなるほど〜〜。
 読者の皆様、いかがですか?

 わたしは小保方晴子さんというと、あまりこれまで結び付けられませんが、ここ数年ネットで流行っている言葉、「キラキラ女子」というのを思い浮かべます。

「容姿端麗でセンスもよく、明るくて性格もいい。もちろん頭もよく、仕事だってバリバリ」
「仕事だけでなく、おしゃれもプライベートも全方位で手を抜かない」
「ファッションもメイクも恋愛も仕事も楽しんでる」

 そういう、キレイで仕事もできる欲張りな若い女性のことを指します。

 IT企業のサイバー・エージェント(CA)が、「キラキラ女子」を採用し、業績躍進の原動力としたのは有名。
「僕、よく『顔採用』してるといわれるんですけれど、それは正直いって違うんです。美女を集めて業績悪かったら、僕はアホじゃないですか。ただ、社内の女性を見ると、すごくキラキラしている雰囲気はある。実際、女性としても輝いていて、かつ仕事も活躍しているし、頑張っている。できる女性が多い。みんな、公私が充実しているのは確かですね」
(CA社の藤田晋社長、2013年2月23日日経新聞)



●現実化してきたヒロインたちの転落と不信、『嫌われる勇気』との共通点


 しかし、そういう「キラキラ女子」はまた、「いつ切られるかわからない」不安も抱えています。
 以下は、今年1月26日「ダイヤモンド・オンライン」に載った、「キラキラ女子残酷物語」―。


*********************************************

――女性社員を「キラキラ女子」にすることは、採用戦略で大切ですか?

A氏 もちろんです。フェイスブックなどで、人事や広報の社員が自社の「キラキラ女子」をシェアしまくっていますね。ビジネスサイトなどで取材を受けると、一気に数千人にシェアして、「いいね!」と称え合う。20代後半までの女性社員も、「先輩、素敵です!」って……(笑)。
 あれは会社のPR戦略であり、採用戦略です。女性社員をいかにキラキラにするか。それが上手くいけば、男子学生のエントリーが確実に増えます。2000年前後から業績が上昇しているベンチャーのB社などは、そのあたりは実によくできていて、新卒採用の姿としてはもう、「上がり(ゴール)」です。社長が私生活を含め、目立つ人でしたからね。
(中略)
――先ほどのお話にも出ましたが、そうした「キラキラ女子」「体育会系女子」は、リストラ要員にされやすいのでしょうか。
A氏 会社からすると、辞めさせやすい存在です。「キラキラ女子」「体育会系女子」の多くが社内恋愛の末、結婚した相手の男性が今の会社に勤務しています。30代後半〜40代の女性でまとめ役の存在の社員が、こう言うわけです。当然、社長(グループCEO)の意向を踏まえ、発言をしています。
「うちの会社の経営状態は、芳しくない。人員を減らすことになるけど、あなたたちのご主人の雇用は(会社が)きちんと守るから……」
 暗に辞表を出すことを求めるのです。「キラキラ女子」「体育会系女子」のほとんどが、抵抗することなく辞めていくのです。ベンチャーのリストラでは、女性社員のまとめ役が社長の意向を受けて、退職勧奨の最前線に立ちます。女性社員との1対1の話し合いなどで、追い詰めます。ヒステリーには叱らない。クールに、ねちねちと接していきます。そのときはもう、目の前にいる「キラキラ女子」「体育会系女子」は部下ではないから……。追い詰められ、気を失った女性もいました。

(「一流企業のマネジャーが明かす、学歴重視の新卒採用をやめられない理由」ダイヤモンド・オンライン2016年1月26日)

*********************************************

 いかがでしょうか。
 花のいのちは短くて。わたしはここ数年持ち上げられていた「キラキラ女子」について、今年になって出たこの記事にちょっと暗澹となりました。

 そう、キレイだ、可愛い、とちやほやされる時期は短いのです。
 実は女性活躍推進などと言っても、女性を異性として消費するだけの存在とみている「男性目線」は全然変わっていない。どんなに美しく生まれついても短い賞味期限で消費される、労働力としてはひたすら不安定な存在です。

 今月7日付日本経済新聞には、「マタハラ隠し」の字が躍りました。
「妊娠などを職場に報告した女性が『能力不足』を理由に解雇される事例が目立つ。『妊娠したなら辞めて』という従来のパターンとは違い、妊娠に触れないのが最近の特徴という。」
 妊娠したら理由もはっきりせず切られる。女性の人生に対して企業社会はどこまでも理不尽です。


 そのように、女性たちにとってチヤホヤされ持ち上げられる時代から一転、会社というところは牙をむきます。上司たちは手のひらを返します。

 小保方晴子さんの手記『あの日』の後半は、牙をむき手のひら返す会社と男性上司たちの仕打ちを、ホラー小説ばりに描き出します。
 それは現役でお勤めする「キラキラ女子」たちにとってリアリティのある恐怖かもしれません。


 そういう風に、企業社会の中で不安定な若者〜中堅の心を掴んだ本としては、2年前に流行った『嫌われる勇気』もそうでした。
 他人からの評価に左右される必要はない、他人の期待に応える必要はない。理不尽な企業社会と上司たちに対して「精神的マッチョ」になって心を硬くしてやり過ごせ。そういう教えでした。
 『嫌われる勇気』が出た2014年は、研修でお出会いする30代若手リーダーたちと奇妙に話がかみ合わず、困った年でもありました。この世代の人にとって『嫌われる勇気』はバイブルのようなもので、下手をしたら、同じ会社の上司など彼らにとって嘲笑の対象だった可能性があります。

 若者を使い捨てにし、上司たちが自己保身に走る企業社会の閉塞感を背景に若者の心を取り込んだ『嫌われる勇気』が、そこへ取り込まれた若者たちの心をますます頑ななものにした、そういう現象をみました。



●女性版「ヒラメ型」は男性よりきつい?


 わたしは数年前に仕事でお会いしたある「キラキラ女子」のことを思い出していました。

 ある中堅食品メーカーの総務部の女性でした。31歳独身。ほっそりして、可愛くてファッショナブル。オープンセミナーの中に入って華やいだ空気を持ち込みました。だれかが言った言葉には間髪入れず合いの手を入れる、それも内容のきちんとかみ合った合いの手を入れる、その当意即妙の受け答えはお見事でした。


「仕事、楽しくてしょうがないんです。休日出勤もしょっちゅうです」
 彼女は目をキラキラさせて語りました。
 きっとこんな女の部下と一緒に仕事をしたら上司たちも会社に向かう足取りも軽くなるだろう。


「彼女は社長や役員からも一目置かれているんですよ」
 上司の次長は相好を崩しました。

 採用シーズンになると華のある彼女は企業説明会で引っ張りだこ。女性の少ない会社の中の「出世頭」である彼女、華やかな容姿と才気煥発な人柄で、「広告塔」として男女大学生を惹きつけます。

 セミナーの前に実施した360度調査では―、 
 彼女の上司は、惜しみなく彼女に承認を与えていることがわかります。彼女自身もモチベーション高く仕事をしていることがわかります。

 ところが。
彼女の1人だけいる女性部下は、上司である彼女に厳しい評価をつけました。「承認」を一切貰っていないようでした。モチベーションも惨憺たるものでした。どの項目も恐るべき低い数字でした。

 何が起こっていたのだろう。

 もうひとつ、「承認研修」では、研修後にかならず「承認の宿題」をやっていただきます。
 彼女から返ってきた宿題は、どうだったか。

 そこでは、彼女から行った「承認」は教科書通り完璧なものでした。それに対して部下の反応は。「研修で習ってきたのですか」と苦笑した、とのことでした。

 過去の経験では、こういう反応は、それまでの文脈とあまりにかけ離れた行動を上司がとった時に起こります。つまり、それまでは「承認」らしいことはまったく行っていなかった。むしろ真逆の行動をとっていた。
 ・・・と考えると、先ほどの360度調査の結果と符合します。


 あくまでわたしの想像ですが、ひょっとしたら、上司に可愛がられるために全神経を使っている人は、部下に対して気が回らなくなり、説明不足や、そのために起こる行き違いに対する理不尽な叱責を起こしているかもしれません。
 いわば、「ヒラメ型上司」の女性版です。それも自分の賞味期限が下手をするとすごく短いのかもしれない、上司が手のひらを返したとき守ってくれるものが誰もいないかもしれない、という恐怖感があればあるほど、上司のほうにだけ全神経を集中してしまうかもしれないですね。男性より「キラキラ女子型女性管理職」のほうが、ヒラメ型いわば二面性がきつく出るかもしれないですね。


 残念ながらこの会社とはその後ご縁がありませんでしたが、「彼女」が会社の大理石のフロアを歩くときの踊るような足取りと「どう?美しいでしょう。私、この会社のエントランスが大好きなんです」と手を広げたゼスチャー、それに襟ぐりの大きく開いたオレンジ色のフィット&フレアのワンピース姿が印象に残っています。
 今は、30代半ばになっているはず。あの彼女はどうしているやら。


 まとめです。

 
 今まさに「朝ドラヒロイン」として世界をつきすすむ、若く美しき女子たちには、このブログの言葉は耳に入らないかもしれません。彼女らにとって世界は扉を開けてくれるもの。そして教授や上司といった、自分にチャンスを与えてくれる”準主役級”のターゲットの人たちにに全神経を注ぎ、それ以外の人はサブキャラとしておざなりに扱うことが、あまりにも自然なのかもしれません。
 
 それでも、彼女たちに言いたい。
 この本はあなたがたが自分を投影する価値はないよ、と。

 小保方晴子さんはしてはならない研究不正をした。このことは今、Amazonレビューとコメント欄の中で過去の理研調査委員会の結論にもなかった新しい観点が生まれつつありますが、そこでも小保方さんの役割ははっきりしています。単純ミスでは済まされない、研究者としてしてはならないことをしたのです。自分のしたことの大きさのために処分されたのです。

 そこは、朝ドラには絶対「ない」展開ですが、この場合はそうなのです。

 そしてわたしが企業社会に望むことは、

 一部のお顔やお色気で成り上がろうとする野心高き女子たちは置いておいて、そうでない大多数の真摯な働き女子たちには、普通に働き手としての扱いをしてあげてください。

 可愛らしい異性としてチヤホヤすることも正しくないし、ちょっと歳をとったから、妊娠したからと切り捨てることも正しくありません。人としてしっかり見て、戦力として能力や実績で評価するとともに妊娠出産に関わらず、働く権利を保障してあげてください。
 わたしが関わらせていただく先ではそうなりますように。
 親御さんたちが心を込めて育てた大事なお嬢さん方が、お色気などに頼ることなく、しっかりと誇りをもってその人生を生きられますように。


 

これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
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●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html
 
●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
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●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

あの日

 『あの日』(小保方晴子、講談社、2016年1月)読書日記 第7弾です。

 今回は、世の女性がたにとって気になる話題。もしあなたの大切なパートナーの男性が小保方晴子さんの「隠れファン」だったらどうしたら?という話題です。
 でもこの記事は、多くの男性読者の方をご機嫌ななめにさせてしまうかもしれないですね。結構、リアルの会話でも「あっ、地雷を踏んだ」とヒヤヒヤするところです。ホンマホンマ。

 しかし、「1位マネジャー輩出講師」のわたし正田としましては、マネジメントの作業につきものの現象として、あえてこの問題を取り上げたいと思います。女性管理職を含む賢い女性読者の皆様、どうか応援してくださいね!

 今回の骨子です

●「整形疑惑説」に逆ギレする男子は要注意!
●理系もしくは論理性男子は女性の「見た目」に弱い
●「惑わされている」男子は数字と画像で説得しよう



 それではまいりたいと思います―。

●「整形疑惑説」に逆ギレする男子は要注意!


 女性のみなさん。
男性って「感情認識」が下手じゃないですか!?EQ(感情知性)を構成する、「感情認識」「感情活用」のうちの基本、「感情認識」のところができないので、男性というものはわれわれ女性からみると、ときに非常に理不尽、非論理的なことをします。

 ここはよく誤解されるところですね。とくに論理性に自信のある男性は、「論理性こそがすべてに優ってすばらしいもので、それに比べると感情というものは女・子供の幼稚なものだ、レベルの低いものだ」と思っておられることが多いです。しかしそうした男性が、「感情」がわからないために、傍からみると実におかしな決断をし行動をとってしまう、ということがよくあります。

 結局、論理的というか合理的な決断というのは、論理だけじゃなく感情も加味しないといけない。あるいは、「自分がどんな感情に囚われているか」を自覚して、そこからの影響を最小限にしないといけない。男性諸氏にも、「感情認識」のトレーニングをしていただきたいところです。

 さて、脱線してしまいましたが「小保方晴子さん」がらみで、また読者の方からおもしろい話を伺いました。
 
 この内容をざっくり言いますと、ある男性が

●小保方晴子さんの「美容整形」に関する話題をいやがる
●同じ人が、STAP騒動について論評したとき、小保方さんの研究不正への関与度を低く見積もったり、罪の種類を軽く(単純ミスのように)評価してしまう(注:本当は、かなり悪質な不正で、単純ミスではない)


という傾向が繰り返し現れた、ということです。

 これ、意味おわかりになりますか?
 もう少し詳しく、この人のお話をご紹介したいと思います。
 あるコミュニティFM放送局に参画する女性の話です。

*********************************************

 私の放送局で、ベストセラーとなっている小保方さんの『あの日』を番組で取り上げよう、ということになりました。
 その企画会議と、合間の雑談の席のこと。
 同僚の30代の男性(独身)の前で、わたしが「小保方晴子さんは整形してるよね」という意味のことを複数回言いました。するとその都度、その男性は
「あなたは非論理的だ」
「女性は論理性が低いという自分の欠点を自覚してしゃべらなければならない(!)」
と、私を非難したのでした。
 彼は、数学科を出てふだんから「論理的」と自認する人なんです。EQは低めだと思います(幸い、私の彼とかではありません)
 今回は、
「整形を話題にする=非論理的だ、感情的だ」
この決めつけが、なんだかよくわからずモヤモヤしてしまいました。

 ところがその彼が、企画会議で「研究不正」について番組でどう触れようか、という話になったときに、妙に、小保方さんの関与度を低く言ったり、「不正」の悪質度を軽く言ったりするのです。
「小保方氏の役割は、不正に前のめりになっていた日米の他の学者たちの『つなぎ役』だよね」
「論文にほかの論文からの画像を転用したりコピペをする『瑕疵』があったことは確かだよね」
(ちなみにこの彼は、「瑕疵」っていう言葉をよく使います。頭が良さそうにみえるんですカネ・・・)

「ちょっと待って。この研究不正の件、どうみても小保方晴子さんが自分で捏造もコピペもして、小保方さんが主犯よ。というかひょっとしたら単独犯よ。つなぎ役なんて小さい役割じゃないわよ。
 それに、この件は画像の転用とかコピペといった、『ミス』の問題じゃないの。そもそもできもしないものをできたと言ったり、やってもいない実験をやったことにしたらしいことが問題で、研究不正としてはかなり悪質な不正なのよ。」
 私は、ネット検索してそこそこの知識を得ていましたので、こう言い返しました。だって、リスナーの方に間違った情報を届けてはいけないでしょう?

 すると30代男性の彼はまた、
「だから女性は感情的だ!!社会を知らない!」
と、荒れくるって、議論にならないのです。あとは私に対して暴言のかずかず。
 どう思います?こういうのって。

 あとで、同じ会議にいたうちの放送局のチーフディレクター(女性)とご飯食べにいったんですけど、チーフ曰く、
「あの子(30代男性)どうみても小保方晴子さんに惚れてるわよね。だから『小保方さん整形疑惑』の話をするのもイヤがるし、無意識に小保方さんの不正への関与度を下げて、彼女の罪が軽いことにしちゃってるのよ。
 そういうのは、小保方晴子さんが実力もないのに彼女に騙された学者たちと一緒なんじゃないかなあ。自分が小保方さんを『すきだ』ということに気がついてなくて、無意識に評価にゲタをはかせちゃってるのよ」

 結局、チーフの判断で、彼はこの企画から外れてもらいました。

*********************************************

 いかがでしょうか。
 「小保方さん整形疑惑」これ、初めてきいたという方もいらっしゃいますか?
 でも女性の方々はすぐ気がつかれると思いますねー。

 えーとこのブログでは、小保方さんの画像を掲載したりはいたしません。もし強いご興味のある読者の方は、小保方さんの小学校時代、高校時代、大学時代の写真をネットでご覧になってみてください。で、「間違い探しクイズ」の感覚でみていただくと・・・、そんなことを言うわたしは意地悪な女なんでしょうか。
でも小保方晴子さんのキャラクターをより正確に理解するためには、知っておいても良いことですね。


●「理系男子」「論理性男子」は女性の「見た目」に弱い


 ちなみに小保方さんは、あの栄誉あるSTAP細胞論文のNature掲載の発表の直後、出身学校への取材が殺到したので、自ら出身校に電話して「取材に応じないでください」と頼んだ、ということが『あの日』に載っています(p.140)。こういう、出身校に取材に応じないようにわざわざ頼む、ということも珍しい気がしますけどねー。いろいろと憶測はできますけれども、とりわけ「写真」が流出するのは困ったのではないかと。しかし現実には流出してしまいました。みると一目瞭然です。

 でもねー、この話題をイヤがる方はすごくイヤがられるんです。とくに男性はそうですね。
 この話題すなわち「小保方さん整形疑惑」がなぜそんなにイヤなのでしょうか。

 あくまでわたしの想像なんですが、その男性方にとっては、「小保方さん」とは、あの2014年4月9日の会見の時のお顔の方なのです。
 清楚で、ほっそりしたお顔、今にも泣きだしそうに少しうるんだ、きれいな二重瞼にふちどられた目、長い長いくるんとしたまつげに中央部分がふっくらした小さな唇、毛先を巻いたロングヘア。そして理系の研究職という、ちょっと謎めいた知的なイメージの職種ということも、ドキドキワクワクする要素です。

 まああんまり細かく言いませんが。女性の方々はこれらのディテールにはどんなテクニック、あるいはマジックが入っているか、よーくご存知と思います。でも男性は悲しいかなご存知ないんです。そして、ひとつひとつのパーツが、男性諸氏にとっては心乱れるカタチをしているのです。

 一般に男性は女性に比べて「視覚優位」の方が多いと思いますねー。もちろん聴覚体感覚優位の方もいらっしゃいますが、視覚優位の方の分布は女性に比べて多いと思います。大昔狩猟をする性だったですからね。すると男性にとってある人を知る手掛かりは「見た目」の比重が大きいんです。とくに、理系の男性は「視覚優位」の傾向が強いと思います。

 そしてまた、男性とくに理系というか、「論理性」を自認する男性というのは、「感情認識力」が低い傾向にあります。まれに、論理性も感情認識力も両方高い方もお見かけしますが、出現頻度は低いです。感情認識力が低いというのは、要は自分は小保方晴子さんに「惚れてる」ということを「認められない」ということです。

 自分が「惚れてる」って自覚できないまま、「私にはこんなにすごい実績があって、今こんなすごい研究をしてるんです」という、とっても自信と責任感たっぷり(な感じ)に話す可愛い女の子を目の前にしたら・・・、
 わけもなく、気持ちが高揚する。感動した気分になる。
 その勢い余って、彼女に学位を与えちゃうかもしれないですねえ。地位を与えちゃうかもしれないですねえ。

 要は、「惚れてる」を自覚できない男性は、小保方晴子さんへの評価を間違えて高めにつけてしまう可能性があるんです。そして、自分のそういう「評価間違い」にいつまでも気づくことができません。だって原因がわかってないんですから。

 もうひとつは、ちょっと「びろう」な話題ですが「論理的な男性は性欲が強い可能性が高い」。ご指摘しておいてもいいかと思います。経験的に、彼らのテストステロン値は高めです(だから攻撃性もわりと高いです)。アスペルガー症候群ほか自閉症スペクトラム障害は、「超男性脳」といわれますね。論理脳がすごく発達していて、感情脳が未熟なんです。その分反発心とかの幼児的な感情が強く出やすいんですが、、、感情脳が未熟というのは、感情がないということではなくて感情とか衝動は湧く。でもそれを自覚できないです。

 英雄色を好む?さあ、関係あるんでしょうか・・・

 まとめますと、論理的な男性というのは、大まかな傾向として、

●異性への関心はけっこう高い
●感情認識力が低く、異性に恋愛感情をもったときにそれを自覚できにくい
●視覚情報への依存度が高く、見た目に左右されやすい

 ほらね、あぶないあぶない。
 そして、そういう愛すべき「論理的な男性」を攻略するのに、見た目を「盛る」のが一番効果的だ、と気がついたのが、われらがヒロイン小保方晴子さんだ、というわけです。
 おわかりでしょうか?

