『嫌われる勇気』のオールオアナッシングの断定口調ぶりを、数字で検証してみた。

 とりあえず先日『暴力の人類学』(下)で学んだ、「統合的複雑性(integrated complexity)」の初歩のところを調べてみることにした。


 『嫌われる勇気』の文章の中の断定的な単語を抜き出し数える。「すべての」とか「あらゆる」とか「何もない」「誰も…しない」「いつも」「必ず」「絶対に」「無条件の」など。

 数えてみると、著者らのあとがきを除いた本文で349個。本文283ページ、1ページあたり1.23回断言口調があったということになる。ちなみに「すべての人の悩みは…」のように多用された「すべて」という語は55回登場した。一方「非断定的」な単語も数えてみた。「ほとんど」とか「基本的に」「多くの場合」など。こちらはわずか29個で、1ページあたり0.10個だった。

 これだけでは多いのか少ないのかよくわからないかもしれない。そこで、比較対象に先日読んだ『認められたい』(ヴィレッジブックス)をもってきてみた。熊代亨氏、怒るかな。

 『認められたい』に比較的よく出てきた「断定語」は、「〜だけ・〜ばかり・〜しか」などの語の後ろにつけて限定するもので、これが35回で最多だった。その次が「まったく(ちっとも)〜しない」で16回。全体では185ページに158回登場して、1ページ当たり0.85回。「非断定語」は133回で、0.72回/ページ。



 どちらの本もページあたりの文字数は同じようなものだが、念のためちゃんと字数を調べることにした。といってもおおざっぱに各ページの行数と1行当たり字数を数え、それにページ数を掛けて400字で割る。すると『嫌われる勇気』は505.155枚だった。『認められたい』は330.225枚。

 こうして分母をそろえたところで比較してみると下記のようになった(数字はいずれも400字詰め1枚あたりの出現回数)

『嫌われる勇気』
断定語   0.69
非断定語 0.0057

『認められたい』
断定語   0.48
非断定語 0.40

 やはり、『嫌われる勇気』の断定語が多いのがわかる。『認められたい』の1.5倍。アドラー自身は、「親相手に断定口調でものを言ってはいけない」と言った人なのだが。

 『嫌われる勇気』では非断定語が極端に少ないが、これは断定語を使いすぎて非断定語を使う余地がなかったのだろうか。あるいは非断定語を使うと自信がないように見えてしまうからだろうか。
 断定語の「すべて」を多用したり、「〜ばかり」「ちっとも〜しない」といったフレーズを読まされていると、それらの言葉の背後にある刺激の強い言葉で注目を集めたい幼稚な自己顕示欲か、あるいは他人への拒絶の姿勢、他人の行動に向ける強い嫌悪の視線のようなものを感じて、わたしなどは気分が悪くなってくる。だからこの本を最初読み通せなかったのだ。
 しかし自己啓発本の読者はこういう言葉が好きなのだろう。最近も筋トレを自己啓発に応用して「あらゆる悩みは筋トレで解決する」というフレーズをみた。断定語はマッチョでもあるようだ。

 またおもしろいのは、『嫌われる勇気』では「断定語」を「青年」も「哲人」も「地の文」も、それこそ「みんなが」言っている。三者とも「断定語」の使い手なのだ。こういうオールオアナッシング思考や過度な一般化の思考は、認知行動療法では「認知の歪み」と呼び、鬱になりやすい思考だからカウンセラーは修正を図ろうとするものだ。しかし『嫌われる勇気』の世界では、青年だけが「断定語」の使い手なのではなく、「哲人」も果ては「地の文」さえも「断定語」を使うのだから、始末におえない。狂気の世界に巻き込まれそうだ(途中、「哲人」がとってつけたように「神経症の人は『すべて』と言いやすい」云々と言うくだりもあるが、その「哲人」自身が「すべての」「あらゆる」を連発している)




 いっぽう『認められたい』は、極端から極端ではなく、もっと狭い振れ幅のなかでロジックが動く。
「○○な人も、××な人もいるでしょう」
「そうかと思うと、△△な人もいます」
等。
 文章が「キラキラ」でないから、わたしなどは安心して読める。一方、「キラキラ」文章ばかり読んで中毒になっている人だと、何が書いてあるかマイルドすぎてよくわからないかもしれない。
『認められたい』では、「〜だけ」「〜ばかり」が登場するのは、おおむね行動傾向が偏っていて特定の行動ばかりとりがちな人に向けられている。戒める文脈である。


 なお、こうして「統合的複雑性」を調べてみたが、
 1月にUPした『暴力の人類史』(下)の読書日記で、

 「統合的複雑性があまり高くない言語を用いる人々は、フラストレーションに対して暴力で反応したり、戦争ゲームに参戦したりする確率が高い。」

というフレーズがあることにも注意したい。それからしても『嫌われる勇気』を好んで読んでそれと同じ言語を使う人々がほかの人と平和的に共存できるとはとても思えない。





 ついでに便乗して、わたしの拙著『行動承認』の紙版も同じ尺度で測ってみた。

『行動承認』
断定語  0.26
非断定語 0.25

 断定語も非断定語も3冊の中で圧倒的に少なかった。3年前の本。

 これにはわけがあって、「統合的複雑性」の概念は執筆当時知らなかったが、この本のミッションというのはそもそも、読んだマネジャーに気持ちよく実践したいと思ってもらうこと。そのために、

,笋譴个垢瓦だ果の出るものだとわかってもらう
△靴し、反感を買ってはいけない。

 著者のわたしの語り口に少しでも強引なところがあったら、良識的なマネジャーは「引いて」しまう。「すごい成果が出ることは言っているけど優しい語り口でいっさい強引さのないロジック」という難しいかじ取りが必要だった。
 そのために断定語を極力省いた。非断定語も、恐らく使うとあいまいな印象を持たれてしまうのを危惧して省いた。数字で言えるところはできるだけ数字で言った。

 そういう工夫が読んだ人の「やりたい」と前のめりになる気持ちに直結しているかどうか――。

 でも自分が工夫したことが数字で証明できたのでちょっと満足している。


 わたしはわたしの文章を読んだマネジャーたちがわたしのように思考してもらいたいと思っている。緻密に細やかに、愛情をもって。幸い類は友をよぶのか、過去にわたしのもとに集まってくれた人たちは似たような言葉づかいをしていた。

 ちょっと最後は手前味噌がすぎたかもしれない。


 参考リンク・断定口調で話す専門家の予測は当たらないという研究

●断言する人は信用しないのが一番―『専門家の予測はサルにも劣る』
>>http://c-c-a.blog.jp/archives/51819125.html