 上に挙げた「論理的男性の傾向」、もちろんいずれも個体差があり、論理的な男性がみんなみんなそうだ、というわけではありません。でも皆さんお気をつけになったほうがいいと思うんですよネ。気をつけていれば、騙される確率が下がります。あ、「確率」なんて言っちゃった、論理的男性向けに。


●「惑わされている」男子は画像と数字で説得しよう


 さて、ここまできました。
 
 現実問題として、ではどうすればいいでしょうか。


 たとえば、読者のあなたの彼氏が小保方ファンだった場合には。
 一般に、「小保方晴子さん」に心動いた男性は、それを他人に指摘されると怒りだして、とりつく島もなくなります。まあ既婚者の方もいらっしゃいますからね・・・
 
 そして、現実の職場でも、小保方さん本人ではない「小保方さん型女性」がいらして、周囲の男性の心を惑わしていらっしゃるようです。また職場の中の評価や序列をかき乱していらっしゃるようです。わたしはコンサルタントとしてこの2年ほどの間に、なんどかそうした話題をききました。

 「枕営業」があったかなかったか、そのへんは置いといて、仮になくても、評価が左右される。こういう現象は確かにあるようです。先ほどのFM局のお話のように。


 まずは、「彼は隠れ小保方ファンじゃないかしら?」ご心配になった場合には。
 試しに、「整形疑惑」をふってみましょう。
 あなた自身の言葉でなくていいんですよ。このブログで読んだと言って、かるく水を向けてみましょう。
 そこで、
「くだらんことを言う奴がいるな!だからマスコミの小保方バッシングは!」
などと「感情的」な反応が返ってきたら・・・、
 大いに、怪しいですね。

「自分は惑わされている」
 このことに自覚していただくには、どうしたらいいんでしょうか。
 惑わされているご本人、意地でも認めないですからねぇ。

 めっちゃ乱暴ですが、「自分は小保方さんに惚れてなんかいない!!」と主張する男性は、ウソ発見器みたいなのに座っていただいて、そこで2014年4月小保方会見の動画をみてもらって、そのときの呼吸、脈拍、発汗、血圧、脳波、脳血流、性ホルモン分泌などを計測してもらったらいいんじゃないかと思います。さあどう出るかな。数字で話すことが好きな男性なんかは、数字で出ると納得してもらえるかもしれません。
 おうちで行うなら、脈拍、体温、血圧、このあたりを失礼して、ゲーム感覚でみさせていただくといいかもしれないですね。

 あとは、もし小保方ファン男子がマネジャーとして、だれかをいざ評価するときには、やっぱり脳波とか脳血流、性ホルモン値をモニターした状態で、自分が完全に冷静に、いい判断ができる状態を作ってからするとかね。

 えっ、そんな手間ひまかけられないって?じゃあ、その人にこのブログ記事を読ませましょう(笑) 
 あと本人さんの画像を2〜3持ってきて、「間違いさがしクイズ」をしてみるのもいいかもしれません。
 それと、くどいようですが「行動承認」。言っていることでなく行動でその人を評価する。マネジャーの基本中の基本の心得として、忘れないようにしてくださいね。


 老婆心としては、ぶっちゃけ
「小保方さんに惑わされるような男とくっついていてもしかたないよ」
とご忠告申し上げたい気もします。シンデレラの王子と一緒でね、あのカップルもくっついた後すぐ「ぐちゃぐちゃ」になる、というストーリーがミュージカル映画「イントゥ・ザ・ウッズ」ですが(ネタバレ)、女性の容姿にコロッと騙される男とくっついていても未来はない。洋の東西を問わず一緒です。

 しかし、やっぱり女性としては、生活設計上そんな男ともくっついとかないといけない場合もありますよね。
 その場合は、あなたも小保方さんにならって容姿を「盛って」みましょう・・・。


 実はこの関連で「最近の女性学者や女医は妙にキレイなのが多くねえか?」という疑惑もあるにはあるんですが。今年1月にもこのブログで、ある「美人教育経済学者」の書いたベストセラー本がいかに無価値で、にもかかわらず功成り名遂げた男性経済学者たちが絶賛しているという現象をとりあげました。その学者たちこのブログをみんなが読んだらはずかしくねえか?とも思いますが、まあそれもおいおい・・・。


これまでの記事:
●社会人のための「小保方手記」解読講座(1)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935543.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(2)―印象的な”ツカミ”のエピソードはこう読め!Vol.2
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935599.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんのプロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(6)―「私の会社でも」読者からのお便り
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936058.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(7)―“惑わされる”理系男子:女性必見!もしもあなたの彼が「隠れ小保方ファン」だったら
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936162.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(8)―「キラキラ女子」の栄光と転落、「朝ドラヒロイン」が裁かれる日
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936340.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(9)―「STAP細胞はあります!」は本当か?Amazonレビュアーが読み解くプロジェクトの破綻
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936570.html

●社会人のための『小保方手記』解読講座(10 )―再度「STAP細胞はありません」―「ウソ」と真実・ネット世界と現実世界のギャップ、社会人の分断リスク
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51936986.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(11)― 騙されないためのケーススタディー:小保方晴子さんが使った「ヒューリスティック(自動思考・錯覚)」の罠
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937126.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(12)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(前編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937436.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(13)情けないぞおじさんたち!!「ええかっこしい上司」「放置プレイ上司」そして「欲得・不正系上司」(後編)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937542.html

●社会人のための「小保方手記」解読講座(14)(最終) まとめ:あなたの会社から「モンスター」を出さないために―女性活躍、発達凸凹対応、そして改めて「行動承認」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937655.html


●エイプリルフール特別企画・シリーズ番外編:社会人のための「小保方情報」解読講座
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51937719.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ・・・……<<<エウダイモニア通信>>>……・・・
                          発行日 2016.3.1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ※「エウダイモニア」は「幸福」、また「栄える」という意味のギリシア語
です。
 「業績1位」の山を築いてきた承認マネジメントの研修講師・正田佐与が、
 経済的繁栄を含めたわたしたちの「幸せ」についてご一緒に考えるメルマガ
です。
 
※このメールは、正田が過去にお名刺を交換させていただいた方、イベントや
セミナーに  ご来場いただいた方にお送りしています。
ご不要の方は、お手数ですがメール末尾にありますURLより解除ください。

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 ┃本日の話題 ☆☆☆☆☆
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【1】 小保方手記解読講座、「社会人 小保方」でトップになりました。
   〜正田流・小保方晴子さんのプロファイリングは「こういう人」!?

【2】 連載「ユリーの星に願いを」第3回「失敗の共有できていますか?」
 ※メルマガではこの記事のタイトルが間違っていました。ここでは修正しました。
  大変申し訳ありません

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【1】 小保方手記解読講座、「社会人 小保方」でトップになりました。
   〜正田流・小保方晴子さんのプロファイリングは「こういう人」!?

 早いものでもう3月。読者の皆様、年度末へ向けてスタートダッシュをされた
でしょうか。
 さて、前号から配信を開始した「社会人のための『小保方手記』解読講座」、
お蔭様できょう3月1日現在、Googleで「社会人 小保方」で検索すると
トップになりました。メールニュース読者の皆様ご愛読ありがとうございます!

 この本『あの日』は先週25万部を突破。今年1番のベストセラーになるのは
間違いなさそうです。
 内容は、残念ながら事実関係の信頼性が低いと言わざるをえません。たとえば、
先週配信の内容では、東京女子医大の研究員時代に小保方さんが初めて行った
学会発表の場が事実と異なっていることがわかります。本来は日本免疫学会総会で
あったものが、シカゴでのバイオマテリアル学会の年次大会と、より華々しい
ほうにすり替わっています。
 一事が万事、その調子で自分に都合のよいほうにすり替えたり、都合のわるい
ことはスルーしたりと、事実の加工がおこなわれていると考えたほうがよいです。

 でも25万部売れたということは、日本人の400人に1人は読んでいるわけ。
あなたの部下も読んでないとは言い切れません。
 
 というわけで、良識的な社会人の方々が「この本」によってその良識が揺るが
ないために。また同僚の方々との大切な信頼関係が揺るがないために。
 と言い訳しながら、「社会人 小保方」でトップ独走中のシリーズを続けたいと
思います。
 今回は、「小保方晴子さんはどんな性格、特性をもった人か」という、プロファ
イリングのシリーズです。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(3)―1位マネジャー製造講師・
正田が読む・晴子さんのプロファイリングはVol.1
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935610.html  ―正田がふだん使う5種類の人分析ツールを使って小保方さんの個性を解読し
ます。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(4)―正田が読む・晴子さんの
プロファイリングVol.2 小保方さんの生育環境は
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935705.html 
―もともとの個性に加え、家庭環境によっても助長されてきた可能性がありま
す。

●社会人のための「小保方手記」解読講座(5)―プロファイリングVol.3 
多彩な感情表現は人を被害者的にする!心理学セミナー、カウンセリングの副
作用のお話
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51935878.html 
―さらに、現代の社会人向けのセミナーやカウンセリングがその個性を助長し
た可能性があります。要注意です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【3】連載・「ユリーの星に願いを」第3回「失敗の共有できていますか?」
By ユリー
 ユリーのプロフィール:40代女性。インターネットベンチャーの創業、マー
ケティングやプランニング、プロジェクトマネジャー、コンサルティング、
研修講師などを行う。現在の仕事は起業家支援、新規事業開発や商品プロデュ
ースなど。
***********************************

「失敗の共有できていますか?」

こんにちは、ユリーです。皆さまは宇宙に興味はありますか?私は、物理学
的な知識はほとんどないのですが、宇宙の誕生にはとても興味をもっています。
 先日、11人目の日本人宇宙飛行士の大西卓哉さんのインタビュー記事を読み
ました。どこを読んでも興味深くとても学ぶところの多い記事でしたが、大西
さんが、前職の旅客機の操縦士訓練で経験した「失敗の共有」に関する話が特
に印象的で、皆さまにもご紹介したいと思います。
 
“パイロットの世界では、最初のチームが失敗をして、同じ試験を受けた別の
チームが同じ失敗をしたら、教官が叱るのは最初のチームです。「なぜお前は、
自分の失敗を次のチームに伝えなかったんだ!」と必ず言われます。次のチー
ムを怒ることはありません。失敗を共有して、チームとして最善のパフォーマ
ンスを発揮するマインドセットは、パイロットは徹底しています。”

 後続のチームに自らの失敗を共有すれば、当然その失敗を教訓にした後続チ
ームが高得点をとる確率が高まり、先行の自チームは操縦士になるチャンスを
失う可能性があります。「競争」原理は、最善のチームのためのマインドセッ
トには不要なのです。
 もう何年も前のことです。先輩(経営者)が、
「部下の複数の部長同士を競争させることで、社内を活性化し業績を向上させ
るのだ」
と私に言いました。
私は、
「いや、それは違う。今の先輩の会社でそんなことをしたら、各部長はマイナ
スになる情報を隠し、部門同士の協力関係を拒み、部下を翻弄し一般社員が疲
弊して、全体業績を下げる。」
と危惧を伝えました。しかし、一回り以上年長で経営者として実積豊富な先輩
に対して、この危惧を理解してもらうだけの説明能力が当時の私にはありませ
んでした。
結局、私の危惧は的中し、先輩の会社は「承認不全」が蔓延し、業績を上げる
ことはできませんでした。   
 競争を否定はしません。ただ、組織において競争を有効に機能させるために
は、「環境」が必要だという立場です。承認が組織全体に行き渡り、社員相互
が承認しあい、組織としてのビジョン、ミッション、そしてバリューが浸透し
た状態であれば、競争は組織の健全な成長に貢献するはずと思います。
競争の前に承認があるべきで、承認無き競争は組織を崩壊させると思うのです。

 そして大西飛行士のかつての職場の全日空(ANA)の企業カルチャーを、正田
先生が2012年に詳しく取材なさっています。ぜひお読みください。

>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51820115.html 


□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ┃今日の一筆箋  
□□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今週の「ユリーの星に願いを」、いかがでしたか?
 ユリーさんと同じような経験、コンサルタントや「士業」の方々はおもち
なのではないでしょうか。
 原稿の最後に、4年前に全日空を取材させていただいたときのブログ記事の
URLを、ユリーさんがつけてくださいました。
 そんな以前の記事まで読んでいただいていて、びっくり。感激でした。
 「承認」に関心のある方々にとって繰り返し参照していただける、信頼できる
ブログになっているといいですね。
 自分個人がどうなりたいというのはないですが、そんなことを思いました。
 「小保方手記」解読講座のシリーズはどうなのかって?
 さあ、皆様にお役に立つようですといいですが…。

┌─<<現役マネージャー必読!>>──────────────────>
│  近著『行動承認―組織の能力を最大化する「認める力」』
│  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434198572 └──────────────────────────────────>


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100年後に誇れる教育事業をしよう。

 発行者 正田佐与承認マネジメント事務所代表 正田 佐与

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 おはようございます。正田佐与です。
 急な寒波の襲来となりました。今日はきっと皆様もしっかり防寒対策をされて出勤されたことと思います。
 
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 本日の話題は:

■「子供さんは大いにほめてください。そして叱ってください」
 ―「ほめる、叱る」をめぐる詭弁と混乱の時代に思う―

■あなたは知っていますか?ベストセラー『「学力」の経済学』が提起する“恐ろしい未来”

■現代の若者にとっての「最後のセーフティーネット」とは。
 ―ベーカリーチェーン・リヨンセレブ牧様を再訪しました―

■読書日記『資本主義から市民主義へ』
 ―学者さんの職業倫理に思う―
 
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■「子供さんは大いにほめてください。そして叱ってください」
 ―「ほめる、叱る」をめぐる詭弁と混乱の時代に思う―


 読者の皆様、ご自身のお子様にご家庭でどんなふうに接していらっしゃいますか。
 前回のメルマガでも、『ほめると子どもはダメになる』という本の“詭弁”について、取り上げさせていただきました。
 前回のメルマガ記事をご参照されるならこちら
◆「数字と論理に強い」あなたに贈ります。頭の体操3題
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51932957.html 

 そして一方、「叱ってはいけない、ほめてはいけない」を教義とする「アドラー心理学」という、“思想”がこのところ大流行です。
 わたくし正田は一昨日和歌山まで、アドラー心理学のセミナーを聴きに行ってまいりました。
 そこで、たまりかねてあるイレギュラーな行動をとってしまいました。
 以前からわたくしを知っていてくださる方なら、きっとその延長線上でお許しいただけるでしょう。
 このメルマガを読まれている方々にも、わたしからありったけの愛と誠意をこめて、お伝えします。
「子供さんは大いにほめてください。そして叱ってください」
 当日起こったことの全体像はこちらです

◆「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html 

 このメルマガでは昨年以来、「承認欲求」をバッシングするおかしな言説を批判してきました。「ほめる」批判、「承認欲求」批判、いずれも誤りです。そして、教育やご家庭、ひいてはマネジメントの世界までを一気に不幸にしてしまいます。とりわけ、こうした話題の被害者になるのは、子供さん、若手部下、女性の働き手など、「社会的弱者」の人たちです。
 そういうことを売るための「ネタ」「つかみ」に使う出版界の悪しき風潮を真剣に憂えます。どんな業界でも、社会に害毒をまきちらすことは許されることではありません。出版界は真摯に自粛を考えていただきますように。
 「承認欲求バッシングを批判する」シリーズ記事はこちらです
http://c-c-a.blog.jp/archives/cat_50056406.html 

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■あなたは知っていますか?ベストセラー『「学力」の経済学』が提起する“恐ろしい未来”

 さて、昨年のベストセラー『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
 読めば読むほど、何故この本がこれほど多くの読者に支持されたのかわからなくなってきます。著者の「慶応大学准教授」「コロンビア大学博士号」という肩書にダマされた人が多かったのではないでしょうか。内容をよく読んでいなかったのではないでしょうか。
 前回のメルマガでもこの本に対するシリーズの批判記事をご紹介しましたが、その後さらに、この本の第4章・5章の教育界・文科省に向けた「提言部分」とみられる部分を読解し、これに基づいた「批判記事」をブログに掲載しました。現在、Googleで「学力の経済学 批判」と入力すると、これらの記事がトップページに来るようになっています。(Googleは一応記事を「審査」しており、内容の信憑性、情報量の豊富さなどに照らして検索順を決めているそうです)
 もしお時間が許す方は、どうかご覧ください。そしてあなたの身近にいる、『「学力」の経済学』に影響されている人に教えてあげてください:

◆本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)ー”中室提言”をよく読むと―シリーズ『「学力」の経済学』批判
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51933016.html 

◆本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』のもたらす未来(2)―正田回答編:先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51933034.html 
 ↑
 お時間がない方は2番目の記事だけ読んでいただいても大丈夫です

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■現代の若者にとっての「最後のセーフティーネット」とは。
 ―ベーカリーチェーン・リヨンセレブ牧様を再訪しました―

「現場から学ぶ」
 大事なことですね。
 きっと、読者の皆様も現場訪問は欠かさずおやりになっていることと思います。
 わたくし正田も、久しぶりにお客様の「現場」をお訪ねさせていただきました。そして受講生の店長さん方から学ばせていただきました。
 フェイスブックのお友達の皆様(現役社会人が多いです)からも沢山の賞賛と「シェア」をいただいた記事をご紹介します。「今どきの若い人」との関係に頭を悩ませている、多くの管理職の皆様にはきっと共感していただけることと思います。

◆若い人と格闘する仕事の現場―牧・リヨンセレブ再訪記
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51933228.html 

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■読書日記『資本主義から市民主義へ』
 ―学者さんの職業倫理に思う―

 これも、フェイスブックのお友達から大変「好感」していただきました。
 経済学者・岩井克人氏(東京大学名誉教授、国際基督教大学客員教授)の対談本『資本主義から市民主義へ』(ちくま学芸文庫、2014年4月)。
 昨年、『経済学の宇宙』がエコノミストが選ぶビジネス書1位に選ばれた同氏。こちらの本は経済学の巨人たちが登場する、岩井氏の自叙伝でもあり生きた経済学史でもあり、というスケールの大きな本でしたが、経済学のわかっていないわたくしには到底レビューなどできません。代わりに、辛うじてわたしにわかる表題の本を取り上げさせていただきました。
 もしお時間があれば、ご覧ください:

◆大きな知性に触れる楽しみ、「経済学」と「倫理」の関係を考える―『資本主義から市民主義へ』をよむ
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51933360.html 

 なお、この記事の末尾部分でも触れましたが、このところ相次ぐ「学者の肩書をもった人がエビデンスを使いながら一般人を惑わすような間違ったことを言う」という現象に思いをいたします。
 岩井氏の著作からは、同氏の学者としての職業倫理が素直に心に沁みるように伝わってきます。有難いことにアカデミズムの中には他にも、そうしたものを感じさせる知己の方がいらっしゃいます。
 わたしの友人の1人は最近、
「学者やオピニオンリーダーについて『この人の言っていることはおかしいのではないか』と気づくようになった。正田さんの周りにいる学者さんは、正しいのだと思える」
と、言ってくれました。

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正田 佐与(正田佐与承認マネジメント事務所)
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 阪神淡路大震災から21年目の1月17日、正田は和歌山に参りました。

 アドラー心理学の一昨年のベストセラー『嫌われる勇気』の著者、岸見一郎氏の講演会に参加するためです。

 アドラー心理学については、昨12月初めにシリーズで批判記事を掲載しました。

褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会

「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ

増殖中!インフルエンザより怖い「妄想症・ナルシ症」リスク対策は

 でフェイスブックで一度書いた話題ですが、結論からいうと、この講演会で質疑の時間に正田は「爆発」してしまい・・・。
 会場からマイクを握って「吠えて」しまいました。

 何を言ったかというと、

「会場の皆さんこんなこと信じちゃダメですよ!子どもさんは大いにほめてください、そして叱ってください。子どもはほめられたり叱られたりして規範を覚えていくんです。子どもと大人は対等ではない。子どもは無力で、そして依存しているんです」

「承認欲求を今否定されましたが、承認欲求は食欲と同様、人間の基本的欲求です。あまりにも承認欲求を満たされなかったらわれわれは鬱になってしまうんです。承認欲求を否定して、この会場にいる人の周りにうつが出たら岸見先生は責任を取れるんですか!」

「岸見先生の息子さんの話がなんども出てきますが、親の養育より遺伝形質が子どもさんに決定的影響を及ぼす、これは遺伝学者の共通見解です。岸見先生の息子さんは、IQの高い、言語能力の高い人だったのだと思います。おっしゃっていることはあくまで息子さんという個体に対して上手くいったということに過ぎない。個体差の問題なのです」

 ここで、会場から「質問は1つでしょう」と遮られて終わり。
 私としては人道的理由であえてルール破りをしたけれど致し方ない。
  本当はもう1つ、

「発達障害についてまったく『ない』ものであるかのように語っているがおかしいのではないか」

というのも言いたかったが果たせませんでした。

 講演の最初から、岸見氏が一言言うたびに

「それは、エピソードに登場する人物が発達障害なのではないか?」
「岸見氏のいうそのやり方でうまくいくのは、定型発達のIQの高い子だけではないか?」

といった疑問がわたしの頭の中をぐるぐる回っていたのでした。
 
 岸見氏と先日このブログで取り上げた『ほめると子どもはダメになる』の榎本博明氏は同じ1956年生まれですが、どうもこのへんの世代の心理学の人は「発達障害」がわかっていない。あるいは、知っていても意図的に隠している。

 「発達障害」という概念を避けながら人間関係の悩みについて説明すると、「理解不能な人」は永遠に「理解不能な不条理な人」だし、「こうすればうまくいくよ」という言い様が、すべて世界は定型発達の人だけでできている、という前提に立ったものだったりする。
 結果、一般人はいつまでも迷宮の中をさまよい、心理学者は永遠に優位に立ち続ける。

 本当は、「発達障害」の視点で問題をとらえてみるというのは、決してレッテル貼りではなく、有効な問題解決の方策であり、実は「悩みがストップ」する道筋かもしれないのです。
 でも、そのほうが親切なやり方だとは、かれら心理学者は考えない。底意地悪く、実際の問題解決に役立たないやり方を勧めるばかりです。

 
 さて、しかし冒頭のようなことを言ったわたしに会場からの目は冷たく。

 わたしの次に発言した年配の男性は、岸見氏に

「他人をけなすという人がいますが、どういうものですかな?」

と質問し、あたかも直前のわたしがした行為は「けなす」ということだった、と言わんばかりでした。実際、この人が「けなす」という言葉を発音したとき、会場の多くの人が私のほうを責める目つきで振り返りました。

―これは宗教の集会だ―

 ある程度は覚悟していましたが、ここまで「空気を読む」人々の集団だとは思いませんでした。

 もともと心理学の世界の辞書に「批判する」という言葉はないのです。「肯定しない」は、イコール「否定する」ということであり、「悪」なのです。
 哲学倫理の世界にはちゃんと「批判する」という行為は建設的な行為としてあり、また哲学のほうが心理学よりはるかに古い学問なのですが。

 
 また、わたしが思うに、そもそも「叱らない、ほめない」が好きな人たちというのは、ストレングスファインダーでいう「〇〇〇」、もしくは「受動型ASD」の人が多いのではないかと思います。波風を立てることがとにかく嫌い。葛藤が嫌い。岸見氏自身もその気があります。ひたすら穏やか。(ついでにいうと「子育ての成功例」として度々言及される岸見氏の息子さんも穏やかで知能も高い子どもさんだったのではないかと思います)

 彼(女)らは、たとえば「悪いものは悪い」とガンという、ということがそもそも苦手なのです。極端に不安感が高く、人に強いことを言うことができない。本人さんがアサーション的な問題を抱えています。また自分以外の他人が大声でだれかを叱っているのをきくのも嫌い。身が縮みます。

 「アドラー心理学が好き」という人は、その波風立たない穏やかな空気が好きなんです。

 だから、彼(女)らにとっては、強い口調でアゲンストな質問をするわたしのような女は、波風を立てるというそれだけで「悪人」なのです。


 この講演会では、れいによって「ほめてはいけない」の話が出て、たとえば岸見氏によれば、お母さんが3歳の女の子に
「よく静かにしていたね、えらかったね」
というのもいけないんだそうです。理由は、相手が大人だったらそんなことは言わないはずだからだそうです。そして「静かにしていてくれてありがとう」と言わなければならないのだそうです。

 質疑の時間では英語塾の先生が、子供たちに「来てくれてありがとう」「片付けてくれてありがとう」と言うが、「できてなかったことをできるようになった時、Good Jobと決まり文句があるが、ほかには言い方はないのか」という質問も出ました。
 Good Jobもダメな世界なんです。異常なの、おわかりになりますか?


 その後フェイスブックのお友達とのやりとりの中でわかってきたのですが、わたしも元々、「道場破り」をやりたくて講演会に行きたかったわけではない。本来は、話だけきいて大人しく帰ろうと思っていたのですが、

 会場で生身の人々をみていると、たまらなかったのです。本気で「泣けた」のです。
 
 ほめられも叱られもせずに貴重な子供時代を送る子供さんがいるということに。それが、ここにいる一見良心的そうな人々の子供さんだということに。

 また、「承認欲求」をまるで悪いもののようにくさされて、自分の承認欲求を他人に気取られるのをびくびく怖れながら生きていく人ができてしまう、ということに。


 でもその気持ちは会場の人々には恐らく伝わらなかったので、少し気落ちして帰って、そしてフェイスブックのお友達の皆様に慰めていただいたのでした。

 ある学校の校長先生は、

「子どもは褒めて、叱らないと育ちません。(^^)」

と書かれました。

またあるお友達は、

「私自身も職場によっては評価をされない職場がありました。その時の自分を振り返ると、人間はこうも脆いものなんだと思うほど、自信を喪失してしまったことを思い出します。ですので、承認は重要だと思っています」

と書かれました。

 そういう「当たり前」の感覚が今、すごく通りにくくなっています。

 そして本来幸せになれるはずの人たちが幸せになれないのです。
 この焦燥感、どうしたらいいのでしょう…。



正田佐与


<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html 

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 ろくたび『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

 お待たせしました、”中室提言”に対する「正田の回答編」です。

 1つ前の記事では、「中室本」の第4章・第5章を丁寧にみたうえで、”中室提言”のまとめとして、

1.少人数学級に「しない」。40人学級を維持(一部貧困地域では35人学級でもよい)
2.子供に未来のおカネの話をしておカネのご褒美を出すと学力が上がる。ほめない
3.質の高い先生とは学力を上げる先生である
4.先生の質を高めるには、「おカネ返して方式」の「負の成果主義」と「教員免許制度の撤廃」
 

と、いうことでした。

 これに対してわたくし正田の回答は、いくつかの項目がありますので、最初にまとめておきましょう。


【1】再掲・正田試論:
(1) 少人数学級―目的は、「普通の先生」でも「スーパー先生」に近いことができるようになること
(2) 承認+個人面談その他きめ細かい指導
(3) 先生方の経験交流

【補足】少人数学級の財源問題を考える

【2】最も経済効果が高いのはどんな教育か?
一人勝ちは経済効果が低い!
おカネで子供を釣る<精神的報酬を与える+人間関係を良くする+人格教育をする+自己効力感を与える
【補足】”中室提言”3.の質の高い先生とは本当に2.おカネで釣る、ほめないをやっている先生なのか?

【3】先生方は「経済人」ではない!
「おカネ返して」の成果主義で釣る<先生方に精神的報酬を与える

【4】アメリカ方式直輸入でダメになった日本企業の轍を踏んではならない
導入にはブリッジング試験が必要

【5】ランダム化試験そのものに潜む限界:本当に有効な手法はむしろ測れない
「つぎはぎ提言」は正しくない!多剤併用試験が必要



 それでははじめたいと思います―

【1】再掲・正田試論:
(1) 少人数学級―目的は、「普通の先生」でも「スーパー先生」に近いことができるようになること
(2) 承認+個人面談その他きめ細かい指導
(3) 先生方の経験交流

 詳細は、今月3日の記事(優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論 )に書かせていただきました。
1つ前の記事を見て「じゃああんたは教育あるべき姿はどういうものだというんだ?」というリアクションをされる方もいらっしゃいましたが、ここの記事で言いつくされています。

 個々に向き合うきめの細かい指導とセットにした「少人数学級」は、大きな効果を上げます。企業では、「承認+個人面談」は、学齢期の子供たちと共通の問題をもち指導しにくい今の若い人たちにも非常に有効だということがわかっています。もちろん極端に人数の大きな部署というのはその場合あり得ません。
 そして、今も10人に1人ぐらいはいる「スーパー先生」から他の先生が学べるよう、経験交流の時間を頻繁にとります。ここでも「承認」をベースにした対話が大きな効果を上げます。マネジメント層の方々は、ぜひそこで経験交流のためのファシリテーターの役割を果たしてください。
 「少人数学級」以外のことは、大きな予算措置を必要としません。

【補足】少人数学級の財源問題を考える
 でも「少人数学級」財源をどうするかって?
 35人学級を40人学級にすると86億円が浮くとのことでしたが、これは単純に、学級定員を5人減らすごとに86億円支出が増えるということだと思っていいんでしょうか。2015年度文教及び科学振興費全体は5兆3,600億円余で全体の5.6%でした(医療福祉費は31兆円)。もし30人学級にしたら86億円、25人学級にしたら172億円増えるんですね。それぐらい何とかなりませんか。国民1人当たり172円の増ですよね。

 わたしが思うのは、産業界によびかけて、法人税に上乗せした目的税にできないのか、ということです。未来の産業人を作るための重要な投資です、15年後には確実にリターンがあります、と言って。逆に今これをしなければひょろひょろのもやしっこしか入ってきませんよ、求人難倒産かメンタルヘルス倒産になりますよと言って。先生方は夜中までプリントつけして家庭生活も削ってるんです、普通の生活ができるように、企業で分担し合って先生を余分に雇うつもりになりませんか、と言って。公的教育が充実すれば、社員さんがたも子弟を私学まで行かさなくても地域の公立学校でいい教育を受けさせられますよ、と言って。だめでしょうか。 

 そういう、「今40人だから5人減らして35人にしてよ」「それには予算が―」みたいな、ちまちました議論ではなくて、「まずあるべき姿から」の議論をしてもいいと思うんです。企業の側は、むしろエビデンスなどなくても、部署編成をフラット化の30人40人ではまずいと思ったらすぐ昔同様の10人7人の規模に戻しているわけです。そういう判断が学校には随時出来なくて、身動きとれないというところが気の毒なんです。

 そのためにやっぱりエビデンスが全然無いのもまずいので、どこかモデル校で始めてほしいなあ、とせつに思います。「少人数学級が単独でどうか」ではなくて、「少人数学級+承認、きめ細かい指導」のセットで、2剤併用の形で。

 ただし、「ランダム化比較試験」にこだわる必要もないのではないか、とも思います。そのことは【5】で。



【2】最も経済効果が高いのはどんな教育か?
一人勝ちは経済効果が低い!
おカネで子供を釣る<精神的報酬を与える+人間関係を良くする+人格教育をする+自己効力感を与える
【補足】”中室提言”3.の学力を上げる質の高い先生とは本当に2.お金で釣ってほめないをやっている先生なのか?

 「おカネで釣る」。「中室本」には、ことのほか頻繁に出てきます。第2章で「お金でご褒美を上げても『よい』」。第4章で「将来のお金の話をすると、学力が上がる」。

 このくだりをみて、ひょっとしたらこのブログ読者の方は、いや〜な気持ちになった方もいらしたのではないでしょうか。わたしなどは、3人の子供をお金で釣ったことはほぼゼロ回に近いです。それでも子供たちは自分のお弁当をつくり、おせち料理をつくり、その年頃の子の中ではダントツで家事をする子たちでした。「子どもをお金で釣ることは、よくわからないけれどしてはいけないことだ」というタブー意識がわたしの中にはありました。読者の中にもそういう方はいらっしゃいますでしょうか。それは意味のないむだなタブー意識で、打破したほうがいいものなのでしょうか。
 いや、その勘は正しいと思います。

 『経済は競争では繁栄しない―信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と信頼の神経経済学』(ポール・ザック、ダイヤモンド社、2013年8月)では、「お金の話をすると人は道徳性が低下する」という話が出てきます。
(詳しい読書日記はこちら わが国ではハグはちょっと―じゃあ、どうする?神経化学物質オキシトシンの知見『経済は「競争」では繁栄しない』
「プライミング」(暗示)の実験で、お金を一瞬見せられお金について考えるよう仕向けられたグループは、他人を助けたり、他人に助けを求めたりする度合いが低く、一人で物事をこなす可能性が高まった。また、面接のために椅子を並べるように頼まれたとき、お金について考えるようにプライミングされたグループは、他人とのあいだに物理的に大きな距離を置いた。


 つまり、子供たちをお金のために頑張るよう仕向けると、人と助け合うより自分一人が勝って儲かればよいという「1人勝ち大好き」の人になってしまう可能性があるのです。このやり方で学力が上がったしても、そこで作った「学力」は、「人を蹴落とせ」という競争心を土台とした学力である可能性があるのです。
 人の個体差について考えるのがすきなわたしが考えるに、子供たちの中には、確かに生得的に「お金」がすきな子がいます。お金の価値観をもっている、という子。そういう子には、確かに「お金」をイメージさせて訴えるのが、勉強させるにも有効かもしれません。
 しかし、それはその子たちの個別指導で使えばよろしい。お金がとくに好きではない子まで、お金をインセンティブに使う必要はありません。従来通り、学ぶことそのものの楽しさを先生の言葉で伝えていただければいいと思います。
 「中室本」では、「学力を上げる先生が質の高い先生だ」と言います。子供たちの学力を上げた先生が、20年後も子供たちの収入を高めていたと。
 しかし、個人として「収入の高い」人を作ることが経済効果と言えるかどうか。
 わたしたちは、早期教育が作ったのか何が作ったのか、個人として優秀だがきわめて競争心の高い人物をビジネスの中でみることがあります。自分の周りのちょっと優秀な人を目障りだからと平気で潰してしまい、その人の半径10mぐらいにはペンペン草も生えない。そういう人は、自分自身は稼いでいても、周囲の人の年収を下げているはずです。したがってその人を育てたことの経済効果は、その人が潰した周囲の人まで込みでみた場合、非常に低くなるはずです。
 そうした「長期毒性」は、「中室本」の「お金で釣って勉強させる」方式について、まだ全然明らかになっていません。
 
 一方で、「正田試論」の記事の中に出て来た「スーパー先生」は、そのような優秀だが競争心が極端に高い人物を作っていたのではありませんでした。人格教育をし、1人ひとりの良いところを見出させ、優秀な子にはその優秀さをいかんなく発揮させながら、同時に周囲の子に思いやりを持つように仕向けていました。
 こういう子は、将来収入の高い人になった場合でも周囲の人の収入をも高めることができるのです。そういう人を作ってこその経済効果ではないでしょうか。
 競争ということも生まれつきの価値観で好き嫌いがあり、わが国では競争があまり好きではない人が多いようです。それに比べアメリカ人は比較的競争を好むところがあります。
 わが国で従来、優秀な人を作ってきたやり方をだいじにした方がよいのではないでしょうか。


【補足】”中室提言”3.の学力を上げる質の高い先生とは本当に2.お金で釣ってほめないをやっている先生なのか?

 「中室本」では、「学力を上げる先生が質の高い先生」という知見と、「学力を上げるためにはお金の話をしたほうがよい」という知見が無造作に並べられているので、じゃあ学力を上げ、20年後まで本人の収入を高めていた先生がやっていたことはそれだったのか、と錯覚してしまいそうです。しかし、この両者がつながっている保障はありません。
 「学力を上げる先生が質の高い先生」という知見を導き出した「チェティ研究」は、(1)1人の子供の学力の向上(2)その子の20年後の収入を追跡調査したもので、学力を上げた先生が具体的にどんなやり方で学力を上げていたかまではみていません。"中室提言”2.と3.は、まったく別々に出て来た知見です。むしろ、「チェティ研究」に出て来た優秀な先生は、わが国の「スーパー先生」と同様に、良い人間関係、高い道徳性に立脚した学力向上をやっていた可能性が大だと思います。
 「スーパー先生」たちが何をやっていたか。「結果変数」ではなくほとんどの瞬間、「媒介変数」のところを見て、つまり数字で測れない定性的な子供たちの様子を見、またそれらを「小目標」」として念頭に置いて仕事をしていた可能性があります。というお話を、こちら(「学力を上げる先生」はどこを見ていたか)に書かせていただきました。
 わが国でもし「チェティ研究」的なものをやるのであれば、今国内で高い学力向上をもたらしている「スーパー先生」方の生徒さんたちの「その後の収入」プラス「対人的行動様式」を追うといいかもしれませんね。そのうえで、先生方のやっていることを「解剖」するなら、それは意味のある研究になるだろうと思います。


【3】先生方は「経済人」ではない!
「おカネ返して」の成果主義で釣る<先生方に精神的報酬を与える

 1つ前の記事では、先生方の質を向上させるために、成果主義が試みられたがあまり成功しなかった。ところが、成果主義でも「減点法の成果主義」は効果があるという研究がある。というお話でした。
 「ふつうの成果主義」がなぜ上手くいかないか、その理由は経済学者の間でわかっていない、ということでした。
 えーっ、なんでわからないの!?とわたしなどは思います。読者の皆様、そう思いませんか?
 先生になる人というのは、基本的に「人がすき」なんです。そうでない人は、もともとあまり適性がなかった人だと思います。そして「人がすき」な人というのは、お金がすきという価値観をあまり持っていないことが多いです。絶対に両立しないとは言いません。でも多くは、「仕事はお金のためにやっているのではない。生徒やお客様に喜んでもらえるためにやっているのだ」と思っています。そういう人が多く分布している業界だと思ってください。
 経済学者にとっては「想定外」かもしれませんが、「経済人(ホモ・エコノミクス)」ではない人びとがいるのです。お金で釣られても心が動かない人びとがいるのです。
 それなのに「動け!」とばかり、「減点法の成果主義」まで実験してしまうというのは、知らないからとはいえなんと残酷なことでしょうね。「経済学者=バカ」という式がわたしの頭で渦巻きます。
「40人学級を維持した上で、先生方には残酷な負の成果主義を」
"中室提言"が言っているのは、とどのつまり、そういうことなのです。それで学力向上したからといって全然威張れません。わたしには、神をも懼れぬ行為をしているとしか思えません。そのやり方で単年度ぐらい学力向上の効果が上がったとしても、遅かれ早かれ先生の鬱休職や離職が続出するであろうことは火をみるより明らかです。中室先生ちゃんと責任を取っていただけますか。それを決定した役人も責任取れますか。

 逆に、学校の先生のような感情労働の人たちは「承認人」という概念が当てはまります。経営学で「承認論」を提起した太田肇氏の造語ですね。
 先生方に奮起してもらいたかったら、「承認」してあげればよいのです。多くは、「教室の王様」で、逆にだれも自分の仕事を監督してもらえない立場で実は「承認」に飢えています。マネジメントの人たちが細かく授業をみて、先生のちょっとした教材づくり、ちょっとした子供たちとの関わり、ちょっとした判断、を賞賛してあげたらどうでしょう。あるいはその自治体の首長や地元出身の有名人が―たとえばうちの神戸市だったら藤原紀香とか―が、しょっちゅう学校を視察して先生方にねぎらいの言葉をかけたらどうでしょう。
 そういうことをまだランダム化比較試験でやってみたことがないんですよね?たぶん、経済学者さんが興味を持たなそうなところですよね。
 でも経済学者さんが考えるほど、多くの人は「経済人」じゃないんですよ。そろそろ、そういうことを受け入れなくちゃ。

 
【4】アメリカ方式直輸入でダメになった日本企業の轍を踏んではならない
導入にはブリッジング試験が必要

 上記の「成果主義導入」と関連しましたが、実はひところ「アメリカ式」を繰り返し輸入して、どんどんダメになった分野があります。経営学です。
 『企業の錯誤・教育の迷走 人材育成の「失われた10年」』(青島矢一編、東信堂、2008年)という本では、バブル崩壊後に自信を失い、アメリカのビジネススクールで生まれた手法をどんどん輸入した日本企業の迷走ぶりを描いています。
(詳しい読書日記はこちら何を失ったのか、何を回復しなければならないのか―『企業の錯誤・教育の迷走』

 ここでは、「成果主義導入」で日本企業の営業組織・研究組織がそれぞれどうなったか、が出てきます。
 
 
営業職では・・・、
 転勤時の得意先の引き継ぎをしなくなった。引き継いでも、特に親しい顧客には「後任に引き継ぎ後半年たったら自社製品の購入をやめてください」と依頼する。
 随行営業をしなくなった。
 若手営業員の定着が悪化した。それまで離職率が低かったA社でも、2002年に入社した営業部員の3分の1が2005年までに辞めた。
 ・・・と、競争の「負の側面」が大きく出てしまいました。

 研究開発職では…
 創造性のある研究員を業績給でつくることはできなかった。創造性のある研究員が求めているのは金銭的報酬ではなく、インフォーマルなフィードバック。(もろに「承認」ですね)しかし業績給導入の結果、インフォーマルなフィードバックは減少した。
 組織としての創造性を発揮するには、部門間協力が必要だが、業績給で評価基準が明文化されると、協力にかかわる関係構築の作業が捨象されてしまい、部門間協力がわるくなる。(⇒実はこれも「承認」の応用で解消することがわかっている)



 さあ、では学校の先生の世界に「(減点法の)成果主義」を導入したら何が起こるでしょう?
 生徒の成績の改ざんなどは容易に起こりそうですね。また、ノウハウを教えない、承認しあわない、協力し合わない。

 もともと日本人はアメリカ人に比べて不安感が高く、競争心の低い人が多いので、わが国で成果主義を入れたら負の影響がもろに出やすいのです。喜んで競争して頑張る人などほんの少数、大半は他人の足を引っ張るという後ろ向きの頑張り方をします。

 さて、医薬品の世界には「ブリッジング(橋渡し)試験」というものがあります。
 アメリカで一通り開発して臨床試験までクリアした医薬品も、日本人では体質の違いで効果が弱かったり、副作用が強く出たりする可能性があります。日本人での安全を確認するため、数年にわたってもう一度日本で臨床試験をします。

 経営学の分野でも教育学の分野でも、「ブリッジング」は必要です。体質が違うものを試しもせずに入れるべきではありません。ただでさえ日本人とアメリカ人は、「不安遺伝子」の出現率において両極端。その他いくつかの「性格」に相関することが分かっている代表的な遺伝子型の分布もほぼ正反対、それぐらい、民族の「気質」が根本的に違うのです。
 いくらハーバードでいい結果が出たという知見でも、わが国で即政策として取り入れるようなことはないように願います。



【5】ランダム化試験そのものに潜む限界:本当に有効な手法はむしろ測れない
「つぎはぎ提言」は正しくない!多剤併用試験が必要


 ランダム化比較試験にこだわると、現実問題として、4つ前の記事(「少人数学級で学力は上がらない」はウソ!」にみた赤林研究のように、倫理的問題を避けるあまりきちんとした差が得られない結果に終わるという問題がついて回ります。

 医療でも臨床試験で治療群と対照群に分けるときにかならず倫理的問題が多少はあるわけですが、こと子供の教育は、対象が子供さんなので、自己決定に基づき参加する臨床試験より倫理的問題がより大きくなります。

 すると、全然思い切ったことがやれない。結果的に、現場が考える、実際に成功体験もあるような、本当に効果的な手法というのは、ランダム化比較試験では検証できないことになります。これはもう自己撞着のようなものです。

 だから、現場の感覚からいうと「なんで、そこ!?」というような、どうでもいいような仮説ばかり立てて実験してるじゃないですか。


 なので、いくら米教育省が「エビデンスはランダム化比較試験のことを言う」と明言したからと言っても、米国は米国、追随しないでいいと思います。たぶん多くの先進諸国で20人学級を導入したとき、いちいちランダム化比較試験で決めてはいないだろうと思います。「現場感覚」で決めたと思います。



 そして「つぎはぎ提言」の問題―、
 例えば、
(1)上記の「3.質の高い先生は学力を上げる先生」という知見と「2.学力を上げるためにはお金で釣る、ほめない」という知見をくっつけて提言するのは正しいか?
(2)また「3.質の高い先生は学力を上げる先生」という知見と「4.先生の質を高めるためには減点法の成果主義と教員免許制撤廃」をくっつけて提言するのは正しいか?
 (1)に関しては、チェティ研究に登場する質の高い先生たちが、現場でどんなことをやっていたかをみないといけません。2.お金で釣る、ほめない ではなかった可能性が大です。
 「お金で釣る」でみることができた学力向上はあくまで1学年の短期的な結果です。そのために何年にもわたって努力できるかどうか、は未知数です。一般には、お金によるモチベーション向上効果は短時間しか持続しません。
 また(2)提言3.と提言4.をくっつけることは正しいか?
 それはチェティ研究に出て来た質の高い先生が、「減点法の成果主義」でつくられたわけではない、ということです。「減点法の成果主義」というのは先にも述べたように、ものすごく非人道的な方法なのですが、それをやって先生方が1−2年は頑張れたとしても、数年内に息切れして鬱になっていくかもしれません。だれが責任をとるんですか。学級定員にもからむ問題ですが、先生方が鬱で休職する、離職するという問題も「コスト」としてきちっと扱わないといけません。現実にあることなのですから。

 こういう、現実にはつながっていない「つぎはぎ提言」、入山章栄氏の「複数次元のダイバーシティーを同時に導入しよう」という提言もそうなのですが、それが正しいかどうかは、その「つぎはぎ提言」を「多剤併用試験」として、新たに検証する必要があります。上手くいかない可能性が大ではないかと思います。

「質の高い先生」+「お金で釣る」でしたら、そのやり方で20年後まで収入が高かったか、また周囲の人間を潰すような行為をして複数人の総和でみると低収入になっていないか、そこまでみないといけません。
 わたしなどは、「お金で釣る」方式で育った子供さんが、将来犯罪者になる確率は普通より高いのではないか?ということを、本気で心配するほうです。

 そんなリスクのある教育を、実験できますか?

 経済学者という人種は、教育や実験の倫理的側面にあまり興味をもたないようです。わたしは多分それで、この本を読んだときイヤーな気分になりましたし第4章第5章を読んでも内容がなかなか頭に入らなかったのです。

 そんな極端なことをしなくても、今現場の先生方がおやりになっている優れた実践を「症例報告」として、エビデンスとして扱ったらいかがでしょうか。ランダム化比較試験は必ずしも必要ありません。



 以上がわたしからの「回答」です。

 この記事へのご意見、ご感想を歓迎いたします。是非、FBコメント、メッセージ、ブログコメントなどの形でお寄せください。

 
 きのう、美容院に行ってカットしてもらった25歳の美容師見習いさんは、入店5年目でした。シャンプーと掃除担当からいよいよお客さんのカットをできるように、今テスト準備を頑張っています。

「やめたいと思ったことはないですか?」
「ありますよー。シャンプーで肘の上までかぶれちゃったんです。こんな手でお客さんに触って申し訳ない…と落ち込んでいたら、お客さんが優しくて。
『頑張ってるね』
『手大丈夫?良くなった?』
『気にしないでいいのよ』
そんなふうに言ってもらうと、手治っちゃったんですよ」
「え、そういうので治っちゃうんですか」
「はい。あたしアホなんで、お客さんにほめてもらうと嬉しいんです」

ほめてもらえればうれしい、辞めないでいられる、皮膚も治っちゃう。なんと、いいご性格ですね。
そういうのが「頑張れる人」なんです。また、「周囲の人もハッピーにできる人」なんです。




正田佐与

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

 2016年1月14日現在、Googleで「学力の経済学 批判」で検索すると、本記事がトップページの上から2番目に出るようになっています。有難いことです。

※2017年1月5日追記:本日現在、「批判」をつけずに「学力の経済学」でGoogle検索しても、本記事がトップページに出てくるようになりました!全国の自治体や教委のドメインから多数のアクセスをいただいております。有難うございます!

 一昨年のベストセラー『「学力」の経済学』に疑問をもたれた良心的な読者の方々へ。当ブログでは、企業人向けの女性研修講師53歳が、子ども3人を公立学校で育て、、主宰するイベント「よのなかカフェ」で学級崩壊ほか教育問題をテーマに討論し、現役の優れた先生方にインタビューした経験を基に、『「学力」の経済学』のはらむ諸問題を真摯に考察しています。もしもあなたの心の琴線に触れるところがありましたら幸いです。


シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

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本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 ごたび『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

「またあ?」とこのブログを愛してくださる、心ある読者の皆様の呆れ顔がみえるようですー
 
 ほんとうは、わたしももっと楽しい美しいことを読んだり語ったりしたい。 
 でも目の前に「悲劇」が口を開けて待っているとわかる時には、やはり自分の出来ることでベストを尽くしたいのです。
 その「わかる」のも、ほかでもないわたしのポジションだからわかるのかもしれない。


 今日のお話は、『「学力」の経済学』(以下、「中室本」と略)という本が後半部分で述べているわが国の教育政策への提言、これがどれほど恐ろしいものか、というお話をしたいと思います。

 2-3日前までのわたしと同様、この本を感覚的に「不愉快だ」と感じ、それゆえに「黙殺してよい」「まさかこんなことが実現するわけがない」と思っていた、良心的なわたしの友人の皆様。ぜひ、この恐ろしさを共有してください。そしてまた、これは論理的によく見ると破綻している、しかし役人が騙されていそうだ、ということも。
 
 大まかに言うとそこには、「教師も子供もカネで釣れ」という”思想”が流れています。しかしそれを実現した場合、どんなことが起きるのか?だれが責任をとるのか?

(2017年2月13日追記:
"カネで釣る"は何故ダメなのか?実はお金の存在を意識しただけで、人は利己的になり助け合わない、孤立主義的になるという知見があります。
こちらの記事の後半で詳しくご紹介しています

●『信頼はなぜ裏切られるのか』をよむ◆次爾カネのせいでウソをつく、ネットのせいでウソをつく、信頼を損なう4つの仕草
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51952837.html

「第4章 ”少人数学級”には効果があるのか?―科学的根拠(エビデンス)なき日本の教育政策」「第5章 ”いい先生”とはどんな先生なのか?―日本の教育に欠けている教員の「質」という概念」での本書のロジックをまた、丁寧に追ってみたいと思います。


(なおお急ぎの方は、手っとり早く本記事への「回答編」を読みたい、と思われるかもしれません。
「回答編」はこちらです
本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』のもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!  )



 「少人数学級は費用対効果が低い」と「中室本」は言います。学級規模を35人から40人にすると削減できる費用は86億円なのだそうです。
 ここで紹介する知見は3つ、

1.米国の「スタープロジェクト」
−少人数学級(1学級当たり13-17人)と通常学級(同22-25人)を比較したところ、少人数学級の子供のほうが学力が高く、とりわけ学齢の低い子供、マイノリティである黒人、貧困家庭の子供に対する効果が高かった
2.ヘックマン教授らの少人数学級と子供の生涯収入の推計(結果は負の相関、学級定員を5人減らすと55〜77万円の減収)、
3.慶応大の赤林教授らの横浜市データを使った推計(学力の変化ほとんどなし)

 上記のうち、3.に関しては、学力変化がなかったのは自然実験であるため、(1)教材や教え方の工夫がなく(2)むしろ学力変化が生じないよう配慮した可能性がある(3)学力低下につながるような要因が作用し、少人数学級のメリットを相殺した可能性がある―でありデータとして依拠するに値しないことを、3つ前の記事「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判 」で述べさせていただきました。実は1.と2.にも似たような問題があるのではないだろうか?とわたしは思っています。

 「中室本」では、しかし、「少人数学級は学力を上昇させる因果効果はあるものの、他の政策と比較すると費用対効果は低い政策であることもまた明らかになっている」と言います。

 そして、より費用対効果(「コスパ」ですね)の高いやり方として、「教育の収益率」に関する情報を子供たちに知らせることを挙げています。つまり、「学歴が高いほうが年収が高い(=教育を受けることの経済的な価値)」ということを教えてあげると、他の「ロールモデルを見せる」などの介入よりも学力向上効果が高かった、というものです。要は、「教育を受けたほうが『儲かる』よ」と子供たちに教えてあげることです。
―さあ「カネで釣る」が出てきました―

 このあと「学力テストには学校教育の効果を測る意味はない」「都道府県別の結果も公立だけなのでバイアスが入っている。私学に多く通う東京都・神奈川県の場合残った公立校の成績をみると低く出る」などの議論は正論として、

 「少人数学級は貧困世帯の子供には効果が特に大きかったことが明らかになっています。」として、「少人数学級を全国の公立小学校の1年生「全員」を対象にするのでなく、就学援助を受けている子供が多い学校のみで導入すれば、大きな効果がみられたかもしれません」と”提言”します。

 次に、「いい先生」とはどんな先生なのか。教員の質を計測する方法として、「担当した子供の成績の変化」をみるという方法があり、この学力の変化を「付加価値」というそうです。

 ここで出てくるのがハーバード大学のチェティ教授らの研究。「全米の大都市圏の学校に通う100万人もの小・中学生のデータと納税者記録の過去20年分のデータを用いて、付加価値が教員の質の因果効果をとらえるのに、極めてバイアスの少ない方法であることを明らかにしました」。さらに、質の高い教員は、10代で望まない妊娠をする確率を下げ、大学進学率を高め、将来の収入も高めているということです。

 では、教員の質をどうやって高めるか。

 「成果主義」はどうか。あまり効果があがらなかったようです。「成果主義が教員の質の改善につながらない理由は、実のところよくわかっていません」と「中室本」はいいますが、ここは「つっこみどころ」が大いにありそうです。
 ところが、同じ成果主義でも「減点法の成果主義」は効果があるという研究が紹介されています。ボーナスを「失う」という設定。最初に一定のボーナスを受け取るが、学年末に目標の付加価値を達成できなかった場合はそのボーナスを返還する。このグループは成績が上がったそうです。人間がいったん得たものを失うのは嫌だと思う気持ちを逆に利用して、教員の質を高めることに成功したと「中室本」では賞賛します。ハーバード大学のフライヤー教授の研究。

 読者の皆様、どう思われますか?「ええい、ボーナスを出すと言っても働かないのか!じゃあボーナスを取り上げてやる!」と、いかにも機械論が行くところまで行ったような、サディスティックな実験。
 先に「つっこみどころ」と言いましたが、そもそもこういう実験をする人は、学校の先生がなぜボーナスを約束してもパフォーマンスが上がらないのか、その理由を特定できていないのです。だからこんな、まさしく「人体実験」のようなことができる。
 いくら財政負担が少ないやり方だからといって、こんなやり方をされたのでは教師はひとたまりもないでしょう。すいません、このくだりを入力しながらわたし自身はちょっと涙が出てきています。

 たぶん、中室牧子氏の中にはこういう実験をみても「残酷だ。かわいそうだ」などという感情は動かないのです。なぜならこの人は元々経済畑の人で、「経済人」というモデルに慣れてしまっているので、そのモデルが正しいと証明するためにはどんな手段をとることもいとわないからです。
 
 このあと、「教員研修は教員の質に影響しなかった」という研究を紹介。(しかし、どういう内容の研修をどういうデザインでやったか、は言及なし。統計学者らが実験デザインにこだわるのと同様に、研修もデザインがダメであればどんないい内容でもダメ、という場合があるのですが)

 そして「中室本」が教員の質を高めるために「決定打」のように太字で推すのが、
 教員になるための参入障壁をなるべく低くする、つまり教員免許制度をなくしてしまう
 というやり方です。
 経済学者の間では教員免許の有無による教員の質の差はかなり小さいというのがコンセンサスなのだそうです。
 ―なぜここで「経済学者の間では」が出てくるんでしょうね…教育学者は出てこないんでしょうね…既得権益者だからでしょうかね…

 まとめると、「中室本」の「政策提言」とは、

1.少人数学級に「しない」
2.子供に未来のおカネの話をすると学力が上がる
3.質の高い先生とは学力を上げる先生である
4.先生の質を高めるには、「負の成果主義」と「教員免許制度の撤廃」
 

 どうでしょう。
 対子供部分はこれに、第2章で出て来た「ほめ育てはしてはいけない」「お金のご褒美はあげてよい」も組み合わせると、
「子どもはおカネで釣って勉強させる。ほめるなどの精神的報酬は与えなくてよい」
という結論にもなります。また、
「クラスの人間関係を良くするなどの取組は学力向上に寄与しないので、しなくてもよい。おカネおカネで走らせればいい」
という結論にもなりそうです。

 はい、これらの提言や結論が「OK」だと思う方。



 わたしの予想では、このブログを続けて読んでくださっている方々は、こんなのはそもそも頭から信じないでしょうし、「まさか、こんなことを真に受ける人がいるわけないでしょ」と思われると思います。
 ところが、どうもそうではないのです。
 わたしたちが自然と共有している「常識」を全然共有しないまま、この本を読み、そして「数字で証明済みなことだけがやるに値することだ」と信じてしまう層の人がいるのです。主にアカデミズム、そして役人の中に。

(大きな声では言えませんが、かれらの中にASDはすごい高率で分布しています。基本的に対人不安が高くて、現場に足を運んで人と話すなんてしたくない、そこに「数字だけで判断すればいいですよ」という「中室本」の”主張”は、すごく魅力的です)

 そしてたちの悪いことに、「中室本」は「老婆」「お母さん/母親」などの言葉で、実体験を貶めてしまいます。また「米国の教育省は、落ちこぼれ防止法の中で、エビデンスとはランダム化比較試験に基づくものであると明言しています。」なんてことを太字で書き、「エピソードのシリーズ(医療で言う症例報告)」にも全然価値がないように言ってしまいます。
 
 そのルールは米国だけにしておいてください。どうせ教育省に同窓生でも送り込んだんでしょう、と思います。



 さて、「数字を持ってる女」中室牧子女史の言う通りの未来が出現してしまうのでしょうか。子供たちを精神的報酬を与えないままおカネで釣り、40人学級を変えないまま先生方を「カネ返して方式」のムチでしばき「学力がすべて」と学校をギスギスした空気にする。

 読者の皆様、それをお望みになりますか?

 「そんなの、イヤだ」と思われるなら、この”主張”にきちんと反論しなくちゃいけません。
 「数字に反論するなんてムリ」なんて思わないで。

 
 次回の記事は、「数字に弱い女」正田の「回答編」です。さあうまくいきますかどうか…。応援してくださいね!






シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 よたび『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。


「質の高い先生とは学力を高める先生だ」。

 このことに別に異存はありません。というのは、やはり4つ前の記事「優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論 」で、登場していた「スーパー先生」たちは、例外なく学力を高めていたからです。

 問題は、冒頭のフレーズが、「では学校の先生は塾や予備校の先生のように、生活指導を一切せず教科の指導だけをやっていればいいのか?」という誤解を招きやすいことです。「中室本」には、そうした誤解を防ぐような記述は一切ありません。単に「そうした先生は10代の望まぬ妊娠を予防する」と書いてあるだけです。

 ほんとうは、「学力を上げる」は、「結果」にすぎなかった可能性があるのです。結果変数に至る途中経過、媒介変数のところをみないと、「学力を上げる先生」のやっていることの全体像はわからない可能性があるのです。ここでも「群盲象を撫でる」ですね。

 わたしのマネジャー教育も「10数年1位マネジャー輩出」と、やたら「業績向上」の結果が出てきてしまい鼻につくので、同じことかもしれません。ですが、「承認マネジャー」たちは、「業績を上げる」ことをそんなに強く目標として意識していないのです。というと語弊がありますが、彼(女)らは日々、「みんながいい顔で働いているか」ということに耳目をそばだて続けるのです。

 
 「教育」に関して具体的に言いますと、
 やはり上記の記事に出てきますが、「スーパー先生」たちは

1.ほめる叱るを上手く駆使して規範意識を高め、
2.ほめあいの活動などを通じて子供たちの人間関係を良くし、
3.仕事を任せてほめて自己効力感を高め、
4.小テストを課して実力を測り自己効力感を高める
5.音楽、ディベート、などの実習の中でも細かく評価し達成感を与える

ということをしていました。

 そこで学年初めなどに意識して行われていたのは、「規範維持」と「良好な人間関係」です。
 上記の記事にも出てきましたが、ある先生は学級びらきの日に
「先生はいじめは大嫌いです。皆さんがいじめをしたら、先生は体を張ってでも止めますよ」
と言われました。
 いじめをされないという安心感、次いでもう一段階上の良好な人間関係。
 「ある学校で道徳教育に取り組んだところ学力が上がった」という報道がありましたが、道徳教育も要は、人間関係を良くしいじめをなくすという意味で一緒なのです。
 「学力」に至る媒介変数としては、「規範意識の向上」「人間関係の向上」があります。

 そして、もう1つの媒介変数である「自己効力感」の取組み。「小テスト」「仕事を任せてほめる」「実習の中でも細かく評価」。ほかにも「やり抜く力」というのもあり得ますが、自己効力感の副産物と考えてもいいでしょう。

(なお、「学力が上がったことが将来の納税額の指標になる」これも、少し「カッコつき」で読みたいかな、と思います。
「学力が上がった→自己効力感が上がった→仕事でも頑張る人になった→納税額が上がった」という流れである可能性があるからです。つまり、「学力」はさらに次の「自己効力感」の媒介変数となった、という可能性。)
 

 閑話休題、あくまでわたしの感想ですが、優れた先生方は、これらの初期の「媒介変数」つまり途中経過に現れる変化のほうを、「小目標」として日々、意識しておられた気がします。上記の「承認マネジャー」たちと同様に、ですね。

 だから、「納税者をつくるのは学力かその他か」の論争には、あまり意味はないと思います。媒介変数のところを上げられる先生が、学力も上げる力量がある。媒介変数のところから学力までは、ほんのちょっとしたテクニックの問題であるような気がします。
 そして、いかに真面目な熱心な、「媒介変数の人間関係とか規範のところを良くしよう!」という意気込みに燃えた先生でも、その意欲だけでは効果が上がらないことがあります。まあそれはおおむね「承認」の問題でしょうね…。「肯定する構え」のない人だと、いくら意欲があっても空回りするはずです。

 
 「中室本」では、

1.質の高い先生とは学力を上げる先生だ
2.少人数学級制は学力を上げない

(注:2.は1つ前の記事でみたようにそのように結論づけることはできない)

というエビデンスを並べ、そこから

「学級サイズはそのままで、先生の質を高めよう」

という提言をします。

 これが、先月にも似たようなものを見ました。「入山経営学エビデンスドヤ顔本」こと『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』でみた、「ダイバーシティー」の議論における「複数のデモグラフィーを同時に多様化するダイバーシティーをしよう」という提言、この提言が「つぎはぎ」であまり意味がないのと同じです。

 この提言は以前にみたように、

「現在ダイバーシティー経営を取り入れ業績が上がっている会社がそのような状態(すなわち、3つ以上のデモグラフィーが同時に存在している状態)だから」

ということを根拠に出ています。しかし、それらの企業も初期には一歩ずつダイバーシティーの幅を広げたであろうことを考えれば、現在その企業が上手くいっていることを、これからダイバーシティーを取り入れることの根拠にはできないのです。結局身の丈に合ったやり方で一歩一歩進め、研修なども併用しながら多様な人材に慣れていくしかないのです。

 
 「中室提言」も同じです。エビデンスからこういうことが言えるからこうしよう、というのは、やはり空中分解必至、の議論です。
 1.質の高い先生とは学力を上げる先生だ のところにはそんなに問題ありませんが、
 2.の「少人数学級制」の結論が間違っているため、提言も成り立たないのです。

 すなわち、2.の学級定員のところを変えようとしない「中室提言」というのは、今40人学級で高いパフォーマンスを上げている「スーパー先生」のレベルにすべての教師がなる、ということを意味します。このことが「無理」なのは、「スーパー先生」の中に女性が極端に少ないことからもうかがわれます。

 一部に少数の「スーパー先生」がいらっしゃるにせよ、「みんながオリンピック選手になれ」と言っているようなもので、物理的に無理。そんなことはちょっと考えて常識でわからないといけません。

 「少人数学級制で学力が上がらない」というのは、1つ前の記事でみたように、「教え方や教材を工夫しないから学力が上がらない」。
 普通の先生方が発達障害の子供、スマホに気をとられている子供、LINEいじめで苦しんでいる子供、モンスターペアレント…に押し潰され疲れはてている時には、「教え方や教材を工夫しよう」と思うためにも、学級定数を減らして仕事のサイズ全体を適正化する必要があります。


 統計から言える提言、というのは、「カッコつき」で考えたほうがいいのです。わるいけど「なんちゃって提言」なのです。もともと「現場を知らない」から、中室氏らは2.の知見についての考察で「ン?おかしいな」と考えることをしなかった。そういう、「現場を知らない」がゆえの、思考の誤りがプロセスのあちこちに入りこんでいるようなものを、「個人的体験より価値がある」なんて喧伝されては、たまったものではありません。現場で格闘している先生方などのほうが、むしろ「思考の誤り」を生まない知恵をもっているものです。

1つ前の記事で見たように、統計の知見というのは、「一度に一個」のことしかわかりません。1つだけ変数を動かし、他の条件は変えないという形で行いますから。そこから生まれた知見を2-3組み合わせてできる提言というのは「つぎはぎ」になり、現場の人が知っている現実に有効そうな解の組み合わせとは違うものになってしまう可能性が多分にあるのです。



 わたし自身は、本当は元々北欧の教育がすきで、「デンマークの教育」に一時期熱中していた流れで「コーチング」に入った人間なので、「アメリカ」に依拠するのもそんなにすきではないのです。
 今はどうなのかわかりませんが、デンマークでは小学校段階は「道徳教育」「人格教育」に大きなウェートを置きます。良い人格を作り、意欲高く、他人への基本的信頼感高く育った子は、中学ぐらいからハードな勉強に耐えうるようになる。そして専門性を高め、進学していく。
わが国の「スーパー先生」たちは、結果的には40人学級の逆境の下で、デンマークに近い教育をしていたかもしれません。
 中室氏ら教育経済学者はアメリカ育ちなようなのですが、なぜ人格の共通点の少ない「アメリカ」をお手本にしないといけないんでしょうね。

 
 もうひとつ厳しいことを言いますが、上記の入山氏、中室氏とも、どうもアメリカのアカデミズムのわるいところを学んで帰ってきた人達なのではないか、と思います。
 「エビデンスであえて常識の逆張りのようなことを言ってドヤ顔」という、悪い行動パターン。
 
 「常識と違う」というのは、「現場の実感と食い違う」ということでもあります。普通の人なら、そこで
「ン?おかしいな。これは実験デザインに不備があったのかな」
あるいは、
「”統計特有の限界”を意味するのではないかな」
と考えるでしょう。
 ところが、入山氏中室氏は違います。
「どや!これが統計の凄いとこや!あんたらの『個人的体験』なんか価値のないものなんや」
ということを言う、「ネタ」に使ってしまうのです。
「統計そのものがダメなんじゃないか」という考え方は、絶対にしない。ASDの人のパターンよろしく、むきになって正当化します。
(「中室説」にはどうも、「同世代の研究者同士のごますり」も入っていそうです。ほかの研究者の導き出した結論を批判できない)

 中室氏によると、アメリカの教育政策も彼ら教育経済学者の言葉で動いているらしいのですが、恐らく、アメリカ教育経済学というのは、そういうヤクザの脅しのようなスタイルを「売り」にしてきたのではないでしょうか。中室氏などはそれの申し子なのではないでしょうか。


 中室氏自身の経歴をもうちょっと詳しく知りたい気がするのですが、あまりいい資料がありません。日本銀行に勤めていたとか世界銀行に勤めていたとかいう断片的な言葉がご本人からぽろぽろ出ます。もともと教育に興味のある人ではなかったのではないか。なぜ、それがあるとき「教育経済学」という分野に転向したのか。

 ひょっとしたら、とイヤな予感です。アメリカ帰りのスピーカー業の人によくあるんですが、何かの成功哲学にかぶれていて、「自分が世界を変える」とか「VIPになりたい」とかいう”宗教”に突き動かされていて、
「教育という分野では数字がわかると希少価値があるので、政策に関われるよ」
とききつけて、新しい分野である教育経済学を専攻したのではないか。たったそれだけのために何年もコロンビア大学で修業というのも立派といえば立派ですが、要は今のこの人のポジションは、強力な「自分マーケティング」の産物で、教育とか子供さんがたに愛情も何もないのではないか。

 で、「ASD説」のところでも書きましたが、わるいですけれどこの人の知性では本来大学の准教授とか政策提言をする立場になることはできないです。全体的な視野を欠いていますから。せいぜいシンクタンクの統計担当者ぐらいが適当です。人に迷惑を掛けないところでひっそり仕事していればよろしい。


正田佐与


シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

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優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判




 みたび、『「学力」の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

 ググってみるとわたしと似た「主張」をしている方がいらっしゃいました。

 http://garnet.cocolog-nifty.com/miya/2015/08/post-6a94.html

 
 こちらの方のほうが多くのポイントを載せていらっしゃいますし、エビデンスも豊富です。
 まあ、「中室本」っていくらでも反証を挙げられるんですね。
 これからもどんどんこういうのが出てきてほしい。

 さて、この記事の中から1つポイントを絞ってこちらでご紹介したいのは、「少人数学級制」についての話題です。

 4. 少人数制でも学力は上がらない ×
 これはAkabayashi&Nakamura(2014)という文献が根拠です.原著は6ドル払わないと読めませんが,著者による解説が
http://synodos.jp/education/12530
 で読めます.本書でも述べられていますが,研究方法の基本は,40人クラスと,転勤等による人数増で偶然20人2クラスに分かれた場合で,差を統計的に比較するというものです.教育現場の対応としては,偶然2クラスに分かれてしまっても,急に教材や授業内容を大幅に変えて少人数制用にしているとは考えられません.40人クラスのときと20人のときで,同じ教材を使って同じような授業をしたら,学力の向上がそんなに変わらない,というのは当然です.たまたま20人になったクラスと,40人になったクラスで学力差がついてしまっては,保護者から批判の的になってしまいますから,むしろ,人数差の影響がでにくくなるように努力するかもしれません.
 少人数制の方が教育効果が高いと評価されているのは,40人では使えないが,20人ならできるよりよい授業方法や教材が使えるからです.これは,PISA調査の結果を使った国際比較でも確認されています.こんなことで,少人数制はお金の無駄というような教育政策を決められたのでは教育現場はたまりません.(太字正田)


 これ、まったくその通りと思います。読者の皆様、いかがですか。

 この「赤林研究」は「自然実験」といわれるものです。実験用に作ったのではなく、自然にランダム化比較試験に近い状況ができたのを利用してデータを調査したものです。「赤林研究」が扱った「少人数学級」のシチュエーションとはどういうものだったかというと、
 例えば、ある学校の3年生が1組2組3組まであり、各40人ずついた。そこへ、夏休みに転校生が1人入ったので、3組が41人になり、3組だけを2学期から21人と20人の2クラスに分けることになった。
 こういう場合の「旧3組」である3組と4組の成績がそれまでより上がったか?というものです。

 読者の皆様、これ、上がると思いますか?
 まず、「担任交代」があります。新たにできた「20人クラス」である3組と4組のうち3組は以前の担任がスライドするかもしれないけれど、4組は「担任交代」となります。学年の途中で担任が替わるというのは、それだけで子供たちにとっては落ち着かない要因になります。1学期の状態に逆戻りです。

 加うるに、わたしが校長の立場だったら、急遽余分にできたクラスである4組の担任には、非正規の産休補助の先生か、学校内で「無任所」だった、鬱休職明けの先生、あるいは指導力がないことがわかっている先生、などを充てるでしょうね。その学校の「エース」のような優秀な先生を充てることはないと思います。

 ですので、教え方の工夫をしない、特別な教材を使わないのに加えて、むしろ成績が「下がる」方向に働く要因があり、それがせっかくの20人学級のメリットを相殺してしまった可能性があるのです。


 要するに、「中室本」の「赤林研究」のエビデンスからいえることは、

「少人数学級にしても教え方や教材の工夫がなければ学力は上がらない」

ということだけです。

「少人数学級にしても学力は上がらない」
と言ってしまうとそれは言い過ぎになり、「×」になります。拡大解釈です。
 是非、高校の時の国語の先生のところに行って小論文として採点してもらってください、中室先生。

 なんで、「政策提言」と大見得をきった人の本をこんなに全部「裏読み」しないといけないんでしょうか。
 この人を生んだアメリカのアカデミズムがそもそも間違ってるんじゃないでしょうか。
 オボカタさんもハーバード行ってましたしね。
 最近、アメリカで本を書く女性学者さんって妙に「美形」が多いですよね。スタンフォードの意志力の先生とかね。あれ、気になってたんです。

 美形だと博士号をとったり教授になりやすい、甘々の世界なんじゃないでしょうか。


 わが国でも、大竹文雄氏、竹中平蔵氏といった錚々たる学者たちがこの女性学者さんに肩入れしてらっしゃるようですが、あなたらこんな単純なミスを読み取れないで、「下半身」でもの考えてる人、決定ですね。惑わされましたね。

 それは余談ですが、

 正田は3つ前の記事(優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場をいかにして良くするかの試論)で、「少人数学級にしたうえで承認や個別面談など個に向き合うアプローチをし、先生の相互学習も推進する」という提言をしていますが、
 少人数学級にするのは、「次の一手」をするためなんです。これって、実社会ではふつうのことです。

 統計というのは、1つの変数だけを変え、ほかは一切変えないという原則がありますから、逆に統計で測れることには元々限界があるんです。統計の専門家であればあるほど、そういう限界もある、ということを誠意をもって社会に示さないといけません。


 わたしたちの社会の未来をこんないい加減な本に決められてはいけません。


 科学と目の前の現象との乖離について、1月1日の記事に書いた中国の故事、「群盲象を撫でる」についての文章を再掲します:

 そのさまを例えるなら、言葉は悪いかもしれないけれども「群盲象を撫でる」。巨大な象という生き物の部分、部分を撫でて「こうだ」と言ってしまう、たとえば鼻に触って「長い管だ」とか尻尾に触って「ひものようなものだ」とか足に触って「木の幹のようなものだ」とか言う。もちろんそのどれも、象という生き物について正解ではない。単にその作業を、学者たちが10cmぐらいの短い物差しを当てて「何cmですね」とやっているのと同じなのではないか。学者たちはそれでも、新しい論文を書けて論文数としてカウントされて、ちょっとでも新しい要素があれば、「知的に新しい」「新奇性がある」と評価されて査読を通り、学問の狭い世界ではおぼえめでたい、「認められる」ことになる。そしてわれわれ一般人にもドヤ顔で解説する。色々と学問の世界の知見を見ているとつい、そんな感想を抱きます。






正田佐与
 

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 ―シリーズ『「学力」の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―正田回答編・先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判



 物議をかもしそうなタイトルをあえてつけてしまいましたが、このブログの長い読者の方からみるとむしろ「自然」な結論ではないかと思います。

 わたしもきのうの記事(月刊人事マネジメント連載 部下の凸凹を包んで戦力化する)を入力していて気がつきました。別に悪意でもなんでもありません、「ASD」「発達障害」という言葉も別に差別語ではないですし。

 昨日の記事の中から、「ASD(自閉症スペクトラム障害)」について書いたところを抜き出しますね。

 またASDは、全人口の1〜2%(最新の報告では4%)を占めるとされ、「こだわりが強い、固定観念が強い」「他人の気持ちに想像力が働かない」「変化、変更が苦手」「ごく狭い範囲の仕事にしか関心がない」などがあります。


 中室氏を昨年一気にスターダムに上らせた著書、『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中の記述の1つ1つ、またロジックの1つ1つに、「これだけIQが高くてかつ定型発達の人だったらまずやらない」と思われるような、間違いや雑な(荒っぽい)記述があります。


1.1月1日の記事に取り上げたように、「ほめ育てはしてはいけない」と本の冒頭で言いきっているが、中身をみると論理が破綻している。結論ありきで、データは単に並べてみただけ。こういうのは「エビデンス詐欺」とでも言うレベルで、学者として信頼するに値しません。

2.「老婆の個人的体験」という言葉を統計学の西内正啓氏の引用ではあるが、何の疑いもなく言ってしまっている。「脳科学おばあちゃん」の久保田カヨ子氏のことだと思いますが。「老婆」って普通言わないでしょう、中室氏は40歳でかなり美形の方であるのは認めますが。

3.本当は、エビデンスの中にも「エピソード(のシリーズ)」は含まれるので、現場の個別の情報をないがしろにしていいわけではないのです。(Wikiの「根拠のある医療」の項参照)中室氏はそうしたことは一切言わないし、「老婆」「お母さん/母親」などという言葉で貶めるので、エピソードを語ることは恥ずかしいことだ、という思い込みを読者に作らせていなかったろうか。
(注:「一切言わない」は言い過ぎでした。この本の「補論」のところに、Wikiにもあるようなエビデンスの階層表を載せ、その中に「症例報告」というのも入っています。ただ、多分この人自身、「症例報告」の意味が分かってなかったのではないでしょうか)

このほかにも、

4.親を読者対象にした第2章は全体に記述が雑。1.にみるような、エビデンスと結論のフレーズのつながりが悪い例がほかにもみられ、「親をばかにしているのだろうか、この人は」と思う。逆に他の専門家、政策担当者を読者として想定した章はみたところ慎重かつ丁寧な筆運び。専門家筋からこの本が評価が高いのも頷ける。そうした、人としては不愉快な二面性も、権威にすがることが大好きな一部のASDの人の特徴を想起させる。


5.Amazonレビューのコメント欄に中室氏自身とみられる「カスタマー」名のコメントが頻繁に出てくるのだが、3.と同様、「目の前の子供さんなど現場の個別情報」を軽視し、「統計が出した結論通りに対処するのが正しい」とむきになって言い張っていた。上記のWikiのページにも、「エビデンスがいくらあっても目の前の個々の患者をみなければならない」ということは明記されているのだが。こういう人は学問をする資格も政策提言をする資格もないのではないだろうか。

・・・

 いかがでしょうか。
 このブログの長い読者の方はご存知と思いますが、わたしはもともと女性のことは応援したい方です。せっかく頭角を表した女性学者さんを貶めたいなどは、本来つゆほども思わない人間です。

 しかし、この中室氏の言動はいただけない。
 「ほめる否定」ひとつをとっても、それが現場と子供さん方をどれだけ不幸にするか、想像力が働いていない。

 で、わずかこれらの証拠だけをとっても、この人がASDである可能性は高いだろうと思います。コダワリが強く、固定観念が強いので、「エビデンス=統計データ、≠エピソード」というような記述をしてしまう。また自分が「ほめる」を嫌いなので、それを正当化するためにめちゃくちゃな論理構成をしてしまう。他人の気持ちが想像できない(ただデマゴーグ的な才能は割とあるようだ)。現場情報を軽視するのは、興味の範囲が狭いから。

 統計というのは、その専門の方に失礼な言い方をしてしまいますが、「数字遊び」のようなところがあります。数字が好きな方だったら、飽きずに何時間でも何日でもその世界に浸っていられる。で、ASDの傾向のある人に数学的才能のある人も多いですから、そこにのめり込むことも自然です。
 ただし、統計は価値のあるものですが、あくまで手段でしかないのです。目的ではないのです。目的は、目の前の状況に最適解を出していくことです。


 ASDだということがわるいわけではありません。ASDを含む発達障害の人が普通に就労機会が与えられるように、ということをわたしも願って、このブログで一貫して記事を書いてきました。
 しかしそれとは別に、思考能力の一部に重大な欠損をもったASDの人が、沢山の人の幸せに関わるようなポストにつくことは正しいか?という問題はあります。
 企業なら、マネジャーに昇格させることは正しいか?また中室氏のように、「政策提言」それも教育という、沢山の子供さんの幸せに関わる政策提言をする立場になることは正しいか?

―他社さんの宣伝をするようで恐縮ですが、「インバスケット研修」をすると、上記のような「思考の一部情報への固着傾向、i.e.くっつきやすくはがれにくい傾向」のある人はある程度スクリーニングできます。ただしインバスケット傾向も、「決断過多」のリーダーをつくってしまう危険性はあります。また人によっては、インバスケット研修について膨大な予習をして、高得点をとることができるようです。

彼女がもし社会に対して誠実でありたいなら、診断を受け結果を公表し、

「私はこういう障害を持っていてそのために大事なことをよく見落とすことがある。現実の子供や子育てには興味は全くない」

と、きちっと公表したほうがいいと思います。子育て経験がないことを、「エビデンスのほうが大事だから子育てする必要はない」って正当化しちゃいけません。ASDの知能の高い方は、よくむきになって自己正当化をやりますね。

また、「承認」の講師として実感を込めていいますが、ASDの人は一般に「承認/ほめる」を苦手とします。気の毒なことですが感覚過敏なので、通常よりはるかに大量の「不快感情」を持って生きているからです。
中室氏は、「私自身人をほめることが苦手です。ですからこの件について語れる資格はありません」と、正直に認めたほうがよいのです。そういう謙虚な姿勢があれば、障害を持った学者として認知されても、信頼されて仕事していくことができるでしょう。


 彼女の出世作である本をぱっと読んだだけでも(多くの人は気づかなかったようだが)上記のような見落とし、間違いがあったわけです。
 専門家・政策担当者向けの章については、わたしは正直、ささっとしか読んでいないのですが、ここにも親向けのパートのように、恣意的なエビデンスの選択、並べ方、無理のある結論の出し方、が隠れている危険性はあります。書き方みこそ比較的丁寧でしたが。だからわたしはあんまりまじめには読めませんでした。鵜呑みにするととんでもないことが起こるな、という感じでした。
 そういうのは是非、ほかの教育経済学者さんが出てきてじっくり検証していただきたいと思います。この人以外の教育経済学者さんのご意見が是非ききたいです。

 ひょっとしたら、中室氏は「教育経済学界のオボカタ嬢」のような存在なのではないですかねえ…。


正田佐与

 
シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 ―シリーズ『「学力」の経済学』批判 

http://c-c-a.blog.jp/archives/51932847.html" target="_blank" title="">「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判
「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

 引き続き体調不良ぎみです。

 このところの読書から思い切って離れて、わたしが3人の子育てを通して「学校の先生」をみてきた体験と、よのなかカフェで「教育」をテーマにしたり関連で何人かの優れた先生方にインタビューした経験にもとづいて、(はい、「老婆の個人的体験」です笑)思うところ考えるところを書いてみたいと思います。


 変に数字をみていると大事な直感のはたらきが悪くなってしまいそうです。免疫は既に害してしまいました(笑)


****

 わたしは子供たちから担任の先生の話を聴くのがすきでした。先生の力量によって、子供たちのモチベーションも学力も見事に左右されました。優れた先生に持っていただいたときの子供は、言うことがしっかりし、自律的になり、学業にも身が入ります。勉強のおもしろさに目を開かされるようです。
 また人間関係の悩みが激減しているようだ、というのも感じました。子供の話からその手の愚痴がなくなりました。
 
 後年、子供たちを持っていただいた優れた先生方にインタビューさせていただきました。2012年5月、「学級崩壊」を扱ったよのなかカフェ「子どもたちが危ない!」開催準備のためです(肩書は当時)


◆「公平」は絶対的に大事なもの。しかしむずかしいもの―神戸市青少年補導センター・井上顕先生

http://c-c-a.blog.jp/archives/51802377.html

◆子どもには仕事を任せる。一線を超えたら叱る。人を傷つけたら叱る―吉森道保先生(渦が森小学校教頭)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51803263.html


 それぞれ、大変おもしろいお話をしてくださっています。両先生とも、「ほめる」を上手く使い、「ほめる叱る」のメリハリをはっきりつける方でした。井上先生はそれに加えて小テストをこまめにされ、これも「行動理論的」に、子供たちが自分の実力を計測できるようにしていました。吉森先生はまた、「仕事を任せる」という、これも「承認」の一形態を効果的に使われ、任せた仕事をやりとげるとしっかりほめてあげる、を繰り返すことで問題のあったお子さんもどんどん能動的自律的、責任感のあるお子さんになっていきました。

 こういう、数字には表れなくても結果を出す優れた先生のされることは大体共通項があり、「ほめる」「承認」は欠かせないものです。

 その後は、フェイスブックのひょんなご縁から千葉県船橋市の小学校の先生、城ケ崎滋雄先生の実践を見学させていただきその後インタビューもさせていただきました。大変楽しい経験でした。

◆褒めること聞くこと、記録、スピード、歌声・・・城ヶ崎先生クラス訪問記 (2013年2月)

http://c-c-a.blog.jp/archives/51846161.html

(城ケ崎先生―正田の対談はこちらから。全13回シリーズの、ちょっとオタクな会話です)
◆城ヶ崎×正田対談(1)メンバーの個性をどうつかむか

http://c-c-a.blog.jp/archives/51853434.html 

 
 こうして、あくまで「エピソード」として積み上げたものではありますが、優秀な先生の行動様式にはかならず共通項があります(エピソードのシリーズも「エビデンス」の1つです。"中室エビデンスおばあちゃん本"を読むと、うっかり「統計のデータでないとエビデンスと言わないのか?と錯覚してしまいそうですが…)。
 …そういう、ちょっと現場のことをかじった程度のわたしが知っていることを、「ほめ育てはしてはいけない」「教育経済学」の某女性学者さんはなぜご存知ないのでしょうね…このままではとんでもない悲劇が起こりますね、もし彼女の言う通りに現場が動いてしまったら…

 
 ただし。
 あくまでわたしの「感触」のようなものですが、井上先生や吉森先生や城ケ崎先生のような「スーパー先生」は、出てもせいぜい10人に1人ぐらいです。
 残念ながら一般企業にも、「マネジャーになる人、そうでない人」というのがいらっしゃると思います。それと同じぐらいの確率だといえばいいのか…。
 個体としての「強さ」が違うんです。やっぱり頑健な方、となりますね。城ケ崎先生は陸上の先生で、武術家で、毎日プールで泳いでいらっしゃいました。かつ、強い軸をもち、正義感、責任感、人に向かっていく強さ、それに教えるスキル、コミュニケーションスキル、など総合して優れた方。男性が多いのは、恐らく家事育児を負担していると時間的体力的に難しい仕事だからでしょうか、残念なことに。

 で、そのラインまで届かない人はどうなるか。今の35人とか40人学級のもとでは、下手にまじめだと壊れて脱落していくか、生き残ろうと思えば、やや「半身」で仕事をするか、に分かれることになると思います。スーパー先生とそれ以外の先生の差がどんどん開いていきます。

 その状況をどうしたらいいのか。
 ここからはあくまで試論です。

 わたしは、多めにみてもざくっと「10人に1人」ぐらいしか出現しない一部の「スーパー先生」にみんながなることを期待するのではなく、もう少し普通の体力、資質の先生でも(だって一般企業のサラリーマンだってそうなんですから)勤まるような仕事にしていく必要があると思います。
 そこでまた「学級定員は」という話になりますが、このところの記事で繰り返し出るように、「スマホ(LINE)の登場」「発達障害の急増」という要素が、子供〜若者の世界を激変させています。かつてなく彼らと心を通じ合わせることがむずかしくなっています。
 それに対して、「承認/ほめる」「個人面談」「思い切った少人数ゼミ/部署」といったやり方が、大学〜社会人の世界では功を奏しているわけで、それらの組み合わせで初めてこの難しい時代のフィルターを飛び越えて若い人のこころと接続できるのです。そんなことは、もちろんエビデンスも必要ですが、エビデンスが間に合わなくても早急に考慮すべきでしょう。

 そのうえで、「スーパー先生」から周囲の先生が学べるようにする。こまめに経験交流をする。学習する組織にする。ここでマネジメントの人の役割は大事です。
 過去によのなかカフェで出たように
◆マニュアル思考×同僚に教え同僚から学ぶ気風―よのなかカフェ「子どもたちが危ない!」開催しました (2012年5月)
http://c-c-a.blog.jp/archives/51804206.html  
 先生方の世界の「学び合わない」気風は深刻なのです。このとき出席されたスーパー先生の1人、「学級崩壊お助けマン」の間森誉司先生は、「若い先生がぼくから学ぼうとしない」とぼやいていました。上の城ケ崎先生も、「若い先生はぼくの授業を見ても、ほんの表面しか見てないんですよね」と嘆いていました。

 「先生の質の向上」を語るにあたって、「教職大学院」が話題になりますが、わたしは大学院の2年間が優れた先生をつくるとは思えません。仕事の実務の中でつねに現実から学び、内省し、また外にも目を向けて情報を集め…、その繰り返しが優れた働き手をつくります。それはどの仕事でもそうだろうと思います。
上記の、井上先生吉森先生城ヶ崎先生間森先生とも、大学院で学んだわけではありません。吉森先生は、「先生はいじめは許しません。体を張ってでも止めますよ」と言われるほど、いじめについて毅然とした態度をとった方でしたが、それは「最初からそうだったわけではなく仕事上の経験、人生経験を通じてそういうスタイルになった」ということをおっしゃいました。そうした「経験知」を質量ともによりよく蓄積していくためには、対話を通じて言語化し、内省し、また同僚と経験交流することが大きな役割を果たすのです。

 だから、「経験交流」をファシリテートする役割を、マネジメントは果たしていただきたい。以前「マネジャーズ・カフェ」といってミンツバーグの「リフレクション・ラウンドテーブル」に「承認」を組み合わせたようなものをやったことがあります。週1回45分程度、マネジャー同士が対話を通じて経験交流をするもの。先生同士でも有効だろうと思います。またもちろん授業の相互見学もどんどんしていただきたい。
 そして「現実を直視し、内省する」そういう人材をつくるためにマネジメントがどうアプローチするのが正しいのか?
 「学ばない気風」を改めるため、自我のバリアを外して周囲を信頼し、周囲から素直に学ぶ人材をつくるためにマネジメントはどうアプローチするべきか?
 このブログを続けてみられている方は、もうおわかりですね。

 まとめると、
1.学級定員を妥当なところまで減らす
(目的は、「普通の先生」でも努力すれば「スーパー先生」に近いことができるような環境を作る)
2.承認、個別面談など個々のお子さんに向き合うアプローチをする
3.教員同士の経験交流を促す対話、見学などをする

 ”中室説”では、2.とか3.を全然やらなかったので、せっかく1.をやっても「宝の持ち腐れ」だった可能性があるんですね。
 (この内容を支持するブログ記事を3つ後の記事でご紹介しています)



 このほかに『「学力」の経済学』にもちらっと出ていたような、「有資格者でない先生も任用する」というのも組み合わせてもいいと思いますが。

 
 あんまりまとまっていませんが、気分がふさぐので少しでも「前向き」なことを書きたかったものですから。


追記:

 上記の話とどう組み合わせていいかわからなかったのであとで追加することになってしまいましたが、ドイツのように、中学生ごろから「職業訓練校」の選択肢をつくる、ということも考慮されたらよいのではと思います。
 「労働」は人に誇りを与えます。学業に身が入らないお子さんも、中学高校大学まで我慢してお勉強の学校に通うより、仕事の実習プログラムを多く含む学校に早くから行ったほうが、そこで自分の誇りの源泉を見つけられるかもしれません。
 また「個人的経験」ですが、わたしの3人の子のうち2人は高校で普通科に行きませんでした。それぞれ、「美術科」「国際経済科」に行きました。(あとの方は残念ながら普通科に統合されて、今はありません)
 美術科に行った子は、「あたし、プロの芸術家になるほど才能はないのはわかってるの。でも今は、思い切り美術をしたいの。大学は普通の大学に行くかもしれない」と入学時に言い、実際にそうなりました。ある年齢のとき専門性のあることに打ち込みたい、そういう選択の仕方もあるのか、と思いました。
 国際経済科は、これも地域で特殊な立ち位置の学科でしたが、簿記やタイピング、英検など細かい実技の検定を受検させ、自信をつけさせます。3年までに全商と日商両方で簿記一級をとる子もいました。企業見学にも行きます。社会人の面白い取り組みの人、経営者さんなどを呼んで話をしてもらいます。熱心な先生方のもとで、入学時には成績「中」ぐらいだった子供たちが卒業時には有名大学に受かっていきます。「仕事の現場」をつねにイメージさせながら教育を施すことが、子供たちのモチベーションを刺激します。
 子供たちは、案外「仕事」がすきなのではないかと思います。昔の日本人が丁稚奉公で、小学生年齢から奉公に上がり仕事の中で勉強をさせてもらったというのも、わるくなかったのではないかと思います。
 
 
正田佐与

※この記事はその後、シリーズ化しました。『「学力」の経済学』のはらむ問題点、欺瞞、もたらす恐ろしい未来を多角的に丁寧に、だれにでもわかるようにご説明し、「正しい処方箋」を提示しています。
シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判


『学力の経済学』(中室牧子、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2015年6月)。

 昨年の出版当時から違和感を禁じえなかった本でしたが当時はわたしがパワー不足で記事化するに至りませんでした。新年早々「批判記事」になってしまいましたがお許しください。


 またもや「ほめてはいけない」論。しかし、よくみるとこの人自身の論理が完全に破たんしています。近年こういう雑で不正確な議論が多いのだが、慶大准教授とかコロンビア大学大学院とかご立派な肩書をつけているにもかかわらず、「高校の小論文からやり直してきてください」というレベル。女性の悪口はあまり言いたくないのだが、「くれぐれもこの人の肩書にダマされないように」と声を大にして言いたい。その論理の部分はこの記事の後半でじっくりご紹介しますので、この人が正しいかわたしが正しいか、お時間のある方は見比べてくださいね。

 ごめん、あたしヒューリスティックとかの認知科学のエビデンス満載の本を読み慣れてるんで、いかにエビデンス満載でも論理がおかしいものはすぐ気がつくんですよ。

 「教育にエビデンスを」。
 この主張自体は、企業研修に統計調査を併用することをお願いしているわたしも賛成です。ただ、暮れの広井良典教授との対話にあったように、また経営学でもみたように、エビデンスをとったらとったで、EQの低い人々は極めて部分的な知見についてエビデンスをとって振りかざす傾向があります。下手にそれをきいて現場の意志決定に反映させるととんでもなく間違ってしまうことがあるので要注意です。
 
 そのさまを例えるなら、言葉は悪いかもしれないけれども「群盲象を撫でる」。巨大な象という生き物の部分、部分を撫でて「こうだ」と言ってしまう、たとえば鼻に触って「長い管だ」とか尻尾に触って「ひものようなものだ」とか足に触って「木の幹のようなものだ」とか言う。もちろんそのどれも、象という生き物について正解ではない。単にその作業を、学者たちが10cmぐらいの短い物差しを当てて「何cmですね」とやっているのと同じなのではないか。学者たちはそれでも、新しい論文を書けて論文数としてカウントされて、ちょっとでも新しい要素があれば、「知的に新しい」「新奇性がある」と評価されて査読を通り、学問の狭い世界ではおぼえめでたい、「認められる」ことになる。そしてわれわれ一般人にもドヤ顔で解説する。色々と学問の世界の知見を見ているとつい、そんな感想を抱きます。

 「舌鋒鋭い人」のことをわたしも言えなくなってきましたが。

 で、中室氏は慶応大学准教授、教育経済学者。このところ「教育にエビデンスを」という話題になると必ず引き合いに出されます。コロンビア大学で博士号を取り、沢山のエビデンスを引用しながら語る方ですが、でもこの方の“主張”にもわたしは「ン?」となってしまうのは、例えば教員定数削減が是か非かという議論のときに、「教員定数を増やす(=少人数学級制にする)ことの目的は学力を上げることですよね」と、なんの疑いもなく言ってしまうところです。

 えっと、そうじゃないでしょ。とわたしなどは思います。学力も上げたいが、それ以外のところのメリットを大いにみないといけないでしょ。まず、「学力」については遅咲きの子がいるので、小学校ぐらいの段階では先生の働きかけによって伸びる子伸びない子がいること。

 そして大きいのはメンタル面です。いじめによって失われるコストがどれほど大きいか。いじめ被害によって受けたダメージはトラウマになり、その人の生涯にわたってメンタルヘルス、対人信頼感に影響を与え続ける、という研究があります。今、LINEの登場で容易にいじめ・いじめられ関係が生まれるんですが、そちらには中室氏は恐らく全然関心がないようです。だから、「研究によってこういうことが証明されています」といくら学者さんが言っても、単にあなたがほかのことに関心がなかっただけでしょ、という見方もできるのです。意欲の喪失、人に対する信頼感の喪失。こういうことを「コスト」と認識できないのだろうか。小さい時の学力がどうより、そちらのほうが、大人になって「よい企業戦士」になれるか、「納税者」になれるか、ということに関わってきます。

 大体、わたしが企業研修をさせていただくときお客様にお願いする1クラスの人数というのはここでは言えないような超・少人数です。40人とか35人なんてあり得ません。そのへんだと、5人ぐらい減らしても一緒。経験的に閾値があって、「この人数設定にしないといい学習効果を生まない」ということが、年の功でわかってきましたので確信をもってお願いしています。そこは厳密にエビデンスをとっているのではないが、「技術屋の勘」ですね。また、1人のマネジャーが部下をちゃんと育成指導も含めてみれるのは7人ぐらいが限界、このあたりは心あるマネジメントの人とは共通認識です。

 それからすると、今の40人とか35人学級でやっている先生方はお気の毒としか言えません。壊れていくのも当たり前です。 


 まあ、『学力の経済学』に戻ります。この本には
「子どもはほめ育てしては『いけない』」という項があります。わたしはここに非常に引っかかりをもちました。引用している知見には特に問題はありません。問題は中室氏の「書き方」のほうなのです。

 ここでは、

「子どもはほめて育てるべきなのか」
 これも、私が友人からよく受ける相談です。

という書き出しで始まります。中室氏はここからほめ育てを推奨している育児書を読んでみると、
「ほめて育てると自尊心が高まる」
という意味のことが書いてあり、ここから、
ほめる⇒自尊心が高まる⇒学習意欲が高まる
は成立するか?という中室氏の問いになります。ところが、過去の研究から導かれた知見は:
 自尊心が高まれば、子どもたちを社会的なリスクから遠ざけることができるという有力な科学的根拠はほとんど示されなかった。
 学力が高いという「原因」が、自尊心が高いという「結果」をもたらしているのだと結論づけたのです。
 このあたりは太字表示され、世の常識を破ったことに、中室氏のドヤ顔が伺われます。
 
 えー。ぽりぽり。
 ここまでの記述、受講生及び『行動承認』読者の皆様はいかがですか。
 よそさんのことは知りませんが、少なくともあたしの「承認研修」では、
ほめる⇒自尊心が高まる⇒学習意欲が高まる
という論理構築はしておりません。しているのは、
良い行動を(行動理論的に直後に)ほめる/承認する⇒その行動を繰り返す、自律的になる⇒仕事ができる人になる
という論理構築です。で、やっていただくと大体この通りになります。

 というわけで「中室説」に浮足立ちませんように。やっている論理構築が違いますから、中室氏の指摘はうちには当てはまりません。もともと正田は「ナルシシズム」に対して警戒感が強いのでー、「自尊心が高まる」は中室氏の言うように、仕事ができる人になったから結果としてそうなったと思います。行動したか、しなかったか、その行動が正しかったか。そういう現実に揉まれる中で身の丈にあった自尊心を持てばよいのです。
 
 次に、中室氏が紹介したのは、「あなたはやればできるのよ」という「ほめ言葉」を伝えて自尊心を高めた学生がテストの成績が良くなったかどうか、という研究。結果としては良くなりませんでした。

 これも、まず「やればできる」というのを「ほめ言葉」と言えるのか、というのがあります。何の根拠もないですやん。単なる期待というか妄想というか、ですやん。近頃は「YDK(やればできる子)」という言葉まであるそうですが、これって上げているようで落としてますよね。「行動承認」的にはもちろん、あり得ません。

 それを言われて、学生の側が自尊心が本当に高まったのかどうか、もクエスチョンです。
まあ、高まったかどうかは「うち」的にはどうでもよろしいのですが。
 
 このあとは本書では、「能力をほめる」のと「努力をほめる」のとどちらがいいか?という研究を紹介します。はい、これは以前別の本の読書日記で出てきましたね。言い古されてますが、あとの方です。ここでも「行動承認」をやってくだされば、問題はありません。

 …で。
 最初の、中室氏が友人から受けるという質問。
「子どもはほめて育てるべきなのか」
 これへの応答として、中室氏は本書で言っているのは
(1) 自尊心を高めても成績は良くならない
(2) 能力をほめるのは×、努力をほめるのは〇
です。この答え方、どう思いますか?

 「努力をほめるのは〇だよ」
 常識的で親切なあなただったら、お友達にそう答えるんじゃないですか?

 わたしなら、
「ほめるというと中にはダメなほめ方があるのでお勧めできないが、わたしどもで『行動承認』と呼んでいるやり方なら問題が起きず、いい結果になります。むしろこちらはやらないと損なぐらいです。是非おやりになってください」
と答えるでしょうね。
 子供でも親でもそこは一緒なんです。「〇×をしてはダメ」という「禁止」のメッセージばかり与えられると、何をしていいかわからなくなり萎縮して何もしなくなってしまうんです。
「〇〇をやってください」
と、「肯定語」ではっきりしたメッセージを伝えてあげることが大事。

 学問的に正しくあろうと、ああでもないこうでもないと言いたくなる気持ちはわかりますが、いやしくも教育にたずさわる立場の人なら、相手が子供であれ親であれ、混乱させないようなメッセージを伝えてあげてください。中室先生、あなたの生徒さん、成績大丈夫ですか。あたしは正直言って、中室先生に指導教官になっていただきたくありません。

 正田が「行動承認」という限定的な言葉を使っているのは、忙しい受講生様方に無用の混乱を招かないように、という配慮で言っています。わたしの生徒さんがどんどん「1位」になる理由、おわかりいただけますかしら。

 どうも、先日の「アドラー心理学」の件以来思っているんですけど、多少本を読むようなお利口さんの方々というのは、「…してはいけない」というメッセージに弱いのではないかという印象があります。上から、「ガッ」と言われると嬉しくなってしまう、「ああ、偉い人に言ってもらえた」と思って。「M」ですね。お利口さん層を嬉しがらせるフレーズなのではないかと思います、「…してはいけない」というのは。(ストレングスファインダーでいうと何の持ち主かなー、というのは大体想像つくんですが)

 そういうおバカな人はほっておいて、わたしの研修を受ける本当にこころが賢い人は、素直に「〇〇してください」というメッセージを受け取っていただけることと思います。仕事上の指示って大体そういうものでしょ?

 そして上記のように「ほめる」に関して「是々非々」の知見が出ているにもかかわらず、中室氏は「ほめ育てはしてはいけない」と逆張りっぽく、本書の冒頭で言い切ってしまっています。ミスリーディングですね。そこの部分だけ読んで早とちりして「そうなんだ、いけないんだ」と思っちゃう人が、先生にも親御さんにも出てくる可能性があるのでイヤーな気分になります。親に褒めてもらえない子供さんが増える。そういう自分の言ったことの結果について想像力が働いていないのではないか、この人は。先日の経営学のエビデンス坊や、入山章栄氏と一緒ですね。

 少し丁寧に中室氏の論法をたどってきましたが、ここは誰の目にも明らかに論理の飛躍があります。わたしの想像では、ここは中室氏自身のバイアスが入っています。おそらくこの女性学者さんは、「ほめて育てる」ことをご自身が苦手とされてるんです。学者さんにそういう人格の人は実は多いですね。それをなんとか正当化したいので、自分の都合のいい知見を並べ飛躍のあるロジックを展開してしまっています。

 本当は、上に「是々非々」と書きましたけれど、行動理論的に正しい褒め方をして成果が上がったエビデンスなんて、心理学の方には山のようにあるはずですよ。わたしの恩師の一人、武田建氏なんかはアメフトの行動理論で全国7連覇しちゃってますからね。こういう常識的なエビデンスのほうをもっと見た方がいいです。彼女の選び出したエビデンスがそもそも偏っていると思います。本当は、(行動理論的な)「ほめる」と「ほめない」は、1970年代ぐらいからとっくに決着のついている問題なんです。中室氏の個人的な負け惜しみに耳を貸しちゃいけません。

 要は、この人は「エビデンスだけは使っているが、考察部分と結論は×」なんです。ぜひ、高校の小論文をみる教諭になったつもりでこの人の文章を読んでみてください。たぶんほかにも色々な部分で「眉唾」だろうと思います。エリートコースを歩んできて世の中をなめてるんじゃないでしょうか。



 中室氏は本書のあとのほうでは、教員の「質」の問題を言っていますが、そこで「研修」は無効、ということも言っています。それでまた、「研修屋」としては、「ちょっと待ってよ」と思います。

 というのは、教委などで企画する「教員研修」って、やっぱり50人とか100人単位の「マス」の研修が多いんです。大教室での「マス」の講義が、どれほど学び手に「自分なんか、いてもいなくても同じだ」という「承認欠如」の気分を味わわせるか、というのは2つ前の記事(「わざの教育、自我の確立と自我からの解放―『スピリチュアリティと教育』をよむ」)に出てきました。大学生でそうなのですから大人でももっとそうだと思います。

 そういう、研修事務局に「研修とはこういうもの、だって過去もこうだったんだから」という思い込みがある限り、「研修は無効」という結果になり続けるでしょう。ごめん、わたしからみるとそんなのは周回遅れですね。わたしは正しい効果発現メカニズムを早くから特定した人なので、それをどうやってより強力に効果発現させるか、というところにも早くから心砕いた人なんです。過去に自治体研修などでも「50人100人のマスで、かつ1日研修でコーチングの承認傾聴質問叱責の4つをやってください」というご依頼をいただいてお断りしちゃいました。

 というわけで中室氏も先日の入山章栄氏と同じく、「エビデンスをふりかざしてドヤ顔」の人です。今からはこういう人が増えるのでそれに向けたニックネーム考えないといけないですね。(可愛く「エビちゃん」かな)わたし的には「部分的には正しく、部分的には間違い」の人です。「ほかのことはともかくこの主張に関しては現場の実感に照らして間違ってる」と思ったらシカトしていいと思います。ただ政策に関わる人たちは、エビデンスを無視するわけにもいかないんでしょうけどね。

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 新年早々、批判記事におつきあいくださり、読者の皆様ありがとうございます。そしてごめんなさい、お目汚しで。
 たぶんこの次も批判記事になるでしょう、というのは年末にまた、「逆張り」を狙ったらしいおバカな本が出たからです。

 今年も延々とこんなことばかりして暮らすのかなあ〜。それぐらいよくいえば百家争鳴ソフィズム全開の時代なんです。「批判屋」っていうのが商売として成り立たないかなー。。

 たぶんやればやるほど、
「行動承認最強」
を確認することになるんですけどね。


正田佐与

シリーズ・『「学力」の経済学』批判

エビデンスに惑わされず、論理の飛躍をじっくり味わいたい、「ほめてはいけない」論―シリーズ『学力の経済学』批判

優れた先生方との交流の思い出と、正田流・教育現場いかにすれば良くなるのかの試論

中室牧子氏(教育経済学者)は、恐らくASDだと思うこれだけの理由。 シリーズ『学力の経済学』批判  

「少人数学級は学力を上げない」はウソ!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

「学力を上げる」先生方はどこを見ているか―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(1)―”中室提言”をよく見ると―シリーズ『「学力」の経済学』批判

本当は恐ろしい、『「学力」の経済学』がもたらす未来(2)―先生方は「経済人」ではない!―シリーズ『「学力」の経済学』批判

 久々に「批判記事」でございます。

 このブログの少し長い読者のかたは、「正田の批判ずき」にもうだいぶ慣れてくださったかと思いますが、中には「たたかう正田は苦手」というかたもいらっしゃるようです。このところのエントリが「愛」づいていて「愛の化身」みたいに振る舞っていたのに(爆)ゴメンナサイ!!そういう方は、この記事はスルーなさってくださいね。

 2015年現時点でいまだに非常に影響力があるとみられる、『嫌われる勇気』の著者、「アドラー心理学」の岸見一郎氏について。
 影響力がどういうところにあるかというと、これからご紹介する講演記事によれば、産業カウンセラーさんらしき人多数が出席されていたということです。

 さあ、産業カウンセラーさんがこういう講演の内容を鵜呑みにしたら、どういうことが起こるんだろうか…。

 講演会に参加された、記事の筆者の田中淳子氏(グローバルナレッジネットワーク株式会社 人材教育コンサルタント&産業カウンセラー)のこころよいご了解に感謝し、引用させていただきます。


(1)『嫌われる勇気』(アドラー心理学)著者・岸見一郎氏の講演会に行ってきた!(2015年11月28日(土))<レポート前編>
http://blogs.itmedia.co.jp/tanakalajunko/2015/12/20151128.html

(2)『嫌われる勇気』(アドラー心理学)著者・岸見一郎氏の講演会に行ってきた!(2015年11月28日(土))<レポート後編>
http://blogs.itmedia.co.jp/tanakalajunko/2015/12/20151128_1.html 

 
 この中にはもちろん一般的で正しいと思える部分も大いにあるのですが、記事を短くしたい都合上、批判点だけを抽出させていただくことになります。全体像をお知りになりたい方は、どうぞ上記の記事のほうをご参照されてください。

 まずは、(1)の記事から。(今回は、正田の批判を青字にさせていただきます)

■「子どもに"反抗期"はないん。反抗させる大人がいるだけ。反抗したくなるような言動をする大人がいるだけ、とアドラー心理学は言っています」

 これ、大真面目に言ってるんでしょうか。産業カウンセラーさんで「おかしい」と思った人はいなかったんでしょうか。
 反抗期はあります。思春期の反抗期では、男女とも性ホルモン値が上昇し、攻撃的になります。大人にやたらとつっかかるのはそのせいです。非行・犯罪リスクも増します。男の子では、テストステロン値はそれまでの14倍にも上昇します。そういう生理学的な知識が少しでもあれば、このフレーズは「間違い」あるいは「冗談」だと思えるはずです。しかし大真面目な言葉として発せられ、聴衆も大真面目に受け取っている感じなんです。



■「叱る、とは、対人関係において、相手を"下"だと思っているからできる行為である。対等だ、同じ価値を持った人だと思って接すればいいだけである。褒めるのでも叱るのでもなく、言葉で説明する。話し合えば1歳の子どもでもわかるものだ」
「叱られた子どもは、大人の顔色を見るようになる。自分で判断するのではなく、叱られないならやる、という風になっていく。」

 これも困ったものですねえ。こういう言辞を鵜呑みにする人が、今度は叱れなくて困るんです。子供さん相手の場合、褒めることも叱ることも必要です。子供は褒められたり叱られたりすることによってその社会の規範を学び、いわば文化を身につけていきます。叱られることなしに自分で頭打ちを経験できるかというと、その状況になっても頭打ちを自覚できないことが多いでしょう。
 例えばの話、自分より弱い子を殴って泣かせた、あるいはひどい言葉で罵って泣かせたとします。相手が反撃する力がない時、どうやって「自分は悪いことをした」と知ることができるでしょう?その場合、身近な大人が本気で叱って、「自分は決定的に悪いことをしたんだ」とわからせなければなりません。
 そうすることが、岸見氏の言うように「顔色を見る」「叱られないならやる」子供を作ってしまうか?
 わたしが3人の子供をみてきた経験では、3人のうち1人は確かにそうなりやすい資質をもった子供だった。それは、彼の担任の先生も同意見でした。「彼は賢いから、こちらの顔色を見ますね」と。その子に関しては残念ながら叱る回数が多くなった。どのみち、叱らなくてはそれぞれの問題行動にストップをかけられませんでしたし、わたしの尊敬するベテラン先生もそこを見切って叱っていました。
 残る2人は、回数としては数少ない「叱られ体験」が自分の規範として残るタイプの子たちでした。いわば、そういう子では、「叱られ体験」がのちのちの自律の材料になっていったのです。要は、子供の資質による、ということです。
  ここは現場の先生方におききしたいところですが、上記のような、「叱っても顔色をうかがって性懲りもなく同じことをやる子」と、「叱られたことで学習して同じことをしなくなる子、自律できるようになる子」とどちらが比率として多いんでしょうか。岸見氏の言い分だと子供は前者の子ばかりだ、というようにきこえますね。

 なお、「褒める」という言葉を使うと、どうしても「君は賢い子だね」という、NG褒め言葉もOK、というニュアンスになってしまうので、それを避けるため、正田は「承認」と言っています。ところが「褒めてはダメ」と言ってしまうと、今度は「君はよく頑張ったね」という望ましい言い方までNG、ということになってしまうので、それはダメでしょう、ということです。




■「では、褒めるのはどうか?褒めるのも対等と思っていたらやらないですよね。褒める行為は、能力のある人が能力のない人に下す評価である。 褒められて喜ぶのは、自分の能力がないと思っている人なのかもしれない」「褒めて欲しいから行動する、というような振る舞いになっていく」

 褒めることの否定。
 確かに、対等な立場での「承認」を重んじる当方の流儀では、「褒める」にたいする評価はやや低くなります。しかし、肯定的評価はだれでも嬉しいものです。それを伝えそこなうよりは、伝えたほうがよっぽどよい。
 いわば、誰かが良いことをしたとき、どう反応してあげるか。
  承認 > 褒める > 何も言わない
という図式が成り立つと思えばいいです。とっさにそんなに選べるわけではないので、言うことに迷ったら、「えらいね」でもいいんです、別に。相手が子供さんなのでしたら。
 「承認」という言葉が何を指すか。これは相手に肯定的なメッセージを送る、意外と幅の大きいパッケージなので、そこには存在承認、行動承認のほか、岸見氏が推奨する「感謝」もその1つに含んでしまっています。褒めるも含んでいまして、別に排除するわけではありません(ちょっと評価は低いですけど)。宣伝になりますが拙著『行動承認』で、受講生様にお配りしている「承認の種類」の表を掲載していますので、よろしければご覧くださいね。


「褒められて喜ぶのは、自分の能力がないと思っている人なのかもしれない」
 語尾を「しれない」で逃げていますけれど、これは褒められて喜ぶ性格のPromotingやFacilitatingの人に対して失礼なんじゃないですか?よくある、「偉い先生は自分のことを研究することが好き」というやつで、岸見先生はご自分が「ツンデレ」なだけじゃないですか?(いや、本当はわたしもそうなんですけど;;)


「褒めて欲しいから行動する、というような振舞いになっていく」
 これも古くから言われてきた「都市伝説」のようなことです。あちこちの立ち回り先でききました。実際にそうなるかどうか、やってみればいいこと。往々にしてやっていない人がこういうことを言うことが多いです。
 正田流では「褒める」でなく「承認」あるいは「行動承認」と言っていますが、それをきちんとやってあげると、ほとんどの子供はより自律的になり、言われなくても良いことをするようになります。それは大人が見ていないときでも、です。例外的に、上の「叱る」の例でみたように、大人の顔色を窺いみていないところでは良いことをしない、というタイプの子が確かにいます。しかし大勢はそうではないのです。というのは、過去に「承認研修」を受講されたマネジャーたちの自宅での子育てについての聞き取りをした結果、そうです。


(2)の記事について。ここでは、講演後の質疑が記録されています。詳細な記録に、田中さん、改めて感謝です。

■(祖父母だが4歳の孫をつい褒めてしまう、という質問に対して)
A1:お孫さんと同居ですか。それはそれは。「孫」「小さい子」と思うと、つい褒めてしまうのですが、「大切な友だち」と思ったらどう言いますかね。そう考えてみてはどうでしょう?何かをしたとき、大切な友だちだったら、「いい子だね」「よくできたね」なんて言わないですよね。たぶん、「ありがとう」と言うんじゃないかと思います。

 4歳のお孫さんは、おじいちゃんおばあちゃんから、「いい子だね」「よくできたね」って言われて嬉しいと思いますよ(なんと、「よくできたね」もダメ扱いなんですか!?)。このブログで11月9日のエントリ(ケア労働、ジェンダー…市民社会の新しい主要モチーフ―社会思想史学会聴講記) にあるように、「私たちは依存関係がデフォルト」なんです。今、ケア社会が現実に目の前にあるとき、それを前提としないと人類はやってられないところに来ているんです。私たちは周囲にどうしようもなく依存していた乳幼児時代を経て、学齢期〜青年期に長い時間をかけて自律を獲得し、そして高齢者になってまた依存的な存在に戻っていくんです。人は生まれながらに自律的だなどと考えるのは、自分が依存的だった時代を忘れてしまった傲慢な人だけですよ。
 少なくとも4歳であれば、おじいちゃんおばあちゃんから言ってもらう「いい子だね」「よくできたね」を栄養にし、材料にして、社会で生きていく規範を獲得していきます。そういう時代はまだまだ続くと思っていいです。大事な栄養を上げてるんですよ。

 
■(職場で相談業務をしているが承認欲求っていけないものなのですか?という問いに)
A2:職場では、上司の顔色をうかがう、誰かの評価を気にしなければ、出世できない、などいろいろあるでしょうけれど、でも、なんでも「その通りです」というものでもないですよね。誰かが言っていることが間違っていると思ったら、「それは違うのではないか」と言う勇気も持たなければならない。
つい「誰がそれを言っているか」を考えてしまいますが、一度でいいから、「誰が言っているか」ではなく、「何がそこで言われているか」に注目してみるといいのです。

 この岸見一郎先生にとっては、「承認欲求」というのは、「顔色をうかがう」とか「なんでもその通りです」というのとイコールなわけですね。変なところと等号で結ばれていますなあ。よく「チャンクが大きい」「小さい」という言い方をこのブログでしますが、概念と概念の位置関係とか「含む、含まれる」の関係を正しく捉えていません。
 「承認」と「承認欲求」の関係は、「栄養」と「食欲」の関係とイコール、と思えばいいのです。身体にとって栄養が必須のものであり、それを取り込んで生存するために食欲があるように、人のこころにとって承認は必須のもので、それを取り込むために承認欲求があるんです。承認欲求があるから、人は少しでも良い仕事をしようと頑張ります。よく「内発」「外発」なんて混乱させるような言い方をしますが、お客様に喜ばれるのも上司に喜ばれるのも、働き手にとっては同じ「承認」なんです。産業カウンセラーさんに「承認欲求はいけない」なんて、間違ったことを教えちゃいけません。
 また、「違うことを『違う』という勇気」も、「承認」によって生まれるんです。わたしは、「承認」がある程度浸透した職場では、今度は「反論しよう」という課題を課します。少々反論したからって相手との人間関係が壊れるわけではない、人格批判をしたことにはならない、という信頼があれば、そこで初めて「反論」ができるようになります。迂遠なようですが、実際に「違うことは違うと言える人」をつくるには、談論風発な職場をつくるには、それが一番現実的な道筋なんです。

 
 「誰が言っているか」ではなく、「何がそこで言われているか」。
 この言葉は、そっくり岸見先生の言葉に当てはまりますね。偉い岸見先生の言うことが正しいわけではない、ということです。むしろ批判的に吟味したほうがいい、ということです。



■アドラーはこうも言っています。
「患者を無責任と依存の地位に置いてはいけない」と。
「無責任」にするというのは、「あなたの症状、病気は、あなたのせいではないよ」と言ってしまうことです。
一方でカウンセラーや友人が「依存」されたら、力になってあげることができません。課題を抱えた自分自身の力でよくなっていかないといけないのです。

 うーん。
 部分的に同意したい部分もないではないが、基本的にそれ、ダメでしょ。
 「責任」の問題。メンタルを病んだ人に、多少そうなりやすい器質的な問題があるかもしれないが、状況的に本人にどうしようもないことがある。職場の上司部下関係では、部下側に出来ることは少ないです。むしろ大うつ病になる人なんかはまじめで責任感が強い人が多いので、「本人の責任問題」なんかを問い詰めたらかえって打ちのめすことになります。そういうのは、アドラーがどう言おうとシカトしていいんじゃないかと思います。
 どうも、色々アドラーの言葉を引用してるのをきいてると、アドラーって今の時代の精神疾患分類とか発達障害のような個体差の問題まで知らないし考えないで言ってる人なんじゃないの?と思います。はい、無視していいです。
 そして「依存」の問題は、1つ前の項目で言っています。私たちはデフォルトで依存しているんです。壮年期の人でも、こころを病めば、すぐ「依存状態」に逆戻りします。友人関係だと背負いきれないからほどほどにお付き合いするのは「あり」だと思いますが、わたしは家族に鬱患者がいましたから、鬱の勢いが強いときは思い切り「依存」させてあげてました。その時期はそうすることが栄養になるからです。その代り、治ってきた段階でわがままが出たら叱り飛ばしてました。
 カウンセラーさんの場合は、約束の日時を守るとかセッション時間の制限を守るという部分での「依存を防ぐ」は必要だと思いますが、セッション内では状況に応じて甘えさせてあげていいと思います。泣きたいクライエントには泣かせてあげる、ぐらいでいいんです。このあとご紹介する別の記事にありますが、親から十分に愛されなかったクライエントが「カウンセラーのカウチの横で子供のように丸くなりたかった」ということを言います。そのぐらいの引き出しを持ってないカウンセラーがするカウンセリングは、拷問です。
 「課題を抱えた人が自分の力で」っていうのは、なんか心が健康な人を前提とした、コーチングのようなセリフだなあ。「病んでる状態」っていうのを本当には想像できてないんと違います?




■(成育歴によって、「存在しているだけで貢献だ」と思えない人には?)
親子関係のあり方によってこれは変わってくるはずです。「生きている」という時間を味わう、そういう体験をしてこなかった人がいたら、つまり、父も母も自分の「仲間」だと思えないような育ち方をしてしまったとしたら、そうだとしても、彼ら・彼女らに「過去がない」と言う風に考えるのではなく、「過去のことを、今、問題にしても仕方がない」と考えたらよいのです。

 これも程度問題ですねえ・・本当に深刻な、例えば虐待を受けて育ったなどのケースを想定できているでしょうか?被虐待児では脳の報酬を感じる部分の働きが弱い、という研究結果が最近出ていましたが…。岸見氏は、さまざまな場合の「ワーストケース」についてあまり想像できていないのではないでしょうか。現代にはその想像力は必要です。
 成育歴が本当に問題になるようなケースの場合、産業カウンセラーの手には余るということでもっとディープな分野のカウンセラーに紹介する、というのが良心的なやり方ではないでしょうか。



■Q6:企業内で看護師をしています。自信過剰で、上司に立ち向かっては叱られている若い人がいます。「自分には能力があるのに、だから、もっと能力にあった仕事をさせてください」という社員がいるのですが。

A6:「優越コンプレックス」と言いまして、現実が伴っていないのに、過剰に自分を誇示する人というのがいます。これは、劣等感の裏返しなんですね。
「支戦場(しせんじょう)」・・・本来の仕事の場で戦わず、上司は部下に理不尽に叱るのも、上司側の「承認欲求」の表われです。上司も劣等感がある。
部下は部下で、そのやり方にのっかって、はむかっていく。こちらも劣等感の表われ。
子どもの例ですけれど、問題行動を起こす子どもというのは、「責めて叱られたい」と思うという屈折した欲求があります。

 また「承認欲求」をわるものにしている。岸見氏はよほど「承認欲求」がお嫌いなんだなあ。
 わたしだったら、このQに対してはもう少し詳しい聴き取りをします。これだけの情報量で即回答することはしません。本人の自己評価は本当に正しいのか。「立ち向かっている」というのはどういう言動か。上司はどんな言葉で叱責しているのか。もし、本人が能力が伴わないのに、身の程知らずに高度な仕事をしたがるのであれば、それを叱ることは上司の承認欲求とはいえません。看護の仕事などでは、安全上の問題でスキル不足の人にはさせられないことがあります。
 この回答が質問者の状況に本当にフィットするものなのかどうか、フィットしてなかった場合、質問者はどんな気持ちを職場に持ち帰るのだろうか、どんな眼でこれからの職場をみるのだろうか。


■Q7:家庭の問題で、問題行動を起こす子ども。どうしたらよい?

A7:「不適切な行動」を無視するのがよくないです。アドラー心理学で言っているのは、「注目しない」であって、「無視する」ではありません。・・・(後略)

 これも上記と同じ。問題行動の種類によるので、そこを聴き取りします。
 行動理論では、軽微な問題行動は無視することを教えます。
 それ以外のところで良い行動を認めてやることで、軽微な問題行動は自然と消失することがあるのです。
 もちろん重篤な問題行動の場合はそれにとどまらないので、とりあえずこの質問が出た段階で聴き取りです。アルゴリズムがあるのです。
 多分アドラー心理学の人は行動理論はお嫌いなんだろうな。



■(大学に10日で通わなくなったお子さんがアスペルガーの症状に当てはまる、という相談について)
A9:まず最初に言えることは、「病名」をすぐつけるのはよしたほうがよいです。それと、アドラーは「原因」を探すのは止めよう」とも言っています。
原因、理由・・・何かあるはずだ!と周囲は考えたくなりますが、理由は後付けになります。

 すいません。わたしなら、そのアスペルガーの線を重視して聴き取りをします。だって、「出現率4%」ですよ。25人に1人は可能性があるわけです。それが、高校までは顕在化しなかったのが大学で顕在化した、大いにあり得ることです。アスペルガーの人は構造化されていない環境が苦手なので、カリキュラムを自分で選んでどの教室に行っても違う人がいて、という環境はストレスになり得るだろうからです。
 もしアスペルガーだと特定できると、恐らくそのほうがそのケースではハッピーになります。若いうちに診断を受けられたほうがいいんです。大学1年なら、就職に備えて社会人になったとき困らないような立居振舞を今からおぼえることもできます。周囲に対して環境調整をお願いすることもできます。障害識をもったほうが幸せなんです。とりわけ、高校までは顕在化しなかったような軽症のアスペルガーのほうが、自覚していないと職場では問題が多いんですよ。
 岸見氏は、要はアスペルガーについて良く知らないだけなんじゃないですか?



 ツッコミもとい批判は以上であります。ああ疲れた。
 しかし改めて、ここまで詳細なメモを残してくださった田中氏に感謝です。講演では岸見氏はささやくような小声で話すということだったので、なおさら。(実はそれをきくと、「岸見氏ってナルシなんじゃないの!?」というツッコミも、わたしの心に湧きます。本記事をシェアしてくださったある学校の先生が言われましたが、褒めるアプローチを否定する人って自分の承認欲求が強い人が多いんですよね)

 1つ1つは些細なことかもしれませんが、聴衆が産業カウンセラーさんだときくと、やっぱりこれは聞き捨てならないなあ、と思います。カウンセラーさんや精神科医さんのところでの「見立て間違い」は、患者さんを一生の不幸につきおとしてしまうことがあります。治るものをダラダラ治さないことがあります。そして鬱は、一度本格的になってしまうと再発も多い、一生ついて回る、自殺もあり得る、怖い病気です。

 正しい(というか普通の)部分も多いとはいえ、1回の講演でこれだけ「明らかな間違い」というところがあったら、クルマならリコール、マンションなら建て替え賠償、のレベルです。最近、知識人のこういう「仕事」に向ける眼が厳しくなったわたしです。

 あえて、厳しいことを言います。
 『嫌われる勇気』を読んだときも思ったことですが、こういう論理構築って、基本的に子供との問題やクライエントとの問題で疲れ果てている人を対象に、あえて「褒めてはいけない、叱ってもいけない」とか「反抗期はない」とか「常識の逆張り」みたいなことを言ってやることで、
「あ、それは私が今やっていることだわ。今までのやり方が間違っていたんだわ」
と、虚をついてこころを思考不能にし、空白をつくり、そこへいい加減な頭の中だけでつくったロジックを畳みかけて注入してるんじゃないでしょうか。悪質な詐欺と同じテクニックなんじゃないでしょうか。


 そして、「承認欲求」というものの日米の扱いの違い。わが国でのような、底意地の悪い使われ方は、アメリカではしません。
 最近見つけた、アメリカの女性臨床心理士によるこんな記事をご紹介します。自己愛の強い母親に育てられた娘の悲劇、という題材です:


「母親が乳児のあらゆる動きや言葉、欲求に応えるとき、そこに信頼と愛情の堅いきずなが結ばれる。子どもは安心して母親に面倒を見てもらい、温かい愛情と承認を受けとる。それが娘に自信をもたらす。

ところが、深い感情をもたない母親は、娘とのあいだにきずなが結べない。母親が子どもに愛情を与えるのは、自分の利益にかなうときだけだ。娘は母親に頼れないことを学ぶ。そして、いつも落ち着かず、見棄てられる不安を感じ、なにかにつけて母親に裏切られるのではないかと思ってしまう。」(太字正田)

「自己愛の強い母親が、ムスメを不幸にする! その「束縛」から逃れる方法放置すると自分の恋愛にまで悪影響が…」(3)

 いかがでしょうか。ここでは、「承認」が「愛」と同等の、「与えられてしかるべきもの」として、いわば「心を潤す栄養」のようなものとして、描写されています。
 これが、「正しい使い方」なんです。

 このところ当ブログでご紹介してきた、フランクフルト学派による「承認論」も、「民族差別」や「フェミニズム」の問題に注目するように、当然与えられて然るべきものが与えられないことについての、弱者の側にたった憤りが出発点にあります。
 「承認」は弱者の側にたつための論理であり、わが国のように弱者を嘲笑することに使われるのは、また「与えない」ことを指南するのは、大きな間違い、恥ずべき間違いなのです。これは、日米欧の「知識人」のレベルの違いなんでしょうか。


 そういうわけでわたしは、岸見氏の講演が全国各地で行われ、患者さんに接する最前線にたつはずの産業カウンセラーの方々がそれを拝聴している、という図を大いに憂えます。

 どうかこれからの講演会では、「それはおかしい」と声を上げる勇気ある人が出てきますように。

 改めて、引用をお許しくださった田中淳子氏、またそもそものきっかけを作ってくださったお友達に感謝し、筆を置きます。



正田佐与
 

<シリーズ・アドラー心理学批判>

●「勇気づけ」についての副作用情報。。(2014年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51903598.html

●褒めない・叱らないは正しくない!「逆張りロジック」に正しく反論する知性を磨こう―『嫌われる勇気』著者講演会 (2015年12月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927076.html

●「自己認識には事実のフィードバックが大事」「思考的盲目が心配」―宮崎照行さんのメッセージ(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51927143.html

●「子どもさんは大いにほめてください。そして叱ってください」―正田、アドラー心理学セミナーで吠えるの記 (2016年1月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933511.html

●「誰もが活躍できる社会」とは「承認社会」―NYさんからのメッセージ (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933591.html

●「勇気を持って指摘されたからこそ、いずれ考えを改める」―永井博之さんからのメール (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51933656.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(4)メディアの考える怠惰なお客様と「行為者」の乖離、王道とパチモンの「大衆的人気」(2016年5月)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940842.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940920.html

●NHKおはよう日本 アドラー心理学特集を批判する(2)友人たちの反応 (同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940923.html

●『行動承認』Kindle化に向けて(5)行為者の脳発達と細胞レベルの変化の可能性――林田直樹先生との対話より(同)
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51940962.html

●アドラー心理学批判 「承認欲求否定」「ほめない叱らない」はどこから来るか―「共同体感覚」との関連において―アドラー『個人心理学講義』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941070.html

●アドラー心理学批判・友人からのお便り「幼稚さ、ナルシシズム亢進、成熟拒否」
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941137.html

●アドラー心理学批判 「トラウマ否定」「承認欲求否定」起源はみつけたが誤読と捏造だった―『人生の意味の心理学』をよむ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941143.html

●アドラー心理学批判 アドラーの罪:発達障害者向けのお説教と批判封じ
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941204.html

●アドラー心理学批判 まとめ:「承認欲求を否定せよ」「トラウマは存在しない」有害フレーズの捏造と岸見氏の罪
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51941255.html

 「新潮45」2015年8月号を読みました。
 創刊400号記念特大号―といってもふだんこの雑誌の読者ではないので実感しにくいのですが、

 「地に足のついた話をしよう」
と題して、藻谷浩介×内田樹の対談があります。

 辛いですが、今日の記事ではこの対談を批判的に吟味してみたいと思います。
 「承認欲求」という言葉が、多くの犯罪心理学者や社会学者と同じ、逸脱行為を理解するための言葉として使われています。


 3月に起きたドイツのジャーマンウィングス機の墜落事故を話題にして、

 ―この事故はスペインからドイツに向かった旅客機の副操縦士が、百五十人の乗客乗員を乗せたままフランスの山中に自ら墜落させたというもの。副操縦士はうつだったとの報道があった。このほか新幹線の中で焼身自殺を図り、1人が巻き添えになって無くなるという痛ましい事件が起きた―

 
内田 平凡な言い方になってしまいますが、いずれも背景にあるのは社会的承認欲求でしょうね。

藻谷 承認欲求…。ただ自殺したのでは記事にもならない。大勢を道連れにすれば、みんな自分の名前を知るだろうと。

内田 名前を知って欲しいというより、「彼はなぜこんなことをしたのか」という問いを立てて欲しいんじゃないですか。「彼はなぜこんなことをしたのか」という問いの対象になるのが、現代人が求めている社会的承認欲求の標準になっているような気がします。

藻谷 なるほど、皆に考えて欲しいと。(p.61)



 読者の皆様は、お気づきでしょうか。
 「(社会的)承認欲求」という言葉が、ここでも”負の文脈”で使われ、なんども言うように「自己顕示欲」とほぼ同義で使われていることに。

 かつ、「(社会的)承認欲求」という言葉と「自己顕示欲」という言葉、どちらを使うのがここでは適切か。
 「自己顕示欲」を使うほうがはるかに適切なのです。

 コーチングを含めたコミュニケーションの世界には、「チャンクダウン」「チャンクアップ」という言葉があります。それぞれ、「具体化」と「抽象化」とほぼ同じ意味。チャンクというのは塊という意味で、チャンクダウンは塊を小さく崩すこと、チャンクアップは大きな塊にまとめあげること、をいいます。

 それでいうと、「(社会的)承認欲求」という言葉は、ここで使うには「チャンクが大きすぎる」のです。より細分化・特定した、「自己顕示欲」を使うほうがよほど親切、適切。

 「(社会的)承認欲求」では、著書や芸術作品を世に問う行為も、会社に就職することもそこで頑張って働いて仕事のできる人と認められたい、ということもすべて入ってしまいます。そういうことまで悪いのか、と誤解させかねません。

 というか、「社会的」をここにつけるのは何か学術的な意味があるのか?マズローの言う第三階層の「社会的欲求(所属欲求)」と第四階層の「承認欲求」を合体させた造語なのか?社会学のほうにでも、こういう合体させた用語があるのでしょうか?正田は寡聞にして知りません。


 先月のこのブログにも書いたように、内田氏は実に恣意的な言葉の使い方をする人物であり、さまざまな分野について碌に知識のないまま聞きかじり、ネット読みかじり程度の知識で大上段にものを言ってしまう癖があります。
 詳しくは
 ウチダ本ついに学ぶものなし(悲)
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922494.html
 無知と知ったかぶり、恣意的な用語と思考、ファンタジーのオンパレード(★)―再度『困難な成熟』
 http://c-c-a.blog.jp/archives/51922668.html
(ちなみにあとのほうの記事は、フェイスブックでお友達の法政大学の組織論の先生から「いいね!」をいただきました)

かつ、「言葉の両義性」というものもお好きなようで、「両義性」が好きであると「承認欲求」のようなチャンクの大きい言葉を使って何かあれば「両義性」で言い抜けようとするのもわかる気もします。いずれにしても、まともな学者なら自分の学生には禁じるはずの、非常に不誠実な態度です。

 また藻谷氏は―、以前の同氏の著作『しなやかな日本列島のつくりかた』でも、序文中の「私は本を読まない」というフレーズに「???」とわたしはなったのですが、本を読まなければ必然的に情報源はネットか聞きかじりか、ということになります。
 ―この本も、今読み返すと男性ばかり8人で「日本」を語り、女性が話題に登場するのは点景としてのみ、という、非常に偏った本なのだ―

 残念ながら、「承認欲求」という言葉はこういう種類の、そこそこ有名な、しかし不勉強な、大学教授、コンサルタント、売文業の人びとが遊び半分に(対岸の火事として)もてあそぶための言葉になってしまっていたのでした。

 もう1つ藻谷氏の言葉を挙げておきましょう。

藻谷 最近、私が違和感を覚えるのは、「藻谷さんはいろいろ発信できて、社会に影響を与えることができて、いいですね」と言われることです。要するに、藻谷は私を拡張できて、公にいろいろ口出しできて羨ましいということなんです。
 こう言われると、二つの意味でげんなりします。
(中略)
 傲慢に聞こえてしまうかもしれませんが、私は他人に認めてもらいたいわけではないし、そういう意味での欠落感はないんです。(p.65)
 

 ここでは、「認めてもらいたい=欠落感」という使われ方をしています。
 さて、「認めてもらいたい」はイコール欠落感なんだろうか?
 読者の皆様は、どう思われますか?

 先にも言いましたように、承認欲求というのは著書や芸術作品を世に問う行為も、会社に就職することもそこで頑張って働いてそこそこ仕事のできる人と認められたい、ということもすべて入ってしまいます。たとえば感情労働といわれる仕事の人がお客様に「ありがとう」と言ってもらうとほっとこころがなごむ、身体の疲れが癒されたように感じる、そんなささやかなことも承認欲求です。あるいは無理解な上司から問答無用で叱りとばされ、こころが傷つくことも承認欲求の一形態です。
 また恋愛をしたり家庭を営んだりする私的な行為も―。

 藻谷発言には、それらすべてをひっくるめた、人びとが関係性の中で喜びや悲しみを感じる「承認欲求」に対する見下しがあります。
 そうしたものすべてから自由でいられる立場だ、とはある意味羨ましいことです。

 
 ここで藻谷氏の名前を出さざるを得ないのはわたし的に非常に残念なのですが、同氏は昨年12月21日の毎日新聞書評で拙著『行動承認』を取り上げてくれたのでした。「今年の3冊」のうちの1冊として。当時わたしも非常に感謝しました。
 しかしそのときの文面をここに出すのは控えましょう。同氏も後悔しているでしょうから。

 同氏のように、わたしのしてきた教育事業とそれによる幸福な業績向上事例、そして拙著『行動承認』をはじめとする事例提供、それらに当初感銘を受け、シンパになってくれ、そのすぐあとネットの「承認欲求叩き」に触れたのか内田氏のような「良く知らないで承認欲求叩きの尻馬に乗るえせ知識人」に流されたのか、自らも「承認欲求」を揶揄・嘲笑する側に回ったという例は、このところ後を絶たなかったのです。

 去年から今年、何度そういう人々の手のひらを返したような仕打ちに遭ったことだろう。

 そして今年春、わたしは一時期体調を崩していました。

 だから、ブログ読者の皆様、わたしが「承認欲求叩き」とそれに便乗するえせ知識人に対して厳しいことに、驚かないでください。そしてどうかご理解ください。にどと藻谷氏のような人物に出会いたくないのです。もちろん内田氏のような人物にも。

 神様、どうかお守りください。

 この記事が、おぞましい「承認欲求叩き」の最後の1つになりますように。

 
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 7月、8月と研修をさせていただいたベーカリーチェーン「株式会社牧」様から、クール宅急便が届きました。

牧様のパン20151006-2


 冷凍状態でもぷうんと香ばしい香りのたちのぼる、パンの数々。

 「柴又店が今月末に新装開店します。それに向けて開発しているパンをお送りしました」

 電話に出られた牧田社長のお元気な声。
 そういえばこの人も「ヘーゲル読み」でいらしたんだ。
 9月末にはまたヨーロッパ研修旅行に行かれたとのことで、皆様新しい”ネタ”をたっぷり仕入れてこられたことでしょう。
「私は承認によって救われました」
と言った飯田GMは、まだ1人ヨーロッパにとどまって旅しているそうです。

 わたしは、手を動かしてお仕事をする方々が本当にすきです。


(一財)承認マネジメント協会
 正田佐与
 


 

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